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平成もあと残すところ4日になった。 なんだか寂しいね。 昭和生まれだが、人生の半分昭和で半分平成だ。 昭和時代は生まれて青春を過ごし、恋愛もして結婚、子供もまだ小さかったので夢中で子育てして居た。 そして平成。 子供達も成長して、昭和と違う子供との接し方が必要になり、考えたり悩んだり。 親の看護や介護と自分ではどうしようもない事が次々起き、親を見送り自分も歳を取った。 子供達もそれぞれ家庭を持ち幸せに暮らしている。 うーん考えると重みの比重は平成かな? 平成も色々有ったが良い時代だったと思う。 やはり、戦争と言う愚かな物が無かった事は大きいだろう。 その代わり天変地異による災害が多かったように思う、平和だった故に目立ったのかも知れない。 天皇制には賛否両論あると思うが、平成天皇ご夫妻程、国民に愛された皇室は居なかったように思う。 令和になってからも、どうかどうか、お元気で居て欲しい。 令和、どんな時代になるのだろう。 益々、地震や異常気象の時代が来るだろう。 そして来年は東京オリンピック 前回も新橋の小学校から聖火リレーに先生引率で旗振りに行った。 2度もオリンピックを開催地で見ることができる幸せに感謝。 令和始まって直ぐのイベントが成功する様祈っている。 平成、さようなら、そしてありがとう!
2019年04月27日
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4月23日 入院が長引き、やっと退院出来て4日目。ここ数日でついつい動いてしまい、今日は朝からぼーっとしています(笑) 主治医は私がじっとして居ないのをご存知なので、退院の時、釘を刺されました。 「いーい、動かないでね。Kさんは頑張りすぎるから、じっとして居てね」 無理ってもんです(爆) ただ流石に昨日は、必要な物が全部なくなって居て吉祥寺の100均や東急まで買い物に行き歩けなくなり、喫茶店で1時間休んで帰宅しました。反省してます(笑)
2019年04月26日
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4月19日やっと退院した 入院記録を更新 3月1日からだから丁度50日だ。 難病で治療法がないが、症状は浮腫みと栄養不足だから、ただただ栄養補給に終始する。 栄養が小腸から流れ出てしまうから、アルブミン数値、総蛋白数値、カルシウム数値、総コレステロール数値などなど、栄養の数値は全部「L」。 「H」なのは、利尿剤により体内の水分が少なくなるので脱水気味になってる数値だけ。 退院の目安はいつもアルブミン数値が2.0以上である事、だるさが軽減されている事、浮腫みが無い事。 今回は怠さがなかなか無くならず、毎日1500cc以上カテーテルで入れているので、浮腫みは多少は残っているが、点滴が無くなれば取れると言うのは、経験上分かっている。 ナースのKちゃんが「Kさんもう住んでるみたいだね」とお茶を入れてくれながら笑う。 事実、根が生えてしまった気分だった。 杏の花が開きだした頃に入院、眼下の大学の体育館で杏並木が満開の中、卒業式を見て、桜が咲き始め入学式を見て、とうとう桜吹雪が終わる頃やーっと退院。 は〜もういいわって感じです。
2019年04月26日
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4月10日の下書きから 母が生きていれば今日は母の85回目の誕生日だ 誕生日ひと月前が自分の葬儀になると思っても居なかっただろう 母の死因は急性大動脈解離 一瞬で召されたのだ 生きてる者から見たら、1番理想的な亡くなり方だろう 85年も生きていれば、色々なことがあるのは当たり前だが、 人生最後の方で、夫が興した会社が倒産の憂き目に合い全て失い散々だったけれど、 最後は可愛い可愛い息子と暮らし、病気もせず、海軍でロシアに抑留された父の遺族年金を国から頂いていたし、 終わり良ければ全て良しだったという事だろう 生きていれば、毎年この日前後のパパのお休みに、三人で食事に行っていたのだが 今年は私が入院中なので、どうなっていたか今では分からない。 だいたい、今年は電話で話しただけで、会って居ない。 いつもバレンタインディにチョコをパパに持ってくる母が今年は風邪とかで来なかったし、 私の3月の誕生日も私が入院してしまったので会って居ない。 昔から近所すぎて、反対に頻繁に会うこともなかったから こんな物だろうと思っていた 母と約束して果たせなかった事2つ 母の家と私の家は、市役所に近い。 1キロに及ぶ桜並木は今年も綺麗だったそうだが、 この市役所にある社員食堂が美味しくてお値打ちだそうで、 市民に開放している。 市役所だから平日しか行けないわけで、 母といつか行こうねと言っていた事 もう1つは、ちょっと離れているが、車で3〜40分の所にキューピーの工場兼ミュージアムがあり、平日だけ見学出来る。 ミュージアムショップも有り、可愛いキューピーグッズやお菓子を売っており ここへ一緒に行こうと思っていたが 私の体調がイマイチなのと母の風邪がなかなか治らず行けず仕舞いになった。 亡くなって早初月忌も過ぎ、そろそろ四十九日になろうとしているが 1月9日父の誕生日と4月10日母の誕生日はずっと忘れないだろう。
2019年04月14日
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3月10日 東京という所は人が多い 当然亡くなる人の数も多い訳で 結局亡くなって5日目にやっと焼き場の順番が回ってきてこの日の葬儀になった。 前日から外泊許可をもらい帰宅し 必要な物を買ったり洗濯をしたり動けないなりに用事を済ませ 翌朝、喪服に着替え葬儀社へ 祭壇も綺麗に飾り付けてあり、感謝です。 棺を開けてもらい、母に化粧を施そうと 下地でほおのシミを隠しファンデーションをスポンジで塗った 目にも何かしてあげたかったが、固くつむった目はどうしようもなかった。 最後に唇に紅をと思ったのだが、 硬直して荒れた唇は、綿棒で紅をのせようとしてもなかなかのらず、娘が私の紅筆使ってと言ってくれたが、 綿棒でさえ困難な状態なのに紅筆では到底紅を差す事は無理だと諦めた これ以上動けないので取り敢えず一番邪魔にならない場所に居ようと一番奥の一番前に座った。 暫く、遠くから来てくれた従兄弟達と話をしていた。 部屋が狭いので、参列くださった方全員が座れず一旦私以外の方が部屋から出され 親族のみが中に入り参列者が空いた場所に座って葬儀が始まった。 滞りなく葬儀が終わり出棺の時 花が好きだった母は皆が手向けてくれた花と 私の孫の「大バーバへ」と書かれた色鮮やかな可愛い絵に埋もれ、参列者の男性によって棺に蓋がされようとしていた。 ゆっくり厳かに蓋が降りてきたその時、思わず吹き出しそうになった。 母への思いで涙してくださる方がいる中、 申し訳なく下を向くのが精一杯だった。 私の横にいた孫の2歳のやんちゃ坊主が 目前に降りてきた蓋を両手で力一杯棺に押し付けチラっと私を見たのだ。 皆さんがそうっと蓋をしている中 力一杯両手を突っ張って上に体重をかけ蓋をしようとしたその可愛い行為に 彼としてはゆっくり降りてくる蓋に我慢ならずに出た行為に 可笑しいやら愛しいやら。 昨年、遊びに来てくれた時、ゆうに10キロは超えていた彼を抱っこしたがり、 私が支え抱っこした母も多分あちらで吹き出している事だろう。 そこから立派な霊園に向かい棺が運ばれ、私は用意された車椅子に乗って中へ 最後にずっと膝の上にあった写真が設置された この写真、父が余命いくばくもないと分かってから、 お肉が大好きだった父と我が家で行きつけだったステーキ屋さんの二階の個室で 何枚も撮った写真のうちの一枚で父も母もとても良い顔をしていたので、父の葬儀の時もここから遺影にしてもらった写真だ。 夫婦で同じ写真からとは感慨深い。 荼毘に付されるのに、やはり私は涙一滴出なかった。 炉に入っていく母に不思議な事に何の感情も湧かなかった。 ただ、バイバイお母さんと呟いていた。 今時は本当に短い時間にお骨になるのにはびっくりだったが、 遠くから来てくれた孫達とゆっくり過ごせた。 色鉛筆で似顔絵を描いてもらったり、 楽しいお喋りがもうできる歳になったんだなぁと嬉しかった。 呼ばれて下に降りると真っ白なお骨になった母が運ばれて来た。 係りの方が驚くほど、しっかりしたお骨だった。 通常割れてしまう部分もしっかり残っており、母が長患いの末に逝ったのでは無く、すこぶる健康体だった証拠だった。 小学生の孫が興味を持って聞いてくるのが嬉しかった。 何の先入観なく、どこの骨?と一つ一つのお骨を一番前で見ては質問してきた。 多分彼女が人生で初めて目にする、人骨で有り、理科室にある骸骨はすでに探究心のある子なので、見て知っているのだろう何度か、 あれが頭の骨?と聞いてきた。 彼女にとっての頭の骨は、骸骨だったのだろう。 きちんと教えてやらなければと、こちらもわかりやすく説明してやった。 こんなチャンスはなかなか無い。生きた生物学だ。 びっくりしたのは、父の時も親類の時も、部位のお骨を少しずつ入れていくのだが、こちらは台の上に有る粉も綺麗に小さなブラシで集めて入れていた事。 土地柄でこんなにも違うのかと驚いた。 骨上げが終わり、上の娘一家が翌日のため最寄りの駅から帰っていった。 本当に遠くからありがとうね。 そして私達は元の場所に行き、精進落としのお料理を頂きながら、久しぶりにに会えた従姉妹達と不謹慎だが楽しい時間を過ごした。 きっと母がくれた時間だろう。 そして解散後、弟の家に行き後片付け 午後9時が消灯なのでそれまでに何とか済ませ着替えと荷物を取りに一旦帰宅、 今夜はこちら泊まりの名古屋の次女家族と待ち合わせ、久しぶりにゆっくり話をしてギリギリセーフで病院に帰った。 正に怒涛の様な1日だったが、会いたくて会いたくてなかなか会えなかった孫達に会えた。 これから入院が長引くが、頑張ろうと思わせてもらった。 母も可愛い曽孫達が来てくれて、きっと父と喜んでいるだろう やっとダブルのお棺に入りたいと言っていたお父さんに会えたね どうか安らかに さようならお母さん
2019年04月13日
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3月6日の事 この日は私の誕生日 母はこの前日私に会いに病院に来るはずだったそうだ 弟が起きた時、炬燵に突っ伏していたと言う。 前にもそんな事があったのでまたかと、弟が声を掛けたが返答が無く、意識もない状態だった 外出許可をもらい、既に葬儀社に安置されている母に会いに行った 霊安室だから寒くて当たり前だが 今まで空調の効いた部屋にずっといたので酷く寒い 係りの方が棺の蓋をずらしてくれた。 棺に寝かされた母は、もう母の顔では無かった。 固く閉じられた目やまつ毛は元気だった頃のそれとは別の物。 右頬の大きな丸いシミは初めて目にするものだった そうっとほほに触れたらぞっとする冷たさだった 何故だか、どうしてだか分からないが、 悲しみも感じず、涙も出なかった。 もうとうに屍になった母を見て、 母の全てが既にそこには無いのが分かった 魂も想いも何もかも天に登って行ったとしか思えなかった。 父の時には感じなかった感覚。 本当にそこにあるのは、ただただ「シカバネ、亡き骸」だと感じた 考えれば自己中心の塊のような人だったから、 さっさと父や姉夫婦や伯母の居るあちらに逝ったのだろうと思ったら 悲しい思いより全く母らしいとほっとした思いが勝ってしまった 葬儀社の方が温かい美味しいお茶を入れてきてくださった。 入院中だと知ってらっしゃるので私を気遣い 寒いでしょう、大丈夫ですか?と優しい言葉をかけて下さった。 しばらくお話しして上の事務所に上がった。 死亡診断書やら、葬儀の時系列のコピーを頂き 細々とした事を決めその後、一週間ぶりに帰宅した。 少しゆっくりして夕食を摂り病院へ帰り車椅子で病室へ 流石に疲れました
2019年04月12日
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3月5日入院5日目の午前中 殆ど連絡を取って居ない弟からスマホに留守電が入っていた。 何だろうと聞いてみると母が倒れていて意識が無いので病院に救急車で搬送中との事 慌てて電話室に行き連絡すると、いつものように仏頂面が見えるような声で 「今、病院にいるけど、1時23分、死亡確認しましたって医者が言ってる」 と。 悲しみも驚きも無かった。 有ったのは、サァ大変だ....の思いだけだった。 どうしよう、こっちは入院中だし、弟は全く頼りにならない..... 父の葬儀も、社葬にし主人が喪主で取り仕切った。 そうだ!パパなら父の葬儀も姑の葬儀も舅の葬儀も経験済みだ そう思って居たら主人から着信 出勤前、ギリギリ電車に乗る前、弟から同じように留守電があり、今、駅近くで弟と会っていると。 ホッとした。 パパが居れば何とか対処してくれるだろう。 一昨年、母に頼まれ弟に苦言を呈した際の暴言から、絶縁状態だった。 でも結局の所、弟は主人を頼るしか無く、 以前から母が亡くなった際、どうなるんだろうと案じて居たが、 やはり、こうなったかと改めて思った。 入院中の身では何も出来ないが、 取り敢えず、主治医に外出許可を申請したが 外出できる状態でない事は百も承知。 亡くなった母親に会いたいと言う思いは、 夕方許可証になってベッドに届いた。 明日、会いに行こう
2019年04月11日
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3月1日ベッドの空きを待って今年初の入院 足がいつもよりパンパンに浮腫み、胸水も有り、 かなりやばい状態だった 勿論、杖無しでは短い距離も歩けず、 病院内の移動は車椅子。 入院既に10回を数えるが、病棟から出る事が禁止になったのは初めてだった いつものように、いつもの点滴 この病気は治療法がないので対処だけの入院だ 栄養が取れないから、栄養の点滴に、利尿剤の点滴、浮腫みから皮膚がパンパンになり裂けて体液が流れ落ちてる状態なので、感染防止の抗生物質の点滴。 だが私の場合、腕からの点滴では追いつかないので、 いつも入院したその日に、軽動脈からカテーテルの挿入処置が行われ、痛い思いをする。 だか、一度入れて仕舞えば、痛みは当日だけでもう慣れっこだ。 トイレも洗面所も、4人部屋にあるから不自由は無いが、 いつもコインランドリーに行くのに行けない不自由さは流石に応えた。 何故なら、強烈な利尿剤を点滴しているので、 たまに間に合わず、下着やパジャマを汚してしまい、洗濯出来ないのは、死活問題だったから、 かなりのストレスになった。 最初の頃は、レントゲンやらCT検査があるので、車椅子移動する時コインランドリーに寄って貰ったり出来たが、 結局の所、日曜しか休めない主人を待って、やって貰うしか無く、いつも夕方にしかやって来ず、面会時間ギリギリか間に合わず、よく喧嘩になった。 後は一日中同じ体勢で居ると浮腫みが酷くなるので 入院途中から窓際に移り立ち上がって、満開の杏並木を上から愛でたりの1日だった。 ナースさんも顔馴染みの方も多く、お名前も忘れていないので、 体の不調以外は、まぁいつも通りの入院生活が始まった訳ですな
2019年04月10日
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これは2010年の下書きからのアップです いつぞや、パパと作り始めたハーブ畑用の花壇がまだ出来ない。 今日は、良いお天気なので、パパが続きをし始めた。 明日、ゴルフに行くので、私から文句がでないように・・かな(笑) なかなか大変のようですが、私には手だしさせない。 何だか、楽しそうだなあ。
2019年04月10日
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これは下書きにあった2010年の日記です 荷物の片づけをしていた。 クリスマス用のデコレーションの箱が出てきた。 サンタクロースのリアルなお人形だとか、リース。 その中から、小さな毛糸のクリスマスツリーが出てきた。 思わず、心の底からこみあげ、 玄関のたたきの上で、泣いた。 このツリー、亡くなった従姉妹が作ってくれたものだった。 毛糸でセーターやカーディガンを器用に編む従姉妹だった。 癌で余命いくばくも無いと分かって、さっさと自分でホスピスを見つけて来て、本当に潔くそこで一生を終えた。 誰にも知らせず、私達にも、高齢の母親である伯母にさえ内緒の入院だった 突然、下の従姉妹から亡くなったと電話を貰い、 私はその場で従姉妹には申し訳ないほど泣いた。 Y姉ちゃんらしいと、天晴れだっだと、とても私には真似はできないと思った。 子供の頃から、姉の様で、ジブリのチケットを買いに一緒に自転車でコンビニに行ってくれ、 帰りに、そうそうお父さん(父)と子供の頃に住んでたとこ見にいこう..と寄り道をした時 既に65歳を超えていたのにスイスイと自転車を漕いでいたのを思い出す。 その従姉妹が、私が来るのを待って作って置いてくれた毛糸で編んだクリスマスツリー🎄 こう言うの好きでしょ? とニコニコしながら渡してくれた その時の優しい顔が浮かび、どうしようもなく悲しく寂しかった。 ふわふわの毛糸のクリスマスツリー 大切にしていこう
2019年04月10日
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これは下書きにあった2010年の日記です 今日、こちらにいる従姉妹が、我が家を訪ねて来た。 この家が出来上がって、初めての来訪者。 用事は、先日、私が亡くなった従姉妹から預かってきた遺品の引き渡し。 切ない用事だった。 丁度、パパもいて、話が弾んだ。 私の父は、11人兄弟の末っ子だから、 「従姉妹、従兄弟」と呼べる人が、ものすごく沢山いるが、 皆、年上。 この従姉妹は、ずっと幼稚園の先生をしていて、 園長さんまでした人。 で、私の知り合いの方達の方が、この従姉妹は有名人なのだ。 従姉妹の話が出て、従姉妹だよ・・・・と言うだけで、 「え?従姉妹さんなの?」と改めて聞かれる。 良い評判ばかりなので、 何だか、いつもその時、くすぐったい気持になる。 ちょっと、鼻が高い(笑) 彼女は私と趣味がとてもよく似ている。 好きなものが同じなのだ。 プロ級のパッチワークの趣味は、本当にすごい。 同じ従兄弟のお嫁さんが、キャシー中島の弟子をしていて、 名古屋にあるキャシー中島のパッチワークのお店の店長をしているが、 そっちは、ハワイアンキルトで、 彼女は、ごく普通のミシンキルト。 それも、先日、プロが使う、刺繍の凄い機械ミシンを購入し、 本当に美しいキルトができて、うらやましいのだ。 親戚の間で、パッチワークをライフワークにしている人が意外と多い。 彼女は毎年、大作を制作する。 写真の整理も私のように、パンフレットや、その国のお金を張り付けたりする。 で、私が恵比寿の三越で見つけた 色々なものを入れられるストックブックを見せたら、気に入り、 一冊、余分があったので、いつでも買えるから・・・と差し上げたら、 とても喜んでくれた。 美味しいフレバーティを飲みながらのおしゃべりは楽しいが、 亡くなった従姉妹の話は、切ないね。 同じ気持ちを共有できるから、 嬉しい。 夕方、従姉妹は「また、遊びに来るね」と言い残し、帰って行った。 初めてのお客様。 何だか、嬉しかった。
2019年04月10日
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桜って、皆、「ここの桜が好きなのよ」って場所をお持ちかと思います。 私は四日市に住んでいる頃には、一級河川の海蔵川の堤防の桜が大好きでした。 ここは、河川敷が広いので、皆、お花見にバーベキューをしたり、夜店が並んだり、夜桜用にぼんぼりが並んだり、それはそれは、圧巻の桜でした。 桜を庭に植えたくて植木屋さんに言ったら 「奥さん、そりゃ世話が大変ですから、おやめなさい」と止められました。 栄養、病気防止薬剤の散布、害虫駆除、毎春、私達がきれいな桜を見られるのは、お世話をしてくださる方がいらっしゃるから・・・・と、思います。毎回、その方々に感謝を込め、お花見をさせてもらいます。 だから、今年も、武蔵野市役所の桜のお世話くださってる方に、改めて「綺麗な花を咲かせてくださって、ありがとうございます」とお伝えしたいです。 感謝、感謝ですm(__)m まぁ今年は入院中なので、見られそうも無いのが本当に残念です。 平成最後の桜なのになぁ 市役所の周りの桜並木です 桜のトンネル! 圧巻でしょ? 1キロに渡ってこの状態です。
2019年04月02日
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久しぶりの書き込みです色々なことがありましたがいずれ書き込もうと思って居ます。 では 今日のを書いていきます。 あと1時間余りで新元号が発表になる。 窓の外、早々に咲いた桜がまるで平成との別れを惜しむ様に、風が吹くたび花吹雪が舞う 昭和が終わる時、1月7日に昭和天皇が崩御された。 64年の年が明け、松の内が明けたその日に崩御なさったとの報道に、嗚呼、もう既に意識が無く、生命維持装置で命を繋ぎ、国民のために松の内を避けたのだなぁとご冥福を祈った。 そして「平成」の発表。 実はその一連の日々、我が家も忘れられない日々を送って居た。 パパが癖になってしまった腕の脱臼の為手術をしたのだが、ひと月入院していた間に起きた事だった。 病院へ行くたびベッド居らず、探すと決まって喫煙室で入院仲間たちと居た。 「テレビは崩御の特番と、平成の特番ばかりで、観るものが無くて暇で仕方がない」とぼやいて居たのが我が家の平成の始まりだった(笑) そして今回新元号が発表になる日 今度は私が入院中 ただ今回は「崩御」と言う悲しい出来事の後では無いのが、とても嬉しい。 30年続いた平成は、天変地異の災害が多かったが、昭和や明治のように愚かな戦争が無かった。 そして今日、崩御と言う悲しい出来事の後では無く新しい元号が発表になるお祝いムード、本当に嬉しいです
2019年04月01日
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