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日本フリースクール大会基調講演(今年2/4,5)の抄録を読んでいて、最後のところの「オルタナティブ教育の必要性」を読んでいて、簡単なメモです。
93歳の太田堯(教育学者)さんが映画「かすかな光へ」への宣伝チラシにこう書かれていたようです。「エデュケーションを”教育”と訳したのは誤訳だったかも」と。
エデュケーションは栽培するという意味合いがあるそうです。植物を育てる時、植物自身が持っている力、生きる力とか育つ力を見極めて、それぞれの持っている能力を最大限に引き出すためにサポートする(水、日光、肥料等)が大事だと思われます。子どもにも同じことが言えるのではないか、そう喜多さんは語りかけています。
教育と誤訳したことが、未熟な子どもを枠にはめ、大人が教え育てるべきという固定的な子ども観が生まれ、流布し、それを土台にした学校教育が実践されてきた、そのような限界が学校現場や多くの子ども問題を生み出しているのではないか。
そんな抄訳を読みながら、実際は抄訳の抄訳であるが、今の学校教育を先入観で捉えている大多数の人々に、その意味が理解されているのだろうかと暗澹たる気持ちになりました。
橋下大阪市長等が掲げる教育観とはまったく異なりますし、今の教育界の論調とは大きく異なります。子どもをどう捉えるのか、私は、子どもは生まれてきた時から人間だと思ってきました。けれども世間は未熟な存在だから大人が施しやら教育で人間にしなければと考えているのです。
子どもをどう捉え、どのように考えるのか。実は既成概念に毒された社会にとって、重要な哲学的な課題なのです。私はずっと少数派で生きてきたけれど、自らの力で学び成長する存在として子どもを大事にしたいし、大人だって、老境に入って人々も同じだと思っています。人間は社会の中で存在し、成長する存在だと思っているのです。
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