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荒川選手が金メダルをもらい、その後に日の丸を身にまとってウィニングランをしたそうな。中継をしていたNHKはなるべくそれが映らないようにと画面をいろいろ変えていたらしい。なにか配慮があったそうな。そこで、オリンピックにおける日の丸、君が代だが、なにかまずいことがあるのだろうか。このふたつがないと表彰式が成立しないのだが。日の丸、君が代に反対する市民の皆さんにお願いしたいのは、代替案を考えてほしいのである。私も中学生の時に考えたことがある。君が代が国歌としてかっこ悪い曲だと思って。他の国はもっと元気で景気がいいのに、と。日の丸についてはユニオンジャックや星条旗に比べると地味かなと思ったことがあったが、デザインがわかっていくうちに、日章旗の旗としての出来のよさがわかってきた。あの丸の大きさは素晴らしい。幼児でも描くことができるしね。荒川静香選手のウィニングラン
2006年02月27日
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生活保護受給者は10年前の1.6倍に増えて100万世帯に達していると言う。勤労世代の増加が目立ち、また勤労できる状況にあるのに働きたがらない人が多いと報道されている。私は在宅介護支援の仕事より垣間見た経験を元に、現状についてコメントしようと思う。まず社会福祉事務所の人間にとって、保護係は行きたくないセクションである。ウラドラが4つのるようなヘヴィなケースばかりだからだ。高齢者についてはとりあえず議論よりのぞく。保護受給者はなぜ、そうなるか。心身の虚弱があげられるが、それは膠原病のような難病だったりアルコール依存だったり、DV依存だったり、ギャンブル依存だったりする。アメリカでいうところのソーシャルケースワーカーにとっては1ケースで、長期に渡り専門的な援助技術を以って支援する必要がある。生活保護法は最低限の文化的な暮らしを国民に与えるための重要な法律であるが、それは恒久のことではなくて、対象者はなるべく早く保護より抜け出さなければならない。が、現状において私の知る限りでは、行政がいわゆるソーシャルワークをしているところを見た事がない。いいすぎかな。1人のケースワーカーが受け持つケースは80件である。こんなにたくさんのケースを毎月、相談援助することは不可能だ。だから、みな、書類上の整備のみに努め、ダラダラと受給させることになる。また、対象者がヤクザだったり、在日の政治系とつながっていたり、エセ同和の人だったり共産党の人だったり創価学会の人だったりすればリスクが大きい。役所はカウンターの前で怒鳴られることを最も嫌う。なので前任者からの申し送りどおりにつなぐだけだ。関わりを深くもつことでワーカーの利益になることはない。減点となるリスクあるのみ。査定があがることはないのに、どうしてわざわざ渦中の栗を拾おうか。ネット上では、B枠とか在日枠なんていわれているが、そんな構造が日本の社会にはある。普通に生活している分には見えない闇の部分が、生活保護を通していろいろと浮かび上がってくるものだ。これまでの生活保護は主にそんな人達が対象であり、あまり一般人は注目してこなかった。誰だって裏の社会を積極的に見ようとはしないものだ。しかし、今後はごく普通のサラリーマン家庭が生活保護へと転落することが増えるだろう。そこで、彼らはちゃんと救済されるかがポイントとなる。が、昨今の受給者増加で、どの自治体も引き締めにあたっている。新規受給者をなるべく出さないようにしようという流れになってきたのだ。なので、事業に失敗した人、病気で働けなくなった寡婦はカウンター越しで門前払いとなりやすい。実際、生活保護の手続きは複雑だ。いっさいの財産を処分せねばならぬ。生命保険等の保険、クルマ、家屋等をみな持たないようにしなければならぬ。普通の人は財政が破綻してもいろいろと口座を持っているので、その始末は大変だ。このへんでくじけてくる。また、親族がいろいろいれば、保護係は彼らと連絡をとって共同体的に解決しようとする。これはわかる話だ。が、悲しいかな、普通の人はそんな恥ずかしいことを親族に知られたくないもの。厄介払いが待っているので。ということで、一般のサラリーマンの生活が崩壊しても生活保護の受給に到るまでの過程は果てしなく長い道だ。親身に相談に乗ってくれるケースワーカーに出会える確率もこれまた低い。これが現状である。私が不可解に思うのは、生活保護と職安が何も連携していないことだ。行政の縦割りは一事が万事だが、ケースワークにおいて就業は目標であろう。早い話がケースワーカーが対象者とともに仕事を見つけていけばいいのだ。とにかく、彼らはお役人さんであって、カウンターの向こうから声がする。私の場合、仕事柄、カウンターの向こうへ行くこともあるが、これは相手にプレッシャーを与える作戦の意味合いもある。今後、受給者の増加により突然、打ち切られるケースもあろう。その場合はシングルマザー等の弱者が犠牲になる。月5万円でも夜、スナックで働きなさいということだ。私の小泉改革への不安はこのあたりにある。今、日本で行われている改革は正論なのだが、行政のハンドリングによっては、弱者切捨てとなるだけだ。私は役人ではないので、外部者としてこのような発言ができる。が、もし自分がケースワーカーだったとすると、とてもこのような正義に満ちたコメントはできないだろう。中には社会正義に燃える人もいる。が、対象者と深く関わってしまったがために心が壊れてしまうことが多いのだ。結局、福祉事務所より閑職へ飛ばされて、その人の福祉のような仕事ぶりとなっているケースはゴマンとなる。また、私の経験では、無能な職員をあえて保護係にしばらくおいて彼を混乱させて、その後どこかへ消えていったという事もあった。警察の生活安全課よりも泥臭く、リスキーな仕事なのである。
2006年02月27日
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たいがい、己の未熟さより来るものなんだが。若い頃の話だが行きずりのオネエチャンをゲットして阿佐ヶ谷にある彼女のアパートへあがった。普通の木造の一軒屋がアパートになったようなちっちゃな部屋、に上がるべく靴をぬいで階段を上がると、隣室の大学生の男の息遣いが聴こえてきた。そのくらいプライバシーのない部屋に侵入したのだ。ピンクを基調にしたちゃちなインテリア。19歳の彼女は福島出身の理容師見習いで、これから(24:00なのに)明日のタオルを暖めに一度、店に行かねばならぬという。こちらはピンクのお部屋でボルテージがあがってきているのだが。「どうも、ときどき隣の大学生が私の部屋の様子を伺っているみたいで気持ちが悪い」と彼女がいう。階段を上がる足音が4つですぐわかる。話し声もつつぬけのようだ。でも彼女には彼がいて、部屋のにおいも、幾度も男女の交じり合ったことを髣髴とさせる独特のものであった。さあ、どうする。6畳の2階で男女が向き合って無言で見つめあう。中央線の電車の音が遠くから聴こえてくる、(プワ~ン!…。ガタゴトン、ガタゴトン、ガタゴトン)経験の少ない、オレサマ。はやる気持ち、あせる気持ち。見つめあった男女は3秒後に女が先に目を離した。男には長い3秒であったが、ここで勝負があった。女は、笑ってしまったのだ。この瞬間は今でも鮮明に覚えている。天井からぶら下がった電気のヒモがふたりの間に垂れ下がり(それは彼女が寝た姿勢でも届くように、べつのヒモで延長されていた)ぶらぶらと揺れていたのだ。クソマジメな表情でかぶりつかんがごとくの私の目の前のヒモ。キスをしようと接近するほどにヒモが目障りだった。これは神様の配慮であったと今では思っている。まだまだ、青いぞ、おまえよ。ひとつの布団に二人が寝ながら、彼女は疲れて寝てしまうという状況下において一睡もできずに朝を迎えたのはいうまでもない。東北弁丸出しの彼女は、人肌にあたたかい女の子であったが、それだけ男に対しても手馴れていたのだ。今回、なぜ、こんな逸話を書くに到ったのかといえば、民主党の永田議員のメール疑惑問題について述べようと思ったのである。え?すごっく、遠回り?枕にしては長すぎる?ぼっちゃん育ちで秀才の永田氏の若気の至りについて書こうとして引っ込みがつかなくなった話を考えたら、ヒモぶらぶらの話に行き着いたのである。結論を言いましょう。民主党は、これ以上恥をかかないように、早く、メール問題から撤退するべし。あやまって済むところは謝ればよし。仕切りなおしをして、再度、ライブドア問題の追及に当たればいい。メールの真偽は重要ではない、なんて妙な論理は「きっこの日記」レベルでは展開できるが、国会でそれをやってはならぬ。永田議員および、民主党サイドは、ライブドアと自民党の背後に潜む黒い影、ようするに広域ホニャララ団との繋がりを匂わせたかったのであろう。その気持ちはわかる。が、手順として間違っている。永田議員には眠剤をしっかり飲んで熟睡してしっかりと会見してほしい。それにしても自民党に比べてズルさが足りない民主党である。
2006年02月26日
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続編の発売である。前作もアマゾンで1位となるほど売れた漫画だが、今作もアマゾン1位、本屋さんでも平積みである。前作はざっと本屋で立ち読みして、それで済ませてしまった。意図はよくわかっていたし、内容も2ちゃんねるにおいてだいたい知っていたので購入までには到らなかった。パート2を買ったのは、その後の嫌韓流をチェックしてみるか、という思いで。面白く読んだ。今回は日本国内においての嫌韓に重きがおかれている。日本国内にいる在日朝鮮、韓国人に対しての「このままでいいの?」というメッセージである。作者はまず在日の人について、いろいろと活動をしたりや反日感情を抱く人は少数派であると描いている。多数の人は波風立てたくないし、穏やかに暮らしていきたいだけだ。「在日特権」はやはり生きる上でおいしい要素があるので、積極的に帰化することもない。通名との名前の使い分けもいろいろと効用があることがわかった。ストーリーの中で日本に帰化した青年も登場するが、あえて日本人となることには、それなりに勇気がいることもわかった。同胞より魂を売ったなどと誹謗されることもあるのだ。韓国における反日教育や歴史の捏造については、一言でいえばジェラシーによるものだといえる。戦後における日本の経済発展に対してのジェラシーであり、韓国という国の成り立ちにおける日本の植民地政策の功績に対してのそれである。現在の韓国に成り立ちにおいて日本の役割なしには語れないという事実を国をあげて否定したいのである。この一点はどうしても曲げられないようだ。背後には中華思想がある。日本人が眺める韓国の不思議は、それが中国のような一党独裁政権ではないのに、反日という一点においては、国民の足並みが揃うことだ。揃うことで韓国という国のアイデンティティをどうにか確立させている。韓国人の穏やかでない国民性はどこから来るのか、という重要な疑問を多くの日本人は抱いていると思うが、私はこの点についてはマンガの世界より離れて、古代史にまで飛ぶ。歴史的に朝鮮半島が不安定な場所であったことだからであろうと思う。いくつもの国家および民族が国盗り物語を行ってきた。そしてそれらの王は中国の帝王に柵封してもらうという形で国を存続させてきた。朝鮮民族のメンタリティを漢字一字で表すと「恨」ということになろうが、韓国国民のパワーの源である恨の矛先は、現代にあっては日本に向けられている。そうなってしまった。り・しょうばん政権はここから国づくりをスタートさせた。これは、日本が国をあげてどうにかすれば収まるものではない。原因が日本にあるのではないのだから。ただ、私がこのような文章を書けば、日帝36年の歴史を否定するのかといった反論も生じるであろう。このマンガではそのへんにも注目し、日教組や中核派、その他の左翼勢力がわざわざ、歴史の捏造に対して同調していると批判している。私もなぜ、そこまでむきなって信憑性の疑わしい出来事に同調したいのか、理解に苦しむ。早い話が彼らは現在の政治が転覆すればいいのね、と思う。成田闘争において空港反対の農民と手をつないだことと同様で、なんでもいいんだな。まったく幼稚だし、ふつうの国民にはいい迷惑なのだが、彼らはいわゆるインテリ層であり、日本のジャーナリズムの一翼を担っているので、事はやっかいである。横にそれるが、スローライフとか、有機農業とか、NPOとか、筑紫哲也のニュース23といったキーワードが私の脳内においてひっかかってくる。それはさておき、今作では台湾人学生を登場させて嫌韓の視点を拡大させている。二国間の問題ではなくて世界における韓国人の困った問題という見方だ。日本の植民地政策に対する評価について台湾と韓国がなぜこうも違ってくるのかを少しだけ切り込んでいる。北米、中南米においての韓国人の困った話も取り上げて、日本人が嫌韓になるのは、韓国人の国民性によるものだと説明している。ながながと書いてきたが、「すっかり嫌韓流にハマってしまったのね」と思われる方もいると思う。が、私自身はそれほど過激なことを述べているとは思っていない。そんな国なんだもん。例えば韓国において風俗産業はGNPの5パーセントに達するほどの規模があるというが、李氏朝鮮時代のキーセン文化あってのこと。それが巡りめぐって日本国内においての韓国エステ店へと繋がって私という個人と繋がってくる。食も含めて韓国文化に与っているわけだ。儒教思想、未婚で処女でない女は大手を振って歩けないという考えがあって、恋に破れた女性はマッサージ嬢になったりする。それも家というシステムがあるがゆえの事。職につけずに困った女性が日本でエステ嬢になる。嫌いなチョッパリが相手なら身体を売っても恥ずかしくないし、家族にもわからないからいいという、妙な精神によりプライドを保ちながらローションを塗る。また健康ランドで垢すりおばさんと対面すれば、とても優しい人と韓国語で悪口をいいながらやる嫌な人の両方に出会う。私が韓国人と親密になる瞬間はこんな時だ。このマンガは何度か、日韓がお互いに分かり合えるために議論しよう、なんてことを書いているが、それは、ちょっと歯が浮くセリフだ。無理。フランス娘に儒教思想を叩きこむくらい無理がある。歴史認識等、妥協点を見出すことはできないし、そんなことは筆者の本心ではなかろう。
2006年02月26日
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日本中が荒川静香選手の金メダルに湧いた1日であったが、私のお目当てはスルツカヤさんなのであった。丸ぽちゃでニコニコと愛嬌がある。転倒してもその後は動揺もなく滑ったし、ジャッジが出る際にも、悲壮感がなくて、「やっちゃった。」って感じで笑っていた。やはり女王には違いない。コーエン選手は余裕がなかった。硬かった。村主選手は十分に実力を出し切った。泣いていたのは点が思ったより低かったからだろう。全日本選手権の時の高得点とは大違いなので。安藤ミキティはあんなものだった。4回転にトライしたことでよしとしよう。飛べないことはわかっているが、それをしなければ日本に帰れない。フィギュアの広告塔として使われて消耗した感がある。無理に代表に選んだ人達にも責任があろう。ロッテやトヨタといったスポンサーも反省するべし。私は中野選手が出ていたら何位だったか、観たかった。日本の選手団はようやくメダルが獲れてほっとしていることであろう。荒川さんの集中力に拍手を送り、おわりっ。
2006年02月24日
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自他共に認める方向音痴の私である。駐車した場所もすぐに忘れるし、車幅感覚もうまくつかめない。デイサービスの送迎をやっても、利用者宅の場所が覚えられずに迷子になり、同乗者をイラつかせることもしばしばであった。女社会の福祉ワールドで、方向音痴の男は誠になさけなく、リーダーとしての威厳をそこねる十分な理由となりえたのである。なぜ、私はこうも空間の認識が弱いのか、その謎が解けた。★Left-handers have different view (左利きと右利きの人々が世界を異なって見ることを科学者は示しました。 研究の詳細はバーミンガム大学によって、「Nature Neuroscience」に掲載されます。 左利きの人は空間把握に弱く、より自動車衝突事故を起こしやすいと思われます。 )ソースは古いBBCニュース母の証言によれば、私はもともと左利きだったそうである。右利き社会にあってはいろいろと不自由であるので、右利きに矯正したそうだ。このテーマをめぐり2ちゃんねるの科学板でも議論がなされているが、左利きの人が違う眺めを持っていることは本当のようである。また、左から右へ矯正された人はとっさの時に左右がわからなくなることがあるという。これも、私は納得できる。左に曲がろうとして右にハンドルを切ってしまうことが、ままあるからだ。道に迷ったときに多いな。あなたの見る世界と私が見ている世界は異なっているのである。そこを理解していただければ。なんと、あのイチロー選手も方向音痴だとのこと。ノコギリがうまく使えないのも右利き用の刃の向きに合わせられないからだ。私が元来、左利きであったことを物語る状況がある。ホニャララの際は左手なのである(笑)原始的な脳を使用する際には、本来の利き手が出てしまうということだ。長年の謎が解けた。以上、おわり。
2006年02月22日
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家族介護者の4人に1人はうつ病であると、朝のNHKニュースで報道されていた。なんとなくうれしい。私の現在の状態が決して私自身のキャラクターによる内因性のものだけでないことが証明されたようで。そうそう、仕事をしているときには鬱になっているご家族をよくみかけたものだ。仕事でケアマネジメントをし、家では要介護者がいる状況が、精神によいわけがない。だが、この状態ときちんと向き合って解決するつもりではあるが。私自身、母の介護をやっているわけではないが、家族構成における役割がきついのだ。とにかくNHKの報道でほっとした。いつか現在の経験が役に立つことができればいいと思っている。
2006年02月22日
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オリンピックって何だろうね。書くネタがなくてとりあえずこう書いてみた。今日の時点でメダルがゼロ。嘆く人達もいるが、これはJOCに対しているのか、それとも選手に向けてか。メダルを取れ!と脅かされて取れるものでもないし。そんなに各国のメダルランキングが気になるのか。そりゃ私だってメダルを量産されればいい気分になると思う。でも、選手がやることだし。深夜にまったりと見るカーリングだって、なかなか面白いではありませんか。筋肉の瞬発力ばかりを求める競技の中で、こんなビリヤードみたいな競技があってもいいんじゃないか。50代の現役もいるらしい。花形競技のアルペンの驚異的な技術を見て驚嘆するのもよろしいが、例えば夏の五輪における馬術のような競技も面白いものだ。日本人の期待はますます女子フィギュアへと向かっているが、私は荒川選手が銅メダルを取れたら十分だ。なぜってロシアのスルツカヤが好きだから。ぽっちゃりしてかわいいじゃない。演技も安定しているし金メダルに一番近い人物だ。それから村主選手も外国人の評価が高い。私は偏見でもって、あの苦悩に満ちた表情が東洋的神秘として受けているのではないかと推測している。ミキティについては、ま、いいじゃん。4回転は飛べません。飛べない4回転に挑むかどうかが見所であり、あれだけ4回転といいながら回避したら非難ごうごうでありましょう。なので飛ぶべし。転ぶけれど。それでよし。6位入賞でいいじゃない。オリンピックはロス五輪あたりから商業主義の面が顕わになってきた。これも時代の流れとしてしかたないところもあるが、私は個人的に綱引きが復活してくれないかと思っている。面白いよな綱引き。ただ力だけでなくひっぱるタイミングも重要で、団体競技としてチームワークが試される競技だ。プロの格闘技選手の参加もOKにしたら、すごい面子が集まったりして。K-1 を超える盛り上がりになるのではないだろうか。
2006年02月21日
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何度も己の日記を読み返す。そんなことはありませんか。アップしてから、また文章を確かめる。私の場合は勢いで、えい!と書くのでタイプミスや文章としておかしなことが誠に多い。ここでマメに手を直す場合とそのまま放置する場合がある。じぶんの文章はさっきじぶんで書いたものだから再読しても意味ないのだが、どうしても読み返したくなることがある。ありませんか、そんなこと。時には日記一覧をクリックして遠い過去のログを読んでみることもある。600件を超えるがみな覚えている。牛の反芻のような行為を年中やっております。先日、ライコスから楽天に移行してから面白い日記に出会えずウンヌンとずいぶん後ろ向きで失敬な文章を書いてしまいましたが、時々、ピン!と反応する文章に出会うこともあります。悦生さんのショートストーリーは面白かった。なんか評論家きどりでこんな発言をするのも失敬ではありますが、書きたくなれば書くのが私のポリシー。個人的な日記を公に書き連ねていくことは精神にどんな影響を与えるのだろうか。だれか心理学の研究者が調べてくれないかな。「あがり症の人はセックスをすると落ち着く」といった研究に明け暮れている人がいるのだから、ウェブ日記により心を病む人はどうなるのかも研究してほしい。それから、これは蛇足の部類の話だがブログにおいて論争と言うか喧嘩になってしまうこともある。その対処法としては、ひとつひとつのレスになるべく丁重にコメントをしてあげることと、ブログを止めずに我関せずと継続することではないだろうか。電波だろうがなんだろうがブログは管理人のオレサマキングダム。あまりにも公序良俗に反していたり、コモンセンスとかけ離れていると2ちゃんねらーにより炎上することもあるが、丁寧な対応ができればすぐに収束するでしょう。己のレイプの自慢話等をネット上にアップすれば、炎上はやむなしですな。なにげない日記の文章にしても社会とつながっているので、そのへんは注意すべし。
2006年02月19日
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人間の心模様は誠に不思議なもので、他人の理解を超えることも多い。幼稚園児殺害の主婦についても、動機は何かといろいろ取りざたされているが、現時点の情報においては臨床心理のプロといえどもわからないであろう。わかった、という識者がいれば、そいつは危ない。レッテルを貼ることで安心したい人間の心理にしたがっているだけだからだ。容疑者が中国籍とのことで、コミュニケーションの悩みを動機と推測する報道もある。幼稚園のお母さん連中とのつきあいで悩んでいたともいわれる。そんなことは、日常ではよくあることで、外国人でなくともいくらでもあるだろう。2ちゃんねるのニュース速報プラスでは、中国人であるがための犯罪だと誹謗する書き込みであふれている。この短絡的な思考はどうにかならないものか。ならんか。これは私の主観によるところだが、外国人女性の地域への溶け込みは、へたな兼業主婦よりも密接である。彼らは日本人の主婦の所作ふるまいをよく観察して、同様にふるまう。『ヨロシクオネガイシマッス。』とフィリピン人のマリエルさんも子供を幼稚園に預けていうそうだ。その口調は典型的な奥さんの気取った甲高い声で、思わず吹いてしまった。私は彼女の着ている服装にも注意を促すことがある。どうしてもラップ調のストリートファッションになってしまうのだ。私はウールのセーターを着るように勧めるがチクチクしてかゆい、という。そんなことは些細なことなのだが、本人も家族も地域に溶け込むように努力する。努力して初めて受け入れられる。そして。一度、認知されると奥さん連中は外国人だということでいろいろと助けてくれることもある。容疑者は来日7年で、クルマに乗って近隣の子供を送迎していたのであるからたいしたものである。私には、グループで送迎するという決まりごとにちょっぴり疑問を感じるが、その地域ではそういう決まりなら仕方ない。容疑者は自分の子供の前で園児を2人も惨殺した。生き残った子供の今後も大変である。なぜそんなことを、と思いは前文に戻ってしまうが、今のところ誰にもわからない。容疑者は精神科に通院歴があり4ヶ月ほど入院したこともあるという。病名が明らかでないので、よくわからないが、この件をもって精神科に通院する人に対して眉をひそめられては、通院する私としても迷惑だ。うつ病の人はまずそんなことはできないし、統合失調症の患者もほとんどはおとなしく攻撃的ではない。私は薬物中毒なのかな、と憶測する。犯行のやり口が覚せい剤の中毒症状みたいなので。これも単なる憶測で、本当のところはわからない。話が飛ぶが、この私についてもわからないことがある。この1週間における強い焦燥感である。外出もできなくて母の見舞いに一度もいってやれなかった。本日、怒りの電話が来た。かわいそうだし、いってやりたいのはやまやまだが、無理なのである。この焦燥感の原因はどこからくるのか色々と考えてみた。服用しているアナフラニールについて調べると、副作用のひとつに焦燥感があった。この薬は効果も高いが副作用もついてまわる薬である。まず、口の渇き、めまい、強い眠気、射精ができない、といった副作用がある。焦燥感が強くでどうにもならなくて以前もらっておいたセルシンを服用してみた。ほんの少し落ち着いた気もするがプラシーボ効果のようにも思える。この強い焦燥感が現象として確かに存在するが、それがうつ病の症状なのか、薬の副作用なのかは医師であってもわからないだろう。人の心はよくわからない。この事件の犯人について、いくら罵倒しても解決はしない。できることなら、つぐなう機会を与えてあげたいものだ。一生をかけてね。
2006年02月18日
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ニューオーダー/ピンクフロイド/ポールウェラー、ザ・ジャム、スタイルカンシル/クィーン/ティーンエイジファンクラブ/ザ・フー/スマッシング・パンプキンズ/ビョーク/エルビス・コステロ/ニルヴァーナ/ストーンローゼス/クラフトワーク/アズテック・カメラ/XTC/ノラ・ジョーンズ/レッド・ホット・チリ・ペッパーズ/YMO/ベック/スクリティ・ポリッティ/プライマルスクリームとりあえずこんなところかな。CDのほとんどはトランクルームに眠っているので忘れているバンドもたくさんあるだろうが、忘れているってことはそれほどでもないってことだ。また気分によって変わるし。エアロスミス/ダイナソーJr./オアシス/パールジャムこのあたりは好きなはずなのだが、現在の私の気持ちとはかみ合っていないようだ。自分の好きなバンドを表すことでその人の性格はわかるものだろうか。察しがつけばよいですね。2003年に初めてフジロックを体験して虜になった。1年に一度のこのお祭りを楽しみに生きているようなものであるが、体調がすぐれないために、残念な思いもする。今年は3年ぶりに3日間通しで参加してみたいな。夏を目標に少しずつ身体の調子を整えていこうと思う。
2006年02月17日
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2ちゃんねるのメンタルヘルス板を覗いたら『「サザエさん」が大嫌いだ』というスレを見つけて笑った。私もあの番組が嫌な時期があった。社会人1年生の頃、倉庫で夜遅くまで奴隷のごとく使われる毎日だった頃、「サザエさん」の音を聞くと明日は仕事だ、と憂鬱になった。日曜日の夜を幸せに過ごせるかどうかはサラリーマンの幸せの目安になる。今なら「ウルルン」を見終わったあとに、安らかに眠りにつけるかどうか。明日と向き合いたくなくて「情熱大陸」を見て、それでも足りなくて「世界遺産」まで見てしまう。寺尾聡のナレーションをまったり聞きながら一方で明日が怖いと不安になる。そんな状況は社会人1年生の時だけであった。世間知らずで会社の選択を間違っていただけだ。とにかく馬鹿になれ、とかみんなと歩調を合わせろと夢中であったが、ぜんぜん似合わなかった。寮生活だったし。二人部屋だし。車の中だけがプライベートルームであった。一日をゆっくり終えることは人生にとって大切だ。聖書にもそんなことが書いてあったように思う。夕べには一日の安全を神に感謝、みたいな。ここのところ焦燥感で本も落ち着いて読むことができぬ。そして眩暈。どうにか落ち着いてもらえないだろうか、自分よ。
2006年02月17日
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日記をはじめて丸4年になるが、じつをいえば飽きがきている。書く楽しみはまだあるのだが、読む楽しみがなくなってきた。もともと他人の日記を真剣に読まないことで有名であった私だが、ライコスが消えて楽天に移ってから他人の日記を読む頻度が落ちてきた。ブログの数は爆発的に増えているのにも関わらずだ。エロ日記に関心がなくなったせいであろうか。確かに楽天で見受けられるエロ(主に女性)日記をウォッチしていこうという気持ちになれない。面白い文章にめぐり会えないのだ。文章がつまらない場合はその人の生き様にフックがなければならない。昔はソープ等の風俗嬢の日記を楽しく読んでいる時もあったが、これも飽きてしまった。いわゆる内緒話が内緒でなくなった時に、その話は陳腐となる。メンタルヘルス系の日記も飽きるものだ。私自身、己の病状を書きながら飽きている。うつ病の人達がスクラム組んで慰めあうことには利益があると思うが、お互いの傷をえんえんと舐めあっている行為もちょっと気持ち悪い。統合失調症の人で電波をバンバン放出している文章を読んで面白いと思うこともあるが、これは失敬な行為でもある。いわゆるブロガーと呼ばれる人の、社会派ブログも次第に飽きてきた。彼らは高い知性を持ち、メディアの情報をもとに寸評を述べているが、知的になるほどにパンチは抑えられる。大学の先生の解説を聞いているようで面白くない。じっさい、大学の先生のブログを定期的に巡回しているのだが。それにしても彼らは毎日のブログ作成に強い熱があるなあ。ブログが世論をリードしていくであろうという予測には私は懐疑的だ。ソースを取材する人達の存在があってこそ、あーだ、こーだとご意見を述べることができるわけで、結局は床屋さんでの政治談議の延長に過ぎないと思う。ブログにはカテゴリーがあって、政治だったり音楽だったり育児だったりする。テーマが明確なほどに、仲間はできやすく、気持ちを共有しやすい。だが、私の場合は、テーマは何であろうが結局『私』についての文章なのだ。要はこの私が面白いか面白くないかということで、エッセイの分野となれば読者を獲得するのはとても難しいことだ。だから、アクセス数は伸びない。それでいいと思っている。私の日記に心がひっかかりどうしても巡回したくなる人も少数ながらいるかもしれないからだ。文章力のうまいヘタを超越して「あの人はどうしているのかな?」と忘れられない人もいる。極端な変態の女性で、彼女は犬として生きている。いつも全裸で四つんばいで行動し、食べ物のほとんどはリサイクルといってじぶんの排泄物を食している。倉庫内の折の中に収容されていてテレビはなく、PCだけがある環境である。プロフィール写真では全裸で四つんばいになっている(ひざは地面についていない)衝撃的なものであった。檻は犬小屋の臭いがするそうだ。このくらいとっぴなキャラを持っていれば、この私も興味をもって読んでしまう。なんども削除されていた。この女性を飼っている主人もどんな人物なのか興味がある。ときどき秘密のショーで彼女を披露して、リサイクルの場面を見せてお金をとっているらしい。ブログによって人生の進路を大きく変更しなければならなくなった人がいる。当時の不倫する奥様方のグループで、兄さんと私を慕ってくれている人がいた。彼女は不倫の逢瀬の状況を事細かに日記にアップしていた。詳細なメモをつけていた様子である。私は彼女の日記のフォントが小さいことと長いがために文章は飛ばして読んでいたが、ウマはあってコメントをつけあっていた。ある日、その不倫物語が夫に見つかってしまう。彼女は冬季うつ病の気もあり、開放型の精神病院で静養することとなった、その後の消息は不明だが、どうしているのかな、と思う。この事件は同じグループの淑女に強い動揺を与えて、なぜかこの私が悪いと意見する人たちも現れた、まことに心外だが、ネットの行き違いはこんなこともあるのだろう。人を惹きつける文章はちゃんと加工がなされている。ただただ自分の身の回りの出来事を書き連ねても面白くない。ナマじゃいかん。加工された文章とはいかなるのもか。お手本としては春駒えれくしょん氏の文章を読んでほしいものだ。彼はいつでも人間である以上避けて通ることができない性について言及している。性を題材とすることで人生の泣き笑いを語っている。人間への興味とやさしく見守る心がある。不倫やSMといった行為に勤しむ淑女たちは彼の文章に惹きつけられる。春駒氏のような日記は、発見できないなあ。ジャーマンおろちさんのティーンがゆえの言語感覚に注目しましょ。入試が終わったら、どんどん書いて頂戴ね。
2006年02月16日
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春はまだまだ遠い。病状は安定せず、焦燥感で何事も手につかぬ昨日、そして何事も意欲がない今日と、低空飛行である。もうこんな記述を書き連ねるのはいいかげん嫌になった。こんなに長く休職するとは。そろそろ1年ですよ。再発するほどに期間が長くなっている。4年前の日記を読み返すと、あの頃はまだまだ楽だったと思い出される。私の脳内の悲しみの中枢はいったいどうなってしまったのだろう。闘病生活という言葉があるが、病と闘うとはどういうことなのか。それはいずれ治る病気であることが前提の話だな。鬱と闘うことは不可能。ガンと闘うことは可能なのか。これも難しい問題だ。闘わぬことが病を収束することになるのではないか。好きで病気になる者はいないが精神的疾患だと「好きでそうしているんじゃないの?」と揶揄される可能性もある。が、これだけはいっておきたいが、一度なってみるといい。絶対そんなこといえなくなるから。雅子様も適応障害ということで静養されているが、世間では心無き批判も盛り上がっている。じぶんの好きなことは出席するのに公務ができぬとはどういうことだ、と。私は雅子様の様子はなんとなく想像できる。ただ、じぶんの場合はそのくらい回復したら出勤を試みるであろう。それでまた後退するというリスクをうんとはらんでいるが。雅子様の場合に原因となる因子が宮中にあるというところに事の重大さがある。仕事の場であり生活の場ででもあるからだ。早い話が両陛下様といっしょにいることがまずいわけだ。医師団もここまであからさまに言及はできないだろうが。皇室のシステムの中にいることが心の安定を崩すということを両陛下が知ればなんと思われるだろうか。この2日、歴史における天皇制のあり方についての書物をちびりちびり読んでいるのだが、雅子様のように皇室という環境が原因で心を病まれていらっしゃる方がいた。それは大正天皇である。大正天皇は身体が弱く、旧制中学を途中で退学されている。その後、結婚されてからお元気になられて女子を3人、そしてその後昭和天皇がお生まれになっている。この頃は平穏無事な生活をされていたようだ。女の子ばかりお生まれになっていたため、後継者についての議論が現在のようにあって、周りの者は側室を勧めたが、大正天皇は拒否された。時の移り変わりによる皇室の変化がすでにここで生じていたのである。昭和天皇がお生まれになってめでたしだったわけだが、大正天皇は即位されてから、病気が重くなってしまった。現在の医師団が病名をつけるなら、これも適応障害ではなかろうか。それくらい宮中とは摩訶不思議な空間なのであろう。昭和天皇は皇太子にして摂政となり父に成り代わって公務を勤めた。まことに偉い。察するにいつでも父の容態を気に掛けていらしたのであろうな。皇室の中で生きる人達は誠に不自由な生活を強いられている。だから環境に適応できずに心を病む場合も多い。ただ、要因を取り除くために宮中を出ていけばいいとはいかないのである。これは私が現在の会社をとっととやめればいいとはいかないのと一緒だ。この按配を表現するのは難しいが、負傷したまま他の部隊に移動したところで兵士として使い物にはならないのだ。あくまでも現時点での小隊であるていど回復してから移動すべし。壁を乗り越えずに迂回するばかりの人生では成長は見込めないのである。
2006年02月15日
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皇室典範についての議論は難しい。私はこのまえまでは女系天皇でいいんじゃないの?と簡単に思っていたが、男系論者の意見を聞くうちに、Y遺伝子の貴重さにもわかってきた。皇室の体制は男子の血をもって継続されてきたのね。だから場合によっては5親等、11親等と離れた傍系男子に継続されることもあった。天皇になる人自身もびっくりであったことだろう。男系にこだわる論者の意見に「125代続いた…」というくだりを聞くと、ホントかよ、とつっこみたくもなる。皇室をさかのぼればどうしても神話にまで行き着いてしまうからだ。神武天皇より10代ほどの歴史はどうであったのか、とか、継体天皇はどこからやってきた何者なのか、といった古代史ロマンが花開いてしまう。先ほど、そのあたりが知りたくて関係する書物をアマゾンで注文してしまった。皇室典範を考えることは日本の歴史そのものを考察することになるのだな。少なく見積もっても1400年ほど続いている皇室であるが、とんでもない家系である。一方、ギネスブックに記載された家系の長さナンバーワンは孔子の子孫だ。 ※(毎日新聞より)孔子の子孫は、中国には300万人以上、香港に約3000人、台湾に約2000人いるという。孔子の故郷、山東省の曲阜には約11万人も暮らしている。孔子の場合2600年という万世一系でこれだけの子孫となったのであろうが、皇室の場合、側室がたくさんいるわけだから、その広がりは孔子一族よりも広がることであろう。日本人の中で皇室とY遺伝子でつながっている人が何百万人もいて、傍系とやらを入れると、これはもう、国民の何割かが皇室とつながってしまうと思う。これは事実だ。大げさかしら。例えば、フィリピンにおいては16世紀にマゼランがやってきて500年も経っていないが、ほとんどの人にスペイン人の血が混ざっているという。500年間の血の流れというものは、そりゃ膨大なのだ。女系反対論者は女性天皇の配偶者が鈴木さんや田中さんでいいのか?という考えだ。私が思うにその田中さんだって、何百年か遡れば神武天皇のY遺伝子に行き着くかもしれないと思うのだが、配偶者が外国人である場合も考えられるので、反対なのだろうな。旧宮家を復活させて、そこより配偶者をもらう案は具体的であるが、現在の憲法下において、国民のよりわけにあたるこの行為も実現するには難しい。面倒くさいことが嫌いな小泉首相が、女系でいいじゃん、という気持ちが少しわかってきた。皇室典範の改正は考えるほどに難しい。
2006年02月13日
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2002年、ブログ形式がまだなかった頃、ライコスにはライコスダイアリーがあった。現在は楽天に吸収されてしまったが、ライコスのスタイルには、友人を作りやすい要素がシステムとしてあったように思う。活発だったのは「秘密の恋愛」というカテゴリーだ。SM、不倫、リストカットといった心に闇をもつ人達(主に女性)の溜まり場であった。ブログの大爆発の現在と比べると面白い文章に当たる確率が段違いに高く、そして、お互いに文章をリスペクトしながら頑張っているところがあった。日記を書き出して2~3ヶ月で3人の同胞とオフラインで会った。今思えば早いと感じるが、当時のライコスの勢いでは2ヶ月という期間はけっこう長い時間で、その間にアップされた日記を読みあえばどんな人物なのかわかりあえた。春駒えれくしょん氏ともその頃出会ったのであるが、出会いサイト隆盛の世にあって、30代のおっさんふたりがオフで出会うとは妙な熱であった。あれから4年経過して、ネットのマナーを学習するにつれて、オフで誰かと出会うという展開はなくなった。私が書く日記のテーマが「秘密の恋愛」から離れていることもあるだろうし、ブログというシステムが濃密な関係を築きにくいこともあると思う。ライコスダイアリにより、私は10人くらいが出席するオフ会にも出席した。ほとんどが女性で、そのパワーに圧倒されたものだが、悲しいことに、ふとしたきっかけで、彼女らとの関係が壊れていったのである。気が向いたらあのときのことを注意深く記述しようかとも思うのであるが、男と女という間において、ちょっとした意思の疎通、誤解の類が大きく発展してしまうことがある。それもまたネットならではの面白さである。一時は仲がたいへんよかった淑女と関係が悪化して壊れていく様を、そろそろ書いてもいいのかな。ネットの功罪というか。
2006年02月13日
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親がじぶんの子供にどんな名前をつけようが自由なことはわかっている。が、つけられる子供には是非の自由がないので、両親は命名についてはよくよく気をつけなければならない。察しのよい人はお気づきだと思うが、そう、成田童夢、今井メロ両選手について、その名前は何だ、と問い詰めたい気分なのである。名づけたのは親であるのにも関わらず、本人にもその気持ちがどうしても向いてしまう。童夢、メロとつけられた子供は、その名にふさわしく成長している様子なのである。ハーフパイプの選手として、ふたりは父親の英才教育を受けた。その名が有名になった要因は父である。スノボー界における星一徹のごとくの父親である。確かに一徹の子供も飛雄馬(?)とへんてこりんな名をつけた。18歳になるメロは父親に反抗し、実家を出た。そして離婚した母親の姓を名乗り(今井)名前も夢露からメロに変えた。「アタシはとうちゃんの奴隷じゃない!」という飛雄馬の、いや、メロの叫びが聞こえてきそうである。しかしながら教育というものは恐ろしいものだ。メロ選手は壮行会においての挨拶でラップを演じてしまった。メロラップと名づけらているのだが、観るものを硬直させた。わちゃーっ、といいたくなる映像であった。そして学校教育の重要性に気づかされた。メロにはシャコタンが似合うし、ズボンはとうぜんずり下げている。深夜のコンビニにメロがいそうである。日本にはメロと同種の名前をもったキッズが大勢いて、メロを影で支えているのであろう。名づけられた者たちの結婚は早い。私の願いは二代にまたがってへんてこな当て字をつけないようにということと、子供のヘアスタイルをジャンボ尾崎のように襟足を伸ばしてカールさせるな、ということである。追記おとうさん、シボレーアストロには乗るな。子供にトヨタbBを買い与えるな。
2006年02月12日
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この3週間はまずかった。医師の処方とおりに薬を飲んでいなかったのである。アナフラニール20ミリ/1回のところを10ミリ(1錠)しか飲んでいなかった。薬があまるのでおかしいな、と薄々気づいていたが、きちんと気づかないところが、まったくぼんくらだ。「3週間前から退去したアパートの公共料金の解約やその他の解約をしなきゃと思いながら、未だにできていません。」と苦しそうに私はいった。この2週間、完全に引きこもり、退行していたと私は白状した。診察して1分で『アナフラニールを点滴しましょう。』と判断。長い付き合いではあるが、たいてい、1分以内に彼女の診察はほぼ終わっている。あとは私のボヤキ節につきあう時間がどのくらいあるかどうかなのだ。点滴を手の甲に刺される。別に甲でもいいよ、この看護婦さんヘタなのだ。そんなことより薬が流れるとスウッと冷たい水が流れるように右手に点滴薬が入っていくのがわかる。まるで限りなく透明に近いブルーでヘロインを注射する描写とよく似ているではないか。村上龍はもちろん、やっていたんだな。本人は創作力なんていうが。前にも書いたが、風邪引いて内科にいって、元気をつけよう!と打たれた注射は、とんでもないカフェイン剤の様子で、その後3日間、私はまったく寝ずに、大丈夫であった。3日目、忘れもしない日本対北朝鮮のサッカーの試合があったあの日、幻聴がきた。オランダの公園あたりにある、紙の音符でガラガラ回すオルゴールがあるでしょ、あれが脳内で回った。他にもイマジネーションが泉のように湧きあがり、鼻歌を歌うように作曲できるのだ。その曲調がそっくりニューエイジモノ。奴らはドラッグ経験を音符にしているだけじゃん、とわかった。話がそれたのでもう止めるが、とにかく服薬は医師の処方を守りましょう、ということ。それで命は保たれるのだ。
2006年02月10日
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ヴァギナ 女性器の文化史キャサリン・ブラックリッジ (著), 藤田 真利子 (翻訳)週刊文春で立花隆氏が面白いと褒めていたために購入してしまった。まだ途中であるが、読みながら思いつくままに感想を書いてもいいかな、と思って。イギリス人である著者がこれほどヴァギナにこだわりをみせ、これだけの大書を書いたのにはヨーロッパの伝統的価値観が女性器を虐げる傾向になったことが背後にある。アジアにおいてはそういうことは少なくて、どちらかといえば神としてあがめられていた。神社の鳥居も彼女によれば女性器の象徴なのである。日本の場合、神話においても女性上位で、けっこう大胆な性的記述がある。古の日本人はセックスを楽しんでいたであろうことは察しがつく。アニミズムは私も好きな精神だ。ペニスとヴァギナを比べた際に、その主体はヴァギナにあるという彼女の考えは十分に納得できる。生物学的な説明も面白いです。スナックでフィリピンのおねえちゃんと飲んでいて、誰かが『アナタノ、チンチンヲ、タベル。』といったやつがいて、面白いことをいうなあと思った。確かに食べられているのは男性の方なのだ。生物学においても、受精や交接はメスが主導権をとっている。人間においても古代においては(キリスト教以前は)女性が主導権を要素も多かった。「アナ・スロマイ」とギリシャ人が名づけた行為がある。スカートを持ち上げて性器を相手に見せることなのだが、この行為には男たちを鎮めるための効果を発揮した。悪い男をやっつけるために性器を顔の前に差し出したのである。これは侮辱の最大であった。この行為はヨーロッパだけでなく、アフリカでも、インドでも、おそらくニホンでも行われていただろう。集団でアナ・スロマイをやられてほうほうの体で逃げていった男たちがいたのである。著者はそういった文化史および未開の人の行動をややうれしそうに記述していた。
2006年02月09日
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わかっちゃいるけど変えられない認知たとえば、お笑いのオセロのふたり。中島のほうが細やかな気配りの持ち主だし、常識を知っている。付き合うなら、そして伴侶とするならこちら。とわかっちゃいるが、私は松嶋に目が行くのだ。白くて目が大きくて、天然ボケの世話のやける女。待ち合わせの時間にやってこなそうな女。自立できていない女。松嶋さんは周囲の人達の温かい愛情でもって幸せな生活をしている。中島のほうが面倒をみているであろうことは、明らかである。中島なら、財布を預けて安心できる。私が間違った行いをした際にはきちんと指摘してくれるであろう。付き合うなら中島、および中島タイプ。OLとしてきちんと仕事を遂行するタイプ。にも関わらず、恋の悩みも中島に多く発生するのだ。人生とは誠に理不尽なものだ。
2006年02月08日
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アクセス表示をみると、ときどきi-mode や ez-webで読んでくれている人をみつける。なんかうれしいものだ。ケータイに表示される文章はPCよりもパーソナルな雰囲気があるし。私の知人なのかな。誰なのか連絡してくれないかなあ。いや、誰でも読むことのできるブログだから、そんなことをする必要はまったくありませんが。
2006年02月08日
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昨日は日記を更新しなかった。なにか書け、じぶん。紀子様がご懐妊ということで、世間は盛り上がった。現在、審議中の皇室典範改正についても影響を与えそうだが、とりあえずこの件はおいといて、女性週刊誌的な見方で語ることとしよう。気兼ねなく発言できるので。まあ皇室内にあって秋篠宮のポジションがグンとアップしたな。東宮の立場、あやうし。皇太子は孤立してしまうのか。それとも逆襲はあるのか。長男の嫁VS次男の嫁の覇権争いへと発展していくのであろうか。私の憶測では、秋篠宮サイドでは第3子について、いろいろと考えるところがあったと思う。東宮を出し抜くようなことではいけない、だが、皇室は危機に瀕している。宮内庁では以前より第3子待望論があった。秋篠宮様は紀子様といろいろ話し合って、雅子様の心の負担をおろす意味でも、ここはひとつ我々が頑張ってみるか、ということになったのかもしれない。農家等、後継ぎが重要な家族形態にあっては、男子の出産は重要なテーマである。長男夫婦が女の子ばかりで、次男夫婦に男子が誕生すると、ちょっとお互い気まずい思いをしたりする。全国、到るところにある、ちょっとした軋轢が、皇室内においても起きてしまうのかもしれない。でも、そんなストーリーも含めて、皇室というものは日本国および日本国民の象徴なのだ。タイトロープのようなお世継ぎ問題は、家族のあり方を考える有効な事例だ。国民は一喜一憂するものだが、これはしかたない。そのためにあるんだもん。これからもスリリングな物語が続いていくことであろう。
2006年02月08日
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生きてるってことは常に取捨選択をしていることなのね。目覚めるとき、もう少しギリギリまで布団に寝ているのか、それとも思い切って寒い外へ出るか、瞬間において選択している。朝飯は何を食べるか、TVは何を見るか。電車はどの時刻に乗るのか、そもそもどの会社で働くのか、サラリーはいくらで納得するのか。己が選択している。付き合う女も、飲み屋も、終電に間に合わせるのか、タクシーに委ねるのか、この女を抱くか、抱かぬか、発泡酒かビールか。家具はニトリか大塚家具か。毎日、人は何回くらい決断しているのか。折り返しの電話を頼むことにするか、それとも再度、こちらからかけなおすか。苦情をいおうか、我慢するか。申し込み書にサインするか、妻の意見も聞いてみるか。トヨタにするか日産にするか。株はそのままホールドか、売りか。どのパーキングエリアで休憩するか。正しく生きていけている人は、判断がまっとうなのだ。歯車が狂うこととは、判断がどこかでおかしくなっていること。他人からみれば簡単な判断でも本人にはわからない。丁寧に進言しても納得しない。そもそも本人はその結論を受け入れたくない。なので、占い師に判断を仰ぐ者もいれば、新しい宗教を信仰しようとする人もある。よく記憶を思いかえせば、子供はけっこう正しい判断をしているものである。ここから飛び降りても怪我をしないか、どうか。ここで悪さをすれば親に怒られる、とか。ときどき判断を誤ることがあるが、それは経験が浅いがためで、すぐにプログラムを修正する。こうして子供は育っていく。大企業のCEOでなくとも、莫大な是非の判断をしている。仏教的な世界ではきっとこれをしっかりと説明しているはずだ。本日の雑談の元は『ウディ・アレン/映画と人生』によるもの。ムービープラスというCATVで放映していた。彼がいうのは、人生に運は重要な要素だとのこと。そのほか、興味深い話満載のようだが終わりのほうを見ただけで終わってしまった。チャンネルの判断が遅かった。16日の放送を録画するつもりだ。含蓄にみちた発言集であった。
2006年02月05日
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毎日のようにCDを購入できる環境にある人にはこんなことはなかろうが。そのうち聴くぞ、と思いつつ縁遠くなってしまうアルバムがある。BECK のグエロがそうだった。2005年の新譜においてグエロはとりあえず押さえておきたいアルバムである。ニューオーダーとナイン・インチ・ネイルズは押さえた。オアシスは現在の私にはもうどうでもよかった。彼らは己の拡大再生産をしているように思えるので。NINの新譜を買ったのは昨年の6月だが、失敗した!と思った。面白くないのである。じつはこのバンドのことはまったく知らなくて、コールドプレイにするかベックにするか、フーファイターズにするかを迷ったあげくに、まったく知らないNINを買った。妙な消費者行動だ。それで、彼らの音楽がさっぱりわからなくて、オレもとうとう本当のジジイになったのかもしれないな、と思った。音楽雑誌が大々的に扱っていれば、それはポピュラーだとこちらは思っているのだ。ギターがなくて、えんえんとベースだけで轟音を立てるサウンドは心地よくなかった。そんなことがあってベックの新作にも疎遠になってしまっていた。先日、アマゾンで1350円と出ていたので、安いと思って購入した。1曲目が出て「イイ!」と思った。ベックのサウンドについて、何がいいのか、できることであれば説明したいのだが、うまくいえない。ブンブンと唸るベース音はNINと似てなくもないが、例えばヘッドホンで聴いていても不愉快なところがまったくない。私は3作目のミューテーション?で、アレ?と思い、4作目、5作目を聴かずにいたが、今作は2枚目のオーディレイと似ている。デビューシングルのルーザー以来、ベックは、聴けばすぐにベックとわかるオリジナリティをもって作品を発表してきた。これは素晴らしいことである。それだけに好き嫌いははっきりする音ではないだろうか。昔、会社の若いコが「ベックがいい」というのを聞いて『おまえ、ベック、わかるか!』とちょっと興奮した。ベックのセンスがこいつもオレもわかるという趣味の共有にまったりとしたものだ。ベックのわかるか!は、ビョーク、わかるか!とも似ている気がする。ただ、プリンス、わかるか!とはちょっと違うように思う。プリンスサウンドをヨーロッパの古城の中にあるゴージャスなシャンデリアに例えると、ベックはチェコのカットグラスのごとくである。(わかんないよ)つうことでベックがお好きな人はオサレと勝手に認定してこの項を終えたい。
2006年02月04日
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やい!シャラポワ。そのネグリジェのようなユニホームは何だ。たぶん、お前さんがじぶんで「こういうのが、かわいいの」とスポンサーに注文つけたんだろう。似合ってるよ!似合いすぎで誰もマネできんよ、あれは。「ワタシは神様から、テニスの才能と美貌を頂いたのだから、それに応えなければならない。」なんてまっとうなことをそのまんまいうな。本日のヒンギスとの試合は精彩がなかったな。貫禄負けだよ。彼女はぜんぜん、元テニスの女王でした、みたいな態度はなく、デコッパチをあらわにして、楽しそうにテニスをしている。経験の差がそのままスコアに出た。オレサマはどちらを応援していたかといえば、お前さんだったんだよ。「Hooooow!」の声に酔いたかったのに。今日のフー!はテンションが今ひとつであったぞ。それから。もうひとつ。胸のポッチの件だ。決勝戦に復活させるとは。勝負のポッチなのか?イミテーションだとわかっていても目がいくぜ。NHKのアナウンサーも同じ気持ちだよ、きっと。今度の記者会見ではポッチについての真偽をはっきりとさせてほしい。できればイミテーションはやめてほしい。ウィリアム姉妹については、…。あれはホンモノなんだろうな。
2006年02月04日
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何かを書かねばならぬ。なぜ、ならぬのか。ならねばならぬのでならぬ。せっぱつまっているので。惰眠をむさぼり、プールの底へとドンドンしずむ瞑想を夢を見つつ行った。自律神経を整えようと一生懸命で、それは性的な意味合いをも持っていた。夢を見ているが、それを自分で操作できる状況なのだ。そういうこと、できませんか。私は夢うつつの状況で心を安寧にするために、いろいろと瞑想をしていたのだ。ヒーターがオフだったためもあり手足が冷たかった。それが水のイメージへと繋がった。今度は逆にあったかいイメージをして、血流をよくしようと試みたがうまくいかなかった。男性諸君にニュアンスを伝えると、それは夢精の状況に似ていた。健康体なら夢精していたのかもしれない。でもあくまで、水中にもぐる快楽であり女性のそれとは違っていたが。本日の私はメンタルヘルス全開の様子である。ということで、たどりつくのは『ラブタンバリンズ』は今、どうしているのかだ。思い起こせば93年。世の中は渋谷系ブームがあって、カヒミカリィとかピチカートファイブとか、コーネリアス等が人気であった。インディーズにおいてはeliという女の子がリードボーカルをとるラブタンバリンズが有名で、私はシングル、アルバムとほぼ所有している。ソウルフルなボーカルスタイルは本格派であり、また、英語の発音もネイティブであった。(彼女はネイティブではなく、NHKの英会話で英語を学んでいたことをさっき知った)93年に登場し、フルアルバム1枚残して95年に散っていったeliは、今、どうしているのだろうか。結論を述べると、今年の1月に新ユニットによりミニアルバムを発表している。お金に余裕があれば購入することとしよう。eliが今までどうしていたのか、謎も多いが、2ちゃんねるの音楽板に「伝説の」という項目があり、その中にeliのスレッドによれば、eliちゃんはメンヘラーとしてぶち壊れていたのである。日記のコピペがずいぶんと転載されていたが、内容はセックス依存症そのものであった。とにかくオナニーがどうの、とかセックスはこうしたい、ああしたい。ドラッグはこうしたい、ととてもじゃないが品位を重んじる我がブログには載せることができないほど、赤裸々である。eliちゃんといえば、ラブタン時代よりライブでトップレスになってしまうことで有名であった。私は他のバンド(99何とかというの)にゲスト出演しているeliのライブ映像を観たが、彼女はいつでも壊れきみであることが想像できた。ただ、あくまでこちら側の世界にいて、計算ずくだと思っていたのだが。私はやっていないので見ることができないがmixiで日記を書いているそうなので関心がある人は探してみてください。とにかく己のセックス経験やバンド生活における乱れた周辺等の記述だらけである。クリトリスへの刺激はこうしてくれ、とか。ボーカリストとして高いパフォーマンスをもつだけに、何とか立ち直ってもらいたい。
2006年02月03日
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本日も激鬱、ガクガクブルブルなり。どうにかできることは、こうして日記を書くことと漫画を読むこと。そしてアイスクリームを食べること。昨年9月に扁桃腺炎で入院したが、その時に入院における最大の贅沢を知った。ハーゲンダッツのアイスクリームを食べることである。点滴がついたスタンドをガラガラと押しながら売店へと向かう。入院は苦しみを超えてひと段落すると途端に退屈になるものだ。そこでどうやって時間を潰すかを考える。まず活字として文芸春秋を買う。活字、いっぱい。そしてハーゲンダッツのクリスピーサンド285円を購入し、中庭で食べる。これ最強の贅沢。昨日、深夜にセブンイレブンへと向かう。「こち亀2月号」を手に取り、アイスクリーム売り場へ。何層にもなっているハーゲンダッツの一番高いやつとクリスピーサンドを1個ずつ手に取りレジへ。すぐに帰還。そして味わう。美味。これ以上おいしい食べ物がコンビニにあるか。
2006年02月02日
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この年になって人生に悩み、こう鬱剤を飲み、難治性の鬱が治らない。精神性を変革するきっかけとしてタトゥーを入れようかなと考えることがある。先ほど観た『アイチテル』という番組でタトゥーの特集を観て再度思い至った。若者が入れるから美しいということもあるのだよな。なにしろ身体の劣化が激しいのである。2年前までは、女性の前で裸体を見せることにはほとんど抵抗なく、とっとと脱いでいたものだが、今はできぬ。デブをコンプレックスに思う女性の気持ちがよくわかる。しかしながら、とにかくひとつドーン!と入れることによって我が精神が変革し、再度、ジムへ行ってマシンに向かうようになることができれば成功である。うつ病をふっとばす、弱い自分に決別するタトゥーとはいったいどんな模様であろうか。もしくは漢字であろうか。これが決まらずにもう2年くらいになる。腕に黒一色でオーソドックスな模様をワンポイント、うーん、つまらぬ。陰陽のマークとか、くさいかな。ローリングストーンズのマーク、似合わない。「諸行無常」と腕に彫ったら、みんな笑うか、引くかだ。それを入れることによって精神が充実しなければ意味がない。仏陀でいくか。仏様のお顔とか。観音像、菩薩像、いろいろある。いつでもホトケがついているぞと安心できるだろうか。結局、決まらない。こうして月日が過ぎてゆくのだろう。
2006年02月01日
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鬱が重たい。毎年、この時期は決まって悪いのであるが、今年は引越しと母の施設入所という外的要因が重なり、新年より脱するという抱負は打ち砕かれた。この24時間に行ったこととは『ブラックジャック』の古書を2冊読んだだけである。今、しなければならないのでどうしてもできないこと。それは公共料金の解約である。下水道、水道、ガス、電気である。また、スカパー!、ヤフーBBの解約と、ウィルコムのサービス変更もある。18日に引越しを終えているのになぜ、いまだ、出来ずにいるのか。うつ病の心理がわからぬ人にはわからないだろう。この私にもよくわからぬ。ただただ、その件をやらねばと考えるに身体がガクガクブルブル震えるのだ。何を恐れているのだ、私は。職場復帰するにはそれようのYシャツ等を準備せねばならぬのに、ダンボール箱を開封することができない。日通のおばさんが梱包したままだ。呆然と箱をながめる毎日なのだ。吉行淳之介のエッセイが出てきたので読んでみると、吉行もうつ病については思い出すのも嫌だと何度か書いてあった。結核、喘息という大病については淡々と語ることができるがうつ病は嫌だというのだ。私は高校生の頃から彼のエッセイを好んで読んでいて、うつ病についての記述ももちろん読んでいた。「体調がすぐれず…」と鬱という言葉を口にすることすら嫌である様子は当時はよくわからなかった。(近所の街角にある煙草屋に行くことも旅である。旅だとその人が思えば旅である)と書いてあるが、現在の私にはよくわかる。(体調がよくなり、思い切ってパチンコ屋へ行った。調子よく玉が出だしたが、箱1つ溜まったところで急に具合が悪くなり、玉をその場に残して帰ってきた。)これもよくわかる。昔の私は玉をその場に残して帰ってくる状況が理解できなかった。インフルエンザであろうとも、そのくらいのことはできると思っていたものだ。北杜夫の場合は躁鬱病である。中学生の頃はマンボウモノが大好きで、躁鬱による騒動をおもしろおかしく読んでいた。この苦しみを軽妙なエッセイにする彼は凄いぞ。躁鬱の場合、そう状態の万能感が他人に迷惑をかけまくる。深夜に電話をかけまくったり。独立宣言したり、いきなり株取引をやりだしたり。北杜夫にしても吉行淳之介にしても文筆業で身を立てていたので、どうにか生活することができた。が、一介のサラリーマンはどうすればよいのだろうか。
2006年02月01日
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