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一橋大学の門の前。構内には入らなかったが、卒業生である友人によると、「大抵の学校は、校舎の建て直しをしているのに、一橋は昔のままだから、今では、映画のロケにも使われる」のだそうだ。さすがの貫録。昔とちがって、女子学生も多い。(もちろん!)本日の目的地は、NHK学園なので、一橋の前は通りすぎて、紅葉をみながら・・・また銀杏を見ながら・・・写真をとったり、落ち葉を拾ったりしながら、歩く。道の脇の自転車置き場には、なんとたくさんの自転車!バンクーバーにいたら、自転車屋さんででも、こんなにたくさんの自転車を見たことがあったかしら?歩道に、「国立駅からOOM」と書かれたマークが100メートルごとにあり、1200メートルのところをすぎたあたりまであるいて、二日続きのNHK学園のスクーリングに参加。ちょっと、がんばってみようかな?
November 29, 2012
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昨日から、北日本は大荒れの天気だそうで、北海道、特に、登別・室蘭あたりの被害が報じられている。登別で雪をかぶった鉄塔が風で倒されている画像や、広域停電のため、避難所で、石油ストーブで暖をとりながら、外気温氷点下になっている夜を過ごしている方たちの談話が放送されていニュースを、東京で見たり、聞いたりしながら、驚いてしまった。私は、18日夕方にJRで登別駅に到着し、温泉で一泊し、次の日に釧路に向かうという旅行を、当たり前のような顔をして、したばかりだけれども、今週のことにしていたら、ずいぶん大変な思いをしたことになるだろうと、思った。もし、それが今日だったりしたら? と思うと、自分の準備の甘さ考え、ぞっとする。クレジットカードはもっていったけれども、停電だと使うことができないし、普通に動くものと想定していた交通機関は、運休していたし、飲み物はもっていたが十分な量ではないし、食べ物は、のど飴くらいしか持って歩くことは考えていなかったし、防寒着はふつうの状態なら十分なくらいにはリュックに入れていたが、氷点下の何日かを過ごすには十分とは言えないし・・・。結果として、ただでさえ、超大変な地元の方々に、かなりのお世話をかけたりていたかもしれない。北海道旅行に行くのを、18日から24日までの一週間としたのは、たまたま主人とそろって一週間予定を開けられるのがその週しかなかったという理由だったのだが、運がよかったということだろう。かといって、これにこりて、今以上に「あれも、これも」とバックパックに荷物を入れるようになったら、今度は荷物を運ぶのに苦労するようになりそうだし・・・・。
November 28, 2012
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昨日と打って変わったよい天気。昨日はほとんどいなかったゴルファーも大勢いて、次々とティー出ていく。別荘の掃除やシーツ洗いなどをしてから到着した「諸君」は、隠しても隠しきれない二日酔いと寝不足の顔だったが、でも、青空のもとに出れば、みな元気。まずは、作戦会議。さてっと・・・!ティーショットは、誰?なんだか、長いぱっとをしている模様。入れっ!疲れ果てた一同は、満月を一緒に見て解散。楽しい一日でありました。別荘を提供してくださったIさん、車に乗せてくださったAさん、そして楽しく遊んでくださったみなさん、ありがとうございました。高校時代に同級生だったころには、70代になってから、集まってこんなによく遊ぶ日が来るとは、想像もつかなかった。
November 27, 2012
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天気予報は、悪いのだが、朝おきてみると、まずまずの天気。「半分でもやれれば、ありがたい」くらいの気持ちでやり始めたが、6番ホールくらいから、雨風が・・・ハーフで昼食ののち、あまりひどくならないうちに、できるだけまわろうとしてテキパキと出発。しかし、風雨はひどくなるばかり。ただ、気温がたかくて、雨が冷たくないので、別にやめる気にもならずにゲームを続ける。。パットをしようとすると、帽子のつばから、雨滴がぽつんとボールすれすれに落ちると、それが目とボールの線があっている証拠なので、すかさずパットをすると、きちんとうちさえすれば、成功するのが面白い。しかし、いくらなんでも、カートのハンドルも取られる状態に危険を感じて、2ホールを余して、中止した。あとで聞くと、その時間には、鴨川付近では電車も止まってしまっていたとのこと。遊んでいる間は意識しなかったが、着替えようとしたら、雨具を着ていたのに、下着までびっしょり。われながら、あきれた。Iさんの別荘は海岸にある。海風はことさら強いらしく、止めた車がひっくり返されても不思議がないような風が吹いている。二階の窓から海を見ると、昨日は穏やかだった海が、白く濁って、波が高い。夕食の買い物は前日に済んでいたので、外の荒れ模様をよそに、皆でクッキング。夜、少し風雨がしずまって、電車の運転も始まったのをたしかめて、主人とホテルに帰る。実は、11月26日は、72歳の誕生日。これまで何回もあった誕生日の中で、もっともユニークな一日であったかもしれない。
November 26, 2012
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昨日、北海道から帰ったばかりだというのに、今日からゴルフ旅行。とはいえ、家まで車で迎えに気ていただいたので、私にとっては「黙って座れば、もう鴨川」という具合で。一行は、高校時代の同級生4名に私たち夫婦。一旦、三台の車に分乗して海ほたるに集合。その後は、万葉時代なら、「馬並めて」というところだが、「車を続けて」鴨川にあるI氏の別荘を目指す。海岸にあるI氏の別荘で、一休みしてから外に出ると、夕方の海があくまでも広く美しい。人もトンビも、うっとりと、海と空に見入る。別荘の入り口に咲いたつわぶきの黄色が、一段と美しい。そうこうしているうちに、上弦の月が出てきたが・・・・ちと、雲行きがあやしげな・・・ま、明日は明日のこととして・・・みなさんの酒宴をあとに、主人と私はゴルフ場のクラブハウスにあるホテルに移り、すぐにZZZZZ
November 25, 2012
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夫の「JR全線のりづくし」の最終日。夫が、子供たちにあてて書いたメールの文章を、以下に借用する。平成24年11月23日12時46分、根室本線落合駅から新得駅着。これで、今日時点でのJR全線・全区間に乗車完了。因みに、今日乗った区間はほとんどがトンネルで昭和41年に開通したもので、それ以前は二重連(機関車2台で引っ張り、最後尾にもう一台機関車で押し上げた)狩勝峠を超える大変な区間でしたーここを昭和37年に通っています。 次は、来年秋に廃線区間の一駅が再開される広島の可部線、2015年開通予定の北海道新幹線新青森―新函館間となります。プラス、2010年8月の台風による土砂崩れによる不通、今年1月JR東日本が廃線を発表したが、地元反対運動をしている岩手県の岩泉線の状況によっては、再挑戦の要があるかもしれません。 なお、この区間には、2010年11月に代替えのバスでは乗っています。この時宮古に泊まりましたが、ホテルの名前は BIG WAVE HOTEL でした。
November 23, 2012
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好天気の朝、ホテルがちょっとみじめだったので、早くチェックアウトして駅までぶらぶら歩いて、列車にはまだまだ時間があった。陽だまりでぼんやりしていたら、足湯が目について、さっそく利用。手ぬぐいも、リュックの上の方に入れてあったので安心して、少し熱めの足湯を使うと、気温はマイナスなのに、体がぽかぽかしてくる。なんと気持ちのよいこと!出勤してきた観光協会の女性が、駅の鍵をあけながら「30分くらいつかるといいよ~」と声をかけてくれた。いつまでも足湯につかってもいられないので、昨日、釧路から乗ってここで降りた列車に、また乗って、網走に。(これも、未乗車区域。)さらに旭川に。(これも未乗車区域)旭川の ドーム インに泊まった。値段は、二人で1万円そこそこなのに、今回の旅行では、一番よいホテルだった。客室の設計といい、設備といい、非常用の備えといえ、シャトルバスといえ・・・私の要求水準にぴったり。(全天候対応のブーツを買ったので、足元も安心)
November 22, 2012
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昨夜は、市場に行って「勝手どん」を食べた。初めての経験だったが、発泡スチロールのどんぶりにごはんを買って、その上に、海産物をそれぞれ勝手に買い込んで、乗せて食べるのが、好奇心も食欲も満たされて、楽しかった。朝、釧路発網走行列車で、摩周(弟子屈)まで行く。 この区間が、主人のJR初乗車部分。「弟子屈」と認識していた駅名が「摩周」に変わっていたのには、「浦島太郎感」があったが、降り立ってみれば、空気がおいしい、静かな町だった。列車の中から、ケータイで予約しておいたタクシーに乗り、早速、摩周湖を見に行った。(今回の旅行で一番費用のかかった贅沢な部分。)雪をふみしめながら駐車場から展望台にあがると、VOILA!晴れ渡った空に、イヌワシが旋回していて、湖が藍色にが広がった向こうには、シーンとした雪山。雪を踏みしめる自分達の足音の他は、何も聞こえない。たまたま、展望台でカメラを三脚にセットしていた英語の国の方が、Stunning! とつぶやいていたが、まさにその通り。TANKA にするときには、私も、Stunning!という言葉を使おう。「みなさん、霧のある季節にばかりやってきて、摩周湖は見えないというけど、霧のない季節は寒いといって誰もこないんです」と、運転手さんが苦笑していた。夜は弟子屈駅近くに泊まったが、町は閉めている店がほとんどだし、ホテルも、いかにも、やる気がないホテルで、昨年のクリスマスのリースが、ほこりだらけでまだ壁にかかっていたりしたのだけれども、気分の高揚している時は、それも一興。ま、人が来ない季節に、「道の駅」とホテルが営業しているだけでも、十分にありがたい・・という感じだった。
November 21, 2012
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風雨、時に 風雪の中を、釧路から電車にのり根室に。根室からバスに乗って納沙布岬に。風が強くて傘がさせないので、ビニールポンチョを着て、風にまいあがる裾を洗濯バサミでそめて、海を眺める、岩にたくさんの鳥がとまっている。海の向こうに島が見えるわけではないし、荒れた海の音を聞いていると、地の果てにいるような気になってしまう。働いている人たちのためか、ラーメン屋さんが、赤いのぼりをはたはたさせて店をあけている他は、人の気配を感じさせない。負け惜しみのようだが、頭に描いていたような納沙布岬だったので、それなりによい経験だった。、寒さや濡れることなども気にならずに波音を聞いて風に吹かれているのも、
November 20, 2012
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駅に行くバスのターミナル。自分たちの乗るバスの出発までには、少し時間があったので、きょろきょろしていたら、行き先のサインの場所に「非営業」と書いてあるバスをみつけた。「非営業?わかるけど、なんだか耳慣れないなあ」と思ったが、英語に直訳すれば、not in service で、まさに、そのまま通じる。では、日本語では何というのか・・・全然思い浮かばなかったのだが、釧路の駅前ターミナルで「回送車」と書いたバスを見て、「あ、ふつうの日本語では、回送中だった!」と思い出した。駅で、孫に送るための「くまさんと一緒の写真」などをとり釧路に向かう。時に雪、時に曇り、時には晴れの地域を通り釧路に。駅からバスにのって、鶴居村に丹頂鶴を見に。鹿児島の出水にいるナベヅルのようにたくさんいるわけではなかったが、20羽あまりの鶴が、優雅にたむろしていた。見ている人も、私たちのほかに、若いカップルが一組と、年配の男性が一人だけ。いずれも、車で来ているので、少しみて、寒いからとすぐ立ち去ってしまった。私たでぃは、バスの頻度は少ないので、行きに乗ったのと同じ運転手さんの同じバスが戻ってくるのを待って乗り、釧路に戻る。私も、レンタカーをしてしまいたいところだが、夫はJRを利用する旅なので、やむを得ない場合にバスは使うにしても、レンタカーは哲学に反するらしい。JR経営のレンタカーなんかがあったら、使ってもよいのかな?(実際、JRが路線を廃止しているところなどでは、朝夕は通学のためのバスがあるにしても便が少ないので、JRが、ある程度の赤字覚悟でレンタカーをやってくれる・・なんて話があってもいいのに。)夜は、釧路のホテル。港に近いホテルなので、なにやら買い込んでホテルの部屋に持ち込んでの夕食。
November 19, 2012
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朝東京を出て、陸路北海道に迎い、午後四時過ぎには、登別で温泉に入っていた・・・とは、一昔前には考えられない。停車駅の少ないハヤブサで あっという間に新青森。青函トンネルを初めて通って、対岸に出ると、北海道は雪。普段、登別は雪が少ないというのに、温泉町にむけて、タクシーで山をあがっていくと、雪になっていた。予約しておいたホテルは、一応ホテル風だけれども、精神構造的には、旅館。 これまで見たことのない大浴場があって、圧倒されそう。社員食堂のような大規模なレストランに、屋台形式でだされたビュッフェスタイルの食事。中国人・韓国人が多いせいか、また、日本人でも和服を着なれない人が多いせいか、宿の浴衣の前を重ねずに、ギャザーをよてる感じにして、帯をベルトのようにしめている女性とかも多くて、前がはだけてしまっているのが、とてもだらしがない。外国人に浴衣を提供するのはいっそのことやめるか、あるいは、着方を書いた紙を部屋におくかしないと・・・いくらなんでも、目のやりばに困ってしまう。もしかすると、私も、カナダにながく住んでいるようでも、大人になってから行ったので、みかねるようなことをしていても、注意してくれる人がないから、カナダ人からみたら、こういう風なだらしない行動をしているのかもしれないと、考えこんでしまった。
November 18, 2012
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主人は、日本を外国から訪れる人(三年以上外国に住んでいる日本国籍の人も含む)が、日本の外で買うことのできるJRパスを使って、いつのころからか、「JR乗りつぶし」をやっている。「JR全線乗りつぶし用、日本鉄道地図」とまいう本を買って、旅から帰る旅に、机の上に広げて、自分の乗ってきた路線を、マーカーで塗り分けている。それが、このたびの旅行でとうとう、完了するという。普段、私はついていかないのだが、今回は最後のことでもあるし、ついていっていっしょに喜こぶことにして、JRパスを購入。主人は、「いいよ、いっしょに行こう」といい、私がよろこびそうなところをプランに加えてくれたりしただが、「本当の最後の最後の区間、北海道の根室本線、落合から新得までの区間だけは、一人で目をつぶってのりたいから、一人にしてくれ」という。いいですよ。私は札幌か旭川で遊んでますから・・・・ということで、明日がいよいよその出発日。実は、昨日、クラス会の二次会でその話をしたら、Eさんが「自分は、四国に出張することが多いので、行くたびにどこかお寺に行き、すでに巡礼地の半分以上は歩いている。ご朱印帳のページを埋めるのが楽しみ」という。ううん・・・。 そういえば、主人の場合も、会社の出張で列車に乗るのが始まりだったから、会社から交通費が出てようなものだ。それを聞いたOさんが自分の場合は、片づけものをしていたら、世田谷区の道路地図が出てきた、なんとなく開いて見ているうちに、面白くなってしまい、歩いたことのある道に色を塗ったりして遊びはじめた。今は、歩いたことのない道を地図を探して、そこを歩きに行ったりして、「世田谷区の道路、歩きづくし」を目指しているという。世田谷育ちのOさんには、子供のころ、仲間同士で走り回った道もたくさんあって、懐かしくて楽しい散歩になりそう。私も、カナダに帰ったら、「リッチモンド市の道を、車で乗りつぶす」というprivate event を計画しようかしら。
November 17, 2012
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昨年まで、個人タクシーの運転をしていたA君が、クラス会で、出席していたおばあちゃん全員に、携帯ストラップをプレゼントしてくれた。引退して、フィットネスクラブに行ったり、歩いたり、走ったりしているのだが、一方、手芸も始めたのだそうで・・・ なかなか器用。おじいちゃんたちで、こういう手芸をする人は、私の知人ではこの人だけだけれども、男性の力で、ぴちっと要所要所が決まっていると、できあがりの手際がいい。なんだかびっくりしてしまった。
November 16, 2012
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小田急線「梅丘」駅の近くで開かれた中学のクラス会に行った。でも、「クラス会に行った」などというのんきなことを言ってはいられない。名ばかりで、何もできないと承知の上で、みなさんがシャレで押し付けたカンジの一人だったのです、私は。相棒は、まだ現役。社会的にも立派な仕事をしている人で、多忙を極めているのだけれども、そればかりでなく、数か月前に狭心症で入院する羽目になったりしたものだから、見かねた殿方二人が、セットアップのほとんどをやってくださったという次第。 なので、せめて、当日くらいは、私が早く行って、皆さんを歓迎したり、会費の集金くらいはして・・・と、かなり緊張して、数日前から、買い物のたびに、千円札をため、全員が一万円で出しても、四千円の会費が出るように準備したり、当日も、30分前にはつくように、家を出て、浜田山駅から井の頭線に乗り、下北沢で小田急線の各駅停車、もしくは区間快速に乗り換え・・・るつもりだったのに、なんの弾みか、ひょいと、そこに止まっていて、ドアがしまろうとしていた電車に駆け込んでしまった。(こういうのを、魔がさしたというのだろう。)でも・・・様子がおかしい。下北沢を出た電車が次の駅に近づいても少しもスピードが落ちない。あれれ?もちろん、その次の梅丘は通過。 まあ!急行だったんだわ、この電車。しょうがない、まあ、次の経堂で降りて戻っても、何とか間に合うだけは間に合うわ。・・・と、このあたりで、車内放送で、なにやら、「新百合ヶ丘」というような声が聞こえたような気がする。ま、ま、まさか! 次の駅が「シンユリだなんていうんじゃないでしょうね」と思って、耳を澄ませたが、次のアナウンスが一向にない。覚悟を決めて、とにかく、相棒氏に、携帯メールを書く。「急行に乗ってしまったので、確実に遅刻です。ごめーん」電車の方はますますスピードをだし、成城学園前もすぎ、多摩川もわたり、青空にくっきりと雪をかぶった富士山まで見えてきてしまった。キャーッ と思ったが、とびおりるわけにはいかない。神奈川県だ、もう。結局、新百合ヶ丘まではとうとう止まらないで到着してしまった電車を、大急ぎで降りてから、上りホーム目指して、よたよたと階段を上がって降りて・・・走る。(気持ちだけですが)・・・でも、到着ホームにつくと、まあ、なんと、上り急行は出てしまったばかり。相棒氏は、きっと今頃忙しい最中だと思って、助っ人氏の方にケータイで電話すると、「え? どこまで行ったって?」と、とても信じられない様子。しかし、しまいには「おい、シンユリかよ」とわかってくれて、「まあ、あわてずに、ころんだりしないようにして来てください」と、父親のようなお返事。嗚呼!とにかく、早く家を出たおかげで、遠足で行くような距離を移動してきたにもかかわらず、20分ほど遅れて、とにかく到着。(でなければ、終わってから到着するところだった。)爆笑の中に迎えられて、仲間に入れていただいたのだけれども、まあ、私って、なんとしょうがないのでしょう・・・と、我ながら、呆れたまま開いた口がふさがらない。ごめんなさ~い! もう来年は、仲間に入れてもらえないな、これは。
November 16, 2012
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ボケ除けに日記は二日後に書けという、われは三日もつけ忘れてる(北条忠政 『生命の襷』)あ、日記を二日後に書くのはボケ除けになるのか!そういえば、二日前のことを復習するのは、案外むずかしいから、脳のよい刺激になるかもしれない。たとえば「おとといの夕食は何だったか」と自問してみると、自分で作ったはずなのに、ちょっと考えなくては思い出せなかったりするのが現実だし。そこで、私のこのブログ。かんたんなメモはとっておくけれども、余裕のあるときに見直して、修正などもしてからUPしていくので、実際には三日どころではなく、大幅な遅れになることが多い。なんだかズボラな印象で気になっていたのだが・・ これからは「ボケ除けです」と、開き直ってしまおう。
November 16, 2012
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近所の畑の回りに、お茶の木が植えてあり、実が落ちていたので、思わず拾ってしまった。私は子供のころ、静岡に住んでいたせいもあったのか、お茶の木の低い垣根がある家に住んでいて、お茶のみが落ちる頃になると、たくさん拾ってきて、姉にお手玉を作ってもらって、あそんだものだった。お茶の実のはいったお手玉は、やわらかい感じで扱いやすかったように思う。今思えば、母が病気だったから頑張ってくれたのだろうが、姉もまだ小学生だったのに、よくお手玉を作ってくれたりしたものだと思う。
November 15, 2012
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「日本の秋はこんな景色」と、私の心の中に残っていた通りの景色にであった。日本を離れて、30年もたっているので、昔は毎日見ていたような景色がなかなかなくて・・・
November 14, 2012
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カルガリーに住んでいる友人のYさんが、東京に来ているので、吉祥寺で一緒にランチをした。カルガリーとバンクーバーは、飛行機で一時間、車で九時間ほどもかかる距離にあるので、せいぜい一年に一度会えばよい方だから、両方とも東京にいるチャンスは逃せない。日本を出てから30年以上たっているYさんは、私より一歳若い。今回、彼女が東京に来ている理由は、あまりにもいろいろ大変なので、東京に戻って暮らしたいのだが、そういうことが可能かどうかの、テスト。まだ日本の国籍なので、その点は問題はないのだが・・・・「どうなのかなあ、あなた、ちょっとかわってるわよ、東京的には」と、ここは大事なところだと思うので、私も、はっきり言った。彼女自身も、「周囲が全部日本語だと思って、楽しみにしてきたら、みんなの言うことが、早口で聞き取れないし、知らない言葉が多いし、店を見てまわっても、買いたいような服がないし・・・」と、めずらしく、多少、不安そう。これまで、何度も日本に来ているが、訪問者としてきているので、あまりそういうことが気にならなかったのだが、住むためのテストとして見ると、また違うことが目につくようだ。「でも・・」と彼女は言う。「食べ物はいいわ。一人分の少量のおかずなんか買ってくると、けっこう何種類もたべられるし。それにパンがおいしいわねえ。それからお魚の種類も多いし。それに、どこの老人ホームに入っても、日本食がでるしねえ・・・」たしかに、食べ物は私もすばらしいと思う。さて、彼女は結局、東京に戻ることを選ぶのかどうか・・・。
November 13, 2012
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「おい、iPS細胞が実用化したら、オレたちは死なせてもらえないのかなあ」と、いう人がいて、ぞっとした。「でも、実用化はまだまだだし、費用も莫大だから、私たちはそうなる前に死ねるわよ」と思わずうけあってしまったが、いつかはそういう時代がくるかもしれないという考えがちらっと頭をかすめた。そんなことになりませんように・・・(なんて、今は思うけれども自分が重病になったら、「なんとか助けてくれ~」と取り乱したりして・・。)
November 13, 2012
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若き日は日本を語りし同期会今誰もかも病告げあう(北条忠政『生命の襷』) そうか、東大も同じか・・・。実は、今日は大学時代の同級会に行った。同級生は、入学時には75名で、うち、女子5名。(今は、この比率が逆になって、女子大化しているという話だけれども)この年齢になるまでには、それそれにいろいろあって、出席できる状態にある人は意外に少なく、今日は16名(おじいちゃん15名+おばあちゃん1名)が集まった。そして、紹介した一首の通り、まあ、見事に病気の話が多くて、仕方がないのはわかっているけれども、さびしい。でも、みなさんの名誉のために書き加えると、「日本」も「世界」も語りましたよ~!だって、心配ですもの。
November 11, 2012
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レジ袋ご入り用ですか、いりません 今日の会話の最初で最後(松瀬詩子)今朝見た「NHK短歌」の入選歌として、最初に紹介された一首。選者の三位には入らなかったけれども、私の中ではこれが一位。無駄のない言葉で、時代を詠み、作者の境涯を詠み、しかも、今の私には近未来の出来事としてよくわかる歌。「でも、まだこの作者は、ご自分で買い物に出られるからいいわ。カナダに住んでいたりすると、車の運転ができなくなったら、買い物もできないから、レジ袋は? というような簡単な会話もなくなる。東京はいいなあ・・・。多少でも歩ければ、杖をついてでも買い物に行けるもの。もっとも、ある程度のお金がなければ、買い物に行けても、買い物はできないけれど・・・。」とか、一人で心の中でしゃべってしまった。とはいえ、これはカナダでもちゃんと通じる短歌。"Need a bag?""No,thank you.".....the only wordsI exchangedt-o-d-a-y
November 11, 2012
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今日は、まだアメリカの時間では11月8日。テキサスに住む二男夫婦の、初めての子供の誕生日である。私も飛んで行って、祝いたい気持ちだったが、今回は、ママのお父さんとその奥さん(フクザツなのである)が来るから、そちらに譲って・・・ということになり、私たちは、スカイプと写真とYOU Tube での面会。みんなが集まったとしても、近くのホテルに泊まったりすれば、うまくやれると思うのだけれども、せっかくだから、それぞれとゆっくり話したいというパパ&ママの気持ちも尊重して、待つことにした。この夏は、パパの兄とその子、妹が行ったし、入れ替わり立ち替わりということで、来られる方も、うれしいやら、忙しいやら、こもごもなのだろう。両親は、内祝いのような形で、"Addison's First Year" というDVDを作って送ってくれた。本人が大きくなったときに、こんなに愛されたと知って喜ぶか、照れるか・・・「ウルセエ」というか・・・
November 9, 2012
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中学時代のに書道部で一緒だった三人と、先生とで集まる年に一度の会。最初は冗談で「三美女の会」呼んでいたのだが、先生が「誰に遠慮のいるものか」とおっしゃるので、翁一名、媼三名、開き直って「美女」を自称したりして。全員が60歳を過ぎるまでは、こういう会を持つ余裕もなく、それぞれが先生以外とは連絡もせずに過ごしたのだけれども、なんとなく、いつからか、私が帰国する11月に集まるようになった。さらにそれがきっかけで、再び、先生に書を見ていただくようになり、今や、「三美女の会」は、「書道スクーリング」の日と化している。恒例の過ごし方は、まず、一緒にランチをして、四人でカラオケ屋さんの個室に行く。でも、歌を歌ったことはない。「誰からも交通の便のよい新宿の駅のそばに何軒もあるカラオケ屋さんは、入ってすぐはたばこのにおいが気になるのだけれども、じきに慣れるし、多少の飲み物をとれば、何時間でも、個室を借りることができるし、しかも、部屋には大きなテーブルがあって、条幅でも全紙でも、そのテーブルに広げることができるし・・というわけで、実は書道の「研究会」にも最適である」・・・・と、想像できる人は少ないと思うが、そして、カラオケ屋さんは少し変に思うかもしれないとも思うが、ま、このところ、皆が満足している会場である。実は、数か月前に、マツタケを先生に送ろうとして、マツタケ屋さんで宛名を書きながら、の若い友人に、「この方は、中学時代の担任だった書道の先生よ」と言ったら、「えーっ! 紀子さんの中学時代の先生なんて、そんな人がまだ生きてるの~っ??!」と驚かれてしまった。シツレイねえ!でも、若いころの私も、そうは口にしなかったかもしれないが、心ではそう思ったかもしれない。何しろ、学校を出て就職したときには、40歳だという課長さんが、もう話にならないほど「年配」に見えたのを記憶しているのだから。
November 9, 2012
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従姉夫妻に、横浜のベイシェラトンで、ランチをご馳走になった。コンパスという、「和洋中パフォーマンスキッチンを備えたブッフェレストラン」品数も多いし、味もよいし、サービスもよいし、器もよくて、すっかり気に入った。今度、誰かと横浜でランチをするときには、絶対ここにしよう。あれも、これもと、「本当はドクターストップなのだけれども、たまには」と、自分で自分に言い訳しつつ、夫にあきれられつつ、まあ、いろいろ食べたこと!ただひとつ・・・文句といえば文句なのは、混んでいること。しかも、女性ばかりの団体で。私もそうだから、何も言える立場ではないけれども、女性ばかりで大人数となると、つい話し声も笑い声も高くなって、関係のない人には落ち着かない雰囲気になる。お酒がはいってもはいらなくても・・・。 帰りには、同じホテル内にあるフォーションで、従姉推薦のパンを買った。 さすが、フォーション。クラスとがパリッとしていて、中がふわっとしていて、とても美味しい。私の知る限りでは、カナダではこんなパンは食べられない。海外にいて、NHKニュースを見ていると、日本は国際的にも、国内的にも行き詰まって、経済も遅れをとっていて、デフレスパイラルから逃れがたく、仕事のない若者がたくさんいて、高齢者が多くなったことも不安材料になって、もう、どよ~~~んとしているような印象を受けて、心配で仕方がなかったのだが、来てみれば、ぜいたくに楽しんでいる人はたくさんいるし、服装も持ち物もカナダ人などよりずっとよいし、あかる~くて、活気がある。・・やはり、日本に来て。自分の目でみなければ、わからないものだ。この様子に、「日本はまだ大丈夫」と安心したり、「危機感がなさすぎるのではないかしら」と心配したり・・・ちょっと大げさな感慨だったかな?
November 8, 2012
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墓参の帰りに、白山で「ジャズ喫茶 映画館」を見つけた。有名な店で、名前は以前から知っていたのに、そしてその前を何度も通っていたのに、今まで気がつかなかったのが不思議。看板代わりか、「道端」みたいなところに、真空管をつかった古い映写機の、おそらく壊れているのがおいてあって、それだけでも、71歳の私には懐かしかったりして。ちょっと見ただけでは、ジャズ喫茶の看板とは思えない。といって、映画館があるようには思えないし。店は、午後にならないとあかないらしいから、入れなかったけれども、どういう曲が集めてあるのかも興味深く、ぜひ、チャンスを作って出かけたいと思った。私たちが若いころには、こういう店はまだもっとたくさんあったのだけれども・・・・
November 7, 2012
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大橋武夫の旧著、「戦いの原則」の復刻版が、「名著オリジナル復刊」シリーズ、紀伊国屋限定販売のPHP文庫の一冊として出版された。「うた日記」とは分野の違う本だけれども、私は著者の娘だもので・・・いろいろ気になる。新宿東口の昔からある紀伊国屋に行ってみたら、PHP文庫の書棚ではなく、1階の新刊書売り場と、3階のビジネス書売り場に横積みになっていた。1986年にビジネス社から出た本が、そののちPHP文庫に入り、今回はさらにその「復刻版」だから、今の人に、果たして読んでいただけるかどうか・・・もし読んでいただけたら、ビジネスばかりでなく、日常の生活の中でもきっとプラスになる本だと思のだが。
November 6, 2012
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好天候に誘われて、哲学堂まで散歩。歩くにはちょっと距離があったが、がんばってしまった。哲学堂の塔。写真では何度もみたが、実際に見たのははじめて。変わった形の塔で、公園の中心にある。 「東洋的哲学人として、日本の聖徳太子・菅原道真、中国の荘子・朱子、印度の龍樹・迦毘羅仙の六人を「六賢」として祀って」あるそうだ。庭を抜けると、門があって・・・本当は、こちらが正門らしかったので、いったん出たところで写真をとって、改めて入り直した。白いすすきが、ちょうど見ごろ。カナダで見る薄よりも、こまやかで、女性的。世田谷区に育った私には、「これまでなじみのなかった珍しいところ」だったが、杉並区の井荻周辺にそだった夫には、「久しぶりに来る、なつかしいところ」だったらしい。
November 5, 2012
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暖かい穏やかな午後、近所の公園の花壇のマリーゴールドに、黄色い蝶が来ていた。ネットでしらべたら、ツマグロヒョウモン という名前の蝶らしい。蝶の写真をとっているうちに、南海で蝶羽搏けば嵐となる1/fのゆらぎそよ風を思い出した。11月2日の「台の会」でであった一首で、私の好きな歌だ。遠い南海でのほんの小さな蝶の動きが、育って嵐になる・・・実際の暮らしでも、ほんのちょっとしたことが、だんだんに大きなことになってしまうことがある・・・という意味と解釈されていた。1/fゆらぎ のfは多分、frequency(周波数)。こういう語彙を自由に使えるようになると、歌の幅が広がると思う。ちなみに、ウィキペディアには、1/fゆらぎ は以下のように説明されている。1/fゆらぎ (エフぶんのいちゆらぎ) とは、パワー(スペクトル密度)が周波数fに反比例するゆらぎのこと。ただしfは0よりおおきい、有限な範囲をとるものとする。ピンクノイズとも呼ばれ、自然現象においてしばしば見ることができる。具体例として人の心拍の間隔や、ろうそくの炎の揺れ方、電車の揺れ、小川のせせらぐ音、目の動き方、木漏れ日、物性的には金属の抵抗、ネットワーク情報流、蛍の光り方などが例として挙げられる。日本においては、家電製品・環境音楽CD・照明等の商品の売り文句としてしばしば用いられるが、人体に与える効果については科学的な証明はされていないことがほとんどであり、これらの分野での用法は疑似科学やバズワードの一つであるとみなされている。
November 4, 2012
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宮英子先生にご出席いただいての「台の会」におしかけた。今回の出席者18名。あらかじめ提出しておいた短歌一首を、お世話役の方がまとめて、作者名も添えて一枚にプリントして、当日配布してくださる。私のように予習が必要な人にはちょっと厳しいが、こういう訓練も必要なのだろうと思う。会が始まると、作者が自分の歌を読み上げ、疑問とか、苦労した点を言い加えて「お願いします」と着席。会場から、適当量の発言が出たと思うころ、英子先生が意見を言ってくださったり、質問をしたりしてくださる。作者はそれに答えているうちに、自分で表現を思いついていくので、「直していただいたけれども、自分の歌のような気がしない」ということはなく、自作としての満足感が持てるし、コスモスにも発表できるので、いつも「英子先生は、指導者としてもプロだなあ」と思う。90歳を過ぎられているのに、本当にシャープでうれしい。主人に、「今日は台の会にいきます」と言ったら、「え? 三島由紀夫の会みたいだな」という。違います。あれは「楯の会」で、これは「台の会」。会場の最寄駅が「三鷹台」なので、その「台」をとっての「台の会」だそうです。
November 2, 2012
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ハワイに昨年できた短歌グループから、バンクーバーの会との交流の呼びかけメールが来た。私一人で決めて返事をするわけにはいかないので、とりあえず、「只今、日本に来ておりますので、カナダに帰ってからみなさんと相談して、お返事します」と、仮の返信をした。(バンクーバー短歌会の方で、これをお読みになった方、考えておいてくださいね)他の国の短歌グループとの交流があるのはよいことだとは思うが、私も、高齢者。このように、ある程度継続させなければ意味のない企画には、たとえ最初の窓口になることができたとしても、あとを引き受けてくれる若い会員がいないかぎり、軽々しくは始められないという思いが強い。折しも、同じ日に届いた高校時代の同級生配信のニュースメールには、元気そうな発信者から・・・最近、エンディングノートの整備、葬儀の準備などをし、さらに、これから4日間「授戒会」(菩提寺での合宿)に参加するので、無事成満すると戒名をいただける。あとはお迎えを待つのみ。・・・・という趣旨の添え書きがあった。まあ、ここまで実践するほど気持ちにもなれないが、新しい活動を始めるほどの気持ちにもなれないという、私の中途半端な老人意識が、これから周囲の足を引っ張る原因にならなければよいが・・・。
November 1, 2012
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