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昼休み、最近は結構子どもたちと遊んでいます。これはうちの学校だけなのか、全国どこもそうなのかわかりませんが、昼休みに1年生の子どもたちと、外で一緒に遊ぼうと思ったら、普通じゃできません。周到な準備をして、1秒でも無駄にしないでオニのように仕事をこなして余裕を作るか、または、「もういいや、どうにでもなれ!」と覚悟を決め、仕事をほっぽり出して外に出るかです。ただし、それプラス、子どもたちの誰かが「誰々ちゃんにバカって言われた~」なんて言って泣きながらけんかしてる子とか、階段でふざけてけがして保健室に行く子とか、給食で牛乳を倒す子とかが出ないことが前提です。 子どもと遊ぶと、なにか忘れていたものに触れられるような感じがします。他愛のないボール投げ遊びでも、キャハキャハ喜ぶ子どもたち。すべり台で思わずキャーッと叫び出す子ども。「せんせーい」と、手をぎゅっと握ってくる子ども。 よく、「教師は授業で勝負するものだ」と言う人がいますが、僕は正直言って、勝負なんかどうでもいいです。遊んでいる子どもが好きです。授業中の子どもは、「先生僕を見て」「評価して」と言っているみたいで、時にえらくさめてしまうときがあります。がんばって、お勉強という要求に応えようとしているみたいで、あるいは先生の要求に応えようとがんばっているみたい・・・ 遊んでいるときの子どもって本物です。 子どもたちと一緒に遊ぶと、自分の中の何かがリフレッシュされるような気がします。だから、少し無理をしてでも子どもたちと遊ぼうと思ってます。
2010.05.24
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ある意味1年生担任はつまらないです。 なぜかというと、1年生には冗談が通じないからです。中学年や高学年あたりで通じるダジャレがことごとく通じません。高学年相手にダジャレを言うと、子どもたちは、「つまんねえ」「またオヤジギャグ言ってるよ。」「チョー寒いんだけど。」とか冷たい反応をします。 でも、これはリアクション、寒い、しらけると言われるコミュニケーションもまた楽しです。そんなことを言っている子が、そのうち自分からダジャレを言い出すものです。 ところが、1年生ときたら、ダジャレにしらけるどころか、まるで「ポカ~ン」としてしまうのです。 先日、食の献立に揚げパンが出た日、「あげぱんほしい人!」と聞きました。たくさんの子がハーイと元気に手を挙げました。「はい、手を挙げて、たたくよ、パン!はい、あげパンでした。」という冗談を言いました。 1年生の子どもたちは、ただポカーンとしていました。なんのことやら意味をまるで理解していない。4年生の中には、ムキになって抗議してきた子もいるというのに・・・ それから、「先生、トイレ行っていいですか」と来た子に、「いっトイレ!」というワンパターンの初歩的ギャグもまるで効きません。何度か言っても反応した子はいません。 つくづく、今まで自分は子どもと冗談言うのを楽しみに教師やって来たんだなあと実感しました。 ところで、最近、そんな1年生と楽しむ方法を発見しました。 1年生相手に、給食の時間に手品をやっているのです。手品と言ってもごく簡単なものですが、それでも1年生は目を丸くして「お~、すごーい!」と、感心しています。 やったのは、「指を右手から左手に移す魔法」「両面牛乳キャップ」「指が手から離れる魔法」などです。「先生は魔法を練習したからできるんだよ。みんなも訓練すれば、大人になるころにはできるようになるよ。」とか言うと、半ば本気にしているのがかわいい! さらに悪のりして、「公園で木の棒を拾ってきて、ハリーポッターみたいに魔法の練習をすると、こういうことができるようになるんだ。」といったことを言いました。 でも、さすがに、インチキを見破っている子もいます。 わかっている子とわかっていない子、そのからみがまたおもしろいです。ほとんど信じている子、本当なのかなと疑ったり、どうしてかなと首をひねったりする子、そんな子たちのやりとりがなんともほほえましく面白いです。 1年生には1年生の楽しみ方があるものですね。 でも、今日は、給食食べながら連絡帳書きと宿題のマルつけ、なかなか子どもとふれ合う時間がありません。それが残念。
2010.05.18
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1年生の子ども達と出会ってちょうど1か月がたちました。 給食も始まり、掃除も始まりました。覚悟していたほどの困った問題もなく比較的平和にここまで来たと思います。僕同様不慣れな他の担任達も、なんとかこなしてきたようです。 まあ、正直言って、いまだに子ども達がかわいいなんて思えるゆとりはありません。朝来てから子ども達が帰るまで、精神的にはずっと「臨戦態勢」のようなものです。 金曜日、初めての授業参観。 子どもに描かせた絵を壁に貼りました。中には2時間かけて画用紙が真っ白の子もいます。3時間目はつきっきりで、やっと画用紙の端っこにほんのちょっぴりだけようやく絵のようなものを描きました。 「描きたくないものを描かせる必要はないだろう」という方もいますが、それは一面的なものの見方。自分の子どもの作品がないことを知った親は傷つきます。その傷つきを教師への攻撃に向けます。そして、事情を説明したら、おそらく攻撃は我が子へと向かうでしょう。 教師の仕事は子どもの教育というのが筋ですが、「親へのエンターテイメント」という部分も避けて通れないのです。 さて、授業参観の日は早めに連絡帳にプリントを貼り、用意をしていると、配らないはずだったプリントが配布ということで回ってきました。ガーン!(やめてくれー!間に合わないよ)連絡帳1冊1冊、貼り付けたプリントの「配布物なし」を消して、「プリント1まい」に修正しました。こっちは冷や汗ですが、子ども達は無邪気に粘土で遊んで楽しそうでした。 4時間目が終わって給食、女の子が泣き出しました。お気に入りの6年生のお姉ちゃんといっしょに給食が食べたいと言って。学校生活に疲れたところで、五月の連休が終わって、また学校生活が始まって、ちょっと退行しているなと思いました。「いいよ、そうしようね。」と言ってあげたいところですが、直感的に、拒絶しました。「だめです。給食は順番通りにしましょう。そのかわり、昼休みいっしょに遊んでもらおうね。」 ここで許すと周りの子の甘えが一気に爆発しそうな雰囲気を感じたのです。みんな、甘えたいのです。でも、ここはそれをしない場所というつっかえ棒を心の中でして、自分を支えているのです。それをいったん崩してしまうことは危険なことです。あっちこっちで先生に甘えてだだをこねるぐらいならまだしも、自分の中に持っている育ちのゆがみや、親子関係の問題まで噴出させてしまうこともあるのです。学級崩壊のうちのかなりは、こうやって始まります。こう考えると、学校というのは、子どもにとって、「あきらめの場所」といえるのではないでしょうか。 しかし、子どもは「あきらめ」の代わりに、もっと大きな満足や喜び、達成感を得ることができるはずです。それを与えるのが私たちの仕事です。その喜びや満足の中で、子どもが持っていた心の傷や育ちのゆがみが少しずつ癒されていく-それが教師として子どもにできることです。 どうしてもそこで甘えや荒れを出さねばならない子ども-その子はおそらく「セラピー」が必要な子なのです。 セラピーは教室の中ではできません。どんなベテラン教師でも、安易にやってはいけないものなのです。 さて、給食も食べずに泣き続けた子、それもごちそうさまが近づくと、少しずつ泣き止み、給食を食べ出しました。 やれやれ 遅れを取り戻すべく慌ただしく授業参観の準備、 さすがに1年生、親がぎっしりと教室にやって来ました。 授業が始まって・・・・ひとりの男の子が机に突っ伏して泣き出しました。 授業を進めながらもその子のことが気になって・・・ ようやく練習問題を子ども達にやらせて、その間にその子のところに行きましたが、どうして泣いているのか何も言おうとしません。ただ泣きじゃくるだけ。なぐさめるのだけれど、原因がわからないからただ背中をなでながら「大丈夫だよ」と言うだけ。 授業がわからないのか、それとも他のことがあるのか、原因はわからずじまい。 子どもの泣き声を聞きながら、授業参観の授業を進める・・・それを親が回りでじっと見ている・・・ こっちが泣きたくなりました。 けっきょくリズムが狂ったままちぐはぐな授業で終わりました。 あとでお母さんに聞きました。赤鉛筆が折れてしまって・・・それを言い出せなくて、泣いていたんだそうです。 原因がわかってよかったです。 笑っちゃいました。 何がおかしいって、赤鉛筆1本で授業がムチャクチャになってしまったというのに笑えます。おろおろしてしまった自分にも笑えます。 これが1年生ですね。 ああ、1年生担任満喫してます。
2010.05.11
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「校長が変われば学校が変わる」 10日ぐらい前ニュース23で、こんな特集をやっていたので見ました。 校長を集めて研修をやって、トップに頭を柔らかくしてもらって、学校改革を行っていこうという文科省の取り組みを扱ったものでした。 これを見た人はどう感じたでしょうか。 校長が集まって子どもみたいに無邪気にわいわいやっている研修風景に、ほのぼのとしたものを感じた方が多いのではないでしょうか。また、まるで新入社員みたいに真剣な顔で研修を受ける姿に好感を抱いた方も多いと思います。 番組の中でもいろいろな斬新な取り組みが紹介されていました。 番組は、おおかたこの取り組みを好意的に報道していました。 見終わって、悪いことではないと思うけど、なにかちょっとこれをほのぼので終わらせるには違和感を感じてしまいます。 校長が変われば学校が変わる・・・・校長が改革に目覚めれば、学校は改革されるということを言っているのです。裏を返すと・・・ その校長がいなくなって、次の校長が来た時、どうなるのでしょう。「校長が替われば、学校はまた変わる」のです。学校は変な方向に変えられちゃうかもしれないということでもあるんです。 今、校長の権限は強いです。バカな校長が来ると学校はすぐダメになります。 日教組の影響力が弱くなった今の学校では、校長次第なのです。 私は今の学校で、子ども達を、教育相談的な視点に立って、大事に見ていこうということを呼びかけています。ことあるごとに、そういった見方を他の職員に呼びかけています。 でも、もしも「子どもはビシビシときたえるのが教育だ」「甘えをゆるさないのが教育だ」「学力テストやスポーツの大会の成績で自分の実績を見せたい」みたいな校長が来たらどうなるでしょう。 もちろんそうなったら抵抗はするけど、いろんな形で大事に育ててきたものが踏みつぶされますね。そういう校長が来ないことを切に願うしかないというのが現実です。 今のところそんなひどい校長にあたってはいませんが、それでも、校長が変わるたびにいろいろなことのやり方ががらっと変わって、職員はみな振り回されます。 「校長が変われば学校が変わる」という言葉は、裏を返せば 「今の教育はトップダウンだ」ということなのです。 若い先生が多い今の学校では、その傾向がより強くなっています。
2010.05.06
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