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五月末は、バンクーバーでは大学の卒業式の季節。地元の大学UBC(University of British Columbia)では、今年、特別な卒業式(名誉学位授与式とでもいおうか?)が行われた。話がさかのぼるが、1942年、第二次世界大戦が始まって、カナダの西海岸に住んでいた日本人たちが、「敵性外国人」として、内陸または東部の収容所に、ほぼ身一つで送られたことがあり、当時UBCの学生であった人たちも、追放の形で移動させられていった。一世の人たちは、漁業関係で肉体労働に従事して、英語がわからないなどの苦労も多かったことから、かなり無理をしても、二世の人たちには、学問のチャンスを与えていたのだから、その残念さは、学生本人にも、その親にも、格別のものだったと思う。。。が人々は、Shikataga-nai(しかたがない)という言葉で、耐えてきたという。時がたって、2008年、アメリカでそういう人たちに、特別の卒業式を行ったことが報道された時に、カナダではどうなっていたのかが気になって、調べた人がいる。そのMary Kitagawaさんを中心とした四年にわたる運動が実を結び、学業半ばであきらめなければならなかった当時の日系カナダ人学生のために、今日、UBCで特別卒業式が行われた。当時21歳だった人も、今は、91歳。当時の在籍者76人のうち、53人が故人となっているが、代理出席をした人も含め、63名が出席したそうだ。その間の事情や、当日の様子は、you tubeでも、見ることができるし、新聞にも詳しく報道された。91歳という年齢を考えると、もう少し早く、してあげたほしかったとは思われるが、日系カナディアンの歴史の上で、大事な出来事の一つになると思う。 ・・・・・・・・・・・・・・ リンクした新聞記事が、いつまで削除されないでいるかわからないので、以下に一部のみ転載させていただく。In 1942, Roy Oshiro had just written his first exam at the University of British Columbia when he was told he wouldn't be coming back. The 21-year-old was among 76 students pulled from the university and removed from the B.C. coast with about 21,000 other Japanese-Canadians, who were judged a security threat after the Dec. 7, 1941 Japanese attack on Pearl Harbor.Within months of the attack, the federal government passed an order-in-council under the War Measures Act authorizing the removal of all Japanese Canadians within a 160-kilometre area along the west coast."I was wanting to become a school teacher," said the 91-year-old, one of several people who flew in from Japan for the ceremony. "To teach Canadians about fairness and democracy."Seven decades after they were forced out of school, Oshiro and 62 of his classmates and their families received special honorary degrees from the university Wednesday in a ceremony for students unable to complete their studies or attend graduation ceremonies."This is kind of a Martin Luther King moment," said Alden Habacon, director of UBC's Intercultural Under-standing Strategy Development program. "The people who attended that big famous speech wouldn't have known how important that moment was in history. I have that feeling today: There's a lot of anticipation about what's going to happen, but we still don't understand the full significance of it yet."The UBC senate voted last November to issue the degrees as part of a program marking the 70th anniversary of Ottawa's internment policy, which went into effect in early 1942. Thousands of Japanese-Canadians were forced to leave their homes for internment camps, sugar beet farms in Alberta and prisoner of war camps. Many were only able to take the pos-sessions they could carry, and had their homes auctioned off while they were interned.Japanese-Canadians were not allowed to return to the west coast until 1949.As the room filled up with old classmates during a pre-ceremony event, Oshiro reminisced about a turbulent period in his life he hadn't talked at length about until then. After working on a sugar beet farm in Alberta, he relocated to Okinawa, Japan, and later worked as a missionary."He didn't really talk a whole lot about things when I was growing up," said Oshiro's daughter, Janice Huber. "There's so much in him that's now coming and it's bringing closure to some things that were very hurtful back then."Mary Kitagawa, 77, a member of the Greater Vancouver Japanese-Canadian Citizens Association who began the campaign for the degrees in 2008, said meeting students like Oshiro after years of phone correspondence has validated her efforts."[Oshiro] was like a kid in a candy shop," she said. "He was so anxious but so happy. When I saw him at the airport, I thought, 'This is it. This is what this whole thing is about.' " The retired high school teacher said she came upon the issue "by accident." After reading an article about honorary degrees given to Japanese-Americans expelled at the University of Washington during the Second World War, Kitagawa grew curious about the stories of Japanese-Canadians at UBC."Who was I? A powerless homemaker. But I was deter-mined and I was not going to let it go," said Kitagawa, who worked with a UBC task force for a year before the degrees were approved by the Senate.Although 53 of the original 76 students have died, 63 individuals were represented at the ceremony, either in person or by family members. Ten former students attended the event.While the ceremony doesn't erase painful memories of their displacement, the gesture will help Japanese-Canadians move on with their lives, Oshiro said."It was terrible," he said. "But it's all over, and this is one way to restart as a good Canadian."mravindran@vancouversun.com Twitter.com/manniehallc Copyright (c) The Vancouver SunRead more: http://www.vancouversun.com/Japanese+Canadians+kicked+receive+degrees+years+later/6706350/story.html#ixzz1wV60AtBi
May 31, 2012
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このところ、私の入っているマンションの外壁の手入れが行われている。雨模様の日が多いのに、屋上から下げた作業台(ゴンドラ、gondola)に乗って、命綱をつけて働いている作業員の人たちを見ると、臆病な私としたら、尊敬のひとこと。そのゴンドラが、SPIDER という名前なのは、きっとスパイダーマンから取ったのだろう。今日、たまたま、エレベーターにその作業員、二人と乗り合わせたので、「怖そうなお仕事ですねえ。。。雨で滑るでしょうに」と思わず話しかけてしまった。彼らは、私があんまり怖そうな顔をしていたせいか、顔を見合わせてにこっと笑って、「それほどでもないよ。心配しなくて大丈夫」「ジップ・ライドにお金を払って乗るのにくらべたら、こっちはお金をもらって乗るんだから、うらやましがられるんだよ」とか、ちょっと得意そうに言って、なんだか楽しそうだった。とはいえ、雨の日もあろうし、寒い日も暑い日もあろうし・・・
May 31, 2012
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老眼に拡大器そへ読む短歌「生存苦の寂寞」わが目にとび込む(金淑子 コスモス五月号)老眼に拡大器を添えて短歌を読むことが、生存苦の寂寞であると作者は言いたいのか、あるいは、そういう言葉が、どなたかの短歌に出てきたのか・・・ そのあたりが、ピンとこなかったので、作者に伺ってみたら、「高野氏の歌に、宇宙の花の欄で、清水芳洞氏がコメントされた言葉の中に、生存苦の寂寞という言葉が入っていて、はっとしたのです。」という言葉が返ってきた。ちなみに、寂寞(じゃくまく) は、広辞苑では「ものさびしくひっそりしていること。せきばく」と説明されている。 五月号の歌は、だいたい二月が締め切りだからと思い、二月号のコスモスを開いてみたら、高野氏の?陀多(カンダタ)とはぐれたるのち目も見えず耳も聞こえず身がふわと浮くに、蜘蛛の糸が切れ、「この肝心なる自分の」?陀多は地獄落ち。残る我は五感なき生存苦の寂寞というコメントがついていた。五感がないまま生きているのは、たしかに「生存苦の寂寞」にちがいない。というと、 前掲歌の作者の金さんは、五感の一つである視力が落ちたことから、身につまされて、その言葉に反応してしまったのだろうか。それでも、なんとなく、わかったようなわからないような・・・だったので、高野氏の歌が出ている筈の12月号に戻って読むと、カンダタの出てくる歌が3首あった。?陀多(カンダタ)のずつと後よりのぼりゆき一休みせり古稀の手前で蜘蛛の糸のぼり疲れて見下ろせばほろほろと銀河宇宙のもなか?陀多(カンダタ)とはぐれたるのち目も見えず耳も聞こえず身がふわと浮く1首目、天国を目指し一心に、蜘蛛の糸を登っていたと、作者の状態を述べ、でも、古稀の手前で、ひと休みした・・・ 自分を振り返ってみたのか、人生を考えてみたのか・・・たしかに、古稀はそういう年齢かもしれない。2首目、のぼり疲れた一瞬。見下ろせば ということは、これまでのことを振り返ってみればということなのだろうか。 下の句は、とてつもなく、怖い。 (「ほろほろ」がまた、どうしてよいのかわからない恐怖感をよぶ)で、3首目がこの「生存苦」の歌となる。ずっと上の方か、すぐ上かわからないが、目標にむかって進んでいたけれども、地獄におちてしまった?陀多を見失ってしまったら・・・清水氏は、地獄におちた?陀多も、残った者も、両方を自分と解釈されているようだ。そうなのかもしれない。 この3首目は、私には、ちょっとむずかしい歌だ。しかし、それを「生存苦の寂寞」とまとめられた清水氏も、またその言葉がまず目に入って、自分の歌にしたいほど感動した金さんも、丁度アンテナがそちらを向いていて、高野氏の心をすかさずキャッチされたのだと思う。鈴木英夫先生が、よく「人は、自分の器に応じた、その人の持っているものだけの理解しかできないものだ」と言っておいでだったが、きっと、これもそういうことなのだろう。私が思うよりも、ずっと深い意味がありそうで、めげる。高野氏よりも、私の方が、ほんの少し、生存苦を味わう年齢に近い筈だし。
May 28, 2012
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朝、家の中が、なんだか焦げ臭くなってきた。あちこち見回っても、別に不審なところはなかったが、外を見たら、黒煙がたっていた。火事だ。身に危険を感じる距離ではないけれども、こちらが風下なので、煙が届いてきたのだろう。そういえば、消防車のサイレンが聞こえたようにも思うが、うちの前は幹線道路なので、毎日なんどとなく、緊急自動車がサイレンを鳴らして通るので、いつの間にか、あまり気にしないようになっていたようだ。けが人がでていないとよいのだけれども・・・・
May 27, 2012
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バンクーバーは、いろいろな民族が集まって、モザイクのように暮らしている町だ。今日は、ヨーロッパ各国(ロシアも含まれていた)系の人々が集まって毎年開催しているという、ヨーロッパ祭に、息子と孫との三人で出かけた。テントがならび、各国が趣向をこらした展示をしたブースがあって、世界旅行をしている気分・・・とはいかないが、旅行パンフレットはたくさん入手。中でも、クルーズのパンフレットが、分厚くて、ちょっとしたアルバムくらいあるのには、びっくり。トシをとって、重い荷物を運ぶのが気持ちの負担になり始めてきたせいもあって、船に荷物を置いて、上陸するたびに、町の観光をできるクルーズは、一度は行ってみたい憧れではあるのだけれども、現実には費用もかかりすぎるし、食事制限もいろいろあるし・・・。しかし、パンフレットをみていると、ちょっとその気になれて、楽しい。特設舞台では、スイスの子供たちのダンス。スイスのブースでは、岩登りの体験ができる。てっぺんまで上がって、上にある鈴を鳴らしてくると、赤い帽子がもらえる。息子も孫ももらってきたが、そして「おばあちゃんも」とさかんに孫には進められたが、臆病な私は、遠慮させてもらった。アルメニアのブースクロアチアのブースリトアニアのブースロマニアのブース・・・・このあたりになると、ちょっと頭の中が混乱してくる。スペインのブースイギリスのブースでは、その誇るべき歴史も紹介されていた。ロシアのブーステントにはギリシャのブースの場所の用意してあったが、テーブルはたたんだまま。掲示用の壁面(?)には、ただ、「ここがギリシャのブースの場所ですよ。でも、なんにもしませんよ」というように、国の名前を書いたメモが貼られていた。経済状況を反映しているようで、さびしかったので、ランチは、ギリシャの売店でホウレンソウのパイを買って食べたが・・・・ 他の国のブースでは、ちゃんと暖めてくれたのに、ただ、冷えたパイをさしだされただけ(お値段は一番安かったが)で、ちょっと後悔。息子は串焼きの肉を、孫はペロギーを美味しそうに食べていたのになあ。
May 26, 2012
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固定資産税の納税通知が来たので、収めに行ったら、ちょうど、アイリスが盛りだった。明治神宮の菖蒲園のようには行かないけれども、狭いところに水をうまく配置して、写真にとればなにやら広い菖蒲園のように見えて、毎年たのしんでいる。不動産の評価額は毎年あがっているのだが、税額は毎年多少の現象傾向。どういうことか、よくわからないけれども、不満はない。
May 25, 2012
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鱶鰭を、レストランのメニューに載せるのを、禁止する話を、朝からニュースでやっている。鱶鰭のスープなど、もし、メニューにあっても、ばかばかしいほど高いので、私はよほどのことがなければ、まず、注文しないだろうし、私の住んでいる町あたりでは、そんなに高いものは売れないから、もともとメニューにだしているレストランは、ごく少ないだろうから、実際には関係ないようなものだが・・・理由が気になる。鱶鰭をとるために、サメを捕まえて、尻尾だけ切って海に戻し、かわいそうなサメがなすすべもなく海に浮かんでいる映像を映して、「こんな残酷なことは許せないから。」報道されているのである。(その映像を見ると、たしかに残酷で、目をそむけたくなる。)そういう状態は、映像にあるのだから、まったくないわけだはないのだろうが、そうでないところもたくさんあるのでは?私の知っているだけでも、かまぼこはサメが原料になることが多いし、インターネットで、日本語のサイトを検索してみても、サメの料理がたくさん出てくる。コラーゲンを含む食品として、宣伝されている。日本人は少なくとも、尻尾だけとって、あとは捨てるなんてことはしていないと思うが、どうなのだろう。
May 23, 2012
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樹の下に、羽根を二枚みつけた。ふくろう(GREAT HORN OWL)の巣がある樹だし、先日見た梟の羽根を思わせるものがあるから、多分、ふくろうの羽根だろうと思う。烏と喧嘩でもしたのか・・・・
May 22, 2012
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「自分の短歌を自分で書けるようになる」のを目的にして、先生に書を見ていただいている。若いころ覚えた平安仮名は美しいけれども、私の歌を書くには、内容と字のつりあいが悪くて違和感がある。できれば、もう少し、新しい字がかけるようになりたい。しかも、書として成立させつつ、ある程度は、読みやすい字を。更に、もうひとつの問題は、私の歌にはカタカナがよく入る。このカタカナを、墨書して、ひらがなや漢字と融合させられるようになりたい。で、わがままな注文だと知りつつ、2月に先生にお目にかかったとき、「カタカナがなんとかなるようにしたい」と、お願いしたら、「自分にも、そのあたりはよくわからないが、竹の葉を書くようなつもりの筆使いをすると、結果がよいような気がする」と言ってくださった。「兄の書いたカタカナだけの書の写真を上げるので参考にしてごらん」と、写真にとってくださったのを参考に書いたのが、以下の二首。お手本は半切に書いたものの写真だったから、半紙に書くには、再構成などの必要があり、むずかしかったが、とにかく、やってみた。いろいろ書いてみるうちに、ちょっと草書的雰囲気が出たような気がするから、練習次第で、案外、うまくいくようになるかもしれない。 ワキイヅルクモハタチマチアメトナリアツサノカハニシフキツツフル(湧き出る雲は忽ち雨となり梓の川に飛沫きつつ降る)油絵ノコトクハケシキ夕焼ニワレタチツクス懐手シテ(油絵のごとく激しき夕焼けに我立ち尽くす懐手して)
May 22, 2012
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辛夷、桜・・・と次々と、季節を追って樹に花が咲く。今は、大きな樹に咲いて、シャンデリアのような花が、風が吹くとゆっさ、ゆっさとゆれている。白も、赤も、それぞれに、華やか。植物園では、黄色も見たことがあるが、街で普通に見かけることはあまりない。ライラックも、今がシーズン。小さな小花がよりそって、咲いている。薄紫といえば、桐の花も。前庭に大きな桐の樹があるお宅が、ご近所にあって、今年もたくさん花をつけている。ただ、今年はこのお宅が売りに出ている気配。このあたりは、再開発が進んでいるから、もし、売れたら、後にはきっと集合住宅が建つのだろう。もしかすると、この桐の花が見られるのは、今年が最後かもしれない。
May 21, 2012
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パナソニックが、富士山頂で金環蝕のライブ中継をするサイトがある。http://panasonic.net/eclipselive/電力が不足している地域に電力を供給するために開発した太陽光発電を使って、「太陽による太陽の撮影」をするという説明を見て、絶対見ようとわくわくしていたが・・・・日本時間の4時30分から放送開始で、実況は6時からだそうなので、換算してみたら、バンクーバーの時間だと、12時30分から放送開始。実況は2時から・・・・。よく考えたら、なんと、前からの約束で2時に家を出なくてはならないではないか!せっかくのチャンスなのに、残念。後からはホームページで公開されるそうなので、ま、いいか。 でも・・・しつこくネットブックだけは持っていくことにする。
May 20, 2012
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日本では、早くから観察用具などを売り出して盛り上がっていた21日の金環蝕。このあたりでは、日本ほどニュースになっていないので、見えないのかと思っていたが、今日、ネットでみているうちに、北米でも大部分の地域で、20日の午後に見えることがわかった。NASAのサイトでの記述によると、金環蝕自体は、バンクーバーよりだいぶ南に行かないと見えないらしいが、オレゴン南部で、01:23 UT (May 20 local time)というから、それより少し前に、多少の日食は見られるかもしれない。(ざっと計算すると、バンクーバー時間の午後5時23分になるので、まだまだ日は高い。)わかっていたら、ちゃんと太陽を見る道具を買っておいたのに!!!私の住んでいるユニットは、東向きで、夕日を居ながらにしてみるわけにはいかないが、いつも夕日を見に行く場所があるので、ぜひそこまで出かけてみたいと思っている。(その後見つけた新聞記事によると、バンクーバーでは午後6.15に、80%の日触が見られるのがピーク。ただし、天気予報は雨。)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・NASA ウェブサイトよりThe annular path begins in southern China at 22:06 UT. Because the Moon passed through apogee one day earlier (May 19 at 16:14 UT), its large distance from Earth produces a wide path of annularity. Traveling eastward, the shadow quickly sweeps along the southern coast of Japan as the central line duration of annularity grows from 4.4 to 5.0 minutes. Tokyo lies 10 kilometres north of the central line. For the over 10 million residents within the metropolitan area, the annular phase will last 5 minutes beginning at 22:32 UT (on May 21 local time). The annular ring is quite thick because the Moon's apparent diameter is only 94% that of the Sun. Traveling with a velocity of 1.1 kilometres/second, the antumbral shadow leaves Japan and heads northeast across the Northern Pacific. The instant of greatest eclipse [1] occurs at 23:52:47 UT when the eclipse magnitude [2] reaches 0.9439. At that instant, the duration of annularity is 5 minutes 46 seconds, the path width is 237 kilometres and the Sun is 61° above the flat horizon formed by the open ocean. The shadow passes just south of Alaska's Aleutian Islands as the central track slowly curves to the southeast. After a 7000 kilometre-long ocean voyage lasting nearly 2 hours, the antumbra finally reaches land again along the rugged coastlines of southern Oregon and northern California (Figure 2) at 01:23 UT (May 20 local time). Redding, CA lies 30 kilometres south of the central line. Nevertheless, it still experiences an annular phase lasting 4 1/2 minutes beginning at 01:26 UT. It is already late afternoon along this section of the eclipse path. The Sun's altitude is 20° during the annular phase and decreasing as the track heads southeast. Central Nevada, southern Utah, and northern Arizona are all within the annular path.
May 19, 2012
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去年、ふと目について買った紫色のつつましげな小花。今年も、つぼみがたくさんついていると思っていたら、今日、初花が咲いた。つゆ草のような感じの、奥ゆかしい控えめの花で、華やかさはないけれども、ほっとさせられる花。
May 18, 2012
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今月のバンクーバー新報への投稿作品「オノマトペ」または自由髭もじやの強面の人わが犬とすれ違うとき恵比寿顔せり(奈津)早春の朝(あした)の空にはだか木の辛夷の花芽キーンと光る(虹) 風呂上りママを無視して素裸で両手をひろげ孫はおどける(のぼる)ヒタヒタと行くもスタスタ走るのもありてマラソン中盤に入る(のりこ)春まひる猫の忍者がくれなゐの草の実ふたつ置いてゆきたり(ふみ)ゆーらゆら腕でバランス保ちゐる歩き始めのマヤは「やじろべえ」(みき)池の面(も)を掠めて石は五段とびシュッシュルシューと向かう岸まで(よしこ)紙おむつの大き尻上げよっちらと立ち上がる孫九ヶ月に入る.(希)ひさかたの春の光やぬうぬうと銀の条(すぢ)ひきなめくぢが行く(あき)冬枯れの支茄万作の葉が落つる東風ふくたびにさらりさらりと(粟)「キトガッタンシュルシュルバギューン」幼子が手振りでヘンシーン果敢に攻め来る(唐)脳細胞カサッと又も崩れるやあの一言が思ひ出せない(沙羅)風吹きて地面を叩く雨のつぶパランパランととび跳ねて散る(すみえ)ざんざんと椎の葉のふる上高地いつか登るぞ常念岳へ(とみこ)
May 17, 2012
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今年も、ご近所のお宅に、黄花藤が美しく咲いた。「今頃、植物園に行くと、黄花藤のトンネルが美しいだろうなあ」とは思うし、今年も見に行ってみたいとは思うが、まずは、ご近所から。生意気を言えば、植物園の黄花藤のトンネルは、人工的な感じがして、どちらかと言えば、ご近所のお宅の生垣から顔をだしている黄花藤の方が親しめるような感じがする。(通りがかりの人に写真を撮られるのは、いやかもしれないけれども・・・失礼!)
May 16, 2012
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夫婦で、中国にクルーズに行ってきたアレックスさんとベヴさんが、船の中で二人とも病気になり、診てもらった船医さんのハナシ。ベヴいわく、「その船医さんったら、ひとことも英語が話せないし、こちらの言う英語もわからないのよ。」ツアーガイドは、全体をみなくてはならないから、診察に付き合ってはくれなかったので、途方にくれてしまったらしい。「ところが、医務室には英語の本がたくさんあるのよね。不思議に思って、アレックスがメモ用紙に質問を英語で書いてみたら、ドクターは完全な英語で返事を書いてくれたの。ひとことも話せないのによ。信じられる~う?」と、大笑い。居合わせた他の人も、「え~っ? そんなのありぃ~?」みたいに、笑ったが・・・でも、私にはあまりおかしくもなかった。中国だけでなく、日本に行ったって、今だって、そんな人はいくらでもいる。(私だって、日本にいた頃はそんなものだったし、今でも、その傾向はある。)「だけど、私、わかるわよ、それ。」と私が言ったら、シーラが「だって、ふつう、字の書けない子供だって、話はできるでしょ」と、とりなすように言った。「それはもう、子供の時に覚える母国語は別! みなさんだって、フランス語は読み書きの方が会話より得意でしょ?」と、言ってみたら、「あららら、私、フランス語なんかしゃべれないし、書くのももう、わすれちゃってできないわ。ハハハハ。」と誰かが笑って、はぐらかしてくれた。ただのおしゃべりなのに、ちょっとムキになりすぎたかな?ベヴは、たとえ筆談でも英語が通じたことがうれしくて、笑っただけかもしれないのに。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ カナダ人は、中国人がカナダで英語を話さないのをよく怒るけれども、これは正しいと思う。その国に住もうとして来たときは、やはり、その国の共通語を覚えなくてはいけない。でも、中国に行って出会う、中国に住んでいる中国人が英語を話さないのを怒ったり笑ったりするのは・・・どうも・・・気に入らない。まして、その中国人が、英語の読み書きの能力がしっかりしていたら、感心こそすれ、笑うようなことではないと思うけれども・・・・そんあことで、とんがるのは、七十歳にもなった人のすることではアリマセンネ。
May 15, 2012
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「コスモス」誌の締め切りは、毎月22日。カナダに住んでいる私としては、普通14日。(どうしても間に合わないときは、15日)つまり今日であるわけで、集荷される4時までに郵便局前のポストに持っていった。(うちのあたりは、月曜から金曜まで、毎日午後4時に一度だけ集荷がある。)とはいえ、いろいろな雑用があって時間ぎりぎりになってしまったので、いそいでコピーをとって、最後のチェックをせずに封筒に入れて投函。他の用事も少々済ませて帰宅して、家に残しておいたコピーを見ると、気に入っていたつもりだった一首の第二句と第四句の内容が重複しているのに、気がついた!「きやーっ!」と思って、しばらく落ち着かなかったが、手元を離れてしまったものは仕方がない。「来し」を「ゐし」に直せばなんとかなったものをと、「気は心」で手元のコピーを自分で添削して、pdfで保存。「年齢とともに、注意力が落ちるのだから、トシを重ねたら、若い時の2倍でも3倍でも、推敲に時間をかけなくてはいけませんよ」と、自分に言い聞かせた。
May 14, 2012
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「母の日」の花を贈られた。★ 二つは、亀が鉢を背負う形になっているプランターに、Kalanchoe と名札のついたかわいらしい小花が入っている。最初、プランターが気に入ったので、プランターを買ったものの、花が入った方が見栄えがすると思って追加してくれたのだそうだ。このKalanchoe、英和を引いてみたのだが、日本語で何という花かわからない。葉が厚くて、小さな花が集まったかわいらしい花。パンフラワーで作ったのを、以前いただいたことがあったし、特に新品種というわけでもないらしい。★ もう一つは、ぐっとエレガントな胡蝶蘭。水のやり方や、肥料の与え方について説明を書いた札がついていて、その通りに世話をすれば今後20年、花を咲かせることができると書いてある。う・・・ん・・・。20年か!これはたいへん。「10年はなんとか頑張ってみるから、それまでこの花が大丈夫だったら、そのあと、キミが世話をしてくれる?」と、居合わせて8歳の孫に聞いてみたら、「OK. オバアチャンはその頃、うーっ! となって、grave yard の下にいるもんね。この間、日本で見たあそこだね」と、言われてしまった。まったくごもっともで、自分でも、そうは思っていたから、そういうことを言ったのだけれども、他の人から言われると、妙に実感があって、また別な感じだ。彼にとっては、概念としては以前から知っていたらしいが、「日本式お墓」の実物を見たのは、12月に日本に行ったときが初めてだったので、印象に残っていたのだろう。わが死後は孫が面倒みると言ふ 二十年咲く蘭の鉢植ゑ実は、何年か前にも一度、胡蝶蘭をいただいたことがあったが、あの時は、五年くらいしかもたせられなかった。 今度はもう少し頑張ってみよう。せっかく孫が引き受けてくれたのだし。
May 13, 2012
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短歌に〈孫〉という字を使うと、甘くなるから、他の言葉で表現した方がよいと、あちこちで聞く。 で、私もいろいろ工夫しつつ、あれこれと孫の歌を詠むのだが、ときどきひっかかる。 たとえば、〈みどりご〉 歯が一本、生えそうでそこのところの歯ぐきが白っぽく固くなっていた孫の口に、待ちかねていた歯が、ぽつっと白く生えてきたところを歌いたいとする。その時、この子のことを何と詠むか。 生まれたてで、眠ったり泣いたりミルクを飲んだりしている時は、たしかに〈みどりご〉がふさわしいような気がするた、歯が生えるようになって(六か月)になると、さて・・・ かと言って〈あかんぼ〉は、くだけすぎるし、〈あかご〉は古典語すぎるし、〈あかちゃん〉は、自分の身内であると思えば、抵抗がある。 広辞苑を引くと、〈三歳以下を言う〉と定義してあるけれども、私の感覚としては、三歳をみどり児というのは、いささか抵抗がある。 ネットの方が、現代の言葉使いの趨勢がわかるかと思って、〈みどりご〉を検索したら、なんと、三歳以下をみどり児とよぶのは、〈大宝律令〉で定められた定義だとでているサイトがあった。 昔々、「大宝律令名はひとつ」とか言って、成立は701年と丸暗記した、あの大宝律令! そういう法律用語も、時代を経て、詩語のような扱いをうけるようになるのだから、言葉の動きは面白い。 ついてながら、広辞苑によると、以下の定義が見つかった。しんせい‐じ【新生児】 分娩直後から約2~6週間までの乳児。初生児。新産児。にゅう‐じ【乳児】 生後1年ぐらいまでの母乳または粉乳などで養育される時期の子供。児童福祉法では、1歳未満児をいう。ちのみご。嬰児えいじ。おさな‐ご【幼子・幼児】ヲサ‥ 幼い子供。稚児。
May 12, 2012
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今日は、バンクーバー短歌会の5月例会の日。だったら、短歌会でどういう歌が出たとか、どういう疑問が残ったかとか書くのが筋だけれども、ちょっとそれはそれとして・・・・出席のSさんから山椒をいただいた。とれも香りのよい、カナダでは久しぶりに手に入った山椒だったので、大事に持って帰って、わが家の「調理大臣」に献上。「これは、これは。さっそく今夜いただこう!」と作ってくれたのが「きじ丼 ア・ル・サトウ」白いごはんの上に、さやえんどうをゆでて細く切ったのを載せ、その上に、焼き鳥風に焼いた鶏肉をならべ、更に、山椒をこまかく切ったのを載せて、VOILA!他に、ごぼうのサラダと、トウモロコシの入った汁椀。写真では、香りが伝わらないのが残念。
May 11, 2012
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ご近所のタウンハウスの入り口に、レースのように繊細な白い藤が咲いていた。写真など撮っていたら、怪しまれてしまいそうな雰囲気があるので、ちょっとひるんだのだけれども、一枚だけ。別のところで、生垣にからまりながら、道路沿いに咲いていた白い藤のひと房を一枚。こちらは、そんなに繊細な感じではないけれども、何気ない感じが好ましいと思った。
May 10, 2012
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来週末だか、さ来週末だかに、孫の同級生が泊りに来るのだという。初めて、友達が泊りに来るというので、孫も大喜びだし、パパさんもかなり緊張したり喜んだりしている。今日も、その準備の一環として、「吊輪」をつけたというので見に行ったら、以前、パパさんが作った遊具のブランコが一つはずされ、その場所に吊輪がついていた。この吊輪、二つの輪の間に棒がとりつけてあるので、二つの輪の間隔が一定するので使いやすい。なれたら取り外すので、「自転車の補助輪みたいなもの」だそうだ。少し高いブランコとしても使える。孫は、「友達が来るまでに練習する」と言って、「動く鉄棒」に膝でぶらさがったり、逆上がりをしたり、楽しそうだ。私は8歳のときに、とてもこんなことはできなかったので、感心しつつ、体重が軽いうちに、こういうことは身につけておいた方がよいのは確かだ。怪我をしそうで、祖母にはできない、父親ならではのサービスである。パパさんが子供の時には、高度成長期の日本で働いていた父親は自分の子供の寝顔をちょっと見るくらいの接触しかできなかったが、その代わり、父方のおじいちゃんが、庭に砂場と本式の鉄棒を作ってくださったのを思いだした。考えてみると、あの時の「父方のおじいちゃん」は、まだ五十代後半。若かった、やはり。
May 7, 2012
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びっくりした。テレビのニュースで、日本に竜巻が起きたと伝え、アジアの地図の中の日本列島が真っ赤に色つけられたでてきたときには、本当にびっくりした。ケンタッキーやテキサスで竜巻が起きるニュースは度々聞くけれども、日本では、数年前から小さい竜巻のことを、たまに聞くくらいで、大きい竜巻が起きるとは、想像もしていなかった。あわてて、日本語放送にしてみると、まあ、またさらにびっくり。逃げても、そちらの方に竜巻が動いていくかもしれず、みすみす「わー、すごい」と見ていつつ、何もできなかったのが現状らしい。津波と違って、高いところに行けばこないわけではないし。地下室のあるところでは、地下室に入るのが何よりの安全対策だと聞くが、まず、一般家庭には地下室はない。(杉並の住宅公園には、地下室のある家の展示がたくさんあったのを思いだす。あれなら、命だけは助かるかもしれない・・・・とか、ふと考える。窓のそばで、竜巻を見ていて、割れたガラスの間から吸い込まれた人のニュースも聞いたことがある。ガラスが割れるのもあぶないし、堅固な建物の中に入り、なるべく奥の方にいて伏せている・・・のがいいのかなあ・・・。しかし、テレビを見ていると、竜巻では火事が起こらないのだろうか。家が壊れてはいるけれども、燃えているところは出てこない。昨年の地震の余震さえまだおさまらないうちに、こんな災害があるなんて、いったいどうしたことだろう!! 被害にお会いになった方に、謹んでお見舞い申し上げます。
May 6, 2012
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テキサスの息子の家の裏庭に、数日前からとかげが一匹、住んでいるのだそうだ。ペットショップに電話して聞いてみたところ、いくらテキサスでも自然に住んでいることは考えられず、どこかで飼っていたのが逃げ出してきたのだろうという話だったという。別に害を加えるわけではなく、ベビーのいる家の中に入ってくるわけでもないので、とくに追い出すこともないし、かといって餌をやるわけでもなく、みんなで見て、写真をとったりして楽しんでいるらしい。動きが、守宮のように早くないので、写真にもとりやすいらしい。送ってもらった数枚、なかなか美しい色だと思った。
May 5, 2012
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スーパームーンと聞いていたので、どんなかなあと思っていたら、まあ、なんと怖いほど大きく、怖いほど色濃く、そして堂々と、ググッ、ググッという感じで、東南東の森の向こうから登ってきた。じっと見ていると、胸の奥がジーンとしてきて、何か音も聞こえるような気がする。一応、写真も撮ってみたけれども、その威風堂々たる月、私のカメラでとった写真の中ではただのマル。おまけに歪んでいるのや、二重になっているのやら。せっかく、大きさが14%、明るさが30%増しに見える満月だというのに・・・。 そうはいうものの、私のカメラではどうせそんなことだろうと思い、スケッチブックとパステルを用意していたので、写生もした。うちは11階なので、東向きのベランダに出て、冬のコートを羽織って寒さをしのいで。でも、私が描いた「マル」は、いくら色を重ねてみても、月の色にならない。ぐずぐずしていると、濃いオレンジ色だった月が、高くのぼるにつれて、枇杷色になり、卵の黄身の色になり、黄色になり、白になり・・・・と、どんどん色が変わっていく。空も、月の周りは、オレンジ色に近い色だったり、白だったりするのだが、少しはなれると、限りなく黒に近くなってくる。少しだけある雲は、上の方だけ月の光色に染て、また、デリケートな色合いでなんとも言えない。
May 5, 2012
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5月5日は、主人の誕生日なので、長男一家が相談の上、今夜、主人が好きなスペイン料理の店に招待してくれた。ここのオーナーのホセ氏は、40年近くまえ、主人が団体旅行の添乗でバンクーバーに初めて来たころに、ホテルバンクーバー(当時、町一番のホテル)で、ベルボーイをしていて、なんとなく仲良くなった人だという。その後、たいへんな努力で、1988年だったか、Chateau Madrid という店をだした。料理もよく、日本人の扱いも行き届いているというので、主人の会社(日本からの団体旅行を扱っていた)も、たくさんお客様を送りこんでいた時代があった。(二人とも、40代の初めだった)好きなレストラン、信用できるレストランとして、個人的にも、お客様があると、うちでも、昔はよく行っていたものだったが、主人が退職してから、だんだん、足が遠のき、さて、何年ぶりのことだったろう!!今日、行ってみると、たいへんな繁盛ぶりで、最近、バンクーバーには少なくなった日本人の食事客も、ここにはたくさん居た。(主人も喜んで、わからななそうにしていたお客さんにメニューの説明をしに行ったりして、息子に恥ずかしがられた。)料理の味も変わっていないし、オーナーのホセさんは、白髪になったものの、昔と少しもかわらない元気さで、働いていたのが、私もうれしかった。ふだん、電話や手紙、あるいはメールでの交流があるわけではないのに、会えばお互いに覚えているというのは、なかなかよいものである。まして、苦労時代を友にした男同士は、ずいぶん懐かしいものらしい。・・・といって、お互いに名刺を交換したり、電話番号を聞いたりして、連絡を取りあおうという気持ちもなく、Hasta la vista (では、また)みたいな感じで、さっぱりと分かれていく、付き合いの淡さが、また、おしゃれだ。写真は、Bodega 自慢のPaella.(パエーリャ)
May 4, 2012
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バンクーバーでは、10年前くらいまでは、トンボをみかけることがなかった。しかし、この数年、夏になると、いろいろな種類のトンボをゴルフ場などでみかけるので、地球温暖化のせいかと思っていたのだけれども、そういうわけでもないらしい。また、朝晩は、6度とか7度とかまで温度がさがったが、昼間の気温が15度まであがった今日、いくらなんでもまだ寒いと思うのに、もう黒いトンボが、10匹くらいの群れをつくって飛んでいた。地球の温度が変わったというより、トンボの生態が変わったということなのかもしれない。ちなみに、蝶々は、まだ見ていない。
May 4, 2012
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みなとみらい、日系文芸祭への応募作品を取り次ぐ仕事をしていて、お会いしたことはないけれども、知人のようになった方々が、何人もいらっしゃる。その中の一人、広江さんから『カウボーイ フィッシャーマン』という絵本が届いた。BC州で、ブック・プライズを受けられた絵本だそうだ。 内容は、ブリティッシュコロンビアの、ルル・アイランド(今、私の住んでいる所です。)に日本から移住していた人が、世界大好況で仕事を失った時に、漁業で生活をたてようとしたときのエピソード(実話)を、英語と日本語で書き、自身で絵も描かれた、レターサイズで約30ぺージほどの本。お孫さんに聞かせる形で、やさしい言葉で、「ほんとうにあったおはなし」として語られて、経験をつんだ漁師さんが、あたらしく漁師になろうとする人を手助けしたり、助けてもらって人も頑張ったり・・と、なかなか心あたたまる話。絵は、この表紙からもわかるように、すっきり単純化されていて、子供たちもよろこびそう。広江さんは、「絵に自信がなかったのですが、審査員の中には、絵が良いと褒めてくださった方もあり・・」と、添えた手紙に書いてくださった。折りしも、うちの二年生には、ちょうどよい絵本だったので、さっそく読み聞かせたら、荒れた海の様子が印象に残ったらしく、そこを何度も、自分で読んでいた。JICAの移民資料館にも寄贈したら喜ばれそうな気がするので、問い合わせて紹介しようと思っている。
May 3, 2012
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車(TOYOTA)を定期チェックに出している間、1キロほどのところにある植物園に行ってみた。桜は終わって、まだ藤も、黄藤も、ハンカチの木も、桐も、チベットの青い罌粟も咲いていなかったけれども、石楠花がたくさんの花を咲かせていた。往復の道では、州の花、花水木の並木が、白いフレッシュな花を咲かせていた。 花粉アレルギーの人は、桜のころが最悪で、花水木のころになると、どうやら楽になると聞いたことがあるので、そろそろ、気持ちのよい季節に入るのかもしれない。花を見ている間に、半年に一度の車の手入れをしておいてもらえるとは、なんと贅沢なことだろう。広い植物園の中で、二度ほど大降りの通り雨にあったほかは、すばらしい三時間であった。
May 2, 2012
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今日、新しい20ドル札が発表された。(新聞から、写真を2日間ほど拝借します。)流通するのは、11月になる由だが、特徴は、今までと違って、合成紙でできていること。このことによって、お札が長持ちするから、国家としての経費節減になるのだそうだ。(しかし、「紙幣」という言葉は使えなくなる。英語では bill とか note とかだから、別に関係はないけれど)100ドルや50ドルはすでに、合成紙になっていて、50ドルを一度だけ見たことがあるが、庶民の段階ではあまり流通していない。日本にいると、1万円札(100ドル札程度の金額)が財布に入っていないと、ちょっと心細いけれども、デビットカード・クレジットカードなどの使用が多いカナダでは、100ドルを現金で払うことはめったになく、100ドルを出すと、店の人が、偽札かどうか、いちいち透かしてみたりするようなありさま。20ドルになると、カナダでは現金で支払うことも多く、私にも縁が出てくるが、逆に日本では、あまり人気がないようだ。私の財布に入っていた回数も、数えるほどにすぎない。(1セント硬貨は、まもなく無くなるという話も聞いている。生産に1セント以上かかるのだそうだ。そういえば、日本の1円硬貨も1円以上かけて生産していると聞いたが、どうなっているのだろうか。)
May 2, 2012
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初孫を祝ぎて小さき鯉のぼり庭にそよがすカナダの友は(岩本修子)作者の岩本さんは、鈴木先生のお宅で開かれていた短歌会で知り合いになった方で、この一首は、七年ほど前に、コスモスの方たちと一緒に、バンクーバーの私の家を訪ねてくださった時の作品であり、このたび(と言っても三月のことだが)上梓された、武田弘之選の第一歌集『副虹』にも入っていた。以下、その『副虹』より、私の好きな歌10首を掲載する。ふるさとに原田泰治の絵のやうな母が待ちをり木曽路に行かな二〇〇〇年のあけぼのに事あらずして備へし水を孫が飲みをり 文明の虚飾まとはぬ女らをゴーギャンは描けりタヒチの浜にそばの花しらしらと咲く高原に夕霧たちて低く地を這ふ立冬の風に篝の火の粉舞ひシテの衣装がふはりとなびく無理するな楽をするなをモットーに夫は散歩す凍てつく今朝も剥製の月の輪熊に見られつつかぶりつきたり串焼き岩魚息荒くひょろげん坂をのぼりきて今朝の散歩はこれでおしまひ副虹がホースの先にかかるよな吉事(よごと)あれかしわが行く末に
May 2, 2012
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毎週火曜日は、レディス・ゴルフの日。割り当て通りの四人でティーオフして、4番ホールくらいまでは、みんな上機嫌で、ハンディなりのプレイをしていたのだったが、そのあたりから、急にシシリアさんが乱れだした。ハンディ15の上級者の彼女なのに、私と同じくらいのスコアにしかならない。特に、グリー回りとパットが、「なんでまた?」と言うほどの不出来。どこか具合でも悪いのかと思って、聞いてみたら、「財布を失くしたらしい」と言う。プレイが始まってからどこかに落としたのなら、私たちが気づいている筈。スーザンが、「可能性は、ロッカールームに忘れたか、車の中に置き忘れたか、それとも最初から持ってくるのを忘れたかの三つしかないから、落ち着きなさい」と言ったのだが、9番を終わったところで、ロッカールームと車の中を見てもなかったので、「今日はもうリタイヤ―して帰るわ」と言う。「ま、それがいいね。」と私たちも賛成して、シシリアは抜けた。・・・すると、ミッシェルが、ちょっと考えて「でも、こんなに気もそぞろでは運転が心配だから」と、自分も抜けて、シシリアを乗せて、送って行った。 財布を拾われたり盗まれたりした場合、現金が入っているだけなら、それだけの損害だけれども、クレジットカードだの、キャッシュカードだのが入っていると、損害がどこまで大きくなるかわからないし、手続きも面倒だから、気もそぞろになるのは、ムリはない。ミッシェルの親切に引き比べて、私は、気の利かないことで・・・とか思いつつ、ま、最年長だから出る幕ではないと、自分に言い訳しながら、スーザンとプレイを続けさせてもらったが、やはり、落ち着かず、少なくとも、楽しいプレイではなかった。まもなく、スーザンの携帯に、I found the purse at home とメールが入り、そのあとは、また、普通にプレイしたのだけれども、自分の気の小ささを思い知らされてしまった。あとで考えると、対応として、こういう時の本人に運転をさせなかった人は、偉かったと思う。もしかしたら、大変な事故を未然に防いだのかもしれないから。
May 1, 2012
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