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娘の家に出かけようと電車に乗った、切符売り場に定期券を買う長い列。ホームには真新しい制服を来たかわいらしい小学生がお母さんの後を必死で付いて行く。高校生も大学生も新入生の季節。みんな、うれしそうだ、希望がいっぱい。ぐんぐん伸びる春の若芽のように、この先、その希望はいろいろな障害や困難や困惑や妨害にぶち当たるだろうけど、きっと大きな実績となって、この国の未来に貢献してくれるんだろうな。今年大学を卒業して大きな会社に就職したボランティアの若い友人が2人いる。1人はかって、中学を卒業して再婚の母に連れられて日本にやってきた中国人だった少女。その少女はたった1年間であいうえおから勉強して、高校を日本人と同じに受験して合格した。そして、そこで親友を作った。2人目の少女。2人は別々の大学の大学生になっても、一緒に遊んだり、勉強したり、今度は教える側になってボランティアしたり。就職が決まって、卒業旅行に海外に2人で行くんだ、と聞いたのは2月。「卒業旅行はどうした?」と聞いたのは3月。「私たちの考えが甘かったと気が付きました。自分たちで働いたお金では海外なんて行かれなかった。」残念そうに言う彼女たち。でも私はちょっとうれしかった。世の中がそうやって自分の思う通りにならないと悟ったこと、そして何よりもそこで、誰かに頼ろうとせず、我慢する方法を選んだことは大きな成長だと思う。就職を前にして彼らはもう自立し始めているのだ。頼もしいなあ。海外卒業旅行で何か得ることも有ったかもしれない。でも、働いていれば自分の力で海外旅行なんてできる。その時海外で得たものの方がきっと胸を張って報告出来ることだろう。「いつ行くんですか?今でしょ、今しかないでしょ」なんてことは絶対ない。日曜日、3か月前からの予定通りお花見をした。花が無いから、大雨の予定だったから、家の中で。16人。フィリピン人、ベトナム人、インドネシア人、日本人。 食べものの写真を撮ろうとしたら、もうすでにサテと緑豆のクレープといくつかのお皿は空っぽ。上の写真↑
April 9, 2013
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散り行く桜を求めて、妹と鎌倉を歩いた。お昼を食べるところから始めたので、そんなに歩いてはいないのだが、八幡宮の牡丹の花を写真に撮りたいとはらはらと散る桜の並木の中、段蔓を八幡宮へ向かう。参道は花筵牡丹園には赤、黄色、ピンク、白と牡丹が咲き乱れ、上から桜が牡丹の上に降ってくる。源平池には花筏カメラを弄るようになってから、花の美しい季節をだんだんに当てられるようになってきた。花を求めてさまよっている時、遠くに紫を見つけた。何だろう鎌倉のには小路がたくさんあり、間違って入ると行き止まりの事もしばしば。そんな恐れを抱きながら、人ひとり通れる小道を紫を視界に入れながら進むと、葉先をほんのり赤く染めた新芽が芽生え始めているもみじの大木が生い茂った、民家の門前に出た。まるで清里の別荘地の奥まった一角のような家だ。そして門の中からずっと奥の斜面に紫の諸葛菜が咲き乱れていた。運よく、お家の人が出て来られ、「門を入って見ていいですよ、綱の先には行かれませんが」と許可を頂いたので、お庭の端に入らせてもらって写した写真。横に電車が写り込んでいます。トンネルを抜けるとそこは紫だった、という風景が電車に乗ると見られるはずです。一瞬ですけど。
April 2, 2013
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1月にカイル君夫婦に会った時、桜の咲く頃、ミネソタの家族がやって来るからと横浜で会う日を決めておいた。例によって呑気な私、1週間前の予約で大丈夫と高を括って、チャイナタウンのいつものレストラン菜香に予約の電話を入れた。ところが、副都心線とみなとみらい線直通化の煽りを食って、中華街はものすごい人気で9人分の予約が取れない。急いで、中華街で中国茶の専門店を営む友人に泣きついて、いくつか中華街の知り合いを当たってもらい、老舗の同發を無理やり予約してもらった。カイル君夫婦、彼の妹、弟夫婦、両親とウサギ夫婦の9人。4年前に我が家にステイしたブルース・ウイルス似のお父さんを思い出して、たくさん食べるかもしれないからと伝えて置いた。豚と鶏肉の蒸し物から始まるコース、4品来たところでそろそろお腹いっぱいになって来て、「この後何が出る?」と聞いた。5品目の青菜のにんにく炒めを運んできたおばさんウェートレス。ぶっきらぼうに「しらない!」ひゃはは、普通のレストランなら即、首である。中華街は大陸系、台湾系の人たちのコミュニティ。この中には小学校から高校まである。この町の中で暮らす限り、日本語が話せなくてもやって行かれれる。何年日本に住んでも。彼女もその言い方が客に失礼に当たるなんて思っても見ないのだ。みなとみらいの高級ホテル内のピカピカの黒檀や螺鈿のテーブルが有るレストランでもおいしい中華が食べられるけど、周りに飛び交う中国語の中で雰囲気に浸るのはやっぱりチャイナタウンならのだいご味。次の日本人スタッフに同じ質問をしてみた。「後、チャーハンとふかひれスープです」なるほどなるほど、ところが、出てきたのは小龍包。食べ方を丁寧に説明してくれるから、みんな汁を逃がさないように上手に蓮華に受けるのに必死だ。「これで終わり?」「春巻が来ます。」夫がつぶやいた。「聞けば聞くほど増えるから怖くて聞けなくなってきた」やっと「フライライスです」、という怪しげな言葉と共にチャーハンとふかひれスープが来た。コラーゲン入っているし、アメリカでは禁止されているから食べられなくて貴重だよ。残さず食べろ食べろと、オーナーらしきおばさんが薦める。ああ、おなか一杯。これは私のオーダーミスか。高級でもいいから皿数を少し、というべきだったか。食べながらも楽しく思い出話しをする。彼ら、4年前に付き合ってくれたウサギの次女がそこにいないことを残念がっていた。彼女のジョークと親しみやすいキャラクターがよほど印象に残っていたのだろう。初期の私のホームステイ受け入れを助けてくれた長女から、いつしかそれは次女に受け継がれていったのだ。弟のお嫁さん、マリーンの英語が早すぎて「早すぎて分からないから通訳して」と言ったら、カイルくん、ゆっくり英語で通訳してきた。通訳って日本語で答えるんじゃないか?「だって、早すぎるからって理由だったから」相変わらずの減らず口、いつまでたっても日本語で答えない彼、久しぶりの家族との再会、みんなのお箸の使い方奮闘劇をうれしそうに眺めていた。大量に余ったチャーハンと鴨のスモーク焼き。「持ち帰れないかな」カイル君のお父さんが言った。この頃レストランでは見られない、日本人のもったいないの精神はアメリカのドギーバックの方がずっと意識が高いのである。アメリカ人の友人は皆これをやっている。いやいや単に家に帰って料理するのがいやなだっかもしれないが・・・。。最後にお決まりの杏仁豆腐がやってきて、そんなに高級じゃないけれど、2時間半の楽しくて、ワイワイガヤガヤの食事会。昨夜はドギーバックのチャーハンと私が「卵だから気を付けて持って帰ってね」と冗談言いながら渡した「仙台銘菓かもめの卵」食べたかな?
March 31, 2013
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花の命は短い。急遽思い立ってこの季節にぜひ行きたいと思っていたホテルに泊まった。ザ・プリンスサクラタワー。私にとって、今はここじゃなきゃダメなのである。夫と2人、日曜日の3時にチェックイン。映画ロスト・イン・トランスレーションのホテルではないけれど、映画の中の彼女が座って東京の街を眺めていたように、さくらタワーのゆったりした部屋の大きな窓にも大理石の出窓のような場所が有る。そこによじ登って腰かけ、12階の窓から桜の大群を見下ろした。次は、さくらが咲き誇る日本庭園を散策。結婚式の出席だったらしい金髪の少女が振袖を着て、桜の下を駆け回っている。200本を超えるホテル敷地の桜の基準になるしだれ桜の下には、「満開」の表示。ほら、今日じゃなきゃダメな理由。ぐるっと回って、またサクラタワーに入ったら、桜ラウンジで桜ケーキを食べる。私の選んだケーキには上に小さな3色だんごが乗っていた。東海道五十三次の時1人で立ち寄って食べたケーキだ。そうだった、東海道の旅は桜と共にスタートしたのだった。あの時、絶対桜の季節にはここに泊まろうと決めていたのだ。夕暮れが迫る頃、ホテルからタクシーで芝の増上寺へ。増上寺の桜を見ているとちょうど本堂の後ろの東京タワーがゆっくりライトアップを始めた。桜のトンネルを通りながら東京タワーのそばまで歩く。何もかもがグッドタイミング。桜道と名付けられた通りをタクシーでホテルに帰る。今度はホテルの回廊庭園や屋外桟敷席や桜がライトアップの照明を浴びて幻想的に浮かびあがっている中を、日曜日なのに仕事を頑張っていた娘と合流して夜桜見物。8時に予約していた3階の日本レストランの位置は、ちょうど目の高さに桜の木の花が来る。奮発して予約した8,000円の食事は、すべてお花見にちなんだ物づくし。ガラス越しの桜なので桟敷席のように寒くないからこたつもいらない。快適。娘がいう。「家から日帰りでも来られるし、ホテルの庭やラウンジだって宿泊しなくても利用できるのにわざわざ大金叩いて宿泊?」そう言うなかれ。ぱあと咲いてぱあっと潔く散るのが桜の花。1年に1度しかない贅沢じゃないか。12階からの花霞み。下の建物は別館の迎賓館。光っているのは外の提灯。クリックして大きくすると、外の桟敷席のこたつも下の方に見えます。潔いのが良いとか言いながら、月曜日の朝、ホテルから出勤した夫を見送って、六義園やら、千鳥ヶ淵やら未練たらしく桜見物しちゃった。
March 25, 2013
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4月7日にお花見を設定したけれど、たぶん、絶対、花は無い。そこで、とりあえず花だけ見にみんなを誘って出掛けた。総勢15人。場所は大岡川プロムナード。川に沿って弘明寺駅から横浜近くまで歩いた。11時から歩き始めて、3時半ごろまで。ただひたすら川の両脇の桜と、屋台と人を見ながら、携帯電話を使いながらお花見。携帯電話がなぜ必要かと?15人もいるから・カメラマンが何人もいて勝手に立ち止まるから・カメラ無い人はどんどん歩くから、度々迷子になる。「今どこ?」桜の下」決まっているじゃない。「橋のそば」「たこ焼き屋さんが有る」そんなのいっぱいある。夫は屋台では絶対食べない。何が入っているか分からないからと、イスラムの友人たちは屋台では食べない。ソースにアルコールが入っているかもしれないから。彼ら、途中で私の知らない友人に会って握手をして、話し込む。「知っている人?」「いいえ、今日初めて会った人」「インドネシア人?って聞いてきたから」また止まる。「知り合い?」「いいえ、インドネシア人みたいだったから声かけた」「だって、日本にいればみんな家族みたいなもんだから」そうなんだ、自分だったら外国で日本人見たら声かけるかな?かけないだろうな。インドネシア人だと思ったら100%声かけるんだそうだ。そういうのってちょっといいな。途中の橋で、日本人のおじさんがインドネシア語でアリさんに声をかけてきた。意気投合した彼ら何人か、近くの駅から電車に乗る私たちと別れて、まだまだ桜プロムナードを、みなとみらいまで歩いて行った。
March 24, 2013
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車を買った。ああ、前回書いたか。そこでその車で高速慣らし運転に出た。やあ、それも書いたか。この車、便利な機能が付いていて、一定速度に設定するとそのまま走る。アクセルを踏まなくても、ブレーキを踏まなくても自動でそのまま走る。追尾機能が付いているので、カメラで前方の車を認識して、一定間隔で走る。前の車が遅かったら、近づきすぎないように自動で速度を落とす。前が空けば設定速度までは自動で速度を上げる。横入りの車がいれば認識して自分勝手にその速度に合わせる。坂道登りはうんこらしょと自動でエンジンの回転を上げ、坂道くだりは自動でエンジンブレーキをかける。前の車が止まれば自動で間隔を空けて止まる。信号待ちの時は自動でエンジンを落とすエコ。私はまだこの機能使いこなせないけれど、夫にしたら楽なんだとか。ところが、前の車より横10cm、縦10cm大きくなった。ちゃんと入る構造にはなっているが、車庫の屋根を支えている柱がどうにも車庫入れの邪魔に思えて、ぶつけないで入れる自信がない。そこで、屋根付き車庫を取り払ってしまったのである。解体撤去費用約10万。私が免許取って一番最初に乗った車がローレル。それ以来買い換える度サイズはたぶん少しずつ大きくなっている。隣のおばさんが言った。「年を取ると、普通は小さい車にするものよ」はい、おっしゃるとおり!おかげで電車での外出が多くなった。本末転倒。花見も電車で。
March 22, 2013
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車を買ったら選べるホテル宿泊券が付いてきた。都内のホテルにしようか、温泉にしようか迷って、せっかくだからと長距離運転の慣らしを兼ねて伊豆に一泊旅行した。途中、大室山リフトとの表示が有ったので、立ち寄ることに。相模湾から近くの標高450メートルぐらいの地点に70mくらいのすり鉢をひっくり返したような火山だ。火口は逆にすり鉢状の穴になっていた。リフトで登って、火口をぐるりと一周すると、25分ぐらいかかる。リフトの切符売り場の表示は「往復」と「片道」料金が表示されていた。「往復ください」頂上の火口周を強風で火口に落ちないように身体を支える。強風で傾斜角45度くらいの山側に転げ落ちないように身体を支えながら歩く。樹木一本生えていない。外側に転げたら、一気に山裾まで落っこちる。人が歩く道は見当たらないし、そもそもこんな坂歩けるとも思えない、転げ落ちるしか無いし。そこで思った。どうしてリフト券、片道切符あるの?
March 18, 2013
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連ドラでも朝ドラでもない。「梅どら」ここ2週間の私の日本語ボランティアはビジナーコースの2人のアメリカ人。日本語始めて15時間ほど。まだ教科書の5課である。やっとひらがなが読めるけれどまだ書くのは難しい。カタカナは知っているけれど、読めない。何でもそうだけど、何もわからない時って黙って先生の言うことを繰り返す。それで精一杯な人が多い。ところがどっこい、この2人。意欲旺盛で、ちょっとでも分からないことが有ると質問してくる。英語で!この段階では難しいことは先に教えることととし、時にはあえて教えないで通過するのに、ストップをかけてくる。英語で!他の曜日の教室にも通っていて、そっちで習った質問をしてくる。英語で!私が最初に「にほんごで教えます」と言ったにもかかわらず、ものすごい早い英語で質問してくる。「Could you .........?」の嵐だ。教科書の最初は「これは辞書です」から始まって「私は・・・・」は必須なので「は」をwaと読むなど初期の段階から知っているのが普通。きちんとした日本文を教えないと、日本語は点や丸まで単語の区切りが無いから、文章が読めないはずだ。読めないと意味もとれない。だから、正しい日本文を書く。そしてその下にローマ字で発音を書く。しかしなあ、まだまだこの段階では耳から入る音なのである。「かぞくってなんですか?」「おとうと?」「younger brother」「あれ?the day before yesterdayは?」「それはおととい」みっちり教えて、みっちり質問攻めにあって、5分オーバーで授業を終えてホッとしたところに、おもむろに破り目のある空のお菓子のプラスチック包装を出し、製造者名を指して聞いてきた。「この材料は何ですか」「材料欄はこっち、そして材料は小麦粉、小豆、梅、卵、砂糖、安定剤、増粘多糖類、うん?増粘多糖類って英語で何だ?」くー、しまった。今日も負けた。日本語で教えるはずが、相手が上手だった。せめて、聞くときは中身も持ってきて分けてよね。「梅どら焼き」 例え夫にでもバレンタインデー送って良かったと思った瞬間。↑もらった!
March 14, 2013
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毎年インドネシア人やフィリピン人の生徒達と行っているお花見。今年は節分に集まった時から皆楽しみにしている。日程を決定して、それぞれに連絡した。今年もお花見の名所を移した。私は良く行くが、皆は行ったことが無い場所である。最寄りの駅で集合ということでメールを送る。お花見の日程確認では送られてきたメールに漢字が書いてあった。よって、返信に漢字で集合すべき駅名を書いて送った。返事が返って来た。「先生、漢字がよめません。ローマ字でお願いします。」パソコンでも携帯でも、日本語入力すると変換してくれる。だからたとえ漢字が読めなくても、日本に1年もいて少し日本語が話せると、メールは漢字混じりで送って来るのである。その漢字を本当に知っているかどうかは別なのだ。日本人は良く、英語など話すことより、読むことの方が出来るという。だけどこと、漢字混じりの言語になると別なようだ。漢字が入っている日本語を読むのは話すより難しいのである。自分で漢字を送れても、その漢字が読めない事も多々ある。私はつい油断して、漢字で返信して失敗しちゃうのである。他言語を習うって面白い。最近読んだ子供の本。「シャーロッテのウェブ」には泣いた。最後は泣きながら読んだ。美しくて、温かくて、悲しくて、春のような心にしてくれる。友情って素晴らしい。
March 12, 2013
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土曜日の朝、またまた「雑木林のような庭」なんぞという本を買って、庭いじり再燃したから、さっそく、庭の敷石や置石の移動を試みて、大きな木を抜いたり、植え替えたり始めた。蹲でも作ろうかな、竹矢来もいいな。日本風の庭にするなら、母の家の庭から灯篭を持って来て、沙羅の木の下にでも置こうかな。それは午前中の事、午後、来週は母の家の家具の処分の業者が来るからと、とりあえず、いつも閉めきっている雨戸を開けて、日の光を入れて、それからダニ退治のバルサンを焚こうと亡き両親の家に出掛けた。バルサンを2階と下にかけ、外に出て庭で3時間待機することにした。玄関を出ると直ぐ、「火事です火事です」と室内で音が鳴る。あらあ、火災報知器が煙を探知しちゃった。でも、今からバルサンの真っただ中には行きたくない。火災報知器には勝手にしゃべらせておいて、バルサンの様子を窓から見張りながら、夫と母の家の庭掃除をして時間をやり過ごす。「芝刈り機出したから刈ってよ」とちゃんと家の中から事前に出して置いて機転の利くところを見せるように家の外のコンセントを指さして、夫に言った。すると夫、「だって、電気のブレーカー切ったままでしょ。」「・・・・・・!」そうであった、住んでいないから漏電が怖くて、ブレーカー落としているのだった。伸びすぎた芝生を手動の長鋏で刈ったり、小さな花をいっぱい咲かせている福寿草の周りの落ち葉を集めたり、自分の家から持って来た春に咲く花を植え付けたり。10分芝を刈ると、「ああ疲れた」と放り出す夫。仕方ないから10分ごとに交代で芝を刈る。あ、そうだ。灯篭、車に積めそうかなと、雪見灯篭の1番上のタジン鍋の蓋のような小さいのを持ってみた。重い!1番小さいのでこれだから、その下の大きな傘や足なんて2人でも持てない。「灯篭重くて持って行けそうもないね」7分で休んでいる夫につぶやくと「うん、僕もさっき1番上持ってみた。やめた方が良いと思う」試してみたのね。でも、藪蛇にならないように、試したことは黙っていたのね。
March 2, 2013
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「ブログってなんだ」とある時ふと考えた。そうしたら、ブログが書けなくなった。私はブログとfacebookとツイッター使っている。そしてそれぞれ使い分けている。多少ダブっている知り合いや友人もいるが・・・。ある日、友人が私の「ブログ記事をfacebookにリンクしていいですか」と聞いてきた。そこで私は、いやいや同じ写真と記事を改めてfacebookにも書くからそれをシェアしてくださいと伝えた。実名を出す人もいるが、ほとんどの人はブログではハンドルネームを名乗る。記事を書く上で個人名や特定されることは差し障りが有るからだ。場所や生活が特定されないように顔写真を出さない人の方が多い。私の経験から、内容や、書き方からずっと女性だとばかり思っていたら、男性だったということもある。ブログは自由なのである。偽りの自分を作り上げてもいい。それはそれで面白い。読む方だって、ブログはそういうこともありうる世界だと分かっているはずだから。何しろ読み手だって実名出してないのだから、相手が事実じゃなくても文句は言えない。facebookはそれは出来ない。きちんと実名登録するのが基本だ。自分のページとリンクするそのほとんどは有ったことのある友人なのだ。ブログは「すべてが事実とは言えないと認識する場所」でありfacebookは「確たるものや現実を出す場所」ここ何日かのもんもんで、そこに至ったのであった。ちょっと前に書いた丹後旅行のブロ友さん、バスの予約時に「前金はどうやって振り込む?」と聞いたら、「以前お会いしてもう身元が割れていますから当日で良いです」と言った。なるほど、ブロ友さんも一度会うと身元が割れるのである。想像していた世界から現実に移動するのか。ちなみにツイッターはハンドルネーム登録でかまわない。ブログと同じ。ブログリンクに使っている人もいる。 灰色ウサギは実は男性だ。←うそうそ。何人かに身元が割れている。 灰色ウサギの書くことは実はてんこ盛りの創作である。←有るかもよ。 今日の写真にケーキを載せようとしたが、なぜかそのページだけスクロールが動かない。
February 28, 2013
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2か所のお役所に行かなけれならない必要が生じた。朝、家を出る。郵便局に寄って小包を出してから駅に行こうと考えていたのに、すっかり忘れて丘を下ってしまった。丘の下の郵便局に行けばいいかと思っているうちに、パスモのチャージの事を考えていたら、駅の改札を通り抜けてしまった。うーんどうしよう、荷物重いし、持って歩くのは大変だし、ロッカーに入れようか。しかしなあ、帰って来た時、きっと駅の中のロッカーから荷物を出すのを忘れて改札出てしまい、家に帰ってから「この鍵何だっけ?」って気が付くのだろうな。ままよ、このまま持って歩こう。渋谷で降りて坂を登る。お役所1終わり。荷物重い。折角良くなった腰がまた痛くなりそう。ああ、それなのに、東急フードショウに吸い寄せられて、チョコレートなんぞ買ってしまった。チョコレート好きなお隣さんの分と自分の分を少しと。スコーンも買った。確実に自分が重くなった。電車に乗って移動、お役所2。お昼を食べる。またまた自分が重くなった。電車に乗って最寄りの駅に帰って来た。丘を登るバスに乗ってやっとこ、郵便局に。書籍郵便で3冊の本を韓国のゼリンさんに送った。1日持ち歩いた本の重み。タイトルから、こんなドジな話ではなく、もっとまじめな「本の重み」を想像した方、ごめんなさい。 ↑自分の分
February 12, 2013
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だんだんに暗く落ちて行く空を見ながら、みぞれとも雨ともつかない空の上から落ちてくるものを感じながら、私はとト屋さんの露天風呂に浸かっていた。髪を吹き飛ばしていく日本海の風に吹かれながらわずかに息が出来るだけの顔を湯船の上に出して、温かいお湯に深く深く浸かっていた。房総半島と三浦半島、両の腕に抱かれた赤子のような位置をゆったりと船の行き交う東京湾の海を見慣れた私は、ざざーと音のする雄々しい日本海を少しでも感じていたかったのだ。しかししかし、お風呂の後には蟹が待っている♪そそくさと浴衣を着て、羽織を羽織ってダイニングに急ぐ。次から次と入ってくるお客さんは大広間にでも行くのだろうか、私たちともう1組はダイニングでスタッフさん付きっきりで蟹を頂いた。さっき見せられた私の蟹がきれいに捌かれて蟹しゃぶや、刺身や、焼きガニや、茹で蟹や、鍋や、もうなんだか分からない。いろいろにお料理してもらうそばから、ただひたすら無言で食べる、食べ方を教えてもらいながら、お皿にのせてもらいながら、子供のようにただ黙って食べた。ただ黙って食べる。これが蟹の正しい食べ方、なんてね。蟹ちゃんバスの京都からの運転手さんも帰りの運転手さんも、言った。「美しい丹後の雪景色が見られなくて残念ですね」
February 10, 2013
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ある日、古くからのブロ友、rikizukiさんのやっている丹後旅行センターの蟹ちゃんあみちゃん直行便で蟹を食べに行って来た。はるばる新幹線に乗って京都駅まで行き、八条口で待っていた蟹ちゃんバスに乗り、今度は、丹波を抜け大江山を抜け、京丹後。3年ほど前も、てんきてんき丹後という一度聞いたら忘れられない名前の道の駅でバスを降りたら、待ち構えていたrikizukiさんにてんきてんきの店長さんの車に押し込まれ、聖徳太子のお母さんの名前の付いた間人(たいざと読む)港やら、平七魚水産の蟹水槽や、鳴き砂の海岸を日本海に暮れ落ちる夕陽と競争しながら案内してもらったのだった。今回も日本海の潮の匂いがその強い風と共に感じられる頃、てんきてんきでバスを降ろされた。rikizukiさんは突然の所用でお会いできなくなったけれど、今回のお宿「とト屋」さんが迎えに来てくれていた。とはいえ、とト屋さん、てんきてんきから見えるところ。海からの身を切るような風が冷たい。玄関を入ると意匠をこらした土間やカフェと温かい出迎えの声が迎えてくれた。ふむふむ、踏み込んだ瞬間、前回のように大きなホテルではないけれど、アットホームで気配りの気いたお宿をと選んだ私の目と、そのチョイスを押してくれたrikuzukiさんの決定は間違っていなさそうと思ったのだった。その夜食べる、私たちのために用意されていた生きている3匹の、間人の港産にしか付けられない緑のタグが付いた蟹を見せられる。「これからこれを捌いて、料理の準備しますから、お先にお風呂どうぞ」フロントと食堂とバーのある玄関棟からアートな渡を通って宿泊棟、部屋に行く階段や廊下には韓国の陶芸家さんの陶器や日本の古陶器にきれいな花が素敵に活けられていて、それにも、おかみさんのセンスが感じられてその後の展開もわくわくしてきた。部屋に入って障子を開ける。ガラス窓が有るのに、さあと冷えた冷気が感じられ、防風林の松の向こうに一本の日本海水平線が見えた。明日も続く
February 9, 2013
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昔、昔、若い王子様がお妃様になる人を探していましたが、なかなか本当にこれは素晴らしいというお姫様が見つかりません。そんなある日、1人の娘が「私はほんとうのお姫様です。でも疲れているので寝せてください」と訪ねて来ました。王子様のお母さんは20枚の布団と20枚の羽根布団を敷いて、その下にたった1粒のえんどう豆を置きました。「さあ、これで寝られなかったらそれはほんとうのお姫様」とお母さんは言いました。翌朝、お姫様は起きて「昨夜は背中が痛くて痛くて全然眠られませんでした」そう言ったのです。それはほんとうのお姫様でした。 「えんどう豆の上に寝たお姫様」アンデルセン童話から ------------------------------------------------------------------------------ 夫が予防接種をしたにもかかわらずインフルエンザに罹った。私のセミダブルのベットと彼のそれとの間は50センチ。間が有っても同じ部屋で寝ているのだから、予防接種をしている私だって絶対うつる。怖い。別棟の2階、廊下の奥の一番遠いベットルームに隔離するという手もあるが、寒い廊下を歩かなければならない。同じ理由で上げ膳据え膳する私もいやだ。 そこで、彼を寝室に閉じ込めて、私が畳の部屋で寝ることにした。夫はそんな私の心を感じて、2日目には熱が下がったものの、びたっと寝室に籠り、食事と、トイレにしか出て来ない。 畳の部屋に布団を敷いて寝た朝、腰が痛い。起きるのが辛い。布団をそっと畳んでみると、なんと、あんなにきれいに掃除したはずの先日の豆撒きの豆がどこから出て来たのか、一粒、コロンと布団の下で潰れていた。 「・・・私は、本当のお姫様?」 ない、ない、ない、そんな大合唱が聞こえてきそう!はいはい、腰が痛いのは年末、修理に出すプリンターを居間から宅急便に受け渡す為に玄関まで運んだ後、ぎっく腰になって、なかなか治らないからだ。 べたっと寝て過ごしている夫がお風呂から上がって、声をかけてきた。「ねえ、ウサギは昨日、腰を診てもらいに整形外科に行って、湿布薬もらったよね。1枚分けてくれる?お風呂の蓋を閉める時に、ぎっくり腰になった」「・・・・・わ、わたしより軽いものを持ってぎっくり腰?」 これから2人で過ごす老後が心配で、心配で、心配で。
February 7, 2013
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「キャパとゲルダ・タロー、2人の写真の違いは何だと思う?」横浜美術館の写真鑑賞の後、私は駅へと通じる長いエスカレーターを連なって降りる人々の見えるカフェで、シフォンケーキをつつきながらエミルさんに聞いた。私は、前日、インターネットで検索した時のショックを引きずったまま写真展を見たのである。学生時代からLIFEとそれに掲載されている写真を持っているのに、ロバート・キャパという名は実は架空の名前で、ゲルダ・タローとフリードマン・エンドレ・エルネーの2人の合作で、ゲルダ亡き後、キャパがその名を引き継いだというのを知らなかったのだ。実にショック。ロバート・キャパのLIFEに載った「崩れ落ちる兵士」は有名だ。横浜美術館で私たちはその写真を見た。その写真の3枚ほど前に兵士が崩れ落ちる以前の駒逆回しのような、他の3人の仲間とスペインの丘を前進する生存する兵士の写真もこの目で見た。スペイン内戦時、ゲルダとエンドレ2人は共にこの丘でこの兵士たちを撮ったそうだ。ゲルダはローライのカメラで、エンドレはライカで。そしてゲルダは別行動していた戦場で27歳で戦車に衝突され命を落とす。その後キャパの名を名乗り続けた彼は「崩れ落ちる兵士」をLIFEに発表するのである。しかし、2日前のNHKの特集で作家の沢木耕太郎が言っていた。そもそも崩れ落ちる兵士のアンダルシアに有る丘では、その時戦闘など始まってはいなかった。したがって、キャパの撮った兵士は死んではいないのである。ただその時何かのはずみで足を滑らせて転んだというのが今では通説だいうのだ。2重のショック。そしてもっと沢木は推理する。コンピューターで時間と位置を計算すれば、あの時、あの写真はキャパの立ち位置からは撮れなくて、カメラもオリジナル現像から推理して彼のライカでは考えられないんだそうだ。前日に美術館で見たあの写真はいったいだれが撮ったものだ?一緒にいたゲルダのカメラで撮ったものだと沢木は推理していた。頭の中が混乱でぐるぐるした。冒頭の文章に戻る。ゲルダとキャパの写真を見てその違いという私の問いかけにエミルさんは分からないと答えた。しかし私は、もし「崩れ落ちる兵士」が死んでいないのなら、それはキャパが写したもの。それが本当の戦闘であるなら、ゲルダが写したものと結論付けたい。なぜなら、美術館で何百枚も見てきた写真の中で、ゲルダが撮った写真は、傷病者や死者を気丈に冷静に写している。彼女は結論ありきで写真を撮っているのではないかと私は感じた。「可愛そうでしょ?」「戦争はこうだから恐ろしい、悲惨だ」そう、伝えたいのだ。キャパの写真から私が受けた印象は少し違った。彼は生きている人間をたくさん撮っている。バリケードの上の少年、ナチに協力したフランス人女性を取り巻く人々、オマハビーチのちょっとぴんぼけ写真の兵士。それは見る人によって少しずつ捉え方の感情が違うはずの写真だ。バリケードの上の少年は、その状況を喜んでいるのかもしれない。戦場の中の歓喜。ナチに協力した女性の写真からは、女性がかわいそうと思う人がいるかもしれないし、取り囲む人間の日和見主義を見て取るかもしれない。良いきみと思う人も絶対いる。ノルマンディー上陸のビーチのピンボケから、戦争の悲惨さよりも、今この時の緊迫感や自分の親や兄弟を重ね合わせる人がいるかもしれない。プライベートライアン。もちろん、彼は負傷している兵士など写さなかったわけではない。けれど、私はそこが2人の違いではないかと思ったのである。だから、崩れ落ちる兵士が実際には訓練中で有っても、それはそれでキャパらしいと思った。たとえそれを彼が撮ってなくても。彼はその写真をLIFEに選んだのだから。ゲルダなら没にしただろうと思うのだ。今日の写真は2枚。ランドマークタワーとクイーンズAの間のオブジェを私とエミルさんの2人が交互に私のカメラを使って撮った。どちらが私でどちらが彼か。ヒント、わたしのは「策士策に溺れる」。挙句に、ちょびっと涙がこぼれた。うーん、理屈くさい記事を書いてしまった。どこぞからまた、この頃の記事まったくもって面白くないと、ヤジが飛んで来そうだ。
February 5, 2013
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昨日は節分毎年お正月が終わって少し落ち着いた時期に、日本語生徒のインドネシア人やフィリピン人とお餅を食べたことが無いという彼らのために、我が家でお餅パーティをする。今年は皆の日程が会わなくて、昨日の2月3日になった。私のインドネシア語の先生の発案で、ちょうどよいから恵方巻きをみんなに作らせようということで、海苔巻の材料も準備してもらった。総勢16人。先ずはお雑煮やお汁粉を食べる。お正月バージョン。お餅を焼いている間にエビフライも焼き鳥も、サラダも無くなる。早!少しお腹が膨れたところで、来客の1人であるヒサコさんに教えてもらって皆で豆まき用の升を色紙で作った。そこに少しずつ豆を入れてもらう。もう投げる前からみんなの目が輝きだした。「いい?、投げるときは鬼は外、福は内っていうんだよ」そう教えるも、みんなの目はもう升の中。ただ一人の子供のアオミちゃんが作ってくれた鬼のお面と福のお面を、じゃんけんで決めた人が被る。窓を開けて窓を開けて!始めるよ!「鬼は外!」一声に鬼めがけて豆を撒くとたちまち3匹の鬼はウッドデッキに追い出され、なんとそこで笑いながら飛んでくる豆をキャッチして、食べ始めた。カメラマン、鬼、福、桃太郎まで入り乱れての大騒動。それが終わると、恵方巻きの講習会。私は海苔巻下手なので、ヒサコさんが皆に教える。卵焼き、蟹、甘海老、かんぴょう、キュウリ、たらこ、でんぶ、サーモン。半分のサイズの海苔の上に好きなものを乗せて自分の分は自分で作る。あれ、意外とみんな上手。ご飯を少な目に具を欲張って入れた私は罰が当たってへたくそ。夫も自分で作った。うれしそう。さあさ、今日だけはメッカの方角じゃなくて、南南東を向いて食べましょう。
February 4, 2013
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横浜パシフィコで行われた国内最大級のカメライベントのCP+2013に行って来た。70,000人が訪れるというものすごく大きなイベントだ。みなとみらい駅に降り立つと、ほとんどの人のが会場に向かう。どんどんどんどんものすごい高そうなカメラをぶら下げたマニアや写真愛好家が同じ方向に途切れなく流れて行った。私はこれで3回目。今回は一緒に行くはずだった夫が急に行かれなくなったけど、約束していたエミルさんが来たので一緒に行った。私の目的は会場で行われているカメラやショーや講習会トークショー、講演会などではなく、会場の一角で行われている「御苗場」という写真展内でブロ友さんのChloe さんのブースを訪れるためだ。訪問時間を前もって伝えておいたので、chloeさんはブースにいてくれ、3回目の対面になるエミルさんも彼女の写真の説明を受けることが出来た。動物写真家の彼女、去年からの作品は今追い求めている鹿。出展作品はバリの鹿。明らかに鹿なんだけど、ヒンズー教徒のお祈りの場面に現れた鹿は、なんだか日本の鹿と違って神々しくも有る。そんな鹿を優しくカメラは捉えていた。まだまだ鹿を追い求めるという彼女の今後の作品がたのしみだ。その後、CP+のチケット持っている人は400 円引きになるというので、会場から出ている連絡バスで、横浜美術館に回り、若いころから大好きな「ロバート・キャパ」の写真展も見た。以前、おじさんも報道カメラマンだったと話してくれたエミルさんも一生懸命展示写真を見ていた。写真を撮るのは下手な私。でも写真を見るのは好きだ。
February 3, 2013
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子供の本の「マチルダ」を英語で読んでから、ちょっと子供の英語本にはまった。娘の帰国時に合わせて、本屋で2,3冊子供の本を買って貰った。ロンドンの本屋で娘は店員に「子供の読む本を探しているんですが、何かお勧めは?」と聞いたらしい。店員「お子さんはおいくつですか?」と問うたそうな。言葉に詰まった娘は思わず「お母さんは10歳です」と言いそうになって、「お母さんは」の部分だけ飲み込んで答えたそうだ。届いた本は「The London Eye Mystery」と「Little Lord Fauntleroy」イギリスの10歳、なかなか手ごわい。ほとんど単語をすっ飛ばして読んでいる。今日も弔いの花。アルジェに種を植えた人々へ。資源のない日本でぬくぬくと温かい部屋で実った果実を食べながらではあるけれど・・。Belgische_Pralines さん、鋭いです。白い花、偶然ではありません。
January 31, 2013
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種を撒くそしてその種に水をやる人育てる人たわわに実が生る収穫する人人々に配る人その実を食べ豊かになり幸せになるそして人々は後に残った掌の種を見ながら思う「この種を返せば、もっと実が生り、もっとたくさんの人が幸せになる」一番最初の種を撒くのが一番難しい上の文章とは関係ないけれど、webページで、久しぶりに杉原千畝の記事を見つけた。先週の日曜日、アメリカでホロコーストの追悼集会が有ったらしい。その中にいる「6000人のビザ」によって助かった人たちやその子孫がいまだに彼と彼の行為を忘れないで感謝をささげている。いやいや、彼もまた種を撒く人だった。
January 30, 2013
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じっと息をひそめ、何か恐ろしいものが通り過ぎるのを待つ穴の中のカエルの心境がわかるような、分からないようなそんなこの頃。食卓でコーヒーを飲みながら、首を曲げ真上を見上げると光の中に青空とそこを横切って飛ぶトンビ。時にはもっと高いところを飛行機雲を引きながら、銀色に光る飛行機が飛んでいく。家の中に空が有る風景。だけど?だから?写真を撮るといつもその空がしゃしゃり出てくる。花のそばに自己主張してくる。下書きした原稿が有ったけど、これはもう少し先延ばししようと思った今日という日。
January 29, 2013
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新丸ビルのバルバッコア・クラシコというブラジル料理の店でカイル君と奥さんのミホコさんに会ってきた。彼、年に1.2度面白いメールをくれるのである。「ぼくたち会わなきゃ」とか「会う必要がある」とか。で、結局会っても別段用事はないのである。私にだけじゃなくて、夫や娘たちにも「ずっと会ってないから会わなきゃ」っていうのだ。今年は29才になるという。日本に日本語の勉強のために留学していたのは20才前、卒業してひょっこりまた我が家に遊びに来て、そしてまた英語の先生をするために来日、そのまま居ついて日本女性と結婚してしまった。いまだに私たちを日本の家族だと思ってくれているらしい。そして私は定期的にカイル君とミホコさんと会うのである。私が日本語で話して、彼が英語で返す。ホームステェイしていた時から変わらず・・・。この変則会話は相変わらず。絶対英語でなんか話してやらないから、そっちが日本語で会話してくるまで。
January 28, 2013
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書きたいことが心の中に有って、頭の中ではちゃんと文章になっているのに、はて、ブログに書こうとするととても書けない。もやもや。丘を降りて、古墳のあるトンネルを抜けると道端に水仙が咲いていた。そこは市の敷地だから、水仙はただ生えてきたものではなく、誰かが植えたもの。今日はそこに花盗人が2人。私がそばを通ると、すっと後ろ向きに顔を隠した。登りに向かう路の途中で、露店の野菜スタンドのおばさんから夕食用の菜の花と蕗の薹を買う。ちょっと香りを嗅いで、バックに入れて、丘を登りきると花の名前が付いたカフェ。私は200円払いカップを受け取り、エスプレッソを注ぐ。ガラス張りのだだっ広いカフェには、熱心にパソコンのキーを叩く男の人が一人だけ。エスプレッソを一口飲んでから、おもむろに本を開いた。帰り道、水仙畑に盗人はいない。下を向いた水仙が悲しい。やっぱり、頭の中に出来た文章は書けない。それはそれでいい。水仙の写真を撮ったからそれでいい。
January 24, 2013
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私の言葉ではない。先ず、わたしは、雪が降ったどうしよう。車は出せない。買い物にも行かれない。困った!と思った。雪が降った日、Facebookを開けると思った通り、雪にはしゃぐ友人らの子供達の写真が有った。ベランダの雪に興じるフィリピンから帰って来たばかりのフランセスちゃん、自宅のウッドデッキの雪をかき集めるアオミちゃん。雪だるまを作る日本語教室の子供たちの写真も有る。大人の心配はよそに、銀世界は子供たちにとってはまさに降って湧いた、夢を運ぶアミューズメントパーク。そして、少しするとfacebookに雪の写真がどんどんん更新される。雪景色の中で寝転んだり、ふざけたり、はじけるような笑顔ではしゃいでいるのは大人。インドネシアやフィリピンやベトナムから来た日本語の生徒達だ。中には来日1年にも満たないで、初めて雪を経験する人もたくさんいる。facebookの写真は故郷の家族も恋人も見る写真付き手紙のようなもの。「日本に雪が降ったよ。雪は真っ白で、きれいで、そして冷たいよ。そして世界はほらこんなに美しい」そんなことを写真で伝えているのか。いや違うな、ただもううれしくてはしゃいでいるのだろうな、子供みたいに。買い物や雪かきの心配はどこえやら、見ているこっちまで笑顔になっちゃう。今日のおやつ、足立音衛門の木箱入り栗のパウンドケーキ。さすがにこれは冷凍しないで食べた方がよさそうだ。 ☆今日もいらしていただいてありがとうございます。 なかなか時間が取れなくてコメント返しが充分に出来ません。 皆様のブログにお邪魔して、そちらにコメントさせて頂きます。☆
January 16, 2013
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三浦按針(ウイリアム・アダムス)の事である12月のある日、マイク・ポウルトン脚本、ロイヤル・シェークスピア・カンパニーの監督であるグレゴリー・ドーラン演出の「家康と按針」の舞台を見に行った。そそっかしい私の事、会場は神奈川県民ホールだとばかり思って到着するも、そこにいるのは私一人。おや?間違えたかな。芸術劇場と書いてあった。急いで山下公園の入り口でタクシーを捕まえる。「すみません、芸樹劇場知っていますか?」乗ってすぐ、大桟橋の入り口を左に曲がり、すぐの道を左に曲がり、2分で到着。ビルの間から港の方を見ると、なんと山下公園の銀杏の木が見える。県民ホールのほぼ斜め後ろ。歩いてこられたのね。そうして鑑賞した三浦按針の物語、4年前のリメイク版だ。あの時と同じ家康は市村正親、藤原竜也の日本人宣教師と英国人俳優のアダムスは代わっていた。この公演は今月末ロンドンで上演される事になっていて、英語が半分、日本語が半分の舞台であるから、互いに自分の得意じゃない言語は字幕を見るようになる。イギリスでの日英通商400年の行事の始まりを飾るイベントになる。確かに、彼がその歴史の始まりだった。彼は妻子のいるイギリスには帰らず、家康にもらった身分と名前と領地と日本の妻と子供と共に日本で生涯を送った。それでも、難破した彼の船から13年後にやって来たイギリスの船が日本との交易を始めたのだ。その時徳川秀忠が甲冑を2体、イギリス国王に送ったという。ロンドン塔に行った時、なんでこんなところに日本の甲冑がと思ったが、あれはその時のだったかもしれない。学校の教科書で習った按針、私の中の按針はただそれだけで来たのだが、4年前の日本での公演をわざわざ見に来た按針の生まれた街のスーザンさんと知り合い、外国人に按針の事を教えられた。メドウェイであって、昨年、按針の菩提寺で行われたスーザンさん再来日の歓迎パーティで会って、按針の事をもっともっと知った。先週の木曜日、スーザンさんは日英通商400年記念行事の打ち合わせのため按針の街メドウェイからロンドンに出て行ったそうだ。これから精力的に1年間のいろいろな行事に企画・参加していくのだろうな。月末の「Anjin」ロンドン公演、ロンドンの長女も早々と昨年の内に前売り券を買ってお互いにコンタクトを持ったから、スーザンさんとその日、合流できるといいなあと思っている。「国土は万里の雲海を隔てていれども、我らの領域は誠に近し」(徳川家康から英国王ジェームズ1世へ。1613年10月)←外務省柔らかツイート http://japan400.com/ja/ からもらってきました。写真はスーザンさんに連れて行ってもらった時撮ったメドウェイ市(旧ジリンガム)のセントマグダリン教会内のアダムス洗礼の石の蓋付き聖水盤。
January 14, 2013
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昨年ロンドンの娘が夫のリクエストに答えて、帰国時かばんに入れて来たオーストリアかドイツの巨大なシュトーレン。真ん中にアーモンドのマジパンが入っている。シュトーレン用のだけあって、マジパンも柔らかくてとろけるようだ。やっぱり本場のは違う。これでなくちゃあ、と始まった暮れからお正月のお菓子合戦。毎日、お菓子の裏をひっくり返して賞味期限との戦いをしていたある日、はたと気が付いた。そうだ、お菓子グルメのブロ友さん達、冷凍していると書いてあったのを思い出した。買ってすぐじゃなきゃ風味が抜けちゃうんだそうだけど、まあ、いいか。冷凍しよう。そして、長野の「まほろばの月」、「福砂屋のカステラ」など冷凍庫に押し込んだのであった。これで、少しはコレステロールから逃れられるかな?そんなある日ぎっくり腰も治って来たので、思い立って話題の映画「レ・ミゼラブル」を見に出かけた。毎週のようにミュージカルやクラシックコンサートに出かけ、この映画もロンドンで見て、なおかつ日本で見た長女とやっぱりミュージカル大好きな次女が小さなハンカチだと間に合わないから大きなタオルを持って行けと言う。レ・ミゼはロンドンで2・3回見た。涙は出たけど、そんなにおいおい泣いた記憶はないから、タオルじゃなくても大丈夫だと高を括って出かけた。しかしである。これが泣ける。アン・ハサウェイが子供を思って歌うと泣ける。子役のコゼットが暗い森の中でさびしくて歌うと泣ける。アンジョルラスが革命のバリケードで「Do you hear the people sing?」と歌いだすと泣ける。マリウスで泣いて、ジャンバルジャンで泣いて、果ては外見ならヒュー・ジャックマンよりこっちがジャンバルジャンだなと思われる、ちょっとごつ過ぎるラッセル・クロウのジャベールがセーヌに身を投げるところで泣いた。映画も良かった。すごく良かった。娘たちが映画にもいっぱい出ていたというウェストエンド(ロンドンのミュージカルの地をそう呼ぶ)の役者さんが私には誰かは分からないけれど、バリケードの中の仲間たちの歌がすごく良かった。そして一番歌もいいなと思って涙したのは、大人になったコゼットよりも、コゼットとマリウスに横恋慕するエポニーヌにだった。すっかり感情移入してしまった。しかし、今日の娘のツイッターのリツイート「Les Miserables fan Sally Frith sees musical 957 times」これはすごい!イギリスにはミュージカルを957回も見た強者がいる。本日のタイトル「ああ無情」は私が子供の時、いとこの書棚にそれを見つけて初めて読んだ「レ・ミゼラブル」の日本語翻訳の題名。
January 11, 2013
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いつも灰色ウサギのブログにお越しいただきありがとうございます。 今年もよろしくお願いします。 長女のポルトガル土産のタイルの上に鎮座する「たねや」の達磨豆。 田作り、芋きんとん、豆きんとん、黒豆、生酢、煮しめ、慈姑煮、松前漬け。 鯛を焼いて、新年の料理を完了。 今は犬がいないから、焼いた鯛を二尾とも食べられちゃう心配もなく、 魚市場で半身に下ろして貰って来た鰤をさばいて、マグロと一緒に刺身にする。 桂むきで刺身のつまを作り、生わさびを下す。 スモーク鴨やかまぼこ昆布巻きなどは切るだけ。 年越しそばの出汁を鰹と昆布と鶏肉で採る。 ついでにお雑煮用の出汁も昆布と鴨肉で採る。 そして正月三が日、5人でお節をはじめ作ったものを食べ尽くした。 海老の鬼柄焼きやタコの酢の物、サラダ、茶わん蒸し等ちょいちょいと付け足していくだけ だから簡単。 洗うお皿だけが毎回五万と出る。 ブールミッシュのケーキを食べ、次女の手作りケーキを食べ、 お抹茶を点てて正月の花びら餅。 昨夜、皆が風のように去ったが、後にはもらったお菓子や、取り寄せたお菓子や、 お土産のお菓子が五万と残った。 どうする? 今年の目標もまたダイエットだけど・・・。
January 4, 2013
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一昨日の事、食後のひと時、足の爪を切っている夫を見ながら、「なんか飛躍的に家がきれいになる方法ないかな。思い切って家に有るもの半分ぐらい捨てればいいのかな」と、呟いた。すかさず夫が「僕を捨てないでね。お掃除全部終わったら、お父さんがいないなんてことにならないように」新年の挨拶のグリーティングカードも送った。クリスマスカードと合わせて53枚。年賀状も終わった。郵便受けに届くグリーティングカードを読みながら後は今日帰って来た次女とお料理を作るだけ。明日はロンドンから一時帰国している娘も彼女の夫と一緒にやってくる。いつもの年のように鰤を半身買って年越しをし、いつもの年のように鎌倉八幡宮に行こうと思っている。ああ、そういえば去年は母が亡くなって喪中だったから初詣行かなかったなあ。暮れには両親の家に行って年を越したように、娘たちが訪れて来るようになった。廻り廻る。 今年もお世話になりました。 灰色ウサギのブログに来てくださってありがとうございます。 明日は家族と過ごします。 ブログはお休み 良いお年をお過ごしください。 頂いたコメント返しは時間が無くて出来ませんので 皆さまのブログに伺いコメント残します。
December 30, 2012
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この長いのは何であるか?そう、箪笥の隙間や冷蔵庫の奥に落っこちたものを拾うためのもの。私は高いところに掛けてあるバッグなどを取るのにも使って入る。しかし、昨日からこれ違う意味で重宝している。冷蔵庫の野菜ボックスから野菜を出す。落した靴下を拾う。そんなことに使っているのだ。ぎっくり腰になった。朝、ベットから立ち上がるのに痛くて立てない。物を落としても拾えない。こんな時ふと思う、ケイコさんのパートナーの介助犬クロエちゃんがいたらなあと、不謹慎。昨夜はご主人を亡くしてさみしいクリスマスだろうなと、お隣の奥さんを呼んで、夫の手料理とケーキでクリスマスパーティーをした。ぎっくり腰の私は、腰を曲げないで移動出来る、お皿やカトラリーを並べただけ。今、出来ることは何か。外国の友達に送るクリスマスカードは終わった。ムスリムの友人達や中国の友達に送る新年のカードもだいたい発送した。今日までに46枚。今書いている最後の一枚は中国寧夏回族自治区に住むヤンヤンの手紙に対する返事だ。ヤンヤンはちょっと前、「mother」の呼びかけで始まる長い手紙をくれた。北京の大学に行きたい彼女だが、毎日何時間も勉強しているにもかかわらず、中国の過酷な入試状況で今年、学費の安い(たぶん奨学金付き)大学に進学出来なかったという。家族は貧乏でそれ以上のお金を出せないので、もう一年高校に戻って、再挑戦するそうだ。「プレッシャーとハードな勉強でこころが折れそう」と書いて有った。経済成長が激しい中国でも、地方の人たちや、少数民族の人達にはまだまだ豊かな生活とは程遠い。励ますことならぎっくり腰でも出来る。ヤンヤン大丈夫、来年は絶対受かるよ。こんなに英語が上手なあなただものと、3年前に会った時より大人びてきれいになったその写真を見ながら思った。
December 25, 2012
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サンディーさんとのクリスマス鍋パーティー。会話が途切れたところで、よそで仕入れたばかりのなぞなぞクイズを出す。「象を冷蔵庫に入れる方法知っている?」象があまりに大きすぎて皆、悩んでいる。別に冷蔵庫は家庭用の小さいのだと決めつけてないんだけどね。ふふふ、答えは「冷蔵庫のドアを開け、象を押し込んで、冷蔵庫のドアを閉める」簡単だね。じゃあ、次「今度はキリンを冷蔵庫に入れる方法は?」キリンの首が気になるらしくて、どうやってへし折るか考えているのかな?誰かが答えた。「ドアを開けて、キリンを入れて、ドアを閉める」残念でしたね。「ドアを開けて、象を出して、キリンを入れて、ドアを閉める」ですね。ではでは、「ニューヨークの国連本部で全動物の国際会議が有りました。地球上のすべての動物が出かけましたが、一匹だけ欠席しました。誰でしょう」「蛇?」あれは爬虫類じゃないかな?爬虫類も動物か?「クジラ?」水が無いから?いやいや大きなプールを用意しましたよ。答えはキリンです。まだ冷蔵庫の中だから。サンディーさんが作ってきたパンプキンパイをデザートに食べ、プレゼントを交換してクリスマスパーティを終えた。帰りがけ、サンディーさんがお蕎麦が好きだというので、スーパーで買っておいた蕎麦粉100%の生蕎麦を、帰ったら冷蔵庫に入れるようにと伝えて土産に渡した。「あ、そうそう、冷蔵庫にはまだキリンが入っているから、キリンを出してから入れてね。」先日妹と入った鎌倉のパンケーキのおしゃれなお店「ガーデンレストラン」パンケーキは小麦粉100%に違いないから、サンディーさんは食べられない。
December 23, 2012
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先日アメリカ人のサンディーと日本人の友人2人と我が家でクリスマスパーティをした。友人達から、まだ日本の文化を十分経験していないサンディーの為に鍋パーティーが良かろうとの提案が有った。テーブルセッティングをして、副菜の煮物とサラダを作り、鍋の野菜を切ってから、副菜の刺身と鍋の付けだれを買いにスーパーへ出かけた。手作りで醤油からたれを作ろうとして気が付いた。彼女は小麦アレルギー、先日大好きな回転寿司で醤油を付けてアレルギー反応を起こしたという。醤油で小麦アレルギー?醤油に小麦添加?嘘だあ。スーパーの棚で醤油の容器をひっくり返しながら原材料欄を読む。特選醤油、材料の一部に小麦使用と書いて有るじゃないか。 ×減塩醤油、同上 ×卵かけ醤油、薄口醤油、白醤油 すべて小麦使用の表示有り。それならと、ポン酢、柚子ポンなど出来合いのたれのびんをひっくり返していくもすべて小麦使用表示。ええい、もうやけくそだ、ゴマダレならどうだ!インドネシア人をパーティーに呼ぶ時、原材料にアルコールが入っていないか、豚由来エキスが入っていないかいつもチャックする怪しい姿に、もうスパーではブラックリストに載っているかもしれない私。次から次と瓶を引っくり返す必死の形相のお客を訝しがる店員などそっちのけで、ひっくり返えしてチェックするも、すべて小麦使用。ゴマだれもアウト。万事窮す。シッポを巻いて帰って来たウサギ、鰹節たっぷりと昆布で濃いめの出汁を取り、鍋汁に味を付けることにした。サンディーの為の付けだれは庭の柚子と、塩。刺身は塩とわさび。サラダのドレッシングは、コールスローもゴマ味も駄目だから、バーニャカウダを温めて。それでもおいしいおいしいと言って食べてくれた。日本料理大好きと言ってくれた。小麦アレルギーを持つ子のお母さんが食品探しに奮闘しているという話は良く聞く。これほど大変だとは。人間、そういう状況にならないとなかなか相手の気持ちを思いやれないものだ。反省。我が家の庭の柚子毎日のお風呂に大活躍ああ、そうだ、味噌鍋という手も有ったのだった。
December 22, 2012
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プリンターが壊れた。10日ぐらい前から友人たちに出すグリーティングカードを書いている。カードの中に書き込む文面、挨拶だけじゃ寂しいと、近況もそれぞれ書き込んでいる。それでもあまりに枚数が多いので、共通の近況報告で構わないと思う人には和紙に一部印刷したものにコメントを添える形で印刷していた。20通ぐらい書いて投函したところでプリンターが壊れた。急いで修理に出した。プリンターが無い間も手書きで書き続ける。今日は朝からニュースで、「世界が終る」とかのマヤの予言をやっている。「赤い蝋燭と人魚」の戒めも有るから、確かな情報収集と判断力を笑うものではない。しかし、それを信じた狂乱者が、子供たちを襲う(中国)なんて、悲しいじゃないか。遠いマヤの予言を彼は何処から仕入れたのだろうか、それがどうして子どもたちを襲うことになるのか。なんて考えながらカードを聞き続ける。アメリカの学校では、マヤの滅亡を信じた狂乱者によって、ちょっと前に起こったような惨劇を避けるために、一日早めてクリスマス休校にするところも出ているそうだ。おとな達よ、「子供たちに明日は有るよ。明るい未来も有るよ」と伝えよう。マヤの子孫たちが住むグアテマラの友人が先日来更新しているfacebookの写真は美しい。そして彼らは国立交響楽団による野外コンサートやフェスティバルや、21日で終わる暦が新しい暦に移り変わって、新しい年を迎えるお祭り騒ぎに余念がない。いいなあ、陽気だなあ。私はまだカードを書いているというのに、一足早い新年だね。グアテマラのマルビンさんにはカード届いたかな。マヤの子孫達がんばれ。そして私はまた書き続ける。クリスマスカードは終わり。25日に間に合わないもの。次からは、正月カード。イスラムの友人達に向けて、中国の友人達に向けて。ピンポーン。プリンターが修理を終えて帰って来た。うん?しかし、この大きな空き箱、資源回収も終わってしまったこの年の瀬に、どうするの!年賀状?まだこれからです。印刷機が壊れていたので、今、印刷業者のところに有る。大掃除は?うん、もう、聞いてくれるな。
December 21, 2012
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以前ブログに書いたけれど、私のドイツ人の友人は児童書作家である。彼女はもうすでに7冊ぐらいの本をドイツで出版している。割と人気らしい。らしいというのは私がドイツ語を読めないのでそのニュースが良くわからないのである。彼女のすべての本がアマゾンドイツサイトで簡単に手に入る。私はそのドイツ語サイトからすでに4冊の本をゲットした。悲しいかなドイツ語が読めないので、時々出て来る挿絵を見て楽しんでいる。ドイツ語が読める頼みの長女はイギリス駐在中。そこでその友人ルース(私たちは彼女のニックネーム「みなみ」さんと呼んでいる)に英語訳は無いか尋ねた。返事は「無い」だけど「韓国語翻訳なら韓国で出版されている。あなた読めるでしょ?」だ。韓国語ねえ。私の実力では会話は難しいけれど、辞書を片手に読むのぐらいなら出来るかなあ。しかし、子供の本って得てしてきちんとした文章で書かれたおとなの本より外国人には難しいのである。日本語を教えているから良くわかる。語尾が子供言葉に変形されたり、話し言葉や呼びかけ言葉に変わっているから。まあいいかと、韓国アマゾンサイトを探す。ありゃ、韓国アマゾンサイトってない!どうすりゃ手に入るの?そこで韓国の高校で日本語を教えてるジョンさんに問い合わせた。「どのサイトを見れば取り寄せられる?」平行して日本の韓国書籍販売店に問い合わせたら、簡単にそれも送料なしで取り寄せてくれるということだった。彼女の本は日本の子供の本に比べてかなり安い。そうだ、韓国に帰った子供のいる私の日本語の生徒2人にも送ろう。ちょうどクリスマスだし。韓国サイトが有ればそこから送れるのだが、安全も考慮して、いったん日本に輸入して日本から送ることにしよう。書籍郵便ってことで送れば送料だってそう高くないはず。そうこうしていると、先に問い合わせたジョンさんから、「是非私が買ってあげます。私も読みたいから」とメールが来た。もうオーダーしちゃったんだけど、とは思ったが、折角の厚意だから。「じゃあ、1冊買って読んでから日本語の感想付けて送ってください」とお願いした。その瞬間ひらめいた!いいアイディア。例え韓国語の本を私がきちんと読めなくても、日本語が出来るジョンさんと生徒たちに、韓国語で読んで貰えば、わからないところは彼らに聞くことが出来る!韓国語で出版されたものを日本から送る。クレージーだけどちょっと面白い。ぎくしゃくしている韓国との仲、大きな声じゃ言えないけど、生産国を見ながらものを買うこの頃。だけど、文化交流は別かなとテレビで全然韓国番組を見ない(昔のはいざ知らず、今時のは好きじゃないのだ)私は思う。え、印税収入はドイツ?
December 19, 2012
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前々回も書いた、スーパープレゼンテーション。シェリー・タークル場合、タイトルは「繋がっているのに孤独?」テクノロジーの進歩を心理学の観点から研究している彼女が、15年前TEDの舞台でテクノロジーは素晴らしいとスピーチしたけれど、今、その考えがちょっと変わって来ているという内容だった。人々はいつもモバイルを手放さなくなっていて、どんな時でもモバイルに気持ちの半分を繋げている。それは人と会話する時も、食事を一緒にしている時も、会議中でさえ、自分に関係ない時はモバイルと繋がっているという内容だった。子供たちも、一緒の部屋で一緒に遊んでいるのに、お互いは背を向けたり、目はモバイルを追っているというのだ。確かに確かに、私の周りでも。電車の中では皆が携帯やスマホの画面を見ている。バスの中もそう。友だちといても、言葉は交わしながら、目はスマホの中へ。レストランでもそう、道に迷えば歩きながら。他人事だと言えない、わたしだって例外じゃないから。すっかりスピーチに共感していたら、2、3日前テレビでやっていた。いくつかの会社で机の上からコンピューターを取り払って、職場の一角に共同のPCを置いてみんなで必要な時に時間を決めて使うことにしたそうだ。会議もコンピューターは無し、手書きのメモでしっかり相手の目を見て話を進めて行く。こうやって、仕事の能率が上がり、会社の業績が上がって来たのだそうだ。テクノロジーで四方八方に繋がっているのに、心は繋がっていない。独り。それでは意味が無い。私はこの頃考えている。PCが使えるようになって、計算も、表作成も、調べ物も、データ処理もずっと便利になったはずなのに、感じるのである。エンデの「モモ」のように時間が誰かに盗まれているんじゃないかと。みんなに同じだけ有る24時間が、私の場合足りないのだ。今まで以上に時間が進むと感じるのに、一日に出来た仕事が少ないのである。もちろん歳をとったせいでもあるが・・。PCの前に座る時間が多すぎるのかもしれない。PCに時間を盗まれている?PCの中に時間泥棒がいる?今日のケーキはデメルのホールケーキ。以前、娘がデメルの1人用のケーキを2種類買って来て、「さ~て、金のケーキと銀のケーキ、あなたが池に落としたのはどっち?」と言ったので、欲張って金のケーキを選んだ私だった。それ以来それがそのケーキの本当の名前だとばかり思っていたが、本当の名前がちゃんと有ったことに、ケーキのショーウインドーを見て発見した。****************************コメント返しがなかなか出来ません。盗まれた時間を取り返しに躍起になっているので・・・。訪問でコメントさせてください。
December 11, 2012
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ミス・ハニーの悲しい過去の話を聞いて最後にマチルダは、彼女をそういう境遇に落とした人の名前を訊ねた。「その人は誰?」「Miss Trunchbull」ええ~!私は思わず声を上げ、飛び上がりそうになった。手に持った本が揺れ、カフェのカウンターで飲んでいたコーヒーカップを倒しそうになったのだった。「マチルダ」の199ページ。実はロンドンに行った時、一緒にいたエミリーのリクエストでミュージカル「マチルダ」を見た。そして悲しいことに出演者の子供たちが話して歌う早口の英語がさっぱりわからなかったのである。私の両隣ではエミリーとイボンヌがゲラゲラ笑っている。笑えない私。完敗「オペラ座の怪人」はDVDや映画も見た。「レ・ミゼラブル」は小さいころから本を読んでいるので内容がわかる。セリフのわからないところが有っても理解できる。ところが、マチルダはテンポが速い上に、ストーリーを役者が言葉の中に織り込んでいるのだ。言葉がわからなければ踊りや音楽で楽しめても、進行状況がわからない。そこで、本を読んでいつかもう一度見るときのために備えることにした。マチルダという頭のいい少女が、育児放棄の痛快にだらしない親や、ものすごくワンマンで意地悪な校長「Miss Trunchbull」に立ち向かっていく話。わからない単語は全部すっ飛ばして、読み進む。いちいち辞書を引いていたらいつ終わるかわからないから。そして冒頭の199ページ。謎が明かされるのである。担任のミス・ハニーをいじめ財産を乗っ取った悪い叔母は校長先生だったのだ。ミュージカル一緒に見た娘からは、「え、それ初めて知ったの?」なんて言われそうだ。「はい、ミュージカルの中ではわからなかったのです」物語は、その次の200ページからマチルダの痛快反撃が始まる。このミュージカル初演はロイヤル・シェークスピア・シアター。先日私が見た演劇「家康と按針」もそのカンパニーの監督によるもの。マチルダの原作者は「チョコレート工場」の作者。いろんなことがわかって来ると、いろんなことが繋がっていく。面白いです。↑
December 6, 2012
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2日ほど前、介助犬クロエとケイコさんに会った。彼女はラブラドールを飼っていたことが有って、犬が大好きな私の為に介助中は触ることが出来ないクロエと私が遊べるようにと、ドックカフェに連れて行ってくれた。ドッグカフェの入り口を入るとすぐに「お仕事中です。触らないでね」というカバーを取ってもらったクロエ。オンからオフになる。その表情は一変した。今までケイコさんの車いすに寄り添って、その気をケイコさんに集中させていたのが、急にいたずらっ子の目になって。いつも遊んでもらっている大好きなカフェのお姉さんに飛びつこうとしているのである。介助犬、盲導犬はえらいね。がんばっているね。大変だろうね。それがほとんどの人がそういった犬達に持つ感想だ。そして、中には、遊べなくてかわいそうだね、と思う人もいるかもしれない。それは違う。お昼にカレーを食べて、デザートを食べて、カフェを出た後、ちょっとクロエに助けてもらった時、ケイコさんがクロエに向かって言った。「よく出来たと思うひと」するとすかさず、クロエが手を上げるように前足を挙げ、伸びあがって車いすの隅に前足を着いて顔を寄せる。自己申告によって、小さなご褒美を口に入れてもらったクロエはほんとうにうれしそうだった。クロエは愛玩犬として可愛がられているどんな犬よりもかわいがられ、どんな犬よりも長い時間飼い主と遊んでもらい、どんな犬よりも一日に何回も声を掛けてもらえ、長い時間飼い主に寄り添っていられるのだ。犬冥利に尽きるじゃないか。私は今、犬と飼い主と書いたが、実はクロエとケイコさんは、犬と飼い主との関係でもない。互いに支え合う同等のパートナーなんだと思う。もっと言えばすでに、お互いがお互いの一部になっているんだと思う。「見つめる先にいる人は」写真↑私は今、NHKの「スーパープレゼンテーション」にはまっている。もちろん字幕をちらちら見ながら聞くのだが。皆スピーチのテンポが音楽のようで小気味好い。何週か前の「ニール・ハビンソン」のスピーチ。彼は生まれつき色の識別が出来なかった。それが何年か前、研究者とのコラボで、色を識別して音に変換し、それを骨伝導で脳に送って、色の違いを音で見ることが出来るようになった。今では、黄色い靴下を黄色と認識し、赤い色を赤と認識できる。唯彼には、それを脳に伝えるマイクのような機械が頭に装着されている。彼のパスポートには特別に許可されて、その装置を装着したままの写真が貼付されている。それはもはや彼の一部だから。イギリス政府が大英断で認めた。ケイコさんに必要なものはクロエであり、クロエに必要なものはケイコさん。切り離せない1つのものなのだと、世間のすべての人ががそう考えてくれるのはいつだろう。
December 1, 2012
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最近の雨の降り方と言ったら尋常じゃない。もうすぐ冬に突入というのに、熱帯雨林のような豪雨が突然降ったりする。天気予報を見れば降雨量なんてすぐわかるけれど、自分の1番近いところにどれだけ降ったか見たい時はどうする?庭に置いて有るバケツを覗き込んで、「ああ、こんなに降ったんだ」と驚く?庭の土に滲み込む具合でもわかる?我が家には車の駐車スペースが敷地の両端に2つある。車は1台だから別に普段は必要ないけれど、車での来客の時は路上駐車しなくてご近所にお迷惑が掛からない。道路と車庫の高さには10cmほどの段差があるから、東側のカーポートには段差避け(というのかな)を以前から置いて有る。しかし、西側のそれには何もなかったが、訪ねて来た私の友人がエンジンを吹かしてその段差をバックで入れにくそうにしているのを見て、新しく1mぐらいのプラスチックボードの段差避けを2枚買った。少なくともタイヤが乗れば良いので、2枚で充分と・・・。ある朝、道路に出てみると、カーポートの前にあったはずのその2枚のボードが10m程もう一つのカーポートの方にずれている。夜の内に誰かが悪戯したかな?ごろごろごろと足で蹴飛ばして10m戻し、西側のカーポートの前に戻した。それからしばらくして、大雨が降った次の日。やっぱり2枚の板が並んで移動して来ていた。15m程。そうか、雨が降るとこのボードは軽いから押し流されてわずかの傾斜を滑って排水溝の有るところまで、流れる雨と一緒に移動するのか。手で運べばいいものを、屈みたくないから、人目を気にしながら、ごろごろごろと足で蹴飛ばして、もとに戻した。夜中に秋雷が鳴って目が覚めると、ふと思う。この雨で、あのボードはどこまでずれて行くのかなあと。「ちゃんと3枚買い足して互いにねじでくっ付けなければねえ」というと、めんどくさがり屋の夫は、「そうだねえ」と高島屋で買って来たヴェタメールのケーキを食べながら生返事。
November 22, 2012
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今日のタイトル、「私は誰?」じゃないので、別に呆けたわけじゃない。突然電話が鳴ることが有る。いや、電話はいつも突然だ。この場合、突然鳴った電話から唐突に「あなたは灰色ウサギさんですか?」とストレートにフルネームを言われることにある。電話に出ると「灰色さんですか?」と姓を呼ばれることはある。それは大概押し売りの類。こちらも余裕を持って最初からどう断るか考えながら電話する。「灰色ウサギさんですか?」と来た電話。一瞬困惑するが、このデジャブ的な感覚時々あるのである。わたしを知っている誰かが私と話したい。だけど、話す手段を探っているのである。何年かに一度くらいでこの手の電話掛かって来るので、雰囲気で分かる。最初に出るのは、話したい本人じゃない、私の全然知らない人。彼は頼まれたのである。日本語で最初にあたりを付けてくれと・・。わたしと話したい本人は、私がいまだに英語が話せないと思っているか、相手が英語を話せないのである。グアテマラのマルビンさんの場合がそう。グアテマラ国立交響楽団の指揮者であるスペイン語しか話さない彼が日本にコンサートに来る時は、日本語の出来る誰かに頼んで会いたいと言ってくるのだ。そして先日、知らない人から電話で名前を呼ばれた。第6感で、「ははあ、誰かが話したがっている」。電話を代わった相手は、15年以上前にホームビジット受け入れしたカンボジアのナウンさんだった。しかし、相手はそのロシアで勉強したという英語でフルネームを名乗る。ナウンさんで有ることはわかっているけれど、アジアの人は名前が長いから、私はニックネームでしか記憶していない。いまいちはっきりしないながら、お互いの記憶で確認し合った。実は彼、何の用事もないのに電話をかけて来たのがこれで2度目なのである。6年ぐらい前と、今回。しかしそれは私にとっては非常にうれしいこと。我が家に泊まったわけでもないのに、覚えていて時々こうやって思い出してくれる。あの時英語が話せなくて、娘に頼っていた私なのに。諦めずに電話をして来てくれる。あの時のカンボジアはまだ政情不安から回復途上に有った。E-mailという手段を取らずに私たちはビジット後の文通をしたのだ。こういう時はホームステェイ受け入れていて良かったなあと思うのである。写真の後ろ向きの縫いぐるみは次女の家に住んでいる茂吉、ラップトップのスカイプ画面に映っているのはその双子のため吉。彼もまた長女と一緒にロンドン赴任中。しかしこの熊たち、はるか昔、ドラッグストアーの景品でもらったものなのに、いまだに捨てられていない。
November 15, 2012
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久しぶりに中仙道の旅に出た。あまりに日数がたってしまって、前回どこまで歩いたか忘れそうになった高崎線、神保原駅で今回もまた一緒に歩いてくれるというフィリピン人のエミルさんと待ち合わせた。夫と3人で高崎までの15キロ。インドネシア旅行や、ロンドン旅行と浮気していたから、遅遅として進まない旅路。日本橋を出発してそろそろ1年になろうとしているのに、まだ群馬県を抜けていない。冬になる前に難所の碓井峠を超えるか、はたまた春まで待って峠を軽井沢に抜けるか。浅間おろし、赤城おろしが身に染みるんだろうなあ。見えているのにちっとも近くなってこない妙義山、浅間山、榛名山。駅を降りてまずやったことはコンビニでカメラのSDカードを買うこと。また忘れたのである。途中ラスクの「ハマダ」の工場でラスクを買ってお茶を飲みながら休んでいる時、私のカメラをいじっていたエミルさんが笑いながら言った。「先生、電池ももうすぐ終わるよ」懲りないウサギなのである。そういうわけで今日の写真は by Emil。ファインダーを覗けないような低い位置でカメラを構えて撮った一枚。カメラに置いては私が彼を「先生」と呼ばせてもらおう。
November 6, 2012
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月下美人の花はだいたい年2回咲く。夏の初めと秋。我が家の月下美人の花も先日2回目の蕾を付けた。だが、急に寒くなったのかいつもはあれよあれよという間に大きくなっていく蕾がちっとも大きくならず、2週間近くかかって大きくなった。先日、夕方そろそろかなと確認した。今晩はまだだな。明日の夜かな、なんて思ってその日は眠った。翌朝起きてくると、老人性早起症で5時半には目が覚めてしまう夫がソファーに寝そべりながら言った。「もう昨夜咲いちゃったよ。今行ったら、花が萎みかけているけどまだ咲いているよ。見てごらん」慌てて玄関に出てみた。まだ明けやらぬしじまの中に(いや、老人性寝坊症でなかなか起きられない私が起きた時は明るくなり始めていたけれど)、だらんと勢いを失いながらも半開きで咲いていた月下美人。「ごめんね見てあげなくて」とまだ残り香の有る花を切り取って花瓶用に使っているアンティークの蕎麦猪口に活けた。花を見ながら、おやつはエチエンヌの焼き菓子と、自由が丘で買ったTWGのALFONSO。
November 2, 2012
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実はオフ会というものがあまり好きじゃない。みんなで座ってお食事するというのはなんだか人物査定されているみたいでいやだ。写真を撮られて後で顔のところに炭みたいなものを塗られてwebページにUPされるのも気持ち悪いし、さりとてしっかり表示されるのも困る。その後の記事で人物評価されるのも好きじゃないし、容姿に関して書かれるのはもっての他。あまのじゃくだから・・・。facebookでは実名と顔写真をそれが建前だから出しているけれど、ブログは虚の世界。100%さらけ出す必要のない世界。そんなことを書いても何人かのブロ友さんに会ったことは何度かある。東海道の旅の途中の有る区間を申し出て一緒に歩いてくれた友、途中の宿場で待っていておいしいお菓子を持たせてくれた友。おいしい蟹を食べたいと急に思い立って、間人蟹の旅行社にいるブロ友さんに手配してもらったこともある。動物写真家のブロ友さんの写真展にお邪魔したこともある。そして先日、1度お会いしたことのあるブロ友さんのあるかりさん、Junさんとそのお友達sweet julietさんと鎌倉散策した。オフ会?最初は恐る恐る。鎌倉の神社仏閣を案内しながら、写真ブログのJunさんには写真を教えてもらい、庭園作家のsweet julietさんにはそこかしこで花の名前を教えてもらったり、コツウォルズのイングリッシュガーデンめぐりの話題で盛り上がった。声をかけてくれたあるかりさんは私の趣味と共通するお寺巡りのブログを書いている。そして皆は私を日本語と外国人との交流の話を書く、ブログ作家として扱ってくれた。お互いのブログ内容の話である。心地よかった。楽しかった。鎌倉の街で見かけた飾り。ちょっとウイーンのカフェのドアにでもありそうなアールヌーボーみたいな花のモチーフ。ロンドンから帰って娘の引越しの手伝いやら、インドネシアに帰ってしまうテテプさんとイルファンさんのお別れパーティーやら、ちょっと忙しい毎日。なかなか皆さんにコメント書けないが、それでもまた、鎌倉で出会った友達のようにブログの話題で人に会える楽しみのために細々とでもブログを続けようと思う。
October 15, 2012
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イギリス人は意外と歩くのが好きだ、地下鉄が毎日どこかの路線で止まるからかもしれない。混雑時間帯になるとバスが狭い道路で詰まってしまってなかなか進まなから歩いたほうが早いからかもしれない。泳ぐには寒い海、日本に比べてアップダウンが少ない国土では山登りに適した高い山などが近くに無いからかもしれない。なだらかな丘がどこまでも続く平らな国土は歩きやすい。あちこちにフットパスとかウォークウェイとか張り巡らされて公認地図なるものも出ている。そしてその道は所有者の許可を得て、牧場の中、麦畑の真ん中、人の家の庭を通り抜けることも多々あるのである。コツウォルズウェイは北の端はチッピングカムデン、南はバースまでかわいらしい家々が有る村々を結んでいる160キロのフットパス(ウォーキングロード)だ。今回娘と夫と歩いたのはそのうちわずか9キロ。チッピングカムデンから隣の村ブロードウェイまでである。しかしこれがなかなか難しい。たった9キロと言うなかれ。田舎の村の不便さと景観を良しとするところなので、バス便も悪い、タクシー乗り場にタクシーが待機していることなどまず無い。鉄道からはほとんどの村が遥遠くに取り残されている。先日同じコースを歩いたという娘の職場の人は、その日、日曜日でバスもタクシーもなく、起点となる鉄道駅モートン・イン・マーシュからチッピングカムデンまでとブロードウェイからロンドンに帰る駅のモートン・イン・マーシュまでも歩かざるを得なくて、トータル34キロ歩いたという。そういうことも有ろうかと、日本を発つ前に、入念に下調べをした。起点になる鉄道駅に宿を予約。コツウォルズ公式フットパスをインターネットで取り寄せた。経験者のブログで高低差、わかりにくい所などチェック。Google mapで地図と道順を照らし合わせ、シュミレーション。挙句にストリートビュウで見られる街中を体験。ゴール地点から駅までのお迎えタクシーの事前予約の電話番号調べ。待ち合わせ場所の選定。何せ、道の無い牧場の柵内、人の家の畑の中を通るのだから、季節によっては作物が刈り取られていたり(実際そうだったので道が良く見えない)、羊の大群が道をふさいでいたりするのである。フットパス内では時々出て来る団栗の標識(コツウォルズウェイ標識)だけが頼りなのである。遭難はいやだ。念には念を入れるに越したことはない。こうして歩いたコツウォルズウェイ。チッピングカムデンからブロードウェイコース。モートン・イン・マーシュのマナーハウスから予約しておいたケイトさんのハイヤーでチッピングカムデンまで行き、街中のマーケットホールで帰りの待ち合わせ場所と時間を確認してスタート。9時チッピングカムデンの村をぐるりと一周して藁ぶき屋根の家々の3人それぞれのカメラでの撮影会。10時30分村はずれのセントキャサリン教会から坂道を登るフットパスへ。写真は右上から時計と反対回り。1、チッピングカムデンの藁ぶき屋根の家。皆住みたいけれど、人気が有って高くて買えないんだとか。2、家々の庭は何処もイングリッシュガーデン。見せるための庭は外から素敵だ。3、これも藁ぶき屋根。 壁に青い名前の書かれた板が付いている家はロンドンでも郊外でも有名な人が住んだ印。4、街から30分ほどのドーバーヒルから街を眺める。5、羊が逃げないような回り柵を越えて牧場へ侵入。6、道が無い!7、行く手を羊の群れが阻む。ウンチを踏まないようにするのが大変。8、石の仕切りを超えれば麦畑。ちょっとお邪魔します。 わずかに踏み固められた所がたぶん道。9、歩くこと3時間半。丘の上にコツウォルズを一望出来るブロードウェイタワーに到着。10、街に向かって牧場内を降りていくと、途中に3脚のベンチがぽつんと置いて有った。 そこに座ってしばしぼーっと、ブロードウェイの街を見下ろす。11、見下ろす街はこんな感じ。12、やってきましたよ。どんぴしゃ。 最後の柵を通り抜けると、去年の12月のバスツアー時、1人でそっと確認した街のちょうど中間地点にある街への侵入路。デジャブじゃなかった。あの時、冬の寒さの中に色の無かった路地横の家が真っ赤な蔓で迎えてくれた。約束の3時、小雨が降り始めた。街はずれのスワンホテルの前に、ケイトさんの真っ赤なハイヤーが滑り込んで来た。モートン・イン・マーシュのマナーハウスに戻ってクリームティ(アフタヌーンティの軽めの)をする頃には、空に大きな虹がかかっていた。
October 11, 2012
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旅をしていて英語力を一番試される時は食事の時。そういう時は日本のレストランて簡単でいいなあと思うし、でも、食事の途中で「おいしい?楽しんでいる」なんて聞いて欲しいなあとも思う。今朝オーランドブルーム似のフロアーマネージャーがいる大好きな「インザパーク」レストランでイングリッシュ・ブレックファーストを食べた。例によって、食事の途中で「何か他に必要なものある?」とか「エンジョイしてる?」とか、他のお客の応対で忙しいのに、テーブルとテーブルの間を軽やかに飛びながら気にかけてくれるのが心地よい。だけど、レストランのグレードが上がるほど、「会話が楽しい」なんて言っていられなくなるのだ。マナーハウスでの夕食。ワイン、お通し(サービスだからメニューに載っていない)、スターター(前菜)、メイン、サービスデザート、デザートと続く。焼き加減がどうだとか、ソースがどうだとか、サイドメニューがどうだとか色々聞かれる。それも楽しい。そのくらいにしておけばいいものを、挑戦者になってみたい私。隣のテーブルのお客がデザートにチーズを頼んでいるのを見てやってみたくなった。デザートメニューにチョコケーキとか、アイスクリームとかデザートの欄にチーズを選べるようになっている。チーズもれっきとしたデザート。夫と娘はちゃんとデザートにいわゆるスイーツを頼んだ。私はチーズを頼んだ。隣の組がチーズのめちゃめちゃ早い英語での説明をえんえん15分聞いていたのを知っていながら・・。ウェイトレスさんが大きな台の上にチーズを並べてやって来た。折りたたみの三脚のようなものに台を乗せる。おもむろに説明を始める「これはヤギのチーズで伝統的なもの、癖はあるけどおいしい。これはコツウォルズの独特のチーズ、ぜひ味わってほしい。これはスモークで強いから気をつけて・・・」ペラペラぺラとチーズの講釈10分間。うーん、選んだはいいけど英語にお手上げ。半分は娘に通訳頼んで完敗。その中から5種類選べる。4つカットしてもらってから、5つ目で迷った。「どれがおすすめ?」「私のお薦めは、もうあなたが選んじゃった」と言われた。仕方がないから最もイギリスらしいというとろりと溶け始めたカマンベールを選んだ。面白がり屋の私たち、スターターとメインに頼んだのはジビエ。ウサギ肉、羊肉、ダック肉にダックの卵。写真は丘の上のブロードウェイタワーから眺めた下界の世界。緑の牧場に点々と小さく見えるのは鹿の肉、いや、鹿の群れ。鹿牧場ですね。だれかがきっと食べちゃうんですね。
October 3, 2012
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コツウォルズのマナーハウスはモートン・イン・マーシュという街にあった。もちろんそこも人気のある古い町で、教会を中心にはちみつ色の家々が立ち並んでいる。マナーハウスは4つ星だ。ただし建物はすごく古い。道路に面した表玄関を見た瞬間夫が言った。「え、こんなに古いの大丈夫かなあ」イギリスにおいてはこの古さがいいのだ。中に一歩入れば思わず「わぁ、素敵」と声が出る。5月に泊ったライの街のイン(旅館)と同じで、古いから3つの建物を繋げてある。したがって今度も自分の部屋にたどりつくのはほとんど宝探しに近い。ドアを開け階段を右に曲がって、小さなホールが有ってまた階段、またまたドアを開けると階段。なぜ壁に一定間隔で動物の絵がかかっているか、途中で理解したのであった。牛→ライオン→サイ→馬→象 動物を覚えて廊下を曲がれば自分の部屋にたどりつく。客室はたった36室。しかし、アフタヌーンティの出来るゆったりソファーのカフェと食前酒を飲むバーラウンジ、朝食用のレストラン、ディナー用のレストラン、あずまやの有るイングリッシュガーデンにはオープンテラス、結婚式も出来るパーティールームなど、おそらく全体の客室を合わせたよりそちらのスペースの方が広いから、食事やお茶の時間を部屋以外で優雅に過ごすことが出来る。私たちも夕食に3時間、朝食に40分、コツウォルズハイキングから帰ってからのアフタヌーンティに1時間、マナーハウス内のそれぞれ専用のレストランで過ごしたのであった。
October 2, 2012
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マナーハウスで朝食をとり、チェクアウトした頃には、前日に予約しておいたハイヤーが待っていた。 「グッドモーニング、ケイトです。」運転手は陽気なあばさんだった。 がしかし、このおばさん、チッピングカムデンまでの30分ずっと喋りっぱなしで、挙げ句に緩やかに登ったり降りたりする広大なコツウォルズの風景の中を、ビュンビュン飛ばす。 さて、チッピングカムデンの中心、マーケットホールで降ろしてもらい、これから1日かけて歩くコツウォルズウェイ、9キロ先のブロードウェイの村で3時のピックアップを確認してお金を払おうとしたら、 「あ、すっかりお金の事忘れてた。帰りと一緒でいいよ。」 私たち他の村にとんずらしちゃたらどうするんだろう。
October 1, 2012
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朝、5時、目が覚めてしまった。 昨夜飲めもしないのに7:30分から10:00までかかったマナーハウスでの夕食中飲んだブロッコが効いたらしい。 音はしないがしとしとと雨が降っているのだろうか、今日は、コツウォルズを歩く。晴れるといいのだが。 蜂蜜色の藁葺き屋根の家々の写真が 絵はがきのように、きれいに撮れると良いなあ。 マナーハウスのかわいらしい私たちの部屋の飛び上がるようにして乗る高いキングサイズベッドにひっくり返りながらブログを書いている。
October 1, 2012
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ロンドンで娘の台湾人の友人に会う。そう言っても、彼女たちのことは夫も私もよく知っている。何度も我が家にホームステイしているから。 彼女たち、双子は一人がイギリスで一人が上海で働いている。 で今日は、二人へのお土産を買いに横浜に出掛けた。小さな鏡の付いたかわいらしいホルダーを買って、それぞれにイニシャルを入れて貰っている間に自分の鞄を購入。 さっさと家に帰って来た。 キーホルダー受け取るのはどうした?!
September 25, 2012
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日本のように皇室が必要と考える人の割合が以外と多くないイギリス。王室の行事や生活費を税金から払うなんてとんでもないと、ずっと前に議会で議論された。確かに昔の領地であるロンドンの一等地や お狩り場であった市内の広大な公園は今でも王室の財産らしい。それでも、ダイヤモンドジュビリーや諸々の行事はお金がかかる。そこで女王様は、考えた。夏休みでいない間バッキンガム宮殿を一般解放して入場料を取ろう。ウィンザー城も一部解放してお金を取ろう。そういう事で、またまた10月のロンドン旅行計画の中にバッキンガム宮殿の内部見学とウィンザー城見学を組み込んだ。インターネットで朝9時のに入場申し込んだら、4日後にロイヤルメールが届いた。王室から。 だけどね、英語での申し込み、最初のtitleってなんだ?チケットって入れてみた。そうしたら、自分の名前の前に「チケット灰色ウサギ」と出た。あちゃ〓そこはMr.とかMs.とか入れるのね。
September 22, 2012
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ゴールデンウィーックにロンドンに、行った時、地方にあるライの街に行ってみたいという夫のリクエストで、ライの街のシンボルのようになっている、600年の歴史を持つというマーメイド・インという建物に宿を取った。その時も、宿代が高いイギリスの事も有って、地方だからB&Bでもいい?と夫に訪ねた。返事は「B&Bは民宿みたいなんでしょ、他が良い」だって。何年か前、私がインターネットで何回かやり取りして予約したイーストボーンにある、階段を上るのがやっとの可愛い老犬がいたB&Bは素敵だったのになあ。娘たちと3人で泊まるのに4つのベットが有ったファミリールームで、花柄の壁紙がかわいかった。10月予定のイギリス旅行も興味が有ったオックスフォード大学の学生寮はだめでも、カントリーサイドのかわいいB&BならOKかと恐る恐る聞いてみた。即、却下された。日本のふすまで仕切られた民宿のイメージから抜け出せないでいるらしい。「かなり高いけれど、マナーハウスはどう?」私が言う。「マナーハウスって何?ホテルの方が良いなあ」日本みたいに郊外でもどこでも適当な値段のホテルを見つけられると思っているらしい。ホテルの便利さより歴史的な建物を好むイギリスでは郊外ではホテルの方が安い。「マナーハウスって昔は領主の館だったところなのよね」私が言う。「領主の館?じゃあそれにしよう。そこに泊まりたい」おっとっと・・・。次回は映画「傲慢と偏見」に出てきたような、広大な敷地を持ったお城に泊まりたいというんじゃないか?財布が痛い。マナーハウス内でのレストランのドレスコードも考えなきゃとチェックしたら、そこはさすがコッツウォルズ、ハイキングやドライブの人もいるので、ドレスコードはスマートカジュアルだった。後は、そのマナーハウスを起点に一日コッツウォルズハイキングルートを決めなくては。コッツウォルズウェイの公式フットパスマップを取り寄せてGoogleマップと照らし合わせて下調べる。チッピングカムデンの村から歩き始めて9キロ。うまく牧場の中の道なき道から、フットパスの木戸を見つけ出せればブロードウェイの街に入るこの写真の路地に出るはず。ここは、私が去年コツウォルズバスツアーの時、ブロードウェイの村のフリー時間に見つけて置いた街はずれの秘密の抜け道。ああ、デジャブかなと思ったらきっと正解。
September 20, 2012
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先ず昨日のクイズの答えからジャカルタでは朝晩の通勤時間帯に、「3in 1」という交通規則が有る。市内のある区間は交通集中を避けるため出来るだけ車を乗り合わせて出勤するように、3人以上載っている車しか通れないのである。たとえば運転手さん1人と私が乗る。1人足りない。このままでは市内に入れない。どうするか。途中で誰か、誰でもいいから拾うのである。それがジョッキー。お金をもらえるヒッチハイクの人の事をそう呼ぶ。道路の中央分離帯や脇に立って、指を1本立てれば「1人乗ります」。子供を抱いたお母さんなら「2人」だから指を2本立てる。運転手しか乗っていない車は、規則が適用される道路に入る前に2人車に乗せる。子供だっていいアルバイトだ。しかし、乗った車の行先はわからないが、規則の適用される範囲だから市内より遠くは行かない。帰りは安いバスで帰るか、歩いて帰るんだそうだ。わたしは運転手さんに聞いた。「運転手さんだったら誰を拾う?男の人?美人の女の人?子供?」運転手さんは答えた。「法外な値段を要求しない子供が一番いいね」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー日曜日写真とカメラの大好きなフィリピン人のエミルさんを誘って、ブロ友でアマチュア写真家のChloeさん、の写真展「Heaven」に新宿まで行って来た。お仕事の傍ら、ボリビア、バリ、モロッコ、マダガスカル等へ旅しては青い空に溶け込むような鶴や、オリーブの木に登るひょうきんヤギ、天空の大地をゆっくり歩くリャマなど動物の表情を写真に撮る動物写真家だ。今回のテーマは「鹿」大画面の写真パネルの中にこちらをじっと見る鹿の目に吸い込まれそうだった。写真を見た後、タリーズでエミルさんに写真の撮り方を教えてもらう。こんなにもたくさん写真が上手な人が私の周りにいるのに、ちっとも上手にならないわたし。
September 18, 2012
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