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2023.09.13
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テーマ: 読書(8283)
書名


なぜではなく、どんなふうに (海外文学セレクション) [ アリアンナ・ファリネッリ ]

感想

多層的で重奏的で複視眼的な物語が私は好きで、これはまさにそれだった。

ドナルド・トランプ大統領誕生の頃。差別と分断が進むアメリカ。
イタリアからアメリカへ留学し、今は大学で教鞭をとる42歳のブルーナ。
イタリア系アメリカ人で医者である夫を持ち、自身もアメリカ国籍を取得した。
けれどいつまでも、アメリカに馴染めない。
知的上流階級、閉じられた「白人」だけの暮らし。
夫を支配しようとする義父母。自分たちの家庭よりも、「良い息子」であろうとする夫。

2人の子どもの子育てと家事に追われ、研究はままならず、非正規雇用の更新を繋ぐ。
そんな時ブルーナは、教え子であるムスリムの黒人青年・ユーヌスに出会う。
20歳の若者とともに、ブルーナははじめて窮屈な日常を飛び出す。
けれどそれも、ユーヌスが何も言わずにシリアへ立ったことで終りを迎える。
ブルーナは、彼がISISに加入するためにそこへ行ったのだと知る。
なぜ?
そしてブルーナのお腹には、ひとつの命が宿っていた。

とにかく色んな要素が盛り込まれていて、ひとつのテーマとして掲げられない物語。
でもそれぞれすべてがちゃんと物語の要素として成立していて、すごい。

ユーヌスがブルーナにあてた手記(手紙)には、以前に読んだ、

世界と僕のあいだに [ タナハシ・コーツ ]


アメリカで黒人であるということは、世界の端っこにいつも立っているようなもの。
少し足を滑らせただけで、あっという間に運命がひっくり返る。

この本は苛立ちや怒り、やるせなさ、虚しさ、悲しさがたくさん描かれているのだけれど、それと同じくらい「愛」についても描かれていると思った。
私が好きなのは、些細な描写。
たとえば、バスでブルーナが乗り合わせた女性が母親との電話の中で言った

「ママ、確かにあたしの身にはなにも悪いことが起こらないかもしれない。白人で、アメリカ国籍を持っていて、大卒で、異性愛者のあたしに、なにが起こるっていうの?あたしは、自分じゃなくてまわりの人の心配をしてるの。ジムのことが心配なのよ」



そのパブのバーテンダーは、ブルーナを匿い、紅茶を振る舞う。
なぜこのようなご親切を?と問うブルーナに、バーテンダーは答える。

「闇を、闇で追い払うことはできません。光だけがそれを可能にするのです。憎しみも、憎しみで追い払うことはできません。愛だけがそれを可能にします」


あるいは、ブルーナの息子マリオが、同級生からいじめを受けた時。
マリオは相手に一発食らわせたあとで、ハンカチを差し出す。
そして明日、君のために得意のハムサンドウィッチを作ってきてあげると約束するのだ。
それを目にした姉のミネルヴァは思う。立ち向かうことは、憎むことではない。

ユーヌスは、ブルーナに言う。
君の愛は、いつか君の子どもたちを通じて、たくさんの人に伝わるのだと。
君の無条件の愛を源にして。

いつか君がいなくなるときが来ても、君の愛は存在し続ける。ブルーナ、君の愛は世界を救うことができるんだ。


日本語版タイトルは、「なぜではなく、どんなふうに」。
これは第四章のタイトルから取られたもの。
もとは『青い眼が欲しい』という作品に登場する言葉だと言う。
この本の原題は「アメリカン・ゴシック」。
これは、ブルーナにあててユーヌスが書いた手紙のタイトルでもある。
有名なグラント・ウッドの絵画をもとにしている、ということで「?」だったのだけど、検索してみたら見たことがある絵画だった。
アメリカではとても有名で、風刺にもよく使われるのだそうだ。

ラストシーンは、先の章で読まれた作中の手紙、ユーヌスがブルーナにあてた手紙を、ブルーナが受け取るところで終わる。
「なぜではなく、どんなふうに、しかわからなかったブルーナへ」
これの日付が「ニューヨーク、2018年8月」
で、結局ユーヌスの生死はどっちだったんだろう?と思った。
作中の手紙本文は、2017年の7月、モスルが間もなく陥落するという場面で書かれて終わっている。
手紙の宛書を書いたのがユーヌスなら、生きて帰ってきたということ、だよね?
そうならいいのにな。

何かが起こる。なぜ?と問う。
けれどそれに至る道のりは長く、一言で語るとあまりにも型にはまって軽薄に聞こえ、本質を表すことはない。
どんなふうに、そこへ至ったのか。
ユーヌスの手紙でようやく、ブルーナはそれを知る。
なぜ?と問うのは、またひとつの暴力であり、権力の行使なんだろう。
答える側はいつも、その疑問に答えるよう強いられ(納得できる答えを出せ、と言われ)、力の下に置かれているのだから。
どんなふうに、というのは、横にいて話を聞く、ということだと思う。

ブルーナは、教養ある夫の両親が、無知であるよりもより悪く、優越感と閉鎖性、偏見をもっていることに驚く。
私にもそういうところがあるかもしれないと思う。自戒。


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最終更新日  2023.09.14 06:24:24
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