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さらば八月の光。などと私はのんきなことを言っていられない。きょうの制作の夜の部を21時に開始。ただいま23時10分に終いにした。すぐにも寝たい気持だ。
Aug 31, 2022
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台風11号が沖縄に接近中だという。日本列島に沿って秋雨前線もあり、明日以降は全国的に荒れそうである。 さて、つまらぬ話だが、昨夜私はなかなか眠れず、午前3時過ぎまで本を読んでいた。じつは午前0時に就寝してそのままぐっすり1時間ほど眠ったのだ。そこで不意に目覚めて、なぜかしら「修羅」ということばが想いに浮かんだ。阿修羅の修羅、修羅場の修羅である。「争い事」とか「血なまぐさい戦闘」をさす言葉で、仏教から来ている。その言葉が想いにうかんだとき、或る情景も同時に浮かんでいた。まあ、それはともかく、私は数度、「修羅、修羅」と頭のなかでくりかえしていた。 そして、口ずさんだのは、俗謡(民謡)『金比羅船船』だった。芸者のお座敷遊び歌にもなっている。 金比羅船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ 廻れば 四国は 讃州 那珂の郡(なかのごおり) 象頭山(ぞうずさん) 金比羅大権現 一度廻れば 象頭山は香川県西方に位置し、北嶺を善通寺市、南嶺を三豊市が占め、丸亀城趾あたりから臨むと右側に長い鼻をのばした象の姿に似ている。金毘羅大権現信仰との関わりからは、インド中部の西方のブラフマヨーニ山がやはり象の姿に似ていてガヤーシールシャ(象弾山)と呼ばれてい、釈迦が説法をした聖地といわれ、またバイシャジャグル(薬師如来)の眷属である十二神将の筆頭クンビーラ(宮毘羅)すなわち金毘羅大権現が鎮座した聖地とも言われる。このガヤーシールシャ(象弾山)が、香川県西方のかつて松尾山と呼ばれていた独立峰の山容と似ているため、象頭山と呼ばれるようになり、元亀4年(1573))に金毘羅大権現が鎮座した。 さて、民謡『金比羅船船』は、金毘羅大権現が海上交通の守護神であり、その信仰にもとづく廻船を歌っている。そして「シュラシュシュシュ」という歌詞文言について、追い風を帆に受けた船が波の上を滑るように進むさまを表現している、と説明されているようだ。この説明が定説であるかどうかは、私は寡聞にして知らない。 じつは、今こうして私が書き始めたのは、昨夜、不意に目覚めて、「修羅」という仏教語を思い浮べた。その言葉から連想するように(と言ってもほとんど無意識のように)『金比羅船々・・・シュラシュシュシュ』と口ずさんだ。そして、このカタカナ表記が、私の頭のなかでは「修羅 竪(しゅ)竪(しゅ)竪(しゅ)」だったのである。 「竪(しゅ)」とは、やはり仏教語であるが、細く感情的に発する声のことである。つまり私は、「修羅の心、瞋恚(しんい)の焰を、細い息のような声で吐き出している」という意味で、この歌を口ずさんでいたのだ。 私のまったくの勘違いだろうか? 宮毘羅(金毘羅、または金比羅)は薬師如来の眷属であるから仏教信仰である。香川県の象頭山が古くは松尾山と呼ばれたことは上述したが、真言宗松尾寺を開山し、その堂宇の一つに神仏習合で金毘羅大権現を祀った。つまり仏教の金毘羅に神道の大権現という尊称を付与して、金毘羅大権現となった。しかし、明治時代の廃仏毀釈により金毘羅大権現は排され、大物主神を主祭神としたのが現在の神道の金刀比羅宮(ことひらぐう)である。 したがって、・・・いささかならず我田引水であるが・・・民謡『金比羅船船』には、海上交通守護神としての金比羅さん信仰のなかに、仏教のかけらが揺影しているのではあるまいか、というのが私の考えである。十二神将筆頭のクンビーラとして薬師如来を守護して人間界の「修羅(シュラ)竪(シュ)竪(シュ)竪(シュ)」を諌め、金比羅さんとして海上交通を守護している。 『金比羅船船』が芸者と華客酔客によって際限もなく繰り返し遊び歌われる。その情景が人間界の修羅の輪廻に重なる。・・・いや、これは私の心のつぶやきである。 そんなことが眠れぬ頭に浮かんできたのである。しかし、本を読み出すとたちまち忘れ、結局午前3時過ぎまでにその本を読み切ってしまったのだった。
Aug 30, 2022
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過去に海外で出版された私山田維史の作品等に言及した書籍のなかから4冊を紹介。 "PEACE, a Dream Unfolding" Penny Kome, Patrich Cream Laster & Orpen Dennys, 1986 ISBN 0886191505, 9780886191504 山田維史については254ページに。 "Illustration ; A Visual History" Steven Haller, Seymour Chwast Harry N. Abrans, 2008 ISBN 0810972840, 9780810972841 山田維史については219ページに。 "Panorama" magazine, issues 1216-1219 Arnoldo Mondadori, 1989, Italy 山田維史については33ページおよび34ページに。 【註】”Panorama" は社主・編集人アーノルド・モンダドリのミラノを本拠地とするイタリア最大の出版社が発行する雑誌。創刊は1939年であるが、翌1940年、アダ・プロスペロによる翻訳記事が 原因で"ファシスト法" によって終刊に追い込まれた。1962年に、アーノルド・モンダドリがアメリカン・タイム社と共同で再刊した。最初は隔週刊行誌として踏み出した。現在、同社の財政はFinivestが管理している。Finivestは、2011年までイタリア首相だったシルヴィオ・ベルルスコニの一族の持ち株会社である。アメリカのタイム=ライフ社も”Panorama" 誌のオーナーであったが、近年、同誌の販売実数の落ち込みが原因で、同誌から離れた。 "African, Asian, and Middle Eastern Artists: Signatures and Monograms from 1800 (to 2008): a Directory" John Castagno Scarecrow Press, 2009 Original from the University of Michigan ISBN 081086357X, 9780810863576 【註】本書は世界中の画廊、美術館、図書館、美術品コレクターのための標準資料として、アーチストの存在証明(確認)のためのアーチストの自筆署名(サイン)および頭文字等の組合せ文字あるいはアーチストが署名のかわりにしているシンボルの影像を収録している。収録アーチストは1800年から現代までおよぶ。全8部門全12巻の一冊。部門は,オールド・マスターズ 1400年ー1800年 第1-2巻アメリカン 1800年ー現代 第1-3巻ヨーロピアン 1800年ー現代 第1-2巻オーストラリアン、ブリティッシュ、アイリッシュ 1800年ー現代アフリカン、アジアン、ミドル・イースタン 1800年―現代ジュウイッシュ 1800年ー現代ラテン 1800年ー現代アブストラクト 1800年ー現代
Aug 29, 2022
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秋めくと思へばそぞろ揺れる影 青穹(山田維史) 秋めいて想へば見ゆる捨小舟(すておぶね) 秋めいて我十界の何処かな 秋めいてさてもさてもの日暮哉 秋めくと思いながらの絵筆かな
Aug 28, 2022
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残暑はまだ厳しい。午後2時過ぎにちょっと外出したが、そのときの気温は33℃だった。 しかし、昨夜、初めて鈴虫の鳴き音を聴いた。秋の到来を告げる先兵がそちこちに潜んでいるのだ。 やはり昨日の昼間、小庭の雑草のかげからヒメアカタテハが一羽舞いたった。私が自転車を少し移動したので驚いたのだろう。日本で成虫越冬したこの蝶は6月頃に第一羽化するが数は少ない。9月になると数を増す。我家の小庭にいたのはその9月羽化のはしりであろう。やや小型だった。この蝶の食草は菊科植物である。ハハコグサ(正式和名ホオコグサ)、アザミ、ヤグルマギク、ゴボウ、ヨモギなどだ。幼虫は雑食で、大豆畑でもみかける。我が小庭には菊科植物はない。 小庭で産卵し、孵化していたと思えるのがクロアゲハで、おそらく土佐文旦の木があるからだろう。クロアゲハの幼虫はミカンの類を好む。しかし今年はこの蝶を見なかった。キアゲハはいたのだが、クロアゲハは一度もあらわれなかった。 土佐文旦の木は生命力が強く、新芽が出るとその年のうちに1メートルにもなる。たった一本の木がたちまち鬱蒼となる。実が手もとどかない高い枝になる。収穫して食べるわけではないので、まったく放ってあるが、昨年、いつもよより思い切った剪定をした。 このバッサバッサとやった剪定が、あるいはクロアゲハの産卵場所を破壊してしまったのかもしれない。そうだとしたら、可哀想なことをした。私にとっても残念である。またいつか戻ってきてくれるとよいのだが・・・ さてさて秋の虫、秋の蝶について書き、急いで日記としたが、間もなく20時になる。これから作品制作に戻る。 22時40分、今日の制作終了。
Aug 27, 2022
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新調した眼鏡ができ、受取に電車で行ってきた。ついでに作品仕上げに必要なこまごました物を買うために、途中下車して2軒の店に行く。どちらの店も、私が必要とする品の在庫が一つだけ。なんと間が良いこと。とにかく作品出荷日まであまり余裕がない。作品の最終仕上げに必要な物品の入荷を待っている時間はなかった。私が使ったことがない言葉だが、「ラッキー!」である。 帰宅して玄関に入ったとたんに激しく雨が降り出した。なんとまぁ! これも、「ラッキー!」である。雨はたちまち止んだが、中央区のあたりは豪雨だったようだ。 ところで世界各地が歴史的とも言える異常気象だ。大旱魃の地もあれば、大洪水の地もある。そんな異常が世界の各地にほとんど同時に多発している。数えあげると、実のところ切りがないほどだ。(時間に少し余裕ができたら書き上げてみよう)
Aug 26, 2022
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故安倍晋三氏の国葬挙行について問題視されている。当然である。国税によって国葬とすべき法的根拠が無いからだ。しかしそれを国会で審議すること無く政府がほぼ独断決定した。さらに問題なのは、教育委員会が学校に対して半旗(弔旗)掲揚を促している。 その教育委員会の通達を私は以下に問題視する。 いったいに教育委員会は、ろくでもないことにはまことに一生懸命である。頭の程度が低いというよりも、組織の精神的機軸に狂気体質があるのではないかと私は常々疑っている。 空虚なシンボルに対する拝跪志向は、もっとも著しく様々な教育現場で目撃する。これは精神分析的あるいは心理学的に分析すると、自らを(すなわち教育委員会自身)をシンボルに同一化することによって、大きな権力を自らに付与することができるという極めて危険な幻想である。 そのような精神や心理が目的するのは、真の意味の、つまりあらゆる人間に通用する「教育」ではない。時の国家体制におもねる、いわば御都合主義な教育である。「教育」が、人間探究学から離れて、時の権力体制に従順な人間を育成するという意味になっている。まあ、それも教育ではある。日本の教育委員会の学校教育課が担って来たのはそれである。 英語の「educate (教育する)」の語源はラテン語の educere であるが、このラテン語はさらに e-ducere に分解される。e + ducere だ。そして e=ex=out, ducere=lead, またはdraw である。すなわち英語の educate の意味は、「人間が本来持つ能力を人間から引き出す」ということである。 しかしながら日本語の「教育」という言葉で示されて来た実質は、むしろ「従順性を植え付ける」という意味を強くして用いられて来たようだ。たとえば「小作人教育」「小僧教育」「平民教育」「軍隊教育」「婦女子教育」等々。さらにスポー等における暴力的教育や、学校教師による体罰による教育。この体罰についてはかつて文部科学大臣が容認するような表現で公言した。 そのようなことは日本の教育においてばかりではない。諸外国でも行われて来た。19世紀イギリスでは特に貴族階級の学校では教師や上級生による鞭打ちが頻繁におこなわれていた。また同じくイギリスの18世紀に関する文献を読んでいると、孤児院における教育を「farm」という言葉を使っているのに出くわす。farm は耕作とか動物飼育を意味する言葉だが、教育と飼育が同じ実体として考えられているのである。 また、ナチス政権下のドイツ軍では、なにかというと兵士を全裸にして尻を鞭打ちした。その光景は写真に残っている。映画監督ヴィスコンティは、ナチスを称して「尻と鞭と血」と言っていた。日本の旧海軍でも同様なことが行われていた。「けつバット」という言葉が今に残っている。人間を兵器にするために集団ロボット化しなければならず、「教育」という名で「個人」という人格と人権を剥奪したのである。 他国のことはともかくとして、要するに被虐/嗜虐的な支配構造の形成が、ほとんどその自覚無しに行われてきた。それが日本語の「教育」の中身に確実に存在した。そのような教育を、いわゆる「臣民教育」を引き継ぐような流れで促して来た、とも言えるのが教育委員会であり、その上にある文部科学省の学校教育課である。 大正11年(1922)に雑誌『少女号』に掲載された清水かつら作詞・弘田龍太郎作曲『雀の学校』という童謡は、誰もが知っていよう。 「チイチイパッパ チイパッパ 雀の学校の先生は 鞭を振り振り チイパッパ 生徒の雀は輪になって お口を揃えて チイパッパ まだまだいけない チイパッパ も一度一緒に チイパッパ チイチイパッパ チイパッパ」 この一見無邪気な童謡だが、教育に関する文化遺産を考察するうえで、歌詞の解釈と歴史的背景について議論されてきた。それは作詞者・作曲者の思いには無かったことかもしれない。しかし、「歌は世につれ、世は歌につれ」というのは真実である。歌の力のすばらしさでもあるが、歌が(絵も小説も同様に)罪つくりもするのである。 私は今日のこの日記ではあえてその問題にふれないが、『雀の学校』が議論されなければならなかったについては、私が上述指摘したことがらが、少なからず・・・いや、おおいに関係しているのである。あらためて言うと、日本における「教育」とは如何なることを指しているかという問題である。『雀の学校』の初出が、『少女号』という幼年女性のための雑誌であった点も注意しなければならない。 私の言っていることは極端であると思う人もいるであろう。しかし、このたびの安倍晋三氏国葬において教育委員会が学校に対して半旗(弔旗)掲揚を促す通達をしたことは、まさに私が述べたことの証拠である。解釈は各学校の判断にまかせるというような、きわめてずる賢い弁明をしているが、各学校がこの通達から逃れられないことを・・・つまり教員に対して睨みを効かしているぞと強迫めかして・・・弁明しているのだ。教育委員会の常套的方策である。 安倍晋三という人物が、国民の総意をもって葬送するに値するかどうか。こたえは「否」である。元首相であるけれど、・・・いや、首相という日本の政治の頂点にありながら、きわめて多くの暗い疑惑をまとっていた。追悼は個々人でするのが最もふさわしい。この人物の国葬を企画する人がいるとおり、傑物と思う人も少なくはあるまい。本心から涙滂沱して悼んでいるのかどうか。日本の政治は、ほとんど個人的な慾のかけひきだ。それをあたかも国家の利害であるかのように装っている。個人的な慾など私の知ったことではない。
Aug 25, 2022
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市から依頼があった高齢者訪問調査32件をすべて終了し、報告書を市に提出した。 私が11月に退任するまで残り3ヶ月と1週間、おそらくこの訪問調査が最後の大仕事になろう。その余の大仕事は後任者との引継。もちろんそれまでの間にも住民からの個々の相談事への対応はつづく。昨日も相談者のために関係機関との調整にでかけてきた。しかし、ここにきて何となく肩の荷がおりたような気がする。 さて、私は画家に戻って、展覧会出品作品の最終仕上げに、急いで取りかからなければならない。最も気が抜けない作業だ。そのための注文しておいた資材が届いた。まだ荷解きしていないが、注文どおりの品であろう。 さて、もう一つ。 ウクライナへのロシア軍事侵攻がはじまって今日でちょうど半年になる。この国家侵略という犯罪が終焉するきざしは見えていない。私は「犯罪」という。主権国家に侵攻し、政治的もへったくれもありはしない。破壊と殺人と盗みと虐待のかぎりをつくし、嘘をばらまき、ロシア自国民をさへ人間に対する償いきれない罪人にしたててしまった。その意味で、侵攻国は決して勝者にはなりえない。そうかといって敗者という「称号」さへ胸に吊るすことはないだろう。なぜなら敗者ではなく人類の犯罪者だからだ。 我々日本国民は、実のところ、そのような事情を自らの過去を踏まえて充分過ぎるほど知っている。知っているはずだ。知っていなければならない。 ウクライナ国民の痛みを我々日本人は政治的議論に埋没させてはならないはずだ。
Aug 24, 2022
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先日新しく眼鏡を造るべく眼鏡屋に行ったとき、壊れてしまった名工が造った眼鏡縁を持参した。眼鏡屋はそれを手にとって見て、弦が折れているので修理は無理だと言った。私も直るとは思っていなかった。 しかし、帰宅してから、どうしても捨てる気にはならなかった。職人が精魂込めて造ったものだ。私はあれこれ思案して、どうせ使い物にならないなら、私の手で加工してみる気になった。私の絵画作品制作のために身につけた加工技術を用いてみよう、と。 折れた基部の微小金属をはずした。そして、その金属が埋め込まれていた穴を彫刻刀で整形した。精密計量器をもちだし、樹脂を計量。フィギュア・モデルを成型すると同じように、ただし極微量の樹脂でよかったので細密筆の先で0.02gほどを整形した穴に注ぎ、微小金具を埋め込んだ。微妙な角度を調整。レンズははずせなかったので、傷がつかないようにタオルハンカチの上に、眼鏡縁全体を固定した。もしも動いてしまいそこで樹脂が硬化してしまうと、とりかえしがつかない。24時間は触れられない。そのため、静置しておく場所を最初からきめておき、そこで作業をした。一か八か、まったくの賭けである。 ・・・そして24時間が経過した。 どうなった? おそるおそる触れてみた。なんと、成功だ。壊れた眼鏡縁は、直ったのだ! いま、この日記を、その直った眼鏡を掛けて書いている。 新調した眼鏡は、まだできあがらないが、それはそれで良い。すでにレンズの度数を変えなければならなかったのだから。 さて、きょうは朝一番で、包括支援センターと話し合うことが一件あり、その後はほぼ一日中忙しさに追われていた。昼前には2時間ばかり高幡不動に出掛けなければならなかった。帰宅して昼食を摂り、その後は市からの依頼の高齢者訪問11件。
Aug 22, 2022
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午後7時30分、遠くから打ち上げ花火の破裂音がしはじめた。浅川辺で打ち上げているのだろう。わずか15分ばかりでおしまいになった。上がった花火も10発ほど。どこかの町内会か商店会の主催であろう。音だけ聞くとわびしいような「花火大会」だが、それもよい。夏終いの感がある。 近所の叢や庭から聞えてくる耳鳴りのような虫の音も、もう秋の虫たちの声である。夏の盛りの虫の声とは確実にことなる。ああ、雨が降り出した。虫の音が湿っている。 音たかくただそれのみや遠花火 青穹(山田維史) 浅川の水面に消える夏終い
Aug 20, 2022
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午前中、眼鏡屋へ行く。開店前に到着し、店の前で20分ばかり開店を待った。しかしそれで第一番の客となり、結局、検眼等をふくめて私独りで2時間も検査士を独占してしまった。 以前に造ったときのレンズの処方箋を持参したが、もう今の私の視力には合わなくなっていた。私自身が日常的に気付いていたことで、検査士の指摘に驚きはしない。ただ、目が命と思っている絵描きのはしくれとしては、いろいろこまかい注文を出す。ぴたりと合う眼鏡がつくれないことは分かっていても、ああでもないこうでもないと言う。検査士はにこにこ笑いながら良くつきあってくれた。 もっとも、しまいには少しネをあげたようで、私の目はもはやレンズで調整できる問題ではない、と言った。つまり私の、・・・生まれながらかどうかは分からないが、・・・目の生理的特性、ということだ。はははは、そうかもしれない。 ところで私はいま77歳になるまでに、いったい幾つ眼鏡を造り直して来ただろう? これまでまったく考えたこともなかったが、帰りの電車のなかでふと思った。一番最初は中学1年生のとき。13歳だ。会津若松の神明通りの突き当たりにあった川俣眼鏡店でつくった。 母がこのために会津若松にやって来てつきそってくれた。眼鏡はすぐにできあがったように憶えている。そして、この日はたしか会津白虎隊祭りだった。できたばかりの眼鏡を掛けて、神明通りのなかほどで、山車行列を見ていた。山車にはそのころ人気があった「新諸国物語 笛吹童子」の高丸菊丸に扮した花ノ本寿氏が乗っていた。 (ついでに。私は、ずいぶん後年になって、花ノ本寿氏の現在の映像を思いがけないところで観た。染織家・久保田一竹氏のアトリエに能楽師の梅若猶彦氏と共におじゃましたとき、一竹氏がプロデュースしたショーのヴィデオを見せてくださった。そのショーに花ノ本寿氏が主演していたのだ。) そして、その最初の眼鏡は、やはり中学生の1年か2年のとき、路地でキャッチボールをしていて、相手が投げたボールが私の右目の眼鏡に当たった。もちろんレンズが割れて壊れた。不思議なことに怪我をしなかった。しかし、それ以来、球技がまったくできなくなった。 これと同じようなことが、もう一度あった。1992年だったと思う。愛猫の天才クロが重病になった。一時入院したが、しばらくして通院するようになった。ケイジに入れて自転車の荷台にくくりつけて私が病院通いをした。或る日、私の気持が何か急いていたのかもしれない、病院に到着して荷台のゴム紐をはずしたとき、紐の先のフックがゴムの弾性ではねかえり私の右目を直撃した。レンズはこなごなに砕け、破片が目の周辺に刺さった。医師がすぐに手術室のライトを点けて診てくれた。もちろん動物専門医である。一応、突き刺さった破片は取り除いてから、すぐに眼科へ行くようにと言った。 ・・・このときまでに、眼鏡はすでに何回も造り直して来ていた。 そして、近年になって、またもや同じことをやらかした。 民生委員合唱団の一員として、その日はコンサートに出演することになっていた。日曜日だった。コンサートホール以外の施設は休みで、ドアは一部開いていたが灯りは消されて真っ暗だった。 私はユニホームに着替える前に、トイレに行った。ホールのトイレは混雑していたので、勝手知った施設のトイレを使おうと、暗がりの中を向かった。 トイレの灯りは人感センサーだったので問題なかったのだが、トイレを出たとたんに真っ暗になってしまい、一瞬方向感覚が混乱した。一歩踏み出したとたんに、顔ごとガッツンとレンガ壁にぶつかったのである。 眼鏡のレンズは割れなかった。ああよかったと、顔は傷ができているようだが、なんとかステージには上がれそうだった。ホールで鏡を見ると、身体の向きを加減すれば客席からは傷は見えないであろうと思った。歌は、うまくいった。歌いはじめれば痛みは忘れた。 帰宅して眼鏡をよくみると、あわやのところで右のレンズが落ちそうになっていた。壁にガッツンと鼻をぶつけたので眼鏡の鼻パッドに力がかかり縁を破壊していた。 ・・・こうやって今日にいたるまでの眼鏡の来歴を思い起こしてみると、私の場合、視力が落ちたので眼鏡を新調したのではなく、私のおっちょこちょいが禍いしての結果だ。もうはっきりは憶えていないが、結局、13歳から77歳までの間に8回造り直している。その年月を均等割りできないが、平均すると8年に一度だ。・・・どうなのだろう? 8年毎だとすると、まあ、適当なような気がしないでもない。ははは、自分で自分を慰めているようだが。
Aug 19, 2022
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あっちゃっちゃ! やっちゃった! 鯖江市の名工が手作りした眼鏡縁を壊してしまった。大ショック! なぜ壊してしまったかは、あまりに恥ずかしいので言わない。署名が刻まれたすばらしい眼鏡縁だ。この名工の造った眼鏡縁はセカンドハンドユーズドが市場で取引されるほどで、一見何のへんてつもないのだが、そこに気品がある。 高価なことはともかくとして、眼鏡無しでは何もできない私である。それもショック。・・・今、この日記、古い眼鏡を取り出して掛け、書いている。もちろんレンズの度数は現在の私の視力に合わない。不便このうえないが、新調するまでは仕方がない。作品も制作しなければならない。期限まで一ヶ月。それなのに。あーあッ、である。
Aug 18, 2022
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雨はれて障子戸明る盆の月 青穹(山田維史) いま此処に生死廻りて盆の月 短世やあゝ短世の踊かな
Aug 17, 2022
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愛用の自転車がパンクしてしまった。原因は判らないが、修理してもらうために自転車屋に電話した。店主が応対して、じつはお盆休みだ、と言う。休みでは仕方ない。休みが明けたら修理してもらうことにした。 もう27年の昔、多摩川堤のサイクリング・ロードを走っているときだった。・・・当時、私は世田谷に住んでいたのだが、登戸のあたりからサイクリング・ロードに入り日野市石田神社までの間を往復していた。およそ35キロになる。建設省が河口からの距離をロード沿いに表示してある。長年閉じこもって仕事に明け暮れる生活だったので、50歳になったときに老年に向けての準備としてサイクリングを始めたのだ。時には石田より足(?)をのばして国立まで走ることもあった。距離は50キロになる。 ・・・さて、そんなふうに自転車で走っていた真夏のこと。その日はことのほかの猛暑で、舗装されたサイクリング・ロードはヒート・アップして焼けるようだった。突然、バン! と爆発音がして自転車がパンクした。ハンドルをきりそこなって、私は自転車ごとほとんど放り出されたように倒れた。さいわい怪我はしなかったが、自宅まで帰るのに「どうすんべぇ」と、その長い距離を想い、途方にくれた。 長距離走行を思って、タイヤに空気をパンパンに入れて家を出たのだった。それが禍いした。タイヤに釘やガラス片が刺さった場合なら「プシューッ」という具合に空気が抜けてゆく。爆発はしないだろう。しかし焼け付くような路面でタイヤの空気が膨張したのである。 私は、パンクした自転車を押して、気絶しそうなくらい長い距離を帰って来た。 ははは、きょうは、そんなこともあったねと・・・中島みゆきさんの歌の一節とともに思い出した。
Aug 16, 2022
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77年目の第二次大戦終戦記念日山田維史『死せる230万人の兵士のために』1991年作
Aug 15, 2022
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台風8号が通過した地方の被害状況はいかがであろう。我家のある山の上は、昨夜、激しい雨だった。遠くで消防車のサイレンが鳴っていた。私の耳には2箇所から。はたしてそれが直接的に台風災害のための出動だったかどうかは判らなかった。近年の台風で市内を縦断している河川が増水し、人的被害はなかったものの、交通の要のひとつとなっている橋が崩落した。消防車の遠いサイレンの音を聴きながら、そんな事件が想いに過った。 災難に遭われた人々には慰めの言葉もないが、我家の近所は大事はおこらずにすんだ。 一夜明けて、再び猛烈な暑さがぶり返した。昼過ぎの気温は32.5℃まで上昇した。それが一旦わずかに下がった。ところが午後4時頃になって再び上昇し、本日の最高気温を記録した。33℃である。我家の温度計は、まさか壊れてはいないだろうが、現在午後8時を過ぎても33℃のままである。 私は昼食前に、市から依頼があった高齢者を訪問するために外出した。1時間ほどの外出だったが、あまりの暑さに頭痛がしてきた。キャップをかぶっていたのだが、役にたたない。これはいけないと思い、急いで帰宅し、頭を水で冷やした。 この暑さはまだしばらくつづくのであろう。 話は変わる。 俳優の仲代達矢氏が8月12日に日本記者クラブで会見されたヴィデオを観た。俳優生活70年、御年90歳である。 すばらしいですねー、その口跡、お顔の様子、矍鑠としておられた。とても90歳とは思えない。 いや、そうじゃない、私が思ったのは、90歳という年齢を一括りに「老い」と言うことはできないのだということ。たぶんそのことは、「人それぞれ」というのとも違いそうだ。 仲代さんは「生涯現役」という表現をされたのではないが、引退するまで役者でありつづけるという意味のことを言われた。90歳のお方が、「引退」ということが念頭にないらしい。念頭にないわけでもなかろうが、引退の前に一から芝居を演じなおす、毎日毎日、一からやりなおす。そのたびに引退は先送りにされている。どうもそのように言われているように私は感じた。 ここに私の先生がいらした。 仲代さんは、記者会見のひとくぎりのところで、ご自身の戦時中の体験から、「私は死ぬまで戦争反対を言い続けます」と言われた。 仲代さんと私とは13歳違い。仲代さんが9歳のときに開戦し、13歳のときに終戦となった。私はその年に生まれた。終戦のちょうど3ヶ月前である。 私が生まれたその日、すなわち昭和20年(1945) 5月14日、何があったか? 米軍による名古屋市北部への絨毯爆撃があった。これは名古屋市が焼夷弾爆撃された最大のものである。名古屋城はこのときに炎上した。 詳しく述べる。 サイパンの米軍爆撃機基地を飛び立ったB29爆撃機は、その数486機だった。名古屋市に投下された全投弾量2,563トン、市の北部80%が焼失。死者324人、傷者624人、全焼23,394、半焼174、罹災者64,873人。 (米側記録および中日新聞同日19時集計記録をもとにした大岡昇平著『ながい旅』に依る;新潮社昭和57年刊行版、p19~22; 山田) 私もまた、死ぬまで戦争反対を言いつづけるつもりである。仲代達矢氏のお言葉を聴いて、あらためてそう思った。 明日8月15日は終戦記念日である。 赫奕とカンナの花や終戦日 青穹(山田維史)
Aug 14, 2022
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台風8号が明13日に関東甲信に上陸しそうだ。 今日の朝、新聞を取りに出ると、ほんの一瞬パラパラと雨が顔に降った。昼頃には再びパラパラと。それきりだ。たしかに空はどんよりと曇っている。 午後3時過ぎ、さて、と重い腰をあげて、隣家の敷地にまで鬱蒼と伸びて気がかりだった柿の枝を伐った。台風でその枝によって被害が発生しないともかぎらない。 過日、隣課の夫人に謝罪しながら、直径4,5cmになっている青柿を見上げると、30個ほどあるかと思った。ところが、いざ枝伐りしてみると有に200個をこえていた。それが一枝に生っていた数だ。あまりの多さに数えるのが面倒になった。 じつは昨日、自然落果(生理落果というらしい)した青柿をひとくち齧ってみた。そして驚いた。甘かったのだ。一句詠んだとおりである。 15年以上の長い間、この柿の木の実は渋柿だった。たわわに実り、20年ほど前に一度生り過ぎた実の重さのために大枝が折れたことがあった。何の世話もしないのだが、とにかくたくさんの実をつけていた。毎年始末にこまり、大半は捨てるのだが、大瓶に柿酢を仕込んだり柿酒をつくったり、あるいは柿グラッセ(ブランデーと砂糖に漬込む)をつくっていた。ところが6,7年前に、その渋柿が自然に甘柿に変わっていたのだ。こんなことが起るのかと驚いた。 昨日、青柿を拾って齧ってみたのは、青柿のうちは渋いだろうが何か料理できないかと思ったからだ。ちょっと試してみたのである。ところが、まだカリカリと固い実ながら、甘かった。どうやら我家の柿の木が、渋柿から甘柿に宗旨替えしたのは本物だったようだ。いや、ごめんごめん、疑って悪かった、である。 まあそんなわけだが、汗だくになりながら枝伐りをした。一応台風に備えたというところである。
Aug 12, 2022
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8月11日「山の日」 蝉鳴の降りくる山の九十九折 青穹(山田維史) 秋の山あおぎてマスクはずしけり 青柿を齧れば甘く驚きぬ 父母逝きて早何年の蓮の飯 忘れ来て憶うことなく走馬燈 忘れ来て只からからと走馬燈 かの人の名さへ忘れし走馬燈
Aug 11, 2022
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暑い夏。・・・これはなにも季節の謂いばかりではない。本日、第2次岸田改造内閣が発足した。「改造」は単なるドタマ(頭、面子)のすげ替えで、泥沼日本政治の浄化をめざしつつの国内外の困難に対する立案ができる行政府であるかどうかは多いに疑問だ。内閣人事においても与党人事においても、黒い霧をまとった人物を切り捨てることはできなかった。この鈍感な政府に果たして何ができるだろう。 悪に染まってしまった人間は、自らを悪と認識できないものだ。したがって、「説明責任」を追求はするけれど、(筆者山田は笑ってしまうのだが)私はこれこれこんなふうに悪事をいたしましたなどと「説明」する悪人が、どこに居よう。もしも説明するとしたら、それは「嘘」を言う機会を与えられたとほくそ笑むだろう。現に某国の首長とその配下の政治家連中の発言が例示している。・・・つまり、説明を求めるためには、追求力が必要だということ。相手をとことん追いつめ、逃げ場をふさぐ周到な準備と本質理解の能力がいるのだ。子どもの学級会のような質問をし、それに対するその場しのぎの応えをひとつ与えられると、もう二の句がつげない。それでは「説明責任」などと当事者に向かって言う資格はない。 しかし、私は最近のマスコミに興味深い傾向があると思っている。旧統一教会と政界あるいは政治家個人との関係についての探索が、右系マスコミも左系マスコミもほぼひとしく追求しているということ。この動勢は、これまでの政治的問題に関する報道にはあまりみなかったことだ。今までなら右系マスコミにしろ左系マスコミにしろ、ちかごろ大流行りの「忖度」が、記事のはしばしに(おそらく社の方針として)見え隠れしていた。それが旧統一教会と政界あるいは政治家個人との関係問題ではマスコミ各社の方針の対立がほとんど見られない。ただし、新聞にしろTVにしろ、個人論評は除かなければならない。どんな問題についてもTV芸者論評はあとをたたないらしい。 この件に関するかぎりマスコミ各社の主張対立が見えないと思っていたら、じつは今朝、私の家のポストに立派に印刷されたチラシが投込まれていた。それは中国系の一種のカルト宗教団体のチラシだった(ただし中国はこのカルト教団を弾圧した)。私は「なるほどな」と思ったのは、そのチラシの主旨は明確で、「勝共」だった。つまり韓国系の旧統一教会と同じ目的である。 本来なら、この二者はおそらく対抗的な関係かもしれない。しかしながらここにきて、上述のようにマスコミ各社が同じような方針で旧統一教会のありようを追求していることに、このチラシの団体は脅威を感じたのではあるまいか。旧統一教会と政界あるいは政治家個人との関係を、政界で率先して追求している野党を、このチラシの団体は名指しで敵であるとしている。旧統一教会を外側からサポートしている、と言えよう。また、宣伝工作次第では弾圧国家体制に対する反撃する機会、そして今こそ自らの勝機だと思っているかもしれない。 日本は、この押し寄せる黒い霧とそれがつくりだした深い闇から脱出するのは、相当難しいだろう。むしろ日本のことなどどうでもよくて、闇は深ければ深いほど甘い汁を吸えると思っているのが、国民を食い物にする日本の政治屋かもしれない。 「まさか、まさかと思っているのが命取り」 そうじゃないかえ、みなの衆!
Aug 10, 2022
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精神科医で神戸大学名誉教授・中井久夫氏が昨日8日に亡くなられた。享年88。 私は先生の精神医学のご著書に多くのことを学んだ。特に芸術家について精神医学的見地から観察された論文には示唆されることが多かった。私が雑誌に発表した拙論『ムンクの「叫び」の設計と無意識』の執筆のときも参考にさせてもらった(後註)。 特に、エドワルド・ムンクの描く人物の足許の不安定感を指摘した観察の鋭さに敬服した。世にムンク論は数多い。しかし、人物像の足許の不安定感を指摘した論者はいなかったのではないか。私は一介の画家として、先生の指摘が見事に正鵠を射抜いていると思った。 中井久夫先生のご逝去を衷心より悼みます。 【註】この拙論は、後に完成稿を執筆。医療クリニックにおいて一般の聴講者に向けてスライドを使用して講義した。
Aug 9, 2022
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1945年8月9日 長崎原爆犠牲死者189,163人に 77年目の祈りを捧げ 世界平和の希求を誓います山田維史『1945年8月9日 長崎』 2011年8月9日作 紙にインク, 竹ペン
Aug 9, 2022
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また作品が1点完成した。これは主要部分に手こずった。わずか6cm四方ほどの小さな部分なのだが、結局3日費やして、じつは3回描き直した。そして先ほど午後3時過ぎに、ここで筆を止めてもいいかと思い、完成とした。数日寝かせておけば、また手を入れたくなるかもしれないが、ひとまずこの作品から離れる。すでに次の作品が半分ほど手がけたところで執筆を待っている。 きょうも相変わらず暑い。午後2時の気温は34.5℃だった。我家の近所の住宅街は物音ひとつしない。子どもたちは夏休みだが、どこかへ家族そろって避暑に行ったか。それとも新型コロナウィルスの感染拡大を避けて家の中に逼塞っしているのか。まあ、この暑さじゃ、外出も控えているかもしれない。 人間は静まりかえっているが、遠くから蝉の鳴き声が聞える。あれは蜩だ。ああ、暦の上では今日はたしか立秋である。秋立ちぬ。 秋立つや何に驚く陰陽師 蕪村 安倍晋三元首相銃撃殺後に、つぎつぎと明らかになっている、旧統一教会と政治家連中との卑しくも危険な関係。日本の三権が、このような政治屋連中によってまるで犯罪同盟のようなていたらく。 ただし、山上徹也容疑者の銃撃殺動機が、その供述によると、政界の「腐敗」・・政治とカルト宗教との癒着・・を暴く意図ではなかったことを、この事件を言挙げする人々(私を含めて)は、曲解もしくは誤解すべきでない。 人が何を信じようと自由である。しかしいかなる宗教も、それが教団(教会)宗教であるかぎり、良くも悪くも善良な人の心を意のままに操ろうという強烈な意志に貫かれていることを忘れてはなるまい。悪用するだけのマインドコントロールではない。 あらゆる宗教が、「地獄に墜ちる」という言葉とイメージで、歴史的に人々を強迫してきた。この批判から逃れられる宗教は、まったく無い。 そして、宗教者ばかりではなく占い師も、まったく同じ言葉を発して人心をたぶらかし、自らの口腹を肥やしている。TV等でご存知のとおりだ。 人間の精神は、人間になったときから悲しくも哀れにも、なんらかの幻想にすがるしか生きられない。宗教はその脆い精神に立ち現われ、並より些か利口でかつ野蛮な人間が支配-被支配の方便として定着せしめた。その構造は人間の歴史において永久機関のように活躍しつづけている。 秋立つや占い師には気をつけよ 青穹(山田維史) After the shooting death of former Prime MinisterShinzo Abe, the vulgar and dangerous relationshipbetween the former Unification Church and politicianshas been revealed one after another. Japan's the threepowers are like a criminal alliance with such politicians. However, those who talk about or write about thiscase (myself included) should not distort or misunder-stand that the motive for Tetsuya Yamagami's shoot-ing was, according to his testimony, not intended toexpose "corruption"... collusion between politics andreligious cults ... in the political world. "People are free to believe whatever they want."However, we should not forget that any leligion, aslong as it is a sect (or church) religion, is permeatedby a strong will to manipulate the hearts of goodpeople, for better or worse. It's not just mind controlto abuse. All religions have historical forced people with thewords and images of "going to hell". No religion isimmune from this criticism. And not only religious people but also fortune-tellers utter the exact same words to deceive people'sminds and make their own mouths. As you know from TV etc. The human spirit can only live by clinging to somekind of illusion or fantasy, sadly and pitifully, from the moment it becomes a human. Religion emergedin its fragile spirit and was established as a means of domination-being dominated by men who were a little smarter than average and barbaric. The struc-ture continues to play an active role in human historylike a perpetual motion machine.【Haiku】 Aki tatsu ya nani ni odoroku onmyouji For what a fortuneteller who is surprised at the beginning of autumn by Buson (transl. by Tadami nYamada) Aki tatsu ya uranaishi ni wa kiwotsukero Beware of fortune tellars at the beginning of autumnTadami Yamada
Aug 8, 2022
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寝不足ではないのだが、朝食後、少しぼんやりしていたようだ。半覚半睡というのでもない、その中間くらいの状態だったかもしれない。ヘンな言い方だが、前頭葉のあたりに昔の会津高等学校の講堂の影像がはっきり浮かんだ。火災で消失して今は無いネオ・ゴシック風の重厚な講堂である。 私はその影像が額のあたりに浮かんでいることに、不思議とも何とも思わず、講堂両翼にある校舎の一方(演壇に向かって左側)からゆっくり「歩み」入った。講堂はガランとして誰もいなかった。私は整然と並べられた長椅子の間に立ち止まり、あたりを見回した。すると演壇の横の扉(階下の校長室の脇の階段がこの入口につづいている)から、私の『思念』が見えた。私は両翼の右側の校舎への入口を見やった・・・私の額のあたりに浮かんでいた講堂が消えた。 私は、はっとして、今見ていた影像が幻だったことに気付いたのだ。 いや、眠ってはいなかった。夢のようではあるが、夢ではなかった。 ・・・それにしても、どうして昔の会津高等学校の講堂が頭に浮かんできたのだろう? そう思いながら、作品制作の準備にとりかかった。
Aug 7, 2022
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山田維史『1945年8月6日広島原爆犠牲死者25万人のための 25万個の黒点』2018年作 NYで発表 (犠牲死者数は制作年当時)山田維史『りんご充満空間 私は人智を信じる』 2018年作 NYで発表山田維史『1945年5月私は戦争の魔手をのがれて生まれ、 そして戦争が終わった』 戦中、父のカメラ(註)に残っていたフィルムで撮影した生後6ヶ月の私の写真を使用したCGコラージュ作品【註】このカメラはドイツ製バルダ(Balda-Werk)。父は従軍のため、このカメラを札幌の実家に置いていった。北方中国の戦地から帰国し、結婚し、私が生まれてからカメラを思い出した。フィルム数コマ分が入ったままだった。試しに私を撮影してみると、6枚に写っていた。最初の3枚はかなり劣化していたが、最後の3枚はこのコラージュ作品に使った程度には写っていた。私の最初のポートレートになった。Wikipediaより1938/1939 Balda
Aug 6, 2022
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昨夜の雨で、今日はやや涼しかった。それでも午後3時前の気温が36℃だったのだから、猛暑と言ってもいい。雨が降ったという思いの私の感覚のせいかもしれない。 しかし作品制作は捗った。朝から午後7時ころまでやっていた。今日中に仕上がるか、と思いながら筆を揮ったが、そうは行かなかった。もう少しなのだが、主要部分なのであわてないで一旦筆を止めることにした。ただし、実のところ、すでに次の作品にとりかかっていて、ここしばらく壁に寄せて立てかけてある。その作品が(イメージが)、早く来いと手招きしている。 なに祝う水引の花ふえにけり 青穹(山田維史)
Aug 5, 2022
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今日も最高気温37℃の猛暑。私は水分補給しながら一日中作品制作。1点完成し、次ぎの作品もおよそ半分まで描いた。 書いておきたい社会問題は毎日限りも無いが、書いている時間がちょっと取れない。ひとつだけ私の考えを述べておく。 政府コロナ対策分科会の尾見茂会長が記者会見した。その会見で、尾見会長は新型コロナウィルスの感染拡大状況がさらに逼迫化すると予想され、その「第7波」への緊急対応として、政府に提言した。そのなかに次のような一件があった。 すなわち、感染者のすべての数字を把握している現状を中止すべきだ、と言うのである。 おいおい、感染者数を把握しないで、どうして実効ある感染対策ができるというのだ? 科学的な根拠となるのは、まず第一に正確な数字であろう。感染症者のただしい数字は、「今」しか記録できないものだ。あとから追いかけて拾集することはできないのである。しかも感染症の世界的なパンデミックのあらゆる真性な記録は、目先の現状対策のためばかりではない。人類の将来のためでもある。その認識は重要であるはずだ。 他国のことは言いたくはないが、某国は何事も国民に隠して幻想で立国しようとしているようだが、この感染症についても世界がまったく信用しない数字を発表している。正確な数字を誰も把握していないために、救助の手もさしのべられないだろう。救助は必要ないと言っているようだが、それは死に瀕している多くの国民の声ではあるまい。 尾見氏の発言を聴いて、私はからかいたくなる。「もうたいへん、ボクちゃん、できない。だって、頭んなか、真っ白だもん!」と言っているように、私には聞える。そして、この人には科学的な真摯さがないのではあるまいか、と。 あなたの能力でお手あげならば、身を退くべきでしょう。感染症対策は、政治的なみみっちい駆引きにはそぐわないのです。
Aug 3, 2022
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朝から取りかかっていた作品制作の手を休めて、冷たいコーヒーを飲む。もう昼食の時間だ。きょうも猛烈な暑さである。温度計を見ると、なんと38℃である。ちょっと外出したかったが、たいした用事でもないので中止にした。 閑話休題。 今朝、顔を洗いながら鏡を覗いた。あご髭、口ひげが、ほぼ真っ白だ。近頃は外出時にマスクをするので、元来無精なのが一層無精になって鬚を剃らない。中途半端な伸び具合の鬚が、老人顔をさらに老人顔にしている。まあ、それはいいとして、いささかギョッとしたのは、鼻から下、つまり顔半分の下のほうだが、死んだ父の顔にそっくりだったのだ。特に唇の両脇の頬から顎にかけてが似ていた。 どういうことだろうと思いながら、頬の筋肉を少し耳のほうにひっぱりあげてみた。それで納得した。筋肉に張りがなくなって、たるんで来たせいなのだ。私の顔が、より老人顔になり、亡父の顔に似てきたというわけだ。しかし、ここまで似るとは! と、驚いたのである。 顔の上半分は似ていない。それは、私の目には父の目より「激しさ」があるからかもしれない。 年齢を重ねるにしたがって内面の激しさをひそめてしまう人がいる。たぶん良い人生を過ごしてこられたのだろう。私は亡父の人生も亡母の人生も、息子として考えてみたことはないので、父の目の底に何が存在するかを知らない。追求してみようかなと、思わないでもないが、知らなくてもいいとも思っている。 ひるがえって、私の目は、年を重ねるにしたがって激しくなって来ているかもしれない。 私は少年のころから「目の鬼」になろうと思っていた。たじろがずに見ること。できるだけ観察に徹すること。幻想的思念を排除する目をもつこと。・・・それが「目の鬼」ということだ。これも子どものころのことだが、風邪などに罹って熱にうかされると、何か対象に目を接して舐めるように這いずりまわる私自身を夢に見た。たとえば、自分自身の手が巨大化してその手によじのぼり、巨大な爪に目を近づけて小さな爪切でプチリプチリと爪を切ってゆく。そんな夢だ。 版画家の棟方志功氏の制作している姿は有名で、写真で拝見すると、版木に鼻をこすりつけるように、・・・いや、お目を接するように彫刻刀を揮われていた。近眼が相当すすんでいられたのだろう。 私が、その晩年の数年間、謦咳に接していただかせた湯浅泰雄博士のお姿も思い出す。本を読まれるとき、あるいは原稿を執筆されたりゲラの校正をされるとき、やはり目をお近づけになり、対象との距離は15cmほどだった。私は湯浅泰雄全集を作っているとき、著者校正をお願いするゲラはB4判にまで拡大して届けた。少しでもご負担を軽くしてさしあげたかった。先生が執筆されるお姿を知っていたからだ。 お二方は目が不自由だったということもあろう。しかし、その鬼気たるお姿は、目の不自由とだけですまされない気配があった。私はお二方にも「目の鬼」を感じていた。 私は、おそらく自身の内面の激しさを死ぬまで静めることはできそうにない。枯淡の境地とはほど遠い。てんで悟れましぇん、である。 覚ったのは、この日本が、党派政治のなかで与野党に関わらず人格卑劣な、腐肉をまとった政治屋商売人を排出してきたということ。そのような人間が厚顔無恥に日本を操縦してきたのだということだ。「国家の品格」だと? バカ言ってんじゃないよ。何を見ているのだ。 私は、今朝、鏡を見ながら、我ながら悪相の激しい目を、両手で一層吊上げてみた。
Aug 2, 2022
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小庭の柿が繁りにしげって隣家まで枝葉を伸ばしている。実もたわわに生っていて、もうやや色づきはじめてるのもある。しかし、以前にも書いたが、いまだに柿自身による自発的落果があり、それが隣家の庭にも落ちるので困っている。 今日、私は隣課の夫人に謝った。「この暑さが少しおさまったら、枝を伐りますので、もう少しの間、ご迷惑をお賭けしますがお許しください」。夫人は、「たくさん生っていますもの、伐るのはおしいですわ」とおっしゃったが、その言葉に甘えてはいられない。たしかに、隣家の方へ伸びた枝には、ざっと30個ほどの実が生っている。 昨秋、丈高い主幹を半分くらいの位置で伐り、全体も切詰めた。ところが柿のほうは、「やられてたまるか!」と思ったのだろう、一層枝葉を鬱蒼と繁らせ、実もわんさか付けたのだ。 私はつくづく植物の力を実感しているわけである。 ところで、そんな我家の小庭で、どうやら蝉が生まれ出ているらしい。 脱皮後の抜け殻、いわゆる空蝉がいくつも見つかるのだ。門扉の脇の大谷石に爪を引っ掛けた状態の抜け殻。あるいは、地中から出たところで何か天敵に襲われたのか、脱皮をせぬまま骸となってしまったもの。それに沢山の蟻がとりついている。私は骸を片付けるのをやめた。蟻たちにとっては大事な食糧だ。それも生態系の円環の一部分。自然の摂理である。 CNNが、グリーンランドやアイスランドなどの冷たい海に生息する大型のサメ、グリーンランドシャーク(ニシオンデンザメ)が、中米ベリーズ沖のカリブ海で見つかったと報じている。なぜ熱帯の海にいたのかは不明のようだが、このサメは、2016年に発表された研究で、寿命400年と推定されているらしい。世界の脊椎動物の中で最も長生き。成長速度は遅いが、体長7m、重量1.5tになる。 このニュースを知って、私は、科学的な思考ではなしに、400年生きるということを人間にあてはめて空想してしまった。 洋の東西を問わず、不老長寿をもとめて人間は、哀しく・むなしく、また滑稽な奮闘をしてきた。あるいはそのような傲慢不遜な支配者がいた。・・・もしも人間が400年生きたとしたら、私は、さぞかし「退屈」だろうなぁ、と想う。 人間はどんなに長生きしても150年が、せいぜいだろうという説がある。現実にはまだ150年生きたという真性な記録はない。まあ、私自身は、そうだなー、100歳までなら生きてみたい気もしないではない。現在77歳だから、あと23年。 しかし、私自身に限っていえば、活力を失って空蝉状態でいたくはないなー。絵を描けなくなったら、イメージが枯渇してしまったら、そして文字で自分を記録できなくなったら・・・もう・・・ アンソニー・クイーン主演の映画「その男ゾルバ」だったと憶えている。ところはギリシア、或る女が死ぬと、黒衣の村の女たちが鴉のようにやってきて、腐肉をあさるように死んだ女の家財を持出す・・・そんなシーンがあった。 いつの時代かは忘れたが、あれがギリシアの一寒村の習俗だとしたら、・・・私はそんな死に方もいいな、と想ったものだ。まだ私が20歳半ばにならないころだったが・・・
Aug 1, 2022
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