2007年12月04日
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テーマ: 唐津街道(17)
カテゴリ: その他
唐津街道を行く(1)
北九州市の小倉から佐賀県唐津市まで、江戸時代に大名の参勤交代路として使われた唐津街道。海を隔て朝鮮半島と面する街道沿いには大陸との関係を示す出土品や遺跡が多い。古代から近代に至る北部九州と大陸とのかかわりを、街道の旧宿場を訪ねながら考えたい。出発点は関門海峡、終点は豊臣秀吉が朝鮮出兵の為に築いた名護屋城の跡(唐津市)と決めた。



10月中旬、関門海峡は晴れ渡っていた。山口県下関側から北九州市・門司に向かい地下
の歩行者トンネルを歩き始めた。最初に目指すのは九州旧街道の入り口である大里宿。JR門司駅に近い。地上に出て、右手に武蔵・小次郎の決闘で有名な巌流島を眺めながら、トラックがびゅんびゅん走る国道沿いを行くと、左に大里跡があった。


大里から小倉城下までは門司往還といわれ、唐津街道は小倉が出発点になる。旧街道を示す看板は少ないが、店舗内に門司往還が走るJR小倉駅前の小倉伊勢丹は例外だ。「参勤交代往還路」の表示が歩道に埋めこまれ、昔の道筋を売り場でふさがないよう1階のレイアウトを工夫、直線の通路にしている。途中水が飲める場所もある。
一方、開発されて道が消えた地域も沢山ある。それでも何とか街道をたどれるのは、歴史が好きな地元の人たちの熱心な調査によるところが大きい。
今回の紀行では歴史街道を歩く会代表・河島悦子さん(70)の著した『唐津街道』と図書出版のぶ工房(福岡市)遠藤薫さん(53)編集の『唐津街道 豊前筑前福岡路』を参考にした。

福岡県筑紫野市に住む河島さんは根っからの街道好きだ。50歳で団体職員を退職。旧街道のルート検索に退職金をつぎ込んだ。地理学者・伊能忠敬が残した測量日記をもとに、唐津街道や長崎街道を歩いて確かめた。木賃宿に泊まり、地元の人から聞き取り調査もした。
旧街道にこだわるのは太平洋戦争末期の体験から。7歳で実家のある福岡市を離れ、親戚を頼って筑豊地区に疎開した。そこに小倉と長崎を結ぶ旧長崎街道が通っていた。お年よりは街道にまつわる昔話が好きで、それを聞くとサトイモなどをくれる。若おかみがオランダ商館の人に手を握られたとか、お女中衆は美しかったと親たちが話していたとか。「空腹だったから、おやつをもらうため何度も通った」
父は病死。実家は空襲で焼け、戦後も一人で親類宅に預けられた。寂しい暮らしの中で古老の話に夢中になった。「大名行列を実際に見た人が1人いた。ひれ伏していたので足しか目に入らなかったって」。面白い。いつか旧街道を自分で確かめたい。少女の思いが膨らんだ。  九州での「お江戸日本橋」に相当する小倉の常盤橋を超え、新日鉄八幡製鉄所を右手に見ながら戸畑に到着。洞海湾が夕日に輝いてた。






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最終更新日  2007年12月22日 09時28分58秒
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