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今日は大学が休みだったので、オーストラリア人の友人、ロブ&アミリア夫妻と家内を連れ、4人で「リトルワールド」というところに遊びに行って来ました。 愛知県にお住まいの方ならたいていご存じと思いますが、リトルワールドというのは、もともとは名古屋鉄道という地元の鉄道会社が経営していた野外博物館です。もう一つ同じ系列の野外博物館に「明治村」というのがあって、こちらには明治時代の日本の建物があれこれ移築されているんですが、リトルワールドはいわばその世界版で、広大な敷地の中に世界各地から代表的な家屋を移築してあります。ま、一種のテーマパークですな。 といって、もちろんディズニーランド的な派手さはないんですけど、ここ、本当に本物の世界各地の建造物を移築してあるので、学術的にも結構イケてる本格派です。私も名古屋に赴任して以来、既に何度か訪れていますが、その都度満喫しちゃうんですよね。 しかも家から割と近いというのもメリットの一つで、星ケ丘というところでロブ&アミリア夫妻をピックアップした後、名古屋インターから名神道に乗り、小牧ジャンクションで中央道に乗り換えると小牧東まではあっと言う間。それこそ40分程で現地に到着ー。・・・しっかし、今日はウィークデー、しかも天候が怪しいということもあって、広い駐車場は閑散としてましたねー。ま、人込み嫌いの我ら一行にはもってこいの日よりですけど。 で、我ら一行はいざ入園したわけですが、リトルワールドにはループ状の道が一本ぐるりと通じていて、こいつを一周するとほぼ一通りすべての家屋を見ることができるようになっているんです。で、今回はこれを右回りに一周することにし、「山形県の曲がり家」あたりから見始め、「韓国の地主の家」「韓国の農家」「タイのヤオ族の家」「アフリカの何とか族の家」みたいな感じで順に見ていくことにしました。 それにしても、同じ人間の家とはいえ、世界の土地によってその形体は様々ですなあ。そのことは、ここを訪れるたびに痛感します。ま、私は日本人ですから、一番最初に見た「山形県の曲がり家」なんてのは、親しみがあるわけです。別に私は東北地方には縁もゆかりもないですけど、それでもこういう古い日本家屋を見ると、何となく、そこに我々の先祖の暮らしぶりというのが見えてくる、というか、思い出されてくるわけ。たとえばそこに囲炉裏があるのを見れば、ああ、きっとこの囲炉裏の傍で、昔の人は冬の手仕事として籠を編んだり、布を織ったりしたんだろうな、なんて思いますから・・・。 しかしその一方で、「アフリカの何とか族の家」で、一つの家の敷地に第一夫人の部屋、第二夫人の部屋、第三夫人の部屋・・・なんてのが立ち並ぶ様を見ても、一体、ここでどんなふうに生活がなされていたのか、具体的な想像がつきませんからね。やっぱり、人間というのも多様な存在ですな。色々勉強になります。 さて、そんなこんなで「インドの家」まで見終わったところで、待望の昼食タイム。実はこの「インドの家」の近くに、我々のお気に入りのインド料理店があるんです。リトルワールドでは園内のあちこちにエスニックな食事処があるのですが、ここのインド料理、結構おすすめですよ。カレーやナンもうまいですし、タンドリーチキンだとかシークケバブもかなりイケてます。今日も4人それぞれがカレーやらなにやら、あれこれ注文して食べましたけど、おいしかった! でまた、レストランの隣にある土産物店が面白いんですよね。私はここへ来る度にこの店で「ダージリン紅茶」を買ってしまうんです。だって結構な量のダージリン紅茶の茶葉が一袋たった100円ですよ! 買わずにはおられんじゃないですか! さて、お腹が一杯になった後、さらに我らの散策は続きます。後半、最初の見どころは、アフリカの「ンデレバ族の家」。カラフルな外観もさることながら、内装もコンパクトに住み易そうで、なかなかいい。しかし、その次に来るイタリアが誇る世界遺産、「アルベルベッロの家」となると、もう「ここに住みたい!」と思うほど。白亜の分厚い漆喰壁といい、平石を積み重ねた屋根といい、溜め息が出ますねぇ。ちなみに、このアルベルベッロの家にはレストランと土産物店が併設されていて、イタリアン・ジェラートが食べられたり、彼の国の食料品などが入手できます。私もここでイタリアの焼き菓子を買ってしまいました。 で、次は「フランスの家」「ドイツの家」と、ヨーロッパ系の家並みが続きます。でまたドイツの家にはまたレストランや土産物店が併設されていて、ここでもまたお菓子を買ってしまった。ワインなんかも数多く取り揃えてありますので、そちらに興味がある方にもおすすめです。土日などの休日ですと、このあたりには屋台が出て、ドイツのソーセージやビールを楽しむことができるのですが、今日はお客も少ないということで、この種の屋台はすべて休業、というのが情けないところ。 さて終盤の見どころとなると、やっぱり「ペルーのハシエンダ」ですかね。要するに「プランテーション領主の豪邸」なんですが、やはり領主の家だけあって豪華、豪華。使ってある家具なんかも、おそらくヨーロッパから取り寄せたのであろう立派なものが使われていて、往時の豪奢ぶりを彷彿とさせてくれます。そしてまたここでも興味深い土産物店があって、家内が400円でピアスをゲット。私は南米特産「ガラナジュース」を買ってしまいました。別に精力つけてどうしようってんでもないんですが。 さてさて、この後、「沖縄の家」だとか「アイヌの家」なんかを見て回ると、園内をほぼ一周したことになります。歩いた距離にして6キロくらい、時間にして4時間くらいの散策となりましたが、いい運動になりました。やっぱりリトルワールドは、いつ来ても楽しいなあ。今回初めてここを訪れたロブ&アミリア夫妻も、喜んでくれたみたいですし。 しかし、実はこの友人夫妻、あと4週間でオーストラリアに帰国してしまうんです。ま、それもあっての、今日の遠足でもあったんですけどね。ひょんなことから偶然友達になったこの夫妻、私も家内もすっかり意気投合していたので、彼らが帰国するのは非常に辛いのですが・・・。まだあと2、3回は会うチャンスがあると思うので、せいぜいその機会を楽しみたいと思っている我らなのでした。今日も、いい日だ。
June 30, 2006
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ひゃー、またまた爆発しちゃいましたよ。今日は「静かな爆発」の方でしたが・・・。 時はお昼休み明けの3限、2年生対象の「アメリカ文化史」の授業でのこと。私、専門の授業には力を入れるので、今日のこの授業にしても、それなりに準備万端整え、資料も用意し、90分間、面白くもタメになる話をしようと思っていたのに・・・。 私がマイク片手に先週の授業のおさらいを軽くし始めたにもかかわらず、あちらこちらでかなりのボリュームの私語が・・・。大教室での講義、しかもこのくそ暑さ、そして昼食後の気のゆるみ、と、悪条件が重なっているとはいえ、それはないんじゃないの・・・。 軽いショックに、ワタクシ、しばらく沈黙。しかし、話の途中で突然口を閉ざした私の異常な行動にも気づかず、楽しげなおしゃべりと笑い声が・・・。 この場合、私には選択肢が二つあって、「大爆発」の方を選ぶと、「てめえら、うるせえんだよ!」と絶叫することになります。これをやると学生たちは一瞬、1インチほど椅子から飛び上がります。で、もう一つの「静かな爆発」の方だと、「みんな、今日は僕の話、聞きたくないみたいだね」と言って、そのままクールに授業放棄して教室を出、研究室に戻ってしまうというやり方で、これまた学生は凍りつきます。 で、今日はあまりの暑さに絶叫するのも面倒臭くなり、「静かな爆発」の方を選びましたー。授業放棄ですー。もう、わしゃ帰る! って感じで、研究室に戻っちゃいましたよ。 トホホ・・・。せっかく、いい授業しようと思って準備してたのに・・・。 で、私が研究室でさっさと他の仕事していたら、しばらくして学生の代表が数名やってきて、静かにしますからどうか授業をやっておくんなさいと詫びを入れてきました。しかし、そうですか、じゃあ、なんて教室に舞い戻る気もしなかったので、一昨日来やがれ!と追い返しておきました。 だって、ここは「大学」ですよ。いかに名古屋だからって言ったって『中学生日記』の撮影やってるんじゃないんだ。中学生のガキみたいに、「緊急クラス会議」で話し合いして、反省して、代表立てて職員室に謝りに来るんじゃない! 大人になってくれよ、いい加減に。 あー、しかし、情けないなあ。他の「つまらなくてタメになる」話をする教授連の授業でならともかく、この大学で一番講義がうまいと自負するワタクシの講義で私語をするとは・・・。大学、辞めたい・・・と思うのは、こういう瞬間ですわ。もう、だーれも知らない町に行って、耳も聞こえず、口もきけない振りをして後半生を静かに過ごしたい・・・(by サリンジャー)。 だけど、学生ってのは、馬鹿ですな、ホント。大金払って大学入って、それで授業聞かないで勉強しないってんだから。金は払うが、サービスは受けたがらない。まったく、資本主義の原則に反した存在だ。 きっとアレですな。最初にまとめて授業料振り込ませたりするから、こういうことになるんじゃないですか? 電車とかバスの定期券みたいなもんで、最初にお金を払ってしまうと、あとはまるでタダでサービスを受けているような気になるんじゃないですかね。 だったら大学も、授業料前払いなんて止めて、授業毎に毎回、授業料をちょっとずつ支払わせたらどうですかね。 大学のあちこちに「授業切符売り場」を設け、毎回現金で授業切符を学生に買わせるわけ。で、教授は授業前に教室の入り口に陣取って、その切符にハサミを入れるんです。で、そのハサミの入った切符を15枚集めると、漏れなく試験を受けられるというふうにする。もちろん、何らかの事情で授業を休む時も、ちゃんとお金を払って「欠席切符」を買わないとならないようにするわけ。 直前に自腹を切ってお金を払えば、いかに馬鹿な学生でも、払ったお金の分はちゃんと授業を聞こうという気になるんじゃないでしょうか。また、わざわざお金を払って欠席するのもツライので、サボりも激減するような気がします。 あ! それで、成績上位者には、どの授業でも使える「タダ券」を進呈するなんてのはどうでしょう。効率のいい奨学金システムになるじゃないですか。 おお! なんたる名案! やっぱ、ワタクシって天才じゃない? こんなスグレモノのアイディアをバシバシ思いついちゃうんだから、次の学長選挙、打って出ようかな・・・。選挙権を持つ事務サイドからも、「釈迦楽先生、そろそろどうですか?」なんて声も出ているようだし・・・。 なーんて。ま、それは案外信憑性のある冗談としまして、とにかく学生にはいい加減に大人になってもらいたいものだと思っているワタクシなのでした。今日も、わけ分からん!
June 29, 2006
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このところ続けている「アメリカ大衆文学リーディング」の試みですが、先日、レイモンド・チャンドラーの『Farewell, My Lovely』を読み終わりました。230ページほどの短い小説の割に、案外、時間が掛かっちゃいましたけどね。この小説、邦題は『さらば愛しき女よ』になるのかな? とにかく私立探偵フィリップ・マーロウが登場するハードボイルド小説でございます。 ま、この種のハードボイルド小説の常というのか、この小説においては主人公自身が語り手でもあるので、詳しい状況説明もないまま、小説の冒頭からいきなり読者は主人公のアクションに付き合わされることになります。小説の出だしのところで探偵マーロウは、派手な服を着た大男マロイがとある酒場を襲い、経営者の首を軽くねじって殺してしまう場面にたまたま遭遇してしまうんですな。どうもこの大男は、かつて自分が愛した女に警察にたれ込まれ、8年ほど刑務所暮らしを強いられていたらしい。で、ようやく出所したマロイは、自分を警察に売った女を捜し出すべく、かつて彼女が歌姫だったこの酒場を訪れた、というわけ。しかし手がかりを掴めなかった彼は、呆然とするマーロウをその場に残したまま、どこかへ消えてしまいます。 で、この直後、マーロウは「マリオット」と名乗る男から妙な依頼を受けるんですね。この男、金満家を夫に持つ「グレイル夫人」という女性のヒモの一人のようなんですが、この夫人の依頼で、ある強盗団に盗まれた高価な宝石を、内々に買い戻す役目を果たすことになっていたのですが、その強盗との駆け引きに際してのボディガードとして、マーロウは雇われた、というわけ。かくしてマリオットとマーロウは、強盗団に指定された取引場所に向かうのですが、その場で何者かの手によりマーロウはぶちのめされ、肝心のマリオットは惨殺されてしまう・・・。 とまあこんな感じで、偶然・必然の両面からマーロウが遭遇した二つの事件が、この後の成りゆきの中で、実は互いに密接に関連していた、ということが明らかになっていくわけですよ。そして、その中で、自分を警察に売った女を、それでもまだ愛している純真・無骨な男と、自己の出世のためには手段を選ばぬ、そんな冷酷かつ小心な女の物語が、マーロウの冷めた、しかし熱い視点から描かれていくわけです。ハードボイルドですなあ・・・。 ま、イギリス流の推理小説とは違って、アメリカ流の探偵小説ってのは、推理がどうの、謎解きがどうのということは、あまり問題にはならないんでしょうな。ただ主人公の探偵が次々と不可思議な情況に放り込まれ、そこを切り抜けていく、そのスピード感を楽しめばいい。そしてその中に、「哀れな男」と「愚かな女」の組み合わせが醸し出す、切なくも快いクリシェを見てとればいいのでしょう。あとはチャンドラーの文体、というか、文彩ですね。そいつを楽しめばいい。ま、『さらば愛しき女よ』って小説も、大体そんな感じです。それなりに面白かったですよ。 さて、そんなこんなで、とりあえずハードボイルド小説を堪能した私が次に選んだアメリカ大衆小説は何かと言いますと、『ケイン号の叛乱』でお馴染み、ハーマン・ウォークという作家が書いた『Marjorie Morningstar』でございます。 これ、1955年の作品で、私の持っている版で560ページもある分厚い小説ですけど、当時数百万部を売り尽くしたミリオンセラーです。表題の『マージョリー・モーニングスター』というのは、主人公の女の子の名前(元々はマージョリー・モルゲンスターンというユダヤ系の名前なんですが、その名前があまりパッとしないということで、ドイツ語風の名前を英語に直訳し、モーニングスターに変えたわけ)で、この女の子が思春期を迎えた頃から、その成長をたどっていくビルドゥングスロマンなんです。 で、数日前からこいつを読み始めたんですけど、かなり面白いです。 ニューヨークはブロンクスの下層中流階級であるモルゲンスターン家が、小金を貯めてマンハッタンのウェストサイドに居を構え、上層中流階級の仲間入りを果たしたところから物語は始まるんです。で、マージョリーにはブロンクス時代から付き合っている恋人がいるんですが、一家の社会的階層の上昇に伴い、これが段々うとましくなってくるわけ。今やコロンビア大学辺りの大学生とつきあえる身分になってみると、先行き出世の怪しいブロンクス時代の恋人にいつまでもかかわっていても・・・という気になってきたんですな。といって、マージョリーは決して性根の悪い女ではなく、ただ、自分の前に開けてきた新しい世界を見てしまった今、過去に引きずられて自分の可能性をつぶすのはもったいないのではないか、という思いがし始めただけなんですけど、さてさて、この先、マージョリーはいかなる人生を選択していくのか。まだ読み始めたばかりなので、先のことは全然分からないんですが、とにかく、なかなか面白そうな小説です。 ちなみに、なぜ私が数あるアメリカの大衆小説の傑作の中から敢えてこの小説を選んだかと言いますと、上智大学名誉教授の渡部昇一さんの随分昔のベストセラー、『知的生活の方法』(講談社新書)の中に、この本に言及されている箇所があったのを覚えていたからなんです。 渡部さんは、日本でも有数の英語の使い手ですが、この本によりますと、その彼が若い時、英語の小説をいくら読んでもその面白みが分からなかった、というんですな。いや、もちろん面白いことは面白いのですが、かつて子供の頃に日本の講談本を読んで血湧き肉踊る興奮を覚えた、そういう真の面白さを感じたことがなかった。で、そんなふうに心の底から面白いと思えないのは、きっと英語の小説だからというので気合いが入り過ぎ、いわゆる「歴史的名作」ばかりを読んでいるからではないか、と渡部さんは思うんですね。で、その時から、彼は大衆的なベストセラーを読み始めるのですが、その何冊目かの時にこの『マージョリー・モーニングスター』にぶつかり、これを読んで初めて、渡部さんは心の底から英語の小説が面白いと思えるようになった、というんです。 で、これ以降、英語の小説なんか恐くない、という自信を渡部さんは得た、と。 とまあ、そんなエピソードを覚えていたので、ひょっとして同じ事が私にも起こるかなと思って、私もこの電話帳みたいな分厚い本に手を伸ばしてみたわけですよ。 ま、もちろんまだ読み始めたばかりですから何とも言えませんが、とにかく面白いことは面白いので、今は閑さえあればこいつのページをめくっています。ひょっとしたら、この小説を通じて、私も英文小説を読みふける楽しさの神髄に、遅蒔きながら触れてしまうかも・・・。いずれまた読了したら、内容をご紹介しますね。 ところで、今、渡部昇一さんの『知的生活の方法』について言及しましたが、もうこの本が出版されたのも随分昔(1976年)のことになりましたから、今では読んだことのない人が多いのだろうと思います。でも、先日久しぶりに読み直したところ、改めて面白い本だと思いましたよ。もちろん、書かれた時代がちょうど30年前ですから、内容的に古い箇所も多いのですが、それでも渡部昇一さんが苦学して英語の達人となり、また様々な分野で業績を出すようになるまでの軌跡が、ある意味「赤裸々」に書かれていますからね。 ま、いかに自分が頑張って勉強し、偉くなったか、なんてことを書かれると、当然、それ相応に「嫌味」な部分も出てきますし、またそういうことを得々として語ってしまう渡部さんの無邪気さに呆れたりもするわけですが、しかし、「知的生活の方法」なるものを伝授しようというのに、そういう実際の(嫌味な)体験談抜きで、純粋に技術論として語った本なんて、つまらないと思いますよ、逆に。ある程度「臭い」ところがあっても、そういう人間としての渡部昇一の素が出ているという点で、私は類書の中で、依然としてこの本はいい線を行っていると思います。 というわけで、「知的生活」なーんてこっ恥ずかしいモノがしたい方、あるいはコワイモノ見たさで渡部昇一さんの若かりし日々に興味のある方、チャンドラーの翻訳とあわせ、『知的生活の方法』もおすすめしちゃいます。これこれ! ↓知的生活の方法さらば愛しき女よ
June 28, 2006
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今朝、新聞やニュースで見ましたが、有名外科医のお嬢さんが誘拐される事件があり、それが警察の尽力によって13時間後に無事救出されたようですね。ま、何はともあれ、被害者が無事だったのはよかった、よかった。陰惨な殺人事件が多発しているだけに、ホッとしますね。 しかし、お昼頃のニュースで、被害者母娘の記者会見を見ましたけど、何だか「トホホ」な内容でしたなー・・・。 大体、この種のインタヴューって、とりあえず「今のお気持ちをお聞かせ下さい」と問うのが常道みたいですが、相手は誘拐の被害者ですよ。しかも、さっき解放されたばかりの。そんな人に対して「今のお気持ち」なんて聞いてどうするんだって。「ホッとしています」以外、答えようがないじゃないですか。そんな当たり前のこと聞いてどうするんですか・・・。 でまた、どこの取材チームか知りませんが、「このような被害にあわれたことについて、何かお心当たりはありますか?」なんて聞いている。二重の意味でアホですよね。まず第一に、この質問は被害者ではなく、犯人に向かって聞くべきものでしょう? 「お前ら、何でこの一家を狙ったんだ!」って・・・。 それに、そもそもこの外科医は、いわばマスコミの寵児なんでしょ? 資料映像でも、フェラーリに乗って微笑んでいる当の女医さんの映像なんかが映っていましたし、誘拐現場の間近にある被害者の高級住宅も映像に映っていましたから。だったら、そういう「セレブ外科医」だからこそ、犯人グループが「こいつら金持っていそうだな」と思ったに決まっているじゃないですか! 一体何を言うに事欠いて、そういうアホな質問が出来るのか・・・。さすがに当の女医さんも「心当たりはありません」と答えていましたが、「私がセレブだからだと思いまーす」だなんて、本当のことを答えられるわけないですよ。 インタヴューするのもいいけど、もっと頭のいいこと聞いてくれって。 でまた、新聞報道もまた、「トホホ」なんですよね・・・。 13時間という短い時間で被害者の無事救出を果たしたのは、警察の久々のお手柄ですが、その決め手になったことの一つが、犯人グループが被害者の娘さんの携帯電話を使用して、母親との接触手段にしたことらしく、そのことが新聞に得々と書かれているわけ。携帯電話の使用者が特定出来る場合、微弱電波でも場所の特定が可能だ、というんですね。 でも、それってつまり、将来の誘拐犯に手口の洗練をほどこしているようなもんじゃないですか! 「ああ、なるほど、人を誘拐するときは、被害者の携帯電話使ったらまずいんだな」って教えているわけでしょ? あるいは、ワタクシだったら「それを逆に利用して、捜査の攪乱もできそうだ」なんて思いますし。・・・あ、別に私は誘拐を計画しているわけではないですが・・・。 この種の報道がある度に私は主張しているわけですが、マスコミ諸君、たとえ取材で警察から情報を引き出せたとしても、警察の捜査の方法や捜査の進捗状況について、得意気に逐一報告しなさんなって! 昔から言うでしょ、「子供と馬鹿だけが、本当のことを言う」って。お馬鹿じゃないんだから、何でもかんでも報道すりゃいいってもんでもないでしょう。ジーコ・ジャパンじゃあるまいし、味方の手の内を晒してどうすんだよ。自分たちのやっていることについて、もっとよく考えなさい。 あるいは警察と協力して、もっと賢い報道をしなさい。例えば、「犯人側が被害者の携帯を使って接触してきたため、捜査が難航した」というニセの報道を流す、とかね。 ま、それはとにかく、なーんかやけに質の低い日本のマスコミ報道には、毎度毎度トホホな思いをさせられるワタクシなのでした。
June 27, 2006
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最近、我が釈迦楽家では、ロールケーキがブームです。 というか、少し前から日本中でロールケーキブームですよね。近所のケーキ屋さんに行っても、たいていその店オリジナルのロールケーキを自慢げに売っていますし。 でまた、ロールケーキってのはお得感があるんですな、これが。一本どーんと買っても大体1000円からせいぜい1300円くらい。これで8切れくらいはとれますから、普通のケーキを8個買うのと比べれば随分安い。人の家に遊びに行く時のお土産にもいいですし、自分で食べるおやつとして買ってもいい。 というわけで、このところ我が家でもあちこちのケーキ屋さんでオリジナルのロールケーキを買ってきては、楽しんでいるというわけ。 ところで、そうやってあちこちのロールケーキを食べてみた結果、ロールケーキ評論家の家内が出した結論は、「本当においしいロールケーキは、生地とクリームだけで勝負している」ということ。つまり下手にフルーツなんて刻み入れないで、ただクリームをケーキ生地でぐるぐる巻いてある、そういうシンプルなものこそがロールケーキの王様だ、というわけ。それは確かにそうかも知れません。 で、そういう観点から見て、我ら夫婦の間で相当な高得点を叩き出しているロールケーキはどこのものかと言いますと・・・、 鉄人・坂井シェフのロールケーキです! パチパチパチ・・・ これ、たまたま家の近くのスーパーマーケットで売っていたんですが、その売り方がまた全然洒落っ気がなくて、賞味期限が近づいた菓子パンやシュークリームなどと一緒に、特売品のワゴンみたいなのに載せられていたんです。ま、そんな風ですから、我々としてもさほど期待をしていたわけではないんですが。 ところが家に帰ってからこいつを一口食べて驚愕。しっとりとしていて、しかも食べた後にほのかに爽やかな甘味が口に残る生地。そして決して主張し過ぎないクリーム。この組み合わせが、もう絶妙なんです。こんなうまいロールケーキ、デパートとかではなく、普通にスーパーなどで売っていていいの?って感じ。さすが鉄人・坂井シェフ。大したもんですわ! ま、もちろん、どのスーパーでも必ず置いてあるというものでもないでしょうが、この鉄人・坂井シェフのロールケーキ、もし見かけたらぜひ一度お試し下さい。楽天にも置いてありましたので、アフィリエイトもしておきますね! これこれ! ↓ 鉄人坂井宏行のデセール[ICR-32] ところで、これは余談ですが、我が家にロールケーキブームが到来してから、何だかどうも金運が上昇しているような気がするんです。・・・って言ったって、別に大金が転がり込んだというわけではないのですが、ロールケーキを食べている時に限って、妙に小金が入ってくるような気がする。たとえばおやつにロールケーキを食べた日に、ちょっとした原稿料が入る知らせが舞い込む、とかね。そういうことが一度ならず、何度か続いたんです。 ま、ロールケーキってのは「黄金色のぐるぐる」でしょ。つまり、「天下の回りもの」の象徴なわけで、それでかなあ、と思っているのですが。 ま、いい加減な風水ですが、信じるものは救われる。これからも金運上昇を祈願しつつ、「ロールケーキ道」をきわめる所存の我が家なのでありました。おいしいもの、好き!
June 26, 2006
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以前からこのブログでも田舎への移住計画を熱く語っているワタクシ。資金繰りのメドはつかねども、心がけだけは準備万端怠りなく、先日もつい『田舎で暮らす!』(平凡社新書)なんて本を買って読んでしまいました。 ところがこの本、タイトルからするといかにも「田舎で暮らすのは、面白いよー!」という内容なんだろうなと思わせますが、実際には逆で、「田舎で暮らすのは、しんどいよー!」ということが言いたい本だったのでした。 たとえば田舎へ行って、使われていない家を田畑付きで安く借りられて喜んでいると、家主が毎日無断で見回りに来てプライバシーのかけらもない、とか。あるいは、ボロ家を借り、あちこち修繕してようやく快適に住める頃になって、急に持ち主が「返してくれ!」と言ってくるとか。あこがれの農業に従事し、ついに嬉し恥ずかし初の収穫の時期がやってきたと思ったら、その前夜にイノシシに全部食われた、とか。また林業を初めたはいいが、草刈り機で下草を刈っていた時、草刈り機の刃が石に当たって弾き返され、自らの足をズバっと切ってしまって出血多量で往生したとか。もう、田舎暮らしの夢を潰すような、ぞっとする話が満載の本なんです。 ま、もちろんこの本には、そうした失敗例ばかりではなく、田舎に移住して成功した人たちの例も載っていますが、その方たちはやはり最初から気合いの入れ方が違うので、要するに田舎暮らしを成功させるには、このくらいの覚悟と準備と努力が必要ですよ、というメッセージになっているわけ。 きっと世の中には(ワタクシのように)「田舎」というものを理想化し、変な夢を抱いて移住した挙げ句、幻滅するようなことに出会って意気消沈、しおしおと去っていく人が多いのでしょう。それでこの本の著者も老婆心から、事前に田舎暮らしの怖さを教えてくれているのだろうと思います。ですから、その意味ではとてもタメになる本ではあると思うのですが、しかし、きっと田舎は楽しいだろうなー、という幻想を楽しむためにこの種の本を読む人もいるわけで、そういう人にとっては、この本は読まない方がいいかも知れません・・・。 それにしても、私のように、別に農業や林業をやろうと思っているわけではない人間が田舎に住むとしたら、いわゆる「別荘地」に住むしかないんだなー、ということはよく分かりましたよ。 ところで、その夢の別荘地ライフですが、なんと最近、私の仲良しの同僚(先輩)がついにその方向の第一歩を踏み出したという・・・。ひょえーーー、先を越されたーーー! その先生、最近、愛車を普通車から軽トラックに変えられたので、そりゃまたどういうわけで?と問いただしたところ、何と伊勢の五箇所湾の近くに土地を買われ、そこに数年の計画でログハウスを建てることにし、そのために4駆の軽トラックが必要になった、とのこと。 で、さらにお話を伺うと、その先生の高校時代のご友人の方が最近亡くなられたそうで、その方が生前、伊勢の五箇所湾を愛され、事あるごとにその美しさを語っていた。で、その追悼の意味も込めて先日五箇所湾を尋ねてみたところ、確かに素晴らしいところだったと言うんです。で、すっかりその土地に一目惚れしてしまった先生は、発作的に地元の不動産屋に飛び込んで尋ねてみたら、バブルの頃開発された別荘地の値段が下落し、今ではそれこそ坪1万円代で買える、と言われたのだそうで、「それ、いただき!」という風に話が進んでしまったのですって。その先生は、このところ少し体調を崩しておられたので、これを機に、海が近く暖かい伊勢の土地に別荘を自力で建て、そこで家庭菜園的にガーデニングを楽しみつつ、体力の増強を計ろうという狙いがあるらしいんです。 ちなみに、ログハウスのキットというのを売っていて、小さいものだと300万円くらいなんだとか。で、これを組み立てるのに、業者を使うと600万円から900万円くらいかかるのですが、仲間を募って自力で組み立てると、大体キット代プラス300万円くらいで済むらしい。となると、先生が購入された土地代と合わせても、格安で別荘が建てられる計算です。 ふーん。なるほど・・・。そういう行き方もあるわけか・・・。 というわけで、夢の別荘ライフ実現に向けて、ブレーキをかけられたり、逆に背中を押されたりしているワタクシなのでした。今日も、いい日だ! さて、今日は久々に週末アフィリエイトと行きましょう。教授の時計ショップ本店を改装し、新作を入荷しました。今回の売りは三宅一生プロデュース、深澤直人デザインの時計2種、そして「カバン・ド・ズッカ」の時計2種です。メンズ・レディースがありますので、興味のある方はぜひ下の入り口をクリックしてみて下さい。 ここをクリック! ↓教授の時計ショップ(本店)
June 25, 2006
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昨夜のニュースで知り、今朝の朝刊で確認しましたが、二十山親方、すなわちかつての名大関・北天佑が亡くなったとのこと。享年45歳。あまりにも早い死でした。 新聞記事で改めて確認しましたけれど、北天佑は20代そこそこで大関に上がり、44場所も大関の地位を守った(先代・貴ノ花に次いで歴代2位)名大関だったんですなぁ。その割に「名大関」という印象が薄いのは、「この人は絶対、横綱になるだろう」という周囲の期待を、結局最後まで裏切ってしまったからかも知れません。 実際、現役当時の彼は、「横綱間違いなし」と誰もが思うほど、身体能力に恵まれていました。重過ぎもせず、軽過ぎもしないバランスのとれた筋肉質の身体。組んで良し、突いて良しの万能型の取り口。しかも、恐るべき怪力。特に右四つ、左上手を取った時の怪力ぶりは傑出していて、当時の相撲界の黒船だった巨漢・怪力の小錦をまともに土俵上に投げ捨てられるのは、まあ、この人くらいなものではなかったでしょうか。 しかし、思い返してみても、あの豪放磊落な、しかもそれでいて相撲の基本に忠実な相撲は、魅力的でしたよ。 彼は肌の色が白かったので、そのことと持ち前の豪快な取り口と合わせて、「北海の白熊」なんて呼ばれていましたっけ。で、彼と同じ頃の大関に「南海の黒豹」と呼ばれた九州出身で色黒・細身の若島津がいて、好対照の二人の大関が東西を分けていたものでした。 そう言えば若島津も男前でしたけど、北天佑もまた、やや童顔ながら、なかなか男前な力士でしたね。別段彫りが深い顔立ちではありませんでしたが、キリッとした顔立ちの相撲人形みたいなところがあった。でまた土俵に上がる時はいつも伏目がちで、勝っても負けてもあまり感情を表に出さないところも良かった。荒法師のような剛力相撲の取り口とは裏腹に、土俵態度は常にクールな人でしたね。ただ、ここ一番の相撲という時には、色白の顔面がさっと紅潮してきて、しかもそれが伏目がちなものですから、一層「秘めた闘志」という感じがして、そういう時の北天佑は迫力がありましたよ。 ま、感情を表に出さないというのは、三保ヶ関部屋の伝統でもあって、横綱・北の湖がそうだったし、大関・増位山(二代目の方)もそうだった。また「声がいい」のも伝統で、二代目・増位山の美声は有名でしたけど、北天佑も艶のあるいい声でした。 で、これだけ揃えば北天佑の人気が高くなるのは当然で、多分、当時、女性には相当もてたんじゃないでしょうかね。 で、もちろん私にとっても、北天佑は大好きな力士の一人でした。上に述べてきたことからもお分かりの通り、いかにも私好みの力士でしたからね。しかし、そんな私が北天佑を熱心に応援できなかった理由が一つだけあった。私は、千代の富士の熱烈なファンだったんです。千代の富士が常に優勝することを望んでいた私にとって、彼の優勝を脅かす力士を応援するわけにはいかなかったんですな。 実際、軽量の千代の富士にとって、北天佑は嫌な相手の一人でした。千代の富士は左四つ、北天佑は右四つですから、両者は喧嘩四つということになる。ですから、千代の富士がうまいこと自分有利に組めばいいですが、下手に右四つなんかに組んでしまうと北天佑の怪力の前に屈することがありましたし、また得意の左四つで組んでも、胸を合わせてがっぷり四つになったりすると、体格の差で危ない時があった。千代の富士ファンにとって、「北海の白熊」は「北の鬼門」だったんです。千代の富士が連勝記録を伸ばしていた頃、もしこの記録を止める人がいるとしたら、多分、北天佑だろうと、私なんぞは思っていましたから・・・。実際には、横綱・大乃国さんでしたけどね。 しかし、それほどいい力士でありながら、また優勝を2度も経験していながら、ついに北天佑は横綱にはなれなかった。豪放磊落な怪力相撲と背中合わせだったと言いましょうか、彼の相撲にはどこか「捨て鉢」なところ、つまり、勝負に淡白なところがあって、その淡白さが、もう一つ上を狙う執念を邪魔したのかも知れません。そのことは、彼の引退の時にも言えるのであって、別に大関陥落の危機にあったというわけでもないのに、自分らしい相撲がとれなくなったということで突如引退してしまった。それを人は「潔い」と評価しましたが、私としては「何で?」という感じがしてしまって、何だか呆気にとられてしまった記憶があります。「まだまだ相撲がとれるのに、何でやめるの」、という感じです。 そして二十山親方になった北天佑は、新たに部屋を興し、今度は親方として活躍してくれるかと思っていたんですが、その期待をまたまた裏切って45歳での早世となってしまった。まったく、相撲ファンの心も知らずに、期待ばっかり裏切って・・・。 それにしても45歳での死か・・・。45歳といったら、私とほとんど変わらないじゃないですか・・・。考えてみれば、私が自分の住む世界で「さあ、これから頑張るぞ!」と思っているのに、彼はすでに今から20年以上前に自らのキャリアの中で一番華やかな時期を過ごし終えてしまったんですなあ。短い現役期間、そしてその後長く続く地味な親方生活。思えば相撲の世界も、厳しいものでございます。 それでも彼にはもう一踏ん張り頑張って、親方として横綱を育てて欲しかった。いい力士を沢山擁して、自らが興した部屋の名を高めて欲しかった・・・。 しかし、今となってはもうどうしようもありません。今はただ、私の好きだった力士のご冥福を、お祈りすることといたしましょう。追悼 大関・北天佑。いい力士でした。
June 24, 2006
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今日は大学がなかったので、家内を連れてあじさいを見に、形原というところまで行って来ました。形原というのは、蒲郡の北西に位置するところで、このあたりには何ヶ所か、あじさいの名所があるんです。 が、まずその前に腹拵えを。ということで、名古屋市の東側、三好町は黒笹駅のほど近くにある「菜の詩」というフランス料理屋に行きました。ここは、ちょっと隠れ家的なところなんですが、なかなかの名店なんです。 で、今日我々が食べたのはお昼のランチコース。まずパン(最初に出たのは小豆入りの甘いパン。後からフランスパンをお代わりしました)と、ホタテ入りのミニ・グラタンが出るのですが、グラタンをパンにつけて食べたりすると、これがまたうまいんだ。で、次はサラダ。スモーク・サーモンにルッコラ・三つ葉・タマネギ・茗荷をあしらったものに、さらにチーズ風味のペーストを載せたトーストが添えられていて、ボリュームもたっぷり。洋風サラダに三つ葉や茗荷を加えたところも気が利いています。そして、次はマッシュルームのスープ。これもいい味付けで、量が若干少なめなのが惜しいところ。 そしてこの後に来るのが、メインの魚料理。クリーミーなホワイトソースを敷いた白身の魚のソテーに、野菜たっぷりのラタトゥイユが添えられており、ホワイトソースとトマトソースが入り混じったその絶妙の風味でいただく魚のソテーのうまいこと! これらに、さらにコーヒーとデザート(ババロアのケーキに、アイスクリーム、クッキー、崩しゼリー)がついて、それで一人前1480円ですから、もう何も文句はありません。おいしい料理がお手頃な値段で味わえる名古屋って、いいですなあ・・・。 さて、「菜の詩」でおいしいランチをいただいて大満足の我ら夫婦は、すぐ近くの三好インターから東名に乗り、スバルR2で音羽蒲郡まで飛ばし、そこから有料のオレンジロードを使って国道23号まで直行、少し名古屋に戻るような形で形原へと向かいました。形原には「三ヶ根山スカイライン」「本光寺」などのあじさいの名所がありますが、今日行ったのは「あじさいの里」というところ。ここはあるお寺の裏山の全面に様々な色合いのあじさいが植えられていて、なかなか壮観なんです。 ところで、「あじさい」という花ですが、これ、日本原産の花だってご存じでした? 古来日本に生えていた「がくあじさい」ってのが原種で、これが日本だけでなく中国や西洋で品種改良され、今日に至っているんですって。ちなみに、「あじさい」の「あじ」というのは「集まる」という意味の「あつ」が元になっており、また「さい」というのは「真(さ)」の「藍(あい)」ということで、つまり、「あじさい」というのは、「藍色の花が集まって咲く花」という意味なんだそうです。勉強になりますなあ。 でも、こういう語源から言うと、やっぱりあじさいってのは藍色のものが元のようですね。ご存じのように、あじさいというのは品種によって、また土壌の酸性・アルカリ性の別によって、その色合いが多様に変化し、そこが人によって好みが分かれるところでもありますが、私が好きなのは、赤みがほとんどない薄い藍色のもの。あまり藍色の濃過ぎるものより、淡い藍の方がこの花には似合うような気がします。ただ、最近よく見かける白色で、やや薄緑色がかったあじさいも割と好きかな。爽やかな感じがして。逆に、赤紫系統のものはあまり好きではありません。紫って色は高貴な色だとは思いますが、一つ間違うと下品になってしまう、難しい色ですよね。 ま、色の好みはあるとしても、やはり梅雨の時期にあじさいの花は似合いますなあ。毎年、この時期にはあじさいの花見を欠かしたことはありませんが、今年も間に合って良かった! というわけで、今年もあじさいの花を堪能したわけですが、これまた例年、ここからの帰り道に、我ら夫婦が必ず立ち寄るところがあります。この近くに「ラグーナ蒲郡」という施設に付随するショッピングモールがあって、ここを軽く見ていくというのが、もう一つの楽しみなんです。 ・・・ところが。なんと、このショッピングモールで家内が一番楽しみにしていたアクセサリー・ショップ、「ジャクリーヌ・シング」が閉店になっていたんですーーー。名古屋で唯一の支店がここに入っていたのに・・・。あーらら。じゃ、ここに立ち寄る楽しみが半減だなあ。 ということで、ガッカリした我らは、他のアウトレット・ショップには目もくれず、「もう食料品を買い込むしかない!」ということで、インポート食料品店で「トムヤンクン」と「グリーンカレー」の缶詰を買い、ハニーロースト・ナッツの缶詰を買い、さらに「虎屋」によって「ういろう」を2本買い、さらに魚の干物で有名な「大彦」で「鰯の明太子漬け」を買ってしまいました。わっはっは。こうなりゃ、食い気だ。 かくして、本日の「あじさい・ツアー」は無事終了ーー。再び東名に乗って家路についたのでありました。今日も、いい日だ。 ところで、家に着いてから、大急ぎで買ってきた「鰯の明太子漬け」を焼き、夕食のおかずにしたのですが、こいつを一口食べてみたら、これがもう馬鹿ウマ。鰯の身もたっぷりついていて、身離れもよく、生臭みなんて一切なし。で、こいつを鰯の腹に詰め込まれた明太子と一緒に食べると、これがうまいんだ! いやー、鰯と明太子の組み合わせがこんなにうまいものとは、知りませんでしたなあ・・・。 で、楽天市場を調べてみたら、あるある、鰯明太。この組み合わせは、ひょっとして有名なんですかね。で、その中で特においしそうだったものをアフィリエイトしてみますので、魚好きの方で、まだ鰯と明太子のハーモニーを体験されたことのない方、ぜひ一度お試し下さい。これこれ! ↓簡易パック 博多いわし明太 2パック(2尾×2)
June 23, 2006
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昨日のブログで「ベーシック・イングリッシュ」のお話をしましたが、興味を持たれる方もいらっしゃるようなので、今日の本題に入る前に、少しその補遺を。 ベーシック・イングリッシュというのは、名詞を中心にした英語の発話法であって、そのため、使用が認められている動詞の数は、わずかに16個(come, get, give, go, keep, let, make, put, seem, take, be ,do, have, say, see, send)しかありません。よって、ベーシックを使って何かものを言うときは、これらの動詞に何か名詞をくっつけて発話せざるを得ないことが多いんです。 たとえばベーシック・イングリッシュで使う850語の中には「sleep(眠る)」という動詞はありません。ですから、「昨日はよく眠れましたか?」と尋ねる場合、Did you sleep well? とは言えません。この場合、sleep は動詞になってしまいますから。では、同じ事を尋ねるのにベーシックでは何というかといいますと、Did you have a good sleep? というんです。この場合「sleep」は名詞ですが、名詞としての「sleep(眠ること)」は850語のリストに含まれているんですね。つまりsleep を名詞として使い、have という動詞と組み合わせ、「動詞+名詞」でものを言うわけですよ。 で、こういうことを言いますと、「sleep なんて動詞は誰でも知っているのだから、それを敢えて名詞として使うことはないではないか」という批判がなされるわけ。なるほど、そうかも知れません。 しかし、Did you sleep well? と Did you have a good sleep? では、後者の方が断然英語っぽいです。それは、両者を発音して比べるとよく分かる。前者は「ディ ジュー スリープ ウェル」ですから、「強・弱・強・強」でもう終わってしまう。対して後者は「ディ ジュー ハヴ ア グッ スリープ」ですから、「強・弱・強・弱・強・強」となって、「強・弱」のリズムがそれだけ長く続くわけ。この息の長い「強・弱」のリズムこそ英語本来のリズムなのですが、動詞と名詞を組み合わせるベーシック・イングリッシュのやり方だと、このリズムが作り易いんです。昨日の例に挙げた「Sit down.」だって、「強・強」で終わってしまいますが、「Have a seat.」なら「強・弱・強」となって、リズムが生まれますからね。 また、ベーシック・イングリッシュを学ぶと、いかに英語が「人やモノが移動したり、ある空間に留まっていたりする言語」であるかがよく分かります。「いい英語」というのは、大抵、モノが空間を移動したり、誰かがある空間に留まったりする英語なんですね。「人は誰でもいつかは死ぬんだ」と言うときも、「Everyone of us dies someday.」なんて言うより、「Death comes to everyone of us someday.」なんて言った方がカッコいい。後者は「死」というものが、空間を移動して我々のもとにやってくるイメージがあるじゃないですか。また「ジョンはメアリのことを愛している」なんて言うときも、「John loves Mary.」じゃ、いかにもつまらないですけど、「John is in love with Mary.」なんて言うと、英語っぽい感じがします。後者は「ジョンがメアリと共に、愛のただ中にいる」という感じで、二人がある空間に留まっていることを表していますから。 とまあ、ベーシック・イングリッシュのことを語り出すとさらに長くなるので、この辺で止めますが、もし興味がある方は、以下の参考書をお薦めいたします。英語に対する新しい認識が得られると思いますよ。これこれ! ↓自信をもって英作文を教える書き・話す英語のキーワード850 さて、ここから今日の本題。 先日もお話しましたように、私、この度、とある英語教育関連のシンポジウムの立案に携わることになり、それでついこの間、そのための会議に出席してきたんです。で、その際、その場に居合わせた色々な大学の英語の先生方と雑談になり、大学での英語の授業って、何やっていいか分からないので大変だよね、ってな話になったわけ。 で、その流れで、出席者同士互いに「今、自分がどんな授業をやっているか」、あるいは「どういう授業をやると、学生に受けがいいか」という話をし出したのですが、それを聞いていて、へえー、と思うことが一つありました。ある先生が、自分の英語関連の授業で一番学生受けがいいのは、「英文法」の授業だ、とおっしゃったんです。 ひゃー! 英・文・法・・・。今どき!? 私の勤務先の大学で「今年度は、英文法をやりまーす」なんて言ったら、学生たちから総スカンですよ。学生たちは、何はともあれ「楽しい英語」の授業を期待しているので、英文法なんかやったら、授業アンケートを通じて「釈迦楽先生、首にして下さい」なんて大学側にチクられてしまう・・・。 で、さらにびっくりしたのは、その先生が授業で使われている教科書です。ナント! 江川泰一郎という人の書いた『英文法解説』という本を使っているというのですが、この『英文法解説』というのは、私の父親がまだ若かった時分から使われてきた学校英文法のバイブルで、その黄色い表紙を見ただけで、泣く子もひきつけを起こす、というようなツワモノです。 で、私が「そんな気絶しそうな本を学生に読ませて、よく文句を言われませんね」と言うと、当の先生曰く、ポイントは「みっちりやる」こと、なんだそうで。とにかく、みっちり、きっちり、重箱の隅をつつくようにやる。しかも、相当なスピードでどんどんやる。学生が悲鳴を上げるまでやる。 そうやって、さんざん学生を泣かした挙げ句、授業の最後にアンケートをとると、「何か、すごく勉強した気になりましたー!」という感想が大部分で、とにかく圧倒的に好評なんだとか・・・。 で、その先生がおっしゃるには、「要するにね、学生は授業に『充実感』を求めておるのだよ。内容もメソッドも関係ない。だから、文法だろうと訳読だろうと、とにかく、みっちり、きっちりやって、『あー、何だか勉強したな』という気にさせてやればいいんだ。何をやるにしても、教員が熱意を込めてやれば、通じる」とのこと。 でまた、その先生のおっしゃったことに反応して、周囲にいた先生方の大部分が、「そうそう、学生が期待しているものなんか気にせず、文法でも訳読でも、とにかく自分のやりたいことやって、それで学生をぎゅーぎゅー絞り上げれば、絶対受けるんだよね」と異口同音におっしゃったものだから、ますますびっくり。 そ、そうでしたか・・・。メソッドなんてどうでもいい、と・・・。 かくして、英語教育にメソッドを求めてきた私の前に、意外な答えが置かれたのでした。そうか、答えは「充実感」だったんだ。 そうなの、かも、ね。 とまあ、ここまでずーっと考えてきた問題に一瞬でケリをつけてしまうような、意外に単純な答えを前にして、いささか拍子抜けしていうワタクシなのでありました。 さて、何だか「尻すぼみ」みたいな結論的仮説が飛び出したわけですが、ここ数日続けてきた英語教育に関するブログは、とりあえずこれでおしまいです。賛否両論、色々あるでしょうが、私だって別に、何かとっておきの答えを用意しているわけでもなし、どっちにしろ尻すぼみで終わらざるを得ない話題なのでね。ま、今後も折りがあれば、またこの話題に戻ってくることもありましょう。ということで、ペンディングのまま終わりますが、ここまで読まれた方、もしご意見などがありましたら、お聞かせ下さいねー!
June 22, 2006
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以前、県内の中学3年生を対象とした英語の統一試験問題を作成したことがあります。で、その時、私が用意した英語の文章の中に「sky」という言葉が使われていたんですね。もちろん、「空」という意味です。 ところが、これにクレームがついたんですな。県内の中学校で使われているA社、B社、C社の英語教科書すべてに使われていない英単語は使ってくれるな、というわけ。しかし、ただでさえ中学で習う英単語の数が限られているのに、その上さらに、3種の英語教科書のすべてに使用されている英単語だけを使って試験問題を作るなんて、並大抵なことではありません。で、結局出来上がった試験問題の英語は、どうみてもヘンテコリンな英語になってしまったのでした。それを監修した私としては、もう恥ずかしくて、恥ずかしくて・・・。 つまり、日本の教育界のおかしな平等主義からすると、「スカイ」という、なかば日本語と化した言葉すら公式には使ってはいけない、そういう妙な英語が教えられているわけですよ。 馬鹿馬鹿しいじゃ、ありませんか。 文部科学省の学習指導要領がどうやって「中学必修英単語」を定めているのか、私は知りません。多分、コンピュータで使用頻度などをもとにはじき出しているのでしょう。しかし、その結果がこれですわ。本来、「最低限の教育内容」を示すべき学習指導要領ですが、結局、「これ以上のことは教えるな」という禁止方向の目安として使われているのが実際なんです。 ところで、この種のアホ臭い学習指導要領の対極にあるものとして、「ベーシック・イングリッシュ」というものがあります。イギリスの言語学者C・K・オグデンという人が開発し、オックスフォード大学が特許を持っている外国人向けの英語教授法で、もうかれこれ70年を越す歴史を持っているのですが。 で、ベーシック・イングリッシュの最大の特徴は、原則としてわずか850語の英単語のみであらゆる英語の発話を可能にする、ということなんですね。850語って、すごく少ないですよ。しかもその大半は、それこそ中学校で習うような、ごく簡単な英単語ばかり。日本の高校生なら、大概、これ以上の英単語を覚えているはずです。で、ベーシックのすごいところは、850語で発話するからこそ、ナチュラルで優れた英語が話せるようになる、という風に考えていることで、これは決して、学習者に負担をかけないよう、このように少ない語数に設定されているのではありません。そこが、日本の学習指導要領とは大違い。ちなみに、この850語の中に「sky」という語は含まれています。ベーシックでは、「sky」という言葉がなくては英語は言語として成り立たない、と考えているんですな。 逆に、「ええ!」と思うような英単語が、この850語には入っていません。たとえばベーシックの世界には「can」という言葉はありません。その代わり、「able」という言葉と「possible」という言葉が入っているので、「can」は必要がないと見なしているんです。同じように、ベーシックの世界には「home」という言葉もなければ「chair」という言葉もありません。その代わりに「house」という言葉と「seat」という言葉があるので、それ以外は必要がない、と判断しているわけ。もちろん、こうした一つ一つの単語の取捨選択は、恣意的なものではなく、逆にベーシックの世界を知れば知るほど、そこに恐ろしいほどの熟慮がなされていることを感じさせられます。英語を成り立たせるのに必要最低限のものだけがそこにあるので、他の言葉で代用が効くものは一つも入っていないんです。 しかも、もっと驚くのは、ベーシック・イングリッシュで使われる動詞が16個しかないこと。これは一体どういうことなのか。 つまりベーシック・イングリッシュの世界が我々に指し示しているのは、「英語というのは、名詞中心に成り立っている言語だ」ということなんです。 たとえば「座りなさい」という言い方を、英語に直すとしましょう。日本語は動詞中心の言語なので、この文章の中心を成すのは、「座る」という動詞です。ですから、日本人は通常、この「座る」という日本語の動詞を、英語の動詞に変えようとします。つまり、「sit」ですよね。で、「座りなさい= Sit down.」ということになる。 ところがベーシックの世界には「sit」という動詞がありません。「座る」ということに関連して、ベーシックの世界に残っているのは、「seat(椅子)」という名詞しかない。そこでこの名詞に、ベーシックの世界にある16個の動詞のうち「have(ないし、take) 」を組み合わせ、「Have a seat. Take a seat.」という言い方をするわけ。ベーシックでは、大概、基本的な動詞と名詞を組み合わせて発話することになっていますのでね。 ちなみに、「Sit down.」という、まるで警察が犯人に向かって命令するような口調の英語と、「Have a seat. Take a seat.」という英語と、どちらが一般的な英語表現として優れているかは、言うまでもないでしょう。 ま、ベーシック・イングリッシュというのはこういう調子で、名詞中心に厳選された850語という非常に限られた単語数の言葉を組み合わせることによって、きわめて英語らしい英語の発話を可能にする、非常によく考え抜かれたシステムなんです。英語の世界全体を「大宇宙」とするなら、ベーシック・イングリッシュは非常にコンパクトなひな型、英語の「小宇宙」と言っていい。 ところで、小宇宙としてのベーシック・イングリッシュの存在意義が奈辺にあるかと言えば、それはもちろん、外国人が手っとり早く英語を習得するための道具、ということに尽きます。850語の英単語さえ覚えれば、基本的にすべての英語の発話が可能だ、というのですから、外国人が英語を習得するという時、これほど楽なことはないでしょう。ということで、私は個人的に、ここ数年「ベーシック・イングリッシュ」というものに興味があって、大学での英語の授業でも、これを教えています。 ただ、ベーシック・イングリッシュは、ここ数日話題にしている英語教授法、すなわち「メソッド」というものとは、少し違うような気がするんですよね。英語の「システム」をミニマムな形で提示しているだけで、トータルな訓練法を用意しているものではないですから。ですから、私はベーシック・イングリッシュをもって、日本の英語教育のためのメソッドにせよ、と言いたいわけではありません。 しかし、すごく興味深いシステムだとは思うんですよね。少なくとも、日本人が一番苦手とされる、スピーキング技能面について、ベーシック・イングリッシュのシステムをもとに、メソッドを開発する、ということはあり得ると思うんです。 ただ・・・、ベーシック・イングリッシュって、どういうわけかマイナーなんです。一部に少数の熱烈なファンを持つものの、日本の英語教育界で大きく話題になったことなんか、ほとんどないのではないでしょうか。むしろ、「色物」視されていることの方が多いような気がする・・・。そこが残念なところなんですが。でも、繰り返しますが、ベーシック・イングリッシュの世界をかいま見ると、なるほど英語というのはこういうものか、というのが判ってくることは確か。英語教育に携わっている人はもちろんのこと、英語に興味のある方は、ぜひ一度、お試しあれ、と言っておきましょう。 さて、ここ数日、実現可能な英語教授法が確立していないことへの不満に端を発し、この問題を巡ってあれこれ書いてきました。明日は、その最終回として、先日、友人たちとの雑談の中で耳にした、大学における英語の授業のあれこれについて、お話することにいたしましょう。それでは、また明日!
June 21, 2006
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昨日のブログで私は、「こんなに長い英語教育の歴史がある日本に、英語習得のためのメソッドが確立していないのはどういうことじゃ!」というお話をしました。もちろん、ここで私が言っているのは「ちゃんと効果のある、実行可能なメソッド」という意味で、効果があるかないか判らない、あるいは効果がないことが判っているメソッドは、沢山あるのだろうと思います。あるいは、効果があると判っていても、幅広く実行することが不可能なメソッドは沢山あるでしょう。 「効果がないことが判っている」メソッドの筆頭は、文部科学省の「学習指導要領」でしょうね。またNHKのテレビ・ラジオ講座なんかも、あまり効果はないのではないでしょうか。「いや、ためになった」と言う方もいらっしゃるかもしれませんが、それはその方の学習意欲と意志の力が強いから効果があったので、NHKのテレビ・ラジオ講座がとても優れたメソッドを持っているとは思えません。それどころか、むしろ恐ろしいまでに古典的で工夫のないメソッドですよ、あれは・・・。テキストにしたって、4月号だけがやけに売れて、それから先、大抵の人が続かなくなるということ自体、そのことを証していると言えましょう。 その他、最近のメソッドで一番怪しいのは「睡眠学習」かな。「スピードラーニング」なんてのも、どの位効果があるのか・・・。懐かしいところでは「リンガフォン」とかね。最近では「アルク」系の教材とか。これらは皆、メソッドがどうのこうのというよりも、「がむしゃらに英語を勉強する人」のための教材提供以外の価値があるとは思えませんなあ。その他、松香洋子先生が昔から唱道なさっている「フォニックス」なんてメソッドもありますが、幼稚園くらいの時に松香先生に直接英語を習った経験のある私が言うのもなんですが、ま、「普通」ですね。 これらの他に「(ネイティヴ・スピーカーから)英語を直接、英語で習う」という方法もあると思いますが、これも過信するのは危険で、例えば日本の各地にごまんとある語学スクールの外国人の先生方の大半は、日本人に英語を教えるノウハウをまるで知らない、単なる「外人さん」です。そういう人と少し英語でしゃべったからと言って、それはお遊びの域を出るものではありません。また、外国人に英語を教えるノウハウを心得たネイティヴ・スピーカーの先生に習うことが出来れば、それに越したことはないですが、日本全国に何万といる中学・高校・大学の英語の先生方全員に、「皆さん、資格を持ったネイティヴ・スピーカーと同じように、生徒・学生に英語を教えなさい」と言ったところで、それは無理に決まっていますから、こういうのは「効果があると判っていても、幅広く実行することが不可能」なメソッドと言えましょう。 これらよりももう少し実行可能なメソッドとして、昔、「ミシガン・メソッド」なんてのが流行ったことがあります。これは、語学教育に熱心だったアメリカのミシガン大学が開発したメソッドで、一種の反復練習法です。たとえば I go to the gym after work. (私は仕事帰りにジムに寄る)なんて英文があるとする。と、まずこの文を10回くらい発音するわけ。で、次に after work の部分を変えるんです。例えば I go to the gym on Fridays. (私は毎週金曜日にジムに行く)ってな具合。で、これをまた10回発音する。次に、今度は I の部分をMary に変え、Mary goes to the gym on Fridays. (メアリーは毎週金曜日にジムに行く)として、これをまた10回発音する。で、次に、今度は時制を変え、過去形にしてまた10回発音する・・・という感じで、一つの構文に若干変化を加えながら果てしなく反復練習する。これで文型を頭の中に刻み込む、というわけです。 このメソッドは、確かに優れているとは思います。反復というのは、外国語習得の要石ですから。しかし、厳しい言い方をするならば、これは単に具体的な「練習方法」に過ぎず、トータルなメソッドではないですよね。「とにかく、反復して口に出せ」と言っているだけで、なにから始めて、どういう順番で英語を学んでいけばいいのか、そういう全体的な方向性を持っているわけではないですから。 ホントに、そういう意味でのメソッドって、どこかにないものなんでしょうか・・・。 ところで、そのことに関し、私は一つ知りたいと思うことがあります。モルモン教徒たちは、一体どうやって外国語を習得しているのか? ということです。 実は私のかつての教え子に一人、熱心なモルモン教徒がいまして。彼女は優秀な学生でしたが、卒業後、モルモン教徒のアメリカ人男性と結婚し、今はアメリカのアリゾナ州で暮らしています。 で、彼女が結婚するとき、私はたまたまアリゾナの隣にあるカリフォルニア州に住んでいたんです。というわけで、せっかく近くにいるのだからと、私は車を飛ばして、彼女の結婚式に参加したわけですよ。 で、何せ私は一応、新婦の「恩師」なわけですし、ひょっとして結婚式でスピーチの一つもさせられるかも知れません。ということで、カリフォルニアからアリゾナへ向かう途中、私は心の中で英語のスピーチを考えていたんです。その場でとっさに一言頼まれて、すぐにペラペラとスピーチが出来るほど、私は英語に自信がなかったもので。 ところが。式場に着いてびっくり。アメリカ人であるはずの新郎の親・兄弟が皆、日本語ペラペラなんです。ひゃー! 私の英語なんぞ、「お呼びでない」って感じです。 要するにこの一家は、全員、人生のどこかの時点において、日本で「布教」活動をしていたんですね。モルモン教徒には、人生の2年間を布教に費やす義務がありますから。 ・・・で、ここで私の疑問が生じるわけです。モルモン教徒は、今言いましたように、世界各地に布教に出かけるので、その準備として、布教先の言語の習得に努めているはずなんですが、一体それはどうやっているのか? どういうメソッドで、あそこまで見事に外国語を習得して(させて)いるのか? もちろん、仮にそういう「モルモン・メソッド」が存在したとしても、それはアメリカ人が外国語を学ぶためのメソッドであって、それを直接、日本人の英語習得の方法論として応用できるとは限らないかも知れません。しかし、とにかく他の「成功例」をつぶさに観察することは、何にせよ、随分ためになると思うんですよね。もし、その辺のことについて、ご存じの方がいらっしゃったら、ぜひご教示下さい。 ところで、実は私は、この謎の「モルモン・メソッド」とは別に、英語習得のためのなかなか優れたメソッドではないかと思われるものを一つ知っています。それは以前、このブログでもご紹介した「ベーシック」というメソッドです。イギリスのオックスフォード大学が特許を取っている英語教授法なんですが。 しかし、もう大分長くなってしまいましたね。この話題については、また明日にでもお話しましょう。それでは、また!
June 20, 2006
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英語教育にまつわる諸問題の中で、私が不思議だと思うのは、幕末以来、日本の英語教育も150年近い歴史があるというのに、これという方法論が定まっていないという事実です。もちろん最初はアルファベットを覚えるところから始めるのが至当でしょう。しかし、その次には何を覚えるべきなのか。そしてそれが終わったら次は何を学ぶべきなのか。そういう「易しいことから、難しいことへ」と学習を段階的に進めていくための方法論がまるで確立していない。 これは一体、何事なのでしょうか。 自動車教習所だって、最初は右回りから始めるでしょう? そしてそれが出来るようになったら、今度は左回りの練習をするようになる。それは右ハンドルの運転環境では、右回りより左回りの方が難しいからで、ちゃんと「易しいことから、難しいことへ」の原則が貫かれているわけです。そして、それが終わったら、次はS字、クランク、縦列駐車、坂道発進・・・などと続いて、それらの技術が一通り習得できたら路上へ出ての練習となり、かくして一般道を他車と共に走れるようになって初めて免許が下りる仕組みになっている。実に合理的ではないですか。 自動車教習の場合、間違っても「まず、何はともあれ、路上に出ましょう」なんて指導はありません。 ところが、こと英語教育に関しては、そういうことがあり得ます。「まず、何はともあれ、ネイティヴスピーカーと会話をしましょう」なんてね。事実、英語教育の世界では、何となく「それもあり、かな」なんて思われている節がある。英語教育の方法論がまるで確立していないので、どういうことから、また、どういう順序で教えるのが一番効率がいいのか、教える側も自信がないわけですよ。 で、私はもう一度言いたい。これは一体、何事なのか、と。 しかし、その一方で、世の中には英語が話せる人がそれなりに沢山います。で、じゃあ、そういう人たちは一体どうやって英語を勉強したのかというと・・・ 皆、「がむしゃらに勉強した」んです。 系統的な方法論はさておき、あれがいいと言われればそれを試し、これがいいと言われればそれを試し、時間と努力を傾けてようやくそのレベルに到達したわけ。つまり千差万別の「無手勝流」です。ですから、結局、自分がどの順番で勉強したのか、自分でも覚えていないことが多く、どれが有効で、どれが無駄だったのかも分からないということになる・・・。かくして、現在、日本の英語教育界にあるのはこの「無手勝流」だけ。ほぼ無政府状態と言ってもいい。 で、無政府状態だけに、次から次へと新手の方法論が出てきます。かつて「LL」なんてものに大きな期待がかけられたこともありましたし、ナマの英語を聞きまくるのがいいとか、音読がいいとか、「シャドウイング」がいいとか、色々です。しかし、これら個別の方法論は、それぞれある特定のレベルの学習者を対象にしているのであって、一般に初学者が「易しいことから、難しいことへ」という原則に従ってどういう風に勉強していくのがいいのか、それを踏まえて英語学習をトータルにバックアップしているメソッドは、少なくとも日本には、どこにもないのが現状です。 もちろん、文部科学省が作っている「学習指導要領」というのがありますから、日本でも初学者がどういう順序で英語を学習していくのがいいのか、ということについて、政府には一応の見解はあるのでしょう。しかし、それが本当に正しい見解なのか、その辺を真剣に検討しているとはとても思えません。 たとえば、中学校の英語で生徒がつまずくのは、「三単現のS」であったり、「時制」であったり、「現在完了」であったりすることは、経験として誰でも知っているわけですよ。また高校英語では、「仮定法」や「比較級・最上級」あたりが鬼門となっている。 だとしたら、初学者の行く手に、わざわざこれらの「つまずきの石」を置く必要が本当にあるのでしょうか? たとえば、初学者の段階では「三単現のS」などの文法事項を敢えて教えず、よほど上級者になってから「実は・・・」と教える、なんて方法論だってあるはずでしょう? あるいは、とりあえず始めのうちは動詞の過去形を教えず、助動詞の「will」をくっつけることで未来形を表すのと同じように、動詞に助動詞の「did」をくっつけることで過去時制を表現させる、なんてことだって出来たはずだ。そういうことまで含めて、日本政府が、あるいは英語教育の研究者たちが、日本人向けの英語学習のトータル・プログラムを検討したことがあるのか。 私は、150年間の日本の英語教育の歴史を通じて、「ない」と思います。 あったら、今頃、英語教育に携わっている人々が、どうやって生徒・学生に英語を教えればいいのか、日夜苦労する、なんてことがあるはずがないですもん。 ・・・そういう方法論さえ確立されていれば、英語が出来ないのは、教える先生の責任ではなく、学習する生徒・学生の責任だ、というふうに、責任の所在を明確に出来るのに・・・。本当に不思議ですし、腹立たしい。 しかし、現在の日本の大学における英語教育では、英語教育の専門家ではない私のような人間ですら、単に「英米文学の先生なんだから、英語くらい教えられるでしょ」という程度の認識の下、英語の授業を持たされたりするわけ。 ですから、私も仕方なく試行錯誤しながら、やっぱり「無手勝流」で授業しているわけですが、当然のことながら、常に「本当にこんなのでいいのかなぁ・・・」という疑問がある。疑問を抱えながら授業するということは、つまり自信がないということですから、私も嫌になりますし、私に教わる学生も可哀相なもんですわ・・・。かといって、私は別に英語教育の専門家になりたいわけではないので、そのことばかりに時間を取られたくない、というのが本音です。 中学や高校では、とても効果的とは思えない学習指導要領に無批判に乗っかった英語教育をし、大学では誰もが皆、英語を「無手勝流」で教えている。これが現在の日本の中・高・大における英語教育の実態じゃないでしょうか。またそうであるからこそ、こうした現状から何らかの教育効果を期待する方がおかしいということも言えそうです。 もっとも、それを言ったら、「じゃあ、数学教育は効果を挙げているのか」ということだって言えるわけではありますけどね。私なんか、高校の時に習った「行列」という数学の概念が、一体何を表しているのか、今、さっぱり思い出せませんから・・・。 ま、それを言ったらきりがないので、とりあえず英語教育に話を限るとしますが、とにかく英語教育の研究者の総力を挙げ、とにかく日本人向けの英語教育の一般的メソッドを確立することが急務なのではないかと、私なんぞは愚考しているのであります。 で、そのことに関して、さらに色々思うことがあるのですが、それについてはまた明日!
June 19, 2006
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十分な審議がなされたのかどうかよく分かりませんが、いつの間にやら小学校に英語の授業が導入されることになりました。正規の授業としてではないようですけどね。 しかし、私は小学生に英語教えた場合、メリットよりも悪影響の方が遥かに大きいと思います。 なぜそのことを自信を持って言えるかといいますと・・・、 私の通っていた小学校が、まさに1年生の時から正規の授業として英語を導入していたからですーーー。 最初はいいんですよ。1年生の時の英語の授業なんて、英語の歌を歌ったり、単語カードを使ってゲームをしたり、といった感じで、要するに「遊び」ですから。クラスメートも皆、「英語の時間」というと、嬉々としている。毎年2月に行われる英語劇なんてのも、楽しい思い出です。 そんな調子でいわゆる「英語に親しむ」段階を過ぎると、4年生くらいから少しずつ文法的なことも教わり始めるんです。でまたこのあたりから段々、生徒にとって英語が「おっくう」になり始めるわけ。英語の時間というのが、実は遊びではなく勉強だった、ということがバレてしまうんですな。 しかし、決定的な変化が生じるのは、5年生の時。ここでついに「三単現のS」という文法事項が出てきてしまうんですね。主語が三人称単数だと、動詞にSがつく、という奴。 この文法事項が出てきた時の、クラスメートたちの顔が私には忘れられません。まさに、「笑顔が消える」という言葉、そのままなんです。 そしてこれ以降、クラスの半分以上が、「英語、分からん」という絶望的な気分に陥るんですね。で、そうした諦めの境地に一旦入ってしまうと、もう先生がどんなに熱心に噛み砕いた説明をしても、それが一つも耳に入らない、という状態になるんです。 かくして、この連中が中学に進学し、本格的な英語の授業が始まる頃には、完全に苦手意識を持ったまま授業に臨むということになります。それゆえ、公立の小学校から編入してきて、中学で初めて英語に接する生徒たちと比べても、内部進学組の英語の成績は遥かに低い、ということになってしまう。 ま、小学校から英語を教えることの顛末なんて、大体そんなもんです。 ちなみに、鳥飼 玖美子さんという専門家が、小学校で英語を教えることの意味のなさを『危うし! 小学校英語』(文春新書)という本の中で分かり易く論じておられますので、ご参考までに。 ところで、今、小学生の時から英語を教えることに賛成しているのは、文部科学省というより、むしろ「親」でしょう。実際、私なんかでも、たとえば友人の奥さんなどから、子供が幼稚園に行き始めたので、そろそろ英語を習わせたいと思うのだけど、どうしたものか、というような相談をしばしば受けましたから。 しかし、そう言っている親が英語がしゃべれるのかというと、もちろんそんなことはないわけ。つまり、「自分が出来ないから、子供には出来るようにさせてあげたい」ということなんですね。それは親心というもので、私はそれを馬鹿にしようとは思いません。 けれど、それは間違っているんじゃないか、とは思いますね。自分に出来ないことを、子供に託しちゃいけません。第一、親に分からない言葉を子供がしゃべり始めたら、キモチ悪いじゃないですか・・・。子供に英語を習わせようとするなら、その前に、自分が英語を勉強し始めなさいって。自分がまず勉強する姿勢を見せ、自らの「背中で教える」ってのが、一番でございます。 それはまあ、ともかくとして、とにかく小学生の時から英語を教えるというのは、対効果の観点から言っても、無駄です。子供にはもっと教えるべきことがあります。日本語と、正しいものの考え方、そして行儀です。英語なんて、中学校からで十分。 というわけで、私は小学校英語については自信を持って否定しますが、もっと大きな問題は残ります。中学校から始まる正規のカリキュラムの中で、英語をどうやって教えるか、という問題です。それについては、また明日、考えてみましょう。 鳥飼 玖美子さんの本はこれ! ↓危うし!小学校英語
June 18, 2006
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今から30年ほども前の話ですが、英語教育に関する大論争が、国会議員の平泉渉氏と上智大学教授の渡部昇一氏の間で交わされ、大きな話題になったことがあります。 平泉さんの方は、英語を日常的にしゃべらなくてはならない日本人なんて、そんな沢山いるはずないのだから、英語の授業なんて必修にしなくていい。その代わり、国民の5%くらいが、実用に足る本格的な英語教育を受ければいい、というような「エリート主義」的な主張をしたんですね。一方、対する渡部さんの方は、英語教育には論理的思考訓練の意味合いもあり、またたとえ日本流の文法中心・訳読中心の英語教育法では英語を話せるようにならなくとも、目に見えぬ素養としての英語力はついているので、決して無駄にはなっていない。よって英語はすべからく必修にすべきだ、という主張をした。そんな感じの論争です。 ま、どちらもそれなりに一理ある主張ですよね。それに、よく考えてみると、一見真っ向から対立しているかに見える両者の主張は、実は両立し得るものでもあります。中・高・大と英語を必修にしておいて、その上で、とりわけ英語が好きな学生だけ集中的に上級英語を仕込めばいいわけですから。 ところが、それから30年経ってみると、両者の主張とも、文部行政によって見事に否定されてしまったことが分かります。英語は依然として中・高・大と必修科目ですから、平泉さんの主張は受け入れられなかったわけですし、渡部さんが主張された文法・訳読中心の英語教育の効果も強く否定され、中学校の教科書の段階からして、ヒアリング・スピーキング中心のカリキュラムが組まれるようになってしまったのですから。 が、その結果として、英語が自由にしゃべれる日本人が増えたかというと、そんなことはありません。「英語が話せない日本人」の問題は、今なお存在する。いや、その点で言えば、30年前よりもっと英語力は落ちていますよ。昔は、大学生ともなればそれなりに英語が読めたものですが、今の大学生は、ごく簡単な英語の文章すら読めませんから・・・。 じゃ、日本の英語教育はどうすべきだったのか。そして、これからどうすべきなのか。 そんな問題意識が再び高まってきたためか、このところ英語教育を巡っての論争がにわかに喧しくなってきました。この2、3年、あちこちの学会が「どうする! 日本の英語教育」というようなシンポジウムを行っています。 ちなみに、こういう論争が再燃することになったきっかけの一つは、東大の斎藤兆史さんの影響じゃないかな、と私は思います。この斎藤さん、数年前に『英語達人列伝』(中公新書)という本を出版し、岡倉天心であるとか、新渡戸稲造であるとか、大昔の日本の英語達人のことを調べ、最新のAV機器もなければ、「駅前留学」も出来ない時代に、彼らがどうやって英米人と対等に渡り合えるだけの語学力をつけたかを紹介したんですね。で、文法・訳読といった昔流の英語教授法でも、きわめれば絶大な効果がある、というようなことを主張し出した。 で、これがきっかけとなって、旧来の日本式英語教授法は、実は不当に排除されたのではないか、その結果、日本人の英語力がさらに落ちたのではないか、というようなことになってきたわけですよ。でまた、こうした主張に対する反論ももちろんあるわけですし、また、どっちがどうだか分からないけれど、とにかく今英語教育に携わっている人間は、一体何をやればいいのか? という基本的な問いも、改めて問われる機会が降って湧いてきた、というわけです。 そして、かくいう私も、そういう類のシンポジウムに、若干ながら係わることになってしまった、と・・・。 しかし・・・。実は私、この問題についての論争、とっても嫌いなんです。だって、あまりにも多様なレベルの問題が関わり過ぎていて、どのレベルの話をすればいいか分からないんですもん! 「どの方法で英語を教えるべきか」だけを論じるならいいですが、しかし、一方で、「どんな教え方をしても、生徒・学生側の意欲と能力がなければモノにはならない」という真実がある。また、そもそもなんで日本人のすべてが英語をやらなければならないのか、その必要性も論じる必要があるし、英語よりもまず母国語たる日本語をちゃんとしなければならない、という論点もある。理想的な教え方はこれだ! というのが分かったとして、その教え方で教えられる教師がどのくらいいるか、という問題もある。さらに論争の結果、仮に「日本の学校・大学には英語の授業なんか必要なし!」という結論が出たとすると、それはつまり、そういう結論を出した英語の先生方が、自分で自分の存在理由を否定してしまったことになって、それはそれで問題だったりする・・・。 とまあ、こんな調子で、この問題に係わる幾つもの論点が、互いに相矛盾する側面を持つので、シンポジウムやっても意見が噛み合わないか、あるいはごちゃごちゃになるか、そのどちらかに決まっているんですね。 しかも、そういう論争のことなんぞてんで気にもしない文部科学省が、「英語が出来ないのは、スタートを切るのが遅いからだ」という短絡的な考え方のもと、どさくさに紛れて小学校に英語の時間を導入なんかするじゃないですか・・・。ですから、これら論点の定まらない論争に、また一つ、「小学校における英語教育の是非」という論点が加わってしまった・・・。 だから、私はこういう論争には係わりたくないんですーーー。 ま、もっとも、この問題に関し、私自身に何の意見もないかというと、そんなこともないような気もちょっとしたりします。その辺りについては、また明日にでもお話しますかね。 それでは、またこの話の続きをお楽しみに!斎藤兆史さんの本はこれ! ↓英語達人列伝
June 17, 2006
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昨夜、レイトショーで『インサイド・マン』を見てきました。スパイク・リー監督、デンゼル・ワシントン&クライヴ・オーウェン主演の「銀行強盗サスペンス」です。そろそろ『ダヴィンチ・コード』を見に行ってもよかったのですが、ま、そこはそれ天の邪鬼の我ら夫婦ですから、敢えてもうワンテンポ、外すわけですよ。 さて、この映画、クライヴ・オーウェン率いる4人組の強盗団が、とあるニューヨークの銀行に押し入り、50人の人質をとって立て籠もるところからストーリーが始まります。そしてこの強盗団との交渉人となったのが、デンゼル・ワシントンというわけ。かくして強盗団は、人質を少しずつ解放しながら、色々と要求を突きつけてきます。たとえば逃亡用のバスを用意しろ、とか、空港にジャンボ・ジェット機を用意しておけ、とか、腹が減ったから食い物を差し入れろ、とか。ま、銀行強盗ですから、当然です。 ところが、どうも強盗側の要求がちょっと変なんですね。通常であれば、強盗側が警察に対し、速やかに要求を飲むよう急かしてきて、それを交渉人側が引き延ばそうとするわけですが、今回の場合は逆で、何だか強盗側がなるべく交渉を引き延ばそうとしているみたい・・・。さらに、襲われた銀行の創立者自ら、敏腕弁護士ジョディ・フォスターを使い、警察とは異なる独自のルートで強盗側と折衝を始めるという異例の事態も浮上してきます。 どうも強盗団が狙っているのは、銀行の金庫に眠っている現ナマではないらしいんですな・・・。 が、その後事態は急展開を見せ、警察側が突撃隊を組織し、銀行に突入することになります。しかし、予想された強盗団側の抵抗は一切なし。どうやら強盗団の何人かは人質に紛れているようなのですが、誰が人質で誰が強盗なのか区別がつかず、結局、全員解放せざるを得なくなってしまいます。しかも、強盗団の主犯と思しき人物は発見出来ないまま。 そして調べてみると、どうやら銀行側の被害もないという・・・。しかも人質全員が無事だったのですから、事件の捜査も打ち切らざるを得なくなってしまいます。一体、何が何やら・・・。 が、実は、この謎のような銀行強盗、完璧に計画された完全犯罪だったんです! では、彼らは一体、銀行から何を盗み出したのか? そして、主犯のクライヴ・オーウェンはどうやって銀行から脱出したのか? ってな感じの映画です。 で、私のこの映画に対する評点はと言いますと・・・ 79点! 合格ですーーー。 ま、もちろん細かく見ていくと、ストーリー上の欠陥はあると思います。脇筋のストーリーが曖昧で、練れてない部分もある。しかし、それでもテンポよく話が進んでいくので、そうした幾つかの欠陥がそれほど目立たないんですね。またあちこちに散りばめられた「人種ネタ」のギャグなど、黒人監督スパイク・リーならではの面白さもある。また主役二人は言うまでもなく、脇役にウィレム・デフォーやジョディ・フォスターなどの大物俳優・女優を配してあって、見方によっては彼らを活かしきっていないと言えるかも知れないけれど、やはり彼らの存在が画面全体を引き締めていて、その点でも好印象。ウィレム・デフォーなんて、顔見ているだけで目が吸い寄せられますからね。 それに、何かというとテロリストが出てきて、じゃんじゃん人殺しをする映画ばかりの中で、この作品は人を一人も殺さずに完全犯罪を、しかも、「それなりに妥当」な犯罪を成し遂げる話なんですから、それだけだって痛快です。音楽もパンチがあっていいですよ。 聞くところによると、スパイク・リーはこの映画をたった一と月ちょっとで撮りあげてしまったとのこと。ま、この映画自体、『ドゥ・ザ・ライト・シング』や『マルコムX』の場合とは異なり、彼独自のアイディアから生まれたものではなく、「頼まれ監督」でやや気合いが抜けていたこと、またデンゼル・ワシントンなどの「スパイク組」の俳優を多用したことなどが、手際よく仕事を進めることが出来た要因なんでしょう。たとえば今回の映画の中で銀行強盗にピザを差し入れるシーンがあるのですが、このピザ、なんと『ドゥ・ザ・ライト・シング』に登場するピザ屋のものなのだそうで、その辺の内輪受けの軽いギャグにも、気合いの抜け具合が見て取れます。 ちなみに、スパイク・リー監督って、気合いを抜いて軽く撮った映画でもそれなりに佳作を作る人で、たとえば『ガール6』というB級映画なんか、かなりいい線を行ってます。ま、個人的なトリビアを申しますと、私と家内の結婚式の際、『ガール6』のサントラから『Count the Days』(プリンス)という曲を新郎新婦退場のテーマ曲に使っちゃったりしたのですけどね。そこはそれ、事情通のワタクシですから、そういう場合、間違っても「エンヤ」なんて使わないわけですよ。 とまあ、あれこれ言いましたが、『インサイド・マン』、大傑作とは言いませんが、十分に楽しめる佳作です。スパイク・リー映画にやや点の甘い私ではありますが、そのことも踏まえた上で、「教授のおすすめ!」と言っておきましょう。『ダヴィンチ・コード』を横目に、ぜひ!
June 16, 2006
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名古屋地方、今日は一日雨模様でした。特に夜に入ってから雨足が強まり、今もなお、9階の我が家に居ても、雨音をはっきりと聞き取ることが出来ます。相当降っているようですね。 しかし、雨音ってのは、いいもんですね。心が落ち着きます。不思議なことに、同じ水の音でも川の流れる音や海のさざ波というのは耳について眠れないことがありますが、雨音だけは逆によく眠れます。自分の頭上に屋根があることの有り難みが感じられ、なにか守られているような気になるからでしょうか。 そういや、昔、蚊帳の中で眠ると、寝苦しいはずの夏の夜でもよく眠れた気がするもんなぁ・・・。 さて、今日はもう遅いので、そろそろ休むとしましょうか。それでは、雨音が私と皆様に心地よい眠りを提供してくれますように。お休みなさーい。
June 15, 2006
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今日は朝から愛知県内の某中学校に出向き、教育実習指導学生2名の研究授業(理科・英語)を参観してきました。 ま、毎年、この時期にこの仕事が回ってくるので、そのこと自体は「いつも通り」という感じではあるのですが、今回、私がこの参観に行くのが少し剣呑だったのは、参観に割り当てられた中学というのが、いわゆる「荒れた中学」と言われる学校だったからです。今まで、たまたま運良くその種の学校に参観に行かされることがなかったのですが、今回は「おお、ついに来たか・・・」という感じです。 噂によると、不良生徒が授業中、教室に留まっていなくて、廊下を徘徊している、とか・・・。 噂によると、校舎のあちこちでガラスが割れている、とか・・・。 噂によると、構内での暴行沙汰が頻発している、とか・・・。 私のようなよそ者がのこのこ構内を歩いていたら、長ラン・ドカンにリーゼントのお兄さんたちにメンチ切られてカツアゲされるのじゃないかしら。その場合、反撃して半殺しにしてさしあげた場合、ワタクシの刑事責任が問われるのかしら・・・。 なーんて心配してしまったり。 ってなわけで、おっかなびっくり目指す中学校に到着したわけですが、いきなり廊下を歩いていた生徒数名に「こんにちは!」なんて挨拶されちゃったりして。なーんだ。荒れているって言ったって、それほどでもないじゃん。 実際、指導学生の授業参観をしていても、案外生徒たちは普通に素直で、徘徊している子もいなければ、反抗的な子もいないですし、服装の乱れている子も別にいませんでした。山本リンダじゃないですけど、ホント、「噂を信じちゃいけないよ」ですな。ま、確かに実験作業の多い「理科」の授業の時はそれなりに一生懸命やっていた子供たちが、「英語」の授業になると、熱心に授業に参加する子と、机にうつ伏して寝ている子に分かれてしまって、得手・不得手がはっきりするなぁ、と思いましたが、そういうことはどこの中学でもありますからね。 ということで、私の事前の不安は杞憂に終わり、無事、研究授業参観を終えることが出来たのでありました。 もっともお昼の時間、校長先生と給食をご一緒させていただきながら、色々とお話を伺ったところによると、やはり少し以前まで、この学校は相当荒れていたらしいですね。家庭内暴力や低所得など、家庭自体に問題があるところの子弟が多く、そういう生徒はどうしても情緒不安定になり易い傾向があるのだそうです。また、それなりに裕福な家庭でも、親が自分の子供をネグレクトしていたりするところがあったりして、校長先生も「子供を教える前に、まず親を教育せにゃいかんところがあるんですわ・・・」と、おっしゃっていました。どこにもある話なんでしょうが、大変ですなぁ・・・。 そんな中、現場を担っている先生方は、皆それぞれに一生懸命ですよ。私なんぞ、こういう機会にたまに訪問させていただくだけですが、それでも傍で見ていると、現場の先生方のご苦労はよく分かります。 っていうか、「子供を教える前に、まず親を教育」しなければならない、といった責任感を学校が持っていること自体、問題ですよね。日本の教育システムは、学校に頼り過ぎですって。子供の知育だけでなく、体育も、食育も、礼儀作法も、情操教育も、道徳感・正義感の育成も、何もかも学校任せにしているんですもん。先生方の負担が多過ぎです。で、そんなふうに何もかも学校任せにしておきながら、ちょっと先生が思い余って体罰ぎみなことをやると、当該の先生に生徒の前で土下座でもさせるつもりか、と思うほど大騒ぎするじゃないですか。まったく・・・。 ま、たまにこういうところに来ると、色々考えさせられます。 ところで・・・話は変わりますが、今日食べさせていただいた給食、おいちかったですー! 私、実はずっと私立育ちなもので、小・中・高と「給食」って食べたことがないんです。ですから、給食を食べてみたいという好奇心は人一倍強いわけ。校長先生に「食べてってちょーよ」とお誘いを受けた時は、もう「ラッキー!」って感じ。ちなみに今日、私がいただいた給食は、野菜炒めがメインで、これにご飯、そして野菜・豆腐・海草などがごっそり入った具沢山の和風スープ。そして牛乳に、食後のスナックとしてスルメイカ(!)。おかずの塩味が若干薄めで、そこが私にはやや物足りないところですが、それにしても健康的な昼食で、いい感じでしたよ。 でも指導学生から聞いたところによると、こんなおいしくてヘルシーな給食なのに、生徒たちはガンガン残すのですってね。「これ変な味がするー」とか、「私、これ嫌いー」などと言って、ほとんど食べない子が結構いるらしい。で、最近ではそういう子に無理強いして食べさせてはいけないという上からの指導があって、好き嫌いの激しい子は給食を無理に食べなくてもいい、ということになっているんですって。 もちろん、牛乳の飲めない子に無理やり飲ませるような昔風のやり方もどうかとは思いますが、それにしても、食べ物を粗末にするような風潮を助長するようなやり方は、私は好ましいとは思いませんけどねえ。私の指導学生も、生徒たちの「給食残し」の実態を気にしていて、来週担当する道徳の授業の中で、食べ物を大切にいただくことの重要さを問いかけてみたい、と言っていましたが、そいつはいいことだから大いにやれ、と励ましておきました。 頼りないなと思っていた大学4年生も、こうして教育実習を体験すると、急に大人びるものでございます。 ま、こんな感じで、今日の私の出張は無事に終了ー。さすがに気を使って疲れたので、あとはもう堂々とリラックスして過ごすことにしますです、はい!
June 14, 2006
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今年度の時間割から言いますと、1週間のうちで火曜日は割と楽な日なんです。授業が午後から1つあるだけなので。 というわけで、今日は朝寝坊を楽しみ、早めの昼を簡単に済ませて、12時頃家を出ました。この時間ですと、いつもの通勤路も車通りが少なくて一層快適。穏やかな真昼の陽射しの中、例の田んぼの中の一本道をとことこ走っていると何だか楽しくなってきて、このままどこか遠くへ行ってしまいたい気になってきます。(おい、おい!) それにしても今時分の水田というのはいいもんですなあ。まだ稲も植えられたばかりで、稲の緑よりも、張られた水に映る空の色の陣地の方が大きいと言いますか。 でまた、ふと気がつくと、田んぼの周りというのは、結構沢山の野鳥が集まってくるものなんですね。雀や烏やセキレイなどの常連メンバーに加え、カモだのサギだのといった水辺の似合う鳥を、そこここに見ることが出来ます。 しかし水田を背景にしてみると、やはり一番華麗なのはサギですな。 中でも見とれてしまうのは、アオサギです。日本に数多いるサギのうちでも最大のサギだけに、近くで見ると「おお!」と思うほどでっかい、でっかい。で、こいつが三々五々、水田の中をギクシャクと歩き回りながら、時折クチバシを水の中に突っ込んで、何かをついばんでいる。オタマジャクシでもいるんですかね。 ところで、こういうでかい野鳥を眺めていると、私はいつも、何だか不思議な気がしてきます。だって、こんなでかい空飛ぶケモノが身近にいるのに、人は別に違和感なく、日常風景として看過ごしているんですもん。 「大昔には、この地上を恐竜が走り回っていたんだよなあ」なんて思うことは誰にでもあると思いますが、よく考えてみれば、我々の身近なところで「鳥」という空飛ぶケモノが飛び回っている現代だって、十分不思議な世界だと思いませんか。CGではなく、本当に本物の空飛ぶケモノが、目の前を横切ったりするんですよ。石を投げれば届きそうなところに、大人の一抱えほどもある白くて首の長い変な動物が、餌をついばんでいるんですよ。 不思議じゃないですか。 ・・・ま、そんなわけの分からんことを考えながら、何とか大学に到着。ちゃちゃっと授業を済ませ、若干の事務仕事をしてから、その後はフィリップ・マーロウ探偵の活躍するロサンゼルスの街に遊びに行ってました。ま、私の火曜日は、ざっとこんな感じです。 全然働いていないじゃないか! ですって? まあ、まあ。これでも明日の水曜日は、なかなかハードなスケジュールになりそうなんです。出張が入っていますのでね。この出張、ちょっと気が重いものなんですが、その辺のお話はまた明日ということで。 それでは、皆さん、お休みなさーい!
June 13, 2006
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あー、負けてしまった・・・。残念、サムライ・ジャパン・・・。 棚ぼたの1点、川口の連続ファインセーブや宮本&中澤の好プレーで、何となくいい感じだったのに・・・。 同点に追いつかれてから、緊張の糸が切れたのがアリアリと見えましたね。それにしても後半の後半になってからバタバタと3点入れられたのは、悲し過ぎる・・・。 でもなぁ・・・。リードしていた時、追加点のチャンスが何度かあったのに・・・。何でシュートすべきところでパスするんだろう・・・。何はともあれゴールに向かってシュートして、さらにこぼれ球を狙えばいいのに。 それから、何でジーコ監督は、敗色濃厚、しかも残り時間わずかという時にならないと大黒を出さないのかなあ! あんな時間帯から投入されて、何かしろと言われたって、そりゃ無理ですよ。素人目で見ても今日の柳沢の出来はあんまり良くなかったのだから、もっと早く彼を大黒と交代させればいいのに・・・。 ま、言いたいことは沢山ありますが、負けちゃったものは仕方ないですね、今さら。でも途中まで勝っていただけに、ガッカリだなあ。 しかし、ま、とにかく90分、ハラハラ、ドキドキ、応援を楽しませてもらいました。まだ次がありますからね。ブラジル戦で勝てばいいんです。選手の皆さんには、初戦の敗戦に気を落とすことなく、元気を出して、次、頑張ってもらいましょう!
June 12, 2006
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今日は名古屋で某学会の全国大会があり、サリンジャーに関するシンポジウムを聞きに行きました。サリンジャーというのは、『ライ麦畑でつかまえて』で知られるアメリカの作家です。 ちなみに私はこの学会の不良会員で、ここ10年ほど会員に名を連ねてはいるものの、実際の学会にはほとんど参加していないんです。にも係わらず、今日、このシンポジウムに参加する気になったのは、一つには私自身、学部の学生時代にはサリンジャーの大ファンであったからなんです。また今日のシンポジウムの講師の布陣がなかなか魅力的なものに見えたのも、敢えて私がこのシンポジウムを聞きに行った理由の一つでありました。講師は4人だったのですが、日本アメリカ文学会の大御所が一人、昔からサリンジャーのことばかり研究しているサリンジャー・マニアが一人、それから最近サリンジャーについてあれこれ言い出した、私と同世代の気鋭の学者一人参加していましたのでね(あと一人は聞いたことない人でした)。 ところが・・・。敢えて酷評させていただきますが、今日のシンポジウムはひどかった・・・。 まず最初の講師の方のお話ですが、サリンジャーの『ライ麦畑』は、巷間、「青春小説」として認識されることが多いけれど、むしろ「戦争小説」として見るべき側面が多い、という内容でした。しかしですね、それはそんなに大した指摘でしょうか? そもそも、そういうことを言う人は過去にも大勢居ましたし、サリンジャー文学のファンからすれば、むしろ共通理解に属することなんですもん。それに逆に言えば、戦争小説というのは大概、同時に青春小説であるわけでして(なんとなれば、兵隊さんというのは通常若者なのですから)、両者はもともと境界を接しているんです。そもそも第2次世界大戦の時代に現代小説として若者の姿を描いたら、どうしても戦争との関わりを描くことになってしまうわけで、サリンジャー作品もその例外ではない。そんなことは、指摘されて気づくことでもないでしょう。 またもう一点、このシンポジウムではおそらく一人約30分の時間枠が決められていると思われるのに、この方はほぼ倍の50分にわたって延々とお話をされていた。それも大減点です。そういうルール違反は、シンポジウムでは一番やっちゃいけないことなんじゃないかと・・・。 そして次の方の発表ですが、これもちょっとガッカリでしたね。彼はサリンジャーと戦後の映画との関わりについて述べられ、たとえば『暴力教室』とか『ウェストサイド・ストーリー』とか『理由なき反抗』とか、そういう不良映画・反抗映画が第2次大戦後にどっと出てきたことを指摘され、それがあたかもサリンジャーの不良・反抗小説『ライ麦畑』の影響であるかのようにほのめかされたのですが、私が思うに、それはないんじゃないでしょうか。戦後の時代に「若者の反抗」というものが社会的に認識され、それが様々な形で取り上げられたということは事実でしょうが、そういう一連の社会現象の発端が『ライ麦畑』である、なんてこと、そんなに簡単に明言できるわけないでしょう。この発表者の方はもう何十年もサリンジャーを主として研究なさっているのですから、もう少し聴衆を惹きつけるような話をしてくれなきゃ・・・。 次。三番目の講師の方の発表ですが、これもパッとしませんでしたなぁ・・・。サリンジャーの作品に出てくる女性登場人物を3つのタイプ、すなわち「1・享楽的な女性」「2・嘆く女性」「3・円満な人格の女性」に分け、どの作品に出てくるどの登場人物は1のタイプだ、こっちの女性は3のタイプだ、などと分類されていたのですが、文学作品の登場人物の性格分けをして、一体どういう意味があるのか、私にはさっぱり分かりませんでした。 そして、最後に登場したのが、若手・気鋭の学者Mさん。彼は私の高校時代の後輩なんですが、学者としては私なんぞよりよっぽど貫祿のある人でありまして、ここまでのお三方の発表にガッカリさせられっぱなしだった私も、彼ならきっといい発表をしてくれるだろうと期待をかけていたんです。で、実際、Mさんの発表は定められた時間をきっちり守り、用意した資料もきちっと使い切り、内容のある話をしていました。 彼によれば『ライ麦』という小説は、一見、人種問題についてあまり言及していないように見えるけれど、それは巧みに隠蔽されているだけで、実は主人公の少年の「ユダヤ性」の問題が密かに大きな意味を持っている、というのです。この小説の中で主人公のホールデン・コールフィールドという少年は、なかなか周囲の友人とうまくやっていけず、仲間外れの状態に置かれることが多いのですが、それは彼が(作者のサリンジャー同様)ユダヤ系(片親がユダヤ人)であるからだ、というわけ。小説の後半、主人公のホールデンは、自分の望みは、どこか遠くへ行って聾唖者の振りをして世間と没交渉のまま生きていくことだ、と述べる場面があるのですが、彼がそういうことを言い出す背景には、「ユダヤ系という、自分にはどうしようもない出自のために差別されるより、自ら選択した結果、聾唖者として差別される方がマシだ」という自己防衛の(無)意識が働いている、というわけ。 しかし、その一方、人種に基づく画一的な差別を嫌悪するホールデン自身も、同じようなロジックに基づいて他人を差別している場面も色々ある。つまり、そうした差別の構造で出来上がっている世界(特にアメリカのような多人種世界)において、そういう差別・被差別の構造から逃れることはできないという状況があるわけです。それを本気で逃れようとしたら、もう死ぬしかない。 そこで主人公ホールデンが生きることを選択する以上、拒絶したいとは思いつつ、差別の世界に屈伏せざるを得ない、というわけです。かくして、ホールデンは最初拒絶した差別の世界に戻ってくるのであって、またそれが『ライ麦畑』のストーリーであるとすれば、人種差別の問題は、この作品を生み出す原動力になっていると言っていいのではないか・・・。Mさんは発表を通してそんな話をされたんですな。そして『ライ麦畑』のこのような構造は、「人種差別は拒否するが、ナショナリズムは肯定せざるを得ない」、そんな矛盾の多い多民族国家アメリカの国家構造に通じるのであって、だからこそこの作品は堂々たるアメリカ文学なんだ、というわけ。 ま、私の理解力の問題もあって、果たしてMさんの発表を正しくまとめたかどうか、ちょっと不安なところもありますが、とにかくMさんの発表に関しては、私はメモをとりながらちゃんと聞きました。賛同するかどうかは別として、とにかく鮮やかに作品を分析されていましたから、その意味で大いに啓発されるところはありました。ま、これが聞けたおかげで、このシンポジウム全体の印象も随分アップしたと言ってもいいでしょう。 しかし・・・。その後しばらくMさんの話を頭の中で反芻しているうちに、何となく、私としてはあまり面白くなくなってきたんです。「分析は分かった。で、それがどうした」という気がしてきたんですね。たとえばある料理を食べてうまかったとする。で、そのうまさを分析するのに、タンパク質がどうの、澱粉がどうの、ビタミンがどうの、と説明されたとしたらどうでしょう。それは一見料理の分析にはなっているけど、うまい料理を味わった時の感動を確認してくれるわけではない。それと同じように、Mさんの鮮やかな分析も、『ライ麦畑』に夢中になっていた頃の私の心情を裏書きするものではなかったんですな。 多分、以前の私なら、Mさんの分析の手腕に接しただけで感心しきってしまったでしょう。お見事! というわけ。しかし最近の私はどうもひねくれていて、この種の分析にあまり惹かれなくなってしまった。それは、私自身、そういう自分に少し苛立っているところではあるのですけれど。だって、こういう見事な分析に感心できなかったとしたら、一体、私にとって文学を研究するとはどういうことなのか、分からなくなってきますから・・・。 で、その苛立ちは、「だったら、今の私はどういう文学論を聞いた時に『面白い』と感じるのか」という問へと、当然引き継がれていきます。 そうですね・・・。たとえば、ある作家について今まで聞いたことのなかったエピソードを聞き、それがいかにもその人らしいものであったり、意外なものであったりしたら、私は面白いと思うでしょう。またある作品について、誰かが「ここが面白かった」と言ったとして、私自身もその意見に共鳴できたとしたら、私はその誰かの話を面白いと思うでしょう。 しかし、このようなことは、「文学的なゴシップ」であったり、「文学オタク同士のなれ合い」であるわけで、そんなのが「学問」の名に値する文学論と言えるのか? という気もする。けれどもその一方で、「文学を『学問』の対象にしようなんて考える方がおかしいのであって、たとえばジャズ評論家たちが、あの新人プレーヤーはなかなかやる、とか、あの名盤の吹き込みにはこんなエピソードがあるんだ、などと蘊蓄を傾けるのと同じやり方で、小説を楽しめばいいんだ」という気もするわけです。 いっそ、その「楽しめばいいんだ」に徹することができれば、楽になるんだろうと思うのですが、私にはまだそこまで覚悟ができてないところがある。そこが問題なんでしょうな・・・。 ま、Mさんの発表を聞いたことによって、そんなことをあれこれ考えていた、今日の(少し真面目な)ワタクシだったのでした。 それにしてもこのシンポジウム、4人の講師の発表が終わった段階で、予定されていた時間を使い切ってしまい、シンポジウムの「キモ」であるべき質疑応答の時間がまったくとれないで終わってしまいました。文学研究のシンポジウムではよくある話ですが、まったくなってないです。持ち時間の大幅オーバーをされた方、そして司会進行をされた方には、生意気なようですが、私から猛省を促しておきましょう。
June 11, 2006
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昨夜から今日にかけて、外食が続きました。 まず昨夜ですが、東京から同窓・同業の友人T君が学会絡みで名古屋を訪れていたので、夕食を共にすることにしました。行ったのはこのブログでも何度か登場したトルコ料理の店「オリエンタルの青い月」です。 T君は大学時代、ゼミの一つ後輩です。その意味ではもう20年以上の付き合いということになります。彼は礼儀正しく、また先輩を立ててくれる人ですし、私の、時に極端な書評・人物評を誤解なく受け取ってくれる人なので、彼と様々な話をするのはとても気が楽。といって、もちろん彼も黙って聞いているばかりではなく、私の話に遠慮なくダメ出しをし、私の行き過ぎを是正してくれるので、その点でも有り難い人材なんです。昨日も、私の今後の壮大な計画についての大風呂敷を聞いてもらって、いい気分にさせてもらいました。また彼のところには、1歳半ほどになる可愛いお嬢ちゃんがいるので、その子育て談も私や家内には興味津々。子育てと研究生活の両立というのは、私にとって大いに不安のあるところですのでね。彼は今、埼玉県にある大学に奉職しているので、1年にそう何度も会える機会はないのですが、学会の全国大会などで顔を合わせられるのが一番楽しみな大親友。昨日の夜も、楽しい時間を過ごすことが出来ました。 さて、そして一夜明けて今日。今日は私の勤務先の大学の名誉教授で、私の恩師であるH先生ご夫妻と昼食をとるべく、地下鉄東山線「本山」という駅の近くにあります中華料理の「浜木綿」に行きました。 この浜木綿はこの地方に何店舗かある中華料理の名店で、私も何度か行ったことがありますが、今日行った「末盛店」は初めての見参。ここはもと、かの大手デパート・松阪屋の創業者の家だか別宅だかがあったところだそうで、もともとは広大な敷地だったそうですが、今では系列の商業施設やレストラン、マンションなどが林立しています。しかし、やはり各所に残る鬱蒼とした林が、栄華のあとを忍ばせる、といった風情があります。 H先生ご夫妻にお目にかかるのは3ヶ月ぶりくらいでしょうか。前にも書いたように、お孫さんが大病をなさって、その看病などで心身ともに疲れておられましたが、それでも幸いなことにそのお孫さんもついに退院の日を迎えられ、今では1週間か2週間に一度の通院でよい、ということになったとのこと。本当によかったです。 しかしそんなH先生が、最近、もう一つ災難に出くわされたとのこと。先日、とある大きなショッピングモールの駐車場に車を停めて買い物をされていた時、車上狙いにやられて、大切な本の入いった鞄を盗られてしまったというのです。もちろん車に鍵はかかっていましたが、後ろのドアの窓を割られたんですね。両側に大きなワンボックスカーが停まっていて、その死角に入いっていたということはあるようですが、それにしても白昼堂々、大きなショッピングモールの地上駐車場でそんな目にあうなんて、驚きますよね。 でも、そういう嫌なことはあっても、とにかくお孫さんが大分回復されてきたことで、先生ご夫妻の表情が明るかったのが、私にとっては嬉しいことでありました。先生は大学を停年退官後、今もなお幾つかの大学で教鞭をとられながら、ご自身の永年のご研究に取り組まれており、先日もそのご研究の一端について触れた先生の文章を読ませていただきましたが、いつも変わらぬ情熱でお好きな研究を続けておられることに、私も大いに触発されました。 ということで、昨日・今日とおいしい食事を親しい友人・恩師と共にすることが出来、楽しい週末となったのでした。 ・・・ただ一つ、今日食事をした「浜木綿」というお店には一つダメ出しをしておきましょう。今日は先生ご夫妻と私ども夫婦の4人で食事をしたのですが、4人分のコースを食べるとなると量が多過ぎるということで、コース3人前をとって4人で分けて食べることにしたのです。しかし、そのような場合、ちょっと気の利いた店なら、事情を察して3人分の料理を4人用に分けて出すもんじゃないですか。それをまあ、注文通り3つの什器で料理を出してきて・・・。しかも、一見の客というのならまだしも、H先生ご夫妻はこのお店でしばしばお食事をされ、店長とも親しいご様子。それなのに・・・。 サービス業というのは、客の立場に立ったサービスをして初めてプロというもんでしょう。今後のことを考え、「浜木綿」には猛省を促しておきます。
June 10, 2006
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今日は朝も早よから名古屋大学の近くまで赴く野暮用があり、その近くのコイン駐車場に車を停めた(今日び、駐禁とられちゃたまりませんから!)ところ、同じくその駐車場に車を停めた二人連れに出会いました。幼稚園児とそのお母さんの二人連れです。 ま、そんなことは別に驚くに値しないことであります。しかし、私が仰天したのはその二人の服装でして。 まずお嬢ちゃんの方ですが、ピンクのレインコートを着ていて、そして手にはバスケットを持っているんです。で、その「バスケット」というのは、鮮やかな青色をした籐製の小さなピクニックバスケットなんですが、これを小さな幼稚園児がしっかと握っているのですから、何とも可愛いわけ。普通、幼稚園児の通園バッグというと、「○○幼稚園」なんてデカデカと書かれた黄色いビニール製の肩掛けバッグなんかが思い浮かぶわけですが、そういうのと比べると、このお嬢ちゃんの青い籐製のバスケットは、もうそれだけで「ハイソ」な感じがしましたねぇ・・・。実際、お嬢ちゃん自身も「深窓の令嬢(候補)」みたいな感じで物腰も優雅、「似合わない黄色の帽子を被ったうるさい洟垂れ小僧」的な一般の幼稚園児のイメージを越えておりましたよ。 しかし、このお嬢ちゃん以上に驚かされたのが、彼女のお母さんの方。だって、シチュエーションとしては、たかが幼稚園の送り迎えですよ。にも係わらず、そのお母さん(多分30代前半くらい)は、そのまま友人の結婚式に出られるかな、くらいドレッシーな装いだったんです。しかも、それが「入園式の時の親の装い」みたいな気負った感じではなく、「あーら、こんなの普段着ざます」的に着こなされているわけ。 なるほど。これが、勝ち組の通園風景ですか・・・。大体、動物の絵なんか書いてある通園バスなんかに詰め込まれて通園するのではなく、ドレッシーなお母様に車で送り迎えされていること自体、勝ち組っぽいんですけど。 で、あんまり印象的だったので、ついどこの幼稚園か地図で調べちゃいましたよ。すると、「聖マ○ア」みたいな感じの、「いかにも」な名前を冠した幼稚園であることが判明。ふーん、名古屋にもこういうハイソな幼稚園があるんだ・・・。ま、名古屋って、堅実な資産家が多い土地柄なんですけどね。 とはいえ、毎日、幼稚園の送り迎えするのに、あそこまでドレッシーに装わなくてはならないというのも、他人事ながら、疲れそうですなー! 我が家にはまだ子供がいないので、あんまり実感が湧きませんが、うちはその辺の幼稚園でいいかな、って感じです。 しかし、うちの近くにある幼稚園、制服が可愛くないんですよね。なんか変な緑色のセーラー服みたいな奴で、日本人のガキに似合わないこと甚だしい・・・。あれ、何とかならんのですかね。っていうか、そもそも幼稚園児に制服なんか必要なんでしょうか。必要だとしても、お揃いのTシャツみたいなので十分じゃないでしょうかね。一体なにゆえに、およそ似合いもしない水兵服をガキに着せなきゃいかんのか、経営者の見識を疑いますわ。 私が幼稚園の経営者だったら、「制服は特に必要ありませんが、ユニクロの服を着せて下さい」なんて言ってみたりするかな。それなら値段もそんなに高くないし、家で洗濯できるし、普段着にも転用できるし、ある程度のデザイン・色彩の共通性も持たせられるし。どうです、このアイディア? ・・でも、通園バッグについては、「青い籐製のピクニックバスケット」にしちゃうかも! 結局、粗暴でうるさくて洟垂れのガキンチョよりは、深窓の令嬢・令息タイプの方が好きなワタクシなのでした。ま、私自身、そんな感じでしたし・・・なんて言ってみたりして!
June 9, 2006
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先日、確かNHKの番組でだったと思いますが、かのモダニズムの建築家ル・コルビュジェが、年老いた両親のために建てた家を紹介していたのを見ました。1924年に建てられたその家は、小さいながらとても機能的に作られており、いかにも住み易そうなものだったばかりでなく、レ・マン湖のほとりという絶好のロケーションもあって、実に眺めのいい家でもありました。ル・コルビュジェというと、ピロティ付きのビルやアパートといった大型建築物のことがすぐに思い浮かぶのですが、そんな彼も初期には個人宅を、それも両親のための個人宅を、作っていたんだ、ということを知った建築好きのワタクシが、早速調査を開始したことは言うまでもありません。 で、ル・コルビュジェが両親のために作った家にまつわる思い出を、コルビュジェ本人が綴った本が邦訳されていることを知ったわけですよ。それがこの本、『小さな家』(ル・コルビュジェ著・森田一敏訳・集文社刊・1575円)でございます。 さて、この本、わずか85ページほどの本で、コルビュジェが描いた手書きのスケッチや家の見取り図、さらにその家の写真が沢山含まれているので、1時間もあれば読み終わってしまうようなものです。しかし、その内容はなかなか面白かった。 そもそもコルビュジェが両親のために建てた家というのが、本当にコンパクトな家で、南北4メートル、東西16メートルの細長い長方形をした建物なんですね。延べ床面積は54平方メートルといいますから、日本の2LDKくらいのマンションほどの大きさと言えるでしょうか。ま、庭を含めた敷地は300平方メートルあると言いますから、そこはちょっと羨ましいのですが、でも家自体としてはごく質素なものです。 でも、ル・コルビュジェの手書きのラフな見取り図や、実際の家の写真を見る限り、間取りが実によく考えられているんですね。何しろこの限られた空間の中に、居間・主寝室・客用居間兼寝室・収納庫(乾燥室を兼ねる)・洗濯室・クローク・キッチン・バスルームなどが配置されているのに、その配置の仕方が実に機能的かつよく考えられているので、54平方メートルの家とは思えないほどの広さ感が演出されているんです。また東西に細長い構造であるため、レ・マン湖を見下ろす南向きの居間の窓は長さが11メートルもあって、眺めも良く、室内も明るそうです。 でまた、この家屋は平屋建てなんですが、屋上には若干の土が盛られていて、そこに雑草が生い茂るよう、設計されている。つまり、この土と植物が天然の断熱材になっているんですな。最近、この種の建物緑化計画があちこちで話題になっていますが、ル・コルビュジェは1920年代の初期に、既に両親の家の設計で実行しているわけ。やはり優れた建築家というのは、時代を遙かに先取りしているもんです。 しかし、この本を読んでいて、私が一番「ほう!」と思ったのは、ル・コルビュジェの景観に関する概念でした。彼は、景観というものは、ある程度抑制され、区切られていた方が、そのスケールを体感できる、という考え方の持ち主なんですね。 先にも言いましたように、この家はレ・マン湖のほとりに建っていて、それを見下ろす11メートルの窓がある。ですから、普通であれば、南向きの窓には何の障害物も置かず、バーンと目の前にレ・マン湖の景色が見えるようにしたくなるじゃないですか。ところが、コルビュジェは、そうしないんですな。彼曰く、「四方八方に蔓延する景色というものは圧倒的で、焦点をかき、長い間にはかえって退屈なものになってしまう。このような情況では、もはや“私たち”は風景を“眺める”ことができないのではなかろうか。景色を望むには、むしろそれを限定しなければならない。思い切った判断によって選別しなければならないのだ。すなわち、まず壁を建てることによって視界を遮り、つぎに連らなる壁面を要所要所取り払い、そこに水平線の広がりを求めるのである」(22-24ページ)と言うわけ。 実際、彼はこの小さな家の南面の、湖を見下ろす庭にわざと塀を作り、あるいは植樹をしたりして、視界を遮るものを置くんです。で、その障害物があるところで途切れて、その途切れたところからだけ、レ・マン湖の景色が見下ろせるようになっているんですね。で、それがまた実に効果的に、いい眺めを提供しているわけ。 いやー。この考え方、すごいじゃないですか。実は今私が住んでいる家はマンションの9階で、眺めはすごくいいんです。しかし長年ここに住んでいると、その眺めの良さに逆に飽きるところがある。せっかくいい眺めなのに、何で飽きるのだろうと、私は常々疑問に思っていたのですが、ル・コルビュジェのこの一文を読んで、大いに納得するところがありましたよ。多分コルビュジェは、「人間は景色に飽きる」という事実に思い至り、それを解決するためにはどうすればいいか、熟考したのでしょう。 私はこの種の、人間の実感・実体験を踏まえた上で作り上げられ、練り上げられた英知というものに、惜しみない賞賛を与えるものであります。 また、もう一つこの本に関して私が感心するのは、この家の設計上の失敗点についても、コルビュジェが正直に綴っているところです。実はこの家には一部地下室が存在するのですが、その地下室がレ・マン湖の地下水位の影響で押し上げられてしまい、その圧力のために家が歪んで一部に皹が入ってしまった、というのですね。これは湖のほとりという立地条件のなせるものですが、まあ、失敗は失敗であるわけで、コルビュジェはそのことをちゃんと認めている。それもなかなか潔くていいじゃないですか。 とまぁそんな感じで、この本を読むと、小さいながらも住み易くて、しかも体感的に広々と使える家をどうやって設計するか、ということを考える上で、ヒントになるようなことが沢山あります。強いて言えば、掲載してある写真がもう少し良ければもっといいのですが、何しろ今から半世紀以上も前に出た本が元になっているのですから、そこまで要求するのは酷というものでしょう。 ということで、この「小さな家」にまつわる小さな本、教授のおすすめ!です。家を建てることに興味がある方、是非一度覗いてみて下さい。家を「住む機械」と定義し、無味乾燥なモダン建築を生みだした悪の元凶みたいに言われることもあるル・コルビュジェの、また別な側面が見えてくるかも知れませんよ!これこれ! ↓小さな家
June 8, 2006
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「学者たちよ、もっと楽しんで(大衆)小説を読もう!」という自らの呼びかけに責任を持つため、このところ細切れの時間を利用して行っている大衆小説リーディングの試み。その第一弾として選んだ『ペイトン・プレイス』ですが、先日、読み終わりました。500ページを越す小説ですが、さすがにベストセラーだけあって予想外に早く読み切ってしまいましたよ。 この小説、アメリカ北東部にある架空の小さな町、ペイトン・プレイスを舞台に、そこに暮らす人々にまつわるエピソードを描いたものなんですが、まあ一見、事件も何もなさそうなこの小さな平和な田舎町にも、詳細に見ていけば、あちこちに醜聞のタネが潜んでいる。英語には "a skeleton in the closet" (押し入れに隠した骸骨)という表現がありますが、どんな家庭だって、大なり小なり、公にできない秘密があるわけで、この小説はそういう押し入れの骸骨を一つ一つ掘り起こしながら、アメリカの「今、そこにある現実」に迫っていくという趣向なんですな。 といっても、作品全体を貫く心棒のようなエピソードもないわけではありません。たとえばアリソン・マッケンジーという名の内向的で精神的に不安定な少女が、様々な試練を経て、一人の作家になっていく過程を描いた大きなエピソードがあるのですが、そこの部分だけをとって見れば、この小説はこの少女を主人公にしたビルドゥングスロマンである、という風にも言えないことはない。 しかし、少し目を向ける方向を変え、アリソンの母親であるコンスタンスに注目してみれば、これはこれで作品を貫く大きなエピソードになっていることが分かる。若き日、大都会ニューヨークに憧れ、ペイトン・プレイスを飛び出したコンスタンスは、彼の地でとある男の愛人となり、アリソンを身ごもったものの、男に死なれてペイトン・プレイスに舞い戻って以来、アリソンが私生児であることを隠し続けてきたわけ。そういう人に言えない後ろめたさゆえに、娘のアリソンにも引け目があって、なかなか母娘の強い絆が築けないままになってしまっているんです。ましてや、ただでさえ多感なアリソンは、今や難しい年頃になっていますからね。ところが、そんなコンスタンスの前に、マイクという魅力的な男性が現れるわけですよ。さて、果たしてコンスタンスは自分の過去を清算し、娘のアリソンや新たな恋人・マイクと真正面から向き合えるようになるのか。そのあたりも、この小説の大きな見どころです。 そうかと思うと、アリソンの友達のセレナという少女を描いたエピソードでは、本物の「押し入れの骸骨」が出てきます。ペイトン・プレイスでも比較的裕福な階級に属するアリソンとは異なり、町外れの貧民街に住むセレナは、義父からの性的虐待という深刻な悩みを抱えているんですな。テッドという好青年と将来を誓いあい、幸福の絶頂にあった彼女は、父親にレイプされ、子供を身ごもってしまうという危機的状況に陥いるんです。ま、この時は正義感の強いスウェイン医師のおかげで非合法ながら中絶手術を行い、危機を乗り切るのですが、一度町を追われた義父が再び舞い戻ってきてセレナに迫ってきた時、ついに彼女はその義父を殺害してしまう・・・。しかし、もちろん彼女の犯行は後に曝露され、裁判が行われることになります。果たして彼女はこの状況を乗り切れるのか? また将来ある青年テッドは、殺人者であることが判明したセレナを妻として受け入れる覚悟があるのか? かつて非合法の中絶手術をしてセレナを救ったスウェイン医師の運命は? そのあたりも、この小説の大きな見どころです。 その他、あまりに偉大な父親を持ってしまったがために、父親と比べられるのが嫌さに世捨て人的な新聞発行人になってしまったセスという男の話とか、社会的地位の上昇をもくろみ、婚約者を金持ちの爺さんと結婚させ、その遺産をせしめてから夫婦となった強欲なカード夫妻の話、戦争に招集されたマザコン息子ノーマンが戦地でノイローゼとなり、内地に送り返されてきたのを隠すため、息子は名誉の負傷を負って帰国したというシナリオを作り、あくまでその振りを続けるペイジ夫人の話、町の人々の反感を買いながらもドラ息子の兵役逃れをお膳立てしてきた町の有力者レスリー・ハリントンが、そのドラ息子の放蕩の末の事故死をきっかけに勢力を失っていく話、などなど、作者であるグレイス・メタリアスは、このペイトン・プレイスに住む住人の一人一人についてその過去を暴き、また住民同士の間の様々ないざこざや対立を描いていくわけ。こんな小さな町にも宗教的な対立があり、金を巡るトラブルがあり、町会における勢力争いがあるんですな。 と、こう書くと、何だかこの小説に描かれるエピソードのすべてが暗く、センセーショナルな話ばかりのようですが、必ずしもそういうものでもなくて、ま、こういうことはどこにもあるよな、と思えるようなエピソードが大半ですから、読んでいて気が重くなるようなことはありません。むしろこの小説は、アメリカの小さな田舎町を舞台にした「人間喜劇」だ、と言った方が、実際の読後感に近いですかね。ま、アメリカには、こんな感じの「(田舎)町小説」の伝統があるんですよ。たとえばシンクレア・ルイスの『本町通り』、シャーウッド・アンダスンの『ワインズバーグ・オハイオ』、ジョン・スタインベックの『天の牧場』『キャナリー・ロウ』『トルティーヤ・フラット』なんかも、そんな感じです。 ちなみにこの作品、1956年にオリジナルが出た翌年、1957年に「デル」という出版社からペーパーバック版が出版されたのですが、このペーパーバック版の方が売れて売れて、アメリカ・ペーパーバック出版史上初のミリオンセラーとなったんです。で、この作品ともう一つ、フランスの作家サガンの『悲しみよ、こんにちは』がやはりデル社から出版され、同じくミリオンセラーとなったことによって、ペーパーバックの世界では、ミリオンセラーの出版ばかりを重視する出版姿勢、いわゆる「ブロックバスター・コンプレックス」と呼ばれる現象が起こり始める。その意味で、この『ペイトン・プレイス』は、アメリカ大衆文学史上、重要な作品でもあるんですな。 ま、そういう重要な作品と知りつつ、今までそれを読んでこなかった私も怠慢ですが、とにかく今、そいつを読み終えたわけですから、何となく一つ、肩の荷が下りたような気もしています。 しかし、やっぱり面白いですね、大衆小説。私は今回の経験に味をしめ、これからも毎日、たとえ10ページなりとも、大衆小説を読み続けていく所存でございます。ちなみに、私が読んだ『ペイトン・プレイス』は、アメリカの古本屋で1ドル95セントで買ってきたデル版ですが、たった2ドル弱で2週間ほどは楽しめたのですから、読書というのは金のかからない娯楽ですな。 ちなみに、私が大衆小説リーディング第2弾として選んだのは、レイモンド・チャンドラーの『Farewell, My Lovely』という作品。ご存じの方はご存じの、「フィリップ・マーロウ」という私立探偵が活躍するハードボイルドものですわ。同じくハードボイルドものを書いたダシール・ハメットの作品はあれこれ読んだことがあるのですが、チャンドラーは今まで何となく敬遠していて、読むのはこれが初めてなんです。実際に読んでみると、この手の小説は隠語の類がやたらに使われているので、案外読み難い・・・。でも、展開は早いので、面白いことは面白いですよ。 というわけで、「楽しみのために本を読む」という、読書の原点に久々に立ち戻ることができて、このところ何だかワクワクしているワタクシなのでした。今日も、いい日だ。
June 7, 2006
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夕べ、スティーヴン・キング原作、ジョニー・デップ主演のサスペンス映画『シークレット・ウィンドウ』を見ました。 で、結論から言いますと、私の印象批評で53点、落第ですーー。 『シークレット・ウィンドウ』は「モート」という名の作家が主人公なんですが、この作家、半年ほど前、奥さんに浮気され、相当な精神的ダメージを負ったばかりか、現在その妻と離婚協議の真っ最中で、精神的にかなりまいっているわけ。しかもこのところ思うように筆が進まなくて悩んでもいる。と、そこへ突然、強い南部なまりの謎の男が現れ、モートに対し、「俺の短篇を盗作したな!」と言いがかりをつけてくるんです。 で、実はモートにはどうやら過去に盗作沙汰が一度あったらしいのですが、今回に関してはそんな言いがかりをつけられる覚えはない・・・。しかし、この謎の男は執拗にモートにまとわりつくんですね。しかも「本気であることを示す」ために、モートが可愛がっていた老犬を惨殺したり、かつてモートと彼の妻が暮らしていた家に火をつけたりする。もちろんモートは警察に届けるのですが、地元の警察は、どういうわけか、あまり親身に取り合ってくれない・・・。 そこでモートは、以前にも一度利用したことのある屈強な私立探偵に対処を依頼し、一種のボディーガード役を頼むんですな。彼なら、少々乱暴な手を使ってでも、モートにつきまとう偏執狂的な謎の男を追っ払ってくれるだろうというわけです。しかし、残念ながら謎の男は、この探偵もあっさり惨殺してしまう。 で、自分を守ってくれるものすべてを失ってしまったモートが謎の男に、一体どうすればつきまとうのを止めてくれるのかと尋ねるんです。すると、男は「お前が盗んだ短篇小説の結末部を、オリジナルバージョンに戻せ」と言うわけ。 でまた、その当該の短篇小説というのが、まさに「妻に裏切られた夫」の話なんです。で、謎の男が主張するオリジナルバージョンでは、主人公は自分を裏切った妻を殺し、妻が大事にしていた花壇に埋める、という結末になっている・・・。 さて、ジョニー・デップ演じるモートは、男の要求を飲んで小説を書き直すのか。それとも、既に段々頭がおかしくなってきて、現実と空想の区別が付かなくなってきたモートが、小説を書き直すのではなく、彼を裏切った妻を殺し、花壇に埋めることによって、現実の上で謎の男の要求を飲むことにするのか。さあ、どうなる、どうなる! とまあ、そんな映画です。 ま、粗筋だけ見ると、そこそこ面白そうでしょ? しかし、実際はじぇーんじぇん面白くないです。劇中の見所のすべてが、スティーヴン・キング流のクリシェなんですもん。精神的・物理的な閉塞状況、得体の知れない男の登場、強い南部なまり、身に覚えのない理不尽な糾弾、味方になってくれない警察、頼るべきものの喪失、そして超自然現象とそれを引き起こす主人公の狂気。これらすべての要素は紛れもなく「キング映画」の得意技でありまして、それが恥ずかしげもなく次から次へと出てくるものだから、既視感ばりばりです。ことさらに言いたくないですけど、主人公の「モート(Mort)」って名前だって、どうせ「mortal」(死すべき、死に至る、殺さずにはおかない)という言葉を連想させようっていうんでしょ? 古い、古い。家内は映画が始まって10分で結末が見えたそうですが、それもむべなるかな、というところですわ。 でまた、ジョニー・デップがねぇ・・・。本編後の「メイキング」を見ると、この映画に関してはキャスティングがすごくうまくいったと監督が得々として語っていましたが、私は「主演:ジョニー・デップ」で良かったのかどうか、すごく疑問です。『ギルバート・グレイプ』時代の、内向的な青年を控えめに好演していた頃のデップならいざ知らず、このところすっかりハリウッド臭が身に付いてしまい、また『パイレーツ・オブ・カリビア』等々でコミカル路線の演技も板についてきてしまった現在の彼が、今更「苦悩し、狂気に陥っていく作家」を演じても、あまり説得力がないんだよなー。 それに、「苦悩し、狂気に陥っていく作家」を描くキング映画なら、ジャック・ニコルソンが主役を演じた、あのコワイコワイ『シャイニング』が既にあるじゃないですか。『シャイニング』を見てしまった映画ファンにとって、『シークレット・ウィンドウ』は、まさに噴飯ものでございます。とても合格点などあげられまへん。 ってなわけで、この映画見てつくづく思いましたね、この先スティーヴン・キングものは見なくてもいいかな、と。もう終わってるんじゃないでしょうか、キング映画。ま、私は最初からさほど好きではありませんでしたが。 それからジョニー・デップ・・・。私としては贔屓の俳優でもあり、また実際、人間としても俳優としても非常に魅力のある人らしいですが、このところどんどん評価が高まるにつれて、作品に恵まれなくなってくるような気がします。また最近の彼は、自分の出演作の中で、衣装の選択から芝居の仕方に至るまで、次々と独自のアイディアを監督に提示し、自分なりの解釈をしきりに作品に持ち込もうとするようですが、果たしてそれが奏功しているのか、私には疑問です。彼はただの俳優なんですから、一度初心に戻って自分を抑え、将棋の一齣として監督の言うなりに演じる心がけも必要なんじゃないかな、なーんて言ってみたりして。 というわけで、『シークレット・ウィンドウ』は、過去の呪縛から逃れられず、創作力の衰えに苦悩する作家の恐怖を描いた映画というよりは、過去の作品の二番煎じしか作れず、独創的な新作が作れない現在のハリウッドの危機を如実に示す形になった、典型的な駄作映画だったのでした。もう、「さようなら~!」って感じですね。
June 6, 2006
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今日の新聞の賑やかなこと! 豪憲君事件の被疑者・畠山某逮捕、村上ファンド代表・村上世彰氏の逮捕、そして盗作疑惑の和田氏の芸術選奨返上(剥奪)、等々・・・。 ま、それぞれの事件に関連はないですけど、しかし、少なくとも最初の2つの逮捕劇に関しては、色々思うことがあります。 つまりこの2つに関して興味深いのは、これらの事件の成り行きについて、随分前から予想出来た、ということです。だって、インターネット上のニュースを見たり、新聞に掲載された雑誌広告をちらっとでも見れば、いやでもそういう情報が目に入ってきてしまいますから・・・。実際に逮捕が現実となり、それが公式に報道されるよりもずっと前から、上に示したような情報ソースを通じて、そうなることが一般人たる我々にも分かっていたということ・・・こういうのは、まあ、情報化社会の当然の帰結なのかも知れませんが、それにしても・・・何だかちょっと妙な感じはしますね。 たとえば、同じく今日の新聞に載っていた雑誌広告を見ても、「天皇は知らないが、すでに担当医は確認済み 紀子妃第3子は男の子」などと書いてある。これが本当のことなのか、デマなのか、私には興味がありません。しかし「天皇は知らない(が、我々は知っている)」ということ自体、おかしいじゃないですか。 このところ「個人情報保護法」とやらのおかげで、社会生活の上で様々な不都合が生じています。が、その一方で、「どうやらあの事件は誰々が犯人らしい」「あの人は明日逮捕されるらしい」「誰々さんのところの次のお子さんは男の子らしい」などという、それこそ大層な個人情報が、ノーチェックで垂れ流されていることについて、誰も何も言わないのでしょうか? 私は、どうもその辺、世の中、おかしいんじゃないかと思います。そんなこと、事前に一般公開すべきじゃないですよ。他の場合はいざ知らず、少なくとも今回の秋田の事件や村上氏逮捕の件、あるいは紀子妃第3氏の性別についての情報は、単にゴシップ的な価値しかないと思う。それをわざわざリークするのは、マスコミのあり方として下品だと思いますね。 とまあ、私はそう思うのですが、さてさて、読者諸賢のご意見や如何に。 ・・・え? 何ですって? そんな下司な報道、読まなきゃいい、ですって? そ、そうか・・・。・・・ですよね~!
June 5, 2006
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広辞苑で「こうせん」をひくと、まぁ際限もなく色々な言葉が出てきます。口占・口宣・口銭・工専・公選・交戦・交線・光線・好戦・黄泉・鉱泉・・・。しかし、今日私がおやつに食べたのは、漢字で書くと「香煎」と書く奴。別名「はったい」「麦こがし」ですね。 ・・・なーんて、知ったかぶりして書いていますけど、実は私、つい1週間前まで「香煎」という言葉も、「はったい」という言葉も、まったく知りませんでした。ま、「麦こがし」と言われれば、「なんか聞いたことある!」という感じはしますが、それが実際にどういうものであるか知っているのかと問われれば、やっぱり知らないと答えざるを得なかったですねぇ。 しかし、先日ブログ仲間のマイクさんのお宅に遊びに行った際、マイクさんが最近この「香煎」に凝っていらして、朝食代わりに食べていらっしゃると聞き、またその話のついでにその実物も一袋いただいてしまったので、否応なく興味を持たざるを得なくなってしまったんです。 さて、ある程度お歳を召した方なら常識としてご存じなのかも知れませんが、私よりも年下の方は、おそらく「香煎」の何たるかをご存じない方も多いと思いますので、一応説明しておきましょう。香煎というのはですね、簡単に言えば、大麦を炒ったものを挽いて粉にしたものであります。見た感じ、きな粉よりもやや粒子が荒目で、茶色味の濃い粉、と言えば、何となく感じが掴めるでしょうか。 で、この香煎、どうやって食べるかと言いますと、一番ポピュラーなのは、砂糖を少し混ぜ、お湯をかけて練る、というもの。つまり「蕎麦掻き」の甘い版、ですな。最近ではミルクや豆乳に混ぜて飲む、という方法もあるらしく、きな粉と同様、健康食品として注目されているのだそうです。 でも、ものの本によると、これ以外に「はったい餅」という食べ方もあるようで、これは香煎の粉を水(ないしはミルク)で練ったものを茹でて、白玉みたいにして食べるというもの。ふーん、こいつはちょっとうまそうじゃないですか。 ということで、今日の夕方のおやつタイムに、この「はったい餅」を試してみたわけですよ。 ちなみに、以前このブログにも書きましたが、私は「白玉」っちゅーものが大好物で、自分でもちょいちょい作って食べることがあります。ですから、それと同じように作ればいいというのなら、わけもありません。ちゃちゃっと練って、ちゃちゃっと茹でればいいのでしょ? で、本に書いてある通り、香煎の粉に少量の砂糖を混ぜ、ミルクを加えて練り始めたわけですよ。しかし・・・うーん、どうも嫌な予感。何だかコーヒーの粉を練っているような感じで、ちっとも粘りが出て来ないんです。ほんとにこんなのでちゃんと団子になるのかしらと思いつつ、練ったものをお湯に落とすと・・・ありゃりゃ、やっぱりダメです。どんどんお湯に融解してしまう。団子になってくれません。 で、これはどうしたものか、と、しばし途方に暮れた挙げ句、仕方がないので、香煎の練り物に小麦粉を混ぜてみることにしました。小麦粉のグルテンで、ばらばらの香煎粉にまとまりを与えようという作戦。実際にやってみると、今度はなかなか良さそうです。茹でてみても、今度はちゃんと団子状のものができました。ひゃー、良かった、良かった。 で、完成した「変則はったい餅」を皿に盛り、白玉を食べる時のように小豆のアンコをのせて食べてみたところ・・・ ・・・ビミョ~! うーん、ま、味自体はそれほどまずくはないんですが、食感が・・・。「モチッ」でもなく「ツルッ」でもなく、「ザラッ」みたいな・・。しばらく家内と無言で食べていたのですが、「これ以上食べたら、確実にお腹を壊すな」という確信みたいなものが生じてきた時点で、二人とも文字通り「匙を投げ」ました。マイクさん、ゴメンなさい! 食べ方を間違えました! やっぱり「香煎」というのは、オーソドックスに「蕎麦掻き」風に食べるのがよろしいようでございます。聞くところによると、そうやって食べれば、香煎というのは栄養のつまった「完全食品」ですから、身体にはいいらしいですよ! ということで、今日は料理の腕自慢のワタクシにしては珍しく、大失敗の巻だったのでした。ま、こういうこともありますわ。自分にドンマイ、ドンマイ! ところで、今日は久々に週末アフィリエイトと行きましょう。「教授の鞄」を刷新しました。今回は「地球の歩き方・キャリーバッグ」や鴻池製作所の極軽量ボストン、そして「ラガシャ」のトートバッグなど、どちらかというと出張・旅行向けのアイテムを入れておきました。そちら方面、興味のある方はぜひ覗いて見てくださいねー。ここからどうぞ! ↓教授の鞄
June 4, 2006
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昨日買い物に出たついでに買ってきた白洲次郎の『プリンシプルのない日本』(新潮文庫)を、今日、仕事の合間にパラパラと読み始めました。 白洲次郎・・・。最近、というか、ここ数年といった方がいいのか、彼についてマスコミがさかんに取り上げるようになってから、急に人気が出てきた観があります。まあ何と言っても、まずその日本人離れした容姿がカッコいいですからね。また戦前の、まだ日本が貧しかった時代にイギリスのケンブリッジ大学に留学したというのもカッコいいですし、さらに神戸の実業家であった父親の巨万の富を背景に、あちらの貴族の子弟たちと肩を並べて洒脱に遊び回っていたというのも凄い。 しかし凄いといえば、その後の活躍がまた凄いですよね。第2次世界大戦前には日米開戦の避け難きを予言し、戦争が始まるや今度はいち早く日本の敗戦を予知。まだ若い盛りなのにあっさり都会暮らしを放棄して、東京郊外にある鶴川村に隠遁すると、その地で農作業に没頭。かくして戦争中の食料難を軽やかに乗り切って見せたというのですから、その明敏たるや只者じゃ、ありません。 そして戦後は吉田茂首相を助けて戦後処理にあたり、GHQと対等に渡り合ったばかりか、時にはマッカーサー元帥の無礼を叱り飛ばすという快男児ぶりを発揮。後には吉田首相に随行してサンフランシスコ講和会議の準備に奔走し、一時は通産省のトップとなって日本の経済復興を指揮するも、復興が軌道に乗ったと見るやさっさと官職を辞して、東北電力など民間企業各社の経営に大所高所から携わりつつ、ポルシェを乗り回し、ゴルフなどして遊び暮らしたというのですから、まさに男としてこういう生涯を送ってみたいと思わせるようなことをすべてやっているところがある。 そんな白洲さんですが、たまたま私の実家が、彼が隠遁していた鶴川のすぐそばにあり、彼の家であった「武相荘」にも何度か足を運んだこともあるもので、私も白洲次郎の何たるかは、一応前から知ってはいたんです。武相荘の白洲さんの書斎というのが、これが実にいい書斎でね。書棚を背に、緑豊かな庭を眼前にしながら、掘炬燵式になった机に陣取ると、ほんと、落ち着く感じがするんですよ。 しかしその一方で、私が白洲次郎という人にすごく共感してきたかというと・・・実はそうでもないんだなー。どうも、様々な本を通して見えてくる彼の人物像からすると、直情的で裏表のないやんちゃ坊主ではあるのでしょうが、そういう行動の人だけに、人間的な深さというのがどのくらいあった人なのか、よく分からんのですよ。強く、優しく、いい人ではあるが、人間のことを深く考えようとした人ではないのではないか、という気がするんです。そういうのは面倒くさいと思っていた人なんじゃないか、と。 そういう「ドライ」なところこそが日本人離れしていていいんだ、と言われれば、その通りだと思います。が、それにしても、ね・・・。白洲さんのそういう割り切ったところに私が若干の反発を覚えるのは、単に私が「ウェット」過ぎるのかも知れませんが。 もっとも、私が白洲さんを絶賛するのを幾分留保していることには、これまで白洲さんについて書かれた本ばかり読んできて、白洲さんご自身が書いた文章を読んだことがないということもあると思うんです。ですから、つい最近、新潮文庫から『プリンシプルのない日本』という彼の著書が出たのを知って、とりあえずこいつを読んでみるかと思い立ったのも、私の中ではごく当たり前の成り行きなんですな。 さて、前置きが長くなりましたが、実はこの本、まだ読み始めたばかりで、結論的なことを言うだけの準備がまだないんです。しかし、それはそれとして、最初の数十ページを読んだだけでも、興味深いところの多い本だと感じます。 たとえば、最近でこそ「風の男」などと呼ばれて人気の高い白洲さんではありますが、吉田首相の右腕として活躍していた頃は、必ずしも人々からよく思われていなかったらしい、ということも、この本を読んで初めて知りました。どうやら「白足袋宰相の茶坊主」というのが、当時の白洲さんに対する一般の評価だったらしいんですな。また直情径行の人で、相手構わず直言するものですから、世のエライ人たちからも相当睨まれていたらしい。ろくに肩書もないのに、首相の腰巾着というだけででかい面してる、と思われていたのでしょう。 一見すると、何だかお金持ちのボンボンが好きなことをやっただけのように見えて、やはり彼の生涯にはそういう意味での逆境時代が色々あったんですな。それでも、きっとそんなことを意にも介さず、じゃんじゃんやるべきことをやったのでしょう。うーん、やっぱり、カッコいい人ではありますね。それは認めざるを得ない。 しかし、そういうことよりもむしろ今回私が感心したのは、彼の回想録の書きぶりですね。これがまた、いかにも彼らしく、自分が何をやったか、ということはほとんど書かずに、その時、人が何をやったか、ということばかり書いてある。で、その書き方がまたあっさりしていていいんだ。 たとえばサンフランシスコ講和の時の回想では、吉田首相の演説のことに触れ、「総理はなぜ日本語で演説したかという理由については、こまかいことは知らないが、英語でやるか、日本語でやるかを、前からはっきりきめていたわけではない。演説の草稿は英語で書き、それを日本語に直して演説したのだ。だから、議場で演説と同時にイヤホーンで放送したのは、その草稿の英文だった」などと書いてある。占領時代の終結を迎えた独立国日本が、その記念すべき演説を自国の言葉で行わないなんてことがあるか! と激怒し、ことの直前になって吉田首相に日本語での演説を半ば強要、夜を徹して英語の草稿を日本語に直したのが白洲次郎その人であることは、歴史的事実として今ではよく知られているわけですが、そういう自分の関わりについては彼は一言も言わないわけ。その辺が、なかなかいいじゃないですか。 それでいて吉田首相についてはこんなふうに書いている・・・: 「調印の時も、演説の時も、総理の態度は本当に立派だった。その姿を見ながら、総理はやっぱり昔の人だなという感じが強かった。昔の人はわれわれと違って、出るべきところに出ると、堂々とした風格を出したものだ。総理が、自分のポケットからペンを出してサインしたのも、いかにも一徹な総理らしかった」(41ページ) ね、この一文だけでも、我々読者の、吉田首相に対する見方がいい方に変わってくるような気がするじゃないですか。「昔の人」か・・・。いい表現ですなあ。 それから、さすがに歴史上の大舞台を直接見てきた人だけに、「そうだったのか!」と思わされることもしばしばです。たとえば同じサンフランシスコ講和会議の回想録で、各国全権の品定めをしているところも面白い・・・: 「会議を通じて、印象に残ったのは、まず第一にアチソン長官の名議長振りだった。じつにスムーズに議事を進めていく手際はたいしたものだ。第二は、ダレス全権の演説だった。ソ連のグロムイコ全権に対する反駁などは、いかにもアメリカ人気質丸だしの率直さで、好感が持てた。議場での演説のうちで、言葉といい、調子といい、態度といい、非常に感心したのはフランスのシューマン全権だった。また演説の内容が終始日本に好意的だったのはルクセンブルグだった」(41-42ページ) ルクセンブルグが終始日本に対して好意的な演説を・・・。そうだったのかぁ・・・って気がしますでしょ? その他、あの講和会議がどのような雰囲気の中で行われたかということは、実際にその場にいた人物の口から語られて初めて分かるわけですから、白洲さんの書かれていることには、いちいち説得力があります。 とまあ、そんな感じで、まだ全部読み終わったわけではありませんが、何だか色々勉強になるし、読んでいて不思議と気分が良くなってくる本ですよ。また、本書のところどころに挟まれる「注」が面白くて、時々「へぇ~!」っと思わされることがあります。たとえば岩手県に「小岩井牧場」という有名な牧場がありますが、あの「小岩井」というネーミングは、彼の牧場を作った小野義真(日本鉄道会社副社長)・岩崎弥之助(三菱社長)・井上勝(鉄道庁長官)の三人の名前の頭文字から取った、なんて、この本を読んで初めて知りました。 ってなわけで、この白洲次郎著『プリンシプルのない日本』という本、私もしばらく楽しみながら読むことができそうです。その意味で、本書を、白洲ファンの方にも、またそうでない方にも、おすすめしておきましょう。週末の読書に、ぜひ!これこれ! ↓プリンシプルのない日本
June 3, 2006
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今日は大学がお休みだったので、お昼、家内とマクドナルドで済ませました。食べたのは「サラダ・マック」シリーズの主力、トマトグリルチキン・サンド。で、お味は・・・ う、まーーーーい! チキンは脂肪の少ないムネ肉を使ってあるんですが、ムネ肉って、何となくパサパサしたイメージがありますよね。でも、それがジューシーに仕上がっているんですなぁ。そしてレモン風味のソースがまた爽やかに食欲を増進させてくれて、マックの新機軸としては久々のヒットじゃありませんかね。もう一つの主力商品たるチキン入りサラダもボリュームがあっておいしかったし、もう一度、食べに行ってもいいかなと思わせてくれるおいしさでしたよ。いやー、私は普段、あまりマックを利用する方ではない(「ハンバーガーならモス!」派なもので・・・)のですが、「サラダ・マック」に限っては、自信を持って「教授のおすすめ!」です。 さて、マックですっかり満足した我らがその後向かったのは、「Bo Concept」というお店。既に日本に17店ほどが上陸したデンマークのインテリア・ショップです。そこそこリーズナブルな値段で、北欧デザインの家具を買うことができるので、前々からしばしば出没しては目ぼしいものをチェックしてあったんですね。 で、今回我々が購入したのは小型のチェスト。Bo Concept では「ナイトスタンド」と呼んでいるようですが、要するにベッドサイドに置いて物入れにしたり、ランプを置いたりするのに使う小型のタンスです。一段の引き出しの他に雑誌などを放り込んでおけるスペースもあるので、寝ながら本や雑誌を読む習慣のある私にはうってつけ。値段も3万5千円ほどですから、それほど高い買い物でもありません。 ただ、我々が買おうと思った品は、日本に在庫がなかったので、結局デンマークから直接取り寄せることになってしまいました。実際に手に入れられるのは8月の終わりか9月の終わりになるのですって・・・。でも、ま、別にいいです。今すぐに必要というほどでもありませんのでね。 それにしても、最近、この手の外資系のインテリア・ショップが増えてきましたね。先日も世界的に名の知れた巨大インテリア・ショップ「IKEA」が日本上陸を果たしたようで、ニュース番組などで盛んに取り上げられていました。外国制の家具というのは、やはりデザインが洒落ていて、しかもそれほど高くはないですから、もっとどんどん日本に入ってくればいいのに、と思います。 ちなみに、今のところ日本に進出したインテリア・ショップには北欧系のものが多いようですが、アメリカだってお洒落なインテリア・ショップは沢山あるんですよ。たとえば「ポッタリー・バーン」とか「クレート&バレル」なんてチェーン店には、趣味がよく、しかも値段がリーズナブルな家具が山ほど置いてありますし、それにキッチン・ツールであれば「シュール・ラ・ターブル」とか「ベッド・バス&ビヨンド」などのチェーン店がある。これらは、まあいわば日本のホームセンターみたいなもんですが、置いてあるものがどれもこれも、つい欲しくなってしまうものばかり。そういえば一度「クレート&バレル」でいい感じのガラス・テーブルを見つけ、それがわずか5万円ほどだと知り、思わず「これ、日本まで送ってくれません?」と店員さんに尋ねたこともありましたっけ。海外への輸送はコンテナ単位でないとダメと言われて、泣く泣く引き下がりましたが・・・。 「国際社会」だなんて言ったって、まだまだ外国の「いいモノ」で日本に入ってきているものなんて、ごくわずかなんじゃないですかね。その意味で、誰か目の利く人がそういういいモノをじゃんじゃん輸入してくれると嬉しいのですけど。とりあえず私としては、上記の「クレート&バレル」の日本上陸を熱望するな。 それから、ついでにマックよりもよっぽどおいしいハンバーガーを出す「バーガーキング」のより大規模な進出も望んでおきましょうか。あ、あとメキシコ系のジャンクフード・チェーン、「タコベル」ももっと大規模に上陸して、タコスやブリトーなどが日本でも気軽に食べられるようになって欲しい! ま、結局、最後はまた食い物の話になっちゃうんですけどね!
June 2, 2006
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いよいよ始まりましたね、新しい駐車違反取締法。ニュースでも盛んに取り上げられていましたが、どの局も取締官と違反者の間のいざこざの絵が欲しいので、きっと取材するのも大変だったことでしょう。取締官にぴったり同行して、トラブルが発生するまで粘らなきゃいかんわけですからね。しかし、カメラが回っているのに、これ見よがしに取締官に食ってかかる奴の気が知れないなあ。 ちなみに、この新しい取り締まりのシステムに対して、私はさほど敵意は持たないんです。スピード違反を「鼠取り」で取り締まられるより、よっぽどいい。というのは、私は基本的に駐車違反はしない主義なので、どういう厳しいシステムが導入されても、取り締まられるはずがありませんからね。一方、見通しがよく、幅も広く、ガードレールなどによって歩道がしっかりガードされている道で、周囲の車の流れに合わせながら若干のスピード違反をすることはままある。で、それを「鼠取り」で取り締まられるのはたまらん、と思うんです。その場合は制限速度の決め方が悪いんですから、違反者を取り締まるより、制限速度の方を変えるべきなんだ。 というわけで、私は基本的にこの新しい駐車違反取締法に難癖をつける気はないし、多分、このシステムの導入で違法駐車は劇的に少なくなるだろうと思います。罰金30万円になってから、酔っぱらい運転が激減したように。 しかし、多くの方が指摘されているように、そもそも駐車場が少なく、しかもその料金が異様に高い現状の中で、ここまで厳しい取り締まりをすることに問題が無くはないですよね。せめて業務用の青ナンバー車くらいは、特例として大目に見てもいいんじゃないかと思うのですが・・・。 大体、こんな厳しい取締法を作って駐車違反の取り締まりを強化すること自体、日本の道路行政がなってないことの顕れなんですよね。車社会の現実を是認する以上、インフラをもっときちんと整備しなくちゃ。車ってのは、道路を走るばかりではありません。目的地に着いたら駐車しなきゃならないんです。そんなの当たり前のことですわ。だから、道路の一番歩道よりの部分は、すべて駐車可にするべきなんですよ、本来。 と、ここで国土の広いアメリカを例に出すのはいかんのかも知れませんが、アメリカはまさにそうなってます。彼の国では、基本的に車は道路脇に停めていいんです。というか、もともとそこに車を停めるようなっているわけ。ただ、繁華街や幹線道路に関してはパーキングメーターが備えつけてあって、若干の駐車料金を支払うことになっているんですね。しかしその料金は微々たるもので、25セント、すなわち30円くらい払えば、30分くらいは停めておけます。またショッピングモールなどに付随する管理駐車場だって、最初の1時間くらいは買い物をしてもしなくても無料、というところが多い。 いやー。駐車料金なんてそんなもんでしょう。日本みたいに1時間停めたら500円も600円も取られるなんて、そっちの方が犯罪だ。 ま、国土の狭い日本のすべての地域でそれをやれ、というのは無理かも知れませんが、少なくともこれから作る道路に関しては、車が路上駐車できるようにしておいて欲しいもんですな。で、もしそれができないと言うのなら、国の責任で地域毎に巨大な、そしてリーズナブルな料金設定の地下駐車場を作るとかね。今回の厳しい取締法の施行で違反者から罰金をじゃんじゃん巻き上げて、それをそっくり「国営大駐車場構想」の実現に使ってもらいたいもんですわ。 とにかく、50年先のことを考えて道路行政やってもらいたいもんです。・・・ま、そうは言っても無理なんだろうなぁ。政治家も官僚も、自分の任期のうちに何をやるかしか考えてないですもんね。郵政民営化だけにこだわった小泉さんみたいに、道路行政だけに情熱を燃やす、そんなヘンテコリンな政治家が現れるのを待つとしますか。
June 1, 2006
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