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この噂は数年前からありましたが、遂に正式発表がありました。全日空が2019年にエアバスA380を就航させるとのことです! ハワイ便、運賃競争加速へ ANAが超大型機導入発表(1月29日、日経新聞) 日本とハワイを結ぶ航空路線の運賃競争が再燃することになりそうだ。ANAホールディングスは29日、欧州エアバス製の超大型旅客機「A380」3機を導入すると正式発表した。2019年春から順次、ハワイ路線に投入する。500席を超える座席を設定できるA380が3機就航すれば、提供座席数は2割増える見込み。日本航空が牙城としてきたハワイ路線でシェア拡大を狙う。 日本の航空会社がA380を導入するのはANAが初めて。定価ベースの発注規模は3機で約1500億円となる。成田空港、羽田空港を発着するホノルル路線に投入。ファーストクラスの座席も設定し、富裕層の獲得にも力を入れる。 現行のハワイ路線の運航機種と比べると、A380は1度に2倍超の旅客を運ぶことができる。1座席当たりの運航コストは競合機種より約15%低いとされる。導入後のハワイ路線について、ANAは現行よりも安い運賃を想定しており、「常夏の島」がより身近な存在になる見通しだ。 ハワイ路線はかつて、日本の国際線をけん引した日航の象徴だった。米ボーイングの大型機「747型機」を投入し、観光客を大量に送る成功モデルを築き上げた。リゾート需要が多様化し、人気に陰りが出てきた00年以降、各社が空席を埋めるための値下げに走り、路線の収支が悪化。運航規模の縮小が相次ぎ、09年の提供座席数は00年比で4割強減少していた。 ANAは傘下の全日本空輸などを通じ、ハワイ路線を手掛けてきた。すでに地方空港発着路線からは撤退し、現在は成田から1日2往復、羽田から1日1往復を運航するだけだ。15年のシェアは10%にとどまり、37%の日航とは開きがある。 成田、羽田の発着枠に限りがあるなか、ANAにはA380が巻き返しの切り札になるとの期待はあった。経営陣の背中を押したのは15年1月に経営破綻したスカイマークの存在だ。再生を支援するスポンサーを巡り、ANAは15年夏、債権者による投票で米デルタ航空と争った。大口債権者だったエアバスに対し、協力を求める見返りに将来的な機材発注の可能性を伝えていた。 スカイマークに対する出資が完了した15年9月ごろから交渉を本格化。記者会見した長峯豊之取締役は「スカイマークの案件がA380の検討を加速させたのは否定できない」と説明した。 ANAの国際線の拡大志向はハワイ路線へのA380投入だけにとどまらない。29日発表した今後5年間の中期経営戦略にも色濃く表れる。 旅客需要が頭打ちの国内線の売上高は5年後も横ばいの見込み。16.5%を出資するスカイマークとの共同運航なども盛り込まなかった。一方、国際線は東南アジアや中南米への路線を拡大し、21年3月期には連結売上高を16年3月期見込み比21%増の2兆1600億円とする計画だ。従来は26年3月期までとしていた連結営業利益2000億円の達成時期も21年3月期に前倒しした。 原油安と訪日外国人客の増加で足元のANAの業績は好調を維持している。ただ、成長領域と位置付ける国際線はテロや疫病などの影響を受けやすい。A380の導入による大量輸送への回帰はこうしたリスクが膨らむ懸念をはらむ。攻めを貫くため、コスト削減の手綱を緩めることはできない。 (白石武志) (引用終わり) 思えば日本の航空会社でA380導入を最初に決定したのはスカイマークでした。しかし、LCCの台頭や資金不足など様々な事情でエアバスから購入契約を解除されてから1年半ほどが経過しました。そのスカイマーク再建のためのスポンサーとしてすったもんだの末全日空が選出されました。決算が絶好調な全日空は国際線で新路線を次々と開設していきました(ミュンヘン、ブリュッセル、ジャカルタ、ヤンゴン、シドニー、ヒューストンなど・・・)。その状況から、スカイマークのスポンサーになった全日空に対してエアバスから要求めいたものがあったのではないかと、歓迎と同時に少し疑いの目を持っている私です。 ~関連する日記~ 「スカイマーク、エアバスA380導入へ!」(2010年11月9日の日記) 「エアバス、スカイマークとの契約を解除!」(2014年8月7日の日記) 「スカイマークが経営破綻!」(2015年1月29日の日記) 東京~ハワイ線といえば日本航空の牙城。全日空はすでに超大型機のボーイング747-400を2年前に引退させましたが、エアバスA380なら最大600人ほど乗客を運ぶことができます。1人あたりの運賃が安くなることを狙ってのことらしいので、全日空は大勝負に打って出たといえるでしょう。
Jan 30, 2016
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兵庫県の日本海側の要衝・豊岡で福知山方面に乗り換えです(前回の内容)。 13:16発 普通・福知山行き(436M列車) 223系5500番台による普通列車(2両編成)です。この電車で途中の和田山まで向かいます。 豊岡出発直後のこと。 10月31日のダイヤ改正でもって運用から離脱した381系が留置されていました・・・。 この381系は元々くろしお号に充当されていた編成で、2012年にくろしお号に287系が導入された後は北近畿方面への特急に配置換えされました。そして北近畿でも新型車両(289系)の導入によりJR西日本・近畿統括本部管内から引退となったわけです。 次の国府で対向列車(113系による豊岡行き、433M列車)と交換。 播但線との分岐点、和田山(兵庫県朝来市和田山町)に着きました。 但馬地方の風景を楽しむため、後続の特急に乗り換えるために途中下車しました。その合間に間食のパンとコーヒーを買いました。 特急券を見せて駅構内に再入場。 1番のりばからの特急・こうのとり16号に乗車。途中の福知山で特急・はしだて4号に乗り換えて、この旅行の終着点である京都を目指すという予定でした。 14:06発 特急・こうのとり16号 新大阪行き(287系、3016M列車) 4号車(自由席)に乗車します。 今回使用した切符類。この3枚は前日に鳥取駅で購入しました(その8.5を参照)。 こうのとり16号は山陰本線の単線区間を通り抜け、2つ先の上夜久野(京都府福知山市夜久野町)に運転停車しました。 ところが、上夜久野駅に停車したこうのとり16号がなかなか出発しません。ゆったりと自由席に座っていた私は、対向列車が遅れているのかと思いましたが・・・。 車掌「福知山駅付近で停電が発生しました。先行列車もこの先の駅で停車しているため、先に進めない状況です。運転再開の見込みは立っていません」 予想外の事態が起こりました。福知山ではしだて4号に乗り換え、京都ゴールの後の余った時間で京都観光をまったりと楽しむという計画が狂い始めました。 車掌さんからは「新しい情報が入り次第、ご案内します」と聞かされました。それから私たちは車内で30分ほど待たされました(当然、上夜久野では外に出られず)。 上川口で運転停車中に撮影。 その後、新しい情報が車掌さんから伝えられました。 山陰本線の停電は復旧したものの、福知山線は復旧のめどが立たず。京都駅ゴールに向けて、当初予定していた特急・はしだて4号ではなく、はしだて6号に乗り換えることになりました。福知山線は引き続き不通のため、宝塚・大阪方面に向かう乗客もはしだて6号に乗り換えることになりました。 結局、定刻より50分以上遅れて福知山に到着(後に特急料金返金の対象となりました)。 こうのとり16号は福知山で運転打ち切り。 3・4番のりばから1・2番のりばに移動です。 (その14に続く)
Jan 28, 2016
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前回(その11)はキハ121系による浜坂行き(530D列車)に乗り込んだところで終わりました。 530D列車の車内は単行とあってか混雑していました。鳥取を出発して因美線と別れた後はずっと県道43号線と平行して山道を進んでいきます。ところが駅間距離が長いの、長いの、次の福部まで11.2kmもありました。県代表駅の次の駅まで11.2kmはなかなか無いと思いました。時間にして12分(ちなみに京急の快特は川崎~横浜間を6分で走り抜けます)。さすが辺境の県。 その後、大岩、岩美を過ぎて列車は日本海に近づきました。 日本海に直結の駅!?東浜駅。 この特色からか、2017年春からJR西日本が走らせる豪華寝台特急・トワイライトエクスプレス瑞風(みずかぜ)の停車駅に選ばれました。「世界ジオパーク認定の浦富海岸の眺望と地引網の実演」が目玉だそうです。 11:53、浜坂に到着。兵庫県に入り、湯村温泉の玄関口であるこの駅で乗り換えです。 特急はまかぜ号の(大半の)終点でもある浜坂駅。駅構内には給水塔が残されていました。 12:07発 快速・豊岡行き(1172D列車) 今度はこのキハ40系に乗り換えです。快速というものの通過するのは久谷、鎧、玄武洞の3駅のみ。どうやら数年前まで一部の駅通過の普通列車が快速に変わっただけのようです。 2両編成のキハ40系の車内では、乗客が少しまばらでした。私の(ボックスシートの)対面に座っていた男性は、ビール片手に駅弁を食べ始めました(しかも食べる前に駅弁を撮影していました)。 そんな1172D列車の最初の停車駅がこちら。 餘部駅 言わずと知れた、余部鉄橋の最寄り駅。余部鉄橋は1912(明治45)年3月に完成。高さ40メートルにもなるトレッスル橋でした。山陰本線屈指の名所でしたが、2010年にコンクリート製の新橋梁に建て替えられました。 停車中の1172D列車から身を乗り出して橋梁方面を撮影する私。 車内・車外に限らず、多くの撮影者・見物者がいました。 余部橋梁から南側を撮影。 続いて北側(日本海)を撮影。 もちろん私にとって余部橋梁通過は初めて。鳥取砂丘訪問に続き、素敵な体験ができました。 1172D列車はこの後、佐津で対向列車(特急はまかぜ1号)の通過待ち。その後、竹野、城崎温泉と主要駅に停車していきました。 それにしても・・・、兵庫県の日本海側は田園風景と温泉が点在するばかりでした。神戸(帰省先)に縁がある者として兵庫県の反対側に行くことに憧れていましたが、その実情を感じて良かったと思います。「兵庫県の日本海側には何も無い」という母(神戸出身)の発言はある意味正しかったです。 玄武洞~豊岡間にて。乗換駅となる豊岡はもうすぐです。 (続く)
Jan 26, 2016
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(その10)で鳥取砂丘の見物から戻ってきた私は、やや急ぎ足で東横インに向かい、リュックサックを引き取りました。これで山陰本線で移動する準備が整いました。 職場や両親、Yさんへのお土産も買い(Yさんとは?)、鳥取駅の有人改札を通って、ホームへのエスカレーターを上がりました。 1番・2番のりばに着きました。この後、後述する浜坂行き(右のキハ121系)に乗車します。 ここで、少し話を本筋からずらします。 山陰本線はJRで日本一長い距離の路線です(2002年12月に東北新幹線の八戸延伸開業するまでは、東北本線が日本一の長さでしたが、IGRいわて銀河鉄道として経営分離されました)。京都駅から日本海沿岸を経由して山口県・幡生駅までの距離は実に673.8km!・・・これは東海道・山陽線でいうと東京~有年(兵庫県)間の距離になります。 その山陰本線には並行する新幹線がないため、昔から多くの特急が運転されてきました。その代表例が1964年から'86年まで運転された、まつかぜ号でした。大阪から福知山線、山陰本線を経由して九州・博多まで運転されていました。最盛期には食堂車も連結して最大13両編成。合理性なんて一切考えていなかったかのように思える当時の国鉄を代表する気動車特急でした。 特急列車がある一方で、今から考えれば想像もつかない長距離の普通列車も走っていました。それが・・・、 山陰本線 長距離鈍行列車 824列車 1956年11月のダイヤ改正までには東京~門司間、大阪~青森間という走行距離が1000kmを超す長距離鈍行列車が設定されていました(当時は高速道路やバスが普及していなかったので、長距離移動する乗客の移動手段として考えられていたのもうなずけます)。しかし新幹線開業や特急列車の増発などにより、長距離鈍行列車は次々と廃止・分割されていきました。合理化が進んだ1970年代になって日本一の距離を誇る普通列車として残されたのが、この824列車でした。 824列車 主要駅の時刻表(1982年3月当時。「プレイバック昭和の旅80S」様より引用) 門司 5:22発 下関 5:30着 5:42 幡生 5:48 川棚温泉 6:24 滝部 6:56 長門市 7:51着 8:05 東萩 8:48 益田 10:10着 10:27 三保三隅10:57 浜田 11:23着 11:37 江津 12:14着 12:20 温泉津 12:47 大田市 13:15着 13:19 出雲市 14:01着 14:10 宍道 14:54 玉造温泉15:07 松江 15:18着 15:23 安来 15:50 米子 16:00着 16:11 倉吉 17:51着 17:54 浜村 18:36 鳥取 19:01着 19:25 岩美 19:53 浜坂 20:20着 20:44 餘部 21:01 香住 21:21 城崎 21:56 豊岡 22:14着 22:29 江原 22:42 八鹿 22:51 和田山 23:05着 23:07 福知山 23:51着 といった具合。走行距離は595.1km。九州の玄関口・門司を未明に出発して、北近畿の福知山に日付が変わる直前に到着する、実に約18時間30分にも及ぶ長旅でした。ちなみに当時の山陰本線には824列車のほかにも、831列車 豊岡(5:04発)→門司(22:52着)、726列車 浜田(5:08発)→大阪(21:00着)といった長距離鈍行列車が存在していました(時刻はいずれも1979年当時)。 なお、この824列車は1984年2月のダイヤ改正時に下関~出雲市間と出雲市~福知山間に分割されました。しかしそれから30年以上が経過し、区間によっては824列車が走っていた時間帯には列車が来ないという駅もでてきてしまいました。 さて、閑話休題。これから私が乗る列車を紹介します。 11:10発 普通・浜坂行き(530D列車) このキハ121系は、特急型のキハ187系と同様、山陰本線の高速化事業により登場しました。単行なのが寂しいところです。 出発まで時間があるので、鳥取駅に到着する気動車たちを撮影。 10:56着 普通・鳥取止まり(智頭急行線・上郡発、632D列車) 3番のりばに到着する、智頭急行のHOT3500形。 スーパーはくと号用のHOT7000形にも出てくる「HOT」とは、兵庫県、岡山県、鳥取県のそれぞれの頭文字から採られたそうです。 10:58着 特急・スーパーまつかぜ6号(益田7:02発、2006D列車) 1番のりばに到着したキハ187系。 さて、いよいよ浜坂行きの出発時刻が迫ったので乗り込みました。年末という旅行シーズン、帰省シーズンのためか、単行列車の車内は混み合っていました。 (続く)
Jan 24, 2016
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鳥取駅からバスで23分ほど揺られました。県庁、住宅街、山を越え、遂に着きました。 鳥取砂丘!! 南北2.4km、東西16kmにも及ぶ広大な砂丘。 中国山地の山々には花崗岩が広く分布し、その花崗岩を構成する石英や雲母、長石などの鉱物が砂丘の砂の原料となります。花崗岩の風化したマサ土からこれらの鉱物が容易に分離し、わずかに含まれる鉄分が、古墳時代から明治時代まで砂鉄として採集されてきました。そして大量の砂が「かんな流し」によって流されてきました。自然にできた砂と「かんな流し」で流された砂は、両方とも千代川などの河川によって日本海に運ばれました。河口から海に出た砂は沿岸流に乗り海底に広がり、やがて砂丘海岸に到達します。そして地表に現れた砂は陸に向かう強い風により、内陸に運ばれて砂丘を作っていきました(「鳥取砂丘にきなんせ」鳥取砂丘の歴史より引用)。 中国山地の山々の強い影響を受けて砂丘が完成したのですね。 さあ、高まる気持ちを抑えながら砂丘を見に行きます! ちなみに階段には「砂の持ち帰り禁止」、「砂への落書き禁止」という注意書きがあります(自然公園法違反のため)。2000年に「水曜どうでしょう」の企画で大泉洋さん達が(原付・西日本制覇の旅で)立ち寄った際に、砂丘に番組タイトルを大書きしたことが問題視され(鳥取県での放送が始まったために視聴者から指摘があった)、2007年に環境省から厳重注意を受けたことがありました。ちなみに大泉さんは砂も無断で持ち帰っていました。 では、素晴らしい砂丘の景色がこちら! 冬の青い空に白い雲、冬の荒れた日本海の青と砂丘の黄色というコントラストが素晴らしいです。 最大の高低差は90メートルにもなります。ちょっとした山登りみたいでした。 初めて見る景色、冬の冷たい風、そして波打つ海・・・。 2015年の1年間、つらいこともあったけれど、この景色を見て心底「生きてて良かった」と思いました。 ちなみに一番下の波打ち際には人が数人立っています。かなり高い位置にあるのがわかるかと思います。 しかし・・・ゆっくりしている時間はあまりありませんでした。直近のバスを逃したら次は1時間後になってしまうからです。10時少し前までじっくり景色を眺めた後、名残惜しさ全開で私は走ってバス乗り場に向かったのでした。しかし砂場なので、いかんせん走りにくかったです。 ちなみにこの砂丘にはラクダもいましたが、ラクダと一緒に記念撮影する際にはお金を取られるようなのでやめました。実にあくどいですね。 その後、道に迷ったために焦りましたが、何とか、10:10発の鳥取駅行きバス(日ノ丸自動車)に間に合ったのでした。 (続く)
Jan 23, 2016
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-2日目(2015年12月29日)- 山陰旅行もいよいよ2日目に突入。この日は午前中に鳥取砂丘に向かい、鳥取駅11:10発の普通列車で山陰本線を浜坂、豊岡、京都方面へと乗り継ぎます。 7時少し前に起床し、シャワーを浴びた後に朝食(東横インおなじみのバイキング)。まともな昼食が取れる可能性が低いため、たっぷり食べました。 食後、荷物をまとめてチェックアウト。着替えを入れたリュックサックのみホテルのフロントに預け、身軽な荷物でバスターミナルまで移動しました。 8時過ぎの鳥取駅南口。南口には大企業の支店が並んでおり、さながらビジネス街のようでした。 鳥取駅北口。1978年に高架化された、県庁所在地の駅にふさわしい外観です。 ここからバスターミナルまで歩きます。 北口バスターミナルにあった、Jリーグ・ガイナーレ鳥取ののぼり。2011年にJ2参入を果たし、山陰地方初のプロスポーツチームになったものの、2014年からJ3で戦っています。 「なんでだいや~!ゲームしとるだけだがな!!」 バスターミナルの待合室にあった、ネット犯罪への注意を呼びかけるポスター。この時期は「緋弾のアリアAA」の影響もあって、鳥取弁を多く聞いた気がします。(例)「鳥取は関係ないっちゃ!!」 30分ほど経過し・・・、 9:10発の鳥取砂丘行き(日交バス)に乗り込みます。 (続く)
Jan 21, 2016
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-1日目(12月28日)・19時- 私は鳥取駅で時刻表を前に悪戦苦闘していました。 実はこの時、まだ帰京に向けたルートを決めかねていたのです。 私(代理:北条響)「我ながらとんでもない所に来てしまった・・・。どうしよう・・・」 新幹線が通っていないし、大阪や岡山からも遠く離れているし、しかも人口が日本一少ない県だし・・・。鳥取はとんでもない辺境だと改めて実感したのでした。 京都駅をゴール地点とするのはそのままですが、途中のルートとして可能性として考えたのは 1:スーパーはくと号ルート 智頭急行、JRを乗り継ぐため特急料金が割高になることを承知の上で検討しました。HOT7000系というハイパワーな気動車が鉄オタとして捨てがたかったし、何より速く京都駅に着くだろうと考えたからです。 しかし、これでは山陰本線横断という夢を途中で断念することになります。 2:山陰本線ルート 出雲市からずっと乗車し続けているルートをそのまま東に向かい、京都駅を目指します。しかし途中までの大部分は普通列車での移動。特急では城崎温泉からこうのとり号、きのさき号の運転はありましたが、かなり遠かったです。 翌日、京都に着いたら少しは京都観光してみようと密かに考えていたのです。 ただ、いずれにしても明日(12月29日)は早朝から鳥取砂丘を訪問し、その後すぐに鳥取駅に戻り、列車に乗り込むという慌ただしいスケジュールになるのは確実でした。 そこでしばらく時刻表を手に悪戦苦闘した結果、選んだルートはこちら。 2:山陰本線ルート(鳥取→福知山→京都→東京都区内) 乗車券:10480円、自由席特急券(和田山~京都):700円也。 鳥取から東京まで分割せずに長距離で買った方が安上がりになるのと、自由席特急券が意外と安かったのが決め手でした。すぐに駅員さんに発券してもらい、ホテルに戻ったのでした。 (その9に続く)
Jan 19, 2016
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いよいよ、JR西日本が誇る気動車特急車両のキハ187系に乗車します! 14:01発 特急・スーパーまつかぜ10号 鳥取行き(2010D列車。益田12:17発) 停車駅:玉造温泉、松江、安来、米子、倉吉、鳥取大学前、鳥取 2両編成というのが寂しく感じられます。前寄りの2号車(自由席)に乗車しました。 座席はこんな感じ。 しかし、下りの快速アクアライナーとの行き違いが遅れたため、出発も数分遅れることになりました。 2号車の座席から運転席を眺めます。自由席である2号車には多くの乗客がいました。対照的に指定席である1号車には(目視で確認したところ)ほとんど乗客がいませんでした。この後、2号車には米子から中国人の家族連れが乗り込んできて車内が騒がしくなりましたが・・・。要するに、出雲市~鳥取間は安い特急料金ということもあって自由席は大混雑なのでした。 場合によっては、1号車の一部座席を自由席として開放したり(パーテーションで区切ったり)、あるいは指定席の利用客に飲み物サービスなどの特典を与えても良いのではと考えたりしました。 松江までは左手側に宍道湖を眺めながら走ります。山陰本線の米子~出雲市間は日中には特急が毎時1~2往復走る、隠れた特急街道です。そのため来待~玉造温泉間、松江~東松江間など一部区間が複線化されています。 早朝にいた松江に到着。 松江を出て25分ほどで米子に到着。ここはJR西日本の支社もある、交通の要衝です。 2001年まで山陰本線を走る特急は、米子で系統分断されていたようです。国鉄時代の山陰本線特急だったまつかぜ(大阪~米子~博多)を系統分断した結果です。ちなみにまつかぜ号は1986年10月に運転を終了しました。JR初期の1988年当時、山陰本線を日中に走っていたのは 「はまかぜ」(大阪~姫路~鳥取・倉吉・米子) 「やくも」(岡山~出雲市) 「あさしお」(京都~城崎・米子) 「おき」(米子~小郡) 「くにびき」(米子~益田) 「いそかぜ」(米子~長門市~博多) 以上の6種類でした。現在も残っているのは「はまかぜ」「やくも」「(スーパー)おき」の3種類。 1988年当時の時刻表を見ると、現在と比べて特急の本数は非常に少なく、米子~益田間を通しで走る列車に限ると5往復しか走っていませんでした。さらに線路改良前だった当時の米子~益田間の所要時間は2時間59分~3時間10分ほど。 これでは山陰本線どころか東西に長い鳥取・島根両県の迅速な移動すらままならない状況でした。そこで1999年から2001年にかけて米子~益田間の、2002年からは'03年にかけて鳥取~米子間の高速化工事が行われました。 これらの線路改良や振り子式のキハ187系導入などにより、米子~益田間は2時間31分ほどに短縮されました。現在は米子~益田間を通しで走る特急は7往復。民営化直後と比較して30分ほどのスピードアップになりました。私が乗車したスーパーまつかぜ10号は出雲市から鳥取まで1時間52分で走破します。 右手側に大山を眺めながら、山陰本線を東に進みます。はっきり言って単調な景色が続きました。 定刻より4分ほど遅れて鳥取に到着です。出雲市で発生した遅れが最後まで響きました。 さらに前夜は深夜バスで移動、早朝から精力的に歩いていたせいか身体はクタクタに疲れており、早く寝たい気分でした。 早速、この日の宿である東横イン・鳥取駅南口にチェックイン。すぐにシャワーを浴びてすっきりしました。 しばらくゆっくりした後は夕食に出かけることにしました。鳥取駅は・・・なんだか寂しいです。 鳥取駅北口の商店街にあるお店で夕食としました。豚丼がおいしかったです。 夕食後はホテルに戻り、パソコンを借りてアニメ鑑賞。 「Go!プリンセスプリキュア」第46話、「緋弾のアリア」第11話、第12話(最終話)、過去作として「エスカ&ロジーのアトリエ」を視聴して就寝しました。鳥取といえば鳥取砂丘、砂丘といえば黄昏の大地・・・を連想してしまう自分がいました。そういえば、緋弾のアリアにも鳥取出身のキャラ(高千穂麗)がいましたが。 (続く)
Jan 17, 2016
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2015年12月28日(月曜日・1日目)、13時。出雲大社への参拝を終えた私はトイレ発見に手間取りました(境内にめぼしいトイレが無かったからです)。近くのコンビニのトイレを貸してもらい、そこから走りながら出雲大社前駅まで向かったのでした。今度の電車を逃すと、次は約1時間後。続いてこの日の目標である鳥取到着の時間もずれ込むことになってしまいます。 -これまでのお話- その1 その2 その3 その4 その5 その6(以上、まだ1日目) 全力で走ったためか、何とか13:16発の川跡行き(17列車)に間に合いました。ロッカーに預けていた荷物を取り出し、1000系電車に乗り込みます。車内は座席がほぼ全て埋まっている状態で、かなり賑わっていました。 午前中に元来た道を戻り、川跡に無事到着。ここで出雲市行きに乗り換えです。ところが! 私「何だよ、これは!」 私が出雲のとある田舎の駅で目にした驚きの光景。 川跡駅の構内踏切を渡る人の多さ。年末という行楽シーズンであることを差し引いても、近鉄電車のラッシュ時の構内踏切の様子に負けないくらいの混雑でした。 一畑電車はこの川跡駅で、出雲大社前行き、松江温泉行き、出雲市行きという3方向に向かう電車が同時に接続できるようにダイヤを組んでいるからです。これはかなり便利ですね。 (左)13:27着 私の乗車した出雲大社前発・川跡止まり(17列車) (中)13:29発 松江しんじ湖温泉行き(2100系。321列車) (右)13:32発 電鉄出雲市行き(5000系。316列車) 電鉄出雲市行きに充当されていたのは5000系。こちらも2100系と同様、京王5000系を種車としたものですが、観光列車向けの改造をされたものです。 電車は10分ほどで終点・電鉄出雲市駅に到着。ここでJRに乗り換えます。 JR出雲市駅も改札に駅員が立っていました。3年前に訪問した富山地方鉄道の電鉄黒部駅と同様、田舎の駅!という雰囲気で風情があります。 自由席特急券を購入。出雲市~鳥取間は3890円(うち自由席特急料金:1300円)也。 出雲市駅の駅名標。本来の計画では、山陰本線(全長673.8km)をかなり西から京都まで横断しようと思い、津和野スタートを考えていましたが、諸事情で断念しました。 14:16発 普通・益田行き(329D列車。浜田から351D列車) ここから約4時間かけて島根県の東西を横断する長距離鈍行ワンマン普通列車です。それにしてもキハ120系で約130kmの距離を走破するのはかなりきついです。 「定刻より大幅に遅れて到着していた」というのは私の勝手な思い込みで、実際はサンライズ出雲号の臨時便でした。 13:43着 臨時寝台特急・サンライズ出雲91号(東京22:40発、9021M列車) 次回は、いよいよキハ187系の特急・スーパーまつかぜ号に乗ります。 (続く)
Jan 16, 2016
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出雲大社に続く参道沿いには飲食店や土産物屋さんが多く並んでいました(多くの観光地は大体そうだと思いますが)。その中で、気になるものを見つけました。 簡易郵便局! 今まで聞いたことはありますが、実物を見るのは初めてでした。これまで移動などによる出費が続き、ちょうど財布の中身も寂しくなってきていたので、この大社神門簡易郵便局でお金を下してみることにしました。 簡易郵便局とは、郵便の仕事やゆうちょ銀行やかんぽ生命に関する業務を個人・組合・地方自治体に委託した郵便局のことです。鉄道でいう簡易委託駅のようなものです。 局内は老夫婦とみられる方々が業務をされていました。ATMが無いので、手作業で預金引き出しをお願いしました。専用の申込用紙に引き出したい金額を書いて提出し、暗証番号をテンキーで押して引き出します。 局内はATMが無い分、かなり手狭に感じます。 お金を下した後、昼食にします。出雲といえば、出雲そばがおすすめ!と友人から聞いたので、本場の出雲そばを食べてみることにしました。 こちらのお店にしました。「出雲の國・麺家」さん。 3色割子そば(税込980円)。日本の三大そば(盛岡わんこそば、戸隠そば、出雲そば)に数えられる出雲そばといえば、このイメージしかありませんでした。 3種類のお皿はいずれも山菜を中心をしていますが、細かい具が違うのがポイント。 完食。おいしかったです。 さて、昼食を終えたところで境内に入ることにします。 大きな鳥居をくぐって、長い参道を歩きます。 非常に大きい日の丸が翻っていました。 調べたところ、13.6メートル×9メートル(畳75畳分の大きさ)だそうです! 大きな松の木が印象的でした。非常にうっそうとした印象も受けます。 本殿にて。二礼四拍手一礼をして、来年(2016年)への抱負を神様に報告しました。 境内にあった、大国主と因幡の白うさぎのブロンズ像。 この後にトイレを済ませ、急いで出雲大社前駅に戻ったのでした。 (続く)
Jan 14, 2016
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川跡(かわと)駅で出雲大社前行きに乗り換えます。 (左)11:27発 出雲大社前行き(1000系。14列車) (中)11:25発 松江しんじ湖温泉行き(5000系。317列車) (右)11:28発 電鉄出雲市行き(3000系。312列車) これから乗車する1000系は、東急1000系の中間車を先頭車化改造した上で2015年2月に導入されました。1000系は一畑電車のほかに上田電鉄や伊賀鉄道に譲渡されていますが、一畑電車での1000系は元々東横線に所属していた編成でした。ところが2013年に地下鉄日比谷線との直通運転が終了し、さらに副都心線乗り入れに非対応であるために東横線での運用がなくなりました。そこで大手私鉄では数少ない中型中古車として地方私鉄への譲渡が始まったのでした。 一畑電車では、1928年登場の一畑電車自社発注車・デハニ50形を模した塗装になっています。 川跡~出雲大社前間の大社線では女性アテンダントが乗務しています。大社線沿線の観光地(出雲ドームなど)の紹介などを担当しています。 川跡出発から約13分。 出雲大社前駅に到着。 駅舎はステンドグラスが飾られ、小さいながらも開放的な空間のようです。 外観はこんな感じ。廃止された旧JR大社線の大社駅が和風建築であるのとは対照的に、ヨーロッパの古い教会をイメージさせるような駅舎です。 しかし最大の欠点は、駅舎内にトイレがないこと。すぐ近くにトイレ用の建物があります。 デハニ50形。映画の撮影で使用されたこともあり、車内を見学することができます。 時刻はもうお昼時。少し腹ごしらえしてから参拝することにします。 (続く)
Jan 10, 2016
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12月28日、9時30分。松江城見学(その3参照)を終えて一畑電車の松江しんじ湖温泉駅を目指しました。 島根県庁の入り口にて。 「かえれ 島と海 竹島」 竹島(島根県隠岐の島町)は日本固有の領土です。でも政治問題が好きではなくなった旅人の私にとっては心中複雑になってしまいます。 一畑電鉄バス。 松江城から徒歩20分ほどで松江しんじ湖温泉駅に到着しましたが、電車の時間まで40分ほど時間がありました。 駅前にあった足湯。ここで少し温まりました。 駅構内の駐車場には2100系(元京王5000系)が留置されていました。東京在住の私ですが、こんな原型の京王5000系は見たことがありませんでした。 次の電車は・・・、 10:37発 電鉄出雲市行き(312列車) 3000系(元南海21000系)が充当されていました。もちろん乗車するのは初めてです。 松江しんじ湖温泉駅の駅名標。 3000系の運転台。昭和30年代に流行した湘南スタイルとあって、広々としていそうです。 電車は定刻通りに出発。宍道湖を左手に見ながら進みます。爽快ですね。 松江しんじ湖温泉駅を出発して一駅目。松江イングリッシュガーデン前駅です。 元々は1928年に古江駅として開設されましたが、2001年に開業した美術館にちなんでルイス・C・ティファニー庭園美術館前駅に改称されました。これが日本一長い駅名でしたが、美術館の閉館に伴って2007年5月に再び改称されました。 ちなみに日本一長い駅名は、南阿蘇水の生まれる里白水高原駅(熊本県・南阿蘇鉄道)。元タイトルホルダーが返り咲いた形です。 電車は一畑口でスイッチバックをした後も田園地帯を走り抜けます。 川跡で出雲大社前行きに乗り換えです。 (続く)
Jan 9, 2016
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松江駅から市営バスに乗ること15分ほど(その2参照)。大橋川を渡った先にあるのが島根県庁を中心とした官庁街です。そのエリアに、国宝・松江城があります。 島根県庁の前に立っている、松平直政(1638年にそれまでの京極氏に代わって松江藩主となった)の像です。この像は元々1927年に建立されましたが、太平洋戦争時に金属供出で撤去された後に、2009年に再建されたものです。 これは松江城を築城させた堀尾吉晴の像。 豊臣秀吉による天下統一後に浜松城主となった彼は、関ヶ原の合戦で徳川方についた功績として、出雲国24万石を与えられました。その後、本拠地を月山富田城(安来市)から松江城に移転させる直前に急死しました。 その松江城築城の功労者である堀尾吉晴像の反対側に、お城への入り口があります。 開園時刻の8時30分を過ぎたばかりなので、周りにはほとんど人がいませんでした。観光案内所でリュックサックを預けて城内へ出発です。 階段を上がって左手側には、開智学校(長野県)を連想させる和洋折衷の建物が見えてきました。 これは興雲閣。1903年に建設された擬洋風建築の迎賓館です。 元々は明治天皇の行幸の際の御宿所として建設されましたが、日露戦争勃発により明治天皇の島根県訪問は幻となりました。その後、1907年に当時の皇太子(後の大正天皇)が訪問した際に宿泊所として利用されました。 興雲閣を過ぎて再び階段を上がって登閣料(560円)を払い、いよいよ城郭へと入ります。 堂々たる姿。全国で12か所しかない現存天守の一つです。 松江城は天守閣の平面規模では2番目、高さでは3番目、古さでは5番目(1611年完成)です。1871年の廃藩置県に伴い廃城となり、取り壊しが一度は決まったものの、地元の有志が買い戻したことにより存続となりました。1935年に国宝指定されましたが、戦後は一度、重要文化財になりました。そして2015年7月8日に再び国宝に指定されました。 これは地階の写真。籠城戦に備えた食料貯蔵庫でした。 2階、3階は資料館になっていて、本物の兜・甲冑が展示されています。 江戸末期の松江市街地の様子を表したジオラマ。 いくつかの急な傾斜の階段を登った末に、ついに最上階にたどり着きました。 最上階。ここは有事の際の指令所となるところで、城主がここから全軍に指令を出すところでした。 ここからは松江市中心部が360度見渡せます。 国宝に指定された際の証明書(下村博文・文部科学大臣=当時=発行)。 最上階の様子を1枚撮影。朝一番から晴れているとは、この日はついてます。 (続く)
Jan 7, 2016
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その1からの続きです。早朝の松江駅に到着した私は、階段を上がってホームに向かい、おもむろに撮影を始めたのでした。 島根県の代表駅、松江駅の駅名標。東京在住の私にとって、両端に知らない駅の名前が書かれていることは「知らない土地に来た!」という気持ちを増幅させるものがあります。 年末で学校は冬休みに突入。企業や官公庁も仕事納めが近い時期。しかも日の出の時間ということもあり、駅構内は閑散としていました。 6:43発 普通・出雲市行き(キハ47系の3両編成、125D列車。米子発) 3番のりばに到着した架線下ディーゼル普通列車です。米子~出雲市間が電化区間であるにもかかわらず、ディーゼルカーで運行される列車です。 7:03発 普通・新見行き(113系の2両編成、280M列車。西出雲発) 1番のりばに到着したのは真黄色になった113系。山陰本線から伯備線に直通する列車で、米子で822Mに列車番号が変わります。 これは115系の中でも1000番台に属する車両(岡山電車区所属)です。2001年に山陰本線と伯備線の普通列車でワンマン運転が開始されましたが、その当時岡山電車区に所属していた3両編成が2両編成に短縮されました。その際に中間車両を先頭車化改造が施されました。 これがその先頭車。103系のようなマヌケな顔つきになっています。 280M列車はここでしばし停車。特急やくも6号との接続のため12分間の長時間停車です。 6:59発 特急やくも6号・岡山行き(381系の9両編成、1006M列車。出雲市発) 岡山には9:38着という新幹線接続には好都合な時間帯なのか。それとも年末年始の行楽シーズンだからか。普段の6両編成ではなく、付属編成のついた9両編成で到着です。 カーブが多い路線向けの振り子式電車として開発された381系は、しなの号やくろしお号に投入されました。JR西日本では関西エリアでくろしお号に充当されていましたが2012年に287系が導入され、押し出される形で北近畿エリアに転属となりましたが、つい先日の2015年10月30日をもって定期運用から引退しました。 これにより特急やくも号は、381系が使用される唯一の定期特急となりました。 転落事故防止のために、中間に入った先頭車もヘッドライトを点灯させています。 列車撮影をしたら7時になりました。改札を再び通って朝食をとることにしました。 松江駅の改札口の全貌。 ドトールで朝食。山陰中央新報も年末とあってか、2015年のニュースを振り返る特集を組んでいました。 朝食後は、松江市営バスに乗って国宝・松江城へ出発です! (その3に続く)
Jan 5, 2016
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2015年クリスマスの時点で私が訪問したことのない本州の県は鳥取、島根の2県だけになりました。2015年12月27日。その2県を訪問すべく、2か月ほど前から進めていたプロジェクトを実行に移しました。 -0日目(2015年12月27日、日曜日)- その日は17時過ぎまで学習塾で仕事でした。一旦帰宅した私は急いで荷物をまとめ、祖師ヶ谷大蔵駅から小田急線に乗り込みました。 しかし経堂で急行に乗り換えるはずが・・・、 構内放送「向ケ丘遊園で安全確認をしたために遅れて到着する予定です」 私「これはデジャヴだよ・・・。3年前もそうだったし・・・」 まさにデジャヴでした。3年前の北陸旅行の時もそうでした(2013年1月11日の日記参照)。その時は、成城学園前から乗るはずの急行が江ノ島線内のトラブルで運休になったのでした。今回は運休ではなく10分程度の遅延で済んだとはいえ、東京を出発する前からハラハラさせられました。 経堂 19:15発 急行・新宿行き(1318列車) 定刻より8分遅れて急行(8000系)に乗車。しかし出発前に特急ロマンスカー・あさぎり6号(MSE)に追い越され、2回連続で出鼻をくじかれる事態となりました・・・。 どうにか下北沢で井の頭線に乗り換えて渋谷へ。予め余裕を持たせていたため、なんとかバスの時間には間に合いました。 渋谷マークシティ 20:00発 スサノオ号 松江駅、出雲市駅経由 出雲大社行き さて、ここからはJRバスに乗ります。今回お世話になる深夜バスは、スサノオ号。東京駅八重洲口始発で、松江駅、玉造温泉、出雲市駅を経由して出雲大社まで行くバスです。目的地である松江駅まで約10時間30分の旅です。・・・やっぱり島根は遠いなぁ。 この時期は年末年始という稼ぎ時とあってか2号車まで出る増車体制でした。 私の席は2号車の最後列に指定されました。3列シートで、リクライニングがかなり深いのがうれしいです。 今回も持参した、ショルダートート(キュアソード仕様)。 バスは定刻より少し遅れて渋谷マークシティを出発。2号車は2つほどしか空席がありませんでした(直前キャンセルだと思われます)。バスは首都高を経由して東名高速に入り、箱根の山を越えていきました。その後、足柄サービスエリアで一度休憩。ここでクリームパンとお茶を補充しました。 足柄出発後は、新名神高速、中国自動車道を経由して、米子自動車道へ入りました。 -1日目(2015年12月28日、月曜日)- 午前5時10分過ぎ。米子道の蒜山高原サービスエリア(岡山県真庭市)で2度目の休憩。この時は雪まじりの天気でした。 休憩後、バスは米子自動車道、山陰自動車道を進み・・・、 午前6時20分に松江駅北口に到着。バス車内では全く眠れませんでしたが、「遠くまで来た!」という実感がすぐに湧いてきました。ちなみにまだ日の出前だったので、きれいな星や月が見えました。そして、かなり寒かったです。 当然日の出前という早い時間帯から観光施設が開いているわけがないので、松江駅構内で暇つぶし。待合スペースには街頭テレビが設置されていました(チャンネルはフジテレビ系の山陰中央テレビに固定されていました)。 松江駅の改札口。 ・・・こんな県庁所在地の駅ってありかよ!! 私は思わず突っ込みたくなりました。確かに自動改札ではなく有人改札。これは首都圏ではもう見られないかもしれない貴重な光景ですけど、東京とのギャップの違いに驚いた次第でした。 こちらは島根県の観光キャラクターであるしまねっこ。2010年に登場しました。 ちなみにこの後乗車した一畑電車では「しまねっこ号」という車両を見かけました。 (その2)へ続く。
Jan 3, 2016
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1日遅れましたが、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 2016年(平成28年)が始まりましたが、今年はなぜか自分にとって縁起の良い1年間になりそうな予感がしてなりません。その理由は、 ・元旦から快晴。富士山が見えた。 ただそれだけですが、上手くいくような気がしてならないのです。世田谷区から富士山が見える日はよくありますが、頂上までくっきりと見えるような雲一つない青空の日は月に一度あるかないかのようなものだと考えています。 さて、当ブログで何度か言及していますが、改めて私の今年の目標を。 ・英語の教員免許取得の準備をします! 社会科教師(受験で必須ではない、ベテランの方々が多い)から英語教師(受験でも必須。どこでも求人がある)にコンバートするための勉強を始めます。石井琢朗ではありませんが、これは絶対に損のない勉強なので頑張ります。 ちなみに・・・ 2016年の(私的に)気になる予定 1月10日 NHKドラマ「真田丸」放送開始 2月7日 アニメ「魔法つかいプリキュア」放送開始 2月13日 新東名高速道路(浜松いなさJCT~豊田東JCT)が延伸開通 3月20日 寝台特急カシオペア号、急行はまなす号の各最終列車が札幌駅を出発 3月26日 北海道新幹線(新青森~新函館北斗)が開通 3月28日 プロ野球シーズン開幕 4月1日 電力完全自由化 4月4日 NHKドラマ「とと姉ちゃん」放送開始 4月29日 京都鉄道博物館が開館 5月26・27日 伊勢志摩サミット 7月10日? 第24回参議院選挙 8月5日 リオデジャネイロオリンピックが開幕 8月11日 山の日 11月上旬 築地市場が豊洲新市場として移転 11月8日 アメリカ大統領選挙 ○○周年 1月1日 ちびまる子ちゃん30周年 1月2日 ウルトラマンシリーズ50周年 1月15日 中日ドラゴンズ80周年 2月26日 2・26事件から80年 2月27日 ポケモン20周年 3月11日 東日本大震災から5年 4月3日 仮面ライダーシリーズ45周年 4月22日 サザエさん70周年 4月26日 チェルノブイリ原発事故から25年 9月11日 9・11テロから15年 12月25日 ソ連崩壊から25年 私が小学生だった頃に大ヒットしたものが軒並み20周年だとか30周年を迎える、サブカルチャーでは節目の年なんですね。一方で昨年は阪神大震災から20年でしたが、今年は9・11テロから15年。今年はそれらを知らない小学生の方が多くなってしまいました。着実に、無駄に年をとりつつある私です。 そんな私ですが、今年もよろしくお願いいたします!
Jan 2, 2016
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