2006年03月06日
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佐藤 愛子著  『死ぬための生き方』  1997  (株)集英社  p.16

胆石を患った作者がその専門病院へ行ったときのこと、ほかの患者さんが受けている治療がどうしても彼女には耐えられなくなった。
看護士の言動、ふるまい、治療の方法。。。
どこにも病人、いや人間に対しての優しさが見当たらない。

「現代医学は人間を『物』として考える。そう考えることによって進歩した」
「しかし人間は『物』ではない以上、千差万別の心を持っている。たいていの人は病気から治りたい一心で『物』にされることを受け容れる。だが中にはいくら叱られても苦しくても『物』になりきることが出来ない人間もいるのだ。
人は一人一人、みな違う。
この極めて単純な、当たり前のことがいまの医学では無視されている。好むと好まざるとにかかわらず、病院の診察台に横たわった以上は有無をいわさず『十把ひとからげ』の運命を辿らされるのだ。そこにあるものは『人間』ではなく『データー』である。」

病は気からとよく言うが、ぼくもその意見には賛成だ。
前にも書いたことがあると思うけど、なにもされなくても病院へ言ったという事実だけで元気になることもある。
安心する何かがあればいいのだ。
ところが佐藤は、逆に病院での接客(?)態度に気分を害す。
気分を害してしまったのでは、病気に対して逆効果である。

ただ、佐藤の言い分もよくわかる。
たしかに一人一人の患者のみになって、それぞれに処方をしてくれるお医者さんって会ったことがない。
問診をしていても、せいぜいアレルギーや病歴について聞いてくるくらいで、個人的な食べ物の趣向や体力など、個体に踏み込んだところへの問診はされたことない。
言ってみればマニュアルどおりの問診である。
それで病状がいい方向へ向かわないのであれば、自分は一般的な治療方法は効かないのではないかと思ってしまう。
いや実際、佐藤が言うように、ひとりひとり厳密には違う治療法があるはずなのであろう。

これは家作りにも同じことが言えると思う。
たとえばハウスメーカーがつくる家は、部屋の機能とか大きさ、配置は家族構成や地型によってある程度変化はするが、基本的にマニュアルどおりだ。
ライフスタイルとかにまで踏み込んでは行かない。
だが、誰一人として同じ人生を歩む人などいない。
そんな人たちが同じ形の家に住むこと自体、本当は不自然なのだ。

マニュアルとか紋切り型とか、一定の型があれば思考はひとつとなり、それが前提となるので進化を遂げやすい。
しかも、だれでもトレースできるから特殊な能力をさほど必要としない。
ひとりひとりに対応して治療や家作りをするのにはm、知識や経験、それにすごいエネルギーが必要だ。
実際、お金のことだけ考えていたら、とてもじゃないけど採算が合わない。
採算は合わないかもしれないけど、十分暮らしてはいける。
それでいいのではないか。
でないと、ほんとにみんな、「物」になってしまうよ。





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最終更新日  2012年04月16日 15時07分05秒
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