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自分のためにも、誰かに見せるためにも泣かない妹が、私のために泣いてくれた。深紅の百合が鮮やかなブーケを手渡してくれ、涼やかに見張った両の眼を真っ赤に染め、「ドラちゃんと出会ってからのお姉ちゃんは、ほんとうに幸せで」と小さな小さな声を贈ってくれながら。美人画ばかりを描き続けた、美しい名前を持つ故郷の画家の作品を2点、抱きしめるようにして父は来洛した。切れ長の目線を斜めに流し、着物の襟元に粋を誇る大正美人に託された、父の願いと思い。「結婚して渡独するときに持たせようと思って、昨夏から用意していた」それだけ口にした後父は、瞳で触れようとでもするかのように、その美人画を眺め続ける。わたしたちの小さなキッチンで、母はドラちゃんのためにひたすら料理を続けた。その手料理は毒入りに違いないし、その正体は魔女に違いないと、憎しみをつのらせた日々があったことを、未だ生々しい痛みとともに思い出す。魔力はおそらくもう、ずいぶんとおとろえてしまった。こうした思いに幾重にもかこまれて、わたしたちは結婚した。思いの一粒一粒が空気に重さをあたえ、部屋の空気はまだ、少し濃いままだ。結婚4日目。わたしたち二人の暮らしは何も変わっておらず、わたしたち二人の人生は決定的に変わった。故郷の伯父がシンプルな言葉で私に伝えたように。「幸せになる義務ができたんだ。好きで結婚したんだから」。濃い空気に呼吸が浅くなりながら、ドラちゃんと、そして愛してくれるすべての人々の思いを、全身にずしりと感じてみる。
Jul 21, 2005
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もちろん世界はやさしくなんかないし安らかでもないのだ。それでもそう信じることのできた瞬間にこそ価値があるのかもしれず、そういう奇跡に価値を認めるならばそれを生き抜いてゆくしかないのかもしれない。ドイツ語検定試験の口答試験では、二人の試験官が破格の微笑みでわたしたちの結婚を祝福してくれた。おめでとう、と、それぞれ10回ずつは言ってくれたはずだ。週2回のドイツ語学校では、先生の一存で最近教材が変更になった。新しい教材のテーマはどれもなぜか「結婚」で、恋愛と結婚と離婚についての語彙を極端に増やすことができた。職場では、少し前まで私も持っていた瞳を持つ女の子たちが、「そろそろ秒読みですか?」と、明るい声でたずねてくれる。祝いの言葉を浴びるほどもらって、入籍まであと一週間で、そうして、自分が誰なのかどこにいるのかどこにゆきたいのか、わからなくなり、ドラちゃんと出会って以来の日記を読み返し始めた。「ほんとはそうではないことを知っているけれど、ドラちゃんの腕のなかで、世界は限りなくやさしく安らかで、その奇跡を生きてゆけるほどに強くなりたい」と、ドラちゃんと恋をはじめたばかりのわたしが綴っているファイルで、今日は時間切れとなった。さて。入籍までに、間に合うだろうか??だいじなものが、またきちんと瞳に映るようになるだろうか。
Jul 11, 2005
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