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先日、放課後、呼ばれました。「○○先生、先生のクラスの子が木に足をはさんじゃって・・・すぐ保健室に来てください。」「え、足を木にはさんじゃったって?」 どういうことかわかりませんでしたが、とにかく保健室に急いで行きました。 担任しているA子ちゃんが保健室の長いすに腰掛けて、しくしくと泣いていました。「だいじょうぶ?」 A子ちゃんはこっくりとうなずきました。 そのあと、保健の先生から詳しく事情を聴きました。 A子ちゃんは数人の友だちと、学校の近くの公園で遊んでいたのだそうです。遊んでいる中でA子ちゃんは、木に登りました。そして、そこからするすると下りて行くとき、根本のあたりから二股に分かれた木と木の間に、足首がすっぽりとはまってしまい、抜けなくなってしまったのだそうです。 なんとか抜けようともがいてもだめ、友だちも助けようとしましたがどうにもできません。A子ちゃんはパニックになり、泣き出してしまいました。 その時、たまたま近くにいた学童の先生が、泣いているA子ちゃんに気づき、助けてくれたというわけです。 幸い、けがと言うほどのけがはなく、ホッとしました。 でも、A子ちゃんにとっては、かなりのショックだったようです。「びっくりしちゃったんだね。けがしなくてよかったね。」と、なぐさめてあげました。 そのあと、迎えに来たお母さんといっしょにお家に帰りました。 翌日、公園で遊んでいたときの状況など、A子ちゃんにお話を聞いてみました。 A子ちゃんは、もうショックもなく、すっかり元気でした。「先生あの時ねえ、私、足がぬけなかったら、ずっとここで生きて行かなきゃ行かないのかなあって思っちゃったの。」 本人はけっこうまじめな顔で言っていたのですが、思わず笑い出してしまいました。こんな風に思うなんて、なんともかわいい。 そのあとでちょっと悪い気がしました。「うーん、そりゃあ大変だ、あそこで生きていくのはつらいよね。」 2年生ぐらいの子どもは、実際そんな感覚になるのだろうなと思います。 大人じゃあり得ないよなと思うことも、ほんとうにあるかもしれないなんて想像してしまう。トイレの花子さんなんかでも、ほんとうにこわがります。 だから子どもって、「夢がある」んでしょうね。
2010.02.28
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日曜日、神田の神保町にいってきました。 学生のころはしょっちゅう行っていました。最近はちょっぴり疎遠になったけど、やっぱり神田は好きな町です。 神田(というよりは、お茶の水、水道橋界隈)は、古本屋、スポーツ用品店、そして、楽器店がたくさん集まっています。若者、学生の街ですね。 ふと立ち寄った楽器店、少し前からフラットマンドリンが気になっていました。できたら手にして弾いてみたいなと思っていたのです。 私がフラットマンドリンに惹かれるのは、ロッドスチュワートの「マギーメイ」(弾いているのはリンディスファーンのレイ・ジャクソン)それからバンドのレボンヘルムの弾くフラットマンドリンの音に魅了されたからです。あと、忘れてはいけないのはブリンドルのケニーエドワーズですね。あの高音の繊細な音色には魅力を感じます。 店の前に、「中古・キズあり 9700円」という1台のフラットマンドリンがありました。 これは買いだ!と思いました。 私のようにただ楽器にさわっていたずらしたいだけの人間にはうってつけです。さっそく店員さんに見せてもらいました。試しに弾いてみましたが、小さくて軽いのにおどろきました。「同じものですが、こちらですと、今、入門者キャンペーンで、弦と教本がついてきますよ。」と、1万6千円のものを薦められました。 それでも、この値段の差は大きいです。私の気持ちは揺らぎませんでした。 なのに、そのあとの一言が、重いパンチになってきました。「フラットマンドリンは、けっこう不具合が起きやすい楽器なんですよ。中古だと3か月保証ですが、こちらは保証が3年つきますよ。」 たしかに・・・この軽さはヤワさにつながるだろうなあという気がします。 そのあと迷いに迷ったあげく、1万6千円のものにしてしまいました。さらに、ハードケースまで買って、約2万5千円・・・うう、この出費は大きい! もちろんこれもフラットマンドリンの中では最も安い部類に入るものなのですが。 うまいこと買わされてしまった気もします。目玉商品というのはこうやって使うものなのでしょう。 家に帰って、毎日弾いてます。少しずつ弾けるようになると楽しいです。フレットの間がなにしろ小さくて、弦の間も狭くて、太い指のぼくとしては多いに苦労させられます。 バンジョーと違って,音が比較的小さいので、夜でも弾くことができるのがうれしいです。 今、バンドの「Atlantic city」と、ロッドスチュワートの「Maggie May」を練習してます。 当分の間楽しめそうです。
2010.02.21
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段ボールの中の子ども 子どもを受容しようとする、いわゆる教育相談的な姿勢を持った先生が、学級経営で苦戦しているという話をあっちこっちから聞いています。高校では、強面の先生の前ではおとなしくしている子ども達が、子どもを理解し、受け入れようとする先生の授業では態度が悪くなって荒れ出すことがあったそうです。また、子どものことをきめ細かによく考える、人間的にも尊敬すべきベテランの先生が、厳しい家庭環境の中で荒れてしまっている子どもを担任した時、その子の内面を理解し、受け入れようとしたら、かえってひどくなり、学級全体が荒れ出してしまったそうです。その先生は、心労から、けっきょく病休を取ることになりました。 段ボールの中に座った子どものモデルを使うなら、窮屈な思いをしていた子ども達は、先生にあたる面の段ボールを蹴破って楽になったということになります。 子どもを理解しようとする先生はだめなのでしょうか。 厳しくて、付け入るすきをまったく与えないような教師ならばうまくいくということなのでしょうか。 強圧的な、あるいは真綿で首を絞めるような巧妙で執拗な支配のワナを仕掛けてくるような教師の前では、子どもは荒れを出すことをあきらめるでしょうから。 子どもは、自分のために親身になってくれる先生であっても、付け入るすきがあればその足を引っ張ります。カウンセラーのような受容的なスタイルで子どもに接するのはよほど自分の力量に自信を持っている先生でなければおすすめしません。 それでは、すきのない、厳しい先生にビシッと締められている子どもは、家でも、その他でも特別荒れていないとしたら、その子たちは「段ボールの中」で、どうしているのでしょうか。 段ボールの中の子ども達は、窮屈な姿勢で、じっと耐えて、がまんし続けなければなりません。そんな子ども達は、そのつらさに耐えるために、「鈍く」なります。自分の感覚を鈍磨させていくのです。極貧生活や、収容所での生活を続けると、喜怒哀楽を感じる感覚が鈍くなってくるといいます。「感じない」事で苦痛に耐えるというわけです。 子ども達は、体育がつぶされても、給食の時間に完全な沈黙を要求されても、その他意に沿わないことを先生から強要されても、多少のことに不満を感じないようになります。先生や親にこうしろと言われたものは、自分の感覚や欲求に照らし合わせることなく、素直に受け入れるようになるのです。 厳しく、子どもが自分の意に沿うよう、プレッシャーをかけ続ける先生がいました。その先生のクラスになった悪ガキ達が、次第に羊のようないい子になっていってしまうことがあります。(多くは先生のすぐれた指導力と解釈されます) 子どもは何も感じないようにすることで、親に、教師に合わせているのです。 自分は何も感じないようにしながら、親に合わせ続けて成長した子・・いわゆるこれがアダルトチルドレンですが、教師に対しても同様です。何も感じないようにして、ただ1年間先生に合わせ続ける子は、1年間、自分の感覚を麻痺させることで1年間を生き抜くのです。 子どもが荒れるのも、子どもがフリーズしてしまうのもいいことではないでしょう。 でも、そのどちらでもなく、子どもを生かす道はあると思います。 それは、「夢中になれるもの」を子ども達に与えることです。 それがあれば、その子は狭い段ボールの中でもそれを忘れて楽しく過ごすことができるのです。 たとえば・・・ 生き物、スポーツ、学級遊び・・・・ あの手この手、きっとひとつじゃだめですね。 教師は「まじめに」「いっしょうけんめい」「基礎学力」だけじゃだめだと思うのです。
2010.02.07
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