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今日は次女親子とランチ。お婿さんはお仕事なので次女と孫たちと一緒。家から少し離れた喫茶店でランチしました。色々話して楽しかった。最後に次女が支払いをするという。この前私のお誕生日だったからと。正直次女がごちそうしてくれるのはほとんど記憶がない(笑)でもありがたくごちそうになった。シングルマザーで生活が大変だった次女が運よくよい再婚相手に恵まれて精神的にも経済的にもゆとりができたということだと思ってうれしかった。孫1ちゃんにもおばあちゃんには長生きしてもらわないとと言われてうれしかった。次女親子がうちに一緒に住んでいたころは孫ちゃんの幼稚園のお迎えから遊び相手、一緒にお風呂に入って寝かしつけ迄やっていた。絵本も読んであげた。自分の子育て時代はそんな風に手をかけていなかったからそれはそれで楽しい日々だった。いつも大泣きする孫2ちゃんも今日は少し笑ってくれた。でも多分この次会ったら覚えてなくてまた泣くかも。泣いても知らない顔,あんまり見ない顔という認識はあるということだから気にはしていない。いい気分でまた歩いて帰ってきた。今日は8070歩。帰ってきたら少し疲れて居眠り。年齢を感じるけど、百歳目指して頑張ろう。寝たきりじゃない百歳を目指して。自分のことは自分でできるように頑張っていこう。
2024.09.29
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今日は腎移植の会の親睦会人生初バーベキュー。私は生まれてから一度もバーベキューをしたことがない。キャンプもしたことないので屋外でバーベキューは初めて。鉄板焼きの様なものを想像していたらバーベキュー用のコンロ?は大きかった。ボール状のコンロの底の端に炭をすでにおこして会ってそこが強火、少し離れたところが中火,炭のない反対側が弱火となっていてその上に網を置いて焼く。下味の付いたお肉や野菜などもすでに用意されていて手ぶらで行ける。明石大橋の見える海の近くのロケーション、涼しい風が吹き渡り今日はカンカン照りではなくて絶好のバーベキュー日和。会費は3000円。飲み物やおにぎりは各自持参。後の道具はすべて貸し出し。バーベキューを何度も経験しているようなお方がいて軍手エプロン持参で「私が焼くわ」と言われるのでお任せした。焼く係は暑いし煙たいし、大変です。私は食べる人に徹することにしました(笑)肉は鶏ももと骨付き牛肉、魚は鮭。レモンとソースの入ったアルミのケースに入っていてそのまま網に乗せて焼く。おいしかった。後はキノコ、レンコン(焼いたら意外においしい)南京。赤いパプリカ・サツマイモにマシュマロを挟んで焼いたのは初めて食べました。キャンプめしでマシュマロを焼いて食べるのは聞いたことがあるけど。全員腎臓移植者とそのご家族。ご夫婦で参加の人もいたな。全国移植者スポーツ大会に出たという人もいて、びっくりした。移植して海外旅行に行ったという人の写真も見せてもらった。皆さんおしゃべりでとても元気。移植して人生をエンジョイ中。見習わないと。せっかくいただいた腎臓を大事に楽しい人生を送らないと。何度も腎移植の会のイベントには参加しているけど今日はみたことのない方がお二人いて早速いろいろお話を聞けた。たくさん元気をもらえたので、いつまでもお元気でまたお会いしたいです(^^♪
2024.09.28
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昨日つぶやきに弟のことを書いた。母は弟を跡取りということで溺愛してきた。子供のころか扱いが違うなとはわかっていた。跡取りというほどの家では全くない。貧乏な家でそういうことをやれば愛されないほうは割を食う。そして年取って寝たきりになったらら弟の家で見てもらうと言っていた。でも弟とそんな話はしたことがないし、弟の嫁ともうまく行っていないのにどうしてそう言い切れるのか不思議だった。弟ははっきり言って母を利用するだけで先々の面倒を見るつもりがないのは私にはよくわかっていた。私が面倒を主に看てきたけど、私の体調や母の認知症の進み具合でケアマネさんの勧めもあって施設に入ることになった。弟はそれなら自分が引き取るとは言わなかった。むしろ自分がお金を出さなくていいならそれがいいと賛成した。弟は母に溺愛されながら、同じような気持ちで母を愛していなかったと思う。弟は常に自分だけ良ければいい、自分が一番という人間だから。複数の子供がいて特別に親に大事にされる子とそうでない子は残念ながらよく聞く話。昔から長男を跡取りだからと特別扱いにしていたのはよくある話。母も3姉妹の次女だったけど長女であるおばは早くから婿を取ってお前が後を継ぐと言われていて、祖母の愛情に差があるのは感じていたらしい・私には娘二人がいる。育てているとき同じように育てようと思って、下の子にお下がりばかり着せるということがないよう、新しい服を買うときは同じように買った。同じように育ててきたつもりだけど、長女は次女の方を優遇していたとこぼす。次女の方はどう思っているのか聞いたことはないけど。親の気持ちとしては差をつけているつもりは全くなくても知らず知らず我慢させていることに気が付かなかった。わが家では長女も次女も1月生まれ。次女の誕生日の方が先にある。それでひと月に二度もホールを買うのが経済的に大変だったから次女の時にホールを買ってそれでまとめてお祝いしたつもりだった。もちろんプレゼントはちゃんと二人ずつやったけど、長女は自分のためのケーキがなかったと今でも言う。次女がはやくに結婚して家に長女だけになったとき私に自分だけのためにホールを買ってという。そんなに気にしていたのかと改めて気が付いた。たかがケーキ、されどケーキ。子供心に妹と一緒では納得できなかったのだろう。そして長女が一人暮らしを始めるまで何年か長女だけのためのケーキを買った。今は別に住んでいるからケーキは買わない。でも誕生日近くなると欲しいもののおねだりがある。ラジカセだったり、一度は洗濯機だった。プレゼントも高額になってきた(笑)次女は結婚しているし、孫ちゃんにいろいろ買ってあげているから特に誕生プレゼントはしていない。これも不公平なのかな?次女がシングルマザーだった時にはいろいろと援助したから、金額のトータル的には次女の方が多いと思う。どちらに出したときももう一方にはいちいち言わない。結論、複数の子供を平等に愛するのは難しい。そんなつもりはなくても差がついている、損をしていると一人が思っているかもしれない。そう思わせないように気を使う母の愛だ。理解してくれているかどうかはわからないけど。
2024.09.26
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今日は特に何も予定がないので夫と買い出しに行く予定だった。夫は朝のうちにウオーキングに行くというのでそれが終わって一休みしてから11時から行くことになった。私が部屋で用意をしていたら、ピンポンが鳴った。私は私の部屋の子機で「どちら様ですか」と二度聞いたけど相手は無言。うちはよくピン逃げされるからいたずらかなと思って切った。すると夫が二階に来たので「誰だった?」と聞いたら「僕や」という返事。「車の中で待っていたのになかなか来ないからピンポンした」という。いやまだ11時にはなってない。夫は自分の用意ができたから車に行って待っていたらしい。そんなン知らんがな"(-""-)"外からピンポンしたら夫とは思わない。内線電話なら夫しかいないから夫とすぐにわかるけど。家の中にいると思っている夫が家の外からピンポンするなんて思わない、想定外。夫は車で待っていると私に言ったというけど、私は聞いた覚えがない。言ったか言わなかったか、私が聞いてなかっただけなのかそれはわからない。何でピンポンして無言なんだ。そこで早く用意してとか何か言えばいいのに。すると夫は言う。僕が待っているんだから僕に決まっているだろうという。いやそんな風には思わない。自分の思い込みが絶対に正しいと思うな。いったん車から降りてピンポンするなら家に入って呼びに来てくれたらいいしピンポンしたなら早くしてと言えばいい話。夫の言い分はよくわからない。自分は悪くないと思っているらしい。まあそんなことにいちいち怒っても仕方ないけど、夫の考えることや言い分はよくわからないことが多い。夫は僕とお前はツーカーというけど、全然ツーカーじゃないし"(-""-)"そう思ってるの夫だけだろう。結婚40年になるけど夫はいまだによくわからない。お互いに日本語しか喋らないのに通じない。夫はどこから来たんだろう?もしかしたら地球外生命体なのかも。道理で理解できないわけだ。と妙に納得する結論"(-""-)"
2024.09.25
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昨日夫は月命日で義実家に行った。私は夫が何でも義実家でしゃべってくるのが嫌。私が口止めしてこれは言わないでと言ったことも今までずっとしゃべってきた。私は今までいろんなことを亡くなった義父母や義姉に言われてきたから、こういったらこういわれるだろうなということは大体想像がつく。だったらわざわざ言われそうなことを耳に入れることはないと思っている。夫は何も考えないでしゃべる。家族だからなんで隠す必要がある?とまで言う。いや家族じゃない。親族、親せき。だから何でもしゃべる必要はないと私は思う。昨日帰ってきた夫に聞いた。「この前あんたが糖尿病って言われたって話した?夫は「いや話してない。なんで言わなあかんの?」という返事。自分が何か言われそうなことは言わないんだ。私が口止めしたことは平気でしゃべって来るのに。夫が糖尿病って言われたと義実家でしゃべってきたら、私にも火の粉が飛んでくるだろう・私が食事を考えて作ってないからとか多分言われる。私は糖尿病とか言われたことはないし、血糖値はいつも二けただ。同じものを食べているのに夫は糖尿病と診断されたのは夫の間食や晩酌のせいだと思う。もし今後私に責任があるようなことを義姉が言ってきたらそういうつもり。最近はほとんど私に直接連絡はない。月命日の件でたまに電話がかかってきたときほぼ夫はパチンコでいないことが多いから代りに電話を聞くくらい。言いたい放題言われていて、何でも言い返さないのはストレスがたまる。今後は何か言われたらどんどん言い返していこうと思う。気づくのが遅すぎた(笑)夫が義実家でしゃべっていることを自分に何か言われそうなことは言わないようにしゃべる内容を選択していることに気が付いてちょっともやもやしている。私が何と言われても平気だけど自分は言われたくないという夫の心の中が透けて見えた気がした。嫁姑関係、嫁と小姑の関係は夫が間に立ってうまくやらないと嫁が苦労する。夫は義実家で私が悪く言われていても私を援護することはないし、黙って聞いているだけ。そしてせめてそれを自分の胸に収めてくれたらいいものを、わざわざ私に報告する。先日も亡くなった舅が私のことを「あんなんしかいなかったのか」と言っていたと笑って言う。いや笑い話じゃないし。それにその話もすでに何度も聞いているし。夫は自分の嫁がそんな風に言われていても平気らしい。私がそんな話を聞きたくないだろうから言わないでおこうという配慮もない。結局言いたい放題思ったことを口にする義姉も夫も同類の人間だと思う。思ったことをそのまま口に出すのは子供と一緒。子供より始末が悪いかもしれない。私はいい大人なのだから考えてしゃべろうと思う。。二人を反面教師にして。と今日も、結局夫の悪口、お耳汚しでした(^^♪
2024.09.22
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誕生日に自分のこれからを考えてみた。色々な病気をして長生きはできないと思っていた私が腎臓移植を受けることができて今は元気にやりたいことをやれている。どなたか名前の分からない方の腎臓をいただけたからと思って感謝している。ずっとこんな日が続けばと思っているけど体はどんどん老化している。私のこの先が何年あるのか、百まで行けるのかはわからない。足腰健康でないとどこにでも行けない。高齢者大学とヨガと体操とパソコン、そのほか地元のコミュニテイセンターでのいろんなイベントに参加して、そして4月からは腎移植の会の役員。結構忙しくカレンダーが埋まっている。旅行とかにもどんどん行きたい思いはあるけどなかなか行ける時がない。自分の健康寿命のあるうちにあれもこれもやりたい。やりたいことをやり切ってもう思い残すことがないと言って逝くのが理想。人の寿命がどこで尽きるのかは誰にもわからない。毎日を後悔のないようにする。一日一日を大事にする。いうのは簡単だけどなかなかそうはいかない。突発的な用事ができたり、あれとこれとと思ってもやり残したり。この先のことを考えたら眠れなくなる。考えても仕方ないことをついつい考えてしまう。あと数年のうちにホームにいる母は亡くなると思う。弟と母を見送って相続の話。弟とは長年疎遠。多分相続が終わればまた元の疎遠に戻るだろう。困ったときにだけ連絡の来る弟とはなるべくこの先も付き合いたくない。たった一人の兄弟だけどあまり関わりたくない。そして今疎遠にして夫の姉とはずっと会っていない。義姉が先に逝くのか、それとも夫かわからないけどもしも夫が先に逝ったらそのあとは義姉と完全に縁を切りたいと思う。理由は詳しくはかけないけど長年積もり積もったものがあり、そのあとも付き合う気にはなれない。義理の親とか兄弟とは夫の死後縁を切るための「姻戚関係終了届」というのがあるらしい。それを出すつもり、そうしたら義姉の介護とかいろんな問題が後々出てきても関わらずに済む。もしも夫が義姉より先に逝った場合。義姉はどこにでも口をはさみたくて自分の思うように物事を運びたい人。葬儀や相続に口をはさんでくると思う。夫が先なら厄介。葬儀や相続に口をはさんできそう。私が多分喪主になるだろうけどどちらが喪主かわからないくらい口をはさんでくるだろう。こう言ってきたらこう返すとシュミレーションしだしたら眠れなくなる。義父母が亡くなったとき義姉は夫や私に相談なく葬儀の場所や頼むお寺を決めた。お寺さんは車があるから遠くても来てくれるけど、こちらがお寺に出向くのに夫が免許を返上したらどうやって行くの?見たいな場所にある。私はもしも夫が先に逝ったら私の実家がお願いしていたご町内のお寺に頼むつもり。幸い婚家と実家は同じ宗旨だし。どこで葬儀をあげるかも口をはさんでくるだろう。義姉はコロナ禍でも平気で葬儀や法事の後で食事を頼んだり、お通夜の晩には泊まりたい人を泊める手配をした。私はコロナの時に会食とか大勢で泊まりとかは行きたくなかったのでパスした。3周忌が終わった後も毎月義姉はもう一人の義姉と夫を呼んで月命日をやっている。もちろん私は付き合わない。夫もいつまでやるんだろう?などと言っているけど義姉には何も言えない。義姉には子供もいなくて義姉がお墓参りに行けなくなれば代わりにお墓を見る人がいない。義姉はいづれ墓じまいをするとは言っているかなかなかやらないからあとのことを考えたら不安。うちの娘たちに降りかかってこないか心配。義実家も戦前に建った古家で義姉が今一人で住んでいるけどその後はどうするのかまだ決まってない。早く決めておかないと義姉が亡くなってしまったら、ややこしいことになりそう。義実家関係は私がやきもきしても私には何の発言権もないしうっかり口を出したら何と言われるかわからないのでとりあえず静観。実家関係も今後どうなっていくのかわからない。とりあえず今母は今すぐどうこう言うことはない様子なのでまだ決められない。母が亡くなる→母のお葬式をして相続が始まる。→弟もあちらこちら悪いのでもしかしたら母より先に逝くかも。そうなると母の遺産の相続をするのは私と弟から私と弟の子、甥っ子になる。甥っ子の連絡先はわからない。そうなると弁護士さんにでも頼んで探してもらわないといけなくなるかも。個人的に市役所に行っても甥っ子の転居先を教えてくれるとは思えない。今は家族でも一緒に住んでいないと住民票も取れないと聞いた。甥っ子の現住所は弟の元嫁が知っている。元嫁の住所はわかっているけど以前母に甥っ子を会わせたいと思って甥っ子の連絡先を聞こうとしたら拒否された。あれやこれや、先々のことを考えると頭が痛い。考えても仕方ないからその時に考えることにして夫のように「なるようになる」と思えたら楽だろうけど。時々寝る前に考え出すと眠れなくなる。まだ起こっていないことをあれこれ想像して考えてもその通りになるとは限らないし、別の予想外の展開になるかもしれない。とりあえず私は長生きしてこれらのことを処理してから、娘たちに負担が行かないようにしてから逝きたい。それまで認知症にならないでこれらの処理ができるだろうか?次つぎに湧き上がる問題。というか私が勝手に問題を作っているのかもしれないけど。親族とか親せきとか時には厄介な人もいるし、対処が難しい問題もある。相続が争族になり、その後付き合わないとなったりもする。どこの家でも言わないだけで多少いろいろあるのかもしれないが。考えれば考えるほどこんがらがる。解決の糸口がないような気がしてくる。凹み"(-""-)"
2024.09.21
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今30代で結婚していない男女が多いそうだ。仕事に夢中になっていたら結婚とか付き合うとかのチャンスがなかったという人もいるだろう。昔みたいに頼まれてもいないのに仲人をやりたがって縁談を持ってくる人も少ない。あっという間に20代が過ぎて30代突入。私たちが20代のころは24歳が結婚適齢期でそこを過ぎたら行き遅れだとか売れ残りのクリスマスケーキなどとひどいことも言われた。今結婚適齢期いうより平均的に結婚年齢が男女ともに遅い傾向。うちの長女、39歳独身。来年一月の誕生日が来たら40歳。以前40歳までには結婚すると宣言していたけどあと4か月余り。今候補者がいないなら40歳で結婚するのは無理っぽい。親バカだけど39歳には見えない童顔。そこそこの顔立ちと思うけどなかなか出会いはない。今まで付き合った人もいるにはいる。でも誰でもいいわけではないのでなかなか難しい。付き合った人の中には家に結婚前提と言ってあいさつに来た人もいる。ところがこの人は結婚したいと言いながら行動が伴わない。仕事はすぐにやめるわ、貯金はできないわで全然結婚話が前に進まない。何度目かの失業の後、長女が切れてお別れした。その後私が会ったことのない彼氏さんもいたけど、彼は親の言いなり。病気になって仕事を辞めたら無理やり実家に連れて帰られた。親に付き合っている人がいると打ち明けたけど、会ってみるとも言わない、認められないと言われて撃沈。それでも長女はしばらく連絡が来るのではないかと少し期待していたけどついに連絡はなく自然消滅。彼は長女より親を選んだのだろう。まあ仕事が続かない人や結婚に際して親の言いなりな人とは結婚は考えたほうがいいいけど私は付き合っているときには何も言わなかった。一応大人だし結婚するかしないか、自分で決めた方が後悔が少ないのではないかと思って。夫は長女はもうすぐ40歳になるのに一体何を考えているんだ。結婚する気があるのかなどと言っているがもちろん本人には何も言えない。私はもうここまで来たら結婚してもしなくても長女が後悔しない人生を歩んでくれればいいかと思っている。好きになってもそれだけで結婚に飛び込んでいけない何かがあるなら立ち止まる勇気も必要だと思うし。長女は気を使わない友達みたいな相手と結婚したいという。共働き、家事、生活費折半。子供は作らないという条件に会う人はなかなか見つからないようだ。その上姑と同居は考えられないそうだ。そういうのを全部クリアする人は今後現れないかもしれない。全部クリアしなくて長女が納得してこの人となら結婚したい、苦労してもいいからと言えるお相手ならそれもいい。結婚は修行だという人がいた。確かに我慢することやしんどいことも多々ある。正直私の結婚には後悔したこともあったけど、私は結婚したから娘たちに会うことができた。子どもはいらない、作らないと初めから決めている人もいるけど、確かに子育ての時はしんどいこともあったけど、子供がいて喜びや悩みやいろんな人生を体験できた。喜びや悲しみやいろんな体験をしてこそ人生だと思う。うちの夫もいろいろ問題ありだけど、もっと大変な旦那さんに苦労している人も世の中にたくさんいるだろう。離婚するのも人生、離婚しないで最後まで添い遂げるのも人生。結婚もまた一度は結婚したほうがいいと思うけど、長女はどう思っているのだろう。やいのやいのとせっつかないで温かく見守ろうと思っている。結婚してもしなくても私の大事な娘。幸せな人生を歩んで行ってほしい(^^♪
2024.09.18
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家で食べきれないようなものをもらったらお裾分け。別に普通の習慣だと思うけど夫、お裾分けしたがらない。全部ひとり占め(笑)あるところから野菜ジュースの詰め合わせをいただいた。うちはふたりだからこんなに飲めない。私は野菜ジュース好きでないし。次女のところへ一部持っていこうかと言ったら夫が渋い顔。挙句に何でもかんでも次女のところへ持っていくな!ですって。可愛い娘や孫におすそ分けも首を縦に振らない。だったら義実家へもって行ったらと提案した。義実家なら持っていく気はあるらしい。以前亡くなった舅が畑をやっていたとき食べきれない量の野菜をもらうことが度々あった。当時は4人家族だったけど大根3本とか丸ごと白菜2個とか食べきれない。毎日大根や白菜ばかり食べていられない。それで近所におすそ分けしようとしたら夫が全部家で食べろという。いや無理だろう。食べきれないで腐らせたら怒る。だから腐る前にこっそりお裾分け。せっかくの野菜をおいしいうちにおすそ分けして食べてもらうのがどうしてだめなのかまったく理解不能。たとえ相手が舅の知らないご近所さんでもおいしく食べてもらえたらそれで舅も怒らないと思うのに。あの野菜ジュースも義実家に持って行かせよう。それにしてもかわいい娘や孫にジュースを飲んで喜んでもらおうという気はないらしい。けちけちしていて賞味期限切れになったら、私が夫に飲んだら?と出してこないのが悪いと言って私のせいになる。なんでも悪いことは私のせいか?とたまに開き直りたくなる。
2024.09.18
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友達とランチして来ました。久しぶり。7月に娘さんに孫ちゃんが生まれて里帰りしてきたから7月8月はずっと仕事以外は家に引きこもっていたそうです。そして久しぶりのランチ、大いに盛り上がりました。最近の出産、育児事情。私たちが出産したころとは大違いでびっくりすることばかり。4日がかりの難産だったとか。娘ちゃんお疲れさまでした。出産後の沐浴はベビーバスでなくてシャワーを掛けるんだそうです。発泡スチロールの様なシャワー台、赤ちゃんの人型にくりぬかれていてそこに赤ちゃんを置いてシャワーで体を洗うんだそうです。最初は顔にシャワーがかかったら泣いていても慣れてくるそうです。赤ちゃんの人型のお尻の部分にお湯を貯めてそこに赤ちゃんをつけたら羊水を思い出して安心するのかお風呂大好きになったとか。裸にしたらお風呂だと気が付いてて足をバタバタさせて大喜びするとか。そして初めての予防注射でも診察のために裸にしたらお風呂と間違えてにこにこしていてそしたらお風呂でなくて注射だったからびっくりして大泣きしたとか。孫ちゃんの写真とかうちの1歳になる孫2ちゃんとかの写真を見せあって。そして相続とかの話。友達の旦那さんの実家は舅さんはすでになく姑さんは施設に入っている。残った実家を今売り出し中だけどなかなか売れないとこぼしていた。実家に残っている荷物を処分するのに業者を頼んだらこれくらいかかったとか、家が田舎すぎて敷地も小さすぎてなかなか売れないとか。バスがあっても一時間に一本では通勤通学には不便だしね。友達が言うには今その実家は長男であるご主人の名義になっているとのこと。御主人は今は元気で働いているけどもしものことがあれば友達と友達の娘ちゃんと息子ちゃんが相続することになる。正直売れもしない固定資産税だけ支払い続けるような家はいらないから相続放棄したいけど相続放棄したらご主人名義の今のマンションとか預貯金の相続も放棄しなくちゃらしい。だから息子ちゃん娘ちゃんの代まで持ち越さないで早く処理してほしいとご主人をせっついたらしい。なるほどなあ。相続問題。どこの家でもありそう。うちも義実家は舅名義だったけどすでに亡くなった。夫に今の義実家の名義はどうなっているの?と聞いても夫、わからないという。義実家に住んでいる義姉の名義になっているのかどうか?今度法律が変わってもし舅名義のままにしてあるなら罰金を払うようになったという。日本中名義が誰になっているかわからない古家が増えていて、崩れかけて危険な家も多いから法律が改正になったらしい。危険だから市の負担で撤去するにしても撤去代金を誰に請求したらいいのか?誰が相続した家なのかわからない家も多いらしいから。でも微妙な問題、嫁が先頭に立ってあれこれ口出しをしにくい。義実家に住んでいる義姉は独身で子供もいないから今義姉名義になっているとしてもいづれまた相続問題が起こってくる。義姉、もう一人の義姉、夫の3兄弟だけどそろってもう高齢なのでだれから逝くのかわからないから。義姉がまだしっかりしているうちに家の問題とお墓の問題(墓じまい)をしてくれたらいいんだけど催促も難しいし。夫はボーっとしている(笑)義姉に任せておけばいい、なるようにしかならないと当事者なのに無責任な態度。相続問題は素人の手におえないからお金はかかっても弁護士や行政書士に頼んだ方がちゃんと処理してくれるかもしれない。一方私の実家は借家だったから母が施設に入ってから明け渡して荷物もみんな処分した。後は母の預貯金のみ。うちは私と弟と二人が相続するけど。こちらもどうなることやら。私が元気なうちに母を見送ってそういう処理もできればいいけど。悩みは果てしない。考えても仕方ない。もう考えないでおこう。また寝られなくなる。
2024.09.16
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今日の体操の時素敵なパッチワークの手提げを持っている人がいた。「作ったんですか?」と聞いたら「着物の端切れでちょこっとね」という。歯切れとはいえ色柄の配置とかにセンスがうかがえる。「こんなに着物を作られたの?」と聞いたら「ほら昔はお嫁入の時に着もしない着物をたくさん持って行ったでしょう?そのはぎれ」そこへ別の人が来て盛り上がる。「そうやった、昔は親が無理をしてでもたくさん着物を持たせたよね。箪笥一杯に着物を持って行って婚家に荷物が着いたら、地方によって多少は違うかもしれないけど、私より少し年上の人たち。私たちのころにも嫁ぎ先によっては衣装みせとかあったな。トラックに紅白のリボンをつけて荷だしとか。婚礼の荷物がバックしたら縁起が悪いと言って一本道で向こうから車がいたら婚礼トラックの運転手さんがご祝儀を相手に渡して下がってもらうとかね。私の場合は婚家でなくて別居だったのでアパートに舅姑が来て一応着物を見てもらった。田舎のちょっと大きい農家に嫁いだ友達は衣装みせのための衣装もあつらえたとか。見栄を張りだすときりがない。そしてそれらの着物は大抵箪笥の肥やし。見栄というより嫁ぎ先で娘が恥をかかないようにと言うことだろうか?相当なお金をかけていわば持参金代わり、相続の代わりなのだろうか?嫁いだらあまり着ることもない。子供ができたら余計に着ることもない。私ももう長い間着物を着ていないし、箪笥から出しても見ないからどうなっているか見るのが怖いかも。着ない着物より現金を持ってきた方がよかったと私は心の中で思った。よそは親が作って持たせるけど私はほとんど私が働いた給料で一枚一枚作った。結婚前にお茶をやっていたらたまには着ることもあった。お茶を一緒に習っていた友達はどうしているだろう?着物を着て出かけるということがなかなかないし、今は一人では多分着られない。冠婚葬祭の時には貸衣装を借りたりするから自分で着られない人も多い。私も一人では着られない。姪の結婚式の時に初めて持ってきた留めそでを着たら姑さんが意地悪を言う。「私たちは式場で貸衣装を借りて着付けもしてもらうからあんたは実家のお母さんに着せてもらって」何で私だけ母に着せてもらえって。母は着付けなどできないし、着せられるかの確認もなくいきなりそう言われた。家から着て行ったら長時間着ることになるし向こうで着替えるほうが全然楽。私はバックに留めそでや帯一式を入れて行って着付けだけをお願いした。私だけ貸衣装でなく自分の着物だったから意地悪されたのかな?いまだに引っ掛かっている。今はそういう習慣はあまり聞かない。うちの娘たちは着物をいらないと言って一枚も作ってない。一枚も着物を作ってないと実家の母があきれていた。でもいらないというから。今は着物も婚礼家具の中の和ダンスも作らない人が多い。時代は変わったな。
2024.09.13
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朝から母と面会してきました。またコロナが流行っていて、インフルやマイコプラズマ肺炎とかいろいろ流行っていて面会は一家族一か月一回のまま。まあ面会中止で全然会えないよりはましだけど。私は弟と一か月おきに面会している。先月は弟が行ったから今月は私。もともと弟は面会に乗り気ではなかった。でも母は会いたいだろうと思って説得した。会える時に会っておかないと永遠に会えなくなってしまうよと。母は認知症だから弟と面会しても誰だかわかっていない様子。弟は誰だかわかってないからあんまり面会に気が進まない様子。でも子供のころから母は弟を溺愛してきた。弟は何でも欲しいものを買ってもらっていて私は我慢させられることが多かった。跡取り、長男ということで優遇されてきた。私は母のそういう態度に対していろいろ思うところは会ったけど何も言わないできた。今では母がたとえ弟がいつでも最優先だったとしても私は私の気持ちとしてあとで後悔のないように母にはできる限りのことをしてあげたいと思うようになった。今日も私のことはわかっているのかどうかという風で母とは会話にならない。でもわかっていてもわかっていなくても母には一杯話しかけようと思っていたので色々話した。今月一歳になる次女の長男の写メを見せておばあちゃんのひ孫だよと言った。母はかわいいと言って目を細めた。誰だかわかっているのかはわからない。でも一杯話しかけてあげよう。母はいつも私に元気か?と歩いて来たのか?しか言わない。今日はまたみんなで遊びに行こうと言っていた。母の頭の中を楽しかった過去の思い出が一瞬かすめたのかもしれない。つらかった悲しかった思い出もたくさんあるだろうけど、そういうことはなるべく思い出さないで楽しい思い出だけを思い出してほしい。母と会話にならなくてもできるだけたくさん話しかけてあげよう。母を遊びに連れ出すことは多分もうできない。でもできるだけ長く元気でいてほしい。お互い元気でいようね。元気でいたらまた会えるからと言って別れてきた。以前のように帰る私を追いかけようとして職員の方に引き留められることもなくなった。母なりにここでの生活になじんで楽しんでくれていたらそれでいい。(^^♪穏やかに毎日を笑って過ごしてほしい。
2024.09.11
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私の結婚前の旧姓は漢字も旧字体で、ハンコも別注。読みにくく字画も多くて書きにくい名字。結婚して姓が変わるときには百均でハンコを売っているようなよくある名字になりたいとひそかに思っていた。ところが結婚後の姓はもっと珍しい名字。字画は少ないけど読みにくい。長女は学校や塾で先生とかにまともに読んでもらえないとこぼしていた。今やうちの市では絶滅危惧種、私と夫と義姉の3人だけ。全国的には数千人くらいは入るらしいけど同じ姓の人にはお目にかからない。私は結婚前のOL時代モグちゃんというニックネームで呼ばれていて職場でもそれで定着していた。ある日私に仕事のことで他の課から電話が入った。受けたのは隣の席のおじさん。「○○さんお願いします。」と聞かれたおじさん「ここにはそんな人はいません」って言って電話を切ろうとしているし。「私私」とアピールして電話を代わってもらった。私は隣の席の人も私の名字を知らなかったことにショックを受けた。でもだからと言って仕事上電話するのにニックネームで名乗るわけにもいかないし、送る書類に〇〇課ニックネームで発送するわけにもいかない。ニックネームの方が広まってしまって困った話。先日その会社を辞めて以来40年ぶりに元会社の先輩に出会った。〇〇会社で働いていた〇〇ですと名乗ってもきょとんとした顔。多分私の本名を覚えていなかったのだろう。私が〇〇さんですよね。〇〇会社にお勤めだったと言ったら何で知ってる?みたいな顔になった。こちらは覚えているのに相手は覚えていない。課が違ってて仕事上は全く関係はなかったけど、社内のクラブ活動でお世話になった人。そこでほらモグちゃんです。それなら覚えてるでしょう?などと名乗るわけにもいかない(笑)当時一緒にクラブ活動をしていた人たちの名前を挙げたけど、結局先輩は私が誰だかわからなかったかもしれない。そして月日は流れて私の楽天に私のHPを開設するときモグちゃんの部屋という名前にした。ハンドルネームもモグちゃんを入れた。すると遠くにお嫁に行ってずっと会えていなかった後輩ちゃんから連絡が来た。ホームページを偶然見つけてすぐ私だと分かったという。モグちゃんにしていたから再会できた。彼女が用事で実家に帰るたびに会っている。モグちゃんのメリットもあるわけだ。モグちゃんというニックネームはメリットもデメリットもあるなあ。でも今更変えられないからこれでずっと行きます。(^^♪
2024.09.09
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特定検診で血糖値とAb何とかの値が上がっててC判定になった夫。でも結果の説明を聞きに行った夫は私が「どうだった?」と聞いても「何もなかった」と言っていた。病院に行く気もなかったと思われる。去年もC判定だったし本当かどうか疑わしいのでこっそり検査結果を見てみたらC判定で受診の必要があると書いている。何もなかったということないやん"(-""-)"子どもが点数の悪いテストを隠すみたいな事しても糖尿病はどんどん進行する。放置して自然によくなることはない。私は夫に糖尿病になったらどうなるのかと説教して、病院に行くことを承諾させた。けれど今朝そろそろ用意をしようというと「どこにいくの?」という返事。本気で忘れていたのかも"(-""-)"自分のことなのに。そしていざ病院へ。3日間かいた食事の表を持って栄養相談に。食べる順序や気を付けること、控えたほうがいいものなどいろいろ聞く。食事表を見た栄養士さんは間食もやめているし効果が出てくるように、このまま続けてくださいという。次回は11月。2か月くらいまじめに取り組んだら数値が下がってくる可能性が高いという。栄養相談を終えて帰宅、その後車で買い物に。買い物を終えて帰ってきたら夫が「疲れた、疲れた」という。そして昼寝。慣れない病院で疲れたという。でも日課の将棋とパチンコへは行く(笑)それとこれとは違うらしい。(笑)再受診は来月。今のところ晩酌もやめておとなしくしている。本当に数値は下がるのか?下がったとしてもまた元に戻ったら同じこと。血糖値との戦いは長い戦いになりそうだ。
2024.09.09
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私は以前ひざが痛くて困ったときがあり、知人に勧められてベッドにした。私は実家にいた時からずっとベッド。高校生の時に引っ越した家では弟と同じ部屋だったので二段ベッドを買ってもらって下に寝ていた。一応ベッドにカーテンをつけてもらって個室風。だからベッドの方が慣れていて快適。でも結婚後わたしがベッドを買いたいというと夫は反対した。夫は若いころ親せきの家に泊まりに行って借りたベッドから落ちたことがあり、ベッドは落ちる、危ないという思い込みがあった。私がベッドを見に行こうと言っても聞いてくれず。いくら説得しても聞いてくれず、私は反対を押し切って通販のベッドを買った。家に来てしまえば夫も返品とは言わなかった。それ以来ずっとベッド。夫と将来寝たきりになったらベッドがいいねと話したら、やっぱり夫はベッドは危ないという。寝たきりになりおしめを人に替えてもらう生活になればベッドがいやとか言っていられない。介護する立場から言えばベッドの方が全然おしめも変えやすい。赤ちゃんの世話もベビーベッドの方がおしめを変えやすい。着替えとかもさせやすい。高齢になれば施設も病院もベッド。夫はいまだに布団、しかも万年床"(-""-)"まあベッドもある意味万年床だけど。将来足腰がもっと弱ったら、今は二階に寝ているけど一階の部屋でベッドで生活したほうが全然いい。わが家はトイレは一階にしかないから。夫は今の二階の部屋におマルを置いたらいいとかいうけど、そのおマルの中身をだれが捨てに行くのだ。私はおマルを使うくらいなら1階に寝る。あくまで仮定の話なのにそれでも夫はベッドは落ちたら危ないとまだ言っている。よほどトラウマになっているらしい。大体ベッドから落ちるなんてありうる?熟睡していてもベッドから足がはみ出したら気が付くと思うけど。友達の弟が昔二段ベッドの上に寝ていて落ちて下に布団を敷いて寝ていたおばあさんの上に落っこちた話は聞いたことがある。おばあさんよく無事だったなと思うけど、子供ならそれくらい熟睡してベッドから落ちることもあるかもしれない。夫は若いころにたった一回ベッドから落ちたことでいまだにベッドに寝られないという。私は年取ったらベッドがいいと思う。亡くなった姑も布団派だったけど起き上がろうとして転倒、そばにあった将棋盤の角で頭を切った。布団の方が起き上がりが不安定でよほど危ないと思う。姑も最後はベッドにした。ベッドは足を先に下ろして何なら立ち上がるように手すりもつけたら安全に起き上がれる。転倒などの事故が起きにくい。いくら言っても夫は布団がいいという"(-""-)"
2024.09.08
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パラ輪ピックの選手たちを見ていて思い出した話。まだ私が透析をしていたころ。糖尿病から透析になった人の中には片足切断している人もいる。糖尿病の人はちょっとしたけがとか傷が化膿して痛みがあっても気が付かなくて手遅れになってしまい最悪足を切断するということになってしまう。私が見たのは50代くらいの女性。朝透析室に入って自分のベッドに行こうとして手前のベッドに義足が持たれるように置いて会ってびっくりした。ちょうど義足の女性が透析のベッドに移ろうとしているところ。スタッフが移るのを手伝おうとしたらその手を女性が止めた。自分で移るから、これからは何でも自分でやらないといけないからやらせてと。時間はかかるけどその女性は自分でできることは人に頼らないと決心している様子。確かにいつも周りに手助けしてくれる人がいるとは限らない。家の中でも自分一人の時もあるだろう。その人は自力でベッドに移って笑顔を見せた。何でも人に甘えてやってもらうより自分でできることは自分で何とかするその姿勢は素敵だと思った。以前両手のない女の子のドキュメンタリーも見たことがある。実家を出て一人暮らしをしたいと言って両親の心配をよそに一人暮らしを始めた。両手がなくても彼女は口とか両足を使って着替えとか何でも自分でこなす。床にガス台を置いてそこに足の指でフライパンの持ち手をつかんでを載せる。別の足で卵を割って器用にフライパンに載せる。ガスも足で点ける。足が手のように器用に動く。ここまでくるまでにどれだけ努力したことだろう。そして両親はそれを見守ってきた。親としてつい手を出したくなるだろうけどぐっとこらえて自分でやらせるのも厳しくもやさしい親の気持ち。親はいくら子供を心配してもいづれは親は先に死んで子供は一人でやっていかないといけない。その時に困らないようにするのが本当のやさしさ。パラ輪ピックに出ている選手たちは人の何倍も努力して普通の人の日常生活もほぼ自力でこなしながら、競技の練習もしてきた。その夢をあきらめない強い気持ち、障害を言い訳にしない強さ。その姿勢や壁を乗り越えた人だけの輝く笑顔が人を感動させる。
2024.09.07
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私の秘密はミクシーと楽天のHP。そこには夫の事、娘たちのこと、舅姑のこと、義姉のこと、個人情報満載。と言ってもそもそも本名は出してないし、事実を書いているけど一部はぼやかして書いていることもある。もしも私の知っている人がこのHPを見たとしてもそれを書いているのが私だとは気が付かないと思う。私のリアルな友達はほとんど内容を知らない。幸い、夫もパソコンはできないし、義家族、親せきもネットをやっているという話は聞いたことがないから多分わからないと思う。私は義実家の両親や義姉の言うこと、されたことでおかしいと思っても何も反論しないでお腹に収めてきた。言ってもわかってもらえない。価値観や考え方がまるで違う。そして夫は姑を神様のような人、義姉のことは竹を割ったようないい性格と言っていたし。こういうことを言われて嫌だった。されて嫌だったと言ってもまるで通じない夫。義実家で一人反論したところでだれも味方はいないから黙っていただけ。たとえ反論してきまづくなったとしても付き合わないわけにはいかないから黙っていただけ。でもこういう場ができて思い切りいろいろぶっちゃけた。過去のことも含めて。私はおかしくない、おかしいのは義実家と言ってくれる人もいて心強かった。ネットで知り合ったどこのどなたともわからない方でも味方がいたらうれしく思った。そして義父母の3回忌が終わったら、コロナを理由に私は義実家に行かなくなった。もういいだろうと思って、私一人の疎遠。夫は行きたければ行ったらいい。時々夫に私のことをいろいろ言っているようだけど、あとはこれを夫が持ち帰ってわたしに言わなければ言うことはないんだけど。夫は相変わらず言っていいことと悪いことの区別がつかない。これは黙っていたほうがいい、嫁が聞いてもいい気はしないということをいまだに学習しない。"(-""-)"行かないことに多少の罪悪感は会ったけど、だんだんそれも薄れて。何か言われた、されたことをくよくよ考えて眠れないこともなくなってすっきりしている。私の愚痴捨て場兼覚書。あれはいつ頃のことだったかなと時々調べられる。わが家の歴史でもある。こんなことがあったな、あんなことがあったな、腹が立ったことも過ぎてみたら懐かしく思える。ここで書いて発散してすっきりしたからか、当時ほどの怒りやつらさはない。ここで書くことによって私は今までやってこられたと思う。離婚も何度も考えたけど何とか結婚40年を迎えられた。これからも腹が立ったこと、納得できないことをここに書いて発散していこうと思う。時には見苦しい文章もあるかと思いますが、皆さんお付き合いください。
2024.09.06
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昔は男の子は男子厨房に入らずと言われて何もさせずに大事に育てたようだけど、今は令和。そんな育て方をして何もしない、できない大人に育てたら今どきの共働きが普通の家庭は回って行かない。そのうち奥さんに愛想をつかされて離婚されるだろう。今の若い夫婦は家事育児は夫婦でが当たりまえ。うちの夫は昭和生まれ。義実家では姑と義姉2人がいて夫には何もさせずに育てたようだ。結婚してすぐ、夫が掃除機をかけてくれたことがあった。夫は姑に褒められようと思って僕掃除機をかけたよと話した。姑は激怒してなんであんたがそんなことをしないとあかんのや、嫁にやらせたらいい。と怒られた。それで反発することもなく逆にお前のせいで怒られたと八つ当たりされた。その後夫はしばらく掃除機を掛けなかった。そして自分が掃除機を掛けようとしたらお前はそんなことは私がするからと言って僕から掃除機を取り上げろという。ここまで来たらもう笑うしかない。そんな茶番に付き合う暇はない(笑)夫が掃除機を掛けようとしたらありがとう、頑張ってねという。それが普通の回答。姑くらいの年齢の母親は息子が家事を手伝っているのを見たら情けなく思うらしい。私には息子はいないけど、もし姑の立場で家事をやっている息子を見たらああ頑張っているな。それくらいやって当然と思うけど。友達には息子がいる。小さいころから家事をやらせてきた。お風呂掃除やってと言ったらやるし、ご飯を炊いておいてと言えば炊いておいてくれる。結婚しても嫁が働いていても、また嫁の体調が悪いとか入院とかいうときでもいろいろできれば家庭は回る。息子さんは大学時代のバイトでちょっとした料理もできる。やはり男の子も育て方だなと横で見ていて思う。かわいがるだけで何もさせないのは違う。大学進学や就職で一人暮らしをするという可能性もあるから何でもやらせないとと思う。大学進学や就職で一人暮らしをする息子が心配で、息子のところに度々行っておかずを作り置きしたり、中には夫を放置で息子と同居する母もいるそうだ。夫は結婚するまで義実家を出たことがない。結婚後夫に聞いたら夫はいや、単身赴任したことがあるという。よくよく聞いたら毎週末にカバンに洗濯物を詰めて義実家に帰って姑に洗濯をしてもらっていたという。いやいやそれでは単身赴任でなくて出張だろう。単身赴任先には寮もあるし、洗濯機もあるから普通はそこで自分でやるだろう。やはり男の子は小さいころからお手伝いを仕込んで、ある程度できるようになったら独り立ちさせるべきだろう。先の友達の息子さんも大学卒業後は寮に入った。もちろん自分で掃除や洗濯はやった。家からでも十分通える距離だったけど、自立していた。結婚相手は一人暮らしの経験のある男性がいいと女性たちは良く言う。家事をやってくれたお母さんへありがたみも感じて、できることは自分でするのも苦にはならない。そういう人は働く女性と結婚してもうまくやっていける。出来ればあれやってと言われないうちにやってくれるのが理想だけど、それでなくても言われてからでもやってくれたら十分かな。ここまで書いてきて夫とはだいぶ違うなと思う。やはり男の子は育て方、女が家事をやって当たり前という価値観を植え付けられたらそう簡単には変われない。家事を手伝うでなく家事を共有するくらいの気持ち持ってほしいけど、なかなかむずかしい。
2024.09.06
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親として立派に子供を育ててきたと言う自信は全くない。でもその時その時真剣に向き合ってきたつもり。でも夫は親は親だから尊敬しろなどという。私は自分が尊敬してもらえるような親でないのはよくわかっているから、尊敬何てしてもらわなくても、一生懸命子育てしてきたし、娘たちを大事に思っていることだけ伝われば十分だと思っている。大体尊敬何て言うのはこちらから尊敬しろというものではない。親の生き方、考え方、日ごろの生活態度などを見て子供たちが判断するもの。親だから無条件に尊敬される言うものではない。はっきり言って夫には尊敬される要素はないと思っている。自分の機嫌次第で当たり散らしたり、時には孫に手をあげたりしてきたから、娘二人は今も家に寄り付かない。孫もおじいちゃん怖いと言って嫌がる。完全にトラウマになっている"(-""-)"今日夫は虫の居所が悪かったのか(パチンコで負けたか?)家に帰るなり次女の態度が親に対して無礼だという。自分のしたことを棚に上げてというかすっかり忘れている。いつまで根に持つのだ。自分のしたことを反省もしないで相手だけを責めていたら関係改善は永遠に無理だ。何もないのに急に次女の態度が悪くなったわけでない。いろんな出来事の積み重ねで今がある。理不尽に怒ったり思い込みだったり、相手が気を悪くするようなことを平気で言ったり親だから何でも受け入れて許してもらえるわけではない。親子関係も人間関係。相手の話をよく聞いたり、時には謝ったり、気を付けて相手のが気を悪くするような言い方を避けたりというのは当然の気遣い。相性もあるだろうが、世の中に不仲の親子なんていくらもある。たまたま夫の家では夫の父親が親として尊敬されてうまく行っていただけ。っていうか昔風に父親を立てて家の中の秩序を保っていたのかも。夫は義実家が理想の家庭のようだけど夫にはそういう家庭を作るのは無理だと思う。まあ夫は娘や孫にはあまり関心もないし、会わなくて別に平気なようなので私は私で娘や孫にどんどん会いに行く。夫が娘や孫に会えないのは自業自得。仲を取り持つのも疲れた。夫が変わらない限り、関係修復は無理だし。親を尊敬とか自分は悪くないと言っているようでは永遠に無理だろう。実の親でもあまりにひどい毒親だと子供も寄り付かない。時には縁を切られる。どんな親でも親は親という考え方は今では通用しない。
2024.09.05
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糖尿病と言われたら、主治医に間食や甘いものを控えるようにと言われるだろう。先日夫も言われた。私も甘いものは好きだけど血糖値は二けたを維持している。血液検査でも血糖値が高いと言われたことはない。やっぱり個人差?結構甘いものをたくさん食べていても血糖値が上がらない人もいる。夫の場合は間食が多かった。私が止めてもこんなのカロリーは知れていると言って気にしてなかった。亡くなった私の父も糖尿病だった。亡くなった直接の原因は肺がんだったけど、そのずっと前から糖尿病、心筋梗塞もあった。父は甘いものが好きだったけど戦中戦後あんまり食べられなかったらしい。戦争中祖母が鍋に一杯ぜんざいを作ったから食べようとしたら、祖母が一晩寝かせたらおいしくなると言って食べさせなかった。その晩空襲にあって家ごとぜんざいの鍋も食べられなくなってしまった。そのせいか甘いものに目がなかった。おはぎを一箱まるまる食べたりしていたからそういう生活がたたったのだろう。糖尿病と言われインシュリンを打とうと主治医に言われたけど、父は嫌がって運動をするから待ってくれと頼んだ。父はマラソンを始めた。効果が出てお腹も凹んでスリムになり一時はマラソン大会にも出ていた。ところが次は心筋梗塞になった。意識してご飯を減らしたりいろいろ努力はしていたと思うけど。今になって思う。糖尿病だから間食をやめなさい。甘いものはやめなさいという方は簡単だけど、ちょっと甘いものを食べたくなること誰でもあるでしょう?わたしも毎日ではないけどたまに食べたくなる。友達とランチに行ったら食後ケーキを食べたりする。父にしても夫にしても糖尿病だから「ちょっとつまみたい」を我慢しなさいというのはちょっと酷かもしれないと思ったりする。透析患者は水分制限がある。お酒を飲む人は禁酒は苦しいし寂しいと思う。でも週に一度だけとか何かいいことがあったときは一杯だけOKにするひともいる。たまにご褒美という感じで飲みすぎなければ、週に一回くらいならOKというくらいのほうが節制も続けやすいのではないかと思う。完全にお酒を断つのは難しい。そうやってご褒美で釣りながらなんとか続けていく。そのほうがいいのではないかと思う。糖尿病患者もたまには少しだけ食べてもいい日を作らないと全面間食禁止はきついと思う。でもこれは一般論で夫の場合は自分に甘い人なので一日いい日を作ったらずるずる元通りになりそうな予感。どう工夫してやっていくかは一人ひとり違うだろうけど、糖尿病患者さん用の食べてもいいお菓子とかないのかな?甘さを控えていかにおいしいお菓子を作るかは難しいだろうけど。腎臓病患者用のおかしは入院中たべたことがある。正直甘みもしょっぱさも感じなくておいしくない。売っている店があるらしいけどわざわざ買いに行こうとは思わなかった。でも長生きしたいならなんでも飲み放題、食べ放題ではだめだろう。これ以上糖尿病を悪化させて失明や足の切断、透析などの事態を招かないためにも夫には頑張ってほしいけど。自分に甘い夫がどこまで頑張れるかだろうけど。わたしが食事作りで協力するにしても治療の主役は夫。夫がその気で、本気で取り組まないと血糖値は下がらない。動やる気を出させるのかが難しいところ。
2024.09.04
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夫は病院に行きたがらない人。その夫が特定検診で引っ掛かって血糖値がやばい。台風騒ぎがようやく落ち着いたので病院行ってきました。先週電話で聞いたところ糖尿病内科はあるけどまずは総合内科を受診して欲しいと言われました。家の近くの歩いて行ける病院。私も7年前までここで透析をしていた。最近はあまり行ってないけど、新病棟を増築して大きくなった。総合内科は新館にあった。夫が先生の話をちゃんと聞いてこないと思ったので一緒に言った。特定検診でC判定で血糖値が高い。HbA1cも6.4でヤバイ数字。それなのに結果を聞きに行ったら最初に検診を受けたAクリニックの先生によく聞いてねと軽く言われた。AクリニックA先生はいつも行っている病院ではない。夫がコロナの予防注射に行っただけで普段から通っているわけではない。本当に検診結果を説明する先生がそう言ったのか?夫がちゃんと聞いてこなかったのかわからない。もしかしたら一応説明は会ったもののほとんど聞いてなくて、最後の後はA先生に詳しく聞いてねのところしか聞いていなかったのかもしれない。夫は普段から人の話を聞いてないから。血液検査をしてそんなに混んでいなかったけど結構待った。ようやく呼ばれてやっぱりほぼ糖尿病と言っていい数値と言われる。普段ろくに運動もしない。間食が多いという話を聞いて(夫はそんなに食べてないと否定するから私が説明した)間食はやめなあかんねときっぱり言い渡された。運動も特定検診の結果を聞いてから少しはやるようになったけど。真剣に生活改善に取り組まないとどんどん血糖値が上がってますますやばくなるよ。先生に眼科も受診してねと言われた。糖尿病のために目が悪くなる、最悪失明する場合もあるからと言われる。わたしは糖尿病はないけど糖尿病の人と一緒に長年透析をやっていたから少しは知っている。とりあえず間食をやめて後は運動。それで少しは数値がよくなればいいけど。先生にとりあえず血糖値162を120くらいにと言われる。わたしは塩分を控えて食事を気を付けるけど、それ以外の間食をやめるのと運動は夫が頑張ること。間食をやめるということでリビングのおやつかごのおやつを廃棄。かごのおやつはほとんどパチンコでもらった景品。おかきや辛いおかしとか。これを夕食前にぼりぼりやって時には晩御飯が食べられないこともある。こういうの絶対にダメだよね。かごのおかし、ほぼ廃棄。それから買い物に行くたびに買っているアイス、焼き豚。アイスコーヒーをやめる。ダイエット成功しそうな予感(笑)ついでにお財布もダイエット。食費が減れば私もうれしい。我が家はふたりなのにし好品が多いから食費が多い。来週の月曜日に栄養士さんの話を聞きに行く。診察は一か月後。果たして効果は出るのか?自分に甘い夫、どこまで頑張れるのか。血糖値120を達成したらとりあえず何かご褒美で釣る作戦はどうだろう?(笑)糖尿病のご家族をお持ちの皆様何かいい方法があれば教えてくださいませ。(^^♪
2024.09.04
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8月まるまる夏休みだったので久しぶりのパソコン。やっぱり夏休み直前に教わったことはほぼ忘れている(笑)今日は先生が教材をメールに添付して送ってくれていざスタートというときなぜかうまく送付できない。時間を食うから先生が一人一人のパソコンに直接USBで送る。10人ほどいるから先生も大変。そうこうしてすっかり時間を食った。先生の教材をもとに関数で合計を出し、それをグラフにする。わたしはグラフ何て久しぶりだからすっかり忘れていた。今はラクチンになっている。表内のグラフに使いたいところをコントロールを使って選択したら、おすすめのグラフというのが表示されてOKボタンを押すだけでグラフができる。昔はどのグラフにするのか選んだり、軸に使うところを指定したり結構ややこしかったけど便利になった。そしてあっという間に横棒グラフが完成。もちろんそれで終わりではない。数値に寄って色分けする。30以上は黄色、25以上は赤。先生が説明する。なかなか理解できない。再度説明して全員のところを回る。1人もわからないという人を作らないのがここの教室のいいところ。わかるまで教えてくれる。先生が来られないと生徒同士で教え合う。わたしは以前ワードもエクセルも他の教室で習っているからすぐにできた。皆10年くらいやっているけど一人ひとり得意不得意な分野がある。古いマイミクの人は私がかつてワードやエクセルの試験を受けていたのを覚えているかもしれない。当時の教室でな受験を推奨していたので。透析患者のための教室だったので試験の受験料も出してもらえた。受験のための問題集も借りられた。もちろん当時の習ったことはほぼ忘れている。でもやっていたら思い出すときもある。覚えるのに時間がかかって、忘れるのが早いお年頃(笑)それにここの教室では試験を受けたとか合格したとかの話は一切していない。昔のことだし、少し習ったことはある程度にしか話していない。私がやったのは主にワード、エクセル、パワーポイント、アクセス一応一通りやったし試験も全部受けた。でもここでやっているのはそういうことばかりでなくCDの制作や動画の編集などどこの教室でもやったことのないのをやっているからそこでは私は全くの初心者。まああんまり試験を受けたことがある。合格したとか言う話はしないほうが無難と思っている。さあ忘れないうちに今日習ったことをまとめよう。私のメモは汚すぎて何を書いているのか自分でもわからないからいつも帰ってからワードで清書することにしている。復習を兼ねて。はやく復習プリントを仕上げて晩御飯の用意をしなくちゃ。今日は米不足に備えて買ってきたスパゲテイをゆでようと思う。ソースは市販。後はサラダをつけよう。ご飯は炊いてない。夫はパスタとか嫌いだけど我慢してもらう。本当に米がなくなったら嫌いとか言っていられないのだから。夫は阪神大震災の時お店に商品がなくて(交通網がズタズタになって生鮮食品とかのトラックが来なかった。スーパーにはパンとか冷凍うどんとか5品目くらいしか売ってなかった。)その時うどんはうまいけど揚げがない、ネギがないと文句を言うからそんなの今手に入らない。これだけ買ってくるのも大変だったのにと説教したのを覚えている。寒い避難所で冷たいお弁当やおにぎりを食べている人のことを思えば温かいうどんを食べられる幸せをかみしめてと夫に言った。全く"(-""-)"何でも売っている、何でもお金を出せば買えるのは当たり前じゃないのにね。
2024.09.03
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24時間テレビの中で八代亜紀さんの最後の日々をドラマ化していた。膠原病だったんですね。療養に専念されていてもうすぐ復帰できると聞いていたのに急変して亡くなられた。さぞもう一度舞台に立って歌いたかったことでしょう。わたしも膠原病と言われたことがある。透析をする前原因不明の高熱が続いて。大量のステロイドを点滴してようやく熱が下がった。炎症反応が致命的な数値で一時は命も危なかった。運よく生還できた。そのことを思い出した。昭和の名歌手がどんどんなくなられる。今24時間テレビを見ていたら亡くなった谷村新司さんの映像を流している。ああこの方も亡くなったんだ。昭和がだんだん遠くなる。昭和を代表するような歌手や俳優の方々が次々亡くなられる。歌は歌い継がれていくと思うけどご本人の歌がもう聞けないのは寂しい。50年近く八代亜紀さんの付き人をやっていた女性が語っていた。色んな周りのスタッフに支えがあって長年うたい続けてこられた。人と人とのつながる力,絆とかいろんなことを考えさせられた。歌の力でどれだけの人が励まされてきたことだろう。本当にありがとうございました。
2024.09.01
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