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バスケット部でいじめられて自殺した少女は、まさかこんな形で一生を終えるとは思っても見なかったろう。茨城の校長の自殺もまた痛々しい。死をもって「宜しく頼みます」と教育委員会や文部科学省へお願いをした。履修問題が発覚してまだ8日足らず。この一週間で人生のエンドを決定する出来事が起きたのか。人生の歯車って狂いだすと意外とあっけなく崩壊してしまうものなのだな。この私も、長いうつ病で何度も自殺念慮に襲われてそれと闘い、ようやくつらい身体症状を抱えながらも意欲だけは回復してきて、再就職活動をここ1ヵ月行ってきた。この辛さをどうにか乗り越えられそうな気持ちになってきたが、どちらかは受かるだろうと鷹をくくっていた2社ともに不採用となり、精神的にも身体的にも、後退している。まずいぞ、と思う。やはりショックだったんだな。そんな中にあって、自宅に母がいれば、必ず父と母は口論をし、もしも木造建築であれば近所に聞こえるような大声で父はヒステリックに怒鳴る。(私の転職がうまくいかない状況が父が母にいらつく焚き付けにもなっている)不和でありながら介護の関係を継続している様子を、私はいつでも見ていなければならず、その怒鳴り声が私の精神衛生にどれだけよくないかをアルコール依存でもある父は考えない。精神的な成熟度に欠ける老人なのだ。この短気は、今後、死ぬ間際まで増長するであろう。母は母で父がヒステリーとなる働きかけをするのだ。元もとのキャラクターによるところと、脳梗塞の後遺症で、高次のかけひきや衝突防止策を行わなくなった。痴呆ではないのだが。施設においてはそんな行動は決してしない。なんでまた、このような親の下に一人息子として生まれてきてしまったのだろうか。スピリクチャルな考えにソウルメイトなんて考えがあるが、鼻で笑いたいよ。じぶんの友人、親といった人たちは、己を成長させるために用意されたのだと?誰が用意したんだい。神様は乗り越えられない障害はお与えにならないだと?餓死する子供たちにいえるかい!そんなたわ言。オレサマは実存的虚無感をお感じになられて、現世より逃げたくなってきたのだよ。オレサマはよくぞ41年間、生きてきましたよ。非行にも走らなかったし。とりあえずジョン・レノンより長く生きた。結構生きているのだが、ささやかな幸せを感じてみたいのだ、私だって。まさか、自分の人生が、こんなに波乱に満ちたものになるとは思わなかった。それは他人事だと思ったし、社会に出て仕事をし、家庭をつくれば、家族の呪縛から逃れられるんじゃないかとぼんやり思っていた。が、家庭に問題を抱える子供がまっすぐに育つのはなかなかに難しいのだ。だから、私自身、ソーシャルワークを仕事とした。複雑な家庭環境に接することで、じぶんの人生にも好影響を与えてくれると思っていた。でも、そんなことはなかった。私の関心は、風俗嬢とか東南アジアのホステスに移っていった。興味本位というよりもっと深い連帯を求めていたのだ。セレブレティーが集まってパーティーをするように、すねに傷持つもの同士集まって、社会の底辺で仲良く慣れればいいなと思った。でもこの目論みも結局うまくいかなかった。お金が原因で仲たがいすることが多いのだ、世界の最下層は。うちの奇妙な家族の状況は、映画『チョコレート』にもよく似ている。狂い加減が。私はハル・ベリー役を求めているのだろうか。ここでグダグダいわずに、午後は後輩Sの家にいってやつの赤ちゃんを抱き、夜は先輩K子さんと食事をしよう。現在の私は崖っぷちなり。
2006年10月31日
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私が行くデンタルクリニックはインテリジェントビルの中にあるオシャレな佇まいの診療所だ。ココを知る人は私だけではなく感じているだろうが、接遇がたいへん丁寧でやさしく、医師はイケメンである。歯科衛生士も優しくて若いし、歯科助手&受付に至っては、オヤジのハートを捕まえるようなエロさをもった美人なのだ。私が口説きたいコは、なんでも鑑定団の吉田ようなそっけない雰囲気があり、それがいいわけだが(もしもブースーだったら、バキューン!だろう)、昨日のもう一人は細川ふみえが(古いか)しなをつくって映画監督を誘っているようなカンジで、予約を伺うのである。プレイという言葉が頭をよぎった。昨日の治療は、一箇所の詰め物をつめ、プラークコントロール。それで、3割負担額は2800円。高くない?歯科ってこんなにしたっけ。審美歯科の看板がかかっていると高いのかしら。口腔ケアダメダメの私は、歯科で怒られたり、痛い思いをするのが大嫌い。そんな私が、せっせと通っているのにはワケがある(もう述べたが)。それにしても、治療の進行スピードがにぶってきたのだ。どういうことでしょ。すっかりクリニックの策略にはまっている自分を感じるのだ。結局、若い女なのか、原動力は。このクリニック、患者はサラリーマンよりも若い女性がだんぜん多い。接遇の優しさやスタッフのかわいさがこの層を呼び込んでいることは確かなようである。あなたのいく歯医者さんは痛みに「お」と付けますか?
2006年10月31日
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うつ病男の再就職は難しい。先日のうつ病カミングアウト面接の件だが、いっこうに電話がこないのでこちらから電話をしたら、やはり不採用だった。1週間以内に連絡するといったのであれば、約束どおりに電話してほしいな。電話ついでにクレームをいいましたよ。『私はMさん(面接官)に対しては面接ということなので、質問には答えるつもりでいたが、いきなり所長やケアマネ同席で、その場でかなりの個人情報をいわなければなりませんでした。けっこうな圧迫を感じましたよ。あれはマズいやり方だと思います。不愉快ですね。』まとめるとこんな内容だ。Mさんの言葉のあやをうかがいながら推測すると、私は現場の所長とケアマネよりNGが出たのだな。これはわかる気がする。メヘラーがいばっていたと。面接という場は自己アピールをする場所だから、ある程度仕方ないと思うのだが。おそらく介護での経験年数は私のほうが上だと思う。職務経歴を述べると、どうしてもエラそうなことをいうことになってしまう。長期的な希望を言わされたら、じぶんは、現場でしばらく仕事をした後には本社でスーパーバイズするような仕事がしたい、といってもいいよなあ。(ダメ?)所長は私と同年代の男性で、そのステーションで3年くらい立ち上げより頑張ってきたことを私にいった。彼が訴えたかったのは「オマエ、いきなりずうずしいぞ。オレは立ち上げからこんなに苦労をしてやってきたのに。オレサマを乗り越えていくようなことをいきなりいうんじゃねえ。」とこんなところだろう。Mさんと私のやりとりを聞きながら不愉快であったことだろう。だから、同席させないでほしかった。いや、それを忖度して私がやわらかく振舞えばよかったのだな。そのへんに気がいく余裕がなかったところが、私がまだメンヘラーなところなのか。皆さんの苦労はお察ししますよ。私だって別の事業所で介護保険制度開始以来たいへんだったんですから。人事としては、私の心の病は別にしても、今いる現場の人の気持ちを汲んだのだな。元々、いる人をないがしろにしてはいけないもの。Mさんは、その事務所の年齢構成がしっくりいかないことを口にしたが、あと所長が男性だったということも、NGの理由だったのだろう。じぶんは、男性と仕事が出来ることを楽しみにしていたのに。残念。
2006年10月30日
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番号ポータビリティー制度にあわせてソフトバンクの予想外0円作戦。作戦は予想外に効いて、システム障害が起きるほど繁盛している。日本人はお祭りが好きだな。付和雷同という四文字熟語を思い出した。私はもう3年近くウィルコムで、料金設定は2900円の基本料金だ。これが最強ではないだろうか。ウィルコム同士の通話は父とだけなので無料通話はほとんどないが、月の請求額が5000円を超えることはなかったと思う。京ぽんと呼ばれるフルブラウザ対応の端末で、とりあえずネットもなんでもできるらしい。じっさい、フルブラウザは画面が小さく、そしてたいへん重いので使い物にならないが、楽天だってすんなり利用でき、特にケータイよりも劣ることはない。周囲の知人に「ウィルコムはいいよ!」と宣伝するのだが、誰も興味を持とうとしなかった。なんでだろう。関心がある人はすでに持っている様子で、巷でも2本もちで1本をPHSにしているビジネスマンも多いという。現在の私の関心は、ワンセグなんかじゃなくて、ZERO-3だ。こんなPDAがあったらいいのになあ、と2004頃クリエTH55を使いながら思っていたものをシャープ・ザウルスの製作スタッフがポケットPCで作った。電車内でISを持つ若いビジネスマンにはオタクの匂いがするが、テンキーを出した姿をみると、つい目がいってしまう。別にオレはいらないんだが。電話をかけながら、PDAでメモがとれないということに気づいて、1台でははやり不具合だと思った。
2006年10月29日
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お彼岸の頃よりようやく引きこもりから脱出しだした私であるが、この2週間ほど、だるさと眠さが酷くて、半日ほどしか離床できない日が続いている。大丈夫なのか、私の職場復帰は。なんとかしようと3日ほど前に、スーパー銭湯に行った。ここには1箇所、房総の温泉を運搬して沸かしている風呂があり、手短に温泉体験をしてみた。すると、全身がマッサージの好転反応のごとく、気持ち悪くなり頭痛が激しく、とんでもないことになってしまった。自律神経の具合がめちゃめちゃなのである。整体の視点でいえば、私は首と頭にエネルギーが集中してしまって、ボーッとしているのだ。丹田に力がまったく入らず、ふわふわしている。下りの階段を満足に下りられない状態なのだ。この手の訴えを西洋医学にいっても相手にされない。ということで、私は中国整体の診療所を訪ねた。二十歳くらいのまあまあかわいいコが受付にいた。「どこが悪いのですか?」と訊かれて、首に力が入っていることや左右の足の長さが違っているようだ、ということをいった。本当はもうひとつ重要なことを言いたかったのだが、喉から出かかりつつも言葉にできないことがあった。「インポテンツなのですが…。」受付のコがもたついていると40才くらいの院長が『何、やってんだ』という風情でやってきた。受付のコに対する態度が絶対服従なわけだ。私は瞬間的に、サディズムの匂いをかいだ。この診療所を訪れる人はインターネットで見つけた人が多く、電話での予約受付がほとんどで、私のようにふらりと飛び込んでくる患者はほとんどいないのだろう。口コミの評判がよく、とても繁盛している。壁に、患者さんの感謝の声の紙がたくさん貼られていて、私は気持ち悪いのだが、院長の自信のほどが伺えるようだ。『何、やってんだ』の瞬間、サディズムの匂いをかいだと私は書いたが、もうひとつ、彼の目の輝きより統合失調症の匂いも嗅ぎ取ってしまった。ここではいわゆる気功による治療も行われるようである。昨日、整体の権威の本を読んだが、気は二者間の心の交流が大切なのである。彼を分裂症と思った私が気功を受けるという状況にとても嫌な気がした、が、このだるさが改善されるなら我慢しなければ。じつは私は6月にここを電話で予約して、直前にキャンセルの連絡をすることがあって、ほとぼりが冷めるのを待っていた。冷たい目をした院長はたぶん、気づくだろうな。ワールドカップを深夜まで観たがために、キャンセルしたうつ病男のことを。
2006年10月29日
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就職活動中である。うつ病患者が再就職しようとする際に、前職を辞めた理由やら、いつ頃から体調が悪いのかといったことをいろいろと訊かれる。正直に答えるのがよいか、どのくらいテキトーに答えればよいのか、と難しいのである。先日、面接した会社では、近接距離で総務のオッサンにずいぶんと突っ込まれて、緊張がピークに達した。机をはさんで2×2の配置の椅子において、面接官のオサーンは私の横に座っているのだ。狭い空間だった。前2人は、私が勤めるかもしれぬ事務所の人で、じっとこちらを見ている。一回目の面接で(というか一回だけなのだが)これはないなあ。圧迫されたなあ。私の雇用形態について、3ヶ月間はアルバイトでという条件を出されて、それを私は承諾した。オサーンの提案はもっともなことで、私の容態について考慮すると、それが正しいのはよくわかった。バイトといっても、月にすると社員と同様の金額になる。ボーナスやら社会保険の加入がないという点が違う。会社と私の双方で、様子を見合うという提案は納得だ。だが、面接当時は相手のペースにはまってしまったという感想を持った。ここだけの話、「大丈夫です!」と言いながら半日の活動が精一杯なのである。睡魔がドーンと襲ってくるし、すぐに疲れるし。できることなら、「今日は2時で失礼します。」と好き勝手フレックスタイムをしたいのだ。で、そういう状態であっても、会社には減点をしないでもらいたいのだ。なぜならおぎーのさんは素晴らしい逸材で、このままリハビリしてよくなれば、お買い得だからだ。(と、自分でいう)正面にいた2人は、“われわれの方が上なのよー”ってことが言いたかったようだった。「私はペイペイとして…」なんてことをおちゃらけていう必要があった。会社としては、私が使い物にならなければポイ!したいし、職務経歴書どおりの人間だったら、しばらく経ってから本社で、営業企画的な仕事をさせたいと考えている。私の希望も、しばらく、現場で働いて、その後に本社で教育プログラムを作ることにある。とにかく会社も私も気になるのは私の病気なのである。病気さん、そろそろお引取りをお願いします。この会社は、前職の仕事のからみでのつてを自分で引っ張って、求人募集だのなんの抜きにアクションを起こした。(だから病気の情報は、採用関係者に流れている)ある人に引っ張ってくれるように、頼み込んだ。そういうこともあって、その人の顔を潰したくないのだ。採用されるかどうかは月曜日頃はっきりする。結局、不採用ということもあるが、この結果だとかなりへこむと思う。病気を晒したゆえだからだ。もしも落ちたら、次はもう一度社会福祉法人に目を向けなおそうと思っている。
2006年10月29日
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全国の高校で、必須科目を架空履修している事実が明るみになり、学校の現場が大混乱している。私はそのカラクリを知らなかったが、進学校では、受験科目に該当しない科目をはしょり、効率のよい時間割を組んでいるらしい。福祉事業における監査を恐がっていた私にとっては、恐れを知らぬ行為に思える。一方、暗黙の了解として、学校現場で容認されていたことも納得できる。何が問題なのかというと、学習指導要領といったお上の通達をどのくらい遵守すればよく、どのくらいなら適当でも許されるかの按配が揺らいでいることにあるのだ。建前をいえば、すべて遵守しなかればならない。ならないが、できないという現実があるのだろう。(※ちょっと余談→私の遠い記憶では、日本史の授業は3年生でやるのだが、明治以降があまり授業ができていなかった。平安時代あたりを夏にやっているようじゃダメだ。大学入試では、明治以降の近代、現代史がたくさんでるのだから、私が教師だったら、江戸時代より授業を始めると思う。そうすりゃ、歴代の総理大臣の順番も覚えられたろうに。麻布といった有名校では中高一貫教育で、高校2年生の終わり3年生まで終えてしまうという話を聞いたことがある。3年生は完全、受験モードだ。)必須の世界史を教えずに虚偽をして学校を卒業させるという行為は、普通に考えるととんでもない。ただ、文部科学省はしょせん書類をお書きになるところで学校現場の実際を知らないから、現場では遵守しかねることも多いのであろう。この問題、昨今の酒気帯び運転とか、駐車違反のこととダブって見えるのは私だけだろうか。コンプライアンスの針が右に触れて厳しくなっているという現象のひとつなのだ。これはいいことなんだが。日本テレビでアナウンサーをしていた18歳の大学生が、飲酒と性行為をミクシィであけっぴろげに書いたことがきっかけでクビになった。お粗末な女学生だが、大学においてコンパ等で未成年を理由に禁酒させている先生、指導者はいるのだろうか。また、大学生がセックスすることは公序良俗に反するのだろうか。この事件は、ミクシィという閉鎖性だが巨大なネットワールドで、大きな事で言ってはいけないことを書いてしまったことにある。法律を遵守することって、市井の人にも難しいことなんだな、よく考えると。ボジョレーヌボーは、今年は入荷量が減ったそうだ。交通規則の遵守がフランスの農民にまで影響を与えているわけだ。この国のコンプライアンスの針はいきなり動き出すから、私なんかは困っちゃうのだ。できない縛りを作っても、できずに、隠れてズルをするようになるだけ。(※→介護保険制度も)生真面目なおぎーのさんは、ズルができないから、苦労するのだ。
2006年10月25日
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またも児童相談所が、児童虐待を見逃すという事件が発生した。経緯の詳細はニュースで確認してほしいが、このケースでも、近所の人たちは虐待の事実をつかみ、児童相談所へ報告しながら、監視の目を光らせていた。6歳の女の子については一度、保護する措置もとった。経過をみると、この両親の児童虐待は今後も続いていくことは容易に想像できた。にも関わらずケースワーカーは訪問をせず、電話連絡により、事を済ませていた。所長はクビにしてほしいな、これ。私に権限があったら、彼らがこのケースについて書いた記録のいっさいを見たいのものだ。いいかげんなのだろうな。その記録はまず公開されることはない。相談所の中で引き継ぐ際に、後任者が目にするために書かれるのが目的だから。ケースワークにおいての記録は、社会的責任のもとで書かれるものだ。なにか事が起きれば公の人の目に触れるという前提で本来は書かなければならぬ。もしも、私が地域住人からの電話を受けていたとしたら、まずその日のうちに近所を回って情報を求めるであろう。そして、対象者宅を訪問する。拒否されたら、警察を同伴させる。そして、部屋の様子を覗いて不審なものがあればデジカメに撮ってしまう。これじゃ、最初から犯罪者扱いしているみたいなので、ちょいと解説。あくまでも訪問の目的は両親についてのケアが主なのである。問題の本質は両親にあり、親の苦しみとか、他人にいえない叫びを傾聴することが第一段階の仕事である。子供を虐待するには理由がある。この親はそれぞれが連れ子ということだが、夫婦間の愛情についてそれぞれの連れ子が溝を掘る原因を作ってしまうことはありがちなことだ。なぜ、子供を愛せないのか、メンタルなケアについて追究する必要がある。虐待について、親は「しつけの範囲である。」といい、相談所は「そうですか。」というやりとりで終わっている。これではまったく仕事をしていないのも同じ。彼ら小役人の仕事はこんなもんなのか。『親のメンタルケアうんぬん』について、おぎーのは簡単に言うが、おまえはできるのかと思う方もおられよう。確かに難しい仕事だ。人が他人に心の扉を開くのは容易ではない。ホームレスの件でもそれに触れたが、しかしながら、それがソーシャルワーカーとか相談員という肩書きを持つ人の重要な仕事なのである。私でだめであったら、誰か違う人を投下させるだろう。近所の人や民生委員等にも協力を求める。この一家が町内のカンケイに入っていくための策についてミーティングを開いて考えてみる。そのくらいのことはするぞ。極悪夫婦にだって、買い物にいったり床屋に言ったりという、日常がある。そこを丁寧に洗って、虐待がしにくい空気を作っていくことであろう。警察権の介入や事を大きくすることについても反対意見はあろう。「そんなことをして親を刺激すると、後で、そのつけが子供に回るのだ。だから、みんなじっと黙っているのだ。」こういった考え方は実際に、ケースを担当する専門の人でも口にする。私の結論は、それで黙っているのがベストなのかということだ。(北朝鮮の悪行を黙ってみているのが…<話題違い>)警察を呼ぶ、呼ばないについて、以前、私が経験したケースを引っ張りますので、よろしかったら一読くださいませ、誰もやりたくない仕事
2006年10月24日
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仕事について、私の口癖のひとつに『仕事はブーメランだ。』という言葉がある。仕事を自分の系列とか、グループの中だけでぐるぐる回しているようでは成長しない。楽だし、利益をすべて手にしているように思って囲い込む人が多いが(福祉の世界しか知らないが、女性はどうしても目先のアメに目がいってしまう)、仕事は外に出すことで、またこちらにも返ってくるものなのだ。私がケアマネジメントをするにあたって、属する組織のヘルパーステーション等だけでなく、ケースに応じてふさわしいと思う他の事業所に仕事を頼むことを私は積極的にやった。私の仕事ぶりが相手にわかるし、相手の仕事についてこちらは密かに評価もできる。私がきちんとハンドルを切れば、仕事はちゃんと進む。それを相手は評価をし、しばらく経つと、今度はこちらに仕事がやってくる。(仕事を直接受けるのは、私でなくて現場のスタッフだが)小さな仕事であれ、新規の仕事については丁寧に行うように、私は指示を出す。現場の人(例えばヘルパー)は、その仕事が外の人のハンドルで動いており、なあなあが効かないことや、きちんと仕事をすれば社外の人に感謝されることを知る。自分の仕事は、属する組織だけでなく外でも評価されると大きな達成感を得る。これは大切なことだと思う。私が居宅介護支援事業所のケアマネージャーをしながら、デイサービスの相談員も兼務していたときに、外部のケアマネの仕事を大切にしろとスタッフによく説教した。多くの事業所ではに押し出しの強さ(ようするにずうずうしさ)で仕事をするようなケアマネのおばさんはまだまだこの業界にはたくさんいて、現場の介護スタッフは、クチだけのそんな人を内心ニガニガしく感じていることだろう。外部ケアマネの仕事を積極的に受けて定員を埋めてしまえば、デイでは、目の上のこぶみたいなケアマネからの、へんてこなオーダーを断れるようになれると思う。サービスを提供する側が自立することはこういうことだ。デイがきちんとすると、これまで押し出しの強さでグイグイと仕切ってきた、仕切りたがりのケアマネージャーは、いつの間にか姿を消す。で、その人はデイへのオーダーをどうするのかというと、外に仕切りやすい(クオリティーの低い)デイサービスへと向かうようである。面白いもので、質の高いところには、そんな人が集まり、逆も真なりだ。もうやめちゃったが、かつての職場においても、外部の仕事を大切にという教えは、私の後の主任や相談員へも継承された。今となっては昔の話だが、私がデイの相談員としてインディペンデントな状態にしていく過程で、じぶんの受け持ちのケアプランにおいて、じぶんの組織のデイサービスへプランが立てられずに、外へオーダーしなければならないことがときどきあった。近視眼の人には理解しがたい仕事のスタイルかもしれない。が、これがケアの質を高めることにつながり、また私を出発点にして仕事の領域が拡大していくことになるのだ。介護保険制度において、この事業は協調しながらの競争となる。この原理がわからない人はアンポンタンなり。
2006年10月23日
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チョモコさんの日記にホームレスについての話題が載っていて、ふと、ホームレスを支援するボランティア団体のことを思い出した。現在私はちょっとイラついた気分で、文章が荒れるかもしれぬが、思いつくことを書いてみる。市民メディアのインターネット新聞『JANJAN』では、しばしば公園に不法占拠するホームレスに対する行政の強制的な処分について批判記事が出る。彼らの言い分は勝手なので詳細を記憶できないが、おそらく生存権の主張とか、基本的人権の尊重とか、行政はホームレスを殺す気か?といった言い分。ホームレスを養護し、テントを張る彼らと共闘して、武力闘争のごとく激突することすらある。市民運動家の皆さんは弱者を救済していると自覚している様子であるが、これは大きな勘違いなのである。まず、運動家の人たちはホームレスをひとつの生き方のスタイルという枠に当てはめている。ホームレスという生き方を認めろということなのだろう。彼等はいっけんすると集団のように見えるが、じつはそれぞれに異なる生活暦を持ち、ホームレスになった過程も異なれば、現在の生活についての考え方も違う。「この生活が好きだ」とか「他人の世話になりたくない」という彼らの言葉を鵜呑みにしてはいけない。支援には個別的なケアをする視点が重要。左翼活動家の皆さんは逆に、「僕たちはみんな同志なんだ!」と肩を組み合おうとしがちであるが。現在の日本において、路上で生活をするという行為は、容認できない形態である。その人の勝手では済まされないのだ。人はみな、住居地を持ち、働いて、税金を納め、社会の一員となっている。働けない者、働かない者も含めて、みな社会を構成する仲間、市民だ。路上で行き倒れている人がいたら、社会はその人を援助しなければならない。場合によっては、暫定的に行政が作るシェルターに収容されることもあろう。そして、しばしば、そこでの生活を不自由に思って脱出する人もいる。人権蹂躙だ、と叫ぶ支援者すらいる。塩むすびだけだとか、大部屋でプライバシーがないなんて不平をいうが、ちょっと待ってほしい。シェルターは自立した生活を営むにあたっての緊急避難場所だ。大地震における体育館とか仮設住宅のようなものだ。行政は、社会資源を利用するように誘導する義務があるし、ホームレスも納得して措置に従う必要がある。シェルターでは、それぞれにケースファイルが作られ、生活暦、家族といった情報を調査した上で、アパートや仕事探しへと進んでいくのであろう。病気がある人には医療処置がとられ、経済的に自立できない人へは生活保護を給付させることになる。この一連の流れより逃れてはいけない。はっきりいうが、自由とは、社会においての最低限の約束事を守った上で保障されるものなのだ。ホームレスになってしまう人はたいてい借金や犯罪、精神的な疾患といった爆弾を抱えている。ソーシャルワークにおいては、そんな彼らの側に立ち、保護しながら支援しなければならない。借金取りやヤクザの手から自由になれるように、行政は仕事をしなければならぬ。このへん、実際にどの程度、小役人どもが仕事をしているのかが疑問なのだが、役人が手を出さない汚れ役を、NPOといったインフォーマルな組織が代わりに担う必要がある。「他人の世話にはなりたくない」とは誰もが思う感情だが、相談援助は、その心の扉を開けていくところから始まるものだ。ソーシャルワーカーが理想的に考えるニーズとホームレス自身が感じているニーズが異なることも多いと思うが、ワーカーは少しずつ、ホームレスの考えがプランに近づくようにしていかねばならぬ。エンパワメントといって、その人の強み、特技といった部分をさらに強めてホームレス自身が自信をつけていく方法論が大切だ。支援には個別のマネジメントが必要という考え方を理解することができれば、闇雲にテント撤去反対!なんてことにはならないだろうし、行政側も、タコ部屋に収容してがんじがらめという高圧的なこともできないだろう。バリケード封鎖する暇がある人には、ぜひ、ホームレスの一人を自宅へ呼んで、あたたかい風呂と一膳のメシを差し上げてみてはどうか。食後にお茶でも飲みながら耳を傾ければ、身の上話のひとつも出てくることだろう。一夜が明けて、自分のテントに戻ったホームレス氏はブルーの天井を見つめながら、これまでの日常では遠ざかっていた何かの感覚が戻っていることに気づくはずである。慈善運動とは、本来、こういう行為の積み重ねなのではあるまいか。
2006年10月22日
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この歳になるとさすがにドキドキする恋愛をしたいとは思わなくなる。恋愛をバーやスナックに例えると、ドアを開けてから、会計をして出てくるまでのプロセスが重いドアを押して中を見た瞬間に察しがついてしまうのだ。バーのドアは重たいものだが、あの重厚なドアが曲者で、一度押して、「イラッシャマセ!」と言われてしまうと、もう踵は返せないもの。私が近親憎悪に念に駆られるリリー・フランキー氏が、「この年になるとセックスは、添い寝だけでいい」なぞといっているらしい。非常によくわかる。究極のセックスを添い寝であると最近考えるようになった私は、とうぜん、添い寝の相手を見つけたいと願うのだが、添い寝といえども深い哲学があって、ようするに、ぐっすり眠ることのできる女はどんな女かという命題に導かれていくのである。例えばマドンナが横に寝ていてリラックスできる男って稀有じゃないかな。アンジェリーナ・ジョリーあたりもそう。ガイジンの例えではわかりにくくて申し訳ないが、映画『バッファロー‘66』におけるクリスティーナ・リッチ。コレだ!オレサマの理想とする女よ。実際、添い寝のようなシーンがあって、イカッタ。男って、ベッドの上で煙草を吸いながら(私は喫煙をしませんが)その女との成り行きを後悔することも多いのではないかと思う。バーの扉と同様に押してしまったあとに踵を返せずに…、ってこと、あるでしょ、お兄さん。だからって扉を開けてみなければ始まらないわけで、1回で馴染みのお店に出会い、結婚できた人は幸せだと思う。何もいろいろな店を巡回することはちっとも偉いことはなく、1つのお店を愛することができればママは一番うれしいことだろう。私のように、妙に匂いをかぎ分ける能力がつくと、夢見がちになれなくて、またリスキーなお店のドアをあえて開けてしまったりするようになる。ハプニングに楽しみを見出し、トラブルを待ちうけるという危険な遊びだ。重い扉を開けていく作業をはしょり、名刺をばら撒いていくという散弾銃作戦を空想してしまうところが、最近の私にはある。B級事件で、本屋で女性用のエロ雑誌(綺麗だっけ、あとレディコミとか)に自分のイチモツ写真やメアドをつけていた男が逮捕されたという話を聞いた。発想が、私にそっくりでびっくりした次第だ。男のもとにはけっこうなメールが届いたという。私も、町を歩いていて「アッー!」と思った女性に、つかつか近づいて名刺を渡して去っていくという種まきをやってみようかと空想することがあるのだ。ケータイのアドレスと電話番号と名前が書いてある名刺。一言、手書きのコメントがあるといかも。10枚配って、1つ返ってくれば御の字か。いっぺんに配ると誰からのレスかわからなくなるな。あー、くだらん空想。それで、理想の添い寝にたどり着けるかってことだ。無理だよな。オレサマは永遠に添い寝でぐっすりとは無縁なんだ。よくしゃべる巨大マクラの話をひたすら傾聴するのがほとんどの男性諸君の運命なのだ。ノシ!
2006年10月21日
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A社からの連絡がない。落ちたのだろう、面接は来週の月曜か火曜なのだから。落選でも電話かけてほしいよなあ。普通、するものでしょ?それとも、こちらから「あのー、おぎーのですが、一次面接の結果はどうでしたか?」って電話するもの、ではないですよね。断るつもりでいるA社に落ちて、手間が省けたわけなのに、落とされると気分が悪いのが人情だ。面接はばっちりだったが、SPI検査が…。先週の今ごろは数学ができないと必死になってテキストと格闘していたが、その数学がなかったのだ。拍子抜け。国語はあったが、己の能力に過信してじっくりやりすぎてあまり解けなかった。でも、あれは半分くらい答えを書いて4割正解なら御の字でしょ。つうことは、やはり性格検査なのだな、問題は。300問くらいやったか。「ときに非常にふさぎこむことがある」といったメンヘラーな項目はみな『いいえ』で答えていったのだが、ウソ度が問われてくるのであった。「スポーツをするとスカっといい気持ちだ」みたいな活発度を測る項目についてのイエス・ノーがあいまいで、同じ問題が何度も出てくるわけだが、「あら、さっきはどちらで答えていたかな?」と考え込んでしまうというミスを犯した。回答しながら、コンピュータはオレサマの矛盾する回答をどれだけ厳しく判定するのだろうかと考えていた。まあ、いいや。(※ココから先、ダラダラしまりのない文章なので飛ばしたほうがいいかも)実は、昨日やっとハローワークに離職票を出して、失業保険の手続きをした。それでわかったのだが、私のように心の病気の人は、自己都合退職でも7日間で支給されるのだ。知らなかった。どうせ3ヶ月なんだろうと思い、職安に対しても無気力でいたのがもったいない。ボケナス事務は、何もアドバイスしないしな。話がそれるが、うつ病を発症して休職した人は、傷病手当をもらった月より1年半は傷病手当を受給できるが、その後の再燃については、打ち切りとなる。ここで、退職すれば、7日後より失業保険の給付が受けられる。こうしりゃ、けっこう生きていける。精神障害者手帳にまで持っていくことは、そうはないだろう。中には、生活保護にまでいってしまう人もいるだろう。(が、ソーシャルワーカーである私自身が32条の申請を出すのには抵抗があって、こうやって、親不孝を重ねている。)この流れについて説明してくれた人は誰もいなかった。6月で退社した私は3か月分の失業保険をみすみす貰わずにいたことになる。ただ、重いうつ病の時には書類を見るだけで眩暈がし、記入したり、通帳を調べたり写真を撮ったりなんてことは、太平洋を小船で横断するくらい無理な注文であった。誰かキーパーソンが支援してくれたら救われただろうが。まあ、いいや、どうだって。(※妙なプライドは仇となるだけなのに)受付で「家族に世話が必要な人はいますか?」と聞かれた。『いる』というと仕事は大丈夫かと訊かれる。『大丈夫』と答えるしかない。主たる介護者は父ということで。いいよな。職安は24歳のころ1回受給されたことがあるが、あの頃はそんなこと訊かれなかった。介護が原因で仕事に支障をきたしたり、心を病んで失職する人がたくさんいるからなのだろう。受付時に、相談員のおじさんは私の資格や経歴に目をやりながら、しばらく黙って読んでいたが、何も言わずに給付の係りへ繋いだ。7月からこれまで何か仕事をしたかとか、職務経歴書の書き方のレクチャーとか、面接のレクチャーとか、いくつかの希望する項目を、みんな「いらない」に丸したのはいけなかったかしら。行政への期待感がほとんどないのだな私は。だって誰も私の就職支援をしようっていう相談員、いないと思うもの。アナタサマのお陰で、ソーシャルワーカーとしてよいところに就職できました、なんてことはないもの。彼らの調整する役目は、主に製造業かサービス業であろう。キミラに私のキャリアアップを期待しても無駄だということだ。
2006年10月20日
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隠れていないで、そろそろ出てこいよ、モナちゃん。外はいい天気だぞ。筑紫に謝っとくからさあ。
2006年10月20日
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バカ女に5年以上も振り回されていたオレはまさしくバカ男ってわけだな。電話やメールの応答がなかなかないマリエル。15時頃、電話をしたら珍しく出た。いきなり「osakaに行く」という。母親のつてで、大阪で仕事を見つけるのだそうだ。(といっても母親はフィリピンにいる)ミクとコウキは、夫の親に預けるか、フィリピンに送るという。ムチャクチャで、あきれ返るし、怒鳴りたくもなる。あれだけ子供にこだわっていたくせに。あいつは、osakaとこちらとの通話がダイレクトでできることを知らなかった。ケータイの通話料金は同じってことも。福島や福岡という言葉も出たのだが、ようするに、遠くのどこかであればいいらしい。バカにもほどがある。先月より働いているパブでも結局、あいつは騙されていた。月25万円なんてもらえるはずもなく、時給1000円でいいように使われてポイ!だ。あいつは、なぜフィリピン人にこれだけ騙させてタダ働きしても、懲りず、また激怒しないのだろう。貧乏から脱出してリッチになりたい。これがヤツの夢だ。ほとんど小学5年生程度の知性なのだ。ハローワークにいってみろ。外国人用の相談窓口があるだろう。HolyWorkだ。母子家庭用のマザースワークというのもあるぞ。工場で働けば月に13万くらいににはなるだろう。ボーナスだってあるかもしれない。とにかくあいつは人の話を聞かない。間違いを指摘されると逆ギレする。向上していかない性格なのだな。突然のサヨナラで、土曜日に最後に会うことになった。イイタイコトは山ほどあるが、私の説教は逆効果なだけ。もう、何もいわないことにしよう。あいつは健康ランドでマッサージしたいと抜かしやがる。お別れの日にそんな実益をかねたおねだりするなよ。その、私は愛されているわけではないのだ。そもそもマリエルは男を愛したことがあったのだろうか。テレビでは、フィリピン人女性が高齢者介護を担う話題をやっていた。そんな画面を観て、じぶんのフィリピン人女性好きを再確認してしまう。あいつの懸念事項だった「マリエルの友達を紹介しろ!」というモードになってきた。これも、私の変態ぶりを現すのだが、フィリピン女の喪失感はフィリピン女で癒してもらえという考えになってきた。というかこの10年間の私は、タイ→フィリピン→韓国(ちょっぴり)→フィリピン→インドネシア(短くも深い物語)→フィリピンというアジアンな人生であった。女と別れる。とうぜんションボリする。ショボーンとグラスを傾けている私に女が寄ってくる。それは当然、アジアンホステス、というメビウスの輪のようなエンドレスな恋物語だ。無職でなかったら、行くだろうな場末のスナックに。この10年はその繰り返しだった。30代はそれで気がまぎれればよかったかもしれないが、この歳になると…、ま、いいか、それで。これでいいか。誰かいりゃいいんだよな、誰かが。
2006年10月19日
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いい会社だぞ、と思って応募した会社は2ちゃんねるにおいてはさんざんなコメントが多々見られて、悩んでいる。親会社は誰もがよく知っている大企業。目から鼻に抜けるような切れ者ばかりが集まっていそうなイメージの会社だ。それが、この関連企業となると、システムも人の面でもうまくいってないらしい。異業種が福祉の世界に参入することは、今ではあたりまえのこと。がだ。新規参入する企業の中には福祉の世界を見くびっている者も多い。「福祉の仕事のように大変で低賃金の仕事をするヤツは、アタマが悪い」とか(実際、そんなヤツもいるが)、「優しければ勤まるのだろう」とか、「金にならない作業をよくそんなに熱心にやって、バカじゃねえの?」とか。腹にそんな気持ちを持つ人間が、スーパーバイズするようなことになったら最悪だ。新規参入者は、まず社長より、現場経験豊富な者よりよく勉強しなければならぬ。資本金がたくさんあればうまくいくような業種ではないのだ。ちょいと伏字を使用して例を出すとニ○イとニッ○イが提携して、急成長したかといえばそんなことにはなっていない。金があるから、フロア面積の広い事務所をひょいと借りることは簡単だが、その箱の中に人間の活気とか熱が入っていないとどうにもならない。例えばヘルパー事業においては、ヘルパーさんが買い物ついでに立ち寄りやすい雰囲気をかもし出す必要があるのだ。第一志望のA社は、大企業だが、ひんやりしてあったかみのない会社であった。1年間での営業ノルマも厳しく設定されて、クリアできないといじめられるらしい。(2ちゃんソース)だが、給与はいい。私にとっては笑みがこぼれる金額だ。(いや、あなたにとってはぜんせんたいしたことありませんのよ)もうひとつ、前職において交流のあったさまざまな会社から、私が日頃から、この会社いいなと思っていたところがあり、来週、面接がある。(この会社も異業種組で、親会社は上場している)介護に参入する会社の中で、私のイメージ一番の会社だ。その人脈においては、電話にて相談をし、体調不良の件や、退職した理由も、屈託なく話している。私の前職は、そのB社が「よろしくお願いします」とアタマを下げてくるセクションであった。その相手に、自分の転職や、その会社に応募することは恥ずかしくもあり、また、私が会社をやめたら手のひらを返したように冷たくあしらわれるのも嫌だなあ、と思っていた。B社の人事の人には、交流のあった人よりいろいろ私についての情報があがっていると思う。で、人事の人からの連絡は、ちょっぴりそっけないものであった。「まあ履歴書と職務経歴書を(ry)」。郵送した。職務経歴書を読まれてからの連絡は、だいぶやわらかくなって、人事のMさんが、「○○ステーションでお話しましょう」と膝つけあって話し合えるような面接スタイルである匂いを送ってきた。やっぱりB社だよなあ。企業は人なりっていうものなあ。B社では1年間は契約社員という身分だ。また、最初はペイペイからはじまる。勤務地も電車等、交通機関を使って小1時間かかる。年収はA社のほうが80万円高い。B社も社会福祉法人とは違い、営利を目的とした会社なので、とうぜんノルマはあるだろう。が、B社だったら、そのノルマのクリアが楽しいものではないかと空想してしまうのだ。1年間は我慢する。2年目にはA社と同程度の待遇にあるのであれば、迷うことなくB社へ行くだろう。B社のほうが、所長より上の階段がちゃんとあってステップアップできそうな気配があるのだ。腹を割って話ができるかどうか、決断はここにありそうだ。
2006年10月18日
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またも小学校の作文ネタだ。5年生の夏に東京から千葉へ転校したおぎーの君。東京時代には優等生で気のいいヤツだったようだが、それから約1年半経って、千葉の小学校の卒業文集をみると様子が異なる。もうひとつの私いうか現在の私のルーツが見えてくるのだ。5年生と6年生で、全体の文章力がアップしていることに驚いた。学校が違うということもあるが。たとえば、私と仲のよかったコバヤシ君の書き出しはこうだ。『光陰矢のごとしというが、時間の経過はまことに早い。』後に、現役で東大に進学し、現在は○○省のエリート官僚となったS君はこうだ。『ぼくは、今、非常に多忙である。トーテムポール作成委員の役員としての活動、安全委員会委員長としての総仕上げなどだ。今日のところはこれくらいだが、きのうまではこれに、工作と「卒業生を送る会」答文原案の作成に追われ、冷や汗を流し十二時まで作業を続ける毎夜が続いた。』他の一緒に遊んだ友達の作文を読んでも、なかなかに大人の文を書いている。さて、私の作文だがまず、分量が少なく、余白を下手な絵でごまかしていた。フリースペースが苦手なのだろうか。5年生の時の作文のほうがずっと面白いのだ。退行しているように思えるのだ「中学生になれば」おぎーの『中学校は小学校と違い。高校へ行くための受験勉強をしなければならない。受かるためには、あるていど勉強をしなければならない。勉強するにも体がじょうぶでなければならない。ぼくはぜんそく持ちだ。それにカゼも引きやすいタイプで、一学期間ニ~三日学校を休む。これが中学校だったら。中学校では中間テストや期末テストなどがある。この日に休んだら大変だ。体をきたえなければならない。カゼを引かないためには、外から帰ったらうがいをすればいい。毎日規則正しい生活をしなければならないと思う。(全文)』卒業文集で書くないようかよ!記憶では文集はもうひとつあって、製本された立派なものはそれなりの小学生活のエピソードを書いた記憶がある。この文集はガリ板っぽいもので、このクラスだけの企画であった。それで、やる気がなかったのか。一読して内容が暗い。将来に対する不安でいっぱいだもんな。ただ、旧友でも中学校生活への不安を記す者はほかにもいて、ようするにこれから大人になっていくことの煩わしさを感じる年頃でもあるようだ。思春期でもあるし。しかしながら、恐ろしいことに、あの頃の不安と現在はかなり合致するのだ。健康についての不安を30年後に、未だに抱えている。また、当時二十四時まで卒業式の準備に追われていたS君は、おそらく現在も霞ヶ関で、深夜まで、書類の作成に追われているのだろう。
2006年10月15日
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深夜に激しく悔しいのである。新卒の大学生は就職試験対策としてせっせとSPIを練習し、模擬試験まで受ける人もいるらしい。私は就職時にこれをやらなかったので縁故で入社しようとした会社にも落ちたのである。もう、こんなことに関わりは持たなくてよいだろうと思っていたのに。怠惰は悪である。もしも私に子供がいたら、こんな問題を問いていそうである。「お父さん、この問題がわからないから教えてよ」と息子に頼まれ。ここで父権を発揮せんと宿題に挑むが難しくてできず、「お父さん、もういいよ、じぶんでやるから」と息子に言われ、『待て!もうちょっと待て!かあさん、お茶っ!』と叫びながら、エックスを用いて右往左往するのだ。息子はもちろんエックスなぞ使わずに解くのだ。将来、息子が出来ないとも限らない私は、就職試験よりももっと大事な何かのために数学のドリルに挑まねばならない必要を感じた。これは己を確認する作業なのだ。生きている証というか、私がかつて、(小学5年生の頃)「おぎーの君は勉強ができる」といってくれた旧友への誓いでもある。入社試験が終わったら、SPIより簡単なドリルを購入したい。小学5年生くらいからのスタートでいいのだろうか。公文式は大人の入会はできないのだろうか。仕事の帰りに塾へ通うことは許されないのか。大人向けの学習塾はないのか!できれば、先生は熟女を希望する。
2006年10月14日
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SPIが難しいいかんぞ、四則計算ができない。鶴亀算もさっぱり。非言語的分野からは、高校時より遠のいている文系やろうだ。小学6年生の私ならなんなくできた問題がさっぱり。もう必死!テキストを昨日の夕方買ったというのが間違いだった。せめて1週間あればなあ。脳内は目詰まりしっぱなし。数学は27項目に分かれているので、要するに27つの方法論を覚えればいいだけなのだ。それを繰り返し向き合って、パターンを覚えて、試験の際には機械的解く。試験において考えているようではダメなのだな。得意であるはずの言語的分野をけっこう間違えるので、自分が嫌になる。うつ病で脳みその働きが悪いのだ。国語はカンが頼りなのだが、そのカンという行為はけっこう脳内で複雑な演算をしているみたいだ。とにかくやりきれ自分。2回と半分くらいやれ、この2日間で。死ぬ気でやれ。ああ、これだけのことを新卒の時にやっていれば、私はもう少しよい会社に入れたかもしれない。SPIが頭の良し悪しのすべてということに向き合いたくなくて避けていた私。汝自身を知れ。
2006年10月14日
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本当のことが書けない◎事実と向き合うと、あまりにも酷い事実に、またも現実逃避、自暴自棄になってしまいそうだ。たとえば、私は就職活動をするにあたって、スラックスをとりあえず2本購入するしかなかった。所有するズボンはすべて履けないのだ。日記だからといっても、さすがにウェストのサイズを記すことはできない。Yシャツも2枚買った。ジャケットは2枚着られるものがあった。あと、革靴があるかどうか、靴箱をチェックしなければ。(時間の経過)3ツボタンのジャケットは夏用で綿麻の素材だ。オフクロにみせたら「ウールでないものはみっともないのでやめろ」といわれた。その通りだ。明日。黒い3ツボタンをアオキに買いに行くか。◎この土日において、私はSPIテストとも向き合わねばならない。まさか、この歳になって、またやることになるとは。23歳にやったのが最後。私は爆笑問題の大田光なみに計算が苦手なのだ。数学のセンスがなさすぎのため大手の企業はこの筆記試験ではじかれた。20年経ってまた、これで失格となってしまうのだろうか。ニンテンドーDSの脳のトレーニングをやっておけばよかったぞ。なにしろほんの2週間前まで一日中パジャマでボーっとしていた人間だ。脳年齢は70代なのだ。アダルトビデオをひたすら見続けたように頑張るしかない。やはり大企業は、しっかりしている。リスク満載の男がウィルスのごとくに潜入することを3重のフェールセーフで防いでいる。◎なんか神様にも祈りたい気持ちになって出勤前のマリエルに電話すると、ハ~イ、と上機嫌で電話に出た。珍しい。神様にお祈りする際に、悪いけどオレのこともついでに祈ってくれないかと頼むと、すでに祈っているとのこと。意外な返答だった。「オレのことお祈りって、どんなことを祈っているの?」と尋ねると、それはクチに出せない、というニュアンスの含んだ返答。何だ、何だ、何だ?何を祈っているのか、ちょっと恐い気もするぞ。昨日の日記では、歯科の窓口のコを口説きたいなんて書いたけど、スラックスが1本も履けなかった男が口説くも何もないだろうと思った。マリエルという人類の女が私と友人以上の深い中にあることすら上出来のような奇跡のような気もする。オレはこの風体で(ハゲ&デブー)モテるわけがない。(時間の経過)白のYシャツを着て、おニューのネクタイを締め、洗面所の前に立って己の姿を見る。気が引き締まるところがあるな。白のYシャツは若い頃は嫌いだったが、現在の気分では最もオシャレで、また私の年齢や立場を考慮された社会的にふさわしい色だと思った。白Yシャツを着て生活していれば、自堕落な人間になることはなかんではないかと思えるほど、心理的に影響力のあるシャツだ。まあ、いい。自然体でいこう。5年生のクラスメートが書いてくれた作文を思い出して。3カ年計画で心、体、経済を立て直し、めどが立ったら、クラスメートをミクシィやらなんやらで探し出して、私のことを覚えている人がいたら会ってもらおう。もちろん、私のおごりだ。30年以上経って、作文のお礼をしよう。転校したのは夏休みのとき。私は林間学校に参加する予定であったが、三日はしかに罹患して出席できず、そのまま引越しをした。手紙をクラスのみんなに書くことすらしなかった。なぜか、できなかったのだ。夏休みの宿題ももちろんやらなかった。勉強ができる優等生としてのおぎーの君は、あのときに東京に置いてきてしまったようだ。あのときのボクはどんな子供で、現在の自分はどれだけ変化してしまったのか、旧友に聞いてみたい。○○育子をギャフンといわせてやりたいぞ。
2006年10月13日
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◎歯科の受付の女の子がタイプでして。歳は27歳くらいかな。眉がテンプレートできっちり決められていて、白丸の顔を引き締めている。まつげもたぶんマスカラだ。中肉中背の典型的な日本人の顔。表情がどことなくミステリアスで魅力的なのだ。いずれにしても私は不惑のオヤジ。しかもうつ病。どうなることもないのにどうにかしたい。アモキサンのなせる業なのだろう。チンポ立たずとも、デートしたし。職なくとも将来を語りたし。振られても、その歯科医院の治療は続行したし。窓口のカウンターをぜんまいのよちよち赤ちゃんの人形が進んでいき、彼女にメモを渡すとか。アドレス交換やデートに持っていくにはどうすりゃいいんだろ。誰か教えてくれないか。窓口女攻略法を。ほんと、セクシーな顔なんだな。全体は見えないからわからないが、肉付きもほどよく肉感的なかんじ。◎オフクロが行くショートステイの相談員がまた、優秀でいい子でかわいい。170センチも背があってすらりとしたうりざね顔の美人。まだ25、6だ。それとなくオフクロに聞いたら彼氏はいるとのこと。人嫌いが激しいオフクロをうまくコントロールする、利口な女性だ。断崖絶壁に咲くユリの花のようだ。送迎の際、どうせ男性職員が迎えにくると思ってパジャマ姿でいると決まって彼女が迎えにくるのだ。この子を落すのはまず不可能なり。つうことで、アモキサンを服用してから意欲的になった。が、性機能に副作用が出るという矛盾が生じて困っている。主治医にこの不満をぶつけてみた。「バイアグラも効かないんですよと。」先生は当然、そっちのほうはもう少し待てと私を諌めた。今は仕事のことだけを考えましょうと。でも、先生、別にそんなことをしなくても、いざとなればオラオラ!とできるポテンシャルがあるという事実が男としての自信回復に繋がるのだな。ということで気になっている女の子について記した翌朝、フィリピン女に「ohayo!」とメールするんだろうな、オレ。お気に入り女性、分散の術だ。オタクもそうやって、気持ちを穏やかに保っているんでしょ、オニイサン。
2006年10月12日
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相変わらずに失業者の多い、我が日本である。心というハードディスクを壊した者がソフマップの店頭に並べられるためには、(再雇用を得るには)それ相応の補修をし、またお色直しが必要だ。でないとジャンク品としてかごの中に放り投げられ、二束三文でマニアの取替え用パーツに成り下がってしまう。中古市場には古くてもそして高くても売れるだけの何かがないといけませんな。さて、本日の日記はシャワーを浴びていてなぜか思い出したこと。マリエルや他のホステスが、店でホーリーワーク、ホーリーワークっていってることがあった。一応私もお客なのだから、ソファに両脇からぺったりと着いて股と股を密着させるべきだと思うのだが、タガログ語で「ヤマザキ!」とか「obennto」なんていう言葉が混ざった話をしている。何を話しているのか尋ねるとホーリーワークというところにいくと、ヤマザキパンの工場やお弁当屋の仕事を斡旋してくれるというのだ。ヤツラにとっては、それは崇高なところらしい。で、ホーリーワークってハローワークのことじゃねえのか。彼女達の聞き違えがそのままコミュニティーに広まったのであろうが、さすがカトリックのお国柄だ。仕事にホーリーを頭につけるほど、仕事を手に入れるのはありがたい事なのだ。ナムナム。英語としてハローワークって間違っているもんな。よく考えるに。
2006年10月12日
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運転中に電話がなった。先日、就職相談をしていたある会社の人から折り返しの連絡だったのだ。(録音メッセージで確認)クルマを近所の公園の横に止めた。日は傾きかけて、秋の人気のない公園は静かな佇まいをみせていた。私はクルマを離れてベンチまでいき、電話を掛けた。就職について20分ほどその人と話をして、クルマに戻ると黄色いシールがフロントガラスに貼られていた。[禁止場所放置5分間]とシールに印字があった。怒りも後悔もない、寂寞とした気持ちがした。まったく人気のない通りと公園。近所でよく知るところである。彼等は静かに行動しているのだな。ちなみに新興住宅地であるウチの近所は道路のほとんどが駐車禁止である。どんなモラリストであれ、駐車禁止の罪からは逃れることはできないのだ。この惑星の住人が生まれながらにして罪びとなのは、どうやら真実らしい。
2006年10月11日
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メーリングリストを早朝にいきなり作った。名前は『軍団おぎーの』またの名を『パレスチナ解放戦線』であーる。このメーリングリストの目的は、私と福祉の考え方を同じくする人たちが連携して意見を言い合う秘密結社だ。近頃の介護保険制度はなんだかおかしいとお嘆きの方は多いと思う。福祉の倫理観の見地にて「もう、このシステムは先がないぜ」なんて腹が立つケアマネやサービス提供者たちのガス抜きの場にしたい。ガスが一番溜まっているのがこの私なのである。まずA君と個タクのYさん、お願いします。入ってちょうだいな。S施設に在籍暦のある人で、私が軍団おぎーのに入るにふさわしいと考える人を厳選し、少しずつ勢力を大きくしたい。care@ml-c2.infoseek.co.jp
2006年10月10日
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気力はずいぶん回復してきた。体力の減退とだるさ、そして眠さがひどく、とても1日活動できるようではない。ようではないが、正社員復帰での活動である。私はこれまで、復職で待遇アップという経緯ばかりを狙っていた。要するに兼業していた仕事が1つ減って専業化する経緯だった。仕事の系列が1つになったあと再燃して、もうおしまいだと思った。1人前の仕事で再燃すると言い訳が効かなかったのである。現在の私は4分の1人前だ。にも関わらず、前職よりも金のいい企業、前職よりも高い地位を求めている。そのうち散ってしまうのか。うつ病の原因のひとつに低サラリーがあった。将来に対する不安の元、そして難しい仕事をやり遂げた後の報われない気持ち、すべては安い賃金にあった。また、ステップアップのなさがあった。サラリーマンならば、成績をあげて勤続すれば少しずつ、地位と報酬が上がっていくものである。私はなにも大企業のエリートトサラリーマンのようになりたいのではなくて、サラリーマンの平均年収がほしいだけだ。大卒だと486万円だったっけ。新築の家も要らない。結婚して公営住宅に住めれば、私自身は御の字だ。それだけのささやかな願いを求めているだけなのに。10時ごろ、近隣の福祉施設の施設長に電話をした。ざっくばらんに人生相談がしたいといった。電話の向こうでは快く迎えてくれた。受診後、16時に40代半ばの女性の施設長のもとを訪れた。結局、2時間ほど、私の相手をしてもらった。巨大複合施設を案内された。職員がいると「こちら、以前、○○にいたおぎーのさん。」と紹介してくれた。職員は少々、驚く者もいた。私もそれにどのくらいの意味があるのかわからなかった。「ウチにいらっしゃい。」という言葉はなかった。具体的に、あそこでは新しい施設を建てているから事務長がひつようかもしれないといった情報を頂いた。この業界はウェブよりもクチコミだ。兄弟施設にいる、ケアマネのA子さんが、ヘルパー事業の立ち上げを抱えて苦労している。声を掛けてあげて、顔を出してあげてほしい、といわれた。もちろん、明日、電話をかけてみるつもりである。A子さんと話をすればまた、なにか新しい視点ができるかもしれない。(長い、駄文だな)
2006年10月10日
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ブックオフへ売り飛ばすべく書棚を整理し始めて、ある文集が目にとまった。小学校5年生の頃、私が東京より千葉へ転校するにあたって、クラスメートが私への贈る言葉を書いてもらったものだ。昨今のイジメや鈴香容疑者への卒業文集などを知ると、旧友が私にどんな文章を書いていたのか、確認するのは少々、こわい。ちょっと拾い読みしてみることとしよう。------------------------------------------おぎーの君へ加藤○一-ぼくは、おぎーの君とは越してきたばかりであまりつき会ったりしませんでしたが、気ずいたことをここに書きます。まずおぎーの君はとても働きすぎだということです。いつも図書のせいりをいっしょうけんめいやったり、そうじをいっしょうけんめいして先生に注意されるまでしています。また、気がよくて、あまりおこりっぽくないようです。人にわる口を言われたりしても、ぶつぶついわないでだまっているし、人のわる口を言ったりするようなことがないからです。------------------------------------------※ いや、いきなり脱帽したぞ、加藤君。私はそんな小学生だったのか。働きすぎで、宿題を忘れるというみょうな子供だったな。------------------------------------------おぎーの君へ伊藤か○るおたのしみ会では森君といっしょで司会になってしまったわね。でも、おぎーの君は、はきはきしているから司会なんかだってあうんじゃないかしら。私なんかだったらぜんぜんだめだけれど------------------------------------------※ おねえさんぶったコだ。仲がよかったような記憶がする。------------------------------------------おぎーの君へ○ ○育子生活班の班長だったおぎーの君は、物事をちゃんとやっていましたね。感心しました。私は、時々、いじ悪をしたりしましたが、すみませんでした。でも悪ぎをもってやったわけでは、ありません。ただ、のそのそと、物事をするのに、はらがたったのです。学習班の時も班長でしたね。テストの点もいい方でしたね。さすが班長だけあっての天才だと思いました。------------------------------------------※ かっちりとシャーペンで書かれた筆致。彼女はしっかりしているぞ。どこの会社にいってもいつの間にか仕切っているOLだ。目のチカラが強かった。のそのそで悪かったな(笑)なんか、再会してこの作文を見せたくなった。クラスの憧れの学級委員もコメントしてくれている------------------------------------------おぎーのはかせ君へ原○子毎日、いっしょに勉強をしましたね。おぎーの君は、自分の意見を、自分なりに述べてはっきりしたところがとてもすきでした。私も、そんなところを、たくさん見習いたかったのですが、もうお別れですね。また、女子にもらんぼうなことはせず、話の相手になってくれたりして他の男の子とちがったよさが見られました。これからも体に気をつけて元気にくらしてください。------------------------------------------※ 原さんは顔も覚えている。良妻賢母型の賢いコ。たぶん、いい旦那と結婚して幸せな奥様なんだろう。みんなが褒めてくれているわけではなくて、こんな作文もある。------------------------------------------おぎーの君へ○ ○弘美あなたのかおを見た時、「へんなかお。」と思いましたけれどハンサムですね。何日に転校なさるのですか。りんかんに行くのですか。行かないのですか。それとも…ごめんね。ふざけてしまって。でもあなた目がへんねびっこみたい。わたしもそうだけど。おそろいね。では、いつまでもお元気で------------------------------------------※ ファミリースナックのママにでもなっているのではないか。彼女は早熟で、男を舐めるように見るところがあった。恋多き人生を歩んでいることは容易に推測できる。まあ、「キモい」「氏ね!」がなくてほっとした。
2006年10月09日
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昨日は我ながら痛い日記を書いてしまった。時間が経つと、こっぱずかしい。夜中に書いた手紙は翌朝、読み直してから投函せよという先人の教えは正しかった。よく、あんなに長い文章を綿々と書いたもんだ。おんなの日記だ。じぶんの痛さが時間差でじぶんで理解した。削除すっか?いや、それもやめとくか。
2006年10月08日
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10月になり、ようやく前線復帰へのアクションを起こしだすようになってきた。行動の第一段階はネットによる求人広告のチェックだった。私の近隣にある事業所のケアマネの求人を調べた。じつはその前には、福祉施設の管理者や事務長の募集しか捜す気がしなかったが、そんなのが求人票に載ることはなく、また社会復帰の手順としてもおかしかった。朝、起きられず、また忘れ物大王の私がいきなり人間のマネジメントをするのは無理ではないか。正社員も無理ではないか。そう思い、やはり最初は契約社員やパートの身分で働く方がよいのかを判定していただくべく、精神科に受診をした。女性医師のご神託は私の予想とは異なり、正社員待遇で、結局的にドンドン行くべし!というものであった。現在、求人に正式に応募した会社は母体が大企業である。なるほどそんな業界が介護ビジネスに意欲的に飛び込んできたら既存の会社や福祉法人も大変だぞと思う、立派な会社だ。サラリーもこの世界にしてはいい。ステップアップの階段がありそうで、厳しいが結果をだせば、それなりにランクアップできそうだ。一抹の不安はあるが、先生は、「医学的管理をきちんとしていけば、うまくやることは十分に可能。ここらでひとつ頑張りましょう。」といわれる。頑張ろうというお言葉を聞いたのは何年ぶりだろうか。正式に1社に行動を起こした後、私は名刺ホルダーを引っ張り出し、かつて構築されていたネットワークをしばし見つめ、いくつかの事務所に電話をしてみた。「お体、大丈夫ですか?」と電話の向こうで心から気遣っている言葉をもらう。こんなに嬉しいことはない。ある新人ケアマネの女性は、所長になっていた。私は本社に栄転された前任者の連絡先を教えてもらう。彼は私より少し年上で、密かに兄貴として人生スゴロクの悩みを相談したいと思っていた人だ。前職の時には私が営業を受ける側だった。本社に電話をすると丁重な返事が返ってきた。丁寧すぎてちょっぴりよそよそしくも感じる。彼は事業所の立ち上げで関係先に頭を下げまわって、社内でもたぶんヘルパーの気を遣い、そして栄転した。私は、「そちらに就職したいとか、どうのということもなく(実際はそれもあるが)業界の今の空気が知りたい。また、ざっくばらんに人生相談に乗って欲しい」という旨を伝えた。忙しいようで、アポイントは後日ケータイに連絡するということだった。で、あれから1週間経ったが連絡はない。ま、いいか。心を病んだ中年男にすがりつかれてはたまったものではない、と思うのも仕方ない。でも、この会社には正式にこちらから応募する前に所長に電話で確認をとったほうがよさそうだ。世の中がそんなに自分に都合よく回ることはないことはわかっている。しかし、退職した事業所へ電話してみても感じるのであるが、電話の向こうで、「おお!」というリアクションがけっこうありまして、なんというかこれまでの仕事ぶりの真の成績表を頂いているような感じがするのである。電話の向こうで縦線が3本入った顔を想起させるような返答ばかりだと打ちひしがれるであろうな。
2006年10月08日
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※前編からお読みくださいませ(シーン3)ワールドビジネスガーデンで中華を食べる。すっかり擬似家族となった3人である。トニーローマというレストランが家族のお気に入りであり、ささやかな贅沢、そして幸せの象徴のような店であった。あの店はアメリカ南部のリブステーキがウリであり、オニオンスライスにケチャップをつけてほおばるという、フィリピンにも通じる味覚の街道があった。マリエルはいつもステーキをオーストラリア人のようにウェルダンで焼いてもらい、パサパサになった肉を故郷の味がするといって喜ぶのだ。本日は貸切となっていて残念だった。他の店はどこもメッセのイベント客が押しかけて行列だ。マリエルは先頭を歩いて、パスタ屋等を見て回り、結局、中華の店に決めて入った。今日のあいつは、ビールも途中まで注文しなかった。私が運転のため飲めないことを考慮してのことだ。殊勝な行動である。結局1杯だけ飲んだ。やつはイラだっていた。料理がすぐに出てこないので文句をいった。今日だってもちろん仕事がある。土曜日は休みでもすれば2万円のペナルティーだ。19:20に店長がクルマで迎えに来る。それまでにミクとコウキにご飯を食べさせて、夫の実家に連れて行かなければならない。夜間は、祖母が世話をしている。ちなみにDV夫は実家にはいないようだ。「おまえ、どうして約束をすっぽかした時にあとで(ゴメンナサイの)電話しないの?」幕張の浜へ移動するクルマの中で尋ねるとヤツは逆ギレ状態となった。あいつの基本は、じぶんの望みだけは強く主張する。テレビチョウダイ、お金タスケテ!だが、他人の気持ちを汲み取って受容することが困難だ。私は、約束をすっぽかして電話もできずにいてどんな気持ちなのかが知りたかった。ヤツは、アタシにすっぽかさせてケンカになっているのはオレだけではない(だから、ガタガタいうな)というまったくドキュンな理屈を展開してみせた。こいつはやはり人格がおかしくいなっているのだな、と思うほかなかった。最近でもヤツが約束をすっぽかしたことが原因で、親しい友人(女性)の堪忍袋の緒が切れて大喧嘩になったらしい。あいつがときどき不満をもらす、「ミンナガ、ワタシニツラクスル」という不平が少々恐ろしい。問題の所在はじぶんにあるんじゃないの、ということがわからない。交際範囲の広いヤツの周辺では(フィリピンの世界)ヤツから距離をおく人が増えているのではないだろうか。(勤める店の人間関係以外において。)電話に出たくないときには電話を投げるとまでいった。電話はフィリピンの母親からもよくかかってきて、それを取らないことがよくある。かと思えば私としゃべっている最中にメールが来ると中断してレスを始めることもある。エクスキュースもなしに。じぶんには電話というツールが合わないのではないかとまで言っていた。「ヒトリガイイ」と突発的な発言をする。(シーン4)幕張の浜で3:30頃になったか。マリエルはビーチにいってリラックスすることにこだわっていた。陽気がよく、また幕張の浜は稲毛の浜よりもこじんまりして人も少ない。ビーチまで向かう道で、話はお金の援助ができるかできないか、という件や、結婚する気があるのかないのか、セックスしないのか、というヤツが逃げたく、私が追究したい内容について、怒鳴りながら話をした。「お金を借りることと、結婚の件は別。今は独身生活を楽しみたい(じっさいはまだ離婚できていないのだが)いつ、結婚したくなるかどうかは、わからない。おぎーのさんのことは愛している、フィリピンにいるジェリー12歳(この子も片親)は私の養女として日本に連れてきたい(わたしの話は母およびジェリーにしており、ジェリーはぼんやりと、いつか日本のおじさんがパパとなって迎えにきてくれて、幸せになれると思っているようだ)、とディープな件について炸裂した。書いていても、頭の中が混乱してきた。どこで何の話をしたか記憶が不確かなところもあるが、まあ、空気が伝わればよいだろう。険悪な我々は、寄せる波打ち際で、遠くの東京のビル群を眺めながら、海に向かって叫んだ!「マリエル、チ○ポ咥えろ!バカヤロー!」「ヤラセロッ、コンバカッ!」青春ドラマのこのシーンは実際にやってみると、じつにスッキリする。うつ病のセラピーによい。私が叫ぶと、マリエルはウケて無邪気に笑った。あいつも叫んだが、何をいってたのか、覚えていない。風が強くて、ちょっと距離があるともう聞こえないのだ。こんなオマエにオレサマはもうギブアップ。ついに離別の言葉が私の口から出た。マリエルは海に向かって涙を浮かべるしかない。1万円もするトリートメントシャンプーをこの期に及んでも欲しがっているのだ。その了見がわからない。私のセゾンカードは引き出しができなくなってしまったのだ。(これ、ちょっとしたカラクリあり。後日、記すことになると思う。ショッピングはできるからヘンだが。)さんざん己の主張ばかりで(ヤツも生きるために必死なことはよくわかる。そうだ、結婚できない理由には永住権の取得や、娘のミクが反対していることもあった。)逆ギレしまくっていたマリエルも、私のギブアップの一言で撃沈した。私はたんたんと冷静だったのだ。「わかった。もう、マリエルが嫌がることは訊かないよ、なんでウソつくのかとか、あやまらないのか、とか。もういい。それから、マリエルについて、もうカンケイないことにした。お財布がパンクしたんだ。もう、オレもできないことはできない。」(シーン5)帰りのクルマの中で記憶があいまいだ。車内にぶら下がっていたフィリピンのお守り(天子様とマリア像)をバックミラーからとって、マリエルに握らせた。その上に私の手をかぶせる。「神様の前で、おまえ、オレのことを愛しているっていえるか?誓えるか?」「アイシテイマス」とヤツはいった。この女のアイラブユーは真実味がないので、神を介在させてみた。結果は同じだった。ということは信じていいのかな、もう、ヤツの内面はこんなことをしても理解しがたいことがある。車内ではじぶんでも忘れてしまった古いカセットテープがかかっていて、大瀧エイイチの『幸せな結末』がかかった。マリセルも好きな曲らしい。コウキとマリエルは後部座席で、じっとしていて、母親は一点を見つめてボーッと何かを考えている。あいつは、金が引っ張れずに、ドアがドスン!と閉めてケッ!という風体で帰ることもあったが、今日は、態度が偉く軟化した。私が運転しながら考えていたことは友人の忠告はその通りであり、そろそろマインドコントロールより解かれてもいいのではないかということ。別離である。彼女の性格や生き様からして、私と、いや、誰とであれ、円満な夫婦関係が築けてお互いの親の世話までうまくケアできることは不可能だということ。私は別の女性を探すがよしということ。ヤツはしばしばいうが、もしも私が他の女と結婚したらアタシも友達として呼んでくれとヤツはいう。それでいいと思う。アタシは悪い女であり、そんなアタシによくしてくれた私は、神様がちゃんと見ていて、幸せになれるのだそうだ。1万円のトリートメントはできません、というと、アイツは最初から欲しいのは2000円のものであると息を吐くようにうそを言った。とても穏やかで柔和な顔をして。私はようするにキープしておけばいいのだな。誰もいないと寂しいから。どんどんパロパロすればよい。それが嫌ならそのときがエンドマークだ。幸せな結末はもう少し先になりそう。この日記は尻つぼみで、この項はこのまま終わります。ご意見をお気軽にお寄せくださいませ。
2006年10月07日
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メンヘル日記はいかんと思えども、一方で、書き記したい気持ちも生じてくる。日記終了が目標であるこの日記。なんのかんのと、いつもどおりに更新している。まあ、内情を吐露するようなものではないので、よかったのだが、今夜は支離滅裂で痛い日記を書きます。言うことと、することが違ってすみません。そのうちカイゼンしますので。私の周囲では眉をひそめられるマリエルとの関係。当然である。これまで断続的に金銭の援助を続け、その額は5年間で三桁に届くか届かぬか。じゃあ、肉体関係がその代わりとして提供されてきたのかというとほとんどなし。ほとんどの詳細については書くことが面倒である。彼女はセックスが嫌いな状態。それは私に限らず、考えられる要因として、セックスによって、関係があきられることを畏れているようだ。また、セックスするような心の余裕がない毎日であることも確か。フィリピンホステスと付き合うおっさんが、小遣いを適当に与えて愛人化することはいたるところでみられ、逆に、貢ぎながらもヤラせてもらえずに騙されるおっさんの姿も多数目撃されている。(シーン1)ベッドの上で30分間、頑張ってもたせる。9:30頃お互いに自分のベッドより電話。予定通り会うのか会わないのかとの問答。ヤツは3:00まで仕事をしているので、起きるのは大変だ。寝起きの声でとりあえず10:00の約束まえに掛けて来たというマリエルにとって精一杯の誠意。ヤツの脳内には、冷蔵庫、テレビ、洗濯機といった家財道具を私のトランクルームより移動させ、さらにはアパート入居のための敷金の不足5万円ほどをゲットできるならば、無理して出かける価値があるというもの。「デキル?」と話がせく。破産状態の私の腹は、結婚して親と同居または近所に住み、世話をする生活へ繋がるのであれば、やってもよいと思う投資。破産管財人である父に状況を説明する必要があり、その件についてヤツに話すと話さないで欲しいと激しく却下された。「ナライイヤ、モウネル!洗濯機モ、カウカライイ」という投げやりな展開に。そこで切らせないのが、私である。なだめすかして話を続けて、私に対する気持ちを引き出そうとした。そしてマリエルが突然切り出した。「ネエ、アタシノドコガスキナノ?」フィリピン人はいっぱいいる。どうしてアタシを選ぶのか。いったいアタシのどこが好きなのか。私は不意打ちを食らった。「声。」と答えた。ヤツには受けている。「みゃうみゃう、ひゃおひゃお」とドナルドダッグのような声でマネしてみせた。なだめ、おだてる姿でもある。「アトハ?」「くちびる」ものすごく、飛躍した表現をさせていただこう、アンジェリーナ・ジョリー系のスパニッシュなくちびるのカタチ、あれに私は投資をしている様子である。「目。」典型的なクリクリしたフィリピン顔である。「おっぱい」ここでウケる。小さいし、不釣合いに乳首が大きくて黒い。あの乳首が好きだということが、私がマインドコントロール状態にある証拠でもある。また、男女が良好な関係を続けるには大事な要素でもある。「アトハ?」「ソレダケ?ソレダケ?」マリエルの質問は我々の関係においては非常に的を得た質問だ。突然のこの質問の背景には、後輩S(32歳、元老人ホームのケアワーカー。マリエルと面識があり、そして後輩Sは私にとって妹代わりの存在ということになっている)がマリエルへ電話をかけて、「おぎーのさんのことをどう思っているのか」と問いただしたということがあった。あなたが電話番号、教えたんでしょ?/ああ、教えたよ。で、アイツなんていってきたの?(じつはその場に私もいた)マリエルは丁寧語で話し、「今、シャワーを浴びている、掛けなおします」といって電話を切った。折り返しの電話はもちろんしていない。ふたりの話の流れは、マリエルは疲労困憊により精神的におかしくなっているということについてになった。投げやりで、「モウイイ」とすべてを放擲しようとするヤツとなんとか顔を合わせて話をしたいという私。コウキ(仮名・やつの5歳の子供)も一緒だが、それでもいいかと思った。(シーン2)アウトレットショッピングセンター私とマリエルとコウキの3人で、幕張ガーデンウォークに行った。ヤツは現在、3人の友人のアパートを順繰りに回って寝泊りしてるようである。持ち物も3箇所に分散された。また離婚調停中である夫はDV夫であり、彼女の衣類をずいぶんと引きちぎるなり投げるなりして秋物の洋服がほとんどなくなってしまったという。あいつは真夏色のTシャツとジーンズのミニスカートで現れた。手に持つトートバッグすら友人から2000円で借りているとのこと。痛々しい姿だ。私は、ストリートファッションの店で、キャップ、長袖カットソー、チェックの長袖シャツ(上に羽織るもの)、ブーツ、カバンをコーディネートした。16800円ほどかかったが、ヤツは変身した。マジ安いっすよ、コレ。ワタシのコーディネートにかかると疲れきって自殺しそうなフィリピンのおばさんから、オアフ島でハンバーガーを売っているようなオネエチャンにガラリと印象を変えるのだ。これはやってよかったと今も思っている。あいつは心まで明るくなった。私はすっかり、愛人持ちオヤジであった。コウキも母親がスタイリッシュになったのを喜んではしゃいでいた。※ マリエルは最初「ユニクロでジャンパーを買って」と希望をいったが、私が却下した。寒さがしのげればという発想であり、そんなフィリピン人のユニクロ姿は哀れなものがある。また貧乏人の銭失いでもある。私がアウトレット屋で偶然みつけた掘り出し物は、例えばイタリーのミニシックスティーというメーカー定価3万円のウールのカーディガンを3000円で買い、それを着せるというもの。日本人ではなかなか着こなせないオサレな服が、貧乏ピーナにしっくり似合って幼稚園の奥さん達にカワイイと褒められる。そんなことに達成感があって、もちろん女を着せ替え人形扱いして喜んでいるキモオヤジと非難されるのも上等なことであった。この項つづく。
2006年10月07日
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ヤリたい女をとるか、貞淑な女性と結婚するか。と訊かれたら、まず100%の男どもは「資産家の女と結婚して、義父のチカラで自らも上流社会の一員となり、安定した暮らしをしながらも、なかなか手に入らない無理目で、エロくて、セクシーな女とヤレる限りの激しい性愛を楽しみたい」と思うだろう。(こんな具体的な返事は誰もせんが)まじめな家庭生活を送り、最近第一子が誕生してパパとなったばかりのA君だって、ハセキョーに言い寄られたら(それもまず見つからない、そしてハセキョーは激しく臨戦態勢)、行くよ、ね?この映画の主人公はどちらも得てしまうのだ。え?それでは物語として成り立たないって?そう、アレンの映画は成り立っていないのかもしれない。が、とにかく現在のウディ・アレンは、とどのつまり人生は運勢には逆らえないと考えている。上昇志向の強い若者がその押し出しの強さと強運で、ありえないポジションにあれよあれよと着いてしまうことは実際にある。例えばホリエモンとか。セレブの女にみそめられて、申し分ない上流家庭の中に入り、彼らの経営する一流企業に入って仕事もバリバリ。グングン運気は増す中で、男は欲情させてくれる女を獲得することも諦めることができない。で、おかげさまでヤレた後に、男の煩悩というものはそれで解消されることもなく、増すばかりナリ。誰だって友人がそんなことをしようものなら「悪いことはいわないから、ヤメとけよ!」と忠告するが、自分がその状況に置かれると、危険を冒してでも、エロい女を手にしたいと思うものだ。最近の例では民主党の細野議員と山本モナの一件がまさにコレ。細野は見つかり、運がなくて残念だろうが、運がないほうが、実はラクかも。映画の中においての強運男は、強運だけに苦悩も大きいのだな。「自分が幸せでないのは運がないからだ」、とか、「もう少し運があれば成功できたのに」と密かに悲観する人間は多いと思う。アレンは常日頃より、運命についてあれこれと考え続けてきた男であり、その時の心境を作品というカタチで結晶として残す行為を行ってきた。アレンの映画は、いつでも自分の心象スケッチの延長なのだ。努力より運だ、と2005年のウディ・アレンは考えている。ならば、貧乏な家に生まれてしまった人、才能が今ひとつな人が努力することは無駄なことなのか。その先について考えてみたい方は、是非、この映画を観て考えてみて欲しい。お爺さんとなったアレンのロンドンでの初作品。枯れた味があるのに、テンポは相変わらずによくて、音楽がまた、素晴らしい。2時間を超えるというアレン作品らしからぬ長時間だが、私は100分くらいにしか感じなかった。A君やT田にも劇場に足を運んで欲しい。そのくらいお薦め
2006年10月06日
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雑誌の広告でスクリティポリティの新譜をよく見かける。週刊文春とアイデムのフリーペーパーに載っていた。ほかにもいろいろ掲載されているのだろう。ということで、本日、私は自分が手にしているCDが輸入盤であることを知った。そういわれてみれば、ライナーノーツや歌詞カードが入っていない、が、買った値段は2400円くらいした気がするのだ。高い外盤だ。国内盤の発売は9月27日だったのか。すでにミクシィにレビューを書いていたので、今、ちょっと覗いてみたら、一番乗りの私の後に3人がレビューを書いていた。なんとなく嬉しい。ラジオでガンガンかかってくれないかな。それにしても、グリーンはこの夏、サマーソニックに出演しているし、渋谷クワトロでライブもやった。国内盤が出るまでずいぶんと時間がかかったものだ。なにを躊躇しとんのじゃ、インペリアルレコードさんよ、って誰。近頃、上品でオシャレで女をくどく時のBGMがないとお嘆きの貴兄にお薦めしたい。夜のドライブにおいては結構効き目があると思う。80年代においてのフィル・コリンズの♪ワン、モア、ナイトと同じくらい効きますよ!打ち込みドラムとシンセベースがひっぱり、その上に繊細なグリーンの声やキーボードが地味に脇を固める。で、今回のアルバムのキモはギターサウンドだ。ラインアウトの音だけで録音したような、、ザラザラした軽い音にしてリードを弾く、といってもとても簡単なフレーズだが。寝る前にもいいかも。血圧を下げるのにも効果があるかもしれぬ。曲はキャッチーのようでキャッチーでなく、口ずさみたいが、すぐに曲を覚えられない。コード進行が複雑だからか。これがダメな人にはまったくダメなアルバム。そんな人は誰かにあげちゃいましょう。9月の下旬からウールを着るような、すでにブーツを履いているような、先をゆく人へ渡しましょ。別にあなたのセンスが悪いのではなくて、音楽はなにも無理して聴くものではない。大塚愛やBONIE.PINKでお口直しすればいいだけのこと。スルメアルバムだから、日持ちはいいと思う。
2006年10月05日
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こうしてウダウダ、本日も日記を書くわけだが。吉野屋にいった。13:30を回っていたが、行列があり、みな牛丼の大盛を注文している。店員の所作は徹底して合理的であり、トヨタ方式のごとく歩数まで精密だ。カウンターには消毒液のポンプが置かれていて、注文ごとにトレーとじぶんの手を消毒していた。吉野屋、恐るべし。思えば、米国産牛肉の輸入再開が決まって、社長は記者会見で泣いてしまった。感慨ひとしおというか、よくぞ、会社は耐えてきたというか。あの社長の涙を社員は見逃さず、この5日間の牛丼祭りにおいても、せっせと盛り付けるのである。逆境を乗り越えた吉野屋についてプロジェクトXみたいな番組、作ってくれないかな、NHKよ。
2006年10月02日
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じつはこの日記はうつ病の療養によくない。そんな気がしてきた。02年にうつ病を発症しダウンしたことがきっかけに始まったウェブダイアリ。当初は日記を書くことで自分と向き合い、よい効果となった。心を病んだ人たちと共に病気と戦ってきた。しかし、何度か再発し、今回のように重症となり退職するほどの状況となり、家族の環境も悪化して、行き詰まり、それを面々と書き記すうちに、この状況から打開できない泥沼のひとつとしてこの日記もあるんじゃないかと、そう思うようになってきた。骨身を削って書いていることは確かなのだが。大げさに言うと命がけで書いているところもある。読む人にとってはこんな文章が書けるなら、たいしたことではないんじゃないかと思われる気もする。自殺願望をうっちゃるために、こうして書き記す日記は、自分と向き合うという目的から、現実から逃避してネット社会にのみ生息する典型的なひきこもりの形態となった。これはいけないことではないかと思う。そろそろ、『人生楽陰核』も終了したほうがいいのではないか。少なくとも終了を目標とすることが病気を治すことになるではないか。ブログという媒体より興味を失うことが、治ったということではなかろうか。忙しい毎日を過ごしている人で、私の知り合いにブログを熱心に書いている人はいない。というか、インターネットによるコミュニケーションにあまり興味がない。それがありふれたライフスタイルではなかろうか。私の世代は働き盛りですから。ということで終了することを目標にしていこうと思う。しばらくはダラダラと駄文を書き連ねるのだろうが。
2006年10月01日
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