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■東京国際大が杏林大から勝ち点を奪い、東京新大学リーグを初めて制した。そして岩槻川通り球場に古葉竹識監督が宙に舞った。東京新大学野球春季リーグ戦で31日、元プロ野球広島監督の古葉竹識氏(75)が率いる東京国際大がリーグ加盟27年目で初優勝を果たした。就任4年目の古葉監督は、かつて広島を3度日本一に導いた名将。大学球界でも大きな花を咲かせた。勝ち点を取れば優勝が決まる最終カードの杏林大戦。前日に王手をかけ、この日は11-2で七回コールド勝ちした。勝ち点5の完全優勝に、古葉監督は「チームが一つになった結果。いい子たちに恵まれた」と孫のような選手をねぎらった。古葉監督は選手たちに「耐えて勝つ」と言い聞かせ、野球の厳しさを通じての人間形成を目指してきたという。山田亮太主将は「野球以外に、社会に出ても通じるあいさつや礼儀、身だしなみにも厳しい」と話した。就任して初めて指導した選手たちが最上級生となり、悲願を達成。胴上げで宙に舞った古葉監督は、ナインに対し「何十年ぶりの胴上げは、本当にうれしい。(全日本大学選手権に向け)神宮でも一つになって頑張るぞ」と言葉を掛けた。 (時事ドットコム)■いかに古葉監督が率いたチームであっても、東京新大学リーグは創価大の独壇場、他のチームが優勝するなど思いもよらないリーグだった。それなのに就任4年目で制覇するなんて「さすが!」というしかない。ボクは以前、東京新大学リーグを観戦するため、岩槻川通り球場や県営大宮球場に向けてMTBを走らせたものだった。その第1の理由は、埼玉の高校出身の選手たちが多い東京国際大のゲームを見るため。第2に古葉監督が就任した東京国際大のゲームを見るため。第3に流通経済大の選手だった神戸拓光(現・ロッテ)の長打を見るため。そして第4に創価大の脇山渉(現4年、愛工大名電高)の巧打を見るため。最近は観戦する機会がなくなったけど、東京国際大が優勝するなんて隔世の感がある。■古葉さんは就任当初、「斎藤君のいる早稲田と神宮球場で戦いたい」と抱負を語っていたが、1年だけ遅れてしまった。せっかく神宮出場(全日本大学野球選手権)を果たしたものの、すでに早稲田に斎藤佑樹(現・日本ハム)はいない。ただ古葉さんにとって、東京六大学リーグの代表・慶應義塾大にも浅からぬ縁がある。古葉さんがプロ入り前はノンプロ・日鉄二瀬でプレーしていたが、その時チームメイトだったのが現慶應監督・江藤省三さんの兄・江藤慎一さんだった。さらに東京国際大のコーチを務める息子・古葉隆明さんは慶應OB。隆明さんは広島城北高卒業後、二浪して慶應義塾大に進学し野球部に入部した。当時は、ほかの2人の選手とあわせ「二浪三羽烏」の異名を取った。92年秋季リーグ戦には、外野手として東京6大学リーグのベスト9に選ばれるほどの実績の持ち主だ。ちなみに、その当時ライバルの早稲田大には仁志敏久がいた。1日1クリックお願いします
2011.05.31
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■昨日(5月28日)、早慶戦の1回戦が行われ、慶應義塾大が先勝し春季Vに王手をかけた。今日は雨天順延となったが、慶應の優勝がほぼ確定したようなもの。早慶戦は何が起きるかわからないと言われるが、今の早稲田の戦力では慶應に太刀打ちできない。わずかの差で優勝を逃すのは、ボクが優勝候補に挙げた立教大。今季の成績は9勝4敗、勝ち点4。見事な成績だったが優勝にあと一歩届かなかった。悔いが残るのは対慶應の3回戦(4月12日)でサヨナラ負けを喫したこと。立教が1点リードして迎えた9回裏、一死一・二塁の場面で信じられないプレーが起きた。制球に苦しむ小室正人(3年・日野高)がやっと打ち取った当たりは、平凡なセカンドゴロ。ダブルプレーを焦ったか、二塁手がショートに悪送球。二塁ランナーが生還し、同点に追いつかれてしまった(その後、適時打を浴び、ジ・エンド)。あと少しで勝てた試合を落としたことが、ダイレクトにV逸につながってしまった。野球にエラーはつきもの。エラーをした選手を責められない。立教が負ける「流れ」が、あの試合のどこかにあったということだ。ボクがもうひとつ優勝候補に挙げた法政大は3位が確定した。チーム状態は「打高投低」で、課題は投手陣にあった。特にエース・三上朋也(4年、県岐阜商高)の不安定な投球が最大の課題だったが、最後の最後に(対明治大3回戦、5月23日)三上本来の投球ができた。速球、変化球をともに低めにズバッと決まめての完封勝利、チームを辛うじてAクラスに留めた。この経験を来季に活かし、真のエースになってほしい。■話を昨日の早慶戦に戻す。勝利を決めたのは6回裏、江藤省三監督が辰巳智大(3年、郡山高)に命じたスクイズ。新聞では「江藤監督の采配の妙」と書いていたが、実は「辰巳へのスクイズのサインは決めていたわけじゃないけど、『打て』(のサイン)なのに打たなかったからと直感的に出したもの」(江藤監督)が真相らしい。「打てのサインなのに打たない」・・・この言葉を聞きボクは『江夏の21球』を思い出した。近鉄・西本幸雄監督が、9回裏、石渡茂の打席を回顧して発した言葉がまったく同じものだった。一死満塁のチャンス。打席に入る石渡に西本監督が告げた言葉は、「打て!」だった。ところが江夏豊が投げた初球のカーブを平然と見送った石渡に、西本さんは「なぜ打たないのか?」 「打てと言っているのに打たなかった」石渡にもどかしさを感じ、直後の2球目にスクイズを命じる決心をしたという(NHKアーカイブスより)。慶應・江藤監督も近鉄・西本監督も「打てのサインなのに打たない」打者にスクイズを命じ、江藤さんは(結果論だが)成功し、一方の西本さんは(結果論だが)失敗した。同じ土俵で比較することではないけれど、スクイズのサインを出す監督の心情を思う。■「江夏の21球」。スクイズを失敗した近鉄・石渡茂と、スクイズを読んだ広島・水沼四郎捕手。この2人には中央大時代にチームメイトだったエピソードがある。二宮清純「プロ野球の時間」に紹介されていた。以下に引用。実は水沼と石渡は中大時代のチームメイトで気心の知れた間柄だった。(水沼は)バッターボックスに入る石渡に一言つぶやいてみた。「いつやるんだ? スクイズしかないのぉ」普段なら、冗談交じりで返してくる石渡が、このときはじっとグラウンドを見つめ、何もしゃべろうとしない。私の声に耳を貸さない。いや全く耳に届いていなかったかもしれない。「絶対に何かある」石渡の様子から、その思いは確信へと変わった。スクイズがあることは確実だった。(以上、「プロ野球の時間」)石渡と水沼は中央大時代のチームメイト? 極めて緊張感が漂う場面で、あまり知られていない人間模様があったのだ! ボクは2人の学生時代のことを調べてみた。ただ詳しいことはついにわからなかった。時期はズレているが、東都大学リーグのベスト9に選ばれた2人の名前を見つけることができたのみ。水沼は1965年秋と1966年春の2回(捕手部門)、石渡は1969年春と70年秋の2回(遊撃手部門)。ちなみに水沼が65年にベストナインを獲得した時、投手部門で選ばれたのが高橋善正(現・中央大監督)だったし、同じ頃、中央大には元・大洋の中塚雅幸や元・阪神の佐野仙好らがいることもわかった。■「江夏の21球」。ついでに江夏豊と平野光泰のこと。石渡がスクイズを失敗する直前、9回裏無死二・三塁の場面で、江夏は平野を敬遠した。一塁に向かう平野が江夏を睨みつけるシーンがあった。平野の江夏に対する態度はどこか親しげで、旧知の仲のように見えた。ボクはずっとそのシーンが不思議だったが、その答えも二宮清純「プロ野球の時間」に書かれていた。学年は江夏がひとつ上だが、二人は大阪で甲子園出場を争った間柄だった。江夏は大阪学院のエース、平野は明星の主力打者だった。(以上、「プロ野球の時間」)そうか、2人は本当に、高校時代から旧知の仲だったのだ。今度は2人の高校時代のことを調べてみた。すると『夢を叶える亀★宮大工のつぶやき』というブログに、2人のエピソードが紹介されていた。(江夏は)3年時(1966年)の全国高等学校野球選手権大阪大会ではチームとしてベスト4、個人としては予選7試合を1人で投げ、わずか3失点という成績を残した。この時の活躍が阪神タイガースのスカウトの目に留まり、「直球もよいが、なかなか頭の使える選手だ」として一位指名に踏み切るきっかけとなった。なお、高校時代には一度も柵越えのホームランを打たれたことがなく、唯一平野光泰(明星高校)にランニングホームランを喫したのみである。(以上、「夢を叶える亀・・・」)1日1クリックお願いします
2011.05.29
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■先週日曜日(5月22日)、「著名人が選ぶ『NHKアーカイブス』」というシリーズものの番組の第1回が放送された。今回の著名人は野村克也さん。そして野村さんが選んだのが、「スポーツドキュメント 江夏の21球」(1983年制作)。理由を「野球の面白さすべてが詰まった試合だった」と野村さんは語った。「江夏の21球」。この番組は、山際淳司さんの同じタイトルの作品をベースに、日本シリーズ「近鉄vs広島」第7戦(1979年11月4日)の9回裏の攻防を丹念に描いていた。単に試合経過を追うのではない。一球ごとに両チームベンチの思惑が交錯する様を映し、投手と打者の駆け引き(心理戦)の模様を詳細にあぶり出していた。■そして最も面白かったのは、マウンドに立つ江夏豊と味方ベンチ間に意識のズレが生じ、江夏が感情的になった場面。9回裏、江夏が安打と2つの四球で無死満塁のピンチを招くと、広島・ベンチの動きが急に慌ただしくなった。池谷と北別府がブルペンで投球練習を開始したのだ。そのブルペンの様子を見て、「絶対の守護神」を自認する江夏のプライドは大いに傷ついた。「何しとんかい!」。「ここまで来てマウンドを降りるわけにいかないじゃないか。誰がオレに代わるというのか」「ここで代えられるくらいならユニフォームを脱いでもいいんだ」。■ただ、この場面を振り返った広島・古葉竹識監督のコメントからわかったことは、江夏のプライドや感情とは無縁の、極めて事務的な手続きによるものだった。「仮にあの場面で1点取られたら、そのまま延長にもつれ込みます。やがて江夏のところに打順が回ってくる。その時どうしても代打を送りたい状況になったらどうするか。その時慌てて次の投手にウォーミングアップをさせても遅いですよ」よく言えば「冷静・緻密」、悪く言えば「(選手のプライドを軽んじる)冷厳」。番組中、野村克也さんは古葉さんの行動を後者のようなものだと指摘し「選手のプライドも考慮する必要がある」と話していた。(では野村さんが監督時代はどうだったのか? とテレビに向かって突っ込みを入れたくなったが・・・ま、そのことは、ここでは省略)。■さて、その古葉竹識さんが監督を務める東京国際大が大躍進している。東京新大学リーグで無敵だった創価大に連勝して、現在は勝ち点4の首位。今日から始まる最終カード(対杏林大)に勝ち点を挙げればリーグ初優勝が決まるのだ。そして全日本大学野球選手権大会の出場権を得ることになる。ぜひ神宮で東京国際大・古葉監督の姿を見てみたい。1日1クリックお願いします
2011.05.28
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■東京六大学・春季リーグ第5週、今日(5月8日)の第2試合・立教大vs法政大の結果は次のとおり。立 030 010 003 0 =7法 304 000 000 0 =7(立)斎藤隼-栃原-丸山-岡部賢-小室、(法)三上朋-北山-船本法政大の勝利が濃厚だった9回表、ドラマが起きた。一死走者なしから立教大の3番・松本幸一郎(3年、横浜高)がレフト前安打で出塁すると、続く4番・岡崎啓介(4年、PL学園高)がレフトスタンドへ2点本塁打を放って1点差に。そして立教応援席の歓声がまだ収まらない中、打席に入った5番・那賀裕司(4年、大阪桐蔭高)がレフトスタンドの、岡崎とまったく同じ場所に本塁打を放りこんで、同点に追い付いた。立教、恐るべし。■法政にとって引き分けは痛かったが、金光興二監督にとってこの試合にはもう一つの課題があった。それは本来エースであるはずの先発・三上朋也(4年、県岐阜商高)の公開試験を行うこと。まったく調子の上がらない三上に対し、金光さんは真のエースとして信じるのか、それともエースはおろか中継ぎに降格させるのか、その判断をする重要な試験が今日の試合だった。結果は「ほぼ合格に近いが、後日の追試終了後に正式発表」といったところか。得意のスライダーで空振りを奪えず、常に走者を背負う苦しい投球だった。そして6回を投げて被安打10(自責点1)は、決して褒められた成績ではない。でも三上は前を向き続けたことは評価できる、これまではそれさえ感じられなかったから。評価項目が「ハート」と「数字」とすれば、3段階評価で前者は「A」、後者は「C」・・・かな。 ■さて法政の1敗1分で迎える明日の3回戦のこと。法政の先発は現エース・三嶋一輝(3年、福岡工高)で間違いない。コマに困っているのは立教のほう。エース・小室正人(3年、日野高)が昨日に続き今日も2イニングを投げさせた。できれば明日の先発は回避したいところ。となれば、法政が勝利して明後日の4回戦に勝敗が決する公算が大だ。そして4回戦目は立教・小室、法政・三上のガチンコ対決になる。三上の追試になるこの試合の結果が三上自身の今後にも、そしてチームの(ほんのわずかな)優勝の可能性にも重大な影響を与えることになる。1日1クリックお願いします
2011.05.08
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■某月某日、オリックス球団事務所内の会議室にて。上司「5月と8月にやるレジェンド企画、早く内容を決めろと上(幹部)から催促されちまった。明朝の会議で報告しなきゃなんないから、終業時間までのあと30分でテキトーに決めようや。残業したくないしな」部下「そうっスね、オレも今夜は飲み会の予定があるし。サクサクっとやりましょ」上司「前回の会議では、選手に阪急のユニで野球をやらせて、ついでにグッズも売ろうってことだったな」部下「えぇ、だけど阪急だけじゃ地味っすね。どうせなら近鉄のユニも選手に着せて、グッズ販売したらどうです?権利の許諾だって近鉄は文句言えないでしょ。お手軽っス」上司「選手はまるで着せ替え人形だな。でも元阪急ファンに加え、元近鉄ファンもかき集めて入場料もグッズも売上2倍なら、良い企画だ」部下「そもそも元阪急ファンには納得感ある企画だし、元近鉄ファンだって・・・」上司「なんだ?」部下「あいつら好きな球団がなくなったんだから、昔の近鉄のユニ見せるだけで涙流して喜ぶんじゃないすかぁ。連中にとってはオリックス様々ですよ。今まで課題だった元近鉄ファンの囲い込みだってできます。元近鉄ファンの●%は球場に足を運ぶし、その内の▲%はグッズを必ず買っていくって皮算用もできますよ。まさに一石二鳥っす」上司「じゃ、次にイベントのタイトルを考えよう」部下「阪急が強かった時代はいつなんですか?」上司「おまえ、そんなことも知らないで球団のイベント担当をやってんのか? だいたい1970年代だな」部下「だったら、『蘇る黄金の70’s』ってのはどうですか?」上司「なるほど。でもな、近鉄が本当に強くなったのは80年代後半以降だ」部下「『蘇る黄金の70’sと80’s後半』はチト語呂が悪いな。だったらタイトルは阪急優先で『蘇る黄金の70’s』にして、サブタイトルに「(近鉄は)いてまえ打線の基礎を築いた」とか書いてテキトーにお茶を濁しましょ。コピーライターにそう言っときますよ」上司「そうか、そりゃいいアイデアだ。上(幹部)も喜ぶぞ。今日の会議はこれで終わり!」部下「はい、ちょうど30分です」■オリックスが「LEGEND OF Bs 2011 蘇る黄金の70’s」というイベントを始める。5月は阪急、8月は近鉄、それぞれのユニをオリックスの選手が着てゲームをすることになった。ホームページにはこう書いてあった。「阪急ブレーブスが黄金時代を築き上げ、近鉄バファローズがいてまえ打線の基礎を築いた、誇り高き70年代。(中略)2011年、新しい黄金時代へと歩み始めたオリックス・バファローズ。現代のBs戦士たちが、懐かしいあのユニフォームを纏い、フィールドに舞い降ります。また、復刻版ユニフォーム・キャップだけでなく、当時と今を繋ぐコンセプトのグッズを販売。(後略)」ボクがこの企画を初めて聞いた時、まっ先に頭に浮かんだのが冒頭の会議風景だった。まるでやる気のない、ファン心理などお構いなしのいい加減な会議でなければ、近鉄のユニフォームをオリックスの選手に着せる発想など出るはずがないと思ったから(これまでの経緯から阪急のことは理解できる)。もちろんオリックスという企業は、上から下まできっちり統制の効いた素晴らしい会社だと聞いている。 こんないい加減な会議であるはずはない。だけど元近鉄ファンだったボクからすると、ただただ神経を逆なでする印象だ。ファンを囲い込むどころか、逆にアンチ・オリックスファンが増加するように思う。いやいや、巨人のV9時代のように「アンチもファンの中(うち)」という考えで、意図的にアンチを急増させ、しっかりと売上増を企んでいるなら、さすがにオリックス!と拍手でも送ろうか。 1日1クリックお願いします
2011.05.03
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