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過ぎたが、24日は32回目の結婚記念日だった。
2015年03月26日
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とうとう50代最後の日を迎えた。昨日は、50代に有った色々をかいつまんで書いた。今日、本当に最後の日を迎え、懐かしい友達からお電話を頂いた。長い事住んだ四日市で、上の娘の幼稚園の入園式の日、声を掛けてくださった方。それも「先輩」と(笑)振り返ると、美しい品の良い女性が、人懐っこい目で私を見ていた。申し訳ないが、覚えが無かった。私は人のお顔と名前をなかなか覚えられない。これはもう、病気だ。すると、彼女から名乗ってくださり、この総合学園の高校の時の後輩だと解った。某大手企業トップのお嬢さんでウィキペデアにも、彼女のお父様の名前がある、従兄弟は国会議員と言う方。私は普通に「後輩」と思ってお付き合い始めたものだから、別のお友達に教えられ、彼女が本当に普通の感覚の持ち主で、私以上に不条理なことに腹を立てるような面白い方だったので、反対に驚いてしまった。「今日は少し贅沢してお蕎麦食べよう」と言う私に、「何贅沢言ってんの!!、マックで良い」と言うような子(笑)それから25年、子供達の幼稚園、小学校、中高6年制と一緒に過ごし、下の子供がお互い卒業するまで、途中からは一緒にコーラス部に所属し、毎週、お茶や食事会をしてきた大切な大切な友達だった。あんな事がなければ、今も、月一回の食事会をしていただろう。そう言えば、今日は木曜日。仲間7人のうち医者の奥さんが二人いて、木曜がお休みなので、いつも食事会をしていた日だ。先日おひとりの方からメールを頂き、お手紙を出していたので、私の身体を心配してくださってのお電話だった。50代最後の日に、20年以上お付き合いのあった彼女からお電話を頂き、久々に長電話をしてしまったのは、私にとって、とても幸せな時間だった。友達って、本当にありがたいね。ありがとう、Tちゃん。昨日は、愚痴っちゃったけど、宅配がくるたび、ドアを開けると、出来あがっていく家達が見え、辛い事も多いけれど、今が幸せなら、良いんじゃないかなぁって思う。元々、マイナス思考だから、鬱病にもなるし、こうして吐き出したくなっちゃう。それは、小さな頃から「期待しない」方が傷つかないし、「悪い方」に考えていれば、「やっぱり」って安心できる環境にあったからそうなってしまったのだが、相変わらずマイナス思考は直せないが、穏やかに過ごすことができている。50代最後の日も、あと5時間あまり、大変な50代だったけれど、幸せな50代でもあったのだと思う。どうあろうと、自分が望んだとおりの設計の家に3年も住むことができ、自然の恵みのふきのとうの天ぷらやきゃらぶきを作り、毎年たわわに実った梅で梅酒を作って楽しみ晩秋にはやはり、たわわに実った美味しい富有柿を楽しめた。パパが2週間かけて作ったハーブ園に沢山のハーブを植え、新鮮なハーブ茶を楽しめた。お湯が出る表の水道で、ジュリアンを看取るまで毎日清潔に介護してやることができた。娘の結婚前、記念に・・と子供達と加賀屋に泊って、北陸を旅行できたし、銀婚式には、子供達がプレゼントしてくれた下呂温泉に家族で行き、地酒の古い工場で、美味しいお酒も飲めたし、何より、子供達が好きな人と結婚でき、愛しい愛しい孫達にも会えた。何だ、私、幸せじゃない?(笑)十代の10年も色々あるけれど、やっぱり50代の10年て、大きいよね。私の周りの人々に、感謝でいっぱいです。辛い事も多かったけれど、とりあえず、今日は幸せです。一日一日、還暦になっても大切に生きていきたいなぁ。神様の宿題は、もういらないけどね(笑)
2015年03月05日
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50代最後の日々が過ぎて行く。ここにブログを書き始めた40代から、もう、10年以上が経ち、まだ当時は「ブログ」ってものが浸透していなくて楽天さんも「日記」と銘打ってたから。父が病気になり、姑が認知症になり、吐き出す場所がここだけで、随分癒されたものだ。そして、波乱万丈の50代が始まった。たしか、50代になる時の私は、本当にジタバタしたと思う。「自分はいったい、何をしてきたのだろう」「自分に何があるのだろう」そして50歳になった日、「昨日と今日の違いだけじゃない?」と思った。そして10年。ブログをやっていて良かったと思ったのは、人は10年も経つと、小さな日々の事は忘れ、ただ、時間が過ぎてしまうけれど、読み返すことにより、その時自分が何をし、何を思っていたのか知ることが出来た。「何をやっていたんだろう」って思わなくて済んだ(笑)50代。その始まりは父の葬儀後3カ月から始まった。そしてあの、認知症の姑との戦いの日々と突然の終わり。ほっとしたら鬱病が酷くなり、パパが家の建て直しを決め、1年近くの設計、相談の後、借家に移り半年、念願のアンティークの似合う、豪邸(笑)への引っ越し。3年の穏やかな日々の中、上の娘がお嫁に行き、親になり、後は、下の娘を嫁に出し、静かな夫婦の日々が始まるはずだった。新しい家も住み慣れてきて、孫が遊びに来るのを楽しみに・・・・と思っていた。しかし、神様はそうはさせてはくれなかった。40年、父の代から経営していた会社が倒産。家も、土地も、マンションも実家も、何もかも無くし、「死ぬ時は生まれ育った東京で」と漠然と思っていたことが、こんな形だったが、叶った。ただし、何もかも無くしてから。そして、50代最後の日々、ここでこうして何とか暮らしていたのに、今度は、最後の最後に、10万人に一人の難病になった。原発性リンパ節肥大によるたんぱく質漏出性胃腸症。ひと月の検査入院の後判明したのは、小腸から、たんぱく質が漏れてしまう難病。治療法はまだない。次々起きる症状に対処していくしかない。毎月通院して、血液検査の数値に一喜一憂する日々。これが、私の50代。まあ、なんて10年なんだろうと思う。悪いことばかりじゃ勿論無い。上の娘が二人の可愛い孫を作ってくれ、下の娘が結婚をした。実母はボケもせず、健康で80歳を過ぎてもスタスタ歩く。多分これだけでも、幸せな事なんだろう。でも、やはりどうしてなんだろうなぁって思う。どうしてこう、私の上には色々な事が起きちゃうんだろうなぁって。あまりに「波乱万丈」過ぎやしない?認知症のお姑さんの介護をしてらっしゃる方は多い。会社が倒産し、何もかも失った方も多い。難病になった方も多い。でも、全部あった方は、そう多くは無いだろう。それが、この50代に全部来ちゃったから、来られたこっちは、たまったものじゃない、本当に大変だった。その50代も、あと少しで終わる。還暦。多分、会社も倒産せず、あの豪邸に住んでいたら、おおっぴらにお祝いをしただろうなぁと思う。パパのお陰で、現在は無事に生活はできている。感謝m(__)m私は、鬱病が治らず、お国から障害者年金を頂くようになった。きっともっともっと辛い思いをなさってらっしゃる方もいるだろうけれど、先の事を思うと、怖くて死にたくなるから、考えないようにしている。せめて鬱病だけでも治りますようにと思うが、元々のADHD障害から来ているから、治るはずもないのに、副作用で15年飲まなかった抗鬱剤も、私にしては一大決心をし、服用し始めた。少しでも色々なことができるようにと願いながら。なかなか神様は、楽にはさせてくれそうもない。最近、ちょっと辛い事がある。うちのアパートの前の広い畑が宅地になり、あまたあるハウスメーカーのうち、よりによってあの豪邸を建てた会社が、10棟以上の建設をしている。これも神様の意地悪か。毎日その音がうるさい(笑)毎日、毎日、家が出来上がっていく様子を、あの頃見に行ったその匂いが同じなのだ。当たり前だが、木の匂い。思い出したくないのに、思い出してしまう。「忘れろ、俺はもう忘れたぞ」といつも言うパパさえ、雨の日に帰宅し、玄関のカギをあけていると、「この匂いなぁ・・・」と苦笑する。まあ、これも私の運命なのだろうけれどね。まだ、時々、わぁっと泣いてしまう事がある。あのお日様一杯の吹き抜けのリビングや、アンティーク家具のダイニング。庭に埋葬した猫のミルキーやオールドイングリッシュシープドックのジュリアンの事。この季節、スーパーに行くと、ふきのとうが売られ、見るたび、庭に次々芽吹いたふきのとうの事、家の中まで良い香りがしてきた、群生していた香り水仙の事を思い出す。駐車場の隅に植えた赤いモクレンは大きくなったかなぁ、モミジは今年も綺麗に色付いたかなぁ、斜面に植えたつる薔薇は、咲いたかなぁ、パパが創ってくれた煉瓦のハーブ畑には、今年もミントは生えてきたかなぁ。もう、考えても時間は戻らないし、乗り越えなくちゃ、頑張ってるパパに申し訳ないと思うんだけど、50代で一番辛かった。最後だから、言っても良いよね。還暦迎えたら、前向きに生きていきたいから。ここに思いを捨ててしまいたいから。50代最後に、愚痴っちゃったけど(笑)
2015年03月04日
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