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同じ客観的条件が 20年前は日本経済が不振である理由に用いられ、 そして現在は優勢である理由に使われるのは 何故だろうか。 しかもそれはそう変に聞こえない。 20年前も確かにそうだと思われたし、 現在も確かにそうだろうと思われるのは 不思議なことである。 これは、 その間に日本人の“主体的努力”があったからである。 主体的努力が「禍を転じて福となした」のである。 「客観的条件+主体的努力=結果」 「人間の努力が客観的条件を越える」 何でも客観的条件や必然のせいにするのは、 無意識の裡にではあるが主体的努力を怠っている人を 甘やかす議論になるのである。「日本経済「やる気」の研究」 日下公人 PHP文庫
2017年05月31日
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故に兵は詐(さ)を以て立ち、 利を以て動き、 分合を以て変を為(な)す者なり。 故に其の疾(はや)きことは風の如く、 其の徐(しずか)なることは林の如く、 侵掠(しんりゃく)することは火の如く、 知り難きことは陰の如く、 動かざることは山の如く、 動くことは雷の震(ふる)うが如くして、 郷を掠(かす)むるには衆を分かち、 地を廊(ひろ)むるには利を分かち、 権を懸(か)けて而して動く。 迂直(うちょく)の計を先知する者は勝つ。 此れ軍争の法なり。「孫子」 金谷治 訳 岩波文庫
2017年05月30日
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勤勉とは何かという内容は刻々と変わっている。 日本人が国際分業の中で、 規格的商品の大量生産を担当していたときの勤勉さは、 真面目によく働き、長時間の単調な労働に耐え、 上司の命令はキチンと守って 口答えしないということだった。 しかし、今後は違ってくるだろう。 いつまでも工場現場主義ではなく イギリスのように 金融、保険、国際交流のとりまとめといった 新しいソフト面も、 これからは考えていかなければならないだろう。 我々は 先端分野の開発を担当する国にならなければならないし、 先端分野開発に役立つ勤勉さは、 いままでとは違ってくるだろう。 喫茶店にとぐろを巻き、 知らない人にでも やあやあと声をかけて何かを聞きだすとか、 自分のアイデアをうまく相手に吹き込む能力とか、 あるいはいろいろな統計を見、 いろいろな人の片言隻句を集積して、総合・分析し、 ユニークな発想がひらめく、などが必要になって来る。「日本経済「やる気」の研究」 日下公人 PHP文庫
2017年05月29日
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欧州人が私たちの家をみて、 ウサギ小屋だといったが、 私たちの家は、 欧米とはべつの哲学で建てられたものである。 建造物を永遠の生命体とは考えないのが 日本人の特徴である。 それに日本には貴族制度がなく、 ヨーロッパのように貴族制度を前提とした 財産の世襲や階級格差がないので、 〈ストックの文明〉ができにくい。 日本では、 人びとの所得水準は平準化しており、 行政も「ナショナル・ミニマム」の考え方で 貫かれているので、 すべてのひとがおなじような生活様式、 生活水準あるいは可処分所得の水準を 与えられることになる。 だから、 建てられる家の水準もだいたいきまっている。 こうして突き詰めていくと、 昔の基準では文明とはいえなかったものが、 実はまぎれもなくわが国の文明の 実質をなしていることがわかるのである。 〈フローの文明〉の特徴は、 思想的には徹頭徹尾、 無在庫の思想を貫くことである。 なるべく貯まるものはつくらないという、 無在庫の発想は日本人の特技である。 物理的に存在するものを文章などで表現することは 記号化と呼ばれるが、 この記号化、情報化も 無在庫化のひとつの手段である。 無在庫化のためには、 焼いたり壊したりするのが いちばんてっとり早いのだが、 それをしてはならないのが 文明のストックのおきてである。 だから、ほっておくと、 文明は在庫をもて余すことになり、 そこでひとつの知恵として フロー化の精神というものが生まれてくる。 日本人の感覚は〈フローの文明〉的なものに、 とにかく向いている。 私が驚いたもののひとつに、カプセルホテルがある。 このようなものは〈ストックの文明〉にはありえない。 外国のホテルは、歴史的に、 日常の生活様式の連続を 優雅に楽しむためのものだから、 一応の居住空間でなければならない。 そこには応接間やバス・トイレ、 できればキッチンも必要で、 日ごろ慣れ親しんでいる 物理空間の再現でなければならない。「フローの文明・ストックの文明」 矢野暢 PHP
2017年05月26日
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ロサンジェルス・タイムズ東京特派員 サム・ジャムスンが 阪神大震災の現場で「ここが違う」と指摘した。 通信は途絶し、警察機能も失われた混乱の中で 「山口組が彼らのアジトの前で 炊き出しをして被災民に配っていた」と。 こういう状況で よその国の人々の行動は決まっている。 例えばアフガンだ。 ここを支配するイスラム原理主義集団タリバンは 民に高いモラルを求めた。 それに背いて✖✖をしたら死罪、 泥棒したら左手首と右足首を切り落とした。 9・11のあと米国がタリバンを崩壊させると、 今まで家の奥に引っ込んでいた人々は 笑顔を取り戻して 政府施設から商店街まで好きに略奪した。 米軍はそれを温かく見守った。 クリントンの主宰するWTO閣僚会議が シアトルで開かれた折、 数万のNGOが抗議に詰めかけた。 警察が各国要人の警護にかまけて 市内の警備が手薄になると、 NGOメンバーは商店街を軒並み略奪した。 「折があれば略奪する」は アフガン人も米国人も共通した認識だ。 だから震災という略奪の好機を 山口組や一般市民が見逃すこと自体、 米国人サム・ジェムスンには 信じられなかったのだ。 戦争は略奪を国家規模にしたものだ。 イスラムは戦争を認め、 ただし略奪品の分配だけは公正にせよと教える。 キリスト教も同じ。 北清事変の折、 日本軍の奮闘で北京が平静を取り戻したあと ドイツ軍司令官ワルデルゼーは 「三日間に限って兵士に略奪を認めた」と 独皇帝ウイルヘルムⅡ世に書き送っている。 無制限でなく三日間に区切ったことが 文明人の証しだと思っている。 サダム・フセインを倒した「イラクの自由」作戦は 約三週間で終わった。 無警察状態のバグダッドでは 「数千の市民が国立博物館に押し入り シュメールの文化財など数千点を奪った」と ニューヨーク・タイムズが報じた。 正確に言うと略奪したのは市民のほかに 戦争勝利者である米兵と米ジャーナリストも含まれ、 盗品の大方は彼らが持ち帰った 米国の幾つかの空港で回収されている。 マレー上陸作戦の朝、 山下奉文司令官は「軍風紀を緊粛し 『焼くな、奪うな、犯すな』を厳守すべし。 従わざる者は処断し、 上官もその責任を問う」と訓示した。 よその国ならこれだけで兵士が暴動を起こす。「サンデルよ「正義」を教えよう」 高山正之 新潮社*文中の✖✖は、レイプの日本語ですが、NGワードのため変更しました。
2017年05月25日
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パックス・ブリタニカどころか、 パックス・アメリカーナでさえ 急速に過去のものとなりつつある現在、 日本の英語教育の主目標は 広く世界に向けられなくてはならない。 英語を世界語として学ぶことの 日本人にとっての意味、 そしてその具体的な方法と戦略は、 英語国の人々から学ぶことは出来ない。 いや学んではいけないのである。 それは日常生活の場では 一切の外国語が不用であるという 特殊極まる言語事情を国内に持ち、 それでいて国際的には英語という外国語を使って 強力な影響力を行使せざるを得ない立場に立った 日本人が、 自ら苦しみ自分の手で必死に摸索する以外に 解決の途のないことなのである。「武器としてのことば」 鈴木孝夫 新潮選書
2017年05月24日
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東窓涼月白 東窓 涼月白し 倦鳥赴前林 倦鳥 前林に赴く 洒落溓渓意 洒落(しゃらく) 溓渓(れんけい:周)の意 従容明道襟 従容(しょうよう) 明道(程)の襟(きん) 功論三代業 功は論ず 三代の業 詩就六朝吟 詩は就(な)す 六朝(りくちょう)の吟 非断金之友 断金の友に非ずんば 爭談心事深 いかでか心事の深きを談(かた)らん 断金というのは「易経」の中にある言葉で 「二人心をおなじうすれば、その利(利(と)きこと、 切れ味のいいこと)金を断ず」金でも切れるということで “断金の交“あるいは”断金の友“とか”断金の契り“という 熟語が伝わっております。 そういう断金の友に非ずんば、 いかでか心事の深きを談らんや。「偉大なる対話」 安岡正篤 福村出版
2017年05月23日
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いつの時代でも、どこの国でも、 人々が勤勉であった背景には必ず “勤勉が酬われる”という条件があった。 たとえば ① 日本には次男、三男がたくさんいた ② 大都市は一度焼け野原になったので 仕事の機会が多かった ③ 若者の活躍を白眼視する老人勢力が敗戦で一掃された ④ アメリカがB29の空襲をやり過ぎた と思ってかどうか、 新技術を日本にほとんど無料で どんどん教えてくれた ⑤ その資金も貸してくれたし、製品も買ってくれた ⑥ 随ってアメリカ方式を採用してマネをしさえすれば 面白いほど利益が得られ昇進もできた ⑦ 日本政府が小さな政府で民間活力が自由に発揮された 等々の特殊な事情も見落とされてはならないだろう。 黄金の60年代のアメリカ人も、 19世紀のイギリス人も、 18世紀のオランダ人も彼らが勤勉だったのは、 その報酬が大きかったからであり、 そうでなくなれば彼らも勤勉でなくなった。 だからプロテスタントの精神があったからだ、 とか、 移民の国だったからとかの理由はあまりあてにできない。「日本経済「やる気」の研究」 日下公人 PHP文庫
2017年05月22日
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完全な人生に活きようと思うならば 先ず現在の瞬間を能う限り価値高く活きるべし 完全人生の建設は、 何をおいても人生に活きる現在の瞬間を、 いかなる場合にも、たとえ身に病があろうとも、 また運命に非なるものがあろうとも、 できるかぎり心の態度を積極的にしてその事柄に対応し、 いいかえれば心の尊さ、強さ、正しさ、清らかさを 冒涜しないよう、 決して病や運命に心を負けさせない活き方= すなわちそうした活き方をしてこそ、 価値の高い人生に活きることになるのだ。「真理のひびき」 中村天風 講談社
2017年05月19日
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国家とか、国際社会とかいうものは、 歴史をひきずっている。 歴史というものは塑性をもちながらも、 剛性や硬性をもしたたかにもった力学であって、 そのような物理的力学を そう簡単に変えるわけにはいかない。 いま、 アメリカを同質国家に変えようといったところで、 できはしないのとおなじくらいに、 日本をアメリカみたいに 数十もの異民族よりなる多民族国家に変えよう といってもできない相談であろう。 国家の力学、民族の力学を崩すには、 それなりの時間とエネルギーの 投入が必要であるわけだが、 それは数世紀にもおよぶ大事業になるのが ふつうである。 以上で、 私は少なくとも三つの視点をここで提示した。 第一は、アジア・太平洋に築かれるべき トータルな国際人流をめぐる通念の体系の確立、 第二は、ヨーロッパ型の「脱植民地化」過程 にともなわれた国際人流は、 モデルとして無効であるという認識、 そして第三が、「コンスティテューション」論の 導入の必要、 この三つである。 私たちが、今後、 日本とアジアとの国際人流を考えるばあい、 この三つの視点がぜひ踏まえられてほしいものである。「フローの文明・ストックの文明」 矢野暢 PHP
2017年05月18日
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米国はペリーを派遣したとき、 日本の開国がどうの以前に 沖縄を武力占拠するつもりでいた。 そう命じた当時のフィルモア大統領の記録もある。 沖縄はすでにあのときから 米国が確保すべき戦略要衝とされていた。 実際、ペリーもそのつもりだった。 東回りルートでインド洋を抜けた彼は 上海で一休みしたあと、 八隻からなる艦隊を引き連れて那覇港に押し入った。 琉球の王は上陸を拒否したが、 ペリーは強行上陸し首里城にまで闖入した。 事実上琉球を占領したペリーの艦隊は那覇に居座り、 そこから小笠原諸島への調査や 石垣島の砲撃にも出かけている。 この砲撃騒動が世に言う石垣島事件だ。 前年、その辺を航行中の米奴隷船 ロバートバウン号で積み荷の苦力が暴れ出し、 乗り組み員を殺して船を乗っ取った。 しかし苦力に操船は難しかった。 船は座礁し、 生き残った約三百人の苦力が石垣島に逃げ込んだ。 巡洋艦サラトガの任務は白人を殺した逃亡苦力の処罰で、 石垣島に海兵隊を上陸させ、 苦力の逃げ込んだ山岳部を砲撃した。 百人ほどの苦力が捕まり、 島民の見ている前で全員が処刑された。 サラトガ艦長にすれば沖縄はとっくに米領土。 砲撃しょうが上陸しようが「俺たちの勝手」だった。 サラトガは任務を果して那覇に戻り、 次にペリーのサスケハナに随行して浦賀に向かった。 米国はその後、国内て南北戦争を始めて、 沖縄占領の方はいったんお休みになる。 その間に日本は近代化を進め、 沖縄のさらに南、台湾まで領有する。 米国もハワイを乗っ取り、 フィリピン、グアムを領有するが、 沖縄が「西太平洋の戦略要衝」 という認識は変わらなかった。 日米戦争の終末に展開された沖縄攻略戦は、 だから「本土の捨て石」としてではなく、 百年かけた米国の太平洋戦略の 最後の仕上げとなるものだった。 彼らにとってその価値は今も変わらない。 沖縄にあれだけの基地が集中している理由も それで理解できるはずだ。「サンデルよ「正義」を教えよう」 高山正之 新潮社
2017年05月17日
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日本人の勤勉性を多くの人は 日本の気候・風土・歴史・民族性・文化遺産 などから説明するので、 聞く人はそれなら日本人の勤勉性は 半永久的に続くものだと思いがちだが、 決してそんなことはない。 その崩壊現象はすでに始まっている。 たとえば若者が就職にあたって 民間企業より公務員を選ぶ、 大都市栄転よりも地方永住勤務を望む、 サラリーマンよりも 医者、弁護士その他自営業を好む、 新分野に挑戦せず父親の事業の後継者になる、 残業や海外勤務を嫌がる、等々。 しかもレーガンを再選させたアメリカと違って 日本は行政改革をまだやっていない。 そのため歳出がカットされない。 だからやがて大増税がやってくる。 それは多分サラリーマンを直撃するだろう。 特に国会議員の定数改正が アメリカのように機械的に行われないから 大都市のサラリーマンは、 ますます大きな犠牲を強いられるいだろう。 そうなると大都市のサラリーマンは 必ず“やる気”を失うに違いない。 アメリカ人はいつも我々に対して “日本人は働き過ぎだ“ “日本人はマネが旨い“と攻撃する。 それから”日本人はいつも集団でかたまっている“とか ”口を開けばカネの話ばかりで文化や趣味の話が全然ない“ とも言う。 しかし、 これは日本人全部のことではなく、 たんに大都市のサラリーマンのことだと思う。 だがご安心ください。 そういう人になりたいという志望者が減少し始めている。 さらに働いても増税でもっていかれるばかりで 昇進もポストがつかえるとなれば、 その人達もやがてやる気を失う。 だから数年後にはおそらく ”昇るアメリカ、沈む日本“になるのではないか。「日本経済「やる気」の研究」 日下公人 PHP文庫
2017年05月16日
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真人たらん者は 常住心鏡の払拭を心に心して怠るべからず 要するに 心は全体生命の現実更生の根本義なるがためである 心というものは、相当注意を周到にしても、 ややともするとすぐ垢(あか)やよごれがつく。 垢やよごれがつくと、たちまち心は消極的になる。 すると、その当然の成り行きで心の積極性が失われ、 やたらと、怒りや怖れや悲しみ等、 あるいはその他の価値のない感情が、 絶えず心の中に発生してきて、 その人生を極めて向下的にしてしまからなのである。 どんな場合にも、 生きている限りは各種方法の全部を真剣に実行されて、 全体生命の現実更生の根本義たる 積極的精神態度の確保を堅持するために、 心鏡を常に八面玲瓏(はちめんれいろう)たるものに されることに熱烈であってほしいと、 心より勧め、奨励する。「真理のひびき」 中村天風 講談社
2017年05月15日
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ワシントンDCにある ウッドロー・ウィルソン・センターが 昨年の六月に出した『諸国家の衰退と興亡の教訓』 という作品がある。 アメリカのかかえる問題を、過去の超大国、 たとえば大英帝国の興亡などの先例に照らして 考えてみようとした企画である。 よくあるたぐいの本といえばそれまでだが、 ここでの文明観は素直である。 この本のなかで、リチャード・ローズクランスは、 イギリスの衰退を五つの原因で説明してみせている。 (1)生産性伸び率の低下 (2)他国の関税障壁への対応の不足 (3)教育水準の低下による、 科学.技術の面での優位の喪失 (4)国内投資、貯蓄率の低下 (5)世界大戦への関与。 ローズクランスは、現在のアメリカは、 いろいろな意味で、 一八七〇年代の大英帝国に似ているという。「フローの文明・ストックの文明」 矢野暢 PHP
2017年05月12日
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広瀬淡窓の話に、 ある俳人の弟子が 「板の間に下女とり落すなまこかな」 という俳句を作った。 そうすると先生が、 これは道具立てが多いと言って却下した。 これでは 下女が主か、板の間が主か、なまこが主か、 はっきりせんわけであります。 そのうち弟子が一考して 「板の間にとり落したるなまこかな」 と下女を省略しました。 そうすると先生は、 だいぶ良くなったが、まだいかん。 というので更に苦心惨憺、遂に 「とり落しとり落したるなまこかな」 とやったところが、先生が、 それでこそ本当の句だと評したということであります。 こういうところに、 こちらの方の詩の精神がよく表われております。「活眼・活学」 安岡正篤 PHP
2017年05月11日
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昭和十四年、イラン皇太子パーレビーの結婚式があた。 そのお祝いに各国代表は国威をかけて 自国製飛行機でテヘランに飛んだ。 日本は96式陸攻を飛ばした。 欧米の倣慢に泣かされてきたイラン国民は 同じアジアの日本の飛行機に感激した。 「国を挙げての歓迎に戸惑った」と 「大日本航空社史」にある。 しかし「飛行機は白人のもの」と信ずる欧米諸国は それをせせら笑った。 米軍事評論家ブルッチャー・プラソトは 「日本人はまともな飛行機を作ることも それを巧みに操縦することもできない」 「なぜなら彼らは近眼のうえ内耳の先天的異常のため 平衡感覚をもたない」「彼らには急降下もできない」と 公言していた。 日本を頭から侮ってきた彼らは真珠湾の朝、驚愕する。 三菱の零戦はちゃんと急降下し、正確に雷撃もでき、 迎撃する米軍機を無造作に撃ち墜した。 愚かなマッカーサーは フィリピンのクラーク基地が破壊されるのを見て 「ドイツ人が操縦していた」と平気で報告している。 英植民地シンガポールなどには 米国製のブリユースダーF2が配備されていた。 独メッサーシュミットには敵わない。 でもお粗末な日本機にはこれで十分だと 彼らは考えていた。 しかしやってきた雰戦や隼は いとも簡単にF2を叩き落としていった。 豪州ポートモレスビーにはラバウルの雰戦に対抗して 米国製のカーチスP40が配備されたが、 これも零戦の敵ではなかった。 急いで英国製スピットファイアをもってきた。 ドイツ機とも十分対抗できる優秀機だが、 零戦の前では赤子同然だった。 白人のプライドも偏見も粉微塵にされた。「サンデルよ「正義」を教えよう」 高山正之 新潮社
2017年05月10日
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「情報システム」の原型は、 「アルメー・ドイッチェ」 (ドイツ陸軍)として知られている 特殊な言葉であったといってよかろう。 これは一九一八年以前の オーストリア帝国の陸軍で指揮用語としてつかわれた。 これは、将校、下士官、兵卒の間に 共通語がない場合が多かった 数カ国語を話す軍隊のなかでは、 二〇〇たらずの言葉でもかなりうまくはたらいた。 たとえば「うて」とか「やすめ」は、 ただ一つの、 全然あいまいなところがない意味をもっていた。 その意味はつねに行動にかかわるものであった。 また言葉は行動を通じて、 つまり行動科学者が今日「オペラント条件づけ」 と呼んでいるものを通じて、学習された。 それは完全に形式的なもので、完全に厳密で、 また一つの言葉には一つの意味しか考えられない といった完全に論理的なものであった。「知識時代のイメージ」 P・F・ドラッカー ダイヤモンド社
2017年05月09日
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社会的リーダーとしての資質と、 むずかしい入試試験をパスする能力とは、 あまり関係がない(ひょっとすると、 かえって逆比例するかもしれない)。 数学に代表されるような、 形式言語を自在に操れる能力がなければ、 これからの時代、リーダーはつとまらない。 欧米社会では、 哲学・宗教・歴史・芸術といった、 人間文化の精髄についての高度な理解が、 指導者の資質として不可欠なものとされる。「新生日本」 長谷川慶太郎 橋爪大三郎 学習研究社
2017年05月08日
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