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プレーヤーの母親と話す事ができました。その時わかったことですが この一家は 確か もともと アーカンソー( クリントン元大統領の出身地です。日本では アーカンサス と言われているかもしれません。)住んでいたのです。 ケニー ウオーカーは 末っ子で 生まれながらの難聴だったそうです。 この子の上には 確か 3人の子供がいました。 ケニーがまだ小さいときに 夫は家を出てしまい 生活は 最低賃金で働く母親にかかってきました。 多分 生活保護は受けていたと思われます。 当時の ソーシャルワーカーから難聴の子供には コロラド州がいいプログラムをもっているという話をきき 一家で コロラド州に引っ越したのです。まさに 「 孟母三遷 もうぼさんせん 」を地でいった生活でした。ここでは 手話の先生が 家にきてくれて トレーニングをしてくれたようです。 ですから 家族全員が 手話ができるようになり ケニーとの会話には 何の不自由もなかったそうです。学校にいくときも バス停まで 兄弟たちが 送りむかえをしてこの子を支えたのです。ケニーは 勉強もできて 運動にも優れた才能を発揮する素晴らしい子供に育っていきました。一家のサポートなしには この子のサクセスはあり得ません。 わたしたちは 長い間 お話をしました。 学校からの 話す条件のひとつに ケニーの父親、つまり 彼女の夫だったひとのことは聞かない事というのがありました。でも 話しているうちに 本人の口から話してくれました。話している間に お母さんは 「 息子を よろしくお願いします。」と言ってくれましたので案ずるより 産むがやすし ,という事ですね。 そして 日本への出発の前日 オリエンテーションディナーの日になりました。 つづく
2012.09.29
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ネブラスカ大学 フットボール部との思い出です。わたしは プロフィールのところにも書いていますが もともとスポーツイベント屋の女将でした.(笑) 当時のヘッドコーチは トム オズボーン氏。インテリでもある名物コーチでした。ここに ケニー ウオーカーというプレイヤーがいました。わたしのイベントでは このプレイヤーをとりたかったのですがネックは 耳が聞こえないということだったのです。 彼は 高校までは オフェンスのプレイヤーだったらしのですが 聴力にモンダイあり、ということで 優秀なプレイヤーであったにもかかわらず 各大学は スカラーシップをだして リクルートをすることにためらっていたわけです。それを このオズボーン ヘッドコーチはリクルートして デフェンスのプレイヤーにコンバートしたのです。 この勇気に敬服します。「 チャンスをやろうじゃないか 」彼は ディフェンスで頑張り プロのスカウトからも 注目されるまでに成長していました。 このネブラスカ大学は わたしたちのイベントに協力的な大学のひとつでしたが 今回は どうぞ、連れて行ってください、の言葉が返ってこなかったのです。理由のひとつは ケニーの母親が外国に行かせることを 心配して イエスと言ってくれなかったのです。本人が 日本に行きたくない、という事ではなかったのでチャンスはあるわけです。 よろしい、やってみましょう。 つづく
2012.09.28
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わたしは 毎朝 愛犬と散歩をしています。何年も続けていますので 名前はしらなくても 何人もの顔見知りさんがいます。この日は 5人のかたと話す機会がありました。今年の夏の高湿度、高温の例外的な天気の話から 近況などなど害のない話題( ここが大事ですよ。)で数分間。 きょうは このうちの4番目に会った人の事をご紹介しましょう。このひとは 最近引っ越してきた男性です。 これまで お話をしたことはありませんが 車ですれ違うさい会釈をする程度だったひと。この日も彼は出かけようとして 車をターンさせていました。そして 車を止めて 窓をあけました。 顔中がニコニコしていました。わたしは 何だろうと不思議に思いましたが いつものように「 ハーイ、グッド モーニング !」とあいさつをしました。彼は 言いました。「 なつかしいなあ、ここで ネブラスカ大のシャツを見るなんて。 自分は そこに行っていたんですよ。 〜年から 〜年まで。なつかしいなあ。うれしいなあ。」この日は 肌寒く わたしは スウエットシャツを着ていたのです。胸には 大きく NEBRASKA と書いてあり 色はスクールカラーのレッド。 わたしが 持っている唯一の文字がはいっているシャツです。 仕事で ネブラスカ大学へ行った際 何故か購入したものです。ここの大学には わたしには 大きな思い出があります。前置きが 長くなりました。この思い出バナシは 次回ということで。 それにしても 一枚のシャツから こんな会話が広がるとは 思いもしませんでした。 別れ際に 彼は 言いました。 「 ありがとう。 今朝 あなたと話す事ができて 本当によかった。 ありがとう。また。。。。。 」あいさつ、笑顔、ちょっとした会話で わたしたちは うれしくなったり勇気をもらったりします。いいスタートになりました。 つづく
2012.09.27
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スピリチュアルときくと すぐ 江原さんの名前が浮かんでくることでしょうが きょうのこの話は 聞いてきたばかりのとれたてです。ヒーラー( 癒しができる人 )でもあるスー から聞きました。彼女の本業は 宝石作り。 いわゆる 宝石に並ぶタイプのものではなく自由を愛する人たちが好むような 形にとらわれないデザインです。きれいに形よく磨かれた石ではなく もっと ごろり系(?)です。そういうものを 蚤の市 フリーマーケットなどで売っていました。ある時 全く知らないひとが 彼女のブースに来て 突然言った言葉は 「 わたしの母の世話をして欲しい。」彼女は 最初 この人が何を言っているのかわからなかったそうです。そして 答えました。「 すぐ 看護婦をやとうことですよ。 」そのひとは 分かりました、と言って そのときは帰っていきました。そして次の展示会のとき また現れて 「 看護婦さんでは だめでした。あなたの助けが欲しいのです。」と言ったそうです。結論から言うと 彼女は その老いた母親の世話を引き受けたそうです。自宅の敷地にある離れを改築して 住まわせてくれたそうです。長い間 スーは 「 何故 わたしなの ? 」という疑問が消えなかったそうです。 この老女は とてもインテリでしたが 現世しか信じていなかった女性だったようです。スーは 死後の世界,前世などのことを 日常の生活のなかで毎日説明したのだそうです。そして少しずつ スピリチュアルの世界が理解できるようになったようです。老女の容態は 極めて安定してきて ふたりで 散歩をはじめとしていろいろできるようになっていたそうです。そしてある日 老女は スーに言いました。「 わたしに お迎えがきたみたいよ。 あなたの膝に横にならせて。」 スーは 老女の身体の一部を膝に乗せて 抱っこしたような形をとって 静かにお話をしてあげたのだそうです。そして 老女は すーっとしあわせそうに 満足した表情で天に召されたのだそうです。家族からも 感謝されたそうです。 全く知らなかった人たちと 何故か つながり 死後を看取った彼女の話を 「 そんなこと あるもんか 」と言う人はいませんでした。スピリチュアルの世界は 深い。
2012.09.25
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心のケアの基本です。 自分の考え方がかわると 心がかわり、行動がかわり、生活がかわり、人生がかわります。 この言葉を 法音寺 ( 名古屋、ここは 日本福祉大学の母体でもある日蓮宗のお寺です。)のホームページで目にしました。わたしが 心のケアのトレーニング( カトリックの病院で )を受けているとき 先生が 心のケアは お釈迦様がはじめられた、ということを教わりました。そして 心のケアの基本が 簡単、明瞭な言葉で表現してある上記の言葉を探しました。まさしく その通りです。 基本は 自分がかわりたいと思うことなのです。ひとにかえてもらうことはできません。自分で自分をかえるのです。
2012.09.19
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「 わたしには 本当に心から友人と呼べるひとがいません。」とは しばしば聞くことです。お友達と思っていても いまいちハナシがかみあわないのですね。 わたしは 友人というのは いっしょにいて疲れないひと、と思っています。 この言葉を言ったひとは 不明ということですが ご紹介します。「 わたしたちの人生のなかで たくさんのひとたちとの出会いや別れがあります。 本当の友人というのは あなたの心のなかに足跡を残してくれるひとです。 」 あのひと言、このひと言に わたしたちの心が動かされることがあります。
2012.09.13
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きのうのことです。隣人の Hさんから メールがはいっていました。マニラのホテルで 物取りに襲われ 財布を奪われ クレジットカード、現金などを盗られてしまって 帰国ができない状態にある、という内容でした。ホテルから 支払いが済むまで動かない様に言われているとのこと。 わたしの最初のリアクションは お気の毒に、ということでした。この旅行は 家族旅行とのことで 家族全員が留められている様子でした。まあ なんということなのでしょう。 次に わたしは思いました。この隣人は エイズをわずらっていて かなりのヨボヨボなのです。けががなければ いいのに 。。。。。 どうだったのだろうか。 自分ひとりで生活はできないので 若いパートナーが同居しています。そういうひとが 遠く離れた まだまだかなりの暑さがあるであろう 熱帯気候のところに出かけるなんて ?????何 考えてるんだろう。親戚でもいるのかしら、と思ったことでした。 外国で 災難にであったら まず大使館、あるいは 領事館にレポートして これからのことを相談することです。強盗に襲われ 財布を奪われたのにもかかわらず ホテルから 留め置かれるというのは おかしい。何か納得がいかない事件と思っていました。 別の隣人が 今朝 Hさんの名前で メール 第二弾を受け取りました。それには 帰国するために 1750ドルが必要なので 振り込んで欲しいとありました。その隣人は Hさんの自宅に寄ってみたら 何と本人がいたそうです。 マニラのホテルに留められているはずのひとはしっかり自宅にいました。Hさん曰く どうやら メールアドレスをハッカーに盗まれ 100人ほどのひとに 同じメールがいったようです。隣人のひとりは 送金してあげようと思って すでに銀行に行っていたようですが 送金寸前で 詐欺にあわなくてすみました。 こういうことは 決して珍しいことではありません。皆様 くれぐれも ご用心、ご用心。
2012.09.06
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北朝鮮政府による誘拐は 長い年月に渡って 何十人ものひとたちに被害が及びました。 この誘拐された日本人達は 北朝鮮のスパイ養成のために利用されているようです。 ( 多分 現在進行形 ) この拉致被害者の中心となって活動している 横田茂/早紀江 夫妻のひとり娘のめぐみさんは 13歳のとき 学校からの帰宅途中で誘拐され それ以来 安否のほども分からない状態です。茂さんは 今年の11月で80歳。早紀江さんは 76歳とのことでご夫婦とも高齢です。 被害を訴える講演会のため 毎日多忙で体も悲鳴をあげているとのことです。 被害者の会の原動力は 「 みんなが静かにしてしまったら 政府も動いてくれない。」という犠牲になった 子供、親、家族を思う心です。 早紀江さんは 訴えます。「 (北朝鮮に)こんなにばかにされながら なぜ怒らないんでしょうか。もっと怒ってください。 日本人の心として 怒ってください。この国をもっと強い国に、温かい心をもった国にしてください。」そして彼女は 娘への思いを訴えます。「 めぐみとひと言でも 話をしたい。」 親として 当然の思いです。 拉致被害者のなかの数人は 小泉首相だった頃 帰国することができました。 安倍首相時代は 首相夫人も被害者の会のひとたちといっしょに渡米したほどですが その後は ほとんど 大きなニュース扱いもなく 今日に至っています。 早紀江さんがおっしゃる 「 怒ってください。 」は もっともなことです。アメリカだったら 即 経済制裁、軍隊派遣という手を打ったことでしょうが 日本政府は なぜか じっと我慢の子です。 国民が 何十人も誘拐されても 北朝鮮が 自発的に 返してくれるまで 待つつもりなのでしょう。世の中 我慢することが プラスにならないこともあるのですよね。「 国民の生活 」を守るのは 政府の仕事です。政治家も 外交官も何を考えているのか じっと我慢の子。もしかしたら 何にもしていないのかもしれません。 相手が 北朝鮮だから 何をやっても無駄、と思い込んでいるのでしょうか ? でも ちょっと待ってください。 皆 人間ですよ。誰にでも 心はあります。 親もいます。子供もいます。家族もいるはず。 ひとの心が わかるひとは必ずいるはずです。放っておかないでください。 優秀な日本民族と 理解に苦しむ政府の動き。一体 どう解釈すればいいのでしょうか 。
2012.09.03
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