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前回の 続きで 歳のさばよみです。大サバ横綱 : このかたの年齢へのこだわりは病的でもありました。数年前に 「 わたしもようやく 政府から支給される健康保健がもらえる年齢になったわ 」 それは 65歳なのです。( 米国では収入にかかわらず この年齢になると 基準となる税金をおさめたひとたちには 政府からの健康保健がでます。100%無料ということではありません。 薬はカバーしないので また別のプログラムを購入する必要があります。 アメリカ合衆国は 基本的には文化水準の高い国家ですが この健康保健に関しては 世界に大きく遅れをとっています。)このかたも やはり自称年齢よりかなり老け込んでみえていました。夫は 14歳年上ということでした。 彼女の健康は この数年下降線をたどりはじめました。 本人は 自分の努力次第で また40代に戻れると信じているようなところもありました。足が立たなくなったり、手の震えがでてきたり、 救急車も頻繁にくるようになりましたが 介護のヘルパーさんを雇うという考えには 断固拒否でした。 わたしは 年寄りではないと言い張りそういうことにお金を使いたくないというわけです。 それでもたまにですが ご主人が外出しなければならないときは ババシッターをお願いするようにはなりました。 あるとき シッターさんが このババの義妹と話しているとき 「 まだ 67くらいで こんな状態で可哀想に 」と言ったところ 義妹が 「 何言ってるの、 89よ 」とばらしてしまったわけです。そうなると よぼよぼということにも納得がいくわけです。そしてこの2年 入退院の繰り返しとなりました。 さすがに 介護人を雇い始めました。 入院の際は いろいろ書き込む書類がありますが本人の震える手では 書き込みができないので 介護の人がかわって記入してあげたわけです。 何と 正確には 93歳だったということです。ご主人は14歳年上ではなく 3歳年下。67歳だったかたが 2年も経たないうちに 一気に93歳になってしまったのです。バケツ一杯の薬と 本人の文句、要求の多さで 93歳まできたのです。介護のひと曰く 「 医者たちも 看護婦たちも ほとんど看にきてくれなかったたわ。 本人の文句と要求の多さのせいで ナースコールのボタンは押し続けたけど 無視された。 年齢的も もう見放されていたと思う 」 歳相応って 大事なことです。 無理をすると 自分を追いつめます。しわもでてきて 当然。 身体もたるんできて 当然 走るのが できなくなって当然。若い人たちを 基準にしても意味がありません。できなくなってしまうことがふえても 当たりまえなのです。嘆いたり 悲観することはやめましょう。
2012.01.28
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長年のロサンゼルス暮らしで ふたりだけ 年齢を大サバよんでいたひとたちがいます。小さば(笑)よみは そこら中にいます。そうですねえ、ある意味では 年齢不詳ですか。 大さばおばちゃん 1: 小柄なとても元気のいいかたでした。ひとの紹介で わたしが知り合ったときは 髪の毛がかなり薄くなっていましたし,病気もいろいろありました。 ご本人が わたしは~歳よ、と聞いた時 随分老けてみえると思いましたけど それ以上のことは聞きませんでした。このかたは とにかく わたしが身につけているものを欲しがりました。 そのジーンズ 着てみたいから ちょうだい、そのブラウス わたしにちょうだい、といった調子でした。気持ちは 若いひとでした。このかたの死は ある日突然やってきました。日本で 観劇中に椅子にすわったまま 亡くなってしまったのです。前置きが長くなりました。 葬儀の際 葬儀社のかたが 誕生日を読み上げます。 聞いてびっくりです。 70とっくに越えていました。それまで わたしたちは 涙を流していたのですが この数字を聞いて互いに顔を見合わせて えっ、何ですって ? ちょっと待ってくださいよ、60歳ではなかったの? 聞き間違い ? う~ん、違うわよ。。。。。目で会話をしました。涙は 一瞬止まりました。この歳だったら 納得できる身体の疲れ、病気です。わたしは ずっと気がついていませんでしたが 彼女は 歳をとることに かなり抵抗をしていました。多分 目は整形だったと思いますし 若作りのかつらを着用したり、服装も若く見えるような格好にして 自分は ~年生まれというのを しょっちゅう口にしていました。周囲のひとのことは 「 ~さんは~歳 なのよ、シニアなの 」、とひとの年齢をばらすのが好きでした。ところが 想定外のことが起ってしまい 突然亡くなってしまったのです。ですから お葬式の際 司会者が生年月日を読み上げてしまったので皆が知ることになったわけです。わたしは 思いました。 ~さん,無理する事はなかったのに。。。。。嘘をつき始めると どこかで 帳尻を あわせなくてはなりませんから これは ああ言わねば、ここのところはこう言わねば、とよけいなことを考える必要性がでてきますので人生が ちょっと面倒になってきます。 ひとつ、ふたつのサバ読みは いいとしましょう。大サバ読みは 人生きつくなりますよ。 続く
2012.01.23
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自分の歳は 誰もが知っています。当然ですよね。でも 何人のひとが それを受入れているでしょうか ? 日本には 「 歳相応 」という言葉があります。これは 大変大きな意味を持っています。同じ年齢のひとたちは みんな同じことをしたほうがいいという意味ではありません。意味は いろいろ解釈はできますが今日 ここでは 肉体的な 「 歳相応 」を書きたいと思っています。 肉体的な「 歳相応 」は 本当に千差万別です。足が丈夫なひと、そうではないひといろいろ病気をかかえているひと、いないひと何らかの運動をしているひと、していないひと この場合は ひとつ、ふたつの歳の差は関係ありません。ある年齢に達すると ( これも個人差大ですが ) 記憶力が低下してくることをはじめ 今までできていたことができないことに気がつきます。背中に手が届かない、 足下に落ちた物をとるのが困難、足の指の爪を自分で切る事ができなくなる、聴力の低下、視力の低下、車の運転ができなくなる、などなど。 そういう現実に直面したとき 自分をいやにならないでください。これもできなくなった、あれもできなくなった、あそこへもいけない、ここへもいけない、と落ち込まないことです。嘆かないでください。「 自分もそういう年齢になったのか 」と受入れてください。決して 無理な抵抗をしないでください。自分を追いつめないことです。できることを 無理することなく実行して 毎日を楽しく送るようにする努力をしてください。「 できなくて 当たり前、まあ いいか 」歯を食いしばっての抵抗は 害になることが多いのです。( リハビリは別です。 歳相応 とは違うことです。) 流れに任せるか、抵抗するかが 毎日の生活に差をつくるのです。抵抗しすぎますと 心のケアのカウンセリングが要る状態に陥ります。年齢を受入れることは 大事なことです。 歳を重ねていくことは恥でも何でもないのです。 自然なことです。抵抗せずに 受入れる、 どうぞ ここのところを実行してください。口だけで 「 わたしは トシですから 」ではなく 頭脳のなかにインプットしてください。 続く
2012.01.20
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先週早々 長年の友人から メールがきました。癌再発で 肝臓、肺、脳、脊髄に広がっているようです。話すことが すでに大変になってきているようです。最後に 自分は 蛍という最高の友達がいて 幸運です。あなたは 頭が良くて、やさしくて、おもいやりがあって 気前のいい素晴らしい友人です。新年早々 こんなニュースでごめんなさいね。 わたしは ショックのために呆然自失となりました。彼女は 多分自分の命が長くないことを知っていると思いました。だから 長いメールを一生懸命書いてくれたのでしょう。あきらめないで。 その次の日 お隣のばばが旅立ちました。長い闘病でした。 わたしも この3年ほど ほんとうにしんどい思いをしてきました。 ( 覚えていますか ?友人達が わたしのことを フリーエンジェル、無料の天使と呼んでいました。 わたしをへとへとにしていたご本人です )最後まで 要求が強く 周りをふりまわしての旅立ちでしたが苦しまずに逝く事ができました。享年 93歳。 年齢は ずっと?でした。 わたしは 67歳と言い続け 生命に執着していました。 絶対 長生きする、、、、、病院でも嫌われ、医者からも決して好かれず、親戚からも煙たがられ親しい友人をもつこともなく 彼女がいくところはいつでも どこでも 戦い。 ただ ご主人とは 最強のチームでした。スーパージャンボサイズのエゴと自己主張、これは すごかった。ところが このババは 何故か わたしのことを はじめて会った日から可愛がってくれたのです。 夫婦喧嘩のときも 呼び出され、ご飯にいくときも声がかかり、あちこち お共をしました。フリーダ(彼女の名前) 、もう 戦わなくてもいいのよ。これからは 天国でゆっくりしてね。 金儲けやお金の計算に 命をかけることもないわ。 楽しく 楽な人生にしてね。 周りと喧嘩したらだめですよ。 ふんふん、と聞き流してね。 大好きだった チョコレートを食べて。。。。。 そして 最後のお別れは わたしが こころのケアにはいるようになったきっかけを作ってくださった先生が この3月でリタイアします。この先生との出会いがなければ わたしは 多分カウンセラーにはなっていなかったことでしょう。 わたしの人生を大きくかえたかたです。 1月 まだ半分おわっただけですが 随分 激しい揺すぶりがきています。
2012.01.19
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こちらで ちょっとした社会問題になっていました。ジョージア州といえば 南部の州です。南北戦争の舞台にもなりました。映画 「 風とともに去りぬ 」を覚えていらっしゃるかたも大勢いらっしゃることでしょう。奴隷制度があったということは アメリカの歴史のなかの恥部でもあります。むちで叩かれながら 奴隷たちが 綿つみをはじめ 肉体労働を強制されていました。 ジョージア州の小学校3年生の宿題が問題になっています。 例 1本のオレンジの木に56個の実がついています。 これを もし 8人の奴隷が同じ量だけ収穫すると 奴隷ひとりあたり何個のオレンジを手にいれますか ? 要するに 56÷8=7が 基本的な問題です。 それを わざわざ 「奴隷」たちが 実をもぐ設定になっています。 例 フレデリックは 毎日むちで2発ずつたたかれています。 1週間では何回 たたかれることになりますか ? 2週間では何回 たたかれることになりますか ? 親たちからの 猛烈な抗議で 校長は謝罪したようです。誰が この問題をつくったかは 公表されていませんが。 南部に行くと いまだに 人種差別をみることがありますがいくら何でも 算数の問題に 「 奴隷 」「 むちうち 」の表現を使うことはなかったはずです。 世界は 毎日かわっていっているというのに。。。。。失望しました。
2012.01.11
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新年のごあいさつを申し上げます。ことしも よろしくお願いいたします。さて 新年があけました。 タッタッターと早や 1週間経ちました。心のケアの第一歩は 生活にリズムをもたせることです。朝食は 何時までにするいうことを決めてみてください。例えば 7時から 9時までのあいだにとる、とか。おなかがすいていないから 何も食べない、ということではなく必ず 何かを口にいれて 今日の朝食は これ、と思ってください。昼食も同じです。 何時に 何を食べるということより 何時から何時までに 何かを口にいれる、ことが大事です。夕食も同様にしてみてください。 気がむいたときに 云々の繰り返しでは 生活はかわりません。 これは 簡単なようですが 簡単に実行できないところが クセモノです。2012年の はじまりは 生活にリズムをつける努力をしてみましょう、ということでスタートしてみませんか ?
2012.01.08
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明けまして おめでとうございます 本日から 2012年となりました。 この2年ほど わたしは カウンセラーたちのミーティングにおいて チョットした いらいらといいますか、どうして それがわからないのかな、というもどかしさを感じていました。 この心のケアの世界に足を踏み入れたころは 聞く事すべてが新鮮で ワクワクしました。 つぎには なるほどなあ、と思う様になりました。 そのあとは それだけではなく ~ということも考えられませんか ? と思うようになり セラピーのアイディアも右から左へ出てき始めました。そして 現在 はっきりわかったことは わたしにわかっていることがほかの人たちには 見えていないという事実です。 これは うれしい発見でもありました。 自信をもって この道を進んで行くことができるという手応えを意識できた一年でした。 蛍は 「 ひとのため 」に もっともっと 努力をして ふたつとないセラピーを考え出し カウンセリングに精をだすつもりです。
2012.01.02
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