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Q: あの~。どういうわけでこのブログを読みにいらっしゃったんでしょうか。ええと……。昨日、今日と、カウンターがやけにくるくるくるくる回ってるんですよ。んで、な~んか、いやな予感がしてるんです。ひょっとしてどこかでさらしものにでもなってるんじゃあないか、とか。 ←アタシって意外に気弱※ お風呂の話の続きはまた今度書きます。※ いま、薬でホンローされてます。頭は回ってません。
Jan 28, 2005
これは今までずっと内緒にしていたことなのですが……。わ た し は お ふ ろ が き ら い で す。はー。言ってスッキリした。さて。今からお風呂です。肝胆を砕かれてきます。(詳細はのちほど)
Jan 27, 2005
私というヒトはつくづく合理的にできているなあと思う。『世界バリバリバリュー』 というバラエティ番組の “アメリカで成功した日本人特集” で紹介されていた、年収21億円の不動産王。住まいはビバリーヒルズにある最高級ホテルの最上階の一室で、その家賃は月1890万円もするのだという。超豪華なホテルでの超豪華な生活。しかし、私は、うらやましいとは思わなかった。数年前。私は、フランスのとある五つ星ホテルに一ヶ月ばかり滞在していたことがあった (←自慢)。それは天井の高い広々とした雰囲気ある部屋で、バルコニーのテーブルにはいつも小鳥たちが集っていた。私は、そのバルコニーに揺れる舞台用のように長いカーテンが風に揺れるのを眺めるのが好きだった。しかし、それも一週間で飽きたのだった。当時、何の仕事もしていなかった私は、毎日できる限りのんびりしたいと思っていたのだが、ホテル暮らしでは規制が多すぎたのだった。朝は朝食が取れる時間内に起きなければいけない (←ビュッフェ好き)。掃除の時間は部屋にいるのが気まずい (←チップを弾むのがイヤ)。キッチンがないのでお料理することができない (←できないとなるとしたくなる)。エトセトラ。いや、お料理ができないのはまだ良かった。問題は、冷蔵庫がなかったので、ミニバーの中身を取っ払ってそれを冷蔵庫としなければならなかったことだ。ミニバーの中身を日常的に消費できるほどブルジョアではない私は、ミニバーから、ブランデーの小瓶やカシューナッツ、ペリエなどといった備品をすべて取り出し、自分でスーパーで買ってきたミネラルウォーターやプリンを入れなければならないのだった。そして、これは、たとえ私が億万長者になっても変わらないだろうと思った。近くのスーパーで150円で購入できるミネラルウォーターを、800円払って飲みたいとは思わない。ケチ? いや、合理的と呼ンデクレ。
Jan 25, 2005
今日も何もしなかった。本当はオークションに出すアイテムの写真を撮ったり、重さを量ったり、送料を調べたりする作業をしたかったのだが、天気が悪かったため辞めておいた。室内で撮影するとはいえ綺麗な自然光が入らないと商品の見栄えがしないから。――と、今日も怠けるのに恰好の理由ができて良かった。ちょっと前まではこんなじゃなかったのにな。仕事を二つも三つもかけもちしていた時期もあったのにな。朝、仕事に行って、午後、別の仕事に行って、夕方、友達と会って、夜、別の仕事をして、深夜、友達と遊びに行く、なんてこともあったのにな。翌朝、仮眠を取って、昼から、友達の論文を手伝って、夜、机に向かっているときに気を失って、気が付いたら、床に倒れていた、なんてこともあったのにな。健康第一。今は年に2~3件の仕事しかしないが (=年に2~3件の仕事しか入らないが) 、気持ち的にラクな仕事しかしないし、ドロドロした人間関係などとも無縁なのだから、まったく気楽なものだ。明日は晴れるといいな。
Jan 23, 2005
長旅のせいで喉が痛い。脚が、痛いのではなく、喉が、痛い。なぜなら、LAから成田への便で隣に座った女性が、ものすごい、おしゃべりだったのだ。この私もおしゃべりなほうではあるが、彼女は、私を上回るほどのものすごいおしゃべりだったのだ。私たちは11時間半のフライトのうち、結局10時間近くをおしゃべりに費やした。たまにクルーのひとりがやってきては、私たちのおしゃべりに混じったりもして、私たちは、よくもまあ話題が尽きないものだというくらい、喉がかれるんじゃないかというくらい、せっせと、実にせっせとおしゃべりをした。だもんで、喉が痛い。せっかく非常口のそばの席だったのに……。せっかく脚が伸ばせる座席に座れたのに……。脚は痛くならなくても、喉が痛くなってしまったんじゃあ……。今から寝ます。ビタミンC飲んで、寝ます。<自分へのおぼえがき>●旅行記パナマ ●旅行記カウアイ島 ●クリスマスディナー
Jan 21, 2005
飛行機の中では泥のように眠った。搭乗したのは夜の10時過ぎだった。加えて、乗り換えをはさんでの時差が合計3時間あったから、今が何時であるかとか、全部で何時間眠ったかとかいった時間的概念がよくわからないまま、私は、座席の上で膝を抱えて、ただ、ひたすら眠った。そうして機体の揺れで目を覚ましたときは、飛行機はすでに着陸態勢に入っていた。この気流は紛れもなくデンバー上空だった。窓の外はもう明るくなっていた。9時半。デンバー国際空港に到着すると、相棒は、会社に行かなければイケマセン、と言ってテントやバックパック一式を引きずって消えていった。私は目をしょぼしょぼさせながら、ビーチサンダルをスニーカーに履き替え、寝袋とバックパックを背負ってタクシー乗り場に向かった。タクシーに乗るということ。筋金入りの吝嗇家である相棒とつるんでいる私にとって、タクシーに乗るなどという贅沢は数年に一度あるかないかのことなので、乗るときはいつも冥利が悪いような気になってしまう。しかし今回だけは違った。それは、費用を旅費交通費として請求できるからというためだけでなく、タクシーに乗らなければならない理由があったからだ。タクシーに乗らなければならない理由。それは、足が寒くてしょうがないから、というものだった。カウアイ島で大雨に降られた私は、レインコート着用も空しく全身濡れそぼってしまった。中でも、特にひどいのがスニーカーだった。通気性の良さが災いしてか、浸水性の、良いこと、良いこと。たくさん歩キマスヨー、という相棒の言葉に騙されて、ビーチサンダルではなくスニーカーを選んでしまったのが運のツキ。夜、飛行機に乗る頃には足元はグッショリ、これから真冬のデンバーに向かうという事実に背くように、暖かい (はずの) スニーカーを脱いでビーチサンダルに履き替えなければならなかった。そしておよそ半日のフライトの間、つま先に丸めた新聞紙を詰めておくも、スニーカーは、乾くことがなかった。だから、迷った。デンバー空港に着いて、いざ、家路に向かおうという瞬間、迷った。素足にビーサンで真冬のコロラドを闊歩するか、それとも、乾いた靴下と湿ったスニーカーのコンビでなんとかやり過ごすか。寒がりの私は少し考えてから、濡れスニーカーを選んでみたのだった。冬のデンバーにしては穏やかな気温であるのが幸いだった。タクシーに乗ると、足元の冷たさはさほど気にならなかった。しかし。気になったのは料金メーターだった――。前回タクシーに乗った際の記憶、およそ2年前の記憶を思い起こすと、空港・アパート間の30キロちょっとの距離は40ドルほどだったはずだ。それが、その計算では収まらないほどの勢いで、メーターが、メーターが猛烈な勢いで回り始めた!私は目を凝らした。深夜料金になってやしないか。特別料金が加算されてやしないか。しかし、目に入る域のすべての物を学習しても、すべてはレギュラーであるようだった。家に着くまでの30分間、メーターとのにらめっこに、私は息も詰まりそうだった。「56ドルです」アパートの前の通りにタクシーが停まり運転手にそう告げられると、私は、密かに安堵した。ポケットには60ドルしか入っていなかった。私は、60ドルからで、と言って運転手に全財産を渡すと、領収書とお釣りを待った。「はい、ありがとうございました」運転手はハンチングの下に広がる笑顔を見せながら、私に領収書を手渡した。 ん? お釣りは?「あのぉ、お釣り、もらいたいんですけど」運転手の笑顔が凍りついた。いや、相棒が、チップは払うなって、1銭も払うなって言ったからあげられないんですよ! だからトランクには何も入れないようにしたんですよ! 私は、そう弁解したい気持ちでいっぱいになった。運転手は何も言わなかった。代わりに、どこからか紙を取り出すと、60引く56、と書いて、お釣りが4ドルであることを導き出し、私に1ドル札を4枚手渡してくれたのだった。私は、ありがとう、良い一日を、と言って車から降りた。返事は聞こえなかった。家に戻るとどっと疲れが出た。お風呂に入り、荷物を片付け、洗濯をしているうちに、日はほとんど暮れてしまった。それからパソコンを開き、古いお小遣い帳を見てみると、前回のタクシー料金は53ドルとなっていた。ああ、なんだか、本当に疲れた。しかし、まだまだ、これからだ。3日後には、日本行きが、控えている……。
Jan 17, 2005
カウアイ島旅行記をあとで書きます
Jan 16, 2005
カウアイ島旅行記をあとで書きます
Jan 15, 2005
カウアイ島旅行記をあとで書きます
Jan 14, 2005
カウアイ島旅行記をあとで書きます
Jan 13, 2005
明日から17日まで、ハワイはカウアイ島で楽しい楽しいキャンプの予定なのですが……心の中に先行き不安の暗雲がたちこめてます。 え? いえ、相棒との貧乏キャンプだからヤダ、ってんじゃないんですよ、問題は、ちゃんと帰ってこられんのかってことで。あの、スケジュールなんですけど、まず、13日の午前6時にデンバーを出発してリフエ空港に向かいます。ええ。これは問題ないはずです。二人揃って寝坊でもしない限り。しかし、帰りなんですよね、帰りがですね、17日の午前9時半頃、デンバーに到着なんですよ。17日ですよ? 17日っていうと、月曜日ですよ? 月曜日っていうと、相棒は会社ですよ? じゃあ、私は???? ええ。空港で放り出されちゃうわけです。初めてのおつかい、ならぬ、初めての小一人旅ってわけです。いつもは お抱え運転手 相棒とともに車でサーッと帰宅のところを、今回、初めて、自力で帰っちゃおうってわけです。そんなわけで、いま、ドキドキしながら、空港から家までのバス路線をネットで調べてみたんですが、乗り換え2回、平均所要時間2時間、ってどーゆーことなんですかね? 雪の中、バカンス帰りの薄着で、バックパック背負って、バス停でつっ立ってバスを待っとけ、ってゆーんですかね? 乗り遅れたら次のバスまで一時間待てって? けーっこうイヤなんですけど! ものすごい冷え性なんですけど!こうなったらタクシーか……。しかし……。40ドルは……。ちなみに距離は32キロほど。歩いたら8時間ぐらいですかねえ。このネタがカウアイ島旅行記のメインにならないことを祈ります。
Jan 12, 2005
今日は怒った。目が覚めたら誰かさんがいなかったので、いつも通り家の中の片付けをして、洗濯をして、メールのチェックをして、朝ごはんを食べて、近所におつかいに行ったのだが、モールの中がなんだか混雑していたので、何かと思ったら、今日は平日ではなくて週末なのだった。いや、この時点ではまだ怒っていない。家に帰って、キッチンの戸棚の上を見たら、スノーボードがなくなっていた。なんだ。奴はスノボに行ったのか。仕事じゃなくて。そうか。今日は土曜日だもんな。この時点でも私はまだ怒っていない。午後、図書館で借りてきた映画 "The Other Side of Heaven" を観た。パッケージを見たら、海っぽい映画で、説明を読んだら、トンガが舞台とあったので、いずれトンガに行きたいと思っている私は、ちょうどいいや、と思い借りてきたわけで、まぁ、つまらない映画っぽいけど、配給はディズニーだし、せいぜい良い子向けでしょ、なんて思いながら観たわけだったが……観てみたら、これが、ほんっとつまらなかった。なんていうか、○○○ン教のプロパガンダ? ていうか、ディズニーって○○○ン教だっけ???しかしこの時点でも私はまだ怒っていない。まぁ、いいよ。映画の中のトンガは素朴で綺麗だったし。アン・ハサウェイも若くてかわいかったし。彼女、こういうかわいいだけの役やらせたらピッタシだし。まぁ。いいよ。そして夜。ニース風のサラダを作った。けど、7時になっても、8時になっても、誰かさんは帰ってこなかった。スノボのときはいつも5時頃に帰ってくるのに、ったく、どこでアブラ売ってんだよ……。私のこめかみはピクピクし始めた。そして9時過ぎ。奴はようやく、帰ってきた。そして言った。友達に安中華をゴチソウニナリマシタ。私はなんかムカついた。で、責任取って全部食いなさいよ! 次にパスタも出てくるんだからね! と命令したのだったが、パスタというのは実は嘘。ホントは作る予定などない。それどころか、材料だって揃ってない。なので、言いながら、私は自分でもついおかしくなって、笑ってしまった。あーあ。せっかくエバれる場面だったのに。こんなことじゃあ示しがつかないよ。それで、結局、パスタは作らず (だってないし)、夕飯を食べないときは前もって電話連絡するように、と指導するにとどめた。そして奴からは、ハイハイ、という良い返事が返ってきたのだった。……て? ちょっとォ! うちには電話ないでしょうガ! どういうことよオイ!!!↑ ツッコんで欲しかったらしい。私。
Jan 8, 2005
咳のために飲んでいる抗ヒスタミン剤に翻弄されて、毎日10時間から14時間もの間、眠ってしまう。朝、起きて、それがもはや朝ではないと気付いたとき、ああ、またやってしまったなと落胆しつつも、一仕事成し遂げたような気分になるのだから我ながらタチが悪い。今までの私の睡眠最長記録は18時間。この記録を更新すべく、期待する自分がいるのかもしれない。
Jan 6, 2005
学習意欲と学習到達度は必ずしも比例しません。毎晩寝る前に一時間みっちり勉強しても、使う脳を誤っていては、その努力は報われることがありません。次に挙げるのは、とあるドイツ人男性 (日本語学習歴4年) と私との間で見られた日本語による会話です。 奴 「昨日、キツネ見ました。2台」 私 「……2台?」 奴 「あっ……。まっちがえました。2キビです」 私 「……ニキビ?!」このドイツ人、一日のうちざっと5時間近くを日本語のみ使用の環境で過ごしているということですが、どうでしょう、この体たらく。ちなみにこの男性には、かつて、 【ホクロ】 のことを 【ニキビ】 と呼んでいる時期がありました。【蕁麻疹】のことを 【ニキビ】 と呼んでいる時期もありました。そんなにニキビが気になるのでしょうか? それとも、あてつけか何かなのでしょうか?まあ、いい。彼にとって、ブツブツしたものは、すべて 【ニキビ】 だということなのです。私は初め、これは面白いな、と思い静観していたのですが、次第に、自分が間違えていることにすら気付かない彼のことが、気の毒になってきました。蕁麻疹だって何だって、ニ百回以上繰り返して教えてあげたのに、教えた端から綺麗さっぱり忘れていくなんてかわいそうすぎる。とうとう私は、彼に教えてあげることにしました。「そういうのは 【ブツブツ】 というんですよ」それぞれの単語はどうせ覚えられないのだから、と、オールマイティの表現をひとつ教えてあげることにしたのでした。そしていま、彼は、ブツブツを称して 【ツブツブ】 と呼んでいます――。頭の回線がどこか切れてしまっているのかどうか知りませんが、本人はいたって真面目にやっているのにこのザマなのですよ。ニ百回以上教えても覚えられないのは記憶障害に他ならない、と心配する私が、一度、脳波の検査を受けてみたら、と提案するも、本人はまったく聞く耳を持とうとしないのですよ。次なる難関は 【ツブツブ入りオレンジジュース】 なる単語ですが、左脳の発達していない人にいかにそれを理解させるか、私は、現在、思案中なのです。自分の状況を把握して対策をたてよう → あなたは右脳派? それとも左脳派?
Jan 4, 2005
皆様 新年あけましておめでとうございます 年々お正月とは縁遠くなっていく chocoolique でございますが 新年度も清貧に磨きをかけるべく邁進していく所存でございますので 引き続きご愛顧のほど賜りたくお願い申し上げます 弐仟伍年元旦 ※ ていうのは嘘でほんとはもう三が日明けてます
Jan 1, 2005
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