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昨日の夕刊フジのコラム「温故知人」~あの人のあの時~から抜粋引用 ”語呂あわせではない。生年月日は、2・3・4・5(昭和23年4月5日)足りない「1」は、「自分の力でとってくるのよ!」 そう母に言われて育てられた。‥‥ ‥‥気性の激しい母から「一番は気持ちいい」とたたきこまれた。” 東京五輪で水泳界のアイドルになり、”「人は水とともに生きる」と水の癒しを伝えるために20代後半でからスイミングの普及活動を始めた。” そんな母の思いを背に生きてきたことを今に知った。 あの人の元気さにはこんな背景があったのか!それにしても誕生日の日付が絡んでいたとは‥‥。 木原美智子 平成19年10月18日没 享年59歳
2008年01月30日
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”「ラッシュアワー終わりし駅のホームにて 黄なる丸薬踏まれずにある」(奥村晃作) 混雑する時間帯が過ぎた駅のホームに、黄色い丸薬が一つ、落ちている。目に触れたとしても、多くの人は何も感じないまま通り過ぎるに違いない。が、この読み手は丸薬を眺め、面白がる。 歌会始の選者で、京都大学の永田和宏さんは最近著した「作歌のヒント」でこんな短歌を紹介しながら「どうでもいいことの大切さ」を説いている。 研究室に電話した。 ―どうでもいいことがなぜ、大切なのですか? 「投稿歌を読んでいて思うのは、深い感動を呼ぶような重大な出来事や大所高所の話題ばかりを探す人が多いこと。日常の何でもない事物でも面白がってみると、そこはかとなくおかしい歌が生まれるのです」 ―どうすれば面白がれるのですか? 「例えば道端に咲く花の名前を覚えるだけでも、花への愛情が芽生えてくる。平凡でつまらないと思っていた生活が喜びに満ちてくることもあるのでは」” 日経コラム「遠みち近みち」から以上抜粋引用 最近、デジカメを携帯して散歩などをしていると、毎日が同じようにくり返される中で、日々目に入っているようで、何も見ていなかったことに気がつくことがある。が、その気づきや思考の深さがまだまだ足りないのだろう。 歌を詠む心を備えれば、より一層面白くなることは間違いない。
2008年01月27日
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”「都市生活には自然の要素が欠けている。しかも、都会が膨張すればするほど、自然の要素が人間生活から欠けていく。その結果、道徳上に悪影響を及ぼすばかりでなく、肉体上にも悪影響をきたして健康を害し、活動力を鈍らし、精神は萎縮してしまい、神経衰弱が多くなる。 田園都市というのは簡単に言えば、自然を多分に取り入れた都会のことであって、農村と都会とを折衷したような田園趣味の豊かな街をいうのである。 我が国にも田園都市のようなものを造って、都会生活の欠陥を幾分でも補うようにしたいものだと考えていた。」 大正時代に田園調布を開発した明治の実業家、渋沢栄一の言葉だ。” 花田紀凱氏のコラム「天下の暴論」から抜粋引用 1世紀も前に語られたとは思えない新鮮な響きを持つ言葉である。 高層ビルが節操もなく、いたるところに無秩序に造られていく現状。 都市計画が貧弱で育たない国、日本‥と表層的なことを嘆いても仕方がないが‥それにしても‥‥。 日本だけではないが、現代文明は高層ビルの乱立によって、終焉を告げるような予感がする。
2008年01月23日
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あのジョージ・ソロスの気になる発言をこの方のブログで知った。 以下、引用 米国はリセッション(景気後退)入りする可能性があるとの見解を示した。 ソロス氏は「状況は第2次大戦終結以後どの経済危機よりも深刻だ」と述べた。 過去数年、政治は「市場原理主義」のようなものに起因する、ある種の基本的な誤解によって行われてきたと指摘し、「これは間違った思想であり、われわれは実際に現在、深刻な金融危機に直面している」と述べた。 米国はリセッションに向かっているかとの質問には「その通り。米国には脅威となっている」と述べた。 また、リセッションは欧州にとっても脅威である点があまり理解されていないことは意外との認識を示した。 つけの回しあいで、延命を図ってきたが、今、大国のアメリカが揺らいでいる。その波及は‥‥。 到知出版社発行 安岡正泰著 「安岡正篤 一日一言」から引用 1月22日 人物の見分け方 「大事・難事には担当を看る。逆境・順境には襟度を看る。臨喜・臨怒には涵養を看る。群行・群止には識見を看る。」 これは呂新吾の呻吟語に出てくる言葉であるが、大事難事がおこったときは、人の担当力を看るだけではなく、自分自身がどう対処し得るかと内省する意味がある。 逆境順境に襟度を看るは、襟は心であり、度は度量である。 臨喜臨怒に涵養を看るは、喜びや悲しみに際して恬淡としているかと思っていると悠揚としているなど、平生深く養っておればそれが出ることだ。群行群止とは、大勢の人間と一緒の行動をしているとき、その人の識見が現れることをいう。
2008年01月22日
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”求めない ――すると 本物を探している自分に気づく ――すると ちょっと恥ずかしくなるような あんなクダラヌものを 求めていたのか、と ――すると 人から自由になる” そうか、こんな考え方もあるのか? 時と場合によって、いろいろなオプションを持っていると生きやすい。
2008年01月22日
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何となく読む勢いがない時は、文字が大きく、早く読み進められる本がいい。 以下、抜粋引用 ”アップルの創業者スティーブ・ジョブズ」がスピーチでこんな話をしたことがありました。 「私たちは自分たちの食べる食べ物のほとんどを作っていません。私たちは他人の作った服を着て、他人の作った言葉をしゃべり、他人が作った数字を使っています。要は、私たちは常に他人に依存しているということです」 言われてみれば当たり前の話ですが、誰も一人では何もできません。‥‥何をするにしても人とのつながりが不可欠だということです。” ”誰を知っているかではなく、誰に知られているかです。” ”私の考える人脈とは、情報を交換したり、人を紹介したり、刺激し合ったりして、一緒に成長していけるようなマインドの高い仲間のことです。” ”つまり、仲間内に意識が伝染し、「難しい」と思っていたことが簡単になり、「できない」と思っていたことが可能になる。” ”自分の価値観に合った仲間を見つけ、つながりを持ち、ともに高めあうことが、「レバレッジ人脈術」の大きな目的です。” ”今の仕事に関係のある人脈=現在人脈は、仕事の流れのなかで意識しなくてもできていきました。ところが、「未来人脈」は自分から意識してつくっていかないと、作ることはできません。 ‥‥「個人サバイバルの時代」、これからの人生に関係のある「未来人脈」は、個人ブランドがなければ作ることはできません。時代の流れが変わった今、今までの人脈作りの考え方、やり方を根本から変えていかなければならないのです。 そして先々必要になってくる「未来人脈」は、必要になってからつくっていったのでは遅いのです。” ”私がもっとも大事にしているのは「コントリビューション(貢献)」です。” ”人に会うときは、まず、「この人に対して自分はどんな貢献ができるか」を考える。上から何かを与えるのではなく、「この人に何か貢献しよう」「自分の持っている情報をシェアしよう」「自分が持っているバリューを提供しよう」という気持ちで接するわけです。 ‥‥それ自体を「楽しい」と感じながら行えればいいと思います。” 自分を高めていくには、それに見合った人や図書などに出会うことが、最も近い道。 最近はネットの発達で、同じような考えを持っている人に対してのヨコ串を簡単にさせる。 そこで切磋琢磨していけば自ずと道が開ける。 そんな恵まれた時代にめぐり合えたことが、この上なく有難い!!
2008年01月21日
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本著は二人の考えが交互に表現されているが、とりわけ野田氏がメインディッシュという感じである。 冒頭、著者がリーダーシップをプロセス論の観点から本格的にとらえるようになった、南アフリカで開かれた企業変革セミナーでの出来事が紹介されている。 以下、抜粋引用 ”「皆さんはリーダーと聞いてどんな人をイメージされますか?」 すると、未だ30代と思しき白人男性が「天安門広場で戦車を止めようとして一人で立ちはだかった、名も知れぬ若い中国人の男性」 その時、私は自分の中でリーダーシップへのもやもや感が急速に晴れていくのを感じていた。” ”「他の人が見ない何かを見てみたい」という意思を持つあらゆる人の前に、リーダーシップへの道が開けていることを、彼の行動は示しているのではないか。” ”一人称単数で語りつつ、結果において大勢の人々がついてきたリーダーシップ現象に関しては、格好の例をキング牧師に見ることができる。1963年8月28日、キング牧師が「仕事と自由のためにワシントン大行進」の演説で繰り返したあまりにも有名なフレーズ、「アイ・ハブ・ア・ドリーム」のリフレインだ。 あの演説でキング牧師は聴衆に向かって「私には‥」力強く夢を語った。「我々には‥」と複数形にせず、三人称を用いたりもしなかった。 決定的な場面で、リーダー自らが発する一人称の言葉は、強烈なパワーを発揮する。だからこそ、あの演説は人々の心を打ったのだ思う。” ”こうしたリーダーシップを研究する難しさ、とりわけ経営学で扱う不幸について、自然人類学者でサルの研究をしている糸魚川先生に話したところ、「人間相手に何をややこしいことをやっているんですか」と笑われた。「サルのリーダーシップは単純です。先頭と中央なんです」と言われた。群れのボスは移動する時には先頭を歩き、みんながリラックスしたり、食事をする時には中央にいる。なぜ、移動の時に先頭かというと、旅は危険だからだろう。 ‥‥企業内でのリーダーシップを測る場合、私は「指揮系統下にいない応援団がどれだけいるか」を試金石と考えている。 ‥‥「後ろを振り向いたら、嫌々ではなく、喜んでついてくるフォロワーがいますか?」” ”リーダーシップとマネジメントを履き違えてしまうと、自分のどんな部分にフォロワーが喜んでついてきているのかが分からず、落とし穴に落ちていることに気がつかない、という事態が起きる危険性がある。したがって、やはり一度両者の違いを峻別して考えてみることが必要だ。” ”リーダーとマネジメントは異なる。リーダーは「見えないもの」を見て、地位による権威ではなく、人々の価値観や感情に訴え、人の共感を得て、自分の夢とみんなの夢のシンクロをつくり出す。私には、そこに重要なメッセージが潜んでいると思えてならない。” ”中年になってからでも夢を見る人と、そうでない人を分けるものは一体何なのだろうか。夢や志を追わずに、信用競争に埋没してきた人が、アクティブ・ノンアクションのワナに気づいて、ある時ふと自分に振り返ったとして、そう簡単に「大人の夢」を描けるものだろうか。 大人になってから夢を見るためには、何か根源的なものが欠かせないと、私は感じている。 ‥‥私が「もしかするとこれかも‥‥」と感じたのは、松永真理さんとの会話がきっかけだった。 ‥私は松永さんに「色々なことを実現されてこられたあなたの原動力は何ですか。初めから何か夢を持っておられたのですか」と尋ねたことがある。松永さんからはこんな答えが返ってきた。 「よく聞かれるんですが、これをしたいという夢は残念ながらありませんでした。でも、私は幼い頃から『松永真理』でいたかったんです」 この言葉に、リーダーシップの旅を解き明かすカギがあるのではないか。そんな風に私は感じる。 松永真理でいたかった――それは、自分が自分として生きることだ。組織に属していながらも、自分という個人の存在を忘れない。信用蓄積をするにせよ、肩書きやポジションで勝負するのではなく、一個人として、顧客や取引先、そして社会と向き合う。そんな生き方が松永さんの言葉から感じられた。明確な夢や志を持っていなかったにせよ、それらの萌芽をずっと大切にして生きてきた。そんな息吹きが伝わってくるとても素敵な回答だった。 こう考えてみると、「結果としてリーダーになった」人は、この「私が私でいる」という自負が比較的強いのではないだろうか。自分への矜持に近いものだろうか。私には、これがリーダーシップの旅において、重要な役割を果たしているように思えてならない。” ”ヘンリーは「忙しい現代人に必要なものは、知識やスキルの詰め込みのためのブートキャンプでは決してなく、自分を内省するという経験だ」と強く主張するが、私も120%賛成だ。” ”話を基軸力に戻したい。自分を振り返ることは、私たちにとってどういう意味を持つのだろうか。自分を振り返るとは、生きる上での基準を、世間の論理や組織の論理ではなく、個の論理へと引き戻すことだと思う。よく使われる言葉で言うと、「自立した個」になるということだ。 嫌われるの覚悟して言えば、私は、日本で最も自立していない人たちが、30代から50代にかけての中堅エリートサラリーマンと官僚ではないかと疑っている。” ”立ち止まり、自分を振り返ること。なりたい自分への刺激と挑戦への気概を喚起させられるような匂いをもつ場に身をおくこと。そうした中で、世間や組織の論理ではなく、個の論理に自分をひきつけること。これらは、リーダーに求められる力を磨くことに結果的につながるように思う。” 田口さんは「日経新聞」の「私の履歴書」をつぶさに調べて、あのコーナーの筆者がよく使う言葉に共通性を見出した。「偶然にも助けてもらった」「ひょんなことから」「たまたま良い知らせがあった」「人に紹介されて」など、成功した人はしばしば、幸運に恵まれて他者からの後押しを受けたと回想しているのだそうだ。これは決して偶然ではなく、その人たちが徳を積んできたからだと田口さんは言う。徳を積んでいけば、必ず本人の勢いとなって返ってくる。「徳=いきおい」から考えると、そこには利己と利他のシンクロナイズを解き明かす何かが見えてくるように思う。” ”‥私たちにとって、リーダーシップとは「生き様」の問題なのだと思う。つまり自分はどんな人生を送るのかと同義であり、本当の意味で納得できる人生が送れたならば、そこにはそれぞれの旅の軌跡が残るのだろう。 しかし、私たちはなかなか納得できる人生を生き切れない。世間や組織の目が気になったり、常識、過去、しがらみにとらわれ、日常に振り回され、多忙を理由に問題を先送りにする。” ”アップル・コンピューターの創業者であり、スタンフォード大学での卒業式で行ったスピーチが‥‥ ‥とりわけ死にまつわる話が感動的だった。 ‥死とは「我々すべてが共有する運命」であり、「古きものを一掃し、新しきものに道筋をつくるもの」と話し、さらにこう続ける。 「君たちの時間は限られている。だから自分以外の誰かの人生を生きて無駄にしてはいけない。ドグマのワナに絡め取られてはならない。それは他人が考えたことの結果に従って生きることだ。他人の意見に、自分自身の内なる声をかき消されてはいけない。そして、最も重要なことは、自分の意見の心と直感に従う勇気をもつことだ。心と直感はどういうわけか、君たちが本当になりたいものをすでに知っている。その他はすべては二の次だ」” ‥‥死から目をそらさず現実的なものと意識することによって、人は初めて生の意味を知るのだろう。” ”「内なる声を聴いて歩くすべての人の前に、リーダーシップの旅は開けている」私は、自分にそう言い聞かせて、生きていければと願っている。” リーダーシップを「旅」というメタファーでとらえる著者の着想が、リーダーとは何かというニュアンスをうまくとらえているのではという気がする。 多数の人は、自身のあり方と現実の姿との矛盾や葛藤の中で生きていると思われる。が‥‥ そんな中で、著者自らが、他もうらやむようなルートから自ら外れて旅を歩んでいる。 その方の言葉は色々な示唆に富んでいる。
2008年01月20日
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MIXIサーフィンをしていたら面白い活動の紹介が‥‥。 名づけて「ストップ温暖化一村一品大作戦」 都道府県地球温暖化防止活動推進センターが中心となって、地域の創意工夫を活かした優れた温暖化対策の取り組み(一品)をとりまとめ、地域の温暖化対策の一層の推進を図るため、07年から開始した3ヶ年事業とのこと。 「CO2を減らす地域の隠れた一品」ということで全国各都道府県の地域でのユニークな取り組みが紹介されている。 現在WEB投票を受付中で締め切りが1月31日となっている。 16日現在で得票数が多いのは、上位から順に埼玉県・鹿児島県・静岡県。すでに100票以上の票を得ているよう。 ミッションには「地域の隠れた取り組みを発掘せよ!」とある。 環境へのネガティブな情報が多い中、各地でこのようなことが行われているとは‥‥。 もっと、もっと宣伝していけば良いと思うが‥‥。
2008年01月20日
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九州に住む義母が次女の受験がうまくいくようにと、最後の切り札として砂を送っていただいた。 以下、砂と共に送られてきたもの 「この御守砂は碓氷峠を越える機関車が実力を最大限発揮できるよう、滑り止めとして百年余に亘り難関突破の為に使って来た守砂です。」 【御守り砂】のご送付について この度は【御守り砂】送付ご希望をいただきありがとうございます。 同封の【御守り砂】は実力のある機関車の空転防止に使用するものです。 残された期日を更に努力され実力を最大限に発揮して、見事志望校の難関を突破されることを職員一同心をこめてお祈りいたしております。 碓氷峠鉄道文化むら 敬白 受験も楽しみながら、乗り越えていこう。 そうすれば活路が開けるのでは‥‥。 勝手にそんなことを考えながら、‥‥。 今日はセンター試験の初日!
2008年01月19日
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コラム「あすへの話題」から 五百旗頭真氏の記事を一部抜粋引用 ”東京はじめ主要都市がほぼ廃墟となった昭和20年の日本。‥‥誰も「復興の光明」など展望しようもない当時であった。 「あの当時から戦後日本の復興を信じていました」という人に出会った。アメリカ人のジョージ・アリヨシ元ハワイ州知事である。小さなエピソードから、そう確信したと氏は語る。 昭和20年暮、占領軍の若い将校であった氏は、有楽町近くの街角で、靴みがきをしてもらった。寒風の中、小柄な少年が一生懸命心をこめてみがいてくれた。いい子だ。氏は進駐軍の食堂で白いパンを二つに割り、バターとジャムをたっぷり塗り込んで、少年にプレゼントした。恐縮しながら、少年はそのまま袋に収めてしまった。「どうして食べないの」と訊ねると、「家に妹がいるんです」。年齢を聞くと「三才で、まり子といいます」。少年は7才だという。 アリヨシ氏は感銘を覚えた。吹きすさぶ寒風の中、着の身着のまま空腹の少年が、手にしたご馳走を自分で食べず、妹に与えようとする。靴みがきをして妹を育てようとする7才の少年か。世界のどこの子供がこんな風にできるだろうか。 富士山が良く見える焼け野原の東京。モノとしての日本は消失した。しかし日本人の精神は滅んでいないのではないか。片隅の少年があんなに立派に振舞えるのだ。日本はこれで終わらない。必ず蘇る。そう確信したというのである。” この方も生きていれば、もう70才になろうか。 戦後に生まれ、戦後教育を受けた人々で日本が覆いつくされはじめている。 物質文明に洗われ、バブル期を経て拝金主義に染まった社会。 日本を立て直せる精神を受け継いでいる人々がどのくらいいるのか?と、嘆いてみてもはじまらないが‥。内省‥。 到知出版社発行 安岡正泰著 「安岡正篤 一日一言」から引用 1月16日 自己鍛錬の妙薬 人間はどんなことが起こっても、自由自在に対応できる適応力を不断に養わなければいけない。それには絶えず自力を養成しなければならぬ。薬の力とか、医者の力とか、他物に依存して居っては段々に自力が弱くなります。自然の体力、生命力が弱くなってしまいます。どんな代用品も自然の生命力に勝るものはありません。 身体ばかりではない。生理ばかりではない。精神、心理という意味に於ける性理、命理もすべてそうです。 そんなことから、病弱とか、愚鈍であるとか、貧乏であるとか、多忙であるとかいうことは、逆に自分自身を鍛錬する非常な妙薬、否、妙薬以上のものであります。
2008年01月19日
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梅原猛のコラム「こころの玉手箱」から一部抜粋引用 ”‥‥三年前、買ってきて庭に植えた樹がある。それは紅梅と白梅。友人で韓国の哲学者、季御寧さんの話が心に残っているからだ。 彼はこういう話をした。人々に最も愛されている花は日本では桜、韓国はムクゲ、中国は牡丹。二番目は三国とも梅。梅の花は気品高く、志の変わらぬ人間が愛する。その梅こそ、三国融和を図る精神的シンボルだと。 梅は早春、寒い中いち早く花を咲かせる。どこか寂しげであるが、孤高を保つ強さがある。対して、桜はパッと咲いて潔く散り、華やかで賑やか。なにがしか群集心理を煽るところがある。戦時下の狂奔、バブル経済時代の狂騒などを考えると、梅に見る精神性、孤独に耐える強さを学ぶ必要があると感じる。最近ますます、集団におぼれる傾向が強まっているのは心配だ。” 若い頃は梅などに見向きもできなかったが、最近、梅の美しさも少しながら感じられるようになった。今年は近くの梅園にでも見に行ってみたい。 しかしながら、桜の心理も言い得て妙である。「集団におぼれる傾向が強まっているのは心配だ」という言葉が気になる。 -----------------------------------------いろいろな使い方ができて面白い「透明フセン」第16次モニター募集中です。残席わずかです。お早めにどうぞ!http://www4.ocn.ne.jp/~etiquett/monitor.html-----------------------------------------
2008年01月18日
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高須基仁のコラム「人たらしの極意」から””部を抜粋引用 ”拝啓 吉田拓郎様「貴方に会いたい‥‥」と思い、2年前、2006年9月24日の日曜日。静岡県掛川市の「つま恋」にひとりぽっちで出向きました。「つま恋」は私の生家から歩いて15分の所で、30年以上前の1975年8月2日夕暮れ時、今は別れて暮らす元妻と生まれたばかりの長男を「乳母車」に乗せ、貴方の約12時間のコンサートを見ました。” ”あのコンサートでは、「人間なんて、ララララララーラ‥」と貴方が歌い続け、聴衆との大合唱で夜が明けていきました‥。 空は白々と明けるのではなく、妙に紫色に染まりながらゆっくりと明るくなったことを思い出します。 20代後半を過ぎ、‥‥ に勤めていた元妻と一緒に「穏やかに生きよう」と決めていました。 私は、68年10月21日、国際反戦デーの夜、約2000人の仲間と、東京・六本木の防衛庁正門ゲートに丸太を抱いて突入しました。そして、凶器準備集合罪と公務執行妨害で、逃亡先の岩手大学の寮から東京・江古田のアパートに戻った11月中旬に逮捕され、長く獄にいました。” 在学した中央大学は、今では考えられませんが、除籍されることもなく5年かけて卒業し、当時小さな玩具メーカーに職を得ました。 「もう政治はいい‥。子供相手に生きていこう」と思っていました。 そして、寂しくなると、悔しくなるとボーナスで買ったステレオに、貴方のレコードをかけ続けました。” ”今、貴方の体調が悪いらしい―と耳に入っています。 心配です。心が痛いです。 私は40歳で初期の胃がんになり、胃の4分の3を失っています。 それから約20年、後遺症に苦しみながらも生きています。” ”私は貴方が、貴方の存在が貴重なのです。 敬具” 高須基仁 百花繚乱 独り言 友人に誘われて近くで開かれたコンサートに出かけた。ハーモニカを吹きながら、ギターを弾き、そして熱唱する。広島フォーク村で活躍しているらしいことを知った高校のころ。 大学時代に北海道を仲間で長旅をした帰り道、青函連絡船で青森についた時、街なかに流れていた「旅の宿」 拓郎は思い出深い芸人の一人。
2008年01月17日
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コスモスと青空だけの構図が素晴らしい。 1日に1枚写真を撮ることにはまっているという。 その「心が晴れる写真」と管理人がご推奨の「なごむ動画のペンギン」が最高! 疲れを癒すのに、時々ちょっと立ち寄りたいをブログ発見!
2008年01月16日
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日経コラム「十字路」から抜粋引用 ”先日子供に、「応仁の乱の勝者は誰?」と尋ねられ、答えに窮した。標準的な解答は、「十年以上続いたが結末ははっきりせず、戦国時代に突入した」というものだろう。勝敗がはっきりして新しい秩序が生み出される契機となる「天下分け目の戦い」とは異なる種類の戦いであった。 イラクやパキスタン、そしてアフリカ諸国で続いている武力衝突は、「応仁の乱」的である。利害関係が入り組んでおり、「戦後」のイメージが明確に浮かばないまま泥沼化しているように見える。 似たような状況は、戦争に限らず世界中の政治・経済の場で起こっている。‥‥” ”‥‥我が国でも、構造改革で何となく良くなるだろうとは感じるが、依然抵抗も根強いし、多くは対症療法ゆえ、漂う閉塞感が払拭されるまでに至らない。景気も「失われた十年」への逆戻りが懸念される始末である。” ”むしろ世界とか国家レベルでは混沌とした状況が当面続く前提で、企業や地方自治体、さらには個人といった小さい単位でブレークスルー(現状打破)を模索していくことが重要だ。戦国大名の領国経営が、ちょうどその後の時代の体制のモデルとなったのと同じように。” 調整に手間取っている間に、時間は限りなく過ぎていく。できる範囲の最小単位で、ブレークスルーしていくことが、今の時代の生き方なのだろう‥‥。 きっと‥‥!!。
2008年01月15日
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気がついてみたら、今日は成人式。娘がいつのまにか成人していた。 夜明けに病院から電話があり、自転車で飛ばして行ったあの時から、早20年。 自分が二十歳のときはどうだったのだろうという振り返りがあるが、どんな意識でいたかあまり定かでない。 時間って何だろう? 最近いろいろな場面でそう思うときがあるが、とにもかくにも、今度、さしで飲みにいける時が来る日が楽しみ!
2008年01月14日
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本の帯にはこうある。 "今の日本に漠然としてある「気の重さ」を晴らす作家の確かな企み! 大人も子供も「行き場のない」という大問題。惰性となってしまった「進歩」をもう一度考え直す。" 以下、一部抜粋引用 "地球温暖化防止のための議定書に「京都」という日本の知名が冠されていることと、日本が「戦争放棄」を謳った条文のある憲法を持っているが重なっているのは、偶然ではないはずです--私はそのように思います。" "「ファンド」というものが、二酸化炭素と同じくらい世界をおかしくする迷惑なものになっていることは、分かる人には分かっているはずです。そんな、「金をあちこちに動かして儲ける」などというヴァーチャルな金儲けばかりを考えずに、もっとカタギになって、「自分のところでいるものは自分のところで作る」という原点に帰った方が、世界は安全で穏やかなものになるのです。" "日本の官僚は、議会から選ばれた総理大臣の下で働くわけではなくて、議会からは超然として存在している元勲系の総理大臣のために働きます。そうして彼等は政治のプロフェッショナルとなり、官僚から議員に転出して政治家になります。この政治家としての所属は、当然「元勲系総理大臣の率いる与党」です。与党が圧倒的に有利なるのは、目に見えています。選挙なんかしなくても、与党に直属の「官僚」がいれば、政治は遅滞なく動くからで、元勲が作って元勲が支配する「政治」というシステムは、官僚によって受け継がれて行くのです。" "日本の政治の中心に、1860年に起こった「敗戦の傷」は、まだなんらかの形で生きているのでしょう。" "国民に「官僚を従えるだけの思考能力」が宿らない限り、官僚は、自分達の考えと異なる全ての考え方に対して、「そういう考え方もありますね」と慇懃に拒絶し、鼻先で笑うことも可能なのです。つまり、「国民が成熟しない限り、官僚は不祥事の仕放題である」とうことでもありますが。" "--そのように、国民が成熟する以外、民主主義の生きる途はないのです。その点で、まだまだ日本の民主主義は不十分なのです。不十分というか未熟なのです。" "では、なんで「歴史理解」というものは必要なのでしょう?それが必要なのは「歴史を理解する」ということが、「現在はどのように出来上がっているのかを知ること」だからです。現在がおかしいのは、過去のどこかに問題がある--それを理解するために、歴史の理解があるのです。" "つまり、日本の「産業革命の達成=近代化の実現」には、「やらなければならない」という国家側の立場と、「あんまりそんなことしなくてもいいんじゃないの?」という民間側の立場の二つがあったということです。 その二つがあって、結局日本は「近代化」を達成してしまう--これこそが、私にとっての「日本の特異性」なのです。" "学校ではおそらく、「貿易」というものを、「国同士で、必要のある物をやりとりする」というふうに教えるでしょう。「物の売買」も同じように理解されるはずですが、でもこれは、現実のありようとは大きくかけ離れています。現実には、「いらないかもしれないけど買え。これは必要なはずだから、これは便利なはずだから買え」ということが売買の原則になっています。 どうしてそういうことになってしまったのかと言えば、産業革命によって「必要以上の物を生産する」が可能になって、その態勢が今でも続いているからです。 「必要か不要かを無視して、ほしいとおもったものはどんどん買え。なぜならば、個人消費こそが、景気の動向を左右するのだ」という考え方はこの産業革命以来のあり方をストレートに受け継ぐものです。" "「世界の工場」になった国は「生産すれば儲かる」の一本槍で、ガンガン二酸化炭素やその他の有害物質を排出して、地球のあり方を危うくしているのです。ほんとに、「もういいじゃないか」です。" "「果たして、そこまで機械化、合理化を実現してコストを下げ、自国内の必要量を超える生産を続ける必要があるのか?」という問いは「それをしなければ他社や他国との競争に負けて、わが社は沈没する」という現実的な声によって却下されますが、「そこまでして、本当に必要なのかどうかわからなくなってしまった'物'を作り続け、売り続ける必要はあるのか」という問いはもうあってもいいのです。なにしろ、その、「過剰」かもしれない生産と消費の繰り返しが、地球温暖化を招く原因になっているのです。" "行き詰まっているのは、「産業革命の達成=近代化の実現」を「やらなければいけない」と思った国家の立場なのです。その立場に引きずられ、「あんまりそんなことしなくてもいいんじゃないの?」という立場を捨ててしまった「民間側」の方は、実のところ、あまり行き詰まってはいないのです。" "昔の国家は、「こういうことが絶対に必要だ」と考えて、なんだか知らないへんてこりんな方向へ進みました。その方向が行き詰まって困ったことになっているのですから、我々は改めて、「あんまりそんなことしなくていいんじゃないの?」という立場へ方向転換をすればいいのです。それが簡単ではないことは重々承知していますが、重要なのは、「まだそういう選択肢が残されている」という、その点です。 残る疑問は、「そういう選択肢が残されているのに、どうしてそういう選択肢をだめにするような方向ばかりに行くのだろう?」だけです。" "今や世界は、「消費で世界を進めるか、消費で世界を壊すか」の二択になっています。「経済はピークを超えて大規模化し、それを消費が動かし、それが地球を壊す力になっている」という、いたって単純な関係性を頭に入れた方がいいのです--と、私は思います。" "人は「豊かさ」によって自由になり、自由になって「豊かさ」を求め、その結果、「豊かさ」によって翻弄され、「豊かさ」を失います。なにかここには罠があります。" "なぜ産業革命が「さまざまな問題」を生み出すのかと言えば、大量生産を可能にする機械が、多くの人を排除して、少しの人に利益をもたらすからです。" "ところで、ここで一つの疑問です。「生産の拠点」をよその国に移されて、「働く」ということが成り立たなくなってしまった先進国の人間達は、一体「なに」で収入を得て、「消費生活を続ける」ということが可能になるのでしょう?こわいから、これは考えません。" 近代の歴史というのは学校ではうやむやにされて、何となく、きてしまったけれど、やはり、今の仕組みなり制度がどういう経緯の元に成り立っていて、本当はどうなんだということをきちんと理解したうえで、これからどうして行くのが良いのか? 一人ひとりがメディアに流されることなく考えていかなくてはいけないと‥‥。あらためて感じた。 ところで、明日はまた『株価の下落』がメディアを賑わせるのか?
2008年01月14日
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著者が書物を通じて知ったであろう、いろいろな人物が登場する。 これら登場人物の傾向を探れば、多少は中身も想像がつくのかな‥‥。それにしてもたくさんの人が‥‥。 吉田松陰、野村和作、ソロー、仁平和夫、リチャードコッチ、ジョセフ・モーゼス・ジュラン、エドワーズ・デミング、孔子、佐久間象山、小室直樹、ルソー、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、坂本竜馬、ナポレオン、アレキサンダー大王、アーベル、孟子、西郷隆盛、伊能忠敬、井上ひさし、隆慶一郎、河盛好蔵、吉川英治、宮本武蔵、宮城谷昌光、北方謙三、立花隆、ベンジャミン・フランクリン、マックス・ヴェーバー、エルバート・ハバード、若林茂、福沢諭吉、サミュエル・スマイルズ、夏目漱石、佐藤一斎、司馬遼太郎、藤沢周平、池波正太郎、高橋源一郎、白土三平、渡部昇一、ペマ・ギャルポ、倉前盛通、勝海舟、海音寺潮五郎、徳川家康、山崎闇斎、朱熹、ココ・シャネル、田辺聖子、島津斉彬、中谷宇吉郎、広瀬武夫、島田謹二、秋山真之、穂積重遠、吉田賢抗、宮崎一定、小林勇、岩波茂雄、森鴎外、幸田露伴、寺田寅彦、斎藤茂吉、徳富蘇峰、辰野隆、佐藤佐太郎、川田順、島木赤彦、永井ふさ子、小宮豊隆、徳川慶喜、伊藤仁斎、村上春樹、新井白石、小泉信三、森信三、西田幾太郎、新渡戸稲造、高畠導宏、谷沢永一、玉木文之進、家田荘子、アンデルセン、安野光雅、福田和也、宮沢賢治、聖徳太子、空海、豊臣秀吉、井伊直弼、月照、高須久子、公西華、等々 以下、本書から抜粋引用 ”読書の継続と志の高さを持ち続けているものは、目がくらむような出来事に出会ったり、人生が大きく変わるような師や人物と出会うことで、一夜にして、変わることができるのである。” ”どれだけの冊数を読んだかということ以上に、そのとき、そのとき、自分にふさわしい良い本に出会って自分の力になってくれるかが重要である。” ”読書をした本の数よりも自分に合う良書をよく読みこんだ人のほうが魅力的な方が多いのが私の実感である” ”よく言われることだが、日本でノーベル賞を受賞した人たちに共通するのがこの「論語」の素読だったという。””人は読書によって人生を変えることができる。” 知人で本がボロボロになるまで読み込んでいる人がいる。 同じ本を10年かけて読むという。そのような深読みをするとそれが血となり、肉となり、深く考えられる人になれる。 なかなかまねができない芸当である。 その方に、今、「蒲田戦記」が面白いと勧められた。近いうちに読んでみたい。
2008年01月14日
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「単複の妙味再発見を」というコラムの小見出しに吸い寄せられた。 タイでは単複しか発売していないということから、単複の価値を再認識する必要を考えてみたとの筆者の弁。 以下、須田鷹雄氏のコラム「日経馬事探訪」から抜粋引用 ”1頭を単複でという馬券はシンプルで初心者でも参加しやすい一方、高度な戦略性を持っている。 複勝も戦略性がある。例えば3着以内に入る他の2頭の人気によって配当が違ってくる。人気馬が4着以下に沈むと配当が高くなるので「危険な人気馬」がいると感じられたレースこそ、複勝を買う価値がある。 ほかにも、同じ馬の単勝と複勝を買う場合、比率を何対何にするか。連勝系の馬券と単複のを組み合わせて、自分のレースに対する見方を表現するやり方や、あるいはリスクヘッジの方法‥‥。 あれこれ考えただけで本が1冊書けるほどだ。” 最近は客寄せのためにいろいろな馬券の種類を増やしている。ワイドは従来の馬連を補完するもので良いと思うが、3連複とか3連単などの馬券は恒常的に買えるものではない。 楽しみ続けて、併せて成果も求めるのであれば、やはり基本は単勝と複勝で、それに馬連、ワイドを組み合わせての研究が面白い。それがクリアできてから次の馬券に進むのが物事の順番であると思う。 単・複、馬連・ワイドで本を1冊書いてみたい。
2008年01月13日
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以前、研修センターで仕事をしていた時に、セミナーの講師派遣などでビジネスコーチ株式会社にはだいぶお世話になったことがある。 ここで発行しているメルマガ「BC-News」が面白い。 以下、1月10日号から ””部 抜粋引用 ”国民の「幸せ度数」を調べたデータを見てみましょう。 英国レスター大学の調査では、1位はデンマーク。日本は90位。 新経済基金HappyPlanetの調査では、1位はバヌアツ。日本は95位。 幸せな国ベストテン デンマークと日本を比較してみましょう。 経済的な豊かさでは差はありません。双方の国とも自然が多い。 大きな違いは教育にあります。デンマークの教育と 日本の教育の決定的な違いは、「基準」です。 デンマークの学校では、校則やルールといった基準を、 生徒が自分たちで議論して決める。 また、学校を自由に選択でき、誰でも自由に学校が作れる。 子供は多様な選択肢の中から自分にあった教育を選べます。 つまり基準は自分たちの中にあるわけです。 逆に、日本の教育は、基準は外にあります。 外の基準に皆が合わせる。 受験という基準。偏差値という基準。校則という基準。 次に、バヌアツと日本でみてみましょう。 バヌアツは今でも腰みのにペニスサックの生活。 バンジージャンプ発祥の地です。 当然、水道・ガス・電気はありません。 TVもインターネットも遊園地も競馬もない。 日本は遙かにモノ的には豊かです。 この両国で生活した日本人の話を聞きました。 バヌアツに半年住んでから、日本に帰ってきて、 大きな違いに愕然としたそうです。 それは、朝です。 バヌアツの人々は、朝とにかく、ワクワクしている。 朝目が覚めると、「今日はどんなことをして1日を過ごそうか」と皆で 話をしながらワクワク感を増幅させている。 日本の朝。通勤電車。暗い顔。眠そうな顔。イライラした顔。 どよーんとした空気を感じる。 ウキウキして会社にむかっている人は、ほとんど見かけない。 おそらく「今日は会社で○○しないと・・、○○がまだできてない・・」と 外から与えられたことを“こなす”ことに意識して1日が始まる。 この2つの事例には、共通項があります。 幸せ度数の高い国では、動機付けられるものが「内側」にあるのです。 幸せ度数の低い日本は、動機付けられるものが「外側」にあるのです。” 確かに朝の通勤電車などでのサラリーマンの表情は一様である。 これが当たり前のようになっているが、幸せとは何か?生きるとは何か? 動機付けの「内側」「外側」の仮説が面白い。 世界に視野を向けて、歴史に視野を向けて、問い直してみる必要が あるのかもしれない。 到知出版社発行 安岡正泰著 「安岡正篤 一日一言」から引用 1月10日 二つの徳性 人生で一番大切なのは徳性である。その徳性のなかで最も人間に大事なものは二つある。その二つはいち早くお誕生過ぎにはっきりと表われる。その一つは明暗ということ。心を明るくするということで、心を明るく持つということがまずもって一番大事なのです。その次は清潔、不潔ということです。浄不浄ということです。
2008年01月12日
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直感的にこれは面白い企画と思う。 店の傘立てなどに放置された傘を活用して無料でレンタルする取り組みが渋谷で始まった。題して「シブカサ」 最近、使い捨ての様相を呈している傘。 雨が降れば駅の売店やコンビニで買って、すぐにどこかへ忘れてしまう。 大量の傘がそこらじゅうで、あまり有効に使いまわされずに眠っている。 一体、日本中にどのくらいの本数の傘があるのだろうか? かたや、ひたひたと忍び寄る環境問題などを背景に、最近、何となく感じる行き詰まり感、 もうソロソロ思考の転換をしていかないと‥‥。今がクライシスモーメントかも。 使い捨てから使い回しの文化への転換。 そんなこんなことを考え合わせると、傘の使い回しは時宜を得た企画。きっと波及するだろう。 傘を返すと地元のNPO法人が発行する地域通貨「アースデイマネー」が獲得できるという。この組合せもよい。 企画した若いSOL(シンボル・オブ・ライフ)の起業家にエールを送りたい。 シブカサ
2008年01月10日
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『4つの習慣 14年長生き』の見出しに目がとまった! 英国ケンブリッジ大学での15年近くかけて研究した結果、 (1)喫煙しない (2)飲酒はワインなら1週間にグラス14杯まで (3)1日に最低こぶし5つ分程度の野菜、果物を取る (4)1日30分ほどの軽い運動をする の習慣がある人は、4つともない人より、同年齢で病気による死亡率が4分の1と低く、14年分の寿命に相当することが分かった。 習慣と最も関連するのは心臓や血管など循環器系の病気だという。 チームは「ちょっとした良い習慣の組み合わせが、長生きにつながる」としている。 最後の一行が良い。 『ちょっとした』『良い習慣』『組合せ』 これはそのまま、人生にも当てはまりそう!
2008年01月09日
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何故かはよくわからない。が、三井の宣伝が何となく気に入っている。 『一番好きな道は「帰り道」です。』 近代化で生まれた機械的な道を除いていろいろな道の情景を考えるのも面白い。 わき道 帰り道 寄り道 回り道 田舎道 通り道 けものみち あぜ道 坂道 散歩道 etc. 道は人や動物が生きていくために踏みしめた跡。 たくさんの人がいろいろな思いを込めて歩んだ跡。 曲がりくねって、でこぼこで‥‥何も語らないが情感豊かで、飽きない。
2008年01月09日
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『99%の遊び心...arincoの気まぐれ料理+プロの味探訪...食いしん坊の食物誌空間に...ようこそ!』 のメッセージそのままのオリジナリティを感じさせる食彩ブログ。 いろいろな地方の珍しい食べ物や多彩な料理が、臨場感タップリの写真で、思わず、のどが鳴りそう。 豊かな表現で日々の更新にも飽きがこない構成となっている。 是非、興味のある方は訪ねてみたらいかがでしょう? arinco's kitchen
2008年01月08日
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茂木健一郎氏がコラムで語っていたこと 日本って、今より明るいでしょうか、暗いでしょうか--。 『未来とは、予測するものではなく自分で創るべきものですから、明るいと思うべきだと考えます。脳の無限の可能性を信じることが大事。我々の祖先は明治維新であれだけの大事業をやったわけですから、それに比べたら今の方が条件はいいと思いますよ』 『08年は、源氏物語が記録で確認されてから一千周年にあたります。 ”もののあはれ”は、生きていくうえで何が起こるかわからないということを踏まえ、その覚悟を持って生きる、と』 10年後を考えるにあたり、留意点は--。 『かってアルビントフラーは第三の波で未来を予想しましたが、そこで指摘された在宅勤務や多品種少量生産などはすでに実現しつつあります。ひょっとして彼が見落としたものがあるとしたら、”時代が進んでも、古い組織や制度が完全になくなるわけではない”ということでしょう』 ネットについては--。 『私は”インターネットは第二の黒船”との認識です。若い人たちが名刺がわりにブログやホームページをつくり、ベンチャー企業では就職面接のかわりにその人のブログを1年分読む、ということもおきています。 ネットを介在し、個人と組織の関係の柔軟化、流動化が10年後にはもっと進んでいるはずです。』 今後、どのように対応していけば--。 『徹底した人事交流、人材交流しかないでしょう。いまは情報は行き交わってるんだけど、人間はそれに対応するほど行き交わっていない。 米国では政権交代で官僚が全部入れ替わり、下野したらシンクタンクに行くというのがあるでしょう。ダイナミックな交流を通じて触れ合うことで共感し、感化される感化力が大事です。』 『個人としての活動もあるし、組織に所属するのではなく、個人と組織はアフィリエーション(同盟)なんだ。と。それぐらいでやんないと、個人も組織も輝かない時代です。』 --------------------------------------------- 何が進んで何が進まないのか、毎日の生活軌道の上では見えないものを、あえて異質のものや人と接しながら、大所高所に立って、想像を膨らまして仮説を立てながら、日々実験・検証していくことで明日を切り開けるのではないか? いずれにしても、個人が組織をあまり使わずとも、力を発揮できる時代になりつつあるということかな。
2008年01月06日
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年賀状の構図を考えることはとても楽しい。いつも時間切れで結局ろくなものができないが、100×148の真っ白い面をどのように作るか、ない頭を悩ます年末のひととき。 次年のヒントを得たいと思い、東京ミッドタウンで開催されている年賀状展にいってきた。 最近は印刷技術が発達して、絵でも文字でもそれに頼ったものが多く、綺麗ではあるがインパクトが少ない。 ひと昔前のほうが、もっと魂がこもっていて、心が惹かれるものが多かった。 少々物足りない内容であったが、ちょっと面白いものをデジカメにおさめた。
2008年01月05日
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昨日、知人宅を訪ねた帰りに歩きながら空を見上げたら冷えて澄んだ冬空に満天の星が‥‥。 何十年ぶりだろうか?こんなに星をまじまじと見たのは‥‥。 赤い星やひときわ輝いている星などいろいろな星が‥‥。 目立つところになじみのある形が‥思わず、「あっ オリオン座だ。」 地球上では技術革新や環境問題で様々な現象が起きているが、天を仰げば、昔とちっとも変わらない星空。 冬の星座
2008年01月04日
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会社の目標管理のようであるが、今年は目標の年間100冊に対して95冊と未達。 印象に残っているベスト10は 枝廣淳子+内藤耕著 「入門!システム思考」 江副浩正著 「リクルートのDNA」 関岡英之著 「奪われる日本」 梅田望夫著 「ウェブ時代をゆく」 沼澤拓也著 「直筆三行はがき術」 村田裕之著 「リタイア・モラトリアム」 斉藤孝 著 「日本を教育した人々」 大前研一著 「ザ・プロフェッショナル」 植草一秀著 「知られざる真実」 中西輝政著 「本質を見抜く考え方」 特に「入門システム思考」はこれからの考え方としてインパクトが強かった。 今年も引続き100冊を目標にトライ!
2008年01月04日
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記録に残して考察を加えていかないと戦績は上がらないとの観点から、昨年は的中レースをブログに記録した。 1年の収支は1.08倍と何とかプラスで終わることができた。 的中は26レース 的中種別は 単勝 2 複勝 8 馬連 2 ワイド 20 1点予想での的中 8 31% 1レースで2種以上の的中 6 33% 1レースあたりの的中時の投資効率(回収額/投資額)は4.6倍 単純に考えれば、4レースで1レース的中させれば良い計算となる。 競馬は動物に他人が乗るという不可解な要素に、当日の天候やいろいろ予想外のファクターが多分に加わり紛れがある競技。 また、単純に漫然とたくさんのレースに参加すれば、大数の法則で25%は吸い取られるゲーム。 いかに参加レースを絞り込み、人気の盲点を探して、そして多少の紛れにも対応していくか。 馬券の種類も増えたお陰で、いろいろな対応が考えられる。 5年で32倍(2×2×2×2×2)を最終目標に、今年は2倍を目指していく。
2008年01月03日
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天気も良く、近所の大神宮に家族で初詣に出かけた。 参拝してから恒例のおみくじ。 今年は 第29番 『波のおと 嵐もおとも しずまりて 日かげのどけき 大海の原』 「唯御助を祈って、心平らかな授けられた自己の職務を熱心につくしなさい」と解説にある。 いつもおみくじを引くと、「○吉」くらいは覚えられるが和歌とか番号とか覚えきれないので、木に結ばずに持って帰る。 そして人類の英知・便利な小道具「インターネット」で和歌などを調べてみるのが習慣になってしまった。 同じ和歌を記載しているブログがいくつかの検索サイトで見つかる。インターネットの威力はすごい。 娘二人が大吉を引いたというので、おみくじについて調べてみると ブログ「神社と巫女さんとおみくじ」に概要が載っていた。 それによると、折りたたまれ箱で引くタイプのおみくじは、その殆どが女子道社(山口県周南市)によるものとのこと。 1番から50番まで50種類あり、運勢の確率は以下 大吉34% 中吉14% 小吉18% 無印14% 末吉20% 3人に一人が大吉を引く確率になっている。絶妙の配分か? どうしても「大吉」が欲しいは、ヒト桁台を探せ(6/9枚)とも書いてある。 あまりに分かってしまうのも楽しさが減ってしまうが‥‥。
2008年01月02日
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今年は平成も20年目。干支は戊子(つちのえね)。 最近は60種類の干支で毎年の仮説を楽しみながら過ごしている。 戊は茂で、樹木が茂ると、風通しや日当たりが悪くなって、虫がついたり、梢枯れしたり、根上がりしたりして樹がいたむ、悪くすると枯れる。そこで思い切って剪定しなければならぬというのが戊の意味とのこと。 子はふえる、どんどんのびるというような意味があるらしい。 組み合わせると、選りすぐった良いものをどんどん伸ばしていく年ということ?? 人類の英知が以前にも増して試されている今、と大上段に構えても始まらないが、そんなことを意識しながら過ごせればよいが‥‥。 新年にあたり、まずは、大きな風呂敷を‥‥‥。
2008年01月01日
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