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毎朝恒例のスーパーへ。お芋(?)のようなのの絵が描いてあるヨーグルトとココナッツクッキーとチョコレートドリンクを買い込み、ビーチへ。わくわくしながらヨーグルトを開ける…と…飲むヨーグルト状のどろどろのものが。液体と固体の中間、しかしゲル状というのでもない。ま、味が良ければね、という心のつぶやきも束の間、のどが痛くなるようなしょっぱいヨーグルトが。そういやこのお芋はなんだったの?とりたてて野菜やフルーツの味もせず。う~ん。一方、チョコレートドリンクは、固体に限りなく近い液体というか、こってりと質感のある粘着タイプ。ガーガムが大量に入っていることが想像できる。ふぅ。お腹いっぱい。昼、水に入り、午後カイトしに行くが風の見込みなし。気を取り直して再度水に入る。数分だけ。だって寒いんだもの。それからお土産を買いにスーパーへ。この国は物価が安いが、中でもスパイス類の安さに目をつけた私。1パック6~8ペソ(15~20円)なので半狂乱で買い込む。粒胡椒、アニス、ローリエ、ナツメグ、クローブ、シナモンスティック。高温多湿なのがちょいと不安ではあるが。他に、ラム酒(700mlで100ペソ)、オーガニックのココアなど。さて、最後の晩餐。ビーチのレストランで食べよう、と品定めがてら歩く。素敵な観光客向けのお店がいっぱい。が、結局、相棒が「一番ドミニカっぽい」と主張するお店(=一番しょぼい)で食べることになってしまう。街中にラテンの陽気な音楽が溢れかえってるのに、この店はよりによって昔風のブルース風のロックなんて流してるよ…。いや、味さえ良ければ…。スパゲッティのクレオール風。ああ、私はなんでまたスパゲッティなんて頼んじゃったんだろう。ソフト麺…。懲りてたはずなのに…。ソースはトマトベースににんにくと赤・黄ピーマン。相棒は注文したチキンに大満足らしいが、今時あんのかっていうスライスチーズが乗っていて(しかもほぼ生)、しかもお皿がちょっとかけている。そもそも悪趣味な柄!あーあ!これはこれで面白かったけどサ。
Jan 31, 2004
今日も朝からおつかい~♪昨日とは別の、なぜか安いトロピカルジュース(13ペソ)、クロワッサン(25ペソ)、パン・オ・ショコラ(30ペソ)を買ってホクホクしてビーチへ。しかし!ジュースを開けてびっくり。なんじゃこの色は!着色料!コチニール?!ゲンナリ。一口飲んでみてさらにゲンナリ。パンは両方とも有塩バターを使っているらしく塩辛い。もちろん完食したけどね。今日は波が荒く、とりあえず水に流されてみる。危ない危ない。気を取り直し、午後はカイトサーフィン。相棒のあまりのへっぴり腰にほとほと嫌気が差し、ついに一人でホテルに戻る。だってヘタなんだもの…ありゃひょっとしてネタか?そしてそして、夕飯はまたしても例のピザ屋!クゥッ!この店じゃ、ピザもだめ、パスタもだめ、となるとチキンしかない!実は炭焼きチキン目当てで懲りずにこの店に戻ってきたんだもんね。だってあの窯で焼くんでしょう?ダラ~リ(←ヨダレ)さて、出てきたのはこんがりとした(多少焦げすぎの感のある)炭焼きチキン。と、思いきや、中はピンク…。い、いや、しかし味は良いよ。炭の香りがたまらんし。ポテトは例によって塩辛いが。今日もキューなしでビリヤードは諦める。ドイツ人め!
Jan 30, 2004
今日から朝食は部屋でとる!と言ってもルームサービスではなく(←そんな高尚なもの、このホテルには無い)、スーパーで買ってきたパンやらなにやらを部屋で食べるのである。早速、昨日の夜に買っておいた2色ケーキ(ピンクと白のスポンジケーキ)をおもむろに取り出す。そうだ、飲み物も。徒歩15秒のほうのスーパーへ。相棒はいつものビュッフェなので今回は一人。ルンルン♪ドミニカ気分を出そうと、トロピカルジュース(グァバ、いちご、オレンジ)を買ってホテルに戻り、前のビーチで食べる。んまい。昼、海に入って(2分?)、午後、ビーチを散歩。壊れた珊瑚礁づたいに延々と2時間歩いてみる。風はないが波は荒く、サーファーもちらほら。現地人は上手いな~。ホレボレ。夜、道路の出店(←前のとは別の)で例の炭焼きチキン(サラダとユカ付き)を相棒と半分ずつ食べる。これまた排気ガスもうもうの道路で。家族経営の出店らしく、小学校低学年くらいの姉妹が仕切りに世話を焼いてくれ、下の子が、水とコップを持ってきてくれた。もちろん飲むフリだけしておく。だって水道水だもの。それから例の窯のあるピッツェリアへ。チキン半人前くらいじゃ足りまへん。前回、ピザに乗っているチーズにギャフンと言わされたので、今回はパスタにしよう。ペンネアラビアータ。うん、まぁ、大丈夫な味…。え?あれ?なんで辛くないんだろう?そういやニンニクの味もしないよ?メニューにはホットって書いてあったのに…(呆然)
Jan 29, 2004
朝食は例のビュッフェ。一応満腹にはなるが。風の出る見込みゼロでカイトできず。散歩などで一日過ごす。実は昨日のウィンドウショッピングで目をつけておいたクジラのシルバーのチャームがあり、相棒を半ば脅すような形でゲット。オホホホ。クジラはクジラでも、いかにもマリーンさわやかっていう感じではなく、ピノキオに出てくるようなクジラの形なところが私好みで。値段も提示されたのが20ドル(USドル)ともともと安め。それを、ペソだと850でいいわよ、と言われ、更に迷っていたら(実は買う気満々だったけど)750ペソに値下げしてくれるというので購入決定。しかし払う段になって、700ペソ??と相棒が食い下がる。ちょっと、いやなんですけど…と嫌悪感を表す私、お店のお姉さんも一瞬ためらったが、半ばあきらめたような感じでOKを出す。私は多少の罪悪感が。だって、私たちにしてみれば、700ペソも850ペソも大差ないでしょう???しかしペソの手持ちも残り少ないことだし、と自分に言い聞かせる。夜、カイトインストラクターお薦めのもう一軒のレストランへ。ちょっと遠いけど、と言われていたものの、1キロや2キロ歩くのなんてどうってことなし。流しのタクシーなど(車だけでなくバイクも)ひっきりなしに声をかけるが、断わってガンガン歩く。お目当てのレストランは、いつもの大通り(というか、これしかない一本道)をしばらく歩いて、曲がってさらに歩いたところにある。さすがに観光客はあまり来ないようで、真っ暗闇の中、地元の子供たちがタイヤを転がして遊んでいたり、野良犬がついて来たり。そして到着したレストランは、いかにもドミニカというか、良く言えば簡素な作り。悪く言えば小屋?ドアないの?窓ないの?天井は吹き抜けというのか筒抜けというのか…?メニューも大胆。シーフードが売りらしく、“白身魚”とか“魚丸ごと”とか“貝”とか、黒板に書いてある。そう、それだけ!魚の名前とか調理法には一切触れてません。とりあえず、お薦めはなんでしょう?と聞いてみると、貝との返事。それどういうの?と聞くと、美味しいわよ、と。う~ん、頼んでみるしかない。で、1時間近く待たされて出てきたのは…ゴムのような歯ごたえ(調理しすぎか)の貝の細切りがレモンソースにごちゃごちゃ入っているもの。この黄色いソースはオランデーズと思われなかなかの美味。で・す・が・、貝がね。付け合せのご飯は長い種類のお米。レモンソースをつけて食べると旨い。一方、相棒が注文したのは“丸ごとの魚”。しかして出てきたのは、スズキのようなのを2匹、からりと揚げたもの。揚げ物が得意ではない相棒は無言。添えられたソースはグレービーで、これまた口に合わなかった様子。付け合せのユカ(さといものような芋をふかした?物)もお気に召さず…。その後スーパーでアイスを買い食い。昔懐かしいような、生クリームの味のしないアイス。相棒大喜び。寝る前、またはりきってビリヤードしに行ったら、キューとボールがなかった…。隠されたぽい…。ドイツ人らはまたドイツ語吹き替えの映画を観てるよ…。
Jan 28, 2004
朝食はホテルで。一応ビュッフェ形式というのか、パンや飲み物を食べたい放題。パンはごく普通のが何種類か。ドイツのほど固くなく、フランスのほどリッチでもなく。ハム、チーズもごく普通のスライス。コーヒーは私飲めないし、紅茶はなく、ホットチョコレートもインスタントでしかも牛乳のコクがない。不満足ですよ!午前中は街中を散策。街中と言っても、ビーチに沿って東西に3キロほど走る道路(道幅狭し)に面したところが全ての商業エリアで、お土産物屋やレストランがある程度。お土産は、趣味がいいんだか悪いんだかわからない絵(サンタフェに通じるものがあるね…)、葉巻(実演販売というのか、店先で器用に作っている、が、こちとら嫌煙家なので関係無し)、Tシャツやボードショーツ、ラム酒など。それから海に入ってみる。天気良し。気温高し。なのに、水に入ったら寒かった。私は1分で出る。みんな、なんでこんなんで泳いでるんだろう。肉?3時ごろ、風が出てきたので相棒とカイトサーフィンしに行く。スクールやレンタルがいっぱいあるので、何軒も聞いてみて、運良く、中古のでセールになってるカイトをお試し、ということでタダで使わせてもらうことに。試しにしちゃあ1時間、たっぷりと楽しんだ模様。つうか寒いよ!喉が痛い!夜、相棒と屋台の炭焼きチキン(サラダ付き)を分かち合って食べる。チキンはスペイン語でポヨ。この響き、気に入った。味もまた気に入った。それから、午前中に見つけてチェックを入れておいたレストランというかバーに、スパゲッティボロネーゼを食べに行く。だって、毎週火曜日は飲み物を注文すればボロネーゼがタダ!と書いてあったから!半信半疑だったが、味もタダにしては悪くない。パスタはやわらかめだが。寝る前に、またはりきってビリヤードしに行った。ドイツ人らはまたドイツ語版の映画を観てる。
Jan 27, 2004
ここでも鶏のうるさいことといったら!そもそも街中なのになんで鶏が??という疑問と流れないトイレはそのままにしてホテルを後にする。また高速バスで移動するつもりだったのを、出発寸前、ホテル受付のおっちゃんの入れ知恵で急遽変更。安い市営バスが15分おきに出ているよ、と言う。半信半疑で行ってみたら、マイクロバスが止まっている。キャバレッテマデイクヨ(注:スペイン語)、とお兄さんが言うので乗ることに。間もなく出発。と、程なく停車。どうやらここもバス停らしい。キオスクらしい出店の前。相棒はここぞとばかりに飛び降りてオレンジを購入。空腹にオレンジ?私は遠慮しとく。そうこうしているうちにバスは満員。補助椅子も出して、ギュウギュウに詰めて座る。ポン引きめいたお兄さんは始終ドアのところに席取っていて、乗客はめいめい料金を払う。延々と続くサトウキビ畑を抜けて1時間半ほど走った頃、お兄さんが、キャバレッテまで二人で100ペソだ、というので払う。後ちょっとダヨ、と言われたのも束の間、相棒お目当てのカイトサーフショップが左手に見えるじゃありませんか!あわてて飛び降りる。乗客のみんなが口々に、キャバレッテはまだ1キロ先だって!と説得にかかるのを振り切る。2軒のカイトサーフショップ(スクール)を覗いてみて、相棒はとりあえず満足したらしい。こっちは腹ペコ。折りよく道路の斜め前に出店を発見。パイナップル丸ごと一個(30ペソ)と、見ただけで腹痛を起こしそうな、いつ洗ったんですか、と聞きたくなるようなケースに入った小さなスポンジケーキを数個、買ってみる。道路向こうのビーチで食べる。パイナップルは…甘くて旨いのであった!これがパインなら今まで食べてたのは何だったんだ!とのセリフが思わず出たのであった。ケーキも、例の濃厚な小麦粉が生きておる。それから歩いてダウンタウンへ。いくつかのホテルに値段を聞いて、結局、予約しておいたところへ。予約した安いビーチまん前のロッジが手違いで満室とのことで、もう少し高めの本館の部屋(これまたビーチ前)に同じ値段で泊まれることに。ホテル側のずさんな管理のおかげでラッキー。2時ごろ風が出てきたので、相棒、はりきってカイトサーフ。つか、待ってる私は寒いんですけど~~~~!気温25度くらいあっても、風は身に沁みてブルブル。こんなときのためにもっと肉付けときゃよかった。カイトサーフのインストラクターのドイツ人が、お薦めのレストランはホテルからすぐのピッツェリアだよ、と教えてくれたので、夜はそこで食べることに。本格的なローマの窯が見えたので、これだ!と迷わず飛び込む。しかして味は…。生地は言うことなし、だがチーズがね…。ヤギのチーズですかい?!と聞きたくなるような、酸味の強いチーズが乗ってたよ…。しかし相棒には充分すぎるくらい美味だったらしい。値段も安いしね(70~90ペソが中心)。夜、ホテルのラウンジ(というと聞こえがいいが、建物とビーチの間にある単なるテーブルや椅子のあるコーナー)にビリヤードの台を発見。下手だからこそやりたくなるというもの。ドイツ人ツアー客がなにやら、ドイツ語吹き替えのハリウッド映画を観ているので静かにね。
Jan 26, 2004
ここ何十年も聞いてなかったような鶏の雄たけびで目が覚める。起こしてくれてアリガトウ。プエルトプラタに移動するので、寝坊は禁物だもんね。出掛けにドアの端っこにシロアリらしき昆虫の巣を発見するも、見なかったことにしてホテルを後にする。朝っぱらから腹へった。空腹で仲間割れすんのはやめようよ、と相棒と意見が一致、近くのパン屋で朝食を取ることに。なんだか美味しそうな素朴なパンがいっぱいある!迷いつつ、四角い何の変哲もないパンと、ハム&チーズが入ってるパンに決める。んまい。小麦粉は精製しすぎていないらしくコクがある。相棒はホットチョコレートを飲んで絶賛(←粉っぽいし常温保存牛乳の味なんですけど…)。とにかくお腹は満足、1時間ほど歩いて、ようやく高速バスの乗り場に到着。一路プエルトプラタへ。バスは清潔で、ちょっと期待外れというか、まぁとにかく1時間もするとプエルトプラタ。クラクションがブーブー言う中を歩いてホテルへ。これも相棒が下調べしておいた物件なので、こちらは期待せず。ダニさえいなければね。壁にはキリスト像のタピストリー。ハートをモチーフにした柄の淡い色合いのベッドカバー。黄色の塗り壁。う~ん、ごちゃごちゃしてるけど実はセンス悪くないねえ。トイレもちゃんと部屋と分かれてるよ。午後の昼下がりを散歩。港があるらしいので見に行くが、刑務所まがいの格子の向こうに船が何艘か見えるのみ。海づたいに少し歩く。ドミニカ人がボディボードで波乗りしているのを尻目に、私たちは出店のオレンジを買い食い。見かけはグレープフルーツだけど中身はオレンジ。冷えてないけど甘くて旨い。売り子の人が皮を向いてくれる。衛生問題は考えないことにして完食。相棒はオレンジに次いでココナッツジュースを買う。まだ青いココナッツジュースの実の上の部分をなたのようなのでかち割って、ストローを刺して飲む。想像通りの青くさい味。私にはちょっと…。しかし相棒はこれらの買い食いで大満足。夕食は要らないとのたまう。えーーー!私は食うぞ!海沿いのイタリアンで、何も注文しない相棒を尻目に私はアマトリチャーナを注文。果たして、注文から1時間して出てきたのはソフト麺であった…。ナムー。
Jan 25, 2004
マイアミ経由でサンティアゴへ。預け荷物なし、の気軽な旅が裏目に出て、搭乗券にSSSSをもらってしまいブルー。厳密な検査を受ける。外人だからか?カンジワリイなー!と思いつつ、白い粉は相棒の預け荷物に入れておいてほっと一安心(←といってもただの洗濯石鹸だけどね)。マイアミまでは空路およそ4時間(時差+2時間)。ケチなアメリカン航空、サンドイッチとポテトチップスくらいしか出ない。乗り換えてさらに2時間(+1時間)、今度は軽食どころか飲み物しか出なかったので到着時には腹ペコ。餓死寸前。早く食おう食おう!と、とりあえずダウンタウンまで行くことにするが、なぜかキャッシュカードでお金が下ろせない(←相棒のだけどね)。既に夜10時近く、辺りは暗いってのに、歩くしかないのか?いやだよ私ゃ!…とすったもんだの末、なぜか心優しい現地人の払いでタクシーでダウンタウンまで行けることになった。なんだろう、ボられるにしてもこっちは現金持ってないよ?と、疑い半分、雑談などしながら20分もするとダウンタウンに到着。しかも下調べしておいた安宿の前まで律儀に送ってくれた!さっきの心優しい青年がタクシーの運ちゃんにお金渡してたけど、こっちも気前良く、3ドル(USドル)ばかし渡してアディオス!あばよ!宿代はもちろん値切る。チェックインして荷物を置いて、ひとまずごはんごはん!近場を散策しがてら物色。旨そうなものないかね。野良犬多し。車多し。バイク多し。みんなこれでもかとクラクションを鳴らす。異国ムードたっぷり。そして見つけたのは、うさんくさそうな中華のテイクアウトの店。焼きそばのようなのと、春巻きのようなの2種類、水、はりきってスペイン語で注文してホテルで食べることに。銀行のATMに寄るのも忘れずに。ホテルの部屋はみょうちくりんな作りで、ベッドの枕元に便器、その両隣に洗面所とシャワーがそれぞれある。便器見ながらでは食欲減退と思われるので、ホテル受付の前の机で食べる、が、………。ドミニカ人は塩辛いのが好きなんだね。しかし空腹のため完食。ベッドにダニ発見(推定20匹)。動いてます。う~ん。
Jan 24, 2004
避難生活もはや5日目。今日こそアパートに入れるぞ、という情報が二転三転しつつ毎日が過ぎていった。いくつかの柱と煙突を残して燃え落ちた隣棟。依然として焦げ臭さは残るものの、火は完全に鎮まり、クレーン車が残骸を撤去すべく日夜稼動している。私たちのアパートももう大丈夫だろう。誰もがそう思い始めていた。午後6時。ようやくアパートの扉が開けられることになった。何かあってはいけないからと付け替えられていたマスターキーを、消防隊員が恭しく回す。カメラマンたちは物語の最後を撮り逃すまいとして一様にファインダーを覗いている。マイクを向けるリポーター。この5日間、普段は交流のない住人たちが、一丸となってこの時を待っていた。市長の出迎え。握手とともに小さな紙袋が手渡される。私たち住人は、ウェルカムバックのプレゼントで詰まった紙袋を手に、消防隊員に導かれ各部屋へと急いだ。愛猫との対面に涙する人。マスコミのインタビューに興奮して答える人。家中水浸しになってしまったと途方に暮れる人。それぞれの小さなドラマがあった。私はアパートの部屋へ足を踏み入れた。家の中を見回す。避難する際に散らかした服や本が、床の上に乱雑に投げ出されている。安堵の息を吐くと、私は、薬缶に水を入れ火にかけた。ゆっくりと、日常生活が戻ってきた。
Jan 1, 2004
さわやかな朝だった。ドアの隙間からコーヒーの香りが漂ってくる。差し込む日差しは瞼をオレンジ色に染める。火災発生から二夜明けた月曜日。相棒はまるで出張にでも来ているかのようにベッドから起き出すと、スーツケースを開けて、会社用の服を取り出した。幸いネクタイなしで出勤できる会社である。シャツに多少のシワが寄っていても許されるだろう。いつもの手つきで服を着る。じゃあ、行ってきます――。と、出掛ける寸前だった。相棒は、小さな、しかしとても大切なことを忘れていたことに気が付いた。いや、正確にいうと、気付かされた。あれほど冷静に荷造りしたにもかかわらず、奴は、通勤着に合う靴を持ってくるのを忘れていたのである。襟のついたシャツにまっすぐなラインのパンツ。に、ジョギングシューズ……。朝7時。靴屋も肉屋も魚屋も、皆、開店前である。いやはや、なんとも、みょうちくりんな井出たちで出社するはめになった相棒なのであった。そんな相棒を指差してひとしきり笑い転げた私。笑うのに飽きると、相棒を見送り、ひとりでレクリエーションセンターへと向かった。まずは情報収集である。消防署も赤十字も朝早くから活動してくれている。私は休憩中であるといった風の消防隊員をつかまえ、被害状況や現在の様子を訊いた。逃げ遅れた女性がひとり。後はまだわからない――。あれだけの炎を見せられても、心の中では、どこか、スペクタクルを見ている気分だった。それが、犠牲者という単語によって、現実のものとなってしまったように思われた。結局、アパートにはまだ立ち入り禁止、あと数日はかかるだろう、と言われ、私はますます意気消沈した。が、用意されたマクドナルドのモーニングメニューやドーナツの朝食を食べ終わる頃には、気分はすっかり回復していた。午後、体育館で住人向けのミーティング。消防署や、アパートを所有する会社、赤十字からの話。マスコミの取材。情報はどれも私が独自に収集したものと大差なかったが、今夜は近隣のホテルに泊まれるよう地元商工会議所が取り計らったので、希望者はあとで聞きに来てください、という耳寄りなアナウンスもあった。程なく会社から戻ってきた相棒と私は早速お願いすることにした。赤十字のボランティアは、本当に気の毒ね、といった口調でホテルについて説明してくれた。いいかしら、このホテルなんだけど……と遠慮がちにホテル名を挙げる。と、私は仰天してしまった。この辺りで一番の、豪華な高級な ホテル だったからである。手配してもらっても私は疑心暗鬼だった。本当にタダでいいの? チェックインしても私はまだ疑心暗鬼だった。本当にタダでいいの? 罪悪感で私の小さな胸が痛んだ。が、すぐに、ちょっと、浮かれてしまった。夕飯もこれまた商工会議所の計らいで、近所の小さいがとても感じのよいパブでタダで取れることになった。この ブル&ブッシュ は、敷地内に小さなビール醸造所を持つことで知られるパブである。自家製のビールのほか、典型的なアメリカのバーガー類、ステーキ、サラダ、そしてちょっとしたメキシカンやアイリッシュのメニューを楽しむことができる。私は “シェパーズパイ” を注文した。ひき肉にマッシュポテトを乗せてオーブンで焼いたおいしい一品。そして、パンに付いてくるレモンバターがこれまた絶品なのだった。相棒と生活しているとなかなかおいしいものにはありつけない。私はウホウホ言いながらホテルに戻った。ありがとう、赤十字。ありがとう、商工会。
Dec 29, 2003
火災発生から5時間余り。白んだ夜明けの空の下で、燻り続けるコンクリートの大きな塊。それはもはや形をとどめていなかった。ところどころに揺らめくオレンジの炎。私と相棒はアパートの回りをぐるりと一周すると、人の間を縫って、一ブロック先にあるレクリエーションセンターへと向かった。広々としたロビーに溢れかえる人々。実質100世帯以上が入居している計算だから、なるほど、これだけの人数がいてもおかしくない。普段顔を合わせることのない近所の人たちは、この、避難所と化したレクリエーションセンターで、揃って、興奮とも、弱気ともつかない顔をしている。燃えたアパートに住んでいた58世帯は突如として住む場所を失ったわけで、早速、新しいアパート探しに取り掛かっている。消防署、赤十字、救世軍が尽力してくれている。パジャマ姿のままソファに丸まって眠る女性。険しい表情の老人。じゃれあう子供たち。私はかろうじてひとり座れそうなスペースを見つけると、ソファの背中に寄りかかるようにして腰を下ろした。赤十字のボランティアが、もっと暖かい服を着たほうがいいわよ、と傍らの段ボール箱を指差す。私は寒くなかった。眠くなかった。テーブルにはドーナッツやクッキー、チョコレート、ピザが食べたい放題。飲み物が飲みたい放題。喜んでいいのやらなにやら、とにかく、こちらが罪悪感を感じるほどの “もてなし” 態勢が整えられていた。住む場所を失った人たちだけでなく、私たち、結果的には何も失わないはずの隣棟の住人までがこんな親切にあずかっていいのだろうか――。チョコチップクッキーを一切れ口に入れると、アメリカのお菓子特有の、甘くて、喉の辛くなるような感覚が口いっぱいに広がった。その夜、私と相棒は近場のモーテルに泊まることにした。全焼した建物の梁や煙突が崩壊する危険性があるので、隣の建物の住人もしばらく避難しているように、というお達しが出たからである。この寒さの中、レクリエーションセンターの体育館で眠るのは考えるだけで風邪を引きそうだった。モーテルの宿泊料金は、例の火災のせいで……と言ったら安くしてもらえた。
Dec 28, 2003
いつも通りの夜だった。それは、平和な夜だった。いや、平和な夜のはず、だった。相棒の 「火事デスヨ!」 という声で目を覚ました私は、寝ぼけ眼で、ふぅん、大変だね、などと相槌を打ちながら夢うつつでいた。年の瀬の草木も眠る丑三つ時。私は体温に暖められたベッドの中でうつうつとしている。耳元にはフカフカの羽毛枕。辺りは真っ暗。しんと静まり返っている。と、一瞬、どこからか、ジーンズの衣擦れが聞こえたような気がした。私は寝返りを打った。ドアがバタンと音を立てた。私は目を開いた。煙い。煙臭い。突如として、何かを燻したようなにおいが部屋の空気に漂っているのを感じた。私は瞬く間に覚醒し、バルコニーに飛び出した。すると――。消防車が! 消防自動車が!! 何台もとまっている!!!飛び出た両目をかろうじて押し戻すと、私は、即座にジャケットを着込み、脱兎の勢いで階下に急いだ。四階から一階まで、ものの十秒ほどであっただろうか。私は力任せにドアを開けると、いつもの駐車場に飛び出し、そして、驚倒するのだった。ゴウゴウと燃えさかる隣の建物――。隣接したアパートの隣の棟が、まるで、予算かけてます! といったハリウッド映画のワンシーンのように炎上しているのであった!この騒ぎの中、我ながらよく熟睡していたものである。消防車のウーウー唸る音、消防隊員の叫ぶ声、そして、野次馬のざわめきが、いつもの見慣れた場所を混沌としたものに変えていた。私は炎に包まれた隣棟を見上げた。よし。私たちの建物には火の手は回っていないぞ――。消火活動はすでに始まっている。燃えている棟と私たちの棟との距離は充分あいている。答えを出すのに一秒とかからなかった。私は再び、逃げ出す兎のごとく、部屋へと踵を返そうとした、と、その時だった。見慣れた顔が頬を蒸気させながらこちらに向かってくるのが見えた。相棒だ。私を置いて逃げた相棒の奴だ。しかし、今はそれをなじっている暇はない――。私は、野次馬のひとりと化した相棒を促すと、部屋へと駆け上った。勢い余って五階まで行ってしまったが、そういうことはなかったことにした。そして、努めて冷静に、かつ、あれよあれよという間に、スーツケースいっぱいに衣類を詰め込んだ。次に、大きな旅行鞄に、ラップトップを始めとする金目のものをほうり込んだ。準備万端。さぁ! 行くよ! 私は相棒に号令をかけた。見ると相棒は、自転車2台を運び出そうとしているところだった――。そっちがその気なら! ふたつの鉄の塊を両脇に抱えた相棒を目にした途端、私は、なぜか、悔しくなってしまったのだった。急遽キッチンの戸棚を開けると、鉄鍋2個をスーパーのビニール袋に入れようと試みた。鉄鍋は自転車より素敵だ。結構、高かったんだ――。しかし。相棒がそれを制止する。気を確かに持て、というようなことを言っている。それもそうか。私は、あえなく断念すると、スーツケースと旅行鞄でヨロヨロしながら階下へと向かった。その間5分足らずであった。そうして私たちが逃げ出すやいなや、消防士たちが、火事だ! 避難しろ! と叫んでまわり、建物は全面立ち入り禁止となった。私たちの棟には火がついていないが、隣の棟はまさに全焼しようとしており、危険と背中合わせなのであった。ひとまず、運び出した家財道具を車に入れ、火事現場を呆然と眺める。漆黒の闇を打ち破る猛炎。次々と消防車が到着するも、一向に衰える気配がない。私は身震いした。消防車のホースから噴射される水が、氷となって地面を覆っている。まんじりともせず、車中で夜明けを迎えた。
Dec 27, 2003
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