2006年05月28日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
三田 誠広著  『ペトロスの青い影』  1996  (株)集英社  p.22

これはブログをやっている人ならみなうなずけるのではなかろうか。
言葉が何かを定義するものである以上、主観によって左右される感情や認識を正確に言葉で表現していくことはほぼ不可能だ。
言ってみれば言葉というのは整数で、感情や認識というのは有理数といったところか。
有理数は連続しており、整数は区切っていく。
だから有理数を整数で表現するのには、整数を点的に使うのではなく、ある程度のレンジを持たせることが必要となる。
レンジがあるから、時空間に左右され言葉の意味自体がシフトしていく。
時代、文化、言語などなど、その人が存在している環境が言葉に新たな息吹を吹き込んでいく。

逆も然りだ。
言葉によって命を吹き込まれる感情や認識もある。
それが新たに生きるということなのではなかろうか。
言い換えれば、言葉を介在させることで、自分の内的な意識を意図的にずらすことになるんだと思う。

ここで意図的にずらすという行為がとても大きな意味を持ってくる。
表現しようとしなければ自分の意識はなにも変わることはない。
そもそも意識されることすらないかもしれない。
自分の意識を表現しようとすれば、必然的に他者への感覚へと訴えかけるスベが必要となってくる。
それは言葉に限ることではなく、絵画であったり、音楽であったりする。

ただ、言葉は特別だ。
ぼくらは通常、言葉を介して意思疎通を図る。
日常生活では言葉はコミュニケーションの単なるツールとして扱われている場合が多い。
ところが時として、特に言葉が書き出されたとき、言葉によって写真のようにすべての情報がフラットに並べられることもあるし、日常的視線で叙景されることもある。
だからこそ、言葉の意味がシフトしていくとき、日常も変化していく。
新たに生きるということは新たな視点を持つことだ。
変化しないのが日常であるとすると、シフトを続ける日常というのは矛盾しているが、自分を取り巻く環境が日々刻々と変化を続けている以上、自分の日常が固定されてしまうと、取り残されてしまうことになりかねない。
自分の中に確かな何か(アイデンティティといってもいい)を持っているからこそ、取り巻く環境としての日常が相対的に変化していくことが可能となる。
これもまた逆転させてもいいわけで、相対的に変化していく日常をつづることでほんとの自分が見えてくることも多い。

なんか、まとまらなくなってしまったけど、書く事で自分の中の他者存在へと語りかけることができ、言葉の意味のシフトの中で、自分の生き方や視点もシフトしていく。
だからぼくは自分が淀むことも無いように、これからもできるだけ書き続けていきたい。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年04月06日 04時32分01秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

Jeraldanact@ Проститутки метро Выборгская Брат замминистра инфраструктуры Украины…
Adamixp@ Свежие новости Где Вы ищите свежие новости? Лично я ч…
FLUR @ >alex99さん(2) alexさん、こんばんわ! >いいえ。 …
alex99 @ Re:>alex99さん(09/23) FLURさん >一休和尚がご乱交!? -----…
FLUR @ >alex99さん alexさん、こんにちわ! >万物はうつ…
FLUR @ >alex99さん alexさん、こんにちわ! 返事が遅くなっ…

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: