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ドッジボールやリレー、休み時間の遊びなどで、異様に勝ち負けにこだわり、自分が負けると すぐに友だちに文句、暴言を吐いたり、時には暴力までふるう子、いわゆるキレる子がいます。 こういう子への対処、指導はとても難しいものです。何があったかをつかんで被害を受けた子に謝らせるぐらいまではできますが、今後繰り返さないという意味では、毎度無力感を味わわされるものです。「そんな態度を取ったらみんなに嫌われるぞ」などと指導しても多くの場合は効果がありません。その場ではわかってもまた同じことを繰り返します。 「きっとこの子はADHDなのに違いない」とかたづけてしまうのは簡単ですが、ほとんどの場合はそれでは解決になりません。 ADHDの症状が顕著ならば、医学的な処置が必要かもしれません。しかし、大部分は、「ADHDとは決めつけらるほどではないけど・・」といった子がキレているのではないでしょうか。 原因論はこの次に回して、まずは教師としてできる有効な対処について考えてみましょう。○ガツンと叱る 厳しく叱責する○何がいけなかったのか、どうしていけないのかをていねいに説く○相手の気持ちを考えさせる○自分の行動がどういけなかったかをよく考えさせる 以上教師が一般に子どものトラブルでの子どもに行う指導方法は、こういったキレる子に対しては、どちらかというとあまり効果がないことが多いようです。 やはり、キレる子は、なにか難しいものを持っている場合が多いのでしょう。 キレる子・・・自分の中に生じる怒りの衝動が抑制できない子だと考えることができます。 ストレスを感じると、気持ちをコントロールできずに、それを行動化してしまうというわけです。 こういう子は、徐々に、自分の衝動をコントロールできるようにするということを目標に、指導、援助をしていく必要があります。「お前、こんなことですぐ頭に来て切れて、だめだろ!なんでもっとがまんできないんだよ。」 こう叱ってしまっては、『そんなこと言われたっておれだってわかんねーよ、がまんできないんだからしょうがないよ・・・』という方向に向かってしまいます。「頭に来ちゃったのか、胸のあたりがカーッと熱くなったかな?がまんしようとしたけどそれを押さえきれなかったんだな。」 こう声かけをした場合はどうでしょう。教師は2つのことを子どもに伝えています。○君の中に怒りの衝動がある。○その衝動を抑えようとした君自身がいる、でも、力が足りず押さえきれなかった。これを図に表したのが、下の、「まんじゅうの図」です。 心をまんじゅうにたとえてみた図です。 怒りの衝動をあんこに、それを抑えたりコントロールしようとする自分自身を皮にたとえました。(図1) 切れやすい子とは、この皮の部分が薄くて弱く、そのため、中のあんこがブチュッと外に飛び出してしまう、そんな状態だと考えられるのです。(図2) だから、この薄い皮を少しでも厚くして、あんこを受け止められるよう援助していく声かけが子どもの心を育てると考えられます。「○○君なりにがまんしようとがんばったんだよな。」 心の中には衝動を抑えようとする自分もいるんだということに気づかせましょう。「口では言ったけど、手は出さなかったね。抑えたんだよね。」 本人なりにがんばっているレベルがあります。がんばれたレベルまでを評価してやりましょう。「今は反省できるんだね。次、むかついたとき、今日よりもがんばってみようよ。先生も応援してるから。」 反省は、自分を客観的に振り返れている証拠。本人の意欲を高めることが大切。 この、「まんじゅう」という考え方は、キレる以外でも子どもの問題行動全般にあてはめて考えることができます。(「まんじゅう」は、ちば教育研究所の水元和憲先生の心理モデルを学校の子どもに応用したものです)
2008.01.29
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僕は小学校6年生のころからアメリカのロック大好きの子どもだったので、当然聞くのはアチラの曲ばかり。 自然に何を歌っているのか知りたくなります。だから・・・ 英語は決して得意じゃないけど、歌詞を訳すのが趣味です。 Lonely Boyという昔の昔の曲がありました。高校時代好きな曲だったのですが、日本でのシングルカットはなかったと思います。アンドリューゴールドというシンガーソングライターの曲です。(一時、リンダロンシュタットのバックでギタリストやってた人です) 訳してみたら、なんか、ジーンと来ました。 次男が生まれたときの長男の様子にちょっと重なるところがあるのです。 ひとりっ子だった子どもに、いきなり下の子が現れるというのはたいへんなことだと思います。 うちの長男は、産院に母親を見舞ったとき、母親のそばに赤ん坊がいるのを見たとき、氷のように固まって、母親のそばにまったく寄ろうとしませんでした。その夜はパニックを起こして泣いていました。 自分の下の子が生まれるというのは、最初は戸惑っても、やがては当たり前のこと、自然なこととして受け入れられていくと考えられていますが、でも、本人も気づかない心の奥底で、傷は深く長く残っていくものなのではないでしょうか。 教師として子ども達を見ていると、そんなことを考えさせられることがよくあるのです。 そんな子どもの傷つきを素直にうたった歌です。 あと、アメリカの社会や学校をシビアに見ている感じが70年代っぽい気がします。 Lonely boy ロンリーボーイ彼は1951年夏の日に生まれました手を叩く拍手の音に包まれて彼はたった1人のの息子として生まれました彼の母親と父親は言いました。「なんとかわいい男の子でしょう」と私たちが学んだことをすべて教えてあげましょうああそう、私たちが学んだことを全部私たちは暖かな衣服を着せて彼を学校に行かせましょうそれは彼に戦いかたを教えることになるでしょう社会で勝ち抜いていくためにおおなんと孤独な少年でしょうおおなんと孤独な少年でしょうおおなんと孤独な少年でしょう‘53年の夏に彼の母親は彼の許に妹を連れて来ましたそして母親は、彼に告げました。私たちは彼女の世話をよくしなければならないの。彼女はあなたよりも幼いのだから。彼はホールに駆け下りていって、泣きました。両親はウソをついたと言って。彼のことをたった1人の子だと言ったのに・・・おおなんと孤独な少年でしょうおおなんと孤独な少年でしょうおおなんと孤独な少年でしょうさよならママ、あなたにさようならさよならパパ、僕は行くよ彼は1969年冬の日に家を出ました彼はすべての愛に出会えることを夢見てずっと昔に失ってしまった・・やがて彼の妹は成長しました。そしてひとりの男と結婚し、彼との間に息子が生まれました。そう、それはかわいい子彼らはその子に暖かい洋服を着せて学校に行かせましたそれは彼に戦いかたを教えることになりました社会で勝ち抜いていくためにおおなんと孤独な少年でしょうおおなんと孤独な少年でしょうおおなんと孤独な少年でしょう。
2008.01.21
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学級の中で、いろいろな子がいる中でもIくんのことはいつも気になっています。 いわゆるIくんは、「ちょっと配慮を必要とする子」です。 授業中はいつも違うこと、関係のない手いたずらなどをしているので、しょっちゅう注意します。よく、友だちにつまらないことでちょっかいを出します。 こまめに声をかけてやらないと、授業中にノートも取らないし、いや、それよりもまず教科書を出さない。すぐに気を散らしておしゃべりをしてしまうし、着替えをする、連絡帳を書くなどの毎日のやるべきことも、なかなかできず、次の時間にずれ込んでしまうことが多いのです。 Iくんの机のまわりは物が散乱し、机の中はぐちゃぐちゃです。もし、お医者さんの診察を受けたら、たぶん不注意型のADHDという診断が出るのではないかなあと思います。 でも、この程度の手のかかる子は、だいたいどの学級にも1人ぐらいはいるものです。 掃除が終わって連絡帳を書くまで、いつもずるずると長引いて、最後はこちらが声を荒げてしまうこともあるので、今日はIくんに密着してちゃんとやらせてあげようと思いました。 掃除が終わって、気がついてみると、Iくん1人だけまだ体操服から私服に着替えていませんでした。「はい、着替えるんですよ。」 まずはそこからスタートしました。 Iくんがロッカーの私服を取りに行くまで、見ていると、予想通り、友だちのところでひっかかります。「ほら、Iくん、洋服洋服!」一声かけると、Iくんは、「あ、そっか」といって自分の行動を思い出します。 洋服を出したものの、そこでひと休み。また一声かけて、ようやくもどってきました。 先生のすぐ目の前の席で、こちらがじっくり見ているので、さすがにいつもと違ってさっさか着替えています。外界の刺激にすぐに気が散ってしまうIくん、こうやってこまめに声をかけてやれば、ちゃんとできるのですね。 でも、この時周りを見ると、連絡帳を書き終わってサインをもらおうとする子ども達の列ができていました。いつまでもこの子達を無視するわけにはいきません。「さ、Iくん、次は連絡帳、はい、連絡帳出して。」そこまで言うと、まわりの子ども達の連絡帳に目を通します。また、Iくん以外にも、取りかかりの遅い子がいるので、その子に声をかけたりもしました。それをしながらも、Iくんの様子を気にしています。 まわりの子たちも、先生の様子に感づいて、Iくんにちょっかいを出さないようにしています。 少し安心して、5時間目が早く始められるようみんなの連絡帳へのサインを急ぎました。 Iくんはまだ来ないなとちょっとのぞきに行くと、 ああ・・・まだ1行しか書いていない。消しゴムをいじって遊んでいる! Iくんは、ノートの字から見て、ちょっと字を書くのがたいへんな子なのだと思います。 それにしても、ちょっと目を離すとこうなってしまうのです。 結局いつもとおんなじ、5時間目はずるずるずれ込みました。 Iくんみたいな子は、配慮をしてあげて、ついて声かけをしてあげればちゃんと学校生活はできるのです。 でも、たくさんの子どもの中で、こういう子にそういう特別な配慮をするというのは、とってもむずかしいもんなんだなあ・・・・と、つくづく感じてしまいました。
2008.01.17
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先日、僕の父親が他界しました。 入院して1ヶ月足らず、二月ほど前は、庭の仕事などもよくやっていたことを思えば、突然の死と言えるでしょう。 はじめは検査入院だといっていたはずなのに、急に「ちょっと腫瘍が・・・」「もしかしたら悪性かもしれない・・」という話になって、その次には、「もう長くは生きられません。」になってしまいました。 毎日見舞うたびに父の病状は目に見えて悪くなっていきました。 最初は起きあがって対応してくれていたのに、そのうち起きあがることができなくなってしまいました。絶えず点滴の管が体の中に入れられ、しゃべるのも苦しそうでした。 そのうち寝ていることが多くなり、反応もうつろになってきました。 もはや治す治療ではなく、痛みを抑える治療というはっきりとした方針でやってくれていたので、七転八倒して苦しむことがなかったのはせめてもの救いです。 「ああ、もうすぐ父は死ぬんだなあ」と思うと、なんともいえず重苦しい思いに胸をしめつけられるようでした。でも、毎日泊まりで看病している母のことを思うと、そんなことを思うより、今何をしなければならないのか、そればかり頭にありました。 なんとか新年を迎えられたとホッとしていた矢先、父の容態が急変したので、家族に来てほしいという連絡が夜に入りました。 あわてて駆けつけると、父はぜーぜー苦しそうにしていましたが、酸素量、血圧など、少しずつ落ちてきました。 まだ意識があり、「おじいちゃん、おじいちゃん」と孫の呼びかける声にも反応していました。自分からはもはやなにも話すことができなくなっていましたが、みんながいっしょうけんめい語りかけるのは、聞こえていたみたいです。 「ねえ、おじいちゃん、なにか言いたいみたいだよ。」と子どもがいいました。 たしかになにか必死になにかを言おうとしているみたいでした。でも、もちろん言葉にはなりません。 「おじいちゃん、なんか言いたいんだね。感じ取ってあげようよ。」 子ども達と、父の顔のそばで、父の表情を追いました。 「お父さん、おじいちゃん、なんか、ありがとうって言いたいみたいだよ。」子どもは父の様子をそう読み取りました。 「うん、そうだよ、きっとそうだね。」 私も、息子の読みは正しいと思いました。「おじいちゃん、ありがとうって言いたいんだね。」 息子は父の耳元でそういいました。 父はうなずいたかどうか、はっきりはわかりませんでした。 でも、それから父の容態は急激に悪くなりました。酸素量も心拍数も血圧も、みるみる落ちていき、間もなく父はかすかに目を見開いたまま、静かに息を引き取りました。 おそらく、父は、最後に言いたいことが伝わって、安心したのだと思います。 「ありがとう」 父らしい最後の言葉だと思いました。まさにそんな風に生きてきた人だったのです。 1人の人生の終わりのドラマ、それを今見届けました。 でも、そんな静かな悲しみに浸っていられるのはほんの数十分でした。 ここから、まるで公開研究会の前日のようなドタバタと緊張感の日々が始まりました。 悲しいはずの者が「それどころじゃないよ」という状態にされてしまう「葬式」という儀式、考えてみるとちょっと滑稽なものですね。
2008.01.10
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