ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン& オペラとクラシックコンサート通いのblog
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ミューザ川崎シンフォニーホール 15:00〜 ピット席 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61 <アンコール> ベートーヴェン/松崎国生編:メヌエッティッシモ シューベルト:交響曲第9(8)番 ハ長調 D.944 ヴァイオリン:石上真由子 山形交響楽団 指揮:鈴木秀美 川崎に用事があって、終わったのが丁度14時頃。そういやサマーミューザやってるんだよな、何やってるんだろ?と思ってみたら山形交響楽団でベートーヴェンにシューベルトということなので、聞いてみっかと思って当日券で入ったのです。まさか鈴木秀美だとはねぇ......鈴木一家か......碌なことになるまい......という予想は的中。はい。ボロカス回です。 まぁ、なにしろ安いピット席で聞いてますのでね。例によって頓珍漢なことを書いたりするのだろうなとは思いますがね。 ちなみに、実際問題として、1階席とかはともかく、かなり空席が目立つコンサートでした。1階席はともかく高い席から売れるでなし、といって安い席が売り切れかというとそうでもなく。夏とはいえ日曜日の昼公演ですよ。どうなってんの..... まず、最初に言ってしまいますと、オケそのものはそれほど悪い演奏ではなかったと思います。ツッコミどころはあるんですけれどね。一つスペシフィックに指摘しておくと、これ、後ろから見てるから尚更そう思うのですが、全般に姿勢が良くないように思います。特に木管。猫背になってるようでしたが、そりゃそうしないと吹きにくいとか言うんだろうけど、やっぱり呼吸を使う楽器は姿勢良くしないとダメだと思いますよ。まぁ、そんな感じ。 前半のベートーヴェンは、正直チグハグな感じが否めない、といったところでした。え?こういう曲だっけ?こんなパッセージあったっけ?というような。カデンツァもですが、あちこち普通じゃないところがあって、問題は、それが、違和感にしか働かないところ。 昔、まだ中学生か高校生くらいの頃の辻井伸行が、岩城宏之指揮のOEKとモーツァルトの協奏曲を弾いたことがあって、その時に彼の自作のカデンツァを弾いたのですが、それが全く様式的に合っていなくて、なんでこんなの弾かせるんだよ、と思ったのを思い出します。あれよりは様式的な違和感は少ないけれど、時々「なんで?」と思うような響き、フレーズが垣間見える。 たとえばですね。それが、小曽根真みたいに、ジャズのイディオムでジャズ寄りの音楽をやるのなら、たとえそれがモーツァルトとかであったとしても、それはそれで小曽根真としては矛盾はないわけですね。でも、申し訳ないけれど、このメンバーで、どうしてこの響きでこのフレーズなの?というのが腑に落ちないわけです。わからない、といえばわからないということなのでしょう。その意味ではわからない方が悪いとも言えるのだけれども..... アンコールのベートーヴェンの編曲もの、これがつまりこの人の響きということなのかも知れませんが、うん、まぁ、そういうことならそれでいいんじゃないでしょうか。私は、まぁ、いいや。 後半のシューベルト。率直に言って、ダメだなぁと。 最初に書いた通り、決してオケの演奏がダメだという訳ではないんだけれども。要するにアプローチですね。 この曲は、シューベルトが形式に則って書き上げた交響曲です。だから、定石通り第一楽章はソナタ形式にきちんと則って書かれている。第二楽章は緩徐楽章で、第三楽章のスケルツォを経て最終楽章に向かう。D.958, 959,960の最後のピアノソナタや、その前の弦楽五重奏と同様に、形式を踏みながら、その中で最大限の表現の幅を追い求めている。だから、形式に忠実に、それが活きるように演奏するべきだし、楽章間の対照と連関とを同時に感じさせなければ意味がない。 そう言うことが全然出来てないんですよね。平たく言うと、全部同じように演奏していて、しかも楽章間どころか同じ楽章の中での対比も連関も感じさせない。ただただそこにあるものを演奏しているだけ。そんな感じ。 それがフレッシュだとか、そう言うこと?いや、ダメでしょ。それではこの曲は生きてこない。完全にアプローチの問題だと思います。勿論こちらもろくでもない席で聞いていたのは確かではありますが、それにしてもね。オケというよりは指揮者の問題だと思います。ただ、この人首席客演指揮者なんだから、そういう役付きにしている時点でオケの問題でもあります。 地方オケとして先鋭的なものを狙っているということなのかも知れませんが。しかし、率直に言えば、この種のアプローチ、率直に言えば「古楽器演奏スタイル」だと思います。「そんなものではないのだ」?いや、そんなもんですよ。正直言って30年前のスタイルだと思います。それで気付いたけど、同じ鈴木一家のBCJも、やっぱりそのスタイルから抜け出てないんですよね。 何が古いかといって、概ね30年前の古楽演奏スタイルから進化してないんですよ、実質。 いわゆるピリオド演奏スタイルというものは、もう人口に膾炙した挙句に、いわばピリオディカルアプローチみたいなものとして、その要素自体が分解されていろんな形でいろんなところで取り入れられてしまっている訳です。ノンヴィヴラートくらいのことはもう普通に、N響でだってやることはあるし、モーツァルトやベートーヴェンを小編成でやることも当たり前になっている。一方で、現代の大オーケストラではやりにくい、例えばガット弦を使うとか、調弦を低く設定するとかいうことは、必ずしも採用されない。けれど、30年前であればいわば教条的に論じられた「オーセンティシティ」といったものはむしろ後景に退いて、「今、ここで、これを演奏する上で、どうするか?」という形に分解されているといっていいと思います。「本来の姿」なんてものはフィクショナルだ、ということがもう分かってしまっているんですよね。 そういう考え方がないという訳ではないのかも知れないけれど、この演奏はそういう意味では結果音楽的につまらないものになっている。というか、シューベルトにちょっと失礼だと思います。 アンコールあったらしいけど、さっさと帰って来ました。ちょっと腹が立ったので。もう一度言うけれど、シューベルトに失礼だと思います。こういう、言ってみれば雑なアプローチは。 地方オケだからダメだ、ということではないと思います。決して下手な演奏とは言わないし。ただ、やること、方向性というものはあると思います。丁度一年前に高崎で聞いた群響を思い出しました。上手い下手を言えばひょっとするとこちらの方が上手いのかもしれないし、今更そんなとこでブルックナー聞いてもね、という話かも知れないけれど、私はあちらの方が音楽として正道を歩んでいるかな、という気がしたのは事実です。
2023年08月05日
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