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新国立劇場 18:30〜 4階席 ロッシーニ:セヴィリアの理髪師 (以下めんどくさいので割愛 <不貞腐れ中....) ええ、行くには行ったですよ。でも、今日は急遽仕事の予定が変更されて、着いたのはもう21時前...... 途中から入って、ちょっと見ました。 以上。 よって、何か言うことあるかと言われてもなーんにもありません...... プロダクションは以前からの現代なんだかよく分からない、原色系の賑やかな奴ですが、ちょっとセットが変わったのか、以前より更に賑々しくなったような?印象の問題? リベンジ出来るかなぁ.....厳しいんだよなぁ......
2012年11月28日
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東京芸術劇場 18:00〜 3階右手 グリーグ:「ペール・ギュント」 第一組曲〜"朝" / "アニトラの踊り" ゲーゼ:タンゴ「ジェラシー」 アルヴェーン:バレエ組曲「山の王」〜 "羊飼いの少女の踊り" シベリウス:悲しきワルツ ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲 ファリャ:「恋は魔術師」〜"パントマイム" / "火祭りの踊り" アルベニス/フリューベック編:「スペイン組曲」〜 "セビリア" / "グラナダ" チャピ:サルスエラ「人騒がせな娘」前奏曲 ヴェルディ:歌劇「椿姫」第1幕への前奏曲 マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲 ビゼー:「アルルの女」組曲〜 "メヌエット" / "ファランドール" <アンコール> ヒメネス:「ルイス・アロンソの結婚」〜"間奏曲" J.シュトラウス:ラデツキー行進曲 読売日本交響楽団 指揮:ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス まぁ正直言うと、音楽がどうこう以前に私は基本的に読売グループが嫌い。 アンチ巨人とか、まぁそういうのもあるけれど、昔読売新聞社との取引が垣間見える仕事をしていて、非常に嫌だなと思った経験があるので、尚更嫌い。いや、大新聞社、いや取引関係のある立場というものは多かれ少なかれそういうものだけれど。 ということはまぁ言っておくとして、なんでこんなコンサートに行ったのかというと、改修後の芸劇に行く機会がなかなかありそうになかったので、行っておこうかと思って。ついでに、久々に読響も聞いておこうかと。まぁ、こんなプログラムだし、一体どれだけ販売店からチケット貰った人が来ているものやら、というのはあるのだけれど。 と、非常に斜に構えた態度に対し、承知の上とはいえなんじゃこりゃ的なこのプログラム(笑)指揮がラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスにしてはちと勿体無くないかい?という感じ。 しかし、「名曲集」の割には、微妙な選曲も多数あるのは、北欧と指揮者出身地のスペインへの拘り故か。ワーグナー序曲集、みたいなのでも面白いと思いますけど、ここまでするか!という感じ。幾ら「名曲シリーズ」って言ってもねぇ.... 改修後の芸劇は、入り口がオープンエア状態からはっきり「建物の中」に切り替わったこと、1階からホールへの長いエスカレーターが壁に張り付いたこと、大ホール内にエレベーターがあるのだけど、あれ前からありましたっけ?後なんだろう....あんまり変わらないか(笑) 音響的に何が変わったという気もしません。昔に比べるとややデッド感が増したかな?悪い気はしません。むしろいい方。 そして、久し振りに見ると改めて思うけど、デカいねぇ....3階の上の方から見ていると、やはり遠いなぁ、広いなぁ、と思います。箱の容積では、サントリーはもとより、オペラシティやオーチャードよりも大きいのでは。ひょっとすると東京文化会館の方が大きいかも知れないけれど、客席からの体感ではより遠いような。 読響は.....まぁ、デカい音が出るのね、というのは分かった。 以上! いや、さすがにそりゃヒドイだろ、と思わなくもないけれど、まぁ、この演目ですし、良し悪しは分からないし、このプログラムで細かいこと言われてもしょうがないでしょ、とは思うので。まぁ、改めて一生懸命ここを聞いてみようか、という気にはならなかったのは確か。だからってヘタというわけでなし。 同じことは指揮者にも言えるので、ここで出来を云々しても仕方ないよね、ということで。 プログラム的には、まぁそれなりに面白かったかなと。たまにはこういうのばっかり聞かされるのもいいかも知れません。
2012年11月27日
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北とぴあさくらホール 14:00〜 1階後方 マルカントワーヌ・シャルパンティエ:音楽付コメディ「病は気から」 俳優:阿部一徳、泉陽二、大高浩一、本多麻紀、牧山祐大 歌手:マチルド・エティエンヌ、鈴木美紀子、波多野睦美、安冨泰一郎、エミリアーノ・ゴンザレス=トロ、フルヴィオ・ベッティーノ、小笠原美敬、野々下由香里、中嶋俊晴 レ・ボレアード 指揮:寺神戸亮 ステージング:宮城聡(SPAC) 潤色:ノゾエ征爾 まぁ、なんですよ、どうせやるならこのくらいやらないと、ってとこでしょうか。 北とぴあが毎年この時期にやる国際音楽祭で毎年のように上演される、古楽系オペラ。今年はシャルパンティエの「病は気から」...ってそれなぁに?まぁ取り敢えず買っておくか、ということで取ってあったのですが、前々日他所で貰ったチラシが気になって、当日道すがらネットで検索して気が付いたのが、公演協力「SPAC」静岡県舞台芸術センター。ここは、近年地方での文化事業のモデルケース的な存在感を持っている、静岡芸術劇場を本拠とする公立文化事業集団。なんで繋がったかというと、この間、新国でリチャード3世を観た時貰ったチラシの中に、「病は気から」のチラシが入っていたのです。ああ、あの静岡の団体か、モリエールやるんだ、へぇ〜 とか思って、自分が持ってるチケットの公演タイトルを忘れてるんだから、もう度し難いというか..... その時のチラシの写真がここに入っているのですが....怪しいでしょ?(笑) という訳で、私は事前に心の準備を十分にして会場に入ったのでした。 で、どうだったか? まぁ、正直言うと、これは毎年やってるオペラじゃないよね(笑)確かに寺神戸亮率いるレ・ボレアードの公演ではあるけれど、舞台があまりにもアレなので、観てる方は半ば音楽忘れてます。フランスのバロック・オペラを鑑賞に来たつもりの人にとっては、これはちょっと、という人も少なからず居たのでは。 少なくとも、私は、音楽は結構どうでもよかった。最早上手い下手の問題じゃなかったし。 但し、近年よく魔笛なんかを上演するに際して「これは本来Singspiele=歌芝居なのだから云々」みたいな中途半端なことを言う傾向があるけれど、そういう小理屈を言うのに比べればよっぽどしっかりしている。 まず、大事な所だけれど、基本的に話の筋は概ね沿っている。その意味で、話を勝手に解釈して作り替えている訳ではない。その上で、下品に傾き過ぎない程度に、よく咀嚼して、21世紀初めの日本で上演するに相応しい程度に潤色している。冒頭の悪ふざけこそちょっとね、という気はするけれど、その後芝居の方に入って行くと、流石に引き込まれてしまう。 とにかく、芝居が上手いのです。それも道理、俳優の面々は件のSPACの公演で同役を演じていたメンバー。だから、芝居として観ていて普通に面白かった。勿論、こういう喜劇を面白いと思えるかどうか、ということはあるけれど、そこまで行くと、もう間違って来てしまったとしか言い様が無いのでは。 という訳で、私としては面白かった。理屈抜きに、シャルパンティエがどうとかとか、モリエールがとか、そういうこと抜きに面白かった。こういう面白さというのは、もう演劇では随分観ていなかった気がします。まぁ、そんなに熱心に劇を観ている訳ではないから、なんとも言えないですが。 そう、くどいようだけれど、私は演劇として面白かったのだけれど、それは多分「フランス・バロックの巨匠シャルパンティエのコメディ・バレ」ではないのですよね。といって、私は、シャルパンティエの作品を改作しているとは思わないし、「元はこうだった」的なものでもなかった、という点で、評価していいと思います。魔笛なんかの、くだらない、中途半端な公演が「元々はこれはSingspieleなのだからそれを蘇らせてみた」的な言い方をするなら、この公演は、「いや元々音楽付の喜劇だから、ここまでやっちゃってもいいんじゃない?」といったところか。要するに、シャルパンティエとか「音楽付喜劇」とかいうのを言い訳にしていない。最終責任は私が取ります、という、上演責任者の覚悟が感じられる舞台だった。 こういうのを面白いと感じるかどうかは個人の趣味の問題だから、云々しませんが、少なくともここまでやる覚悟がある舞台というのは、観ていて好感が持てます。理論だの何だの以前に創作者として引き受ける責任、それに対する覚悟がある。 でも、音楽的には、よく分かんないですけどね(苦笑)観てる最中はそれどころじゃなかったんだもの....
2012年11月26日
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所沢市民文化センターMUSE マーキーホール 15:00〜 3階正面 結局、万障繰り合わせて、行ってきました。 内容は、前回と全く同じプログラムです。 アンコールも一緒。まぁ、このへんは、そもそも2回来る人なんて想定してないだろうし、文句言う所ではない。 むしろ、前回同様、シューベルトが気持ちよく聞けたので、そこが変わらず有り難いというか。 ここのマーキーホールは収容人数は約800人。英シェークスピア劇場のスワン座を参考にしたらしいですが、確かに新グローブ座も平土間こそオール立見ながら似たような構造で、平土間に円筒形の1・2・3階サークル席がある形。かつ、平土間はかなりの傾斜が付いているので、かなりの高低差があります。 加えて、演劇に向くように作られた、しかも円形の劇場なので、結構劇場のスペースに「無駄」があります。結果、人数差以上にこの間の青葉台のフィリアホール(シューボックス形式で2階席までの500席)に比べると広さを感じます。空間がある。 この広さで同じ歌を聞くと、確かに、余裕を感じます。歌ってる当人にとってどうかは分かりませんが、聞く側からすると、恐らくはそう変えてはいない歌い方の中では、こちらの方がフィットしている感じです。 で、この場に置いて改めて聞いてみるに、やはり藤村実穂子の歌の柄は、このクラスのホールでないと合わないような気がします。言い換えれば、最初からここで聞いていれば、印象は違うのではないかと。 その上で、じゃぁ、このプログラムはどうなのか。 オペラティックな歌唱、といった側面は、このくらいのホールに置いてみると、違和感は随分相殺されます。無理があまり感じられなくなった。一方、R.シュトラウスなどは、空間を得て本来あった筈の一曲一曲の表現の襞が見えやすくなっている気がする。そうした点ではいいと思います。 その上で聞けば、やはり、藤村実穂子はこのプログラムの中で一貫してドラマティックな歌唱ということを意識しているのだと思います。それはただ単に激しく、表現の落差を持って、ということでなく、ドラマとしての歌、或いはあるドラマの中の断片を切り取った形としての歌、ということなのかと。 確かに、ヴォルフのミニョンの歌などは、いずれもゲーテの「ヴィルヘルム・マイスター」から取って来たものであり、そこにはドラマがある。マーラーの「子供の死の歌」は言わずもがな。 難しいなぁ...... 個人的には、このプログラムで、全篇通して、振幅はあるにせよ、ドラマティックな方向性で一貫されると、それはそれでちょっとなぁ、という気はするのです。 そういう解釈は決して間違いではないと思います。ただ、やはり、それならそれでもう少し工夫が欲しいな、と思うのです。これはこれで立派な歌唱ではある。でも、正直言うと、ドラマティックな歌唱を聞きたければ、わざわざドイツリートで統一する必要も無いし、それ向きの曲もある。 リサイタルというのは、プログラミングから勝負が始まります。確かに、そうした意味ではこの人に合った - 合わせることが出来る - 選曲なのだろうとは思うし、歌唱まで含めて首尾一貫したリサイタルではあるとは思うけれど....... それはやっぱり「藤村実穂子リサイタル」なんですよね。つまり、「ドイツ歌曲のリサイタル」なのか?と言われると、悩ましい。「藤村実穂子リサイタル」であって何の不都合もありはしないのではありますが.....
2012年11月25日
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新国立劇場 14:00〜 4階右端 トスカは結局初日と千秋楽を聞く事に。 印象は殆ど変わりません。初日からそれほど大きな差異はなかったかなと。初日から十分パフォーマンスが出ていたとも言えるし、日が進んでもそれほど練れなかった、とも言えるのか。強いて言えば、4階に上がった故もあるのか、各歌手の尖った感じは薄れた気はします。 特に今回聞いて良かったかと思うのは、カヴァラドッシのサイモン・オニール。この人は、多分唯一「こなれてきた」のではないかと。第2幕のVittoria!の絶叫も、その後のパッセージも含めて、今回の方が上手く出来ていたと思います。 一方、ノルマ・ファンティーニは、前回同様。若干崩れたかな、という感じです。多分、今日が千秋楽ということもあるのでしょうが、前回以上に奔放な歌唱ではあったと思います。特に3幕のカヴァラドッシとの絡みは、これでもかと言わんばかりの大音声。でも、その分、音程はやや安定さを欠いていたし、歌も崩れて来る。それがやはり2幕のVissi d'arte, vissi d'amoreにも出てしまう。歌い崩してウケを狙うのは、まぁ、確かにやり方としてはありますが、ちょっと辛口な言い方をするなら、そういうのは本当に上手い、或いは本当に異形の歌手がやってこそ生きるのであって、あのですね、ノルマ・ファンティーニ級がやっても、あの、その....... 大詰め、やっぱり声は大幅に引っ込んでました。やっぱりねぇ、劇場の構造とかはあるとは思うんですが、発声上の癖が出てる気はします。 ちょっと丁寧に言っておくと、本来、人の声というものは、前に出る筈のものです。確かに、頭のてっぺんから声が出ているという類の人は、います。昔々パヴァロッティを聞いた時、素で、一体全体何処から声が出てるのかさっぱり分からなかった、ということはありましたが。で、歌手というのは、多かれ少なかれ、自分の身体を共鳴させて聞かせるという事はあります。ただ、結局、声というのはあくまで声帯で出しているので、純物理的にはまず口から出るもの。だから、発声のはっきりしている歌手の口は必ず開いているもの、とはある知人の言ですが、確かにディースカウやグルベローヴァは歌っている時口がはっきり開いている。 新国立劇場の舞台は、日本の劇場としては奥に広いし、その奥の方からだと構造的に共鳴しない部分はあるのだけれど、そもそも声がきちんと前に飛んでいれば、あれほど引っ込みはしないと思うのです。そういう意味で、やはり発声に癖があるんじゃないかと。音程がもう一つ安定しないのと、それがリンクしているのかどうかまではなんともですが.... という訳で、でもないけれど、個人的にはやはりスカルピア役のセンヒョン・コーが一番安定しているなという印象です。 まぁ、比較的歌手に恵まれたと言っていいとは思いますけどね。ただ、この歌唱陣で、「じゃぁ行ってみようか!」と思わせる程のことではないよなぁ.... オケと合唱は、初日とそうは変わらずではないかと。まぁ、こんなものでしょう。 千秋楽は沼尻竜典へのブーイングは無し。さりとて、特に初日と大きく変わった気もしないし、やっぱりそんなに悪い出来でもないし、あれはよく分からないな.....
2012年11月24日
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オーチャードホール 15:00〜 3階正面 ラヴェル:ラ・ヴァルス 左手の為のピアノ協奏曲 ムソルグスキー/ラヴェル編:展覧会の絵 ピアノ:舘野泉 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:三ツ橋敬子 なんだかんだで半年近く来てなかったオーチャード定期です。ゼッダ以来じゃないか?なんやかやと被ったりしていて...... 三ツ橋敬子、最近売り出し中の女流指揮者ですね。実は聞くのは初めてかも。 ところで、基本的に私はあまり演目を事前にチェックしない人です。特に、定期で買ってる分は、うっかりすると当日まで何やるのかあまり認識してなかったりします。 で、今回は2、3日前に「あー、ラヴェル・プロなのね、ふんふん」くらいで来たのですが(これでもマシな方)、よくよく考えると、最初が「ラ・ヴァルス」って...... ラ・ヴァルスは、19世紀ウィーンの高貴な人々の集まる舞踏会「の幻想」とでもいうべき情景を想定して書かれた事になっていますが、まぁ、実際に聞くと、かなり危うくてはっちゃけた感じで、その中に猥雑さと艶かしさとが同居していて、尚且つ最後はドンガラガッチャンといった調子で終わる曲。つまり、プログラムの最後にでも持って来るような曲、なんですね。これが最初。 いやーもーこれは正直意表を突かれました。なんとなく、「亡き王女のパヴァーヌとか、マ・メール・ロアとか、その辺だったかな?」くらいのつもりで来たら、いきなり「ラ・ヴァルス」ってそんなあなた御無体な(苦笑) で、どうだったか? これがなかなか面白かった。 猥雑さや艶かしさの横溢したこの曲を、ある意味もっと軽いアプローチで纏めに行った、といったところでしょうか。なんとなくサーカスというかワンダーランドを目の当たりにするような。「のだめカンタービレ」の"変態的ワンダーランド"を連想させるような、妙な言い方ですが、ややマンガチックなイメージといか、騒がしさを兼ね備えた演奏。その分おどろおどろしさは後退していると言っていいのか。 それがじゃぁおかしいかというと、意外とそうでもない。こういう演奏なら、確かに、プログラムの最初に持ってきても悪くない。 2曲目は、左手ピアノの為の協奏曲。演奏は、舘野泉。この方もすっかり「左手のピアニスト」が板についてしまって....まぁ、むしろ、これで演奏が続けられていることの方をこそ寿ぐべきなのでしょう。 後半は展覧会の絵。 実はこの曲聞くのは久し振りかも知れません。やってそうで、意外とやらないんですよね。あんまり人口に膾炙し過ぎているのでしょうか。でも、個人的には、内心、数多あるマーラーの交響曲の演奏の、10回に一回くらいは展覧会の絵とかに差し替えた方が健全じゃないか?という気がしなくもないのですが。健全、というのもちょっとアレな言い方ですが、なんとなく展覧会の絵が通俗名曲的な位置付けになりつつあるような気がして、むしろよっぽど通俗的なマーラーの方が何やら意味有りげに扱われるのもなんだかなぁ、という..... で、演奏ですが、これもなかなか良かった。まぁ、演奏効果が上がる曲だから、きっちりやればウケる事間違い無し、といった処ですが、その中でも単に「ほら有名曲でしょ?ほら凄いでしょ?」という風でなく、きちんと流れを持たせて、聞かせる演奏だったのは確か。まぁ、個人的にちょっと残念だったのは、カタコンベのところでの金管がもう一つ整理し切れなかった感じだったかなと。ここをもっと上手くやってくれれば.....まぁ、こんなもんでしょう。 という訳で、全体に、割と楽しめた演奏会だったと思います。 まぁ、毎度毎度こんなプログラムで来られると、それはそれでたまらんですが、たまにこういう徹底したのもいいと思います。無論、それに見合う演奏であって欲しいんだけれど、このくらいやってくれればねぇ。
2012年11月21日
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フィリアホール 18:00〜 2階右側 シューベルト:湖で / 水の上にて歌う / ゴンドラの船頭 / 湖上にて / 流れ マーラー:亡き子を偲ぶ歌 ヴォルフ:ミニョンの歌 1〜3 / ミニョンの歌「君よ知るや南の国」 R・シュトラウス:献呈 / 何も / 夜 / もの言わぬもの達 / イヌサフラン / 万霊節 <アンコール> R・シュトラウス:あなたの黒髪をわたしの頭に / チェチーリエ / 満ち足りた幸福 メゾソプラノ:藤村実穂子 ピアノ:ヴォルフラム・リーガー うーん............... 御存知「バイロイトで歌える日本人歌手」。日本でリサイタルを何回かやるということで、本当は来週の所沢を買っていたのだけれど、行けるかどうか不明になったので、こちらに行ってきました。 で。 正直、あまりいいとは思わなかったんですが、さて、どう説明したものか.... 最初、シューベルトを聞いている間は、正直、幸せでした。いい声だし、流石に日本人としては発音はクリア。歌い回しも上手。朗々とした歌い方でよく響く。フィリアホールは500人ばかりのホールなので、確かにサイズ的にはリートリサイタルには向いている筈。 なのですが、前半2つ目の「子供の死の歌」(Kindertotenlieder って、直訳するとこうなので、昔使われていたというこの訳語の方がこの歌曲集のある種の忌まわしさをよく表していると思うのだけれど)で、あれ?という気持ちに。 この歌曲集は、その名の通り、我が子を失った父親の心情を歌ったリュッケルトの詩に曲を付けたもの。歌い手は明らかに父親ではありますが、女声が歌う事自体は珍しくはないし、それは問題ではない。ただ、そういう歌なので、感情の起伏の激しい曲ではあるのですが、どうも、藤村実穂子の歌が、「ちょっと違う」感じなのですね。 で、後半、ヴォルフのミニョンの歌で、はっきり感じたのですが、藤村実穂子の歌は、「何を歌っても藤村実穂子」になってしまうのではないかと思うのですね。 最初のシューベルトでも感じなくはなかったのだけれど、今回のシューベルト5曲は、それぞれ微妙に表情の違う曲ではあります。それが、藤村実穂子が歌うと、どれも同じように聞こえてしまう。勿論、同じではないので、それぞれに藤村なりの表情があり、表現がある。そこには差異があるにはある。けれども、それ以上に、「藤村実穂子の歌」になってしまう。そんな感じ。 但し、それ自体がいけないことではない。「何を歌ってもXX」というのは、他の歌手でもままある事だし、よほど酷い声でなければ普通そういう歌手はいい歌手です。分かりやすい例が、パヴァロッティ。パヴァロッティが歌うと、何を歌っても概ね「ああ、パヴァロッティだなぁ」となる。あんな感じ。だから、それ自体は決して悪くは無い。 問題は、「何を歌っても藤村実穂子」の、その「藤村実穂子」が、どうにもオペラティックというか、表現はあるにせよ、それが大柄で、かつあまり幅が広くないように感じるのですね。 結果、ミニョンの歌の「君よ知るや南の国」は、まるでオペラアリアのように歌い上げられてしまう。勿論、そういう解釈だってあるとは思います。でも、この後のR・シュトラウスも含めて、皆概ねそういう歌唱になってしまうのは、ちょっとどうなんだろう。 それと、表現の幅の問題。確かに非常に大胆でダイナミックな歌唱ではあって、それはそれで悪くは無いと思います。でも、例えば、「子供の死の歌」はとてもセンシティヴで起伏の激しい歌だし、ミニョンの歌も、かなり感情の幅の広い歌ではあるけれど、それだからこそ、一つ一つの言葉が時に鍵になることはあるけれど、そうした面での、ピアニッシモ側での表現というのがあまり感じられなかった。大柄な表現の中に塗り籠められてしまった感があるのです。 決して凡百の日本人歌手のレベルではないと思うのです。今回のリサイタルでは、彼女自身の対訳が配られているほどだから、決して「自分で何歌っているか分からない」なんてことは無いと思うし、言い方を変えれば私の好みでないというだけのことで、音楽的には立派だと思うのです。 でも....そう、「立派」な歌唱なんだけれど、思うに、それは私が聞きたいと思う「歌」とはちょっと違う気がするのです。敢えて単純化してしまえば「力技で歌い切る」というのを求めてはいない。少なくとも、このプログラムだったら、そういう歌唱を私は好まない。 藤村実穂子は、5月に新日フィルとハーディングがやった演奏会で、ヴェーゼンドンク歌曲集を歌ったけれど、例えばああいう柄の大きい歌曲をやったっていいと思うのです。少なくとも、彼女の歌い方は、こういうプログラムでは、ちょっと「収まり切らない」気がするのです。例えば、シューベルトの後にヴェーゼンドンク、後半にシェーンベルクあたりを据えて、最後に同じR・シュトラウスでも「4つの最後の歌」とか。そういう曲の方が、彼女の歌い方、声が生きるように思うのです。こういうプログラムよりは。 歌うな、っていう訳じゃないんですけどね。 或いは、このホールが小さ過ぎるのかも知れず。フィリアホールは、今の首都圏では、あまり類例が多くないサイズで、強いて言えばかつてのカザルスホールや、現役では、まぁ王子ホールくらいが近いかな、という規模なのですが、ここで歌うにはちょっとハマらない感じだったのか。 という訳で、今度の週末の所沢公演に行ければ行きたいのですけれどね。切符はあるし、あそこのホールはここよりは大きいので、柄にあうんじゃないかな、と思っているのですが....行けるかなぁ....万障繰り合うかなぁ........
2012年11月20日
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オーチャードホール 15:00〜 3階左側 シューマン:森の情景 ラヴェル:夜のガスパール ショパン:ノクターン第13番 / バラード第4番 スクリャービン:ソナタ第9番「黒ミサ」 グラナドス:ピアノ組曲「ゴイェスカス」第1部〜第4曲「嘆き、またはマハと夜うぐいす」 シャブリエ:ブーレ・ファンタスク <アンコール> ショパン:ノクターン第1番 ヴィヤルド:セレナーデ スクリャービン:2つの左手のための小品〜夜想曲 ピアノ:小山実稚恵 年2回のシリーズ「小山実稚恵の世界」、第14回。 毎回色をテーマに展開するプログラム、今回は黒。題して 〜夜のしじまに〜。 ふーん...................zzz........................ はっっっ!いかんいかん! えーと、1曲目は、森の情景。2曲目が夜のガスパール。うん、どっちも好きな曲.........うん........いい演奏..........zzzzz....... ああっっごめんなさいごめんなさい。いびきかいてた?かいてないよね? まぁ、敗因ははっきりしていて、前夜家に帰り着いたのが3時頃、その後朝からチケット取り、更に医者に行き、と、まぁバタバタしていたので、ついつい睡魔が......という訳で、森の情景はなんとか耐えたけど、夜のガスパールの第2曲、「絞首台」、あの木霊のようにゆったりと不気味な音が揺り返す、あれについつい誘い込まれ............... もう後はぐだぐだ。というわけで、何か論評するような立場では御座いません。ハイ。 いや、前半、いい演奏だったと思うんだけど、如何せん最初からそんな状態なもんだから.......... 後半もねぇ。ショパンのバラードはいい演奏だったなぁ、と思っているんだけど、よりによってその次のスクリャービンあたりから怪しく.... いびきはね、かいてなかったと思うんだけど.....(・・、 反省。
2012年11月12日
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新国立劇場 14:00〜 3階正面 プッチーニ:トスカ トスカ:ノルマ・ファンティーニ カヴァラドッシ:サイモン・オニール スカルピア:センヒョン・コー アンジェロッティ:谷友博 スポレッタ:松浦健 シャルローネ:峰茂樹 堂守:志村文彦 看守:塩入功司 羊飼い:前川依子 東京フィルハーモニー交響楽団 新国立劇場合唱団 指揮:沼尻竜典 演出:アントネッロ・マダウ=ディアツ 今週はハードスケジュール。ま、自分で好きでやってる事だから文句の出る筋合いじゃないっすな。 とはいえ、トスカは1,2幕が45分くらいで3幕は30分がとこだし、休憩2回が割と普通なので(前にリーズでオペラノースが現代演出のをやった時は、2幕と3幕を連続で上演したのでちと閉口したっけ....)、正直楽ではあります。 2000年に初演したマダウ=ディアツのプロダクション。まだ生きてるんですよね、これ。五十嵐喜芳が芸術監督やってた頃の遺産ですね。確かに良く纏まってるとは思います。比較的写実的にやりやすい作品だとはいえ、こういう風に上手いこと出来てるのはあまり無いのではないかと。一方で、演出的にいじりやすくもあるこの作品をここまで「忠実」にやってる演出というのも、却って今時結構珍しいのでは。 いつもは聞かない初日ですが、今回はシーズンで取れる休日がここだけだったので。正直言うと、トスカはそれほど好きではないんですけどね。嫌いじゃないけど、結構聞かされることは多かったので、まぁ、トスカに関してはお腹いっぱいというか。不思議なもので、それ以上に散々観聞きしてるボエームはまだ飽きてないので、好みの問題ではあるんでしょうけれど。まぁ、はっきり言って、歌手が良くないとやっぱりつまらないよね、という。 で、今日は、行って良かった。 行った時点では「ノルマ・ファンティーニねぇ。ふーん。」てなもんで。で、1幕を観ての感想は、「声はあって大柄で大味、このまま行けばいいけれど、果たして?」といったところ。結論的には、ほぼ最後まで、この勢いで押し切ってしまいました。 率直に言うと、ここ最近専ら東京文化会館とかで観ていたので、久し振りに新国立劇場で聞くと、近いな〜、という感じはあります。東京文化会館にしても、よこすか芸術劇場も、昨日のNHKホールだってそうなのだけれど、本来はああいったホールの方が正統的だとは思っています。つまり、音が響く空間がたっぷり取られているのが、本来ホールのあるべき姿。しかも響き過ぎてはいけない。やっぱり新国立劇場は、舞台やピットと客席の相対位置関係が狭過ぎると思います。つまり、音が響く空間をきっちり取っていない。近過ぎる。 それがはっきり出てしまったのが実は今日の最後の最後、幕切れ。その前のカヴァラドッシとの場面で、舞台前方で歌って大爆発を聞かせてみせたファンティーニが、最後身投げをする直前の大見得で叫ぶ、これが随分引っ込んで聞こえてしまった。確かに舞台奥からなので、引っ込みはするんだけど、ちょっと引っ込んで聞こえ過ぎ。 多分、これは、ファンティーニの発声に関係しているような気がします。つまり、声を飛ばすような歌い方ではなく、自分の近くで響いている感じじゃないのかと。だから、同じように歌うと、飛んで来ない、という、そんな感じではないのかなと。 そうは言っても、ファンティーニにせよ、カヴァラドッシのオニール、スカルピアのコー、いずれも十分に聞かせる声の持ち主でした。正直、声はデカいけど、この力技で最後まで行けるのか?と思ったのだけれど、少なくとも今日は最後まで支え続けたというところでしょうか。 センヒョン・コーのスカルピアはなかなか。これこそ声の大きさ、深さがそのまま魅力に直結する役だけれど、怖さこそそれほどではないものの、1幕のテ・デウム然り、とても良かった。 サイモン・オニールは、多分初めて聞いたのですが、まぁちょっと古いタイプのテノールと言えなくもないです。ただ、こちらも、声はそこそこあるので、聞いてて楽しいのは確か。 まぁ、今日は、あまり難しいこと考えずに、わぁ、こりゃ凄いわ、と感心しながら聞いていればそれだけで楽しい、という、ま、そんなところじゃないかと。でも、実際、トスカって、そういうオペラであるという面はあるしねぇ。いや実際、そういう目線で言えば、これはなかなかいいと思います。好き嫌いはあるし、やっぱり大味ではあるし、それ故に一歩間違えると、というのもあるし。でも、今日のように上手く回れば面白いのは確かでしょう。 合唱も、主な仕事は1幕のテ・デウムだけれど、これはスカルピア共々良く出来ました、でしょう。正直、1幕聞いた時点で「もうこれ聞いたしいいや」てな感じで帰ろうかな、とちょっと思ったくらい。 ただ、まぁ、熱狂する程ではなかったかな。その辺は難しい所ではあります。いい演奏ではあるし、個人的には皆及第点をあげていいと思うんだけど、ただ、それが熱狂に必ず繋がる訳でもない。なんでだろう? カーテンコールで、指揮の沼尻竜典に結構ブーイングが飛んでいたのだけれど、あれはなんなんだろう?ちょっと分からないな。理由を聞いてみたい気がします。 というのも、正直言って私は決して沼尻竜典は好きじゃないのだけど、今日の演奏は決して悪くはなかったから。いや、もっと言えば、そもそもトスカなんてオペラは、よほどしくじったのでもない限り、ブーイングなんてするようなもんじゃないと思うのですよ。まぁ、その物言いは確かに「トスカ」に失礼だけれど、そんなに酷くは無いと思うよ?
2012年11月11日
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NHKホール 18:00〜 3階正面 武満徹:遠い呼び声の彼方へ! ノスタルジア 〜アンドレイ・タルコフスキーの追憶に ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」第1幕 ヴァイオリン:堀正文 ジークリンデ:エヴァ・マリア・ウェストブレーク ジークムント:フランク・ファン・アーケン フンディング:エリック・ハルフヴァルソン NHK交響楽団 指揮:エド・デ・ワールト ダブルヘッダーの2本目ながら、1本目は寝不足で...... こちらは万全の体勢で臨む事に。それもどーなんだ..... エド・デ・ワールト。前に一度来てたんだそうで、今回が2度目の客演。最近何処のオケも客演ブームで、まぁ、今に始まった事ではないのだけれど、まぁ演奏が面白ければ、N響あたりはどうでもいいか.... 客の入りは思いの外悪く、3階席は中央を外すと結構空席がありました。最近にしてはあまり良くないのでは。 これはやはりプログラムの内容によるのか。個人的には、武満とワーグナー、なんて、ある意味美味しいとこ取りじゃないか?という気もするのですが、一般的には、この取り合わせはそれほど受けないんですかね。 前半の武満はいずれもヴァイオリン独奏を迎えたもの。遠い呼び声の彼方へ!がフルオーケストラをバックにした曲なのに対し、ノスタルジアは少なめの弦楽合奏を従えたもの。どちらも傾向はやや違えども、繊細な響きを身上とするような、まぁ武満徹らしい曲。 独奏はコンサートマスターの堀正文。で、今日のコンサートマスターは篠崎史紀。ふーん....... まぁ、悪くないと思うんですが、結構冷淡な反応。この辺はそれほど腕の良し悪しが露骨に出るみたいな曲とも思えないし、皆さん何がそんなにご不満なの?という感じ。武満なんてどうでもいいんですかねぇ....謎だ...... まぁ、お目当てが後半のワルキューレになるのは仕方ないか。 そのワルキューレ、一言で言うと、思いの外良かった。 正直、歌唱陣は大して期待していませんでしたが、公平に言って健闘してました。特にジークリンデ役のウェストブレークは結構良かった。3階後方でも声が届いて最後まで落ちる事無く状態をキープ。やや大味な感もあると言えなくもないですが、オケの定期演奏会で、NHKホールで演奏会形式で呼んで来た人としては望外の内容ではないかなと。 後の二人は、まぁ、それぞれかなと。ジークムントのファン・アーケンは、最初は思わず「おっ?」と思ったくらいでしたが、徐々に落ちてゆき。まぁそれでも一応最後まで歌っていましたし、こういう公演だから取り敢えずOKだと思いますが、どうだろう。気になったのは、やってる間頻々に水を舞台上で飲んでいた事。歌手としては、舞台でだったら、これは出ずっぱりになるので、それじゃ保たないと思うんですが。 フンディングは、まぁ、可もなく不可もなく。「これはダメだ!」というところはなかったし。仕事はしました、といった態かなぁ。 NHKホールだし、演奏会形式だし、あまり多くは求めないので、取り敢えずいいと思います。むしろ、チケット代を考えれば、聞いといて損は無いという感じですね。 オーケストラは、これも思いの外抑制された淡々とした感じすらある演奏。 良くやっていたと思いますし、個人的にはよく出来ているなと感じた演奏でしたが。或いはもっと熱狂的にぶん回して欲しいと思う人は居るかも知れないですね。 まぁ、いい演奏会でした。今日の予定が無ければ、もう一回行ってもいいくらい。
2012年11月11日
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よこすか芸術劇場 15:00〜 4階右手 マスカーニ:カヴァレリア・ルスティカーナ サントゥッツァ:ゲルガナ・リュスコヴァ トゥリッドゥ:コスタディン・アンドレーエフ ルチア:ルミャーナ・ペトロヴァ アルフィオ:プラーメン・ディミトロフ ローラ:ツヴェタ・サランベリエヴァ 指揮:アレッサンドロ・サンジョルジ プッチーニ:ジャンニ・スキッキ ジャンニ・スキッキ:ウラディミール・サムソノフ ラウレッタ:小林沙羅 リヌッチョ:ダニエル・オストレツォフ 指揮:ヴェリザル・ゲンチェフ ソフィア国立歌劇場管弦楽団・合唱団 大方の予想を裏切って、横須賀へ。幾ら最後だからって、3公演突っ込むには至らず...... ソフィア国立歌劇場は、来日の度に行っている気がします。かつてはエヴァ・マルトンとかゲーナ・ディミトローヴァとか、ニコライ・ギャウロフなんかも迎えてやっていた覚えがあるのですが、今回はちょっと小粒。というか、ブルガリアに縁のある名のある歌手というのがあまり見当たらない気が。 まぁ、正直言って、こちらも個々の歌手に期待は抱いていなくて、ただ、過去の実績から充実したオケと合唱を聞きたいなというのと、演目的にこちらかなと。トスカは、テ・デウムはいいけれど、新国と被ってるし。 この日は上野とお客を取り合ったせいか、はたまたやはり演目的に弱いのか(個人的には全く弱いということはないのだけれど)、やっと半分くらいの入り。確か横須賀は1600人とか1800人くらいの筈なので、千人いるかな、というくらいではないかと。ちょっと寂しいよなぁ.... で、一言で言うと、予想通り。 歌手は、まぁ取り敢えず舞台を進行させるのに問題は無いけれど、という態かと。カヴァレリアのトゥリッドゥ役がいい例で、まぁ声はあるんだけれど、若い割に、歌い回しも、演技も、大仰で古臭い感じ。そういや、壁が壊れた後暫くの間、こういう歌手を擁した来日公演とかよくあったよね、と思い出しました。まぁ、それでも、無理して声を出す、みたいな感じとはちょっと違うし。これはこれでいいんじゃないか?といったところ。これは後半のジャンニ・スキッキも同様。こちらは日本人の小林沙羅がゲスト出演の態ですが、まぁ、宜しいんじゃないでしょうか。 ということで、合唱。これがやはり目当てですが、こちらは良かった。とはいうものの、合唱はカヴァレリアにしか出て来ないのですが、こちらは40人くらいの合唱団でありながら、結構広いよこすか芸術劇場を十分圧する合唱。例によって力技ではあるのだけれど、よく合ってるし、この合唱が効いてるのは何と言ってもカヴァレリアのプロセッションの場面での、神への祈り。これが聞けただけでもある意味十分です。休憩で、何処ぞのおっさんが「やっぱり新国立劇場の合唱団の方が...」とか話してましたが、それは「青龍刀より縫い針の方が鋭い」とか言うようなもので。いや、まぁ、そこまで新国が情けない訳ではないけれど。 そしてオケ。まぁ、こちらは、割と良い、という期待通り、といったところかと。元々、凄く上手い、みたいなことは期待していないので、こういうオペラをきちんと歌う所はそこそこそれなりに歌ってくれれば、というのをきちんとやってくれました、といったような。少なくとも、安心して聞いていられるのは確か。 演出は、ある意味オーソドックス。視覚的には結構楽しいかと。 カヴァレリアのプロセッションでは、十字架だけでなく、キリストと天使とマリア様の像が登場するし。これ、一歩間違えると、「何アレ?」と思われて終わりかも知れませんが、確かにプロセッションである以上、造りが若干ちゃちなのも含めて、ああいう「山車」が練り歩くのは普通の話だし。とはいえ、最後、トゥリッドゥの遺体が運び込まれて来るのはちょっと珍しいかなと。それとも、今はこういうの普通なんでしょうか?ちなみに、上から見ている限りでは、件の山車と同じ格好で担がれてトゥリッドゥが運ばれて来るのも、ちょっと不意を突かれた感じがあって、それはそれで上手い処理の仕方ではあるかも知れない。細かく考えると色々ありますが。 一方、ジャンニ・スキッキの方は、まぁこれでいいんじゃない?という感じ。回り舞台に載せられたベッド兼書斎(まぁ見れば分かるので説明は割愛)が舞台の中心で、まぁ上手く使っていたなというところでしょうか。 正直、あまり難しい事言わずに楽しく観る、という公演かなと。音楽的にも、そういう面では上手に緩急付けて纏まってるので楽しめるし、値段的にもそんな感じで観られるかな、と思うんですけどね。
2012年11月05日
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サントリーホール 14:00〜 ピット席 「グレン・グールドへのオマージュ」から シルヴェストロフ:J.S.B.に捧ぐ〜ヴァイオリンとエコーのために ラスカトフ:前奏曲とフーガニ短調BWV.851 デシャトニコフ:パルティータ第6番 サラバンドホ短調 ティックマイエル:「グールドにもとづいて」 キーシン:ゴルトベルク変奏曲から「アリア」 ヴァインベルク:交響曲第10番 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番op.131(クレーメル&キーシン弦楽合奏編曲版) <アンコール> 梅林茂:夢二のテーマ ピアソラ:ミケランジェロ70 ヴァイオリン:ギドン・クレーメル、ジェラルダス・ヴィドヴァ ヴィオラ:ダニイル・グリシン チェロ:ギードレ:ディルヴァナウスカイテ クレメラータ・バルティカ ってーか、これこそ「ギドン・クレーメルとバルト沿岸の愉快な仲間達」って感じなんですが、何故か本来のタイトルは「ギドン・クレーメル」。うーむ。 クレーメルは、去年の来日キャンセルラッシュの中、同じ時期に日本にやって来た演奏家の一人。今年は全4日間の公演。 なので、ろくすっぽ演目も見ないで行ける日を選んで買っていたのですが、よく見たら今日は一番クレーメル濃度が低い日。うーむ。 しかも、今日は前半は現代曲ばかり。他の日だって編曲版だったりするにしても、これは渋い。そのせいか、会場も入りは決して良くない。うーむむむ.... 唸ってばかりいても仕方ないので、気を取り直して。 前半最初は「グレン・グールドへのオマージュ」と題した一種のアンソロジー曲集から。グールドの演奏をベースに編曲したもの、という話で、まぁ、話としては分かるんですが、なんとなーくあまり好まないなぁ、こういうの。悪いとは言わないけれど、グールドは好きだけれど、何と言うか、グールドってそんなに偉いの?という気分になってくるのではあります。 坂本龍一なんかもそうだけど、グールドはあくまでいい演奏家なのであって、それ以上でも以下でもないだろ、と思うんですけどね。それをリズペクトするのはまぁいいんだけど、ちょっとどうですかねぇ、という気が。辛辣な言い方だけれど、演奏家の真似事をしてもつまらないんじゃないかと。だって、それならオリジナルを聞く方が楽しいもの..... まぁ、それなりに面白かったですけどね。 そういう意味では、2曲目のヴァインベルクという人の交響曲の方が面白かったかなと。弦楽合奏の為の曲で、40分程の大作。ほぼ切れ目無く、ヴァイオリンとヴィオラは立ち姿で延々演奏。 この曲がまた、全篇緊張感に溢れていて、なんというか、差し詰め「弦楽ヒステリー」とでも言ったような趣。とは言うものの、確かにちょっと疲れそうな音楽ではあるけれど、決して詰まらない訳ではない。そう何度も聞きたい音楽とは言いにくい所ではあるけれど、某か引き込まれるものを持った音楽であるのは確か。「グールドの弾くバッハの編曲」を聞かされるよりは、こちらの方が自分としてはいいかな。 この時点で、既に開演後75分といったところ。なげーよ.... 休憩後の後半は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番、op.131 の弦楽合奏編曲版。ってーか、これも長いじゃん! もっとも、これがなかなかいい演奏で、決して長いなとは思わせないものでした。原曲もいい曲ではあるものの、やはり渋い曲というイメージはあるのですが、聞いていて気持ちいい気分になって来るのが不思議。思うに、元の四重奏に対し、原型は決して損ねずに、合奏にする事で響きをより豊かにしているといった所が、気持ちよく聞かせる方向に向いているのではないかなと。 そう、クレメラータ・バルティカ、若い割に腕がいいのはいいとして、響きが豊かなのですね。ピット席、つまり裏で聞いていたので、そう大きな事は言えないのだけれど、基本的に響きが良い。豊かな音がしているので、現代曲にしても、嫌味無く、気持ちよく聞ける、そんな感じでしょうか。 終わりにアンコール2曲。アンコール2曲目のピアソラで、最初に出ていたヴィヴラフォーン奏者が戻って来て、見事な腕前を披露しておりました。 結局終わったのは16時半。2時間半のコンサートというのは、最近あまり無いですが、長いな〜という感じではありませんでした。正直、何処ぞの定期演奏会でマーラーの交響曲とか聞くよりは、余程短いな、という感じ。
2012年11月03日
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東京文化会館 18:30〜 4階右手 ドニゼッティ:アンナ・ボレーナ ウィーン国立歌劇場来日公演?知らんね。 27日に比べると、今回の方が中音域の安定では優位であったかなと。ただ、基本的にはそれほどは変わらないのと、なんとなく仕草で喉の調子があまり良くなさそうな印象だったのだけれど、さて、どうなんでしょう。 会場で、「凄いねぇ」といった声を耳にしたのだけれど、率直に言ってあまりそうは思っていなかったりします。 昔、ここでも言及した事があるけれど、今回のチケットは3階席や4階席で大体3万円、4万円します。正直言うと、このレベルのコストになり始めてから、あまりこの種の来日公演には来ないようにしています。お金保たないし。それに、やっぱりこういう値段が普通に付くのは、ちょっとおかしい。だから、以前のグルベローヴァの来日公演でも、オペラ公演は聞いていません。(チューリッヒとかでその代わりに聞いてたし...)前回のロベルト・デヴリューが初めてじゃないかな.... 自分だって結局行く訳だから、そういう公演に行くのを否定する気は無いんですけどね。 ただ、この種の公演に行くと、何故だか上っ面な言葉を耳にしてなんだかな、と感じる事はあります。そういう言い方はちょっとアレかも知れないけど、「凄い」とか、「オーラを感じる」とか、そういうのを聞かされると、そうじゃないんだよ、とはつい思ってしまうのではあります。 (そういや今回、主催者の係員がなんだか偉そうな人を「ご案内」しながら「選ばれた方のどーのこーの」とか言っていたのだけれど、思わず「けっ」と思ってしまったのでありました。なんというスノビッシュ、なんたる下品さ。ま、それはさすがにともかくも) グルベローヴァが狂乱の場を歌うと、いつしか満場引き込まれて聞き入っている、という状況になっているのは、確かに一種異様なものではあります。そういうのを「凄い」とか「オーラがある」とか言いたくなるのは、まぁ分からんではないのだけれど、それは表層的な印象で語っているだけだと思うのです。 かつてグルベローヴァが満場水を打ったような強烈な閑けさを引き起こしたのは、オーラなんていう曖昧なものではなくて、明確な音楽的技芸の為せる技だった。まずもって、殆どミスらしいミスなど感じさせない極めて安定した歌唱、というのが初めにあった。その上で、狂乱の場のような、ここぞという聞き所に向けて、歌そのものを、完璧なコントロール下で徐々にテンポを落とし、弱音にしていって、最後には、聞こえるか聞こえないかのような、しかし完璧に会場何処にでも聞こえるようなピアニッシッシモで、完全に聴衆を引き込んでしまう。そういう技を一度でも体験した者なら、グルベローヴァが歌えば条件反射的に引き込まれてしまう。まぁ、言ってみればそういう働きだった。 決してオーラなんていう怪しげなものではなかった。徹頭徹尾歌唱で勝負する人だった。いや、まだ過去形じゃないんだけれど。 でも、もうあのコントロールは、ない。あのピアニッシッシモは、もうない。去年のサントリーホールでのリサイタルでは、その片鱗を思い起こさせてくれる見事なものではあったし、今回だって決して悪くは無い。でも、ねぇ。 決して聞きに行った事を後悔してはいないですけれどね。 少しは他の事も。 ソニア・ガナッシは、こないだの方が良かったかな。 今回の方が良かったかな、というのは、パーシー卿のムケリア。 それと、ウィーン国立歌劇場管弦楽団。今回改めて観て気が付いたのだけれど、弦5部が10-8-6-4-4という編成。確かに、ドニゼッティであればこの編成でも決して少な過ぎる事は無いけれど、東京文化会館でピットに入ってこの編成で、しかも十分な音、響き。ウィーンででも、こういう場でもいつも思うのだけど、普通に何の懸念も無く聞いているのですよね、この人達を聞く場合。本当に、安心して聞ける。しかも、この編成で、全く無駄な力みも無く、響きを維持しながら十分聞こえる。この辺がやはり「上手い」ということだと思います。日本のオケだと、どうしても力み返って、こうはいかない。 演出はまぁオーソドックスではないけれど、衣装は時代がかったものを用いて、舞台自体は年代に逆いはしないけれど、やや簡素で決して装置で時代を表現するということはない、という態のものでした。まぁ、特段邪魔はしなかった、という風の舞台でしょうか。
2012年11月01日
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