全31件 (31件中 1-31件目)
1
にゃんこ同居人にはお馴染みですが、にゃんこが目を覚ましたり、あくびをしたとき、まぶたとは別に水平方向に膜のようなものが見えます。これは「瞬膜(しゅんまく)」と云うまぶたのひとつなんです。まぶたは「目蓋」と云う字からも分かるように、眼球の蓋のような役割で、目玉を上下から覆い保護する不透明で開閉式の器官ですね。上側を「上瞼(うわまぶた)」、下側を「下瞼(したまぶた)」と云いますが、それでは「瞬膜」は?まぶたの役割は眼球の保護や光量の調節などさまざまな機能がありますが、瞬膜は目の中から出てきて眼球を覆ったり開いたりするので役目としては普通のまぶたと同じですね。ただ魚のようにまぶたそのものが無い生き物と違って、まぶたの有る生き物では、まぶたが垂直方向の動きをすることが多いのに対し、瞬膜は水平方向の運動をすることが多いのです。瞬膜は 、ラテン語の「まばたきする」と云うイミです。普通のまぶたと違って、生き物が見えるようにしながら、目を保護し、潤いを与えるためにあるんですね。瞬膜は何も にゃんこの専売特許ではなく、ワンちゃんだって備えています。この瞬膜は鳥類や哺乳類だけでなく一部の魚類や爬虫類にも普通にあって、繊細な角膜を保護し、眼球を潤滑してキレイにするのに役立ってます。閉じた状態でも部分的に見えるように半透明にすることもできます。 ただ、ほとんどの哺乳類では、瞬膜は目の内側の角に残っているだけです。ホッキョクグマやビーバーなど、頻繁に泳ぐ哺乳類はこのルールに従わず、透明で完全に機能する瞬膜を持っており、水中ゴーグルのように使用します。またホッキョクグマの瞬膜は、雪から反射した光が目にそれほど害を及ぼさないよう紫外線をフィルタリングする機能もあります。すべての鳥には瞬膜がありますが、鳥が瞬きするのを見るのは稀です。しかし猛禽類は目が非常に大きく、瞬膜をよく使うため、瞬きしている様子を捉えることができること多いです。猛禽類は獲物を捕まえるとき、獲物に目を傷つけられるのを防ぐため瞬膜を閉じます。ハヤブサは、最高速度で降下しているとき、瞬膜を素早く点滅させてますね。では、私たち人間やほとんどの霊長類は、ナゼこの便利な第3のまぶたを失ったのでしょうか?私たちに残っているのは、目頭の角にある肉厚の半月状のプリカと云う隆起だけです。その考え方は逆なんですね。通常のまぶたは大きくて厄介な危険なものから目を守るためのもので、当初の瞬膜は水中を泳ぐときに同様に危険なものから目を守るためのものです。その後、哺乳類が陸上で生活するよう進化するにつれて、瞬膜は単なるエネルギーの無駄であり、多くの哺乳類では縮小してしまいました。成長するためのエネルギーを無駄にしない方が、瞬膜を持つより少しでも有利だったからなんですね。
May 31, 2024
コメント(8)
「一緒に踊ってもらえませんか?」すると彼女は「はい」と答えて...「Shall we ダンス?(シャル ウィ ダンス?)」の話?いえいえ映画ぢゃなくて、現実にあったことです。1985年11月のホワイトハウスのこと。まだInstagram やTikTok などSNSのなかった時代、1枚の写真が世間にセンセーションをおこしました。当時の大統領ロナルド・レーガンとファーストレディのナンシー・レーガン主催のディナーに招かれたのは、今は亡きダイアナ妃です。そしてアメリカ人ゲストには各界の著名人、セレブが顔をそろえていました。パーティが進行したとき、レーガン大統領夫人ナンシーがある若い男性の耳元でこうささやきました。「彼女をダンスに誘ってみたら」?その男性は「自分は非常に重要な人々が集まるパーティのエキストラ」だと思ってたので、この提案にびっくり仰天!そうしてダイアナ妃と男性のダンスが始まったのです。そのときの写真がこの1枚。ダイアナ妃の相手をしていたのは誰か分かりますか?彼は後に「おとぎ話」のようで「魔法のような瞬間」だったと述べてます。「僕は彼女に近づいて肘にタッチして、ダンスに誘った」と。そしたら「彼女は、あの魅惑的なスマイルを見せて、僕の誘いを受け入れた」。そして「僕たちはまるでおとぎ話のように一緒にダンスしたんだ」と。その男性とは俳優の「ジョン・トラボルタ」です。当時のジョン・トラボルタは、1977年の「サタデー・ナイト・フィーバー」や1978年の「グリース」などで注目俳優のひとりでしたが、普通に考えたら、とてもプリンセス・オブ・ウェールズ(ダイアナ妃)のお相手をつとめられるような器ではなかったハズ。それをナンシー・レーガンのリクエストで現実のものとなったのですね。このとき、ナンシー・レーガンはトラボルタに、ダイアナ妃にダンスを誘うように付き添ってあげると告げてたのです。ダイアナ妃は黒のロングドレスとパールのチョーカーで美しく、トラボルタはタキシードでダンディーに。いい画ですねぇ。ふたりは15分ほど踊りを楽しみました。ダンスが終わると、トラボルタはおとぎ話の中にいる気分になったのです。「それは物語のような瞬間でした。終わったときに私たちはお辞儀をしました。そして、ご存知のように、彼女は出発し、私も出発しました」。「そして私の馬車はカボチャに変わりました(笑)」とトラボルタは振り返ってます。トラボルタと踊ったときダイアナ妃が着ていたヴィクター・エーデルスタインのバルドーネックドレスは「ジョン・トラボルタドレス」と別名がつけられました。1996年にダイアナ妃とチャールズ皇太子が離婚した後、ダイアナ妃は人道的活動に重点を置くようになりました。パリの自動車事故で亡くなる2ヶ月前の1997年6月、彼女は慈善事業としてクリスティーズのオークションに出品される数点のドレスを寄贈しました。その中に「ジョン・トラボルタドレス」も含まれてたのです。オークションでジョン・トラボルタドレスは222,500$(約2,500万円)で落札されました。
May 30, 2024
コメント(7)
アナスタシア・ニコラエヴナは最後のロシア皇帝ニコライ2世と怪僧ラスプーチンを重用したので有名なアレクサンドラ皇后の第4皇女です。1917年の「二月革命」で成立した臨時政府によって家族とともに監禁。翌1918年に エカテリンブルクのイパチェフ館で、裁判手続きを踏まないままヤコフ・ユロフスキーの指揮する銃殺隊によって家族・従者とともに17歳で銃殺されました。最初の銃の一斉射撃でニコライ2世と妻アレクサンドラ、料理人のイヴァン・ハリトーノフ、召使のアレクセイ・トルップが殺害され、主治医のエフゲニー・ボトキンとメイドのアンナ・デミドヴァが負傷しました。その後、銃殺隊が銃撃を再開して負傷しているボトキンが殺害され、足が不自由なため椅子に座っていた弟のアレクセイを銃撃隊の兵士が銃剣で刺殺しようと試みましたが、衣服に縫い付けてあった宝石に邪魔されて失敗。結局、別の兵士が頭部に向けて発射した弾丸によって殺害されました。その後に姉のオリガとタチアナはそれぞれ頭部に向けて発射された弾丸によって殺害されたのです。まだ生き残ってたアナスタシアと第3皇女のマリア、そしてメイドのデミドヴァは窓近くの床に倒れていました。銃撃隊の兵士が銃剣でマリアを刺してみましたが、これまた服に縫い付けてあった宝石によって刺せず、最後は銃で頭部を撃って殺害したと兵士は主張しています。しかし、兵士の供述と裏腹にマリアの後頭部には銃創やライフルの台尻で殴られた痕は残っておらず、アナスタシアの遺体はバラバラに切断されて焼却されたため、ふたりの死の原因が何であるかは究明できないのです。多くの報告がアナスタシアが最後に死亡したとしているだけです。アナスタシアの名前、ロシア語のイミは「鎖の破壊者」とか「刑務所を開く人」です。ニコライ2世が彼女の誕生を記念して、前年の冬にモスクワとサンクトペテルブルクで発生した暴動に参加して、投獄されてた学生たちを恩赦したのが名前にちなんでだったんですね。そして彼女の名前のもうひとつのイミは「復活」です。これが後々 彼女は死んでなくて、どこかで隠れて生存してると云う憶測の元になったのです。その背景にはソ連のプロパガンダがありました。ソ連共産党レーニン政権は、政権基盤が固まるまで「ニコライ2世は処刑されたが、他の家族は安全な場所に護送された」という偽情報を流し続けたのです。と云うのも、当時の兵士の中には皇帝一家に同情的な者も多く、政権が一家を皆殺しにしたと云うのは憚れたのですね。1920年2月、若い女性がベルリンのラントヴェーア運河に身投げしようとして助けられました。この女性は身分証明書を持っておらず、コートとドレスのポケットは空でした。ドイツ当局によって「マダム・アンノウン」と呼ばれたこの女性は、ドイツのダルドルフ精神病院に連行されました。この風変わりな女性には体中に奇妙な傷があり、自分はロシアから処刑を逃れ脱走してきたアナスタシアであると周囲に話し始めたのです。1922年ころヨーロッパは革命後にロシアから亡命したツァーリズム(絶対君主体制)信奉者が大勢いたのが、彼女の格好の味方になったのです。もともとは、ロシアから亡命したツァーリズム信奉者のひとりが、ロマノフ家の娘たちの名前のリストを渡したのが始まりです。このリストを受け取った彼女は、アナスタシアという一人を除いてすべての名前に取り消し線を引いたのです。その瞬間、彼女はアナスタシアとなり、最終的には「アンナ・アンダーソン」という名前になりました。「アンナ」はアナスタシアの略称だったのです。アンナ・アンダーソンという名前を使いだしてから数ヶ月後、ダルドーフ精神病院から釈放され、彼女はアナスタシアの支持者たちの家に住み込みながら、数年間あちこちを転々としました。彼女はアンナ(アナスタシア)・アンダーソンと名乗ってましたが、ロシア帝室生存者の多くの家族がアンナ・アンダーソンと会い、この若い女性がアナスタシア大公妃ではないと確信したのです。アナスタシア本人をよく知る祖母マリア・フョードロヴナ皇太后も決して会おうとはしませんでした。そして、ついにドイツでロシア帝室の莫大な遺産をめぐる訴訟を彼女は起こしますが、真偽の確定が不可能として却下されます。その背景には、彼女はロシア語が話せない。逆にアナスタシア本人が苦手であったはずの ドイツ語を話す。記憶が肝心なところであやふやになる。顔が明らかに違うなど多くの疑問点が生じたためです。ことの真相はこうです。当初、周囲が勝手に彼女はアナスタシアではないかと騒ぎ、やがて記憶を失っていた本人もアナスタシアだったことを「思い出した」のです。意図的な詐称というより、嘘を繰り返しているうちに、自分自身が真実と信じ込んでしまったのですね。その後、支持者の援助で彼女は1968年にアメリカに移住。アメリカ人のジャック・マナハンと結婚してノースカロライナ州に定住しました。結婚後も自分はアナスタシアであると生涯主張し続けたそうです。アンナ・アンダーソン以外にも、自分はアナスタシアだと名乗る女性は幾人もでています。背景には皇帝一家の埋葬場所が、長年秘匿されたため、殺害後に彼女の生存伝説が有名になったからなんですね。1991年、エカテリンブルク近郊で両親と3人の大公女の遺骨が発掘されました。さらに2007年に弟のアレクセイと歳の近い姉のマリア、もしくはアナスタシアどちらか1人の大公女の遺骨も発見され、4体の女性の遺骨とアレクサンドラの一番上の姉ヴィクトリアの孫、エディンバラ公フィリップ王配に遺伝的な繋がりがあることが確認されました。こうして皇帝一家が全員殺害されており、一人の生存者もないことが判明したのです。偽アナスタシアのアンナ・アンダーソンは、彼女の没後10年後にあたる1994年にDNA鑑定をおこなった結果、エディンバラ公フィリップ王配との遺伝的な繋がりは認められませんでした。
May 29, 2024
コメント(7)
日本のホラー映画だとオバケの登場が圧倒的に多いのに、アメリカ映画だとやたらゾンビ勃発。なんでやねん!一説では日本は火葬にするのが普通だからゾンビとして登場させられない。そこいくとアメリカは土葬だから、オバケよりゾンビの方が親近感(?)あるとか。クモ(蜘蛛)ってのは目が8つあります。いくつかの種類は6つ以下ですが、常に偶数になります。ところが、こんなに目をもってるのに、視力が悪く、触覚と嗅覚に頼って巣を移動して獲物を見つけます。クモの目は単に明暗を感じるだけなんですね。それだったら、こんなに沢山の目いらないと思うのですが...クモは網を張って獲物を捕まえると思いがちですが、実際にはほぼ半数の種類が網を張らずに獲物を捕まえます。クモが他の昆虫と大きく違う点は、他の昆虫の足は6本なのに、クモは8本ですね。そして身体は前体と後体の2つの部分のみによって構成され、触角ももってません。それでは、こやつはどぅ~?足が8本だから、やっぱクモでしょう。この子は、クモの仲間とは全く違って、どちらかと云えばサソリに近い生き物です。ゲッ!サソリ!と云っても、本物のサソリのように毒をもってるワケではなくて、種類によっては臭腺から敵が嫌がるニオイ(化学物質)を分泌するくらいです。名前は「ザトウムシ」。ザトウムシの仲間は極地や乾燥地帯を除いて世界中どこにでも居ます。主に熱帯雨林など植物が多くて湿度が高い所で生活しますが、日本でも80種ほどが確認されてます。足を前に伸ばして探りながら歩く様子が、盲人が杖で歩く姿に似ていることから「座頭」の名前がつけられたのですね。Harvestman Walking Among Blackberry Blossoms, Huntingクモに似ているのは8本足だけで、身体は前体と後体に分かれてはいますが、クモのようなくびれはありません。脚はすべて前体についています。また、口も腹面についています。 特にクモと違うのは目が「2つ」なのと、糸をひいて獲物捕獲用の網なんかは作りません。食べ物は...雑食性で節足動物やミミズから果物までなんでも食べます。OK!それでは、コイツは何?そりゃあ見れば分かるでしょう。サソリの仲間でんな...と思ったら、コイツは「カニムシ」と呼ばれる、クモの仲間なんです。グループ名は「疑似サソリ」。つまりニセのサソリと云うワケです。カニムシはクモの仲間ですが、ハサミの中に有毒分質を蓄えてて獲物をこれで捕らえて動けなくします。中には口元の鋏角から糸を出せるものがあり、それで巣を作ったりします。カニムシ、実はものすごくチッチャイです。通常は2mm ~8mm 、かなり大きいのでも12mm しかありません。
May 28, 2024
コメント(6)
上下関係と云うと、上司と部下とか先輩と後輩なんて連想しますが、今日は「種」の話です。「種」ってのは、あの「種子」のことね。植物は、上の方向に向かって発芽しますね。これは葉を光の方向に向けることで、光合成能力を最大限に高め、エネルギーを生み出すためです。それでは「根」はナゼ地面に向かって真っ直ぐ伸びていくのでしょうか?答えは簡単ですね。根を地面に向けることで、水や養分をより効果的に吸収するためです。では、もし種子を横に寝かせて植えた場合、芽と根は横に伸びていくのでしょうか?そんなことはありませんね。種子を横に寝かせても、芽は上向きに、根は下向きに伸びていきます。ひょっとして芽には人間に見えないセンサーか目があって太陽を認識してる?いえいえそんなことはありません。そもそも種子が発芽するとき、芽より先に根が出ます。そりゃあそうですよね。根も出てない種子が水分と栄養とれないのに芽が伸びてくなんて有りえません。なので発芽というより「発根」と云ったほうが正確なんです。発根した根は、迷うことなく下すなわち地球の中心へ向かって伸びてゆきます。と云うことは重力を感知しているってこと?そうなんです。すべての植物は重力場の方向を感知し、それに応じて自らの向きを変えることができるのです。これを「地理走性」といいます。地理走性とは、地球の中心に向かって成長する傾向のことです。ただ植物は重力屈性機構によって上下を感知しますが、根は水のあるところならどこにでも向かい、新芽も光のあるところならどこにでも向かうことが多いです。しかし根は重力がなければ、それほど真っ直ぐには伸びません、もっと波打っていて、うねうねしています。云ってみれば宇宙では、根や芽の方向がばらばらになると云うことです。このメカニズムは、原形質(細胞内の生きた物質)が細胞壁に大きな圧力をかけるか、細胞内のデンプン粒子が底部に沈降するかのどちらかに基づいていると考えられています。これが植物が成長するにつれて「方向転換」する植物成長ホルモンの生成に影響しているのです。根の先端細胞には アミロプラストという色素体が含まれています。このアミロプラストは比重が大きく、細胞の中で重力の方向へと沈降(移動)します。このとき根の先端の細胞は、アミロプラストの沈殿している方向が重力の方向だと認識するのです。なので根の先端を切り取ると、根は下に伸びるとは限らずデタラメな方向へ伸びてしまいます。ただ根の先端に意識があるハズもなく、アミロプラストが溜まっている方へ伸びるように オーキシン(植物の成長ホルモン)が分泌されるだけです。
May 27, 2024
コメント(7)
私は超常現象なるものを一切信じてません。あんなモンは、単に科学的解明がまだか、そもそもバカバカしくて学者が解明しようとしないか、たまたまの偶然か、体験した人の勘違いか、それともウソを云ってたりペテンだったり。それでも世の中には信じてる人もいるし、またTVが面白おかしくドキュメンタリータッチで放映しますからね。日本人にもっとも有名なエジプトの遺物と云うとツタンカーメンぢゃないでしょうか。例の黄金のマスクで象徴される。マスクはカイロのエジプト考古学博物館に収蔵されてます。このマスク、顔と首の部分は、明るい色合いの18.4カラットの金が、マスクの他の領域は22.5カラットの金が使われているそうです。マスクの両肩部分には、古代エジプトで死者とともに埋葬されたパピルスの巻き物「死者の書」にある古代の呪文が神聖象形文字で刻印されています。黄金のマスクがあまりに有名になり過ぎて、ツタンカーメン王そのものの人気がイマイチですが、ツタンカーメンのミイラは防腐処理が失敗したらしくって、保存状態が良くなかったのですね。結果的にはミイラするのに失敗に近い形に終わってしまったようです。体には包帯が巻かれていましたが、その中に大量の護符が織り込まれていました。それ以外にきわめて多くの装飾品がミイラの中に織り込まれていたのですね。ツタンカーメンの死因は記録がなく、長らく論争の的になってました。ミイラの頭部についてた傷やいくつかの骨の裂傷などから暗殺説が有力だったのですね。ところが近年の研究で、悪性マラリアを引き起こす寄生虫「熱帯熱マラリア原虫」の痕跡がミイラより発見されたり、先天的な虚弱性疾患があったことも分かって、骨の骨折は何らかの原因で落下したのでは?と考えられるようになりました。このツタンカーメンの墓は、王家の谷のエジプト王朝衰退期に当たるラムセス6世の墓建設のための作業小屋下と云う非常に見つけにくい場所にあったため、盗掘にもあわずに済みました。墓を見つけたのはハワード・カーターと云うイギリス人のエジプト考古学者です。カーターはイギリス貴族カーナヴォン伯ジョージ・ハーバート(カーナーヴォン卿)の資金援助で、王家の谷の発掘調査に着手。そして第一次世界大戦による中断を挟みつつ、援助契約の切れる1922年、ついに「世紀の発見」と云われるツタンカーメン王の墓を発見したのです。ツタンカーメン王の墓を発見できたのは、まったくの偶然からです。発掘作業員の取りまとめ役だった祖父とともに現場へ通ってた12歳のエジプト人少年フセイン・アブドルラスールが連れてたロバがつまずいてしまったのですね。このロバには水甕を載せていたのですが、この甕が壊れて水がこぼれて、地下墓地への階段が露わになったのです。1922年11月1日、ハワード カーターと彼のスタッフは瓦礫の撤去を開始し、その3日後に岩に刻まれた段差を発見したのです。彼らは階段を下りていき、屋根があり漆喰で覆われ、シールが貼られた出入り口を発見しました。扉を開けると、そこには少年王「ツタンカーメン」の名前が。それから約5ヶ月後、スポンサーであるジョージ・ハーバートがカイロのコンティネンタルサヴォイホテルで死亡しているのが発見されました。しかもジョージが死亡した時刻、彼の自宅では飼い犬が大きな遠吠えをあげて死んだのです。遺体で発見されたホテルの部屋は、以来誰も使用していません。この急死は「王家の呪い」「ツタンカーメンの呪い」と呼ばれて大きな話題となりました。実際には、ジョージの死の約1ヵ月前、彼はアスワンで数日間の静養を取っています。そのとき蚊に刺された頬の腫れ痕を、ひげ剃りの時にうっかり傷つけてしまいました。傷跡は処置したものの直後に発熱、2日後には回復しましたが間も無く再発しました。治療の為にコンティネンタルサヴォイホテルに搬送されたのですが、家族や友人の見守る中、息を引き取ったのです。死因は虫さされにより丹毒を患い、出血の際に菌血症になった結果、肺炎を惹き起したのですね。そもそも王家の呪いなんてもの存在しないのです。なぜなら、墓の発見者張本人ハワード・カーターは1939年、64歳で息を引き取ってます。「王家の呪い」は、当時のマスメディアが発掘報道を独占したタイムズに反発して、発掘と少しでも関わりある者が死ぬたびに「呪いによる死」とまことしやかに報道したことで広まったのです。発見者カーターにまでこの害は及び、同姓同名の別人が交通事故で死亡したときには、あたかもハワード・カーター本人が事故死したかのように書き立てられたのですね。
May 26, 2024
コメント(6)
ウクライナ国境近く、ルーマニアに「ドナウ・デルタ」と云うヨーロッパ最大で、人の手がほとんど入っていない自然状態のデルタ(三角州)があります。そこには大きな浮島が浮いています。ボリビアとペルーの国境にあるチチカカ湖には、40以上の浮島が弾力のあるトトラの葦で作られ、湖底に固定されています。南アジアで最大の淡水湖がインド北東部に有ります。「ロクタク湖」と呼ばれるこの湖には、最大のものは面積40平方km の浮島があります。浮島の元は、厚さ数cm ~数m の水草を始め、泥や泥炭が大量に蓄積したもので島のようになってるのですね。やがて根が湖や川の深い部分に届かなくなると、根の塊に含まれる酸素を浮力として利用して浮島になるのです。浮島は上にあげたものだけぢゃなくて、ウガンダのビクトリア湖、オーストラリアのタスマニアにあるラグーン・オブ・アイランズ、イタリアのポスタ・フィブレノ湖、セルビアのヴラシナ湖など、世界中いたるところに存在します。南米で2番目に長い「パラナ川」は、長さ4,880km で、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチンの3カ国を流れています。そのパラナ川のアルゼンチン領で非常に珍しく、謎めいた浮島が発見されました。アルゼンチンで「目」と呼ばれるこの浮島は、サッカー場とほぼ同じ面積で、直径120m の完全な円形だったのです。そして、この浮島は円形だけぢゃなく、常に回転し続けてるのです。激しい嵐なんかが起こると、浮島が風によって前後に運ばれることはあります。しかし、嵐がおさまればそこに永住するのですね。ところがパラナ川の浮島は風の有無に関わらず、クルクル回転しているのです。'The Eye' - a floating rotating island in Argentinaこの浮島はアルゼンチンの映画監督セルジオ・ノイシュピラーによって発見されました。彼は映画のロケ地を探していて、偶然にこの島を発見したのですね。しかし発見当時、彼はこの島がゆっくり回転していることに気づかなかったのです。それくらい回転はゆるやかなんですね。ところが島をGoogle の衛星画像で確認すると、時間とともに回転してることに気づいたと云う次第です。浮島がナゼ回転するのか、まだよく分かってませんが、浮島のある湖は至るとこからメタンガスの泡がブクブク。これが影響してるのではないかと推測されてます。調査で、この浮島は2003年以来、ずっとパラナ・デルタ地帯にあったことが分かってます。まだまだ地球には人間に分かっていない自然現象がイッパイありますね。
May 25, 2024
コメント(7)
よく幼いときにお母さんがヒザ枕で耳掃除してくれた記憶を多くの方はお持ちでしょうが、私は極端なくすぐったがりで、一度されそうになったら、くすぐったくてガマンできない。そう云うワケで母親のヒザ枕ってのが記憶にないんですな。耳そうじってのはしない方がいいとお医者さまは述べてますね。耳アカが溜まるのは、外耳道の外側約1/3で、外耳道の上皮の動きと、ご飯を食べるときの咀嚼やあくびなど顎の動きで勝手に外に出てくると。湿っているタイプの耳アカ(湿性耳垢)でも、移動している間に乾いて、自然に耳の穴から外に落ちるとも。むしろ耳の中にモノを入れるべきではないと云ってます。とは云え、耳アカが毎度自然に出るとは限りませんね。例えば、補聴器の使用や、綿棒とか耳かきなどを用いて奥に押し込まれると、耳アカの蓄積を逆に引き起こすケースがある。耳アカが外耳道の中に溜まってしまうワケです。私のバンコク時代の上司もこの症状で、耳が痛んで塞がったような感覚に襲われました。こうなるとお医者さまに診てもらうしかない。くだんの上司も、病院にいってグリセリンをたらして柔らかくしてから取ってもらったら、とんでもなく大きな耳アカが出てきたとか。日本で最初の耳かきは、かんざし由来らしいです。かんざしの端をへら状にしたものが耳かきの始まりで、江戸時代の享保年間に高橋図南と云う人によって考案されたそうです。江戸時代には「耳垢取」と云う商売がありました。街頭で耳掃除をする商売です。この耳垢取の服装がなぜか唐人姿なんですね。余談ですが、江戸時代には「猫のノミ取り」なんて商売もあったそうです。インドには今でも街頭の「耳掃除屋」がいるのですね。ターバンに3~4本の耳かきを挿してて、路上に座り込んで耳そうじしてくれるらしい。しかし衛生状態のよくないインドで他人に耳そうじしてもらいたくないですね。ど~考えても、使った耳かき、消毒どころか洗いもしてないでしょうから。日本の一般の方にはあまり馴染みないですが、欧米では「イヤーシリンジ」が一般的ですね。一般の人が使うイヤーシリンジは、シリコンで成型された球体に円錐の先端がついてるスポイト状の洗浄器具です。このイヤーシリンジは、耳そうじ以外でも、鼻の洗浄にも使われます。使い方は簡単で、一度球体を手で圧迫したまま洗浄液の中に入れて、手を放すと洗浄液が内部に入ります。それを耳穴に入れて再度球体を手で圧迫すると洗浄液が耳に流れると云うもの。イタリアでは「オトサン(イタリア語でイヤーキャンドル)」と云う耳そうじ用具が流行しました。ロウでできた長さ15cm 、直径5mm くらいの円錐形の筒端を耳に入れ、もう一方の端に火をつけて燃やします。すると「ベンチュリー効果」と云う原理で、リラクゼーション効果とともに、耳アカが吸い出されると云われてましたが、火傷やロウが耳に入る欠点がありました。それより何より、イヤーキャンドルによって耳から出てくるのは、キャンドルから落ちたロウであって、耳アカでないとの研究結果もでてます。中国には今でも耳かきを商売にしてる人がいます。「采耳」と云う商売で、特に西南部の四川省成都や重慶で盛んな商いのひとつです。簡単なものは公園なんかで耳かき師のおじさんが耳かきをしてくれるし、本格的な耳かき専門の店舗を構えてるとこも数多くあります。上の画像見ると、多数の人が出入りする公園で、もし耳かき師に人がぶつかったらと思うと不安になりますね。「耳かき」というと、中国語で「耳勺」とも云うように、棒の先が小さい勺状になっているものが一般的です。最近は円盤状のものを重ねあわせた形の耳かきも有ります。これだと耳の中で引っかかることなくスムーズに耳そうじ出来るのですね。耳かき専門店に行くと、施術前に必ず「孔雀の羽」で顔をナデナデされます。これはリラックスさせるのと、血行を良くするためらしいけど、かなりくすぐったいらしい。耳そうじの本番は本格的で、清潔にも気を配ってるようですが、施術後にちゃんと消毒してるかどうかは不明です。どっちにしても、耳かきはあまりしない方がいいと冒頭で述べましたが、これは特に欧米で強く云われてることです。なぜかと云うと、日本人とかモンゴロイドは乾燥した耳アカ(乾性耳垢)が大部分を占めてますが、白人や黒人などは湿った耳アカ(湿性耳垢)の人が多いためです。湿性耳垢だと、耳かきで逆に奥に押し込んでしまう可能性があり、取りにくいのが原因なんです。この湿性耳垢の人口に占める割合は中国人や韓国人なんかだと4~7%くらいですが、白人だと90%以上を占めるんですね。日本人は西日本を中心に乾性耳垢が多く、北関東や東北以北、南九州以南に湿性耳垢が多いそうです。
May 24, 2024
コメント(7)
昔、映画監督のクエンティン・タランティーノが絶賛した香港映画がありましたな。まだ香港が魅力的だった1994年の作品「恋する惑星」です。俳優のトニー・レオンや金城武をいちやく国際的に有名にした映画。この映画上映当時はまだ香港が日本人観光客のメッカで、舞台となった「九龍城砦」を彷彿させるネイザン・ロード沿いのとてつもないボロビル「重慶マンション(チョンキンマンション)」や香港島のビジネス街「中環」から、高台の高級住宅地「半山区」まで続くエスカレーター「中環至半山自動扶梯」目当ての観光客が押し寄せたものです。この作品はふたつのストーリーから組み立てられてて、どちらも香港の若者のすれ違う恋模様を描いたものです。昔の彼女のことが忘れられないまま偶然入ったバーで麻薬の運び屋である金髪サングラスの女性に恋をしてしまう警察官。ハンバーガーショップの女店員は、別の警察官宛に託された彼の部屋の鍵を使って警官の部屋に忍びこむと云うような恋愛の甘酸っぱさを描いた物語。昔、「ポケベルが鳴らなくて」ってTVドラマがありましたなぁ。妻子あるサラリーマン(緒形拳)と32歳年下の女性(裕木奈江)との不倫関係を描いたラブストーリー。結局、家庭は崩壊していくのですが...そもそも32歳もの年の差なんて、女性はついてくるのかしら?女性が40歳になったら、男は72歳ですよ~今みたいにスマホや、以前の携帯電話ぢゃなく「ポケベル」時代は何かとメンドウでしたな。ポケベルが文字送信も可能になったのは1966年からで、それまでは「数字」しか打ち込めなかった。当初はこちらの電話番号を通知する目的だったのに、いつの間にか数字の語呂合わせでメッセージを送るようになりましたな。「14106」は「1」=「I」、「4」=「し」、「10」=「て(ん)」、「6」=「る」で「愛してる」なんて強引もいいとこ。「愛」に関しては、7つの愛情ホルモンが重要な役割をはたすらしい。「オキシトシン」は、社会的なつながりを形成し、信頼を高め、相手への絆、愛着、献身的な感情を高めます。出産や授乳、子育てなんかでも放出されます。「バソプレシン」は 他の人を愛することの興奮をかき立てます。これが放出されると「大切な人を保護している」と感じるようになるのです。「ドーパミン」キスなどをするとドーパミンが大量に分泌されます。ドーパミンが放出されると、恋愛感情が「ハイ」になり、恋人と一緒に居たいと云う欲求やモチベーションが高まります。「テストステロン」と「エストロゲン」は男性らしさや女性らしさと云った、性ホルモンとしての機能をもちます。「ノルアドレナリン」は、恋に落ちたとき「心臓の高鳴り」「エネルギーの増加」「手のひらの汗ばみ」を発生させます。このホルモンは記憶の保存にも関連しているので、多くのカップルがデートの初期のころを鮮明に思い出す手助けになります。「セロトニン」だけは他のホルモンと違って恋をすると減少するホルモン。これが大量に出ると、喜びや快楽などを抑え、精神を安定させる働きがあるからです。精神を安定させる「セロトニン」だけが恋をすると減少するってことは、「恋」=「一時の妄想」?かも知れませんね(笑)どっちにしても身体でもっとも大切な器官として、通常は心臓が重要視されますが、愛に関することは脳に由来しており、魅力や愛情を経験したときホルモンの生成と放出するようにプログラムされてるようです。研究によると、愛を持つことは健康上の利点につながるらしい。愛をもつことによって、ストレスの軽減 、睡眠の質の向上、免疫の状態の改善、うつ病の軽減、問題解決スキルの向上、認知力の向上、そして痛みの軽減まで及ぶと研究で実証されてるのです。さらに長寿命の実現にまで関与してるとか。なので連れ合いを亡くした方も、やもめ暮らしを続けず、どんどん新しい相手見つける方が長寿を維持できるってことか。だけど老人ホームでひとりのバアチャンめぐって、ジイサンふたりがケンカなんてこともときどき報道されてますね(笑)さて、愛がそのまま続けばいいのですが、もし別れてしまったら?これも研究結果がでてます。別れは、ドーパミンやオキシトシンなどの心地よいホルモンの放出を失うことを意味すると同時に、コルチゾールやノルアドレナリンなどのストレスに関連したホルモンの増加を促進します。ちょうど薬物依存者が薬物の途切れるのを嫌うように、ひどい別れは大きな苦痛を引き起こすのです。こうした喪失感や恋しさの感情は、食欲不振、体重の変化、睡眠障害、不安、憂鬱などとして現れる可能性があると云います。不幸にして連れ合いが亡くなった場合、そのような感情は著しく増幅される可能性があるのですね。愛する人の死によって安定した血液の流れが突然止まると、心血管反応が引き起こされる可能性があります。多くの人では、これに加えて、突然の喪失に伴うストレスホルモンの放出により、血圧が急上昇、心臓が高鳴り、呼吸困難が生じることがあります。イギリスの4,486人の未亡人を調査した結果、連れ合いを亡くした後の最初の6ヶ月で同年齢の既婚者よりも死亡リスクが40%も高かったと云う報告があります。そのためにはストレスホルモンを減らし、愛情ホルモンを増やすために、楽しいことをすることが重要だとも。やっぱ新しい相手探しか?多くの哺乳類と同様、人間は孤独な生き物として生きるように進化してません。愛は任意ではなく、それなしではいられないものと云うのが学者の見解です。
May 23, 2024
コメント(7)
私がラオスを訪れたのは首都ヴィエンチャンだけで、それもラオスがまだ資本主義国側についてたベトナム戦争最中の古い話です。戦争が終結して、共産主義になってからは一度も訪れてません。訪れてたころのビエンチャンはとても首都とは思えないタイの田舎然としていて、見るものもない退屈な街でした。唯一のメリットは長い間フランス領だったので、ラコステなどフランスからの密輸品が安く手に入ることぐらい。東南アジアでもとりわけシンガポール、タイ、マレーシア、ベトナムの経済発展は著しく、それに続いてインドネシアとフィリピン。ブルネイは豊富な石油と天然ガスの埋蔵で、1人当たり国民総所得は日本を上回り、アジアではシンガポールに次ぐ高所得国になってます。それと引き換えラオスやミャンマー、カンボジアは天と地くらい発展が滞ってますね。そんなラオスも今は中国ベッタリで、ビエンチャンの観光客も中国人が大半を占めている。海に面してなくて、とりたてて産業のないラオスでは、隣国中国に頼らざるを得ないのも納得できますが...経済が低迷してきて、中国人の個人支出が減ってくると、モロに影響受けるでしょうな。ところが、アメリカの旅行雑誌「CN トラベラー」が昨年「世界で最も美しい小さな町50」に選出したラオスの町があるんですね。メコン川とナムカーン川によって形成された半島の北部にある「ルアン・パバン」の町です。1995年にはユネスコの世界遺産にも登録されてます。なんか遠景を眺める限り、タイやラオスの田舎町で、何の特色もなさそうに見えますが...ここは古都なんですね。メコン川中流域に14世紀~18世紀にかけて繁栄した、ラーンサーン王朝と云う山地タイ人による国家の首都だった町です。実際のところタイ人とラオス人は親戚みたいな関係で、顔を見ただけでは私たちでは判別できません。ラーンサーン王朝は、ラオスをほぼ覆う領域を支配していました。ルアン・パバンは、木造の伝統的な建築と植民地時代の建築が融合したなにか昔の日本を彷彿とさせる町です。なんとなくベトナム中部のホイアンにある旧日本人街のイメージと重なりますね。レンガ造りの家は植民地時代の建築を代表しており、ほとんどがバルコニー付きです。ここに存在する石造りの建物は寺院だけのようです。そして托鉢僧が毎朝歩く姿は、国こそ違え「ビルマの竪琴」を彷彿させるような。他の東南アジアの都会と違って、とにかく静けさがこの町に満ち溢れてる感じします。こんなちっぽけな町にもルアンパバーンと名前のついた国際空港があります。しかし空港の建物からして民家みたいな(笑)なにしろ国際空港と云っても、海外から就航してる航空便はベトナムのハノイやホーチミンからとバンコクとチェンマイからくらいしか無いのですから。つまり空路でこの町を訪れる場合、釜山やシンガポールからヴィエンチャンの国内線経由か、もしくはベトナムかタイ経由でないと来れないのですね。日本からの直行便は首都ヴィエンチャン行きでさえも有りません。そんな町ですから、旅行者用の宿泊施設も質素です。でも最低限の清潔さとスペースは確保されてるみたい。この古都の産業と云えば独特の色合いをもつラオス・シルクくらいしか無さそうです。それも販売してる夜市の様子は閑散としてる。とても他の東南アジアの喧騒にまみれた夜市とは見比べるべくもない。ルアン・パバンの祭りでもっとも大きなのは「ピ・マイ・ラオ(ラオスの新年)」で、毎年4月13日~15日にかけて執り行います。12月末は古くから東南アジア全域で生活してたモン族のテト(旧正月)になります。旅の楽しみ方は人それぞれですが、私はこの町の雰囲気は好きですね。東南アジアの都会と云うとクアラルンプールでもバンコクでもホーチミンでも、どこも喧騒に包まれてますが、ルアン・パバンの町はなんとも田舎然としていて、観光地に見えない。たまには、こんな旅の楽しみ方もアリかも。しかし、ショットバーなんて無さそうなのが唯一の難点かな?(笑)
May 22, 2024
コメント(7)
中国は南シナ海の領有権問題で、フィリピンやベトナムに対して高圧的な態度をとってますね。南沙群島や西沙群島などで、もともと中国領土でもなかったのに領有権と排他的経済水域の管轄権を主張しています。この海域は石油、天然ガスを中心とする豊富な天然資源が存在する可能性があり、また豊かな漁場として、さらにインド洋と東アジアをつなぐ海上交通路として重要な地域なので、勝手に「領海法」なるものを制定して、国際世論を無視してでもほしい海域なんですな。もちろん国際法に違反してます。この中国政府の強硬姿勢に呼応して、中国漁民もわが物顔で違法操業を繰り返してるのですな。では、同じ南シナ海に面するインドネシアはど~でしょう?どっこいインドネシアには、スシ(スシ・プジアストゥティ)海洋水産大臣と云う筋金入りのオバチャンがいるのです。御年59歳のこのオバチャン、学歴は中卒で、旦那とは離婚、ふくらはぎに香港鳥の入れ墨してるし、インドネシアはイスラーム教国なのに宗教上禁止されてるラマダン期間中でも喫煙してるし。なんとも意に介さない性格なんですな。この人、もともとは政治家ではありませんでした。輸出用のロブスターを専門に扱う水産加工会社の社長だったのです。そしたらロブスターを新鮮なうちに素早く輸送するため、セスナ機を使った航空輸送会社を立ち上げたのですね。2004年のスマトラ沖地震では、自分とこのセスナ2機で孤立地域の被災者に食料供給したりしました。そして、今やアジア太平洋地域のセスナによる最大運航会社に発展したのです。そんなオバチャンがインドネシアのジョコ・ウィドド大統領に見初められて海洋水産大臣に就任。そこから、この人の破天荒な政策が中国政府さえも頭痛のタネに。なんせ違法操業操業している船を見つけたら乗組員を船から退避させた後、船を沈没させてるのです。最近でこそ他国船に注水して沈めると云う穏やか(?)な手法に変わってきてますが、以前は平気で爆破してました。それは中国船のみならず、ベトナムやフィリピン、マレーシア、タイなど船籍を問わず、密猟している船見つけたら即爆破です。彼女が海洋水産大臣に就任してから沈めた船は実に516隻にのぼります。違法漁船拿捕のため、航空・海上・漁船統合監視システムをフル活用してるのですね。スシ海洋水産大臣は「中国は大国で自国で強力に独自の法律を執行している。だったら、こちらにも同様の措置をとらせていただきます」と強気の発言。密猟をおこなってた中国人船長などもどんどん起訴しています。彼女が就任してから、インドネシアの漁獲量は2倍にハネ上がりました。それによって同国は今や世界最大のマグロ生産国になったのです。不法漁業の取り締まりで増えた漁業収入を元手に、沿岸警備能力の向上も充実させていってます。インドネシアの国防省は、中国の南シナ海進出をにらみながら、ナトゥナ諸島周辺で海軍基地の整備など抑止力向上も目指しているのですね。彼女の行為に対して「爆破処置は行き過ぎたパフォーマンスだ」とか、「中国への外交摩擦に対して配慮がなさ過ぎる」との批判もありますが、どこ吹く風。そしたら今度はイスラーム教徒の女性なのに愛煙家で、絶えず煙をたなびかせているのを攻撃対象に。それも無視!学歴が中卒なのも「役所では私以外はみな大卒。教授や博士もいて、学のある人に囲まれているので問題ない」と、意に介するそぶりは一向にありません。こうなると痛快そのものですね。強い女性です。
May 21, 2024
コメント(6)
きょうは「バクテリアはどれくらいの速さで落としたりこぼしたりした食品を汚染するか」と云うテーマです。つまり落とした食品を拾って食べる場合、どれくらいの時間猶予があるかってこと。「5秒ルール」と云う迷信がありますね。「床や地面に食品を落としたとき、5秒以内に拾えばその食品は菌に汚染されない」と云うもの。この5秒ルールも地域によってバラつきがあって、3秒ルールを謳うものもあれば、10秒や15秒ルールってのもあります。どっちにしても、落とした食べ物も◯◯ルール以内だったら安全と云うもの。この5秒ルールと同じように、汚れたであろう食品を口にするとき云う言葉が世界中にあります。アメリカでは「人は死ぬまでに1ペック(約9リットル)のホコリを食べる(God made dirt, dirt don't hurt)」スウェーデンでは「胃を綺麗にするホコリもある(Lite skit rensar magen)」スペインでは「綺麗な豚は太らない(Chancho limpio nunca engorda)」ドイツでは「ホコリが胃を綺麗にする(Dreck reinigt den Magen)」etcこれらの慣用句はすべて食品についた「ホコリ」だけに着目してますが、もちろん「落とす」=「ホコリ付着」だけではありませんね。病院の床はいつも清掃されて綺麗そうに見えますが、キレイそうでも実際は雑菌やウイルスで汚染されている。なので5秒ルールなんてものが浸透したワケですが、病院のように汚染された場所と家庭でも条件が違うワケですから、そもそも5秒ルールが成り立たない。どころか5秒ルール内だったら、ホントウに落としたものを食べてもダイジョウブなのか?いったいバクテリアはどれくらいの速さで食品を汚染するのでしょうか?食品を汚染する原因は時間と云うより、むしろ「湿気」です。ウェットフードは、パンやグミキャンディーなどドライフードよりも多くの細菌が付着しやすくなります。またカーペット敷きの表面は、タイルやフローリングの上に落としたときよりも、細菌の付着が少なかったのです(カーペットが乾いてる条件で)。バクテリアで覆われた表面上に食べ物が長く置かれているほど、より多くのバクテリアがその表面に付着するのは事実です。どころか、食べ物が地面に落ちるとすぐに、多くのバクテリアが付着したのが確認されてます。しかし、ほとんどの場合、多少のほこりや床のバクテリアが付着したクッキーを食べても、健康な免疫システムを持つ人に害を及ぼす可能性は低いです。病院の床のように汚染されてる場所でないかぎり、99%の確率でおそらく安全なんです。むしろ常に床などを清潔に保つことが、最も重要なポイントなんですな。
May 20, 2024
コメント(7)
昔、手塚治虫の作品に「三つ目がとおる」ってのがありました。古代ムー大陸に住んでた「三つ目族」の末裔にして帝国の王子 写楽(シャラク)保介は背が小さく頭の禿げた中学生。額にいつも絆創膏を貼ってましたが、その理由は「第三の目」を隠してたから。この絆創膏を剥がすと、たちまち三つ目族の超能力と天才的頭脳を発揮すると云うもの。このマンガは当時オカルトブームだったので大ヒットしたのですが、お釈迦さまにも第三の目がありますね。お釈迦さまの第三の目もシャラクくんと同じように、額の中央、眉の接合部の少し上にあります。これは悟りによってできるとか。イボではありませんよ~ヒンドゥー教にも第三の目があります。仏教やヒンドゥー教では、「瞑想」と訳されるチャクラがいろいろ有って、第三の目は「意識の目」と見なしており、視覚を超えた悟りを開く視点を表しています。ヒンドゥー教のシヴァ神で第三の目は、知識の力と悪の探知を象徴しています。シヴァ神の場合、額の中央にある3本の水平線で描かれています。そもそも私たち人間も含めて、生き物は2つの目だけですよね。シカなど弱い生き物は、通常「単眼視」を持っています。単眼視とは、頭の両側に目があり、2つの視野を1つの大きな視野に組み合わせることができるのですね。これによって、ライオンなど襲ってくる猛獣を警戒するのに役立ちます。逆にライオンなどは人と同じ「両眼視機能」を備えており、目は前を向いているため、見えるフィールドが重なることで奥行きを認識、食べものを見つけるのに役立つのです。どっちにしろ、現実の生き物はみんな目が2つ。三つ目なんていないワケです。ところが、今、生存してる生き物に三つ目族がいるのです。化石を分析すると、かつて多くの動物の頭の上に第三の目があったのが分かります。第三の目は、 哺乳類や鳥類では消えていますが、一部の爬虫類や両生類にはまだこの「頭頂」の目が残っているのです。そのもっともいい例が「イグアナ」。頭頂眼は、本来の眼とよく似た構造を備えており、水晶体、角膜、桿状体に似た構造を持つ網膜、退化してはいるが脳に繋がった神経などを備えているそうです。この第三の目を使って青と緑の光を検出し、時計のように時刻を「読み取る」のですね。つまり「太陽の位置」を第三の目で測ってるのです。こうして影や光の変化を感知することで危険を察知し、航海のコンパスとしても機能します。実は、人間にも第3の目システムの一形態「松果体」があります。ただ残念なことに、人間の場合は頭蓋骨のなかにおさまっており、体内時計をつかさどるメラトニンを分泌する脳器官なだけで、道に迷ってもなんの役にも立たないのですね。
May 19, 2024
コメント(6)
18世紀半ば~19世紀にかけて起こった産業革命以降、我々はGDPの大幅な上昇と引き換えに、地球の環境を汚染し続けてきたのですね。最初は数少ない蒸気機関から始まり、石炭に変わり、それがジーゼルやガソリンエンジンになり...それも乗り物からエネルギー、工場まで覆い尽くすように。そして温室効果ガスの影響で人類はおろか生き物すべてが危機に面してるワケです。昔から「霧の街」と云われてきたロンドンが初めて霧ではなく、スモッグに覆われたのが1952年の12月。これが「世界最初の大気汚染」です。発生からわずか1週間で15万人が入院し、1万2千人が亡くなりました。毎年問題になる「黄砂」は大陸のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠で巻き上げられる砂で、それ自体は有害物質ではありません。ところが、この砂が偏西風で中国の工業地帯に運ばれ、スモッグの上空を通過 している間に、硫黄酸化物、窒素酸化物、水銀などの大気汚染物質を吸着し、黄砂そのものが汚染分質として日本に降りそそぐのです。大気汚染の尺度に「PM2.5」がよく使われますね。PM2.5とは、大気中に浮遊している直径2.5μm(髪の毛の太さの1/30程度)以下のきわめて小さな粒子のことです。粒子の成分は炭素、硝酸塩や硫酸塩、ケイ素やナトリウム、アルミニウムなどさまざまです。吸い込んでしまうと細い気管支や肺の奥まで入り込む恐れがあり、ぜんそくや気管支炎など呼吸器系の病気リスクを高めると云われてます。このPM2.5を尺度にすると、地球上でもっとも汚染されてる国は「バングラディッシュ」です。それに続いてパキスタン、インド、タジキスタン、西アフリカのブルキナ・ファソ、イラクとお馴染みの国々が顔を並べます。日本は96位で、カナダやロシアよりも多少マシな方です。オーストラリアのタスマニア州にグリム岬と云うちっぽけな土地があります。グリム岬は地理的に孤立した場所にあるため、非常にユニークな場所なんですな。グリム岬のすぐ西にある陸地はアフリカではなく、アルゼンチンの南端です。ここの産業と云えば細々と続けられてる畜産くらい。付近に大陸がないので、南極とインド洋からグリム岬に向かう風は直接グリム岬を通り過ぎていきます。それが幸いして、グリム岬の大気中粒子の数は、条件のいい天気の良いメルボルンより、さらに1,000倍もキレイなんです。たしかに牛が生成するガスはありますが、頭数が少ないので取るに足りない量なんですね。そこで、グリム岬には局所的な汚染の影響を受けることなく、地球の大気の変化を正確に測定する観測所が設けられてるのです。この施設では、最低レベルの汚染を測定していることになります。つまり、各国の排ガス規制がもっと進んでいったとしても、自然に汚染されていく地球大気の状態を継続的に監視できるワケです。科学者は「私たちは目に見える最低レベルの汚染を測定しています」と述べてます。グリム岬の科学者は、この空気を「ベースライン」の大気、つまり地球上で最もきれいだと表現しています。ベースラインの大気=地球上でもっともきれいな空気は、とりもなおさず、ここ以外の地ではもっと汚染が進んでるってことです。グリム岬にある「ベースライン」空気監視ステーションから収集された大気は研究室に吸い込まれ、そこでハイテク機械がその化学的および物理的特性を分析します。ここで測定されるのは温室効果ガスとオゾン層破壊物質、そしてエアロゾルや反応性ガス、ラドンです。大気の収集は1978年から行われており、現在約250個のキャニスターがメルボルンのオーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)航空保管庫に保管されています。CSIRO は「年間複数のシリンダーを何年にもわたって保管することで、新しい分析技術を入手したときに、古い空気に戻って改めて分析することができる」と述べてます。グリム岬で最初の大気が測定されたとき、二酸化炭素レベルは330ppm をわずかに下回っていました。最近ではその濃度は417ppm 以上に達しており、1970年代からほぼ25%増加しているらしい。CSIRO は現在、イギリスと組んで宇宙から大規模な海洋水質のモニタリングもおこなってます。
May 18, 2024
コメント(8)
きょうは私のようなオジンにはもっとも似つかわしくない話題で。きょうのタイトル「赤いルージュ」はイミなしてないですね。「ルージュ(rouge)」は、 フランス語で「赤」と云う意味ですから、これでは「赤赤」になってしまう。貸本屋世代で雑誌「ガロ」愛読者には懐かしい"つげ義春"と云う漫画家がいました。私の大好きな作家のひとりなんですが、彼の作品に「紅い花」と云う短編マンガがあります。釣り人である主人公の男性と、山中の小さな一杯飲み屋で店番しているキクチサヨコと云うノスタルジックなおかっぱ頭の少女との触れ合いを描いた作品です。このマンガはモノクロ作品なんですが、なぜか私にはサヨコの唇に真っ赤な口紅が塗られてるように見えるのです。ほとんど人の寄り付きそうもない山中の一杯飲み屋で働く少女が、真っ赤な口紅をしていると云うのはあるイミ不自然ですが、なぜか私のイメージとしては「真っ赤」が似つかわしい。タイトルの「紅い花」が心理的に影響してるのかも知れませんが、ここでの赤い口紅は、現代風の自信と魅力の表現としてではなく、都会と縁のない少女だからこそ憧れとしてせめて口元くらいは飾りたいの心情が表れてるような。現代で赤い唇と云うと、歌手のテイラー・スウィフトが連想されますが、別の見方をすると古典的な女性らしさのようにも見えます。それはクレオパトラにまで遡るのかも。イギリス人考古学者でメソポタミアのウルを発掘した業績で知られるレオナード・ウーリーが見つけたシュメールの「プアビ女王」の遺体は他の豪華な埋葬品とともにペンシルベニア大学博物館に展示されてます。今日のイラクにあたるウルは多くのシュメール王族の墓地だったのですね。そのプアビ女王は、権力における自分の地位を象徴するために、鉛白と砕いた赤い岩を混ぜ合わせて唇を染めました。紀元前3,500年のことです。これが分かってる唇を赤く染めた最初でした。プアビ女王の影響を受けて、多くの裕福なシュメール人がザルガイの殻にリップ着色剤を入れて埋葬されていたことが発掘によって明らかになりました。レッド・オーカーと云う天然土で、赤褐色の顔料があります。粘土とシリカを少量含んだ酸化鉄の土です。アメリカインディアンの赤色顔料として使われてたものですが、もっと古くは、古代エジプトの貴族が大胆な赤い唇を作るために樹脂と混ぜたレッドオーカーを使ってました。クレオパトラは、カメムシの仲間カイガラムシ(虫)から抽出された深紅の色素であるカーミンを好みました。このカイガラムシ、今では食品の着色として、いちごヨーグルトやピンク色のかまぼこ、かき氷のシロップに使われているのですよ。ローマ帝国でも鮮やかな赤い色合いがより高い地位を示しました。しかし、この時代に使われてたのは"水銀を含んだ朱色"のような赤色だったのです。水銀ですから猛毒です。美とひきかえに、ローマ貴族は命の危機に面してたワケです。逆に貧しい人々は、高価な着色料が買えないので赤ワインの沈殿物を使ってましたが、それによって高貴な人より長寿だったと思います。時代がもっと下がってエリザベス1世の時代にはイギリスで赤い口紅がトレンドになって、人気急上昇。原因はエリザベス1世そのものにあります。彼女はクレオパトラと同じようにカイガラムシにアラビアゴム、卵白、イチジクミルクで作った特注の深紅の口紅で唇を飾ったのがキッカケになってブームになったのですね。化粧品会社「エリザベス・アーデン」の創始者エリザベス・アーデンは、1920年代のアメリカ女性参政権運動の中で、女性の権利を求める闘いを象徴する色、勇気の証として「赤」を推奨して当時の活動家女性に大いに支持されたのですね。また彼女は第2次大戦中、兵役にとられた男性の替わりに女性が家から出て肉体労働現場へ進出するに伴い、女性海兵隊員の制服の鮮やかな深紅のトリミングに合わせた色合いと同じ色の口紅を売り出しました。日本に赤い口紅の原料「紅花」が、中近東、エジプトからシルクロードを経由して入ってきたのは3世紀半ば。奈良時代には、身分の高い男女が紅花の色素を化粧に使うようになりました。唐の流行にならい、唇をくっきりと赤く塗っていたのですね。平安時代になると、古代エジプトやローマと同じようにお洒落と云うより、身分や階級を表すものとして用いられました。口紅をつけるときは唇が小さく見えるように、下唇にほんの少し紅を点すのが流行したようです。江戸時代後半になると、一般庶民も化粧を楽しむようになります。粋な江戸の女性たちの間で憧れの的になったのが「小町紅」。紅の原料を買い取って精製し、販売する「紅屋」が続々と誕生しました。江戸時代に日本独特の美学が開花します。下の浮世絵画像で紅を点す女性の口元をよく見ると、下唇が緑色に見えます。これは「笹紅」と呼ばれるメイク法で、純度が高く精製の密度が細かい小町紅を何度も塗り重ねると、唇が玉虫色に輝くのですね。玉虫色に光るのは品質の高い小町紅だけで、そうした小町紅は、現在の金額で1つ6~7万円もしました。これでは一般庶民の女性たちには、とても手が届きません。そこでこうした女性たちは、下唇を墨で塗りつぶした上から、精製の粗い安い紅を塗り流行の「笹紅」を再現したそうです。たかがリップスティクひとつとっても、歴史的にながめると面白いですね。お化粧やファッションは時代時代を反映して、あるイミ歴史の生き証人でもあるワケです。
May 17, 2024
コメント(8)
サンディエゴって、数あるアメリカの街でも日本人に馴染み薄い部類に入る街ではないでしょうか。だけど関空からJALが直行便でてるし、日系企業も数多くあるらしい。それよりアメリカ人には「ファイネストシティ(憧れの街)」と呼ばれてて、住みたい都市ランキング全米10にいつも上位で入ってるらしい。なので、単に私だけがよく知らないだけかもしれません。サンディエゴは西海岸にあるので、リゾート地としても有名なんですが、そもそもアメリカ人の休暇の取り方は我々とは大きく異なります。もっとも有名なアメリカのビーチリゾートはカリブ海、フロリダ、カリフォルニアですが、どこに行ってもアメリカ人は何もしません。ただ、その時をゆったり過ごすだけです。マイアミは、引退した老夫婦が最後をむかえる地としても有名で、数多くの老人ホームがあります。サンディエゴでも、サーファーを見るくらいで、ほとんどの人は日光浴だけ楽しんでる。ハワイは多くのアメリカ人にとって距離感があるので、日本人ほど親近感はなさそうです。だいたいアメリカ人の多くは、カリフォルニアのような西海岸に住みたい人が多いですね。やはり 地中海性気候が影響してるかも。治安も、L.A.を除いて概ねいい方ですからね。FBIの犯罪報告書によれば、カリフォルニアのサニーベールなんて、国内の同規模都市中で最も安全な都市10傑に入っているくらいです。サンディエゴもまた、人口50万人以上の都市で、全米6番目に犯罪率が低い都市です。しかし、サンディエゴをもっとも有名にしたのはトム・クルーズ主演映画「トップガン(Top Gun)」でしょう。この作品の舞台になったのがサンディエゴの海軍基地ですね。サンディエゴには、アメリカ太平洋艦隊の基地が設置されているのです。また、この街には退艦した空母ミッドウェイを保管し、軍事博物館として公開しています。2022年には、トム・クルーズがサンディエゴで開催された「トップガン:マーヴェリック」ワールドプレミアに出席。彼は自ら操縦したヘリコプターでミッドウェイの飛行甲板に着艦しました。アメリカだと、ど~しても人種構成の話になりますが、サンディエゴの白人は58.9%、アフリカン・アメリカンが6.7%で白人が多い印象受けますが、人口の28.8%はヒスパニック系やラテン系です。それはサンディエゴの地理的条件が影響してるのですね。メキシコの国境の街ティフアナと車で30分以内の目と鼻の先にあります。アジア系では日本人が0.7%で、約9千人もいることになります。それはサンディエゴがバイオや製薬をはじめ、医療機器の企業が集中してるのと、カリフォルニア大学サンディエゴ校 (UCSD)などへの留学が多いからでしょう。他にフィリピン系が5.9%、中国系2.7%、ベトナム系2.5%、インド系1.3%、韓国系1.0%、ラオス系0.4%、カンボジア系0.3%、タイ系0.1%の構成です。サンディエゴには、もうひとつ名物があります。アザラシとアシカのホットスポットなんです。12月中旬~5月中旬の出産シーズンは、出産ビーチが閉鎖されたり、立ち入りが制限されたりします。保護活動に熱心なんですね。冒頭に掲出したラ・ホーヤの入り江は、アザラシとアシカの出産ビーチでもあり、人間が遠慮しいしいビーチを楽しんでるくらいです。なにしろサンディエゴの広報では「野生動物が嫌がらせを受けたり、虐待を受けたり、傷つけられたりしているのを見かけたら、サンディエゴ警察か当直のライフガードに通報してください」とまで警鐘してるくらいですから。とにかく景勝はカリフォルニアの中でもズバ抜けていいですね。ただ、この街にも問題があって、人口の14.6%は貧困線以下で、ホームレスの人数はアメリカ国内で第4位の位置にあります。やはりヒスパニック系やラテン系多いのが原因でしょうね。
May 16, 2024
コメント(6)
きのう夕食済ませて、立ち上がったら私の座ってたダイニングチェアの上に小指のツメよりちっちゃい緑色の物体発見。すわ、カメムシか!なんせ近畿ではカメムシ大量発生で、洗濯ものにでもくっついてたのでは?と思って、よく見たら...食べてたグラタンのグリーンピースでした(笑)きょうはパパゴリラ!さんや私も超ニガテな話題、「混雑」のお話しです。長らく人口世界一を誇った中国を抜いて、人口世界一になったのは昨年のインドで14億4,170万人。次いで中国の14億2,520万人で、このふたつの国が突出してるのですね。人口3位のアメリカになると3億4,180万人ですから、一桁違うワケです。3位アメリカの後に続くのがインドネシア、パキスタン、ナイジェリア、ブラジル、バングラデシュと低開発国が目立ちます。日本は1億2,260万人で12位。こうした各国の人口を集計した世界人口で昨年は初めて80億人を突破。80億4,500万人だったのが、今年になるとさらに約7,400万人増えて、81億1,900万人にもなりました。ちなみに人口がもっとも少ない国は、イタリア半島中東部のサンマリノで、3万人しかいません。総人口もそうなんですが、人口密度で云えばダントツの1位はモナコの平方km あたり26,336人です。これに続くのがマカオの21,724人とシンガポールの8,749人ですね。インドは人口密度で云えば、平方km あたり464人、中国は153人で、国の広さがモロに出てます。日本の人口密度は25位の347人、お隣 韓国は527人ですから韓国の方が混み合ってることになります。よく報道されてるのが、日本に来た外国人がこぞって驚くのが日本人はどんなに混雑してるところでも、ぶつかることなく上手に歩くってこと。これが西洋人になると混み合った電車の中でも、自分のスペースは絶対確保して、ゆずるってことをしませんね。アメリカの人口密度は世界180位の平方km あたり約37人と国土の広さでダントツに少ないです。でもニューヨークなんて、あの狭いとこに約1万1,400人もいて、それにものすごい数の観光客を加えるととてつもない窮屈さなんですね。とにかくアメリカにしても、中国、インドにしても都市によって人口密度のバラツキが大きい。それを云うなら日本だって同じですが。人口密度もそうなんですが、例えば道路状況なんかで云うとその国民の意識レベルの違いが如実に現わしてます。道路が狭いとか入り組んでる、そもそも車社会で車が多いと云った事情もあるのでしょうが、車の運転マナーがモロに出るんですね。ニューヨークに行ったとき、夕方のラッシュ時になるとただ広い高速道路が車で埋め尽くされて驚きましたが、みんな整然と運転していてトラブルひとつない。台湾ではとてつもない数のバイクが通勤時間に集中しますが、これまた整然と走っていて何のトラブルもない。バイクが自転車に置き換わったのがオランダ。これも定められた一方通行の自転車道を整然と走っていて小気味いいくらい。ところが、これがインドやバングラディッシュとなるとたちまちカオス。各ドライバーが自分勝手に車線変更したり、ムリなとこに突っ込んでいったり。普通にルール守って走っても渋滞起こる道で、ますます泥沼に自ら足を突っ込んでいく。それに加えて、こうした国のドライバーはなぜか頻繁にクラクション鳴らします。鳴らしたって、事態が改善されるワケないのにただ義務のように。どっちにしても、人口は年ごとに増えていく。のは、いいとしても、問題は日本に象徴されるように若年層人口の減り方ですね。高齢者ばかりになって、少子化がすすみ、国力がどんどん衰えていく。総人口に対し65歳以上の割合が最も高い先進国は日本の他にドイツ、イタリア、アメリカ、フランス、イギリス、スペイン、ポーランド、オランダの9カ国です。一人っ子政策のダメージ大きい中国の上海や南通なども、高齢化が大きな問題になってますね。しかも中国では若者の失業率が急上昇していて、若者のニート化も顕著。高齢化が進む中で、若者は仕事しないでは立ちいかなるワケです。さらに2030年までに高齢化率が最も高くなるのは、ラテンアメリカとカリブ海諸国、次いでアジア、アフリカになると予想されています。こうした地域は先進国よりも早いペースで高齢化が進むと同時に、インフラの未整備や低い国民所得、脆弱な社会セーフティネットなどの問題がさらに深刻化する可能性が高いのです。はてさて、いったいど~なるのやら。今でさえ食料さえ充分に配給されない国がもっと高齢化したら。そんなことも知ってか知らずか、世界のあちこちは人の渦。そんな模様を画像で...
May 15, 2024
コメント(7)
「日式中華」っていかにも中国語のように感じますが、中国で「中華料理」とは云わないですね。中国では「中国料理」。日式中華は、要するに日本式中華料理のことで、中国料理を日本式にアレンジしたり、中国料理に似せて作った純粋な日本料理ですね。日式中華の代表格が 焼き餃子やラーメン。中国で餃子は基本的に水餃子で、日本のように皮が薄めでパリパリしてるのと違って、中国水餃子の皮はモチモチしてしっかりしてます。中国にも「鍋貼」と云う日本で云うところの焼き餃子に似た上海料理がありますが、鍋貼は皮の上に具を載せ、皮の直径にあたる両端を具の上でひっつけただけで両側を閉じていません。餃子の食べ方にも違いがあって、日本では餃子はオカズで、ご飯と一緒に食べたりしますが、中国ではご飯と一緒なんて先ず有りえません。中国で餃子は"主食"と云う位置づけだからです。ラーメンなんて、中国はおろか東南アジアどこでもあるポピュラーな麺料理ぢゃないか!たしかにそうなんですが、スープが根本的に違うのです。中国では「蘭州拉麺」が一般的ですが、中国や東南アジアのラーメンは牛肉や鶏ガラで単純にダシをとっただけ。食べるときに食べる人が調味料を足して、自分好みの味付けにすることが多い。それに対して、日本のは、醤油、味噌、塩味、豚骨など様々なラーメンスープがありますね。とにかく出汁にこだわるのが日本のラーメン。ことラーメンに関しては、日本の方が美味しいと中国人でも認めてます。ラーメンのバリエーションで「酸辣湯麺」ってのがありますね。これとは別に「酸辣湯(サンラータン)」と云う、湖南のスープもあります。酢の酸味と唐辛子や胡椒の辛味と香味を利かせたスープで、具材を煮込んだ後、とろみをつけて、最後に溶き卵を流し込んで仕上げる、めっちゃ美味しいスープ。このスープに麺を加えて「酸辣湯麺」となるワケですが、「酸辣湯麺」は完全な日本オリジナルです。中国で酸辣湯に麺を入れると云う思想はありません。赤坂の中国料理店「榮林」発祥のラーメンです。これからシーズンを迎える「冷やし中華(冷麺)」。これまた日本ならではのオリジナル。中国上海料理にも冷やし麺「涼拌麺(リャンバンミェン=涼麺)」がありますが、中国は生水が衛生的でないので日本のように茹でた麺を水で締めるのではなく、うちわなんかで扇いで冷ますだけです。それ以上に違うのがタレ。涼拌麺はゴマダレなどの濃厚なタレに絡めていただきますが、日本の冷やし中華は冷たい酢醤油を始め、胡麻だれ、味噌だれなどさまざまなタレがありますね。冷やし中華は1937年(昭和12年)仙台市にある中華料理店「龍亭」が始めたものです。当時の飲食店は空調設備がプアだったので、特に油っこいイメージある中華料理は夏に敬遠されがち。そこで、暑い季節でも中華をと考案したのが「涼拌麺」と云うネーミングだけいただいた日式中華。これが広まって、冷やし中華になったワケです。上海は港町と云うことも有って、「茄汁蝦仁(エビのトマトソース添え)」とか「咖哩蝦(エビのカレー炒め)」と云った風に、古くから中国固有でない香辛料を使った料理が多かったです。そんな中国料理で上海風四川料理に「乾焼明蝦」があります。「乾焼」とは汁気のない煮込みのことですね。日本で云うところの「エビチリ」。両者の違いは明確です。乾焼明蝦は薬味と豆板醤で炒めたので、とにかくカライ!それに対してエビチリは、陳建民が日本で中華料理店を出すに当たって、当時、豆板醤が入手困難だったことと、日本人が豆板醤の辛味に慣れてないことからチャップに置き変えて作った料理で、これも日式中華。ご飯もので云うと筆頭格が「天津飯」!かに玉(芙蓉蛋)をご飯の上に乗せて、とろみのある餡をかけた誰でも大好きどんぶりですね。中国で芙蓉蛋をご飯に載せた料理は見当たりません。香港に香煎芙蓉蛋飯(芙蓉煎蛋飯)や滑蛋蝦仁飯などの卵焼きとご飯の組み合わせ料理はありますが。香煎芙蓉蛋飯はエビやハム、野菜などを傷めたあと、卵を投入しますが、この卵は揚げると云う表現の方が正しい。そもそも中国料理にはとろみをつけた餡をかけるという思想がないのです。同じように中華丼も完全に日本発祥のお料理ですね。中国料理店のステッフ用まかない料理だったとか、八宝菜を注文した客が「ご飯の上にかけてほしい」と要望したとか諸説ありますが、いづれにしても中国に中華丼はありません。さて、問題は「チャーハン」です。チャーハンなんて中国や日本だけでなく、東南アジアどこでも食べられてるポピューなお料理ですね。もう庶民料理の代表格みたいな。トルコ料理に代表される「ピラフ」はチャーハン(焼き飯)と違って、いわゆる炊き込みご飯の類ですね。チャーハンは隋代から宋代にかけて中国で生まれたようです。ところが本場、中国の人はレストランにいってチャーハンを注文する人は稀らしい。中国でも「揚州チャーハン」のように具材の入ったものもありますが、基本的に中国のチャーハンはまともに具が入ってないのが普通です。中国チャーハンは、昔、貧乏で食料がない時代に炊いたご飯が余ったら、豚肉の脂身からラードをとって、そのラードだけで、ご飯を炒めて出すのが「チャーハン」だったからです。なので日本のチャーハンのようなパラパラ感がなくて、もっとギトギト油っぽいものでした。そんなラード焼き飯の豪華版が、ネギや卵くらいを入れものですから、日本を始め、東南アジアのチャーハンとは比べ物になりません。中国では家庭もてなし料理で客人にチャーハンを振る舞うこともないし、レストランでわざわざ頼むようなモンでもないらしい。このチャーハンとラーメンの半チャンセットは日本ではアタリマエの組み合わせですが、中国にチャーハンとラーメンのセットメニューは全く存在しないです。中国人にとって両方とも主食のカテゴリーなので、これでは主食+主食で有り得ない組み合わせなんですね。中国人が餃子とご飯をセットで食べないのと同じです。
May 14, 2024
コメント(8)
トルコの曲と云うと「トルコ行進曲」?アレはオスマン帝国軍楽隊の音楽に刺激されて、モーツァルトやベートーヴェンが作った楽曲でんがな(笑)日本では古くは江利チエミの「ウスクダラ」ってのがあったそうですが、この曲はトルコの民謡「キャーティビム (Kâtibim)」を元にアメリカ人のアーサー・キットが歌ったのをカバーした曲なんだそうな。私も幼かったころの、あまりに古すぎる曲で、まったく記憶にありません。なんせ1954年の第5回紅白歌合戦で歌われてた曲なんですから。私がバンコクで滞在してた1978年にリリースされたのが、庄野真夜の「飛んでイスタンブール」。こっちは純粋に日本の曲で、筒美京平の作曲ですな。当時サンスイのステレオと「飛んでイスタンブール」のレコード持ってたので、マンションのお隣さんのイスラエル人老夫婦が繰り返しかけてくれとオネダリされましたが、これがイスタンブールに憧れた曲だとはついに明かせませんでした。なかなか日本にいてトルコの現代音楽聞く機会なんて無いですね。きょうは現代トルコの人気楽曲「Bi Tek Ben Anlarim(私だけが理解できる)」をお聞きください。しみじみとしたバラードですが、やはり欧米の曲とはかなり違います。Bi' Tek Ben Anlarım (Akustik) - Zeynep Bastıkトルコと云うとブルーモスク(スルタンアフメト・モスク)やアヤソフィア大聖堂、地下宮殿(バシリカ・シスタン)などのあるイスタンブールとか、中央アナトリア歴史的地区のカッパドキア、そして「がっかり遺跡」で有名なトルコ北西部のトロイの木馬で有名なトロイ遺跡くらいかな?あとはメヴレヴィー教団の回転しながら踊るセマーと呼ばれる踊りで有名なトルコ中部のコンヤの町か。昔々、オルハン(Orhan)と云うオスマン帝国第2代皇帝がおられたそうな。オスマン帝国の実質的な建国者と云われる人物なんですが、トルコの教科書ではオルハンの誠実な人格と信仰心が称賛されてます。オルハンは、攻略直後のイズニクにモスクや神学校のマドラサと共に建てた「救貧院」の開設式のとき、自らスープを配り、夜には薪を焚いたと云うことです。トルコ北西部に、ヨーグルトをかけて食べるケバブ(イスケンデル・ケバブ)の発祥の地として有名なブルサ(Bursa)の街があります。シルクロードの西端の都市として繁栄した街でもあり、ここをオルハンはオスマン帝国の首都としたのですね。1324年に王位に就いたオルハンは、1326年にブルサを占領。市壁を超えて拡張していなかったブルサの都市を発展させるため、オルハンは東に向かって要塞とモスクの複合施設を次々と拡張していったのですね。そうした遺跡も、1413年にカラマン朝のベイ・メフメト2世による包囲によって放火され、マドラサ、メクテプ、イマレットと云う複合施設は崩壊してしまいました。そうした中で、オルハンが1339年~1340年に建てさせたモスクが残ってます。「オルハン・モスク」と呼ばれるこのモスクの正式名称は「イズニク・アヤソフィア・モスク」。オルハンがブルサ征服後、城の外に建てられた最初の建造物で、モスクと同時に宿泊施設と集会場を提供する複合施設のひとつです。この建物はユネスコ世界遺産に登録された敷地内にあります。このモスクは11世紀に発生した大地震後に修復されてます。間口に石とレンガで建てられた高く尖ったアーチ、レンガ造りの日輪、ロゼットなど多くの特徴的な形状をしてます。オルハン・モスクは、4世紀~5世紀のローマ時代に建てられた体育館の石の基礎の上に作られたのですね。11世紀の大地震でほぼ全壊しましたが、その建物残骸を1.4m かさ上げして再建。外壁が修復され、身廊(聖堂内部の中央の細長い広間部分)の壁が建てられました。それをオルハンによるイズニク征服の後、建物は再び高くなり、身廊を隔てる支柱が交換され、ミナレットとミフラーブが追加されてモスクになりました。2006年に トム・ハンクスに主演した映画「ダ・ヴィンチ・コード」には、このトルコの街イズニックのことがでてきます。ダ・ヴィンチ・コードってキリスト教の映画なのにナゼ?だってオルハン・モスクを始めイズニックそのものが、古くはローマ帝国に支配されてたのですから、キリスト教がでてきても不思議でない。ダ・ヴィンチ・コードに「ニカイア会議」と云うくだりが出てくるのですが、このニカイアこそ現在のイズニックのことなんです。ローマ帝国の皇帝コンスタンチィヌスが325年のニカイア会議で、聖書を作り、マグダラのマリア(イエスに従った女性で聖人)を娼婦とする見解を示したとしてるのですが、これは小説・映画の世界の話で事実ではありません。そう云うこともあって、イズニックはバチカンによって3番目の聖なる都市とも宣言されてます。つまりトルコにありながら、キリスト教徒にとっても重要な街なんですね。
May 13, 2024
コメント(6)
行ったこと無い、また、これからもおいそれと行けそうにない処でも、土地土地のお料理は興味つきないですね。日本のチェーン店も、それはそれで存在価値もあるけど、やはりその土地ならでは、そのお店ならではの美味しい料理が出てくるとこの方がダンゼン魅力的。私がいつも感心して拝読してるのが、パパゴリラ!さんのブログで、よくまぁこんだけ美味しそうなお料理出てくるところ探して来られるものだと。とりわけお蕎麦のお店は、特別なお蕎麦臭覚が発達してるのでは?と(笑)それも海外のお料理となると、日本人には口に合わなかったり、土地の人からしたら何でもなくても、見かけがグロテスクだったり。もともと日本人がどんな国のお料理も上手にこなして、日本独特の繊細さや味付けで、やはり日本の右に出る国はなかろうと思います。バルカン半島にあるモンテネグロって国。クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、アルバニア、コソボと国境を接した日本人にはなかなか馴染みのない国ですね。福島県とほぼ同じ面積のちっちゃな国です。もともとユーゴスラビアの構成国のひとつで、長らくオスマン帝国や旧ソ連など隣国の干渉を受け続けてきましたが、ロシアの反発を無視して、2017年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟してます。モンテネグロは周辺国と同じように城壁に囲まれた旧市街が観光のウリですが、同時にアドリア海に沿った細長いビーチも有名。ですが、首都ポドゴリツァまで関空からだと一ヶ所経由の最短でも17時間30分。だいたい21時間~33時間はみとかなきゃなりませんから、おいそれと行ってみようとはなりませんね。やはりイスタンブールやローマあたりで遊んでから移動しないと。そんなモンテネグロの美味しいものって?モンテネグロの至るところにカフェや屋外レストランがあります。とても雰囲気のいいお店ばかり。モンテネグロで、何を差し置いても先ずご紹介しなければならないのがワイン!2006年の映画「007/カジノ・ロワイヤル」では、ダニエル・クレイグ扮するボンドがモンテネグロ行きの列車内でモンテネグロワインを楽しんでました。モンテネグロは2,000年以上の歴史を持つワインの特産地です。赤ワインに使われる「ヴラナッツ(Vranac)」は、モンテネグロ原産の葡萄で、果実は大きくて色が濃く、紫や濃い青の薄い皮を持ちます。高品質で辛口の赤ワイン生産に使用され、カベルネ・ソーヴィニヨンやメルローなどとの相性も良く、程よいタンニンの苦みと長く続くフルーティーさが特徴的な辛口でスムースな飲み口です。白ワインだったら「クリスタッチ(Krstac)」、黄金色の辛口ワインです。ワインとくりゃ、アテは決まってますね。モンテネグロには「ニエグシュの生ハム」と云う絶品の生ハムがあります。肉の信じられないほど濃い色と強烈な味が、この名物料理の特徴です。肉を約3週間塩漬けし、約3週間プレスして余分な水分を取り除き、軽く燻製。涼しい山の風で3ヶ月間乾燥させ、その後熟成させます。完成までに約1年かかる、手の込んだ生ハムなんです。ワインに生ハムとくりゃあ、お次はチーズですね。モンテネグロのニェグシ村は、ハムや地元のスモークチーズで特に有名です。モンテネグロ山岳地帯の伝統料理カチャマックは、セルビア料理ですね。カチャマックは、砕いたジャガイモとカイマック(クリーム状の乳製品)、羊のチーズを混ぜたトウモロコシのお粥です。かなりお腹にボテッとくる料理です。モンテネグロの隠れた国民食と云われてるのが「ニェグシュキ・ステーキ」。ハムとチーズを仔牛肉の薄いスライスに折り込み、グリルした料理です。これは有名なセルビア人シェフ"ミロヴァン・ミチャ・ストヤノヴィッチ"の発案ですが、これそのものも、子牛肉の代わりに豚肉を使用したり、肉を詰める代わりに生ハムで肉を包んだりしたバリエーションもモンテネグロの人気料理のひとつになったのです。「肉巻き肉フライ」みたいなのが「ポペツィ」。たたいて薄く伸ばした鶏肉に、ハムとチーズをのせて棒状に巻いたものを揚げて、タルタルソースでいただくと云うもの。ナイフを入れると、熱せられたバターがあふれ出てきます。シーフードでは「ブザラ」と云うエビやルーム貝、アサリ、イカを赤または白のワインソースで調理したガーリックシーフード料理があります。オリーブオイル、ニンニク、パセリ、トマト、ワインを材料とするシンプルで伝統的なレシピです。ブランシン(アドリア海のスズキ)やオラダ(金目鯛)、ロンブン(鯛)、ズバタック(デンテックス)など鮮魚をグリルしたのも名物です。
May 12, 2024
コメント(6)
英語のレッツイート(Let's Eat)はまんま「さぁ、食べましょう」、フランス語のボナペティ(Bon appétit)は「召し上がれ」、イタリア語のブォンアッペティート(Buon appetito)は「よいお食事を」のイミで、みんな食事の前に発する言葉です。しかし日本語の「いただきます」や「ご馳走さま」みたいに、料理を作ってくれた人や、食材に対して感謝の意を表する言葉は世界中見渡しても他には見当たりません。ところがベトナムでは食事の前に「チュク・ノン・ミェン(Chúc ngon miệng)」と云う言葉を発して、これは「いただきます」のイミです。ベトナム料理と云うとみなさんは「フォー」とか「ゴイ・クオン(生春巻き)」を連想される方が多いと思います。とにかくベトナム料理はあっさりしてるのが多くって、濃い味好みの人は、後から調味料を足して調整していくのですね。なので日本人にはとても受け入れやすい。パクチーがニガテな人は、オーダーのときそう云えば抜いてくれます。もうひとつ忘れてませんか?「バインミー」 バゲットに肉や野菜を挟み込んだベトナム風サンドイッチです。あんなモン料理と云えるの?ただの安くて手頃なだけの屋台料理やんか!たしかにバインミーは安いですね。カフェなんかだと3万ドン(約181円)以上しますが、露天だと1万2,000ドン(約72円)~1万5,000ドン(約91円)。高いものでも2万5,000ドン(約151円)~3万ドン(約181円)くらい。これでも円安で貨幣換算率が変わっての値段です。実は、ベトナムのバインミーとよく似たサンドイッチがラオスやカンボジアでも売られてます。ラオスの「カオ・チー・サイ・クワン(Khao Jee thai kuan)」、カンボジアの「ヌンパン(Num Pang)」がそれで、共通点はサクサク食感のフランスパンです。つまり植民地だったときのフランスの置き土産なんですね。植民地そのものは列強が好き勝手やったとんでもない所業ですが、こうして食文化では貢献してたのです。ラオスの「カオ・チー・サイ・クワン」が屋台で10,000キップ(約130円)、カンボジアの「ヌンパン」は屋台で4,000リエル(約151円)くらい。バゲット自体はフランス由来ですが、ベトナム人によってバインミーに生まれ変わることによって独自世界が作られました。 バゲットに塗るパテとマーガリンは、バゲットの柔らかさとともに歯ごたえを引き出し、具には焼き豚やソーセージに加えて漬物、パクチー、キュウリがこれでもかと詰められます。とにかく食感が秀逸。ラオスの「カオ・チー・サイ・クワン」は食べたことあってよく知ってるのですが、ベトナムのバインミーはヨメとホーチミンに行ったときが初めての経験。少食なふたりでは、1個のバインミー半分づつで丁度いい腹具合になりました。もはやバインミーは世界的なサンドイッチですね。最近、バインミーはアメリカのCNN投票でアジアのベスト・ストリートフードのトップ50に選ばれました。また2011年には、バインミーがオックスフォード辞書で正式に固有名詞になりました。1958年、サイゴン(ホーチミン)のホアマーベーカリーは「あらゆる具材の入った」持ち帰り用フランス風サンドイッチの販売を開始しました。その後、小麦粉の品質やパンの大きさも大きく変わりました。本家フランスと異なり、ベトナムのパンは手にフィットする大きさで、外皮はカリカリ、ひび割れが多く、中はフランスのバゲットよりも柔らかくスポンジ状です。このバゲットに、さまざまな種類のハム、パテなどと共にピクルスやパクチー、スパイシーで風味豊かな唐辛子などを挟み込み、ベトナム人はとても繊細な料理に生まれ変わらせたのです。ちなみにバインミーはベトナム語で「パン」のイミなので、食パンで作ってもバインミーです。ところで欧米人ってホーチミンのことをみんな旧名の「サイゴン」って平気で使ってるのですけど、アレっていいのかしら?
May 11, 2024
コメント(7)
実際には「火」なんて食べれないのに「ヒクイドリ(火食鳥)」。喉に垂れ下がった肉の塊「肉垂」が赤くって、火を食べているかのように見えることから そう名付けられたのですが、それを云うならニワトリだって一緒なのに。以前は大阪の天王寺動物園にも1羽のヒクイドリが居ましたが、現在はHP上でも確認できないので亡くなってしまったのか?ヒクイドリは、ダチョウに次いで現在の地球上で2番目に重い鳥さんです。平均するとオスで約29kg ~34kg ですが、メスの平均体重は約58kg もあります。最大のものは85kg なんてのも記録されてます。腰を曲げてるので分かりづらいですが、背の高さも平均で127cm ~170cm もありますから、人間の子供よりはるかに大きいですね。生息地はインドネシアからパプアニューギニア、オーストラリア北東部です。頭のトサカは骨に似た成分で、ヤブの中なんかでヘルメット代わりになるらしい。ダチョウと同じで飛べませんが、頑丈な脚で時速50km くらいで走ることができるらしい。問題は臆病で気性が荒い性格と、殺傷能力がある丈夫で刃物のような12cm ほどの鉤爪なんです。今まで確認されたのは2件だけですが、ヒクイドリは人間を殺害したことが知られている唯一の鳥なんです。1件は1926年にオーストラリアの10代の少年を殺害したのと、もう1件は2019年に フロリダのヒクイドリ飼い主が誤ってヒクイドリの檻に落ちて殺害されたのです。それ以外では、ワンちゃんや馬も襲われてますし、窓やドアを破壊したのは数え切れないほど。なぜヒクイドリは人間を襲かと云うと、よかれと思って人間がご飯をあげることが原因なんです。ど~やらヒクイドリはダチョウと同じで、相当にアホなんですね。人間がご飯を与えると、人間=食券(ご飯)と勘違いして、お腹が空いてると見境なしに攻撃してくるのです。つまり野生動物全般に云えることですが、むやみにご飯をあげてはいけないと云うこと。それとともに、赤ちゃんづれのヒクイドリの場合は、他の生き物と同じで赤ちゃんに対する防衛本能で人間を襲ってきます。それで日本では有りえませんが、もしヒクイドリと遭遇したら、背を向けずにその場から立ち去ることしかありません。攻撃されたら骨を折られたり、内蔵を破裂させられたりされます。
May 10, 2024
コメント(7)
私が頻繁にラオスの首都ビエンチャンを訪れてたのは、まだベトナム戦争最中だったので飛行機の乗り入れができませんでした。今だったらビエンチャンのワットタイ国際空港が出来てるので、バンコクから1時間ちょっとでビエンチャンに着きます。私が行ってたときは長距離夜行バスか、鉄道のチョイスになりますが、私はバス経験ありません。だいたい運転荒いタイ人運転手の長距離バスなんて絶対乗りたくない。当時、バスを利用してた人に伺うと、事故こそなかったけど、途中でバスがエンコして大幅に遅延が数回あったそうです。当時、バスで行くにしても、鉄道利用でもラオスとの国境にある町ノーンカーイまでで、そこからメコン河をボートで渡航することになります。そしてバンコク発ノーンカーイ行きは、バスにしても列車にしても夕方出発で、翌早朝着でした。つまり列車だったら、寝台車利用になるワケです。ノーンカーイまでの夜行列車、私らのころは2段ベッドの2等車両とコンパートメントの1等車両の2種類でした。2等車両には2~3回乗りましたが、後はずっとコンパートメントです。2等車両には冷房がついてなくて扇風機だけ。ベッドの下段には窓がありますが、運悪く上段にアサインされると窓のない閉鎖空間です。列車が走り出して、最初の30分くらいは物珍しさで外を眺めてますが、山のないジャングルをひた走るだけで、スグ飽きてしまって、もっぱら食堂車でタイ料理をアテにお酒ばかり飲んでました。今では例えば台湾の新幹線のように、台北市東端の南港駅~台湾第二の都市「高雄」の左営駅まで345km を最短1時間45分で走破します。東南アジアどこでも高速鉄道がアタリマエになってきました。現在バンコクの中央駅は「ファランポーン駅」から日本の協力で建設された「クルンテープ・アピワット中央駅」に変更されてますが、ノーンカーイに行くには依然、夜行列車が利用されてるらしい。今でもバンコクからノーンカーイまで10時間30分かかるので、昔と大差ないですね。バンコクからノーンカーイやチェンマイへは、ひたすら北に向かって走るワケですが、逆に南に向かうとリゾートで有名なのホアヒンからプーケット経由でマレーシアに繋がってます。私はマレーシア方面への列車旅したこと有りませんが、こっちの方が海岸線も走るので景色はよさそうです。バンコクからマレーシアまで1,500km 、今でも27時間かかります。マレーシアの列車出発駅は首都クアラルンプールの「KLセントラル駅」です。この駅も一度見学しましたが、列車駅なのに、マレーシア航空やキャセイパシフィックのチェックイン・カウンターがあるのですね。バンコク・クアラルンプール間の列車、今はとても立派な車両使ってます。最高時速は140km です。これはシンガポールからクアラルンプールへ向かう列車も一緒ですね。現在、この列車にはビジネスクラスがあって、こっちだと飛行機と同じように駅の専用ラウンジが利用できます。ラウンジにはソファーや空港と同じで、無料の飲み物なんかが提供されてます。少し前まではカード形式のチケットでしたのに、国際列車だけは自動改札に通りませんでした。今は自動改札で対応してるみたいです。高速列車の座席は概ね快適そうです。各席に引き出し式のディスプレーが設置されてて、これを使って航空機よろしく進路の画像を見たり、飲み物や料理のオーダーができます。他に車内販売のカートも来ます。朝は一斉にベッドをたたむのではなく、乗客が起きたところから車掌さんが座席に戻していくようです。鉄道でタイとマレーシアを移動するとき「パダンベサール」が国境駅になります。ここにタイ・バーツとマレーシア・リンギットの両替所もあります。一度鉄道を降り、出国審査を受け、直ぐに入国審査を受けます。これで出入国が完了。簡単ですね。手続きを済ませたら、また高速鉄道に乗り、マレーシア側はペナン方面、タイ側はハジャイ方面へ向かいます。
May 9, 2024
コメント(6)
タイの首都バンコクは世界的な観光地と云うこともあって、シャングリ・ラやマリオット、ザ・ペニンシュラなど名だたる五つ星ホテルが目白押しです。世界的なヒルトンやインターコンチの方が格下。それに加えてタイ王朝が運営していたグランドハイアット・エラワンやサマセット・モーム、ジョセフ・コンラッドなど錚々たる文豪が愛したマンダリン・オリエンタルも。お金に糸目をつけなきゃ、いくらでもラグジュアリーなホテルライフが楽しめます。そんなバンコクのホテル事情で、私も最近まで知らなかったとてつもないホテルがあるのです。ホテル名は「ザ・サイアム(The Siam)」。このホテル、世界的に有名なホテルブランドとは無縁の、なんと家族経営のホテルなんです。部屋数も少なくて、スイートとヴィラを合わせて39部屋しかありません。日本で云えばペンションに毛が生えた程度のホテルです。しかも立地がイマイチなんですね。開発が最も遅れたチャオプラヤ川に面していて、歴史的な建物が残るバンコク西部のエリアにあります。バンコクの繁華街中心地サイアム地区までタクシーでうまくいって20分くらい。交通渋滞の激しいバンコクでは、ほとんどもっとかかります。ホテル周辺は政府関係の建物ばかりです。ところが、この立地の悪さがいい面も。喧騒はげしいバンコク市内としては、とても閑静なんです。街の中心地へはホテルの専用ボートでアクセスするらしい。つまり、あくせく観光する人向けぢゃなく、ホテルでゆったり過ごしながら、気が向いたら出かけるような方向けなんですね。このホテルの設計、デザインは著名なアメリカの建築家ビル・ベンスリー(Bill Bensley)です。ベンスリーと云えば、ベトナムのハノイ市内一等地、オペラハウスの目と鼻の先に建たった「カペラハノイ」とか、同じベトナムの中国国境に近いサパ市内の「Mギャラリーサパ」とかとにかくデザインの秀逸なホテルばかり。そんな一流の建築家が手掛けたホテル「ザ・サイアム」です。単に豪華ぢゃなくて、デザイン的に優れてるのは疑う余地ありません。それが...まったく的得た想像通り、こんなホテルはバンコク市内ではオリエンタルホテル以外知りません。いや、オリエンタルホテル以上かも。まぁ、「ザ・サイアム」の内装を見てください。驚きの連続です。ね!なかなかのホテルでしょ。だいたい客室からバルコニーに出れるのがいいですね。他にも、エレベータの床は大理石。しかも内部に本革のソファーが完備されてるのです。客室のお風呂もクラシックスタイルだし、廊下のあちこちがアンティークで装飾されてます。いい感じですね。泊まってみたいホテルだけど、ここは1泊ぢゃなく、最低3~4泊しないと楽しめないなぁ。1泊80,000円くらいからです。とても手がでません。円安が恨めしい...
May 8, 2024
コメント(9)
可愛いカエルくんと云えば、この子たちに尽きるぢゃないですか。コーワ薬品の「ケロちゃん」と「コロちゃん」。ケロちゃんとコロちゃんの役目は芽キャベツ畑を青虫などから守る、カエルのおまわりさん。カエルは、害虫は食べるけれどキャベツは食べない。そう云えばコーワにはキャベツの絞り汁から見つかった胃粘膜修復成分を配合した「キャベジン胃腸薬」がありますものね。日本にいる固有のカエルは、ニホンアマガエルの他に、マアカガエル、ニホンアカガエル、トウキョウダルマガエル、ツチガエル、ヌマガエル、そしてシュレーゲルアオガエルの7種類。ケロちゃんとコロちゃんは、ニホンアマガエルですかね?模様の有無から云えばシュレーゲルアオガエルの方が近いかな?よく分かりません。それでは、みなさんはこの子ご存じ?南アフリカやジンバブエ、ナミビアなど
May 7, 2024
コメント(5)
バナナぢゃないですよ~キューバの首都ハバナです。文豪ヘミングウェイが小説「老人と海」を書いた地ですね。ヘミングウェイはこの街をこよなく愛していて、晩年はここで暮らしてました。日本からは距離感があるので、ニューヨークに行ったときマイアミまで足のばしてキューバまで行っときゃよかったのですが、もう後の祭りです。マイアミからキューバだったら、東京~仙台くらいの距離なのにねぇ。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」と云う音楽ドキュメンタリー映画が1999年に公開されました。監督はU2のボノがロスの屋上に設置された巨大看板を見てイメージの着想を得た作品で私の好きな「ミリオンダラー・ホテル」を監督したヴィム・ヴェンダースです。作品はこれまで世界的にほとんど日の目を見なかったキューバ人ミュージッシャンのカーネギーホール公演までの道のりを描いてます。この作品ではブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのメンバーによる活動と同時に、当時のキューバの日常が描かれてて、1991年のソ連崩壊から2015年のアメリカとの国交回復まで、過渡期のキューバが読み取れる作品でした。Buena Vista Social Club (1999) Trailerハバナの旧市街にはヘミングウェイが移住する前の1931年~39年まで、常宿としていた「ホテル・アンボス・ムンドス」があります。メイン・ロードのオビスポ通り沿いにある、サーモン・ピンクに塗られた5階建てのネオ・クラシカルなホテルです。このホテルでヘミングウェイは「誰がために鐘は鳴る」などを書き上げたのですね。ホテルのヘミングウェイが泊まってた511号室は、今も当時のままの調度品が置かれ、ヘミングウェイの私物も残されてます。シガーと云うとハバナと云うほど「ハバナ・シガー」は世界的に有名ですが、コイーバ、パルタガス、ロメオYジュリエッタ、モンテクリスト、ホヨー・ドゥ・モントレーと有名どころが目白押しですね。その中でも最高級品のコイーバは、もともと1960年代にカストロ元首相のお気に入りとなってからいっぺんに有名になりました。キューバ国内でも特に有名なシガー用葉タバコ産地であるブエルタ・アバホは、世界で最もシガー用葉たばこ栽培に適した土地と云われてます。ただしですよ。アメリカにキューバの葉巻を持ち込むことは禁止されているのです。それはキューバ以外の国で買った場合でも、アメリカ持ち込みは違法行為なんです。これで捕まると約500万円の罰金と刑務所に入る可能性もあります。映画007シリーズでジェームズ・ボンドが乗る車と云うと、アストンマーティンDB5を皮切りに、トヨタ2000GT、ロータス・エスプリ、BMW 750iLなど当時最新の高級カーが使われてました。ところが上の画像「007 ダイ・アナザー・デイ」でボンド役ピアース・ブロスナンが駆る車は1957年製フォード・フェアレーン・コンバーチブル!この作品の公開は2002年ですから、完全にクラシックカーで、この車でキューバ中をドライブします。ご存知のように1959年のキューバ革命以降、キューバはアメリカから車を輸入できなくなりました。それでキューバの人々は革命以前から所有していた車を修理や手入れをしながら、次の世代へと繋いできたのです。その背景には「車両価格×8.0+関税」と云う政府が決めたルールによる価格の高騰があって、新車はキューバ庶民にとってあまりにも高嶺の花なんですね。キューバの街中で見かけるピカピカのクラシックカーは、実はオリジナルの部分を残しつつ、何度も修理や塗り直しが施されているのですね。だから、こんな環境にそぐわないアストンマーティンなんかをボンドがキューバで走らせるのは、いくら映画とは云えウソ丸出しになってしまうので1957年製のフォードにしたのですね。もちろんオートマ車ぢゃないですよ。キューバでは今でも推定60,000台のアメリカ製クラシックカー、そのほとんどが1950年代のものが走り回っています。これらのアメリカ製クラシックカーは、キューバのスラングで「ヤンクタンク」や「マキナ」と呼ばれます。フォード・フェアレーンは1955年~1971年にかけて販売されました。名前はミシガン州ディアボーン近くにあるヘンリー・フォードの邸宅フェアレーンに由来しています。シボレーにフォードやクライスラーを始めチェコ・スロバキアのシュコダ・オクタビア、見る頻度は少ないけどメルセデスやロシアの車、フィアットなど、どの車も博物館ものばかり。それがカオスな路地を走り回ってるのです。いい雰囲気ですね~意外にタクシーはそんなに走ってないようです。ハバナの街角にはタクシー待ちの長い行列。とにかくハバナはメキシコやペルーなど中南米諸国の中でもとびきり魅力感じますねぇ。ゴミはそこそこ道路に落ちてるけど、街の雰囲気がとてもいい。中南米独特の人々の明るさがそのまま感じられる街のように思います。
May 6, 2024
コメント(8)
きのうは海の奇妙な生き物をご紹介しましたので、今日は陸上で見かけがヘンチクリンな生き物を。ヘンチクリンなのは人間が生き物の中でイチバンでしょうけど。先ずはマダガスカルの固有種「ローランドスジテンレック」から。「テンレック」と云うのはアフリカとマダガスカルのみで生活してる「アフリカトガリネズミ」の仲間です。上の画像のテンレックは普通にネズミ然としてますが、ローランドスジテンレックはかなり奇妙な面相です。先ずはお顔拝見。コイツの特徴は「トゲ」ですね。天敵から身を守るために、黄色か栗色の縞模様が入った黒い鋭い棘を進化の過程で獲得したのです。ただ腹部には針がほとんど生えてません。大きさは大したことありません。大人で最大17cm くらい成長したのが記録されてますが、平均すると14cm くらいです。体重は125g ~280g くらい。ローランドスジテンレックのトゲは、振動することで音響装置として機能します。これで音を鳴らして母親と子供がコミュニケーションとったり、天敵への警告信号に使用されているのですね。その音はコオロギやセミが発する音に似てます。天敵の匂いを感知したときに足を踏み鳴らしながら、トゲを横方向や前方に立てることで防御反応を示します。お次はミツバチとよく似たライフスタイルをもってるエチオピアやケニアで生活してる「ハダカデバネズミ」を。ミツバチとよく似たライフスタイルと云うのは、地下の巣穴にある大規模なコロニーの中で、1匹のメス(女王)と選ばれた少数のオスだけが繁殖を許され、残りの連中は労働者や兵士として生涯を過ごすのです。烏合の衆は、トンネルを掘り、天敵からコロニーを守ります。こんな人生を送る哺乳類は他にいません。「ハダカデバネズミ」の「デバ」と云うのは要するに出っ歯。ハダカは体毛が生えてないからです。また口唇が襞(ヒダ)状になってて、門歯の後ろで閉じるようになってます。これは穴を掘るときに土が口に入るのを防ぐためですね。身体はチッチャイです。体長は10cm ~14cm くらい、シッポの長さが3cm ~5cm で、体重は10g ~70g くらいです。このハダカデバネズミってのは、哺乳類でありながら唯一の変温動物なんです。体毛が無いことや環境の変化が少ない地中で生活するため体温を調節する機能がなく体温も低いのですね。なのに他のネズミたちの平均寿命より約10倍長い30年も生き続けます。しかもガン(癌)に対してものすごく強い耐性があるのですね。ハダカデバネズミでガンにかかったヤツなんて発見されたことなかったのです。それで科学者たちはハダカデバネズミのDNA解析を積極的におこなってて、人とのゲノムの違いからガンになりにくい体質を研究してるそうです。またハダカデバネズミは酸素がない環境で18分も耐え、大きなダメージも残らないのですね。これは無酸素状態になったとき、通常の酸素呼吸とは別の仕組みでエネルギーを生み出すとみられてます。これも人間が心臓病などで、無酸素状態になったときに起こる損傷を防ぐ治療につながる可能性があるとして、科学者の研究テーマになってます。最後にご紹介するのは、カナダ南東部からアメリカにいる「ホシバナモグラ」。お顔が滑稽と云うか、なんかエイリアンみたいなお鼻してます。身体はチッチャイです。体長が12cm ~13cm 、シッポの長さは6cm ~8cm 、体重は70g 前後しかありません。この子たちモグラと云っても、地中生活に完全には適応してなくて、湿地帯に住む半水生の生き物なんですね。なので、泳ぎが上手です。鼻の先のエイリアンみたいなのは、11対(22本)の触手です。モグラですから、耳と目は退化してますが、この触手が敏感で、人間が瞬きするよりも7倍の速さで触れたものを識別することができます。人間の手には17,000個の感覚受容器(アイマー器官)が詰まってますが、ホシバナモグラの触手はこんなにチッチャイのに25,000個の感覚受容器が詰まってるのです。アイマー器官によって、かすかな地面や空気の振動も感じることができます。
May 5, 2024
コメント(6)
陸上で生活してる生き物は約150万種類で、その80%が昆虫と云われてます。ところが海の中にどれぐらいの生き物が生活してるのか、よく分かってないのですね。現在は、恐らく1,000万種類以上の生き物がいると予想されてます。なんせ地球の約70%が海ですから、そりゃあ多種多様にいるでしょうね。そんな海の生き物で、これはと思うヘンチクリンな生き物をいくつかご紹介しましょう。先ずはレッドリップ・バットフィッシュから。レッドリップですから、赤い唇なんですね。これは俗名で、ホントウは「ガラパゴスアカグツ」と呼びます。名前の通り、ガラパゴス諸島周辺が根城なんですな。アンコウの仲間です。体長は最大40cm ほどです。アンコウの仲間ですから、上下から押しつぶされたような扁平なひし形の体をしてます。それに深紅の口と突き出た鼻、そして細い足!この足、実は高度に適応した「むなびれ」や「しりびれ」で、それを使って海底を歩くのに非常に熟練してるのですね。その代わり泳ぎは若干ヘタクソです。頭のてっぺんから伸びている鼻は吻(フン)で、その中には、アンコウの特徴であるイリシウム(誘引突起・疑似餌)と呼ばれる化学物質を放出する構造で、獲物をおびき寄せるために使われているものが付いてますが、普通のアンコウに比べて短くなっています。The Red Lipped Batfish - Natural Born Thrillersこのレッドリップ・バットフィッシュは、水深約120m で生活してますが、もっと深い水深1,200m で生活してるヘンチクリン生き物がいます。世界で一番「不細工な」生き物として有名な「ブロブフィッシュ」です。このへしゃげた身体は水面に引き上げられたからなんですね。あまりにも深海で生活してるので、私たちは海中での姿を観察しにくいのです。硬い皮膚も強い筋肉もなく、水圧の力で体の形状を保っているのですが、深海では水面より100倍の圧力があるので、引き上げると圧力の変化で膨張し、このブヨブヨ姿になってしまうのですね。ブロブフィッシュが高い水圧の中でも生きられる秘密は、体のつくりにあります。普通の魚は浮力を調整するために浮き袋を持っていますが、ブロブフィッシュは持ってないのですね。その代わり、ブロブフィッシュの体内には水分と脂肪が多く含まれています。皮膚の下にある分厚いゼラチン状の肉のおかげで周囲の海水よりも比重がわずかに小さく、海底近くを浮き続けていられるのです。お次は「デメニギス」。水深400m ~800m で生活しており、日本近海では岩手県以北の沖合にいます。デメニギスの頭は透明なドーム状の膜で覆われ、内部は液体で満たされているのですね。頭もそうですが、目ん玉がまたオモロイ。管状眼と呼ばれる筒状になっていて、軸を回転させることにより前方←→真上と視点を変えることができるのです。通常は眼を真上に向けていて、上から差し込むわずかな光によってできる獲物の影を捉え、つかまえるのですね。深海魚はお腹に発光器をもっていて、降り注ぐ光と同じレベルに輝度を調節することによって自身のシルエットを消しています。これをカウンターイルミネーションと呼ぶのですが、デメニギスの目には特殊なフィルター状の器官を備えていて、獲物のカウンターイルミネーションを見破ることが出来るのです。小魚やクラゲなど獲物を見つけると、双眼鏡のように管状眼を回転させて前を見るとともに、獲物を食べるために体を水平から垂直に変えるのですね。New deep-sea sighting: The barreleye fish has a transparent head and tubular eyes最後にナマコの一種「ウミブタ(海豚)」くんを。体長約8cm ほどの小形のナマコです。この子の特徴は脚のようにみえる大きな管足を持ち、それを水で膨らませたり収縮させて歩きます。和名の「センジュナマコ」は、この管足が「千手観音」みたいと名付けられました。この子は死んで海底に沈む藻類や動物を食べるのですね。クジラのような大きな動物が死んで沈むと、腐ったクジラを食べるためにウミブタの巨大な群れがその周りに集まります。興味深いのは、どういうワケかタラバガニの稚ガニがくっついている姿がよく見られることです。その理由はまだ解明されてませんが、一説ではウミブタは皮膚から有毒化学物質を分泌するため、ウミブタの近くにいると稚ガニが外敵から守られると云います。
May 4, 2024
コメント(5)
ヒトや類人猿以外で二足歩行をする生き物にはカンガルーやトビネズミなどがいますね。鳥さんはみんなそうです。ただ二足歩行をやってるように見えるペンギンは、実際には大腿骨が脊椎に対してほぼ直角で、下腿骨のみが垂直なので、常に膝を曲げた状態で、これは二足歩行ではありません。ペンギンが二足歩行をしているように見えるのは単に体の厚みのために、そう見えてるだけですね。人間は直立二足歩行をするので、重力の関係で痔や胃下垂、ヘルニアなどになりやすいですね。人間以外の生き物で、こうした病気になることは極めて稀です。みなさんは80年代に「珍獣ブーム」があったの覚えてらっしゃるでしょうか?ウーパールーパー(メキシコサンショウウオ)とか人面魚、クリオネなんてのもありました。ウーパールーパーは日清の「日清焼そばU.F.O.」のCMキャラに採用されましたね。そんな珍獣ブームを彩る生き物で真打ちがエリマキトカゲ!1984年に三菱ミラージュのTV CMで、すたこら走るエリマキトカゲが話題になって大流行しました。三菱自動車 ミラージュ 道は星の数 エリマキトカゲこのエリマキトカゲはオーストラリアにいますが、普段は木の上で生活してて、エリマキも折り畳んでいます。エリマキトカゲは、敵に襲われると木などに登って逃げようとしますが、木が近くにない場合は二足歩行で素早く逃げます。このとき首のエリマキも同時に広げて走るのですね。逃げ切れないと感じた場合はエリマキを大きく広げ、エリマキから音を出して相手を威嚇します。エリマキトカゲの二足歩行は、骨盤と大腿骨の構造上、大腿骨を脊椎に対して垂直に立てることができないため人のような「直立二足歩行」ではありません。同じように二足歩行するのは肉食性の恐竜もそうですね。普段は4本足で活動してるエリマキトカゲ。それがなんで危険を感じたときだけ二足歩行になるのでしょうか?もともと、前肢が後肢の邪魔にならなくなるため、二足歩行は速度で4本足より有利と考えられていました。ところが測定してみると、2本足の速度は4本足より速くないことが判明しました。2本足で走るエリマキトカゲは4本足で走るトカゲに追いつくことができなかったのです。エリマキトカゲの二足歩行は加速の偶然の結果だとする説があります。後肢の前方への加速により胴体後部が前方に押し出されますが、胴体前部の慣性により後部はその位置にとどまろうとします。その結果、後脚がボディの下を通過しようとし、フロントエンドが上昇するのです。バイクのウィリー走行を思い浮かべてください。エリマキトカゲが二足歩行した後、ストレスで死んでしまうこともあるらしいです。
May 3, 2024
コメント(8)
海外旅行の楽しみ方って人それぞれですが、私のイチバンのポイントは異文化の中に身を置いて非日常を楽しむことです。なんどか「海外に行ってまで日本人と会いたくない」と申し上げてるのも、日本で日常的に見ている人たちと会いたくないからですね。だから私の選択肢にハワイは有りえません。それとともに、現地の人とのふれあいも楽しみのひとつ。たとえ刹那的であっても、現地の人と交流するのは楽しいものです。過去に訪れてから何十年もご無沙汰してる地で、現在の画像や動画を観ると、その変貌ぶりに驚嘆することありますね。最も変化に驚いたのがマレーシアのペナン島です。私が行ってたころは2階建てで、1階は店舗や倉庫、上が住いと云う台湾やシンガポール、マレーシアの下町でお馴染み「ショップハウス」しか見当たらなかった。このショップハウスの特徴は建物の前に設置された歩廊です。でっぱった2階の下にあるため、屋根付きの通りになっているのですね。これがあると陽射しと雨をしのげるので歩行者はたいへん助かります。とにかく行ってたころは高層ビルなんてひとつも見当たらなかったし、さびれた東南アジアの田舎然としてたけど、インド洋に面したなんとも魅力的な町でした。観光客なんて日本人はおろか、欧米人だって先ず見ることがなかった。それが現在の画像を観ると、いっちょ前に高層ビルはあるは、欧米人観光客で溢れかえってるはで大変貌。そりゃあそうですよね。私がたびたびペナンに訪れてたのは1973年のベトナム戦争終結直後だったのですから、発展しない方がど~かしてる。私の旅行選択肢にフィリピンとインドネシアはありません。フィリピンはとにかく治安が悪すぎるし、インドネシアは人口の大半を占めるイスラム教国なので食べるものの味付けがあわない。とにかくクアラルンプールでイスラムの料理口にしてから、この系統はダメになりました。同じイスラム教国でも、マレーシアはマレー系の他に華人系やインド系も多いので、イスラム料理以外でもチョイスの幅がありますが、世界最大のイスラム教徒をかかえるインドネシアはジャワ人やスンダ人、マドゥラ人が大半を占め、中華系なんて全人口の5%しかいない。それとインドネシアに旅行するとき、もうひとつ注意点があるのですね。バリ島です。毎年3月ころに「ニュピ(Nyepi)」と云うバリ・ヒンドゥーの元日があります。この日、バリ・ヒンドゥー教徒は、労働や外出、殺生が禁止されるどころか灯火の使用も禁止されるのです。灯火の使用も禁止って夜の家の中は真っ暗!?それが観光客にも適用されるのです。観光客はホテルから外に出ることができず(ホテルから外出できてもお店は全部閉まってる)、飛行機も全便欠航になります。なんですが、同じインドネシアでも、バリ島って雰囲気いいですね。東南アジアの田舎然としてますが、見える景色が私が経験してきた風景とはゼンゼン違う。ショッピングやレストランの立地もただの観光地と云うよりリゾートの雰囲気です。そして何と云っても、バリ海峡からインド洋に続く海とホテルがステキです。この辺はタイのパタヤビーチより数段上を行ってますね。とにかくグレードにもよりますが、一流ホテルのレベルはなかなかのようです。これで、食べ物の嗜好があえば鬼に金棒なんですが...まぁ、食事はホテルでって手もありますけど。もう一ヶ所、手の届く旅行先で、いつかはと思ってるのがベトナムのダナンです。ベトナム中部にある海沿いの町で、とにかく海岸線が美しい。ここは比較的治安も良いのですね。知り合いで、何十回となくダナンだけに行ってる娘さんがいます。ダナンには16世紀から続く街並みが残されてる「ホイアン旧市街」やベトナムの京都とも呼ばれる「フエ」も有ります。私のようなオジンにはこっちがお似合いか?(笑)
May 2, 2024
コメント(8)
もう私はビールを一口も飲めなくなってます。胃ガンで胃の全摘手術をしてるので、ビールに限らず炭酸系は全てご法度になってるのです。ビールが飲めてたころはキリン派でしたね。「一番搾り」か「キリンラガー」がイチバンのお気に入り。北海道の人の「ヱビスビール」と「サッポロ黒ラベル」愛はスゴイですね。沖縄もご当地ビールの「オリオン」がやはりイチバン好まれてるようです。ビールくらい個人の嗜好がハッキリ分かれる飲み物は無いのでは?日本語の「ビール」ってのはオランダ語ですね。英語だと「ビア」。「エール」もあります。上面発酵なのが「エール」で、下面発酵で醸造されるのが「ラガー」です。ビールの起源は古代エジプトやメソポタミアまで遡ります。なかなかの古さです。私のブログにたびたび登場するタイでは暑いので、キンキンに冷やしたジョッキにビールを注いで、その中にさらに氷を入れるのが飲み方の標準です。氷が溶けるので、タイ産のビールは他の国のよりちょっと濃い目でした。昔は「シンハー」と云うのが定番でしたが、このビールは1933年から製造してる歴史古いメーカーです。今ではオランダのハイネケンが主です。国産ビールをチョイスするタイ人は地方の人の方が多いかな。日本のアサヒビールもタイでも生産してます。ビールの本場ドイツで最も人気高いのは「クロムバッハー(Krombacher)」と「ベックス(Beck's)」ですね。クロムバッハーは1846年、ベックスは1874年から販売してるどちらも古参ビール会社です。どちらも泡立ちはあまり良くないですが、炭酸が強めなのが特徴ですね。ドイツではイギリス人みたいに冷えてないビールを平気で飲むのではなく、レストランなんかで頼むとちゃんと冷えたビールが出てくるみたいです。もっとも日本みたいにキンキンにまでは冷やしてないようですが。こんな調査があります。日本とアメリカ、ドイツのビールを飲むタイミングについてです。先ず、ふだん夕食のときの飲み物は(男女の区別は表記ありませんがたぶん男性でしょう)?日本は...ビール68.5%、お茶15.5%、日本酒11.5%、ウィスキー10.0%、何も飲まない12.5%アメリカは...ビール49.2%、コーラなど甘味炭酸水36.5%、水26.5%、ジュース11.5%ドイツは...これが意外!炭酸入ミネラルウォーター26.5%、ビール22.5%、何も飲まない26.0%ぢゃあビールをよく飲むシーンはどんなときか?日本は...夕食の時、お風呂あがり、スポーツの後アメリカは...ランチの時、昼間のどが渇いた時、とか単純にビールの味を楽しむときドイツは...ホームパーティーを開くとき、外へ飲みに行く時、就寝前などアメリカでは「苦みが弱めである」「ソフトで口当たりがよい」「すっきり爽快」が重要なビール銘柄選択基準ですが、これがドイツでは逆に「苦みがきいている」が重要な銘柄選択基準なのがお国柄をよく表しています。「このビールは、立って飲むのがお行儀です(瓶からラッパ飲みしろの意味)」とか「ライムがなければコロナを飲むな」と特異なキャッチで有名なメキシコのビール「コロナ」がありますね。アメリカのビールと同じく軽い味わいが特徴のビール。ですが、だいたいこのビールを飲むときは、凍らせたマルガリータ(テキーラベースのカクテル)を入れたグラスに、コロナビールを瓶ごと差し込んだカクテル「コロナリータ」が定番ですね。凍らせたマルガリータをコロナで溶かしながら飲むカクテル。こうなるとビールそのものを楽しむと云うものではありません。コロナビールには風評被害の試練がありました。コロナビールに関する風評は、まだ中国でコロナウイルス感染が拡大している頃から語られており、コロナウィルスのパンデミックが猛威をふるったときには、ウィルスと関係ないコロナビールとの抱合せ検索が異常に増えたのですね。これを期に2020年の1月~2月だけで約310億円の売上ダウンになりました。ついには同年4月からコロナビールの操業そのものをストップする事態に。そんな状況が翌年の上半期まで続きました。
May 1, 2024
コメント(8)
全31件 (31件中 1-31件目)
1