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2022.07.17
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テーマ: 読書(8213)

本のタイトル・作者



滅私 [ 羽田 圭介 ]

本の目次・あらすじ


「ミニマリスト」を仕事にした冴津武士。
真っ白な部屋に最小限のもので暮らす彼は、ウェブサイトの運営や製品企画で生計を立てている。
ある日、彼のもとに一枚の胎児のエコー写真が届けられる。
送り主は、高校生の頃に妊娠させた彼女の弟。
冴津が気にも留めていなかった、地元での過去の悪行の数々。
彼によって人生を狂わされたという更伊は、冴津の周囲をうろつきはじめ…。

引用



物を捨てるのに目覚めた人たちの大半は、“己の幸せを物に頼っていた”という過去をもつ。表裏一体なのだ。目に見える状態が違うだけで、捨てまくる僕と買いまくる時子は、本質的に似ている。


感想


2022年179冊目
★★★

ミニマリストを扱った小説があれば読みたいなあと思って探して読んだ。

調べてみたらデビュー作『黒冷水』は読んだことがあった。

しかしコレ…ミニマリストはぞっとする物語。もはやホラー。
そこにある明白な自己欺瞞を暴いている。
よく調べて書いてあるなあと思う。
著者はミニマリスト生活を送ろうとしたことがあったのかな?
登場人物に、有名なミニマリストのあの人やこの人をモデルにしているのでは?と思った。

冒頭の、目に入るものを「要」「不要」でジャッジしてしまう主人公。
ものすごく既視感がある。
視界に入るごとに「お前にはこれが必要なのか?」を問われているようで、しんどい。
そこまでして私は何を減らそうとしているのか?と思うことがある。

主人公は、貰ったメロンパンをそのままゴミ箱へ入れる(無駄な脂肪を身に付けないため、無駄なカロリーを摂取しない)。

出産祝いの内祝いの切子のペアグラスは、袋に入れて瓶の回収ボックスへ。

…はいドン引き~!!!笑
でも、私もこういうことしてるんじゃない?とちょっと思う。
さすがに未使用品を即捨てはしないけど、すぐに譲ったり売ったりする。
古くなったものを(まだ使えるとしても)捨てることに抵抗がない。


「ここにあっても死蔵されているなら、ゴミ捨て場にあるのと同じです」
だから捨てましょう、と。
私はこれに違和感を覚える。
いや、まだ使えるかどうか、その時点は違うやん?

主人公は物で溢れた実家に帰り、いつから使っているのかも分からないたくさんの物に囲まれて思う。
「最小限の、より便利でスタイリッシュな物に買い替える人間たちのほうが、多くのものを買い、捨てる」。
たくさんの物を保有する実家の両親は物欲も少なく、何十年も同じものを使い続けている。
どちらが地球に優しいのか。どちらが物に囚われているのか。

私の夫は、十数年も前に買った服をずっと着ている。
生地が薄くなっても、穴が開いても、破れても、着続ける。
裂けて、物理的に着ることが出来なくなるまで。
彼は「捨てられない人」でたくさん物を持っているけど、滅多に買わない。
私の方がよっぽど多くの物を買い、捨てていると思う。

ミニマリスト、シンプリストの大いなる欺瞞。
物から自由になりましょう、と言いながら、持ち物すべてを数え上げる。
それは、それこそが物に囚われていることではないのか。
持ち物をすべて軽量化・最小化・複数用途にアップデートしていく。
より少ないもので生きようという「偏執」。

ミニマリストのコミュニティには、タイニーハウスで暮らす夫婦、ホテル暮らし、刑務所のような部屋に住む子持ちがいる。
田舎暮らしを推奨するタイニーハウスの夫婦。
彼らは、田舎では少ないお金で暮らせる、リモートワークで仕事も出来るという。
主人公は、彼らのための安全やインフラ、配送をになっているのは、それが出来ない誰かなのに、と心中で思う。
子持ちのミニマリストは、家に物がないから子供が外遊びをするようになったという。
公園で遊ぶ子供は、家がつまらないから居たくないのだという。
工作もなんでも捨てられちゃう。
これ、私はちょっと身につまされた。(子どもの工作、捨てちゃうよね…)
ミニマリストは習い事や何かも、「所有する物がないもの」を選ぶという指摘もあった。
そう。
物を少なくしようとすることで、選択肢の幅を狭めている。

主人公は、物がないほうが楽だ、と言う。
そして彼女にこう返される。
「楽って、そんなに楽してなにがしたいの?」
金銭的、空間的な煩雑さから解放された余裕。
それをいったい何に使うつもりなのか、と。

私は、物を減らした今の方が楽だ。
息がしやすい、と思う。
それは、「自分が把握し、管理できる物の量」だからだと思う。
より少ないことが良い、というのではなく。
自分がちゃんと面倒が見られる量、というのがその人ごとにある。
で、私はそれがうんと小さかったのだ。
いつも自分の部屋の真ん中で途方に暮れていた。
圧倒的な物量だけで、その情報量だけで、頭がパンパンになる。
今はそんなことがない。それが嬉しい。

たとえば私は、文字の表記が苦手。
自分の服にも、子どもの服にも、「文字」が入っているものは選ばない。
家にあるパッケージ類もことごとく剥がすか、ないものにするか、文字がない方を向けている。
視覚に入って来る情報が多いと、処理能力を奪われる。

物を減らすことは、私にとってはそういう意味での「楽」だ。

主人公は、ゴミ屋敷に足を踏み入れてから、自分の生き方に疑問を覚えはじめる。
ごちゃごちゃと詰め込まれたそれらに囲まれ、彼は創造性が刺激される。
ここらへんから、過去の伏線(?ともかく主人公はろくでもないやつである)とか置いてけぼりで「結局なんだったんだ…」というラスト。
話の起承転結としてそれが必要だったにしても、お粗末だなあと思った。
しかしミニマリストの心理描写についてはグッサグサ刺さるので、ミニマリストを自称している人や、ミニマリストに嫌悪感を覚える人にはおススメ。

より少なく、より豊かに。
その嘘臭いキャッチフレーズは、「SDGs」に通じるものがある。
大いなる偽称。




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最終更新日  2022.12.03 23:55:43
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