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兎角世人不学無術ゆえに、 尽(ことごと)く 古人の覆轍(ふくてつ)を踏みて存じ申さず候。 成敗する処は殊(こと)なれども、 本(もと)は同じ処より 敗れ申候も成り申候も起り申候。 それ故に深謀遠慮と申すことは 夢にも知らぬことに候。 一時を只(ただ)うかうかと 太平とのみ楽しみ候こと 長大息すべきことに候。「偉大なる対話」 安岡正篤 福村出版
2017年03月31日
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第二は、日本の「軸性効果」によって、 発展軸としての日本の経済成長が 関係諸国にプラスの波及効果をおよぼす という関係が成立している。 そのばあい、関係国には 必ずなんらかの国際化の気運が生じるが、 それはおおむね日本化である。 日本は、相手国の経済を日本化しながら、 それによって利潤を得て日本の成長をうながし、 そしてその利潤を再び相手国に投資するという、 すでに述べた 「ジャパノドックス」を繰り返すことになる。「フローの文明・ストックの文明」 矢野暢 PHP
2017年03月30日
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彼は確かに黒人奴隷制の廃止を宣言した。 いかにも人道的な人のように見えるが、 この宣言に前後して彼はダコタ族の討伐命令を下し、 その処刑まで命じている。 発端は白人側の裏切りで、 土地を取り上げた代償の食糧品などが粗悪を極めた。 怒ったダコタ族が決起すると、 待ってましたと騎兵隊が殺到して全滅させた。 いつもの手口だ。 このときは法に則って裁判を開いたというが、 たった五分で結審して三百人のダコタ族に 死刑判決が下された。 ミネソタ版の東京裁判といっていい。 リンカーンはそれを支持した。 人道的というにはほど遠くないか。 奴隷廃止も額面通りではない。 米国は 国際世論がうるさい黒人奴隷に替わる 格安の中国人苦力をとっくに見つけていた。 実際、ペリー来日前に 米の奴隷船から苦力が石垣島に逃げ込み、 ペリー艦隊の戦艦サラトガが砲撃、 上陸して逃亡した苦力をみな殺しにしている。「偉人リンカーンは奴隷好き」 高山 正之 新潮社
2017年03月29日
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その事象と本質的には結びつかなくても、 強い相関をもつ他の事象があれば、 それを利用するのも得策です。 第二次大戦中に、アメリカ政府は、 世界の各地で戦闘を指揮している将軍たちの 能力を評価するのに、 各将軍が消費した弾の量を めやすにしたといわれています。 消費した弾の量は、将軍の能力とは 本質的には結びつきませんが、 激戦を繰り返していれば弾の消費も多いし、 それだけの弾を消費するためには、 兵隊を効果的に働かさなければならないし、 弾の補給や輸送もじょうずに やりくりしなければなりませんから、 弾の消費量と将軍の能力との間には 強い相関があったのでしょう。「評価と数量化のはなし」 大村平 日科技連
2017年03月28日
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この「知恵」も、 持つてゐる人自身それに気付いてはゐない。 「貿易摩擦」のたびに、「教科書問題」のたびに、 ただひたすら頭を下げつつ、 さうすることによつて自分達が いかに断固たる民族主義をつらぬいてゐるか、 といふことには気付かないのである。 これはそもそも「気付かぬこと」を 特徴とする知恵とも言へる。 われわれのこの民族主義は、 「民族主義」として自覚された瞬間に その民族的性格を失ふのである。 何故かと言へば、 「和の世界観」は己れを主張せず他に沿ひ従ふ、 といふことを基本としてゐて、 それなしには成り立たない。 したがつてそのやうな態度を 一つの「主義」として吹聴すること自体が その基本に背くことになるのである。 かと言つてまた、 世界の他の人々の世界の見方に素直に沿ひ従へば、 世界を力と力のぶつかり合ひ と見なければならないことになり、 それも又われわれの「日本精神」に抵触する。 この難題を、戦後のわれわれは 独特の仕方で切り抜けてきた。 すなはち、世界の他の人々もすでにみな 「和の世界観」の内に生きてをり、 われわれはただ その世界の趨勢にしたがつてゐるだけなのだ、 と思ひ込むことで、それを切り抜けてきたのである。 かう思ひ込んでしまへば、 「和の世界観」を主張することが、 少しも我を張ることではなくて、 ただ他人様の言ふ通りを繰り返してゐることになる。 誠に見事な切り抜け方だと言はねばなるまい。「からごころ」 長谷川三千子 中公文庫
2017年03月27日
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子夏莒父(きょほ)の宰となり政を問う。 子曰く、速かなるを欲するなかれ。 小利を見るなかれ。 速ならんと欲すれば達せん。 小利を見れば、大事成らず。 子夏が莒父の邑の代官となり、 政治のやり方を尋ねた。 子曰く、成功をいそぐな。 目前の小利に惑わされるな。 成功をいそぐと息ぎれがする。 小利に惑わされると、大きい事業はできぬものだ。「論語の新研究」 宮崎市定 岩波書店
2017年03月24日
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考へてみるにこの「百年」といふ長さも、 世界史の中で「植民地の時代」といふ 題をつけて目の前におかれれば、 滑稽な長さと思ふ者はゐないであらう。 西洋人達が本格的にアジア、アフリカを分割し 支配し始めてから、 再びその大部分の国々が独立するまでが ほぼ百余年である。 その百余年、アジアでもアフリカでも、 それぞれの悲惨な「百年戦争」を 戦はなかつた国はなかつた。 それがいかに絶望的な戦ひであつたかは、 その中でともかくも戦争の体をなして、 一応の勝利ををさめたのが エチオピア戦争と日露戦争だけ であつたことを見ても解る。 日本もまた、 その片隅で自らの百年戦争を戦つたにすぎなかつた。 例外的に善戦したとは言へ、 本当の意味で敵をしりぞけたことは一度としてない。 その百年間の途中で日本ひとりが アジア・アフリカ諸国の群れから抜け出し、 見事「敵側」の一員になりおはせた と考へる日本人がゐたとしても、 「世界」はそれを決して認めなかつたし許さなかつた。 昭和十年前後の欧米の日貨排撃を見ても、 白人達がいかに根強く白人以外の者を容れないかが解る。 日本はアジアの一員以外のものにはなり得なかつた。 また実際、ならうともしなかつた。 あの戦争の悲劇は、 日本があくまでもアジアの一員として 踏みとどまらうとした決意の内にあるので、 ちなみに「悲劇」とは、 避けられない運命に背を向けずに立ち向ふことを言ふ。 林房雄氏がこの中で、 「東亜百年戦争」はそもそもの始めから 勝ち目のなかった抵抗である。 しかも戦わなければならなかった。 そして日本は戦った。 何という「無謀な戦争」を われわれは百年間戦って来たことか! と言ふのもその意味である。「からごころ」 長谷川三千子 中公文庫
2017年03月23日
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まず第一は、「日本圏」が、 いわば拠点結合型のネットワークとして成立している ということである。 それは、基本的には、 合理的思考と合理的計算の能力を備えた 都市のリンクである。 港湾同士を結合する海域世界型のリンクでもあり、 国際空港で結ばれる空域世界型のリンクでもある。 しかし、今後、国際化・情報化・サービス化などの 新しいモチーフがそとに持ち出されることによって、 ある種の情報拠点間のリンクともなろう。 そのばあい、「日本圏」は、 情報産業圏、あるいは経済的主題共有圏ともなる。「フローの文明・ストックの文明」 矢野暢 PHP
2017年03月22日
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ギリシャ・ローマ劇は、 内的発展の主題を許さないと同様に、 純粋な歴史的動機をも容れない。 そうしてギリシャ的な本能が造形美術のなかで どんなに決定的に肖像に反抗したかは、 よく知られている。 ローマ帝政時代になるまで、 ギリシャ・ローマの芸術は自己にとって自然的な材料、 すなわち神話だけしか知らなかった。 ヘルニズム時代の彫塑の 理想的肖像でさえも神話的であって、 プルタルコス風の類型的な伝記と同様である。 偉大なギリシャ人のどんな一人でも、 経験した時代を自分の内的な目をはっきりさせるべき 追想録を書いたことがなかった。 ソクラテスは一度も自分の内生活について、 われわれの意味でいう重要なことを 述べたことがなかった。 パルチヴァル、ハムレット、ヴェルテルの成立を 当然の衝動として前提にしているものが、 ギリシャ・ローマの魂において 可能であったかどうかは疑わしい。 プラトンにあっては、 その学説の発展意識の跡を尋ねることができない。 彼の個々の著作は、 ただ彼がその時その時の種々な立場から 書かれたものに過ぎない。 それらの発生的な関連は 彼の考慮したところのものでなかった。「西欧の没落」第一巻 O・シュペングラー 五月書房
2017年03月21日
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独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソンは 黒人女性サリー・ヘミングスを 隠し妻にしたことで知られるが、 彼女は正確には八分の一の黒人混血児だった。 つまり繁殖用に輸入された曾祖母が まずブリーダーの白人に犯され、 生まれた娘がまた白人に犯され、 孫も犯されてサリーが生まれたということだ。 彼女がずっと隠し妻だったのは当時、 黒人女性など有色人種と白人が 性交すること自体が罪とされていたからだ。 それでもジェファーソンは 「人は等しく創造され、 生命と自由と幸福追求の権利を持つ」 と書いて恥じるところがなかった。「偉人リンカーンは奴隷好き」 高山 正之 新潮社
2017年03月17日
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国に五寒有り。 而て冰凍(ひょうとう)は与(あずか)らず 一に曰、政外(はず)る (政治のピントがはずれる) 二に曰、女(じょ)厲(はげ)し (女がはげしい、出しゃばる) 三に曰、謀泄(も)る (国家の機密が漏洩する) 四に曰、卿士(けいし)を敬せずして国家敗(くず)る 五に曰、内を治むる能はずして而て外を務む この五者一たび見(あらわ)るれば 祠ると雖(いえど)も福無く禍を除けば必ず得、 福を致(まね)けば則ち貸(たが)ふ (漢・劉向・説苑・敬慎)「偉大なる対話」 安岡正篤 福村出版
2017年03月16日
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元来インド文化は、 どんな意味ででも「何時」に対する感情を 少しも持っていなかった。 純然たるインド星学もなく、インド暦もない。 そこで歴史が 意識的な発展の知的表現物といっていいならば、 インド史というものはない。 この文化の有機的な部分は、 仏教の発生とともに終わってしまった。 われわれがその具体的な経過について 知るところのないのは、 紀元前第十二世紀から八世紀までの、 確かに大事件に富んでいると思われる ギリシャ・ローマ史について 知るところのないより以上なのである。 両方とも、ただ夢幻的な神話的な形態をして そのまま固まってしまった。 仏陀の後、満一千年を経て、紀元五〇〇年頃、 初めてセイロンで かすかに歴史的記述と思わせるもの、 すなわち『マハーヴァンサ』が生じたのである。 インド的な人間の世界意識が 非常に無歴史的な性格のものだということは、 一人の著者の著わした本の出現を、 一度でも時間的に確定された出来事と 認めなかったことによっても知られる。 特殊な個人の有機的な一連の著作のかわりに、 各人が思うがままに書きこんだ 掴まえどころのない一塊りの文句が だんだんと出てきた。 そうして個人の知的所有とか、思想の発展とか、 知的な新紀元とかいう概念は まったく問題とならなかった。 インド哲学はこの無名的な形態 ――これこそインド史全体の形態である――として、 われわれの前に存在している。「西欧の没落」第一巻 O・シュペングラー 五月書房
2017年03月15日
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対酒当歌 人生幾何 譬如朝露 去日苦多 慨当以慷 幽恩難忘 何以解憂 唯有杜康 酒に対して当(まさ)に歌うべし 人生幾何(いくばく)ぞ 譬(たと)えば朝露の如し 去る日苦(はなは)だ多し 慨(がい)して当に以って慷(こう)すべし 幽恩忘れ難し 何を以て憂を解(と)かん 唯だ杜康(とこう)有るのみ[十八史略の人間学] 守屋洋 新人物往来社
2017年03月14日
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今、支那は大変だ。 ここの経済を支えてきた米国が不況でこけて、 経済成長率は危険水域の六%まで落ち込んだ。 各地の暴動は絶えず、 このさい共産党独裁をやめて 民主化、連邦化をという「08憲章」まででてきた。 こういうとき南京大虐殺の嘘を叫べば 好きにカネを引き出せた日本も、 毒餃子以来思うようにカネを出してくれない。 ということはホメイニ師の あの時の状況とほとんど同じになる。 で、どこと戦争をやるか。 幸いというか、すぐ隣に台湾がある。 北京政府に楯つき独立すら叫んできた。 しかも出自は同じ中国人。 戦争になっても「他国への侵略」とは受け取られない。 政権維持の犠牲にはもってこいだ。 それでミサイルを配置し、潜水艦を遊弋させた。 破綻はいつ来てもよかった。 しかし相手も同じ民族だ。 考えることはすぐ分かる。 防御本能はすぐに民進党を後退させ、 馬英九を総統に選んだ。 彼は陳水扁に手錠をかけ、 邸義仁も捕らえて丸坊主にした。 その上で北京に恭順の意を表し、 人も飛行機も乗り入れ自由を約束した。 北京は失望した。 これでは台湾は戦争相手にはならない。 で、どこにするか。 ぐるっと見回して結局「あそこ」しかなかった。 先日、尖閣諸島に二隻の北京印の船がきて 退去命令を無視して半日居座った。 麻生首相が温家宝に抗議したら、 謝罪もしないで開き直った。 一方で田母神論文には沈黙する。 この論文がきっかけで朝日新聞のいう 「偏狭なナショナリズム」が蔓延すれば、 北京の刺激でいつか立派な戦争になると読んでいる。 (二〇〇九年一月一・八日号)「偉人リンカーンは奴隷好き」 高山 正之 新潮社
2017年03月13日
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われわれは目下のところ、 本当の戦争の危険については 国中でしつかりと瞼を閉ぢてゐるのに等しい。 これはちやうど、 戦時中大部分の人々が自分達が相手にしてゐるものの 強さ大きさに目を閉ぢて戦つてゐたのと似てゐる。 但し、実際に強大なものに襲はれて もはや逃げることも出来ない時の唯一の策は、 ただしっかりと目を閉ぢて 遮二無二あばれ回ることである。 戦時中の日本人は その唯一の策にしたがつて行動してゐたのだとも言へる。 しかし、戦ふのではなく要心をすべき者が 目を閉ぢてゐてはお話にならぬ。 われわれはまず、 「敵」といふ言葉を怖れずに、正確に、 あの戦争は一体何であつたかを振り返る必要がある。 戦争前に生まれた者は 自らをもう一度知り直すために。 終戦後に生まれた者は、 自らを生み出したものを正しく知るために。 少なくともそれだけのことは 是非しておかなければならない。「からごころ」 長谷川三千子 中公文庫
2017年03月10日
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支那文化を現わす代表的な言葉は 「蕩々」の二字でしょう。 蕩々という文字には三つの意味がある。 一つは規模(スケール)が大きいこと。 第二は、なめらか・円滑・柔軟・弾力的などの意味。 第三は、悪い意味になって、 いわゆる放蕩などと使う蕩、 とろける、だらしがない、やわらかい、骨がない、 というような意味。 確かに支那の民族・民性・文化には、 良い意味、悪い意味、あらゆる意味において 「蕩々」たるところがある。 「王道蕩々」であります。 日本文化を現わすのは「稜々」という言葉です。 気骨稜々を愛し、 王威に関しても御稜威といいます。 支那的なものには稜がない。 それが蕩であります。「東洋学発掘」 安岡正篤 明徳出版
2017年03月09日
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いま、 あらゆる先進諸国において、 国家と民間企業、国家と市民との関係は 大きく変っていっている。 市民との関係においては、 かつて行き過ぎた国家主義にはしり 市民の自由を束縛した国、 好戦的な歴史をたどり 市民の人倫を踏みにじった国などで、 国家権力の呪縛への批判的な眼が育ち、 国家論の見直しが行なわれている。 比喩的にいえば、 国家の(過去帳)みたいなものが いま改めて問われているのである。 市民登録と納税義務、あるいは徴兵制度だけで 国家にしばられていた人びとが、 そうされることを拒否する感覚によって、 いま新しい種類の超国家的発想が生まれつつある。 そして現に、さまざまなかたちの 国境を超える人びとの自由なフローを、 全世界的規模で活性化させていっているのである。 そういう基盤のうえで、 国家と企業との関係も大きく変っていっている。 経営活動の範囲を一国内に限定する 古典的な企業経営の形は無意味になり、 国家の枠を超えることで 人為的にさまざまな比較優位の条件を 求めることのできる多国籍企業が、 急速に世界企業の主流になっていっている。 日本企業の感覚も、 円高による(八五年革命)ともいうべき 経営基盤の変化によって、 国家の枠にしばられることの不都合さを つよく意識する方向に流れていっている。 そして他方、いずれまもなく、 外国人労働者の日本流入が現実化する 時代を迎えないともかぎらない。 ことごとくが、必然的な時代の流れなのである。 それを私は、メタ国家状況とよぶ。 つまり、国家が絶対であった時代が過ぎて、 国家と市民、ないし民間企業とが 柔軟な不離不即の関係を結び、 そのことによって国家の論理そのものが 抜本的変化を強いられるような状況のことである。「フローの文明・ストックの文明」 矢野暢 PHP
2017年03月08日
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ノーベル賞の裏にある 騙(かた)りや偏見をなぜ報道しないのか。 裏は実際、とても汚い。 例えば第一回のノーベル医学賞は ジフテリアの血清療法に与えられた。 北里柴三郎が破傷風に次いで手掛けた 血清療法の第二弾で、 ドイツ人エミール・ベーリングと 共同研究の形で発表された。 しかし受賞はベーリングだけ。 北里は黄色い人種ゆえに受貴から外された。 同じころ高峰譲吉が 副腎皮質ホルモンを世界で初めて結晶化し、 アドレナリンと名付けた (石原藤夫「発明特許の日本史」)。 しかし日本人はここでも無視され、 それをいいことに米国のジョン・エーベルは 「高峰が私の発見を盗んだ」と言い出した。 ギャロには先輩がいた。 米医学会もそれに乗って エーベルの名付けた「エビネフリン」を 正式の名にした。 不思議なことに日本の役所も戦後、 米国名に倣っていた(同書)。 米国にはギャロがまだまだたくさんいて、 J・アクセルロッドは アドレナリンを脳伝達物質として理論づけ ノーベル賞を取った。 高峰の名も業績も消された。 鈴木梅太郎は第一次大戦前、 オリザニンを発見した。 人類を脚気から解放した大偉業だが、 これまた米国人のC・ランクが ビタミンと言い換えて発表した。 まず日本人の名付けた名を消し、 次に業績も 「コメ糠に脚気の治癒効果がある」と予言した オランダ人C・エイクマンがノーベル賞を受賞した。 ビデオからステルス性能まで生み出した フェライトは昭和五年に TDK創始者の武井武が発明した。 オランダのフィリップス社が これに興味を持ちサンプルを求めてきた。 武井が親切にサンプルを送ると、 同社はギャロと同じことをした。 サンプルを分解し、 理論を突き止めて世界に特許を申請した。 戦後、GHQの命令で 日本はフィリップス社の特許を飲まされた。 武井武の名は消しさられた。 さすがに同社は ノーベル賞までは言い出さなかったが、 それを見た仏物理学者ルイ・ネールが 武井理論を自分名で出してノーベル賞を受貸した。 慶応医学部の小林六道は 猫の胃から螺旋菌を見つけた。 あの強い胃酸の中に菌がいる。 大いなる発見だが、 小林はさらにその菌をウサギに接種してみた。 ウサギは胃潰瘍を起こした。 彼はそれをヘリコバクタ菌と命名した。 オーストラリアのバリー・マーシャルは その螺旋菌を自らの胃に接種した。 胃潰瘍が起きた。 胃がんのもと、ピロリ菌の発見だ。 彼はノーベル賞を受質したが、 小林の名と業績を語ることはなかった。 二十世紀を通して反日キャンペーンを張った サンフランシスコ・クロニクル紙。 朝日新聞の先輩格だが、 この新聞は日本を嫌悪する根拠に 「Brown steal white brain (白人の知恵を盗む有色人種)」を挙げていた。 よく言う。 そんな白人を黙らせて来週、 四人の日本人がノーベル賞を受賞する。 (二〇〇八年十二月十一日号)「偉人リンカーンは奴隷好き」 高山 正之 新潮社
2017年03月07日
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ギリシャ人がエジプトの例にならって、 暦とか年表とかのようなものを編もうという、 ずっと後に生じた試みは、 非常に素朴なものである。 オリュンピアスによる計算は、 例えばキリスト年代のような 紀元ではないはかりでなく、 純粋に文学的な後世の間にあわせ物で、 民間に流布したものではない。 二、三の学者が 暦の問題に関心を有していたにしても、 民衆は、 父母や祖父母の閲歴の日時を確定する計算を 少しも必要としなかった。 ここで重要なことは、 暦が善いか悪いかではなく、 それが使用されているかどうかということである。 しかし 五〇〇年以前のオリュンピア競技の勝利者の表も、 古いアテナイのアルコン表とローマの執政官表と同じく、 一つの創作である。 植民に関しては、 正しい年代はただの一つもない 「五世紀以前のギリシャでは、 歴史的事件の報道を記載することは誰も考えなかった」 エリスとヘライヤとの間に結ばれた ある条約碑銘はあるが、 それは「この年から百年間」有効となるべきものである。 しかしこの年がどの年であるかは挙げられていない。 そこで数年の後には この条約がどのくらい存続していたかを 誰も知らなかったのであろう。 そうしてたしかに 誰もそのことを予見していなかったのである。 おそらくこれら「現代人」は、 それをすぐ忘れてしまったのだろう。 例えば「トロヤ戦争」のような、 その段階からいえば、 正しくわが十字軍に相当する事実を 年代順に排列することは、 まったく不都合なことと感ぜられたであろう。 そのことは ギリシャ・ローマの歴史表象の伝説的な、 子供らしい特徴をよく現わしている。「西欧の没落」第一巻 O・シュペングラー 五月書房
2017年03月06日
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いまもまた、我々は、自分達が何者であるかを 本当には見ないことによつて、 我々らしさを保つて生きてゐる。 そしてこの生き方を貫くためには、 「見ない」といふことに 絶えず神経をとがらせてゐなければならない。 あちらに一つ、こちらに一つと覆ひをして回りながら、 しかもさうして心せはしく目をそらせてゐること自体を 自らに隠しつづけなければならない。 さういふ無意識の努力が限界に達するとき、 その覆ひの下から顔をのぞかせるのが、 漢意のもつあの「おぞましさ」なのである。 おそらく、いま我々のなすべきことは、 それを覆つてゐるボロかくしの布の、 こちら側とあちら側を持つて引つ張り合ふやうなこと ではあるまい。 いかにして隠さうか、又はいかにして暴露しようか といふことが問題なのではない。 大切なのは、いかにして、 もはや隠すことに汲々とせずにゐられるやうになるか、 といふことなのである。 我々の本来の在り方を破壊することなく、 しかも自分自身を見ることを恐れずにゐられる―― これが、我々の目指すべき安心の境地である。「からごころ」 長谷川三千子 中公文庫
2017年03月03日
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孔子曰く、不祥に五あり。 それ人を損して自ら益するは身の不祥なり。 老を棄てて幼を取るは家の不祥なり。 賢を釋(す)て不肖に任ずるは国の不祥なり。 老者教へず幼者学ばざるは俗の不祥なり。 聖人伏匿(とく)して 愚者権を擅(ほしいまま)にするは天下の不祥なり。「東洋学発掘」 安岡正篤 明徳出版
2017年03月02日
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最後、第四に、 経済外交から技術外交へと 外交の比重が移行する近未来状況に備えて、 対外機能、 とくに外務省機構の整備が求められねばならない。 外務省の機構にしても、 科学技術がらみの問題に対応するのが 所属不明の科学課でいいかどうかは、 大いに疑問であろう。 二十一世紀の外交をにらんだ 新しい機構の組立てが考えられていいように思う。 科学技術政策を推進するにあたって、 政府の果す役割をより積極化するということは 望ましい。 中曽根前政権で、 日本は科学技術政策について世界に向けての 積極的発言あるいは提案を開始した。 とくに、ベネチア・サミットで提唱された 「ヒューマン・フロンティア・サイエンス・ プロジェクト」は、 世界的に注目されている。 そのような日本のオリエンテーションは、 基本的にたいそう好ましいことである。 そのようなこともあり、 将来に予測される科学技術の大型化それ自体が 政府の役割の積極性をうながすわけだが、 政府の役割が効率性をもつためにも、 産官学の合理的な結びつきが ますます求められるようになろう。 政府の積極的な発意と配慮による研究開発活動は、 日本の国際的地位の高まりにつれて、 ますます重要視されねばならない。 その点、最近になってきまった 科学技術摩擦を検討する閣僚級会議の設置は、 意義深い発想であったと思われる。 なにはともあれ、科学技術の未来は無限である。 科学技術の国際的なルール化は、 今後とも世界的規模で図られていくわけであり、 そのなかで日本が果す役割は ますます大きくなることであろう。 未来感覚に導かれることの下手な日本人が、 いまこそ未来感覚に導かれるべき ときがきているのである。 今回の日米技術摩擦は、 いわばことの前哨戦でしかない とみておいたほうがよかろう。「フローの文明・ストックの文明」 矢野暢 PHP
2017年03月01日
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