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先週末からぶっ倒れた。毎日、毎日、熱が38度以上出て、吐き気とだるさに、久しぶりに寝込んだ。毎朝熱を測り、そのたびに、下がっていなくて落胆。こりゃ、近所の内科医じゃだめだな・・・と、今日は、大きな綜合病院に行った。ここ数カ月、倒れなかったのが不思議なくらい、身体には負担が掛かっていたと思う。その分、打撃が大きかった。レントゲン、血液検査、尿検査、全部問題なし。じゃ、この熱は何?先生が仰った。「しっかり食べて、しっかり休んでくださいね」しっかり食べるってのが、なかなか難しい。何せ、生まれつきの虚弱胃腸。でも、インフルエンザでもなく、変な病気でもなく、よかった。まあ、ゆっくり治そう
2012年02月24日
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この題を見ると、「え・そんなことおおっぴらに言っちゃって良いの?」と思う方もいらっしゃるかもしれない。確かに私をご存じの方は、お気を使われるかもしれないし、実際に、自己破産者になってらっしゃる方は、隠している方も多く「は~、言わなきゃ良いのに」とも思われるだろう。しかし、私は、今までここで父の事も、全部正直に書いてきた。そのため、娘から、MIXIのお友達登録を抹消されたりもした。特にミクシーは知り合い同士の登録が多いので、色々なことを赤裸々に書いてしまう私の日記は、都合が悪かったのだろう。しかし、この日記で私は上辺だけの事は書きたくないし、不器用だから、正直にしか書けない。まあ、関係各位の方には、お許し願いたいm(__)m16日の裁判所への呼び出しは、もう2か月前から決まっていた。自己破産をする順番は、まず、こちらの弁護士さんが、自己破産に至った経緯をまとめ、裁判所に「自己破産申請」をする。そして、裁判所が選出した弁護士さん(この場合は、向こう側ってことになる)がその書類で判断して、自己破産に相当(この字じゃないなきっと)するか判断し、決定し、今回の申し渡しになる。これが財産のある人は、この前に「債権者集会」があり、TVで見るような裁判所の被告席に座り、債権者を前に裁判官の読み上げがあり、自己破産になるかならないかの審議が行われるのだが、この日、母とパパはこっちに呼び出されていた。こちらの弁護士さんが、「這ってでも、出席してください」と言われるほど、大切な呼び出しだ。夜逃げをする人は、自己破産申請ができずに夜逃げをするから、真面目に「自己破産申請」を出した我々は、夜逃げをする人から見れば、「くそまじめでバカ」と言う事になるのかもしれないね。しかし、今回、母とパパと私が自己破産に至った状況は親会社からの子会社切りに遭い、突然の廃業に追い込まれ、弁護士さんいわく、情状酌量に値する理由からだったので、難しい事は考えず、援助してくださる方も現れ、逃げる事もせず今日に至った。朝、娘の病院にもう一度孫の顔を見に行き、今日は娘しかいなかったので、パパと二人、新生児室に孫を見に行った。病室に帰ると、看護師さんがばたばたしており何事かと思ったら、「個室が空いたので、移ります」との言。最初に個室を希望していたが空いていなかったらしい。私達がいて良かった。娘の荷物を運び、個室に移動したが、昨日より、元気そうでほっとした。今時の総合病院はTVは勿論のこと、部屋にDVD機器やCD機器もあるのには、驚いた。暫くいたが、電車の時間があったので、娘に大事にするよう言い、パパが握手を求めると、ちょっと照れた笑いで嬉しそうに握手をしていたのが、可愛かった。パパには、こんなに素直なんだけど、私にはなかなか笑顔を向けない。どこでどう間違っちゃったのか・・・。米原から、名古屋に行き、近鉄に乗り換えた。娘の出産で、当日一緒に行くはずだった母とは駅で待ち合わせた。一緒に通いなれたお店で食事を済ませ、私より早い時間のパパと母を残し、パパより1時間半も後の私は、そこからタクシーで前の家に向かった。前回、これで最後と言うので名残惜しくて、色々なものをレンタカーに積み出発したが、パパが初めてプレゼントしてくれたサンビーム社のアンティークトースターを持って来なかった。車が走り出し暫くすると、めちゃくちゃ後悔した。アパートに帰宅してからも、何故持って来なかったのか。。。随分切ない思いもした。そこで、今回は幸い時間があったので、一人で戻り取ってこようと思った。パパは「お前一人で行け。俺はもう、見たくない」と・・・・。私より、パパの心の傷の方が大きいのかな?前回SECOMの装置が鳴り響き、どうやって止めるのか忘れて大騒ぎしたが、今回は解除のチップを持ってきたので、すぐに中に入り止めた。グチャグチャの家の中。明るいお日様の光がカーテン越しに感じられ、アパートの毎日歩くのにも往生する部屋や、数時間しか陽の当らない庭にも慣れたが、ああ、やっぱりこのおうちは良いな…と思った。パントリーの棚の中にあったサンビーム社のトースターを大きな袋を探し入れ、少し見て歩いた。この前、ここを去ったままの状態。パパの書斎には、パパが集めたフィギアがそのままだし、二階のタンス部屋は、この前お雛様の親王飾りだけ持ちだしたまま・・・。「見たくない」と言ったパパの気持ちが解る気がした。持って行こうと植えかえたハーブは、そのまま玄関にあり、雨が当たっているからか枯れずにあるが、多分、これも処分されるんだろうなぁ。今回、庭に出て、ふきのとうや咲き乱れる香り水仙も取って行きたかったが、時間はすぐに経ち、呼んであったタクシーが表でクラクションを鳴らし、ジュリーやミルキーのお墓にお参りもできずに、大きな荷物を持って表に出て、これが最後だな・・・・と改めて、大きなおうちを見上げた。1年かけて設計士と話し合い、好きなアンティークに似合うおうちをと建てた。満足いくまで、現代ガレ工房のシャンデリアを探し、ダイニングのシャンデリアもお気に入りの物が見つかるまで、毎日毎日ネットで探した日々が、今は夢みたいだったなぁと思う。パパと名古屋のアンティークショップで探したドアノッカーを見ながら、最後のカギを閉めた。さよならミルキーさよならジュリアンと心の中で手を合わせ、タクシーに乗り裁判所に向かった。見なれた団地の道をタクシーが走る。つい3か月前まで、17年私の生活の街だった。実家もあったから、25年以上慣れ親しんだ街だった。多分もう、来ることはないだろう・・・。裁判所に着くと、こちらの弁護士の先生がいらして、後から母とパパも来た。裁判は早くに済み、近くでお茶を飲んでいたそう。「どうしたのその荷物~持って帰れないぞ―」と二人呆れていたが、何の何の、持ってくよ、私(爆)待合室に入ると、すでにもうひと組いた。暫くすると呼ばれ、部屋に移動した。ごく普通の会議室…・と言うより、何もないビルの一室。だだっ広い部屋のなかほどに、楕円形の何の変哲もない机と、これも何の変哲もない、パイプいすに毛が生えたような椅子が並び、私は楕円形の端に座り、N先生は私の右に。N先生が「一応、裁判官が入ってきたら、起立と礼をお願いします」と仰った途端ドアがノックされ、一人の若い男性と、地味なスーツを着た女性が入ってきた。起立して、N先生が着席されたのを見て私も座った。若い男性が、裁判長らしい。大学院生かいってくらい若い。私の真向かいに座った。今までの経緯を少し書類を見ながら話し、6月に台湾に行った事をまず追求された。「この旅行を予約し行った時は、まだ会社の事情を知らなかったものですから」と弁明。まあ、私に対しての質問は、ほとんどなかった。ただ、これだけは言わせていただこうと「会社が存続していれば、ご迷惑をおかけすることはありませんでしたが、御存じのように、突然の廃業に追い込まれ、確かにご迷惑をおかけしてしまった所が出たのは事実です。それに関しては、本当に心より申し訳なく思っております」と。一呼吸置いて、裁判官の「そうですね」。「では、これからは、頑張って生きていってくださいね」が、裁判官の最後の言葉だった。その間たった5分もなかったと思う。また、起立して礼をすると、風の様にお二人は部屋を出て行かれた。思わずN先生に「これで終わりですか?」とポカンとして聞いてしまった。「はい、終わりです」そうなんだ・・・・「これで奥さんは自己破産が認められ、債務の責任が無くなりました」・・・。実は、私は、パパに言われるがまま銀行に行き、保証人になり捺印したので、自分が幾らの保証人になったのか知らず、そこで初めて幾らの保証人になっていたのか知った。ふーん、そうだったんだと、今更可笑しかった。実は、すでにわが社の破産廃業はネットにも出ていて、その全金額に関わっていると思っていたものだから、「ふーんそうだったんだ」になった。廊下に出てつくづく法曹界というのは、縦社会なのだなあと思った。あんなに若い、大学生かい・・・と思うような裁判官に、うちのN先生が、起立をして礼をしていた。N先生にご挨拶をして、下の娘と会う約束があり、娘の仕事が終わるまで3時間以上あったので、母は「私は帰るわ」と先に帰った。さてどうしよう・・・と思ったが、丁度映画が一本見れる・・・と以前よく行ったシネコンに入った。こんな日に不謹慎かな?と思ったが、裁判の事はリセットし、明日に向いたかったのも事実だ。良いあんばいに見れる映画は「ALAWYS」と「はやぶさ奇跡の生還」だけ。前者は既に観賞済みで「はやぶさ奇跡の生還」を見た。また、この感想は後日書こう。丁度観終わった頃に娘から連絡。久しぶりに、娘と一緒に食事をした。自分が望んで一人暮らしを始めた訳じゃない下の娘は、寂しいのだろう。一緒に食事をするのが楽しいようで、話が弾んだ。私達も、一人頑張っている娘が元気そうで嬉しかったし、こういう状況に陥れてしまった事に、本当に申し訳ないと切なかった。出来ればこの子もあの家からお嫁に出してやりたかったのに・・・。映画好きの娘に映画の話をしたり、仕事の愚痴を聞いてやったり、楽しい時間はすぐに経ってしまい、娘の車を見送って、帰途に着いた。東京に帰り着いた時は、既に日付が変わり、最終の特別快速に乗れ、朝のラッシュ並みの車内に、やはり都会だな・・と。駅のタクシー乗り場には長い行列があったが、すぐに乗ることができ帰宅。やっと、狭いながらも「我が家」に帰ったと初めて思えた。あの家は、もう「我が家」じゃなくなっているんだな・・・と少し前に進んでいる自分の気持ちに、感慨深かった。
2012年02月16日
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明日、裁判所の呼び出しがあり、日帰りで、パパと母と行く予定をしていた。私の場合は財産がないので、自己破産の申請が認められ、債権者集会もなく、明日、地方裁判所での、申し渡しになるらしい。パパと母は財産がある分、同じ日だが、もうひとつ前の段階だそうで、一緒の日にしてくださった裁判所選出の弁護士さんに感謝だ。まあ、今まで読んでくださっていた方には、「いきなり話が飛んでいる」とお叱りを受けそうだが、まあ、おいおいお話するのでお許し願いたいm(__)mで、話を戻すと、明日、裁判所に行く時間がパパと違っているし、一人で前の家に帰って、忘れたも物を取って来ようと思っていたし私が、行くことを知り、丁度お友達がいつもの食事会の日だと言うことで、久しぶりに、一緒に食事をしようと駅に着く時間を伝え、迎えに来てもらう約束をした。所が、だ。午前中に、臨月の娘の旦那様から「今、分娩室に入りました」と電話。もう、びっくりして、パパと急きょお泊まりの用意をし、病院のある場所を調べ、慌てて家を出た。我が家のすぐ近くに、武蔵野市のお年寄りのために作られた「ムーバス」と言う狭い住宅街を回ってくれるシステムのバスの停留所があり、とても便利なのだが、バス停に二人で立って待っている時間の長かったこと長かったこと。東京駅まで行き、米原までの新幹線のチケットを買い、もう、生まれたかしら?まだかしら?・・・と落ち着かない時間を過ごした。しかし、何てじじばば孝行な孫なのでしょう。だって、明日、名古屋に帰る予定だったのだから、それが1日早くなり、2回出掛けなくて良くなったわけだから、本当ここ数カ月、ろくなことがなかったけれど、まだまだ神様に見放されていないよね(笑)名古屋を過ぎ、米原に近くなって驚いた。雪・・・・・雪景色なのだ。東京も少し前に降ったが、こんな見渡す限り、積雪量も相当ありそうなほどじゃなかった。東京を出る時、「今日は暖かいね」と、いつも寒い時に着るダウンコートじゃなく、キルティングのハーフジャケットを着てきちゃったので、米原の駅のホームに降り立った時は、パパと震えあがった。そう言えば、娘が生まれた時も、84豪雪と言われた年で、分娩室から夜中に病室に帰った時、窓の外に見えるライトアップされた名古屋城と、公園の美しい雪景色に感動したものだ。親子揃って、雪の日に生まれるとは・・・ちょっと感動米原に着く手前で、娘の旦那様から「無事、産まれました」と電話。は~、取り敢えず、良かった、良かった。病院に着くと、大きな新しい病院で安心した。教えてもらった病室に行くと、6人部屋で、一番入口に近いベッドに、横になった娘を見つけた。旦那様に「おめでとう」と言い、娘に「頑張ったね」と言うと、無言。まあ、この子と私は似すぎている所があり、お互い不器用で、ぶつかることも多く、こういう反応は予想していたが、少し寂しいかな(笑)とてもしんどそうなので、話はそこそこにし、赤ちゃんを見に行った。最近の綜合病院は、昔と違い、旦那様も一緒に分娩室に入れるそうだし、娘も、その方が心強かっただろう。新生児室は、当たり前だが沢山の新生児がならんでいて、正直、どの子も皆同じに見えてしまう。旦那様も、「生まれた時、すぐに足の裏にMって書かれて・・・・でも、もうわかります」ってちょっと嬉しそうだったのが、可愛かった。娘の赤ちゃんは、スヤスヤと眠っていたが、私の最初の感想は、「可愛い」でも「愛しい」でもなく、「ちっちゃっ」だった。自分でも呆れるが、ただただ、「ちっちゃっ」だった。そりゃ娘は上が3524グラム、下に至っては3660グラム、身長も二人とも50センチ以上あり、当時では大きな赤ちゃんだったから、娘の2900グラム台40センチ台の赤ちゃんは、小さく思えても当然だ。髪の毛は、娘の赤ちゃんの時より、ふさふさ(笑)旦那様に似たのだろう。暫く写真を撮ったり、見ていたら泣きだした。あ、この子、旦那様にそっくりだな・・・と瞬間思った。最初の女の子は、男親に似るってよく言われるが、娘も赤ちゃんの時の写真、パパの赤ちゃんの時の写真と間違われるくらいそっくりだったからなあ。パパもすごく嬉しそうで、携帯で何枚か写真をとったり、私も最近購入したカメラで動画を撮ったりした。1時間ほど病院にいて、午後7時過ぎ、予約してあったホテルに向かった。今晩は長浜泊まりです。パパとホテルの上にある居酒屋で、祝杯。美味しい食事を頂いた。明日、出発前にもう一度病院に行き、赤ちゃんの顔を見てこよう。食事中、明日の約束を忘れていて、慌ててお友達に連絡。明日の到着時間が変更になり、実は、その約束も皆が集まってから30分後からの参加と言うことだったので、残念だが、今回はキャンセルと言う事にして頂いた。それからすぐに彼女が、皆に連絡してくれたようで、おめでとうメールが次々携帯に入り、感謝、感謝。朝から、バタバタの1日だったが、娘の無事な顔も見れたし、孫の顔も見れたし、良い1日だったかな。
2012年02月15日
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またまた、飛び飛びで申し訳ないですが、やはり、これは書いておこうと思います。父が、骨髄異形成症候群になり、お医者様から「生き物は、感染症の原因になるので、いけませんよ」と言われ、溺愛していたコーギーの雄犬のジュンを我が家に引き取ってから丸8年。こんなことが無かったら、我が家で看取っていただろう犬だが、今日、天に召された事を、夜になって知った。それも、パパと夜、スーパーに行き買い物中に娘からのメールに気がつき、「ジュンが死んだぞ」と言われ・・・。会社が倒産し、近いうちにあの家を出なくてはならないと知り、一番困ったのが、ジュンだった。もう、コーギーの寿命である10年近くになっていたし、持病もあり、通院していた。よく出入りのあった宅配便の方にお願いして飼い主を探してもらったりしたが、やはり、寿命が近いこともあり、なかなか飼い主がみつからなかった。最悪は保健所行きだったのだが、それだけはしたくないと思っていたところ、娘の旦那様のご実家が、快く引き取ってくださった。早い方が良いと、9月のまだ暑い日、娘と旦那様に連れられて、あの家を去っていった。泣くまいと見送った物の、堪らない気持ちだった。こんなことさえなければ・・・と、本当に悔しかった。ジュリアンも、ひと月介護して、看取ったし、ミルキーも、最期は獣医さんで看取る事ができた。それなのに、父があんなに溺愛したジュンだけは、人様に託すしかなかった。あちらのお母さまが、本当によくしてくださり、獣医さんにも連れて行ってくださり、最期の数日はおむつまでしてくださったそうで、感謝の気持ちでいっぱいだ。死んだ事を夜まで知らなかったので、まだ、お礼とお詫びの電話もできないが、明日、倒産以来初めて、電話をしようと思う。パパがポツンと言った。「これで、3匹とも逝ったな・・・」短い言葉だったが、気持ちはよく解った。最期まで看てやれなかった悔しさと、男としての悔しさ、情けなさが溢れていた・・・。「破産するって、こういうことの積み重ねなんだね」と言う私に、「・・・はいあがらなきゃな」と、改めて心に強く自身につぶやいたパパ。ただ・・・ただ「うん」としか答えられなかった。冬の冷たい空気が頬を撫でた。
2012年02月09日
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年末から、前の家に荷物を取りに行くのはこれで3回目。まだ、家は売れていないから、中に入れるし、表札も変わっていないが、東京の生活に慣れ、「家に帰る」と言う感覚より、よその家に行く感じになった。帰るとやはり辛い。何故なら、足の踏み場もないくらい散らかっているが、それは皆、大切なここでの生活の痕跡で、数えきれないゴミ袋には、子供たちの赤ちゃんの時からのお洋服や、卒業証書、おもちゃ、何度も見ていた書籍だから。書庫には、青春時代に大切にしていたカセットテープや、レコードが・・。中には、今や貴重になったCD化されていない幻の音源も入っているが、何処に入っているのか解らず、結局、全部置いてきた。こんなことが無ければ、一生のお宝だった。あんなに一生懸命録画した、嵐君の番組のDVDも全部ある。持って来られるものは、全部持ってきた。それは、或る意味生活にどうしてもいるもので、人の心に残る「思い出」は、形で残した物は、ほとんど持って行くことが出来なかった。アパートの生活に慣れた今、狭い部屋のキャパも解ってきたし、持って行くわけにはいかなかった。頂き物のヨーグルトメーカーや、アイスクリーマー、法事に一度つかったきりの、お茶のセットや、銘々皿、結婚前に食器が好きで集めた、「ホリ―ホビー」の可愛い大皿、革工芸の道具、工具全部、ロックミシン、作品も全部置いてきたが、見ても持って行きたくても、持って行けないのだ。ウッドデッキに出たら、冬の空気が冷たくて、身震いした。素焼きのコンテナが並んでいた。お友達の住む焼き物の町まで行って、問屋さんの広い工場の売店で買った、可愛い物ばかり。3つほど、持って行けるものは、車の足元に乗せた。パントリーの雑誌についていた小綜のポスターは、壁に貼ったまま。床下収納庫を開けたら、毎年、庭の梅で漬けた梅酒がたくさん出て来た。全部は持って行けないが、4本だけ梱包した。チビが生まれた日に漬けた物や、おネエが生まれた年に漬けた物。きっと美味しいよね。チビが今回も一緒に食事をしようとやってきた。私も、久しぶりに美味しいお寿司が食べたくて、いつも行く、あの、おネエのお友達のご実家のお寿司屋さんに行った。ここ、ものすごくはやっていて、おまけに広い40人は座れそうなのに、1時間待ちは当たり前。それでも食べる価値があるほど、ネタは新鮮、安い。久しぶりに美味しいお寿司をいただきました。鯛を頼んだら、水槽から活きの良いのを出してくれ、はまちも、大トロも、うにも、本当に美味しい。こんなお寿司、東京で頼んだら、一人5~6千円は取られそう。多分、車でここに帰ってくるのは、これで最後だろう。そう思い、ゆっくり大きなバスタブに浸かり、二階の部屋で休んだ。気持ちしっかりしないと、今にも泣き出しそうだ。こんな大きなおうちに住んで、家族が一台ずつ車を持ち、本当に幸せだったのだなぁと改めて思った。明日から、また、頑張ろう・・・・・
2012年02月05日
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12月16日に本格的なお引っ越しをしてからの事。翌日と翌々日、引っ越しの荷物を取り敢えず片付けたが、全くのキャンプ状態。前の家にあった食器棚は、姑が元気だった頃、家を買った御祝いに北海道家具の、かなり大きな良い物を買ってもらい使っていたが、到底名ばかりの2DKの広さには入らない。仕方が無いので、慌ててこぶりの食器棚を買ったが、まだ、届いていないから、食器は荷物から出せないし、主だったお鍋も全部置いてきてしまったから、食事は2日間コンビニのお弁当と外食。こりゃだめだ・・と、3日後の19日、レンタカーを借り、再び東名高速を逆戻り。大きな家具や物は運びだしたが、タンスの中身の洋服も運び出したが、まだ、前の家の方が生活がスムーズに出来る状況。所が・・・だ。暖房が利かない。真冬の広い家の中、見つけたスキー用の足カバーとコートを着ての作業は全然はかどらず、慌てて業者に電話して翌日に来てもらい、暖房のスィッチが入った時は、泣きそうになるくらいだった。荷物は、まだまだあったし、ボックスカーの荷台にはそう乗らないから、また、来よう・・・・と20日夜10時に出発し、帰宅したのは、明け方。6時過ぎまでに荷物を運び入れ、車を返しに行った時はまだ薄暗かった。私達が来ると言う事で前日の夜、下の娘が来てくれ一緒に食事ができた。下の娘も持って行きたいものがあったらしく、一緒になって、自分の車に積んでいた。それから、数日。まだ、転居届も出せず、ただただ荷物の片付けに時間を費やした。弁護士の先生から、やっと「破産申請」が出せたと連絡があった。9月に倒産廃業して、3カ月近く経っていた。暮れも押し迫った29日。2度目の荷物運びに、帰った。その夜、娘がおせち料理を持ってやってきた。娘は、量販店の販売促進部にお勤めしているのだが、前にいた店舗の方に泣きつかれ、おせち料理を買わされちゃったと言うのだが、私は、お正月にこちらに来られない彼女の、一緒におせちを食べようと言う、優しい気持ちだったように思う。久しぶりに、リビングの端にある4畳半の和室の周りにある板の間に座って、冷えてはいたが、美味しいお料理を3人でキャンプファイヤーの様に頂いた。この家で、こうして3人でご飯を食べるのは、いつ以来だろう・・・・。ごちゃごちゃの家の中ではあったが、何だかとても温かい気持ちだった。本当に文字通り3人で食べつくし、娘は明日のお勤めがあるので、午後10時過ぎ、自分のアパートに戻って行った。私達は、アパートと違い、足を延ばして入れるバスタブに久しぶりに浸かり、2階のオネエの部屋にあるお布団で休んだ。翌日、こちらに戻ったのは、もう大みそかの明け方。荷物は、今の状態では入らず、暫くアパートの我が家の前にいくつか積んでおいた。幸い、このアパート、通路は広いし庭も広いから、その後、物置を買って庭のベランダに置き、全部入った。1月に入り少し落ち着き、パパは仕事を探しだし、私も、少しでも快適な生活ができるように、色々工夫した。もっとも大変だったのが、色々な届け出。もう、気が遠くなるようだった。まず医療関係。精神科の紹介状、内科の紹介状を握りしめ、医者探し。都会だから、医者はいくらでもいる。幸い近くに内科があり、まずそこに行き内科の紹介状で、いつもの薬をもらおうとしたら、そこは院内処方でいつもの薬がなく、代用の薬を出してもらった。これが後々苦しむ種になるとは思わなかったが。次は精神科。これは昔から、この市にある精神科に行ったのだが、最初の一回目で問題が・・。紹介状を出し、初めての診察。所が私が一番苦手なタイプの医者だった。精神科の主治医は、相性が合わないともう駄目だ。以前の私の主治医は、本当に謙虚な方で、ご自分の意見を押し付けず、こちらの気持ち第一に話を聞いてくださる方だった。それでいて、実に的確にきちんとしたお話をし、いつもなるほどなぁと、納得することができた。物腰も柔らかく、普段の先生に偶然にお目に掛った時、診察室と同じ笑顔で、先生の方からご挨拶してくださるような医師だった。お年は、私と同じくらいかそれより少しご年配。この先生に出会って、私は本当に素直に先生の言葉を聞けた。だが、こちらのこの先生は、それまでの主治医の書いた紹介状を読みもせず、自分の目で見た事しか信用しない…と言う主義の方で、有る意味、それは良い事だが、この時ばかりは20年私を見て来た病院の先生の意見も、謙虚に読んでほしかった。私に対するもの言いも、最初から斜に受け取り、高圧的な態度で正直腹も立った。全く謙虚と言う言葉とはほど遠い「医者」と言う種族の中で一番苦手なタイプの医師だった。翌週にも予約を入れたが、残念なことに私はその日が近づくにつれ、緊張と恐怖で身体の調子がおかしくなり、当日に至っては朝から手の震えが止まらなくなってしまい、とうとうパパに断りの電話と、紹介状の回収をしてもらうことになった。その後、すぐ近くに、大きな病院があることが分かり、歩いて行ける距離で、最初に相談室に行き訳を話し、良い先生を紹介してくれ、無事に通院できるようになったが、ここではっきり言われたのが、「ここは、鬱を治すための病院で、障害に対処する『心理』には医師はおらず、カウンセラーしか対応していません。それでも良いですか?」なるほどと思った。私は生まれつきの障害者で、鬱はそれが原因で起きている症状。実は、驚いてしまったのだが、私がずっと自分の障害を知りたくて読んでいた本の著者がやっている心理の病院が、この町にあるのだ。もっと落ち着いたら是非行こうと思っている。病院探しが終わり、パパのコレステロールのお薬も、近所の内科でもらえるようになり、次は、公的な手続き開始。これが、もう、本当に感謝、感謝だった。1月中旬になり、武蔵野市役所に行った。実は、歩いて行けるくらいの距離で、毎日出掛ける時にも車で前を通ったが、なかなか色々な届けを出せないままになっていた。我が家のアパートは、「市営プール前」から歩いて10分ほどの所にある。この市営プール、私が初めて泳げるようになったプールで、今は室内プールになったが、自転車置き場や更衣室への入り口など昔のままで、最初に見た時は、酷く懐かしい思いをした。その隣が市役所。昔はここ、競技場だけで、マネージャーとしてサッカーの試合に来た場所だ。行った時間が遅かったので、電話で問い合わせをしたら、色々な届け出があり、半日はみてくださいと言われたので、全部済むとは思わず、翌日も来る覚悟で行った。転入届から、保険証の住所変更、実印の住所変更、PCでも扱えるように住民コードの申請、私の自立支援の変更等など・・・。自立支援の住所変更を申し出たら、何ともう3月末で更新の期日がきており、これの手続きも加わった。はぁ、こんなに大変とは・・・・。そう言えば、免許証の住所変更もしなくちゃならないし、銀行の通帳の住所変更もだ・・・。感動したのは、武蔵野市役所の皆さまの対応。もう、5時をとおに過ぎているのに、一心不乱に手続きをしてくださり、市役所でしなくちゃいけない手続きは、全部、終わってしまった。私達がいる、最後に行った福祉課は私達がいるからだろう、電気も消さず、皆さんそこに残っていらした。周りを見回したら、もう、向こうの課は電気も消え誰も居なくなっていた。本当に、感謝、感謝です。数日後、今度は警察署に行き、免許の住所変更をしたが、その時に分かった事が一つ。免許取得後無事故無違反30年近くになる私が、一昨年スピード違反で捕まった記録が、末梢されていた。つまり、もう、ゴールド免許はいただけない・・と思っていたが、次回の更新も、ゴールドになるそう。すごく嬉しいかもアパートの暮らしは、少し慣れてきて、庭も、時間によって、少しだがお日様が当たることが分かった。洗濯機は表にしか置けないので、パパが上手に支柱を設置してカーテンをつけ、雨に濡れず埃もあまり入らないようにしてくれた。2月になったら、最後にもう一度必要な物を取りに帰る予定。アパートのキャパも解ってきたし、もうむやみに持ってくることはないが、嵐グッズを全部置いてきちゃったので、お小遣いに困ってきたので、取りに行こうと思っている。それに、玄関に置いたまま持ってこられずにいる、父が娘たちに買って、ずっと私の車に乗っていた大きなクマちゃんや、お友達の住む焼き物の街に遊びに行き、沢山買ったコンテナも置いてきたけれど、こちらのホームセンターには、何処にもあんな素敵なデザインの物はなく、やはり、是非持って来たい。破産申請は、今月に入りやっと提出ができたと弁護士から連絡があった。パパと母の郵便はすべて弁護士が開封したのちに、こちらに送られてくるので、御年賀状が届いたのも、成人式を過ぎてからだった。つまり、まだ、パパと母は裁判所の管理下に有るわけで、郵便の遅れは、とても困った。税金を支払おうにも、保険料を支払おうにもその期日が過ぎてしまうし、その連絡も毎日のように行なわれ、大変不自由な生活を送っている。これが大体のひと月の生活だ。まだまだ、落ち着かない日々を送っているのは確か。さて、この先はどうなるのでしょう。。。。
2012年02月01日
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