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「もう一つの北欧映画祭」3作目はアイスランド映画。予備知識なしに観たので前半は意味がよくわからなかったが、途中でこれは実話を再現した映画だと気づき、それからはがぜんおもしろく観た。アイスランド沖で漁船が沈没。北大西洋の冷たい海に投げ出された乗組員6人はつぎつぎと息絶えていく。しかし、凍てつく海を6時間も泳ぎ続けたひとりの乗組員が「奇跡の」生還をする。1984年ごろ実際に起こった事件を(たぶん)忠実に再現したものであることは、エンドロールの間にこの事件の生還者の実際のインタビュー映像がはさまれることからわかる。前半の遭難からのサバイバルを描いた映像は秀逸。真っ暗な場面がほとんどなので館内自体も暗がりの沈む。その中での海との格闘劇は迫真そのものだ。しかしこの映画の価値は後半にある。奇跡の生還劇を果たしたこの漁船員は国民的英雄になるが、自分ひとりだけ生き残ったという負い目もある。映画のタイトル「ディープ」にあるように、この映画の深さはこの後半に示されている。こういう映画こそ映画館で観なくては真価がわからない。前半の苛酷なサバイバルと後半の重い帰島の両方がまさに自分自身の体験だったかのような気がしてくるのには、バルタザール・コルマウクルといういささかおぼえにくい名前の監督の実力が表れている。
September 30, 2013
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日本では未公開、しかし各国の映画祭で高く評価されたというデンマーク映画。この映画は、リーダーはどうあるべきかという非常に重要な問題を突きだしている。多数決民主主義が正しいと思っている多くの日本人には無縁の映画であり、札幌の蠍座以外で劇場公開されないゆえんだろう。冒頭では海運会社の社長と日本企業との間で価格交渉が繰り広げられる。シビアかつ巧妙な交渉で譲歩を引き出し、破格の価格で合意する。私情をはさまないクールさは、やり手ビジネスマンとはこういうものかと思わせるものがある。その海運会社の船がインド洋で海賊にシージャックされる。社長は武力を使った解決策をとらず、できるだけ身代金を少なくする直接交渉を決断し、電話とFAXによる長期間のかけひきが繰り広げられていく。船員たちは極限状態に近づいていき、問題の早期解決を要求する役員たちも造反の動きを見せていく。途中までは、ビジネスにおける価格交渉と、人質の身代金の価格交渉をパラレルに描くことで、この社長のクールさを問題にしようとした映画かと思った。しかし、見終わったとき、ラストはけっこう苦い結末ではあるものの、リーダーたるものこうでなくてはならないというお手本を見せられたような気になった。誰にも頼れず、誰にも相談できない。いや、相談したとしても決断するのは自分だし、すべての責任は自分にある。これは経営者や組織の長に限らず、すべての個人が身につけるべき規範だと思う。何かのせい、誰かのせいにしたり、「多数決」に逃げる人間がどれほど多いか。その点、この社長は、外部のプロに相談はするものの、そのアドバイスのすべては採用しない。最も肝腎なアドバイスを受け入れず、自分で決断していく。蠍座における「もう一つの北欧映画祭」三作のうち二作目のこの作品にも、アンチ・フェミニズムを感じる部分がある。ひたすら動揺し嘆くだけの船の料理人の妻、そして社長の決断と行動の重みを理解せず表面的に優しいだけの社長夫人の描き方にそうした要素を感じるのだ。昔のハリウッド映画などでは、極限状況や危機的状況においては女性がいかに感情的で論理的な行動をとれないかが執拗に描かれることが多かった。日本の落語にも多いが、女性差別的な芸能の代表が落語や映画だった。しかし、現実には女性の「感情の豊かさ」や「優しさ」は問題の解決には役立たないどころか、むしろ害悪であることの方が多いことを知ると、この2本の「北欧映画」にはリアリティを感じる。もちろん、極限状況における優越が日常的な世界においては逆である場合が多いことは念じておかなくてはならない。自分がこの社長だったらどうしていたか。そう考えることのできない民主主義者やアスペルガーにとっては無意味だが、自分の人生のリーダーは自分だと考える人間にとっては重い価値のある映画だ。
September 29, 2013
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「ショコラ」のラッセ・ハレストレムは、新作をすべて観たいと思う数少ない監督のひとり。故郷スウェーデンで25年ぶりに撮った作品だという。猟奇殺人ミステリーをわざわざ観たいとは思わないが、この監督の作品ならと食指が動いた。凄惨な一家惨殺事件が起きる。かろうじて生き残った兄も重体。たまたま事件現場の近くに居合わせた国家警察の警察官は、催眠を専門とする医者に依頼して昏睡状態の兄から犯人の情報を得ようとする。いちばん犯人らしくない人物が犯人、というミステリーの王道は踏まえられている。自分で手は下してはいないが真の犯人というべき人物の存在も作品に奥行きを与えている。このなかなかよくできたミステリーに、医者とその妻の過去の「不倫」をめぐる確執と誘拐された子どもを取り戻す過程での家族の再建などがからんでいく。「ショコラ」にもDV被害にあう役で出ていた女優が、この医者の妻役で出ている。この妻が、女性の悪いところを集約したようなキャラクターで描かれているし、実子に固執する真犯人の母親の狂気といい、この監督のアンチ・フェミニズムを何となく感じる。暖かい室内で観ていても、北欧の荒涼とした風景と理解不能な恐怖にひんやりとした冷気を感じるような独特な作品だった。
September 28, 2013
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24日はあいにく曇りで、十勝岳は見え隠れしている。安政火口に行くことも検討したが、雨に降られてもつまらないし、何より落石がこわい。あっさりと冒険的行動は諦め、朝から温泉に行くことにした。美瑛町白金地区にある吹上温泉である。ここは昔は滝つぼが湯船だった。それが大雨で流されてからしばらくして、やや下流の方にコンクリートの立派な湯船が作られた。「北の国から」で宮沢りえが入ったというのでブレークし、夏など本州ナンバーのクルマが駐車場を埋め尽くすことがある。のぞきや「ワニ」が出没し一時は荒れてしまったが、夏以外の時期の平日はそうでもない。地元の人をちらほら見かけるくらいだ。ここの湯は熱い。冷水を引き入れるためのホースもあるが、地元の年寄りはたいていそれをはずしてしまう。45度か6度はありそうなことが多い。日本人の熱湯好きは困ったものだが、たぶん、歳をとると熱さ冷たさを感じにくくなるのだろう。足をつけるのさえはばかられる熱い湯に、平気な顔をして入っている。若い女性が3人入ってきたので写真をとることはできなかった。美瑛に来るのは久しぶりなので、メジャーな場所以外のところも走ってみることにして、地図に頼らず直感だけでクルマを走らせた。ただ一カ所だけ、「四季彩の丘」だけは、この時期どんな花が咲いているか、見にいくことにした。近くのペンションが経営している入場無料のお花畑で、レストランや土産物屋が隣接している。花はだいぶ終わっていて、秋の寂しさを感じさせた。ここへ来るといつも思うのが、台湾や中国からの観光客の多さ。関西弁もよく聞く。小樽に行くと韓国や他のアジア諸国からの観光客をたくさん見かけるが、このちがいはどこから来るのだろうか。韓国人は自然よりも歴史のある町並みを好み、中国系の人は自然を愛でる人の割合が多いということだろうか。ヒマラヤでは香港や韓国の若者と出会ったが、その好奇心の全開ぶりにはこちらまで感化されるほどだった。自分の国にないものに興味を持つのが自然な好奇心だろう。こうしたアジアの人々に比べるとき、日本人、特に若者は「終わった」人間の割合が非常に多い。知人に教えてもらった「ぶどうの木」というレストランに行くと、祝日の翌日とあって定休日。しかし、このレストランのあたりの道はどこを走っても美馬牛地区より雄大な美瑛らしい風景が続く。ペンションやレストランができ始めてはいるが、まだ観光化されていない。このあたりを「発見」できたのがこの日の最大の収穫。車中泊の利点の一つは、朝型の生活パターンにリセットできること。夜はとっとと寝るしかないし、朝は日の出の明るさで目がさめる。この冬ははじめて厳冬期の車中泊を試してみるつもりでいる。
September 24, 2013
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23日も快晴。大雪高原温泉を起点とする「高原沼めぐりコース」は、この時期まだマイカー規制されていない。例年、紅葉にはまだ少し早いからだ。縦走登山の次の日の行動としてはほどよい距離なので、整理運動のつもりで行くことにした。層雲峡からはクルマで1時間ほど。後半は林道。この一帯は特定のヒグマの行動範囲となっているので、以前は入山にさまざまな規制があった。しかし、久しぶりに来てみると、GPSなどでヒグマの行動がかなり把握できるようになったらしく、7時から15時までという時間制限以外の規制は解除されていた。 登山者よりも写真趣味のグループなどが多く、軽装の人もいる。前日の疲労が残っているせいか、思ったより辛く感じる。けっこうアップダウンがあるし、道がぬかるんでいるところがあるので滑って転びそうになったりする。杖は必携。沼の周囲はかなり紅葉していたが、山は新緑のように青々としているところも多かった。大学沼の残雪の量は驚異的なほどで、よほど降雪量が多く、しかも低温で雪融けが進まなかったのがわかる。7時に入山し15時に下山。混雑しているようだったので大雪高原温泉での入浴は諦め、翌日の行動に備えて美瑛へ。好天なので星がたくさん見えると思い、少し遠いが美瑛に行くことした。車中泊のための適当な場所を探しているうちに、結局、十勝岳登山口であり富良野盆地を見下ろす望岳台へ。北海道は車中泊の場所に困ることはほとんどないが、美瑛の丘陵地帯は難しい。十勝連峰を一望できる場所を探したが見つけられず、そのうちとっくりと日が暮れてしまった。望岳台には気合いの入ったキャンピングカーが数台。ここは美瑛市街の灯りが届くので星空はいまいちだが、それでもこわくなるくらいの星の量。子どものころは毎日のように見ていた銀河を何年かぶりに見ることができた。
September 23, 2013
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朝の層雲峡は無風で快晴だった。これはいけるかもしれない。そう考えた人は多かったようで5時30分には駐車場は満車。ロープウェイとリフトを乗り継ぎ6時40分に登山開始。赤岳銀泉台発15時30分のバスに乗って戻ってくる予定なので8時間以上ある。日帰り装備でのコースタイムは6時間ほどと、かなり余裕がある。そこで考えた。赤岳からの下りを倍くらいの時間をかけ、ゆっくり紅葉を楽しむ。これで1時間。あとの1時間は、ビューポイントで長めに休憩したり、全体にゆっくり歩いて疲れを少なくすることにした。連休の中日とあって登山道は鈴なりといえるくらいの混雑。紅葉は昨年ほどではないがさえない。9合目で9月10日から毎日写真を撮っている人にきくと、19日がピークだったという。しかし、いろいろな人の話を綜合すると、今年のピークは13日だったと思われる。1週間遅かった。8時ちょうどに山頂着。やはり、向かいの烏帽子岳の紅葉もほぼ終わっている。黒岳山頂から15分ほど下ると黒岳石室があり、北鎮岳(北海道第2の高峰)方面と北海岳~赤岳~白雲岳方面への縦走路が交差する分岐点になっている。テント場もある。紅葉や花の時期にここに何日か滞在したらすばらしいだろうと思う。石室にはトイレもあるし、ビールも売っている。この分岐から二つ沢を渡り、北海岳を超えるとさほどアップダウンはない。石室から北海岳までは90分くらいで、最後の30分の登りが少し辛いが、残雪と高山植物と北海沢の美しい眺めを見ながらなので苦にならない。北海沢は秋のこの時期でさえ新緑が美しく、残雪とのコントラストがいい。湧水も出ていて、時間がゆるす限り滞在したいという思いにかられる。どんな大富豪でもこの風景を再現するのは不可能だ。しかし残念なことにこの日は稜線に出ると風が強く、ガスの気配もあってゆっくりしていられない。どこでも歩ける砂れき地なので、ガスにまかれたら危険。赤岳までは先を急ぎ、赤岳からの下りをゆっくり歩くことにした。もし分岐の標識をガスで見失ったら道迷いしかねない。北海岳から赤岳までは右側に白雲岳を望みながらの空中散歩という趣き。アップダウンもなく、どの登山口からも遠いので人は少なく、すれ違う人もまれ。登山イコールピークハントと思っている人も多いが、時間に余裕があるのなら、縦走路を少し奥まで歩いたりしてみるとおもしろいのに、登山者でもそういう「遊び」をする人はまれだ。赤岳山頂に着くと登山者の多さに驚いた。好天の連休中日なのだからしかたがない。銀泉台までは下り約2時間だが、4時間ほどかけて、要所での紅葉見物を楽しんだ。雪融けが遅かったせいで、初夏の花であるチングルマが咲いていた。16時のバスで層雲峡に戻る。層雲峡の公共温泉は温度が低めで長湯していられるのでいい。屋上の半露天風呂からは星や月が見える。
September 22, 2013
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風は一晩中止むことがなかった。青空は少し見えているので天気は回復傾向かもしれない。始発のロープウェイに間に合うよう5時起きで準備をしたが、風の止む気配はない。寒くはないから登ってしまおうとも思ったが、縦走できるギリギリの時間まで待って決めることにした。16時発のバスで戻るとして行動時間は6時間。1時間の余裕をみると9時には登山を開始しなくてはならない。8時30分にロープウェイ駅に行くと山頂の気候は曇りで風速5メートルとある。登頂ではなく紅葉と時期外れの高山植物がめあてなのだから、曇っていて風が強いのでは意味がない。縦走の中止は即座に決定したが、それではどうするか。黒岳、赤岳のどちらかのピストン登山、あるいは三国峠を超えて石狩岳やユニ石狩岳登山という手も考えられる。大雪山国立公園は広い。神奈川県と同じくらいの面積がある。だから、たとえば西側が曇っていても東側が晴れているということは珍しくない。だから東側に行ってみることにした。三国峠を超えて東大雪に入ると、たしかに天気がいい。しかし標高1000メートル付近の樹海はまだ紅葉していないし、逆に石狩連峰はもう終わっている。18日の雪にやられたのか、紅葉する前に茶葉してしまったようだ。どちらの山も未登なので行ってもいいが、ハードな山なので連続登山は避けたい。結局、秘湯中の秘湯として知られる岩間温泉と、今年が標高年のニペソツ岳登山基地として知られるホロカ温泉のハシゴをして、午後には層雲峡温泉に戻りビールでも飲んで英気を養うことにした。この岩間温泉が難物だった。今回は幸運に恵まれたので行くことができたが、二度と行くことはないだろう。温泉はすばらしい。川沿いの、コンクリート造りの立派な湯船のある「秘湯」で、硫黄泉の白濁したお湯は柔らかく刺激が少ない。ちゃんと脱衣場もある。それではなぜもう行かないかというと、林道が危険すぎるのだ。数年前には橋が流されたりしてしばらく行けなくなっていたが、それはなんとか復旧していた。しかし、道はとことん狭い上に大雨で崩壊しそうなところが何カ所もある。きわめつけは温泉の手前200メートルくらいのところで、川そのものを渡らなければいけないこと。川幅自体は10メートルにも満たないが、そこそこの深さと流れのある川を突っ切らなければならない。川の手前に駐車して歩いて行くこともできるが、それはそれで大変。温泉自体は川に面していて開放感があり、午前中は日陰になるロケーションといい最高なのだが、四輪駆動車でダート道を3000キロ以上走ったことのないドライバーがここへ行くのは自殺行為だ。それでも行きはまだいい。川に向かって少し下るし直進すれば何とかなるからだ。しかし帰りは登りなのに勢いをつけるのに十分な距離がなく、しかも川の中ほどで左にハンドルを切らなければならない。水量があと少しでも多かったら諦めていただろう。もう一つの幸運は、わたしの前をなにわナンバーのハイエースが走っていたことだ。実は岩間温泉は国土地理院発行の地図にも、したがってカーナビにも掲載されている。しかし、この地図が間違っていて、もう何十年も前から訂正されていない。それでどの林道が正しいか停車して考えているあいだにこのクルマが入って行ったのだ。登山者でハイエースに乗る人は稀だ。温泉に行く人だと直観し、後続することにした。川まで来た時クルマはなかったので渡ったとわかって勇気が出た。ハイエースが渡れるのだから大丈夫だ。このハイエースがいなかったら林道の選択を諦め、仮に正しい林道を行って岩間温泉に肉薄したとしても川の渡渉で諦めていただろうから、ほんとうに運がよかった。長風呂しながらきいた話によると、一年のうち大阪の自宅には3ヶ月。5ヶ月は北海道、残りは本州を夫婦二人で旅しているということだった。車中泊といえども比較的都会に近いところで泊まることが多いらしく、食事は外食が中心。それでも、テーブルとイスを並べ、手際良くお湯を沸かしお茶をいれ朝食を作っていたから、キャリアは相当なものだろう。水を自由に使えるところが少なく、それが自炊の最大のネックということだった。屋根にはソーラーパネルをつけ、べバストヒーターも装備している。沖縄の離島航路が廃止されクルマを持っていけないのが残念とこぼしていた。60歳になったかならないかくらいの人。奥さんは50代なかばくらいに見えたが、二人とも旅に倦んでいるようなところはまったくなく、特別なことをしているというふうでもなくやるべきことをテキパキと片付けていく。こういう旅の先達と知り合えるから秘湯めぐりのようなことはやめられない。オートキャンプ場は使わないのかという質問には、利用料金が高いのと、使っている人たちがつまらないという答え。かえって道の駅のようなところがおもしろい人たちと知り合えるという。たしかに、大事なのは 「吹っ切れた」人たちとの出会い。アウトドア雑誌やキャンピングカー雑誌の記事をなぞっているような人間との出会いに意味はない。岩間温泉からは直線距離だとたぶん数キロしか離れていないホロカ温泉に行くのは20年ぶり二度目。ニペソツ岳登山のあとに一度だけ来たことがあった。印象深く覚えているのは、ここの旅館で偶然、大学の後輩と再会したからだ。そろそろ紅葉が始まろうかという8月末、母とこの山に登ったことがあった。たいへんな割にあまりおもしろい山ではないのに登ることにしたのは、がんを克服した70代の人たちが毎年登っているという新聞記事を読んだのと、写真で見る前天狗という場所からの主峰の眺めがあまりに素晴らしかったからだ。たしかにその眺めはすばらしかった。この眺めを見たならもう頂上には行かなくてもいいとさえ思ったほどだし、あんな景色は類例がない。そのビューポイントで昼食をとりながら休んでいた時、鐘を鳴らし、線香の煙を漂わせて登っていく集団があった。後輩はその集団の一員だった。なんでも、彼の弟がこの山で遭難し、遺体も見つかっていないのだという。毎年、この時期に慰霊登山をしているとのことだったが、ふつうの登山グループとちがう雰囲気の集団だった理由がわかったのだった.。しかし、そのホロカ温泉旅館は廃業し廃墟になっていた。開智学校を連想させるような明治の洋風建築の風情のある建物が朽ちつつある姿は痛々しい。隣接するホロカ温泉鹿の谷旅館はやはり川沿いの崖の上にたつ一軒宿。脱衣場のみ男女別で内風呂も露天風呂も混浴というオーソドックスな温泉。満室でもシュラフ持参なら泊めてくれたりする登山者の味方。驚いたのは露天風呂は硫黄泉、内風呂はナトリウム、カルシウム、鉄と4種類の湯船があること。源泉は宿のすぐ裏にある。ほとんど同じ場所から四種類の温泉が湧出している不思議には圧倒される。こんな山奥の一軒宿でもDAYS JAPANが揃っていた。層雲峡に戻り、シャトルバスから降りてきた若者に話をきいた。赤岳銀泉台から登って白雲岳避難小屋の近くでキャンプする予定を強風で諦め、赤岳ピストンで帰ってきたそうだ。あすは黒岳から北鎮岳をめざすらしい。赤岳第四雪渓の紅葉がすばらしかったという。
September 21, 2013
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日本で最も紅葉の早い大雪山系には、大ざっぱに絶景スポットが4つある。少しずつ時期はずれるが例年、9月中下旬にピークを迎える。この時期にはマイカー規制が行われ、臨時バスが運行される。個人でも縦走が可能になる年に一度のチャンスが訪れる。一昨年は赤岳銀泉台から大雪高原温泉まで歩いたので、今年は黒岳から銀泉台まで歩くことにして層雲峡温泉まで来た。花の時期には歩いたことがあるが、紅葉時期ははじめて。2泊くらいのつもりで出かけたが、結局4泊5日の旅になった。ほとんど行きあたりばったりの行動だったが、帰ってきてみると「こうでしかありえなかった」5日間に感じるから不思議だ。層雲峡温泉までは自宅から約200キロ。高速を使えば3時間で着くが、味気ないので一般道を走ることにした。15時に出発して着いたのは20時。高速が開通した区間ほどさびれていて、旅行者が素通りしていくようになったのがわかる。一般道を走る方が燃費がいいし、スクラップで手作りしたのではと思わせる10割ソバの店を見つけたりした。おもしろそうなので帰りには寄ってみるつもりだが、自転車旅行の若者と触れ合えたりするし、これからはたとえ無料区間といえども高速は使わないことにした。層雲峡温泉近くのライダーハウスは健在だった。若い男女が4〜5人で食事のあとかたづけをしていたが、今の時代でもビンボー旅行で健全な感性を養う若者はいるのだ。層雲峡ロープウェイ第2駐車場には車中泊とおぼしきクルマが6台。セダンが多い。セダンで車中泊する元気はもうない、というか20代の頃やってこりたが、たくましい人たちはここでも健在。3連休の前夜のためか、温泉街の旅館やホテルは満室。いつになく部屋のあかりが明るい。ここは標高600メートルほどだが、この時期ちょうどいい気温。ただしときどき突風が吹き、クルマが大きくゆれる。テントや山小屋ほどではないが自然との一体感がある。とはいえ、あしたもこの調子なら登山は無理だろう、その時は別のことを考えようと潔く腹をくくる。ふだんは眠っている判断力が活性化する。日常から離れたことを実感するのはこういうときだ。自分の思いがけない一面を知る機会は、日常ではありえない。学生運動経験のない、あっても機動隊や当局と激突したことのない人間がダメなのは、大げさに言えば生死にかかわる事柄に対する自立した判断力を養うことがなかったからだ。ブラジルではいまオリンピックに反対する数百万人の市民が機動隊と激突しているが、判断力・危機管理能力は旅とかデモの経験によってはじめて養われるし育つ。戦後の貧しかった時期には日本人の多くは生活するための必死の毎日がそういう判断力を養うこともあったがいまはそういう必要自体が世の中から消えた。だから登山者でさえ豪雨の中を出発して大量遭難なんてことをやらかすようになってしまった。車中泊がいいのは暗くなって着いても困らないことだ。何度も来ているようなところでも、朝起きた時に真っ暗だった空間に絵葉書のような景色が広がる意外感、唐突感はすばらしい。26年使った40リットルリュックは、チャック部分がそろそろヤバイので今回が引退興行になりそうだ。思い起こせば初めての海外旅行でヨーロッパに行ったときも、ヒマラヤ、モロッコ、中米旅行でも活躍してくれた。思い出の品をとっておく趣味はないが、このリュックだけは壁に飾っておくことにしようか。ここはもちろんWIFIは通じない。以前はノートパソコンでDVD観たりして夜をやり過ごしたが、いまは暗がりの中でIPADの音楽を聴く。部屋で聴くのとはまた違った趣きがある。「ウェストサイド物語」の「マリア」や、オーケストラだけで演奏されたプッチーニのアリアの数々は、この世界に自分とこの音楽しかないような気がしてくる。今回はじめて気がついたのは、ビートルズの「ゲットバック」録音の奇跡とでもいうべきテイクだ。ライブ、それもビルの屋上という条件で録音されていながら、あの完成度はすごい。いや、完成度という言葉は間違っている。どこまでも自由なのに完璧なのだ。以前からこのテイクはすごいと思っていたが、IPADの貧弱なスピーカーから、数百万のオーディオ装置でさえ聞きとることのできない微細なニュアンスを聞きとることができるのは、漆黒の闇の中での孤独な車中泊のおかげだ。感受性が鋭くなるのだ。皿数が多いだけの「豪華」料理、快適な時間と空間と睡眠を買う観光客たちは、感受性を鈍くするために大金を払っていることに気づかない、というか気づきたくないのだろう。こうして、判断力のない羊たちは観光資本に食われるだけの豚になり上がって(下がって)ゆく。
September 20, 2013
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一般にオーケストラは「指揮者の楽器」と言われる。たしかに、指揮者が変わると同じオーケストラとは思えないほど(良くも悪くも)変わる。したがって、コンサートは、オーケストラではなく指揮者が誰か(あるいはプログラムが何か)で選ぶべきだ。もしオーケストラで選ぶとしたら、そのオーケストラと深い関係にある常任指揮者や音楽監督とのコンサートを優先するべきだろう。在京オーケストラの地方(というか巡業)公演に関心はない。感心したことがないからだ。スタープレーヤーが降り番の「巡業バージョン」では士気が上がらないし、定期演奏会レヴェルの演奏を期待することはできない。感心したことがあるのは小澤征爾や大野和士が指揮したときだけだ。それでもこのコンサートに行くことにしたのは、70代になった「コバケン」を一度くらい見聞しておこうと思ったのと、ヴァイオリンの三浦文彰に対する興味のため。プログラムはベートーヴェンのバイオリン協奏曲とブラームスの交響曲第4番。結論を先に書いてしまうと、東京都交響楽団の地方巡業公演には二度と行かない(指揮者が大野和士や山田和樹やありえないがエリアフ・インバルのときを除く)、三浦文彰はなかなかよいが未知数なところがある、コバケンは巨匠性を獲得したと思うが手の内が見えすぎるのでヨーロッパのメジャーオーケストラを指揮する機会以外はもうきかなくていい、というもの。ベートーヴェンはたっぷりとした柔らかい響きでロマンティックに歌うコバケンと、端正に整っていて技術的には申し分ないがやはりまだ「若さ」が裏目に出ることもあるヴァイオリンの「ちぐはぐさ」が逆に興味深かった。ベートーヴェンの演奏は、走ってはいけないがテンポが遅くてはいけない。この原則に照らすなら、コバケンの特に第一楽章のテンポは遅く表現はロマンティックにすぎ、重いが流麗、というこの曲の矛盾した美の表出には遠い。ブラームスはコバケン節が炸裂。冒頭のH音から楽譜の倍くらいの長さで始め、歌うべきところはテンポを落としてまで歌いまくる。アンコールの「ハンガリー舞曲第5番」できかせた極端な緩急の変化は、決して不自然で悪くはないが、交響曲でやると白ける部分がなくもない。というか、最初のうちはおもしろくきくのだが、のべつまくなしにやられると肝心のクライマックスがかすむのだ。オーボエやフルートのソロもいまひとつだった。特にフィナーレの有名なフルートソロはフレーズがぶつ切れ。こうしたフレーズはストイックに、剣道の間合いのような緊張感で演奏すべきだし、そうした演奏ができるのは日本人演奏家だけだと思うが、立派な音で鳴っているだけの演奏に虚しさを感じる。悪口が多くなったがソロ・コンサートマスター矢部達哉がひきいるバイオリンセクションなどは悪くなかった。たぶん、都響に限らず日本のオーケストラは団塊世代の退職で急速に若返りがすすみ、たぶんすすみすぎたのだ。女性の割合も増え続けている。日本のオーケストラに未来は期待できないようだ。キタラホールは8割の入り。
September 15, 2013
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この映画はアメリカでは不評だったのではないかと思わせるラストが印象的だ。いったい主人公はこのあとどうなるか、それなりにハッピーエンドになるのか司直の手に落ちるのかわからず、突然、流れが断ち切られるように終わるからだ。このあとどうなってほしいのか。観客の意地悪さを試しているような監督の底意地の悪さを感じる。ハリウッドがこういう映画、つまりカタルシスのない、疑問や謎を投げかけて終わるような映画を作ることができるようになったのは、まあ進歩なのかもしれない。シネコンで映画を観るような人たちにとっては、リチャード・ギアの演技を観るための一本だろう。やり手の投資会社の創始者で資産家だが、実際は会社はがけっぷち、飲酒運転で愛人を死亡させプライベートもがけっぷち。こうした役どころをやらせると絶品。特に、会社売買の交渉ではったりをかませたり、警察の聴取での造りトボケなどははまりまくっている。もしかするとリチャード・ギアにとって最高の演技を見せた作品かもしれない。富豪の家庭生活の空虚さを描いていることなどから、投資会社など虚業、額に汗して働くのがいちばん、といったステレオタイプな感想を持つ人は、特にアタマのかたい人には多いにちがいない。この映画の原題は「アービトラージ」、直訳すれば「さや取り」であり、投資に親しんでいる人にとってはなじみが深い。異なる価格差のものを両建てして利益をとる、比較的安全な投資手法のひとつである。この富豪が破滅しかけるのは、顧客のカネを集中投資したからであり、分散投資の大切さろ教訓とすべきところなのだが、この映画の監督はどうも投資に対する基礎的な素養が欠けているようだ。主人公は拝金主義にどっぷり浸かっているとはいえ、それなりに家族は大事にしているし、成金趣味でもない。日本のエリートサラリーマンの方がこの「富豪」よりはるかに拝金主義というか、会社人間化していて家庭をないがしろにしている。B級映画かと思って見に行ったが、どうしてなかなかよくできたA級サスペンス。犯罪者はみな警察につかまるべきと考えるアタマの腐った人間は観ないように。
September 8, 2013
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37歳で死んだファスビンダー晩年の作品という。傑作といっていい一本かもしれない。バイオリンをひきバッハを愛する実直な役人が赴任してくる。戦後復興で政商的に儲けた実業家は、市長をはじめ有力者たちをカネで懐柔し役人は少々の不正に目をつむる。これは戦後日本とまったく同じだ。しかしこの新しい建設官僚は不正を見逃さない。新しい開発計画があわや頓挫かと思われる。しかし結末は勧善懲悪とは正反対。戦後的な初々しい理想主義が拝金思想によって駆逐され退廃が勝ち誇っていくさまをクールに描いている。ここでもファスビンダーは戦後ドイツを告発し弾劾している。それも、直球ではなく悪意のこもったフォークボールによって。これは一種のニヒリズムといえるかもしれない。しかしこの映画が作られてから30年以上たった世界に生きているわれわれは、ファスビンダーはあまりにも正しかったと言わざるをえない。不愉快かつ過剰な正しさ。これがファスビンダーの真骨頂なのだろう。
September 3, 2013
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