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頼山陽の節女阿正傳、第2回です。
ちょっと、その前に、なぜ頼山陽が「筑前国赤間宿おまさ」を書いたかを一言。
文政元年(1818)3月,39歳の山陽は,広島で春水の三回忌を済ませた後,九州旅行に出発しました。この旅行は11か月にも及びましたが,この間豊後の広瀬淡窓や田能村竹田らの学者・文人を訪ねるとともに,「天草洋に泊す」の詩や,水墨画「耶馬渓図巻」などの傑作を生み出しました。
http://www.ccv.ne.jp/home/raisanyo/top.htm
というわけで、九州に来たとき(昨夜のブログの書き出しのように、博多を訪れた際に)、「おまさ」の話を聞いたのです。頼山陽の「節女阿正傳」に感動した明治の豪商・渋沢栄一は、その感想を世に残しています、→ 宗像郡誌下巻(昭和7年発行、伊東尾四郎)
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(第2回)
かくて政を 婚礼前の行儀見習いということで黒田候の赤石久衛門行憲と云う武家屋敷に禿奉公に出していたが、 呼び寄せ、利害を説いて、因果を含めた。政は黙っていて
何も答えない。しばらくして、「皆様は私のために考えてくださったの
だから、私はどうして承諾しないわけにまいりましょう。しかしなが
ら、私の父は臨終の際、私を愛撫しつつ、大きくなったら長次郎の
ところへ行きなさいと言われました。その慈愛の心を思えば、決して
背くことはできません。これすなわち、私にとっては天命でありま
す。どうしてもお言葉に従うわけにはまいりません」と、涙ながらに
語った。道仙らは大いに怒って、「俺たちがこう言うのは、ただお前
のために、嘉右衛門の福利を図るのではない。延いては俺たちも
得をし、共に福利に預るのだ。こんな大きな福利を棄てて、落ちぶれ
た長次郎を敬慕するのは、どだい考えが間違っている。」と言った。
嘉右衛門も怒り罵って、「お前がこの縁談を承知しないのは、どうや
ら訳がありそうだ。お前は密かに長次郎とねんごろで、不義を重ね
てきたのであろう。俺はお前たち二人を、姦通の罪で追い出してくれ
よう」と。
政は、うなだれて何も言わない。万助は、「もはやぐずぐず言っても
仕方がない。はやく吉日を選んで、結納を交わしたらいい」と言い、
善右衛門を促して暦を調べさせ、「この日がよかろう、これに定めよ
う」と言った。かくて連中は、前祝いだと、酒を食らって飲み明かし
た。政は、すみの方に向かって、すすり泣くばかりであった。
これより政は、娘らしい装いをしなくなった。家人は、異変の起こる
のを気遣い、用心して政を監視していた。それから数日後、政は
人が変わったように、髪をとかし、清潔にしだした。家人は政が思い
直したものと見、安心して警戒を解いた。政は、隙を見て、髪を洗
い、湯浴みし、着物をきちんとつけて、母屋の後ろなる炭小屋に入り
、包丁で咽を突き、両手を膝にのせ、端座して逝いた。時に享年18
であった。
義母の千代にとっては、本来は実妹のこととて、胸騒ぎがし、政が
いないので隣家に問い合わせたところ、隣家では、「近頃久しく妹さ
んお目にかかりません」と言った。家に帰って方々を探して見れば、
炭小屋に流血がしたたり落ちていた。嘉右衛門は、外出して居なか
ったが、事件を聞いてはせかえると、かたわらに2通の遺言が置か
れていた。その1通は、義父母たる嘉右衛門らに宛てたものであ
る。それには、
「私は幼きより、両親に別れ参らせ、只今の
~~~~~~~ あとで、昼から書きます~~~~~~~
両親にいつくしみ育てられました。ご恩は海とも山とも
申しつくし難いものがあります。しかるにこの縁談、
すでに両親のためにもよし、また一族の皆様のために
もよく、さっそくお受け申し上ぐるべきであります。
しかしご存知の通り、私は幼きより、いいなづけの
長次郎殿があります。しかも近年はわけて世渡りも
覚束なく、その落ちぶれたさまを聞いています。
この時を幸いとばかり、これを見捨てて他家へとつぎ、
わが身ひとり栄華をきわめましては、亡父の遺言に
背くのみならず、長次郎どのにも背くものです。
そうかと申して、長次郎殿も立つように、亡父の遺言
を守れば、只今の両親に不孝になります。我が身は
ひとつ、これを恨み、覚悟を決めました。先立つ不幸は
お許し願いあげます」と。
他の1通は、長次郎殿に宛てたものである。それに
は、こう書いてあった。
「私の一身は、貴方様へいいなづけのことは、申すまで
もありませんが、近頃、どうしても勝浦へ参れとのことに
て、すでに結納の日もきわまり、今更悲しさやるかたも
ありません。
昨日も、人に託して、只今の両親に訳を話してみました
が、一向に聞き入れられず、その話した人までも、 婚礼前の行儀見習いということで黒田候の赤石久衛門行憲と云う武家屋敷に禿奉公に出していたが、 帰っ
て来て勝浦へ参ることを勧めます。親戚の中で、もはや
誰一人として、貴方様のところへ参れと、意見して
下さる者はありません。それにつけても、ひとしお、
貴方様のお身の上が痛ましく、我が身一人道ならぬ
縁を結び、身に錦を装い、おいしい物を食べましても
、世の人はさぞかし、我が身を義理知らずと、さげすむ
ことでありましょう。また、義父が申すには、私と貴方様
との間に、不義をしているとのお叱り、そんなことがあり
ましょうや。かつて一度も御情けに預ったことがないの
は、貴方様がよくご存知のことです。ただただいいなづ
けの義理にひかれ、また、先立たれたお互いの親親
への申し訳、かれと云い、これと云い、一方ならぬ
悲しさに、自害をとげる次第でございます。お察し下さ
い。かしこ」と。
嘉右衛門は、茫然と自失していた。万助がやって来て、
政の遺体を見、口汚く罵って、~~~~~~~
continued