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ジャンヌ・ダルク:ニーナ・ラウチオ(S)シャルル7世:オレグ・クリコ(T)アグネサ:マリア・ガヴリーロフ(S)枢機卿:グレブ・ニコリスキー(B)リオネル:ウラジーミル・クルーチコフ(B)デュノア:ミハイル・クルーチコフ(B) ほかアレクサンドル・ラザレフ指揮ボリショイ交響楽団・合唱団(1993年6月ボリショイ劇場) レーザーディスク(LD)をご存知だろうか。DVD以前に映像媒体と言えばビデオテープとこれだった。もっともLDに録画することはできないが。CDが世に出て間もなく「絵の出るレコード」(30cmの円盤でLPと同じサイズだった)として発売された。しばらくVHDと競っていたが、CDと同じく非接触で劣化が無い、解像度が高いということでLDが世の中に広まった。普及したのは80年代後半だったと思う。 画面の美しさ、音も当初はアナログだったが新譜はCD並みの高音質で重宝した。特にオペラやマーラーなどの長時間なライブは楽しんだ。 その後、90年代後半にDVDが普及して、重くて収録時間が短いLDは廃れてしまった。ただ未だにDVD化していないソースもあり、LDプレーヤーを何とか復活させたいとは思っていた。が何十年ぶりに動かしてみるとトレイすら出て来ない。LDプレーヤーはすでに生産終了だし、困った。 最近友人よりLDプレーヤーを譲ってもらった。ありがたい。持っているソースをかけるとデジタル映像に比べれば解像度は低いものの十分な画質だし、デジタル出力からDACにつなげば音質だって何の問題ない。 廃れたLDソフトは中古屋でも格安だ。何しろプレーヤーの生産が終わっているのだから。1枚500円なんて中古CDより安いじゃないか。それで見応えあるオペラやコンサートが見ることが出来る。なんて素晴しい! 今回は新たに購入した1枚。これはDVDでも日本語字幕付きで出ている。 チャイコフスキーのオペラというと「エフゲニー・オネーギン」「スペードの女王」が有名だが、実際オペラ好きでもあんまり聞かないだろう。ロシアオペラならムソルグスキーやボロディン、リムスキー・コルサコフのほうが面白い。チャイコフスキーのオペラはロシア臭さよりはイタリアオペラに近い。だがよく聞くとやはりロシアっぽい(チャイコフスキー節というべきか)という中途半端な味わいなのだ。 この「オルレアンの少女」(ジャンヌダルクのこと)はグランドオペラを目指した作品。非常に劇的かつ迫力がある。今回のLDはチャイコフスキー没後100年を記念してボリショイ劇場が取り組んだ舞台。広い舞台に手の込んだ装置を存分に活かした豪華な演出は見ごたえ抜群。加えてラザレフの重厚かつ叙情性に溢れた音楽作り、歌手たちの奮闘ぶり(タイトルロールがちょっと硬いかな)はさすがお国ぶりを発揮している。 それにしても38歳のチャイコフスキーの自信作かつ初演でも大成功した作品なのに、今ではすっかり廃れてしまったのはあまりに惜しい。難しいことを言わなければとても楽しめるのに。歴史ドラマにジャンヌの恋がからんで、最期の火あぶりに至る筋書きはちょっと面白い。敵将に恋したジャンヌは神の声が聞こえなくなり、救国の少女が一転魔女扱いされてしまうのだ。ここにもチャイコフスキーのテーマである「許されぬ愛の苦悩」が形を変えて現れている。 滅多に演奏されないこういう作品を聴き観ることができるのも盤漁りの醍醐味というもの。同時に購入したプロコフィエフの「炎の天使」もサイケで良かった、と記しておく。【楽天ブックスならいつでも送料無料】チャイコフスキー 歌劇≪オルレアンの少女≫(ジャンヌ・ダルク)全曲 [ ザ・ボリショイ・オペラ ]LDだと2枚組だがDVDは1枚。こういうところはDVDはいいよねぇ。【楽天ブックスならいつでも送料無料】【輸入盤】『炎の天使』全曲 D.フリーマン演出、ゲルギエフ&マリインスキー歌劇場、ゴルチャコーワ、レイフェルクス、他(1993 ステレオ) [ プロコフィエフ(1891-1953) ]これは日本語字幕がないDVD。LDではマリンスキーシリーズで出てたんだけどねえ。
2015年01月10日
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曇った日々が続きますね。今年は野菜も米も日照不足や大雨や台風やらで収穫量が少ないらしい。これからそんな影響をじわじわ感じてくるのでしょうか。 さて、今日は久しぶりにマーラーの第9番を聴きました。暑い夏にマーラーは相当鬱陶しいので聴かないんですが、これだけ肌寒い日が続くと聴いてもいいかなと。手元に在る録音物から本日のチョイスはラトル=ウィーンフィル盤です。 この盤はラトルがウィーンの定期演奏会デビューした際(93年12月)のライブ録音です。このときラトルはヴァイオリンを対抗配置(第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に分かれる、昔の配置です)を要求したがオケ側が拒否(大人げない)、一時はラトルが演奏会をキャンセルするとまで言ったとか言わないとか。結局対抗配置で落ち着き、演奏会は大成功。以降、ラトルとはベートーヴェンの全集を作成するなど蜜月関係へと発展して行きます。 この演奏もしばらくぶりで、聴いてみると、しなやかな弦楽に甘ささえ感じる木管群、パワフルながら決してでしゃばらない金管群とウィーンフィル特有な美しい響きの上に、リズムの軽やかさ、テンポの切り替えのシャープさにラトルらしいきびきびした音楽運びがうまく乗っかって、重くなることのない美しいマーラーに仕上がっています。 ラトルはレコーディングデビュー時にマラ10をボーンマス響と録音しています。おそらく彼はマラ10の視点からマラ9を振っていると思います。所々に10番を予見させる響きを作り出しているからです。これは面白い解釈でした。 この後ラトルはベルリンフィルとこれ以上ないくらい精緻なマラ9をベルリンフィルと録音しています(07年10月)。演奏時間だけ見るとベルリンフィル盤のほうが若干長くなっていますが、実際聴いてみますとウィーンフィル盤のほうがゆったりした印象を持ちますから不思議です。 さて今回久しぶりにマラ9を聴いて、この先マーラーが長生きして交響曲を書き続けていったら、どんな曲を書いて行ったのだろうと空想を巡らしました。現在我々は第10交響曲を復元した形ですが耳にすることができます。従って9番と10番から未来の11番、12番を想像できるのではないでしょうか。 9番に時折聴かれる無調的な硬質な響きは10番になると多用されているように感じます。あのまま進めばシェーンベルクのような、あるいはベルクのような絶叫と混乱と狂気が混ざった響きになっていったのでしょうか。 マーラーは1911年に亡くなりましたから1914年に勃発した世界大戦を知りません。ヨーロッパ文明の最期の輝かしさ、栄光と繁栄を信じたまま亡くなった、幸せな知識人だったのです。 そう考えると10番に聴かれる不安定さは安定した根底(ヨーロッパ音楽の伝統)があるからこそできたのではないでしょうか。その根底が崩れ拠り所がなくなってしまう怖れからシェーンベルクは12音技法を新しく体系化したのですが、マーラーが長生きしていたらやはり同じように音楽システムを新しく作ろうとしたのでしょうか。 結局歴史にifはない、というようにマーラーは調性という伝統の音楽システムのなかでどこまで響きを拡大できるか、その限界点を提示したというのが歴史的使命だったのかもしれません。 ラトルはクラシックはもちろん現代音楽やジャズ、ロックなどを知り楽しんでいる現代の演奏家です。対するウィーンフィルも現代のオーケストラながらクラシックの伝統を継承する立場です。同じ現代を生きながら微妙に異なる立場や背景の差異を感じながら、この演奏は我々にある不思議を語っているように思います。 それは「それぞれの時代を生きる」ということです。マーラーの生きた時代、ウィーンフィルが生きてきた時代、ラトルが生きようとしている時代、それぞれがいまここで重なっている不思議。 これがクラシック音楽という昔の音楽を現代で聴く面白さだと思うのです。【楽天ブックスならいつでも送料無料】マーラー:交響曲 第9番 R.シュトラウス:メタモルフォーゼン [ サイモン・ラトル ]本日聴いた演奏です。ライブゆえか音像が小さいのが玉に傷。でもいい演奏です。【楽天ブックスならいつでも送料無料】【輸入盤】交響曲第9番 ラトル&ベルリン・フィル [ マーラー(1860-1911) ]参考までにベルリンフィルとのマラ9。精緻の極限までいった堂々たる演奏です。が、いまのこのコンビなら更なる高みを目指せると思います。
2014年08月31日
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1/5(土)13:00よりBS朝日で「サイトウキネンフェスティバル松本2012」よりダニエル・ハーディング指揮の模様が放送されていました。演目は、シューベルト交響曲第3番、R.シュトラウスのアルプス交響曲です。小澤さんによると、最後のタングルウッドで教えた二人のうちのひとりだそうです。もうひとりはクリスティアン・アメリンク(現在の新日フィルの監督)。ふたりは全く正反対な性格でアメリンクは真面目と言ってましたから、ハーディングは元気いっぱいのやんちゃ坊主だったのでしょう(笑)。シューベルトは古楽的アプローチというかまるでベートーヴェンみたいなアクセントの強い演奏。ところがアルプス交響曲は打って変わって、耽美的な演奏でした。この曲の「闇から始まって闇に帰る」鏡像構造を音量的にもテンポでも十分に表していました。特に気に入ったのは「日の出」と「日没」の美しさ、神々しさで、彼の耽美的なアプローチが最も成功していました。反面、登山途中の景観はもう少しゆとりのあるテンポでもよかったのでは。まあこれも曲の構造を示すためには仕方ないのかなあ。今回、管楽器のトップはほとんど外国人で、サイトウキネンオケをずっと聞いてきたファンとしてはいささかびっくりしました。当初の故斉藤秀雄先生を偲ぶという意図が薄らいできてはいないだろうか。このままでは「まつもとフェスティバルオーケストラ」(ルツェルンみたいな感じで)に発展的解散になっていくのかなあ。それにしてもホルンのバボラークのうまさはただ者ではありませんでしたね。今回のアプローチも彼なくしてはありえなかったでしょう。終わった後、ハーディングがそっと目尻を指で拭ったのが印象的でした。この演奏、CD化されないかな。(笑)Strauss, R. シュトラウス / アルプス交響曲、他 小澤征爾&ウィーン・フィル 【CD】小澤さんがウィーンフィルを振ったアルペン。猛烈な音響と分厚いオケ、けれどとても爽やかな後味。これが小澤=ウィーンフィルの味なんですねえ。これ以降このコンビでR.シュトラウスの録音が出てないのが残念です。
2013年01月09日
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すっかり秋ですねえ。朝晩のもう寒いくらいな気温に体調を崩さないようお気をつけください。 さて、最近シューマンにはまってます。今までシューマンはどうも苦手でした。気分がころころ変わるし、掴みどころがないし、何がロマンティックなのか、何が言いたいのかはっきりしてなくて、いらいらしっぱないでした。 昨年、高関さん指揮による「楽園とペリ」の演奏がきっかけになるかと思いましたが、まだまだ先は長い感じでした。交響曲は何度聞いても良いと思ったことがありませんでした。シューマンは自分には合わないのかと諦めていました。年始に聞いた若きメータのシューマンは勢いがあってよかったけど、まだシューマンが理解できたとは言い難い。 先月お茶の水の某中古CD屋でブッフビンダーのライブ盤を入手しました。お目当てはラヴェルのピアノ協奏曲。ブッフビンダーはドイツ人ピアニストでベートヴェンやブラームスなどドイツ作曲家の作品には定評がありますが、ラヴェルとは珍しいし面白そう。 2枚組で1枚目は協奏曲、2枚目はソロ。ラヴェルの協奏曲は思ったとおりきっちり真面目に弾いた好感の持てる演奏でした。ソロにはモーツァルトと並んでシューマンの交響的練習曲と幻想曲が収録してあります。 まあこのへんは適当に聞き流そうと本を読んでおりますと、突然、スピーカーから圧倒的な音の奔流が押し寄せてきて、それから10分ほど心を捉えて離しませんでした。何という心地良さでしょう、時に激情が迸り、時に慰めとも悲しみとも言えない複雑な感情が交錯します。憧れと苦しさが同居したような、これぞロマン的な音楽だと感じました。 この曲こそシューマンの幻想曲です。実はいままで何度も耳にしたはずで、所有CDにも収録されていますが、このように心を捉えるまでには至りませんでした。第2、第3楽章と続くうち、はっきりと自分の中の何かとシューマンが初めて共鳴できていることを感じました。 終曲が静かに終わるとあまりの素晴らしさに、しばらく部屋をうろうろしてしまいました。 試しにノヴェレッテン、ピアノソナタも聞き直しました。今まで何を聞いてたんだというくらい面白くどの瞬間も共感をもって聞けました。交響曲、協奏曲、いいじゃないですか!マーラーがシューマンから続く交響作家であることが初めて実感しました。マーラーもきっとシューマンに親近感をもっていたことでしょう。この感覚でまたマーラーを聴くと今までと違って聴こえるかもしれませんね。 クラシック音楽を聴き始めて30年あまり、それは突然、しかも劇的な出会いでした。このCDを手に取らなかったらずっとシューマンを苦手に感じ、ろくに知らないままだったかもしれません。(残念ながらこれは楽天には無いようです) こういう出会いがあるから音楽って堪らないんですよねえ。【送料無料】Schumann シューマン / ダヴィッド同盟舞曲集、幻想曲 内田光子 【SHM-CD】最近聞いた幻想曲のなかではダントツに素晴らしい、内田光子のシューマン。[CD] スヴャトスラフ・リヒテル(p)/ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第17番 テンペスト&シューマン: 幻想曲(HQCD)リヒテルのシューマンは昔から定評があります。未聴ですけど。【送料無料】ブッフビンダー/ザルツブルク音楽祭ライヴ2004 輸入盤 【CD】ブッフビンダー教授のライブ。シューマンの練習曲が収録されてます。
2011年10月02日
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のろのろ台風のおかげでじめじめした日が続いております。ぶ厚い雲が物凄い勢いで駆けていく様は結構迫力ありますね。ヴァルデマール王の進軍を感じます。 さて最近は複雑なオーケストレーションよりシンプルな編成のアンサンブルに惹かれます。昔はハイドンもモーツァルトも同じに聞こえてちっとも面白くありませんでしたが、今は楽しく聞いています。近年の古楽器演奏(あるいは奏法を取り入れた演奏)興隆によりハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンあたりも巨匠風の重厚巨大神格化された演奏からより刺激的で爽快痛快気持ちいい演奏に変わりつつあるようです。 このような演奏上の変化(というかブーム)は時代要請の反映、すなわち聞き手の好みの変化に他ありません。 古楽怪しからんとお嘆きのオールドタイプのファンもいらっしょるでしょう。 ベートーヴェンはかくあらねばならんとお怒りのファンもよくわかります。 しかしながら時代は常に動いています。古楽器を使った演奏は以前からありました。でもここまでブームになるのは何か理由がありそうです。 昨日聞いたハイドンの交響曲集はラトル指揮バーミンガム市響の旧盤です(94年録音)。溌剌としたリズム、推進力、機知というか仕掛けいっぱいのハイドンのいたづら心をいやみにならないぎりぎりで再現する手腕。この頃のラトルらしい、相変わらず楽しさ満載の演奏です。 はっきり言って食わず嫌いなハイドンでしたが、ラトルの演奏で開眼しました。ラトルも古楽奏法を勉強し、エイジ・オブ・エンラインメント管弦楽団ともたびたび演奏していました。この盤からも古楽奏法を巧みに取り入れながら、現代オケから過度に重くならない新鮮な響きを引き出しています。 古楽(器)演奏を「昔の音に忠実な演奏=作曲家の意図に沿った演奏」と勘違いしてる人もいるようですが、私は「新しい表現のパレットが増えた」ぐらいにしか感じてません。何がオーセンティックなのかは、人によって違いますし。 ただ古楽(器)演奏を通じて、クラシック音楽がかつての「重々しくて何やら難しげな音楽」から軽快で生き生きとした「今を生きる音楽」に変わっているとしたら、これこそがブームの理由なのではないかと思います。Haydn ハイドン / 交響曲第60番、第70番、第90番 ラトル&バーミンガム市交響楽団 【Hi Quality CD】楽しさ一杯のハイドン。食わず嫌いの方に是非。【送料無料】Haydn ハイドン / 交響曲第88~92番、他 ラトル&ベルリン・フィル(2CD) 輸入盤 【CD】すっかり現代の巨匠になってしまったラトル。ベルリンフィルも随分若返りました。未聴ですが、楽しさに変わりはないでしょう。
2011年09月03日
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新年というか年末年始をかけて、シューマンの交響曲全集を聞いてました。 メータ指揮ウィーンフィルの演奏です。(楽天には無いみたいですね。輸入盤で出てます) この頃のメータは飛ぶ鳥を落とす勢いで、カラヤンの次の帝王、などと呼ばれてました。私にとっても小澤さんと並んでアイドルのような存在でした。どの演奏もかっこいいし、爽快でした。 第1番、第4番:1976年6月録音 第2番 :1980年6月録音 第3番 :1981年3月録音 ちょうどアナログからデジタルに移行する時期であり、ロスフィルで黄金時代(62~78年)を築き上げ、ニューヨークフィルに栄転する(78~91年)頃でありました。 まさに絶頂期、乗りに乗ってる頃の勢いのある演奏です。シューマンのころころ変わる曲想にしなやかに反応しつつ、強引に音楽をクライマックスへと運んでいく、その辣腕ぶり。聴いてて心地よい。実際、シューマンをこれほど面白く聞いたことはなかったです。 ウィーンフィルもこの次世代の帝王に全力で応えています。メータはかつてウィーンで学び、ウィーンフィルにもダブルベースのパートに参加していたこともあったそうで、そういう意味では同じ仲間という意識もあるのでしょうね。 録音もアナログ期最後の素晴らしい完成度、デジタルの第3番も拡がり感のあるいい録音です。シューマンはちょっと、という方にお勧めします。
2011年01月02日
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今年の夏は猛暑で結構まいりましたが、秋もまた突然やってきましたね。9月半ばまでは暑さが続いて「もういいよ!」と思ってたら、突然涼しくなり(と言っても27度くらい)、カラダが対応できませんでした。それから一気に秋に向かいました。 いつもなら暑さが徐々に引けてヒグラシが鳴き始め、「ああ今年の夏はどうだったかなあ」と振り返り、またつまらぬ事に時間を取られたことに後悔しつつ、ゆく夏を惜しんでいたものです。今年は季節の変わり目がはっきりしていて、名残りを惜しむヒマさえなかったような。 せめて音楽で夏の名残りを惜しもうじゃないかとCD棚を見渡せば、やっぱりディーリアスかな?と。でもちょっと当たり前すぎて面白くない。 サウダージ国のブラジルなら、とヴィラ=ロボスを選択してみました。ギター曲、ブラジル風バッハ第2番、ショーロス第10番もそれなりだ。甘ったるいピアノ協奏曲、考えすぎの交響曲はいまひとつ。ピアノ小品曲はかわいらしい曲でこれはなかなかいい。 買ってきてまだ聴いてない中に宗教合唱曲集がありました。ヴィラ=ロボス研究家(?)の私でさえ知りませんでした。1930年代の曲はまるでグレゴリオ聖歌のような美しいハーモニー。まるで既存の教会音楽のようです。この清澄な響きはブラジル風バッハの作曲家と同一人物とは思われません。逆に言えば彼の独特の濃い~音楽になってないので、つまらない。 気に入ったのは「マニフィカト・アレルヤ」(メゾソプラノ独唱、混声合唱と管弦楽のための)でこれは最晩年の曲(1958年)です。透明なマニファイカトから始まって劇的な盛り上がりのアレルヤ(ひたすらアレルヤと歌ってます)へと至る、そのなかにショーロスに通じる独特の響きやメロディーが入っており、なかなか充実したいい曲です。最後の和音を強烈に長く引っ張る終わり方は、これぞヴィラ=ロボス!といった感じです。ここに至り彼の個性を色濃く反映したヴィラ=ロボスの宗教曲を書くことができたのでした。 私の夏も清冽な響きの合唱曲たちでようやく別れを告げることができたようです。さて実りの秋、おいしい物をたくさん食べるぞお(笑)。【送料無料】ヴィラ=ロボス (1887-1959) / ヴィラ・ロボス:...価格:2,825円(税込、送料込)このCDは知る人ぞ知る秘曲を掘り起こすレーベルhyperionから出ています。
2010年10月11日
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猛暑が続きますね。夜も熱帯夜で寝苦しくて堪りません。 先日都内の某音盤屋に入りました。昼間の移動時間に合間でした。日差しが強烈で汗が止まりません。冷房の効いた店内で生き返った気がしました。 店内にはシベリウス交響曲第2番がかかっていました。暑いから北欧の音楽で涼んでもらおうというお店の配慮でしょうか? 交響曲第2番はシベリウスの作品のなかでも超有名曲で、フィンランド人のロシア圧制への抵抗と勝利、解放というイメージで語られています。 と同時に忘れてならないのはシベリウスは20世紀の作曲家なんですね。この曲も1901年に完成されました。マーラーが交響曲第5番に着手、ラヴェルが「水の戯れ」を書いてフランス印象派の幕を開け、シェーンベルクは浄夜を書き上げたばかり、後期ロマン派から新しい音楽への胎動が聞こえ始めた時期でした。 交響曲第2番はシベリウスのイタリア旅行の印象が強いそうです。第2楽章のファゴットの重苦しい歌はドンファン伝説による「死の客の訪れへの幻想」、また金管がわーっと鳴り渡ったりするところなんかはブルックナーみたい。第3楽章は激烈なスケルツォですが、トリオ部分はのんびりとした田舎のイメージ。 シベリウスもまた民族主義から自己の表現への進化(深化?)に苦しんでいたのかもしれません。様々なイメージや要素を取り込みながら、ひとつに纏め上げる作業は産みの苦しみに似ていたかもしれません。 この曲が日本で人気があるのはこの、苦しみもがきつつ何かを掴むという、RPGやスポ根アニメにも似たストーリ性にあるのかもしれませんね。 推薦したいのはやはり若き日のラトル盤です。イギリス指揮者はシベリウスを得意としていますがラトルもしかり。指揮活動のごく初期にシベリウスの全集を作るほど、相性がいい。と同時に彼特有の現代的センスでシベリウスを再構築していて、近代作曲家としての新しさをも感じさせてくれます。このときラトルはまだ29歳です。天才は時に年齢を超えてしまうのです。実に堂々たるシベリウス、素晴らしい!シベリウス / 交響曲第2番、鶴のいる情景 ラトル&バーミンガム市交響...価格:1,500円(税込、送料別) ところで店内ではシベリウスの曲が遅いテンポで高らかにクライマックスを築いていました。その暑苦しい表現にお客さんもひとりまたひとりと帰っていきます。 どうせなら第3番とか第6番とかにしとけばよかったのに。
2010年08月01日
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じめじめした日が続きますなぁ。すっかり体調を崩してしまいました。このじめじめはオーディオにとっても楽器にとっても良くありません。昔ギターの先生に教わったのは「とにかく弾け」ということでした(笑)。弾くことで木の繊維を震わせ水分を追い出すとか。わかったようなわからないような説明でしたが、とにかくこの時期は弾くしかないんだなとばかりに練習してましたっけ。オーディオも同じで湿っぽい全く鳴らないんですが、とにかくスピーカーを鳴らすしかない。今日は風邪で休んだついでに、音楽聴きました。このじめじめ感を吹き飛ばすにはやはり大オーケストラでがつうんと行くしかないなと、マーラー交響曲第5番をチョイス。いつもなら小澤=BSO盤ですが、今日は友人お勧めのバルビローリ=ニューフィルハーモニー管盤で。サー・ジョン・バルビローリ(cond)/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団/価格:1,300円(税込、送料別)第1楽章は葬送行進曲の重い足取りで、第2楽章は何やら疾風怒濤、第3楽章は能天気さと無邪気さ、第4楽章でバルビーの甘い歌わせ方がハマり、第5楽章はもっと速くてもいいなと思っているうちに終わってしまった。第5番ってこんなに重苦しい、まるで心弾まない曲だったけ?何だかすっきりしない。頭の中で「これじゃない」と。そこでベートーヴェンの交響曲第2番。ここも小澤さんではなく、レイボヴィッツ=RPO盤。これは隠れ名盤です。最近チェスキーから全集が出ましたね。【送料無料】ベートーヴェン / 交響曲全集 レイボヴィッツ&ロイヤル価格:7,550円(税込、送料込)出だしのどどーんからいい感じ。重い響きながら爽やか。そして主部に入ってからの疾走感。音楽がどんどん前進していく。まるで「立ち止まっちゃだめだ。前へ進め」と叱咤されているようです。昔ならそれが鬱陶しくてたまらなかったでしょう。今はこのじめじめとどんよりとした気持ちを吹き飛ばし、どこまでもどこまでも空へ、遥かな高みへと僕らを導くベートーヴェンの気概が心地いい。まっすぐにしっかりしようと、気持ちがあらたまりました。ベートーヴェンがいまだに弾かれ聞かれている理由はこれなんだな。
2010年07月01日
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みなさんは年始一発目のCDは何を聞きましたか。私はブルックナーの交響曲第6番でした。ブルックナーのなかでもマイナーな曲です。何でか? 未聴CDの山の頭にあっただけです。 この山はすでに50枚以上あるんですが、私のペースからして順調に聞き進んだとしても、山がなくなる頃には春になってるでしょうね。その間も買い続けるでしょうから、山がなくなることはないのですが。(苦笑) さて、第6番はマイナーですが知る人ぞ知るといいますか、いい曲です。60分足らずの中にブルックナーの要素は詰まってますし、第1にメロディーが素敵。第2楽章はブルックナーの瞑想的な感じより「秘めた想い」「甘酸っぱい感傷」みたいな感じで、世俗的と言いますか、人間ブルックナーの個人的な溜息が聞こえてきそうです。 全体を通じてリズムがとても工夫されており、重厚長大でむっつりしたブルックナーが苦手な方は第4番「ロマンティック」より聴きやすいと思いますよ。【送料無料】ブルックナー / 交響曲第6番 ハイティンク&シュターツカペレ・ドレスデン 輸入盤 【CD】本日聞いたのがこれ。「何も足さない何も引かない」ハイティンクの指揮が作り出す自然体なブルックナー。ドレスデンの美しい響きにほれぼれ。
2010年01月03日
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すっかり涼しくなってきました。夏掛け布団では明け方などは寒いくらいです。 引越し先にはすっかりなじみました。駅前は割りと開けていて買い物に便利、マンションの周りは適度に田舎で静か、理想的ですね。日が当たらない部屋なのが玉に瑕ですが。。。ベランダに出ても目の前が団地で空が少ししか見えません。夕焼けが綺麗なはずなのに、ほんのわずかに見える空の色から想像するしかありません。 ホルストの「惑星」と言えばいまやすっかり有名曲ですが、1960年ぐらいまではボールトとストコフスキー盤ぐらいしかなく、イギリス音楽マニアに知られている程度でした。ブレイクのきっかけは1961年のカラヤン指揮ウィーンフィル盤。ぐいぐいと前に進んでいく火星から興奮度満点、神秘的で美しい海王星までひとつのオペラような演奏です。 これに続いて日本中が熱狂したのは1977年、冨田勲氏のシンセサイザーによる「惑星」でした。 冒頭のオルゴールによる「ジュピター」の旋律からロケット打ち上げの場面、そして「火星」の音楽へつながっていくともうすっかり音だけによるドラマの世界に入っていきます。ここでの「火星」は戦争の暗喩ではなくロケットで宇宙に旅立つ勇気と不安を描いています。 「金星」は無限の宇宙空間に木霊するローレライの歌か。ホルンの夢見るような旋律が女性のヴォカリーズに置き換わっています。そのはまり具合や良し。「水星」はぴょんぴょん跳ねる宇宙生物たちを想像させ、「木星」でいよいよ目的地に着陸、ノイズ交じりな母星との交信に距離感を感じさせるあたりの芸の細かさ。しかしここでトラブル発生(嫌な言葉だなぁ)! 気が付けば全てが凍りついた絶対零度の世界。「土星」が異次元空間を演出します。続くはずの「天王星」は「海王星」が徐々にオーバーラップして融合してしまいます。神秘の旋律を再びローレライが歌います。ロケットのパイロットが夢なのか死なのかわからない世界に誘われ、遠いかなたへと去っていく。 冒頭のオルゴールが再び聞こえてくるが、ゼンマイが切れて止まってしまうとき、我々は何ともいえない感動に襲われます。。。。 冨田盤は日本中で売れに売れたばかりかアメリカビルボードでも首位を勝ち得、「世界のトミタ」と称されるようになりました。私はちょうどクラシックを聞き始めた頃、友達の家で聞かされかっこよさとストーリーに感激した覚えがあります。ただそのときは原曲を知らなかったので、ずっと冨田さんの曲だと思っていました。 今年あらためてCDで聞いてあの頃以上に感動しました。 人の想像力の素晴らしさ。音楽が持つファンタジーの無限さ。 冨田さんは決してホルストの原曲からおいしいところだけ切り取った安易な編曲にしていません。むしろ原曲に対して敬意を払い、その魅力を彼の想像力をもって語っているんだと思います。私はそこに冨田さんの音楽への愛を感じてなりません。でなければ、世界がトミタを歓迎するはずがないじゃないですか。惑星/冨田勲[CD]トミタの作品第4弾にして超ベストセラー。今聞いてもすごいね。ホルスト:惑星 / カラヤンブームの火付け役、カラヤンVPO盤。絢爛豪華で劇的な演出。ウィーンフィルはうまい。ホルスト:組曲《惑星》/小澤征爾[CD]もちろんわれらが小澤さんも録音してますよ。発売当初の売り文句「ああ、なんとパワフルでビューティフルなのだ!」(笑)。当時はこんなコピーまでつけてたんです。今とは大違いだね。演奏はコピーどおり、素晴らしいバランス感覚で響きの美しさ(海王星の浮遊感がいい!)は今もってトップクラスでしょう。
2009年09月21日
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先月までの激忙しい日々がなくなり、なんだか心にぽっかり穴が開いたようです。何にもしたくないし、気力がわきません。周りが新年度で忙しそうにしているのに仕事がないというのは、落ちこぼれのような嫌な気分になりますね。 今日関東は桜満開、近所の雑木林にも桜が2、3本、みごとに咲いております。ベランダから見ているとそよそよと風に吹かれて枝がなびき、花びらがさっと散るさまは冬の終わりを告げ新しい命の誕生を寿ぐように見受けられます。 ラフマニノフの音楽は冬向きと思われがちですが、この交響曲第2番は長い冬の終わりと新しい季節の勝利と希望に満ち溢れているように思います。交響曲第1番の酷評により傷ついた心は精神科医ダーリによりピアノ協奏曲第2番という超名曲を生み出すまでに回復します。 それから6年後、彼は再び交響曲に取り組みます。この間、結婚とボリショイ劇場の指揮者という人生の成功を味わっていました。 長い冬の季節がうねるような第1楽章、まるで馬車かソリに乗っているような疾走感と晴れやかな歌の対比が見事な第2楽章。落ち込んでいる人の心にそっと寄り添うような、連綿たる歌がいつまでもいつまでも続く第3楽章、そして新しい季節の到来と確かな希望に満ち溢れた最終楽章。 1編の大小説を読むような、そして読み終えたあとの何ともいえない確かな手応え、充実した感動。ラフマニノフの作品は底が浅いと批判する向きがある。構造がばらばらで美しい歌ばかり、と。そうだろうか。美しい歌の何が悪い。聞き終えた後の充実感はどう説明する? ラトル盤は私にこの作品の魅力を初めて開眼させてくれました。この録音時、ラトル29歳。驚くべき才能です。演奏のベースとなっているのはプレヴィン盤であることは間違いない。そこにラトルらしい強調癖(例えば、再現部からコーダに渡るときにうんとテンポを落として過去を懐かしむような表情を作ったりとか)とリズムの切れを添加していきます。 この頃のラトルは歌い切ること、ダイナミックスを強調すること、畳み掛けるようなリズムで聴く者を追い込んでいくことが特徴でした。それが曲にはまったときは言葉を失うほど素晴らしかった。バーミンガム市響と来日した折の「巨人」は圧倒的でした。80年代の響きの美しさが演奏の基準だった頃に、この若者の表現は斬新でした。そして、いつの間にかベルリンフィルのシェフになっていましたね。 今改めてこの盤を聞いて、ぽっかりと空いた穴にいくらかの希望を取り戻したように思います。それは曲のせいでもあり、ありったけの才能をこの曲にぶつけた若者のせいでもあります。 希望を持つこと、前進していくこと。勇気もいるしエネルギーも必要です。フィナーレの最後に金管によるコラールが鳴り渡るとき、熱いものが心にこみ上げてきました。ほとんど疾走するように終わるラトルの演奏は人のエネルギーに限りがないことを教えてくれたように思います。 繰り返しますが、これが29歳の演奏なのです。若さとは時に年齢をも超えてしまうのでしょうか。うらやましい。。。サイモン・ラトル(cond)/ラフマニノフ 交響曲 第2番(CD)
2009年04月05日
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レスピーギ: 交響詩「ローマの祭り」、「ローマの松」 / リムスキー=コルサコフ: 組曲「金鶏」 / ロリン・マゼール(指揮)/クリーヴランド管弦楽団 いい天気につられて景気良い音楽を聴こうとレスピーギの「ローマの祭」をチョイス。 お気に入りはロリン・マゼール指揮のクリーブランド管弦楽団の旧盤。この盤はマゼールがいかに凄く、それに応えるオケの素晴らしいかを堪能できる。 昔LPで聞いたときの衝撃は忘れられない。あらゆる音が整然と鳴り、一瞬一瞬を快刀乱麻のごとくさばいていくマゼールの力量に圧倒された。 冒頭「チルチェンセス」の、歓喜と狂気が入り混じった観客の歓声とともに鉄の重い扉が開き猛獣とキリスト教徒が競技場に連れ出される様子、これから始まる残忍な見世物を描いた複雑なスコアを、冷静に見据え的確に音にしていく。曲の中ほどでキリスト教徒の祈りの音楽とローマ人の歓声が重なっている部分がきちんと分離されて聞こえる。決して激高することない鮮やかな処理だ。ゆえにこの部分の恐怖がじわじわと伝わってくる。 CDになって数々の演奏を聴いてきた。世評高いムーティは観客側の立場で興奮しているし、ガッティはまだまだ力量不足で力任せな感じだった。シノーポリに期待したが、慎重すぎたか、狂気には至っていない。小澤盤は猛り狂うオケをうまく整理して響きの純度高く、リズム処理も鮮やかだが、目の前に映像が写ってこない。これはこれでレスピーギのスコアの面白さを伝えているが、その先を望むとやはりマゼール盤には及ばない。 マゼール盤はアメリカのオケのはずなのに時々、昔のオケのようにポルタメントを使ってロマンチックになったりするのが面白い。例えば「十月祭」のセレナードは「ここはロマンチックですよ~」とマゼールが解説しているみたい。だが当のマゼールは極めて冷静にこの楽想を見つめている。 そして最後の「主顕祭」。祭り前夜の様子が描かれているこの曲では、「サルタレロのカデンツァ、小屋の手回しオルガンの節、物売りの呼び声、酩酊した人達の耳障りな歌声」(レスピーギの解説)が次々に聞かれる。ここでもまた鮮やかな音処理で複雑なスコアがばったばったと再現されていく。そして大詰めで聞かれるカンツオーネでの熱い歌もまた大オーケストラの響きの渦の中に溶け込みながら、興奮と熱狂のうちに終わるところも最後まで冷静さを保っている。この冷め具合が素晴らしい。普通できないでしょう。 マゼールの録音物はほとんどマゼール固有の音がする。彼は絶対音感の持ち主でスコアを小説を読むように読むことができる(らしい)。彼の録音は彼の頭の中で鳴っている音をそのまま再現したものなのだと思う。だから彼の録音はどこか箱の中に収められた感じがして、もどかしさもあり、嫌う人がいるのもわかる。が、彼の頭のなかでは全ての音が意味を持って鳴っているのがわかるし、そのイメージを音化できる指揮者としての力量はやはり凄いと言わざるを得ない。特に複雑な曲になればなるほど、彼の頭はコンピュータのように動き、音を自在に操っている様子に胸をすくような快感を覚える。 新録音も基本路線は変わっていないが、この旧盤で聞かれるような才気煥発さがなくなってしまったのが残念だ。マゼールがほんとに本気になったとき(あまりないんだけど)の凄みが伝わってくる、これはいい録音だと思う。 因みに、併録の「ローマの松」は普通すぎてつまんないです。(笑)
2009年03月10日
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いつも小澤のCDばかりなのでたまには違う演奏も。 ミヒャエル・ギーレンと言えば、古いファンなら現代音楽のスペシャリストで自身も作曲家という経歴からおっそろしいくらい情緒も演奏伝統も無視した指揮者だろうし、新しいファンはマーラーのスペシャリストで全集を完成させた巨匠と認識していることだろう。 本日聞いたブラームスは以前の録音(96年)の「ハイドンの主題による変奏曲」と最新録音(05年)の交響曲第2番を組み合わせたCDだ。ギーレンのブラームスならきっと斬新な解釈を聞かせるのか、いやいやマーラー全集あたりから見せ始めたロマンティックで濃い表現を活かした新境地を聞かせるのか。とにかく興味津々だった。 ところが交響曲はこれがギーレンの演奏?というくらい酷かった。期待が高かった分だけ「ひどい」と言わせてもらう。ブラ2の冒頭は「おっと分厚い響きでドイツの巨匠然としているなあ」と期待いっぱい。しかもヴァイオリンは両翼配置か?続くチェロによる第2主題も落ち着いた歌いっぷり。なかなかいいぞ。 ところが第2主題が終わって運動句というか、動きの速い部分に入ったあたりから弾き飛ばしが目立ち始める。録音データを何度も確かめました。ライブか?って。 うーん雑な仕事ぶりで、聴いてて集中できません。その後もはっとするような良い瞬間も多少あるのですが、何とな~く最終楽章に来てしまい、ここでも速いパッセージの弾き飛ばしが気になって仕方がありません。まあ細かい部分を気にせず、もっと大河のような音の流れをギーレンは聴いて欲しかったのかもしれませんが。 最後は音楽に対して何の思い入れもないかのような、あっさりとした終わり方で、紛れも無くギーレンでした。拍手がないのでライブ録音ではないみたい。 特徴的なのはやたらとティンパニーを強調しているところ。何やら怒りさえ感じます。特に最終楽章。でもこれはひょっとすると録音のせいかもしれません。 それに比べると「ハイドン~」は大変充実した良い演奏。交響曲に比べどちらかと言うとスクエアな響きですが、アンサンブルもきちんと整えられ、また各変奏での音色の変化やキャラの作り方、そして音楽が前進する力に溢れており、聴き終えて、端正だけど何かすがすがしささえ覚えました。 ギーレンはブラームスの交響曲を全曲録音しました。第2番は不出来なのか、それとも私の耳が疲れていたのか。他の録音も聞いてみたいと思います。(ちなみに以前出てた第4番はとんがってたけど妙に良かった)楽天のアフィリエイトにはないのでジャケ写真だけ。
2007年04月13日
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