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前回、24日の日記での松代大本営の見学記(9月18日訪問)の続きである。 公開されている通路。かなり薄暗いので足元に注意する必要がある。公開されている通路以外は全て立ち入り禁止であり、観光用の通路もこの先で途切れている。 立ち入り禁止エリアにはコウモリが潜んでいた。かなりビビってしまった。 ガイドの方の話によると、次のようなエピソードが残っているという。 まず、洞窟を掘り進める作業の際にはダイナマイトが使用されており、発破を繰り返しながら掘削を進めるという方法であった。そして爆発で発生した土を外に排出するためにトロッコで運ぶのである。 ある日、作業員が作業しているときのこと。洞窟の中で爆発音が聞こえ、現場に向かった。この事故で仲間が巻き込まれたという。仲間を懸命に探すが、見つかったのは胴体だけであった。つまり人間にとって一番大事な頭部がない遺体だった。その頭部を捜している途中、彼は天井から何かポツリ、ポツリと落ちる水滴を感じた。生暖かかったので考えてみると、なんと血であった。そして仲間の頭が天井の岩に挟まっていたという・・・。 非常に身の毛のよだつようなエピソードである。 柵で塞がれている、立ち入り禁止エリア。中にはコウモリが潜んでいることも。 しかし、ガイドの方が紹介された中にはこんな話もある。 爆発で発生した土や砂利をトロッコで運ぶ。2人1組になって運ぶのだが、最前線近くでは監視の目が光っている。この洞窟の掘削作業には在日朝鮮人の方々(それも若者を中心に)が多く携わっていた。 しかし砂利を捨てる場所付近は監視の目が届かないのである。そこで空になったトロッコに在日朝鮮人の若者が日本人の少年を乗せてあげて、まるで故郷に残した兄弟のように遊んでいたという暖かい話も残っている。 そして終戦とともに工事が終わり、在日朝鮮人の方々の大部分は朝鮮半島に帰れることになった。それを大いに喜んだのだろうか、洞窟の壁には漢字で「大邱」(韓国の都市)と書き残したという。私自身、朝鮮人の方々の故郷への気持ちがストレートに伝わったように思えた。 松代大本営を訪れてみて、戦争というのは多くの人々を不幸にするものだということを改めて感じ取れた。この松代大本営が建設される際に、ここ松代地区の多くの世帯が立ち退きを命じられたという。また、空襲や戦闘場面に遭うのももちろん悲惨だが、この松代大本営の工事に限らず、戦争のための体制協力全てが国民を不幸に陥れることなのだと実感できた。 世界中の人々が巻き込まれる大戦は、63年前のでもう終わりにしてほしい。
Oct 31, 2008
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オリックスは昨日、ユウキ投手と牧田内野手に対して戦力外通告を行った。牧田についてはついにその時が来たか、と思ったが、まさかユウキが戦力外通告を受けるなんて想像もしていなかった。 ユウキといえば中継ぎというイメージがあったが、昨年6月にはコリンズ監督の意向でカーターと共に先発に配置転換されたことが記憶に新しい。しかし先発に変わっても4勝4敗。私としても評価が難しいところだ。 一方、牧田はもう34歳。いつ戦力外通告を受けてもおかしくない選手だと思っていたが、ついにその時がやってきてしまった。彼は来季フロント入り(つまり現役引退)することが同時に発表された。お疲れ様でした。 話は変わるが、後藤の背番号が24→1に戻ることが決まったそうだ。昨年、今年と背番号1はコリンズ監督が付けていた。後藤に無理にお願いして1番を付けていたわけだが、そのコリンズ監督がシーズン途中に辞任。背番号1が空席になった。その後藤が背番号1を再び付けるのは自然なことだと思った。 いよいよ明日はドラフト会議。高校生、大学生、社会人とみんな揃ってドラフト指名を受けることになる。果たして注目される選手はどこに行くのだろうか?楽しみになってきた。
Oct 29, 2008
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麻生内閣が発足してから1ヶ月が過ぎた。3代に渡って衆議院総選挙という洗礼を受けていない政権ということで、内閣支持率も40%台と低めだ。当然のことだ。 麻生さんは首相就任後すぐに衆議院解散に踏み切るのではないかという見方が強かった。しかし昨年夏からのアメリカ発の金融危機がいよいよ深刻さを増してきた。昨月にはリーマン・ブラザーズが経営破たん。ワコビア、シティグループなどほかのアメリカの大手銀行も再編の波に飲まれた。また、AIGグループやINGグループといった世界的な保険会社でも大混乱が続いている。 これに日本の経済状況もかなりおかしくなった。日経平均株価は3ヶ月前と比べて6000円以上も下がり、昨月から急速に(対ドル、対ユーロ、対ポンドのいずれでも)円高が進んだ。製造業頼みの日本としてはかなり苦しい立場に立たされた。 そんな中で麻生内閣は今月16日に補正予算案を成立させた。その後、衆議院解散かと多くのメディアは見ていた。しかし、世界的金融危機は収まる兆しが見れない。追加の経済対策を講じるためとして今年中の衆議院解散はないのではないかという予測が出始めた。 早期の衆議院解散をしたほうが得策だと考えていた私も、さすがにこの緊急事態において解散回避はやむを得ない、と考えざるを得なくなった。 ただ、野党(特に民主党)を中心に「約束違反だ」と猛反発が出ている。3代に渡って国民の審判を受けていない政権なので、議会・国民に対する求心力を高めるために、まずは衆議院解散というのも考えうる方法だ。 もし解散となると、重要視されるのは解散の時期だ。クリスマスの前なのか、来年早々なのか、あるいは夏(来年のサミット終了後)なのか。特に3番目の来年7月投開票となると、東京都議会議員選挙と重なる。 公明党は都議会選挙と衆議院総選挙が重複することを回避するよう強く主張しているが、もし本当にダブル選挙となった場合、私から見て本当に面白い選挙になるだろうと思っている。都議会議員選挙は統一地方選挙の対象外。だからいつも投票率が低いのだと思う。そこで衆議院総選挙をぶつけることで、投票率大幅UPを図り、中央でも東京都でも政権交代へ・・・というシナリオが一番面白い。 次の総選挙で国民は、自民党と公明党の連立政権がやってきたことを9年分振り返ってから正しい判断をするべきだ。
Oct 28, 2008
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9月18日。ゼミ合宿最終日。朝7時少し前に起きる。実は16日夜、17日夜と、2日連続して酒盛りをしていたのだった。深夜0時過ぎまで起きていたのだから、かなり疲れ果てていた。そのため私としては遅めの起床だったと思う。 朝食後、出発時間までに旅館の部屋の中の片付けをし、荷物をまとめる。9時ごろには全員が荷物をまとめ終える状況になっていた。 松代大本営の近くにある住宅街。手前には皆神山が見える。 長野電鉄の象山口駅に近い、のどかな田舎町といってよい。 本題。この日、我々ゼミメンバーは長野市の郊外・松代地区にある、松代大本営を見学することになった。 松代大本営を私はこのゼミ合宿で初めて知った。松代大本営とは、1944年11月11日から日本軍によって建設が始まった、本土決戦に備えての大規模な防空壕の集合体である。私たちが見学した象山地下壕には主に、NHKといった報道機関や政府機関の一部が東京から移転する予定だったという。 簡単に言えば、臨時首都の造成である。なぜ長野市の郊外が’臨時首都’に選ばれたというと、次のような理由らしい。 ・太平洋からも日本海からも遠く離れている内陸であるから(これが第一条件) ・岩質が硬かったから ・長野県の別名は信州。「神州」とも読めるために縁起がよかったから 以上のような理由で、松代大本営が建設されたのだ。 松代大本営を理解するための観光客向け施設。 地元の高校生たちの協力によって、たくさんの貴重な資料が集められた。 大本営の観光用の入り口。本来の出入り口の関係でいうと、ここは出口に相当するらしい。 地元の私立高校の社会科教師がガイド役として協力してくださった。ありがとうございます。 実際に中に入ってみると、ゼミのメンバーのほとんどは半袖だったのだが、かなり涼しく感じた。そして中は薄暗い。今でこそ観光用に電球が灯っているが、建設された当時はかなり暗かったそうである。もはや手元にカンテラを用意しないと少し前も全く見えないような状況だったそうである。 1980年代になってこの大本営が明らかになったのだが、ガイドさん曰く、発見された当時は明りもなく、ただ暗かったという。明りなしでこの洞窟の中を歩くのは本当につらい。 松代大本営の中の様子。手前の通路は立ち入り禁止となっている。 このようなところで朝鮮人の方々が強制労働をさせられていたのだ。(続く)
Oct 24, 2008
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東武鉄道の制服は、上下ともこげ茶色のジャケット、スーツである。2003年に東急田園都市線と東武線との直通運転が開始されて以降(私は田園都市線沿線に住んでいた)、私は東武鉄道の制服といえば、このこげ茶色の制服以外あり得ないと思っている。 初めて書くが私は鉄道ファンという立場から見て、数多くある私鉄の中で東武鉄道が大好きなのである。理由というのは簡単に表現できないが、書けるとすると、 ・保守的な車両作り(8000系、10000系シリーズを長期間にわたって製造) ・広大な路線網を持っており、ロマンを感じるから。 ・つい2年前まで特別料金が必要な急行が走っていたので、国鉄チックな雰囲気があった ・東武鉄道の制服が、あまりにも印象的だったこと。 あまりにも自己主張が強い制服なので、一目で東武鉄道の制服だと分かってしまう。 挙げられるとしたらこのくらいだろう。 しかし、その東武の制服が11月から変更されることが発表されたのだ。 11月1日(土)より、駅係員・乗務員の制服を一新!!(東武鉄道、pdfファイル) 見てみると他の鉄道会社と同じような、11月から紺色主体の制服になる。 私は思わず一言。 「こんなの東武鉄道じゃない!」 鉄道というより、電鉄というイメージが強い制服になる。東急や東京メトロを連想させるような制服で、あまりにも没個性的だ。 しかし一部の人からは、こんな意見があった(以下はその人のブログの内容の趣旨)。 昔の営団地下鉄の萌黄色の制服とか、今の東武のこげ茶色の制服は、利用者からすれば頼りなく見える。しかし紺色の制服にすることで、「頼りになれる」と思うような気がする。 (引用終わり) 確かに「頼りになれる」という意見も出てきそうな気がするが、私としては今のままのこげ茶色の制服が一番だと思っている。 2年前の白紙ダイヤ改正により、浅草発着の準急が消滅。さらに急行が特別料金なしで乗れるようになるなど、東武鉄道らしさがどんどん消えている。また東武を象徴するものが消えるとなると・・・寂しく感じる。
Oct 23, 2008
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最近、更新が滞ってしまっている「ゼミ合宿in長野市」の連載。 9月16日の夜、鉄道ファンである私は宿舎から抜け出して長野電鉄・屋代線の松代駅に向かった。 しかし宿泊している旅館から松代駅までは徒歩20分程度の距離。約1キロはあろうかという距離だった。私は旅館で列車の到着時刻を予め確認したあと、走って松代駅まで向かった。東京のような大都会と違い、1~2時間に1本しか走らない路線だからである。 時刻表(須坂方面・平日) 6:23、6:58、7:41、8:25、9:38、10:41、 12:13、13:53、15:29、16:19、17:21、18:25、 19:22、20:29、21:51 (屋代方面・平日) 6:23、6:58、7:41、8:25、9:58、11:37、 13:12、14:51、15:29、16:42、17:41、18:25、 19:52、21:00、22:11 ご覧のように、1日でわずか15往復しかない。長野市内と言ってもかなり愕然とした。 私が狙ったのは、松代20:29発の屋代行き列車(428列車)。東京の日比谷線で使用されていた3500系電車にも会えると思い、ワクワクしていた。 走って向かった結果、列車到着の5分くらい前に松代駅に着くことができた。駅では地元の女子高生が1人待合室で待っていた。どうやら次の列車を待っているようだ。また、この駅には自動改札がない。駅の事務室にいるおじいさんの駅員が1人で切り盛りしていた。記念として入場券を買ったが、驚いたことに硬券だった。 非常に見えにくい写真で申し訳ない。 「入場券 松代駅 料金 160円 発売当日1回限り有効 旅客車内に立入ることはできません」 と書かれている。 「長野市内なのに、随分懐かしさがある」と思った一瞬だった。 松代駅の駅名標。青いラインが印象的。 いかにも昔の国鉄にありそうな物であるが、まさか21世紀の今まで残っていたとは意外だった。特に上の写真(手書きの列車遅延連絡票)は、今の時代のJRや大手私鉄ならばLED式電光掲示板でやっていることだ。しかしこれは裏を返せば、今の長野電鉄の経営がどれだけ苦しいのか、分かってくるのだった。 列車到着1分くらい前になって、列車到着を告げるブザーが鳴る。そして構内踏み切りも閉まる。やってきたのは3500系だ。 ヘッドライトがまぶしい3500系。1993年まで東京の日比谷線を走っていた列車であり、本や雑誌、YouTubeなどでは何度も見かけたことがあるが、実物を見たのは今回が初めてだった。 屋代発・須坂行きのワンマン列車(2両編成)。乗客は2人の女子高生だけだった。 松代駅を発車した3500系は、闇の中へ消えていった・・・。 この松代駅、朝には列車の交換も行われている。しかしそれ以外の時間帯はそれすら行われず、1~2時間という首都圏や関西圏といった大都市では考えられない間隔が空く。しかし私としてはかなり貴重な体験だった。長野電鉄の普通の駅の様子を見ることができたという点で。 その次の日には、善光寺下から須坂、長野駅まで乗車しているのだが、それはまた次の機会に紹介しよう。
Oct 22, 2008
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8月17日以来のNishikenの就活報告です。 自己分析をやってみた結果、今月に入って自分のやりたいことが、何となくですけれども見つかった気がしました。もちろん、それまでは紆余曲折がありました。自分のモチベーションの源がなかなか見つからなかったのです。 そんな中、友人からは 「自分のやりたいことが見つかったことだけでも、Nishikenさんにとっては大成功ですよ」 とメールで言われました。 (ここはブログですから、皆さんの前で書くのは遠慮したいと思います) でも就職活動もいよいよ佳境。企業にしても希望する所を絞らなければなりません。自己分析を行ったことで少しは企業の方向性が見えてきた気がします。 10月はあと2週間足らず。これから集中的に企業の選考を受けて早く行き先を決めたい。将来についてけりをつけたいです。話は変わりますが、来月4日にはアメリカ大統領選挙があります。それまでには内定もらっているといいな。
Oct 19, 2008
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今朝起きたのは7時45分。私は普通6時半に起きるので、大遅刻でした。大学は埼玉にあるので、早く起きなければいけないのです。珍しく寝坊をしてしまって、当然大学の1時間目の授業に遅れてしまいました。おまけに千代田線が常磐線内のトラブルのために遅れてしまった。まさに泣きっ面にハチです。 大学に着いたのが9時25分頃。普段は8時50分頃なので30分以上の遅刻です。 先生からも「珍しいね、Nishikenが遅刻だなんて」と言われました。 原因は、おそらく夜更かしです。毎日のようにネットサーフィンをやっているので、ついつい日付が変わってまでやることもしばしば。もうこの夜更かし生活はやめよう、と決意した一日でした。
Oct 17, 2008
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遅くなってしまったが、オリックスのプレーオフでの戦いぶりについて私なりに振り返りたいと思う。2004年にプレーオフが創設されて以来、初めてプレーオフ(クライマックスシリーズ)という大舞台を経験することになったオリックス。Aクラスは9年ぶりということなので、かなり気合が入っているように見えた。しかも2位スタートなのでファーストステージは大阪ドームでの開催。私なりにも期待が持てたのだった。 しかし結果はご存知の通り、0勝2敗で3位スタートの日本ハムに惨敗。これについて私はこう叫びそうになった。 何やってんだ、バカヤロー!せっかく大阪ドームでの開催権を手に入れたのに、このザマか!!(激怒) 11日の第1戦。日本ハムはエース・ダルビッシュを投入したのに対し、オリックスは今年になって大ブレイクした近藤。しかも大石監督は投手だけでなく、野手も予告先発したので、敵側に有利に働いたことになった。以下はスポーツニッポンの記事を引用。 オリ隠さん!投手も野手もオーダー公開(スポーツニッポン、今月11日) パ・リーグのクライマックスシリーズ第1ステージ(京セラドーム)が11日、オリックス(リーグ2位)―日本ハム(同3位)で開幕する。オリックス・大石大二郎監督(49)も先発オーダーを公開、対戦を前に両軍がヒートアップしてきた。 何も隠すことはない。オリックス・大石監督が投手だけでなく、野手まで予告先発した。京セラドームでの全体練習後、報道陣に囲まれた指揮官は「先発の選手たちにはもう伝えてありますよ。言いましょうか?」と話すと「坂口、下山、3、4番(カブレラ、ローズ)で後藤、日高、北川、小瀬、大引…」とスラスラ第1戦のオーダーを口にした。 ダルビッシュ相手にお手上げ、というわけではない。「オーダーは(シーズン中と)変えようがないですからね」と話す指揮官の頭には攻略法が見えている。日本人最多14本塁打の後藤を5番に抜てき。2番には今季ダルビッシュ相手に4打数3安打とチーム一相性が良い下山を据え、チャンスメークをもくろむ。“ガチンコ勝負”の3連戦。これ以上ないオーダーだからこそ隠す必要がなかったのだ。 戦い方はシーズン中と同じ。一戦必勝で頂点を目指す。 (引用終わり) 先発投手だけならまだしも、野手まで予告とは、どれほど自信があったのだろうか。利敵行為以外の何者でもない。プレーオフとは、レギュラーシーズンの延長という感覚だったのだろう。私もそう感じていたが、プレーオフでは2つも負けたら即敗退である。 試合の方は、ダルビッシュが14奪三振。日本ハムはわずか5安打で4点を取った。一方のオリックスは9安打なのにわずか1点。理由としては安打の後が併殺打(3つもある)、あるいは三振などで後続が続かなかったことが一番の敗因だ。 オリックス 1-4 北海道日本ハム 12日の第2戦。オリックスはエース・小松(15勝3敗)を投入。 しかしこの試合も日本ハムが13安打を放って7点取ったのに対し、オリックスはわずか6安打で2点。ヒットが出なければ点の入れようがない。特にカブレラ、ローズの不振、そしてなによりも「こいつが投げれば負けない」とシーズン中に安心させてくれた小松が3失点。大誤算だった。まるで2004年、'05年のホークスみたいだ。 結局、短期決戦での経験の差が明確に現れた形のプレーオフ・ファーストステージだった。
Oct 14, 2008
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富士スピードウェイに舞台が移ってから2年目。初めて晴れのコンディションでのレースとなった。私は予選は見ていなかったのだが、総論としてはマクラーレンとフェラーリの2強の戦いにアロンソが割って入ってきたという印象が強かった。 予選の結果 1:ハミルトン 2:ライコネン 3:コヴァライネン 4:アロンソ 5:マッサ 6:クビサ 7:トゥルーリ 8:グロック トヨタが2台とも予選の最終ステージに残ったことに期待を持てた。一方のライコネン、このレースでハミルトンがノーポイント、かつ自身が2位以上でゴールしなければ、ライコネンの2年連続チャンピオンの可能性は完全に消滅する。また、シンガポールで久しぶりの優勝を飾ったアロンソは、4番手からスタートである。母国GPの中嶋は14番手に沈み、巻き返しを狙う。 午後1時30分にレースがスタート!スタートでは2強の駆け引きがあった。また、その直後に最初のコーナーで後続のマシンが混乱に陥り、クルサードが中嶋と接触。クルサードのマシンは大破。最後の日本はリタイアに終わってしまった。中嶋もフロントウィングに傷を負ってしまう。そんな混乱の中、トップに飛び出したのはクビサ!クビサに続いて、アロンソが行く。また、マッサ、ライコネン、ハミルトンといったチャンピオン争いをしている面々がいずれも後ろに下がる。実に波乱のスタートである。 レースは67周。タイヤに厳しいサーキットである富士スピードウェイでは序盤から他のマシンにもトラブルが発生した。グロック、スーティルがリタイア。コヴァライネンもエンジントラブルでリタイア。そんな中、マッサとハミルトンが2周目に接触!ハミルトンが最後尾まで落ちたにもかかわらず、ドライブスルーペナルディはマッサとハミルトン両者に出された。これで2人とも優勝争いから脱落である。 ここでグングン調子を上げてきたのがアロンソ。合計2回のピットインの結果、クビサを抜いてトップに立った。そして誰もアロンソのペースについて行けなかった。一方、後方ではマッサとブルデーが接触した。ペナルティはブルデーの方に来た。また、マッサは8位を走っていたウェーバーを猛追。ウェーバーの左フロントタイヤがかなり傷んでいたのが印象的だった。富士スピードウェイがタイヤに厳しいサーキットだという証だ。彼は結局、9位でゴール。 そしてシンガポールGPで優勝した勢いそのままにアロンソが優勝!通算21勝目である。前回のシンガポールでの優勝がまぐれでないことを証明してみせた。まさに完全復活である。 ライコネンは3位に終わり、チャンピオン争いから完全に脱落。中嶋は15位でさえない結果となってしまった。トヨタはトゥルーリが5位入賞を果たした。 私としても今日のレースは、アロンソのためにあったといって良い。正直に思う。アロンソ復活を印象づけるレースだった。 また、ハミルトンについてだがスポーツ報知などの記事(要旨)を見ると・・・。 「放漫な性格でイギリスメディアからも批判されている。ライコネンに17点差をひっくり返された昨年と比べて、精神的な成長のあとが全く見られない」 と、散々に書かれた。 果たしてどうだろうか。ハミルトンをどう評価すべきだろうか。やはり、チャンピオン獲得といった頂点に近づくにつれ、人は焦ってくるのだろう。その証だと思う。次回、上海、ブラジルと落ち着いたレースをすればチャンピオンはおのずと近づいてくるはず、と私は思う。 次回は上海。ハミルトンVSマッサの天王山となるだろう。
Oct 12, 2008
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8日の日記では、浅川ダム建設予定地の写真を紹介した。道路が荒廃していた様子が見て取れたと思う。 総論をまとめてみよう。 そもそも浅川ダムは1971年に建設計画が持ち上がった。その後、工事着工に向けての予備調査が行われたのだが、2000年の長野県知事選挙で田中康夫氏が当選したため、浅川ダムの先行きが不透明になった。この知事選挙では、現職の吉村午良氏が引退し、代わって共産党を除く県議会での各政党が推薦する池田副知事が後継候補として選挙を戦った。しかし当選確実といわれた池田氏が敗れたことは、文字通り長野県内に激震を与えたのだった。2001年2月、田中知事による脱ダム宣言により、浅川ダムの工事は凍結された。 しかし2006年8月の長野県知事選挙では、郵政造反組であり自民党を離党していた村井仁氏が野党統一候補として出馬し、当選した。その後、村井知事は浅川ダム建設についてゴーサインを出すことに舵をきった。 浅川ダムは当初高さ59メートルの計画だったがその後、治水専用ダムとするために高さ53メートルに修正された。工事に17億円の予算を盛り込み、来年にも工事が着工されるのだ。しかしこの浅川ダムは、長野市北部の市街地の近くに建設されるために住民の不安が大きいのは当然である。また、この辺りは地滑りが度々起きているので、「このような危険な場所にダムを作るのはどうなのか」という意見が出ている。 また、地滑り防止エリアに付け替え道路があるために、それも危険極まりない。その道路はそもそも長野オリンピックの際に、スキーなどの開催コースに直結させるために作られた道路である。つまり先に付け替え道路を作って、その後にダムの中心点の位置を決めるという、矛盾したことをやっていたのである。 まとめとして、私も「これでいいのだろうか」と本気で思った。また、長野市だけの問題だと思うのに、それを県知事選挙で問うたのだから、広い長野県、特に中南部の県民は浅川ダムについての関心は薄いと思う。そう考えたら長野市民の思いは犠牲にされていないだろうか。ますます心配になるばかりだ。 私たちはその後、山の中にあるカフェでとりあえず休憩。夕方4時過ぎなのに、かなり涼しいことが良かった。長野はいいなあ・・・と思った瞬間だった(山の中だったけど)。休憩後は宿に戻るために松代に戻る。途中、ガイドさんと別れるのでゼミ仲間のみんなでお礼の挨拶。本当にありがとうございました。
Oct 11, 2008
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前回の更新からだいぶ日が経ってしまいました。申し訳ありません。 その5・浅川ダムを視察2(9月30日) 我々ゼミの一行は、食事休憩することになった。ガイドの方がサイゼリヤを予約してくれたそうで、我々もそこに入る。4~5人でテーブル席に固まり、適当に何かを注文する。ちなみに私はサイゼリヤに入るのが初めてだったので、適当にドリアを注文した。味はなかなかおいしかった。しかしこれで300円というのは安い。なぜなのだろうか。 1時間足らずで食事休憩を終わらせ、我々の乗ったバスは浅川ダムの建設予定地に向かう。浅川東条のあたりで県道に入り、ダムの付け替え道路に入る。ここから見る浅川はずいぶん小さな川である。この小さな川の名前が全国的になったのだから、ダム問題というのはある意味おそろしいものだ。我々はこれから先に見える県道(付け替え道路)を通る。この付け替え道路は、浅川ダム建設に備えて整備されたものだ。急勾配を上るためにループ線となっていて、面白い。これは浅川ダムが満水になったときに、旧県道があるところは水没する可能性があるからだ。 しかし聞くところによるとこの付け替え道路は、なんと地すべりの可能性がある箇所に建設されており、しかもこの付け替え道路の位置を決めてから、ダムの中心点の位置を決めていたという、矛盾したやり方を取っていたという。 バスが最初のトンネルを抜けたあと、我々は降ろされた。(長野市の中心部方面から)最初のトンネルを抜けて左手側に、駐車場ではないが広い空間がある。工事予定地みたいなところである。ダム建設予定地の光景を見られるスポットだという。 そもそも浅川ダムは穴あきダム(つまり治水専用ダム)として建設されることになる。近くにある、国土交通省が設置した看板には「利水(発電など)には使わないので、景観を大きく損ねることなく、町との共存ができる」と書かれていた。田中知事の下で脱ダム宣言があったときには一旦この広告も撤去されていたが、村井知事に交代してからは再び設置されたという。 しかもここは地滑りが発生しやすい地域。「このような地滑りが多い地域にダムを建設しようとしたのが信じられない」とガイドさんは語っていた。たしかに大いに問題だろう。 バスは旧県道を走る。獣道ような道なき道を通り、駐車ポイントに到着。ここから少しハイキングの様相を呈することになる。ダムの中心点などを直接見るためである。以下は私が撮影した写真。 旧県道にある黄色い道路標識が草木に覆い被さられている。 「もはや人の手入れがないとこうなってしまうんだぞ」と私たちに教えてくれたようだった。 旧県道に沿って流れる小川がある。これもダム建設により消えてしまう。 人の手入れがなくなった道は、むなしい。道路標識も寂しそうだ。 草がぼうぼうに生えており、殺伐とした雰囲気を感じてしまう。 しかし付け替え道路ができる前は、この道が長野市と戸隠村、鬼無村を結ぶメインルートだったのだ。 (続く)
Oct 8, 2008
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私は東武鉄道の駅名標の写真を集めているのだが、今月になってその駅名標のデザインがマイナーチェンジされている。 まず、改修される前の草加駅と松原団地駅の駅名標。 いずれも現在は撤去されて現存しない。 そして次の写真が、改修後の駅名標。 見ての通り、横長のデザインになった。そして駅名標と時刻表と路線図が一体化されたのだ。 これはユニバーサル・デザインというべきなのか。確かに、お年寄りや子どもにとっては新しい方が見やすい。 私が今日確認したところによると、北千住から蒲生までは新しい駅名標に改修されているが、新越谷から北、あるいは野田線までは改修の手は及んでいないようだ。しかしいずれは新しいデザインに交換されるかもしれない。早いうちに旧来型のを撮影し、保存しておかなければならない。
Oct 7, 2008
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昨日のブログでは、オリックスで戦力外通告を受けた選手を紹介した。合計5人だった。今日は他球団の戦力外通告の状況を考えてみたい。 まず、一番気になったのは楽天。吉岡、森谷、鷹野といった近鉄出身選手が相次いで戦力外通告を受けたのだ。中学生の頃から近鉄を応援していた私にとって、衝撃的な内容だった。 (投手)佐藤宏志、戸部浩(捕手)木村考壱朗 (内野手)吉岡雄二、沖原佳典(外野手)森谷昭仁、鷹野史寿、高波文一 これで2001年に近鉄を優勝に導いた選手の多くが戦力外通告を受けることになった。他にも旧オリックス出身の小倉の引退が発表された。 この中には、球団初年度の2005年のシーズン途中に阪神から救済トレードで移籍した沖原がいる。彼も戦力外となった。負け数を重ねていた当時の楽天にとって、阪神の元レギュラー・沖原はまさに救世主だった。トレードが成立したその日に仙台に飛び、早速入団記者会見。挙句の果てにはそのまま1軍登録され、楽天の選手として試合に出場した。 阪神で居場所を失った沖原が楽天でレギュラーとして活躍したことを象徴するように、球団創立当初の楽天は戦力を(特に近鉄、あるいは旧オリックス出身の)ベテランに頼っていた。当時の田尾監督も新人監督だったので、ベテラン選手に頼らざるを得ないという感じだったろう。 吉岡、鷹野、森谷、高波といったベテランの活躍が印象的だった。まさに楽天イーグルスは、近鉄バファローズの生まれ変わりなんだなあ・・・と感じていた。 しかし楽天にも有望な生え抜き選手が続々と入団。渡辺直人、塩川、草野、中村真人などだった。彼らのようなベテランの居場所がどんどん狭められていった。致し方ないとはいえ、いざ戦力外通告となると元近鉄ファンとしては、寂しいほかない。 続いて大粛清になりそうな横浜。5年ぶりにシーズン90敗を突破、最下位も確定してしまった。その中で外国人選手は全員解雇(その内、外国人3投手はシーズン途中に解雇された)。日本人選手についても、7人以上が戦力外通告を受けている。 (投手)染田賢作、土肥義弘、入来祐作、橋本太郎 (外野手)河野友軌、小関竜也、西崎伸洋 中でも入団テストで獲得したベテランの入来、小関を1年で戦力外にしたことに驚いた。「入団テストで獲ったんだからもっと積極的に使えよ!」と私は思わざるを得ない。そして巨人キラーの土肥も戦力外になったとは予想外だった。 さらに、石井琢朗、鈴木尚典のベテラン2人が構想外選手となり、退団濃厚。そして川村投手が引退を表明。大洋時代を知る男で、横浜一筋20年の石井琢朗が退団するということはとても想像できない。ひょっとしたら生涯横浜を貫くために現役引退・・・ということも考えられる。 今日は連敗が14でストップしたが、一部の横浜ファンからは「辞めるヤツが違うだろ!!」と怒号が飛んでいるそうだ。 ベイファン激怒「辞めるヤツが違うだろ!」(スポーツニッポン) 横浜は投打に精彩を欠いて大敗。53年ぶりとなる球団ワーストタイの14連敗を記録した大矢監督は「本当に申し訳ないですまない連敗だ」とショックを隠せない。佐々木球団社長も「何とか記録だけは更新してもらいたくない」と顔をこわ張らせた。光が見えないチーム状況にファンの怒りも収まらない。9回の攻撃中には、球団が戦力外通告した石井琢の応援歌が右翼席で5分以上流れ、試合後は「琢朗を辞めさせるな!」「辞めるヤツが違うだろ!」などの怒声が響いた。 (引用終わり) 「全く戦力にならない外国人選手を取ってきたのは首脳陣の方だ。選手だけに成績不振の責任を押し付けるのはひどすぎる」 こう言いたかったのだろう。私も同意見で、選手だけに成績不振の責任を押し付けるのは酷だ。もっと野球ビジネスを理解している人が首脳陣に多くいるべきだ。 また、日本ハムでは昨年のシーズン途中にオリックスから移籍した歌藤達夫が戦力外通告を受けた。まだ実力があると思うのだが、オリックスは再獲得に興味を示すのだろうか。しかし左投手には山本がいるし、高木もいる。歌藤が戻ってきたとて居場所があるという保証はないだろう。
Oct 4, 2008
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パ・リーグはレギュラーシーズンもあと1~2試合残すだけとなり、プレーオフへの準備が着々と進んでいる。そんな中、今年も戦力外通告の季節がやってきた。今年は選手会との合意事項で、以下の取り決めがなされた。 ・10月に入ってからでないと日本人選手に戦力外を通告できない。 ・12球団全てがレギュラーシーズンを終えたその翌日まで、戦力外通告ができる(第1次期間) とりあえずこんな取り決めである。1日から戦力外通告のニュースが次々と入ってきた。オリックスでは、吉川勝成、エリック・ヤング、筧裕次郎、平下晃司、そして吉良俊則の5選手が戦力外を通告された(赤文字は近鉄出身選手)。 戦力外通告のお知らせ(オリックス・バファローズ公式サイト) まず、吉川投手というと2005年に中継ぎ投手として活躍したことが印象に残っている。まだまだやれると思っていた。それだけに「えっ、吉川が戦力外だなんて・・・」と思った。 次にヤング。彼はオリックスが今年開幕直前に獲得した投手であるが、中継ぎとして登板しては試合をぶち壊していた、と記憶している。戦力外になって当然だと思った。 平下は近鉄出身で、ロッテにトレードされた。その後、昨年のシーズン途中に吉井理人とのトレードでバファローズに帰ってきた。しかし今年になって1軍登録は一回もなかったのではないか、と記憶している。私としても非常に印象の薄い選手だった。 次に、筧と吉良の近鉄出身の無名選手2人について。過去の2軍戦のデータを見るに、「2軍では良い成績を残しているそうだし、1軍に上げても良いのではないか」と思ったし、若手の発掘にもつながると思ったのだが、こういう結果になってしまい、大変残念だ。 しかしこれは戦力外通告の今年第1弾に過ぎない。他にもオルティズ、ラロッカ、光原が戦力外通告の有力候補だろう。 また、今年8月にはデイビーが戦力外通告を受けた。彼はオープン戦の頃からケガに苦しんでおり、ついに今年は1回も1軍で投げることがなかった。小松、金子、山本といった若手投手が成長してきたので、必要がなくなったのは言う間でもない。 プレーオフ終了後に第2弾があると思われるが、果たしてどうなるのだろうか。
Oct 3, 2008
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今日はオリックスのレギュラーシーズン最終戦。これで144試合目となる相手は福岡SB。 そして清原にとっては現役最後の試合となった。彼は球団首脳陣へプレーオフ出場辞退を申し出たそうであるから、清原のユニフォーム姿を見るのは今日が最後だったわけである。 引退試合の今日は4番・DHという最高の位置で先発出場。以下は今日のスタメン。 (中)下山 (二)後藤 (一)カブレラ (指)清原 (左)ローズ (三)北川 (右)村松 (遊)塩崎 (捕)日高 (投)近藤 清原がDHで先発したのに伴い、ローズはレフトで先発出場した。 まず清原の第1打席は2回ウラ。相手は杉内だが、最初から最後まで全て直球勝負だったそうだ。しかしこの時は外野フライ。4回ウラでは三振を喫する。しかし、打席に立つ度に3万人以上の観衆から大歓声を浴びる清原。彼はやっぱり偉大な選手なのだと認識させられた。 応援歌も、歴代の清原の応援歌が流れていた。オリックス→西武→巨人→オリックス、の順に流れていた。 そして6回ウラ。ついに、ライト前タイムリーヒット!1打点を挙げる。そしてこれが現役最後のヒット、最後の打点となった。「最後の最後で魅せてくれた」という印象を与えた。 最後の8回ウラ。現役最後の打席。清原は杉内と真っ向勝負。そして彼らしく豪快に三振。この瞬間、清原の現役生活が終わったのだった。 試合は4-1で見事、オリックスが勝利した。近藤が自身初の2ケタ勝利を達成したことで、オリックスにはシーズン2ケタ勝利投手が4人も出る状態となった。投手王国の成立だ。昨年の今頃では考えられなかった、実にうれしいことだ。 そして試合終了から20分以上が経過した夜9時から、清原の引退セレモニーが行われた。選手会長・北川と、サプライズゲストの阪神・金本から花束をもらう(しかし忙しいスケジュールを縫って、一切言い訳せずに友人の引退セレモニーに駆けつける。実に金本らしかったと思う)。本当に印象深かった。 そして最後に、長渕剛が登場。観衆と共に「とんぼ」を熱唱。球場のボルテージが上がったところで、クライマックス。清原の引退の挨拶。 西武、巨人、オリックス、23年間でお世話になった3球団の関係者とそれぞれのファンに対する感謝の言葉が述べられた。そして「最後の花道は俺が作ってやる」と約束した仰木彬氏(故人)に対するお礼の言葉が述べられた。仰木さんなくして、今の清原はなかったのだ。巨人でもう用済みになった清原を、パ・リーグを再び活性化させるために呼び寄せようとした仰木さんの情熱というのを、また感じることができた。 ホームランは通算525本。通算1530打点。日本プロ野球でも10本の指に入る、偉大な個人記録だ。 私は清原を知ってから、11年程度しか経っていない。しかし非常に印象深かった選手だった。最後の3年間、まさか私がオリックスで清原を応援することなんて、たった5年前までは考えられなかった。 23年間、本当にお疲れ様でした。
Oct 1, 2008
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