2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全26件 (26件中 1-26件目)
1
7777番をあてて下さったのは、まりぃジョーさんでした。ありがと~う。1番違いで自分で踏むところを、危うくセーフ。朝からの雨降りで、スノーシューはおあずけです。「いったん返した方がいいですか」という問いに、公民館では「いや、もう少しいいよ」と恩情の答え。これもありがと~う。息子、私を「おかあ(お母)」と呼ぶので、これからは「烏」と呼ぶことに決める。その子烏から、うれしい激励のメールが届いた。「お母も、ヒマラヤあきらめるな!」うれしかったのだ、お母は。「エベレスト」と言えずに「エレベスト」と言っていたあいつが。ありがと~う。さて、しばらくさぼっていた家内のそうじをこれから始める。これは、ありがたくな~い。***********いや、もう一つ、今日は特別にうれしいことがあったのだ。生涯学習月間の中で、文化芸能祭ステージ発表の日。もちろん私はコーラス練習に行っていないから、聞きにだけ行って、応援してこようと思って公民館へ行った。でもコーラス発表の前に自宅から「看護師さん来たよ~」と連絡が入ったので、帰らざるをえなかったのだが、Sさんと会えたのだ。村会議員で、例の環境アンケートの際に「あんたの出すアンケートには答える必要はない」と頭から拒否された人。「いつか話しに行きたい」「おう、いつでも来ていいよ」という会話は前にもしたのだが、それはまだ実現できていなかった。先月出した「落とし文」(ごみと環境を考える会の通信)も郵送し、封筒の裏面には「通信です。捨てないで見てください」とメモして出した。それやこれやでSさんも気になっていたのだろう。あちらから私の姿を見つけてくれて、話しかけてきてくれた。話した時間は5分もなかったけれど、互いに抱いていた誤解が融けたような気がする。堆肥センターのことにも言及されて、今までに得た情報なども話してくれた。議員さんとしては、かなりダンディーな人とずっと思っていたが、気持ちの糸がつながって本当にうれしかった。これからも、環境問題など、ぜひごいっしょさせていただきたいのです。ありがと~う、S議員さん。
2004年02月29日
コメント(2)

晴れ 鹿島槍ヶ岳が青空にくっきりとそびえている。気分爽快。********************村の生涯学習月間に合わせて、一昨年から始めた「冬の図書室まつり」。今年の中心は「昔ばなし」。内容は1 ぺープサート「3びきの子ぶた」図書室担当さん2 紙芝居「うりこひめとあまのじゃく」図書委員3 素語り「まめと炭と一本のわら」図書委員番外 "まめと遊ぼう"私は、「うりこひめとあまのじゃく」のあまのじゃくの役。あとは、館報の原稿を書くための写真撮影とネタ探しという分担。10時30分の開演だが、個々に練習したものを合わせるために9時に集合。図書室担当さんたちが、前日に暗幕を使ってかわいい舞台をこしらえてくれ、子どもたちを引き込む環境は、ちゃあんとできていた。さて、その舞台を使って、練習開始。紙芝居なので、読み手以外は顔を出さずにすむから、結構役にのめりこんで読める。せりふはいいとして、動作を「歌うような調子で」と注釈してあるところは、家で練習してもその都度歌の感じが違ってしまって、冷や汗の出ることしきり。相棒の「うりこひめ」役のSさんはわらべ唄風な調子をつけて。そっか、彼女のがわらべ唄風だとすれば、私のは洋風のメロディーなんだと一人で合点する。まあ、今さら変えられないので、読み手と声が変わるだけでも、聴き手にとっては新鮮なはずと、大妥協して2回の練習を終える。全体の打ち合わせを済ませ、すでに10時15分なのに、誰も来ない。「ええ~っ」館内放送を入れ、委員も図書室周辺を回って「お話、始まるよ~」と人集め。昨年に比べて、参会者は少ないけれど、そうかと言って、来ている子どもたちに悪いから。予定に10分遅れて、始まり、始まり。ぺープサート聞きながら、ちょっと声が固いなと感ずる。担当さんたちも、忙しくて練習不足だと言ってたなあ。デジカメで子どもたちの表情を撮ろうとするが、窓に張り巡らした暗幕で明るさ不足。1枚だけフラッシュを焚かせてもらい、あとはフラッシュなし。果して撮れているか心配だ。(やっぱり、写真のできは良くない。三脚で撮らないとだめだなあ)本番もなんとかクリアー。なんか、かわいい「あまのじゃく」だったかもしれないな。根はちゃーんとしたあまのじゃくの私なのに、こんな時に「地」が出ないなんて…(^o^;)「まめと遊ぼう」は、素語りから思いついた大豆を割り箸でつまむゲームだが、結構みんな上手でびっくり。もっと四苦八苦する場面を予想していたのだけれど。大人はマル箸を使ったので、こちらの方が悪戦苦闘していた。 今年は一人、おじいさんが参加してくださって、帰り際に感想をお聞きすると「今度は孫を連れてくるよ」というお返事。後の反省会でみんなにコメントを紹介すると「ウワー」と大喜びだった。開演時間に子どもたちが集まらなかったのは、土曜日で公民館主催の「おがわっ子クラブ(5日制の受け皿で毎週土曜日に午前中に集まり、いろんな体験をする)」で太鼓練習をしていたからとのこと。それが終った11時頃から小学生も来てくれて、熱心にお話を聞いてくれた。といっても、総勢2~30人なんだけど。同じ公民館なのに横の連絡がなく、運営面で反省しきり。自分で絵本を読む、お家の人に読んでもらう。こういう場面がたくさんあっても、やっぱり図書室で、お家の人や先生と違った人が読んだり、演じるお話は、子どもたちの興味を充分に引く。月1回開いている図書室担当さんたちのお話し会とちょっとニュアンスの違ったおばさんたちのお話し会も、そうであったらうれしいな。
2004年02月28日
コメント(2)
今日は、1日、松本智津夫被告の判決で湧いている。3時のお茶の時間にNHKを見たら、あのNHKですらエキサイトした、ワイドショー的な報道ぶりだった。大きな事件であるから、仕方がないけれど。じっくりテレビ報道を見てないので、10時からのニュースを続けてみるつもりでいる。久米さんのと、筑紫さんのと。その前に、この日記書いてしまわねば。*******しばらく言葉にしていなかった「私の夢」を、リンクしている飯山のまりぃさんのHPを読んでいて、書き込ませていただいた。書きながら、その夢、その言葉をしばらく忘れていたことに気が付いた。私の夢=ヒマラヤのトレッキング。今でこそ、海外旅行なんか気軽に行けるし、もちろんトレッキングだってその気になれば行けるだろう。私が大学の頃はまだそんなブームはなく、海外登山はまだ夢の部類だったような気がする。ワンゲル時代、バテバテながらも山に向かい、ヒマラヤへの夢は培われた。社会人になってお給料をもらうようになると、いつかヒマラヤに行くために貯金を始めたのだ。名付けて「ヒマラヤ貯金」。で、あれから●十年。「ヒマラヤ貯金」は、小さな遠征隊を出すくらいには貯まっている(実際どのくらいの費用かははっきりわからないけどね)。村の山岳会でも、ヒマラヤ遠征のための貯金をしようという話が出たときに、得意気に「私、もう貯まっている!」と大見栄を切った。…なのに、今度は行く時間がない。息子に言わせると「お母(息子は私を『おかあ』と呼ぶ。『お』がなければ、烏の子だ…)は、本当には行きたくないんだよ。だから、いろいろ理由をつけて行かないんだ。心底行きたいと思ったら、何をさておいても行くはずだもん」と、手厳しい批評をする。やりたいことを苦労しながらやり遂げてきた息子ならではの理論ではある。まあ、当たっている部分もあるような気がするので、全面否定はできないんだけど。早く行かないと、膝痛が本格化して、トレッキングどころか、国内の山でも登れなくなるかもしれない。夢を思い出したとたん、焦り気味。エベレストでなくてもいい。アマダブラム、マチャプチャレ、プモリ、ギャチュンカン…青いケシに赤い石南花、アポロチョウ、でもヒルはいや。うんうん、夢がまた膨らんできたぞ。ああ、時間が欲しいなあ。
2004年02月27日
コメント(3)
雨のち雪 午後11時現在、積雪5センチ。いいぞ~、もうちょっと積もっておくれよね。だって、スノーシュー…、ふふふふふ。**********朝のNHKニュースで流していたイラクの自衛隊をめぐる現地の人のことば「仕事がない、全くない。 これなら、フセインの時の方が良かった」妻と6人の子どもを抱えたお父さん。 仕事がないからお金がなく、充分な食べ物を家族に与えられないのが悲しく、辛いのだろう。それはわかる。(本当にわかるって言っていいのかな。食べ物も豊富で、仕事も毎晩残業する程あって。それでわかるって言っていいのかな)わかるような気がすると言い直そうか。フセインの銅像をロープで引っ張って倒し、狂気している映像(確か米国の報道陣か軍部のやらせ的映像だったと後で報道されたけど)を見たときにも、やるせなかった。それと同じような気持を、このお父さんの言葉に感じてしまう。周囲からの力で自分の歩き方を変えざるを得ない。他に頼らないと、生きていけない。自分の国が崩壊した時に私は直面していないから、そんな時、人はどんなふうに立ち上がるのかはわからない。他に頼らざるを得ないし、生き方も変えざるを得ない。人が人と交わっていきる動物だからこそ、悲しいのかもしれない。うまくいかないことを他人のせいにしがちな、今の自分の生き方と共通性を感じるから、悲しくなるのかもしれない。別のお父さんのことば「日本人は兄弟だ。だから、会社を作って私達を雇ってくれるだろう」イラクのお父さん、自衛隊は会社を作りに行ったんじゃないんです…ごめんなさい。
2004年02月26日
コメント(1)
仕事の無理を承知で行ってきた。案の定、帰ってきたら、机の上は原稿の山だった。クッソー。ということで、仕事を少しこなしたので、お疲れ。見学記録は明日以降。
2004年02月25日
コメント(0)
「スノーシュー、借りに来ました」「いくつ?」「えっ、1つでいいですよ」「なんだ、山岳会じゃなくて、個人じゃない」「いけない?」「いや、いいけどさあ」倉庫らしきところに鍵をあけて入ると、大中小とかなりのスノーシューがしまってある。せっかく買ったのだから、もっと広く呼びかけて、雪原を歩くイベントなんかを開いたらいいのになあ。早くマスターして、来季は山岳会でやってもいいな。「じゃあ、1つね」「あっと、もう1つ借りていこうかな。もしかしたら…てこともあるしね」「遭難しないようにねえ」「そんな所へ行かないもん」「どこへ行くの?」「飯縄山だよ」「あっ、あそこなら長靴でも行けるよ」「ええーっ、そんなー………………。上まで行くんだよ!」「あっ、そう。なら履いて行った方がいいかな」飯縄山へ登るのに何もスノーシュー履いていかなくてもと、何かバカにされた感じもするが。いいの、いいの。初めてのスノーシューで、多分1人で行くようになるんだから、つぼ足で歩いてもいい所の方が、いいの。(泣)(/O\)
2004年02月24日
コメント(3)
雪昨夜の大雨が、今日は雪に変わった。今朝は、裏の土尻川が、台風時のようなものすごい量と速さの濁流だった。ああ~、これで本格的な雪解けになっちゃうのかなあ。と思いきや、チラチラ雪が激しいぼたん雪に…。でも道路に積もるまでにはならなかった。春の雪だよねえ。神様、もう少し、雪を降らせてよ。もう少し雪解けを遅らせてよ。ふふーん、何故ならば…今度の日曜日、晴れれば、スノーシューを借りて、近くの飯縄山へ行ってみようと思っているんさぁ。村の公民館で、子ども用スノーシューと大人用のを購入したらしく、それを借りるつもりなんです。その前に雪がなくなっちゃあ、意味がない。だから、神様、私の願い、きいてよね。夫曰く「早く行かなくちゃ、熊が冬眠からさめるぞ」2月に冬眠からさめるとは思わないけど。もう一眠りしてもらうためにも、神様、もう一降りお願いね。いや、お願い致しまーす。
2004年02月23日
コメント(3)

なんだ、なんだ、この大雨は!山の雪が融けてしまうよ。もうちょっと待っててよ、ねえ。************先日の告別式の折、新宿から中央線に乗って東京駅へ行くつもりが、なぜか総武線に乗ってしまい、お茶の水駅で乗り換えた。(みんなは総武線を間違えたとういうけれど、駅の中の案内では中央線のオレンジ色がついていた。ただし、快速と各駅停車の違いはあったが。たまには各駅停車で行ってみようと思って乗ったはずだった)で、お茶の水駅で電車を待つ間、対岸に古風ゆかしき土壁が見えるのだ。東京医科歯科大学のビルの前面に。へえ、東京にもあんな素敵な土壁があるんだ。一体どこだろうと、ずっと思っていた。昨日の結婚式のあと泊めてもらった母方の叔父に話すと、「湯島聖堂」とのこと。前身は昌平坂学問所で、幕府による官制学問所だったところ。もちろん、今日、新幹線に乗る前に訪ねてみた。乗る電車を間違えた故に、訪ねられた場所だ。湯島天神と湯島聖堂。そして昌平坂を歩いて。私が見た土壁は聖堂を囲んでいた壁なのだ。湯島聖堂では、今でも孔子に関する講義が開かれ、また「三国志の読会」なんてのもメニューにあった。やっぱり思ってしまうのだ。たくさんのいろんな文化に接するには都会でないとだめだなあと。電車の中に張ってあった上智大学のオープン講座も魅力のある内容だったし…。湯島天神は紅白の梅が満開だった。トップページの梅は長野ではなく、その湯島の梅。黒い枝についた白梅が本当に素敵だった。ビルの谷間の小さなエリアに咲くたくさんの梅とものすごい数の絵馬。同じ梅が長野の自然の中に咲いていても、ここで見る程、人をうならせることはないだろうなと思う。やっぱり、京都の紅葉と北アルプスの紅葉との違いに通ずる。 200円を入れると、機械仕掛けの獅子が舞ってくれ、その後おみくじを口に加えて穴から出してくれる。そのかわいい獅子が出してくれたおみくじは「末吉」「一人旅・登山など、自分自身と向き合えることをすれば、気持ちにゆとりが出てくるでしょう」と書いてあった。1ヶ月に4回の東京行は、一人旅ではなかったけれど、良かったのかな?????憧れの夏みかんの木にも間近で会えたしね、ほら。
2004年02月22日
コメント(2)
従兄弟の結婚式。叔父は、歴史散歩での遺影で出席。仲人はおかず、友人たちが新郎新婦の良さを引き出す役目の披露宴。楽しくていいな。式が始まってすぐ、従兄弟が「始まる前に一言聞いてください」と前置きして話したこと。「父の葬儀から4日めの結婚式ということで、多くの人から延期はしないのかという問い合わせがあった。そのことも考えたけれど、彼女にとっても一生に一度の大切な場だということを考えると、やはり最初に決めた日取りで挙式をすることが、彼女への私の気持ちの表れにもなると考えた。また、誰よりも父がそのことを望んでいると、私は思います」そのとおりかもしれない。ね、おじちゃん。楽しく、にぎやかな披露宴の最後はこれも、司会者も花嫁にも伏せてあったという新郎の歌だった。「上を向いて歩こう」を新郎に続いて出席者みんなが大合唱して散会となったが、こんな楽しい披露宴もいいものだ。叔父の死だけが、心を覆っていたけれど、若い人の旅立ちに参加して、叔父の死が今までより辛くはなくなったような気がする。次の世代がきちんと続いている…命は受け継がれている…
2004年02月21日
コメント(0)
忘れてた、昨日2月19日は、弟の誕生日だった。命日ができると、誕生日はあまり関係なくなってくるけれど、それでもしつこく私は覚えていよう。と言いながらその実忘れてた…、ごめん。****************信濃毎日新聞(2/19)信毎女性セミナー『美しいということ』下重暁子さんの講演抜粋から1 万葉集の中で一番歌われている花は萩です。私が一番好きな花。死んだら萩で覆ってもらおうと決めていて花屋さんにも頼んであるんです。西行は満月のころ桜の花の下で死にたいと詠んでその通りに死んだ。自分がどう死にたいかというのはその人の美意識なんですよ。2 俳句には季語があって季節に敏感になる。日本人の美意識は季節感ですから。旅はぜひ一人で行って下さい。それか、一番仲の悪い人とね。そうでなければおしゃべりで何も目に入りませんよ。 どちらも「なるほどね~」1 は、そうなるにはどうしたらいいのかというのが問題点。ひたすら念じればいいのかなあ。2 一人旅もした、一人山行もした。一人で行けばグループが楽しそうに見え、グループで行けば一人者が羨ましく思えた。どうしようもないかなあ。 ただ、一番仲の悪い人とは絶対行きたくないよ、下重さん。 下重さんの話を10年程前に聞いた。NHKアナウンサーだったころの話の中で、1つ覚えていることがある。 彼女が入局した頃は、野際陽子さんがアナウンサーとして名実共に光っている頃。そんな野際さんを見ながら、彼女は担当する天気予報の5分間で、原稿を読むのが精一杯だった。でも、このままでは自分に目を向けてくれる人はいないと、5分の中から10秒を盗み、季節の変化がわかるその日のコメントを話すようになったという。それが後の彼女を生むスタートだったというわけだ。 努力と、人の気づかないものに共鳴するセンス。 大した努力もセンスもない私だけれど、この楽天日記を書くために、五感、いや六感をフル稼動していることは確かだ。最近はどうもアクセス数に気をとられがちだけれど、それは枝葉のこと。おっと、枝葉とは言えないか。下重さんも、10秒コメントで多くの人の共感を得たのだから。 まあ、見てくれる人はいると信じて、自分の感覚と表現を磨いていこう………ね。**************** 20日から21日はまたまた東京です。先日亡くなった叔父の次男が結婚します。叔父は写真での出席となる。●十年前に、私の結婚式に弟がそうしたように。
2004年02月20日
コメント(1)
2月19日木曜日 晴れ 2月は長野新幹線にたびたび乗って、とても驚いたことがある。それは「車内清掃のスーパー早技」だ。新幹線も早いから、車内清掃も早いというわけではないだろうが。観察場所は、東京駅。 まず、新幹線が到着する2~3分程前になると、ピンクやブルーの制服を来た男女(これも傾向があって、夕方は熟年世代が多く、早い時間帯ほど若い世代が多い)がホームに現われ定位置につく。列車が到着すると、深々と頭を下げて出迎える。お客さんの下車が住むと2車両に3~4人が乗り込み、清掃を始めるのだ。 チームによって手順は少し違っているように思えたが、共通していたことは、まず、ダストボックスの点検。ごみ袋の交換。あとは、掃き掃除の人、テーブルに何か挟まっていたり汚れていないかチェック。忘れものや雑誌・新聞はないか。最後に、座席の頭部部分にかけてあるカバーの点検。汚れたり、折れたりしているものは交換するようだ。多分、トイレや洗面所も掃除をしているのだろうが、その辺は見ることができなかった。 この間、約5分。清掃が終ると「お待たせ致しました。ドアが開きますので、前にお進みください」というアナウンスが入り、その後「業務放送、業務放送。乗車準備ができましたので、ドアを開けてください」と放送されて、私達が乗り込む。 結構きれいになっているんだよね。到着した車両を折返しで使い、到着から発車までが約10分から15分しかないから、当然おそうじもスピードアップしなければならない。 これを長野新幹線だけでも、1日約30回。結構な雇用対策になる…なんてそんなことまで考えた。 見なれてくると、いろいろ思いが飛び交う。 17日は、こんなにまでするほど日本人て清潔好きと言えるのかなあと思ってしまった。道路周辺に落ちているごみの山を思い出したから。道路のごみは、私の村だけでなく、近隣市町村でも見られるし、車窓から見た道路にも同じ光景があった。多分日本中、どこでも同じなのだろう。 新幹線の清潔さと、とても矛盾しているんだよね。清潔な所で過ごしたいけれど、自ら清潔にするのは嫌、苦手。 わからないよ、日本人の清潔感。
2004年02月19日
コメント(0)
2月18日 水曜日 晴れ 朝、モクモクとした真っ白さが朝日に映える鹿島槍ヶ岳から、かなりの量とかなりのスピードの雪煙がまいあがっていた。谷筋のここは無風だけれど、2800メートルの稜線の風はかなりなのだろう。 日本、辛勝。ロスタイムを2分残したところで。引き分けかなとあきらめかけていたのに、まさかの勝利。「ドーハの悲劇」の逆だよ、全く。何度も何度もシュートがはずれ、このチーム、勝ち運に恵まれていないのでは…なんて思ったけど、この勝利。強運のチームかもしれない。中田が言っていたように、ドイツへの道がどれほど厳しいか、身を持って理解できただろう。そういう意味で、初戦の相手がオマーンで良かったと思う。 まずは、やったー!!!!* * * * * * * * * 先日、小学生を持つ友人から見せてもらった。「新しい教員評価制度についてー中間とりまとめー」(長野県教員評価検討委員会)と題するA5サイズ12頁からなる小冊子。 学校教育をめぐるさまざまな問題を解決するには、「学校・家庭・地域の協力」と、「教員の資質向上」が必要。そして、教員の資質向上を図るために、新しい教員評価制度を作ろうとしている。その中間報告を保護者にも示すから、意見を募集する。 という内容のもの。 「学校の問題に保護者の意見が反映される」なんて、喜んでいていいのだろうか。昔あった勤務評定のぶり返し?不勉強で過去の勤務評定の中味がよくわからないのだが。すでに、東京都、神奈川県、広島県、香川県では本格実施、大阪府で試行実施、埼玉県は管理職で実施しているのだそうだ。長野県をはじめ、他の道府県でも検討組織を立ち上げている、と書かれている。実施されている県の様子を知りたい。1 教員は年度当初に自分の年間目標を設定し、自己申告をする。2 年度末までに、達成度、目標変更、新規目標などを適宜に自己申告。3 年度末に、自己評価をし、自己申告をする。 この途中途中で校長・教頭は、面談をし、その都度の自己申告を共通理解し、意思疎通を図り、支援をするのだという。もちろん、自己申告を元に管理職は年間を通して、教員一人ひとりの観察や情報収集を続ける。 その情報をどこから収集するかというと、「同僚、児童・生徒、保護者等」からだそうだ。4 評価結果は、個々の教員の自己啓発活動に生かしたり、適材適所で校務分掌などに反映。5 評価結果をどのように給与や処遇に反映させるかは、今後検討していく。 「共通理解・意思疎通」という言葉をふんだんに使ってはいるけれど、管理しやすい体制作りに見えてしまうのだ。 1.2.3については、学級で年度当初に子どもたちの目標を書いて、掲示するなんてのと同じだし、1年間かけて、目標と自分とを見つめなおしながら行きつ戻りつ。もっともこんなこと、個々では教員はみんなやっているよね。今さらという観もするけれど、4.5を読むに至って、「ああ、やっぱり平目先生が増えるう~」 今の学校教育のひずみは、こんな評価制度で教員をしばることで、解消できるものなのだろうか。今より一層戦々恐々とした教員を作り出すことにつながらないだろうか。 目に見える外敵から子どもを守るだけでなく、足元を侵しつつあるものにも、保護者も住民も気をつけていかなければいけないなあと、思っている。
2004年02月18日
コメント(1)
2月17日 東京:晴れ、長野:みぞれ昨日、叔父の通夜と告別式に出るために東京(正式には東京都ではないけれど、長野からすると、東京周辺は全て「東京」と言ってしまいます)へ。小田急線の成城学園を出て、多摩川の見えるあたりで、西(多分)の方に富士山が見えた。結構大きく(長野で見られる富士山の4倍くらいはある)、でもそんなに高いという感じではなく、夕陽に染まってほんのりピンク色のやさしい富士山だった。登戸で南武線に乗り換えるまで、ずっと富士山といっしょだった。鹿島槍ヶ岳が大好きな私でも、やっぱり富士山は嫌いではない。りんごの国育ちの私が、みかんの木を見るととってもうれしくなるのと同じくらいに、富士山を見るとやっぱりうれしくなる。通夜の席で従姉妹に話すと、「(彼女の住む)吉祥寺あたりでも、高い所に行くと見える」とのこと。へえー、結構東京近辺でも見えるんだと、その時は聞いていた。そして今日。告別式を終えて、帰路に着く。成城学園では夕陽を遮るためにブランケットを降ろしてあって、見られず。こんな冬の日の日光まで、都会の人は避けるのかと、いささか白けつつ新幹線に乗る。なんと上野駅を出てすぐに、左手に昨日よりは裾野を広く引いた富士山が見えるではないか。しかも、やっぱり夕陽でピンク色に染まっている。頭の中で、日本地図を開く。位置的にも富士山に間違いないだろう。上野駅から大宮駅まで、ずっとピンクの夕焼け富士を見つめていた。ずーっと、ずーっと前、叔父が寄宿していた芝の家の近く、愛宕山から富士山を見た記憶がある。春一番が吹いて、東京の上空も空気が澄んでいるのだろうか。このピンクの夕焼け富士を、風になった叔父も空を舞いながら見ているのだろうか。大宮駅を出てしばらくして、富士山は闇の中に消えていった。* * * * * * *告別式の最後に、叔母が読んだ詩。『千の風になって』私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 眠ってなんかいません千の風に千の風になってあの大きな空を吹きわたっています秋には光になって 畑にふりそそぐ冬はダイヤのように きらめく雪になる朝は鳥になって あなたを目覚めさせる夜は星になって あなたを見守る 私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 死んでなんかいません千の風に千の風になってあの大きな空を吹きわたっています 千の風に千の風になってあの大きな空を吹きわたっています あの大きな空を吹きわたっています * * * * * * *訳者・新井満さんのHP
2004年02月17日
コメント(3)
2月15日 大雪ちょっと古いニュースになるけれど。2月11日の新聞より。"薬害エイズの元帝京大学・安部英被告が「判断能力なし」で、公判停止"という見出しを見て、思わず、「ええーっ、どういうこと」と詳細を読む。昨年から持病の心臓病で入退院を繰り返すうちに、安部被告は、話し掛けてもほとんど反応がなくなり、専門医が「心神喪失の疑いがある」と診断したのだそうだ。刑事訴訟法では、被告が心神喪失の状態にあるときは、公判手続きを停止しなければならない」という規定があるのだという。「心神喪失」つまりは、痴呆だろう。高齢者になると入院するだけで痴呆になり、その症状も急速に進むというから、87才の安部被告にも当然考えられる症状だ。。 裁判の始まる前から、高いヒステリックな音声で「私に責任はない」と叫んでいたこの人。非過熱製剤を血友病患者に投与して「責任はない」で済まされるはずはなく、被害者からすれば、「心神喪失」での公判中止は泣くに泣けないだろう。「無」の中に逃げ込んでしまった安部被告。良心の呵責に堪えかねたとも思えるし、かつての医学界を牛耳った人の哀れな末路だとも思える。もちろんこの人の罪は大きいけれど、こんな人を生んだ今の日本の医学界の有り様を表わしているとも思える。第二、第三の安部さんは、まだまだ出てくるだろう。白い巨塔の内部は知る術もないけれど…今の医師たち、特に大学病院や大病院の医師たちは、本当に患者のためを思っての治療をしているのだろうか。「医は仁術」なんてことば、エリート意識丸出しの彼等は知っているのだろうか。医療関係者の姿勢に、改めて疑問を持っている。特に人の最期に立ち会う機会の多い、彼等、彼女らはもっと真摯であれ…
2004年02月15日
コメント(0)
2月14日 晴れそう言えば、もうずっと前、個々に記録はしていたけれど、「付き添い日記をつけた方が、引き継ぎもきちんといくよ」と教えてくれたのは、叔父だったっけなあ。そう言えば、父の何回目かの法事のときに「故人の思い出話を出し合おうよ」と提案してくれたのも、叔父だったっけなあ。私の実家○○家では、先ず跡取りともいうべき弟が亡くなり、次に叔父、父、叔父と亡くなって、直接家につながる男性は全て途切れてしまった……家というものの継続にさほど執着してはいなかった私にも、これはちょっと応えている…なにくそっ、嘆いてばかりの私じゃないぞ。* * * * * * * * 2月10日、1町2村による法定合併協議会が発足した。早速、広報や議会報にその写真が掲載された。3首長が握手をしているもの、3首長と3議会議長の6人で肩を組んでいるもの…。カメラに向かってにこにこ笑っている人もいれば、苦虫を噛み潰したような人もいる。わが村のお2人はどちらかというと、後者に見える。3つの自治体ともに、アンケート結果では西山での合併反対者が上回った。それをいずれも「村や議会に任せる」の項目に◯をした人を合併賛成に上積みして、成立した法定協である。来年3月の合併を目処に協議を進め、最後にもう一度住民の意見を何らかの形で把握すると言っているが、レールに乗ったままで景色を見ているような民意の把握ならしなくてもいい。
2004年02月14日
コメント(0)
今日、9日に叔父が叔母の代筆で書いてくれたはがきが届きました。
2004年02月12日
コメント(1)
叔父の病院には9時少し前に入りました。1日に会った時の叔父とは様変わりしていました。酸素マスクをつけて、呼吸は苦しそうでした。見ている間に、酸素吸入量も減り、脈拍も減り…昇圧剤を入れてから、呼吸が楽になり吸入量も95を超えてきました。表情もとっても柔らかくなりました。でも、はっきりとした意志があるのかどうかはよくわかりません。従兄弟2人と私と母と、4人でいろんな話をしていると、叔父の表情はさらに優しくなります。腰を痛めている叔母、従兄弟(長男)の家族も加わって特に小学生の孫たちの声には敏感に反応しているように見える叔父です。午後長男の従兄弟夫婦が帰り、叔母が休むために帰り看護婦さんのはからいで、次男の従兄弟が泊まることになりました。ちょっと脈拍が減ってきていて、でも従兄弟がつくなら、変化があれば早く気づくだろうと私達も後ろ髪をひかれるような思いで、病院を出ました。叔父に「また来るからね」と話しかけると、もちろん反応はないのですが、「もう少しいてよ」そう言っているような気がしました。長野に着いたのは8時。雪がちらつきはじめていました。夜、11時55分。「息を引き取った」という電話が、従兄弟から入りました。
2004年02月11日
コメント(0)
夜10時30分、パソコンの前に座って、日記を書こうとしているとき、従兄弟から電話が入りました。「父の容態が変わり、医師からも会わせる人がいるなら連絡を、と言われた」11日の始発の新幹線で行くことを決め、用意をして夜11時に実家に車で向かいました。実家からは始発の新幹線に接続する朝の電車はないのです。間に合ってほしい…それだけでした。
2004年02月10日
コメント(0)

2月9日 雪合併に続いて村を二分した「旧長野県知事公舎」の復元がここまで進みました。 突然降って湧いたような知事公舎移築問題については過日の日記に何度も書いているので、ここには書きません。どんな反対の雨・嵐が吹いても、着々と復元は進んでいます。 また、公舎の横に建設される資料館なるものを含めた「利活用検討委員会」も各種団体代表と行政側からの指名という全く旧来の方法で出てきた委員構成で何度か行われました。そして今は、数社から設計図が出されて検討されているようです。 「設計業者の指定が、村の意図のもとで選定されている」 「土地交渉がうまくいかないまま建設を開始した」 などなどの声がまたまた巷に流れ始めているのだそうです… 私も知事公舎移築には絶対反対でした。今だってもやもやは消えていません。でも、2億円もかけて造るなら、それなりに文化財になり得るもの、小川の文化を熟成できるものを造りたい。でなければ、それこそ全く無駄な投資になってしまうから。 なのに、この段階になっても、「造るならば村民の声を吸い上げて、より良いものを造り、子孫に誇って伝えられる文化財にしたい」という姿勢に、村は、村長はならないらしい。今まで連綿と続いてきた方法を踏襲しないで、みんなでワイワイガヤガヤ、喧々諤々とやってみてもいいんじゃないだろうか。 もしかしたら、「村民の声を吸い上げる」ってどういうことで、どうすればいいのか、知らないのかもしれない。 逆に、吸い上げてほしい声を持っていない人が多すぎるのかもしれない。だから「合併するかしないかは、村や議会に任せる」なんてアンケート項目を作り、またそんな答えに◯をつける人が3割近くもいるんだ。(こだわってますね…ハイ) 知事公舎の問題に関しても、村の姿勢だけでなく、やっぱり自分たちの生き方が関係してくるんだ。考えの堂々回りだよ、これでは。 知事公舎はどんどん出来上がっていきます。 それを使いこなすはずの人間側は、同じところで足踏みしています。 間に合わなくなりますね、復元時期に。
2004年02月09日
コメント(0)

春の音、聞こえるよ軒先からつんつんと垂れていたつららたち透明になって、雫が垂れだした透明な体を通して 青空が見えるまだ真っ白な雪の山が見えるでも滴り落ちる水滴はもう春の足音だ* * * * * *myお味噌仕込み終了1 大豆を煮る朝7時から大豆を巨大ガス釜で煮る。昨日から水に浸しておいた大豆は大きくふっくらと水を含んで、つやつやつや。焦がさないように、地獄の釜をかき回す鬼の如く、大きなしゃもじでかき回す。 約1時間40分煮込み、指でつぶせるくらいになったら、あとは20分蒸らす。次に豆をひきつぶし、熱をさまして人肌に。あまい大豆の香りについつい口に入れてしまう。甘いんだ、何の味付けもしてないのに、おいしい。2 大豆・麹・塩を混ぜるとまあ、試食ばかりしていないで、昨日できて冷やしておいた麹と粗塩を入れて、さっくり混ぜ合わせる。それを、今度は撹拌機でまぜる。3 仕込み次が本日のメーンイベントで、まぜた味噌の元(?)をソフトボールの玉くらいに軽く丸める。そして、味噌桶の中を目指して、思いっきり叩き付けるのだ。普段のストレスを解消すべく思いっきり。頭の中に○○をイメージする、ムラムラ…パチーン! パーン!「なかなかいい音じゃない!」と友人夫婦にほめられる。「そりゃそうよ、ストレスの量が違うもん」でも、やっぱり男性の投げる音とは雲泥の差だった。なぜ、そんなことするかって?味噌の中から空気を追い出すためなんだって。だから思いきり叩き込んで、そのあとまだ全体重をかけて味噌を押し込む。この叩き付けと押し込むのが、味噌作りの工程の中で一番疲れた。ストレス解消はしたけれど、腰も腕も痛いよ。で、仕込んだ味噌は次の写真(白いのは振り塩)。 おいしい味噌になあれ…* * * * * *関西学院大学ワンゲル山スキーの縦走で14人、救助要請。明日は天気が良くなりそうだから、それまでがんばって…みんな無事に帰っておいで。必ず…
2004年02月08日
コメント(3)

2月7日(土)雪朝、麹のできを見に行く。工場に入ったとたんにあの「甘酒」の芳香。機械をあけて見ると、米は白い麹に変身して、至るところに麹の花が咲いている。友人曰く「近年にないいい出来だよ」私「ふふふ、寒仕込みだからかな。それとも私が入ったからかな…」いや、今年から機械が新しくなったんだって。その影響が一番あるかな。でも、友人の満足度を見ていると、かなりいい出来のようでとってもうれしい。さあ、明日が本番。大豆と麹をまぜる大作業が待っている。 できあがった麹を冷ますために、筋を作って空気を入れているところ。* * * * * * * *「フセイン大統領が捕まっていないからといって、大統領が存在しないわけじゃない」こんな発言を小泉首相がしたらしい。イラクの大量破壊兵器が見つからないことに対する質問への答えだそうだ。「大量破壊兵器が見つかっていないからといって、兵器がないわけじゃない」と言いたいのだろう。オウム真理教に「ああいえば上祐」と言われた人がいたけれど、小泉さんも相当なものだ。彼の頭の中の思考回路は、客観性というものを全てシャットアウトし、自分の都合のいいデータだけをインプットしているのだろう。彼のしたこと、言ったことを思うと、歴代の自民党の首相はかわいくさえ見えてくる。(ムラムラ…)そしてブッシュ大統領。ロシアでの爆発事故に、早速「遺憾の意」を表わし、続けて「テロに対して攻撃を」てなことを言っている。イラクに派兵しないロシアへのプレッシャーともとれる。日米安保を維持している日米両国のトップは、世界の右傾化のために、今存在しているのかもしれないな。
2004年02月07日
コメント(5)

2月6日(金)雪のちくもり朝、昨日から寝せておいた麹の様子を見に行く。機械の蓋をあけると、すぐに、ぷーんと甘酒の匂いがしてきた。私の記憶の中では、味噌作りと甘酒はセットになっている。なぜセットなのかは、今日やっとわかった。昔、昔、ほとんどの家でまだ味噌を作っていたころ、この麹を少しいただいて、子どもたちのために甘酒を作った。それが私の頭にインプットされたというわけだ。私達の麹も、友人の話によると「とても出来がいい」そうだ。「さすが寒仕込み」と2人で喜んだ。出来のいい麹たちをさらに優秀なものにするために、上下をひっくり返したりして、固まりをほぐす。午後もう1回、同じ作業をした。それが次の写真。昨日の米に麹を混ぜていたときのものと比べて見て!違いがわかるから。 ねっ、さらさらの麹に見えるでしょ。(^o^)(^o^)(^o^)
2004年02月06日
コメント(2)

生まれて初めてのみそ作りに挑戦。 友人の家で採れた米と大豆を分けていただいて、教えてもらいながらみそ作り。友人の土俵の上で、私はいい思いをさせてもらっているのだ。全行程は4日間。そのうち、初日が半日、2日目と3日目は、約30分から1時間、最終日は朝から午後3時くらいまでのほぼ1日。 村にあるみそ作りのための工場を借りてやるのだが、近年使用者が増えて、くじ引きで使用日を決める。毎月上旬は特別忙しいから外してほしいと頼んであったのだが、くじ引きでは仕方なく、何とかやりくりつけて、今日の半日は終えた。仕事先のNさんにも理解と協力をしてもらって…ありがとね。あとは、もちろん夫にも、半分おどしをかけて協力要請だ。今日したこと「麹を作る」1 昨日朝6時から、洗って水に浸しておいた米(15キロ)を、今朝6時に水きりし、8時30分にみそ工場へ。2 米を大きな蒸し器で1時間蒸す。3つの鍋に2軒分30キロを均等に分けて蒸し器へ。途中で一番目と一番下のを入れ替える(天地がえって言うんだって)。********ここでしばし休憩のお茶っこ。これまた友人が用意してくれたコーヒーとおいものケーキと漬け物で。こういう時間が結構楽しいんだよね。********3 蒸し上がった米をむしろの上にあけて、さます。 大きなしゃもじで、米の固まりをくずしながら、風を入れる。夏ならば扇風機で風を送るのだが、この厳冬期、ドアをあければマイナスの空気がさあーッと入ってくる。米の間に手を入れて熱くなければ、それが人肌ほぼ40℃だそうだ。 4 種麹を入れる。米とまぜる時に、下に敷いたむしろにこすりつけて米に傷をつける。その方が麹菌が入りやすくなり、いい麹になるんだって。 これが結構力のいる作業で、端から端までやるのに手首が痛くなり、汗が浮かんでくる。この厳冬期に。 さすが、友人のYさんは8回めのベテランだけあって、上手に速く混ぜていく。 混ぜ終ったら、端から米をひっくり返しながら1往復。米の下に「もみ」がたくさん落ちていて、洗った時はこんなになかったよなあと思いきや、「それ、麹だよ。米と混ざってないから残っているんだよ。その辺もう1回混ぜよう」 そういえば、決して「もみ」には見えないよ。 こんな半人前の私のくせにデジカメ出したりで…… 蒸し器からおろして約30分でこの作業が終る。5 消毒した麹器をセットして、大きな袋に米を入れる。その米の中にセンサーを入れて36℃にセットしてふたをする。 ここまでが1日めだ。あらかじめ、作り方を書いた説明書をもらってはいたが、読んでもイメージがわかず、やってみて初めて納得。みそ作りの一番人気の季節は4~5月。私達はヤムなくこの時期になったけれど、お酒だって「寒仕込み」の方が味がいい。だから、味噌だって、絶対おいしくなるとYさんの夫君が言ったそうだ。そうなら、ほんとにいいな。 明日、いい麹ができていますように。 そしておいしいmyお味噌ができますように。 だってみんなに宣伝しちゃったんだもん。 「私、今年味噌作りに挑戦するの。できたらお裾分けするからね」
2004年02月05日
コメント(1)
立春朝2~3?の積雪。竹ぼうきでサッサッサッとはく。京都の庭園のようにはいかないが、竹ぼうきの筋がきれいに見えた。* * * * * * * *ちょっと古いがニュースを2題。1 1月31日、声優の加藤道子さんが亡くなった。84歳だったという。 「日曜名作座」、実家から帰りの道すがら、よく車の中で聞いてきた。森繁久弥さんと加藤さんの2人でさまざまな役を演ずるラジオドラマ。多分2人とも同じような年齢で、早口のせりふなどは、ちょっと舌が回っていないかなあなんて感じもあった。全体にゆったりした話術で、いつの間にかドラマの中に引き込まれてしまう。加藤さんの声の方が森繁さんよりは若く聞こえ、娘の役などもやっていらした。 「日曜名作座」が始まったのは、1957年だそうだ。もう45年以上の長寿番組。ストック分でしばらくは続けるそうだが、そのあとはどうなるのだろうか。* * * * * * * *2 2月3日は「グーテンベルクの日」。三大発明の一つと言われる「活版印刷」を発明したグーテンベルクの亡くなった日を記念したのだそうだ。 印刷業を営む我が社とは切っても切れない縁にもかかわらず、全く知らなかった、そんな日があるのを。ごめんなさい、グーテンベルクさん。 活版印刷……懐かしいなあ。我が社にも私が嫁いできた頃はまだ活字があった。今はすべてコンピューターの時代で、速さ、きれいさ、低価格化などはダントツに進んだが、訂正が簡単にできるようになったために、「考えて書く」「考えて割り付ける」きちんと「字数を数えて」なんてことを、全くしてない原稿の持ち込みが多くなった。 ある意味ではものすごくいいかげんになったとも言える。とにかく書いてみて、とにかく撮ってみて、あとは、とにかく印刷屋さんに任せよう…てな具合。で、こちらもとりあえず、画面に流し込んでみる。 活版印刷が主流の頃は、流し込んだ(活字に組んだ)時点で、ほぼ体裁は決まる。あとは文字訂正が少しできる程度。ところが、今は、流し込んだところから版作りはスタートし、移動、差し換え、切り取り、張り付けと、何でも自由に、何度も続く。 まあ、活字に組む作業をそばで見ていた経験があるから、「考えてない」と感じるのであって、最初からパソコンで育った人は、簡単に変えられるのは当たり前と思っているのかもしれないな。ただし、それは人が考えてやるのでなく、パソコンが考えてやっている仕事だぞ。 ここ20年間のものすごい変化。これは、印刷だけでなく各方面に言えるけど、パソコンはじめ、機械が緻密・精巧になるのに反比例して、人間の緻密さは減っているように思う。 かく言う私もその「とにかく…」組であることは間違いない。日記を書くにも、手紙を書くにも、もちろんレポートを書くにも、パソコンの画面の前に行かないと、出てこないという始末だから。何も浮かばないときは、なんでも良いからとにかく入力してみる。それをいじっているうちに、結構文章ができてしまう…。 だから、この日記のようにだらだらとなってしまうんだよね。やめた、今日は。* * * * * * * *自衛隊のイラク派兵は、アメリカの「大量破壊兵器がイラクにある」という主張だけで判断したのではないと小泉さん。あらためて思う「この人って、ものすごく危険な人ではないだろうか」と。
2004年02月04日
コメント(0)
外はまた雪が降り出した。雪の節分…子どもがいなくなってから、「鬼はあ~そとぉー」なんてやらなくなった。ところで、「鬼は外」と「福は内」のどちらを先に言いますか。ここでは、「鬼は外」を3回程言いながら、豆を外に向かって投げます。続いて部屋の中に向かって同じように豆を投げながら「福は内」を同じ回数だけ叫びます。福の神に向って豆を投げ付けていいのかなあと、小さい頃は思いました。その気持は今も解決したわけではありません。順序が逆の地方もあるようです。実家の方は前者、つまりここと同じでしたね。節分の夜に食べるもの、とろろ汁です。普段でも食べるのですが、この日だけは、すり鉢で長いもをさらにきめこまかくすり、だし汁をいれながら、すりこぎで「ぐるぐる」とすり回すのです。このやり方は実家の方のもので、小川ではそんなことしなかったそうです。でも、私は実家方式を踏襲。白馬の方でもすり鉢ですることをやるそうですね。きざみノリを浮かして、そのままでも良し、ご飯にかけても良し、ぶつぎりのお刺身にかけても良し。**********夕方、N村の議会報が校了になったのでフィルムにしようとしているのですが、カラーのイエローでエラーが出ています。20時に作業を始めたのに、今だに出せないでいます。今、午前0時になろうとしています。外を見たら、雪の降りがひどくなってきました。この分では明日、また雪かきかな。3~4日の暖かい日は終ったようです。明日は立春だというのにねえ。***********さて、このフィルム出力、どうしよう…ウー、アー、ンーン
2004年02月03日
コメント(1)
病室に入ったら、叔父は一瞬誰が来たのかわからないようだった。確実に見舞いに行けるかどうかわからなかったから、叔母と相談して伏せておいたのだ。まんまるい目をして見つめ、「おー」というような丸い口をあけた。ふるさとの大雪の写真を見せたり、「温泉まんじゅう」や「干し柿」…。叔父の俳句や短文の載った本…聞こえても聞こえなくても、気持はつながるお昼胸にタオルをかけ、ごはんをこぼしながらも、一口一口よくかんで…食べないと体力は回復しない、そんな強い意志がのぞく医師の説明では結核菌は見つかっていないはずなのに、個室から出てはいけないってたまった汚れ物を、病院の洗濯機で洗ってはいけないって狭い病室を杖をつきながら、摺り足で往復して、足の筋肉がなえないようにってうしろで支えなくては多分これも無理…昼寝している間、叔父の手が空をつかむ何を?4時間の長時間滞在は、長過ぎたかなと思いつつでも別れがたくて「また来るね」ベッドの中から手を出して、母と私の手を握る**********人はなぜ老いるのだろう病気と闘うということは、人間の尊厳を奪い取られることへの闘いではないだろうか人間としての尊厳を持ち続けながら生きるために、医療と介護を確立してほしい延命でなく過去追はぬことに徹して帰り花○○区にパーキンソン患者会作りたい(叔父作)
2004年02月02日
コメント(0)
全26件 (26件中 1-26件目)
1


