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退院してふた月経った今日は、退院後の初めてのT教授の診察。 すべての検査結果が出ている頃だった。 私の大切な大切な数少ない読者の方へ。 楽天ブログは、「前月」までしかさかのぼって書けません。 「ここ数カ月あったこと」も、12月中に書きたかったのですが、 書けずに月が変わってしまったので、こういう形で書きましたが、 今日は2月28日。2月最終日。 私のブログを読んでくださる数少ない読者の方にお願いします。 月が変わってまた前前月が書けなくなってしまいます。 そこで考えました。 少しでも書いておけば、編集はできますので、 後から書き足しますので、尻切れトンボの文章で申し訳ありませんが、 書き足すまでこのままでお許しくださいm(__)m
2014年01月22日
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やれやれ、これで何とか新居のめども立ったし、あとは、契約と引っ越し・・・・。うつ病患者にとって、引っ越しほど大変な物はない。ADHD障害者の私にとって、整理して梱包することは、本当に至難の技だった。しかし、2月中には引っ越しを済ませなければ、新しいマンションの家賃ももったいないし。。。と覚悟を始めていた。そんな毎日の中、今日、大家さんがやってきた。あとは、契約と引っ越しの日にちを決めて・・・・とすっかり心を切り替え、引っ越しに向け、準備をし始めていた。だが大家さんから一転、退去お願い撤回の文書が、手渡された。冗談じゃない。ここまで事を進めてくるのに、どれほどのエネルギーが要ったと思っているのか。。。。「保証人」に悩み、周りの人にもいやな思いをさせてしまった。どれほど、男としてのプライドが高いパパを追い詰め、傷ついた日々を過ごしたのか解っていらっしゃるのだろうか・・・。同じように、年齢的に借りるのが難しいお年の2階の方が、お知らせを持ってきた大家さんに大きな声で噛みついていた。お気持ちは痛いほど解った。多分、社宅として使っていた、消火器で消火しようとしてらした方が、火事後すぐに退出され、その会社から「立ち退き料」を請求され、その金額にびっくりされたのだろうと、今は思う。だが、冗談じゃないと本当に腹が立った。このひと月のバタバタは何だったのか。このひと月、借りられない恐怖に夜も眠れず、夜が明ける毎日を過ごした気持ちは、どうしてくれるのか。「まだまだ、ここで頑張りなさいって神様の意思だと思えよ」と言うパパだったが、毎日毎日、不動産会社に足を運び、M君と次々観に行き、やっと、本当にやっと気持ちがマンションに行っていた私は、今度は諦めるのが大変だった。今のお風呂や洗面所のように設備は良くない。だが、「南向きなんだから」「駅まで歩いていけるんだから」「少し広く成るんだから」と、マイナス面を打ち消し、マンションに移る決心を固めていった日々はどうしてくれるのか・・・と。成るようにしかならない。今はそう思える。しかし、メンタル的に弱い私は、寝込んだ。パパのように、いつも前向きに物を考えられたら、どんなに良いかと思う。まあ、だからこそ、こういう私だからこそ、うつ病になるんだけどね。ここ数カ月、本当に気持ちがグチャグチャになることばかり起きた。神様は、まだまだ私に試練を与えている。多分、一人なら乗り越えられなかっただろう。パパと二人、お互いが大切な存在であることを改めて実感させられた数か月だった。二人で、まだまだ乗り越えなくちゃいけないことがあるかもしれないね。頑張らないと・・・・。
2014年01月21日
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火事や退出のお願い以来、打ちのめされていた私達にも良いことがあった。結婚して30年、毎年用意したおせち料理も用意せず、年末の大掃除も、どうせ取り壊してしまうから・・・と全くせず、私の大切な大切な数少ない読者の方へ。楽天ブログは、「前月」までしかさかのぼって書けません。「ここ数カ月あったこと」も、12月中に書きたかったのですが、書けずに月が変わってしまったので、こういう形で書きましたが、今日は2月28日。2月最終日。私のブログを読んでくださる数少ない読者の方にお願いします。月が変わってまた前前月が書けなくなってしまいます。そこで考えました。少しでも書いておけば、編集はできますので、後から書き足しますので、尻切れトンボの文章で申し訳ありませんが、書き足すまでこのままでお許しくださいm(__)m
2014年01月08日
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年末から今年に入って、本当にバタバタの毎日だったが、2日から3日にかけ、下の娘夫婦がやってきた。前日2日は、元旦の夜から名古屋を出て、2日は朝から彼女が大好きなディズニーランドに夜遅くまでいて、三鷹の駅前、そう、私達が火事の夜に宿泊したホテルに来た。夜遅かったが、パパも帰っていたので、ホテルに娘夫婦を訪ねた。今日は私は娘夫婦と遊びに行く約束だったが、パパはお仕事だったので、会うのはこの時間だけ。ホテルのロビーのソファで、深夜だったが、パパが買ってきたたこ焼きを、「おなかすいて、コンビニに何か買いに行こうと思ってたの」とパクパク口にたこ焼きをほおりこむ姿は、新妻になっても昔と変わらぬ、可愛い娘だった。1時間ほど話をして、私たちは、ホテルを後にした。翌日、深夜まで話をしていたので、お昼前、娘夫婦を迎えに行き、荷物を家で預かり、100円バスに乗り、吉祥寺の駅まで行き、前々から、食べさせてやりたいと予約していた新大久保のお店に向かった。ここは、コリアンタウン。平日だったが、韓流ファンの年配の方や、お正月休みの学生さんや家族連れで、ごった返していた。予約したお店は、厚切りの豚肉や野菜を鉄板で焼く「サムギョプサル」と言うお料理で有名。以前は予約していなかったので、並ぶのが嫌いなパパに拒否され、入れずにいたお店。相変わらずの人気で、予約していないお客さんが、お店の前で沢山待っていた。通された席は、奥の席で、おいしいサムギョプサルいただきました。若い二人は、もう、食べる食べる。「腹も身のうち」と言いたくなるくらい、気持ちよく平らげてくれた。表に出て、少し歩き、いつも行く韓国スーパーに。彼女たちも楽しそうに商品を見ていたので、お邪魔しないよう(笑)私も、ここにきたらいつも買う韓国海苔や、かりんのジャム、新しい商品なのだろう、韓国海苔を細かくした袋入り、以前から気になっていた「でんでん虫のパック」など購入。そのスーパーも、凄い人だった。吉祥寺に戻り、以前パパと入った、日本で初めてお食事系のフレンチトーストを出すお店に連れて行った。どうかな?と思ったが、二人とも大喜び。だんな様のほうが、甘いものがだめだったらどうしよう・・・と心配したが、好きだという。二人で、ベリーとアイスクリームがたっぷり乗った物、イチゴとアイスクリームが乗った物を頼んでいたが、私は、見るだけで満足(笑)クランベリージュースをいただきました。夕方、我が家に戻り、車に荷物やお土産を積み、帰って行った。久しぶりに、楽しい時間をすごした。アパート探しや、引越しのことを忘れ、娘たちの幸せそうな顔を見ているだけで、親ってこんなに、癒され、幸せを感じるものなんだなぁと、改めて、子供にもらった「幸福」を想った。安全運転でね。また、遊びにおいで。
2014年01月03日
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大家さんから、「退出のお願い」の文書が、 ポストに投函されたのは、火事から2週間後のことだった。 結局、私達は、「2日連休」が今後取れそうもないと、 新幹線で彦根の孫に会いに行った。 臨月に入っていた娘は、大きなおなかをして、 もうすぐ2歳になる孫とのひと時は、本当に火事の事を忘れさせてくれ、 癒しの時間だった。 帰宅してからの私は、 「俺は身動き取れないから、お前頼むな」とパパに言われ、 毎晩、パソコンで明け方まで空き室探しに追われた。 私達に部屋を貸してくれるところがあるのだろうか。 そして、意を決し、駅前の不動産会社に出かけた。 偶然だったが、そこは、まだ大きな家に住んでいた頃、 2DKに住み変わらなくてなならないと言う意味も解らず、 自己破産する前に抑えた、今住んでいる部屋を斡旋してくれた会社の支店で、 その時の担当者が、何と今は店長になっているお店だった。 ・・・と言うことで、私達の立場を隠す必要も無く、 事情をわかって斡旋をしていただこうと、 不在だった店長に代わり、Mさんが本当に一生懸命に部屋を探してくださった。 部屋を借りたことがある方はご存じだろうけれど、 借りるに当たり、「連帯保証人」がいる。 われわれの事は、金融関係にはすでにブラックリストに載っているから、 クレジットやローンは使えない。 だが、最近は大手の住宅会社が入っているマンションやアパートが多く、 そこは、クレジットを持っていないと、 私達がいくら気に入っても、借りる事が出来なかった。 「保証人」 誰も、そんなものには成りたくない。 我が家自身、「保証人」になり他人の借金をかぶり、 その父親は責任を感じパパに遺書を残し、亡くなった。 警察から遺書を渡された時、お葬式の時、どれほど切なかったことか。 その後、大変な思いをして返した。 勿論、私達とて人様に迷惑をかけるつもりはないが、 誰もが皆、そう思い「保証人」を頼むのだ。 それを、誰に頼めというのだろう。 本当に不本意であったが、義弟に恥を忍んで頼んだ。 だが、思いやりある言葉で、自分たちで頑張るよう長いメールが届いた。 従姉妹も「良いよ保証人になるよ」と言ってくれたが、 「印鑑証明」が要ると聞き、これ以上迷惑はかけられないと思った。 この時の私達は、今更ながら、会社が倒産した事実、 自己破産者になる・・・と言う意味を思い知らされた。 放漫経営からの倒産ではない。 40年下請けをしてきて、どんな親会社の要求にも応じてきた。 24時間で、造りこんでくれと頼まれれば、徹夜し、日本の60パーセントに当たる自販機に、 部品を供給し続けてきた会社だった。 それがある日突然、親会社からの子会社切りにあったのだ。 でも、今はもう、そんなことは過去のことであり、 事実私達は、8部屋もあった広い家も広い庭も土地もマンションも何もかもなくし、 このアパート住まいの生活をしているのだ。 そして今、そこも追い出されようとしている。 八方ふさがりとはこのことだと思った。 そんな時だった。 担当のM君が「保証会社でも構わない物件を探しましょう」 と提案してくれた。 このアパートもそうして捜したが、まだ自己破産する前だったから、 保証会社が利用出来たのだと思っていた。 「大丈夫、利用できますよ」 その言葉がどれほど嬉しかったことか。 捜したマンション、アパートが、ことごとく「要保証人」で、 もう、心が折れてしまいそうになっていたひと月後、 「ここなら、僕、よく知っていますし、大家さんも良いかたなので」 と提案してくれたのは、古い5階建てマンションの1階、 家賃は少し高くなるが、今より1部屋多く、 何より、従姉妹の家から歩いて10分もかからず、駅からもバスで5分ほどの場所だった。 今のように、お風呂の追いだきはできない。 洗面所とは名ばかりで、大昔のマンションだから、 水道と小さなボールが付いているだけ、 トイレにはコンセントがないから、洗浄付き便座をどうやってつけたら良いものやら。 だが、収納は十分だし、南向きでお日様が入る。 広さも今よりは広い。 今の私達には、十分な住まいだった。 駐車場もM君が大家さんに交渉してくれ、少し安く借りられるようになった。 その晩から、やっとゆっくり眠ることができるようになった。 一つのことに夢中になる私は、 この間、ろくに家事も出来ずにいた。 気がつけば、例年以上の寒さの中、 食事の買い物と病院に行くのが精いっぱいの毎日だった。 やれやれ、本当にそんな気持ちだった。 年が明け、遊びにおいで・・・・と言ってくれていた従姉妹のお宅にも やっと遊びに行けた。 何だか、トンネルを抜けた気持だった。 あとは、契約とお引っ越し。 引っ越し・・・・大変だ。 どこから手をつけたら良いのか… 頑張ろう。 その時は、大変だが、頑張ろうと思っていた。 その後もまた、ひと波乱待っているとも知らず。
2014年01月02日
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12月に入ってから、9日10日11日と、三谷温泉で開かれたジョセフの忘年会に参加した。 入院が長引いたらキャンセルだなぁと思っていたから、 とてもうれしかった。 綺麗な海と温泉。 パパには申し訳ないが、命の洗濯。 ジョセフも退役してすぐ来日してくれてから、こんなに間隔短くまた来日して、 迷と接してくれ、ご機嫌だった。 二日続けて罰ゲームは私達のお部屋、おまけに 毎回出るたった一人のラッキーガールも私達のお部屋から出た。 念願の2枚目の腕組ツーショットは、面白被り物をし、 お部屋仲間全員でジョセフを思い切り脅かし楽しませたご褒美に ジョセフのガハハ笑いとともに「ありがとー」と言ってもらえ、、 私の番には、ジョセフ自ら腕を差し出して待っていてくれ、超幸せツーショットだった。 そして今回は、愛知県。 イベントが終わって解散後、チビ夫婦がホテルに迎えに来てくれ、 一緒に行きたかった蒲郡ホテルに行き、 1杯500円の紅茶を飲んでアンティークなホテルを満喫し、 近くのラグーナ蒲郡で開催されていたジブリ展を一緒に一日かけて回わり、 新鮮な海鮮丼を3人で楽しんだり、夜は出かけると言う旦那様の運転で娘の家に行き、 久しぶりに娘と二人で夕食を食べて、新幹線の駅まで送ってもらい、 とても幸せな時間を過ごすことができた。 この日のために、お国から頂いている障害者年金を 月々の生活費に充てる他に、少しずつ貯めておいた甲斐があった。 病気も大病にならず、ジョセフにも会え、娘夫婦にも会え、幸せな数日を過ごせたが、 その数日あとに来る、大事件を私はまだ知らなかった。 ジョセフやお友達に会えた楽しい時間がまだ覚めやらない15日。 夜8時過ぎ、編み物をしていた。 鼻が人より効くと自負している私に、プラスチックの焦げる匂いがしてきた。 「あ、また食洗器の熱線にプラスチックの物を落としちゃったかな?」と立って台所に行った。 開けてみたが、どうもそうじゃないらしい。 ・・・・・と表の非常ベルが鳴っているのに気がついた。 何? とドアを開け、表に出た途端、隣りの男の子3人のママが洗い髪のまま飛び出して来て 「Kさん、火事、火事っ」と叫んだ。 え?っと見回すと同時に、男の人が2軒先のドアを開けた。 瞬間、真黒い煙がもうもうと噴き出し上がった。 「消防署に電話したっ?」と聞く私に彼女は「まだっ」と。 慌てて取って返し、119番しながら「落ち着いて、落ち着いて」とつぶやいた。 「119番です、火事ですか?急病人ですか?」 「火事です」 「住所をお願いします」 心の中でまだ「落ち着いて、落ち着いて」と言いながら住所を言った。 「貴方は火元の方ですか?」 「いいえ、二軒となりのKと申します」 「はい、分かりました。すぐに避難してください」 電話を終え、そのまま表に出ると、煙はさっきより凄い勢いで噴き出し、 隣りのママは「庭から見たら、火の海だった」と震えて、子供達と駐車場にいた。 さっきの男の人はどうやら、火元の向こうの部屋の方らしく、 消火器を持ちながら 「こんなの役に立たないよ、すぐに終わっちまう」と。 おろおろして、自分が着の身着のまま、携帯電話も持たず、飛び出した事に気が付き、 取りに戻ろうとした時、到着していた近くの交番の警官に止められた。 消防車はまだ来ていないが、遠くにサイレンの音がした。 「危ないです!爆発するかもしれませんので、住民の方はそこの公園に避難してください」と叫んでいて、 その警官がきてすぐに、黄色のテープが張られ、もう近づけない状態だった。 近所の人も大勢集まりだし、洗い髪だったママにも、 着の身着のままで、恐怖と寒さで震える私にも、誰かがコートを掛けてくださった。 ほどなくして何台もの消防車が到着し、 消防士の方が、一軒一軒アパートの部屋に残っている人がいないか見て回っていた。 パパに連絡しなくちゃ・・・・でも携帯ないし。。。と思っていたら、 ご近所の方が貸してくださった。 パパに連絡「無事だな?」と聞かれ「大丈夫」と答えるのが精いっぱい。 それぞれ号数と名前を呼ばれ、確認作業が終わるころには、 凄い数の野次馬でいっぱいになった。 走り回る消防士の怒号の中、1時間ほどすると、 「今からコートと、貴重品など取りに入ってもらいます」と警察官が一人ずつ付いて、 家の中にはいれるようにしてくれた。 やっとコートと、携帯電話を持って、表に出た。 ご近所の方が、「うちで休んでください」と仰ってくださり、 遠慮したが、寒さでの身体の震えは隠せなかった。 同じアパートの方数人でお邪魔し、暖かいお茶をごちそうになった。 暫くして、その家の旦那様が、「鎮火したようですよ」と知らせにきてくださって、 失礼して元の公園に戻った。 新たに救急車が来たが、見たこともないドーム状の物が積まれていた。 人工呼吸されていた火元のSさんは、大丈夫だっただろうか。 時間が早かったからアパートにいた住民の皆さんは逃げだせたが、 これが夜中だったら・・・・と思うと、本当にぞっとした。 大家さんが「今夜は現場検証もありますし、みなさんホテルに泊ってください」 とのことで、その場でホテルに皆で電話。 時間はもう、12時近かった。 後で聞いた話だが、火元のSさんは、亡くなった。 そして、上の階、2部屋も類焼。 パパが帰宅し、二人でホテルに着いたのが1時過ぎだったので、 翌日、起きたのが遅く知らなかったが、ニュースにもなっていたそうだ。 ホテルでゆっくり寝て、朝食を摂り落ち着きを取り戻し、駅前のホテルだったので、 パパはそのまま出社した。 帰宅すると、大家さんと警察の方、消防の方達で現場検証は続いていた。 ドアを開けると、ものすごい焦げた匂いと、細かなすすで、 こりゃ、全部洗濯できるものはしないと。。。。と気が遠くなる気持ちだった。 愚痴っていても仕方ないと、洗濯をしようと庭に出たら、 消防士さんが、庭を行ききしていて、部屋の中が丸見え、参った。 実は、その翌日、本当に久しぶりでパパが二日連休だったので、 彦根の娘の家に行く予定を、以前から立てていた。 だがこんな時にどうしよう。。。。という気持ちと、 孫に会いたいし、この匂いから解放される。。。という混乱した気持ちで揺れていた。 パパも今朝、考えとくよと、出かけて行った。 お隣の一家は、さすがに匂いがひどく、真ん中のお兄ちゃんの具合が悪くなり、 その後暫くお正月開けまで、市が用意した被災者用の住宅に、移った。 そして、火事の翌日の夕がた、ママと二人でそんな話をしていたら、 作業着の大家さんが二階から降りていらした。 「大変でしたね~」 「はい、去年、銀行に融資してもらって、直したばかりの部屋がやられました。」 「。。。。」 大家さんは、少し言いにくそうに次ぎの言葉を仰った。 「こういう事になり、亡くなった方も出ましたので、3月以降に取り壊そうと思います。。。。」 つまり、出て行って欲しいということだ。 ママと思わず顔を見合わせた。 どうなっちゃうんだろう、私達。 これからどうなるのか。 自己破産者に貸してくれるアパートがあるのだろうか・・・。 完全に私の中で、何かどす黒い重い物がじわじわと生まれるのがわかった。 大きな大きな不安の塊だ。 まずは明日、どうしよう・・・・行きたいけど。。。。
2014年01月02日
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昨年11月、検査入院してから驚くことばかりだった。 長い人生、入院したことがない訳じゃない。 だが、私が知ってる「入院」は、なんだか一昔前の「入院」だ。 私の名前の下に書かれた医師の名前は6人に及んだ。 「はぁ?」と首をかしげると、看護師さんが笑って仰った。 「ここの先生方全員でKさんの状態を判断します」 そうなんだと納得。 仰る通り、毎朝、5人の先生がいらした。 まるで院長回診だが、今時だなぁと思ったのは、女医さんが二人いらしたこと。 そのうちのおひとりのかわいらしい事、かわいらしい事。 そしてその施設。 ホテルか?と見まごうばかりのデイルーム。 燦々とお日様が降り注ぎ、テーブルとイス、ソファは、正にホテルのよう。 4人部屋だったが、1部屋ごとに広いトイレと大きな鏡の洗面所、ロッカー付き。 入口の名札は普段はお花の液晶画面だが触れると名前が出る。 セキュリティもしっかりしていて、 各入院病棟へは、カードを持っていないと出入り出来ない。 私達患者は、検査や買い物などして帰る時は、 入り口で名前を言うと、中で操作して開けてもらえる。 お風呂は広い一人用バスで朝、希望時間を予約し、その時間は一人占め。 病院内には、立派な図書館、スタバ、コンビニ、売店、洗濯室、輸入雑貨のお店、介護用品のお店が並んでいた。 久しぶりの入院、まして普通の生活ができる状態、TVを見るのも飽き、 持っていったポータブルDVD機器でドラマを見るのにも飽き、 読みたかった本を片っ端から借りて読んだ。 検査以外は、食事制限もなく、なんだか申し訳なくなる時間だった。 検査は、重要なものでは、シンチと言う放射性物質とたんぱく質を混合させたものを注射して、5時間置きにCTを撮る物、 TVで見た事があったが、まさか飲むことになろうとは思わなかったカプセルカメラを飲み、15時間身体に機械を装着し、体内の写真を撮るもの、 普通にCT、血液検査、一番嫌だった、胃カメラの延長の腸カメラなどなど。 シンチの時は、なかなか「放射性物質を入れる」ということに納得がいかなくて、 まして漏れたら、皮膚科にかからなくてはならないと聞き、 先生に納得いくまで説明をしてもらった。 検査は火曜から金曜までしかないので、最初の金曜担当医から 「外泊なさいますか?」と聞かれ、あ、うちに帰って良いんだ!と外泊を希望。 土曜の朝から、月曜の午前まで帰宅した。 最初の予定の2週間が大きく延び、結局退院できたのは23日だった。 検査で分っているところまでパパと説明を受けた。 たんぱく質が身体から漏れているのは入院前から分っていたが、 どこから漏れてしまっているのか今回の入院で分かった。 小腸から漏れ、体外に排出されて、きちんとたんぱく質が摂れていないそう。 発症率がとても低く、何十万人に一人だそう。 そして、腹部のリンパが腫れてしまっているそう。 つまりリンパの流れが悪いうえ、たんぱく質が漏れてしまう、 「たんぱく質漏出性胃腸症」と言うのが私の病名だそうで、 治療法はまだ無いそうだ。 つまりは難病の上、治療法のない病気。 中鎖脂肪酸の入った油を一日20~30グラムに控え、 浮腫に対応する利尿剤を飲むしか、今のところ対処できないのだという。 退院前に、管理栄養士に指導してもらったが、 いつも摂っている食事で何も問題ないそうで、ただ、油を、オリーブオイルから、 中鎖脂肪酸の油(今、世の中で売っているのはリセッタのみ)に換える事だけ。 今後、重篤な状態にはならないということで、 ただ、やはりたんぱく質や栄養が漏れているので、疲れやすいのは否めないそうだ。 日本有数の病院で診てもらい、そういう結果になったのだから、 これ以上の結果は望めないだろう。 まあ、のんびり暮らしていくしかないのかな・・・・とパパの言。 午前中に退院し、荷物を家に置いて、そのまま、 この日封切りになった「清州会議」を観に行った。 何万人に一人の病気になっちゃたなんて、私らしいっちゃ、私らしいな。 うつ病に「たんぱく質漏出性胃腸症」と一生のお付き合いってことかな
2014年01月01日
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9月の初め。 足の浮腫みがひどくなり、行きつけの精神科のある病院の内科で検査を受けた。 いつも履く靴が入らない。 歩くと、タポタポという感じがしていたし、 四日市にいるころから少しずつ浮腫みが酷くなっていたのは分っていたが、 この2年近く、とても自分の身体を省みる余裕がなかった。 だが、7月に2年ぶりパパと受けた人間ドックの数値に問題が出た。 たんぱく質の数値が少し正常値を下回っていた。 で、行きつけの病院で2回血液検査を受けた。 しかし、その病院の内科医2人に言われたのは 「まあ、問題ないでしょう」 で、浮腫みを取る、利尿剤を出された。 この利尿剤「ラシックス」と言うものなのだが、 飲んでいらっしゃる方は分ると思うが、 30分に一回・・・・私の場合それ以上尿意をもようし、出かける予定がある時は飲めない。 それでも暫くそれで対処していたが、浮腫みは相変わらずだった。 近くに従姉妹夫婦やはとこ家族がいる。 電話で浮腫みの話をしていた時、良い内科医が近くにいることを知り、早速行った。 血液検査のデータと人間ドックのデータを持って行き 次の週に、胃カメラ検査になった。 異常は無し。だか、血液検査の数値にやはり問題が出た。 そうしたらその医師「これだけたんぱく質の数値が低ければ、浮腫みます」と 本当に気持ちの良いほど、一刀両断、浮腫みの原因を言い当てた。 その上「ここでは色々な検査ができないので」と、 何と日本でも超最先端医療を行っている、言えば誰でも知っている某病院の、 それも、所謂スーパードクターを紹介してくださった。 10月、紹介状を持って、T消化器内科教授を訪ねた。 ああ、こういう人が、本当の名医なんだなぁと、お会いして思った。 患者に対しては非常に丁寧な対応、柔和な笑顔で接し、 看護師に対しては、どんなに若い子に対しても、尊厳を損なわない物言い、 最近の医者は、すべてパソコンに書き込むが、 彼のそばには、PCを打ち込むお弟子さんがいた。 先生が仰った事の要点をまとめ、カルテを打ち込んでらっしゃるから、 彼女も相当の切れ者だろうことは、理解できた。 T教授は、私に向き直ると、穏やかな表情。 は~、これだからスーパードクターと言われる所以なんだろうと感心しごく。 翌週、大腸検査と、CT検査になった。 10月末、T先生を訪ね、非常に分かりやすい説明を頂き、 「Kさん、2週間ほど検査入院できますか?」ということになった。 患者が不安にならぬよう、先生は、本当に細かく紙に私の今わかっている状態を ペンの色を分けて説明してくださった。 まあ、日本でトップクラスと言って良い病院の、それもトップの消化器内科医の言うことだ。 そんなところで検査が受けられる幸せを考えたら、1も2もなく承諾するしかないだろう。 そして11月5日、入院した。
2014年01月01日
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