2007年12月19日
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テーマ: 唐津街道(17)
カテゴリ: その他
旧若宮町(現宮若市)教委の資料などによると、別館は1864年、米英仏蘭の4カ国による長州攻撃を危惧した同藩家老の加藤司書(1830~65)が、有事の際に藩主をかくまおうと、福岡城から遠く離れた犬鳴山に建設を命じたとされる。だが、64年8月に4カ国と長州藩の講和が成立し、外国から侵攻される恐れは沈静化。このため、勤皇派のリーダーだった加藤に不満を抱く佐幕派が「藩主を幽閉するために築城を画策した」と加藤を攻撃。勤皇派は約140人が逮捕され、加藤ら7人が切腹、14人が斬首になった。別館はその間、建設が一時中断したが、65年に藩主の休憩所である御茶屋として完成した。

 同市宮田の郷土史研究家、福田康生さん(59)は、「勤皇派のトップだった加藤の死が福岡藩が明治維新に乗り遅れた一因。別館は政争の具にされたといえ、福岡藩末期の混迷ぶりを今に示す貴重な遺産」と指摘する。

 別館は1884年の暴風雨で倒壊したとされ、建物は残っていない。跡地には石垣や城門の石段などが残っているが、人が立ち入れないほど雑草が生い茂っている。






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最終更新日  2007年12月19日 15時00分01秒
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