全17件 (17件中 1-17件目)
1
東武日光駅に降り立ったのはいいものの、まずどうしたらいいのか分からなくなってしまった私。地図を見るのに苦労したのだ。「せっかく日光に来たんだから、東照宮でも見に行こう」という気持ちだったのだ。 しかも見通しが甘く、お金が全然足りなかった(後に郵便局で金を下ろしたが)。仕方なく私は、ずっと国道119号線を歩くことにした。まあ徒歩での移動も、町並みが見れて乙なものだが。 日光駅から西へ歩いて約20分。地図によれば1.7キロも移動したところに見えてきたのが、日光金谷ホテルと神橋。特に神橋は8年前に来たときは大修理の真っ最中だったため、完全に見たのは初めてだった。ここら辺は8年前とあまり変わっていない。近くのベンチで軽い昼食のデニッシュパンとお茶を口にし、二社一寺へ。 急な階段と斜面が続く道を上がっていくと、輪王寺への入り口にぶつかった。その後、二社一寺共通拝観券(1000円)を購入し、日光山輪王寺の三仏堂へ。三仏堂は文字通り、3人の仏様がいる建物である。千手観音(沢山の願い事を叶えてくれる神様)、阿弥陀如来(亡くなった人を極楽浄土へ導く神様)、馬頭観音(交通安全の神様)だ。そしてこの寺は十二支の神様が全員いる、数少ない場所だ。(続く) ここでお祈りをした後、お待ちかねの東照宮へ。さすがにたくさんの人で賑わっている。本尊でお祈りをした後、鳴竜がいる薬師堂へ。「静かにしないと鳴竜の鳴き声が聞けません」という注意書きが…。薬師堂本体は修理中だった。大勢の人が入ってきたが、静粛にして鳴竜の鳴き声を聞く。「キーン!!」という音の後に、鈴が鳴るような音がするが、それが鳴竜の鳴き声だ。ちなみにこの鳴き声、頭の上の角から発せられるという。 久しぶりに来た東照宮だが、改めて「そうなんだ!」と思うような面白いことがいっぱいあった。(続く)
Apr 30, 2006
コメント(0)
いよいよゴールデンウィークに突入。5月7日までの9連休も期待できるからすごいものだ。しかし我が家では現在、家族そろって旅行に行く気力は全くないので、私個人が旅に出かけることになった。 行き先は日光。前回行ったのが’98年の夏休みの林間学校の時だ。当時小学6年生だった私は、約150人の仲間とともに浅草駅から貸切電車(6050系)で日光に行った。北千住から先は日光までノンストップだったので、ある意味味気なく?感じたこともあった。そのときは日光二社一寺の他に戦場が原、中禅寺湖に行ったりした。 前置きが長くなってしまったが、ここから本題に入りたいと思う。 朝8:10に自宅を出発。順当に北千住に向かう。北千住から9:21発の快速列車(日光&会津田島行)に乗車するものの、ホームには快速を待つ人が長蛇の列を作っている。「安く行こう」とみんな同じことを考えてるのだろうか。 余談になるが、快速列車の大半は3月18日の白紙ダイヤ改正の結果、東武動物公園から各駅に止まる区間快速に変更されてしまい、日光・鬼怒川に安く行くには非常に不都合なダイヤ編成になってしまった。しかしながら朝夕に限り、従来の快速列車が残っていることが、せめてもの救いだ。 そして快速用の6050系による、快速・日光&会津田島行が6両編成で到着。前2両が日光行き、真ん中の2両が会津田島行き、そして後ろ2両が新藤原止まりである。 とにかく乗客が多いためにボックス式クロスシートは当然満席、立ち客が出てラッシュ並みの混雑となった。私はこのまま日光までの2時間、座ることができなかった。 北千住を出発すると、春日部、東武動物公園、板倉東洋大前、新大平下、栃木、新栃木、新鹿沼、下今市の順に止まる。下今市から先、日光行はノンストップ、鬼怒川方面・会津田島行は各駅に止まる。とにかく無停車区間が長く、次の停車駅まで15~20分は当たり前だった。 しかも前述のように大混雑だったため、圧迫感があった。どこかの学生さんの団体が乗っていたが、その団体は栃木で降りた。新栃木を過ぎたら圧迫感はなくなり、車内を移動できる余裕が生まれたくらいだ。車内はGWに入ったためか、ほとんどが観光客だった。下今市で日光方面と鬼怒川方面に分割されるため、長時間停車。鬼怒川方面行も結構な乗車率だった。その間に分割準備が完了し、11:08に下今市を出発。終点の日光まであともう一息だ。 そして北千住から約2時間、11:15に終点・東武日光に到着。私にとっては8年ぶりの日光訪問である。町に出る前に帰りの列車をチェック。「ほぼ満席」という表示があったので、帰りの乗車列車である「特急スペーシア・きぬ124号・浅草行」のチケットを買う。それと同時に日光観光マップと昼食であるデニッシュパンを購入。準備は整った。(続く)
Apr 29, 2006
コメント(0)
小泉さんが首相に就任したのが、5年前の今日だった。それ以前に「神の国発言」などでマスコミや国民から大ひんしゅくを買った森さんに代わっての登板だった。 自民党総裁選で圧勝し、そのまま新首相に就任。「聖域なき構造改革」を唱え、主として特殊法人の統廃合・民営化に取り組んだ。当初は私も含め、多くの国民は小泉さんを支持した。支持率は80%をゆうに超えていた。それは前任者の森さんの時の反動が大きかったのだろう。 しかし外交政策というジャンルで見てみると、現時点で及第点を与えることは到底できない。5年前に小泉さんが靖国神社に参拝してから、その問題がクローズアップされるようになった。私が靖国神社の正体を知ったのは、ほんの1年前だ。私も当初は(正体を知らずに)「靖国神社に行って何が悪い!」と思うようになった。 しかし靖国の正体が分かった現在では、私は小泉さんの靖国参拝に反対している。A級戦犯が祭られている限り、私は断固として反対する。5年前に比べて中国、韓国との関係がかなり悪くなった。経済発展を続ける中国。ヨン様ブームで日本からも多くの観光客が来るようになった韓国。仲が悪いようでは危うい。 小泉さんのままではダメだ。靖国参拝を明言している安倍さんも同様だ。それに部外者になるが、靖国に参拝している民主党議員も大喝だ。自民党と民主党の違いがますます分からなくなってくる。 3ヶ月前にもこのブログで書いた通り、福田さんや二階さんという靖国参拝に批判的な人が次の自民党総裁&新首相になるべきだ。 そして前述の特殊法人改革、特に郵政民営化、道路公団民営化といった成果はこの先見ていかないと分からない。政府系金融機関の統廃合・民営化にも注目だ。無駄を省けるかどうかに期待している。 自民党総裁選挙まであと5ヶ月。5ヶ月後の総裁選挙の結果で日本の進む道が決まる!
Apr 26, 2006
コメント(1)
最近、航空時刻表を見てよく思うのだが、いわゆる新規航空4社はいずれも羽田空港をベースにしている。まとめて見ると、 スカイマーク:羽田~札幌・神戸・福岡・那覇(予定) エアドゥ:羽田~札幌・函館・旭川・女満別 スカイネットアジア:羽田~長崎・熊本・宮崎 スターフライヤー:羽田~北九州 となる。 しかし現在の羽田空港は滑走路が2つしかなく(厳密には3本あるが、1本は全く使われていない)、大混雑で過密ダイヤの状態だ。これでは簡単に増発できる訳がない。まあ'09年になると新しい滑走路ができるそうだが、それでも3年待つことになってしまう。 しかしよく考えて見ていただきたい。需要があるのは羽田だけだろうか?大阪、名古屋にも需要があるのでは、と思う。かつて、スカイマークでは伊丹空港を第2のベースにしていて、伊丹~札幌線、伊丹~福岡線を運航していた。関西から九州へ出かける時に使う交通手段は飛行機か新幹線かがあるが、利用比率が飛行機:新幹線で84:16。要するに飛行機のシェアが圧倒的に大きいのだ。これは十分に活用できる! 私は新規航空会社に対して、大阪(伊丹・関空・神戸)を第2のベースとして活用することを提案する。 例えばエアドゥは大阪~札幌線を開設することで、東京からだけでなく、関西からの需要も期待できるし、そこから北海道へ行くのなら飛行機が1番と考えられ得るからだ。 スカイネットアジアも、大阪~宮崎線を運航するのも有益だと考えられる。もちろん長崎・熊本へ飛ばすのもいい。新たな乗客発掘につながるのではないか。 一番新しいスターフライヤーも、その上質の機内デザインを武器に積極展開すべきだ。特に大阪~北九州では新幹線と競合する。新幹線よりも速くて、上質な空間だったら凄い競争になる。 しかしスカイマークだけは、この提案を聞き入れてくれないだろう。過去にもこのブログで紹介した通り(2月8日の日記を参照)、同社は利益優先主義に走っているからだ。「短い間での路線再編は終わりにしてもらいたい」と書いてあるとおり、まずは今の路線図を確定させるべきだ。 簡単だったが私の提案は以上だ。羽田一辺倒だと危険だ。エアドゥが数年前に破綻した理由は羽田~札幌線だけという一極集中型だった。株式運用でいう分散投資と同じように、大阪、名古屋という東京以外の大都市にもベースを分散して、新しい需要を発掘するべきだ。
Apr 23, 2006
コメント(0)
セ・リーグにはパ・リーグと違って、予告先発や指名打者というルールがない。これは周知の事実である。まあ、野球本来の楽しみを味わうことができるという意味ではいいのではないか。 しかし、セ・リーグよりもパ・リーグの試合を多く見ている私にとっては、指名打者というルールは使いやすいのではないか。打撃には定評があるけど、守備には弱い選手は指名打者で活躍できて、ブレークする可能性もある。投手もピッチングに専念できて、自らのバッティングという余計なことに悩まされずにすむ。全て指名打者に任せればいいのだから。 セ・リーグの悪い点はここだ。特に去年の巨人とかを考えれば、もし指名打者のルールがあったら江藤(現・西武)や若手選手を積極的に起用することができたのではないか。 それに予告先発。セ・リーグでは「今日の試合の先発予想」と出るが、これでは信用できない人もいるのではないか。パ・リーグのように予告先発を導入すれば、「ああ、今日はこの人が投げるんだ」とみんな(特にファン)にも分かる、いい制度ではないのだろうか。 去年、ある阪神ファンが自身のブログでこういう意見を書いた。「球場に出かけて今日の先発は誰だろう、とみんなで予想するのもひとつの楽しみじゃないのだろうか。よって自分は予告先発に反対である。」 確かにこういう側面もある。でもチームにとっても、次回の相手投手が分かることで、戦略が立てやすくなるのではないか。 まさに予告先発や指名打者は、活用できるルールだ。
Apr 22, 2006
コメント(0)
すっかり忘れていたことなのだが、明日をもって北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線が廃止されるということ。多くの鉄道ファンはこの長大路線の廃線を惜しんでいるようだ。 しかし私も同じ鉄道ファンだが、ふるさと銀河線の廃止は当然のことだと思う。無駄に長く、需要がなさすぎるのだ。駅の周辺には何もない所が多い。しかも1~2時間毎に単行のディーゼルカーがトコトコ走ってるというから…。 私は自分のことを、現実的な鉄道ファンだと考えている。需要のない路線の(廃止も含めた)合理化には賛成だし、某大手私鉄の速達列車が需要のある駅に停車しない場合には、「停車すべきだ!」とも考える。 とあるサイトで、鉄道マニア度というのがやっていたが、私の結果は「別に鉄道ファンでなくてもいいような気がします」とのこと。そういう鉄道ファンになったのだ、私は。 北海道のローカル線については今年1月15日の日記を参照。
Apr 20, 2006
コメント(0)
去年末、武部さんが国民参加型の自民党総裁選挙構想を打ち出したことは、記憶に新しい。自民党総裁=日本の首相だから、事実上の首相公選制であるという意見もある。しかし逆に言えば、これは自民党だからこそできるものではないのだろうか? 私は国民参加型に賛成だ。少し大統領的な性格ができあがるものの、国民自身が一国のリーダーを選ぶということは、かなり民主的なことだと思う。しかし問題は「どういう形で国民参加型にするか?」である。アメリカみたいに国民投票にかけられるのか、それとも一般国民と自民党の国会議員の両方が参加する形になるのか。 私の考えとしては、47都道府県に2票ずつ与え、一番票を多く獲得した候補と2番目に多く獲得した候補が勝ち残るという方式がいい。 しかし反対派からは「党員や国会議員の投票はどうなるのか」という批判が出てくる。ある極端な人は「国会議員は必要ないと言ってるのと同じ」とか「(将来的な)外国人参政権の容認」と言っている。 実現にはまだ時間がかかりそうだ。そして可能性によっては、国民参加型構想自体が立ち消えになるかもしれない。この構想の早期具体化を望む。総裁選本番まであと5ヶ月しかない。
Apr 18, 2006
コメント(0)
私は産経新聞が嫌いだ。親米保守という小泉さんの性格に似ているし、さらにその小泉さんの靖国参拝に明確に賛成しているからだ。中韓、北朝鮮にきびしく、アメリカに甘い産経新聞。まさに極右新聞だ。 全国紙では唯一、戦後からの参入なので「戦争は知らない。だから被害者意識の強い中国、韓国を徹底的に批判する」という思いになるのは当然のことか。朝日新聞、毎日新聞とは正反対だ。中韓両国民が産経新聞に怒るのは当然のことだ。歴史教科書問題の時に、サイバー攻撃の対象になったこともある。 さらに広島市の市長が毎年8月6日(つまり原爆が投下された日)に発表する平和宣言を厳しく批判する。産経新聞は「非核宣言といいつつも、なぜ北朝鮮の核問題には触れず、アメリカだけに矛先を向けたのか」と疑問視する。これも私の考えには当てはまらない。アメリカは世界一の軍事大国、核保有国なのだから、広島市長がアメリカの核保有を批判するのは当たり前だ。産経新聞はこの他にも、アメリカを擁護するような記事を掲載したことがある。 それに産経は朝日も徹底的に批判する。社説やコラム(産経抄)でも「寒いといえば、先日の朝日新聞の社説だ。」とか、「日本のとある新聞(朝日)は、実際には会ってないのに県知事のインタビュー記事を掲載した」とか。もう産経を読むと気分が悪くなる。 こうして考えると、改めて私は中国、韓国に友好的な朝日新聞の愛読者であることを誇りに思う。産経新聞は被害者の心情を分かろうとしないのだから。産経新聞を読む人の気が知れない。読む人もまた右翼に傾倒しているのか。 あんな右翼新聞なんか、私は絶対に買いません。中国、韓国に批判的ではこの先、やっていけないから。
Apr 16, 2006
コメント(1)
開幕から苦戦が続く楽天イーグルス。今日(14日)の試合が終わって4勝12敗。いくらなんでもしっかりしてほしい。その4勝の内、3勝が一場による勝利。エースの岩隈が不在のなか、よく頑張ってくれていると思う。これでロッテみたいに、複数エース体制を確立してほしい。 しかし昨シーズン終了後から「ほんとに地域密着を目指してきたのか?」という疑問を隠すことができなくなったように思う。有名な例では3年契約だった田尾監督をたった1年で解任したこと。これに楽天ファンはもちろん、ロッテやホークスといった他球団ファンにも解任を疑問視する人がいた。仙台では解任に反対する署名活動も行われた。まさにファンの反対を押し切っての監督交代である。 1年で強くなることは絶対にあり得ないし、「3年間任せた!」というのなら3年間任せるべきだと思う。ファンの反対を押し切ってまで監督を交代させたのならば、反対したファンが納得いくような成績を残す義務があるのではないか(たとえばプレーオフ進出とか)。 去年、とある野球雑誌に「楽天イーグルス、日本一への5ヵ年計画」という記事があった。’05年からの5年間はFA選手をバンバン獲得して、日本一を目指す、という筋書きだ。当然、選手の育成も重要だ。去年からの3年間は選手の育成に重点を置くべきだ。具体的な年度別の目標を下に挙げてみた。 ’05年度:年間100敗阻止(達成済み) ’06年度:勝率5割 ’07年度:プレーオフ進出 ’08年度:日本一 ’09年度:アジアシリーズ優勝 このような具体的な、計画的な目標ならば選手も監督も、無理なく調整ができるのではないだろうか? そしてもうひとつの問題が、主催試合開催についての問題だ。「東北6県を活動領域にしたい」といってるものの、主催試合は仙台(フルキャスト・スタジアム宮城)に集中している。これでは何のために「東北楽天ゴールデンイーグルス」というチーム名にしたのか?有名無実化されているではないか。どうしても仙台中心にやっていきたい、というのならば「仙台イーグルス」にチーム名を変更してもいいはずだ(ついでにJリーグに倣って、企業名を外す)。 これも私なりの案だが、できるだけ東北6県に主催試合を開催できるように配分してみた(但し主催試合の過半数は、ホームスタジアムでやらなければならない、という規定がある)。 仙台:40試合 青森:4試合 岩手:5試合 秋田:5試合 山形:10試合 福島:4試合(合計):68試合 山形にはファームの本拠地もあるので、そこも考慮してみた。ちょっと北部が薄いのだが、まあ東北6県は全て網羅している。 現時点では、仙台以外での主催試合の開催にぜんぜん積極的ではない楽天。ここら辺を少し考え直してはどうか? 以上、私なりの試案を作ってみた。あくまでもこれは一個人の案だし、他のファンの意見を聞く必要もある。私の案が参考になることを願う。
Apr 14, 2006
コメント(0)
いよいよ4月3日。私たち家族4人が東京に戻る日となった。ルートは阪神高速から名神高速、東名高速を全区間通るというもの。結構過酷な移動だ。4日間、お世話になった祖父母に別れを告げ、9:10に神戸の親戚の家を出発した。 神戸・京橋ICから阪神高速に乗り、西宮JCTで名神高速に乗り換えるはずが…父の不手際でJCTを通り過ぎ、阪神高速に乗ったまま、大阪市内へと入ってしまった。しばらく環状線に乗りながら両親がルートについて議論。結局、吹田JCTで名神高速に乗り換えることに。予定の時間より1時間も遅れた。当然、この後の予定にも少なからず影響が出た。休憩場所の変更などだ。 名神高速に乗ってしばらくは父が運転していたが、滋賀県の多賀SAで私にバトンタッチ。そこでトイレ休憩をした後に出発。さすがに高速道路は高速で本線に合流する必要があるため、難しい。その後は私は快調に車を走らせ、岐阜県を通り、愛知県に突入。しばらくして12:30頃だったろうか、昼食のために上郷SAに入る。ここでリフレッシュタイム。 名古屋近郊とあってか、レストランでは名古屋名物のメニューがあった。きしめんに味噌煮込みうどん。私は味噌煮込みうどんを注文した。なかなかおいしかった。でも意外に味噌の味がしていない、と感じた。 その後、同時に給油をして再び車を東京に向けて走らせる。上郷から1時間か1時間半経った時点で父と交代、ということにした。 その後も快調に走り、静岡県に突入。さすがに静岡県は広い。まずは一番広い市・浜松市。これでも十分でかいのに…。ちなみにこの日は晴れてて、富士山がよく見えた。これはよかった。私はこの先、牧の原SAで父と交代することにしていたが、SAへの誘導ラインが分かりづらかったがために、失敗する。仕方がないから次の日本坂PAで交代することにした。次の日本坂まで20キロ先だった。 そしてそれからしばらく経って、日本坂PAへ。車を止めて、2度目のリフレッシュタイム。地元で取れたみかんを使ったソフトクリームを食べる。みかんのおいしさが効いていた。その後、トイレに行った後に父にドライバー交代し、終点の東京まで突っ走る。 そして午後5時前に東京IC終点に到着。まず思ったことは「戻ってきたんだなあ…」ということだった。数日間、違う文化の世界で過ごしたんだから、そう思うのは当然だろうか?行き慣れた道を戻り、東京・世田谷区の我が家に無事到着。神戸から実に8時間もの長旅だった。 あとがき:3年ぶりの関西ということで、自由行動では自分のやりたいことがいっぱいできたと思う。神戸空港や伊丹空港に行ったり、関西の私鉄に乗ったりと。鉄道ファンの私としては首都圏と関西の私鉄の違いをも比べるいい機会になった。総合的に考えると、よかったのではないか。 最後までご覧いただいた皆様、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
Apr 13, 2006
コメント(0)
前回は京阪電車の撮影に行った後、難波に向かうところまで書いたが、今回は後編ということで、これで書き終わりたいと思う。 北浜から堺筋線と千日前線を乗り継いで難波へ(もちろん車両撮影もしてきたし、日本橋で中央線へ寄り道も)。難波に来たのは南海電車を撮影するためと、近鉄電車の大阪中心部の路線に乗車するため。特に南海電車を見るのは8年ぶりだ。 しかし難波駅の大エントランスも、ホームの雰囲気も8年前と変わったことはないと思う。変わったことといえば、関空特急・ラピートの運転体系が大幅に変わったこと。8年前は30分毎に難波から関空までノンストップの「ラピートα」と、主要な途中駅に停車の「ラピートβ」が運転されていたが、現在は前者はほとんど朝夕時にしか運転しなくなり、後者のβが日中運転されている。まあ、堺とか岸和田とか需要のある駅に停車したほうが、それを捨てるよりはマシだろう…と。 去年のうちに本線、高野線ともにダイヤが大幅に変わった。特に本線は10分間隔に急行(空港急行)が走ってたのが、新ダイヤでは15分間隔に特急が走るようになった。2本が前述のラピートβ(全車指定席)で、もう2本は和歌山方面の特急・サザン(一部指定席)である。 私は30分ほど列車撮影をした。結構収穫があったと思う。ラピートはもちろん、特急サザン(10000系+7000系)、高野線特急「こうや号(30000系)」、ズームカー(2000系)、泉北高速線の車両(3000系)も収めることができ、満足した。 次は近鉄電車へ。しかし南海電車の乗り場からはすごく離れている。近鉄難波駅の西側は現在、西大阪線との直通するために工事をやっている。これが完成すれば関西私鉄のネットワークは飛躍的によくなるのではないか。 14:02発の快速急行・奈良行に乗車。車両はLCカーこと、5800系。近鉄の難波~上本町間は、大阪万博に備えて1970年に開通した。しかし現在は前述のとおり、阪神電車と直通運転するための延伸工事を行っている。 難波を出た電車は、日本橋、上本町、鶴橋と停まり、客を少しずつ乗せていく。鶴橋で大阪線の電車に乗り換える人が多く見受けられた。当然だろう、難波から来る人が多いのだから(事実、この後に大阪線・上本町駅に寄るが、あまり賑わっている感じではなかった)。私も鶴橋で途中下車し、恒例の列車撮影に。近鉄は古参車から最新型車まで幅広く活躍している。 それにしても近鉄のネットワークはすごいものだ。大阪から伊勢(志摩スペイン村)、名古屋方面にも行けるし、京都や奈良、吉野にでも会える。近鉄は他の私鉄とは桁違いのネットワークを持ってるもんだ、と改めて実感させられた。 その後、布施へ。布施では以前、奈良線から直接この駅で大阪線に乗り換えたことがあり、私としても近鉄難波駅や鶴橋駅がどのような駅か、見ておきたかったのだ。しかし布施から鶴橋に戻る途中、激しいスコールに遭った!突然のスコールで他の人もみな動揺したのかと思う。その後列車観察をするがスコールはすぐ止んだ。それでも鶴橋駅の下りホームの賑わいは変わることはなかった。私はここで神戸に戻るため、近鉄電車に別れを告げる。 鶴橋で改札を出て、千日前線の駅へ。難波で御堂筋線に乗り換えるが、北行ホームはラッシュ並みの大混雑だった。そして列車も大混雑であった。調べてみれば、御堂筋線は全国の公営地下鉄の中で一番の黒字路線だそうだ。新幹線の重要な駅である新大阪や、キタの歓楽街・梅田、ミナミの歓楽街・難波を結ぶので終日混雑するのは当然のことか。まさに大阪の地下鉄の大動脈だ。 梅田で阪神電車に乗り換える。15:43発の急行・西宮行に乗車。途中、阪神尼崎で寄り道。これもまた前述のとおり、難波への延伸工事が進行している。この駅と大物駅ではホームの延伸が行われていた。一刻も早い完成を願う。その後、特急・須磨浦公園行に乗車。車両は8000系の更新車。通称・ジャイアンツカラーの車両(オレンジと白)である。ライバルチームの色にするということは阪神電鉄の株主総会でも議論になったそうだ。 その後、甲子園(高校野球の試合は中止だったが)、西宮、芦屋、魚崎、御影と停まり、三宮に到着。東隣の春日野道駅の超狭いホームは改善されて、相対式の広いホームに変わったが、利便性は随分向上したのではないか。その後、私は高速神戸で下車し、徒歩10分の親戚の家へ帰宅した。 3つのパートに分けて4日目を追ったが、我ながら随分歩き回ったのではないか。大阪はもともと市営モンロー主義を掲げていて、関西私鉄はその影響をモロに受けた。阪急、阪神は梅田。南海、近鉄は難波。京阪は淀屋橋とターミナルが分散していて、それに地下鉄との直通運転も首都圏と比べれば全然進んでいない(堺筋線が阪急京都線・千里線と、中央線が近鉄けいはんな線と直通しているくらい)。しかしその動きはここでも何度か触れている、西大阪線の延伸によって神戸方面からの大阪ドームや難波へのアクセスは飛躍的に向上するのは間違いない。 それに去年の宝塚線の脱線事故の影響で、利益優先で安全を軽視していたJR西日本を見放したのも、私鉄を見直すいい機会になったのではないか。あれは「一人勝ちのJR西日本が狙われた日」だった。しかしこれを他山の石として、他の鉄道会社も安全対策を強化してほしいところだ。 阪急マルーンに代表されるように、個性的な車両デザインが特徴だった関西私鉄をたくさん撮影することができて、大変満足している。 最後までご覧いただき、ありがとうございました。次回はいよいよ帰京編をお送りします。
Apr 11, 2006
コメント(0)
伊丹空港は思ったよりも小さかった。関空ができる前までは国際線も就航していたことから「さぞかし大きい空港なんだろうなあ…」と思ってたら、そうでもなかった。周辺を住宅街に囲まれてるので拡張は不可能だった。そして離着陸の時間帯も厳しく制限されている(夜9時以降から一切禁止)。ターミナルは比較的新しく、南北に大きなターミナルをJALと全日空が半々ずつ使用している、という状況だった。 展望デッキに出た時には小雨が降っていた。折りたたみ傘を持っておいてよかった。何機かの離陸シーンを見た。しかし雨の中だったので離着陸の際には、水しぶきが立っていた。 私が何よりも圧倒したのは、その展望デッキにあった紹介マンガだった。滑走路やエプロン(駐機場)についての説明だったのだが、なんとそれが関西らしく関西弁でストーリーが展開されている! 文中には「~してるねんで!」とか「それがワテも知らんのや」とか、ほんとに関西弁の世界であることを認識させられた。標準語スピーカーの私としては肩身が狭くなる思いで「関西は外国みたい!」と思ってしまった。 1時間近く経った後、一通り見終わった。そのため、これから大阪モノレールに乗り、門真市まで向かうことにする。大阪モノレールは伊丹空港と門真市を結ぶモノレールで、長らく東西方面の交通手段がなかった、大阪府の北部を横断する。途中、蛍池で阪急宝塚線、千里中央で地下鉄御堂筋線(北大阪急行線)に、山田で阪急千里線に、南茨木で阪急京都線に、そして終点の門真市で京阪電車に接続する。 11:05発の門真市行(2000系)に乗車。車内は全てロングシートで、車窓を見るにはつまらなかった。蛍池を出てしばらくして中国自動車道などの高速道路と並走しながら万博記念公園を目指す。そこでは有名な太陽の塔が間近に見ることができ、感激だった。そして千里中央などといった主な乗換駅で多数の乗客が入れ替わったことから、やっぱりみんな梅田方面に行くんだなあ…と感じた。 伊丹空港から35分、終点の門真市に到着。ここで京阪電車に乗り換える。私は京阪電車は初乗車だ。門真市駅は高架と高架の間の地上区間。真上にモノレールやら高速道路があるからで、この駅構内だけは高架化することができなかったのだろう。 しばらくして11:49発の各停・淀屋橋行に乗車。初めて乗車する車両は7000系。4編成のみの少数派だ。出発後、右手に松下電工の巨大な工場が見えた。「さすが本社所在地」と感じさせるほど、広大な敷地である。 2つ目の守口市で準急に乗り換える。車両は2600系。曲線デザインが特徴の車両だ。「京阪電車といえば、カーブが多くてあまりスピードを出さない」というイメージがあったが、それは見事に?覆ったかもしれない。次に停まる京橋まで爆走する。途中の駅は駅間距離が短いのが特徴で、特に土居~滝井はわずか400メートル。そのほかの駅間も比較的短かった。 京阪2600系は何となく、東武8000系に似てると思った。なぜなら大量生産されて、なおかつ更新時には前面デザインが(小規模ながら)変更されてるのである。なぜ昭和40年代生まれの車両でも方向幕を装備しなかったのかは疑問に残るが。 守口市から5分ほどで、京阪電車で一番利用者数の多い、京橋駅に到着。京阪電車の実質的な大阪側のターミナルといっていい。 私はしばし京橋駅で列車撮影。途中、もちろん自慢の特急電車(8000系)も来た。テレビカーと2階建て車両という2つの大きな特徴を持つが、テレビの方は電波の状況が悪いのか、非常に画質が悪かった。そしてこの後、淀屋橋に向かったところ、列車の縦列停車を見る。淀屋橋駅の特徴のひとつで、狭いスペースを有効活用したものだ。 その後、私はサンドイッチで軽い昼食を取り、堺筋線、千日前線を乗り継いで南海電車、近鉄電車の撮影をすべく、難波へと向かったのだった。(続く)
Apr 9, 2006
コメント(0)
伊勢・神戸旅行の4日目である。この日は、関西の私鉄車両の撮影や伊丹空港の見学がメインだ。 朝8:30、親戚の家を出発。この日の神戸の天気は曇り時々雨だそうで、折りたたみ傘を持っていく。高速神戸駅まで徒歩10分。ちょっとつらいが、先日書いた通り、神戸高速は安いのだ。そして8:55発の阪急電車(特急・阪急梅田行)を待つ。阪急電車に乗るのは実に約8年ぶりだ。 電車は定刻通りに出発し、花隈、阪急三宮と停車する。三宮でたくさんの乗客を乗せた。「関西と言えばJR西日本の1人勝ち」という印象が強かったが、去年の脱線事故以来、状況が変わってきたのかもしれない。というのはこの阪急特急の乗車率が私の予想より多かったのである。全ての席は埋まってて、結構立ってる人がいる、という状況だった。 三宮を出発した阪急特急はこの先、岡本、西宮北口、十三、終点・梅田の順に停車する。思ったよりもスピードを出す特急。昔から高速運転で有名であることを思い出した。ルートが遠回り(山沿いを走るから)だからスピードでカバーする、ということなのだろうか。西宮北口で各停からの乗り換え客を乗せ、少しだが乗車率アップ。このまま終点の梅田まで走る。 終点の梅田には9:28に到着。私は伊丹空港に向かう予定だが、その前にこの阪急梅田駅構内を見学することにした。はじめに「実に広い!」そりゃそうだ、9本の線路が集まってて、民鉄では第2位の利用者数(ちなみに第1位は東急渋谷駅)。改札機も40基以上。文句なしのターミナル駅である。 そして私も少し車両撮影。阪急電車はデザイン的に保守的だと感じるのは私だけだろうか。古参車から最新型車(京都線9300系)までみんな同じデザインである。伝統を重んじるというのが阪急の性格だ。首都圏のようにJRの車両デザインを真似するというのは絶対にしない。 一通り見たところで私は9:40発の宝塚行・快速急行に乗車。途中の蛍池で大阪モノレールに乗り換えだ。 そして出発の際の醍醐味が。有名な神戸線特急、宝塚線快速急行、京都線特急の3列車同時発車だ。なかなか面白い。抜きつ抜かれつの大接戦(?)になったかどうかは分からないが、十三で3列車は別れを告げ、それぞれの方面に向かう。十三を出た後は、豊中までノンストップ。神戸線に比べればスピードは控えめ。カーブが多いからだ。 しばらくして蛍池に到着。ここで大阪空港行のモノレールに乗り換える。大阪空港に着いたのは10時頃だっただろうか。私にとっては初めての伊丹空港だ。これで関西3空港(関空は’98年に行ったことあり)を制覇したことになる。(続く)
Apr 8, 2006
コメント(0)
その後、関西に来てからの本格的な列車撮影を始める。まずは阪神三宮駅。 神戸そごうの真下にある地下駅である。阪神電車を見かけるのは4年ぶりだったが、8000系、9000系(ステンレスカー)、5500系ジェットカー、山 陽5000系など10数枚を収め、いい収穫になった。 次に地下鉄で新神戸駅に向かい、新幹線の撮影へ。こちらも0系やひかりレールスターなど、西日本でしか見られない車両をカメラに収めることができた。特に元祖新幹線電車である0系だけは見ておきたかった。新塗装(グレーとグリーンのライン)になっていたが「まだまだ頑張れる!」とも思い、ほっとした。これからも頑張ってほしいものである。 ひと通り終わったところで、私は新神戸駅の北側にある「布引の滝」へ。どういう所か、見ておきたかったが、季節外れだったためか、川の水がなかったのでがっかりした。しかしちょっと先へ行ってみると、ちゃんと滝があった。「ほほう、こんなものか」という感じで見た。何でも華厳の滝、那智の滝と並ぶ、日本有数の滝だそうだ。 次に北野坂をブラブラと散策する。このきつい山道あってこそ、北野坂といえるのではないか。最初はきついと思いつつも、慣れてくると気持ちよく感じるものだ。私はこのまま三宮まで歩き、神戸そごうでウィンドウショッピング。そして最後は阪神電車で高速神戸に向かって、親戚の家へ…。 今夜は祖父の慰労会だったため、再び三宮に行って夕食会であった。 余談だが、神戸市営地下鉄は高い!初乗り200円でちょっと使いづらい。しかし神戸高速の場合、初乗り120円(!!)で三宮から新開地まで行けるので驚いた。その後、三宮に行く度に私は神戸高速を使うようになった…。
Apr 6, 2006
コメント(0)
伊勢・神戸旅行の3日目である。 朝食後しばらくはゆっくりしていたが、9:30を過ぎた頃に家族で家を出て、いったん三宮へ。市営地下鉄・西神山手線に乗車するのだが、この路線を使うのは実に3年ぶりだ(神戸に行くこと自体が3年ぶり)。それにしても「終日女性専用車」というのがあったが、そればかりはやめてほしいと思った。「平日朝ラッシュ時限定」ならまだいいが、利用の少ない日中に設定することはないだろう…と。 三宮で下車し、神戸空港方面に行くためにポートライナーの乗り場を探すが、なかなか見つからなかった。それもそのはず、私はポートライナー初乗車なのだ。エレベーターに乗ることでやっと改札口を見つけ、途中のポートアイランド南までの切符を買う。ちょっと家族との約束で寄り道するのだ。ポートライナーに乗車した感触は埼玉ニューシャトルに似ていた。おそらく初期の新交通システムはこんなものなのだろう。 ポートアイランド南で下車して向かった先は、神戸花鳥園。世界中の鳥たちが集まっている施設で、プレオープン中だった(4/20まで入場料割引セール中)。おそらくここでしか見ることのできない鳥もいた。オウムやインコ、ミミズクもいて、なかなか可愛かった。 さて、いよいよこの日のメイン、神戸空港へ。工事中にあった、あれほどの反対運動を押し切って開港させたということは、市民が納得してくれるような施設運営をしていく義務があるのではないかと思う。さて、ポートライナーの改札口を出てしばらく歩いたら、直接出発ロビーに行くことができるが、私は思わず「小っちゃ!」と思ってしまった。評判通り、非常にコンパクトな作りだった。ちなみに東京~神戸線11往復のうち、7往復がスカイマークによる運航である。展望デッキは、まだ開港当初の物珍しさが残っているのか、大混雑だった。そして飛行機が飛び立つ時には歓声が上がった。しかしこの「コンパクトな出発ロビー」と「展望デッキ」を見ただけで、これで十分かもしれないと思い、ポートライナーに戻ることにした。 途中の市民広場から残りの環状区間(市民広場~北埠頭~中公園)も乗車し、これでポートライナー完乗となり、三宮に戻った。そして時刻は午後1時ちょっと前だっただろうか、この付近のコンビニでサンドイッチとお茶を買い、軽い昼食とした。(後編に続く)
Apr 5, 2006
コメント(0)
伊勢・神戸旅行の2日目である。 朝食後、しばらくしてホテルをチェックアウトし、伊勢神宮の内宮に向かう。内宮は天照大神を祭っているので、私としても是非参拝したかったところだ。なぜなら、天照大神は天皇家の祖先だからだ。正宮に向かった私は純粋な感謝の気持ちを込めて、祈りを捧げた。これで「お伊勢参り」完了である。その後、おいらせ町をブラブラし、伊勢名物「赤福餅」を買う。そして親戚のいる神戸に向かう。 内宮を出発後、伊勢自動車道へ。ここから勢和多気ICまで高速で飛ばし、そこから国道へ。まず国道368号線を通り、しばらく走ったら国道166号線にぶつかるから、それに乗り換える。桜井まではあと60キロ(!)もあった。しかしその反面、三重県西部の壮大な景色を見ることができた。思いっきり田舎である。数キロごとに小さな集落があり、国道沿いに集落にとって欠かせない施設(病院、ATMコーナー、よろず屋など)が存在している。そして遠くに見える山々の頂上付近には、まだ雪が残っていた。おそらく昨日(3/30)の積雪によるものだろう。 国道に入ったのが11:15だろうか、やっと桜井に到着したのは午後1時頃だったかと思う。長らく景色が田園風景だったがために、さすがに「これは都市だ!」と思った。勿論、私が桜井に寄るのは初めてである。そこのファミレスで昼食をとった後、神戸に向けて再び走り出す。まずは西名阪自動車道の天理ICを目指し、そこから大阪方面へ。そして吹田経由で阪神高速へ乗り入れ、神戸・京橋ICで下りる。 神戸には私の母方の祖父母とおばが住んでおり、おばの方はサッカーファンでときおり東京に来たりもする。この日(31日)から3泊4日で泊まる。今夜はここまで。夕食はすき焼き。かなりボリュームがあった…。 明日(4/1)は神戸空港などを回ることにしている。
Apr 4, 2006
コメント(0)
朝6:30に起床。シャワーを浴び、最終チェックをした後、7:15にいよいよ出発する。マイカーでの伊勢への長い旅の始まりである。 7:30に東名高速に乗ると、車はそのままバンバン飛ばす。Max120km/hで神奈川県内を疾走し、静岡県に入る。出発時は晴れていたが、だんだん天気が怪しくなってきた。富士川SAで父から私にドライバー交代。やっぱり「車は怖い!」と思ってしまう。とっさの判断が重要で、最悪の場合、生死を分けるのだから。それでも私は何とか日本坂トンネルを通過し、順調にドライブを続けた。 愛知県に入ると雨が降り始めた。赤塚PAで再び父にドライバー交代。豊田JCTで東名高速から伊勢方面への近道となる、伊勢湾岸自動車道へ。ところが伊勢湾岸道に入ってからは更に天気が悪化し、何と雪が舞った!(3月も終わりだというのに…)とにかく名古屋市内や鈴鹿は雪だったし、私も弱った(その後、天気が目まぐるしく変わり、最終的には強風だった)。 途中、津で観光と昼食のために下りる。行き先は津城跡。何でも16世紀の藤堂高虎が設計した城で、その一族がずっと明治維新の頃まで住んでいたという。なお彼は後に江戸城建設にも関わっている。実際に見てみると小さい城で、ちょっと大きいマイホームという感じだった。その後、津市郊外のレストランで昼食を済ませ、高速道路に戻って伊勢に向かう。 伊勢西ICで下りるが、伊勢に来たからには勿論、伊勢神宮に行かなければならない。まずは外宮へ。全ての産業の神様(豊受大御神)を祭っている神社なので、私も感謝せずにはいられなかった。そして感謝を込めて柏手をついた。 その後はいったん親と別れ、自由行動に。鉄道ファンの私は真っ先に伊勢市駅に向かった。便利さの方ではJRよりも圧倒的に近鉄が強い。JRが1~2両の気動車に対し、近鉄は6両、8両の電車は当たり前である。 私は入場券を買って駅構内へ。そして長い跨線橋を渡って、上り・松阪方面ホーム(4番ホーム)に着いた。私は携帯で写真を撮り始めた。しかし感じたことは、普通列車よりも特急列車の方が多いことと(観光路線だからか?)、なぜか伊勢にいるという実感が湧かなかったことである。というのは、なんか近鉄電車を見るのにもう慣れてしまったかのようだ。それでも数枚の写真を収めることができ、私は満足した。 その後、親と合流して一旦、今日の宿へ。この日(3/30)の宿は伊勢国際ホテル。予約した部屋に必要のない荷物を預け、再び車で出発。次は夫婦岩へ。よく日の出のシーンで登場するという。宿から20分ほどして夫婦岩に到着。ところが天気は大荒れで、曇り空なのにもの凄く強い風(!)の影響でかなり寒く感じる。「ジャンパーと手袋をつけてもまだ寒い!」という感じだ。それでも私は守り神のカエル(のレプリカ)に聖水をかけて、祈りを込めたのであった。 なんか天気的に見て、ちょっととんでもない日だったと思う。まるでイギリスにいるかのように、天気が目まぐるしく変わる。もうかんべんしてほしいとも思った。その後はホテルに戻り、明日に備えて体を休めるのであった。
Apr 3, 2006
コメント(0)
全17件 (17件中 1-17件目)
1

![]()
