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岩波書店のPR誌『図書』の最新号は、「岩波新書」の特集号でした。と言うのも、どうやら「新赤版」と呼ばれるシリーズが1000タイトルを越えたらしいんですね。さすが新書の老舗だけあって、長く続くもんです。 しかし、どうなんですかね、岩波新書。最近でも、やはりそれなりに読まれているのでしょうか。 私自身はと言いますと、最近、読んでないですね、岩波新書。なんか私の興味と微妙にズレがあるようで、なかなか買ってみたくなるものがない。多分、一番最後に買ったのは、数年前に出た『未来への記憶:自伝の試み』(上・下、河合隼雄著)ですが、これはいい本だと思いました。私は別に河合ファンではないですが、自伝としてよく書けていると思ったし、河合さんのところの家族関係というのがすごく面白いと思ったもんです。でも、その後は、買ってませんなぁ・・・。 私が岩波新書をよく読んだのは、大学の1年生の時でした。高校時代の勉強と大学での勉強の質の違いに若干戸惑っていた私は、やがて「要するに大学生というのは、岩波新書に書いてあることが理解でき、こういう調子でしゃべれるようになることなんだろう」という具合にあたりをつけ、ジャンルを問わず岩波新書をバリバリ読んで、それで教養をつけたつもりになっていたわけです。素朴な発想ですが、まだ「岩波教養人」なんて言葉が生きていた時代でしたから、それで結構通用したんですな。 で、その時代には色々読みましたよ、岩波新書。あまり沢山読んだので、どれがどれだか分からなくなっていますが、中でもよく覚えているものと言いますと・・・福田歓一『近代の政治思想』鈴木孝夫『ことばと文化』高階秀爾『名画を見る目』中谷宇吉郎『雪』小泉信三『読書術』WSモーム『読書案内』(上下)梅棹忠夫『知的生産の技術』湯川秀樹『本の中の世界』池田潔『自由と規律』 ・・・とまあ、こういう系統のものですね。立派な著者が立派なことを言っていた時代ですわ。 で、1980年代に入ると、今度は「ニューアカデミズム」ブームがやってきて、従来型の教養なんてもう古い、もっと新しい知の体系が必要なんだ、という風潮になってきた。やれ「構造主義」だ、「文化人類学」だ、「神話学」だ、ってな時代です。で、その頃、岩波新書は黄版の時代になっていて、山口昌男とか中村雄二郎なんかが岩波新書を出していたもんです。でも私は個人的に「従来型の教養」が好きでしたから、ニューアカ・ブームにはあまり乗らなかった方で、話題になった中村雄二郎の『術語集』なんて、結局読まなかったなぁ。 むしろ黄版の時代の岩波新書で一番好きだったのは、亀井俊介さんの『マリリン・モンロー』です。亀井さんというのは、30代くらいで学士院賞をもらってしまうような碩学ですが、その方がこんなくだけた本も書かれるのだというのは、ある意味衝撃的でしたしね。 しかし、曲がりなりにも岩波新書と付き合いがあったのはその辺りまでで、その後、新赤版になる頃には、こちらも大分専門化していますし、時間もなくなる一方ですので、なかなか新書に手が出るというふうでもなくなってきてしまった。私も、また時代も、ゆっくり教養をつける、なんて暇がなくなってきたんでしょうな。 実際、その後、人から「あれは面白いよ」と推薦され、古い岩波新書を買ったりもしましたが、ちょっと読んでは放り出してしまい、なかなか最後まで読めなくなってしまった。例えば加藤周一『羊の歌』とか、丸山真男『日本の思想』なんてのがそれで、どちらも名著といわれておりながら、私はまだ読み切っていません。これらの本は、今から四半世紀前に読んでおくべきだったのでしょうね。 ひと昔前、新書といえば岩波か中公か講談社しかなかったものですが、今はそれこそありとあらゆる新書が書店にひしめいています。『バカの壁』とか『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』とか『下流社会』などなど、ベストセラーになるものもあるようですので、この時代になってもまだ新書を読む人はいるのでしょう。しかし、やはり今どきの新書は、今どきのものでありまして、かつての岩波新書の教養主義の行き方とは、大分ニュアンスが違うようです。今の岩波新書すら、かつての岩波新書とは大分違いますからね。 でも、昔、大学に入ったばかりの頃、教養を求めて岩波新書を1冊、また1冊と読破していた頃のことを思うと、懐かしい感じがしますなぁ。特定のどの本が、ということではなく、岩波新書というシリーズそのものが、一生懸命大人になろうとしていた私の一里塚だったような気がします。 今の若い人たちにとっては、一体何が、そういう意味での一里塚になり得るのでしょうか。彼らに近いところにいる私には、なかなかそれが見えないのですけれど。
March 31, 2006
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今日は家内の親友で、私もよく知っているCさんのお家に遊びに行きました。なぜ私がCさんのことをよく知っているかといえば、彼女は元、私の教え子だからです。 Cさんのマンションがある南町田は、グランベリー・モールというアウトレットがあるところとしても有名ですが、私自身、子供の頃にこの近くに住んでいたことがあり、なんとなく懐かしい感じがする。それにしても南町田に縁のないCさんが、結婚して引っ越されたところが、何と私の故郷のそばだったというのも面白い偶然です。 で、今日はお昼をご馳走になるということだったのですが、Cさんが我々のために作ってくれたメニューは「レッドカレー」でした。タイ風というのか、シンガポール風というのか、とにかく赤唐辛子をどうにかしたペーストをココナツミルクで伸ばしたルーをベースに、タマネギ、牛肉、赤ピーマンなどを煮込んだカレーで、これがなかなかおいしかった! それから食後にデザートと共に出してくれたデロンギのエスプレッソマシンで抽出したカプチーノも、まるでスタバで飲むそれのようにおいしかったです。家に本格的なコーヒーメーカーがあるというのも、なかなか洒落ていて、いいもんですなぁ。 ところで、Cさんは男の子二人のママなんですが、上のお子さんのR君はもうすぐ幼稚園の遊び盛り。下の坊やはまだ1歳ちょっとですが、この子もお兄ちゃんと同じくまったく人見知りしないタイプ。というわけで、二人ともお客さんが来たことで舞い上がっており、我々を大歓迎して遊びに巻き込もうとするわけ。 でまた、私は昔から小さな子を扱うのがうまいもので、今日は大分、ガキンチョたちと遊んでしまいました。何せ上の坊やのR君は自分が「孫悟空」だと思っているものですから、私も何度か彼と決死の対決をして、新聞紙を丸めて作った如意棒でやられてしまいましたよ。でも、R君は血も涙もある孫悟空なので、したたかに如意棒で私をやっつけた挙げ句、アンパンマンの「ノーズパンチ」までくらわせた後は、「釈迦楽くんたち、夜ご飯食べていけば。お好み焼き作ってあげるよ」なんて優しいことを言ってくれるので、可愛らしいやら、可笑しいやら。 また下の坊やで1歳3ヶ月のE君は、どういうわけか初対面の私を「いい奴だ」と認めたらしく、ニッタ~!という満面の笑みで私を悩殺し、時々縫いぐるみのカメさんを「あい」って渡してくれたりしましたから、こちらもどうやら友好関係が結べたようです。 それにしても、子供が顔見知りせず、小さな柔らかい身体を押しつけながら遊んでくれとねだって来たら、私にはとても断れないですなあ。 というわけで、大騒ぎの楽しいひと時はあっと言う間に過ぎ、もう帰りの時間。今日はCさんと話をする暇がないほどでしたけど、ま、小さな子供がいるうちは、そんなもんでしょう。それにCさんはこの「お気楽日記」の愛読者で、ある意味、私や家内の日々の動向についてはよく知っているわけですからね。 R君は自慢の自転車(「すっげえスポーツだぜ」)を我々に見せるのだと言い張り、寒い中、外まで見送りに来てくれました。後で聞いたら、我々が帰った後、R君は少し寂しくなってしまったとのこと。また今度会えるよ、R君。名古屋にも遊びにお出で。 ということで、今日はとにかく、釈迦楽先生、無邪気に子供と戯れるの一日となったのでした。今日も、いい日だ! さて、今日はアフィリエイトを少し。最近、「スカーゲン」という北欧のカジュアル・ウォッチに注目している私ですが、楽天では、今月末までスカーゲンを扱っているお店があるようです。今月末といえば、もう明日ではないですか。興味のある方は、大至急、私のセレクトを覗いて見て下さいね。これこれ! ↓教授の時計ショップ(北欧支店)
March 30, 2006
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何で私が? という感じなのですが、某雑誌のアンケートに答えることになってしまいました。で、これがまた答えにくいアンケートでして・・・。 「英米の作家の中で、あなたの嫌いな作家と、その作家が嫌いな理由を教えて下さい」っていう趣旨のものだったんですけどね・・・。 いや、もちろん「嫌いな作家はコイツです」って答えるのは簡単なんです。嫌いな作家は現にいるので。しかしその作家のことが好き、という人もまた世の中には沢山いるわけで、そういうファンの人たちからすれば、この作家のどこが悪い、どこが嫌いなどと、他人から言われたくはないだろうと思うのです。言われれば、言った奴のことを憎むようになるでしょう。 ですから、このアンケートに答えるということは、場合によっては他人から憎まれなきゃいかん、ってことなわけですよ。悪口というのは、諸刃の刃ですからね。下手なことを言ったら、返り討ちにあってしまう。 だもので、私、このアンケート頼まれた時に、「嫌だな、これに答えるの」って思ったんです。断ろうか、とも思いました。でも、どうしよう、どうしようと思っているうちに、このアンケートのこと自体を忘れてしまって、気が付けばもうすぐ締め切り、というところになってしまった。となると、今さら断るのも雑誌の編集者の人に悪い気がしてきます。 だから結局書きましたよ、今日。嫌いな作家とその理由。 先にも言いましたが、書くことは簡単です。私が大っ嫌いなアメリカ作家って一人しかいないので、誰にしようか悩む必要もないですし。 他人様のことは知りませんが、私はそれまであまり「嫌いな作家」っていなかったんです。もちろん「難し過ぎて良さが分からない作家」は沢山いますよ。でも、分からないからといって、その当該の作家が嫌いになる、ということはありません。ただ、縁がない作家だな、と思うだけ。また「大したことない作家だ」と判断した作家も沢山いますが、これもまた無視すればいいだけのことであって、別に敢えて嫌いになるほどではなかった。 しかし、その人の書いた全作品をじっくり読み、何本か(どちらかといえば好意的な)論文まで書いた挙げ句、「今はっきり分かった。俺はコイツが嫌いだ」という確信を得た作家が、私には一人だけいるんです。 そいつは誰かと言いますと・・・ ノーベル賞作家のトニ・モリスンです! もうぜんっぜんダメ。生理的にダメ。冒頭の一文からしてダメ。読んでいると、鳥肌が立って、嫌さが「うーっ!」とこみ上げてくるほどダメ。ガラスに爪とか釘をこすりつけた時の「キーッ」っていう音や、紙にマジックペンで何かを書く時の「シューッ」っていう音と同じくらいダメ。 しかし、何せモリスンというのはノーベル賞をもらった作家ですから、世間的にはものすごく評価の高い作家ではあるわけですよ。それが私には不思議なんですなー。ほんとにそれだけの価値のある作家かしらん? 彼女の作品読んで感動したとか、いい気分になったとか、うまいなーと思ったとか、考えさせられたということ、私には皆無なんですけど。 逆に、モリスンの作品を読んでいつも思うのは、「普通、人間はこんなふうに感じないし、こんなふうに行動しないよ」ということばかり。ですから、登場人物の誰にも、感情移入できない・・・。 もちろん上に言ったのは、あるレベルの話ですよ。例えばカフカの『変身』読んで、「普通、人間は虫に変身しないよ」というのとはレベルが違う。『変身』の場合は、虫になってしまったザムザに感情移入できますからね。 ま、とにかく私から見ると、モリスンの作品に出てくる登場人物の誰もが不自然に見えてしまって、「そんな奴、おらんだろう」のチッチキチー状態。まったく説得力がないわけ。ところが好きな人はほんとに好きらしく、すべての作品を絶賛するという感じ。作者のモリスンのことも、ほとんど神様扱いですからね。 で、そういう神様の悪口を書いちゃったわけですよ、今日、ワタクシは。しかも「200字で嫌いなところをまとめてくれ」って言うんですけど、200字なんて、「ここが嫌い」と言ったらもうおしまいです。危険なことこの上ない。私としては、せめて「この人が嫌いと言うと、我が身の無知・無教養をさらすことになるようですが・・・」くらいの前置きをして、モリスン・シンパの怒りを和らげたかったのですが、こんな字数制限じゃ、そういうわけにもいかず・・・。 ということで、正直なところを書き過ぎて、この先思わぬところで仇をとられるのではと、いささかビクビクしているワタクシなのでした。こういう否定的なアンケート、もうヤメテー!!
March 29, 2006
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昨日、夜10時までかかって教務関係の最後の仕事を終え、ようやく今日から1週間ちょい、春休みということになりました。学生の頃は春休みがたっぷりあって、まとめて本を読めたもんですが、先生になると入試だの何だのって雑用が山積みで、なかなかのんびり本を読むなんて心境になれませんなぁ・・・。 ま、それはともかく、今日はお昼過ぎから実家に戻りました。さすがに今日はR2ではなく、プジョーの方を使いましたけどね。久々にプジョーで東名をかっ飛ばすと、やっぱコレ、いい車だなぁと思わされます。路面に吸いつくような直進安定性といい、何時間乗っても腰が痛くならないシートといい、高速になればなるほど良くなる燃費といい、まだまだ国産車には追いつけない部分でございましょう。 それにしても、この時期東名を走るのって、なかなかいいもんですよ。何がいいって、桜、桜。他の季節に走っている時は分かりませんが、東名沿いってこんなに沢山桜が植えられていたんだ、と改めて気づかされます。今日あたりですと満開とまではいかず、7分咲きくらいかな、という感じでしたけど、とにかく桜並木の中を高速で突っ走るという趣がある。これが、いいんだ、なかなか。 それにしても桜っちゅうのは、普段は地味なのに、花が咲き出すと急にすごい存在感を示し出すものですなぁ。で、毎年この時期になると、「あれ、桜って、こんなにあちこち植えられていたんだっけ?!」と、思わされてしまう。ま、私は前にも言いました通り、桜よりも梅が好きなんですが、それでもあちこちに桜が咲き出す時の情緒というのは感じます。 それに日本の場合、桜というと、入学とか、進学とか、就職とか、そういう方面の思い出と重なりますからね。新しい生活が始まる時の緊張感に満ちた日々の記憶がドッと押し寄せてくる。 今でも特に思い出すのは、高校進学の時のこと。某附属の小学校・中学校を卒業した私は、そこの高校ではなく、別な男子校の進学校に進むことになったのですが、何しろ子供の頃からの友達に囲まれた生活から一転して、規律の厳しい男子校に一人放り込まれることになっただけに、果たしてそういう環境に適応できるのか、多少不安があったんです。ですから、入学前のオリエンテーションで初めて登校した時も、見ず知らずの男ばかりがごちゃごちゃといる環境の中でやたらに緊張していたわけ。やっぱりこんな男むさいところではなく、今まで過ごしてきた華やかな共学の世界に留まっていた方が良かったかな、なんてちょっと後悔したりして。 で、そんな感じで重い心を引きずりながら、同じクラスになった連中と一緒にぞろぞろと校内見学をしていたんですが、その時、我々のクラスを率いて校舎の裏のグラウンド周辺を案内してくれていた上級生の先輩が、ボソッと、しかし親切気の籠もった声で、「ここはねえ、もうすぐ桜が咲くときれいなんだよ」と我々新入生に言ってくれたんです。 むくつけき野郎共ばかりの男子校の中にも、「桜がきれいだ」と感じるメンタリティーを持った人がいるんだ、と知ったその瞬間、私は、「ああ、これならここで3年間を過ごすことくらいできるな」と思ったのでした。たった一言でしたけれど、あの一言は、私にとっては大いに意味のある一言でした。 桜というと、今でもその時のことをよく思い出します。今勤めている大学に奉職して十数年、もはや春だからといって新生活の緊張感などクスリにしたくてもないわけですが、それだけに一層、新しい環境に定期的に放り込まれていた学生時代というのが、懐かしく思い出されるのかも知れません。 さて、それはさておき、最初に申しましたように、これからしばらくは実家でのんびり過ごすことにします。お気楽日記の内容もさらにお気楽なものになりそうですが、呆れずにお付き合いのほどを。
March 28, 2006
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花粉症なんて他人事、他人事と思っていたところ、3年前に突如発症し、堪らぬ目の痒みに七転八倒したワタクシ。もう、ほんと目ン玉取り出して、流水で洗いたいくらいなもんでした。 しかし、そこはそれ根が研究者ですから、すぐに情報を集め、対策を練るのが釈迦楽流。というわけで、その翌年、すなわち一昨年には、1月頃からDHCの甜茶サプリメントを飲み始めるという手法で花粉症の症状を緩和し、さらに昨年・今年あたりは、「甜茶サプリ」+「シソの実油サプリ」で完璧に症状を押さえ込んだのでありました。わっはっは。花粉症に勝った。 ・・・が・・・。最近、もう一つ難敵が現れまして・・・。 それは何かと申しますと・・・ 「老眼」です。ガーン! ロウガーン!! いや、老眼なんてのは、50歳くらいから始まるのかと思いきや、40代前半で、もう少しずつ始まるんですなぁ・・・。 もちろん、今のところはまだ生活に支障が出るようなことはありません。しかし、辞書のように細かい字で書いてあるものを読もうと、以前のように目に近づけると、何となーく余計ぼんやりしてしまうような気がしていたんだよナー。そしたら、やっぱり「老眼の始まりです」だって。 とまぁ、そんなこともありーの、また眼鏡の度を調整する意味合いもあって、新しく眼鏡を作ることにしたんです。先日のブログで言及した「ちょとした買い物」というのは、実はこれだったんです。 それにしても、最近の検眼システムというのはすごいですね。なんか機械を覗いているだけで、もう大概のことは分かってしまうみたい。で、乱視の矯正なんかもぱっぱか出来てしまうという・・・。私が初めて眼鏡を作った大学生の頃は、何やらでかくてヘンテコリンな眼鏡に数枚のレンズをセットしたものをかけさせられて、「これで30分ほど本でも読んでいて下さい」なんて言われて、どうにも手持ち無沙汰だったもんですが・・・。 それに今どきのものは、度の強い眼鏡でも薄く、軽くなりましたよね。今かけているのだって、作った時には一番薄いレンズだったのに、今度作るのはもっと薄いんですって。 それからフレームも随分細く、しなやかになりました。ちなみに今回私が買おうと思っていたのは、あまり目立たない色の、下側のフレームがオープンになっているもの。ま、その辺は地味好みなもんで、ね。で、消去法で選んで行ったのですが、最終的に2つ候補が残った。一つは「優しそうに見える」もので、もう一つは「頭良さそうに見えるもの」です。で、どちらを選んだかと言いますと・・・後者の方。だって、ただでさえ「優しそう」に見えて困ってるンですから。東京に居た頃、電車に乗るとよく人から「これ、○○行きますか?」なんて聞かれたもんです。他にも人はいるのに、どういうわけか私に聞くんだよなー。私なら答えてくれそう、って思うのかしらん。 ま、ちなみに言っておきますが、ワタクシ、新しい眼鏡じゃなくても、もともと「頭良さそう」にも見えるんですけどね・・・。 それはともかく、新しい眼鏡の完成は4月の頭なのだそうです。ならばこの「頭良さそうに見える」眼鏡で新学期デビューですね。「釈迦楽先生って、イメージ通りに頭良い!」と学生に言われるよう、一つ、頑張るとしますか。
March 27, 2006
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先程、大相撲春場所が終わりました。幕内最高優勝は、またまた朝青龍。 しかし、今場所の朝青龍はピリッとしませんでした。下位の力士に立ち合いで土俵際までもって行かれるような相撲も何番かありましたし、以前のような憎らしいほどの強さが感じられなかった。多分、このところの稽古不足の影響なのでしょう。 一方、いい相撲で快進撃を続けて大関の地位を確保した白鵬も、ここ一番というところで不甲斐なく負け、案外精神面で脆いのかなというところを見せましたね。しかしあれだけ恵まれた体格と力、そして技能があれば、それほど長いこと大関の地位に留まることなく、もう一つ上の地位まで駆け上がって行くのではないでしょうか。 栃東は前半~中盤の3敗が痛かった。魁皇戦の負けは仕方がないとして、あとの2敗は惜しまれますね。何せ終盤にきて白鵬と朝青龍を相次いで破ったのですから、あるいは14勝1敗で連続優勝できたかも知れないのに・・・。しかし12勝3敗の成績は立派なもので、来場所にもう一度綱取りの夢がつながるものでしたから、ファンの一人として喜んでおきましょう。他の大関陣では千代大海・魁皇の角番脱出も良かった、良かった。特に魁皇は最後まで頑張りました。琴欧州は怪我で精彩がなかったけれど、ライバルの白鵬が大関に上がってきた以上、横綱レースに負けたくはないでしょうから、来場所以降の再起を期待しましょう。 その他の力士の中では、ベテラン・若の里、実力者・雅山両名の頑張りや、軽量力士・安馬の奮闘などもありますが、私が称賛したいのは北桜です。34歳、ま、あまりパッとしない前頭級の力士ではありますが、取り組み後、サインをねだられれば快く応じ、ハイタッチをねだられればこれまた快く応ずるという、そのファンを大切にする姿勢が大受けで、今や「花道一の人気力士」となった様子。人柄で愛される個性派力士がいるというのも、それはそれでいいもんじゃないですか。 さて、次は土俵を両国に移しての5月場所。朝青龍の絶対的な強さに翳りが見えてくる一方、新大関白鵬・琴欧州の台頭が著しくなってきた昨今、ますます優勝レースが面白くなってきそうです。その中で、私としては、唯一日本人力士で優勝に絡めそうな栃東の奮起に期待したいと思います。 ところで全然話は変わりますが、このところ我が家では「炊飯用土鍋」ブームです。先日ご紹介した萬古焼の炊飯用土鍋で炊いたお米のうまいこと、うまいこと! つやつやと光輝くご飯はもっちりと粘りがあり、柔らかいようで柔らか過ぎず、しかも香りがいい。それでいて炊き加減の難しさなんて一切なし。ただ最初強火で沸騰させ、あとは弱火で10分、蒸らし10分で完璧な炊き上がりなんですから。しかも、使用後の手入れも簡単。この土鍋のおかげで、もう毎日ご飯を食べるのか楽しみで仕方がない。 でまた、昨日のブログに登場していただいた恩師H先生ご夫妻からいただいた「炭屋」の「いかなごのくぎ煮」というのが、これがまたご飯のお供に最適の絶品で、土鍋で炊いたご飯とこの佃煮があれば、もうあとは何もいらないという感じです。 ということで、今日の週末アフィリエイトは「炊飯用土鍋」と「炭屋のいかなごのくぎ煮」のセットで決まり。騙されたと思って、ぜひお試し下さい。後悔はさせませんよ~!これこれ! ↓萬古焼炊飯用土鍋大黒黒釉ご飯鍋3合炊〈炭屋〉活の味詰合せ (766348/286)
March 26, 2006
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今日のこと、と言うより、昨日から今日にかけてのことですが、我が家では外食が続きました。 と言いますのも、昨日は我ら夫婦の結婚記念日だったからなんです。毎年、この日は少し盛装してちょっと高価なディナーを食べに行くというのが我が家の決まりなんです。 で、昨夜行ったのは、名古屋郊外の八事というところにある「ナチュラーレ」というイタリアン・レストラン。有機野菜の使用など、素材にこだわりのあるレストランです。特に昨夜は第4金曜日に当たっていたので、ピアノとヴァイオリンの生演奏もあり、雰囲気もなかなか。 ここはコース料理だけなので、ディナーコースを頼んだのですが、まず前菜として出てきたのが「そら豆のパンナコッタ」。そら豆の風味が生きたおいしい口取りでした。そして前菜の2品目は「カツオのカルパッチョ」。メニューとしてはよくあるものですが、ここのはソースが凝っていて、カツオの生臭さをまったく感じさせないおいしい仕上がりになっていました。また厳選された様々な野菜が付け合わされているので、この一品でサラダも兼ねるような感じでしたね。 そして続いて出てきたのがパスタ料理です。これは4種類の中から選べるのですが、昨夜は私が「仔羊のラグーナ」、家内が「アイナメと菜の花のリングイネ」を選びました。で、これがどちらも馬鹿ウマ。味付けがしっかりしていて、しかも素材の味をうまく活かしてあります。特に私の仔羊のラグーナは、仔羊のミートソースに苦みのある春菊を合わせることで、仔羊独特の味のクセをいい感じで中和してあり、おいしかったです。 パスタの後のメイン料理、これも4種類の中から選べますが、我々は二人とも「鴨のロースト、金柑のコンポート添え」をいただきました。鴨のローストというと、鴨を薄くスライスしたものを想像してしまいますが、ナチュラーレのものは、牛フィレ肉のような分厚いローストだったのでびっくり。しかも外の皮はカリカリに、中の肉はジューシーに焼かれた鴨肉は、甘味のある味付けで、これもまたおいしいものでした。付け合わせも凝っていて、土筆や菜の花(日本産と中国産)、それに山葵菜など、様々な野菜が、それぞれ別々な味付けをされているところなど、たしかに野菜へのこだわりが感じられます。 また料理に先だって出された自家製のパン、これもおいしかった。昨日はフォカッチャと無花果入りのパンでしたけど、これをバターではなく、オレンジピールを漬け込んで風味をつけたオリーブオイルを付けながら食べさせるというところが、ちょっと洒落ています。 そして、これらのコース料理の締めは、コーヒー(またはエスプレッソ)とデザート盛り合わせ。もちろんデザートメニューの中から一品を選ぶことも出来たのですが、どれも皆おいしそうで決められなかったので、シェフお任せの盛り合わせというのを注文したんです。 しかし、その選択は正解でした。と言うのも、お店の方が気をきかせて、私のプレートと家内のプレートで別な盛り合わせにしてくれたから。そのため、二人合わせて6種類くらいのデザートが食べられたんです。しかも、どの品もすべておいしかった。中でも苺入りのプリン、ココナッツのアイスクリーム、本場ティラミス、チョコレート入りの焼き菓子が特においしかったかな。 というわけで、料理もすべておいしかったですし、サービスもとても良かった。インターネット上でこのお店の評判を見ると、「料理を出すのが遅い」などとありましたが、少なくとも昨夜に関してはそんなことはまったくありませんでした。ネット上の評判も、必ずしも当てになるとは限りませんね。私の判断では、このお店、また来る価値大いにあり、です。八事・ナチュラーレ、教授のおすすめ! ですよ。 さて、一夜明けた今日25日は、お昼に名東区というところにある「花井」という日本料理のお店に行きました。今日はこちらに私の勤務先大学の名誉教授であられるH先生ご夫妻をお招きし、久しぶりにご一緒に食事をしようということだったんです。H先生は私たち夫婦が結婚する時に証人のお一人になっていただいた方でもあり、8年目の結婚記念日を迎えた報告も兼ねて、日頃お世話になっている御礼をしようというわけ。 ちなみに「花井」という和食のお店は、フランス料理も経験したことのあるシェフによる創作日本料理が売り物なんですけど、前に一度ここで食べて、なかなかおいしかったので、H先生をお招きしても恥ずかしくないな、と思っていたんです。特にH先生の奥様が、バターを使ったお料理が苦手と伺っていたので、和食の方がいいだろうと思ったこともあります。 ちなみに今日の昼のコースは、前菜、マグロとホタテの刺身(または蛤の真薯)、豚肉のあられ揚げの蓬餡かけ(または鯛の焼き物)、桜ご飯と漬物、お味噌汁、デザート、コーヒーといったようなものでしたが、特に蛤の真薯と鯛の焼き物がおいしかった。また一つびっくりしたのは、最後に登場した桜ご飯が、先日私が四日市で買ってきた炊飯用土鍋と寸分違わぬ土鍋で登場したこと。プロも同じものを使っているんですな。 さて、H先生については以前もこのブログでご紹介したことがありますが、今、お孫さんがご病気で入院中なんです。重い血液の病気で、もうかれこれ10ヶ月ほど入院されているはず。しかし、それがようやく回復に向われ、もう少しで退院というところまでこぎ着けたんですね。何しろ血液型が変わるほどの治療を行なっただけに、小さいお孫さんとしても、またご両親や、祖父母にあたるH先生ご夫妻としても、長く苦しい歳月だったはずですが、それがようやく退院のことを考えられるところまで来たのですから、本当に良かった。今日も、そういう治療のことなど、色々なご苦労を伺いましたが、それでも、退院のメドがたちそうだ、ということもあって、苦労話にも少し明るさがありました。 それにしても、わずか3歳くらいの坊やにして、一向に回復しない病状に絶望することがあるらしく、「いくらおクスリ飲んでもボクの病気直らないのだから、もうボク、おクスリ飲まない」などと言い出す一幕もあった、などという話を伺うと、そんな小さな子がそんなことを考えるのか、と不憫になります。その反面、H先生ご夫妻が坊やの大好きなブルーベリージャムの元であるブルーベリーの木を庭に植えられ、その木の成長ぶりを写真で見せながら、この木に花が咲く頃には退院できるかもしれないよ、と励ますと、坊やも生きる元気が出てきて、それが回復のバネになった、などということを伺うと、人間にとって「希望」というものがどれほど生きる力になるのか、ということを考えさせられます。 もちろん、会食の中では、お孫さんの病気の話ばかりでなく、楽しい話も盛り沢山でした。卒業生たちの話題、旅行の話、その他諸々。私としても、先生が停年退官された後の大学の現状など、報告することは沢山ありましたしね。それに、H先生は筋金入りの「スバリスト」ですから、私が最近、スバルのR2を買ったという話から、スバルの車がいかに「素晴ルしい」か、という話も出たりして。かくして、楽しい会食を終え、その後、H先生が私たちのR2をちょいと試乗する、なんて一幕もあった後、H先生ご夫妻をお見送りし、私たちも帰路についたという次第。とても気持ちのいいお昼のひとときとなりました。 というわけで、昨日から今日のお昼にかけて、ご馳走三昧だったのですが、ちょっと贅沢し過ぎですね。でも、ま、楽しい行事というのは時に必要ですから、神様には大目に見ていただきましょう。 ・・・と、言いながら、実は今日はもう一つ、帰りがけにちょっとした買物をしてしまったのですが、もう大分長くなりましたので、この話はいずれまた。それでは、皆様もよい週末をお過ごし下さい。
March 25, 2006
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昨日の話の続きでございます。 そうそう、昨日、あっけらかんとした卒業式の後、一応「謝恩会」なるものがあったんです。ま、毎年のことなんですが。で、会場は名古屋の繁華街にある、ある若者向けの飲み屋だとのこと。 おお、そうですか、そいつぁ楽しみです、と快く招待を受けたものの、何となく嫌な予感が・・・。 で、時間通りに会場に到着すると、これがやけに小さい会場なんです。20人のパーティーならともかく、総勢60人のパーティーでは無理がないか? という感じ。幹事さん、大丈夫ですか? 幹事さん、大丈夫ですか? という印象は、謝恩会の開始時間にも言えました。というのは、指定された時間に教員はほぼ全員揃っているものの、肝心の卒業生がまだ全然揃わない状態。この何とも間がもたない状況に教員もぼんやり椅子に座るばかり。 で、教員に遅れて卒業生たちが会場に到着するわけですが、昨今、卒業式の袴姿のまま謝恩会会場に現れる女子学生は一人もいなくなり、皆、何か決まり事ででもあるかのように、黒いドレスに白のショール姿で登場します。しかし、皆、そういうドレスの着こなしに慣れていないので、素人女性がちょっと大胆に肌を露出してしまいました、みたいな感じで妙に下品になってしまうのが何とも悲しいところ。会場はまるでよくはやっているキャバクラみたいな感じになってきます。 結局、会は30分遅れのスタートとなりました。 で、幹事の開会の挨拶、教員代表の簡単な挨拶の後、乾杯があって、食事が始まったわけですが、これがまた大変な事態でして。何せ20人向けの会場に60人入ってますから、室内は立錐の余地がないほど。にもかかわらず、立食用の食べ物が出されるテーブルはたった一つ(!)なので、料理が出た! となった途端に、そこに60人が皿と箸を持って並ぶわけです。これは大変な食べ物争奪戦です。 いや、私もとりあえずこの戦線に加わりましたよ。列に並んで、10分後にまず第一回の品としてピザトーストの破片を一切れ取りました。取ったはいいですけど、自分のグラスを置いたところまで戻るのに、人込みをかき分け、かき分け、5分はかかったという・・・。 そして第2回目。今度はスパゲティです。厨房からスパゲティが出された瞬間にできた列に私も並びましたが、10分後、私が取る番になった時には、もうスパゲティは無くなっていました。絶望です。その後、3回目としてたこ焼きが出されたらしいですが、私はもう列に並ぶのは止めました。ちなみに昨日の謝恩会で出された食事は、以上の3品でした。それでも一切れ、ピザトーストを食べた私は上出来で、15人の先生のうち半分は、何も食べていらっしゃいませんでした。 もちろん、そういう先生方を見かねて、先生たちの分を取って行ってあげようという殊勝な卒業生はいませんでした。自分たちの食べる分を確保するのに精一杯だったからです。 また昨日も言いましたように、今の教育組織の中では、教員側は自分のゼミ生以外の学生をほとんど知らないので、謝恩会の間、話をする学生がいないんです。で、ゼミ生が話しかけにきてくれればいいのですが、そのゼミ生たちも、卒業旅行の思い出などを友達同士で語るのに忙しく、教員のところに来る暇がない。あったとしても、混んだバスの中くらいの混雑度の会場では、どこに自分のゼミの先生がいるのか、分からなかったかも知れません。 で、そんな感じで、食べるものがない、話す相手もない、という手持ち無沙汰にしているうちに1時間が経ちました。すると幹事から「それでは、これで謝恩会を終わりたいと思います」のコールが!! え? 先生方のスピーチなし? お別れの一言、言わせてもらえないの? で、教員はそれぞれのゼミ生の代表から小さな花束を一斉にもらって、会はお開きになってしまったのでした。 ・・・・・・。 こ、これが、「謝恩会」でしたか・・・。 ぷわぷわぷわぷわ・・・(過去回想です) 我が学科の黄金時代、「謝恩会」はこういうものではありませんでした。まず会場が違う。昔は一流ホテルのバンケット・ルームを使ったもんです。で、会場には「○○大学 英米文化学科 謝恩会会場」の大段幕が。そして教官よりも30分早く会場入りしている卒業生たちは、準備万端で教官たちを迎え入れてくれたものでした。卒業生たちの半分はまだ袴姿、残りの半分は振袖姿と清楚なスーツ姿、男子学生はビシッとスーツで決めています。 そして広々とした会場、完璧な黒子を演じるホテルの係員たちの心配りの中で和やかに会はスタートします。ご馳走はたっぷり、飲み物は飲み放題。そしてしばし歓談の後、教官のお祝いのスピーチがあり、そこで4年間の思い出がそれぞれの先生の口から懐かしく回想されます。また今度は逆に卒業生の御礼のスピーチがあって、時には爆笑が起こったり、時にはしんみりとさせられたりしながら、楽しい時間が過ぎていく。時にビンゴゲームなどをやったこともありましたね。そして、会の最後は卒業生から教官へ花束の贈呈。それも持ちきれないほどの大きな大きな花束がゼミ生たちから手渡され、そしてそれにプラスして、記念品の贈呈があります。ゼミ生たちが、それぞれの指導教官の好みなどを考慮して、事前にお金を出しあって買っておいてくれた心尽くしのプレゼントなんです。 そしていよいよ解散と言うときには、皆で集合写真を撮り、またそれぞれ教官と卒業生とが、色々な組み合わせて写真を撮りあうわけ。それでようやくほんとに楽しい謝恩会が終わります。 しかし、そこまでしてもらった教官は、そう簡単に卒業生たちとお別れすることはできません。皆のポケットマネーを集め、卒業生たちにお茶をおごるんです。謝恩会会場のバンケットルームからホテルのロビーのカフェなどに場所を移し、そこでまたひとしきり話が盛り上がるわけ。そして、それらすべてが終わった後に、ついに名残惜しい最後のお別れになる。教官たちは皆、気恥ずかしいほどの大きな花束を抱え、笑顔と涙の卒業生たちに見送られながら帰路につく。その感動。その余韻。 これが、一昔前のうちの科の謝恩会でした・・・ぷわぷわぷわぷわ・・・(現実に戻る) さて、謝恩会が解散となった後、「これはもうダメだ」という目配せで先生方がさっさと帰りかけたその時、私のゼミ生の一人が何か袋を持って駆けつけて来るじゃ、あーりませんか。しかし・・・お! なーんだ、私へのプレゼント、買っておいてくれたんじゃん! 他の先生の手前、私だけプレゼントあり、なんてちょっと悪いな、と思った私が愚かでした・・・。というのも、次の瞬間、私は次のような言葉を聞いたのです。 「先生、これ、卒論の時にお借りした資料です! お返しするチャンスがなくって・・・」。 これでトドメを刺されたのは言うまでもありません。 私と、私が「兄貴」と慕う同僚のK先生は、帰路、あまりの空腹にデニーズに立ち寄り、がっつり食事をしてしまいました。「謝恩会の後でデニーズで飯を食ったなんて、人には言えないよな」というK先生の一言に、ジャンバラヤを口いっぱいに頬張った私は、激しく首をたてに振ったのでありました。 これが昨夜の謝恩会の思い出です。 謝恩会というものの性質上、私たち教員は、その運営に口を挟めません。もしこれが彼らにとっての「謝恩」なのであれば、そういうものなのでしょう。あるいは、私たち教員には、この程度の謝恩がふさわしいということなのかも知れません。 しかし・・・私には何か違うんじゃないか、という気がして仕方がありません。ほんの10年前の卒業生たちと、今年の卒業生たちの違いは一体何なのか・・・。 その違いの元を、私は知りたいと思うのです。
March 24, 2006
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今日は勤務先の大学で卒業式がありました。 卒業式というのは、その意味合いから言って、大学で行なう行事の中で最大のものではないでしょうか。ですから、私たち教員側にとってもこの日はやはり特別です。いつもはいい加減な格好をしている先生方も、今日ばかりはきちんとしたスーツ姿、スリーピース姿だったりして、そういう意味でもなかなか趣があります。 しかし、そうは言ってもこの10年ほどで卒業式の雰囲気も大分様変わりしました・・・。 ま、一つには組織上の問題もあります。 数年前までうちの科は典型的な少人数教育で、教官7名に対し学生20人でしたから、自分のゼミ生はもちろん、そうでない学生もちゃんと顔と名前が一致していた。ですから、先生方と学生たちの関係も非常に近しく、卒業式ともなると相互に別れを惜しんだものでした。 しかし、馬鹿な文部科学省の指導やら何やらで組織が変わり、今では60人の学生に対し教員15名で指導に当たっているんです。もちろん60人の学生に対して15人の教員というのは、20人の学生に7名の教官だった頃と比べて教育環境が格段に悪化したとは言えないかも知れない。しかし、比率はあまり変わらないとはいえ、一つの科に学生が60人もいるようになると、自分のゼミ生以外の学生の顔と名前を覚えるのがどうしても難しくなります。で、畢竟、教員と学生の関係が疎遠になってしまうんですね。 ですから学位授与式にしても、行事そのものの性格が淡白になりました。学科代表がちょこっと挨拶し、後は卒業生にじゃんじゃん学位記を渡して終わり、という感じ。卒業生たちも、さっさと帰ってしまいますし、情緒も何もあったもんじゃない。 10年前は違いましたよ。当時はとにかく教官と学生の距離が近かったですからね。学位授与式にしても、前もって教官がポケットマネーを出し合って、シャンパンを何本か買っておくんです。で、一通り学位記を渡し終わった後で、このシャンパンを抜き、教官と卒業生たちで乾杯するわけ。そしてそのあとは集合写真を撮ったり、ゼミ毎に分かれて写真を撮ったり、個々の学生と教官一人一人がツーショット写真を撮ったりして、いつまでもいつまでも後ろ髪を引かれるようにお別れに時間をかけたものでした。 そうそう、それからある年など、卒論で苦労させられた男子学生にちょっといたずらしてやろうと、教官全員で口裏を合わせ、学位授与式の時にその男子学生の卒業証書がない!という芝居を打って、彼の目を白黒させる、なんてことをやったこともありました。 そんな時代が懐かしいですなあ・・・。 中でも一番印象に残っているのは、12年前の卒業式。その年の卒業生たちは、我が学科史上、最高の学生たちが揃っていた黄金時代でしたけど、あの日のことは忘れられません。 その時も、上に述べたような感じで、学位授与式の後、先生方と卒業生たちがいつまでも写真を撮ったり、談笑したりしていたんですが、その時、卒業生の中の女の子二人が突然、「仰げば尊し」を歌い出したんです。そしてその歌声に他の卒業生たちも一人、また一人と唱和し始め、ついに20人全員のコーラスになったわけ。それまで満面の笑みで学生たちと立ち話をしていた我々教官も、一瞬ハッと胸を衝かれ、いつしか直立不動の姿勢となり、心もち顔を伏せて卒業生たちの歌に耳を傾けましたが、20人の卒業生たちがまっすぐ我々を見つめ、心を籠め、心を一つにしてあの歌を歌ってくれた時のあの気持ち、あの時の感動は、今もなお私の、そしてあの場にいた同僚の先生方全員の心に残っています。 それにしても、「仰げば尊し」というあの歌が、あんなに素晴らしい歌だったのかというのは、あの時初めて知りました。教師になった苦労のすべては、あの歌一つで完全にチャラになるんです。ほんとに、そうなんですよ。 ま、あれがあったからこそ、今時のあっけらかんとした卒業生を前にしても、まだ「卒業式」というものにほんの少し、「何か」を期待してしまうんですよね。ま、期待しても、ああいうことはもうなかなかないんですけど・・・。 それにしても、今年の卒業生は、例年以上に淡白でした・・・。そりゃ、もう悲しいくらい。この子たちに対しても、昔と変わらず、随分面倒を見てやったという気がするんですが・・・。 しかし、そのガッカリ感は、卒業式の後の謝恩会で頂点に達することに。一体、謝恩会でなにがあったのか?! その辺りのお話は、また明日!
March 23, 2006
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今日は、色々完成しましたよ~! まず一つ、完成したのは・・・おいしいご飯です! 実は昨日のブログで言及した「炊飯用土鍋」って言うんですか? そいつで実際にご飯を炊いてみたんですよ。すると・・・ 簡単~! いや、それが実にあっさり炊けたんですよ、ご飯が。土鍋でご飯を炊くことがこんなに簡単だなんて、知らなかった。 はーい、それではここで釈迦楽教授の炊飯講座です。 まずお米をとぎ、土鍋に入れます。そしてお米の量(2合とか3合とか)にあわせ、土鍋の内側の線のところまで水を入れます。で、しばらく置いて米に水を含ませた後、土鍋に附属の二重の蓋をして強火にかけ、水が沸騰して蒸気抜きの穴から湯気が出るまでそのままに。 で、湯気が出てきたら火を弱火にし、2合なら10分間、3合なら12分間、そのまま加熱します。そして時間がきたら火を止め、2合なら10分、3合なら12分、そのまま蒸らします。 以上。 それだけ。 たった、それだけ。 すると・・・あーら、不思議。ちゃんとご飯が炊けているのでございます! お焦げとかも、ほとんど出来ません。 そして、炊けたお米の味はと言いますと・・・うーん、これがまたうまいんだ! ご飯の硬さも硬からず、柔らか過ぎず、しかもお米らしい香りと甘味が実によく出ているんです。電気炊飯器で炊いたものより、明らかにお米のおいしさが出るような気がします。お米の味にオンチなところのある私ですら、確かにうまいと思わせるものがある。それに、炊き上がるまでの時間だって、電気炊飯器よりもよほど短いのではないでしょうか。 いいですよ、これ。炊飯用土鍋、すごくいい。教授、熱烈おすすめ!でございます。これこれ! ↓萬古焼炊飯用土鍋大黒黒釉ご飯鍋3合炊 さて、ご飯のことは以上ですが、実は今日は私にとって他にも「完成」したものがありました。 その一つは先日来、私が苦労して編集してきた論文集が完成し、今日、印刷所から届けられたんです。昨年の同様の経験を活かし、自分なりにさらにいくつか改良を加えながら編集しただけに、感慨も一入。ちなみに印刷にかかったお金は、論文集300部、著者抜刷4人分80部を合わせて10万飛んで800円也。かつて業者丸投げで40万円かけていたことを考えれば、コストは4分の1です。ま、そんなこと言ったって、英語科に所属する他の先生方は大して驚いてくれませんが、骨を折った私としては自己満足がありますからね。うん、なかなか上手に出来ましたよ。まずはメデタシ、メデタシ。 そして、今日、もう一つ完成したのは、こちらは商業出版として出したアメリカ文化史関連の教養書。どうやらついに出版されたらしく、出版元から著者への献本として送られたのを、今日受け取ったんです。と言っても、これは私が書いた本というよりは、私を含め総勢14人の執筆者の共著として出版したものなんですが、とにかく自分が書いた文章が活字になって、それに値段がつくということは、実に嬉しいものであります。 しかも、これには応分に印税が発生しますので、売れれば売れただけ私のフトコロにも若干の印税が入って来ますから。なーんて、そんなこと言ったって、実はこういうのはほんとに雀の涙なんですけど・・・。でもね、たとえそれがわずか数千、数万の単位のお金であったって、やっぱり「印税」というのは甘美な収入ですからね。 ということで、今日は萬古焼の土鍋のおかげでおいしいご飯もいただけたし、前から関わってきた出版物2種が同時に届けられたということで、なかなか充実した一日となったのでした。今日も、いい日だ。
March 22, 2006
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今日は三重県の菰野町というところにある「パラミタミュージアム」というところに、家内を連れてドライブに行って来ました。 パラミタミュージアムなどというと、何か仏教関係の博物館のようですが、実際には版画家・池田満寿夫の作品を扱った美術館です。池田満寿夫は晩年になって陶芸に夢中になったのですが、その作品の多くが「般若心経」をテーマにしたものだった。ですから、波羅蜜、すなわち「パラミタ」なんですな。で、今回ここを訪れたのは、ちょうどここで池田満寿夫の版画展をやっていたからで、常設の陶芸作品展と版画展、両方見られるからなんです。私は満寿夫の版画の大ファンなのでね。 もちろん、今日のドライブに引っ張り出したのはプジョー306ではなく、「紅子」ことスバルR2の方。そしてBGMは、昨日発売されたばかりのプリンスの新譜『3121』。このファンキーな音楽に乗って11時過ぎに家を出て、本郷のインターから東名阪自動車道に乗ったら、後はそのまま四日市インターまで一直線。紅子も快調に高速道路を走ってくれ、四日市までは小一時間で着いてしまいました。しかも軽自動車なので高速代も随分安く、都合1200円しか掛かりませんでした。軽自動車に替えたメリットを早速味わいましたね。 さて、四日市に着いたのはちょうどお昼頃だったので、今日の昼食は、国道477号沿いにある鰻のお店、「安田屋」さんで鰻重を食べることに。 菰野、というか、もっと広く四日市と言った方がいいのかも知れませんが、このあたりは「萬古焼」(おっと、ばんこ焼きですよ、「ばんこ」焼き!) という陶器が有名ですね。で、陶器のあるところにはおいしい鰻あり、と言われています。というのも、焼き物というのは炎の芸術でありまして、一度窯に火を入れたら、熱い窯の近くでまる二日以上、火の世話をしなくてはならない。それだけ体力を消耗するわけで、そういう陶工たちのために精のつく鰻は欠かせないんです。愛知県でいうと、瀬戸なんてところは、案外鰻の店の多いところなんですよ。 というわけで、「陶器の町の鰻屋はうまいだろう」と踏んで、この安田屋さんで昼飯を食べることにしたのですが、実際、このお店の鰻はタレがやや濃い目で、なかなかおいしかったです。ま、名古屋・石川橋の「とみた」にはもちろん負けますけど、安田屋さんの鰻は値段のことも含め、庶民的なおいしさでしたね。 さて、かくしてお腹が膨れた我らは、そのまま477号線を湯の山方面に走り、あっと言う間にパラミタミュージアムに到着。入館料は1000円ですけど、JAFの会員証があると750円に割引されます。で、まずは常設展へ。先程言いましたように、常設展は満寿夫の陶芸作品の展示です。 実は私、彼の陶芸作品にはあまり期待していなかったんです。が、これが案外良かった。とにかく彼が陶板に描く、あるいは土をこねて造形する仏像の顔の表情が何とも言えずいい。日本の仏像ののっぺりした顔立ちというよりは、ややバタ臭い、ガンダーラ仏のような顔立ちなのですが、穏やかなものもあり、凛々しいものもあり、いずれにしても慈悲深い顔なんです。また体の部分も、伝統的な仏像の造形とは随分異なってはいるのですが、それはそれで、仏様の身体に見えるのですから大したもの。やはり才能のある芸術家というのは、何をやらせてもセンスが違いますなあ。 また2番目の部屋には、もう少し大型の、満寿夫流の「仏塔」が20体ほども置いてあるのですが、一つ一つにスポットライトを当てられたこれらの仏塔群は、まるで古代の遺跡から掘り出されたもののような威厳があって、私なぞふと、自分が死んだら、こういうのを墓石の代わりに立ててくれたらいいなぁ、なんて思ってしまったくらい。 とまあ、期待していなかった陶芸作品の方を十分に楽しんでしまったのですが、お楽しみはまだこれから。特別展の「版画展」です。 さて、この版画展ですが、こちらは満寿夫が制作した版画の代表的な作品が展示してあります。作品数が相当あったので、見応えも十分。しかも制作年代順に置いてあるので、これを順番に見ていくと、その時代、その時代に彼が熱中したスタイルや手法が明らかになっていく面白さもある。具体的に言いますと、エッチングで始まった彼の版画手法は、すぐにドライポイントになり、その後メゾチントやルーレットの時代を経つつ、最終的にはそれらすべてを複合的に使うようになっていくんですね。そういった手法上の冒険が跡付けられるという点でも、非常に面白かった。ちなみに我が家にも一点、満寿夫の版画があるのですが、作品のテーマや手法から言って、おそらくこれは1966年頃に制作されたものではないか、ということも見当がつきました。これも今日の収穫の一つです。 ところで、私はどういうわけか、美術展を見るといつも異常に疲弊するんです。で、一通り展示を見た段階でもう疲れ切ってしまいましたので、ミュージアム内にあるティーサロンへ行き、一息つくことにしました。ティーサロンと言っても、テーブルと椅子と、それからコーヒーやジュースの自動販売機があるだけなんですけど、それでもここで暖かいコーヒーを買い、庭を眺めながら飲んでいたらまた元気が出てきた。そこで、ミュージアムの庭を少し散歩してから、もう一度満寿夫の版画を一通り見直し、それからミュージアム・ショップで絵葉書や展示の図録を買って、そしてこの美術館を後にすることにしました。 ということで、今回私たちはパラミタミュージアムをすっかり堪能しましたけど、名古屋の中心部からそんなに遠くないですし、池田満寿夫に興味のある方には、一度行って損はない美術館です。満寿夫の版画展の会期はもうすぐ終わってしまいますので、お近くの方で行ってみたい方はなるべく早く行ってみて下さい。この美術館、教授のおすすめ!です。 さて、美術館を出た我々は、次の目的地へ向かって紅子を走らせました。次の目的地というのは、「やきものの里会館」です。我ら夫婦はともに陶器には目のない方ですからね。 四日市の市街から少し外れたところにある「やきものの里会館」は、パラミタミュージアムから車で40~50分ほどのところにあります。しかし、道が少し混んでいたので、少し余計に時間が掛かって、到着したのは4時半、閉館まで30分というところになってしまいました。 それにしても、四日市の周辺から市街地にかけてざっと走り抜けて見たその印象は・・・ 殺・風・景・・・ なーんて、四日市の皆さん、ゴメンナサイ! 気を悪くしないで! 日本の地方都市なんて、大抵そうですから・・・。これは四日市の問題というより、現代日本の悲しい現実であります。 ま、それはさておき、あまり時間がなかったので、やきものの里会館に到着した我らは、とりあえず急いで萬古焼を売っているショップを見ることにしました。 で、問題の萬古焼ですが、萬古焼というのは基本的に「熱に強い陶器」という特色があります。ですから「蚊遣豚」なんていうのは、あれは萬古焼の代表的なものの一つですね。それから、何と言っても土鍋。これも萬古焼の代表的な食器です。あと、常滑のものよりずっと濃い色ですが、朱泥の急須なんてのも有名です。ショップの人に聞いたところによると、萬古焼の急須は土に鉄分が多いので、これがお茶のタンニンと化合して、お茶の味がまろやかになるのだとか。 しかし、今日、我々が狙っていたのは、蚊遣豚でも、土鍋でも、急須でもありません。実は・・・お米を炊く釜を探していたんです。 前にも書きましたが、我が家で使っている電気炊飯器は、私が独身時代から使っているシンプルなものなのですが、どうもこいつのせいで米がおいしく炊けていないのではないか、という疑いを私は持っているんです。で、以前から釜を使い、ガスの直火で炊いたお米はうまい、という話を聞いているので、この際、萬古焼の釜を買ってみようかと思っていたんですよ。 で、探してみると、ありました、ありました。陶器製の釜で、圧力が掛かるように内蓋と外蓋の二重蓋になっている奴が。しかも3合炊のものが4200円と、予想していたのよりも値段がよほど安く、しかも今日は(?)展示品のすべてが2割引となっていましたので、実質3千円ちょいということになる。これは買わずにはおられないじゃないですか! というわけで、萬古焼の陶器の3合釜、買ってしまいましたよ。これで明日から、おいしいご飯が食べられるかも知れません。こいつは楽しみですなあ! さて、かくして池田満寿夫の陶芸と版画をたっぷり楽しみ、萬古焼のお土産まで手に入れた我々は、帰路につくことにしました。帰りは東名阪ではなく、伊勢湾岸道をぶっ飛ばし、行きとは逆に南側から帰宅することに。こちらの方が高速代は100円安かったですけど、高速を下りてから家にたどり着くまでの道順が面倒臭く、どっちもどっち、というところでしたね。家に到着したのは6時半。ちょっとした半日掛かりのドライブでした。 このところ休日の度に雨が降って、新たに車を買ってからなかなかドライブに出かけられなかったのですが、今日はそんな欲求不満を払拭する、なかなか気持ちのいいドライブとなりました。これをいい気晴らしとして、明日からまた仕事頑張ります。それでは、今日はこの辺で。萬古焼の釜で炊いたご飯がおいしかったかどうかは、またいずれ報告しますね! お楽しみに!追伸: 満寿夫は文章もうまく、小説はともかく、エッセイを書かせたらピカイチの人。私も愛読書が多いですが、絶版が多いのが残念なところです。楽天ブックスにある中ではこの本がおすすめですので、満寿夫のことに興味のある方はぜひ一度読んでみて下さい。これこれ! ↓私の調書
March 21, 2006
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野球観戦にほとんど関心がないワタクシ。WBCと言われても、ついボクシングのことかと思ってしまいます。ですから、我が日本がこのWBCの決勝に進出したと聞いても、へぇ~ってなもんですなぁ・・・。 それにしても、「日本が負けた」というニュースばかり聞かされたような気がしていたので、てっきり日本チームは敗者復活戦で3位決定戦に進出するのかと思っていたら、そうではなくて、決勝進出なんですってね。一体どういうルールだと、そういうことになるのでしょうか。それに野球王国のアメリカが決勝には出ていないようですが、ほんとにアメリカ・チームは大リーグの一線級を投入したドリームチームで参加したのですか? 審判団も2流だったようですし、こんな大会に勝って「野球世界一だ!」なんて言えるんですかね・・・。イチロー選手だけは、なんだかやけに気合が入っていますが・・・。 ま、それはいいです。 さて、今日も私は一応、お勉強の予定。ここのところ割と真面目に原稿を書いていますが、シンポジウムまであと1ヶ月なので、尻に火がついた状態なんです。そういう時は仕事嫌いの私も、さすがに仕事するんですね。 でも、そこはそれ、机に向かっていれば原稿が必ず書けるというものでもなし、何にせよ息抜きは必要なんです・・・と、適当に理由をつけて、原稿とは関係ない本も読んでいたりするんですが、そんな中で昨日、今村楯夫さんという方の書かれた『ヘミングウェイの言葉』(新潮新書)を読み終わりました。今村さんというのは東京女子大の教授で、昔からヘミングウェイ一本槍。たしか日本ヘミングウェイ協会か何かの会長さんだったと思います。ヘミングウェイ関係の学術書・教養書も既に何冊かお書きになっていたはず。 ですから、この本は、いわばそんな今村さんが手練の主題について、気楽に書き綴ったエッセイといった風で、読む方としても、同じように気楽に読めばいいようなものなんですね。 で、本の構成としては、ヘミングウェイの作品や書簡などから名言・名セリフをとってきて、それを枕にして、というか、話のきっかけとして、今村さんがヘミングウェイのことをエッセイ風に語るという趣向になっています。基本的に見開き2ページで一話完結ですし、個々のエッセイには特に強い関連性もないので、読者としてはどのページから読んでも構わないわけ。時間の切れ端で読書をするのにはもってこいの本です。 もっともこの本は、ヘミングウェイのことをあまりよく知らない一般読者に彼の人柄や人生や作風を紹介する、という側面がありますので、その内容は割と常識的な路線に沿っていて、長年ヘミングウェイに親しんでいる方にとっては、さほど珍しい事実なり見解なりがこの本の中に見出せるというものでもありません。その意味では、エキサイティングな読書を期待してこの本を読むと、少しがっかりしてしまうかも知れない。 しかし、さすがにヘミングウェイは大したもので、今村さんが紹介している「ヘミングウェイの言葉」を読むと、たとえそれが既知のものであったとしても、改めて感動することが多いのも確か。 例えば、友人の作家、F.S.フィッツジェラルドについてヘミングウェイが言ったという「彼の才能は蝶の羽に粉が織りなす模様のように自然だった」なんていう言葉を読むと、なるほどフィッツジェラルドの才能をこれ以上うまく言い表せるだろうか、という気になるし、有名な「もし若いときにパリに住む幸運に巡り会えば、後の人生をどこで過ごそうともパリは君とともにある。なぜならパリは移動する祝祭だから」なんて名文を改めて読むと、「移動する祝祭」なんて言葉をどうやったら紡ぎ出せるのか、と改めてため息が出ます。それに、私には若いときにパリで過ごすチャンスはなかったなぁ、なんて思うと、やっぱりため息が出たりする。 また小説の執筆について彼が言ったという「2Bの鉛筆を一日七本丸くできれば、その日は調子がいい日だ」なんていう言葉を読むと、ヘミングウェイだってそのぐらい仕事をしたら後は遊んだのだから、私ももう仕事は止めにしよう、という気にもなります。(いつも、そうじゃん!) ちなみに、この本を通じて私が一番感銘を受けたヘミングウェイの言葉は、下に挙げる2つでした。「神聖、栄光、犠牲というような言葉や空々しい言い回しには、いつも気恥ずかしさを覚える。聞くに耐えない言葉が多すぎるので、しまいにはただ地名だけが威厳のあるものになる。・・・栄光、名誉、勇気、神聖などという抽象語は、村の名か、道路番号、川の名、連帯番号、年月日など具体的なものと並べると不潔だ」「ワインを直接ボトルからがぶ飲みしたことがあるかどうかはわからないが、あたかも女の子が生まれて初めて水着なしで泳ぐときのように、スコット(フィッツジェラルド)にはそれがすごく刺激的らしかった」 前者の「地名のように具体的な言葉だけが神聖だ」という言葉は、虚飾を排した文体で知られるヘミングウェイの感性そのものを言い表しているようですし、また後者に関しては、「女の子が初めて水着なしで泳ぐときのように」という表現が、ものすごくいいと思うんです。 やっぱり、ヘミングウェイってすごいよな、ということを改めて確認できるこの本、興味のある方にはおすすめ!です。 ところで、私、ヘミングウェイが生まれ育ったシカゴ郊外のオークパークという町を何度か訪れたことがあります。閑静な高級住宅街でね。アメリカを代表する建築家、フランク・ロイド・ライトのスタジオがあったところでもあって、ロイドやその弟子たちが作った名住宅が軒を連ねており、建築に関心のある方にとっても、すごく楽しめるところです。 で、そのオークパークに、小さな「ヘミングウェイ記念館」というのがありまして。ま、とりたてて何があるというわけでもないほんの小さな記念館でしたけど、そこで私が感銘を受けたのは、ヘミングウェイが高校生の時に書いたという「声明文」。そこには、こう書いてあったんです。 「私の生涯の目標は、うんと旅行し、うんと書くこと」。 高校生の時に立てたこの目標を、ヘミングウェイは十分に実行したんですなぁ・・・。 ヘミングウェイ。もちろん私が生まれる前に亡くなった作家ですが、何だか自分のおじさんででもあるかのような気にさせられる人ですね。 もし、このブログをお読みの方で、ヘミングウェイのことをとりあえず知りたいという方がいらっしゃいましたら、ハヤカワ文庫に入っている『パパ・ヘミングウェイ』という本を熱烈に、熱烈におすすめします。これは(批判されることも多い本ですが・・・) とてもいい本ですよ。すっごく、すっごく感動的。楽天ブックスにはなかったので、ひょっとすると既に絶版かも知れませんが、探せばすぐ見つかる本だと思います。今村先生の本もあわせて、ぜひ!これこれ! ↓ヘミングウェイの言葉
March 20, 2006
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今日は日曜日。昨日とは違ってなかなか良い天気ですが、冷たい風がぴゅーぴゅー吹いて、とても行楽日和とは言えません。というわけで、今日も私は書斎で原稿書き。 それにしても、私の書斎、整理整頓が悪いもので、ノート型のパソコン(最近仕事用はすっかりIBMのシンクパッドになってしまった・・・。マックよ、すまん・・・)の周辺は本や資料や各種書類の山。ほとんど作業用のスペースがない状態です。何しろ葉書一枚書くのでも、蓋をしめたパソコンの上で書いていると言えば、その惨状も想像できるというものでしょう。 そんなふうですから、論文やら原稿やらを書く時など、その時々で必要な資料を探すのが大変なんです。ものを書いている時間よりも、資料を探している時間の方が多いんじゃないの、なんて、いつも家内に揶揄されています。 しかし、私には私の言い分がある。つまり、整理整頓ができないのは、私の性癖というよりはスペースの問題だと思うんです。そもそも絶対的な収納スペースが少な過ぎるんですよ。書棚にしても、本や雑誌の冊数の割に書棚が少な過ぎる。ですから、本を二重に置いたり横に積んだりしてしまって、ギュウギュウに押し込んであるわけ。そんなふうだから、そのうちに何がどこにあるか、分からなくなってくるんです。 ですから、もし次に家を建てる時があれば、書斎も自分の理想に従って、書庫付き、スペースたっぷりの奴を作りたいなあと思っているんです。 例えば・・・と、ここで「妄想族」の私の妄想が際限なく広がるわけですが・・・そうですね、理想の書斎というと、やっぱり地面に近い1階に作りたいですね。それで窓から森の木々が見えればいいなあ。しかも、できれば隣の家なんか見えないようなのがいい。で、見える森も「杉山」とかではなくて、四季の移り変わりで表情を変える広葉樹林だったら最高ですね。私は海型人間ではなく、山型人間なので、海よりも森を見た方が落ち着きます。 でも、窓はそんなに大きくなくてもいいかな。それに日光が燦々と入るあまり明るい部屋よりも、北向きの、やや暗めの部屋の方がいい。その方が集中できますからね。それに北向きの窓ということは、南からの光を受けた明るい森が見えるわけで、その森の木々に反射した穏やかな光が入れば最高です。 それで部屋の形ですが、真四角ではなく長方形の、鰻の寝床のようなのがいい。その方が落ち着くというのもありますが、壁に書棚を作り付けるとして、長方形の部屋の方が段違いに壁面を多くとれますから、収納力の点から言っても長方形の方が合理的なんです。 そして机も奥行き1メートル、長さ4メートルくらいの、作業スペースの豊富なのがいいなあ。で、机には引き出しは要りません。机とは別なところにこまごましたものを片づける大きなキャビネットを置いた方がいいですね。照明に関しては、もちろん蛍光灯はNG。よく海外の大学図書館なんかで目にする、目に優しい緑色の笠をした白熱電球の奴があればベストです。それから、私はよく音楽を聴きながら原稿を書くので、いい音のステレオセットとたっぷりのCDラックも書斎に備えつけたい。 コンピュータ類はもちろん必須ですが、コードがごちゃごちゃしないよう、可能な限り無線LANのシステムを構築するとしましょう。 本に関しては、書斎に置くばかりではなく、書斎の隣にやはり細長い書庫を用意して、座右の書や当座必要な資料は書斎に、そうでない本は書庫に置くということにしましょうか。書庫は四面の壁を活用した古風なものにして、近代的な可動式書庫は避けます。図書館じゃないんですから。で、書庫でも読書ができるように快適なソファーでもおきましょうか。 ・・・なーんてね。 別に豪華な大邸宅でなくてもいいですから、そんなステキな書斎のある家を、いつか作りたいですなあ・・・。 さて、そろそろ妄想から脱して、現実の仕事を再開しましょうか。今日は夕方に大相撲、夜遅くにはF1マレーシアグランプリもありますから、それらを心置きなく楽しめるよう、それまでに少し仕事を進めてしまいましょう。 おっと、その前に週末アフィリエイトを少し。フリーページにある「教授のアトリエ」に「版画館」を付け加えました。半分は若手作家によるシンプルでモダンな作品を、後半は吉岡耕二という画家の作品をセレクトしました。この吉岡さんという方、私もセレクトしている中で初めてそのお名前と作品を知ったのですが、調べてみたら結構有名な方のようですね。鮮やかな色彩といい、具象と抽象の中間を行く画風といい、ばっちり私の好みです。こんな感じで新たにお気に入りの画家が増えるというのも、セレクトショップをやっていることのメリットでもありますなぁ。というわけで、ぜひクリックして、私と一緒に楽しんで下さいね。ここをクリック! ↓アトリエ版画館ちなみに吉岡耕二さんの絵って、こんな感じです。 ↓ヴェニス'93
March 19, 2006
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今日の名古屋地方は朝から小雨のパラつく寒い一日となりました。もう3月も半ばを過ぎたというのに、いつまでも寒いですなぁ・・。 さて、そんなシケた日だったので、今日はとりあえず自宅で原稿書き。4月の末に行なわれるアメリカ文学関係のシンポジウムに出なければならないので、その準備です。でも今日は絶好調なのか、書きながら途中でつまることはなく、すらすら進みました。いや、今書いているあたりはあらかじめ準備があるからそうなので、この先、遅かれ早かれ、どこかでつまることは目に見えているのですが・・・。 でも、とにかく今日は好調だったので、早々と予定していた枚数を書いてしまった。ということで、午後のお茶の前に、ちょっとおいしいケーキでも買いに行こうということに。・・・というのは、口実で、実は先日購入したスバルのR2をちょっと運転したかった、ということなんですが・・・。 さて、R2が我が家に来てから雨の日ばかり続くもので、依然として遠出をしていないのですが、それでもちょこちょこは乗っています。家内用に買った車なのに、確実に私の方が乗っていますね。で、乗ってみて分かったことが幾つかあります。 まず動力性能に関して、期待していた以上のものがあったということ。とにかく、わずか0.66リッターのエンジンなのに過不足なく走るというのがすごい。しかも、その気になれば相当早く走ることも可能で、先日も前を飛ばしていたスカイラインGT-Rの後に少しついて行ったのですが、結構、遅れをとらずに走れるんですよ。ただ、ゼロ発進する時の最初の立ち上がりだけ、少しのんびりしているのと、加速する時にCVTから来る「ザワザワザワ・・・」という音がちょっと大きめなのが、玉に瑕というところでしょうか。 あと驚くのは、止まっている時の静かさです。FFですから、普通は停止している時など、エンジンの振動がステアリングに伝わるものなんですが、R2はまったく振動がなく、すごく静かなんです。時々、「あれ、エンジン止まっちゃった?」と錯覚するほど。これも非常に快適です。 逆にまだ慣れないのは、クリープの少なさ。普通のATだと、静止している状態からブレーキを離すと、スルスルっと前進してくれるのですが、CVTだと、それがすごく弱いわけ。ですから、ブレーキから足を離すだけではなかなか動いてくれないんです。特にバックする時のクリープが弱いのは、ちょっと使い難いですなあ。ま、これも慣れの問題だとは思いますが・・・。 でも、そういう難点はあっても、何せまだ買ったばかりの車ですから、面白いですよ。 さてさて、で、その面白い車に乗ってケーキを買いに行ったのは、名古屋市の東隣、日進市にある「ミル・グレイ」というケーキ屋さん。ここ、結構お気に入りの店なんです。今日はここで買ったのは、その名も「フレーズ」という苺のケーキ。スポンジの上に苺のムースが乗り、さらにその上に細かく刻んだ苺が沢山乗っているというもの。いかにも春らしい感じです。この店は以前はシュークリームが有名だったのですが、最近は (どこのケーキ屋さんでもそうですが) ロールケーキに力を入れているらしい。残念ながらそのロールケーキはもう売れてしまってなかったので、代わりにレーズンサンドなどの焼き菓子を幾つか買って帰りました。 で、家に帰ってからリーフティーで紅茶を淹れ、大相撲中継を見ながらケーキに舌鼓。いや、フレーズは苺の香りいっぱいで、おいしいケーキでしたよ。300円という値段もなかなか手頃です。もっとも相撲の方では贔屓の栃東が負けるという展開で、決して愉快なものではありませんでしたが・・・。 夕食は純和風。食後はNHKの衛星放送で第78回アカデミー賞の受賞式などを見てリラックス。ま、今日はそんな感じの、ごくごく平凡な一日だったのでした。 さて、今日は久々に週末アフィリエイトと参りましょう。今日の演し物は、新入学・新入社のシーズンを前に「鞄特集」です。フリーページの「教授の鞄」のコーナーを一新しました。私のお眼鏡にかなった鞄ばかりですので、ぜひクリックしてみて下さい。ちなみに、お値段はすべて50000円を下回るものをセレクトしてあります。ここをクリック! ↓教授の鞄
March 18, 2006
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今日は今年度最後の教授会でした。 さて、我が大学では、年度最後の教授会において、定年退職される教授の皆さんの紹介と、その教授連からの挨拶があります。で、この「最後の挨拶」というのがまた、その人の個性がよく表れるものでして・・・。 例えばこれを最後とばかり延々と下らない自慢話をされる方もいれば、大学への恨みつらみを述べ立てる方もいる。名残惜しそうにしている人もいれば、辞めて清々した、という感じの人もいる。 10年くらい前までは、「この大学に赴任して早々、伊勢湾台風があって大変でした・・・」なんて昔話をされる方がいらっしゃいましたが、最近ではそういう方もいなくなりましたね。 ところで、私がこの大学に赴任して以来、お一人だけ、ものすごく感銘深い「引退スピーチ」をされた方がいらっしゃいました。それは、やはりもう10年くらい前のことになるのですが、変わり者で知られた、ある美術の先生のスピーチだったのですが。 この先生、外見から言うと長身・痩躯、針金色の銀髪を肩まで垂らしていて、いかにも芸術家っぽい感じなんです。が、それよりも何よりも、この先生のトレードマークは「真っ白な上下のスーツ」。噂によると、先生はこの白いスーツを何着も持っていらして、それを取っかえ引っかえお召しになっているということでしたけど、ダンディーな先生だけあって、これがまたよく似合ってたんです。 で、その先生が定年退官される時のスピーチがまた、短かったけれど非常に面白かった。先生はその時、次のような趣旨のことをおっしゃったんです。 私はこの大学に勤め始めた時、このキャンパスのどこかに「幸福の木」があるという気がして、それで30年以上に亙ってずっと探し続けてきた。あれかな、と思うこともあったが、どうも違うような気がする。これかな、と思う時もあったが、どうもそうではないらしい。と、そんなこんなで探しあぐね、もう半ばあきらめかけた時、ついにこれが「幸福の木」だ、というのを見つけた。それは見かけはごく平凡な木で、皆さんも多分、日頃目にされていることと思う。しかし、皆さんはまだそれが「幸福の木」であることに気づいていないようだ。何なら教えてあげてもいいが、それでは木の価値が無くなってしまう。だから、皆さんもそれぞれ、ご自分の力でお探しなさい。でも、神かけて言うが、それは確かにこのキャンパス内にある・・・。 ・・・と、たったこれだけ。 しかし、この話をぼそぼそっとされた時のその先生の顔つき、声など、今だに鮮明に覚えているほど、私にはインパクトがありました。定年退職される先生方のスピーチが、年々低俗で面白味のないものになっていく傾向がある中で、あの白いスーツの老アーティストの去り際の一言は、私の中では、今だにベストスピーチとして、強く印象に残っています。私なんぞあれ以来、「ひょっとしてこれか? これが例の木か?」なんて探し続けているくらいですから。・・・実は一本、怪しい奴があるんですよ。どれかは教えてあげませんけどね。 私が定年になるのはまだ20年近く先のことですが、いずれその時が来たら、私にもあんなインパクトのあるスピーチができるでしょうか・・・。毎年この季節になると、ついそんなことを考えてしまう私なのでした。
March 17, 2006
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昨日我が家に紅子(スバルR2)がやってきたというのに、今日は生憎の雨。本当は梅見ドライブに行きたかったんですけど、残念無念・・・。私、梅、好きなんですよね。春に先駆けて咲く梅の花の、あの火薬のような高貴な香り(?)! 春本番に咲く桜よりよほど好き・・・。 それはともかく、お天気が相手では愚痴も言えず、仕方なく(?)今日は原稿を書いたり、本を読んだりといった過ごし方をしています。 ちなみに今日読んでいたのは開高健(たけし)氏の『小説家のメニュー』(中公文庫)という本。これ、先日、茅ヶ崎の「開高健記念館」を訪れた際に買ってきた本なんです。「開高健と食の関わり」といったような展示だったもので、ちょうどいいかな、と。 で、この本、「行動の作家」であった開高氏が世界中を歩き回ってむさぼり食った様々な食べ物について書き記したエッセイを集めたものなんですけど、読んでいると、いかにも開高節炸裂という感じがする。 じゃ、「開高節」って何かというと、自分が感動したことを言わんとする時に、沈黙をもって表現する、ということです。沈黙といっても、もの静かな沈黙ではなく、文字で表現するならば「・・・!!」という種類の、激しい沈黙です。 例えば・・・ ある日、山本さんが籠いっぱいにアバカシ(=パイナップル)を持ってきてくれた。聞けば、自分の農園で穫れたものだという。皮をむいて、包丁で輪切りにして、それを一口頬張って、 「・・・!!」 おつゆが迸り、口いっぱいになり、溢れて顎をつたって流れ落ちる。その甘さ。その淡麗。その精緻。その豊満。しかも、それらのかぎりをきわめつつ、清浄で謙虚である。思わずわたしは、 「ムーッ、できる・・・」 とうめいて、あとはひたすら山本さんの名作、わたくしが初めて出会ったアパカシの絶品にむしゃぶりついていた・・・。(62ページ) お湯をがらがらと沸かして、カニをその中にさっとくぐらせて、そのまま土佐酢、ポン酢---それはお好みしだいであるけれども、そこへちょっとつける。 「あ、うん・・・」 といって、頬張る。 すると、カニのはずなのにツメも、甲羅も、アシもあってなきがごとくで、口の中でたちまち溶けそうで、チュウチュウと中の薄い肉と汁を吸い出すのである。 「・・・!!」 声にならない声でうめいて、口の中に残ったティッシュペーパーみたいな空を手でポンと肩から後へ投げ(ここは東南アジア風だが)、しばし至福のいっときに浸るのだ・・・。(92ページ) 見ると、薄青色とも薄茶ともつかない淡い色の、ヴィシソワーズによく似たスープであった。銀の匙を手にとり、スープをすくって口に運び、含んだら、 「・・・!!」 ちょっと大袈裟に表現すると、一種戦慄が体全体に走った。(110ページ) ・・・とまあ、こんな感じ。開高先生、おいしいものを食べるたびに「・・・!!」と激しく沈黙するんです。その大いなるワンパターンが、いかにも開高節なわけですよ。 ま、こういう書き方のエッセイを今読むと、何だかちょっと古くさい感じがしなくもありません。というか、こういうのはいかにも「男が男臭かった時代のエッセイ」という感じがしますね。開高さんは、まさにそういう時代の最後の文士といっていいんじゃないでしょうか。この本、そういう時代的なものも含め、開高さんが、指も口のまわりもべとべとにしながら、「・・・!!」と声なきうめき声をたてて、世界中のうまいものをむさぼり食っているところを想像しながら読むと、なかなか面白いです。教授のおすすめ! と言っておきましょう。 これこれ! ↓小説家のメニュー改版 しかし、この中公文庫、目次には「解説 森枝卓士」と載っていながら、実際には大岡玲氏が解説を書いているという、大ミスかました文庫です。こういうの、マニア的には希少価値があるんですよー。ひょっとしたらもう刷り直してしまったかもしれませんけど、もしかしたらまだ市場に出回っているかも。面白いから買ってみて下さいな。 それにしても開高さん、早死にはしましたけれど、世界中経巡って、色々なものを見て、危ない目にもあって、あっちこっちで命拾いして、色々なものを食って、色々な魚を釣って、狩りの興奮も味わって、それらをネタに小説やルポルタージュやエッセイを書きまくったのですから、いい人生だったんじゃないでしょうかね。ちょっと羨ましいな。
March 16, 2006
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先日からビッグ・ニュース、ビッグ・ニュースと言ってますけど、それは何だったのかと申しますと・・・ ジャジャーン! 我が家にR2がやってきたんです~!! R2ってスバルの軽自動車なんですけど、先日、セカンドカー候補に色々乗ってみた挙げ句、ダントツで素晴らしい走りと乗り心地を示してくれたR2を買ってしまったんです。ガーン! で、今日は午後から、そのR2を受け取りにディーラーに行ってきたというわけ。 ディーラーに着いてみると、お、いるいる、我が家にお輿入れするR2が準備されているではないですか。やっぱり、可愛いですなあ! ちなみにR2のデザイナーはアンドレアス・ザパティナスという人で、アルファロメオ147などのデザインを手がけた方。 で、我が家のR2を簡単にご説明しますと、外装の色はベリーレッド・メタリックという奴。これは家内の選択です。基本的に家内の車なのでね。で、早速我が家的には「紅子」という名前がつきました。正式には「釈迦楽紅子」でございます。ちなみに内装はアイボリーなので、室内も明るく、いい感じです。 それに、最近の軽自動車はすごく贅沢に出来ていて、CDプレーヤーも最初からついているし、ドアミラーだって電動格納式! ・・・え? そんなことで驚くな、ですって? いやいや、我が愛車プジョー306なんか、今だにステレオはカセットだし、ドアミラーだって電動格納式じゃないんですぞ・・・。やっぱり快適装備に関して日本車は進んでいますなぁ。 さて、無事車の受領の手続きを終えた後、いざ我が家へ出発です。先日も何度か試乗したとはいうものの、自分の車として運転するのは初めてですから、何だかドキドキします。 それにしてもR2、なかなかいいですぞ。まずアイポイントが高い! プジョーよりも12センチも背高ノッポの全高152センチですから、見晴らしがいいんです。見晴らしがいいというのは、運転し易いということにつながりますからね。それに見晴らしばかりでなく、何よりも走りがいい。DOHCのエンジンは、たった0.66リッター、54馬力の車とは思えないほどの加速ですし、別に一生懸命走らなくても周りの車と同じペースで走れます。4輪独立懸架の足周りもしっかりしていて、まるで1.5リッタークラスの車のような乗り心地。それからR2のオートマはCVT方式なので、ギアの変速ショックが一切なく、その点も何だか不思議な感じがします。さすがにちょっと早いペースでカーブを曲がろうとするとロールが大きめに出て、グラっとくる感じがしますが、ま、それもご愛敬ですな。 それに、何と言っても小さい車というのは、取り回しが楽。何せ全長3.4メートル弱、全幅1.5メートル弱、回転半径が4.7メートルしかありませんから、くるくる回る感じ。駐車なんて楽そうですよー。プジョーなんて、コンパクトな車体の割に回転半径は5.3メートルもありますからね。それと比べれば、R2はその場で回っているような感じです。 ま、そんなこんなで、ディーラーからの帰り道は、ところどころで家内と運転を交代しながら、「いいね! いいね!」の連発でした。いやー、春休みのうちに、R2でどこか遠くまでドライブしてみたいですなあ。 かくして、先日来予告してきた釈迦楽家のビッグ・ニュースというのは、スバルR2(紅子)が我が家にお輿入れしてきた、ということだったのでした。今後、このお気楽日記にも、プジョー306と同時にR2の話題も顔を出すことと思いますので、ご愛読の皆様にはひとつ、お見知りおきをお願いいたしやす。
March 15, 2006
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昨日のブログで「明日は我が家にビッグニュースあり」なんて予告しちゃいましたけど、残念ながらこのニュースは明日まで延期になってしまいました。すみません、この件については、またあ・し・た。 今日は我が愛車、プジョー306の1年点検の日。午前中にディーラーに入れたのですが、今日の代車はなんと同じプジョー306。ただし一つ前のモデル(N3)の3ドア車で、外装はフレンチブルー。これが実にいい色で、本当は私もこの色が欲しかったのですが、新世代(N5)になって無くなってしまったんですよねー。ですから、サスが少しくたびれてきて、ややドタバタする代車でしたけど、駐車場に止めてから思わず惚れ惚れと眺めてしまいましたよ。 さて、それはともかく、今日予定していたあるイベントが明日に流れてしまったので、昼食後はひたすら読書。で、数日前から読み始めた本を読み終わってしまいました。読んでいたのは、Cecilia Konchar Farr という人が書いた『Reading Oprah』という本です。 アメリカで超人気のTV司会者に、オプラ・ウィンフリーという黒人女性タレントがいまして、彼女が10年ほど前、自分の持つトーク番組の中に「ブック・クラブ」を設立し、月に一度ほどのペースで現代小説について一般読者やその本の著者と共に語り合う、という企画を始めたんですが、これがものすごく話題を呼び、視聴率は鰻登り。彼女がブック・クラブのための本を選定すると、途端にその本がミリオンセラーになる、という現象が生まれたんです。で、私が読んでいた本というのは、このオプラのブック・クラブの人気の秘訣を学術的に分析するというものなんですな。 で、著者のファー教授によりますと、あらゆるものを民主化してきたアメリカにおいてすら、「文学」の分野には依然として「権威」というのがあって、どの小説が優れているかの判断は、すべてその「権威」がやっているところがある、というんです。たとえば数年前、アメリカのメディアが世紀末にちなんで「20世紀で一番優れた英語小説は何か?」なんて話題を取り上げ、その結果ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』が1位になったとか、ならないとか、そんな話が日本にまで届きましたけれど、ことほど左様にアメリカでは「エライ人」が、「優れた小説のリスト」を作るというのが当たり前になっていて、一般の読者はそれに対して口を挟む場がなかった。 その一方で、アカデミズムとは関係なく、楽しみのために現代小説を読んでいる人も、アメリカにはそれなりの数いるわけです。しかし、彼ら・彼女らは、それを一人で読んでいるのであって、読み終わった感想などを話し合う場がなかった。なんとなれば、「権威」がそれらの現代小説を「語るに落ちる」と考えているから。それらは一律に「価値のないもの」とされてきたわけです。 で、人気TVホストのオプラ・ウィンフリーがやったのは、それまでばらばらの状態であった「一人で楽しみのために(価値がないと言われている)現代小説を読む、一般(中流階級)読者」に、彼らの好む本について語り合う場を与えたことである、というのが、ファー教授の主張なんですね。 オプラ・ウィンフリーのブック・クラブのモットーは、"getting America reading again"、すなわち「アメリカに読書習慣を取り戻そう」です。ここで重要なのは、もちろん、「取り戻す」という部分。そもそもアメリカは、建国当初から個々の国民が自由に本を読み、自由にものを考えることを許す気風があり、そういう自由な読書と思考の中から旧体制打破の世論が出てきて、それが独立革命の機運を作り出す元となったという歴史がある。しかし、先程言いましたように、そういう読書の自由がいつの間にか失われ、「読むべき本はエライ人が決める」という風になってきてしまった。オプラの「読書革命」は、まさにこの硬直化したエリート的な読書習慣を壊し、好きな本を読んで、それについて好きなように語り合うという、「元の形」に戻したのだ、というわけです。 しかし、このオプラのブック・クラブとその成功を称賛する人もいる反面、この企画に対する辛辣な批判というのも結構あって、そういう人たちに言わせると、「オプラは、読書という行為を大衆化し過ぎた」ということになる。オプラの薦める本は、いわばマクドナルド・ハンバーガーみたいなもので、それを多くのアメリカ人が好んで読むように仕向けることは、国民の趣味を落とすようなものだ、というわけ。何百万も売れるベストセラー小説に、ろくなものがあるわけがない、という一面の真理がここにはあります。 単にTV番組の人気司会者が面白い本を薦め出した、という簡単なことでも、考え出すと色々な見方が出てくるもんですなぁ・・・。 でも、ま、一般の素人読者(オプラが想定している「素人読者」というのは、昔、高校の国語の時間に課題で読まされて以来、小説なんか読んだことないという人、あるいは、大学時代には一時期熱心に小説について語り合ったことはあるが、その後結婚したり子育てがあったりして、なかなか本など読む暇が無くなってしまった主婦、などなんですが・・・) が再び本を手にするようになり、それを読んで互いに感想を言い合ったりするのは、いいことだと思うんですよ。少なくとも、悪いことであるはずがない。 それに、こういう素人読者に、いきなり『ユリシーズ』を突きつけて、「これは20世紀で一番優れた小説だから読みなさい」って言ったところで、あまり意味ないと思うんですよね。本なんて(特に小説なんて)、本来、楽しんで読むべきものなんだから、その人の身にあった小説を楽しめばいいと思うんです。その中で、たまに、少し骨のある小説を読むなどすれば、もっといい。 ま、私も大学で文学を教えるものとして、ついつい『白鯨』とか『緋文字』なんて日本人学生に読ませてしまうのですが、そういう古典中の古典って、アメリカ人だって読んでいないのだろうな、って考えることがあります。日本人だって、『源氏物語』を通読したことのある人が、今どのくらいいるかを考えれば、ねぇ・・・。『源氏物語』どころか、鴎外・漱石・谷崎だって怪しいもんだ。 そういう風に考えれば、日本におけるアメリカ文学研究だって、あまりにも古典にシフトし過ぎているなあ、という気がします。もちろん、上に書きましたように、万人に愛されるベストセラーに良書なし、ということはある程度真理なのであって、では大衆的に人気のある現代小説のベストセラーを学術的に論じる価値があるのか、と言われると答えに窮しますが、要はその辺のバランスなんですよね。 たとえば、経済学の分野で、アダム・スミスを論じるべきことは分かる。しかしそれと同時に、ビル・ゲイツやホリエモンについて考えることも必要だと思うわけですよ。で、だったらそれと同じことが、文学研究にも当てはまるべきではないか・・・。 ま、難しいんですけどね、時の試練を経ていない本、価値が定まっていない小説を論じるというのは。 それはともかく、ちょうど今、4月に行なわれるシンポジウムの下準備で、「一般読者と文学」の関係、ということを考えているものですから、文学の価値って誰が決めるのだろう、とか、文学を研究するという場合、どういうものを対象に据えるべきなのだろう、とか、そんなことを、この本を読みながらつらつら考えてさせられてしまった今日の午後だったのでした。
March 14, 2006
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今日はまたやけに寒い一日でしたね! 名古屋は午後3時前くらいに、一時的ですが、時ならぬ吹雪状態になりましたよ。 さて、昨日は朝から入試監督→午後からひたすら仕事→夕方、同僚の送別会に出席→夜9時に研究室に戻ってさらに仕事→帰宅は11時過ぎ・・・というハードスケジュールでしたけど、その甲斐あってようやく一仕事終わりました。 仕事というのは論文誌の編集作業です。私は英語科内の出版委員なので、毎年年度末に英語科で出す論文集の編集をやっているんです。具体的に言いますと、論文集の中身となる論文数編の体裁を整えるのはもとより、表紙・背表紙・裏表紙・中表紙・奥付まですべて私がデザインし、版下を作ってしまって、あとは印刷所に印刷と製本だけを頼むところまでもっていく作業なのですが、これがなかなか面倒なものでして。 というのは、原稿はA4の大きさで作りますが、実際の論文誌はA5の大きさになりますので、縮尺をかけた時の見栄えを計算に入れて編集しないとならないからです。ですからA4で原稿を作って、それを2回縮尺コピーしてA5の大きさにし、その出来を見て原稿を修正し、再び縮尺をかけて修正した部分の効果を見る、ということを繰り返さなければならないわけ。なかなか大変そうでしょ。ま、こういう作業が好きじゃなきゃ、できない仕事ですわ。 でも、昨夜、研究室で夜の11時近くまで頑張っただけあって、何とか納得のいく版下ができました。で、今日、それをお昼前に印刷所に入稿したという次第。あとはもう私にできることはありませんから、完成を待つばかりです。印刷・製本なんてのは、実は対して時間のかかるものではないので、10日もしないうちに300部の完成品が届けられることでしょう。完成した論文集を受け取る時の気持ちというのは、これがなかなか嬉しいものなんですが。 さて、そんなわけで、この2週間ほど没頭していた編集作業から解放されたので、お昼は外食を楽しむことにしました。行ったのは、家から車で20分ほどのところ、地下鉄植田駅の近くにある「KOKOPELLI(ココペリ)」というお店です。 ここには初めて来たのですが、お店はレストラン的というよりはバーみたいです。実際、店員さんたちがすべてイケメン&イケてるお姉さんたちで、いかにも「バー」っぽい感じ。しかしこのお店、昼はバイキングが有名なんですね。で、我々が行った時も、ちょうどお昼時だったこともあって、少し待たないと席に着けないほどの人気ぶりでした。ちょっと印象的だったのは客層の多彩さで、若い女の子のグループがあるかと思えば、子連れのママさん軍団もあり、またグレースーツのサラリーマンがいるかと思えば、少し年配の方もいる。なんとも不思議な雰囲気でした。 ま、それはともかくこのお店のバイキングですが、ここではまずパスタ・ピザ・リゾットの中から一品選ぶことが要求されます。で、そのメイン料理を注文すると、それに対してサラダ・惣菜を自由に何度でもとっていいプレートがついてくる。つまりメインの料理の値段(1200~1400円程度)で、サラダ・惣菜がバイキング方式で食べ放題ということなんですね。もちろん、フリー・ドリンクつきです。 さて、そのメイン料理、パスタ、ピザ、リゾットともに選択肢が多く、どれもおいしそうだったので迷ってしまいましたが、結局、今日食べたのは、私が「渡り蟹のクリームソース・パスタ」、家内が「ボンゴレとバジルのナッツクリームソース・タリアテッレ(平打ち麺)」でした。で、実際、どちらも味つけがしっかりしていて、かなりおいしかったです。 しかも、もう一つのお楽しみである「バイキング」の方がまたレベルが高かった! キッシュ、サラダ(数種)、豆料理、小魚のフライ、ミートボールのクリーム煮、スナップ豌豆と茄子のトマトソース煮、さつま揚げ風のもの、ひじきのサラダ風、春雨の中華風サラダなどなど、ざっと思い出すだけでも相当な種類ですが、これらのどれもがおいしかったのだから、言う事なし。2回もお代わりしてしまいましたよ。ほとんど全種類制覇したかな? 飲み物だって、オレンジ・アップル・グレープフルーツ・グレープの各ジュースに烏龍茶、そしてコーヒーですからね。この店のランチ・バイキングの人気が高いことは、十分に頷けます。 そして、最後に食べたデザートのおいしかったこと! 我々はともにクレームブリュレを食べたのですが、バニラビーンズがしっかり入っていて、おいしかったですよ~。で、これら全部を堪能して、二人分で2700円くらいだったかな? いつも思いますけど、食のレベルと値段の手頃さに関して名古屋を凌駕できるところって、世界にもそうはないですな。「ココペリ」のランチ、教授のおすすめ! です。もし名古屋近郊に住んでおられる方で、行ってみようという方がいらっしゃいましたら、お昼時をちょっと避けて、平日の1時過ぎくらいに行かれると、待たずに座れますよ。 ところで、お店で食べている時にちょっと面白かったのは、我々の隣に年配の女性を含めた親子連れが座った時のこと。たまたま我々の座ったあたりは通路とテーブルの間に段差があって、テーブルに着くには一段上がらなければならないのですが、その連れのおばあさん、ちょっと勘違いして、段のところで靴を脱いでテーブルにつかれたんです。店員のお姉さんがすぐに気が付いて、「あ、ここは靴を脱がなくてもいいんですよー」なんて笑顔で言っていましたが、「段があれば、靴を脱ぐ」というおばあさんの確信をもった行動に、私はすっかり楽しくなってしまったのでした。 それからもう一つ面白かったのは、私と家内が会計していた時のこと。我々の前にも会計を済ませていた客がいて、彼らには知らんふりでお金を払わせていたのですが、いざ私と家内が会計をしようとすると、店長と思しき「ちょい不良」風イケメンの方が飛んできて、「料理、いかがでしたでしょうか」と声をかけてきたんです。私はすかさず「いや、うまかったですよ」と言うと、その店長、夜のメニューまで持ち出してきて、夜はこういう料理もやっていますし、お酒も飲めますからぜひご来店下さいと熱心に勧めてくれ、終いには近くの有料パーキングのパーキング代まで一部支払ってくれたという・・・。 それはもちろん、有り難かったわけですが、一体なぜ、私と家内だけ明らかに特別扱いなんでしょうか? ひょっとして私が大酒飲みに見えたとか・・・。あるいは、「料理評論家」に見えたとか? 分かった! ワタクシと家内が飛び切りのイケメンカップルだったからだ! そんなことはないか・・・。 あるいは、店員の方が忙し過ぎて注文をなかなかとりにきてくれなかったので、私が席についたまま背中をぐっと反らし、イナバウアー状態で、「あ、すみませーん、オーダー、お願いできます?」と頼んだからかも知れません。 ・・・何か? あ、さて。 雪の降りしきる中、帰宅した後、私は少し眠ってしまいました。ちょっと疲れていたのでね。でも、もう今は元気、元気。今日は夕食後、少し勉強することにいたしましょう。 それでは、また。明日は明日で、我が釈迦楽家にはビッグニュースがあるはずですので、お気楽日記、お楽しみに!
March 13, 2006
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12日は日曜日。しかし、今日は入試がありますので、私は朝もはよからご出勤の予定でございます。しかも夕方からは4月から他大学へ転出される同僚の送別会がありますので、一日中拘束されることになる。きっと「お気楽日記」なんて書いている暇もなさそうなので、深夜のうちからもう書いちゃいますわ。 ところで、今日は私にとって嬉しい日なんです。というのは、待ちに待ったF1レースの開幕日なんです~! ま、興味ない方は全然興味ないでしょうけど、F1というのは自動車レースの最高峰でして、世界中から選ばれたわずか22人のドライバーで競い合う熾烈なレースです。何せ軽自動車より軽く作られた車体に、800馬力近いエンジンを搭載しますので、最高速は時速300キロを軽く越えます。 しかし、直線で時速300キロを出すのは、実はそれほど大したことではないんですね。キツイのはむしろカーブ手前で時速300キロから一気に減速し、そのままカーブを曲がらなければならないというところ。何しろこの時にドライバーに掛かる重力は体重の4倍とか5倍と言われていますから、いわば前から横から重さ300キロの圧力をかけられているようなもの。その中でミリ単位のハンドル操作を強いられ、しかもただ走るだけでなく、周りの車を追い抜いたり追い抜かされたりしなくてはならない。それが1時間半続くのですから、ほとんど神業的なテクニックと体力が必要とされるのもお分かりいただけるでしょう。F1ドライバーはレース中、常に脈拍が180程度になり、一度のレースで体重が2キロほど減ると言われますが、それも当然なんです。 またF1は自動車レースの最高峰ですから、これに関わっている車体メーカー、エンジンメーカー、タイヤメーカーは、その時代の最高の技術をチームのために投入します。ドライバーも含め、何もかもが最高のレベルで争われるわけ。まず、そこが素晴らしい。それに今年はF1に参戦しているホンダとトヨタがともに好調と伝えられますし、新規参入を果たしたもう一つの純国産チーム「スーパー・アグリ」がどこまで頑張るかなど、見どころも一杯です。 しかし、私としては、長年応援している「フェラーリ・チーム」の動向が気になって仕方がないんです。何せ、昨年のフェラーリは絶不調で、19戦のうちわずか1勝しか出来なかった。ですから今年は何としてもエース・ドライバーのミハエル・シューマッハに頑張ってもらって、再び常勝チームになってもらいたい。 で、先程最終予選の結果を見たところ、何とシューマッハの駆るフェラーリが、予選1位というではないですか! ひゃっほ~! しかし、油断はできません。昨年のチャンピオン、アロンソ選手の駆るルノーが、虎視眈々と勝利を狙っていますから・・・。さて、明日の決勝はどうなることやら。興味津々です。 そして、明日はまた大相撲春場所の開幕日でもあります。贔屓の栃東が果たして横綱になれるかどうか、こちらも目が離せません。 ということで、F1と大相撲、私が気合を入れて見るスポーツ中継の二つが同時に始まる明日は、私にとって、長い長い一日になります。さて、そろそろ寝ますか。それでは、皆様、お休みなさい!
March 12, 2006
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今日は暖かいですなー! 名古屋地方は何と19度まで気温が上がるとのこと。今年は冬が寒かっただけに、春の到来は嬉しい限りです。 ところで、私が子供の頃、この季節になると化粧品のTVコマーシャルが一斉に新しい口紅(今どきは「口紅」なんて言わないのかも知れませんけど・・・)の宣伝を始め、それが一層春らしさを演出していたものでした。それは化粧品とは縁のない私にとっても心楽しいものでしたけど、最近、化粧品と季節とのタイアップが昔ほど明確ではなくなってしまって、ちょっと寂しいような感じがします。 口紅のコマーシャルで特に思い出すのは、尾崎亜美の歌の流れる奴。 ちょっと走り過ぎたかしら 風が吹いていたわ やっぱり頭の上はブルースカイ・・・ あ、気持ちが 動いてる たった今、恋をしそう 尾崎亜美って、最近動向を聞かないですけど、元気にしているのでしょうか。私は決して嫌いではないシンガー・ソングライターなんですが・・・。 それから、「銀座レッド・ウィウィ」なんて、フレンチ・ポップスに乗せたコマーシャルも思い出すなぁ・・・。昔の日本にはフランスのポップカルチャーがそれなりに入ってきたもんですが、最近、まるで聞かないですね。ミシェル・ポルナレフなんて歌手、割と好きだったのに。 そうそう、口紅のコマーシャルと言えば、「春先小紅」なんてのもありました。矢野顕子さんですか。 ほーら、春先小紅 見に、見に、見に来てね ・・・ここしか歌詞を覚えていない・・・。でもこれ、作詩が糸井重里、演奏がYMOなんですよね。いかにも1980年代初頭の日本の文化を象徴していますなあ。 これらの歌が春の到来とともに一斉にTVから流れてきた頃、それは私が中学生時代くらいのことですが、多分、年齢的にそれなりに多感だったのでしょう、春になったら何かいいことが起こるのではという予感があって、何か特別なことがなくても、春というだけで何だか楽しかった。花好きの変な中学生だった私は、「やっぱり頭の上は、ブルースカイ」なんて口ずさみながら、自分の小遣いで花の鉢植えなんか買いに、お花屋さんに自転車を走らせたもんですわ。よく買ったのは、サイネリアという花。ちょっとけばけばしい花で、上品さはないのですが、その恥知らずな明るさがちょっと春らしくて好きでした。安かったですしね。 さて、そんな私も今やいい歳になってしまいましたが、それでも今日みたいに暖かい日には、何だか「あ、気持ちが動いてる」感じがします。あとで仕事が一段落したら、尾崎亜美でも口ずさみながら散歩でもして、花でも買ってきますかね。 それでは、皆さんもよい週末をお過ごし下さい。
March 11, 2006
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今日は大学がお休みだったので、お昼過ぎに家から車で20分ほどのところにある星ケ丘というところにショッピングに行って来ました。星ケ丘というのは、名古屋の東側にあって、幾つもの女子大が立ち並ぶ文教地区であり、かつ三越などもあるちょっとしたショッピングサイトです。 で、今日、ここを訪れた一番の目的は、仙台に住む姉にお誕生日のお祝いを送ろうということだったんですね。 以前ですと、誕生日のプレゼントは「残るもの」がいいと思って、「何か欲しいものはない?」と事前に尋ねたりしていましたが、姉も私もそこそこの歳になってきて、悲しいかな、「欲しいもの、ない?」と言われても即答できないようになってしまった・・・。ま、そんなこともあって、この頃では、むしろすぐに食べ切ってしまえるようなお菓子とか、そういうものを贈ることにしているんです。この数年は「ルピシア」という紅茶の専門店で春らしいフレーバー・ティーを見繕って贈ることが多いかな。 ということで、今年もルピシアで姉へのプレゼントを買おう、ということにしたわけなんです。で、毎年違う紅茶を贈っているのですが、今年は「さくら」という紅茶と「バースデイ」という紅茶を選び、ギフトボックスに入れて送ってもらうことにしました。どちらもフレーバー・ティーですが、さくらの花びらや乾燥させた果物などが散りばめられた茶葉で、香りがいかにも春らしかったのでね。包装もなかなか可愛いんですよ。 そして、ついでに自宅用として「モンテクリスト」というのと、「ストロベリー」という茶葉も買い求めました。前者は何度も買っているお気に入りの茶葉。後者は初めて買うものですが、これも春らしさの演出ということで。どちらも50グラムで500円とか600円のもので、ばかばかしく高いものではありませんし、これだけあればまるまる1カ月は楽しめますから、喫茶店でお茶を飲むことを考えれば安いものです。 さて、そんな感じで、ひとまずルピシアでの用事を済ませた家内と私は、ついでに隣接するショッピングモールにあるGAPのお店や無印良品のお店を冷やかしたりして楽しんだのですが、今日何よりもびっくりしたのは、そのモールに貼り出されていた掲示を見た時のこと。何とこのショッピングモールに、かの「バナリパ」が近々出店する予定、とあるではないですか! 「バナリパ」、すなわち「バナナ・リパブリック」というのは、アメリカのカジュアルウェアのお店です。カジュアルと言っても、GAPよりももう少しフォーマルな感じで、まあ言わば「J・クルー」くらいのカジュアルさ、と言いましょうか。なかなか趣味のいい服が、気取らない価格で買えるいい感じのお店なんです。で、この有名なチェーン店がどうして日本に出店しないのかとずっと不思議に思っていたところ、ついこの間、ようやく東京の銀座と日本橋にお店ができたというニュースが入ってきた。で、ようやく日本でバナリパが買えるようになったか、とは思ったものの、どうせこの調子では名古屋にお店が出来るのは何年先のことやらと、あまり期待していなかったんです。ところが、ところが、ぎっちょんちょん。何と家の近くに、しかも来月半ばには、お店が出来るというではないですか! ひゃー、ラッキー! ということで、もうすぐ星が丘にバナリパが来るという情報をゲットしてすっかり嬉しくなってしまった我ら夫婦は、来るべきバナリパ・ショッピングのため、今はお金を節約しようと早々に家に帰り、三越で買った苺大福と、ルピシアで買った「ストロベリー」の紅茶をいただきつつ、また無印良品のお店でもらってきた商品カタログ(これ見るの、結構好きなんですよねー)などを見ながら、のんびりとお茶の時間を過ごしたのでありました。それにしても来月、楽しみだなー。スーツとか、買っちゃおうかな・・・。 さて、週末アフィリエイトということで、今日はルピシアの紅茶を宣伝してしまいましょう。楽天の中ではあまり種類は選べないようですが、ここの紅茶はなかなかおいしいので、おすすめしちゃいますよー! ホワイトデーの贈り物に、お一つ!これこれ! ↓ルピシア フレーバードティー「YUME ゆめ」とプリザーブドフラワーのセット
March 10, 2006
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先に書いた「お気楽日記」で、TOEIC試験の監督をやっていると書きましたが、その件でもう一席。 TOEIC試験の場合、日本全国、統一した環境の下でテストを実施しないといけませんので、リスニングテストの出題はもとより、テストの解答法などの解説もすべてTOIEC試験の運営者が作った原音を「再生」するようになっていて、試験監督者がどうこう言うものではないんです。 で、問題はその「再生」の仕方です。現在のところ、CDとカセットテープの二つの再生法があって、どちらを使っても良いようになっているわけ。 で、学生監督たちにその旨伝えて、「好きな方」を選ぶように言うわけですが、するとほとんどの学生がCDを選びます。しかし再生用のCDデッキが足りないので、幾つかの会場ではどうしてもカセットテープを使ってもらわないとならないわけ。 で、運悪くカセットテープを使う羽目になる学生監督も出てくるわけですが、そうするとその学生たちが不安げな顔をして質問してくるわけ。曰く、「使ったことがない」と・・・。 え? 何ですって? そうなんです。今どきの若い人たちって、子供の頃からCDやMDで育っている世代なので、カセットテープを使ったことがない連中がいるんですよ。 はぁ~。そういう時代なんですなあ・・・。ぷわぷわぷわぷわ・・・(ここで過去回想です)。 私なんか、家にあった最初の「録音機械」は、オープンリールデッキでしたなー。しかし、あれは扱いが面倒で、よくテープがこんがらがって大変な思いをしたもんですわ。 だもので、「カセットデッキ」(いわゆる「ラジカセ」)なるものが出てきた時は、何とまあ、便利なものが出来たのだろうと、感涙にむせたもんです。 当時、小学校高学年くらいの頃で、そういう機械ものが大好きな少年だった私(今の機械オンチぶりから考えるとウソのようですが)は、電気屋さんに行っては、ありとあらゆるラジカセのカタログをもらってきて、値段と性能を比べつつ、どれがいい、これがいい、と品定めを楽しみ、親に買ってもらって大喜びしていたものでした。最初に買ったのは、アイワ製だったなー。 そうそう、それで買ってもらったからには何かを録音したくなるわけですよ! と言っても、日常生活で、そう録音すべきものなんかあるわけもなし。で、私が何をしたかと言いますと、お気に入りのテレビ番組のテーマソングなんかを録音しちゃったわけ。 しかし、ラジカセはあっても、当時のことゆえ、テレビ側に外部出力用の端子があるわけもなし。畢竟、テレビのスピーカー部にラジカセのマイク部分をくっつけて録音するわけ。家族のものには「しばらく黙っててね!」なんていいながら。 ところが、そんなふうに家族に口止めをしつつ、ドキドキしながら録音を開始すると、その肝心の刹那、柱時計が「ボーン、ボーン、ボーン・・・」なんて鳴り出しやがって! 今でも実家のどこかに、後ろの方でかすかに時計の音が聞こえる「警部マクロードのテーマ」なんてテープがあるはずです(そういえば、先日、警部マクロード役の俳優、デニス・ウィーバーさんが亡くなりましたね)。 思えば、私も可愛いもんでした。 その後、カセットテープも進化して、やれクロムテープだ、メタルテープだ、と騒いだものですが、そんな話も今は昔。 ぷわぷわぷわぷわ・・・(現実に戻る)。 さて、話は現代に戻りますが、件のカセットデッキを当てられてしまった学生さんたち、不安げに会場に散っていきましたが、しばらくしてそのうちの一人が血相を変えて試験本部に駆け込んできたんです。曰く、カセットデッキが壊れていると・・・。 で、ほんまかいな、と思いながら私が会場に赴くと、たしかにテープから流れてくる声が変です。やけに低い。 ふと見ると、回転数が低く設定してあるじゃ、あーりませんか。これ、語学用のカセットデッキなので、回転数が変えられるようになっているんです。こんなの、カセットに慣れている人にとっては当たり前のことなんでしょうが、今日初めてカセットに触れる学生にとっては、「一体何が起きたんだ!」状態だったのかも知れませんね。とにかく回転数を元に戻して事なきを得た、という次第。お化けのような声が、急に普通の人の声になったので、会場は時ならぬ爆笑でしたよ。 今日のトラブルはこの一件だけでしたけど、つくづく「昭和は遠くなりにけり」を実感した一幕だったのでした。
March 9, 2006
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筋金入りの相撲ファンにして、ジャイアント馬場時代には熱烈なプロレスファンでもあった私は、これで案外格闘技系です。ということで、昨日の亀田興毅のボクシングの試合、見てしまいましたよ。視聴率31%超と言いますから、世界タイトルマッチではない試合とは思えないほどの注目度ですね。 で、その感想なんですが、私としてはちょっと予想外な展開ではありました。私は亀田という選手がもっと強いのかと思っていたのです。 いや、もちろんパンチ力から言ったら、世界ランク13位のボウチャンより亀田の方が遙かに上、ということは私にも分かります。昨日の試合にしても、遅かれ早かれ亀田はKO勝ちを納めたでしょう。しかしこの先世界チャンピオンと戦った場合、昨日のように簡単に勝てるかというと、私には少し疑問ですなぁ。 だって、亀田のボクシングスタイルって、まるでボクサーっぽくないんですもん。フットワークなんてまるでなし。かかともべったりつけたまま。よほどボディーに自信があるのか、ガードは顔面だけ(ただし、このガードは相当堅いらしい)。で、顔面だけガードしたまま、ずんずんと相手に近づいていってカウンターを狙う、というのが亀田スタイルなんですな。まさに「喧嘩ボクシング」。カウンター狙い、一撃必殺狙いですから、ジャブなどは一切なし。手数から言ったらボウチャンが10発打つ間に1発お返しする、という感じです。 ですから、そこそこパンチは貰っているんですよね。特にボディーなんか、何発かまともにくらっている。あれ? 案外、相手の思うようなボクシングされちゃってるな、というのが、見ていた私の正直な感想です。ま、結局第6ラウンドでKO勝ちを納めましたが、そのパンチもローブロー気味で、何だか後味が悪かった。そのことはお客さんが一番感じていたようで、KO勝ちを納めた割に、勝利インタビューが盛り上がらないこと甚だしかったですもんね。亀田自身もそれを感じたらしく、「出来は20点」などと言っていたようですが。 で、先ほど言いましたように、私は思うのですが、昨日見せたようなスタイルで、世界タイトル戦、勝てるんですかね? もしボウチャンより遙かにパンチ力のあるチャンピオンが、フットワークを使って打っては離れ、打っては離れというボクシングで翻弄してきたら、手数から言っても、見た目の印象から言っても、判定ではよほど不利になるでしょう。もちろん12ラウンドの内、亀田のパンチが炸裂するチャンスもあるでしょうが、それで倒せなかったら厳しいんじゃないかなあ・・・。かつて「辰吉vs薬師寺」戦で薬師寺が勝ったのも、喧嘩ボクシングでは正統なボクシングに勝てない、ということの証でしょ? 亀田家の親父さんは「今後も亀田家のやり方で戦う」と豪語しているようですが、せっかくの逸材なんですから、そろそろ喧嘩ボクシングは卒業させて、もっとプロっぽい試合運びを教えた方がいいのではないかと、素人ながら思ってしまったのでありました。 さて、今日の私ですが、今日は勤務先の大学でTOEIC(英語検定)の試験があり、その試験監督に駆り出されております。と言っても、監督をするのは学生アルバイトで、我々はそのアルバイト監督の監督。ですから、暇で暇で・・・。 おっと、そんなこと言っている間に、そろそろ見回りの時間だ。それでは、ひとまずここで。あとでまた書き足すかも知れませんので、乞うご期待!
March 9, 2006
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今日、お昼頃、とある農協での出来事と思って下さい。 私はたまたまお金の振込があったので、ここを訪れていたんです。自動車の任意保険の振込だったのですけど、銀行のATMから農協の口座に振り込めなかったもので。 で、私は「振込用紙」などが置いてあるスタンドで書類に必要事項をこまごまと書き込んでいたのですが、私の向かい側でも若い女の人が何やら用紙に書き込んでいたんです。そこまではよくあることですよね。 ところがこの女の人がとっても感じの悪い人でして・・・。 どうも自分の親の定期預金を解約する手続きだったらしいのですが、一緒に来ていた母親と思しき人がそういう手続きが苦手なようで、代わりに彼女が手続きをしていたんですな。 で、時々、母親に書類に記入すべきことを聞くのですが、その聞き方が妙にイラついているわけ。「・・・だから、さっきからそれを聞いているんじゃないの!」「この番号でいいの? さっきは違う番号言ってたじゃない! しっかりしてよ!」「違う! 郵便番号よ! 誰が電話番号言えって言ったの! バッカじゃないの・・・」とまあ、ずっとこんな調子。 ほとんど客がおらず、静まりかえった店の中に響きわたる罵声に、思わず私も顔をあげて、罵声の主の顔をしげしげと見てしまいましたよ。茶髪のヤンママ風、教養なさそうな顔、そして服装・・・いかにもって感じです。でまたこの人の母親がほんとに「手続き」なるものが苦手そうな人で、確かにとんちんかんなことばっかり言っているわけ。それに孫と思しきガキンチョが店の中をウロウロするので、それに気をとられて、娘に聞かれていることにまともな返事ができないんです。それでますます罵声を浴びる羽目に・・・。 しかし、いくらなんでもこんな公共の場所で、大きな声で母親に罵声を浴びせるなんぞ、見ていても不愉快なことですなあ・・・。一度なぞ、あまりひどいことを言ったので、思わず私、「貴様、親に向かってその口の聞き方は何だ!」と言いそうになりましたよ。他人様のことに口を出す気はありませんが、とっさに体が反応しそうになってしまった。 ま、こういう馬鹿娘に育てたのは親の責任でもあるのでしょうから、そのつけを、老婦人は、公衆の面前で罵声を受けるという形で支払っているのかも知れませんな・・・。どちらにしても、悲しいことでございます。 閑話休題。 さて、今日は私は割と勤勉にお勉強です。4月に学会のシンポジウムがあり、その司会兼講師になってしまったので、その準備なんです。ま、割と面白い資料だったので、順調に読み進んだかな? でも私、実は一度に一つのことしかできない質でして、今私が担当して作っている論文集の仕上げのことも気にかかって仕方がない。こちらの方はゴールが近く、13日には印刷所に入稿する予定なんですね。ですから、それが済むまでは、ついついこちらの方に注意が向いてしまうわけ。 というわけで、夕食のあとは、論文集の方の仕事をする予定です。それでは、また!
March 8, 2006
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今日の名古屋地方は朝から快晴、気温もぐんぐん上がって、いかにも春らしいお天気でした。 ということで、今日、私は今年初めて、黒い革のコートではなく、スプリングコートを羽織っての出勤と相成りました。パチパチパチ・・・。 ちなみに私のスプリングコートは「Jプレス」製。色は白に近い生成りで、裏地にはバーバリっぽい上品なチェックの柄が入っています。スタンドカラーですが、衿のところが少し変わっていて、なかなか可愛い・・・。 で、このコート、とても気に入ってはいるのですが、春先とか、秋口など、シーズンはじめにこれを着る時は、少しだけ「気合」というか「覚悟」みたいなのが必要なんです。何故かというと、服装に関しては、私は常に地味好みで、明るい色の服を着ることがあまりないからです。私の場合、放っておくと選ぶのは「黒」「グレー」「濃い緑」「紺」で、家内からはいつも「またグレー?」などと言われてしまいます。でも、そういう地味な色のものだと落ち着くんですよね。反対に、明るい色の服というのは、どうも自分らしくないようで落ち着かない・・・。 でも、暗い色のスプリングコートって、あんまりないですから! こればかりは選びようがない。で、実際、周りを見渡しても、私と同年代と思しき方たちの大半が私と同じような生成りのスプリングコートを羽織っているので、着慣れてくれば私としても別にどうということはないんです。でもやっぱり、シーズン始めの最初の1週間くらいは、このコートを着て玄関を出る時、少し恥ずかしいような、照れるような気がしてしまうんですよね。 でも、冬のコートと比べると、スプリングコートって軽快ですなあ。まるで空気を羽織っているようで、何だか心まで軽くなってきます。 スプリングコートを着る季節というのは、一年のうち春に半月、秋に半月あるかないかですよね。ですから、いつも地味な服で通してしまう私が、若干、若々しい格好をするのも、今、このわずかな期間だけということになります。そういう意味では、「今、これを着ないで、どうする」という感じです。 おーし、照れている暇なんかないぞ! これからしばらく、この軽快なコートの裾を大いに春風になびかせて、颯爽と通勤するとしましょう。明日も、若々しくシャキッと決めるぜ! 見とれるなよ~!
March 7, 2006
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3年半ほど使い続けた携帯電話の具合がどうも変です。もうメール1本出すだけで、電池マークが一個減り、続けて電話をかけようものなら、たちまちバッテリーがピンチに。どうやら充電池の寿命が来たみたいですな。 ありゃりゃ、君は少し草臥れて来ましたね、と思いながら携帯電話をまじまじと見ると、あちこち塗装が禿げ禿げになっているところが・・・。普段、じーっと見ることなんかないので、気が付きませんでしたけど、この携帯、多分、携帯寿命からいうともう70歳くらいなのかも知れません。 ま、最近の若い人なんぞ、それこそ1年くらいで新型にスイッチしているのでしょう。3年半も同じ携帯を使っているなんて、中年のおっさんくらいなもんなのでしょうね。 第一、私の携帯、電話とメールが使えるだけで、カメラ機能すらついてないですもん。その代わりアンテナはついてますよー。聞くところによると、最近の携帯って、アンテナは内蔵式になっているんですってね。知らなかった・・・。 てなわけで、電池を替えるより、少し前の機種を只でもらった方がいいのだろうなと思いつつ、先日、携帯ショップに行って下見したんです。すると、色々なのがありますなあ。写真が撮れるなんて当たり前で、今や相当な画素数の写真が携帯で撮れるんですね。それからテレビやネットが見られるもの、音楽をダウンロードしてオーディオ端末として使用できるもの、お財布代わりになるもの、ナビゲーター機能のついたものなど、あるわあるわ・・・。 それにしても、こんなに多種多様な機能が一つのものに盛り込まれた道具って、ちょっと他にないですよね。ほんと不思議。この先、さらにどんな機能が加わるんですかね。 私が思うに・・・形からいって、「ドライヤー」かな。もちろん、「櫛」機能付きで。あるいは、それ自体が発熱して、冬場に嬉しい「ホッカイロ機能」とか。ん? これ案外、いけるんじゃないっすか? さて、で、私の次期携帯候補ですが、私の場合、やはり電話とメールができればそれでもう十分なんです。でも、今回は少し洒落っ気を出して(?)カメラ付き、なんてのを使ってみようかな、と。で、後はデザインが良ければいいのですが、何と私が目をつけたデザインの良い携帯には、カメラ機能だけでなく、どうやらFMラジオも聞ける機能がついているらしい。私には「ダウンロード」なんて難しいことはできそうもないですけど、単なるFMラジオくらいなら、ついていても悪くないよなぁ・・・。 ・・・なんて、我ながら、おっさんぽい発想で、可愛い!! というわけで、ひょっとすると近い将来、私の胸ポケットに文明開化がやってくるかも知れないのでした。ま、「近い将来」というのが、実際には半年先だったりするんですけどね!
March 6, 2006
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昨夜、ネット上のニュースを見ていて、非常に感心したことが一つありました。それはスイスのある州の、課税の仕方についての小さなニュースだったのですが。 そのニュースによると、そのスイスの州では、何と「高額所得者になればなるほど、課税率を下げる」というふうにした、というのです。日本などで行なわれている「累進課税」の、まさに逆ですね。 で、この課税法を実施すれば、金持ちの人ほどこの州に引っ越して来たくなるわけですよね。しかし大金持ちの大所得に対して課税するわけですから、いかに税率そのものが低くとも、相当な税収になるはず。で、そうやって大金持ちから得た税金で州の税収の大半を賄ってしまうので、結局は州内に住む低所得の人たちからもさほど税金を取り立てなくてもよくなる、という仕組みなんだとか・・・。 うーん、頭良過ぎ! 賢いではないですか、この発想の大転換。またそのこともさることながら、「地方自治」というのは、すべからく、独自のやり方で課税できるようにして初めて成り立つもんなんじゃないでしょうかね。 日本の「過疎」に悩む地方だって、たとえばこのスイスの州のように、独自に税金を設定できれば、結構、復興ができるんじゃないかと思うんですよ。たとえば、「おらが町では、相続税を撤廃します」なんてことがあれば、私もその町に住みたいですもん。(相続税って、ほんとに悪法だと思うんですよね!) それから、日本の公共施設の利用料金の設定法なんかも、もう少し考えた方がいいと思いますなあ。 たとえば今、名古屋では「桃花台線」とかいう高架式のバス路線が大赤字で、潰すか活かすかで揉めています。ま、甘い見通しでこんな路線作っちゃうのが、そもそもお馬鹿なんですが・・・(それを言えば、万博がらみで作っちゃった「リニモ」も相当やばいんじゃないでしょうか。今、誰も乗ってないらしいですよ・・・)。 で、それはともかく、このバス路線を潰す方の理屈としては、このままでは現在のバス料金を今の3倍くらいにしないとやっていけないけど、そんなんじゃますますお客さんがいなくなるから潰すしかない、というわけ。 しかし、ドイツのことに詳しい私の友人が言っていましたけど、ドイツではこの種の赤字路線ができると、その路線の料金を一気に半額とかにしてしまうのだそうです。当然、当面はますます大赤字になるわけですが、あまりにも安い料金に惹かれて、人々がこの路線を利用するようにはなる。で、そうやって利用者を確実に増やした時点で、おもむろに料金を元に戻すというわけ。これも賢いやり方でしょ。日本みたいに「料金を上げて元をとる」という発想しかできないのと比べると、情けないくらいにアチラの方々は頭がいい。 税金の問題にしろ、その他のことにしろ、こういうことを決めるのは国会であったり、地方自治体であったりするわけですけど、そういうところの人たちは、少しは海外のやり方というのを勉強しているのでしょうか? 少なくとも明治政府は、「お雇い外国人」を雇うなどして、日本人にはできないことは、外国人の知恵を借りてやり遂げるだけの度量があったと思うのですが、今、日本の政府にそういう姿勢がまるで感じられないのは、私だけでしょうか? スイスのある州の課税に関するニュースなんて、ネットの片隅で流されただけのほんの小さなニュースでしたけど、それを読んで感心するやら、情けなくなるやら、色々考えさせられてしまったワタクシなのでした。
March 5, 2006
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先週の期末テスト実施を受けて、今週末は山なす答案・レポートの採点に追われています。採点というのは、基本的に私自身にとっては何ら建設的な意味合いのない行為なので、一向に減らない答案の山にため息ばかりついていますけどね。 しかし、そんな採点の合間に、ごくたまに面白い答案に出くわしてニヤリとすることもあるんです。先程「アメリカ映画入門」という講義のレポートを採点していた時も、そういう「ニヤリ」の瞬間が何度かありました。 この授業、アメリカ映画がいかにその時代その時代の社会の風潮を敏感に反映しているか、という点に受講者の注意を促すことを講義の眼目としていたので、レポートの題目も「アメリカ映画を少なくとも1本見て、その映画と、それが作られた時代のアメリカ社会の有り様との関連について考察しなさい」といったようなものにしておいたんです。ま、1年生を対象とした「一般教養」の講義ですから、あまり専門的なことを問うても仕方がないので、ね。 で、学生たちはこの課題に各自応えているわけですが、お、これはなかなかと思わされる考察もあり、どこかのインターネット・サイトからそっくりそのまま引っ張ってきたと思しき平凡な解答もあり、といった具合。しかし、中でも私がつい「ニヤリ」としてしまうのは、「ああ、勘違い」的なレポートです。 たとえば、出題意図自体を誤解した答案、なんていうのがある。たとえば『ダンス・ウィズ・ウルヴズ』を見て、この映画に描かれた19世紀アメリカの開拓時代のことについて滔々と書いてくる、なんてのがその例です。このレポート、19世紀アメリカのインディアン問題についてなかなかよく調べてあることは褒めてあげたいのですけど、レポート課題は「その映画が作られた時代の考察」なんですよね・・・。だから、「開拓時代」のことではなく、「1990年代」という時代に『ダンス・ウィズ・ウルヴズ』が作られたことの意義、みたいなものを考察してほしかったんだなー。考察すべき時代が100年ほどズレちゃった! 残念! それから、「思い入れ過多」タイプのレポートも幾つかありましたね。たとえば『ガープの世界』にまつわる考察、なんてのがあったのですけど、この映画の中で、登場人物の女性が「結婚はしたくないけど、子供は欲しい」と、自ら望んで母子家庭を作る場面がある。で、レポートを書いた男子学生はこのシーンに猛然と反応したわけ。「僕はこういうことを考える女性には、まったく共感できません!」というんですな。で、そこから始まって、こういう女性がいるから、結婚という制度が破壊されてしまうんだ、と怒りの告発がなされるわけですけど、まあ、まあ、少し落ち着いて! 文化論なんだから、客観的な視点も採り入れないとね。でもこういう解答は、その学生の考え方がストレートに出ていて、面白いっちゃ、面白いですなぁ。ひょっとして、彼にこういう反応をさせるような「何か」があったのだろうか・・・、なーんて想像してみたりして。 あと、特に「惜しいなー!」と思ったのは、1991年に公開された『バックドラフト』という、消防隊の活躍を描いた映画について考察しているレポート。この答案の要旨はと言いますと、この映画が作られた時代の社会背景として1992年の湾岸戦争がある、というのです。それで、「この映画の中の重要な登場人物は「炎」であって、この「炎」は、おそらくイラクを象徴しているのだろう」となかなか穿った考察をしているわけ。しかし・・・、うーん、影響関係ということになると、1992年の湾岸戦争を背景に、1991年の映画が作られたとするのは、ちょっと論理的に無理がないか?! 惜しい! もう一息! というわけで、時折混じる迷解答・珍解答にニヤリとさせられつつ、退屈な採点作業を続けている今日のワタクシなのでした。まだ、まだ、先は長いけど、頑張りまーす。
March 4, 2006
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今日は雛祭りですね。 子供の頃は「雛あられ」とか「菱餅」、あるいは「白酒」といったものの何がうまいのか、さっぱり分からなかったこともあって、あまり興味のなかった雛祭り。しかし、歳をとるに従って、こういう季節ごとの行事に興味が出てくるような気がします。特に、春の到来を待つこの季節の行事には、最近、とみに心惹かれるようになりました。 そんなこともあって、我が家ではこの時期、ちゃんと雛人形も出してお祝いしています。 ま、雛人形といっても「何段飾り!」みたいのではなく、手のひらに乗るほど小さなものですが、一応、小さな赤いお座布団の上に可愛らしいお雛さまとお内裏様がちょこんと座っていて、右近の橘、左近の桜もあって、ぼんぼりも立っていて、小さな菱餅なんかもお供えしてある。これを玄関のところに飾っているんです。可愛いですよ。 それで、今日は雛祭りの当日ですから、少しそれらしいことをしようと、いつもであれば紅茶を飲むことの多い午後のお茶の時間に緑茶を淹れ、和菓子を食べることに。和菓子は、何か春らしいものをと思って家の近くの和菓子屋さんで買ってきた桜餅です。さすが専門店だけあって桜の葉の香りも高く、なかなかおいしかったなあ! 久しぶりにいただく和菓子と緑茶があんまりおいしかったもので、ついつい、一緒に買ってきた麸饅頭の方も食べてしまいましたけど・・・。 ところで、皆さんは「麸饅頭」って食べられますか? 「生麸」というのは、おそらく関西系の食べ物なのでしょう。そんなこともあってか、東京の実家に居た時は生麸というもの自体をあまり食べたことがなかった私ですが、名古屋に住むようになって、すっかり麸饅頭のファンになってしまいました。というのも、名古屋にはすごくおいしい麸饅頭の店があるからです。「大口屋」というのですが、「山帰来(さんきら)」という木の葉の塩漬けしたものに包まれたこの店の麸饅頭のうまいこと、うまいこと。放っておいたらいくつでも食べてしまいそうです。 ちなみに今日私が立ち寄った和菓子屋さんで売っていた麸饅頭は、山帰来の葉ではなく、笹の葉にくるまれていて、麸に青海苔が混ぜてありましたね。これはこれでおいしかったですけど、やはり麸饅頭は大口屋に限りますなあ。 そして、夕食。今日の夕食はやはり「ちらし寿司」かな、ということになり、家内が腕に縒りをかけて作ってくれました。今日のちらし寿司は、鮭のほぐし身と醤油漬けしたイクラを中心に、錦糸玉子と菜の花のお浸しを散らしたもので、とてもおいしかった。もちろん、蛤の潮汁付きです。今日の名古屋地方は冬に逆戻りの寒い一日でしたけれど、食卓だけは彩りも鮮やかに、春爛漫でした。 ほんと、三寒四温でなかなか一足飛びに春になってくれませんが、こうしてお雛祭りを済ませて、ますます春の到来が待ち遠しくなった釈迦楽家なのでありました。今日も、いい日だ。
March 3, 2006
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今日は午後出だったので、お昼は自宅で早めにとっていたんですけど、東海地方で放送している『ピアット』という料理番組で、俳優の別所哲也氏が「アイスクリーム入りパスタ」という瞠目すべき料理を完成させた直後、その「待ちに待った瞬間」がやってきました。 「丸美屋の麻婆豆腐の素」のテレビCMの新シリーズが始まったのです。おお! これか! これが噂のCMか! 食事中であることも忘れ、家内と二人で思わずテレビの前に正座してしまいましたよ。 今年2月24日からスタートしたこのテレビCMに、私たちがこれほど狂乱する理由は、もちろん「丸美屋の麻婆豆腐の素」が大好きだから・・・ではありません。実は、このCMに、何と私の教え子が登場するからなんです。 そう、あのCMの中でコメディアンの三宅裕司さんの奥さん役を演じているのは、私のゼミのOGなんです。ガーン! 彼女・・・現在の芸名で言いますと「岩野未知」さん・・・は、数年前、私のゼミを巣立っていったのですが、在学中は直接演劇と関わっていたわけではありません。それだけに、卒論を仕上げた後、しばらくして「俳優座の研究生になることになりました」という報告を受けた時はびっくりしたものです。だって、あの「俳優座」ですよ。加藤剛とかの、あの「俳優座」・・・。研究生になるのだって、競争率は何百倍、何千倍の世界でしょう。そんなのに、さくっと受かるだなんて、一体どうなっているんじゃ! ま、確かに岩野さんは女性としては大柄で、パッと見、宝塚の男役的な顔立ちの美人ではあります。しかし性格から言えば、いつもニコニコ、おっとりとしたタイプで、決して自分から前に出て行って目立とうとするような子ではない。むしろじっくり考えてから、控えめに行動する方ですから、私としては、そんなのんびりした子が「芸能界」みたいなところで生き残れるの?!、という心配の方が先に立ってしまったんです。 しかしその一年後、俳優座研究生の1年生だけで作る舞台を見に来てくれと言われ、家内と二人、東京・六本木の俳優座スタジオにお芝居を見に行った時、私の不安は雲散霧消しました。というのも、十二、三人の新人たちの中で、岩野さんだけが別格に光っていたからです。ビジュアルとしての存在感といい、発声といい、まるで素人の集団の中に玄人が一人混じっているみたいな感じ。あの芝居を見て私は、あ、これなら大丈夫、彼女は女優としてこの先やっていけそうだ、と確信したことをよく覚えています。 俳優座の研究生制度というのはこれまた厳しくて、1年目が終わった段階で半数に減らされ、また次の年の終わりにも半数に減らされ・・・といった具合で、「脈がない」ものはどんどん蹴落とされていくのですが、岩野さんが3年間の研究生生活を最後まで全うできたのは言うまでもありません。 で、その後岩野さんは、お父様を亡くされるというようなつらいことが色々あったりして、研究生卒業後、俳優座に所属する道は取らず、独立の道を選びました。つまりオーディションを受けて、映画や芝居、テレビドラマなどに出演する方向で、女優を続けることを選んだわけです。実際、映画では、既に原田眞人監督の『自由恋愛』などにも出演しています。 それにしても、これだけ競争の激しい世界にありながら、オーディションを受ければかなりの確率で受かってしまうところからも分かるように、岩野さんには「お、この子は・・・」と思わせる何かがある。何だろう、何か「朱の中にあって、朱に交わらない、凛とした純粋さ」みたいなもの、と言いましょうかね。それは、一種のオーラみたいなものですから、それがある限り、彼女はこの世界で生き残っていけると、私は思うんです。 それで今回、またまた厳しいオーディションを勝ち抜いて、初のテレビCM出演が決まったわけですが、そのことを彼女から事前に報告を受けた時、私も自分のことのように、とても嬉しかった。何せ1年間通してのシリーズもののCMにずっと出演するのですから、これでまた一層、顔が売れることは間違いない。女優のキャリアとして、また一つ、地盤を固めたような感じじゃないですか。 で、そのCMが2月24日から放映されるというので、ずっと丸美屋のCMを楽しみにしていたのですが、一体どのテレビ番組を見ていれば丸美屋のCMが見られるのかが分からないものですから、もう1週間以上、見られないまま、じりじりしていたんです。気にしないで見ている時は、結構見かけるんですけどね、丸美屋の広告。 ですから今日のお昼、ついにその件のCMに遭遇し、教え子の顔がテレビ画面にド・アップになった瞬間、家内と一緒に狂喜乱舞した理由も、これでお分かりいただけるのではないでしょうか。 というわけで、このブログをお読みになって下さっている皆さーん! もしテレビで丸美屋の麻婆豆腐の素のCMが始まったら、心して画面を見つめて下さい。そこに大きな可能性を秘めた未来の大女優・岩野未知がいます。どうぞ私と一緒に、彼女を応援してあげて下さい。岩野未知、岩野未知をどうぞよろしくお願い致します!追伸: ふと気が付けば、この「教授のお気楽日記」、今回で第365回目ですね。一年間分続いたわけか・・・。我ながら、よく書きますなあ。いやいや、まだまだ書き続けますよ~。一人でも読んで下さる方がいる限り。
March 2, 2006
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このところテレビをつければ荒川静香選手が出てきますなあ・・・。 いつものことですから予想はしていましたが、それにしてもちょっと取材し過ぎじゃないですか? ま、なにしろ虎の子の金メダルゆえ、彼女以外にオリンピック関連の取材のしようがない(ちょっと話題になったカーリングの選手たちを除き)のも分かりますが、荒川選手もお疲れなんでしょうから、少しは休ませてやりなさいって。あるいは、苦労人の越選手がもう少しスケルトンの競技を継続できるよう、スポンサー探しでもするとか・・・。とにかく日本のマスコミよ、少しは「役に立つ」ことをしなさい。○○の一つ覚えみたいに、猫も杓子も荒川頼みするんじゃない! あ、さて・・・。 「荒川頼み」で思い出しましたが、現在、我が勤務先大学でも「釈迦楽頼み」の状況が・・・。 どうも私が所用で先日の「外国語専攻会議」を中座した隙に、来年度の専攻代表の役目を私に負わせてしまおうという謀がなされたらしく、明日の会議で正式に提案される成り行きらしい・・・。それじゃ、あまりに私が可哀相だと、ある親しい筋からこの謀の情報をこそっと漏らされたので良かったですけど、そうじゃなかったら、いきなり明日の会議で出来レースを仕組まれるところだった・・・。 も、冗談は止めて下さいって。 確かに外国語専攻には外国人の先生も多く、また年長の先生方はすでにこの役目を一度果たされた方も多いので、この人もダメ、あの人もダメ、というふうに考えていくと、何となく私にお鉢が回ってくるのも分からなくはない。 しかしですね、私は15人いるメンバーの中で若い方から3番目ですよ! なんで、そんな若手が学生数110人を抱える学内最大組織のトップにならなきゃならんの! そんなもんになってしまったら、もう2年間は忙殺されて、研究も何もあったもんじゃなくなります。そんなのは絶対にゴメンだ!! 明日の会議では絶対に拒絶してやる。 うちの大学に限らず、どこもそうなんでしょうけど、組織の中には、どんな仕事でもいやいやながら引き受けて、適当にこなしてしまう「お人好し」がいる。で、一度「こいつは仕事、引き受けるな」と睨まれると、後から後からその人に仕事が回されてしまうという状況になるわけ。 ま、私がまさにその「お人好し」でして。だからこそ、昨年・今年と「教務委員」なんて激務を担当してきたわけですよ。で、ようやくこの仕事の任期を終え、来年は少しは楽ができるかな、と思った途端、今度は「専攻代表」ですもん。もう、我慢できない。私に頼るのもいい加減にしろって。 それじゃなくたって私は授業のコマ数も多いですし、各授業の受講生の数も半端じゃない。また卒論指導のゼミ生にしたって、例年、他の先生の倍、受け持っている。その他、学内の仕事をあれこれ引き受けていて、大学に対して人並み以上の貢献はしているつもりです。それなのに、この上さらに面倒な仕事を押しつけようとするとは・・・。 もう「お人好し」は卒業です。それから「こいつなら何とか仕事をこなすだろう」という幻想も、打ち破ったる。もう明日からハムレットみたいに、大学では頭がおかしいふりをしよう。らららー、ここは何処? 私は誰? あー、明日の会議、ユーウツだぁ~!!
March 1, 2006
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