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報道ステーションで、今井さんと郡山さんの2人が記者会見した模様を放映していた。そうか、今日は30日。第一印象…日本に帰ってきたばかりの「こめつきバッタ」のような姿はもう消えて、自分たちの体験や感じたこと、考えたことなどをはっきりと発言していた。なんであんなに頭ばっかり下げているのだろうかと、見ている私も苦しかったし、頭を下げている当人たちはもっと苦しかっただろう。下げることに納得せずに周囲から受ける風を弱めるために仕方なく下げさせられていたように私には見えた。演出だと批判されたビデオは「命令であり、あの場でそれを拒否することはできなかった」ドバイでの聞き取りでは「取調官は先入観を持っていた。事実を言っても必ず『本当はこうだったんじゃないの』という切り返しがあった」今井さん「私の場合は、イラクで見たことや今回の体験を、きちんと伝えていくことが自分の責任だと思う」郡山さん「正しく報道するために危険は承知で行っている。私達に自業自得とか自己責任とかはあてはまらない。準備ができたらまたイラクに行く」まだ本当に若いお2人に、力強さと清々しさを感じたのは、私だけではないだろう。年金未納のどこかの官房長官よりもずっとずっと、心があるよ。願わくば、高遠さんも早く元気になって、あの笑顔を見せてほしい。
2004年04月30日
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今日は「みどりの日」。真っ青に晴れ上がった空に新緑が映えて、遠く北アルプスを眺める長野市松代町清野で第8回憲法の森デーが行われた。ここからは、戸隠山や高妻もアルプスに並んで見渡せ、自宅から見るのとまた違って、広角で見られる。「憲法の森」…聞き慣れない言葉ですよね。1995年に高知県にある平和資料館・「草の家」が呼びかけ、ここ松代でも「松代大本営平和記念館」を建設するために確保した地下壕の西側出口の象山周辺を、「憲法の森」として整備し始めて、今年が8年目。簡単に言えば、「森林を育て環境保全をしていくように、憲法も大切に守り育てて行きましょう」ということだ。草の家 今日は総勢50人程参加したが、主力部隊は何といっても「長野俊英高校」の郷土研究班の皆さんと、OBや父母の皆さん。俊英高校の旧名は「篠ノ井旭高校」、と言えば「ああ」と思われる人も多いかな。松代大本営地下壕の存在とその大切さを最初に社会に投げかけた子どもたちだ(それ以前は研究者の間では知られていたが、一般にはほとんど知られていなかった)。彼らの願いは「松代大本営平和祈念館建設」と「工事で犠牲になった朝鮮人たちの遺骨を探し出し故郷に帰すこと」。3年間の高校生活で先輩から後輩へ、この願いと運動が引き継がれて、今年で20年になるそうだ。汗を流しながら、草取りをし、くずの茎を切り、壕入口への階段を作り直す… 輝く新緑の中での作業です種々な問題や妨害があって、祈念館建設が遅れに遅れてきている。でも、文化庁の戦争遺跡指定が決まれば、祈念館建設は必要条件だ。建設にゴーサインが出るのも、それほど遠くはないだろう。祈念館ができたあとも、訪れる人を見ながら、みどりの日にはまたこうしてみんなで「憲法の森」の手入れをしているのだろうかと思ったら、なにかワクワクしてきちゃった。 作業終了、壕口へつながる階段も手直しされた。
2004年04月29日
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雪雲に被われた北アルプスも夕方になって姿を現わしてきた。頂上付近は部厚いレンズ雲を冠っている。明日から連休。私の友人も鹿島槍ヶ岳へ登る。逆行(下流から上流へ)するカワセミを初めて見た。……【虫が湧いた】夕方6時、川面からおびただしい羽虫が発生した。社員のIさんに呼ばれてベランダに出ると…すごい、すごい、夕陽にキラキラと羽を輝かせて、小さな虫が川面付近を飛び回っている。彼曰く「水棲カゲロウがわき出した。もうちょっと早く気がつけば、カワセミ見られたかなあ」と残念そう。虫を補食しようとカワセミが通ったかもしれないというのだ。彼はここ数日カワセミを見ていない。渓流釣りをする彼の話によると、この虫の発生を待って、毛針を水に落とすのだそうだ。イワナなんかもすぐ釣れるって。虫が川面から「湧く」様は、本当に湧くようで、すごい瞬間を見てしまった。……【O神社の御柱】5月3日、この村のO地区で御柱祭が行われる。諏訪に比べれば規模は小さいが、それでも北信随一と自負するだけあって、相当のにぎわいを示す。そのため、柱を曳く間の4時間は県道39号線(さて、39号で良かったかな。すぐに忘れるンだ、私。要するに長野・大町線)は全面通行止め…………の予定であった。ところが、新聞にも2度ほど取り上げられたが、全面通行止めになる区間がオリンピック道路と重なるため、白馬のホテルなどからクレームが複数ついたらしい。長野からの観光客が、通行止めを知ってキャンセルが出ているという理由をあげて。御柱を執り行う氏子総代たちは大慌てで、あちこちと相談した結果、全面通行止めから「片側不規則運行」に変更となってしまった。長野県警にも許可を得ているし、6年前も全く同じ方法で無事祭りはできたのだ(ただし、曳く区間は前回とは少し違っている)。もちろん、6年前もオリンピック道路はあった。さらに、回り道だって、多少時間はかかるが国道19号線も、国道406号線もある。私の地区の祭りではないけれど、そういう一部の声で変更を余儀なくされたことに、いささか腹が立つ。30~40分の回り道で、信州の自然を愛でる旅が長くなっても、かえっていいと思う、私なら。また、地方の精一杯の祭りを、バスを止めていっしょに楽しんでもいいんじゃないだろうか。諏訪の御柱には我も我もと押し掛けて、通行止めもなんのそのだったのに。小さな祭りでも、一旦マスコミで取り上げられ、有名になれば押し掛ける。加えて、点と点を結ぶ観光のなせることなのかもしれない。目的地の前までバスで連れていってもらい、中を見てまたバスに乗り、次の目的地へと急ぐ。文化も自然も、その地域の人との関わりがあってこそ、生まれたもの。広く文化を知ってほしい、広く自然を知ってほしい……私も反省しよっ!
2004年04月28日
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1日雨降りで、裏の川は小濁流。カワセミくんは現れなかった。社内は、「私今日は2回」「オレ、見なかった」が主会話になっている。なかなか素敵でしょう。*******本当に請求した、日本政府が国民に。しかも外務省からではなく、外務省の外郭団体の何とかというところからだという。まさか、本当に請求するとは思ってもみなかった。日本政府も地に落ちたりと、私は思ってしまう。何とかという参議院議員(議員の資格は全くないと思うが)が言ったことがまかり通るならば、「反日分子」である私は、怒りを通り越して、泣きたくなってくる。この分だと「非国民」という言葉も息を吹き返してくるだろうな(いや、既に立派に生き返っている?)。3人を徹底的に責め抜いて、人身御供にして、他の人がイラクへ入国するのを阻止しようとするのだろうか。正しい情報を国民に知らせないために。在日米軍に対する「思いやり予算」は1年に約6000億円以上にのぼっている。「思いやり予算」違憲訴訟-在日米軍駐留経費総額のうち日本側負担額とその内容 米軍の1世帯数の1カ月分に計算し直すと、約100万円以上になるそうだ。自分の家の金額と比べてみて、皆さん、どう?それだけのお金をぽいと出しながら、一方国民にはこの仕打ち。年金を払っていない3議員には「忘れることもあるでしょう」では許せない。思いやり予算は私たちの税金であり、3議員未払いの年金は私達の年金からカバーされるという。こんなこと……100歩譲って、3人に請求するならば、これまでに彼らに与えた精神的負担はどういうことだ。逆に、慰謝料を請求されても仕方がないほど、ひどいバッシングではないか。こんな国のために、いやいや、こんな国にしてしまったのは、私たち一人ひとりに責任がある。重々わかってはいても、自分の住む村の議員さえきちんと選べないのに…。今、あの3人をバッシングして喜んでいる人たち、いつかはそれが自分の身に降りかかってくるんだよ、このままでいたら。
2004年04月27日
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ルリタテハ登場。ちょっと小さめだけど、越冬したとは思えないほど新鮮できれいだった。サカハチチョウ春型も、ツマキチョウも。今日のカワセミとの出会いは2回。相変わらず、脇目も振らずに猛突進。「おいおい、そんなに急いでどこへ行く」は、あのカワセミのための言葉かなあ。******昨日、会報の取材を兼ねて「アジア太平洋戦争と松代大本営-本土決戦と松代・沖縄2」に出席。そのあとのアンケートを見て、胸を打たれたものがあった。「私は戦後の教育を受けていないので、戦争の何たるかは全く知らない。ただ、私の父がシベリア出兵に参加しているので、子ども心に戦争の恐ろしさを少しは感じています(後略)」多分この方は、今70歳を超えている。当然太平洋戦争を実体験していらっしゃる。私が胸を打たれたというのは「戦後の教育を受けていないので、戦争の何たるかは全く知らない。」と思われて、学習会に出席し学ぼう、知ろう、理解したいと願うその姿勢である。価値観が180度変った戦後の教育は、ご自分が体験した戦争をどう評価しているのか……もしかしたら、今までのご自身の歴史を根底から塗り替えてしまうかもしれないのに……あの戦争については、最近とみに評価が分かれてきているが、この方の強味は、「松代大本営」を基盤にしていることである。昨日の学習会は、松代大本営のガイド養成講座の一環である(もちろんガイドをしなくてもいいんです)。テーマでもわかるとおり、松代大本営から太平洋戦争を見、最も関係の深かった沖縄戦を見ている。強制連行された朝鮮人へのリンチがどうだったかを論ずるまでもなく、あの巨大な地下壕に自分の足で立ってみれば、戦争の実態が五感を通じて伝わってくる。前述の方は、地下壕に立ったからこそ、「戦争」というものを、戦前の教育でなく、もう一度学びたかったのだと思う。この日の学習会の出席者は、ほとんどが中・高年(私が一番若かった???ホント)だった。自分の人生の一部を変えざるを得ないかもしれないのにと思うと、心の底から脱帽した。この人たちの意気込みを私も分けていただこうと思っている。
2004年04月26日
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昨日も今日も、訪れてくれた友人やお客様に、会社の裏を流れる土尻川を見ていただき、カワセミの話をした。その間10分位なのに、友人にもお客様にも、カワセミを見ていただくことができた。結構頻繁に飛んでいるみたいだ。特に今日は、つがいで現れた。caso4さんの言われたとおりだ。2羽が戯れるように、いつもの直線飛びよりは曲線的に。いつも同方向への飛翔だが、こんなに頻繁に見られるなんて、うれしくなっちゃう。決めかねていた小鳥、カワラヒワと断定。羽を広げて飛ぶときの紋様がはっきりと見えたから。****一昨日からの冬戻りで、鹿島槍ヶ岳をはじめとした後立山連峰が、再び真白になった。連休は結構、やばい気象条件ですよ。春山に登る人、くれぐれも気をつけてね。「自己責任」なんて言われないように、準備万端、安全登山、慎重行動をしてね。今日は早寝をしましょう。
2004年04月25日
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このHPを開設してあと1ヶ月ほどで1年になる。この頃、2つの疑問が出てきて…。【その1】あるテーマで書かれた日記にアクセスが集中していた。どんな内容でどんなアクセスがあったのだろうと、私もアクセスしてみた。中味を見てびっくり。いつぞや、私のHPの掲示板に何度も名を連ねた方々が、ずらり。似たような口調で。揚げ足をとったり、慇懃無礼ととれる言い回し…確かに主義も主張も違う人は多くいる。腹の立つことを書いている人もいる。顔の違うように考えの違う人がいて当然のこと。でも、自分と違う意見を日記などに書いてあるサイトを見つけると、執拗に攻撃をしかけてくる。それも一人ではなく複数で。最初、私のHPに書き込みされたときは、少々参った。まじめに考え調べ、返事を書いても、すぐに揚げ足をとられる。もちろん私のレベルが低いせいもあるし、「何かが違う、何かがおかしい」と思っても、それをきちんと記述することができなかったせいもある。だから、それ以後、そのテーマで書くことはちょっと休んでいるけれど。で、少し前に別の人のHPに同じような書き込みがあり、はて?と思った。そしてトップに書いた事実を知ったわけだ。そうか、そうなんだ、と納得した。いわば常習犯なんだ。きょう、リンクさせていただいているmsk222さんの日記を読ませていただいて、思わず拍手した。もののみごとに切り捨てていた(切り捨てなんて書いたらmsk222さんに注意されるかな)。【その2】日記を書き込むとすぐにアクセスしてくる常連がいる。これは誰にでもそうだと思うけど。どう設定すればいの1番に飛んでこれるのか、私なんかには全くわからない。自動的に新着日記をとらえてアクセスしてくるんだろう。仲間うちでは「だれが1番を何回とったか」できっとゲーム的に競争でもしているんだろうが。でも彼らはアクセスした日記の中味を読んでいない。ただ自分の名前を残していくだけ。一方で、アクセス数を気にするようになってきている私にとって、中味を読んでも読まなくても1カウントされるから、ありがたいお客さまであることにはちがいない。でも、やっぱり最近、読まないなら来てほしくない、そんなふうに思い始めている。楽天に日記を書くことによって、精神的に救われた時期が確かにあった。今は、お馴染みさんたちと言葉を交わしたり、自分にはないものを持っている人にアクセスすることによってたくさんのものを学ばせてもらっている。でも、ひたすら日記と写真を載せるHPを、また少し変える時期が来ているのかもしれないなあ。
2004年04月24日
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昨夕、たらの芽を採りに行ったのは、薄暮になった頃。長靴をはいて、軍手をはめて、釜をもって…。家から200メートルくらいの土尻川沿いの畑の畔の斜面。今から20年位前だろうか。鹿島槍ヶ岳の麓まで行った時に、義母がたらの芽の枝を切って持ち帰り、それが根付いたそうだ。今では何本も何本も出て、隣の家の田んぼの斜面にまで根を張っている(もちろんそれはお隣さんの物)。たらの芽は毎年芽を採られ、枝も切られるので、大木にはならないが、それでも上の方のはもう遥かに手が届かない。5センチから10センチとちょうど食べ頃のを40か50本くらい採っただろうか。斜面を降りて、川床にあるのも採る。私はこういうのが好きだから、斜面を喜々として登り降りして…。夫はだめなんだ、こういうの。いつぞやも、志賀高原の根曲がり竹の子を採りに行ったときも、私一人が竹薮に入り、夫は道路上に止めた車の中にいた。そのくせ、食べる時は一人前どころか、人の分まで食べるんだよねえ。「せり、あるよー。下まで採りにきてよー」「今頃のせりは堅いだろ。いいよ、オレ、降りるの、やだし」全然堅くありませんでした、せり。茹でて食べました。「柔らかいじゃん、このせり。また採ってこいよ」(ふふーんだ、自分で採ってきたらいかが!)たらの芽もよく水ですすいで、天ぷらにしました。採りたて、揚げ立てのたらの芽は、柔らかくて、薄味で、淡い春の味覚です。もともとたらの芽って癖のない味なんですよね。通の人に言わせると、たらの芽は名前だけ一人歩きして山菜の王様とか言われるけれど、味でいったら落ちるそうです。「エラ」が最高、いや「トリアシ」が最高と、人によっては違いますが。でも、おいしく食べましたよ。日本酒によく合います。掲示板に張ってありますから、ご覧ください。盛り付けが下手な私は、何度も何度も動かしてはファインダーを覗き、その苦労の跡が、敷紙に残っています。そういえば、去年の今頃、川崎の叔父(2月に死去)に、たらの芽を送ってあげたっけたなあ。そういえば、去年の今頃、義父の入院が2年めに入り、義母は付き添いで家に帰らず、おまけに夫も入院で、私はパニックっていたっけなあ。だから、今年の方がいい?・・・・・義父が家に帰り、義母も家におり、夫も家にいる……私の気持ちは結構追い詰められているかも……
2004年04月23日
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卵子と卵子が受精しても新しい命が生まれるって、ほ乳類の段階でも。もちろん一方の卵子に精子の働きをするよう処置はするそうだが。卵子の保有者だけなら、この世に戦争は起らないのだろうか。ならば、その方がいいよねえ。んっ!?アマゾネス、んっ!?*********国際連合ではなくて、「有志連合」だって。イラクに侵攻した頃にあった言葉なのに、単に私が知らなかっただけなのだろう、きっと。*********《子ガラスの日記を引用》塾講師のバイトを始めました。中学生に英語と数学を教えています。自分が教える立場になったのは生まれて初めてです。そこは個人指導だけれど、教えるって本当に難しいことだと実感してます。内容は簡単だけど、教えるのはものすごく難しい。幸い教えてる子が優秀なため、スムーズに進んでいるけれども。でも、教えるって楽しいです。英語なんか、自分のエピソードを交えながらやって生徒が笑ってくれた時は最高ですね! そうなんだよなあ。私も教育実習やってから、先生になろうと真剣に思ったもんだ。教える職業につけるといいね、子ガラスよ。*********さて、これから、夫と家の畑の幅(斜面というか畔というか、西山地方の方言だと思うんだ)へタラの芽を採りに行ってきまあす。
2004年04月22日
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雨あがり、北アもくっきり、緑もくっきり。今日のトップニュースはカワセミを見たこと。前々から、我が社の若手2人が「時々カワセミが川筋に沿って飛んでいく。水辺に張り出している枝に止まっているのも見たし、そこから川に飛び込んで魚も採った」と話してはいたが、私自身は一度も見ておらず、実は疑っていた。燕も川に沿って飛び、日光の加減でルリ色に見える時がある。多分その見間違いだろうと。ところが、今日12時40分ころ、昼食を早めに済ませてベランダに出て観察中、「ツピーッ ツピーッ」と鋭い鳴き声と共に、上流から青く光る鳥が! 図鑑を見るまでもなく一目でカワセミとわかる。水上の小枝でしばし羽を休めて、私が双眼鏡で詳しく見る時間をとってくれた。その間10秒くらい。再び下流に向かって飛んで行った。うれしかったなあ、この川では初めて見たカワセミ(大分前、戸隠で見たことがある)。体に比べて大きめの頭部をちょこんと傾げて周囲を見回す様は、何ともかわいかった。図鑑によると、縄張りを持って、一定の休息場と採食場があるそうだから、いつもこの川沿いのコースを飛ぶときは、あの水上の枝が休息場になるのだろう。時間帯もある程度一定しているそうだから、これからしばらくは、お昼をかっこむことになりそうだ。カワセミ見るなら、エーンヤコーラ…。***********イラクから帰ってきた安田さんや渡辺さんが、昨夜から今日にかけてあちこちのTVに出演し、拘束された様子や自分たちの思いを話している。その一部しか見ることはできないが、お2人がとても清々しい表情に思うのは、私だけだろうか。それにしても、前の3人のやつれ果てた姿とは全く違うが、この差は何が原因なのだろうか。国内では、公的立場にいる複数の人が相も変わらず5人への批判を続けている。外国ではアメリカのパウエル長官の「日本は、こういう若者を持ったことを誇りに思うべき」という言葉に続き、フランスでも「日本人は人道主義に駆り立てられた若者を誇るべきなのに、政府や保守系メディアは解放された人質の無責任さをこき下ろすことにきゅうきゅうとしている」「『人質の家族に謝罪を要求』した上に、健康診断や帰国費用の負担を求めた」と批判の報道している。いろいろな糸がからみあっている今回の拘束事件らしいが、5人とも自らとった行動を恥じることなく、その意志を持ち続け、早く本来の心身状態に戻り、堂々と顔を上げて歩んでほしいと思う。
2004年04月21日
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雨降り夜になってから結構強い降りになってきた。草花たちがなんとなく生き生きしているように見える。ああ、これから一雨ごとに雑草たちも勢いを増すだろうな。まりぃジョーさんのご指摘で、あわてて信濃毎日新聞4月17日付け文化欄の内山節さんの「哲学の構想力」を読んだ。仕事をしながらじっくりと…??********(私は入力することによってより頭に入りますので)前略-要約(内山さんが、お宅のある群馬県上野村の春を見ながら村の社会を考え、次に群馬県内を流れる利根川を思い浮かべながら群馬県の社会を考える。そして日本を考えるときに、日本を象徴する風景とは何なのか。浮かんでくるのは象徴する風景でなく、憲法、法制度、税体系、軍事制度、社会補償制度などの近代国家がつくりあげた人間のつくった人工的な制度ばかりが浮かんでくる。)(ここから本文) とすると、社会について考えるときにも、村や地域を基盤とした思考、県レベルの思考、国というレベルの思考が並存している、ということにはならないか。具体的な映像を結ぶ思考と、結ばない思考とがである。 その具体的な映像を結ぶ思考は、あたたかさがある半面で、わずらわしさももっている。なぜなら、具体的にみえている世界とは自分が何らかの関わりをもっている世界であり、ゆえに自分の責任もまた問われる世界だからである。たとえば上野村の将来を考えるとき、村での自分の暮らし方や行動が問われてしまうように。 ところが具体的な映像を結ばない思考の中では、自分は基本的には無責任でいられる。思考の対象となるものが、自分が日々関わっているものではない以上、一般論で対応できる。そこで暮らしている自然も人間もみえていないのに、日本の社会制度や政治などを論じることができるのである。にもかかわらず、自分は天下国家という高尚な問題を論じているのだ、という錯覚に陥りながらである。 政治という仕事には、次元の異なるいく層かの仕事がある。具体的な映像とともにある政治という仕事から、映像を結ばない政治という仕事まで。そして、おそらく基本的な欠陥は、映像を結ばない政治が上位にたっているという、近代国家の仕組みにあるのだと私は思っている。本当なら、自然や人間の表情とともにある政治が上位にあるべきなのに、それが逆転している。 だから、政治はつねに私たちから遠いものになろうとし、国家の政治という仕事にたずさわる者たちは、日々を生きている自然や人間を、「国家の大義」の名において切り捨てるのである。*** 頭の中にすっきりと入ってきた。内山節さんの欄の読者は友人の中にも多いが、わかり易いんだよね。哲学のイメージがやさしくなるんだよね。*** 合併せずに小さな村が生き残ろうとしても、交付税、補助金の減少・削除で息の根を止めようと、平気でできる理由もそこにある。 消費税導入のときとか、いろんな折に、時の首相がお店に出て、商品を買ってみせるなんて馬鹿げた映像がまかり通るのも… 今回のイラクの事件に関する政府の言動もまた然り。 国家を預る政治家が、日本人の全てを知ることはもちろんできないが、「聞く耳」は持てるはずだ。「なぜ憲法違反になるのか理解できない」とうそぶく人には、耳などないのかもしれないが。 日々を生きている自然や人間を、「国家の大義」の名において切り捨てて、アメリカに追従しても何の疑問も悩みも苦労もないのだろうな。 田中康夫県知事が、車座集会を開き、移動知事室を設け、泰阜村に住民票を置くのも、長野県の映像をとらえるための方法なのかもしれない。改めて、すごいことをしているのだと思ってしまう。
2004年04月19日
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今日は武部八幡宮の春祭り。初夏のような、でも桜は満開。今年の五穀豊穣を祈って、武部八幡宮の神様に奉納する75の膳を子どもたちが持つ。米、塩、神酒、豆、麦、粟、稗、魚、水菓子、干菓子、人参、青菜、牛蒡、海草などなど。そしてこの1年間にお婿さんになった(最初は文字通り婿入りした人が地区の人たちへのお披露目の意味があったのだろうが、今は結婚した男性がその形を受け継いでいる)人が鏡餅を担いで歩く。あとは、秋祭りにも活躍するお囃子が5地区からそれぞれ1台ずつ出て歩く。町並みを歩く祭りの列。バックの山にもご注目。 土尻川沿いにお宮へと向かう 桜も満開、のどかな春祭りです お宮の鳥居をくぐって、八幡宮はもうすぐです朝から赤飯を作った私は、祭りの行列の写真を撮り見送ったあと、実家の母に赤飯を届けるべく車でスタート。途中、須坂の千曲川河川敷の桃畑を写真に納める。近年この場所は有名になり、今日もたくさんの車が止まって撮影する人多々あり 実家も水仙、チューリップなどが咲き乱れていて、30分ほど2人で畑を回る。「この水仙の球根、秋にちょうだいね」とか、「今度白すみれ持ってきてやるよ」とか、花談義は楽しい。そしてお茶タイム30分で、「また、来るねー」と、家に向かう。中野市でちょっと大回りして、こんな夕陽を見つけた。北信五岳のうち、3山(左から飯綱山、戸隠山、黒姫山) 。夕陽が落ちているのは、戸隠山の西岳のどかな1日田舎の良さをたくさん楽しんだ1日だった
2004年04月18日
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3人に続いて2人も解放されて、ホントに良かった。3人が解放されたニュースは、会合のあと公民館の出口で知った。思わず「良かったー」という言葉が声になって出て来た。その後、いろんな人のいろんなコメントがマスコミから流れてくる。一番気の毒だったのは、会見中にイラクの高遠さんから携帯電話を受けた弟さん。席を外して「姉貴、良かったなあ」と喜びたかったろうに。そうすれば良かったのに…。うれしいとは一言も言わずに、どれだけ迷惑をかけたかだけを強調していた。「謝るのはオレにではない」とも。日本で彼女を迎えたら、たくさんの目の前で彼は本音で喜べないだろう。だから、ドバイまで行って合流することを知って、ほんのちょっとホッとした。先ずは、喜んで涙をたくさん流して来なさいよ。コメントの中味は、それぞれの人がそれぞれの立場を持つから違っていて仕方がないと思う。発言は自由なんだから。しかし、小泉さん、川口さん、あなた達の言葉、表情からは「解放されて本当に良かった」という心情は伝わってきませんよ。はからずも、イラクの聖職者協会のクベイニ師が言った言葉が、日本の首脳を評価する一番正しい見方かもしれない。「日本の外相の言葉は冷たい。まるで、拘束された日本人が解放されない方がいいように聞こえた」しかもクベイニ師は、今日解放された2人に対し「これからもイラクの実態を取材して多くの人に知らせてください」とまで言っている。イラクに今、本当に必要なのは、やはり公平な目で見ての情報と、一番弱い立場の人たちを支援できる力だろう。決して自衛隊ではないと、改めて確信する。**************今日の私は、会社と隣の自宅を行ったり来たりしただけ。どこにも出ず。これでは足腰の筋肉が弱くなるわけだ。こういう日は、かつて万歩計で測ったけれど、3000歩くらいしか歩いていない。仕事は結構"スキ"("好き"ではないよ)なんだけど、だからといってどこかに遊びに行くわけにもいかず…。ああー、別の意味で私も拘束されている。唯一、今日も小鳥たちと遊んで、セグロセキレイの巣を見つけた。ひよどりの水浴びを見た。
2004年04月17日
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漁族(ぎょぞく)みな眼(まなこ)険(けは)しき四月(しがわつ)かな上田五千石「水中から外を眺めると、光線の屈折のために広い視野が得られる。これを応用したのが魚眼レンズ。絞りのきかない魚の眼にとって、四月の光は明るすぎるからとげとげしくなる。視点を入れ替え漁の身になっての逆転の思考が新鮮」(信濃毎日新聞「けさ一句」村上護)裏の土尻川にもハヤ(うぐい)が姿を見せてきた。まだ大きな群れにはなっていないが、1匹、2匹、きらきら輝く水の中で、気持ちよさそうに泳いでいる。そんな時に読んだ句がとっても印象に残って、「あの子(ハヤのこと)たちも眩しいのかなあ」とついつい、思ってしまったが…。****************************その土尻川の対岸は竹薮、杉林、雑木林があって、小鳥たちの棲家になっている。まだ竹以外は葉っぱが出ていないので、観察には最適。で、友人から頂いた双眼鏡を持ち出して、バードウォッチングを始めた。気分転換、疲れ目の回復の目的もあるし。でも、わからないんだなあ。双眼鏡で見た鳥たちの姿をよ~く記憶して、図鑑と首っ引き。ページを繰っているうちに、記憶はだんだん褪せてきて、「これに似ている、いや、こっちかもしれない」なんて迷い出すと、もうだめ。せめて、チョウで言うならシロチョウ科とかタテハチョウ科とかシジミチョウ科の区別がわかればいいんだけど、そんな分類も全く知らないド素人。以前、飯縄山へ解説者に連れられて行ったときは、わかったようなつもりになっていたんだけど、やっぱ自分のものになっていなかったんだねえ。例えばですよ…20センチ余の黒っぽい鳥がつばきの花やりんごの皮に来るけれど、人によって「ひよどり」と「むくどり」に別れる。双眼鏡で目の回りの色を見ると、茶色だったということで、これは「ひよどり」にした。同じくらいの大きさで、川辺の多分、芦だかススキだかの実を突いている鳥を見つけた。体色は「ひよ」や「むく」よりも茶色っぽい。顔だちをみると、目の上に真白な線がきりりと通っている。で、図鑑……………多分「つぐみ」だろうってことになる。今朝見た黒い羽の下にグリーンの羽を畳み込んでいる小型の鳥は、まだ同定できていない。夕暮れ迫る頃、つがいの鳥が現われた。双眼鏡、双眼鏡……白と黒の紋様、私にもキツツキの仲間だくらいはわかった。図鑑、図鑑……コゲラだろう、あっ、コ赤ゲラかな。いやいや、白と黒の色の割合から言えば、やっぱりコゲラだろう。つがいのコゲラは、忙しく次の木に移っていった。バードリスニング?「一筆啓上つかまつりまーす」や「ホーホヶキョ」くらいはわかるけれど…。CDも買ってはあるけれど、仕事中には聞けないし…。名前はわからなくても、川風に吹かれがら、木々の中で囀っているのを聞いているだけでも楽しいけどね。初心者のためのバードウォッチング、しかも休憩・休息時間利用の、何かうまい方法、こつがあったら教えてください。
2004年04月16日
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《寺島尚彦さん死去》3月23日に寺島尚彦さんが死去されていた。知らなかった。享年73歳。沖縄を歌った名曲「さとうきび畑」を作詞作曲された方だ。この曲の中で、"ざわわ"という言葉が66回出てくるという。10分間に及ぶ長い曲だが、66回というのは知らなかった。女性3部合唱で挑戦したことがあるが、何度も繰り返し出てくる"ざわわ"をどう歌い分けていいのか苦しんだ覚えがある。この言葉は、"ざわざわ"よりも軽く"さわさわ"よりも重くということで、1年以上も考えて創られた言葉だそうだ。でも、この造語"ざわわ"では、寺島さんが沖縄のさとうきび畑で感じたものを伝えるのには、まだやや軽く、そこで66回繰り返すことによって、彼の感じた重さに限りなく近付けたのだという。さとうきび畑で聞いた風の音は、そこで亡くなった兵士や島民の慟哭の声だったと寺島さんは言われた。そして今、「平和の礎」が建っているまさにその場所が、寺島さんが風の音を聞いたさとうきび畑だった場所だという。ざわわざわわざわわ広いさとうきび畑はざわわざわわざわわ風が通りぬけるだけ 合掌戦うことの哀しさ、無意味さ、平和の大切さを伝える方法はたくさんある。寺島さんのように歌を作ること森山良子さんのように歌うことひめゆり部隊員のように体験を語ることうたごえのように生活の中に取り入れることネットでの発信今井紀明さんのメッセージ 行動すること香山梓さんの記事 私? 柱は松代大本営地下壕だろう。そこをベースにいろんな方法で、すこーし、少しずつ…***********************《あっぱれ、区長会》合併法定協議会が立ち上がってしばらくして、新しい町名募集が行なわれた。1人1人にはがきが届けられての募集だった。どのくらい集まったかは知らないが、私の家族は誰1人出してない。耳に入ってくる声のほとんどは「まだ合併するかどうかも決まっていないのに、もう町名募集なんておかしい」「もう1回意向調査するって言ったのに、やっぱり合併ありきだったんだ」というもの。そして、4月に入って今度は「合併後に大字名をどう残したいか」というアンケート調査を常会ごとにまとめて出すというお知らせがあった。我が家ではテーブルの上にほったらかしで誰も記入しようとしなかったが、締め切り当日、夫が「区長会で、アンケート調査結果は提出しないと申し合わせたそうだ」というニュースを持ってきた。理事者の下請けみたいな区長会が、粋なことをしてくれる。住民の意見を吸い上げるのは、議員よりも区長の方が上手?合併が決まってから町名や字名を決めていたのでは間に合わないと、複数の役場職員は言っている。まあ、それもあるかもしれないけれど、住民の感情を逆撫でしたり、行政のみの先走りは、新たな不信感を生み出すだけ。村は行政だけのものではない。国も地方の自治体も大小が違うだけで、政治形態も行政手腕も、住民不在という点では全く同じように見えてきた。
2004年04月14日
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夜10時のNHKラジオのニュースで高遠さんの弟さんがマスコミに向けて言った言葉が流れた。「私達の身勝手なことを承知で、お願いします。どうか助けるために協力をお願いします」どうして身勝手であるものか。家族として当然のことをしているまで。多分、周囲からのいろんな声が家族の耳にも入るのだろう。日を経るにしたがって、3人を、家族を非難する声も増えてきている。家族に上記のような言葉を言わせるものは、一体何だろうか。自分ならどうするか…。やっぱり何をさておいても、家族の無事帰還を願い、できることはなり振り構わずやるだろう。周囲の人たちに、協力を何度も何度も仰ぐだろう。それが、ヒトとして当然のことではないだろうか。「自衛隊を撤退してほしい」政治家ではないんだから、思っていることを、してほしいことをストレートに口に出してもいいはず。いろんなしがらみや陰の力に左右されないからこそ、言える言葉だ。「首相に会いたい」靖国神社に参詣する人が、どうして生身の家族に会おうとしないのだろう。「家族の皆さんの胸中はよくわかる」それならば、「自衛隊は撤退しない」と一つ覚えに言い続けるのでなく、責めて家族と苦しみを分け合ってもいいのではないだろうか。一国の首相であるならば。日本国の首相であるならば。人間であるならば。よし、私も…4月10日の日記に「本当に、イラクの人達があの3人を必要としているのなら、イラク国内で何らかの動きが出てくる?」と書きました。出てきているそうです。うれしいね。msk222さんの日記
2004年04月13日
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「白木蓮が満開になったよー」の連絡を頂いて、夕方5時30分にカメラ抱えて、行きました。左から椿、白木蓮、桜の3本の大木があるのですが、夕方のせいか「白」がはっきり出ません。***************実家の母が「こないだの晩、おっかなかったんだあー」と話してくれた。夜11時頃、ベッドに入ってウトウトしていると、家の外で何かがさごそ音がしてきた。ネコかなあと思っていたが、しばらくしてもまだその音は続き、母の部屋の窓際を行ったり戻ったり。母の部屋は道路には面しておらず、知らずにふらっと入れるような場所には位置していない。猫や犬にしては重い感じがして、これは人の足音だと思った。その途端恐くなって、ベッドの中で小さくなって我慢していた。やっと音が消えてホッとしたら、またしばらくすると足音があっちへ行ったりこっちへ来たりして…。この連続が2~3回。午前1時、抜き足差し足でベッドを抜け出して、隣の部屋の窓からそっと覗いてみると…。案の定人影が見える。しかも男性らしい。あわてて、電話のある所までそっと行って、派出所に有線電話かけた。ところが、何度かけても誰も出ない。ご近所を呼ぶにももう真夜中だし…と迷っているうちに……「そうだ、酔っぱらいかもしれないと思ったんだ。父ちゃんのことを思い出してさ(父は既になくなっているが、生前中は酔っぱらって正体を失い、道路で寝たり間違えてよその家に帰ったり、ということが何回かあった)」そこで、もう一度今度は自分の部屋の窓から覗くと、家の中を物色というよりは、自分の帰り道がわからなくなり、道路へ出る道を探しているらしかった。懐中電灯をもって、玄関の電気もつけ、最初は中から声をかけた。「どうしたんですか」「すみませんねえ、方角がわからなくなってしまって」案の定、酔っぱらいの声だった。道路への出方を教えてやり、「お宅に電話して迎えに来てもらいましょうか」「いえいえ、大丈夫です」玄関の電気で道路の方角がわかり、脱げてしまってあっちゃこっちゃにあった靴もはき、「どうもご迷惑をおかけしました」と平謝りしながら、駅の方向へ歩いて行ったそうだ。きっと、酔っぱらって道路から駐車場側に入ってしまい、そのまま少し寝込んだりしていたのだろう。有線放送がだめなら、110にかければ良かったのにでも、あの人にとっては通じなくて良かったのかなあはたで聞けば、例え酔っぱらいでも、あぶないケースだったようにも思うが。母が父のことを思い出したとたんに、恐怖感から抜け出して対処できたということが、妙にうれしかった。父は苦笑いしているだろうけどね。父ちゃん、2人の経験はこんなところにも生きているんだよ。でも、ちょっとおかしくもあり…独居老人にしておくことは、やっぱり心配になり…
2004年04月12日
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何ヶ月ぶりかで、松代大本営地下壕の定例見学会に行ってきた。 今日は長野マラソンの日で、松代もコースに入りしかもゴールに近いため、見学会の集合時間にはまだ通行止めの場所があって、普段よりぐーっと大回りして、マラソンコースと重ならないように行った。偶然ランナーと車が並走している場所があり、友人たちを応援するべく15分程堤防沿いで声がけ。35キロを過ぎたあたりで、すでに出発から4時間たったそのあたりでは、走るというより歩いている人の方が多く、この人たちゴール制限時間の(確か)5時間に間に合うのだろうかと、他人事ながら心配になった。昨年までは故郷・山ノ内町がスタートで、オリンピック運動公園がゴールだったが、山ノ内から中野や小布施あたりまでの傾斜が急で、陸連の公認コースになれないため、今年から長野市内のコースになった。連続して参加している人たちは、どうだったろうか。走りやすかっただろうか…。さて、象山神社の前で、参加者を待つ。この象山神社、もちろん幕末の佐久間象山(地元・長野県ではぞうざんと読む)を祀った神社だが、NHKの「新選組」が始まってから、訪れる人が多い。集合時間より前だったが、時間的に忙しいというご夫婦を一足先に案内することになり出発。いつも通り、松代の3つの山の下にある地下壕の話や、松代に大本営が来ることになった理由などを話しながら壕内へ。真夏だと壕内のひんやり感にホッとするのだが、今日はまだ本物の暑さでないせいか、入って5分もすると寒くなってきた。ご主人が、地下壕の工事を開始した年に生まれたそうで、感慨深げだった。実は私はてっきり戦争体験者だと思って話を進めていたのだが…このご夫婦のあとに、もう1回案内したグループは良く日本史を勉強されていた。「地下壕から出すズリ(ダイナマイトで爆破させた岩を小さくしたもの)が太陽の光で反射して白く見えるため、米軍に見つかってはまずいと、近くの国民学校の子どもたちを動員して草や木の枝を刈らせてかぶせ、カムフラージュをした。米軍はレーダーを持っていたから、探そうと思えばそんなもので隠してもすぐに見つかるんですが」また、「8月14日に長野市も空襲され、その時にこの松代にも爆弾が落とされ、死亡者が出ていることから、米軍はこの地下壕の存在を知っていたのではないかとずっと思われていたのですが、爆撃されたのは地下壕とは関係ないという資料が昨年、アメリカで見つかっているんですよ」と説明をすると、「いやあ、米軍もこの地下壕がこんなに規模の大きいものだとは思っていなかったんじゃないですかねえ。だからもし知っていたとしても、爆弾を落としたりする必要のないものと思ったんだよ」と反応する人がいた。いつもの反応とは違う人が出ると、うれしくなる。今日、案内した2グループは、どちらも大きさが一番印象的だったようだ。そしてどちらもイラク戦争や、拘束事件に重ね合わせていたようだ。もちろんどんな場で考えても、それはいいのだが、松代の地下壕のように、そこにいるだけで遺跡を通して戦争に触れることのできる場で、イラク戦争や自衛隊派遣や拘束事件を考えることは、より身近に、より深く考えることができるだろう。戦争遺跡とは、そういう役割・効果を持っている。今年度、松代大本営地下壕群は、その使命をもって、文化遺跡に指定される(たぶん)
2004年04月11日
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ようやく犀川の川面にも色がつきました。春です。遠景は菅平から志賀高原の山並。お馴染み家の裏を流れる土尻川は、犀川に合流します。この犀川がもう少し下流にいくと千曲川と合流します。まりぃジョーさんの日記で合流点が見られます。 1週間ほど前の信濃毎日新聞に、米兵2人が銃を構えながらパトロールしている写真が載り、そのキャプションが「私達はイラクを助けようとしているのに、何故狙われるのかがわからない」だった。ブッシュ大統領はじめ、アメリカのトップはいざしらず、この言葉は兵士たちの本音だろう。「イラクを復興するために、イラクの人々を助けるために」の意識でほとんどの米兵は来ているはずだ。 かつての日本兵が、「ヨーロッパの植民地だったアジアを解放するために戦った」と思っているのと同じではないだろうか。確かにそんな一面もあったとは思う。イラクにおける米兵の存在も然り。しかし、ヨーロッパの圧制(フセインの圧制)がなくなってから間もなく、圧制を取り除いてくれた日本(アメリカ)への反発が始まっている。圧制を取り除いた真の目的が少しずつ正体を現わしてくるからだ。 リンクさせていだたいているりおじーにょさんに教えていただいたマイケル東山さんの日記を読ませていただいた。これはこれでとてもシビアだけれど納得できる意見だと思う。 今日のニュースの中で、高遠さんと合流する予定だった人が「子どもたちが、『ナホコはいつ来るの?』と尋ねるし、ボロボロになった彼女の写真を子どもたちはずっと持っている。そんな彼女がなぜ拘束されるのか」と涙ながらに訴えていた。 自衛隊も「歓迎」され、待たれてはいた。けれど、今は「支援になっていない。何をしているのか伝わってこない」と部族長にも言われている。 自衛隊はともかく、あの3人の善意も「親切」の押し売りになってしまうのだろうか。本当に、イラクの人達があの3人を必要としているのなら、イラク国内で何らかの動きが出てくる?分からない、イラクの人々が早く安定した生活に戻ることができるように、子どもたちに早く笑顔が戻るようにと心底願っている私達は、一体何をしたらいいのだろうか。 小手先の支援でなく、根元を断ち切る支援、つまり米軍の撤退へとつながる行動?! それでも、無事に帰って来てほしい、3人には。少なくても、安全な国内で、理屈をこねている私なんかよりは、ずっとずっと前向きな人たちだから。***********************"「緊急事態法」の成立を急ぐ"という記事も出ていた。タイミングが良すぎる。というか、うまく利用されそうで恐い。本当に近い将来、自衛隊も武器を持って戦えるようになるかもしれない。邦人を救うための緊急事態発生で。
2004年04月10日
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今朝の信濃毎日新聞に載っていた邦人拘束の記事はショックだった。昨夜から繰り返し流されていた映像や説明とは違う点が2つあったからだ。1 メッセージの「あなた達」が「おまえ達」と訳されていた点2 今西さんと思われる人の首筋にナイフが突き付けられ、高遠さんが両手で顔を隠している映像(ここまでは正午)(ここからは夜)薬局で薬を待ちながら見たテレビでは、映像はさらにエスカレートしている。昨日は一部を放映しなかったのだろう。家族が見たら、どんな気持ちなるだろうか。察して余りある。「家族の気持ちはよく理解できる」「自衛隊を撤退することはない」「自衛隊を撤退することは、イラクでの国際支援の輪を崩すことになる」いずれも政府要人のことば。「自衛隊撤退も選択肢の一つにしてほしいと言ったが、『伝えます』という返事しかなかった」「『救出するために精一杯の努力をする』とは言うものの、その『精一杯』は我々の考えているものとは程遠い」「みすみす殺されるのを待てということか」「勝手に行ったと言われればそれまでだが、遊びに行ったわけでは決してない」いずれも拘束された3人の家族のことば。法律至上主義の最高裁と、法律に心情を加えた地裁との差みたいだ。(最近この二つの司法機関から出される判決に、とても興味が出てきている)第1の方法 人命を第一と考えて、相手の要求を呑む→よど号事件第2の方法 狙撃などの強硬手段を使う→ペルー大使館事件第3の方法 相手の要求には従わず、粘り強い交渉により人質を解放させる→日本人技師4人の拉致事件(南米だったかなあ、聞き忘れ…キルギスでした)で、今回、日本は第3の方法をとるべく努力しているのではないかとは NHKラジオの解説。期限はあと2日、2日間は粘り強い交渉をするに足る時間なのだろうか。他国に笑われたっていいではないか。政府は自国の国民を守ってこそ、政府足り得る。60年前も国民を守ってはくれなかった政府。同じことは繰り返さないでほしい。足元が崩れてしまっては、政府だけでなく、この国の存在さえ無意味になってくる。アメリカの面子、国の面子よりも、国を構成している一人ひとりが大切なのではないかなあ。
2004年04月09日
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今日のお昼頃、待望のモンシロチョウを見た。やわらかいクリームがかった白で、いくらか小さめのチョウがたんぽぽに止まった。「ウワァー、モンシロチョウだ…!」♪チョウチョ、チョウチョ、モンシロさんがやっと来た…生協の配達のお兄さんがびっくりしたように、でも私を見るのでなく、チョウを見てくれた。「なんだ、チョウか」といった感じだったけどね。蜜を吸いにきたのか、卵を産みつけにきたのか、ちょっとそわそわした動きだったけどなあ。生まれたてで、春の陽射しに飛び出してはみたけれど、何をしていいのかわからずに、あっちでひらひら、こっちでふわふわ…という感じにも見えた。桜前線よりも一足先に、春の訪れを告げに来ると言われているが、この村に限っては、正しくその通りだった。少し前から、ご近所から、冬菜とか、雪菜とか、冬を越した野沢菜とか(この区別がいまいちわからず)を頂くたびに、「もしかしたら…」と葉裏をチェックしてはいたけれど、まだ卵は見つからなかった。そうだよね、やっと生まれたチョウたちが、これから産んでいくんだもんねえ。越冬したチョウたちを見たときもうれしかったけど、今年になって生を受けたチョウを見るのは、また格別にうれしい。私のアゲハは羽化できなかったけど。家裏にいるうぐいすも、大分学習をしたのか、上手になってきた。3回に1回くらいは、まだトチっているけどね。鹿島槍ヶ岳の稜線は、今日もくっきりと浮き出て、多分、明日も晴れるだろう。また、朝からウグイスにつきあい、チョウにも会えますように。蛇足この「モンシロチョウ」の最初の名前は「モンクロシロチョウ」だったんだって。詳細はこちらモンシロチョウ
2004年04月08日
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C型肝炎の医療費給付減額少し前、「補助、全廃の方向へ」という話をどこかで聞いて、「ええーっ」と思っていたが、先日、保健所から通知が来た。全廃ではなく、今年の10月から「患者」または「生計を支える者」の所得額によって補助費を変えるので、そのための書類を用意してほしいという内容だった。全廃でなくてちょっとホッとしたが、でも、重症患者以外は軒並み負担率の増加になっているような気がする。そのあと、肝臓病の患者会から署名集めの通知がきた。「おお、対応が早い」と思いきや、例年国会へ出している「総合的な肝疾患対策の拡充を要望する請願書」だった。請願項目5つの中の「総合的肝疾患対策として医療費支援を」という中に、今回の負担率アップの問題も入ることは入るけど、国が方針変更をしたことには触れてなくて、残念。医療費支援の理由の中に「肝炎ウィルス検査で治療の必要な患者が発見されても、インターフェロンなど高額な医療費負担から治療を断念することも懸念されます。また、治療の目的は慢性肝炎から肝硬変への進行阻止にあり、緊急を要しています。そのために、医療費の支援等を包含した肝炎対策について検討してくださることを切望しています。このことは、長期的にみて医療費の節減になります」C型肝炎の場合、10パーセントが慢性肝炎に移行し、その10パーセントが肝硬変に移行し、そのまた10パーセントが肝ガンに移行すると言われている。私も最初の10パーセントをクリアしてしまい、次の10パーセントにならないように気をつけている最中。幸か不幸か、インターフェロンは効かないそうで、その治療はしていないから、目玉の飛び出るほどの治療費には今のところなっていない。でも、10パーセントに選ばれた全員が肝硬変にならないための治療や治療法を今、きちんとして欲しい。そこにお金をかけてほしい。だったら、補助費の減額は我慢するから…。インターフェロンの効かない私ではあるが、あるんだ、特効薬が………「山登り」理解のある医師が「そんなに行きたければ、登っておいで。そのあとに、肝機能の数値を測ってみよう」と言ってくれた。もちろん、日帰りで一般的な夏山だけれど、私は意気揚々と登ってきた。結果は?↓↓↓↓↓大して数値はあがらず。自信をもって、少しずつ行くようになって、今に至っている。今だに特効薬であるかどうかは大いに疑問だけれど、「病は気から」だとすれば、今もまだ特効薬のはずだ。いつもながらの「起承転結」のばらばらな日記になりました。
2004年04月07日
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〈白水隆さん死去〉4月2日に急性心不全のため86歳で死去された。面識も何にもないけれど、白水さんが監修された蝶の図鑑が私の手元にも数冊ある。少年時代の虫好きな少年が、昆虫学者になられた方。「日本の大学で、本格的にチョウをテーマにしたのは、私が初めてだと思う。昆虫学者は多い。だがチョウでは「食え」ない。大発見も大論文も、チョウでは直接人間の生活に役立たない。食うためには、害虫の研究など、実利的分野に転向せざるを得ない状況がある。事実、「チョウの研究などばかげている」という疑問をぶつけられてりした。 しかし私は、「文化」とはそういうものだと考えている。生活に役立つかどうかという次元とは別ものだ。さまざまなことに情熱を傾けることが許されるのも、社会の豊かさの一つである。」沁み入る言葉です。詳細は、蝶愛ずる日々 ***********〈鹿島槍ヶ岳夕景〉さあ、ご覧ください。(と言っても、「FUJI FINE PIX」-私の言う「いい方のカメラ」を持って夫が仕事用の撮影に行ってしまい、私は「NIKONCOOLPIX5000」の古い方のカメラで仕事場から写したので、雰囲気だけ何とか伝わる写真にしかなっていませんが)(どっちのカメラで撮っても所詮数打ちゃ当たるの撮り方から脱していないので、同じかもしれません)くっきりと晴れ上がった空。夕刻が近づくにつれ「今日はシルエットがきれいに出るぞ」と気持ちの準備をして、意欲満々でいたのに、カメラ、夫に先取りされた。しかも、会社に居残りを強いられて…。でも、すてきな夕景を思う存分見られた。あまりにすばらしい景色に見とれてしまい、いつの間にかよだれを流していたという友人もいるくらいなのだ。 大きな夕日を肉眼で見ることができずに、ネガフィルムを通してみた。なんと、鹿島槍ヶ岳の北峰のわずか北に姿を隠し、そのまま鹿島の稜線を北(写真だと右)に向かって滑っていった。この時期の太陽の黄道はかなり低く斜めだから、多分稜線の角度と一致したのだろう。すごい夕景を見てしまった。ダイヤモンド鹿島槍ヶ岳になる日時の調べ方を、以前にback packerさんに教えていただいてあったのに、それもまだ調べてない。今日の位置からするとプラスマイナス2日以内だろう。 稜線に沿って沈んだ太陽のオレンジ色の光は長い時間続きました。30分以上、だんだんに弱くはなりましたが。 前景の私の村にも、電灯がつきました。 オレンジ色は青味がかった色になり、あちこちの家の電灯がメーンになりました。とっても幸せな気分なのです、今は。
2004年04月05日
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高校野球って、どうしてこんなにも人の心を打つんだろう。今日の決勝戦もまた、忘れられない場面の連続だった。勝者があって、敗者がある。だからこそ、脚本のないドラマが生まれる。9回裏の2アウト2塁…。ラストバッターの横顔がアップで映され、投手もアップされ…名前は今思い出せないけれど、愛工大名電の5番バッターの横顔が本当にきれいだった。崇高とさえ言えるくらいに。緊張感に支配された顔が、ボールの筋を見極めようと前方を見つめる表情がきれいだった。そのバッターを打ち取った瞬間、両手を高々と挙げた済美のピッチャーが、何とすがすがしい表情をしたことか…。野球の中継カメラマンに、今回はドラマ作りのカメラマンがドッキングしたような、そんな素晴らしい場面がたくさんあった。試合終了後に名電の監督が言ったことば「先発を間違えたかもしれない。●●の調子が良かったので先発させたのだが。それが初回の大量得点につながってしまった。」…これは先発の生徒に気の毒だった。ダイヤモンドを一周する時に、帽子を目深にかぶり、まだ泣いているように見えた生徒が1人いたが、先発の子ではなかったろうか。監督は「私の采配ミス」に留めるべきだった、それは事実なのだから。でも、勝負の世界はそれほど厳しいものなのかも…。閉会式に入場する時も、ダイヤモンドを一周するときも、名電の最後の方に並んだ2~3人が、大きな声を出しながら行進していた姿が目に焼き付いている。後ろから、前の方のうなだれた生徒に「1 2」(かどうか聞き取れなかったけど)と声をかけ、暗に「しっかり、堂々と、胸を張って、前を見て歩こうよ」と言っているように、私には思えた。両手を肩まで振って歩く行進の姿は、同じ高校生でもサッカーには見られない場面だと思うんだけど…。子ガラスはああいう場面を見てどう思うのかなあ。いつか聞いてみよう。済美の校歌がまた良かったよね。素直な今風なメロディーに、よくある古いパターンと全く違った素敵な歌詞(愛媛県の八十艮さんが紹介されてます)がつけられていて。済美高校と愛工大名電高校、そして春の選抜に出場した全ての高校生にありがとう。(長野県で夏の甲子園出場最多高校の松商学園高校は2年生が1年生に暴力を振るった事件があり、しばらく対外試合禁止となった。そのあたりが、最近別の高校に切符を譲ってばかりいる間接的原因になっているのじゃないかな。子ガラスの母校でもある松商学園。あなたたちも、夏はあの場に立ってよね)
2004年04月04日
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家の裏のよもぎがやっと5センチ程に伸びたので、草もちならぬよもぎのおはぎを作ることにした。1 今朝始業前に摘んで水に入れておく。2 昨日から今朝にかけて、義母が以前に煮て冷凍してあった小豆をやわらかく煮なおして味をつけた。私は粒あんが好きなのでちょっとつぶしただけ。3 餅米は午後3時のお茶の時間に電気釜にセットしておいた。4 夜、よもぎをゆがいてみじんぎり。本当ならばすりこぎですればもっと細かくなったのだけれど、そこは時間の節約で(単なる手抜き)。5 炊きあがった餅米によもぎのみじん切りを入れて米粒をすりこぎでつぶす。ちょっと柔らかかったかなと思いつつ、薄いグリーンに染まっていく餅米に、にっこにこ。夫が「オレ、甘いのやだから、何もつけないのも作っておいて。ねぎ醤油で食べるから」6 すりごま、きな粉(子がらすが好きなんだァ、これ)、あずきを用意する。7 適当な大きさに丸めて、それぞれの衣をつける。こうして2日がかりでできた「よもぎのおはぎ」は、まあまあのできで、私はあずきとごまを中心に●個食べました。ウープッ。感想を書いてくださると、トリオ・ザ・おはぎが食べられますよ。***********強制連行・労働のことで、書き込みをいただいて、不勉強だった私はほんのちょっと勉強した。まだ勉強中なのでうかつに書けないのだけれど。まず、徴用だから合法的で、強制連行・労働はなかったというのは、「徴用」の解釈の仕方なのだろうか。徴用そのものが「強制」なのだから(広辞苑より:国家権力により国民を強制的に動員し、一定の業務に従事させること)。これは、アメリカ・カリフォルニア州での訴訟でも強制労働は認めている。認めなかったのは「憲法は外交権を連邦政府のみに与えており、戦後補償をめぐりカリフォルニア州が訴訟を起こす権利を州法でつくり出すことはできない」ということだ。アメリカの国家にとって、日本は同盟国。イラク侵攻を支持してもらうには、個人を大切にするというアメリカであっても、そのくらいの個人的な犠牲は黙っていてほしいという願いが出ているのかもしれない。この裁定は、同じような訴訟を受けていたドイツでは、どうとられたのだろうか。よく、戦後補償ではドイツと日本とが比較されるけれど、ドイツは第一次世界大戦でも補償を体験している。そして第二次大戦では、戦後50年たっても、国と全企業とで賠償金を折半して基金を設立している。ワイツゼッカー元大統領が、謝罪と賠償の理由として「単なる倫理的要請ではなくて、われわれの国益なのだ」と述べているそうだが、この国の視線は自国の立つべき場をきちんと見つめていると思う。ヨーロッパ、中でも東欧諸国の一員として文化的にも経済的にも共に生きる民族という考え方の現われではないだろうか。 日本はどうだろうか。サンフランシスコ講和条約では、アメリカのおかげで各国の賠償請求権を放棄してもらい、朝鮮戦争で経済を復興させ、アメリカの陣営にがっちりと組み込まれて、米軍が世界の「警察」たるべく、沖縄を提供し…。日本が生きているアジアという場を少し軽視してはいないだろうか。またまた自虐主義と言われそうだが…
2004年04月03日
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すごい日になった。前のお店の看板は飛ぶわ、発泡スチロールの箱は飛び交うわ、日光浴させていた植木鉢は転げ落ちるわ…谷筋のこの地区でもこの強風、平地では人もなぎ倒されたのではないだろうか。子ガラスでなく、本当のカラスがその強風に立ち向かって飛んでいた。南風とカラス、一歩も譲らず、互角です。あのカラス、同じ場所で、いつまで羽をばたばたさせているのでしょう。いやいや、その「ばたばた」こそが、南風に逆らっている原動力なのです。見栄も外聞もなく、頭髪いや、頭羽もとさかのように見えます。押し戻され始めました、カラスくん。カラス、がんばれ、カラス、がんばれ!おーっとー、一瞬息をついた南風に隙あり!カラスは、キューンと飛び去りました。(実況中継終わり)あのカラス、何でああまでしてあの時、あの方向に飛ぼうとしたんだろう。カラスは強いよ。そしてあの強風のどさくさに、ひよどりはつがいで勝手口に現われ、リンゴの日干しをつついていた。いっしょに飛ばされそうになりながら。さすがに今日はうぐいすは避難したのか、啼かなかった。さえずりの学習は1日遅れたかな?
2004年04月02日
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4月1日 エイプリルフールを楽しむ気持ちのゆとりが、ないなあ、今は。昨夜、サッカーの中継と、NHkの「その時歴史が動いた」が重なり、迷いに迷った末、サッカーの前半はあきらめて、NHKを見た。「さとうきび畑の村の戦争~新資料が明かす沖縄戦の悲劇~」沖縄戦での一般住民の死者は約10万人余で、兵隊の人数とほぼ同じ。なぜこんなにも多いのかを、沖縄戦が正式に終結した9月7日を「その時」に設定して、林博史さんが米国立公文書館で見つけた資料などを加えて解明していた。以下、まとめずに、印象に残ったところだけ。(言い訳オンパレード…実は、途中で居眠りをして全体は覚えていないのだ。来週深夜の再放送が見られるかどうか、また居眠りになりそうなので…。さらに、ビデオ故障中につき)1 西原町(当時は村)では村民の死亡率が47%。沖縄県内でもトップクラス。以前の日記3月12の日記に「現在も毎年の遺体収集数は2000柱」と書いたが、その数字の中には、西原町で行った今年2月のも含まれているのだろうか。その映像の中で、一人のおばあさんが沖縄のことばで「あの時、私がここに穴を掘って、あなたを埋めたでしょう。早く出てきなさいよ」と叫んでいる姿があった…。2 西原町は米軍の上陸した北谷から首里に向かうルート上にある。嘉数高地の辺かなと思って地図を見たら、嘉数よりもさらに首里寄りの場所だった。多分、嘉数高地で17日間の攻防戦で敗走した日本軍が、首里までの2番目の防衛線を敷いた一角になるのかもしれない。浦添市の前田高地と同じラインということなのか。3 持久戦が一般人の死を多くした一つの理由本土決戦を想定していた大本営は、沖縄で米軍に「出血消耗」をさせるために持久戦を展開。これは「捨て石作戦」「出血消耗戦」として今までも知られている。しかし、当時沖縄にいた日本軍は約7万人。米軍は55万人が沖縄を囲み、18万人が上陸している。この圧倒的な人数は持久戦に引き込むためには、日本軍の数では全く不足で、その不足分を住民で補おうとし、17才から45才までを現地召集で根こそぎ動員をした。実際には年齢制限も守られず、14才から70才までの人もいたことが、「日本軍の防衛召集計画」から明らかになったという。また「西原地区における戦闘実施要領」では奇襲攻撃時の注意事項が書いてあるとのこと。○服装や話し方を現地住民のように見せること=「住民擬装作戦」 しかも、この内容が米軍に洩れていたことから、米軍は一般住民への攻撃も辞さなかったという。現に屋内にいた一般人(性別もよくわからなかったが)に銃撃を加え、崩れ落ちる姿を写し出したフィルムがあって、初めて見るシーンだったのでショックだった。イラクで米兵士がゲリラと一般人の区別がつかず、イラク人に抱く疑心暗鬼が、あの沖縄でもすでに始まっていた。4 また20年2月に、軍部は動員されなかった一般人(高齢者と女性、子ども)を北部地区に疎開させようとしたが、男手のほとんどを動員されてしまった西原町では疎開せずに残った人が多かったそうだ。そして、米軍の首里攻撃にさらされることになる。これが死者を増やしたもう一つの理由。* * * * * * * * 数年前に沖縄の伊江島で、島の中央にある城山に登ったとき、途中から人の名前を書いた小さな碑がたくさん建っていた。亡くなった場に家族が建てたものらしいが、すごくショックだった。ガラビや糸数などの壕でも息ができなかったが、一人ひとりの名前が、その終焉の地に建ててあるということに身震いした。肉親の最期の地……最近、憲法9条をはじめとして、改憲に反対する人を「平和ぼけ」と称する人たちがいる。私に言わせれば、これは逆だと思う。「戦争」というものをその人なりに理解しようとし、「戦争」が命あるものを切り捨てていくという事実を知れば知るほど、日本国憲法の大切さを、必要性を強く主張したくなる。その「戦争」によって、生きる道を変えられた人たちが、これから悔いのない生活を全うできるように、そして全ての命あるものが、今も未来も、その生を輝かせて生き抜けるように、私は学び、行動していきたいと思う。* * * * * * * * * * * * * * * * * * で、居眠りからさめた私は、サッカーの後半戦を観戦。フル代表の典型的ともいえる試合運び。押せ押せの前半戦だったようだが、いつも通り得点できず、見なくて良かった。見ていたら、はしたなく罵詈雑言を発していたかもしれないよ。例の謹慎事件のせいもあるのだろうか。オリンピック代表の方が、活き活きと動く場面が多かったような気がする。そしてそのオリンピック代表だった人たちが、今Jリーグで若いエネルギーを見事に発散させていて、うれしくなる。フル代表よ、がんばって!
2004年04月01日
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