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最近は国立青少年教育振興機構の国際調査で、社会に出たら理科は必要なくなると考えている高校生の割合が日本が45.9%、韓国が33.5%、アメリカが27.6%、中国が17.6%だったそうな。まだ社会に出ていない未成年に社会に出た後のことを聞いても間違った答えになるのは仕方がないにしても、必要ないものだという意識で勉強したところで興味を持てなくてつまらないだろう。日本だけ突出しているのは日本の高校生は社会とのかかわりが乏しくて視野が狭いのかもしれない。理科は必要だと思うので、これについて考えることにした。●理科とは何か理科とは物理、化学、生物、地学の自然科学の教科をまとめたものである。例えば物理では力の働き、光、音、電流などを学び、化学では化学変化や質量などを学び、生物では細胞や遺伝子などを学び、地学では地層や気象や天体などについて学ぶ。●理科を理解していないと危ない現代社会は科学文明で、ほとんどのものが工場で化学的プロセスで製造されていて、取扱説明書に使用上の注意が書いてあって、科学的リテラシーがないと事故につながる。アフリカだと道路が整備されていないのでタンクローリーがしばしば横転して、こぼれたガソリンを盗もうとして住民がバケツを持って集まってきて、気化したガソリンがタバコの火とかに引火して何十人も死ぬ事故が何度も起きている。教育水準が低いのでガソリンが常温で気化して引火するするという知識がなくて、タンクローリーからガソリンが漏れているのは危険だという認識がなくて逃げるどころか窃盗チャンスとばかりに集まるので死者が多くなる。2013年福知山花火大会露店爆発事故では3名が死亡して59名が重軽傷を負った大事故が起きたけれど、これも理科の知識が乏しいことが原因である。ベビーカステラの屋台の店主が発電機にガソリンを継ぎ足そうとしたところ、カップルが座る場所を確保するためにガソリンの携行缶を発電機のそばに移動させていて、ガソリンが発電機の排熱で高温になって気化して内圧が高まっていて、店主がエア調節をせずにキャップを開けたとたんガソリンが噴出して事故につながった。ガソリン携行缶の管理責任がある店主に直接の責任があるとはいえ、ガソリン携行缶を熱いところに移動させたカップルにも間接的な原因がある。アパマンショップでは消臭スプレーの在庫を処分するために閉め切った室内でスプレーを使い切っていたら爆発が起きた。京都の焼き肉屋ではグリルの火力を増すために消毒用のアルコールを継ぎ足して炎上して客と従業員が重いやけどを負った。これらの事故は理科のリテラシーがあれば防げたパターンで、理系の仕事でないからといって理科の知識が必要なくなるわけではない。零細企業の工場だとコンプレッサーをふざけて同僚の尻に向けて死亡させる事故もたまに起きている。どんなに便利な工具でも目的外の用途をすると事故につながるし、理科の常識がない馬鹿が人に工具を向けると殺人兵器となる。中国の甘粛省の幼稚園ではコスト削減のために蒸しパンの着色に食用の着色料を使わずに絵具を入れて、233人の園児から異常な量の鉛が検出されたそうな。コスト削減が目的ならそもそも何の着色料も使わなきゃいいのに、わざわざ食用でない有害なもので代用するあたりがチャイナクオリティである。スピリチュアル系の詐欺も理科を理解していない人がターゲットになる。カウンセリングだけなら合法だけれど、レイキヒーリングや波動とかの科学的根拠がない施術で健康効果があると称して医療行為としてやるのは違法だし、病院での治療が遅れて病気を悪化させかねない。理科を知らないと陰謀論にもつながる。例えば飛行機雲は飛行機の排気ガス中の水分が空気中で冷えることで雲になるけれど、陰謀論者は理科を理解していないので飛行機雲は人口削減のために毒を散布しているケムトレイルだと主張するようになる。釣りにも理科が関係していて、月の引力で満潮や干潮のサイクルがあるし、雲の流れから天候の変化を読めないと高波にさらわれたり足場が水没したりして水難事故につながる。●理科は生活に必須である掃除は理科の知識が役に立つ典型である。例えばシャワーヘッドについた水垢はアルカリ性の汚れで、そのままこすっても落ちにくいけれど、酸性のクエン酸を溶かした水につけておいたら軽くこすっただけで水垢がポロポロとれて、シャワーヘッドが新品みたいにピカピカになった。理科の知識がない人は力任せに汚れを削ろうとするけれど、化学反応を利用する方が簡単に掃除ができる。これは洗濯も同じで、力任せにこすって汚れを落とそうとすると生地が傷むけれど、洗剤を使って繊維に絡みついた汚れを分解すると生地を傷めずに洗濯できる。体調管理にも化学的知識が必要で、腎臓に結石を作らないためにカルシウムを多くとるとかの分子の結合について知っておかないと特定の栄養素を多くとりすぎたり不足したりして病気になる。柿を食べすぎると柿のタンニンと胃液が化学反応を起こして柿胃石ができることがあるけれど、コーラを飲むと柿胃石を溶かせるという知識も柿が好きな人は知っておくほうがよい。虫歯や歯石のできやすさも理科の知識が関連していて、口の中が酸性だと虫歯になりやすい一方で歯石はできにくくて、口の中がアルカリ性だと虫歯になりにくい一方で歯石ができて歯周病になりやすくて、これは歯磨きだけでなくて唾液の量とかの個人の体質にもよるそうな。私の高校の同級生は虫歯になりにくい体質で歯磨きをさぼっていたので、そういう人は歯垢が残って歯石ができやすいのだろう。●理科を理解していないと料理がまずくなる料理は化学と同じで、レシピと同じ工程で作れば誰でも同じ味を再現可能である。調理の工程にも化学的な理由があって、例えば調味料を使う順番の「さしすせそ」は分子の大きい砂糖から先に入れないと食材に味が染みないので順番を守る必要がある。肉を調味料に漬け込むと内部まで味がしみこんだり、魚を塩に漬けると水分が出てきて身が締まったりするのも細胞の浸透圧が作用している。液体窒素とかを使った分子ガストロノミーも変なことをしているわけではなくて化学的に合理的なことをやっている。レシピ通りに作ればおいしい料理が作れるはずなのに、まずい料理を作る人が少なからずいる。料理が下手で、手順に戸惑ったりもたもたしたりするだけならたいした問題ではない。しかしわざわざ美味しく作れるレシピをアレンジしてまずい料理を作る人は味覚がおかしいか、頭がおかしいかのどっちかである。例えば気分次第で分量を量らずに調味料をどばどば入れたりすると、適量をどのくらい超えているのかという分析や改善もしにくくなって失敗から得られるものも少ない。それゆえにまずい料理を作る人は気分次第で失敗のパターンを無数に増やしていくだけで、いつまでも料理がうまくならない。●理科は応用の範囲が広い理科の知識は他の分野に応用できることが多い。スポーツだと物理との関連が強くて、例えばボールにスピンをかけるとまっすぐ飛ばずに曲がるのはボールと空気で摩擦が起きるからで、野球、サッカー、テニス、ゴルフ、卓球とかのたいていの球技だとスピンが技術として必須になっている。格闘技だと相手の攻撃をガードしてもダメージをうけるので、力のベクトルをかわしたり受け流したりする技術が重要になってくる。音楽だと音響システムを組むときにスピーカーのインピーダンス(電流の流れにくさ)で音の大きさが変わってくるし、イコライザーで周波数を調整する必要があるし、部屋の広さによって音の反響の仕方やスピーカーのちょうどいい位置も変わってくるので波の干渉の理解が必要になる。美術だと光と色の関連が強いので、画家やイラストレーターは自分が意図したとおりの色を出すために照明やモニタの発色に気を付ける必要がある。筆先を自由に使うには力のベクトルや摩擦を把握する必要がある。自然の造形美もデザインに活かされる。文学だと言葉は母音と子音が組み合わさっているという点で化学式に似ていて、理科の発想も応用できる。例えばガートルード・スタインの詩にある"Rose is a rose is a rose is a rose"というフレーズはポリマー的な言葉の使い方といえる。芸術系はいろいろなアイデアを組み合わせるために引き出しが多い方が有利なので、一見無関係そうな理科も武器になりうる。マジシャンは磁力がある指輪をはめて磁石を埋め込んだマジック用の小道具を指の裏に隠したり、磁力の反発で物を浮かせたり移動させたりして、目に見えない力を使って観客を騙している。マーケティングにも理科が関連していて、不動産の価値を正当に評価するには地層の知識や夏や冬の日光が当たる角度の把握が必要になる。商店街はたいてい道路をはさんで両側に店があるけれど、パッと見て日当たりがよいほうが店の印象が良く見えるものの、日中に日陰になる側の店のほうが紫外線で商品が傷まなくて八百屋や服屋や本屋とかの店先に商品を並べて集客するタイプの小売りに向いているので、冬に出店する人は夏の日差しを計算に入れないと失敗する。●まとめそもそも世界の仕組みの原理原則を理解するのが高等教育で、実務的な知識を得ることや直接仕事に役立てることを目的にしていない。実務的な知識は新しい技術が発明されて代替されたときに役に立たなくなるけれど、高等教養で習う物事の原理原則は不変のものである。原子と原子がくっつくと性質が変わるよ、温度でも性質が変わるよ、という理科の原理原則を知っておけば、学校で教えられなかったことも理解しやすくなる。例えばポリエチレンやポリエステルやポリプロピレンの化学式を知らなくても、レジ袋を引っ張ったら割けにくくて薄く伸びてガサガサ音がするのはポリマーの分子が絡み合っているからだと理解できるし、プラスチック製品のポリなんちゃらはポリマーのことだと理解できる。どんな学問であれ〇〇は必要ないと言っている人は高等教育を受ける意味がないので、中卒で専門学校にでも行って仕事に必要な知識と技術だけ覚えて働けばよい。教養がなくて世界の仕組みについて知らなくても仕事さえできれば生きていくことはできる。ただし「自分にとって必要ない」というだけならまだしも、「社会にとって必要ない」と言うようになると教養がないのを通り越して馬鹿である。学校でわざわざ教科として教えるのには相応の理由があるので、よく考えずに必要ないものとみなしてはいけない。
2025.07.27
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最近は参議院選挙が近いせいか、ポピュリズムとかのよくわからない言葉がレッテル貼りに使われているので、これについて考えることにした。●レッテルとは何かレッテルはletterのオランダ語での発音のようで、もともと文字を意味する。商品名とかを書いた紙を商品に張り付けたことから、人物を断定的に評価したり物事内容を一面的に決めつけたりすることをレッテルという。例えば「あいつは〇〇だ」と一面だけをとらえて断定することがレッテルを貼る行為である。●ポピュリズムWikipediaによるとポピュリズムとは「政治変革を目指す勢力が、既成の権力構造やエリート層を批判し、人民に訴えてその主張の実現を目指す運動である」そうで、エリート主義の対義語となっていて、政治家、官僚、裁判官などの既成の権力を持っているエリートが批判の対象になる。日本だとポピュリズムが悪い事であるかのように使われるけれど、政治変革を目指すこと自体は別に悪いものではない。例えば減税に反対する政治家や経済学者が「減税ポピュリズム」という言葉を使って批判しているけれど、減税が政策として正しいかどうかとポピュリズムは別の問題で、正しい政策ならエリート主義だろうがポピュリズムだろうがやればいい。不景気の時は減税したり金利を下げたり財政出動をしたりして景気を刺激して、好景気の時は増税したり金利を上げたり財政出動を減らしたりしてバブルが起きないように景気を引き締めるのが経済政策の基本だろうに、減税を訴える政治家を大衆の人気取りをするポピュリストとして批判するのはおかしい。国民民主党の榛葉賀津也幹事長が自民党が0.8兆円のガソリン税の暫定税率の廃止の財源はないと言う癖に選挙前に1人2万円の給付金を配ることに対して「庶民を馬鹿にするな」と演説していたように、自民党は明らかに不合理な主張をしているのに、それを変革しようとする野党をポピュリズムとしてレッテル貼りするのは庶民を馬鹿にしている。日本維新の会の柳ケ瀬裕文議員が財務省の試算で毎年約10兆円も税収を少なく見積もっていて税収弾性値が間違っていることを指摘したように、財務省も明らかに間違っているのだから、財務省のレクチャーを受けた議員もまた間違った政策をするようになる。高齢者はほとんど中卒や高卒なのでエリート主義で官僚や政治家任せなのだろうけれど、若くなるほど大学進学率は増えていて20-40代は約半数が大卒で官僚や政治家の嘘や詭弁や間違いがわかる程度には頭がいいので、エリートへの批判が増えているのだと思う。首相にしたい人に小泉進次郎の名前が挙がるのが典型的で、高齢者はエリート主義なので自民党の世襲エリート政治家を支持するし、若い人はたいていの大卒なら小泉進次郎より頭がいいのであんなアホが首相候補とかありえないと批判する。与党が状況に応じて柔軟に政策を変更して正しい政策をとれるのなら政治変革を目指すポピュリズムは起きない。ところが自民党の森山幹事長が「消費税を守り抜く」と発言したように、与党の政治家は財務官僚に洗脳されて消費税増税路線を変更するつもりがない。出生数が70万人を割ったことに対して三原こども政策担当大臣は「重く受け止めている」と言って石破総理は「少子化に歯止めがかかっていない状況を重く受け止めなければならない」と言ったけれど、政策を変えるつもりがなくて、少子化は国の根幹に関わる重要課題にもかかわらず、日本人の人口を増やそうとせずに外国人移民の受け入れを拡大して対処しようとしている。与党が政策を変えないなら他の党に投票するしかないじゃんということで政治変革の機運が高まって、前回の衆議院選挙のように自民党の票が減った分だけ国民民主党、参政党、れいわ、保守党とかの新興政党の支持が増えているのだろう。エリートの官僚が間違った政策をしてきたからこそバブルが起きてバブルが崩壊して他の国が経済成長している中で日本だけ30年成長してこなくて度重なる増税で生活が苦しくなるのだから、大衆がエリートと逆の政策を求めるのは当然の流れで、だからこそ財務省解体デモが起きたし、野党が消費税減税や廃止を求めるようになった。ポピュリズムの政治変革が起きるのは政治家が大衆の声を聞いていて民主制が機能している証でもある。民主制が機能しないと行きつく先はフランス革命のような暴徒化した大衆による支配階級の追放や処刑で、スリランカでは経済政策に失敗して経済危機が起きて公邸がデモ隊に占拠されてラジャパクサ大統領が軍用機で国外逃亡した。日本の政治家や官僚も暴徒に殺されないうちに過去の政策の間違いを認めて陳謝して方針転換して、民主的に問題を解決するのが良いだろう。●差別主義左翼はしばしば保守に対して差別主義者というレッテル貼りをする。差別はわかるけれど、差別主義という主義はない。じゃあ差別主義という言葉は何を意味しているのかというと、左翼が主張する多文化共生とLGBTQの推進に反対する人を指すようで、あたかも左翼が正しくて他の人が間違っているかのような印象操作である。差別と区別は違うもので、性は法的にも生物学的にも区別されるものである。トランスジェンダーのトイレや銭湯の使用はどの段階で男性や女性見なすのかという区別の問題で、男性器がついている人が女装したところで生物学的には男性なので女性として区分されないのは当然である。リベラルの要求通りに区分しないと差別なのかというと違うだろう。差別は何かというと、例えばカトリック教徒が多い南米だとしばしば女装して歩いている男性が襲われて殺されたりするし、イスラム教徒が多い中東やアフリカだと同性愛者やトランスジェンダーが殺されたりする。これは差別主義という何かの主義者がいるのでなくて、神は男女を作ったのでそれ以外の性はないという一神教的な宗教の教義が原因となってLGBTQが差別されている。どの共同体であれ価値観が異なる人は差別されがちだけれど、差別主義だとレッテル貼りしたところで差別が解決されるわけではないし、宗教を否定しない限り性に関する根本的な差別はなくならない。racism(人種差別主義)という言葉はあるけれど言葉の使い方としては正しくなくて、白人至上主義やユダヤ人の選民思想はそれぞれ違う理由で人種を差別しているので分けて考えるべきものである。白人至上主義もユダヤ人の選民思想もどちらも宗教が理由なので、結局は差別をなくすには宗教を否定する必要がある。国籍も区別されるものである。糖尿病のガーナ人が生活保護の申請が却下されたのは不当だと訴えた裁判で外国人は生活保護法の対象外だと判決が出たように、外国籍の人の権利はその母国が保護するものであって、日本が外国人の保護をする責任があるわけではないし、外国籍の人に生活保護を与えないことも差別ではない。ラサール石井が「人間にファーストもセカンドもない」と言うのは個人の信条としては好きにすればいいけれど政府の対応としては間違っていて、例えばスーダンのように戦争が起きた国から法人を避難させるために日本政府が飛行機をチャーターするけれど、日本人を優先せずに誰でも先着順に乗せていたら日本政府が邦人を保護する責任を果たせなくなる。左翼は参政党を差別主義者だと批判して演説を妨害しているけれど、じゃあ国家ぐるみで反日教育をして日本人を差別している中国や韓国を差別主義国家や差別主義者として左翼が批判してきたかというとしていない。結局のところ左翼は日本を批判する名目があればなんでもよいわけで、差別に反対する人道主義者を気取ったところで日本国旗にバツ印をつけたりして日本人を差別して日本を破壊したいという思想が根底にあるのが丸見えなので、左翼が熱心に政治活動するほど化けの皮がはがれて支持者は減っていく。●排外主義参政党の「日本人ファースト」というスローガンにも左翼がヘイトスピーチだ差別だと噛みついていて、TBSは『報道特集』で参政党が排外主義であるかのように偏向報道をして炎上している。外国人の不法就労をきちんと取り締まったり、偽装難民を送還することは法治国家ならやって当然でやらない方が問題なのだけれど、「不法外国人の排除」を「外国人の排除」にすり替えて排外主義としてレッテル貼りする藁人形論法が左翼の批判手法になっている。そもそも左翼は今まで沖縄の在日米軍の犯罪を問題視して排除を訴えてきただろうに、それを排外主義と呼ばないのはダブルスタンダードである。大手マスコミに入社する人はそれなりに高学歴で頭が良いのだろうけれど、なぜ選挙期間中にアナウンサーが「自分の1票が身近な外国人を脅かすかも、想像力持って投票を」と参政党の落選運動ともとれる主張をするのかというと、根底に日本人の財産を外国に渡そうとする反日思想がある。韓国の統一教会が日本人信者を詐欺のターゲットにしたのと同じで、在日韓国人が朝鮮併合を恨んで日本を衰退させるために活動している。TBSは民主主義の根幹である選挙でさえ公平に報道する気がないのだから、その他のニュースも当然偏向しているだろうし、TBSのような極左からみたら外国人の犯罪の取り締まりを求める普通の日本人が排外主義に見えるようである。TBSは坂本弁護士一家殺人事件から体質が何も変わっていないし、TBSが身近な日本人を脅かすかもしれないので報道に関わるべきでない。MBSは外国人の犯罪で治安が悪化しているイメージはデータ上では誤りだとして、犯罪検挙人数を根拠にしている。これは数字は嘘をつかないけれど嘘つきは数字を使うパターンである。例えば川口市では警察が外国人絡みの苦情や事件を面倒くさがって対応しなくて被害者が泣き寝入りしているけれど、この場合は犯罪として認知されないし検挙もされないので犯罪としてカウントされない。外国人が運転する暴走車に追突されたりしても事故なので犯罪としてはカウントされない。警視庁は2025年1-6月の外国人運転手による死亡・重傷事故が昨年同期より19件多い258件で、全体に占める割合は2.1%で2016年の1.0%から倍増して過去最高だそうな。川口市では2024年9月29日に中国人の19歳の少年が飲酒運転で一方通行を時速約125キロで逆走して車と衝突して51歳の会社役員の男性が死亡する事故が起きたけれど、これは通り魔がうろついているようなもので誰でも被害にあう可能性があった。三重県でもペルー人が運転している車が高速道路を逆走して事故が起きた。暴走族がいる町は治安が悪いと思って当然だろうに、外国人が運転する暴走車が走り回っているのを治安が悪いと思ってもデータにないから「誤り」扱いされるのか。戸田市では河合ゆうすけが戸田市議選で埼玉県南部の外国人移民の犯罪の取り締まり強化を訴えて歴代最多得票数でトップ当選したし、市民は間違ったイメージに基づいて排外主義になったのではなくて、日々生活するうえでの実体験から当然の要求として治安を求めているに過ぎない。最近は難民申請を6回繰り返して20年間日本に滞在して解体業を経営してフェラーリやクルーザーを乗り回していたクルド人のリーダー格のユージェル・マヒルジャン(34)が強制送還されることになって「入管に爆弾を投げてほしい」と仲間に呼びかけたそうだけれど、テロの扇動するほど反社会的な外国人を20年も送還できなかったのは問題である。彼は「旅券を取り直し、近隣国を経由して日本に戻ってくる」と言っているように、自国に戻っても政治的理由で投獄されたり処刑されたりするわけでもないし、彼みたいに明らかに難民ではない偽装難民でも仮放免中に生活費が支給されているし、日本人が増税されてそのフリーライドの費用を負担している。その問題を解決するために不法滞在している外国人への対処を厳しくしたところで、合法的に日本に滞在している善良な外国人には何の問題もないだろうに、どこが排外主義なのか。2025年5月1日に成田市でブラジル人の言語学の修士号を持つ研究者の女性が「日本はとても安全な国。だから私はここに移住したい」とSNSに投稿した後にスリランカ人の男性に強盗されて放火されて一酸化炭素中毒で死亡したように、日本に移住したがっている善良な外国人にとっても民度が低い外国人が日本にいることがリスクになるのだから、外国人と共生したいのならなおさら治安は重視しないといけない。ヨーロッパが語学学習や就職支援プログラムとかを用意して中東やアフリカの貧しいかわいそうな移民を大歓迎したのに結局多文化共生に失敗して移民の受け入れを停止して右傾化したのは治安が悪化したのが大きな原因で、治安問題から目を背けたら共生は無理である。川口市を視察中にクルド人に追跡されて武南署で取り囲まれた高木功介県議らが刑事告訴して記者会見して「被害に遭っても黙殺され泣き寝入りしてきた住民の思いも込めて告訴した」と言ったり、会見に参加した市民が「クルド人の問題をこじらせているのは、あなたたちジャーナリストの皆さんです」と批判したりしたように、不法外国人の犯罪を取り締まることさえ排外主義扱いして外国人に肩入れして被害者の人権よりも加害者の人権を守ろうとするマスコミが外国人問題の解決を遅らせてこじらせている。もはやマスコミは市民の敵で、人権意識が高いエリートジャーナリストを気取っているマスコミも大衆によって否定されて、もう若者はテレビを見なくなったし新聞を読まなくなった。●まとめ選挙がその後の数年の政治の行方を左右するので、レッテル貼りによる印象操作に惑わされずに各政党の政策を多面的に見て、自分の生活や日本の将来を良くするにはどうすればよいのかをよく考えてから投票するべきである。選挙が終わったので追記。衆院選で自民党が負けたのにその後に何の実績もない石破総理のまま参院選をやったところで勝てる理由がなくて、予想通りの自民党が大敗して議席を減らす結果になった。山形、秋田、和歌山、愛媛、徳島、鹿児島、沖縄とかの地方では自民党の議員が2位で落選して無所属の議員が当選していて、自民党の組織力を動員しても無所属に勝てないのだからだいぶ支持者が離れたようである。杉田水脈や長尾敬とかの自民党の保守派議員も全国比例で落選したけれど、自民党内に保守派がいても党議拘束で結局リベラル法案に賛成するので最初から保守的な主張をする参政党や保守党に投票するほうがましだということなのだろうし、自民党に代わって保守の受け皿になった参政党は6議席が目標だったのが2倍以上の14議席を得て躍進した。しばき隊とかの参政党のアンチの左翼がレッテル貼りだけでは満足せずに日本国旗にバツ印をつけたり東京都選出のさや氏に殺害予告をしたりしてあからさまな反日活動や選挙妨害をしたことが逆効果になってかえって日本ファーストの必要性を高めて参政党の追い風になったようである。国民民主党は17議席を躍進していて、高齢者ほど自民党支持率が高くて、若者ほど国民民主党の支持率が高いようで、上で書いたように若者は半分が大卒で頭が良いので自民党の嘘が理解できるので自民党を支持しないのだろうし、国民民主党の政策を理解できるし所得控除の影響が大きいので玉木の不倫とかの問題があっても国民民主党を支持するのだろう。チームみらいの安野氏も当選したけれど、この人もたぶん若者の支持が多かったのだろうし、イデオロギーとは違う軸での政策には期待が持てる。高齢者が支持してきた古い政党は高齢者が死んでいくにつれて議席を減らしていって、今後は若者が支持する政党が力をつけていくのだろうし、ようやく日本の政治が変わる兆しが出てきたのは良いことである。
2025.07.15
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私はついさっきまでかわいい幼児だったのに、朝起きたらかわいくないおっさんになっていた。時間の流れは速いものだと思ったので、徒然なるままに流れについて考えることにした。●様々なものが流れている時間は概念として流れているともいえる。万物は流転して環境の変化から様々な生命が生まれてきたので、必然的に生命にも流れがある。人体は絶えず血液を循環させないと細胞に栄養や酸素が行きわたらなくて壊死してしまうので、意識しなくても寝ている間でも心臓と肺は動いている。細胞も流転して死んだ細胞が新しい細胞と入れ替わっていて、細胞のコピーが正常にできなくなると老化やがんで身体の機能が衰えて死に近づいていく。脳は神経細胞から電気信号やらなんやらが流れるので五感を感じる。人間が作った様々なものにも流れがある。インフラは電流、水流、物流が滞らないように整備されている。空気の流れも家や都市設計では重要で、一戸建ての屋根が風を受け流したり、オフィス街でビル風が強くならないようにデザインにしないと、台風のときに屋根が飛んだり看板が飛んだりして被害が大きくなってしまう。家の中の空気がよどんでいるとカビが生えやすくなるし、料理の煙やたばこの煙が室内に充満すると肺がんの原因になる。企業はいくら売掛金が多くても現金が足りなくなって支払いができないと帳簿上で黒字でも倒産するので、現金が不足しないように入出金のキャッシュフローを管理している。服や音楽とかの流行も流れるように伝播して移り変わるもので、特定のスタイルが他よりも優れているわけではなくて、なんとなく皆が真似することで時勢として勢いづいて、次第に飽きられて他の流行に取って代わられる。流れに乗れる人はITブームの時にプログラミングをしたり仮想通貨ブームの時に億り人になったりSNSブームの時にインフルエンサーになったりして稼ぐ一方で、生きづらい人は様々な流れに乗れていないのだろう。ただし流れに乗ることと、流されることは似ているようで違う。世間の流れが自分の主義と違うなら、安易に流されずに抗うほうがよい。新型コロナワクチン接種の同調圧力なんかが典型的で、テニスのトップ選手のジョコビッチはワクチン接種を強制されることに反発して大会出場を諦めてでも未接種を貫いた。結局は新型コロナワクチンは感染予防効果はなかったので感染防止目的で接種するのは無意味だし、専属のトレーナーをつけて体調管理に一般人以上に気を付けている若いトッププロのスポーツ選手は重症化予防の目的で接種するメリットもあまりないし、他人に強制されて接種するようなものではなかった。サッカー選手や野球選手はワクチン接種後に死亡したり心臓疾患で引退したりした選手がいるけれど、チームが逸失利益を補償するわけでないし、体が資本だからこそ安易に他人に決定をゆだねてはいけない。●理解の流れ物事には因果関係があるので、人間は何かを理解するときは何かの出来事に基づいて別の何かの出来事を説明付けようとする。例えば科学がない時代は雷が落ちて木が燃える現象を理解しようとして、雷や火を司る神の力だとかの原因をでっちあげて理解しようとした。そんで火が付くには条件があって、どうやら発火点や酸素や水分とかが関係しているらしいぞと実験でわかるようになって、じゃあ原子が他の原子とくっつけばいろいろな物質になるやんけ、AならばBやんけ、BならばCやんけ、CならばDやんけという流れで事実をもとに他の事実も芋づる式に理解できるようになる。いまでは科学的教育を受けた人は共通の理解を持てるようになった。我々が事実を科学的に理解すれば物事の認識が異なることはないはずだけれど、実際は世界中で認識の齟齬があって、様々な物事に対して理解が異なっている。数独(ナンプレ)は最初に用意された数字を基にして残りの数字を論理的に推測して埋めていくけれど、どこか一つの数字を間違うと他の数字もあちこち矛盾することになるように、理解のどこかの段階で間違いを含むと最終的に間違った認識が出来上がる。その認識の相違の根源を辿っていくと宗教が間違いの大きな原因になっていて、宗教の経典は科学が未発達な時代に書かれて間違いだらけなので必然的に現実の理解も間違うようになる。例えば一神教の宗教では全知全能の神がいるという概念をあらゆる思想の根源にして、神の教えを説いた経典を基にして世界の理解を発展させているので、そこから物事の認識が狂っていって、事実と矛盾するところが出てくる。神に祈れば苦しみがなくなるはずだと勝手に期待して、なぜこんなに祈っているのに神は助けてくれないのだと期待通りにいかないことを嘆いて、これは神が自分に課した試練なのだと勝手に解釈して納得して、神の教えを記した経典に従えば天国に行けるのだということを希望にして、宗教を広める目的のためならどんな手段でも正当化して、経典に異教徒を殺せと書いてある通りに異教徒を殺したり奴隷にして改修させたりするし、同性愛は男女を作った神に反するので異端として殺そうとする。神は正しい、経典は正しいということを前提に世界の理解が出来上がっているので、世俗化して宗教の影響から抜け出さない限り間違いが正されることはないし、倫理観が修正されることはない。自分と異なる宗教の人を殺したところで自分の正しさが証明されるわけではないことを理解していおらず、神の名を騙って蛮行を正当化する愚か者となる。一方で仏教はあらゆる生物はいずれ死ぬという生死一如の真理を基にして、苦しみをなくするにはどうすればよいのかと思想を発展させていったし、わからないことは断定せずにわからないという態度なので、仏教の教えは現実と矛盾するところはあまりない。ブッダが弟子にした筏のたとえ話があって、旅人が筏で川を渡って、筏が役に立ったからといって川を渡った後も筏を担いで歩くのは適切な行動かと弟子に尋ねて、仏教の教えも必要なら使って必要ないなら執着せずに捨てろと教えている。小乗仏教はブッダや経典に対する信仰ではないという点で宗教ではないし、同じ仏教でも仏を拝んだりお経を唱えたりすれば極楽浄土に行けると主張する大乗仏教と小乗仏教とは本質的に違うものである。欧米の意識が高い人には無宗教や無神論者の人やマインドフルネスとかの仏教の思想を取り入れたりする人がいるけれど、たぶん頭がいい人ほど一神教の欺瞞に気付くのだろう。神道では『古事記』や『日本書紀』は神典という扱いになっているけれど、昔話のようなもので教義があるわけではない。古代に天皇が実在したことを信じる人はいても、現代にイザナギやイザナミとかの神々が日本列島を作ったと信じる人はいない。仏教では幽霊という概念はないけれど、日本人に幽霊を信じる人が多いのは、子供のころから初詣とかをやってきて八百万の神々とかの超自然的なものや霊的なものを受け入れているからだろう。物事の因果関係を論理的に理解して説明できる人は理性があると言えるし、物事の抽象的な因果関係を直感的に理解できる人は悟性があると言える。例えば宮本武蔵は悟性があって、現実的な合理性を軸にして特定の武器や構えにこだわらない戦術を組み立てたので、非合理的な構えや小手先の技にこだわる人と戦ったときに有利になったのだろう。ただし人間にとって理解したように感じられるからといってそれが事実というわけではない。例えば統合失調症の人は関係ない物事を結び付けて理解したつもりになっているし、地球平面論者も本人はそれが正しいものだと理解したつもりで主張している。第三者が検証可能な形式にすることで自分の現実の理解が正しいかどうかがわかるので、理解することよりも検証することのほうが重要である。ITなら開発環境でテストしてエラーが起きないか検証してからシステムを実装するけれど、人間の場合は知識が正しいか間違っているかあやふやなままダイレクトに継ぎ足していって認識の体系を作るので、理解が間違っている場合に流れを遡って原因を突き止めて修正するのが難しい。宗教的な間違いを受け入れない人もいるし、学者とかでキャリアを気にして間違いを認めようとしない人もいる。●芸術と流れ宗教が物の認識に影響を与えることで、芸術観にも違いが生まれる。イギリスの美術評論家のジョン・ラスキンは神の創造物である自然に完全さを見出して、自然をありのままに再現すべきだという考え方をした。その一方で日本画は中国の絵の影響を受けていて風景を忠実に描こうとしなくて、尾形光琳の『白梅図屏風』は余計な背景をそぎ落として梅の枝ぶりのぐねった感じと川の流れのぐねった感じをドヤァと描いて主題を強調して、梅の木の周りのどうでもいい雑草とかの気が散るような細部はいちいち描かない。芸術には文脈の流れもあって、作者は自分が生きた時代の思想の影響を否応なく受けて、思想や技法の流れを継承したり、あるいは反発して別の流れを作ったりしてきた。だから明治時代の日本画の画家が文脈を外れていきなり精緻なリアリズムの西洋画を描けるようにはならなくて、ヨーロッパに留学して油絵の技術だけでなくて西洋思想自体を学ぶ必要があった。明治時代は西洋画が最先端の思想だということで、小説家志望の人でも絵を勉強させられたそうな。現実世界をどう理解するかという思想が独自性の根源になるし、既存の作品が作られた背景とかの文脈をどう理解するかが差異を作るので、芸術家は創作技術だけあればいいというわけではなくて歴史や哲学や他のジャンルの芸術の教養も必要になる。芸術は時間と関連していて、たいてい時間の流れを表現するか、あるいは一瞬の出来事を表現している。例えば横山大観の『生々流転』は山中の木の葉の霧の雫が渓流になって支流と合流して大河になって海に流れ込んで雲を呼ぶという水の一生を描いていて、絵としては一瞬の場面だけれど、概念としては移り行く時間の流れを表現している。音楽は時間の芸術で、初めから終わりまで連続した時間の流れを鑑賞する形式になっている。小説や漫画や映画は物語を必ずしも時系列順に展開する必要はなくて、回想シーンで過去に戻ったりすることもある。因果関係が物語の流れの中心になって、そこに感情の抑揚が加わる。例えば推理小説では誰かが殺されて犯人を推理して突き止める流れになるけれど、淡々と捜査して犯人を捕まえるだけでは読者は共感できないしたいして面白くないので、恐怖や憎悪や悲しみや驚きや安心や憐憫とかの登場人物の感情の変化が描かれる。登場人物の感情に共感してスッキリするだけなら娯楽作品だけれど、犯人が殺人に至った理由とかの登場人物の思想が読者にも理解できるように描かれれば読者の認知に影響を与えうる芸術作品になりうる。特に小説は言葉の意味が直接読者に伝わるので、作者が理解していないことをあやふやに書いても読者も理解できないし、作者や登場人物の物事の理解の仕方を読者が追体験できるような流れで書く必要がある。芸術家は自分が生きた時代を観察して作品を残して、良い作品は古典として歴史の流れの中に組み込まれて、未来の世界でも参照されるようになる。●文明の発展の流れ人間は食事をしないと死んでしまうので、まず食料を得るための道具が発展してきた。骨の釣り針や石の斧や黒曜石の槍とかで獲物を効率よくとれるようになって、そうすると調理器具や保管容器とかも必要になってかまどや土器が作られて、余った獣の皮で服が作られる。荷物が増えると移住しにくくなって、農業を始めて定住するようになると家の住み心地が良くなるように頑丈で雨漏りしなくて洪水とかの災害に強い家に発展して、家具や寝具が発展していく。大きな家に食料や財産を蓄えるようになるとそれを奪おうとする人が出てきてより強い武器を求めてかまどで金属を溶かして青銅器や鉄器が作られるようになって武器や防具が発展して、周辺の集落を征服すると大勢をまとめる必要がでてきて、身分や掟とかの社会制度が発展して、人間同士で殺し合うようになって苦しみが大きくなるとこの生き方でよいのだろうかと道徳や宗教が発展していく。集落の人数が増えると分業で効率よく作業できるようになって、手工業や兵士とかの専門職が発展していく。征服や交易の距離を広げるために馬を捕まえて乗るようになって、馬が荷物を引けるように荷車や馬車が作られたり、船が作られたりするようになって、乗り物が発展していく。乗り物は人力で動かしたり動物に引かせたりしていて動力不足がボトルネックになっていたものの、蒸気や電気で動く機械が発明されると生産効率が良くなって余った労働力は知的労働をするようになって学問が発展していく。大型船で外国と貿易をするようになると難破するリスクを分散させるために株式会社ができて、銀行ができて融資したり保険会社ができて損失を補填したりするようになって大規模な設備投資が可能になって経済が発展していく。起業家が出現して貧富の差ができると個人の幸福を追求するようになって、医療や福祉が発展していく。機械を動かすために木炭、石炭、石油が大量に使われて環境破壊や環境汚染が深刻化していくにつれて省エネ技術が発展して、乱獲や環境破壊で絶滅する種が出てくると植林・養殖技術や動物の生態研究が発展していく。先進国ではすでに衣食住やインフラや医療が充実していて、飢える人はあまりいなくてむしろ肥満が健康上の問題になっているし、生活を便利にする家電もいろいろあるし、モノはこれ以上いらなくなっていて省エネ効率を高めるくらいしか発展性がない。じゃあこれからは文明はどういう方向に発展していくのか。科学の発展という点では、スーパーコンピューターやAIの演算能力が増えることで科学的真理の発見や社会問題の解決とかにつながるかもしれない。製品開発の際には加速試験をして数カ月かけて劣化具合をチェックするけれど、もしコンピューター上で正確なシミュレーションができるようになれば製品開発のスピードが速くなって、不良品も出にくくなって、技術的理由による事故や損失が起きにくくて効率がよい社会に発展するかもしれない。個人の幸福の追求という点では、いくら生産効率を高めても消費者は限られていて経済成長には限界があるので、金やモノを増やすよりも面倒な作業を機械やAIに任せて労働時間を減らしてストレスを少なくして健康を追求したり、労働時間が減った分の余暇で芸術を鑑賞したりスポーツやゲームとかの娯楽をしたりして精神的充足を得てQOLを高める流れになると思う。今は仕事をしないと収入が得られないので仕事が人生の中心になっていて「アタシと仕事のどっちが大事なのよ」がベタなカップルの喧嘩のセリフになっているけれど、今後は何の仕事をして生きるかよりも、誰とどう生きるのかを追求して個人の幸福と他人との共感を発展させていくと思う。2010年代にSNSが発展して素人の絵師や歌い手やダンサーやなろう作家とかが金儲け目当てでない作品を投稿するようになったけれど、今後はさらに増えるだろう。SNSはインフルエンサーが派手な言動をして金儲けする個人主義的な使われ方をしていることが多いけれど、最近は政治系の動画が共有されているように、共同体を強化する方向に発展していくだろう。個人主義の価値観で一対一の勝負をしたら貧乏人はどうやってもスーパーリッチには勝てないけれど、年収200万円の人でも10万人集まればスーパーリッチと対抗しうる資本力を持てるし選挙でも有利になるので、放っておけば格差が拡大していく資本主義社会の中では共同体で結束することが庶民が自分の居場所を作って幸福になる効果的な手段になる。アメリカの大統領選挙がまさにその流れで、民主党のグローバリストの金持ちエリートに反発した貧乏人たちがトランプに投票して不法移民を共同体から追い出した。個人主義から共同体主義に移行して、原始時代と同様に獲物を仕留めたら皆で分けて、子供が生まれたら皆で子育てを手伝って、死者が出たら皆で葬儀を手伝って見送って、共同体に貢献しないで自分だけ得しようとするフリーライダーは排除するという生き方に回帰していくのではないかと思う。もともと人類はその生き方で原始時代を数万年生き延びてきたので生存方法としては安定していると言える。共産主義は個人の権利を抑圧したせいでアイデアが出てこなくなって発展が止まって失敗したし、資本主義はモラルがないサイコパスのスーパーリッチが力を持ちすぎて労働者から搾取して少子化に向かって失敗したけれど、共同体主義では個人の権利と共同体での義務を折衷する形でさらに社会制度や福祉が発展すると思う。そんで際限なく欲を持つと他人と利害が衝突したり搾取したりするようになるので、欲を制限する方向に発展すると思う。例えば皆が自宅にプールを作る必要なんかなくて共同体で公営プールを共有すれば十分で、物を私有して共同体に還元しない金持ちは強欲な奴として蔑まれるようになる。●政治の流れ政治の流れは歴史の流れともいえる。古代から世界各地で王国ができて権力や領土をめぐって争って、大航海時代に移動範囲が広がると文明の発展度合いに差がある南米やアフリカの王国を植民地として支配下に置いて勢力を拡大する帝国主義になって、第二次世界大戦がおきて帝国主義が終わって旧植民地が独立して武力による国境の変更が国際社会で認められなくなるとヨーロッパでグローバリズム新自由主義が始まって欧州共同体(EC)ができて欧州連合(EU)になって加盟国が増えて範囲を拡大して国境はそのままで人を移動させて移民の労働力で儲けるようになって、キリスト教圏のEU内の人の移動で満足せずにアフリカや中東からもイスラム教の移民を入れたら治安が悪化して多文化共生が失敗して、またナショナリズムが台頭して欧米で不法移民や偽装難民を排除する流れになっている。一方で中国やソ連とかの共産主義の計画経済は失敗して共産主義国家は自由貿易をするようになったもののまだ領土拡大の野心を持ったままで、NATOの拡大に反発したロシアがウクライナに侵略戦争を仕掛けてからは西側と東側が決裂してブロック経済に向かう流れになっている。じゃあこれからどうなるのかというと、AIの自動翻訳やリモートワーク環境の発達で生まれた国や言語や人種の違いはたいした問題ではなくなって、AIがいくら発達しても変わらない部分である宗教的価値観の違いが対立の原因になって、イスラエルとパレスチナやインドとパキスタンのように宗教の違いで争ったり、同じ宗教でも世俗派と保守派の違いで共同体が分かれたりする流れになると思う。どんなに文明が発展しようが戦争やテロで家屋や生産設備が破壊されてしまうのでは文明を発展させてきた意味がなくなるし、敵国を倒して得られる土地や資源とかの利益よりも失うもののほうが多いので、たぶん同盟国同士で連携を強めたり、敵対する国や共同体とは不干渉にしたりして平和を模索する流れになるだろう。イスラエルがイランの核施設を攻撃して反撃されてアイアンドームの弾が切れたらさっさと停戦したように、イランと戦争をして勝てるとしても核兵器で攻撃される可能性がなくなったことでイスラエルの目的は達成していてそれ以上攻撃を続けるメリットがないし、膨大な費用をかけて建設したインフラやビルが被害を受けないことのほうが重要なわけである。帝国主義時代は植民地でブロック経済圏を作ったけれど、今後は宗教がブロック分けの基準になるかもしれない。そうなると日本の存在意義が際立ってくる。バフェットが日本の商社の株を買ったのは、たぶん商社が世界各国で資源の権利を持っていて移民の移動が制限されようがブロック経済になろうが契約を守る法治国家が相手なら長期的に利益を出せるからかもしれない。LGBTQゴリ押しのGoogleとかのアメリカのグローバル企業と違って日本企業の経営陣は単なるビジネスマンで宗教観に抵触するようなイデオロギーがないし、日本の仏教や神道は他の宗教を否定するものではないのでキリスト教圏でもイスラム教圏でもヒンズー教圏でも反発を招かずに世界中で商売できるし、日本国内では宗教や人種を理由にしたヘイトクライムやテロがあまりないので無宗教や世俗派の外国人にとっては安全な移住先の選択肢になりうる。日本の政治家や経営者が単に宗教的に無関心なのでなく、世界中の宗教を理解したうえで距離を取ったり仲裁したりできるようになれば今後の日本の発展の可能性は十分あるだろう。日本が見返りを求めずにアゼルバイジャンを支援してアゼルバイジャンが親日国になったのが典型的で、中東の石油利権をほしがって干渉する欧米のキリスト教国家よりも礼儀をわきまえている日本のほうがうまく中東で外交ができると思う。中国も無宗教なので世界中に進出しやすいけれど、相手を騙したり賄賂を贈ったりして搾取しようとする魂胆が丸見えなので、長期的な信用を得られていなくて一帯一路やAIIBもうまくいっていないし、そこに日本がアジア系の比較対象として信用を得るチャンスがある。しかし日本には文系の教養や文系の大学に価値はないと主張する新自由主義グローバリストが未だに大きな影響力を持っているので、世界の流れが読めずに労働力目当ての移民を入れて周回遅れで多文化共生に失敗して自滅するパターンになる可能性も十分にある。今度の参院選が日本の未来の分岐点になると思うので、よく考えて投票してほしいものである。
2025.07.04
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