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異なる言語を母国語に持つ国際カップルは、両者とも、自分の言語、相手の言語、および共通の第三言語の、合計三つの言語を話すことができると、意志の疎通がうまくいく。そう言ったのは、パリ在住の太田医師だったように思う。数年前、オヴニーだか、フランス・ニュースダイジェストだかの短いエッセイに、そう書かれていたように思う。私は日本人である。母国語は日本語である。相棒はドイツ人である。母国語はドイツ語である。そんな “国際カップル” である私たちは、普段、日本語で会話をしている。出会った当初こそ、相棒は日本語が一言も話せなかったから、他の言語で会話していたはずなのだが、私は、奴にまったくといっていいほど興味がなかったので、覚えていない。数年後、奴がいきなりハリキリだしてから、私たちは日本語で話すようになったのだった。ドイツとイギリスとフランスで高等教育を受けた相棒は、ドイツ語と英語とフランス語を話す。ヨーロッパでは数ヶ国語を話す人は珍しくないが、相棒の場合、本当にマルチリンガルと呼べるレベルなのだから、 (いつもは奴を馬鹿にしまくっている私も) 感心してしまう。文学の類がめっぽう嫌いであるせいか、いわゆる文才といわれるものは皆無と断言できるのだが、総じて、どの言語も、私よりうまいのではないかと思う。だから私たちが (相棒たっての望みで) 日本語で会話するようになってからも、言語に関する問題は、とりたてて起こらなかった。日本にいる私の家族とはふたりとも日本語でコミュニケーションするし、ドイツに行ったら行ったでふたりともドイツ語を話す。いま住んでいるアメリカでは、一歩外に出れば英語で、出張でフランスに行けば、ふたりともフランス語でお愛想のひとつも言う。それが、何とかなっている。だから、ふたりの間で通じない日本語表現があっても、何とかなるのだ。そう私は信じてきた。昨日、相棒は、いつもより少し早めに仕事から帰ってきた。くつろいでいるところへ奇襲をかけられた私は、あわてて時計を見た。4時半すぎだった。「6時半にも行かなくちゃ。会社」相棒は、そんな私をさして気に留めるふうでもなく、部屋に入り、靴を脱ぐと、開口一番にそう言った。6時半に会社に行く――。私は、相棒の言ったことがとっさには理解できなかった。「6時半に会社に行くの? なんで?」「7時半から電話会議ですから」「じゃあ、なんでいま帰ってきたの?」「だって、仕事おわりましたし」ふぅん。私は、相棒個人の生活のことは深く考えないようにしている。だから、まぁ、いいや、とだけ思った。それから、奴がインターネットをしたいというので、私は、くつろぎの続きをすることにした。それから、6時半に食べ終わることができるように、夕食の準備に取りかかることにした。アスパラの茹で時間を計算しながら時計を見る。もうすぐ6時だよ。相棒に声をかける。わかってます。相棒が答える。温野菜を食べながら時計を見る。もう6時だよ。相棒に声をかける。わかってます。相棒が答える。食べ終わり、相棒がパソコンの前に戻る。もう6時半になるよ。相棒に声をかける。わかってます。相棒が答える。そして。6時45分。7時。会社までは車で30分かかる。そろそろ出なければまずいだろう。「あのさあ。もう7時過ぎてるんですけど」「はい」「はやく行きなさいよ」「どこにですか」「会社」「ナンデスカ?」「7時半から会議でしょ?」「・・・・・・?」そして束の間、呆けたような顔をしたかと思うと、相棒は、会議は明日の7時半からなのだと言った。明日の朝、なのだと言った。だから、 (明日は) 6時半に (既に) 会社に行かなければならない、と言ったのだ、と言った。ダマサレタ。けれど、本当にすごいのは、こんなにも話が食い違っているのに、なあんだ、の一言ですべてが済まされてしまうことである。なあんだ、そうだったんだ。以上。完。ひょっとして私たちは、本当の意思の疎通は、図れていないのかもしれない。
Mar 29, 2005

うちのタンデムは こんなに かっこいい。この写真だと、ハンドルもタイヤもマウンテンバイク仕様になっているが、うちのマシンは、レース仕様に改造してあるから、なおさらかっこいい。今日は天気がよかったので、ひさしぶりに、このタンデムで遠出した。デンバーの隣街ボルダーまで、北西に50キロ、往復100キロちょっとの旅。BGM ♪母をたずねて三千里♪ダウンタウンを抜け、住宅地を抜け、プレーリードッグの野原を抜けると、いかにもコロラドですといった風景の広がる平原に出る。彼方に連なるのはロッキー山脈。大変なところへ来てしまったなあ……と途方に暮れたくもなる。BGM ♪ツァラトゥストラはかく語りき♪コロラドの平均標高は2,073メートル。自転車をこいだら、当然、息も切れる。ゼイゼイ、ハアハアいいながら、後部座席でがんばる私。そんなとき、突如として鼻先を、ブホーッと突風が吹きすさんだりするものだから、怒り心頭に発しもしてしまう。ボルダー にたどり着いた頃には、お決まりの大ゲンカ。オナラも失礼だけど、お昼にマクドナルドの1ドルバーガーを食べましょう、というのがこれまた失礼。私は、半年前から中華が食べたいと主張しているっていうのに! ついこの間、私が、パンダ のビュッフェに行こう、と誘ったときも、ワタシはチュウカが嫌いナンデス、な~んて断わったくせに、自分だけ、昨日、スキーの帰りに、抜け駆けしてパンダで食べちゃうなんて許せない!今日は結局、誰かさん推奨のへなちょこタイ料理の店で食べた。けど、もんのすごい甘くて、口の中を砂糖水でゆすいだような気分になってしまった。てか、作ってる人、タイ人じゃないし! てか、すんごいケチだし! 普通、二人だから分けて食べましょう、っていうのは、二皿頼んで二皿を分けて食べましょう、って意味なんでしょ? なんで一皿しか頼んじゃいけないの? んで、なんで私は飲み物を頼んじゃいけないの? 不思議。2ドルや3ドルをケチるような奴はダメ。帰りは黙々とタンデムをこいだ。もう、早く帰りたかったから。そうしたら、誰かさんが懸命に機嫌を取ってきたので、IHOP でパンケーキを10枚ほどご馳走させてあげるのも悪くないかな、とも思ったけれど、お腹にタイの甘いおかずがたまってたので断念。生煮えのズッキーニとかニンジンだから。消化に悪いんだから。ちなみに IHOP というのは、International House of Pancake の略。知らないよ~。国際なんて名乗っちゃって。帰り、近所のオーガニックのスーパーに寄って、生クリームを買った。それを甘いスポンジケーキと苺にかけて食べた。これが夜ごはん。高カロリーが鍵。
Mar 27, 2005
果物のアボカドはアボカドです。アボガドではありません。私も高校生くらいまでは、アボガド? アボカド?? それとも、アボカト??? と混乱していたものですが、広辞苑を引いて以来、アボカドで統一するようになりました。アボカドって森のバターなんですってよ、と同級生に教えられ、なんだそりゃ、森のくまさんが食べてそうだな、いや、熊はパンは食べないだろうな、などと考えた日々が懐かしいです。―――――――――――――――――――――――――――アボカドは英語で avocado です。カのところに発音のアクセントがきます。アボカドはフランス語で avocat です。語尾の t は発音しません。ところでフランス語では、弁護士のことを、 avocat といいます。果物のアボカドと同じ綴り、同じ発音ですね。しかし、両語に関連性はないとのことです。語源はそれぞれ異なるとのことです。日本語でいうと “くも” と “くも” のようなものなのですね。英語の advocate (=【名】 代弁者、擁護者、主張者、唱道者、弁護士 【他動】 弁護する、擁護する、唱道する) という語は、ちなみに、フランス語の avocat から来ています。これがどちらの avocat かは、ご想像にお任せします。それよりも注目すべきは、日本語訳の仰々しいことですね。一生出番のなさそうな語彙のラインナップです。【アボカド早見表】英 avocado独 Avocado蘭 avocado伊 avocado仏 avocat葡 abacate西 aguacate ←水くさいようですがコレがラテンでの語源 ※露 авокадо ←薄目で透かすとなんとなくイメージできます中 魚而梨 ←魚偏に而 魚の味の梨?※ スペイン語では他に abogado や palta (南米) とも呼ばれるそうです【弁護士早見表】英 lawyer ←法律の人独 Rechtsanwalt ←権利を弁護する人蘭 advocaat伊 avvocato仏 avocat葡 advogado西 abogado露 законовед ←数字の3が入ってます中 律師 ←ピアノ?
Mar 26, 2005
お野菜の エンダイブ は、英語の endive という単語からきているということです。お野菜の チコリー は、英語の chicory という単語からきているということです。―――――――――――――――――――――――――――しかし、エンダイブは、英語では chicory (または chiccory) です。場合によっては、 escarole とも endive とも呼ばれます。フランス語では chicoree と呼ばれます。一方のチコリーは、英語では endive です。フランス語でも endive です。いったいどこで入れ違っちゃったんでしょうね。ちなみに英語では、エンダイブのことを、 witloof と呼んだりもします。これはオランダ語で、白い葉っぱ、という意味なのだそうです。いわれてみれば発音が似ていますね。 white leaf に。また、最近、日本でも、チコリーのことをフランス式にアンディーヴと呼び始めた人々がいます。余計まぎらわしくなったような気もしますが、日本では、チコリーの一般家庭への普及率はそう高くないので、どっちでもいいや、と思う人が大半なのかもしれません。【おまけ】Endive. Belgium's Gift to the Worldチコリーへの愛にあふれた魅力的なサイトです。RPGっぽい音が出ますので注意。
Mar 25, 2005
小学校3年生のとき。宿題をやらない常習犯であった私は、ある日、先生から、明日もやってこなかったら黒板に “宿題を忘れた人” として名前を書きますからね! と脅された。明日は授業参観日、という日であった。私は、それがどうした、と思った。翌日、黒板に書かれた自分の名前を見ても、それがどうしたの、と思っていた。授業参観に来たうちの母親は、自分の娘の名前が書かれていることにすら気が付かない。また、たとえ気付いたとしても、あれこれ注意するほどの鋭い親でもない。こんなの、私には打撃でも何でもなかった。またある日。先生から、明日もやってこなかったら顔にマジックで×を書きますからね! と脅された。明日はとりたてて行事などない普通の日、という日だったと記憶している。私は、それがどうした、と思った。翌日、左のほっぺたに黒い大きな×が書かれるのを感じでも、それがどうしたの、と思っていた。水性マジックなのだから、洗えば落ちる。また、水性ではなくても、落ちないはずがない。こんなの、私には打撃でも何でもなかった。 (※ 20年以上経ったいま、落ちなかったら落ちなかったで面白いことになっていたのになぁ、と残念にも思う)この精神は四半世紀近く経ったいまでも変わらない。私は、メールの返事を書かない。いや、最初の2~3回は書くが、それ以降、うやむやにしてしまうのだ。本当の友達であれば返事が多少 (=1~2年) 遅れても友達でいてくれるはず。そんな都合のいい考えを貫いてしまっている。こんな私と友達でいてくれるひとたちは素晴らしいなあ……と尊敬せずにもいられないのだが、いくら尊敬しても、自分の性癖は変わらないのだから、仕方ない。そんな私が、今日、重い腰を上げて、一月に届いたあるメールの返事を書いた。ドイツに住む自称ドイツ語しか話さないドイツ人の友人からのメールの返事であった。彼女は私より少し年長で、もともとは相棒の知人であったのだが、ドイツ (の田舎) で紹介され、瞬く間に意気投合し、交友が始まったのだった。思うに、日本人女性にとって、同年代のドイツ人女性と付き合うのは容易なことではない。なぜなら、気が合わない。男性相手に威張り散らしている体の大きなドイツ人女性と、どちらかというと男性に守られて (いるふりをして影で牛耳って) いるか弱い日本人女性とでは、まず、話が合わないのだ。が、私と彼女は、なぜかウマが合う。だから、私は、彼女との友情を大切にしたい。だから、たまには、はりきってメールを書くのだった。今朝、私はそれを思い立ち、まずは一月に受け取った彼女からのメールを読み返してみた。読み慣れないドイツ語に目がチカチカする。なになに。あけましておめでとう、とある。ギャフン。好きそうなカレンダーがあるから送る、住所を教えて、とある。ギャフン。もう三月も終わろうとしてしまっている。気を取り直して読み進める。ストリップの男性が出てるカレンダーだよ、絶対に気に入るはずだよ、とある。ギャ、ギャフン。その他、質問、近況報告、エトセトラ。結局、彼女に返事を書くのに、一時間近くかかってしまった。普段はえばっているが、本当をいうと、私は、ドイツ語が得意ではない。語学学校で2ヶ月間習い、あとは独学で身に付けてみただけの、めちゃくちゃ適当なべらぼうなドイツ語をしゃべっているのだ。ドイツのレストランで働き始めた頃、ドイツ語力向上のために率先して電話を取るようにしていたのだが、「お持ち帰りでお願いします」 の、お持ち帰り、という表現がわからなくて、「ハア? 何ですか? どういう意味ですか?」 と食い下がり、「……。作っておいてください。後でお店に行きます。そしてそれを持って帰ります」 とお客さんに説明させたことがあるほどだ。そして、「なるほど! えっと、その単語、もう一度お願いしまっす!」 とまで頼み、苦笑させたことがあるほどだ。こんな、レベルである。せめて辞書が欲しいとも思うが、紙のはかさばるし、電子のは (お金が) かさむしで、入手困難。頼みの綱はオンライン辞書であるが、初級に毛が生えたようなレベルの私も、悲しいかな、完璧主義。探し当てた単語をさらに逆引きして、それが本当にふさわしい表現であるかどうか、確かめないことには気が済まない。そんな調子で、二度手間、三度手間かけつつ、小一時間を費やし、ユーモアたっぷりの長文を書き上げたら、心身ともに疲労してしまった。しばらく日記を休んで、休養するかもしれない。そうなっても、悪しからず。
Mar 24, 2005
ついでなのでガッツ顔の子供のことも紹介しておきます。が、その前に、ひとつお断りさせていただくことがあります。実は私、この件では、非常な身の危険を感じておりますので、この子供との続柄を明かすことだけは勘弁してください。私と多少の血のつながりがあることと、私の隠し子ではない、ということだけ申し上げておきます。さて、このお子ですが、生まれたときすでにガッツ石松さんのそっくりさんでした。私も初めて見たとき、他人事ながら、これは大変なことになったぞ! と絶句したものでした。まぁ、新生児がガッツ顔で生まれてくるというのはよくあることらしいですから、心配することもないのかな、とも思ったのですが……。問題なのは、彼女が、2年経っても3年経ってもガッツのままだということなのです。ずっとあのままだと思うと、不憫で不憫で、私は心が痛みます。学校に上がるようになったらいじめられるんじゃないか、とか、こんな顔に産んだ親をうらむんじゃないか、とか。うちの相棒など、彼女のことを、男と信じて疑いません。 だからー! 女の子だって! と何度も言い聞かせてはいるのですが、また私が奴をはめようとしてエイプリルフールでもないのにウソをついている、と思って、信じようとしないのです。ヒドイ。ただひとつ救われるのは、彼女はやけに写真うつりが良い、ということでしょうか。あ、あと、気立てもいいですね。いまのところ。そうよ! 人間、中身で勝負よ! がんばれ!
Mar 22, 2005
せっかくなのでうちの弟も紹介しておきます。うちの弟は、こんな顔です。 (3 д 3)のび太が眼鏡を外したところにそっくりです。
Mar 22, 2005
私の棘日記を読んだ一読者からこんなメールが届きました。 おめえ、ばかか。 友達んちの子はとげで化膿して、すっげーはれて切開しとったぞ。 甘く見るな。厄年なんだからな。(;´д`) 姉妹なんてこんなもんです。
Mar 22, 2005
棘のことではみなさまにご心配をおかけしました。って、心配してねえよ! とか言わないでね。私ならもうダイジョウブなんですから。で、棘なんですけど、私がいったいどういうふうに治したのか、この日記をお読みのみなさまに特別に教えてさしあげたいんですけど。って、教えてほしくねえよ! とか言わないでね。自慢したいだけなんですから。じゃあ、いいですか、書きますよ。 1) 棘、左手人差し指の腹に刺さる。 2) 棘、のめりこむ。 3) 私、棘を取りたいので指を押さえててくれ、と相棒に頼む。 4) 相棒、逆ギレ。 5) 私、逆ギレ。 6) 痛み、最高潮。 7) 私、ふて寝。 8) 棘、見えなくなる。 9) 棘、再び姿を現す。 10) 痛み、弱まる。 11) 痛み、ひく。 12) 私、棘との共生を決意。思うに、棘は、体内で柔らかくなるんじゃないでしょうか。石とか鉛筆の芯と違って、木は、体内の生理食塩水みたいのを吸って柔らかくなるんです。それで、痛くなくなるんだと思うんですけど。あとはこの木が腐らない限り、体に悪影響は及ばさないと思うんですけど。どうでしょう。この推理。誰か、平気だよと言ってくれませんか。
Mar 21, 2005
在デンバー邦人にはおなじみの牛丼屋 『KOKORO』 に行ってきました。えっと、言っときますが、この店は、ずばり、おすすめではありません。日本から来て、普通に、舌が肥えていて、普通に、日本の食べ物を食べようとするのなら、おすすめしません。しかし、ずいぶん日本食に飢えているんだから、も、この際、なんでもいいんだから、というのなら、挑戦してみたらいいです。ご飯が、カレー用なんじゃないかというくらいにパラッと炊き上がっているのは高感度大ですよ。あと、値段が安いこと。丼物は、いずれも4~7ドルです。相棒なんかは、メニューを一瞥して腕組みしてしまったのですが、普通の経済観念を持つひとには、お得な価格設定なんじゃないかと思います。この値段で、韓国経営じゃない本当の日本経営、しかも、吉野家で修行した日本人 (の2代目?) が腕をふるっているというんだから、いいんじゃないですかね。私が注文した海老天丼は、合羽橋で見かけるようなモコモコした衣が魅力的なお丼でした。おつゆは注文のときに、甘いやつですか、と訊いたら、すごく甘いやつです、との説明だったのでかけないでもらいました。天つゆも、テリヤキソースも、私、好きではないので。かわりに、お小皿 (=丼のふた) に取ってお醤油につけながら食べたらいい感じでした。油のにおいがして。一方の相棒は、チキンカレー丼というのを注文しました。ご飯の上にドロドロしたカレーが乗っていて、それに、テリヤキチキンの照りなし、といったふうの肉が乗っかっている一品です。奴は終始無言で食べていましたが、食べ終わるやいなや、家で食べるカレーのほうがいい、とボソッとつぶやきました。そらそうです。片栗粉で固めたようなドロドロカレーは、このひとにゃ無理です。私もこの手のカレーは苦手なのですが、逆に、そういうのが好みだ、というひとにはいいのでしょう。んだけどコロラドなんて遠くて行かれねーよ、ってひとは、うちの地元の 『利休』 で食べてみるがいい。ドロッとくるぞ。ところで、なんで私がこんなに棘のある言い方をしているのかというと、指に棘がささったからです。言葉遊びじゃありません。指に、割り箸の棘が刺さって、痛くて頭に来ているからです。お料理を味わうどころじゃありませんでしたよ。ええ。それと、これは余談ですけど、いま、この日記を書くにあたって、 『KOKORO』 を紹介してる日本語のサイトはないかな、と検索したところ、 こんなの が上位に出てきて爆笑しちまいました。てか、私、あり得ん。コメント、アホすぎ。ちなみに、こちらで紹介されているお店や場所の数々が、そのまんま、私の生活圏ですのでヨロシクね (※ アカデミックなのとベースボールなのを除く)。って、なにがヨロシクなんだか、もう、わけがわかりませんけど。それもこれも、指が痛いからってことで。【追記】メイヨキソンで訴えられたら困るのでフォローしときます。 『KOKORO』 は、いつでも賑わっているお店です。アジア系のリピーターもいっぱいいる、大人気のお店です。棘が刺さんなかったら私もまた行ったかもです。値下げしたら相棒もまた行くかもです。ってことで、みんな、『KOKORO』 をヨロシクね! 『KOKORO』、バンザ~イ! ・ ・ ・ ・ ・はい、カットー! OKでーす!
Mar 19, 2005

ぬいぐるみを衝動買いしてしまった。何ということのないことに聞こえるかもしれない。だが、私にとって、ぬいぐるみを買うという行為は20年に一度あるかないかのことであり、しかも、衝動的に買ってしまったというのだから、これがいかに事件的なことであったか、想像していただけるであろう。ことは昼下がりのドラッグストアで起こった。相棒がどこかに置き忘れた4個目のお弁当箱の代わりを買おうと立ち寄ったドラッグストアでのことであった。タッパーウェア売り場に行くには、爪切り売り場やお菓子売り場を通らなければならない。万年深爪の私にとって、爪切り売り場を素通りすることはたやすいことである。が、お菓子売り場では、ついつい足止めを食らってしまう。今の時期なら、ご復活際向けのうさぎやひよこがモチーフになったお菓子やおもちゃが並んでいるから、ますます足を止めないわけにはいかないのだった。そこに、奴がいたのである。人はよく 「この子が、おうちに連れて帰ってェ、という目をしていたから買わずにはいられなかったのォ♪」 などと、チワワやトイプードルを飼った言い訳をするが、今回の私がまさしくそれであった。ちょうど目線の高さにある棚に、遠い目をした羊が一匹、重たいオーラを発しながら鎮座していたのである。私は唸った。そして、その羊を手に取った。ラムチョップ。5ドル99セント。タグにはそう書いてあった。私の胸は早鐘を打った。そして次の瞬間。ラムチョップ君は、私の買い物カゴの中に横たわっていたのだった。いや、購入を決意したわけではない。欲しいのはやまやまだが、何の腹の足しにもならない綿人形一体に5ドル99セントは高すぎる。店内を一周するうちになんとかあきらめがつかないだろうか。私は、そう考えたのであった。しかし、物事そう簡単にはいかない。ラムチョップ君の体からは、どういうわけか、ジトーッとしたオーラが噴出していて、いっしょに過ごす時間が長くなればなるほど、離れられなくなってしまうのだった。30分後、私は意を決して、キャッシャーに向かうしかなかった。支払いをする間も、帰り道も、家に帰ってからも、私の心は揺れていた。いい買い物をしたなという気持ちと、しかしぬいぐるみなんて買って私も焼きが回ったな、という気持ちとがない交ぜになっていた。私は、ラムチョップ君をしばらくの間寝かせることにした。やっぱり返品したくなるかもしれない。希望的にそう考えて、レシートとともに、クローゼットの片隅にしまうことにした。だが。気になってしようがないんである。クローゼットをのぞいてみると、相も変わらず重たいビームを発するラムチョップ君がそこにいて、今か今かと出番を待っているのがわかるのだ。私はついにタグを切った。こうしてラムチョップ君は、晴れて我が家の一員となった。私は、ソファの下をラムチョップ君の住処とすることに決めてやった。なぜなら、ぬいぐるみなんて飾っていたら、家の中がごちゃごちゃするからだ。ソファカバーをめくってみたりしつつ、私は、いまだに、なぜこうも自分がラムチョップ君に惹かれるのか解せないでいる。どうってことないんですがねえ……
Mar 18, 2005
その後、転勤に関する動きはありません。この調子で秋までいけば、デンバーでの勤務は10月末に終了、その後フランスでの研修を経て、来年の初めには日本に引っ越し、ということになるのでしょう。昨日の日記で、日本の田舎はいやだ! との意思表示をした私も、いまさらジタバタしても仕方ないと、腹をくくることにしました。そもそも、どこに行ってもそれなりに楽しい生活を送れる私なのでありますし。だって、どこに行っても同じような生活をしている私なのでありますし。というわけで、交渉に入りました (※ 対相棒)。以下、これがあれば生活できるよ、というモノたちを挙げておきます。 【徒歩10~20分圏に必要なモノ】 ● 格安系スーパー ● オーガニック系スーパー ● 図書館 ● 郵便局 ● おもしろ雑貨屋 【アパートの設備】 ● 独立性・気密性が高いこと ● 窓からお向かいさんが見えないこと ● 3階より上の部屋 ● 鍵は2つ以上 ● 床暖房もしくは暖炉 ● ケーブルテレビ ● ネット 【生活面】 ● 二ヶ月に一度旅行 ● 半年に一度実家へ ● 勤めには出ないとりあえず上記項目を満たしていれば、私は健全な生活送ることができます。現在の住居も、これらをすべてクリアしています。あとは、欲を言えば……。 【日本だったらコレがあればサイコー!】 ● WOWOW ● スターチャンネル ● 光ファイバー ● 生協 ● 百均 ● 無印 【コレは要りません】 ● 固定電話 ● 携帯電話 ● 魚屋あれこれ考えていたら、なんだか、楽しくなってきました。ワタクシ独自の調べによると、新しい赴任先の地域の不動産は目玉が飛び出るほど格安なので、ひょっとしたら、いい住まいに住まえるかもしれません。あとはひきこもるのみです。みんな、応援ありがとう。追記: 私みたいなマテリアルガールと同居する相棒に同情します。
Mar 16, 2005
※ この日記はあとで修正もしくは削除するかもしれませんうちの相棒は転勤族です。いま住んでいるアメリカは5カ国目の赴任地です。私が奴と生活をともにするようになったのは、ここアメリカからです。いきさつはこうでした。それまで私はヨーロッパに住んでいたのですが、仕事の契約のキレがちょうどよかったので、日本に帰ることにしました。その理由のひとつが、相棒の奴が日本にいるから、というものでした。相棒の住む横浜は、私の実家のある鎌倉からは30分ほどの距離です。これは私にとって非常に好都合でした。ところが、帰国して2ヶ月と経たない2月のある日、私にとって非常に好都合ではないことが起こったのです。相棒に、アメリカへの転勤の辞令がおりてしまったのです。それからはあっという間でした。辞令からわずか1ヵ月後、桜の花の咲く頃に、相棒はアメリカはコロラド州デンバーへと飛び立っていったのでした。私は東京にいくつかの仕事があったので、それらの契約が終わる夏を待って、デンバーへと飛び立ったのでした。さて、こうして私たちがデンバーに来て、この春で丸3年が経とうとしています。駐在の任期は通常2年から3年ですから、私たちもそろそろ移動かな、とそわそわし始めたのが、昨年末のことでした。そこへ降ってわいたのが、サンフランシスコへの転勤話でした。私はアメリカをけっこう気に入っています。アメリカは暮らしやすいです。社内でサンフランシスコ駐在員を募集してるんだけど、どう。相棒からそう打診されたとき、ですから、私は、いちもにもなく、志願しろと命令したのでした。そうして、サンフランシスコへの転勤が決まりました。2005年の4月になるだろう。話はそうまとまりました。デンバーでの相棒の後任は1月には来るから引継ぎ期間は3ヶ月間。話はとんとん拍子に進んだかのように見えました。が。辞めてしまったのです。相棒の後任として赴任するはずだった人が、1月を待たずして、突如、退職してしまったのです。嗚呼。そこまでデンバーがいやだったのか。そしてさらに。幸か不幸か、サンフランシスコで受注するはずだった仕事が、取引先の都合でキャンセルになってしまったのです。フリダシニモドル。そんなある日のことでした。見慣れない堅苦しい文体のメールが、一通、私の受信トレイに届きました。それは辞令でした。そこには、とある新規設立会社の名前と、とある日本の地方都市の名前が記されていました。相棒殿、デンバー勤務は2005年10月末をもって終了すること。そのメールには、はっきりとそう書かれていました。実は私はこの日記を書くべきか書かないべきか、ずっと、辞令のおりた2月から、ずっと迷っていました。なぜなら、私がこれを書くことによって、気を悪くする人がいるだろうからです。ですが。はっきり言います。私は、その日本の小さな都市には、引っ越ししたくないのです。親しい幾人かの友人に相談したところ、これは、東京やその近郊出身の人にしかわからない気持ちだろうね、と言っていましたが、神奈川県で生まれ育ち、東京に通勤通学をしていた私にとって、最果ての小さな街に行けというのは、天と地をひっくり返すような出来事です。知らない土地、しかも小さい (であろう) 街に2年も3年も、場合によっては5年も暮らせというのは、正直、拷問でしかないのです。そして私は自分がいやになりました。デンバーに来ることになったとき、確かに私は、いやだなあ、と思いました。ニューヨークやサンフランシスコではなく、よりによってコロラドだなんて。スキーヤーじゃあるまいし。そう思いました。が、相棒について、ノコノコとやってきたわけです。生活をエンジョイしているわけです。そう、アメリカならまあいいや、と思うにいたったわけです。それが、日本の小さな田舎街だからいやだ、なんて、いくら私でも性格が悪いにもほどがあるわい――。私はちょっとした自己嫌悪におちいりました。アメリカの田舎は良くて、日本の田舎はなんでダメなの。自分に、他人に、そう問いかけました。そしてある人がこう答えました。アメリカだったらまだ人をアッと言わせられるけど、日本の田舎だったら誰もすごいって言ってくれないからじゃないの。私は、なるほどと思いました。そういうことなのかもしれない。私は、皆から、驚き賞賛されたいのかもしれない。いや、私が縁もゆかりもない日本のとある地方の小都市に住んだら、それはそれで、ある意味、驚く人が続出するに違いないけれども……。辞令が履行される確率は現時点では99%とのこと。サンフランシスコ行きが90%強だったことを考えると、この9%の差は、とてつもなく大きな壁に思えてきます。が、私は、なんとしてでも食い止めてせるぞ! と思っているのです。なんとしてでも食い止めてみせるぞ! と、日夜、念力を送っているのです。皆様も、応援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。(続く)
Mar 15, 2005

そういえば、こんなことがあった。あれは昨年だったか。あるいは一昨年だったか。とにかく姉の誕生日であったことは間違いない。深夜、いつものように残業を終えて帰宅した義兄は、姉への誕生日プレゼントとして、 通勤に使用する駅構内にあるパン屋で購入したパン3切れ を持ち帰った。 「うまいんだよコレ」。そう言いながら差し出される、パンの入った袋。しかし、それらのパンはいずれも、メロンパンやらチョコレートデニッシュやらの域を出ない、ごくごく普通のものばかりであったという。そして味もまた、ごくごく普通のものばかりであったという。このエピソードを聞いたとき、私は大笑いしてしまった。義兄のお小遣いは日当600円である (※ 昼食手当て含む)。この限りある財源でプレゼントを探すのは至難の業だろう。かといって義兄には、何かを手作りできるような技術もなければ、暇もない。しかし何もあげなければ、誕生日、忘れてたでしょう! とどやされることは目に見えているから、何もしないわけにはいかない。そこで最善策として選ばれたのが、駅パンだった、というわけである。私は姉に言った。「アンタもかわいそうな人生を送ってるね♪」しかし姉は、意外にも、こう返した。「いいよ、だって、ヘタに金目のモノ買われても家計が苦しくなるだけじゃん」この人はここまでおばさんになっていたのかと、私は苦笑するしかなかった。―――――――――――――――――――――――――――昨夜。自転車で散歩に行った相棒が、花束を抱えて帰ってきた。はい、どうぞ、と差し出される真っ赤な薔薇の花束。ほら、どうだ、と言わんばかりの得意顔の相棒。花を巻いたプラスチックのラップには、 “シャルロット” と書かれたシールが貼られている。ははーん。私は直感した。この花束は、シャルロットさんという女性に贈ろうとした人が誤って落としたもの、あるいは、不本意な人からこの花束をもらったシャルロットさんが道端に捨てたものに違いない、と。ところが。ホラ、これもアナタにデスヨ、と渡されたスーパーのお買い物袋を見ると、8パックの苺に混じって、お買い物のレシートがしっかりと入っている。私はそれをさりげなく確認した。薔薇12本 7.99ドル。私はしみじみ思った。誕生日にもクリスマスにも嫌がらせ以外の何物もくれたことのなかった人が、ここまで育ったか。不思議な国のアリスでもないのに、何でもない日にまでお祝いしてくれるようになったか。うーん……。ちょっと……。おかしい……。男性が急に優しくなったときは、浮気を疑えという。しかしこいつに限っては、それはあり得ない。後ろめたいことをしていれば、私は一瞬で見抜くことができる。薔薇は、今日も綺麗に咲いている。
Mar 11, 2005
~ ケチ語録 ~ もったいないから洗わないでクダサイ【定義】 相棒のタオルを洗ってやろうと手にした私に向かって投げかけられる言葉。通常、そのタオルはまだ3回しか使っていません、洗わないでください、という補足が続く。水がもったいないのか、洗剤がもったいないのか、はたまたすり減るタオルがもったいないのか、定かではない。その後、遠い目をする私からタオルを掠め取り、近場にあるドアノブ (例:トイレのドアあるいはクローゼットのドア) にひっかける、というのが常。ちなみに、ビキニ型水泳パンツ、というのもドアノブのレギュラーのうちのひとつ。靴下は床。【用例】 「あっ、そのパンツはまだもったいないです!」
Mar 9, 2005
今日は悪口を書きます。午後、郵便をとりにアパートの入り口におりたときのことです。うちのアパートの玄関は二枚ドアになっているのですが、その内側のドアを開けようとしたとき、すれ違うひとがいました。ヒスパニック系らしい中年の女性でした。わたしはいつものように、こんにちは、を言いました。彼女も親愛の笑顔で、こんにちは、を返しました。それからわたしは郵便をチェックして、四階にある自分たちの部屋に戻ったのですが、戻る途中、階段を登りながら、ひょっとしてあれはあのひとだったかな、と考えました。一時期、行方が知れなくなっていた エジプト人一家 の奥さんです。そしてわたしは気分が悪くなりました。なぜなら、エジプト人がニコニコしていたからです。いえ、笑顔が気持ち悪かったというのではありません。わたしに向かって何か言いたげに微笑んだ、ということがわたしの気分を悪くさせたのです。わたしはひとのことを待っているひとが好きではありません。これは具体的にはどういうことなのかというと、わたしに 「今度いっしょに旅行に連れて行ってね」 と言うひとや、 「来年こそは会社を辞めるつもりなの」 と言い続けてはや10年、というタイプのひとが苦手だということなのです。これらには、旅行に行きたいけれどもひとりでは不安、言葉も通じないから誰かに案内してほしい、という意味や、会社はつまらないけれど辞めたってあてがないし、素敵な王子さまが現れるわけでもないし、という意味が込められています。ようするに、他力本願なのです。エジプト人はとてもいいひとです。けれど、声をかけるのはいつだってわたしでした。 「いつもひとりで暇だから、家に遊びに来てちょうだいね」 と彼女は言い、わたしは折に触れて彼女のドアをノックしたのですが、彼女のほうからわたしを訪ねてくることはありませんでした。彼女なりの心遣いなのかな、とも思ったのですが、 「今度なにかいっしょにしましょうね」 「どこかにいっしょに行きましょうね」 などと言うだけで、彼女のほうから具体的な計画を立てることはけっしてありませんでした。こういう態度はわたしをイライラさせます。わたしは小学生の頃、学級委員に任命されることがありました。しかし、学期末の通知表にはこう書かれました。 「学級委員としてもう少しみんなの面倒をみてあげましょう」。そしてわたしは思いました。 「面倒をみるもなにも、みんな同じ5年生じゃんか」。自立したひとが、わたしは好きです。※1 わたしの精神状態がよかったら、次の瞬間、彼女のドアを叩いていたかもしれません。※2 な~んだ、相棒の悪口じゃないじゃ~ん、チェ~ッ、と思った方へ: 明日をお楽しみに。
Mar 8, 2005
トイレでおしっこをしていたら、心臓が止まりそうになった。足元のタイルに蠢く、小さな何か。クネクネと身をよじらす、1センチほどの黒い何か。私は昆虫類はさして苦手ではないが、不意打ちを食らって、ドキッとしてしまった。よーし。お尻を拭く間に精神統一をする。そして、いざ、トイレットペーパー一切れ (※ 未使用のものです) を手に、捕獲にかかる。クネクネクネクネ。ずいぶんと嫌な具合にもがく、小さな奴。細長い体には横に縞々が入っていて、まるで甲冑のように見える。黒と映ったその体は、よく見ると銀色といえなくもないグレーをしていて、ますます鎧か何かのように見えてくる。非常にグロテスクだ。ザーーーーーッ。ひとしきり観察してから、私は虫くんをトイレットペーパーでそっとくるみ、トイレの水に流した。ごめんね。一寸の虫にも五分の魂なんて諺、通じないんだよ。私は一仕事終えた気持ちで、ひとり悦に入った。と、同時に、はたとこみ上げてきた、ひとつの疑問。あんの野郎、虫なんか湧かせてどういうつもりだ!?!?
Mar 5, 2005
キッチンで、突然、息が止まりそうになった。誰かさんが滅茶苦茶に散らかした家の中を掃除しようと、重い腰を上げた矢先のことだった。掃除機を引きずりながら移動する私の足に、突如として差し込んだ鋭い痛み。一瞬、頭の中が真っ白になってから、私はヨガのポーズを取って冷静に足の裏を見た。血だ――。じわじわと滲み出る鮮血が、まあるく盛り上がって山を描いている。その山の中腹に見えるのは、小さな何か。私は、足の裏の肉にのめりこんだその小さな何かを、用心深く引っこ抜いた。それは、ガラスだった。小さいが、厚さ1センチもあろうかというガラスの欠片――。逆上することも狼狽することも忘れた私は、しかし、ピンと来るものがあって、血の湧き出る患部をティッシュペーパーで踏みつけながら、頭上の食器棚を開けた。あった。強化ガラスでできた、大きなマグカップ。定位置に、きちんと置かれている。5年ほど前に買い求めた際、 「分厚いガラスですから頑丈ですよ」 と店員に説明された、お気に入りのマグカップである。あの分厚い破片は、こいつのに違いない。が――。まてよ。カップは、ちゃんと2客ある。割れたのだとしたら、なぜ、ここにまだあるのだ???私はマグカップを両手に取って、おかしなところがないかどうか観察してみようとした。だが、その必要はなかった。手にするとすぐに、上部のえぐれた無残な姿が目に入ったからだった。奴にグラス類を破壊されるのはこれで4度目になる。初回は薄手のワイングラスだった。それが、今では、分厚い強化ガラスを壊すようになるなんて。よりによって、私が買った物ばかり壊してくれるなんて。せめて、せめて謝ってくれれば収まりも付くだろうものを、何故に謝らないのだ……。私の頭の中を、さまざまな想いが駆け巡る今日この頃なのであった。
Mar 4, 2005
釣った魚を生簀に放つ。しかし、いつまでたっても生簀の水は交換しない――。近頃の相棒の私に対する行いは、さしあたり、こんなところだろう。私は先日、およそ一ヶ月ぶりにデンバーに戻ってきた。アパートの散らかりように絶句するのはいつものことだから、この際、どうでもよいのだが、今回の “汚れよう” といったら筆舌に尽くしがたいものがあったので、ここに記録しておくことにする。キッチンのレンジ。白いパネルに広範囲に渡って何らかのシミがついている。洗い場には、山と積まれたビールジョッキやお皿、シリアルボウル。底にこびりついた白い固体は牛乳だろう。茶色はバナナか。床には米、パスタ、コーラのキャップ。粒胡椒、丸まったティッシュ、ビニールの切れ端。リビングルームには、自転車が4台。メンテナンス道具一式、いや、二式も三式もある。リムやタイヤといった大物から、ネジやボルトのような超小物までがいたるところに転がっている。カーペットにはなぜかヒトの爪。ベッドルームの床。Tシャツがざっと50枚。腐った靴下数足。年代モノのタオル数枚。破れた旅行鞄。登山靴 (なぜ?)。覆面マスク (スキー?)。(以下省略)片付けをしながら、ふと、なぜ私がやらなければならないのだろうという疑問に駆られた。母性本能が皆無の私である。 「仕方ないなあもう!」 なんてカワイイ声、一生かかっても上げられそうにない。45分後。私は掃除を断念した。しばらくこの瓦礫の山で暮らす決意とともに。【追記】 咳き込んでしようがない。
Mar 3, 2005
今日あったふたつの小さな出来事。ひとつ目。鎌倉から成田空港へ向かう電車の中で。東京駅を過ぎた頃、初老の女性ふたり組が乗車してきて私の隣の席の前に立った。 「私はいいわよ、あなた座りなさいよ」。譲り合うふたり。必然的に私は席を立った。数駅が過ぎた。女性のうちのひとりが礼を言いながら電車を下りた。車内に残されたもうひとりの女性。 「お嬢さん、お座りなさいな」。私に声を掛ける。私は席に座った。女性は私に話しかける。どちらへ行かれるの? あちらにお住まいなの? 学校に行っているの? お仕事はされているの? お子さんはいらっしゃるの? お歳はおいくつなの?上品で善良なご婦人ではあったが、辟易させられる私なのであった。ふたつ目の出来事。サンフランシスコへ向かう飛行機の中で。日本語の雑誌を読んでいる私のところへ、日本人とおぼしき客室乗務員がやってきた。 「日本語、わかりますか」。 英語で私に尋ねる。私は、はい、と答えた。すると彼女、ちょっと待ってて、と言い残し、ギャレーへと消えた。数十秒後。戻ってきた彼女の手には “しまじろうカルタ” があった。私は 「あ! しまじろう!」 と小さく叫んだ。彼女は台湾人だが、4歳になる娘が日本語を学習中なので、この しまじろう の教材を使って勉強の手助けをしたいのだと言う。しかし、彼女自身は日本語が不自由なので、私にわからない箇所を説明して欲しいのだと言った。私は、任せてください、と胸を張った。2歳の姪にさんざん付き合わされたおかげで、しまじろうカルタは空で言えるようになっている。私は彼女に一句一句説明した。これは子供用語ですから、決して、機内でお客さん相手に使わないように――。ふとっちょ、なんて呼びかけちゃいけませんよ――。補足するのも忘れなかった。終わると彼女は感激の面持ちで、ありがとう、と言った。そして、同じくしまじろうの “こどもちゃれんじ” の冊子を2冊取り出すと、さしつかえなければこれも……と、謙虚そうに言った。私は、任せてください、と再び胸を張った。雛人形には手を合わせる必要はないんですよ、飾って、見てるだけでいいんですよ――。あんこっていうのは餡のことですよ、アンと引けば辞書に出てますよ――。時節柄の表れたテキストを説明しながら、補足するのも忘れなかった。終わると彼女はすっかり感激の面持ちで、ありがとう、と言った。私は、こんなの朝飯前ですよ、と言って謙遜した。休憩時間の終わった彼女は、仕事に戻っていった。数時間後。幾度目かの飲み物のサービスが終わると、先ほどの彼女がやってきた。しまじろうは持っていなかった。が、代わりに、機内食のプレートを持っていた。 「さっきはどうもありがとう。これ、よかったらあなたに」。 見ると、ファーストクラスでサービスするフルーツの盛り合わせのプレートだった。傍らのクロワッサンはいい塩梅に温められていた。今度は私が感激の面持ちで、ありがとう、と言った。それから着陸までの間、他のフライトアテンダントたちが通りかかっては、日本語教えたんですってね、すごいわね、と私を褒め称えた。なんていうこともないのに、鼻高々の私であった。
Mar 1, 2005
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