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インフルエンザ+マイコプラズマでうっかり長々寝込んでいたら、3月が終わっていた。明日から仕事。寝込みすぎて、脚はがくがく、肌はがさがさ、声はがらがら、明日から接客業なのに。卒業前の最後の発表+職探し+フルタイムのパソコン学校+自動車学校+ドイツ語語学学校を一度に全部、は、欲のかきすぎだったよう。
Mar 31, 2005
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友人のチアリーディングの試合を観戦しに、カーナちゃんと大阪へ。帰り道、道頓堀極楽商店街で、たこ焼きと小龍包と冷麺と豆乳ドーナツを堪能。大阪贔屓・京都在住の妹に言わせれば、大阪以外のたこ焼きはたこ焼きでないそうだ。たこ焼きの魅力にあっけなくやられて早3年のドラちゃんは、2包み買ってきてはひとりでもくもくと平らげる。もちろん青海苔は自前で追加だ。京都花灯篭の最終日、あわててドラちゃんと祇園歩きへ。甘味になった生麩を初めて味わう。大学に入学した春、学校の前の居酒屋で、初めて生麩の田楽を口にした。大好きになった。以来数え切れないほど、もっと高価な生麩を食べる機会も持ったけれど、あのときの居酒屋での生麩の味は忘れられない。希望だけでからだがはちきれそうだった季節の、はじめての生麩の味。そして明日。今年最後のぜんざいを食べに、カーナちゃんとYY君と、おたべラウンジへと足を伸ばす。カーナちゃんにもYY君にも、研究室に行きさえすれば、毎日会うことができていた。何回分ものお昼ごはんを、わざわざ買いにいった抹茶チーズケーキを、カーナちゃんの故郷名産のみかんを、とにかくとことん一緒に食べた。これからは、約束をしなくては会えなくなる。舌の記憶が、残り少ない3月を、ますます寂しくさせる。明日渡独してしまうわけでもないのに。明日渡独してしまうわけではないのだが、こんなふうに、「日本の美味堪能三昧」の日々を送ってしまっている。4月から仕事を始めるバイト先の制服は、去年までの「OL風ベスト&スカート」から、「黒パンツ・パステルカラーのシャツ・腰ベルト、の、ちょっとお洒落なアパレル系?」に変更されているというのに。制服、大丈夫か、あたし??
Mar 21, 2005
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当たり前だけれど、新卒・6ヶ月という条件付きの職探しに苦戦した。6ヶ月で辞めることを伏せておく選択もあったのかもしれないけれど、あたしにはそれはできなかった。結局、以前のバイト先に、全ての事情を呑んでもらって勤務させてもらうことになった。ありがたい。でも、食べてゆくのにカツカツのお給料だ。4月から半年、二人で究極の貧乏暮らしが始まる。「ドラちゃんとしばらく離れて暮らすとしても、新卒で就職して日本で働いたほうがよかったのかな?」父親に弱音を吐いてみたところ、一笑に付された。「一緒に居ることが、いちばん大事なんだ。二人で一緒に居さえすれば、なんとかなるよ。」ドラちゃんがいつも口にすることと、奇しくも同じだ、一言一句。きっとそれはただしいことなのだと、ドイツと日本とで離れていた日々の感触を蘇らせてみながら、自分に言い聞かせる。コンビニでおにぎり一個を買うことすら勿体ないと感じたり、ため息をつきながら昨々々シーズンのスカートをはき続けたり、こんな安い化粧水で衰えの始まる肌が耐えられるだろうかと懸念したり、毎日に小さな嘆きや不満や不安や怖れがぷつぷつと浮かぶけれどもそれでもやはり、互いをそのぬくもりで包みあえることは失えないもののはずなのだ、と。愛さえあれば何も要らないなどと、あたしは言えない。わかっていることはただ、いちばんたいせつなもののためには、無理かもしれないことでもやってみるしかない時間が、時には訪れてしまうということ。
Mar 17, 2005
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研究室のドラちゃんを訪ねると、メールチェックを中断して私に走りより、いつもはしない「ほっぺに挨拶チュウ」をふたつ、まじめな顔で与えてくれた。「フランソワから、『ゾンネにはキスを二つ、ドラにはハグを』だって」。瞬間、フランソワのキュートな笑顔が、サンフランシスコのもぎたてオレンジの味とともにからだじゅうにひろがり、こころもぎゅっと絞られる。懐かしさの滴。サンフランシスコでの時間を、あたしたちはフランスからの留学生フランソワとともに過ごした。イタリアとフランスにそのルーツを持ち、北ドイツ人ドラちゃんとの見事な対照を見せ、あたしに微笑みと笑いばかりをくれたフランソワ。今日は見知らぬ街に3人でドライブ。ハンドルをにぎるのはフランソワ、地図なんて見もしないけどもちろん自信満々。車線変更でスペースを空けないアメリカ人ドライバーをののしり、片手ではあきたらず全身でサルサのリズムをとり、何はなくともとりあえず歓声はあげ、そしてその歓声に誰も反応しなくとも歓声をあげ続けながら、確信に満ちてフランソワは車をとばす。とばしながらも、彼女のエミリがフランス一素敵な女性であることを後部座席のあたしに対して力説してみせ、合間には、隣車線の美人にウィンクを送ることも忘れない。さて助手席のドラちゃん。フランソワが道をわかってなどいないことに、類まれなる方向感覚により早々と気づく。黙々と地図をながめ正しい道筋を完璧に把握し、フランソワに指示を出してはみるものの、ドラちゃんが「右」というその「み」では既に、フランソワは歌いながら猛スピードで左折を果たした後。再度修正をはかるべくちょっとむっとしながら黙って地図に視線を落とすドラちゃん、最早どこに向かっているかわからないことはわかったけれど、そんなことよりランチはやっぱりブリトーにしたいと、その素晴らしさを語ることのほうが忙しいフランソワ。内なる情熱に身を委ねる「ドライバー☆フランソワ」と、情報と状況とを的確に把握し目的地を最短距離で目指す「ナビゲーター★ドラ」の攻防は、予定していたレストランそのものではないけれどそれに類似したものに何故かたどりつくことで幕を閉じた。二人は、「どこに着いたんだろうね?人生は驚きに満ちている!!」、「そもそも4番目の曲がり角でボクの言うとおりに右に曲がっていれば、次の曲がり角では○○に着いていたはずで、そしたら・・・」と、それぞれの感想を口にした。もちろん最初のがフランソワ、後のがドラ。言うまでもないことだけれど。いろいろなことに焦り、きゅうきゅうと自分を追い詰めてしまう日々だけれど、「人生は短い。楽しみたいんだ。」と口にしたときの、フランソワの熱く深い瞳が目に浮かぶ。あたしの見過ごしてしまいがちな大切なことが、この世にあったことを思い出す。彼が教えてくれた、あたしの知らなかったサルサのステップと一緒に。
Mar 12, 2005
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久しぶりに家で時間のできた夕方、掃除をしていて禁断の箱を開けてしまった。実家を離れ京都に住み始めて以来の、両親と友人たちからもらった手紙のしまわれた箱を。アメリカから戻り、すぐ帰省をし再び京都へ戻り、卒業するための諸々を処理し、自動車学校へ通い、仕事を探し、パソコン教室へ通い、憑かれたように動き続けていた。ドイツへ移ることを含め人生を大きく変えようとしていることについて、考えたところで決めたことの何が変わるわけでもないことをわかってはいても、一度考え出すと自分の内へどこまでも沈んでいってしまうような気がして、動きをとめることが怖かった。やめたほうがいいと知っていながら、手紙の一通一通を読み返してしまう。実家を離れて一年目に頻繁に届いた母からの走り書き、私の健康を気遣う父からの短いファックス、誰にでもなれるし何でもできると思っていたころを共有していた友人たちのそれぞれに懐かしい筆跡、旅する人の多かった彼らが世界各地から送ってくれたその地での興奮や失望の綴られたはがき。父母は私と離れて暮らすことが最早日常になり、友人たちは新しい場所へとひとりずつ京都を離れていった。そして私は居続けた京都でドラちゃんと出会い、二人で新しい暮らしへ向かおうとしている。それが現実であるはずなのに、箱のふたを開けたとたん、時間が逆流してきて眩暈を覚える。こんなにも素敵な出会いを出会い、多くの愛に包まれていたことを痛いほど感じ、眩暈を覚える。ほんとうにこれでよいのだろうか。京都で暮らし始める私を故郷の駅まで送った帰り道で泣いたという父をおいて、ドイツへ行ってしまってよいのだろうか。先の目算もつかないままにこれまでしてきたことから離れてしまったけれど、これでよかったのだろうか。京都を離れてしまったら、確かに存在したはずの数え切れない愛しい瞬間を、私はどうやって抱えてゆけるのか。こうして気持ちがふきだすことが怖かったから、立ち止まることを避けていたのに。雨のせいかもしれない、しとしとと切れ間なく降り続きとうとう一日やむことがなかった。寝室へゆき、ドラちゃんの枕に顔をうずめてみる。ゆっくりと深く息を吸う。これが私の選んだ私の今のかけがえのない現実だと、納得できるまで、呼吸を繰り返す。やはり、立ち止まらずに残りの時間を駆け抜けてしまうしかない。やることをこなしてゆくうちに気付いたらドイツで暮らしていた、となるように。そのなかでも私はやはりときどき箱を開けるだろうけれど、開けたり閉めたりを繰り返しながら、眩暈を覚えずに箱をのぞけるようになるともっとよい。
Mar 11, 2005
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