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2022.12.22
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テーマ: 読書(8559)

本のタイトル・作者



女性の覚悟 [ 坂東眞理子 ]

本の目次・あらすじ


序章 令和の女性は輝いているか
第1部 女性の人生 昭和から令和へ
 1章 開かれた可能性は実現したか
 2章 思春期から青春時代の娘たちへ
第2部 後半期を生きる「覚悟」
 1章 50代からの無形資産
 2章 働き続ける覚悟


引用



若いときもそうでしたが、「だれかが助けてくれるんじゃないか」「同情してもらいたい」「社会が(政府が)なんとかするべきだ」などと他人に期待するのではなく、自分の人生の責任者は自分なのだと覚悟しましょう。その覚悟が定まると「今やるべきこと」「やれること」をせいいっぱいやるよりほかないのがわかってきます。(略)
人生をどう生きるのかは他人のせいではない、最終的には自分の責任と考えることです。(略)
他人の好意をあてにしたり、他人にしがみついたりしないで、一日一日を大事にし自分で生きていきましょう。


感想


2022年330冊目
★★★

1946年生まれ、東大卒。総理府入省。
1978年、31歳で総理府婦人問題担当室(課長補佐クラス)に公務員として勤務しながら、『女性は挑戦する――キャリア・ガールの生き方』を出版。当時、長女は5才。
その後、海外研修や留学をしながら、30代で10冊の本を出版。2人目の子どもを産む。
40代で管理職昇進。
1995年、埼玉県副知事。
1998年、オーストラリア・ブリスベン総領事。
2001年、内閣府初代男女共同参画局長。
2004年、昭和女子大学教授。
2007年、同大学学長。
2014年、同大学理事長。
2016年、同大学総長。


バリバリ働いて先陣となり道を切り開いてきたキャリア・ウーマン。

1985年に、雇用機会均等法が成立。
著者はまさに、女性の社会進出の最前線で戦ってきた人。
そんな人が、これから社会に出ていく女性のために書いた当時の本の読者(今は50代~60代?)を想定している感じの内容だった。
「50代からは~」という文言が多く登場する。


でも私個人としては、この人の言っていることはもう、ちょっと古いんじゃないかという気がした。
こんな大家の先駆者に私なぞが言うことは烏滸がましいことこの上ないと承知の上で。
ちょっともう、out of date なんじゃないだろうか。

読みながら違和感があって、それを「どこがどう」と説明するのが難しくて、でもそれは「男性」「女性」の二元論であったり、働く女性と言いつつ想定が「結婚」「出産」の単線ルートであったり、そういうところなのかなあ。
あとこの方、フェミニスト嫌いなんかな(フェミニストに「批判するなら実現できる代案を出せ!」と仰っていて、いかにも官僚的で現実的で建設的だなと思った)。

ただ、道なき道を、背丈ほどの雑草を薙ぎ倒してごりごりやってきた人なので、言ってることがもう、厳しい。
「自己否定は甘え」。
これね。グサッとくるよね。

『プシュケの涙』という小説に、「自分にもトラウマがあると殊更に言うことは、自分だって息をしているんだと言うのと同じ」という表現があって、それも未だに心に刺さって抜けない。

私は「自分のことが嫌い」って子どもの頃からずーっと思ってて、もうそれがデフォルトの思考回路で、「いかに自分には価値がないか」「自分のどこが嫌いか」「なぜ自分がこうなったのか」を考え続けていたんですよ。
でもある時思ったの。
たぶんそれ、裏返したら「自分が大好き」ってことじゃないかって。
だって自分の事ばっかり延々考えてるんですよ。どんだけ自己愛強いん。

自己否定することは、自己愛だけを抱いていることと同じなんじゃないか。
そして自己愛が満たさるよう、責任転嫁する先を探している子どもと同じ。
いたたたたた。

アドラー心理学でいうように、変えられるものは未来だけ。
過去がどうであれ、環境がどうであれ、よしんばそのせいで自分がこうなってしまったのだとしても。
自己否定は甘えだ。

その言葉がどれだけ鋭くても、ここから進むしかない。
血を流して歩いて行くしかない。

誰かのせいにする方が楽なんだ。
悪いのは自分ではないのだと誰かを責めて、うずくまって泣いている方が。

でもさ、子どもの頃からずーっとずーっと考えていて、思ったんだよね。
自分の足元にある深い深い、暗い暗い沼を覗き込むのは、もうやめよう。
心を囚われて動けなくなるその暗闇に、映るのは顔を歪めた私だけだから。
どれだけ眺めても、正しく見えることはないから。

大丈夫だ。オセロが反転するように世界は変わる。
嫌って嫌って、嫌い抜いてそれをずっと見つめているほど、私は私が大好きだったのだから。
それを認めてやればいい。

顔を上げて行こう。前を向いて行こう。
底なしの沼は影のように私の後を永遠について来るとしても。
未だ子どものまま大人になり切れない私は、すぐに俯いて、その闇に飲まれそうになるけど。

自己否定が甘えだというならば。
その反対は、自分のことを好きになる覚悟だ。
誰かを何かを愛して、生きることを選び続ける覚悟だ。
沼に足がはまって抜けなくなる時に、それでも前へ、足を進める力。

そしてそれは、「人間」というもののことであって、男女は関係ないよな、と最近思う。



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最終更新日  2022.12.23 00:10:14
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