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〝子どもに最敬礼〟の姿勢で総千葉教育部女性部長 伊佐治 泉[プロフィル]いさじ・いずみ 保育歴40年。2011年から12年間、保育部長を務めてきた。現在も都内の保育園に、保育士として勤める。60歳。1962年(昭和37年)入会。千葉県市川市在住。支部副女性部長。 「おはよう! 今日も頑張って、よく来たね」——保育園の一日は、朝の受け入れからスタートします。みんな不安でいっぱいで、最初の頃は号泣です。そんな我が子をみると、お父さん、お母さんも「保育園に預けて良いのだろうか」と思ってしまうでしょう。でも、心配はいりません。保育園は子どもにとって、〝初めての社会〟です。ここで、人間関係を豊かに結ぶのです。人格形成や発達のためにとっても大事な環境なんです。時間がたてば、みんなニコニコと園で生活を楽しめるようになっていくものです。子どもたちの〝社会〟を育み、守る立場の保育士として働き始めて40年。延長も2年間、努めました。その中で私は、「1歳の子どもにも、こちらの言葉や思いが伝わるように」と、心と心を結ぶ保育に徹してきました。〝どんなに小さな子どもも、立派なひとりの人間である〟——この信念で接していくことで心を通わせ、信頼を深めてきました。ある時、また言葉を話せないAちゃんが、自分の思い通りにいかず、お友達にケガをさせてしまいました。怪我をしてしまったお子さんへのケアは当然ですが、Aちゃんにもフォローが必要です。「Aちゃん、先生悲しいよ。お友達もいたかったよ」「でも、あなたも思いが伝わらなくて、つらかったよね」。こう声をかけると、〝気持ちを分かってくれた〟とばかりに、わっと声をあげて泣き出したのです。避難訓練も真剣です。大人が全力で訓練を行うと、初めは、物々しさにおびえて泣いてしまいます。しかし、「何があっても先生が守るからね」「絶体に大丈夫だよ」と目を合わせて伝えると、泣くのをやめて、安心したような表情を見せてくれます。子どもは大人の姿や言葉をよく見て、よく聞いています。心を込めて伝えれば、必ず通じています。長年、保育に携わってきた者として、そのことを深く実感しています。 祈って最高の言葉を池田先生は教育部に、〝教師こそ最大の教育環境〟との指針を示してくださいました。そのためには、常に自分が成長していなければなりません。御書には「南無妙法蓮華経とばかり唱えて仏になるべきこと、もっとも大切なり」(新2088・全1244)とあります。唱題根本に、自身の仏の生命を湧き出していくところに、自身の成長があります。さらに指針集『わが教育者に贈る』には、「私たちの唱える題目には、ありとあらゆる人の生命から、仏性という最高の善性を呼び覚ましていく響きがあります。朝の強盛なる祈りから、『子どもの幸福』という大目的に向かって、全生徒、全教職員、全保護者の力を引き出し、結集しゆく、希望の回転が着実に始まるのです」とあります。こうした指針の重要性を痛感したのは、子どもだけでなく、保育士などの職員や保護者とも広くかかわる園長の立場になってからでした。最初は、うまくいかないことだらけ。しかし、〝子どもにとって一番大切なタイミングで、最高の言葉をかけてあげられる自分になろう〟〝関わる全ての人の、さらにその周囲にいる陰の人のことまで祈り、仏性を引き出していこう!〟——こう一念が定まってからは、職員とは、仕事上の「会話」だけでなく、心を通わせる「対話」をするように。また、子どもたちを送り出してくださる保護者の方が、安心して子どもを預けられるよう。多忙な中にあっても、折々に悩みに寄り添い、関わってきました。先日、60歳を迎え、園長を終えることに。すると、40年前に初めて担任として受け持った、かつての園児から手紙をいただきました。そこには、「先生が誰よりも子どものことを大切にしてくれることを、幼いながらも見抜いていましたよ」と。ありがたいことに、ともに担任を務めたかつての同僚や保護者などからも、深く信頼を寄せていただきました。これらもすべて、学会活動で目の前の一人と心を通わせる力を養ってきたからこそです。また、教育部では。家庭教育懇談会などを通して、保護者の方の悩みに、とことん寄り添ってきました。そうしたえ難い経験が功徳となり、信頼という実証として花開いたことに感謝しています。 万人の仏性を確信私が保育士の道を志したのは、私を含めて9人のきょうだいを巣立て抜いた母の影響でした。子どもには、全く疲れた様子を見せない母。それどころか。近所の子供の面倒まで見るほど。91歳になった今でも元気いっぱいで、今でも私の方が体調を気遣われています(笑)。元気の秘訣は、〝人に尽くし抜くこと〟にあるのかもしれません。そんな母は、草創期の学会に入会しました。子どもをどこまでも大切にする戸田城聖先生の姿、戸田先生から聞いた牧口先生の姿を、いつも聞かせてくれました。私自身、小学生の時に直接お会いした池田先生が、子どもたちに温かく優しくしてくださる姿を胸に刻んでいます。母と、創価三代に師匠に教わった〝子どもに最敬礼〟の姿勢は、万人の生命の仏性を確信する仏法の根幹の精神です。この精神をさらに貫き、「この保育園に預けて良かった」と保護者の方が安心できる、心と心をつなぐ保育に取り組んでいきます。 視点六根清浄御書には、「今、日蓮等の類い、南無教法蓮華経と唱え奉る者は、『六根清浄』なり」(新1062・全762)とあります。この信仰を貫くことで、六根(眼・耳・鼻・舌・心・意。六つの知覚器官)、すなわち生命の全体が浄化され、本来持っている働きを十分に発揮できるという功徳を得ることができるのです。伊佐治さんは、子どものどんな変化も見逃さず最高の言葉をかけられる自分なれるように、また関わる全ての人を幸福に、との祈りの通りの振る舞いで、多くの人から信頼を勝ち取ってきました。心の声を感じ取る。これこそ、生命を持つ力を最大に発揮した、六根清浄の功徳と言えます。御本尊に祈り、仏法を実践する人の生命に行き詰まりは愛のです。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」心と心を結ぶ保育】聖教新聞2023.5.14
July 20, 2024
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社会に貢献する研究の道を総神奈川学術部長 加部 義夫【プロフィル】かべ・よしお筑波大学大学院博士課程修了。神奈川大学理学部教授。理学博士。1958年(昭和33年)入会。神奈川県平塚市在住。本部書記長。 子どもたちに科学の楽しさを伝えたい―11年前から、大学のキャンパスや地元・平塚市の公民館で「夏休み親子科学教室」を開催しています。毎年、定員を上回る応募が寄せられ、公表です。ガシャンと割れる〝ゴムボール〟バリバリと砕け散る〝花〟。マイナス196度の液体窒素で凍らせたものを壊す実験などを行います。子どもたちは、目を輝かせながら楽しんでくれます。「なぜ?」と疑問を感じたところから、科学は始まります。肩肘を貼る必要はありません。現在、誰もが知っている法則や発明も、その元をたどれば、何げない疑問や関心から出発しています。そうして気持ちを丁寧に育てながら、自然現象や人間の行動、社会の仕組みを、観察や実験を通して説き明かすことが科学の楽しさでもあります。試験のための暗鬼に終始していては、〝科学離れ〟が進んでしまうでしょう。科学は本来、音楽や美術と同じように人生を豊かにする文化なのです。 問われる倫理観私が専門に研究している「ケイ素」は、シリコンとも呼ばれ、半導体や太陽光パネルの原料をはじめ、幅広い分野で使われています。特に半導体は、スマートフォンや家電、銀行ATМなど、現代の暮らしに欠かせない存在になりました。半導体の真価によって、期待されるのがAI(人工知能)です。人間のように自ら学び、考え、分析を行うAI。この開発が進めば、ますます生活が快適に便利になるでしょう。夢が膨らむ一方、危険もひそんでいます。たとえば、AI技術が(自立型兵器)(キラーロボット)に応用された場合の懸念が挙げられます。自立型兵器は、人による優位な制御なしに標的を識別し、殺傷する能力が搭載されています。つまり、人間の生と死が、機械に委ねられることを意味します。現在、人権、倫理、人道また国際法の観点から、国際社会でその法規制に向けた議論が行われています。SGI(創価学会インターナショナル)が、国際ネットワーク「ストップ・キラーロボット」に参画していることを頼もしく思います。今後、AIはますます社会で利用され、大きな影響をもたらすでしょう。だからこそ、研究や開発に携わる側の倫理観や、技術を扱う上での規範が重要になります。歴史をひもとけば。〝戦争に勝つ〟という大義のもと、科学が進歩してしまった負の側面もあります。その最たる例が核兵器でしょう。大学の講義では、こうした歴史を紹介しながら、学生たちに「自分の研究が社会にどう還元されるか、深く考えてほしい」と語りかけるようにしています。私は、創価学会の信仰を持つことで、「何のため」との目的観や、価値判断の基準を養うことができました。 長年の夢に向かって20代後半の頃、アメリカのマサチューセッツ工科大学に留学。進取の気風あふれる環境でケイ素の研究に熱中しました。そんな時、日本から〝父が病に倒れた〟との知らせが―。帰国するため不眠不休で働いたり、日本との往復を繰り返したりするうちに、いつしか動悸が止まらなくなりました。極度のストレスから、パニック障害を発症したのです。小学生の頃、思い腎臓病を、題目を唱える中で乗り越えた体験を思い起こし、信心を奮い立たせました。また、研究室に閉じこもるだけではなく、学会の同志に触発を受けながら、仕事と学会活動に両立に挑戦。40歳頃まで不安はありましたが、病のおかげで日々を真剣に生き抜く自身へと変わることができました。何より、悩み苦しむ人を大切にする心を育めたことは、生涯の財産です。今では病に感謝しています。日蓮大聖人は、「智者とは、世間の法より外に仏法を行わず。世間の治世の法を能く能く心えて候を、智者とは申すなり」(新1968・全1466)と仰せです。大聖人の仏法は、現実の生活や人生から、遊離したものではありません。私たち自身の日々の生活はもとより、政治、経済、教育などの社会の各分野で、仏法の豊かな智慧を現わしていくことが仏法者の使命です。私にとって、「仏法即社会」の具体的な実践とは、世の中に貢献し、人々の幸福につながる研究につくすことにほかなりません。地球温暖化防止のため、脱炭素社会が模索される昨今、炭素に似た性質を持つケイ素が注目されるようになりました。二酸化炭素の削減につながる新たな化合物ができれば、資源問題や環境問題を解決できるかもしれません。私の長年の夢です。共に研究に励んだ学生が来週、研究室を巣立ちます。これからの活躍に胸が躍ります。希望溢れる学生たちと一緒に、社会の問題を解決したい!—志は、年を重ねるほど、ますます燃え上がります。 視点以信得入釈尊の重大です・舎利弗は、〝智慧第一〟といわれる声聞です。法華経譬喩品では、舎利弗であっても智慧でなく、「信」をもって初めて、仏の智慧の境涯に入ることができたと説かれています。これを「以信得入」といいます。私たちの実践においても、妙法への信心がなければ、御本尊の力用を現わすことはできません。池田先生は、「法華経における智慧とは、たんに〝頭がよい〟ことではない。もっと深いものです。一言で言えば、『心が優れていること』です」と語っています。妙法を根本に、仏の偉大な智慧や境涯を自身のものとしていく仏道修行に励むことで、心が磨かれていくのです。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」科学は人生を豊かにする】聖教新聞2023.3.14
May 26, 2024
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生き抜く力を引き出すために関西ドクター部女性部長 井上 愛[プロフィル]いのうえ・めぐむ 私立病院で血液内科医として勤務。医学博士。1966年(昭和41年)入会。大阪市在住。支部副女性部長。 抜苦与楽の医療で希望を育む白血病など、いわゆる〝血液のがん〟を専門にしています。近年、著名なスポーツ選手が白血病を公表し、闘病の様子や、競技に復帰した雄姿に感動が広がりました。ご本人の努力や周囲の支えも大変だったと思います。現在、血液のがんに対する、抗がん剤の進歩はめざましく、副作用が軽減し、救える命も増えてきています。それでも、悪性リンパ腫や、多発性骨髄腫の場合は、体が痛くて動けないことも少なくありません。そうした患者さんが、死の不安にさいなまれながらも懸命に治療に励み、やがて自ら動けるまで回復する。こうした姿に触れるたびに、この仕事を選んで本当に良かったと思い胸がいっぱいになります。 色心不二医師として駆け出しの頃、30代の女性が慢性骨髄性白血病で亡くなりました。小学生のお子さんを残して。ご本人とご家族の心痛を思うと、胸が締め付けられました。〝病気で悲しい思いをする人を一人でもなくしたい〟――仕事に熱が入りました。妙法を持つ医師として、大切にしている視点があります。それは、〝病気を治すことと、患者の苦しみを癒すこととは違う〟ということです。病を抱えている方は、雑木や身体の病的変化だけに苦しんでいるのではありません。〝家族の負担にならないだろうか〟〝仕事をしながら、通院が続けられるだろうか〟病気が治ったとしても、生活や将来の不安まで解消されるとは限りません。だからこそ、病を抱える「人」に焦点を当てて、あたたかく寄り添うことを心がけています。仏法では「色心不二」という法理を説いています。身体(色法)と心の働き(心法)が、互いに密接に影響し合っているということです。身体と心の働きが別々に見えても、生命の次元では「不二」、つまり一体であるという意味です。患者さんが希望を見いだせているのか――その〝心音〟に耳を傾けることが、医師の大切な振る舞いだと思います。特に、私が受け持つ患者さんは、高齢で一人暮らしの方が多く、社会とのつながりが少ない孤立傾向にあります。孤立は、喫煙や過度な飲酒、肥満よりも死亡リスクを高めるといわれています。そうした患者さんが抱く寂しさやストレスを、少しでも和らげようと、他の診療科にも積極的に協力を呼びかけ、総合的なケアを目指しています。コロナカで人との関わりが疎遠になりがちな今こそ、私たち医師には〝おせっかい〟なふれあいが大切だと感じます。関西女性部の気質といえるかもしれません。困っている方を目にすると、ついつい気になってしまうのです。病に苦しむ一人一人に寄り添い、励まし、一歩前に踏み出せるよう、仏法が説く「抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)の心で、慈悲の医療を提供することが、私たちドクター部の使命なのです。 病の意味を転換11年前の春、父から一本の電話が。ステージ2の大腸がんを告げられたとのこと。幸い、早期発見で済みましたが、その4年後、転移が判明したのです。ステージ4の腹膜播種――ハッと息を飲みました。腹膜播種は、がん細胞が雑木の壁を突き破って、まるで種がまかれるように腹膜に広がっていく、治療が難しいがんです。ところが、父も母も動揺する様子はいっさいなく、泰然自若としていました。娘としては、長年、信心を貫いてきた両親の心の強さを尊敬しつつも、深刻さが分かる医師としては葛藤を隠せません。患者の家族は、こんなにも不安なのかと知りました。父の主治医を信頼し、家族全員で真剣に唱題を唱え抜きました。その後、手術は成功し、驚くほど経過も良好です。85歳になった父は今、シルバー人材センターに登録して働き、はつらつと学会活動にも励んでいます。これまで、父のように、「このタイミングで見つかってよかった」と、大病を前向きに受け止める学会の同志に何人も出会ってきました。こうした闘病体験を通して、「南無妙法蓮華経は師子吼のごとし、いかなる病さわりをなすべきや」(新1633・全1124)の一節が胸に迫ってきます。病を患ったことに意味を見いだし、人生を歩み活力に転じていく。そうした時、病そのものは、決して幸福を妨げる存在ではなくなります。病の意味を転換する、仏法思想は〝希望の源泉〟であると確信します。希望を抱ける患者さんは、明らかに病状を上手にコントロールできる傾向にあります。池田先生は、「ドクター部員一人は、一万人の希望に通ずる。そういう医師になっていただきたい」と期待を寄せられました。これからも、患者さんの生き抜く力を引き出せる医師になれるよう、全力を尽くしていきます。 視点賢明な生活日蓮大聖人は、天台大師の『魔訶止観』を引かれ、病気の原因をいくつか記されています(新1359・全1009)。この中で、偏った食生活を「飲食の節ならざる故」と、生活リズムの乱れによる運動不足や体のさまざまな変調などを「坐禅の調わざる故」と、挙げられています。あくまでも医師は、治療方針を立てる存在です。どこまでも、健康は自ら勝ち取っていくものです。池田先生は、「自分自身が自分の〝医師〟」と語っています。ちまたには健康に関する情報があふれています。真偽が不明で、道理に反した説に惑わせることなく、唱題根本に聡明に生活のリズムを整えていきましょう。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」】聖教新聞2023.1.17
April 20, 2024
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人に尽くす航路に喜びが波濤会書記局員 舩津 広宣[プロフィル]ふなつ・ひろのり山口県下関市の水産大学校卒。2017年(平成29年)から海洋調査船で機関長を務める。1987年(昭和62年)入会。58歳。東京都江東区在住。本陣長(ブロック長)。 多くの謎に包まれる海。私が機関長を務める海洋調査船は、海水の成分や海底の地質、生物など、幅広い分野の研究に当たっています。機関長は、船の動力であるエンジンをはじめ、さまざまな機械・装置の運転管理を行う機関部の責任者です。機械のメンテナンスは、乗組員の命に直結します。船員一人一人が、担当する部門で役割を果たし、努力しながら、安全第一で運航を支えています。限られた時間や変動する気象現象の下、研究目的の達成を目指して、研究者の要望に応えます。 海洋業界の危機一度出航すれば、帰宅できるまで最長4カ月。過ごす空間や、触れ合う人は限られ、単調な風景が続きます。船員が海での生活に幸福を見いだせるかは、仕事の質に影響するので、とても大切です。特に、船を下りてからの世かをどう過ごすかが、仕事のモチベーションの維持にもつながります。私は、波濤会(海外航路に従事する壮年・男子部のグループ)の活動のおかげで、仕事の張り合いを持つことができました。――機関誌として駆け出しの頃、波濤会の先輩から「写真を出展してみないか?」と勧められました。その前年の1987年(昭和62年)から、波濤会による「波濤を越えて――働く海の男の写真展」が始まっていたのです。作品には、船乗りだからこそ出会える珍しい景色、迫力ある船体、寄港した異国の街並みや人々の笑顔などが並んでいました。当時、急激な円高が進み、日本の海運業界は不況の大打撃を受け、船員の職を失う人も相次いでいました。この写真展には、波濤会一人一人の〝海運業界をもり立てよう!〟との熱意が込められていたのです。また、人生のあらゆる試練に立ち向かう大切さを、多くの人に伝える内容でした。以前から趣味程度で写真を撮っていたので、〝写真が広宣流布につながるんだ〟と、活動の幅簿広さに驚きました。 写真展が使命に写真展では、うれしそうに鑑賞する方が何人もいました。感想ノートには、「生きる勇気をもらいました」「頑張ろうと思う」などと記され、鑑賞者の背中を押せたことに、私も感動しました。日蓮大聖人は、「人のために火をともせば、我がまえあきらかなるごとし」(新2156・全1598)と仰せです。〝あの人のために頑張ろう〟〝この人を勇気づけたい〟――そんな思いで人に尽くし抜き、相手が喜ぶ姿に触れた時、充実感がいっそう増すことを学びました。写真展に自身の使命を見いだした私は、休暇を使って、展示会場の選定や、写真の梱包・富卸など、多くの作業を率先して担ってきました。2008年(平成20年)6月、英国ロンドンにあるIMO(国際海事機関)の本部で、写真展が行われることになりました。IMOは、海運に関する世界のルールを決め、国際協力を促進する国連の関連機関です。展示の準備中、窓外に目を向けると、テムズ川の向こうに時計塔・ビックベンとウエストミンスター宮殿が、写真展に携わって約20年、日本でコツコツ続けてきた努力が、世界につながったことに灌漑を深くしました。展示は、英国王室や各国の大使にも鑑賞をしてもらい、大好評を博しました。何より、この模様を、小説「新・人間革命」第22巻「波濤」の章に綴っていただけたことは生涯の思い出です。 共通の祈りロンドンでの展示の翌月、うれしい知らせが届きました。当時、3歳の長女の心室中隔欠損症が自然完治したのです。長女は生まれてまもなく、心臓に穴が見つかりました。かつて、同じ病を患っていた私の妹は、13歳の時に不慮の事故で帰らぬ人に……。一家の宿命を痛感しました。妻と共に「自分たちの祈りで必ず治そう」と誓い合いました。わが家の場合は、夫婦が遠く離れていても、〝娘の幸福〟という共通の祈りで心がつながっていました。信心していたからこそ、前を向いて船に乗ることができたと思います。私は船室で一人、深々と題目を唱え抜きました。記録を続ける題目表は、18年目になります。娘は現在、創価高校へ元気に通っています。妻の支えにも感謝は尽きません。船上では、データ通信の制限はありますが、リアルタイムで連絡が取れます。地元の地区の皆さんの活躍に触れると元気をもらい、孤独感が和らぎます。海洋調査はまだまだ続きます。乗船する皆が笑顔で仕事に臨めるように、安全第一で、皆に尽くす航路を進んでいきます。 視 点水の信心船上で一人、地道に信心を貫く舩津さんは〝水の信心〟を体現していました。御書には、「聴聞する時はもえたつばかりおもえども、とおざかりぬればすつる心あり、水のごとくと申すは、いつもたいせず信ずるなり」(新1871・全1544)と仰せです。たとえ華々しい行動がなくても、水がたゆまず流れるように、不退の志と使命感をもって、生涯、信行学の実践を持続し抜いていくことが大切です。成仏とは、絶え間なき生命錬磨の異名にほかなりません。〝昨日より今日、今日より明日へ〟――二日の生活に根差した祈りと努力によって、自身を向上させる。そうして人間性を輝かせることが、創価学会の信仰なのです。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」海洋調査船のエンジニア】聖教新聞2022.5.8
September 14, 2023
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微生物が教えてくれること日本大学教授農学博士 西村克史 [プロフィル]にしむら・かつし 京都大学大学院了。日本大学短期大学部教授。1965年(昭和40年)入会。57歳。埼玉県三郷市在住。圏副書記長(支部長兼任)。総埼玉学術部長。 〝生かされている〟と謙虚にきょうの主役は「微生物」です。微生物は、肉眼では見えませんが、地球上の至る所に住んでいます。1㌘の土の中には、1億もの微生物がいると考えられています。これまで発見されている微生物の種類は、全体の1~2%といわれ、まだまだ未開の分野です。微生物は、人間が生きる上で必要なものを作ってくれたり、不要なものを分解してくれたりと、多くの面で生命を支えてくれています。微生物の活躍を知る上で、身近なものは、納豆やチーズなどの発酵食品や、お酒が挙げられます。1000年以上前に今の製法が確立した日本酒は、3種類の微生物(麹菌・酵母・乳酸菌)を上手に働かせて造ります。複雑な工程と緻密な温度管理が必要なことから、人間と微生物が織りなす芸術ともいえます。昔は、顕微鏡がなく微生物の存在を知らなかったはずなのに、微生物が見えているかのように活用してきたのです。自然を生かす先人の知恵は偉大だと感心します。 生態系の基本微生物がいなければ、困ったことが起きます。動植物の死骸や排泄物といった有機物が分解されず、残り続けて、地球は死骸やごみだらけになってしまうのです。微生物が、有機物を分解して作った無機物を、植物が吸収し、その植物を動物が食べます。このように生命は連鎖しているのです。これは、あくまで微生物自身が生きていくための働きであり、人間や動植物のためではありません。生態系の基本は、自らのための生産活動が、そのまま周囲の生き物の命を助ける点にあります。人類が、微生物の〝振る舞い〟や、生態系の仕組みに見習うことは多いのではないでしょうか。翻って、私たちの人間の活動はどうでしょうか。地球規模の環境破壊を大きく進めたことで、昨今、地球環境の持続可能性に警鐘が鳴らされています。池田先生は『法華経の知恵』で語られました。「自然も、人間が一方的に消費し支配する対象では絶対にない。自然も人間も同じ宇宙生物の部分であり全体である。自然と人間は一体です」あらゆる生命との関係性によって、私たち人間は〝生かされている〟という謙虚な気持ちを育むことが、地球環境を改善するための第一歩になると思います。 進化の鍵は「逆境」微生物の中には、人間が住めない「極限環境」にも生育しているものがあります。酸素が薄く高圧力下の深海や、極寒の南極大陸、50度を超える温泉の中――。生存が困難な状況に置かれた微生物たちは、逆境に順応すべく進化を繰り返してきました。トインビー博士は文明の背景には「挑戦と応戦」があるとしましたが、微生物の進化は「自然環境に対する応戦」と捉えることもできます。変化への挑戦が生命の本質なのかもしれません。私たちが、現実社会を生き抜くという観点からも示唆に富むと思います。私自身も、人生に行き詰った経験があります。2003年(平成15年)、突然、激しいめまいと吐き気に襲われて動けなくなり、次第に体力が落ちてしまいました。診断の結果は「メニエール病」。さまざまなストレスによるものと考えられました。大学の授業や会議、研究の学会など、相次いで欠席。何とか動けるようになっても、妻に車で送迎してもらわなければなりませんでした。一時は落ち着くも、数年後、壁が急回転するような錯覚に襲われ、再発。正直、〝またか……〟と嘆息しました。御書には、「病によりて道心はおこり候なり」(新1963・全1480)など、信心根本に病魔に立ち向かう生き方が、随所に示されています。病をきっかけに、より真剣な唱題に励み、研究や学会活動にも粘り強く取り組みました。治療も奏功し、気がつけば、最も苦しんでいためまいの症状は治まっていました。右耳の聴力は落ちたままですが、研究への情熱が消えることはありません。 平和・文化の灯台17年には、10年越しの研究が実り、難解だった酵素の機能と立体構造を解明することに成功しました。今後、多方面での活用が期待されています。それまでは、思う通りの成果が得られずに苦しみましたが、ある学生の提案を機に、視点を変えたことで一気に研究が前進したのです。これも病気に悩まされたことで、より周囲に気を配り、真摯に意見を聞けるようになったからかもしれません。学術部モットーの一つに、「平和・文化の灯台」とあります。複雑で困難な社会的課題に対して、仏法の英知を根本に、人々と社会の幸福のために尽くすことが学術部の使命だと胸に刻んでいます。これからも人々の輪に飛び込みながら、「戦う学術部」として研究にまい進していきます。 視点目的観を問う〝学生には幸せな人生を歩んでもらいたい〟――そんな思いから、西村さんは、自身の研究室の学生に「何のために学びますか?」と問い掛けています。目的観次第で、研究への姿勢が決まるからです。「石虎将軍」という中国の故事が、御書にあります(新1608・全1186)。親を虎に殺され、仇討を誓った将軍は、ついに虎を見つけました。一年を込めて矢を放つと、見事的中。しかし、実は虎に似た石でした。その後、石に矢を放っても刺さることはなかったのです。〝必ず〟との強き一念は、人生を大きく開く要諦です。創価学会では、「何のため」とも目的を明確にしながら、信心の一念を奮い起こして、日々の学会活動に挑戦していきます。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」】聖教新聞2020.3.8
June 25, 2023
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可能性の開花を信じて 「ナナメの関係」を豊かに北陸女性教育者委員長 利田 右子大人は、子どもの可能性を信じる勇気を持たなければなりません。谷川俊太郎氏の詩「あわてなさんな」は、こう始まります。「花をあげようと父は云う 種子が欲しんだと息子は呟く……」(『魂のいちばんおいしいところ』サンリオ)子どもにとって、花(結果)を与えることが本当の喜びになるとは限りません。子ども自らの手で種子(可能性)を芽吹かせるまでの、挑戦や試行錯誤の過程で得られる喜びこそ大切ではないでしょうか。これまで関わってきた生徒の中には、他人と比較して焦り、自身の可能性を閉ざしてしまう子もいました。また、不登校になる生徒もいました。その要因は複雑です。生徒や保護者、学校だけの課題ではありません。子どもの豊かな〝種子〟をどのように育んでいくか――社会全体で真剣に向き合わなければいけません。 小さな卒業式必ず自分らしい花を咲かすことができる――そんな思いになる生徒・Aさんを紹介します。Aさんは高校1年の時、友人関係を理由に休みがちになり、翌年、お母さんを病でなくしてから、不登校になってしまいました。2度の留年を経て、高校3年になり、私が担任になりました。やっとのことで授業に出るも過呼吸になり、救急車を呼んだこともありました。カウンセリングをした医師から、発作は自己防衛によるものと教わり、Aさんの苦悩を思うと胸が痛みました。〝なんとかしてあげたい〟と、クラスメートと親睦を深めるように工夫しました。Aさんのいる保健室に行って、顔を見るようにもしました。志願する大学が何度も変わりましたが、Aさんが頼れる先は私しかいなかったので、進学相談にはじっくり時間をかけました。ようやく迎えた卒業式に、Aさんは参加できませんでした。でもその日の午後、別室でAさんの祖母も出席して、小さな卒業式を開催。卒業証書を受け取って感涙にむせぶAさんに、クラスメートが色紙をもって駆けつけてくれました。生徒の優しさに感謝がこみあげました。日蓮大聖人は、「法華経の行者は、如説修行せば、必ず一生の中(うち)に一人も残らず成仏すべし。譬えば、春夏、田を作るに、早(わせ)・晩(おくて)あれども、一年の中には必ずこれを納む」(新363・全416)と仰せです。稲作では、早く収穫できる早稲と、遅い晩稲がありますが、どちらも一年の内に必ず収穫することができます。この原理と同様に、妙法を持ち、正しい実践に励めば、誰もが成仏という崩れぬ幸福境涯を築くことができます。この核心を胸に、〝一人一人の可能性を開花させよう〟と、生徒の今はもちろん、将来の幸福を願い、働くことができたのも、私を育んでくれた方々のおかげでした。 親子三代で私が幼いころ、両親が別居。女手一つで私を育ててくれた母は、中学校の英語教師でした。母に乳がんが見つかったのは、私が高校3年の秋のことです。大学受験の直前に、母は入院。一人、絶望感と恐怖感に襲われながら勉強していた深夜、降り積もった雪で自宅の窓が割れました。地域の学会員が駆けつけ、除雪をしてくれました。〝見守ってくれている人がいる〟――これだけで大きな励みになりました。1981年(昭和56年)、大学卒業後、地元・富山で教師に。仕事や3人の子育てがどんなに大変でも、母やおなじく教員の夫の助けを借りながら、創価学会の活動にも全力で挑みました。自分の心が磨かれないと、生徒に向き合うことはできないからです。実際、老若男女、さまざまな境遇の片と触れ合う中で、多くの学びが得られ、元気をもらえています。学会のつながりは、大人の私だけでなく、自身の子どもたちが成長する上でも重要な存在でした。わが家が座談会場だったので、子どもたちは、地域の学会員から褒められながら、伸び伸びと育ちました。現在、アメリカ創価大学を卒業した長女は、関西創価高校で英語講師を務めた後、アメリカの大学院博士課程で学んでいます。長男は創価大学を卒業し、教員に。二男は、予備校の講師を務めています。親子三代で教育に携わることは、思ってもいませんでしたが、子どもたちが、創価学会の中で〝種子〟を芽吹かせる姿を間近で見守れることに幸せを感じます。子どもは、親と子、教師と生徒の「タテの関係」、同じ世代同士の「ヨコの関係」に加え、さまざまな世代や、異なる状況の人たちがつながる「ナナメの関係」によって育まれます。しかし、実際は、学校内外で子どもが多くの大人と接する機会を増やすことは、なかなか困難な時代です。創価学会が持つ、「ナナメの関係」は、子どもたちの可能性の種子にとって必要な厳しい冬にも、明るく温かな日差しを注いでくれる、豊かな教育力を備えているのです。 [プロフィル]りだ・みぎこ 県立高校で英語教師、副校長を務め、定年退職後、非常勤講師に。1970年(昭和45年)入会。富山県高岡市在住。県副女性部長(圏女性部長兼任)。 視点 サクラサク利田さんは、池田先生が「桜守り」についてつづった随筆を「大切にしてきました。〝子どもに愛情をもめ、子どもの成長を信じて待つ「〟――桜の木々に応じて、見守り、世話をする「桜守り」を通して、教育者の理想像が示されているからです。日蓮大聖人は、「さくらはおもしろき物、木の中よりさきいず」(新2037・全1492) と仰せです。ゴツゴツした枝から、美しい桜の花が咲くように、誰もが凡夫の生命から尊い仏の生命を呼び起こし、〝幸の花〟を咲かせていけるのが、大聖人の明かされた「一生成仏」の法理です。厳冬を耐え抜けば、必ず桜花薫る春が――。〝サクラサク〟その日を目指し、奮闘する受験生に最大のエールを。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」】聖教新聞2022.1.11
May 4, 2023
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心の思いを声に響かせ白樺会副委員長 善浪 正子 「がんは、万一じゃなく二分の一」——これは、がん検診の受診率向上を促すキャッチコピーです。かつては、万が一の備えとしてのがん検診でしたが、今では日本人の2人に1人が、がんになる時代です。悪いことにコロナカの影響で、昨年の受信者は対前年比で30.5%も減少しました(日本対がん協会)。がん検診を見送るうちに未発見のがんが進行し、治療の選択の幅を狭めてしまいかねません。各検針期間は、国の指針にのっとった感染防止対策が徹底されているので、定期的ながん検診が推奨されています。また、健康への不安があると、インターネットで検索し、さまざまな情報に触れることで、かえって心配になったり、間違った判断を下したりしてしまう方も増えています。無責任なネットの情報に惑わされないことも大切です。がん治療は日進月歩。早期発見、早期治療で多くが治る時代です。とはいえ、がんは、日本人の死因のトップで、亡くなる方の約4人に1人を占めていますから、以前として死の影が付きまとうのも事実です。病気そのものの苦痛を抱えながら、胸が裂かれるような不安を抱く方に、どのような言葉を掛けるべきか——。私も真剣に悩みながら、看護の道を歩んできました。 「希望カルテ」から私は公立病院を定年退職し、一昨年から、がん患者やそのご家族の電話相談に携わっています。これまで、約1500人の相談を受けました。相談件数で最も多いのは「不安などの心の問題」です。相手の顔が見えない分、一言の重みをかみ締めながら言葉を紡いでいます。がん相談員として従事できるのも、白樺会(女性看護者の集い)で培った経験のお陰です。病と闘う学会員の方ふぁたとの出会いを重ねるうちに、その方の病状や治療法、悩みや家族の状況などを記した「希望カルテ」を作成するようになりました。それは、寄り添い続けることが自身の使命だと感じたからです。この「希望カルテ」から、Aさんの闘病体験を紹介します。Aさんと出会った時、Aさんは3度目の卵巣がんが再発し、医師から「これ以上の治療は期待できない」と告げられ、激しく動揺していました。当時、息子さんは中学3年生。「諦めない。今は死ねない……」と、絞り出すようなAさんの声の響きが忘れられません。Aさんは、新たな抗がん剤を試すも、病状は一進一退を繰り返しました。検査や治療のたびに連絡を取り合い、希望となることを見つけて、励まし続けました。がんとの闘いは壮絶でしたが、〝妙法と共に生きる〟と決めたAさんの生命力は驚くほど豊かでした。Aさんからは、〝病院のラウンジで、同じ病の方に体験を話してきたよ〟〝祈ることができたうらやましい、と言われたの〟と、喜びの報告が届くのです。日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124㌻)と仰せです。Aさんは、病を人生の妨げとはせず、励ます側にいたのです。前向きに闘病を続けるAさんとご一家に触れ、近隣の壮年が入会。さらにAさんは、遠方で暮らすご両親への長年にわたる祈りが実を結びご両親も晴れて御本尊を頂きました。Aさんの信心根本の生き方が、周囲に〝真の幸福とは何か〟を教えたのだと思います。Aさんは更賜寿命して、息子さんが青年になるのを見届け、61歳の人生に幕を閉じました。最後まで、溌溂とした心で生き煮た姿は、私や多くのがん患者の勇気と希望になりました。Aさんのご主人と息子さんの「少しも悔いはありません」との言葉は、彼女の人生勝利を物語るものではないでしょうか。 安心する存在に看護師の道を歩み始めてから、池田先生が白樺の友に贈られた指針「病める人/心の傷ついている人を/私の使命感として/私は堕落させない」を、心に刻んできました。東日本大震災の被災地では、白樺会の一員として健康相談に加わりました。現地の状況はあまりに厳しく、〝何を言っても届かないのでは〟と思うほど。その中で心掛けたのは、一人一人の生命に具わる力を信じて、声を掛けることでした。ある時、一人の壮年から、「家族を亡くした方に、どう接すればいいか」と質問が。私は、「無理に励ます必要はありません。抱き合って、会えたことを喜び、一緒に追善の題目を送ってください」と答えるしかありませんでした。その時、そばにいた方が、「そうです! その通りです!」と立ち上がりました。その方もまた、ご家族を亡くされていたのです。被災地での経験は、私自身の看護人生にとって大きな節目になりました。価値観や生死観が真正面から問われる場で、創価学会の信仰の奥深さ、人間の強さを学びました。大聖人は、「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(同563㌻)と教えられています。言葉には、心の思いが表れます。苦悩する方と同じ目線に立ち、同じ方向を見て語れば、真心はきっと通じるものです。励ましに、策や方法は必要ありません。そばにいるだけで安心する存在——そう感じ合える絆を、これからも育んでいきたいと思います。 [プロフィル]ぜんなみ・しょうこ 効率の総合病院に看護師として39年勤務した後、がん相談員を務める。1955年(昭和30年)入会。千葉県在住。女性部副本部長。 視点更賜寿命日蓮大聖人は、すでに定まった寿命でさえも、妙法の功徳力で伸ばすことができると仰せです。これを、「更賜寿命」の功徳と言います。大聖人は御入滅の7カ月前、闘病中の門下・南条時光を救わんと、「鬼神めらめ」(御書1587㌻)と病魔を叱咤し、烈々たる気迫でお手紙を認められました。こう記される直前、大聖人も病で筆を執ることさえ困難な中、全魂を込められたのです。時光は大聖人の渾身の激励に応え、病に打ち勝ち、その後、約50年も寿命を延ばしました。戸田先生は、〝寿命とは生命力を意味する〟と言われています。妙法を唱え抜き、旺盛な生命力を引き出して、敢然と病に立ち向かう姿そのものが、信心の偉大な功徳なのです。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」病と闘うともに寄り添う】聖教新聞2021.12.12
April 7, 2023
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心の声に寄り添いたい小児科専門医 廣瀬 益子 〝子どもには未来がる〟——希望を抱いて小児科医になりました。以来41年。子どもたちと共に成長を続けられることが、最大の喜びです。かつて診療した子どもが成人し、今は自分の子どもを連れて来てくれるようにもなりました。小児科は、子どもが成人するまでの間、病気の予防や治療に当たる科です。それだけではありません。心身ともに健康に成長するように手助けすることも重要な役割です。コロナ禍で最近、頭痛や腹痛、投稿しぶりなど、体調や心の異変を訴える子どもが増えています。日常の生活の様子を聞いてみると、午前1時、2時までスマートフォン(スマホ)やゲームに没頭していることが原因で、不調を訴えた例もあります。在宅時間が長くなった影響で、自然と電子機器に触れる機会が増えているのが現実だと思います。スマホは、親にとって〝子育てのツール〟としても使われています。子どもが泣きやまないときや、ぐずったときには、おもちゃとして使わせることもあるでしょう。親の育児ストレスを軽減させる意味では、便利な手段ともいえます。現代の子育て環境を考慮した上で、小児科医としてお願いしたことがあります。それは、乳幼児期からスマホなどの電子機器を過度に触れさせることを控えるということです。将来、言語や感情の発達、親子間の愛着に影響が出る可能性が指摘されています。心身共に健やかに子どもを育むためには、親子で会話を楽しんだり、一緒に体を動かしたりして、居心地のよい関係を続けることが第一であってほしいと思います。そのためにも、食事、睡眠、運動は何より大切な要素です。「今日の食事もおいしかった!」「今日も一日楽しかった!」と眠りにつけることが、居心地のよい親子関係に結び付くのです。 自らの力で前へ子どもの健康を守るために、国立育成医療研究センターが「コロナ×こどもアンケート」を実施しました。そこには、子どもたちや保護者の方々の生の声、SOSが寄せられています。それらを読むと、長引く行動規制の影響で、親子ともに強いストレス状態がうかがえます。今ほど、子どもの気持ちに寄り添うことが必要な時期はありません。アンケートでは、〝言いづらい気持ちを言葉にすることで、心の中を整理できた〟〝少しほっとした〟との回答もありました。子どものストレスに対して、話を聞いてあげたり、気分転換をさせてあげたりするなど、親の援助は有効だといえます。親が〝こうしなさい〟と一方的に言うより、じっと心の声に耳を傾けてあげるだけで、子どもの気持ちは自然と前へ進んでいけるのです。日蓮大聖人は、「人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり」(御書1574㌻)と仰せです。たとえ車が重くても、油を指せば滑らかに進むことができます。同じように、相手を無理に動かすのではなく、どうやったら相手が自らの力で前へ進めるか、心を砕き、関わることが私たちの励ましの在り方です。わたしも、安心して本音を打ち明けることができる先輩の存在があったからこそ、医師を続けられています。 幸福を〝つかむ〟医師2年目の時、500㌘の超低出生体重児を受け持ち、毎晩かかりっきりに。責任の重さから、4カ月も無理な生活を続けてしまい、腎臓を悪くして休職。実家に戻りふさぎこんでしまいました。創価学会の先輩に思いを話すうちに、青春の原点を思い出したのです。中学生の時、「未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びることができる」との池田先生の指針に出会い感動。猛勉強の末につかんだ使命の道が医師でした。原点に立ち返る中で、病に打ち勝ち、小児科医としての誓いを貫く力が湧いてきました。その後、病状は快方に向かい、新たな病院で勤務することに。努力の末、医学博士号を6年で取得。25年前には、夫(亘さん=副県長、関東ドクター部長)とともにクリニックを開業しました。食事を工夫して乗り切ってきた病は、昨年寛解へ。少しでも地域の役に立ちたいとの思いから、新型コロナに対する発熱外来や、ワクチンの接種を積極的に行っています。「創価学会永遠の五指針」の一つに、「幸福をつかむ信心」があります。「つかむ」の一語に、力強い能動的なメッセージが込められています。幸福とは、ほかのだれから与えられるものでもなければ、いつか訪れるのをただ待つものでもありません。つまり、自ら「つかむ」以外にない、と創価学会では考えます。子どもは成長しようと、もがいています。子どもが安心して本音を打ち明け、希望や思いをかなえられるような、親子関係を築くために、医師として心配りを続けていきたいと考えます。大人も悩みながら、子どもと一緒になって成長し、幸福をつかんでいく——それが子育ての醍醐味ではないでしょうか。そんな親子の〝伴走者〟として走り抜いていきます。 [プロフィル]ひろせ・ますこ 埼玉県所沢市にある「ひろせクリニック」で副院長を務める。医学博士。68歳。1953年(昭和28年)入会。所沢市在住。支部副女性部長。第5埼玉総研副ドクター部長。 視点信心即生活現実の日々が多忙であるがゆえに、自分では気付かないうちに尊人の軌道から外れ、行き詰まりを感じてしまうことがあります。廣瀬さんは病気療養中、「仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲がれば影ななめなり」(御書992㌻)との一節に出会い、信心の姿勢を改めることができたと語っています。「体」である信心が確立されてこそ、その「影」である仕事をはじめ生活が順調に進んでいきます。大聖人の仏法においては、信心と生活は一体と捉えます。周囲の状況に翻弄されることなく、朝晩の勤行・唱題を根本に仕事や生活に勝利していくことが、創価学会が大切にする「信心即生活」の生き方なのです。 【紙上セミナー 仏法思想の輝き「親子の成長を見守る〝伴走者〟」】聖教新聞2021.10.12
January 10, 2023
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〝歓喜の春〟は必ず来る畑作農家 鍋嶋 憂美ようこそ! 「虹の大地 鍋嶋農園」へ。農園のある熊本県北部の山鹿市は、澄んだ水と、雄大な自然に恵まれた、農業が盛んな地域です。夜になると、たくさんの蛍が舞い、幻想的な光景が広がります。名産品はメロンやスイカ。今年は特に甘く仕上がり、おかげさまで完売となりました。全国のお客様から好評の声をいただき、感謝の思いでいっぱいです。今でこそ農業に誇りを感じていますが、ここに来るまで、心にゆとりもないほど、苦労の連続でした。 相次ぐ自然災害1989年(平成元年)に結婚し、祖父母の代から続く農家に嫁ぎました。私は会社勤めから一転、全く経験のない農業をはじめました。農家の朝は早く、出荷作業は深夜に及ぶことも。農業の専門用語や知識も覚えられないまま、時が過ぎ去っていきました。つらくても、弱音だけは吐きたくありませんでした。50世帯ほどの集落に、学会員は私と夫だけ。地域の方々や義父母に、〝私たちの姿を通して創価学会を知ってもらおう〟と、夫婦二人三脚で仕事と広布への活動に汗を流しました。結婚してゆくゆく年、1000万円を投資したメロン栽培の連棟ハウスが台風で倒壊。そのハウスは、かつて大雪で壊滅した後、再起を誓って夫が懸命に立て直したものでした。〝地域の未来を開くメロン栽培を諦めてなるものか〟と、夫婦で信心を奮い起こしました。もう一度、ハウスを建てなおし、自動開閉装置を設置。これは当時、熊本県でも先駆的で、温度と湿度を自動で管理できるようになりました。ハウスの屋根の構造も工夫し、暖房費を2割節減しながら、作物の品質を保つことにも成功。学会活動で培った〝負けじ魂〟で、挑戦し続けた結果、収入は就農当時に比べ、スイカとメロンを合わせて約3倍になりました。しかし、その後も自然災害が続き、借金はふくらんで、生活に暗い影を落とすように。やむを得ず、私は昼に会社勤めを、夫は夜に警備の仕事をはじめました。負けそうなときは、「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書1253㌻)の一節を抱きしめ、祈りました。「冬は必ず春」と仰せです。だから必ず乗り越えられる!——〝歓喜の春〟を確信し、自ら鼓舞して、唱題根本に忍耐と挑戦を貫きました。5年の歳月を経て、季節を問わず栽培できる青ネギなどを取り入れ、夫婦で再び農業に専念できるようになりました。 今が一番幸せ長女・玲子(女性部員)が6年前、仕事などで悩んでいました。福岡で働く娘に題目を送りながら、何度も電話で激励。その後、娘は実家に戻ってきて、息抜きのつもりで農業の手伝いをはじめてくれました。娘に農家を継ぐ意思がないことは分かっていましたが、ただ、〝農業を少しでも理解してもらいたい〟——そんな思いで、夫は娘に農業経営者を育成する講座を進めました。娘は、軽い気持ちで通うようになると、思いのほか、農業の楽しみを感じたようで、農園で意欲的に働いてくれました。娘が結婚し、娘夫婦が農園に加わると、インターネットを通じて販路を次々と開拓。売り上げが向上し、経営面積も広がりました。今から、Instagram(インスタグラム)やTicTok(ティックトック)といったSNSも活用しているようですが、何回聞いても私にはよくわかりません(笑い)。この5年で従業員は2倍に。生産品目も増え、農園には活気が生まれています。そんな娘の働きぶりが人づてに伝わり、この夏、JA(農協)グループが発行する全国紙で大きく掲載され、表紙も飾りました。最近は「農ギャル」といった言葉まで生まれ、就農する若い女性に光が当たる時代が訪れました。それは一方で、農家の後継者不足という課題の反映でもあります。私たち夫婦は、子どもたちに同じ苦労はさせたくなかったので、「農家を継いでほしい」とは言えませんでした。娘夫婦も就農当初、不安だったようですが、今ではやりがいを持って、夫から技術を学んでいます。娘は、県内の若手農業者とも情報を交換をしながら、経営の新たな提案をしてくれ、頼もしい存在となりました。全ては、信心で負けない強さを育んできたおかげだと思います。希望を捨てなければ、諦めなければ、道は開ける。それまで貫く強さが個の信仰であり、幸福の源泉です。就農して32年。思ってもみなかった境涯を築くことができ、今が一番幸せです。わが地域や農業の将来を展望すれば、体験農業や食との融合など、まだまだ可能性を開いていけると感じます。筏先生が農漁光部に示してくださった、「地域の灯台たれ」との指針を胸に、愛する地域に貢献していきます。 ✉夫からの感謝夫の鍋嶋泰弘(支部長)です。妻にはいっぱい苦労をかけました。経済的にも苦しい時、借金の返済日が近づくと、憂鬱になり、家に引きこもろうとしました。しかし、妻が力強く仕事と学会活動に引っ張り出してくれたのです。御書には、「甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず」(1468㌻)と仰せです。正法に導き、励ましてくれる師匠や、仲間のことを「善智識」といいます。わたしにとって、まさに妻は最高の善智識です。夫婦で題目を唱え抜き、負けない心を磨くことで、環境を変えることができました。妻は庄も元気に学会活動に飛び出しています。お母さん、本当にありがとうな。 〔プロフィル〕なべしま・ゆみ 熊本県山鹿市で「鍋嶋農園」を営む。60歳。1961年(昭和36年)入会。山鹿市在住。女性部本部長。農漁光部員。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」家族で希望をつなぐ】聖教新聞2021.9.14
November 30, 2022
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人は人の中で磨かれる中国方面教育部長 玉井 二郎子供を支え、導き、育む「先生、居眠りしていましたね」——ある時、児童から学級日誌にかかれてしまい、思わず〝ドキッ〟としたことがあります(笑い)。児童といっても決して〝子ども扱い〟をしてはいけません。40年間、広島市で小学校教育に携わる中で、見栄や気取りを拝して、全身全霊で児童に向き合ってきました。今も忘れられないのが、教員生活13年目、ある小規模校で小学5年・14人のクラスの担任になった初日のことです。自己紹介をためらっていた男子児童が、やっと勇気を出し、立とうとすると、他の児童から「お前、ばかじゃけえ、貧乏じゃけえ、黙っとけや」との声が教室中に響きました。私は我慢できず、泣きながら叫びました。「ばかじゃったら何が悪いんや! 先生も貧乏じゃ!」人口の少ない地域です。子どもたちは幼少期から一緒に過ごしてこともあり、自然とクラスの中で〝秩序〟ができていたのです。〝このままではいけない〟と思い、始めたのが学級通信「ルネサンス」です。毎日、下校する前、学校での出来事を何でもいいので100字にまとめてもらいます。さらに、私の思いを書き足して、全員分を印刷し、翌朝に配布。保護者からは、子どもたちの考えや、学校での様子がよく分かると、大好評でした。何より、児童たちへの理解が深まりました。学級通信を200号まで続けるうちに、仲の良いまとまったクラスに変わり、成績も向上。今では、医師として活躍する子もおり、毎年のようにクラス会を開催し、皆との再会を楽しみにしています。 褒め言葉のシャワー2010年(平成22年)、校長として初めて赴任したのは、全校児童78人の小学校でした。市内でも、学力や生活面で問題を抱えていることで知られていました。構内を回ってみると、子どもたちは授業中に後ろを向いて話をしていたり、廊下を走りまわったり……。そこで毎日、児童一人一人の顔を思い浮かべながら題目を唱え始めました。祈りを深めるうちに、智慧と活力が湧いていきます。毎日、教職員に対して、「子どもたちのためにできることはなんでもしよう」と呼びかけました。自らも授業に参加。いじめの兆候を見つけたら、その場ですぐ対応しました。あるとき、ある児童の問題行動ばかりに気が取られるうちに、その子の良い面に目を向けることを、忘れていたことに気付きました。日蓮大聖人は、「法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる」(御書1242㌻)と仰せです。創価学会では、広布に生きる同志を尊敬し、励まし合うことで、互いに触発され、豊かな関係を結んでいきます。そこで、子どもたちの良い面を見つけては、一つ一つ褒めるようにする「褒め言葉のシャワー」を提案し、教職員一丸となって開始。教職員の団結も生まれて、校内が明るい雰囲気に代わり始めたのです。やがて、子どもたちの生活態度が見る見る向上。年後には、学力が市内トップクラスの学校に生まれ変わりました。その後、児童数700人の小学校に赴任。毎朝、教職員一人一人の顔を思い受かべながら祈りました。しかし、教職員に「おはようございます」とあいさつしても、先生方に元気がありません。これは児童にも良い影響を与えられません。実際、不登校の児童も多く、先生方も悩んでいました。まず、私から教員に、感謝とねぎらいの心で接し、授業以外の雑務を減らすようにしました。教職員は見違えるように元気になり、不登校の児童が一人もいない学校に変わったのです。池田先生が示された、「教師こそ最大の教育環境」との指針がいかに重要かを教えてもらいました。 自身が人間革命を文部科学省の調査によれば、2019年(令和元年)、公立学校教職員の精神疾患による病気休職者は5478人。前年度から266人増加し、過去最多の人数となっています。たしかに教職員は、保護者や児童・生徒、地域、教育委員会の間に立って、多様な仕事に当たっています。私もつらいことが数えきれないほどありましたが、そのたびに拝してきた御書の一節があります。「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(232㌻)子どもを支え、導き、育もう!——学生時代の誓いに幾度も立ち返ることで、教育者の道を歩み抜くことができました。「教育」とは「共育」です。〝自分が人間革命する姿を子どもに見せないと、教壇には立てない〟と自らに言い聞かせてきました。人は人の中で磨かれていくことを、児童や先生方の姿を通して確信しています。昨年から、死の障がい者就労支援事業に従事。コロナ禍で雇用環境が悪化する中、障がい者の方々が活躍できる環境づくりに携わっています。一人一人が可能性を広げられる社会を築くために、これからも教育部の使命と責任を胸に奮闘していきます。 [プロフィル]たまい・じろう小学校教員として勤務し、校長職を務めた。定年退職後、広島市の就労支援事業で、障がい者の就労支援に従事。65歳。1956年(昭和31年)入会。広島市在住。副総県長。 視点唱題根本玉井さんが人を思い、題目を唱えたように、創価学会では、人生を豊かに生きていくために、唱題を根本とした生活を大切にしています。日蓮大聖人は、「深く信心を奮い起こして日夜、朝夕に、また怠ることなく自身の命を磨くべきです。では、どのようにして磨いたらよいのでしょうか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くということなのです」(御書384㌻、通解)と仰せです。日々の勤行・唱題の実践で、私たちの生命が錬磨され、無明という根本の迷いを打ち払うことができます。祈とは、現実の生活、仕事などで努力していくための〝エンジン〟です。そして、自分が変われば環境も変えられる——その出発点が祈りなのです。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」】聖教新聞2021.7.13
August 23, 2022
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「心の財」こそ無上の宝東洋大学名誉教授 経済学博士 八巻 節夫私は50年以上、経済学を専門に研究してきました。「経済」と口にすると、〝難しそう……〟と敬遠されてしまうのが長年の悩みです。「経済」という言葉は、「経世済民」に由来し、〝世を治め、民を救う〟ことを本義としています。かつて池田先生は、「『何のため』の経済か。庶民が、母と子が、幸福に暮らしていける経済か否か。これが肝要である」と語られました。私も「生きた人間を離れて経済はない」との信念で研究を重ねてきました。ちなみに、わが家の経済は、常に妻が的確に回してくれています。おかげで安心して働いて切ることができました。その意味で妻は〝一流の経済学者〟であり、無駄遣いを認めない鋭さは私もまったく及びません(笑い)。 地球2・8個分経済の成長とともに、私たちは便利なものに囲まれ、快適な生活を享受できるようになりました。しかし、人間の欲は、とどまるところを知りません。生活を豊かにするはずの〝物〟が、不満を拡大させる働きをもたらしました。例えば、喉が渇いたときを創造してみてください。1杯目の水を飲んだときに得られる満足度は、2杯目以降、下がってしまいます。また、はやりの服を買ったとしても、流行が移り変われば、その服から得られる満足度は減ります。それによって不満を拡大させ、新しい服を買いたくなってしまうのです。こうして、新たに欲求を満たそうと消費が拡大されてきました。欲望の肥大に伴い、経済発展を果たしてきた一方、公害問題をはじめ自然環境が破壊・汚染されてきた側面もあります。そうした反省から、日本では1970年代の後半から、「物の豊かさ」より「心の豊かさ」を求める、と答える割合が上回るようになりました。つまり、「経済の成長=幸福」は錯覚であり、目先の欲求を満たす消費行動は、決して真の幸福につながらないことに気づき始めたのです。しかし、40年以上たった今もなお、ものの豊かさを求めることで、地球環境へ負荷のかかる消費は続いていると言わざるを得ません。例えば、現代の日本人と同じ生活スタイルを、世界中の人がしたときに必要な地球の数は、2・8個分といわれています。当然ながら、地上の資源は有限であり、このままでは枯渇してしまいます。資源の奪い合いから、争いに発展することも懸念されます。資源を浪費する社会から、持続可能な社会にシフトしようと、国連が掲げるSDGs(持続可能な発展目標)の達成に向けた取り組みに、私はとても希望を感じます。何より、消費の在り方を変えていくために不可欠なのが、私たちの意識の変革です。 経済の焦点は「生命」仏法に巡りあって54年を迎えます。創価学会に入会した直後の学生時代、時間さえあれば研究に打ち込みたかったので、「祈る」という行為が釈然としませんでした。しかし、地域の学会員の温かな人間性に魅了され、信心に励む中で「自分さえよければいい」と考えてしまいがちな自身の小さな境涯に気付きました。学会活動を通し、「自他供の幸福」こそが、本来、経済学が目指すべき幸福と一致すると分かると、それまで以上に研究に力がこもりました。利己にとらわれた小我から大我への転換でした。日蓮大聖人の示された「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173㌻)との一節は、人生において最も大切な価値を教えています。「蔵の財」は経済的な富を、「身の財」は健康や身に付けた技術・知識等を指します。二つとも、生きる上で必要ではありますが、いずれも相対的なもので、これだけでは真実の生命の充足は得られません。対して、「心の財」とは、私たちの生命に刻まれた永遠の福運であり、崩れることのない豊かさを表しています。自他供の幸福を目指す大聖人の仏法の実践によって積まれた「心の財」こそ、人生の無上の宝なのです。心の豊かさを積みゆく人生に、本当の充実があるのではないでしょうか。これからの時代、心の豊かさを得るために大切なのは、節度をもって生活することに誇りをもつ生き方です。そのためにも、欲求を調和的に充足させる経済の仕組みによって、人々は最大の満足を得られると考えます。これができるかどうかが、経済が今後、人々の幸福に貢献していくための課題です。御書には「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(1025㌻)との経文が引かれています。生命に根源的に具わる煩悩(貪欲性や暴力性)に左右されず、支配されず、またそれを無理に消し去るのでもない。正法を「心の師」として、煩悩をも価値創造の方向へ導いていく智慧を教えています。欲望をコントロールする自身を築いていく——仏法の教えを、意識改革の根底に据えることが何より大切だと思います。コロナ禍にあって、今後の経済の焦点が「生命」に移るといった議論があります。私もまったくの同意見です。具体的には、地球環境の保全に加え、医療従事者やエッセンシャルワーカーを大切にし、生命そのものの価値を重視する経済の構築です。池田先生は「資源は有限であっても、人間の可能性は無限であり、人間が想像することのできる価値にも限りがない」と語られています。仏法が説く「生命尊厳」の哲理が希求される今、向学の志に燃え、価値創造していくことが私の生きがいです。 [プロフィル]やまき・せつお 東洋大学名誉教授。経済学博士(財政学)78歳。1967年(昭和42年)入会。総区主事(総区太陽会議長兼任)。学術部参与。 視点依正不二仏法では、人間を取り巻く一切の環境を意味する「依報」と、生を営む主体(人間)を指す「正報」が「不二」、つまり、分かちがたく関連していると説きます。日蓮大聖人は、「正報なくば依報なし・又正報をば依報をもって此れをつくる」(御書1140㌻)と教えられています。人間は、自然と切り離されて生存することはできません。よって、あらゆる生命を尊び、自然と共生する生き方が大切になります。創価学会は、地球環境の課題について啓発するために、展示活動などを行っています。その主題は、〝一人の意識が変われば環境をも変えていける〟というもの。「依正不二」に基づく希望のメッセージを発信し、変革の主体者の輪を広げています。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」充足した人生とは】聖教新聞2021.6.8
July 7, 2022
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大地の恵みに感謝の祈りを野菜農家 高林 優一安心の「食」を届けたい皆さんは日ごろ、口にする食材が、どこで、どのように作られているかお分かりですか? 食品添加物は含まれているでしょうか?実家の農業を手伝い始めて5年がたった頃、こうした点を真剣に考えるようになりました。きっかけは、妻の食物アレルギーや、子どもたちのアトピー性皮膚炎でした。家族の悩む姿に触れ、少しでも体に良いものを食べさせたい一心で、まずは自身の農作物から見つめ直しました。わが家の農園では当時、50㌶(東京ドーム10個分)という広大な農地に米、小麦、小豆、大豆、テンサイ、カボチャ、トウモロコシ、ジャガイモなどを栽培していました。作業にあたるのは、家族4人。どうしても効率を優先せざるをえません。そのため、農作物の品質を整え、生産性や収益を上げるために化学肥料を使い、害虫を駆除したり、病害を防いだりするために農薬を使うことが当たり前でした。そうすることでしか、農家は生き残っていけない現実がありました。生活が成り立たなくなるかもしれない——。それでも、「家族のために、より安全で健康に良いものを作ろう」と決心し、2003年(平成15年)から化学肥料や農薬を減らす栽培に着手。しかし、害虫の被害が増えたり、収穫量が減ったりと、思うように育ちません。両親とは意見が対立するも、根気強く自身の熱意を伝えながら、挑戦と失敗を繰り返しました。 微生物を生かす〝土を改良すれば、安心でおいしい野菜が作れるはず、しかし、どうすれば〟——。深夜まで研究を重ねながら、欠かさなかったことがあります。御本尊への誓いの「祈り」です。日蓮大聖人は、「題目を唱える奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし、我等が小音なれども、題目の大音に入れて唱え奉る間、一大三千界にいたらざる所なし、譬えば小音なれども貝に入れて吹く時・遠く響くが如く、手の音はわずかなれども鼓を打つに遠く響くが如し、一念三千の大事の法門是なり」(御書808㌻)と仰せです。私たちが唱える題目が、あらゆるところに届くとは、「一念三千」の偉大さを表しています。一念三千とは、自身の一念が変われば周囲の環境や状況も変えていけるという、仏法のダイナミックな原理です。あるとき、〝農業とは、作物の子孫を分け与えてもらうもの〟との話を聞き、ハッとしました。作物への感謝を忘れず、微生物と作物に優しく声をかけるようになりました。堆肥を改善すると、作物の品質や味も変わり、ホームページや直売所での注文も増え始めたのです。以来、「喜んでくれる人のために」との思いが原動力となり、2013年(同25年)には、農業認証の国際基準である「グローバルギャップ」を取得。さらに昨年7月には、農林水産省の「有機JAS」の認証を取得しました。この検査に合格することで、「有機」「オーガニック」と表現することができます。現在、妻と長男とともに70㌶の田畑うち、1割の農地で有機農法を実施。作物が本来持つ力を高めることで、カビの原因菌を抑え、収穫量が増えました。味も格段に向上し、例えばゴボウは灰汁が出なくなり、えぐみもとれて大変好評です。しかし、マニュアル通りにいかないのが農業です。天候にも大きく左右されます。時には「去年より甘みが少ないですね」と、仕上がりの良し悪しに気付き、それをも楽しみにしてくださるお客さまが全国に広がり、うれしい限りです。だからこそ、緊張感をもって唱題根本に努力を重ねる日々です。 人と人をつなぎたい近年は後継者不足を理由に、離農する方も少なくありません。だからこそ、〝地域の灯台〟として人と人をつないできました。心に刻んできたのが、「強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万民乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ」(同1118㌻)との御文です。大聖人は、門下の四条金吾に対して、信心を貫けば、行き詰ることなく人生を開いていけると励まされました。そうした諦めない不屈の姿に、周囲から信頼が寄せられ、称賛されるような存在となることができると仰せなのです。2018年(同30年)に起きた「北海道胆振東部地震」で、わが地域は震度6強に襲われ、家屋や出荷前のカボチャが被害に遭いました。畑にも土砂が流れ込み、すべて除去できるまで半年以上かかりました。両親は家を地域の支援物資の保管拠点として提供しました。私も自分にできることは、何でも担わせてもらおうと挑戦してきました。現在、地元・安平町観光協会理事をはじめ、10の役職を兼務しています。「道の駅あびらD51ステーション」が誕生。私が企画に携わった農産物直売所では、近隣の生産者が育てた農産品などを販売しています。現在、北海道は春本番。安心な「食」をお届けするために、豊かな大地の恵みに感謝の祈りをささげて、挑戦を続けています。 [プロフィール]たかばやし・ゆういち 北海道立農業大学卒業後、農協勤務を経て、実家の農園を継ぐ。52歳。1968年(昭和43年)入会。北海道・安平町在住。支部長。農漁光部員。 視点自然を尊ぶ日蓮大聖人は、「百界千如は有情界に限り、一念三千は有情と非常の両方にわたるのである」(御書239㌻、通解)と仰せです。「有情」とは、人間や動物のように、感情や意識を持ち、それを表現することのできる存在です。「非常」とは、感情を表すことができない草木や山川、国土等を指します。仏法では、私たち人間に仏性が必ず具わっているように、「非常」にも十界の生命があると説きます。ゆえに、自然にも仏の生命を見いだし、尊ぶのが仏法の思想です。この哲理を胸に刻むからこそ、農漁光部の友は自然への敬意を忘れません。環境問題が叫ばれて久しい今、人間と自然が調和し共生するための智慧が仏法にはあるのです。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」】聖教新聞2021.5.18
June 9, 2022
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共に学び、共に育つ東海道教育部長 小野 信行私の教育実践2010年10月に神奈川で開催さ得た創価学会教育本部のシンポジウムで、教育部員による3000事例の教育実践記録を分析した結果として、教師や大人に望まれる子どもへの「五つの関わり」が示されました。それは、①「信じ抜く」②「ありのままを受け入れる」③「励まし続ける」④「どこまでも支える」⑤「心をつなぐ」です。教育現場での日々の奮闘や挑戦をつづった教育実践記録。そこには、子どもたちの可能性を信じ、励まし抜き、一人一人と心がつながることで、子どもたちが大きく成長する姿をつづった感動のドラマが無数にあります。私自身、これまで40年以上にわたって教壇に立ってきた日々は、池田先生が示された教育思想を体現しようと努める中で、「子どもたちには、これほどの可能性があるのか」と驚かされることの連続でした。 クラスの違和感教員生活にも慣れて10年ほど過ぎた頃、5年生でタンニンを務めた学級を継続して受け持つことに。6年生の新学期がスタートして少したった時、クラスの変化に気付きました。それまで大きなトラブルもなく、楽しく学校生活を送ってきたクラスでしたが、なんだか子どもたちの関係がギスギスし始め、皆の表情からも明るさが消えていたのです。〝クラスの中で、何か問題が起きているのかもしれない〟私は、子どもたち一人一人と話す時間をつくり、原因を聞きだそうとしました。当初は委縮していた子どもたちも、粘り強く話し掛けていくうちに、ようやく思いを打ち明けてくれました。すると、「最初、先生は面白かったけど、今はつまらない」「〇〇君の話はよく聞くのに、僕の話は聞いてくれない」など、予想もしていなかった言葉が出てきたのです。〝すべての原因は、自分自身にあったんだ〟と猛省しました。教員生活になれたことで、いつしか惰性に陥り、子どもたち一人一人に真剣に向き合えていなかったのです。〝子どもたちの幸せを、もう一度、真剣に祈ろう〟——そう決意した私は、あらゆることにアンテナを張りながら、一人一人が持つ可能性を信じ、どこまでも励まし抜くことを心掛けました。皆と心を通わせる努力を続ける中、次第に子どもたちの表情も明るくなっていきました。やがて半年がたった頃、以前のような思いやりのあふれる楽しいクラスへと変わり、全員が笑顔で卒業式を迎えることができたのです。池田先生が示した「教師と最大の教幾環境なり」との教育理念が、この時ほど身に染みたことはありません。子どもが成長できるかどうかは、教育者の一念で決まります。さらには、家庭や地域など、子どもたちを取り巻く全ての環境を、その子の教育のために〝最善の環境〟にしていくことで、若芽はグングンと伸びていくのだと確信します。日蓮大聖人は、法華経に説かれる「宝塔」の意味について、弟子である阿仏房に問われ、「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」(御書1304㌻)と仰せです。一人一人の生命は、光り輝く宝塔のように尊貴で、計り知れない可能性を秘めているのだと教えられています。大切な宝の子どもたちを育み、可能性を開花させゆくという教育の使命の重みを、かみしめずにはいられません。 桜梅桃李の使命現在、私は特別支援教育に携わっています。障がいのある子どもたちと一緒に生活する中で実感するのが、「教育は『共育』である」ということです。〝どうしたら学ぶ楽しさを分かち合えるのか〟と学習方法を工夫し、子どもたちの反応を見ながら試行錯誤を重ねる毎日です。学んでいる時の子どもたちの笑顔や、たとえ小さな一歩でも成長した姿を見る時、教師として、これほどうれしいことはありません。池田先生は、「教師自身が成長すれば、子どもたちも必ず成長します。また、教師自身が成長するためには、子どもたちの成長に学ぶことです。教育は『共育』——教師も生徒も共に育って、成長していくことなのです」と語っています。教師自身が成長しようと努力する姿勢は、子どもたちにも〝善き成長〟への触発を与えていけるのです。また、仏法には、一人一人がありのままの姿で、最高にかがいていく生き方を教えた「桜梅桃李」という言葉があります。桜も梅も桃も李も、花が咲く時期や花の形、見た目や香りなど、同じではありません。しかし、それぞれが時を待ち、必ず。趣のある素晴らしい特性・個性を開花させます。同じように、子どもたちの個性は皆、異なります。成長のスピードも人それぞれです。ですが、その一人一人に、「その子」でしか果たせない、かけがえのない使命が絶対にあります。だからこそ、関わる側は、「その子らしさ」を尊重しながら、「花開く時」を信じ抜き、励まし続けていく「忍耐力」が大切なのだと思います。私自身、どんな困難な状況であっても、希望を失わず前を向くという自らの生き方で、大切な子どもたちを励まし抜けるよう、挑戦を重ねていく決意です。 [プロフィル]おの・のぶゆき 神奈川県の公立小学校で教頭を務め、定年退職。現在、再任用教員として勤務。65歳。1958年(昭和33年)入会。神奈川県小田原市在住。総県総合長。 視点配慮と励まし日蓮大聖人は、人にものを教える意義について、「人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり」(御書1574㌻)と仰せです。たとえ車が重くても、油を刺せば滑らかに前進することができます。同様に、相手を無理に動かすのではなく、相手が自分の力で前へ進めるよう、心を砕くことが、私たちの「励まし」の本義でしょう。人の悩みは千差万別です。その一人一人に寄り添い、深く理解して、〝この人が活躍するためには、どうすればいいか〟と考え抜く慈悲の心から、知恵も生まれます。教育本部の友は、仏法の慈悲の理念を胸に、こうしたこまやかな配慮と励ましの実践を日々、教育の最前線で積み重ねています。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」】聖教新聞2021.3.2
March 13, 2022
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慈悲の心で関わり抜く総群馬白樺会 総合委員長 川島 佐枝子地域貢献の保健師として私は保健師として33年間、群馬県内にある11カ所の保健所で勤務してきました。乳幼児から高齢者まで幅広い世代の方々が、住み慣れた地域でその人らしい生活を送れるよう、発病のリスクを減らすための予防的な関わりで、心身の健康を守るのが保健師の仕事です。保健所の業務は、医師・薬剤師・臨床検査技師など、さまざまな分野の専門家と協力して、精神保健や難病の方への対応、母子保健や虐待予防、そして、今回のような新型コロナウイルスや結核といった感染症の対応など、多岐にわたります。もともと看護師をしていましたが、病院で極低出生体重児への看護を経験する中、私自身の無力さを感じた時があり、また、母子が退院した後も地域で安心して子育てができるよう、より身近に支援していきたいと考えて、保健師になりました。 抜苦与楽の励ましこれまで多くの方と関わるなか、私自身、一番に心掛けてきたことは、何があろうと「目の前の一人を大切にする」ということでした。保健所には毎日、電話や窓口にたくさんの相談が寄せられます。時には、難病の診断を受け、同様と不安でいっぱいの方を目の前にして、どんな言葉を掛けたらいいか分からないこともありました。そのたびに、相手のことを真剣に祈り、〝つらい思いを抱える方々に、少しでも希望と安心を感じてもらえるよう尽力するのが、保健師である私自身の使命だ〟と自らに言い聞かせ、相手の心に寄り添ってきました。現在、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、在宅保健師である私にも要請があり、濃厚接触者の方々からの電話相談を受けています。綿井社、事務的に受けごたえするのではなく、受話器の向こう側にある〝不安の思い〟を丁寧にくみ取るようにしています。そして、最後に必ず「お大事になさってください」と、祈りを込めた一言を添えています。かつて池田先生が、白樺(女性看護師の集い)のメンバーに贈った指針に「病める人/心の傷ついている人を/私の使命感として/私は堕落させない」とあります。病気になったことで不安になったり、悲嘆したりする方もいます。そうした方々に寄り添い、励まし、前に進めるよう、仏法が示す「抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)」の慈悲の心で関わり抜いていくことが、医療に携わる私たちの使命なのだと確信しています。 義母の介護を経験3人の子育てをしながら保健師の仕事を続けてこられたのは、同居する義母が育児や家事の一切を引き受けてくれたおかげでした。はつらつと地域活動に励むほど元気だった義母に認知症の症状が出たのは、子どもたちが独立した頃から、次第に物忘れや被害妄想がひどくなり、日常生活も無気力になっていきました。私自身、「元気だった義母が、なぜ」とショックを隠せませんでした。デイサービスを利用しながら自宅で介護しましたが、毎日が、〝戦い〟でした。義母から「迷惑をかけるので、早くお迎えが来るといいのに……」と言われた時は、胸が突かれました。いろんなことがある中で、義母が毎日、食べきれないほどのお米を焚いてしまうことがありました。炊飯器のふたを開けては驚き、何度も注意しましたが、変わりません。認知症を担当する保健師に相談すると「炊飯は、高度な頭脳の働きが必要です。素晴らしいと思います」とのこと。その日、帰宅するなり「お米を炊けるってすごいって褒められたわよ。お母さん、いつもありがとう」と伝えた時、義母が見せたうれしそうな表情は、今でも忘れられません。義母にとって、家族が喜んで食べることが生きがいだったのだと実感し、胸が熱くなりました。不思議にも、その日以来、炊飯の量が適量に。その後も認知症は続きましたが、私自身、義母への感謝の心を深くすることができました。仏法には、生命と生命が互いに通じ合う「感応妙」の法理が説かれます。心からの尊敬と感謝をもって相手に接する時、こちらの生命は、必ず相手の生命に奥底に通じるのだと確信します。日蓮大聖人は「命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり」(御書986㌻)と仰せになり、限りない生命の尊さを教えられました。私は、義母が好きだったこの御聖訓をはしながら、「お母さんが今日一日、元気でいてくれてうれしいわ。ありがとう」と声をかけ続けました。義母は最晩年、いつも笑顔で周囲を明るくしてくれ、93歳の天寿を全うしました。こうした経験も今では、同じように悩む人に寄り添う力になっていると実感します。振り返れば、今日まで目標をもって歩んでくることができたのは、青年時代から、池田先生の限りない励ましがあったからです。現在、新型コロナウイルスの感染が広がり、医療従事者の方々も懸命に対応しています。感染拡大が一日も早く収束するよう、日々、祈らずにはいられません。先生の振る舞いから学んだ「一人の人を大切にする」姿勢を忘れることなく、これからも生命を慈しむ〝白樺の心〟で地域に尽くしてまいります。 [プロフィル]かわしま・さえこ 群馬県内の保健所に保健師として定年まで33年間務める。現在、群馬県在宅保健師の会員として活動。1962年(昭和37年)入会。群馬県桐生市在住。婦人部副本部長。 視点希望社会を長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授は、昨年12月19日付本紙に掲載されたインタビューで「長期化するコロナ禍に対して心が折れないためにも、希望をもてる社会を築くことが必要」と述べています。日蓮大聖人は「百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかるくなる」(御書1403㌻)と仰せです。いかに深い苦悩の闇に覆われていようとも、妙法を唱えることによって仏の生命を開き、自身の胸中に希望の太陽を昇らせることができるのです。どんな状況でも、絶対に希望は生み出せる!——学会員はこの確信を胸に、日々、縁する友へ励ましを広げながら、地域社会を明るく照らす〝希望のネットワーク〟を世界中に築いています。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」】聖教新聞2021.1.30
January 30, 2022
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自分が変われば相手が変わる元中学校教頭 寒川 義文香川県で高知留中学校教員となって39年となる今年は、新型コロナウイルスの感染拡大という、経験したことのない状況に直面するなど、激動の一念でした。感染症の対策以外にも、学校現場には課題が山積しています。ある新聞で、全国の教育現場における昨年度のいじめ認知件数と不登校児童生徒数が、過去最多を更新したことが報じられていました。この記事を見たとき、90年前、教育者でもあられた創価学会初代会長・牧口常三郎先生が『創価教育学体系』の発刊に際してつづられた言葉が、思い浮かびました。〝一千万の児童や生徒が修羅の巷に喘いでいる現代の悩みを、次代に持ち越させたくないと思うと心は狂せんばかりなり〟どこまでも子供の幸福を第一に考えられた牧口先生。私も一人の教育者として、いかに大変な状況であっても、次代を担う子供に尽くしぬこうと、自らに強く言い聞かせる毎日です。 分かったつもり私が教員に採用された1980年代は、全国世校内暴力の嵐が吹き荒れていた頃。授業中に生徒が騒ぎ、老化をバイクが走り回り、学校にパトカーが来ることも日常茶飯事。私自身、担任として、寝る間もないほど多忙日々を送っていました。そんなある年、A君という生徒を受け持ちました。やんちゃな彼が問題を起こすたび、私は厳しく指導しましたが、A君は反発するばかり。〝なぜ分かってくれないんだ〟—私は次第に、自信を失っていきました。ある日、友人同士のけんかに巻き込まれたA君に、私はきつく指導しました。そると彼は、目に涙をためながら、「お前は俺のことを分かっているつもりやろうが、何もわかっとらん!」と、学校を飛び出してしまったのです。その夜、A君の家に行き、話を聞くと、彼は友人たちのけんかを、やめさせようとしていたことが分かりました。A君の言う通り、私は「分かったつもり」になっていただけでした。彼の行動を「問題」だと決めつけ、「彼のために」と言いながら、結局は〝教師として、良く見られたい〟という、私の自己満足にすぎなかったのです。A君に謝った後、帰宅して御本尊に向かった、自らの至らなさを反省しました。すると、〝彼のおかげで気づくことができた。彼のおかげで教師として一歩、成長できた。これからも彼に関わり続けよう〟と、感謝の持ちが湧いたのです。一念が変化した時、A君の長所が次々と見えてきました。その後、A君との信頼を深めることができ、彼は有意義な学校生活を送って、笑顔で卒業していきました。仏法には「一念三千」という法理があります。自身の一念が変われば、相手が変わり、ついには世界を変えといけるという「人間革命」の原理が示されています。どんな状況も、自分次第ですべて大きく変えていけるのです。実は、A君とは卒業後も年賀状などを通して交流は続きました。彼の卒業から20年ほどたったある日、相談を受けました。「息子が反抗期で困っている」と。私は、A君にアドバイスをしました。「子どもは親の言う通りには、なかなか育たない。親の背中を見ている。自分もそうだったと我慢して、よく話を聞き、愛情を注ぎ続ければ、いつかきっと、分かるときが必ず来る」安堵した彼の笑顔を見て、私自身も元気になりました。 大病を乗り越えて5年前に教頭に就きましたが、定年を間近にした昨年11月、大腸から出血し、緊急入院。一時は意識不明に陥りました。しかし、学会の同志が私の回復を五懸命に祈って下さるなか、治療が奏功して早期に職場復帰でき、職務を全うすることができました。定年退職後、再任用で職場に戻った今年6月にも再び出血しましたが、幸い、大事に至らず、今も教壇に立ち続けています。私がこれまで教師として心掛けてきたことの一つは、「子どもを尊重する」ということ。あいさつも、なおざりにせず、「おはようございます」と元気に声を掛け、きちんとお辞儀します。御書に「三千大千世界にみてて候財も・いのちには・かえぬ事に候なり」(1596㌻)とあります。一人一人の生命には、宇宙大の可能性が秘められています。それほど問うと以下の生を持った生徒たちを最大に輝かせていくことこそが、教育者の使命ではないでしょうか。「教育」は、すぐに答えが出ないものであるがゆえに、時に葛藤や自身の無力さを感じることもあります。それでも、子どもの可能性を信じて、どんな時も励まし続けることで、子どもは、自分のことを大切に思ってくれるその心を滋養として、おのずと成長の目を大きく開花させるのだと確信します。私自身、中学から大学まで過ごした創価の学びやでの、教職員の方々の励ましが大きな支えでした。とりわけ、創価大学時代、所属していた剣道部の恩師や先輩方の温かな薫陶があったからこそ、教育の道を志し、歩み続けて今日に至ることができました。これからも、太陽のように皆を照らし、育んでいく「創価の人間教育の体現者」を目指して、「黄金の日記文書」をつづっていきます。 [プロフィル]さんがわ・よしふみ 創価大学を卒業後、香川県の公立中学校教諭、教頭職を歴任して本年3月に定年退職。4月から再任用教諭として勤務。61歳。1962年(昭和37年)入会。香川県坂出市在住。副県長。四国教育長。 視点因果具時蓮華は花と実が同時に成長するが、同様に、仏の生命を開く原因と結果も同時に具わる—仏法の「因果具時」の法理です。具体的には、御本尊を信じ、自行化他の唱題行を実践することで、私たちは、いつでもどこでも、この身に仏の生命を開くことができるのです。それはまた、今この瞬間の一念こそが、未来を創る原因であるとも言えます。池田先生は小説『新・人間革命』でつづっています。「一念は大宇宙を動かす。『因果具時』であるがゆえに、今の一念に、いっさいの結果は収まっている」(第10巻「新航路」の章)学会員一人一人に「因果具時」の法理が脈打つからこそ、困難な状況にも臆することなく希望をもって挑んでいけるのです。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」】聖教新聞2020.112.5
December 6, 2021
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未踏の分野に挑み抜く創価大学工学部教授(工学博士) 渡辺 一弘 光ファイバーの応用研究「コロンブスの卵」という言葉があります。19世紀末に新大陸を〝発見〟したクリストファー・コロンブスの逸話を通して、一見すると誰でもできそうなことも、それを初めて考え、実行することは困難であることを示しています。科学技術の世界には、まさに「コロンブスの卵」的偉業がたくさんあります。私たちに身近な「明かり」という分野でいうと、現在、照明器具や携帯電話のディスプレイー、交通信号などに広く使われている青色発光ダイオードは、日本の研究者3人によって発明され、2014年にノーベル物理学賞が贈られました。今や当たり前になった世界的発明も、当時は不可能と思われていました。なぜ可能になったのかといえば、研究者たちが、まさにコロンブスのように勇気を持って未知の大海原へ船出し、自分を信じて、困難の荒波にも負けずに挑戦の心を貫いたからだと思います。私自身、大学で電子工学を研究する道を歩み始めましたが、次第に環境に流されて行きました。初心の熱意を失いつつあったある日、友人から仏法の話を聞いて楚歌学会に入会。以来、自らの世名を見つめながら、今日まで研究に力を注いできました。日蓮大聖人は「いよいよ強盛の御志あるべし」(御書1221㌻)と仰せです。人生においては、常に〝いよいよ、ここからだ!〟と前進していく気概が、自らの殻を破る因になります。その原動力となるのが、仏法の哲学なのだと確信します。 新技術の開発私の研究は光電子工学という分野です。これは、光工学と電子工学が組み合わされた分野で、CDなどのほか、光ファイバーを用いた通信技術や胃カメラなどの医療機器、レーザー光を利用した計測装置といったものまで、幅広く応用されます。大学院でレーザー工学を学んだ私は、防衛大学校助教授を経て、1991年に創価大学工学部(当時)の新設にあたり、助教授として同学部に奉職。そこで新たに開始したのが、光ファイバーの応用に関する研究でした。光ファイバーは、光信号を伝送する太さ1ミリにも満たないガラスの細い繊維で、中心のコアと呼ばれる芯と、それを覆うクラッドという部分からできており、光信号は中心のコアを伝わります。このコアを通った光の変化を検知することで、ひずみや重量、濃度などの情報を得るのが、光ファイバーセンサーの技術です。当時、この技術に関する研究は実用化に至らないものが多く、遅れているように感じていました。すでに多くの先行研究もあり、新たなテーマを作り出す難しさもありました。しかし、センサーの性能が向上すれば、たとえば自然災害を事前に察知したり、より確実に人命を救助できたりするなど、私たちの社会をより暮らしやすい環境に変えることができるはずです。だからこそ、なんとしても新規性のある研究を生み出したいと願い、祈りを重ねながら知恵を振り絞り、試行錯誤を繰り返しました。そして、もう研究手法は出尽くしたかと思われた、最後の一手を実験した時、まさに「コロンブスの卵」的なアイデアが誕生したのです。それは、太さの異なる光ファイバーをつなげてセンサーにするというアイデアです。その部分が曲げられると、少量の光が外に漏れます。この光の変化を察知することで、環境の変化をとらえることが可能になります。構造としては極めてシンプルですが、過酷な環境下でも安定的に動作し、扱いやすく、しかも低価格で供給可能という、新たなセンサーの普及につながる技術です。この構造に「ヘテロ・コア」と名付け、数々の論文をはじめ、特許として発表しました。ともに研究した学生たちのおかげで研究・開発も一段と進み、タス触った学生たちの中から16人が博士業を取得するなど、有為な人材も羽ばたいていってくれています。私自身、この技術を普及させるためにベンチャー企業を設立。今では、大手電機メーカーが関心を示してくれたり、東京都の先進的防災技術実用化支援事業に採択されたりするなど、大きな手ごたえを感じています。 億劫の辛労を御書に「一念に億劫の辛労を尽くして、自行化他にわたる実践に励んでいくなら、本来わが身に具わっている仏の生命が瞬間瞬間に現れてくる」(御書790㌻、通解)とあります。何事においても、自身の使命を自覚し、目の前の課題に全力を注ぐとき、自らが持つ力を十二分に発揮していくことができるのだと思います。近年、異常気象が増え、自然災害も頻発していますが、自然環境の変化には必ず兆候があるはずです。そうしたわずかな変化を「ヘテロ・コア」を活用したセンサーネットワークで集め、いち早く確度の高い情報を発信できれば、被害を減らすこともできます。新しい技術を社会に普及させることは、簡単ではありませんが、創価大学で研究に従事する使命を自覚しながら、社会をより明るくするような未踏の分野での挑戦を、今後も貫いていく決意です。 [プロフィル]わたなべ・かずひろ 慶応義塾大学大学院博士課程修了。工学博士。防衛大学校助教授を経て、現在、創価大学理工学部教授。(株)コアシステムジャパンの最高経営責任者(CEO)。主な研究分野は光電子工学。67歳。1974年(昭和49年)入会。神奈川県逗子市在住。副圏長。副学術部長。 視点仏法即社会法華経以前の教えでは、「世間(=世の中)の法」と「仏法」を別のものと捉えており、「世間」を離れた〝出世間〟に中に悟りの道があると説いていました。これに対して法華経は、生活や社会の事象全てが、そのまま仏法であるという「仏法則社会」の法理を示しています。日蓮大聖人は「智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(御書1466㌻)と仰せです。苦悩が渦巻く現実社会の中でこそ、仏法の智慧は輝きます。日常生活はもとより、さまざまな社会的次元において、妙法を根本に、価値創造の智慧を発揮しながら貢献していく人が、真の「智者」なのです。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」】聖教新聞2020.9.8
August 19, 2021
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心の重荷を軽くする関わり幼児・家庭教育部長 市川 由紀絵 苦しむ子に寄り添う池田先生の「私の最後の事業は教育である」との言葉に感銘し、教員になって33年。これまで、さまざまな子どもたちと出会いました。苦労や悩みもたくさんありましたが、それ以上に、子どもたちから「生きること」のすばらしさ、人間の持つ可能性の大きさを教わり、教育という仕事の偉大さを感じます。忘れられない出会いの一つに、私が担任を受け持った、ある6年生の児童がいます。この学年は、前年度に学級崩壊しており、新年度がスタートしてからも、男子児童数人が授業中に勝手に立ち歩いたり、授業を妨害したりしました。それを注意した教員に集団で暴力ふるうこともしばしば。その影響で、他の児童も無気力になってしまい、手のつけられない状況でした。こちらが何を言っても、返ってくる言葉は「うざい」「くそ」「死ね」という暴言ばかり。どうしたらこの子どもたちと心を通わせることができるのかと、悩みながら題目をあげ、自分なりに懸命にかかわっていたある時、リーダー格の子がつぶやいた一言に、はっとしました。「どうせ俺たちなんか、何をしたって認められない」〝ああ、この子たちは、心の中では認めてもらいたい、がんばりたいと思っているんだ〟—そう気付かされました。問題行動の奥にある、子どもたちの心が見えた瞬間でした。以来、子どもたち一人一人に、活躍の場を与えていき、少しの変化でも保護者に伝えるようにするなど、粘り強く成長を見守り続けました。迎えた卒業式。それぞれ立派に成長した子どもたちの姿に心を打たれ、「どんな子でも、必ず伸びることができる」との確信を深めました。 感染拡大の中で御書に、「一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩(中略)一切衆生の心中の仏性を唯(ただ)一音(ひとこえ)に喚(よ)び顕し奉る功徳・無量無辺なり」(557㌻)とあります。私たちの唱える題目には、ありとあらゆる生命から、仏性という最極の善性を呼び覚ましていく響きがあります。〝どの子にも無限の可能性がある〟と信じて祈り、関わり続けるこちらの心は、子どもたちの心にも必ず伝わると確信します。新型コロナウイルスの感染拡大で、学校生活は一変し、マスク着用やフィジカルディスタンス(身体的距離)を取りながらのかかわりは、人と人との距離を遠ざけるものとなりがちです。コミュニケーションが取りづらいことに加え、授業時数の確保のために夏休みも短くなり、学習の遅れを心配する周囲の雰囲気に、重苦しさを抱えている子も少なくないでしょう。また、大人自身が不安を抱えている様子を、敏感に感じ取っている子もいます。一方、外出自粛の期間を「家族のつながり」を再確認する機会と捉え、日々の生活の中に楽しさを見つけるなど工夫していた家庭では、子どもも安心して過ごせていたと感じます。子どもたちの悩みや心の声に耳を傾け、同苦し、心の重荷や不安を軽くしてあげるような周囲の関わりが、今こそ大事ではないでしょうか。 長男の不登校わが家の長男が中学1年生の時、同級生の暴力がきっかけで学校に行けなくなりました。長男は穏やかな性格で、頼まれなくても手伝うような優しい子なのですが、断ることができず、また自分のやりたいことをはっきり決められないところもありました。中学に入学してからも、やりたい部活が見つからず、成績は徐々に下がっていく一方、朝になっても起きてこない日があり、「具合が悪いのか」と聞いても返事はあいまいで、無気力のようでした。やっとの思いで登校したものの、友達とトラブルが起こり、とうとう、行けなくなってしまいました。この時、私は「息子よ、強くなれ! 強くなれ!」と祈っていました。しかし、そうではないと気付かされました。ある時、夫が長男に、「君のいいところは、その優しさだ。その優しさをずっと大事にしてほしい。君は変わらなくていい。君は、君のままでいいだよ」と話したところ、長男は大粒の涙をこぼしながら、その言葉を聞いていたのです。それから、長男の状態は好転し、学校にも行けるようになり、生き生きと学校生活を送れるようになりました。進路も自分で決め、中学・高校と勉学に励み、家じゅうに響き渡る声で題目をあげて、志願した大学の合格を勝ち取れたことは、長男の大きな自信になりました。日蓮大聖人は「人に教えることは、車輪が重かったとしても油を塗ることによって回るようにすることである」(御書1574㌻、趣意)と仰せです。子どもは、環境が整えば、必ず自分自身で一歩を踏み出せる時が来ます。そのためにも、周囲の大人が、子どもにとっての最大の教育環境となっていくことが何より大切ではないでしょうか。池田先生はつづっています。「どんなに困難な現場に遭っても、子どもたちを取り巻くすべての皆様に、『それでも対話を!』と申し上げたいのであります」「『一番苦しんでいる子どもの側』に立って、対話を進めていただきたいのであります」心通わせる実践を通して、子どもたちが幸福を感じられる社会を構築していきたいと願っています。 [プロフィル]いちかわ・ゆきえ 創価大学卒業後、東京都内の公立小学校に勤務し、現在は校長を務める。1965年(昭和40年)入会。埼玉県川口市在住。婦人部副本部長。総埼玉副教育部長。 視点抜苦与楽仏法では、仏の崇高な慈悲の行為として、「抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)」の実践を説きます。日蓮大聖人は、一切衆生の苦悩は「ことごとく日蓮一人の苦である」(758㌻、通解)と仰せになり、苦しみにあえぐ民衆にどう駆使、苦難を乗り越えていくよう、力強い励ましを送られました。〝同苦〟とは、上から哀れむような〝同情〟ではありません。相手に寄り添い、悩みを共有しながら、相手が自力で立ち上がれるまで、粘り強くかかわり続けていく実践です。それはまた、「相手の可能性を信じ続けること」と言い換えることもできるでしょう。こうした慈悲の精神に基づく〝励ましの絆〟で結ばれた連帯が、創価学会なのです。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」】聖教新聞2020.8.11
July 15, 2021
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口の健康保ち豊かな人生を歯科医 磯辺 昌継 私たちの口には、食べたり、飲んだり、話したりなど、生きていく上で大事な機能が備わっています。口の中でそれ他の機能を担い、重要な役割を果たすのが、歯や舌です。もしも、病気によって葉や舌の働きが損なわれると、食べ物をしっかりかんで飲み込むことができなくなったり、人と会話をしてもうまく伝わらず、ストレスを抱えたりすることにもなるでしょう。仏法では「色心不二」と説き、肉体と精神が密接に関連し、相互に影響し合っていることを教えています。健康長寿の人生を送るためには、食事や人との会話が大切です。その意味でも、口のなかの健康は、心身にわたる健康の〝窓口〟であるといえます。口のなかの健康を維持するために、日頃から次のような病気に気を付けておくことが大切です。歯を失う二大疾患といえば、虫歯と歯周病です。公益財団法人「8020(はちまるにまる)推進財団」の「永久歯抜歯原因調査」(平成30年)では、歯を抜く原因になった病気の第1位は歯周病(37.1%)、第2位は虫歯(29.2%)と報告されています。虫歯と歯周病は共に、口の中に存在する細菌が原因で起ります。虫歯は虫歯菌がダスキンによって、歯の表面を覆う固いエナメル質や、その内側の象牙質が溶かされて進行します。また、歯周病は歯と歯肉の隙間(歯周ポケット)に存在する歯周病菌が歯肉に炎症を起し、さらに歯を支える歯槽骨まで破壊していくことで病状が進行します。したがって、虫歯や歯周病を予防するためには、毎日の丁寧な歯磨きが大切で、歯の溝や歯周ポケットなどに付着した細菌の塊であるプラーク(歯垢)を、しっかり除去することが大事なポイントです。歯を失う原因の第3位は、歯の破折(17.8%)です。慢性的な要因として、歯ぎしり・食いしばりが原因で歯を損傷することがあります。歯ぎしり・食いしばりをしているときに歯にかかる力は、通常かむときの力に比べると、数倍以上の力がかかっているといわれています。そのため、歯の著しい動揺や歯折をまねき、歯を失うことにつながります。歯ぎしり・食いしばりに対しては、歯を保護するためのマウスピースによる治療が一般的に行われていますので、かかりつけの歯科医院に相談することも考慮してください。 早期の処置が鍵一方、歯以外にも口の中で重要な役割を果たすのが、舌です。口の中に生じるがんの総称を「口腔がん」と言いますが、その中でもっとも多く発症するのが舌がんです。原因は明らかではありませんが、飲酒や喫煙による舌表面の刺激や、歯または補綴物(ほてつぶつ)(被せ物、入れ歯など)の鋭縁部分による下へのくりかえしの刺激により、誘発されると考えられています。舌がんは、初期の段階では舌表面に阿神やただれ、痛みなどが出現することから口内炎と勘違いされ、放置されることがよくあります。しかしがん細胞が進行すると舌の中まで広がり、さらには首のリンパ節や肺へと転移する恐ろしい病気です。早期発見・治療によって、再発や転移のリスク、また術後の障害も少なくなりますので、下に痛みや硬いしこりなどを自覚した場合には、早めに専門施設で診察を受けるように心掛けてください。舌がんの治療は主に外科手術、放射線照射、抗がん剤によって行われていますが、治療後は嚥下障害(うまく飲み込めない)や口腔乾燥や味覚障害、口腔粘膜炎など、さまざまな後遺症が起ることがあります。また、飲み込む訓練や発声訓練などのリハビリが長期に及ぶこともあり、社会復帰を目指す患者さんにとっては大変な苦労が強いられます。私も、大学病院の口腔外科で臨床に従事した十数年間、多くの舌がん患者の方々の診療に携わりました。困難を乗り越えて社会復帰を果たされた患者さん方と接する中で、いかに自身の生命力が必要であるかということを実感しました。 妙とは蘇生の義なり人は生きているうちに、病気になることもあれば、さまざまな苦境に直面することもあるでしょう。御書には「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(947㌻)とあります。仏法は、人生の難局を乗り越え、蘇生していく力の源泉です。私は、この御聖訓を、長女の闘病を通して心に刻みました。長女が生後7カ月の時、自己で脳出血を起し、緊急手術を。何とか一命は取り留めましたが、左半身が完全に麻痺しました。しかし、長女の脳細胞一つ一つに題目を送る思いで真剣に祈り抜くと、長女の手足が少しずつ動くように。その後も懸命なリハビリ治療により、手足の運動機能は着実に向上。事故から20年経った現在、軽度の障害はありますが、長女は蘇生の実証を示し、私の歯科医院で歯科補助手として元気に働いています。日蓮大聖人は、ドクター部の先達ともいうべき四条金吾に「真実一歳南無妙法蓮華経なり」(御書1170㌻)と仰せです。題目こそ、あらゆる困難を打ち破る「秘術」です。私自身、どこまでも題目根本に、ドクター部の誇りを胸に、今後も地域医療に献身していきます。 [ポロフィル]いそべ・まさつぐ 東京都東村山市にある武蔵野デンタルクリニックで院長を務める。歯学博士。54歳。1965年(昭和40年)入会。東村山市在住。副本部長。第2総東京ドクター部長。 視点楽観主義健康は、幸福の大事な要素ですが、病気だから即、吹こうというわけではありません。仏法の眼では、病気を「忌むべきもの」ではなく「深い人生を開く契機」と捉えます。日蓮大聖人は、「病によりて道心はをこり候なり」(御書1480㌻)と仰せになり、病気という苦難を糧にして、自分自身の境涯をさらに広げていく、深い生き方を教えられました。池田先生は語っています。「病気との闘いは、妙法に照らして、永遠の次元から見れば、全てが幸福になり、勝利するために試練です。健康は、何があっても負けない自分自身の前向きな生き方の中にこそあるのです」いかなる状況の中からでも、希望を生み出す――これが仏法の楽観主義の哲理です。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」】聖教新聞2020.7.4
May 26, 2021
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教育の目標は生徒の幸福に総大阪教育部長 丸岡 俊之 〝子どもは小さな大人ではない〟――これは、「子どもの発見者」と言われたフランスの思想家ルソーの洞察です。子どもは、成長の過程に応じた教育がなされることによってこそ、その能力を大きく伸ばすことができると、ルソーは考えました。子どもには、それぞれ固有の発達段階があり、可能性の芽を伸ばせるか否かは、私たち大人の側による教育的働き掛けにかかっているのです。特に今、感染症の拡大で社会環境が変化する中、子どもたちも影響を受けています。多感な年ごろだけに、大人以上に不安やストレスを抱いている子もいるでしょう。こんな時だからこそ、大人は、子どもたちの「声」にじっくり耳を傾け、安心と希望の励ましを送っていくことが大切ではないでしょうか。かつて公立高校の教壇に立っていた時、私が担任を務めた学級に、前の学年で〝やんちゃ坊主〟だった生徒が多く集まり、クラス全体が乱れたことがありました。授業が混乱し、どうすることもできません。私は当初、生徒たちに厳しく指導しましたが、生徒たちは余計に態度を硬化させました。「なぜ分かってくれないのだろう」と悩み、御本尊に向かいました。日蓮大聖人が「自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず明鏡に向かうの時始めて自具の六根を見るがごとし」(御書240㌻)と仰せです。自分の外見を見るために鏡が必要なように、自身の生命に具わる十界を見るためには、わが生命をありのままに映し出す〝明鏡〟が必要です。世とたちの幸福と成長を心から願い、祈る中、生徒たちのもがきながら成長しようとする生命を知ることで、私自身、〝教師の都合〟で生徒たちを抑え込もうとしていたことに気付き、反省しました。そこで、生徒たちの本心を聞くため、生徒一人一人と面談していきました。進路の悩みや将来への不安、教師への不信感、家庭の事情など、生徒の言葉にじっくり耳を傾けていきました。そこには、いじらしいほど懸命に葛藤している素直で純粋な姿がありました。こうして、生徒たちとの心の絆が深まると、クラスの雰囲気が明るく変わっていくのを実感しました。生徒たちと分かり合えた心の高まりは、今も忘れられません。 いじめと向き合う「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない」とは、池田先生が示された創価教育の理念です。私は校長に就任した時、子の言葉をかみしめて、生徒たちが互いを思いやりながら、のびのびと成長できる環境づくりを目指しました。毎朝、校門に立ち、登校する生徒に励ましを送る思いで、あいさつを交わしました。また、教員研修やホームルームの充実のために勤め、全校挙げて人権意識の啓発にも取り組みました。ところが、複数のクラスにまたがる、いじめ問題が起きてしまったのです。加害生徒への指導が始まりました。校長として、いじめがどれほど深く人を傷つける行為であるかということ、周囲に流されず、自分で道を開くじとになってほしいことを、真剣に話していきました。私自身、被害生徒のつらさや苦しさ、そして、加害生徒の抱える複雑な背景に思い至った時に、思わず涙していました。〝私の思いは通じたのだろうか〟――そんな思いで生徒たちを見守り続けました。指導期間の最後のことでした。ある加害生徒が私のところへ来て、「自分も中学生の時にひどいいじめに遭い、つらい思いをしたのに、今度は自分がいじめてしまった」と泣きながら反省の言葉を述べたのです。いこう、いじめ問題は氷解していきました。ただ「いじめはいけない」と伝えるだけでなく、「いじめられる側」のつらさや苦しさに思いを馳せ、相手の気持ちを考えるように伝えたことが、結果として、解決につながったのだと思います。いかなる理由であれ、「いじめられてもかまわない人」など、この世に一人もいません。こうした思いを粘り強く伝えていく中で、やがて学校中に「いじめは絶対に許さない」という意識が浸透していきました。 なぜ教師になるのか私の、教育者としての信念は、「教育は生徒自身の幸せのためにある」ということです。そのようなメッセージを込めて、校長在籍中は「生徒が主役の学校づくり」とのモットーを掲げ、教職員と力を合わせ、生徒の成長を第一として教育活動に取り組んできました。現在は、大学で未来の教育者の育成に携わっています。わたいが常々、学生に問いかけているのは、「なぜ教師になりたいのか」ということです。この「問い」に答えを出す営みが、学生たちの鍛えになり、教育の使命を考える契機になると信じているからです。学生たちは「学び続ける教師」として、活躍していってもらいたいと願っています。御書に「夫れ雪至って白ければそむるにそめられず・漆至ってくろければしろくなるい事なし、此れよりうつりやすきは人の心なり、善悪にそねられ候」(1474㌻)とあります。人間の生命は善にも悪にも染まるものです。だからこそ、私たち大人の側には、子どもたちの生命を、善い方向へと染め上げていく責任があるのだと思います。私自身、縁する学生や子どもたちの善き触発となれるよう、生涯、学び続けていきたい。そう決意しています。 [プロフィル]まるおか・としゆき公立高校の校長等を歴任し、現在、近畿大学教授。63歳。1965年(昭和40年)入会。東大阪市在住。副県長。 視点皆が尊き存在日蓮大聖人は、「人間に生まれることはむずかしく、天から糸を垂らして、それが海底の針の穴に通るよりもまれ」(御書494㌻、通解)と仰せになり、この世に人間として生を受けたこと自体が、奇跡のように尊いものであると教えられています。日蓮仏法は、みなが平等に、かけがえのない使命を持った存在であると示す、価値創造の哲学です。小学校校長を務めた初代会長・牧口先生は、「子どもの幸福」を第一義とする教育を掲げ、全ての子どもたちの生命に、無限の可能性を見いだし、その開花を目指しました。人は誰しも、自らの本然的な使命を自覚した時、大いに成長します。その追い風になるのが、周囲の温かな励ましの声にほかならないのです。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」― 高校の教壇に立って】聖教新聞2020.6.6
April 12, 2021
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納得の味は努力の末にノリ養殖業 実形 博行干潟と太陽の恵み日本の食卓に欠かせないものといえば?――風味の豊かなノリを思い浮かべた方も多いのではないでしょうか。ふっくらと炊きあがった白いご飯に、パリッとノリを巻いて頬張った瞬間、口から鼻に抜けるあの独特の香りと味わいは格別です。ノリは栄養も豊富で、良質なタンパク質をはじめ、カルシウムや鉄分、ビタミンなどが含まれており、健康にいい食材としても知られています。私は、東京湾に面した千葉・木更津の金田漁港の近くに広がる干潟で、ノリ養殖と小型定置網を利用した「すだて漁」を営む漁師の3代目として、40年以上、海と一緒に生きてきました。木更津の遠浅の海岸線には、東京湾で唯一の国内最大級の砂質干潟は、大勢の人出でにぎわう潮干狩りが行われていることでも知られています。栄養分を豊富に蓄えた干潟の環境と、太陽の日差しに育てられた、東京湾随一の〝金田ノリ〟は、香りが高く柔らかな、歯切れのよい食味で、古くから親しまれてきました。 自然相手の難しさノリ養殖は、海水温が下がる9月ごろから4月ごろにかけて行います。それ以外の時季は「すだて漁」で生計を立てています。養殖はまず、ノリの胞子を付着させた網を、海中に立てた支柱の間に張り出していきます。やがて、ノリは海中の栄養を取り入れながら成長し、潮の満ち引きにさらされて柔らかに仕上がります。できたノリを摘み取るのは、タイミングの見極めが重要。早すぎても遅すぎても、良質なノリは採れません。取れたノリの乾かし方でも、風合いは変わります。ノリ養殖は自然の影響をとても受けやすく、豊作と不作の差が非常に大きいです。たとえ経験年数が長くても、「ノリ養殖は何年たっても1年生」といわれるほど。海水の温度や塩分、網を海に出すタイミングや張り出し具合、日差しや風の強さなど、わずかな差でも、すぐ隣に張った網と全く違う結果になることもあります。魚やカモなどによる食害にも気をつけなければなりません。それが、自然相手の難しいところです。しかし、少しでも品質の良いノリを食卓に届けるため、努力を怠ることはありません。日蓮大聖人は、「人の身には同生同名という二人の使いを点はその人が生まれた時からつけられており、この二人の使いは影が身に従うように、寸時も離れない」(御書1115㌻、趣意)と仰せです。人知れぬ労苦からも、すべてが自分自身を飾る福徳になることを教えられています。この「陰徳陽報」の確信があるからこそ、毎朝、真剣な祈りから出発し、どの作業も絶対に手抜きはしません。真剣に向き合い、改善点を思いついたら、それがどんなに小さいことでも、すぐに実行します。数年前には、作業中に右手を機械に巻き込まれ指を切断しかける大けがを負いましたが、手術が成功し、後遺症もほとんど残らずに仕事に復帰できました。苦労が大きい分、納得の味に仕上がったノリができた時の喜びは、ひとしおです。私が育てたノリが、漁協で一番の評価を得たこともあります。 環境保全に取り組むノリ養殖を取り巻く環境は、一昔前と比べて大きく変わってきています。地球温暖化による海水温の上昇や異常気象、台風などの自然災害の多発も、影響は少なくありません。昨夏の台風では、たくさんの大きな流木がノリ養殖場に流れ込みました。自然と共に生きているからこそ、大切な地球環境を次代へ残していくのも私の使命であると、常々考えています。2007年(平成19年)には漁協の仲間とNPO法人を設立し、金田の干潟を守るため、環境保全活動に取り組んできました。その一環で、昔ながらのアサクサノリの養殖技法を再現したところ、テレビなどで取り上げてもらったことがあります。また、東京の小学校で10年以上、ノリ養殖の体験教室に携わっています。ある児童は、最初、「ノリはご飯粒が手に付かないためにある」くらいにしか思っていなかったそうです。しかし、洋食体験を通して、一枚一枚の乗りが丹精込めて作られた大切な食べ物であると学び、その後、おいしそうに食べてくれるになったのです。「食」の尊さを知ることは、自然環境への感謝につながると確信します。どんな時も自然との共生を考えていくことが、持続可能な地球環境を築いていく第一歩になるのではないでしょうか。御聖訓に「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(同1467㌻)とあります。自分が暮らす地域社会のさらなる繁栄と、周囲の幸福を願い、献身の行動を重ねていくことは仏法者の使命であると思います。私は現在、「木更津金田の浜活性化協議会」の会長を務めるほか、昨年から漁協の理事もしています。金田の地域を元気にするために、できることは何でもやろうというのが今の気持ちです。支えてくれる方々と、自然の恵みに感謝を忘れず、最高のノリを日本中の食卓へ届けられるよう、これからも精いっぱい、力を尽くしていきます。 [プロフィル]じつかた・ひろゆき東京湾で長年、ノリ養殖と「すだて漁」を営む。東京の小学校でノリ養殖の体験教室にも携わる。60歳。1987年(昭和62年)入会。千葉県木更津市在住。地区部長。農漁光部員。 視 点命支える糧日蓮大聖人は「海人が子なり」(御書370㌻)と仰せになり、漁村に生まれ育ったことを誇りとされました。そして、「白米は白米にあらず・すなはち命なり」(同1597㌻)、「人は食によって生あり食を財とす」(同1596㌻)など、御書の随所で、農漁村に生きる人々の尊い苦労を思われ、その実りに最大の敬意を示されています。昨今、食べられずに捨てられる「食品ロス」が社会問題になっています。「食」を軽んじることは、命を軽んじることにもつながります。私たちは、改めて「食」の価値を見つめ直し、生産に携わる方々への感謝を込め、食卓で「いただきます」「ごちそうさま」をいいたいものです。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」―海と共に生きる―】聖教新聞2020.5.16
March 13, 2021
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持続可能な社会の構築へ法政大学名誉教授 石神 隆 環境問題を考える時、「共有地の悲劇」という有名な命題があります。約50年前にアメリカの生物学者G・ハーディンにより示されたもので、誰もが自由に利用できる牧草地では、みなが自分の牛をより多く飼おうとし、結局は牧草が枯渇し荒廃してしまう、という話です。どこに問題があるのでしょうか? 言うまでもなく、有限な世界の中で、自分の利益拡大の身を追い求めてしまうことが原因です。この「悲劇」は、魚の乱獲やごみのポイ捨てなど、日常的な環境問題としてあちらこちらで見られます。お互いに他人のことが目に入らない時ほど、悲劇は簡単に起るようです。「自分ひとりぐらいはかまわない」という意識が積み重なって、結局、皆が損をするわけです。貝葉プラスチック汚染や温室効果ガス排出など、地球規模の環境問題も、突き詰めれば、こうした人間のエゴに起因しています。御書には、「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(231㌻)とあります。この御文に照らせば、今も私たちの心の在り方と行動いかんによって、地球の行く末が決まってしまうといっても過言ではないのです。 黄河流域の砂漠化地域の発展と環境問題に関心があった私は、世界各地に事例を探り、解決方法を勉強してきました。その一つが1990年代から継続的に現地を訪れている、中国の黄河流域の砂漠化の問題です。中流部のはじめて黄河を目にした時、私は驚きを隠せませんでした。あるべき大河がないのです。あるのは、流れの途絶えた河原でした。この、いわゆる暖流減少の主な原因は、農業開発と腕流域の各地域が競争的に水を汲み上げたことによるものでした。まさに「共有地の悲劇」の例といってよいかもしれません。もともと降水量が少ないなかでの水需要の拡大は、広い範囲で地下水位を下げ、その結果、地表の植物に水がいきわたらず枯れてしまいます。土は硬くなり、保水能力低下、わずかな雨もすぐ流出し、砂漠化への悪循環が始まるのです。事態を重く見た中国政府は、統一的な水管理に乗り出し、矢継ぎ早に各種の対策を実施。それにより、2000年以降は本流で断流がなくなっています。自然環境の悪化が人間の行動によるものであるならば、人間側の知恵と努力で回復することも可能という一つの見本です。もちろん、現在も黄河流域をはじめ世界各地の砂漠化は続いており、地球環境の重要課題であることに変わりはありません。 円環の仕組みこうした現場を歩く中、注目した事例のひとつに、サジー(沙(さ)棘(じ))という植物による環境回復があります。サジーは黄土高原等の乾燥地にもともと自生していたグミ科の灌木です。見、種、葉ともに利用価値が高く、強く張る根は土壌流出を防ぎ、種からとれる成分は医療薬品として古来、使われており、果実は滋養に富み、葉はお茶になります。また、マメ科と同じように自分で窒素肥料を作る植物です。当初、日本ではサジーを利用してヘルシーな飲料や薬品を作ることで、それらの消費が拡大すれば、巡り巡って現地農民の懐を潤すことになります。すると、さらにサジーの植樹に拍車がかかり、砂漠化の防止が進みます。いわば健康、経済、環境の〝ウィンウィン(互恵的)〟な発展の仕組みを構築することが可能になるわけです。このような中国の取り組みに居応力し、例えば、製品効能の分析や高品質商品の開発、はては容器包装デザインの工夫やPRなど、砂漠のない日本でも、砂漠化防止に寄与できることがあるかもしれません。このサジーのケースは一例ですが、他にも地域乳業など、もともと健康、経済、環境が円環する仕組みのあったものが存在します。「持続可能」という観点から見ると、そのような実例を、たくさん見つけることができます。 「自分ごと」として仏教には〝森羅万象は支え合い、育み合って存在している〟とする「縁起」の思想があります。人と人、人と自然、地域と地域など、ありとあらゆるものが相互につながっているという関係性の哲学は、環境問題を理解する鍵でもあります。「全てがつながっている」「共生している」と捉えると、世界のどこかで起きている問題も、実は私たち誰もが当事者になり得るのです。「他人ごと」ではなく「自分ごと」として関与することが大切になってきます。現在、私は、国際農業交流団体の一員として、広く環境や経済、食糧への関心から、主に日中間をつなぐ農業関係事業のお手伝いをしています。そのなかで深く感じることは、どこの国々の方々も、根源的な部分では誰もが共生の思想を心の底に持っているという共有感です。共に支え合い、育み合って存在しているという共生哲学は、持続可能な地球社会を築く重要な基盤です。世界の方々と力を合わせ、今後も、地域の発展にさらに尽力していきたいと思っています。 いしがみ・たかし 東京工業大学大学院修了、政府系機関を経て、法政大学人間環境学部教授などを歴任。専門は地域環境経済学。72歳。1967年(昭和42年)入会。東京・世田谷総区副学術部長。副支部長。 【紙上セミナー 仏教思想の輝き 地球環境対策の研究】聖教新聞2020.2.1
October 3, 2020
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尊敬の念をもって接する白樺会副委員長 伊藤 清子 小児医療の現場で看護とは、人生の生老病死の喜びや悲しみに寄り添い。人の健康を支えていく仕事です。41年間の看護師としての歩みを振り返り、あらためて、この職業に誇りを感じています。看護学校を卒業後、希望通りに、生死専門病院看護師として就職しました。ところが、医療の現実は厳しい場面の連続で、時には、生まれてすぐ亡くなる赤ちゃんを前に、呆然とすることもありました。そんな折、白樺の先輩は、「生命は永遠」と説く仏法の生命観を通して温かく励ましてくれました。その後も、子どもたちの闘病や死を目の当たりに数経験を重ねるたび、仏法の生命観、生死観を心に刻み付けました。こうした日々の中で、仏法を持った看護師として、人の死に直面しても、患者さんやご家族に慈愛の心で寄り添い、祈ることができること、また、患者さんやご家族が、いかなる状況に会っても勇気と希望を持ち、その人らしい性を全うすることができること学んだことが、看護人生における、かけがえのない宝となりました。 母の闘病と看取り日本は今、世界に類を見ないほどのスピードで、超高齢・多死社会へと進んでいます。住み慣れた自宅で、家族に囲まれながら看取られる人も少なくありません。私自身、母の闘病経験と看取りは、看護師として避けられない「死」を考えさせられる、とても貴重な経験となりました。私の兄の死をきっかけに創価学会に入会していた母は、いつも笑顔で、常に感謝の人でした。父がなくなり、母と同居を始めた際、母は肝硬変が申告して末期の状態でした。しかし、入院治療はできないと告げられた時も、母に嘆きはありませんでした。いつもユーモアたっぷりで、「大丈夫だぁ」「ありがとう」が口癖でした。また、訪問いやケアマネージャー、訪問入浴サービスの職員、ヘルパーさんにも恵まれました。当時、私は働いていたため、母の介護は、週2日はヘルパーさんが、週3日は姉妹が交代で、シフトを組んでくれました。休日や夜間の介護は、夫が最大の協力者でした。子どもや孫が訪問するたびに、母は、「お母さんは幸せ」「世界一幸せな母親」と笑顔で、皆の心を優しくしてくれました。やがて母は、末期と言われながら4年も寿命を延ばし、家族に囲まれながら、我が家で穏やかに息を引き取りました。御書には、「自身法性の大地を生死生死と転(め)ぐり行くなり」(724㌻)と仰せです。生命は三世永遠にわたって生死を繰り返していくと見るのが、日蓮仏法の死生観です。死は「生の終わり」ではなく、「新たな生への出発」なのです。亡くなった母の安らかな顔は、まさしく次の生への旅立ちのような優しい表情でした。そして、母の闘病の姿は、家族の絆をさらに強め、私たちに、人としての強さや優しさを教えてくれました。人間が抱く恐怖や不安といった感情を、喜びや勇気、慈愛の感情へと変えていくことができるのが、仏法の生き方なのだと、私自身、確信を深めました。 医師と看護人と患者人生100年時代を迎え、新たな働き方が注目される中、医療・介護の職場環境も、改善が求められています。過酷な勤務環境の中で自信を失い、健康を害する医療者が増えているのも現実です。患者さんやご家族の人権を守ることはもちろんのこと、ケアを提供する医療者自身の人権も、守られる必要があります。私は、病院管理者となってから、「手術の翌日に担当医が長椅子で眠り、牛乳でパンを流し込んでいる姿を見て、私も頑張ろうと思いました」という声を聞きました。献身的に働く医師への感謝の言葉でした。こうした言葉は、医療者にとって何よりの励ましです。池田先生は、てい談集『健康と人生』で「仏法医学」について言及する中で、医師と看護人の三社が協力し合い、病に対処することで、それぞれの人生が充実し、真の医療が確立すると語っています。医療者の健康管理や環境改善はもちろん、医療者と患者さんが互いに尊敬と感謝の気持ちを持つことが、これからの医療に必要なのではないでしょうか。御書には、「我心本来の仏なり」(788㌻)とあります。万人に仏性を見いだす日蓮仏法は、あらゆる人々の尊厳性を敬う哲学です。かつて、池田先生が看護に携わる友に贈った指針には、こうあります。「その人に会うと、安心して息ができる。息を詰めなくていい。ホッとできる。そんな人が、ひとりでもいれば――苦しくても、生きていける」全ての人を大切にする社会の構築へ、自身の立場で、苦しむ人に寄り添いながら、皆に希望と安心を送っていきたい――そう決意します。 〔プロフィル〕いとう・きよこ 看護師として長年、病院に勤務し、看護局長、副院長を経て現職。1960年(昭和35年)入会。神奈川県横浜市在住。婦人部副本部長。白樺会(婦人部看護師の集い)副委員長。 視点――同苦の精神日蓮大聖人は、門下の悩みや悲しみに寄り添い、膨大な書簡を残されています。長患いに苦しむ女性信徒に対しては、「この病気のことは、我が身の上のことと思って昼夜に諸天に祈っています」(御書978㌻、通解)等、何通もの励ましのお手紙を送られました。また、〝16歳になる息子が急死した〟との訃報を受けて認められたお手紙では、「(亡くなったことが)夢か幻か、いまだに分からないのです」(同1567㌻、通解)とつづられ、母の深い嘆きに思いを馳せられています。苦しんでいる人に、徹底して寄り添い、同苦し抜く――。これが御本尊のお心です。この大聖人のお心のままに、日々、行動しているのが創価学会なのです。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」生老病死に寄り添う看護】聖教新聞2019.12.17
August 9, 2020
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多様性から希望を導く 消化器内科医 渡辺 憲治 疾患構造の変化 世の中には、さまざまな病気が存在しますが、どのような病気が多くなるのか(疾患構造)は、時とともに変化します。例えば、消化器領域のがんでは胃がんや肝臓がんが減り、大腸がんが増えるといわれています。疾患全体に視野を広げても、感染症は減り、免疫やアレルギーの病気が増えてきています。私が専門とする腸の難病である、潰瘍性大腸炎やクローン病などの「炎症性腸疾患」も免疫の病気です。ウイルスや細菌などの異物から生体を守る免疫機能が異常を来して、さまざまな臓器で過剰な炎症を引き起こしてしまう病気です。 炎症性腸疾患の発症原因には「衛生仮説」と呼ばれるモノがあります。下水道や水洗トイレの普及によって衛生環境が清潔になり、人々が細菌に暴露する機会が減った社会では、体の免疫系のバランスのよい発達が正常になされず、炎症性腸疾患の患者が増えるという考えです。 現在、潰瘍性大腸炎の国内患者数は20万人を超え、今も増え続けています。この数はアメリカについで世界第2位で、数ある難病の中でも最多の患者数となっており、クローン病疾患と合わせると30万人を超えます。もちろん、新たな薬剤の開発は続いており、従来の治療が奏功しなかった患者さんでも警戒が得られる頻度は増えています。 まず「聴く」ことから 炎症性腸疾患の診療で、「多様性」はキーワードです。青年期に発症することが多い慢性の疾患なので、患者さんは病気と付き合いながら人生を送ります。同じ病名でも病状はさまざまで、病変の存在する部位や治療の反応性まで多種多様です。だからこそ、私たち専門医の診療は、まず「聴く」ことから始まります。 病気の経過などの医学的なことから、社会的な状況や生活上の細やかな課題まで、十分な時間を使って伺います。患者さんをよく知ろうとする、こうした姿勢によって、患者さんは、医師への信頼を深めてくれます。また、このような問診に基づき、有効な治療方法を見いだすことで、患者さんは診療方針に同意し、共に病に立ち向かう仲間になってくれるのです。 私が関わったクローン病の患者さんに、Tさんという方がいます。最初は別の医師が担当していたのですが、意思の疎通が困難で、医療に懐疑的な言動が多く、困り果てた担当医が私にバトンタッチしてきたのです。私の勧めで検査や治療のための入院することになったTさんから、ある日、「先生に話したいことがある。時間をとってほしい」といわれ、診察を終えた夜にお会いすることに。話伺うと、子どものころに薬の副作用と思われる事故で大けがをしたことから、医療不信になったことを打ち明けくださいました。私は、話してくださったことに素直に感謝し、病状が快方に向かうよう、専門家としてベストを尽くすことを約束しました。非常に難しい病状でしたが、最終的には治療が奏功してTさんの病状は好転し、安定しました。治療の有効性は継続しており、現在も元気に過ごされています。 医療現場では、検査や治療に対する説明と、患者さんの同意を得ることが常識となっています。そうした説明はもちろん必要ですが、より大切なのは「共感」だと思っています。 難病の治療に〝100%効く〟という治療は存在せず、ここの患者さんの病状に合わせ、成功率や安全性が高い治療を選択するとともに、治療効果が不十分だった場合の次の治療方針もあわせて説明することが多いです。たとえ治療がすぐにうまくいかなくても、「共感」による安心や納得があれば、患者さんは共に病気に立ち向かう仲間として、次の治療に挑んでくださり、最終的に病を克服できる可能性が高くなります。 日蓮大聖人は、「いかに心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ」(御書1172㌻)と仰せです。心と心を結ぶ納得と共感の語らいが大切であると教えられています。 病状も患者さんの状況の多様な診療現場にあって、ここの患者が有効な治療によって病状の安定を得るまでの道程は、真剣さに基づく知恵によって開けるものと確信します。時には成功率が低いと思える治療でも、病状が許すなら、患者さんの希望に沿って行う場合があります。少し遠回りしてでも、納得によって信頼を得ることの方が、今後の治療にとって大切だからです。 画一的な正解はない 「多様性」は、現代社会の重要なキーワードの一つだと考えています。人々の文化や生き方が多様化する中で、さまざまな情報があふれ、画一的な正解が見いだしがたくなっています。通信手段の飛躍的な発達にもかかわらず、かえって国家も人も、自己の保全を優先する傾向が強まっているように思えます。 社会が多様化し、ともすれば自己に埋没しがちな時代にあって、「利他」の精神を説く仏法思想の重要性は一段と増していると実感しています。多様性を認めながら、共感する一致点を見いだし、共に希望を持って仲間として協力しながら前進していく――。仏法を根幹とした、そうした姿勢は、医療現場のみならず、あらゆる場面でよりよき社会を築く礎となるのではないでしょうか。私自身、多様性の中から勇気と希望を患者さんのために導きながら、困難を幸福へと転換していく仏法の思想を医療現場で体現してまいります。 [プロフィル]わたなべ・けんじ 大学病院准教授。日本消化器学会評議員、日本消化器内視鏡学会評議員。医学博士。54歳。1965年(昭和40年)入会。副本部長。関西ドクター部書記長(大坂中央総県ドクター部長兼任)。 【紙上セミナー「仏法思想の輝き」】聖教新聞2019.10.8
May 3, 2020
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畑作農家 長瀬 直道 地平線のかなたまで見渡す限りの広大な畑や牧草地――北海道の真ん中よりやや南にあたり、十勝平野に広がる士幌町は、農業や酪農がとても盛んな地域です。大雪山系の雄大な山々を望み、町の中央部を音更(おとふけ)川が流れています。 1906年(明治39年)、曽祖父母と祖父母が岐阜県からこの地に開拓農家として入植して以来、我が家は代々、農業を営んできました。現在は、後継者の老いが継いだ『株式会社長瀬』で会長を務め、小麦やジャガイモ、ビート(テンサイ)、豆類、スイートコーンなどを栽培しています。 畑作は「輪作」といって、同じ耕地に、いくつかの種類の作物を一定の順序で、栽培の間隔を空けながら作付けしていきます。作物によって4~5年の間隔をあけるものもあれば、小豆のように8年以上、空けるようにしているものもあります。そうすることで、作物に病気が出るなどの連鎖生涯を回避しています。 農場の広さは借地も含めて66㌶、東京ドーム約14戸分もあります。そのため、収穫の時期はパートさんたちにも手伝ってもらいます。ボランティアで手伝ってくれるご近所の方もいらっしゃいます。7月末から8月上旬にかけて小麦を収穫し、8月下旬からはスイートコーンとジャガイモの収穫が始まります。夏から秋にかけて、いよいよこれからが繁忙期です。 〝土づくり〟に汗を流して 農業で最も大切なことは、何といっても〝土づくり〟です。地道に土地改良を重ね、土に栄養を与え、10年20年の歳月をかけて、肥沃な耕地にしていきます。言い土壌ができあがっても、畑の地力を維持するためには、土の手入れが欠かせません。毎年、畜産農家から堆肥となる牛ふんを購入し、畑に散布しています。小麦の収穫後は、エンバクをすぐにまき、緑肥としてすき込んでいきます。 土が元気であればこそ、良質な作物が育ちます。 私が営農する地域は音更川の流域に近いため、表土が薄く、畑を掘り返すと、すぐにあちこちから石が出てきます。そのため、徐礫作業は欠かせません。 行政による土地改良補助事業もあって、徐礫は相当進みました。それでも、表土の薄さは変わらないため、旱魃に見舞われると、表土の薄いところに栽培した作物が、しおれてしまうということもありました。 そこで私は、よそから黒土(肥沃な土)を搬入する(客土)を、自費で何十年も続けています。これまで農場に入れた土地の総量は、10㌧ダンプカーで1700台分は超すでしょうか。おかげで表土は深くなり、つらい石拾いの徐礫作業からも、ずいぶん解放されました。 数年前には、入手しにくい黒土に代わって、火山灰を農場に入れました。 黒土に比べて散り気はないので、その分、多めに堆肥を入れます。そのおかげか、作物の育ちがよくなり、品質のいいものを農協に出せました。 日蓮大聖人は、「浄土と云ひ穢土と云うも土に二(ふたつ)の隔(へだて)なし只我等が心の善悪によると見えたり」(御書384㌻)と仰せです。浄土や江戸といっても、本来は別々のものではなく、最高の環境に変えていくことができると教えられています。 私は、〝この土地を、必ず理想の環境に変えてみせる〟との思いで、土壌改良に汗してきました。今も耕作地の開拓は続けており、毎年、少しずつですが新しい畑が広がっています。 思考錯誤した栽培方法 もちろん、高品質の農作物を食卓へ届けるための努力も惜しみません。 特にじゃがいもは〝畑のりんご〟といわれるほど、デリケートで傷みやすい作物です。そのため、収穫する際には芋が傷つかないよう、細心の注意を払ってハーベスター(収穫機)を動かします。 掘り起こされた芋を選別するのは、家族と社員、パートさんの仕事です。規格に合わない芋を手作業で入念に選別します。 そうした努力が実り、私の農場で採れた芋は、地元農協の共励会でたびたび表彰されており、食用と加工の総合部門で最高賞に輝いたことも何度かあります。 また、おいと話し合って、砂糖の原料になるビートは、11年ほど前から、種を直接、畑にまくことで育苗の手間を省く「直播栽培」に切り替えました。手間とコストを削減できた半面、当初は生育にばらつきがあり、収穫量が減るなどの事態に直面しました。 しかしその後、試行錯誤を繰り返すなか、ビートを加工する際に出る副産物のライムケーキを畑の表面に散布して、ビートを播種すれば、畑のPH(水素イオン濃度)が安定して発芽も順調に進むことが分かりました。 今では終了も増え、低コストで安定した生産ができるようになりました。2013年(平成25年)には、北海道てん菜協会から最優秀賞をいただくこともできました。 こちらが一生懸命に手をかけた分だけ、畑の作物も、しっかり応えてくれると実感します。 開拓者魂を胸に郷土貢献の道を 私は農業に励む傍ら、創価大学の通信教育部で学び、足かけ10年で卒業できました。今も別の学部で学びの挑戦を続けています。かつては、なかなか子宝に恵まれず結婚13目にして長女を授かることができ、その4年後には次女も生まれました。 さまざまな困難を乗り越える原動力になったのは、人間の無限の可能性を説く日蓮仏法の信仰です。 食生活の変化や気候変動、激しさを増す価格競争に後継者不足の問題など、農業を取り巻く状況は、依然、厳しいものがあります。それでも私は、この信仰を根本に、智慧を尽くし、開拓者魂を燃やして、農業一筋に進んでくることができました。 大聖人は、生命というものが限りなく尊いことを述べられた白米一俵御書の中で、「食なければ・命たへぬ」(同1596㌻)と仰せになり、その生命を支える「食」が、どれだけ貴重なものであるかを強調されています。 人々の食生活に直結する農漁光部の使命は、計り知れません。だからこそ、自分自身だけでなく、地域の皆さんが希望と張り合いを持って農業に従事できるよう、これからも郷土の繁栄を祈り、行動を重ねていく決意です。 (プロフィル)ながせ・なおみち 父の後を継いで農業の道へ。これまで、士幌町農業協同組合の理事などを歴任してきた。68歳。1962年(昭和37年)入会。十勝県副県長。北海道副農漁光部長。 社会に尽くす使命 日蓮大聖人の仏法は、人生や生活から、かけ離れたものではありません。 御書には、「智者とは世間の法より外に仏法を行わず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(1466㌻)とあります。 仏法の智慧と慈悲の力で社会に貢献し、社会を正しく導いていく人こそが、真の〝智者〟であると教えられています。 私たちの実践で言えば、家庭や職場、地域など、常に「今いる場所」で信心根本に努力し、良識ある振る舞いで信頼を広げていくことが、仏法者としての使命にほかありません。 とくに農村や漁村など、地域で同業の仕事を営む人々が多い場所を舞台に、多くの農漁光部員が、郷土の繁栄を願い、信心根本に努力を重ねながら奮闘しています。そうした姿勢は、周囲に触発を与え、よりよき地域を築く礎となるでしょう。自身の幸福と地域の繁栄――その実現こそ創価学会の信仰の目的です。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2019.8.3
March 8, 2020
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信越教育部長 酒井 光一 「自分自身のことが好きだ」「自分には自信がある」――そう思えている子どもたちは、私たちの回りに一体どれぐらいいるのでしょうか? 最近の子どもたちを見ていると、「私にはできない」「どうせ私なんて」と自らの可能性を信じられず、目を閉ざしてしまっている子は少なくないと感じます。 そうしたことは、自尊感情(自分を価値ある人間と思う感情)や自己肯定感を持つ子どもの割合が、日本は諸外国に比べて著しく低いという内閣府のデータ(平成30年度「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」)にも示されています。「自分は役に立っていない」と思っている子ほど、自分自身への満足感が低いという分析もあります。 自尊感情が高ければ、何事にも前向きに取り組むことができ、少しくらいの失敗にもめげずに、課題に挑戦していく気持ちを保ち続けられます。また、自尊感情があれば、他者に対して優しさや思いやりをもって接していくこともできるでしょう。 私はこれまで30年以上にわたり、公立中学校の教員として生徒たちの成長に関わってきました。 家出した生徒を捜した冬の夜 日蓮大聖人は、「言葉というのは心の思いを響かせて、声に表したものをいうのである」(御書563㌻、通解)と教えられています。言葉には、心の思いが現れます。 相手の心に響く言葉――それは、相手を思う心から生まれた言葉のことだと思います。子どもの成長と幸福を心から願い、その思いを超えとして響かせる慈愛のはげなしは、子どもの成長の追い風になります。 中学3年生の担任を務めていたとき、クラスの中に気に掛かる生徒のY子さんがいました。彼女の口癖は「どうせ私なんて」。勉強も運動も「どうせ私にはムリ」と消極的でした。 ある冬の夜のこと。校長から、自宅にいた私に、「Y子さんが家出したようだ。心当たりを捜してほしい」と緊急の連絡がありました。 私はすぐに家を飛び出し、雪の中、街中を捜しまわりましたが見つかりません。途方にくれながらも、「もしや」と駅構内まで見に行くと、公衆電話が並ぶ片隅にY子さんが一人でぽつんと立っていました。私が理由を聞くと、「どうせ私なんて、誰も心配しない」と悲嘆するばかり。家庭のことなど複雑な事情があるようでしたが、私はY子さんの芽を見ながら、「君は、この世にたった一人しかいない大切な存在なんだ」と語りかけました。 その後も、Y子さんの成長を信じて、「やれば必ずできる」と、ある日、彼女は友達とうまく話せないという悩みを打ち明けてくれたのです。 それならと、私が友達役になって、具体的に話しかける練習をしました。何度か練習を重ね、うまくできたことを一緒に喜びあう中で、Y子さんも自信を持てるように。卒業時には、大切な友達もでき、「自分は自分」と胸を張って、成長した姿で巣立っていきました。 演技形式で体験的に学ぶ Y子さんに限らず、長年の教員生活を通して、自分に自身を持てていない生徒を何人も見て気ました。そこで私は、校長を務めた10年間、生徒たちの自尊感情を育むために、全教職員の理解と協力を得て、全校を挙げて「ライフスキル教育」に取り組みました。 「ライフスキル」とは、対人関係構築力やコミュニケーション能力、意思決定能力など、生きていく上で必要な、さまざまな能力のことです。 私の中学校では、授業にロールプレイング(役割演技)形式をとりいれ、人との関わり方について、誤り方や断り方、感謝の気持ちを表現する仕方などを生徒たちに演じてもらう中で、体験的に学ばせるようにしました。それは、私がY子さんと行ったように、さまざまな場面を想定し、その時に「自分だったらどう振る舞うのか」を考え、実際に演技してもらうというものです。 最初は恥ずかしがっていた生徒たちも、やってみるうちに次第に楽しんで取り組むようになりました。そして、縁起を互いに評価し、良かった点を積極的に褒め合うようにしたのです。 自尊感情は、他者から認められたり、成功体験を積み重ねたりすることで育まれます。 こうした教育プログラムを通して、教師や友人から評価され、互いを尊重し合いながら褒め合うという経験をしたことで、生徒たちは自らの行動に自信を持てるようになりました。それだけでなく、対人関係の改善や学習意欲の向上など、学校全体の雰囲気も大きく変わっていったのです。 可能性を信じ開かせる関わり 親や教師という立場にあると、とかく子どもの欠点ばかり目につき、つい小言を言いたくなってしまいがちです。かつて、私自身がそうでした。 しかし、子どもの可能性は無限大です。それぞれ得て不得手はあっても、皆、やればできるのです。そうした多彩な力を開花させ、輝かせていけるかどうかは、私たち大人側に問われていることだと思います。 法華経に説かれる不軽菩薩は、全ての人に仏の生命があることを信じ抜き、誠意を尽くして、出会った人々に最大の敬意を示す礼拝を続けました。そうした不軽菩薩の実践を踏まえ、大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候けるぞ」(御書1147㌻)と仰せです。相手を敬う振る舞いを示すことが、釈尊がこの世に出現した根本の目的であると教えられているのです。 何があっても目の前の「一人」を信じ抜き、尊重していく――大人の側にそのしえ\性があればこそ、子どもたちは伸び伸びと育っていけるでしょう。 私は現在、教職を定年退職し、行政機関の臨時職員という立場で〝心の相談員〟として老若男女の方々に関わっています。 教職時代の経験を生かしながら、どこまでも目の前の「一人」を大切にする誠実な関わりを貫き、縁する全ての人々に希望を送り届けていきたいと思っています。 <プロフィル>さかい・みつかず 会社員を経て27歳で中学校教員に。校長を務めた後に定年退職。63歳。1957年(昭和32年)入会。第2新潟総県副総県長(中越県長兼任)。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2019.7.23
February 22, 2020
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医師 柳生 岳志 皆さんは、「人生の最後をどこで迎えるか」について、考えたことはあるでしょうか? 近年、患者さんが、自宅などの住みなれた環境で明日らかに最期を迎えるための医療が注目される中、「在宅医療」の重要性が高まっています。これは、患者さんの自宅に医師が訪問して行う医療行為で、自宅で普段通りの生活を送りながら、病院と同じ治療が受けられます。 実は厚生労働省の調査によると、戦後間もない1951年(昭和26年)ごろは、亡くなった方のうち8割が自宅で最期を迎えたそうです。つまり、自宅で家族に見守られながら臨終を迎えるということが一般的だったのです。 その後、自宅でなくなる方の割合は減少し、変わって、病院などの医療機関でなくなる方が増加。2000年(平成12年)以降、患者さんの8割が、人生の最後を病院で迎えているといわれています。 厚労省は06年から、患者さんが自宅や施設で家族に見守られながら人生最後の時を迎えること、すなわち「看取り」を推奨しています。 私自身、16年前に北九州市内でクリニックを開業して以来、医師として在宅医療に携わる中、多くの方々の「看取り」に立ちあってきました。 大切な家族の最後に向き合うことは、「生きること」の意味を捉え直す貴重な体験になります。また、残された家族が、故人の「生」を自らの「生」に重ねることで、自らの日々により深い意味を見いだして生きていく、豊かな人生構築の出発点になると実感します。 ●次なる性へ出発する瞬間と 私が「看取り」に立ちあった患者さんの一人に、70歳のYさんがいました。 Yさんは、病院で医師から肝臓がんの末期であることを宣告され、治療のすべがないことを知り、「それなら人生の終末は自宅で家族と過ごしたい」と希望。病院からの紹介で、私が訪問診療を担当することになりました。 宣告から2カ月後、Yさんはごかぞくにみとられて、自宅で静かに息を引き取られました。 実は、Yさんが亡くなる数時間前、奥さまが「もっと早く主人の病気に気づいていたら」と、泣き崩れました。すでに末期の状態であったとはいえ、あまりにも早く別れの時を迎えようとしていることに、ご家族の悲しみは言い尽くせないほどだったのです。 私は、ただただ寄り添うような気持ちで、そばにいるのが精いっぱいでした。この時、少しでも励みになればと、私自身の死生観を語りました。 ――人生の最終章に立ち会えるということは、大きな意義があるということ。人の人生には終わりがあるが、それは「次の生への出発」でもあるということ。そして、次の生へと「出発する瞬間」に立ち会えることは、とても深い縁を結んでいるということ。 御家族の悲しみがいくらか和らいだように感じる中で、Yさんは穏やかに亡くなられたのです。 ●求められる確かな生命観 大切な家族や身近な人の死に接することほど、悲しいことはないでしょう。仏法には、そうした受け入れがたい現実を、生きる希望へと変革する哲理が示されています。 日蓮大聖人は、夫に先立たれ、愛する息子を亡くした南条時光の母を、こう励まされました。 「南無妙法蓮華経と唱えられて、亡き夫君と御子息と同じところに生まれようと願っていきなさい。ひとつの種は一つの種であり、別の種は別の種です。同じ妙法蓮華経の種を心に孕(はら)まれるならば、同じ妙法蓮華経の国へお生まれになるでしょう」(御書1570㌻、通解) 今世で出会った家族は、妙法の力によって、必ず次も同じところに生まれ、再会できる――この仰せが、時光の母にとって、どれほど励みになったことでしょう。 仏法では、三世の生命を説きます。死によって今世の生命は終わっても、生命そのものがなくなるわけではありません。そのことを心から確信するときにはじめて、いかなる状況に会っても前を向いていける希望を、現実の中に見いだすことができるのだと思います。 医療現場の最前線に立つものとして、人の死に向き合うたび、そうした「確かな生命観」の必要性を感じずにはいれれません。 ●父が示した臨終の心構え 私の父は84歳で亡くなりましたが、生前、「死ぬときは、自宅の御本尊の前で」と、折りあるごとに語っていました。 父が亡くなる直前のある日、入所していた施設から「お父様が息苦しそうなので、すぐに来てほしい」との連絡が。急いで駆け付けると、心不全と見て取れる状況でした。そのまま病院へ搬送し、治療を開始しましたが、病状は悪化するばかり。父も「自宅に帰る」と答えたので、主治医とも相談した上で、父を自宅へつれて帰り、御本尊の前に寝かせました。それから父は5時間ほど唱題し続けた末、私たちにみとられる中、題目を唱えながら、穏やかに息を引き取っていったのです。 臨終の少し前、父は法華経にある「如来如実知見三界之相無有生死」についての「御義口伝」(御書753㌻~754㌻)の一節を口にしました。これは、永遠の生命を自覚した時に、「本有の生死」に生きる大境涯を得ることができると教えられた御文ですが、父は晩年、毎日のように、この一節を私に講義してくれました。自分の死期の近いことを悟り、御書を拝しながら、その一節を自身の生命に刻みつけていたのかもしれません。 死に臨む父の心構えを知り、また、父が示してくれた新たな生への旅立ちの姿に、深く感動したことを覚えています。 御書に「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(1404㌻)とります。「生死の問題」はだれ人も避けられません。ゆえに、死を忌避することなく見つめてこそ、真に幸福な人生を確立することができるのです。 池田先生は語っています。 「『死』を意識することが、人生を高めることになる。『死』を自覚することによって、『永遠なるもの』を求め始めるからです。そして、この一瞬一瞬を大切に使おうと決意できる」 「いかに死ぬか」と思うことは、「いかに生きるか」と問うことに通じます。だからこそ、よい生き方の指針を持つ人は、今世の生を最も充実させていけるのではないでしょうか。 患者さんや関わるかたがたが豊かで伴走者になれるよう、妙法の医師として、最高峰の生命哲学を胸に力を尽くしてまいります。 <プロフィル>やぎゅう・たかし 北九州市内のクリニックで院長を務める。医学博士。59歳。1960年(昭和35年)入会。福岡・小倉南栄光区長。九州ドクター部書記長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2019.6.1
December 27, 2019
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東北女性教育者委員長 宮本 静子 宮城県で中学校の教壇に立ち続けて約30年。さまざまなことを経験してきました。真面目に授業を受ける子もいれば、そうでない子もいました。中には問題行動を起こす子も。 私が教師として心掛けてきたのは、生徒たちの行動の裏にある〝心の声〟を聞き取ること、だれよりも生徒を信じてあげることです。 社会科の教師として赴任したばかりも時、担当していたクラスで、10人以上の生徒が反発するようになりました。私は精神的に追い詰められ、ノイローゼ寸前の状態までに陥りました。 思い悩む毎日でしたが、祈りを重ねる中で、ある時、はっと気づいたのです。――原因は生徒ではなく、生徒に命令口調で接していた自分自身にあったのだ、と。 そこで私は、相手を決めつけるのではなく、生徒たちの〝心の声〟を聞き取ろうと努めました。ささいな変化や頑張る姿も見逃さないように、慈愛をもって関わり続けました。すると、生徒たちも少しずつ心を開いてくれるようになったのです。 それから1年が過ぎ、転勤することになった私の最後の投稿日には、クラス全員が朝早く学校に集まり、色紙とメッセージを用意し、涙と笑顔で「ありがとうございました」と送り出してくれたのです。私の教員としての忘れられない原点となりました。 日蓮大聖人は「鏡に向かって礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769㌻)と、鏡に向かって礼拝する時、その鏡に映る姿もまた自分を礼拝するという道理を教えられています。 生徒の〝心の声〟に耳を傾け、可能性を信じ抜き、真正面から向き合う教師の姿があってこそ、生徒も心を開き、大きく成長していけるのだと確信します。 無限の可能性を信じ抜く 初めて3三年生の学級担任をした時の経験も、生徒の可能性を信じ抜く大切さを実感する機会になりました。 ある生徒が頭髪を紫色にしてきたのをはじめとして、学年全体に授業の抜け出しや校舎内の器物破損など、問題行動が次々と起こりました。緊急の保護者会を開き、必死で対応するものの、生徒たちの行動はエスカレートするばかり。 〝何のために教師になったのだろうか〟と考えると、涙が止まりませんでした。御本尊に向かい、懸命に祈る自分。〝どの生徒にも無限の可能性があるんだ〟と自らに言い聞かせては、どんなにつらくても笑顔で学校に行くように努め、真正面から向き合い続けました。やがて、その生徒たちは卒業していきましたが、その後も、生徒たちのことを祈らない日はありませんでした。 それから5年後の成人式の日。問題行動を繰り返した教え子たちは、奇抜なはかま姿で集まってきました。ところが、式典後に出身中学校ごとに集まった時のことです。 「生徒に何か言いたいことがある人は?」との司会の言葉に、突然、「はい!」と。それは、あの頃、私が一番向き合ったM君でした。 「あの時、迷惑をかけた仲間を代表して言います。先生、本当に住みませんでした」と、M君は深く頭を下げたのです。 まわりからは温かい拍手。体中から感動が込み上げました。〝関わった生徒たちの成長は、一生涯、見守っていこう〟と心に刻んだ瞬間もありました。 失われた14人の尊い命 2011年の3月11日、初めて3年生の学年主任として卒業式を迎えました。 式の後、生徒たちの和やかに歓談していたその時、あの巨大地震に見舞われました。その後まもなく、大きな津波が押し寄せ、街は一瞬で飲み込まれてしまったのです。 翌日から、名簿を片手に、無我夢中で生徒たちの安否確認に歩いて回りました。 〝どうか無事でいてほしい〟――そんな必死の思いが届かず、全校で14人もの尊い命が失われたことが分かりました。 こんなにつらく、悲しいことはありませんでした。 夢をかなえることもできず、短い生涯をとじた生徒たち。無事だった生徒も、ほとんどが家を流され、家族を失った生徒もいました。 どうやって生徒を励ませばいいのか。私は途方にくれました。その時、心に浮かんだのは、母校の創価学園や創価大学で、学生を真心で励ましてくださった創立者・池田先生の姿でした。〝今度は私が、生徒たちを鼓舞する番だ〟と、自ら奮い立たせました。 御書に「妙とは蘇生の耆なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(947㌻)とあります。私たちの胸中には本来、苦難を乗り越え、どのような境遇からでも〝蘇生〟していける、力強い仏の生命が具わっているのです。 私は、この御文をかみ締めながら、生徒たちがこの未曽有の震災から立ち上がり、前に進めるように、一人ひとりに寄り添いながら、精一杯励ましを送って行きました。 やがて、被災地の様子が報道されるにつれ、避難所には全国各地からたくさんの支援物資が届けられるようになり、真心の寄せ書きも届けられるようになりました。私自身、涙が止まらないほど心を打たれ、勇気づけられました。 限りある人生を何に使うのか その後、私が担当する吹奏楽部の生徒たちが、コンクールに向けて練習に立ちあがりました。震災で3人の部員を失っての再開でしたが、部長を中心に皆で懸命に練習を重ね、コンクール地区大会では、最も少ない人数で、県大会の切符を手にすることができたのです。 困難な現実にも負けず、前を向いて生きていく生徒たちの心強い心に触れ、あらためて、私が励まされました。 ――東日本大震災から8年。被災直後に入学した教え子たちと、今年の成人式で再会しました。 「美容師として就職します」「教員を目指し、大学で勉強しています」と口々に話す頼もしい姿に、胸が熱くなりました。わが子のように大切な教え子たちが、それぞれの使命の大空へと羽ばたいていく来を思うと、本当に楽しくてなりません。 池田先生は述べています。 「命にはかぎりがある。だからこそ、何に命を使うかが重要です。人間を育てることは、最高に尊いことではないだろうか」 日々、目の前の生徒と向き合い、励ましを送り続けることが、教師としての私にできることだと思っています。これからも、未来の宝である生徒たちの成長と幸福を願い、祈りながら、自分らしく「人間教育」の道を歩んでまいります。 <プロフィル>みやもと・しずこ 宮城県内の中学校に勤務し、特別支援教育コーディネーターも務める。宮城県名取市在住。1959年(昭和34年)入会。支部副婦人部長。 毒を変じて薬と為す 仏法は「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」の法理を説きます。由来は、インドの論師・竜樹の著とされる『大智度論』にある「大薬師の能(よ)く毒を以て薬と為すが如し」との文です。 これは、毒として作用する材料をうまく調合することで、病を治す薬として使うことを意味します。このことを通して、一切衆生の成仏を説く法華経の偉大さと、苦しみの生命(毒)をそのまま幸福の生命(薬)へと転じていける、妙法の功力を表しているのです。 人生の途上では、病気になることもあれば、さまざまな災難に遭うこともあるでしょう。しかし、日蓮大聖人は「災来るとも変じて幸と為らん」(御書979㌻)と仰せです。信心根本の人は、どのような苦難も、幸福を開く因へと転換し、必ず変毒為薬していけます。 風があってこそ、凧が高く舞い上がるように、苦難や試練を受けることによって、境涯を大きく開き、幸福の大空を舞っていける――この希望の哲理が、日蓮仏法なのです。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2019.5.18
December 16, 2019
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養蜂家 杉浦 利和 春を迎え、色鮮やかな花々が競うように咲き薫る季節。花の周りには、たくさんの昆虫が集まります。中でも、小さく黄色いミツバチの飛び回る姿は、なじみある光景ではないでしょうか? 愛知県半田市で養蜂業を営む私は、このミツバチたちが一生懸命に集めてくれた蜂蜜を扱います。薄めず、不純物のない、採れたての純国産の蜂蜜。それはまさに、大自然からの贈り物です。 はちみつは、良質なビタミンをはじめ、ミネラルやアミノ酸、酵素など、150を超える成分が含まれた、栄養たっぷりな自然の祥九剤です。抗菌作用のほかに、下痢や便秘の解消、風邪のときなどの体力の回復、高血圧の予防にも効果的といわれます。その上、同じ甘味料でも、はちみつは砂糖に比べてカロリーが少ないことも特徴です。 はちみつは、密源となる花の種類によって、味や色、香りなどが変わり、同じ花から採れた蜜でも、気候や風土によって質が異なるため、一つとして同じものはありません。 私の養蜂園では、ミカンの花を中心に、クロガネモチ、ハゼノキなどの蜜をを採集しています。 暖かくなったこれからが繁忙期。この時期の働き蜂は約40日の短い寿命ですが、懸命に飛び回り、蜜を集めます。墨持ち帰った三つは、ミツバチが酵素によって分解し、水分を発散させて熟成させ、高い濃度の〝蜂蜜〟にします。 ミツバチが蜜を熟成させた時期を見極めて、最終するのが私の仕事です。ミツバチの味わいは、その年によってもさまざま。最高の蜂蜜がとれるよう、真剣な祈りは不可欠です。 ■気が抜けないミツバチの飼育 温暖な気候に恵まれた知多半島は、酪農やミカン栽培、花作りなども盛んな自然豊かな地域です。私が営む「杉浦養蜂園」は、この地で祖父が1942年(昭和17年)に創業しました。 ミツバチは、巣箱ごとに女王蜂が1匹ずつおり、その周りに数万匹の働きバチがいます。冬場はハチの数が減りますが、花が満開になり、採蜜が忙しくなる春には、1箱の働きバチも5万匹ほどに増えます。私の蜂場には、この巣箱は100箱ほどあります。 夏場になると、ミツバチの天敵であるスズメバチが襲撃してくることがあります。襲われれば数時間でほとんどが死滅してしまうこともあって、油断はできません。 蜜源となる花が少ない冬実は、1箱あたりの働きバチは2~3万匹ほどに減りますが、ミツバチへの餌やりは欠かせません。また、この時期は、陰湿栽培するイチゴなどの花粉交配のため、ミツバチの巣箱を貸し出しています。 他にも、ミツバチの体調を見極め、病気に気を付けるなど、一年中、気が抜けません。ハチに刺されて痛い思いをするときもあります。ミツバチは生き物ですから、気候によっても左右されます。 〝自然相手〟の苦労はありますが、唱題根本に一つ一つの課題に向き合い、試行錯誤を繰り返しながら、最高の品質を求めて挑戦する日々です。 ■父の養蜂園受け継ぐ決意 今でこそ、養蜂に汗を流していますが、昔から養蜂家になりたかったわけではありません。私は高校を卒業後、愛知を離れ、東京の専門学校に進学しました。卒業後、都内のメガネ店に就職。その後、転勤で岐阜県の店舗へ。しかし、折からの不景気のあおりを受け、苦境に立たされました。 そんなとき、学会の先輩から励まされ、自らの進路を祈り考える中で、「我が家の養蜂園を、父の代で終わらせるわけにはいかない」との思いが浮かびました。悩みに悩んだ末、27歳の時、養蜂家を継ぎました。 とはいえ、父は当初、何も教えてくれず、自分から尋ね、目で見て技術を盗むしかありませんでした。必死に書物を読みあさり、同業の先輩たちに教えてもらうなど、懸命に勉強を重ねました。 養蜂業を始めて3年がたったある夏の朝、ミツバチの巣箱を見に行くと、大量のミツバチが死んでいたことがありました。 害虫予防の薬が多かったのです。ショックでした。同時に、「やはり自然を相手にするのは難しい」と痛感しました。 スズメバチとの戦い、ダニや病気などの予防、気候変動への適応策――その後も信心根本に努力と研究を重ね、少しずつ軌道に乗せてくることができました。 2004年(平成16年)の春、愛知県養蜂協会から「事務局の中心者に」との打診がありました。 最初は、「自分なんかに務まるのか?」との不安もありました。 しかし、御書には「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるごとし」(1598㌻)と仰せです。日蓮仏法では、人のために尽くしたことは、全て、自分自身を飾る福徳になることを教えています。もちろん、養蜂業のほかに、事務局の仕事が重なることの大変さも頭をよぎりましたが、それでも、自分を育ててくれた地域に貢献できるのなら、との思いで、喜んで引き受けました。 ■今いる場所を「よきところ」と 現在は、県養蜂協会の副会長兼事務局長として奮闘しています。仕事でも、おいしい蜂蜜を全国へお届けできるよう、作業は一つ一つ丁寧に取り組んでいます。 17年には、第67回愛知県森林畜産物品評会で、私の養蜂園の蜂蜜が、最高賞となる農林水産大臣賞を受賞することができました。これは、約2000点以上の農林畜産物の中からの選出で、蜂蜜が受賞したのは三十年ぶりの快挙といいます。 この結果に、何より私自身が一番驚きました。これまで丹精してきたことを評価していただけたことが、本当にうれしかったです。 長年、広布の活動に励みながら、支えてきてくれた妻にも、感謝は尽きません。 最近は、気候変動などが原因で、植生が変わったり、花が減ったりしてきています。蜜源植物が減れば、作れる蜂蜜の量も減り、良質な蜂蜜が採れなくなってしまいます。自然とともに生きていればこそ、地域の貴重な緑を守り、豊かな自然を次代に残していく必要性を強く感じます。 日蓮大聖人は、自分が縁する地域を「よきところ・よきところ」(御書1183㌻)と捉えるように促されました。郷土に愛着と誇りをもち、地域に尽くしていくことは、仏法者としての使命です。 これからも、自然の恵みに感謝しながら、愛する郷土のさらなる発展を祈り、今いる場所で地道な努力を貫いていきます。 <プロフィル>すぎうら・としかず 愛知県半田市で30年以上、「杉浦養蜂園」を営む。愛知県養蜂協会副会長。60歳。1959年(昭和34年)入会。愛知・半田本部副本部長。半田圏農漁光部長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2019.4.9
October 29, 2019
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九州教育部長 吉澤 克実 ■子を褒める言葉は成長の追い風に 私はこれまで、福岡県内の小学校で38年間、教育に携わってきました。 かつて、教頭を務めていた時のことです。ある日、4年生だったA君とお母さんが、職員室にいた私のもとへ、「どうしてもお礼を言いたい」と訪ねてこられたことがあります。実は、もともとA君は、授業中に自ら進んで発表するタイプではなく、宿題や提出物も、なかなか提出できないような児童でした。 ある時、私が「社会科新聞」をつくる授業をした折、A君の新聞の出来栄えがとても素晴らしかったので、クラスの皆に、お手本として紹介したことがありました。 それから数日後の社会科の時間。普段は最後の法にしか提出しないA君が、この時は、真っ先に自分の社会科新聞を提出したのです。そんなA君が頑張る姿が本当にうれしくて、その日、私はすぐにお母さんに電話をして、A君のことを伝えました。 職員室を訪れたお母さんは、打ち上げてくださいました。 「この子は小学校に入学以来、人前で一回も褒められたことがありませんでした。だから、あの時の電話が本当にうれしくて、感謝を伝えたくて伺ったんです」 A君親子が喜ぶ姿に、私も、とてもうれしい気持ちになりました。 どんな子であれ、「この子は○○」と一方的に決めつけるのではなく、相手の可能性を信じ抜き、励ましの言葉をかけることによって、子どもは伸び伸びと成長していけます。 日蓮大聖人は「ただ心こそ大切なれ」(御書1192㌻)と仰せです。「うわべ」ではなく、相手のことを心から思いやっての言葉は、必ず、相手の心に強く響くのだと思います。A君から、あらためてそのことを学びました。 ■うつ病を発症し校長職を退職 今から5年前のことです。教職生活33年目となり、校長として「自身の教育実践の総仕上げを」と心に期した59歳の誕生日の直後、任期を1年余り残して退職を余儀なくされました。 自身の持病でもあった高血圧が引き金となり、「うつ病」を発症してしまったのです。教職を全うできなかった悔しさと無念さに、心は張り裂けそうでした。 そんなある日、病の床で開いた聖教新聞の「わが友に贈る」を一読し、その言葉が生命に突き刺さりました。 「わが勝利の姿は 同じ悩みと闘う 全ての人の希望となる! 宿命を偉大な使命に 変えて立ち上がれ!」 こんな自分でも、同じ悩みを抱える人の力になれる日が、いつしか訪れるかもしれない――そう思うと、私の心に一条の光が差し込みました。その後、池田先生の指導や同志の度重なる激励を支えに、少しずつ前を向けるように。祈りを重ねる中、病状は徐々に好転していきました。 御書には「地に倒れた人は、かえって地によって立ち上がるのである」(1586㌻、通解)とあります。私は、この信仰で必ず再起し、池田先生と同志の恩に報いようと心を奮い立たせ、「もう一度、教育現場に戻る」と決めて祈り抜きました。 すると後日、思いがけず再任用の連絡があり、再び教壇に立つことができたのです。こうした私自身の体験談を、聖教新聞にも掲載していただきました。 ■同じ悩みと闘う友の希望に 校長職を退いてから4年が過ぎようとする頃、「フルタイムで働きませんか?」との話がありました。職務内容を尋ねると新規採用された先生方を指導する「初任者指導」という立場で、2校にまたがる6人の新任者を担当するものでした。これが教員として、子どもたちに関わっていく青年を育成するということは、とても責任ある仕事です。 4年前の状況からは、全く想像をできなかった展開でした。 フルタイムへの復帰に際して、自身の病状について病院で受診したおり、担当医に「先生、もうそろそろいいでしょう?」と尋ねました。しかし、担当医は笑まれただけでした。 私は、「こんなに元気になったのに、なぜ、うつ病は完治したと言われないのだろう?」と思いました。 その私の思いを変えていただいたのは、私のもとへ相談に訪れる同志の皆さまでした。 良く同志の方から、「吉澤さん、まだ治ってないんですよね? 病気を持ったままで、いいんですよね?」と問われたことがあります。 私は、「大丈夫! こうやって仕事も、学会活動もできますよ」と答えた後、「どうされたんですか?」と聞き返します。すると、「実は私も、うつ病です」と打ち明けてくださる方がいるのです。中には、かつて聖教新聞に掲載された私の闘病体験を、読み返してくださっていた方もいらっしゃいました。 同志との語らいから帰る道すがら、私は思いました。 〝ああ、あの日に読んだ聖教新聞に『同じ悩みと闘う 全ての人の希望となる!』とあったのは、このことだったのか〟 自分自身の深い使命をかみしめました。 ■どんな困難にも必ず意味が 仏法には、「自受法楽」との言葉があります。これは、「法楽を自ら受ける」という意味ですが、私は、この信仰によって涌現させた力強い生命力で、どんな困難にもマケズに生き抜いていくことこそ、最高に歓喜あふれる「法楽」の人生なのだと確信します。 池田先生は、つづっています。 「『自受法楽』の『自受』とは、『自ら受ける』ということである。人ではない。自分自身で決まる。人に何かをしてもらったり、他から与えられるものではない。 自分が自分で幸福をつくり、自分で幸福を味わっていく。どんな苦楽の道も、悠然と楽しんでいける強く大きな自分になっていく。それが『自受法楽』である」 私は、今も自らの病気と〝付き合い〟ながら、仕事に、学会活動に、毎日、楽しく取り組んでいます。その原動力となっているのが、この信仰にほかありません。 どんな悩みも苦しみも、必ず意味があります。否、意味のあるものに変えていける力が、私たち人間にはあるのです。 「未来の宝」である子どもたち、そして、教育に携わる方々に、私の経験と振る舞いを通して、こうした確信を少しでも伝えていけたらと思っています。 これからも、教育の道を踏み出した青年たちと一緒に、次代を担う子供たちの教育という聖業に、精一杯、まい進していきます。 <プロフィル>よしざわ・かつみ 福岡県内の小学校で教頭、校長を務めた。現在、県内で初任者教諭の育成に携わる拠点校指導教員として働く。64歳。1973年(昭和48年)入会。福岡王者県総合長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2019.3.2
September 9, 2019
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京都大学特定助教 博士(学術) 平林今日子 みなさんは、核兵器の被害に遭われた方が世界にどれぐらいいるか、ご存じでしょうか。 広島・長崎の原爆投下による被爆者の数は、累計で80万人以上とされていますが、核兵器による被害は、実は日本国内だけにとどまりません。核兵器の開発時に行われる核実験によって、被害を受けた方々が世界中にいるのです。 核兵器保有国による核実験は、保有国にとどまらず、アフリカや太平洋の小さな島などでも実施されました。1954年(昭和29年)3月1日、マーシャル諸島・ビキニ環礁で米国の水爆実験によって、「第五福竜丸」など日本の漁船が被ばくしたことは、ご存じの方も多いのではないかと思います。 そうした核実験のうち、私は、旧ソ連が実施した核実験の被害について研究を行っています。 ■握り返した手のぬくもり 旧ソ連最大の核実験場であった、カザフスタン共和国・セミパラチンクス核実験場の周辺で暮らす方々の被害を明らかにするため、私は、広島大学が行っている現地調査に2005年から参加しています。 セミパラチンクスには、日本の四国とほぼ同じ広さを持つ核実験場があり、1949年から89年までの40年間に、456回もの実験が行われました。 カザフスタン政府の公式見解によれば、100万人以上がその被害を受けたとされています。私たちの研究グループは現地に赴き、被災者に直接お会いして、社会(医)学的な調査として、健康面、生活面、そして精神面など、多岐にわたって被害の実態の聞き取り調査を行っています。 これまでに3000人以上の回答を得ています。調査を通して、核兵器による被害とはいかなるものかを明らかにし、核兵器廃絶への一助にしたいと考えています。 初めての聞き取り調査でお会いした高齢の女性のことは、鮮明に記憶に残っています。 涙を流しながら、ご主人と息子さんががんで亡くなられた体験を話してくださいました。ご自身もさまざまな病気を経験され、甲状腺がんの手術を受けたばかりとのことでした。帰り際には、ただ黙って話を聞くだけしかできなかった私の手を握り、「ありがとう、ありがとう」と繰り返して伝えてくださいました。お礼を言うべきは私たちのほうなのに、と恐縮しながら握り返した手のぬくもりは、今も忘れられません。否、決して忘れてはいけないと思っています。 ■犠牲が前提の核抑止理論 2009年からは、核実験を実際に体験した高齢者のみでなく、疾患や障がいをもつ子どもと、その保護者への聞き取りも行っています。核実験場が閉鎖されてから30年近くが経過した現在でも、現地の人々は、病気になれば「放射線の影響ではないか」とおびえ、障がいを持つ子どもが生まれれば、「核実験場の近くで生活したせいだ」と自分を責めます。 このように、人生の長きにわたって多面的に人々に影響を与え続けるのが、核による被害なのです。 被害者の声から浮かび上がる被害の実態を知る時、「核保有の均衡状態によって世界平和が保たれてきた」とする核抑止理論は、すでに崩壊していると言わざるを得ません。被害を受けた人びとにとっては、決して平和であったなどとは言えないからです。 民衆の犠牲を前提として核兵器の保有を正当化する核抑止理論は、国家のエゴイズムの表出にほかなりません。 仏法では、他者を自在に支配しようとする、生命の根源的な迷妄(めいもう)を「他化自在天」と説きます。他者を支配したという欲望が極まれば、他者の存在は限りなく矮小化され、生命は軽視され、どんな犠牲が生じても躊躇(ちゅうちょ)や心の痛みなど感じなくなってしまう。ゆえに、民衆の犠牲を前提にしなければ成り立たない核抑止の思想から脱却するには、「生命尊厳」を説く仏法思想の広がりが不可欠であると確信します。 一人の声を聞き取るという調査手法も、すべての人が一人残らず尊い存在であると説く仏法の思想と響き合う手法だと感じています。 遠回りのようであっても、一人一人の声を聞かずして本当の被害は見えてこないからです。 ■研究者として母として 「私たちは核実験の影響を、自分の子どもの病気を通して実感しました。子どもが病気になるというようなつらいことは、もう誰にも起こってほしくないと強く思います」 ――調査の中で、ある父親が語った言葉です。 「同じ苦しみを味わわせたくない」との思いは、長く核兵器廃絶を求めて活動を続けてきた広島・長崎の被爆者の方々の思いとも重なります。最も苦しんだ人々が、自らの苦しみを乗り越えて、他者を慮(おもんばか)る尊いその姿に、「他化自在天」とは対極にある人間生命の崇高さを見る思いがします。 御書には「喜ぶということは、自分も他者もともに喜ぶことである」(761㌻、趣意)とあります。 自分だけの幸福ではなく、自他共の幸福を願う心が広がれば、その分だけ平和な世界も広がっていきます。そのためにも、セミパラチンスク核実験被害者の声を、研究を通して少しでも多くの人に届けていきたいと思っています。 セミパラチンスク郊外の公園には、核実験犠牲者を悼(いた)むモニュメントがあります。そこにはきのこ雲の下で、母親らしき女性が幼子に覆(おお)い被(かぶ)さって守ろうとする姿がかたどられています。 いつの時代も戦争の犠牲になる名もなき庶民、なかんずく女性と子どもであることを象徴いると同時に、世界のどこにあっても、母が子を思う気持ちに違いはないのだと訴えているように感じます。 現在、私は核兵器の被害に関する研究の他に、日本において、環境が子どもたちの健康にどのような影響を与えているかについて調査する研究にも関わっています。 私自身も2児の母です。研究者としても、一人の親としても、いずこの国で暮らす子どもたちにも、幸福な未来がやってくるよう祈らずにはいられません。全ての子どもの笑顔が守られる平和で幸福な社会の実現のため、これからも研究を通し尽力していく決意です。 プロフィル ひらばやし・きょうこ 専門分野は平和学、社会医学および核被害に関する研究。広島大学大学院博士課程修了。博士(学術)。1974年(昭和49年)入会。大阪・京阪池田県、副白ゆり長。学術部員。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2019.1.8
July 11, 2019
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九州大学名誉教授(工学博士) 小松 利光 近年、九州北部豪雨災害や西日本豪雨災害など、日本各地で極端な豪雨や台風などの自然災害が多発し、それに伴う河川の増水・氾濫や土砂崩れなどによって、残念ながら、多くの人々の命が失われています。 こうした異常な気象災害の主な原因は、地球温暖化によって引き起こされた気象変動により、豪雨や台風などの災害を引き起こす力(災害外力)が強大化してきた影響が大きいといわれています。気候変動化におけるこの「災害外力」の増大は、現代文明が過去に経験したことのない未曾有の大惨事を、将来的に人間社会にもたらす可能性を高めると考えられています。だからこそ、私たちは〝その時〟に備えた対策を怠ってはならないのです。 ただ、気候変動といっても、現代の地球温暖化に代表されるそれは、地球上の他の生物が起こしたものでもなく、実は、私たち人間が自らの手で引き起こしたものです。 自然を顧みずに環境破壊をくり返し、悠久の年月をかけて地球が作り上げた石油などの貴重な化石燃料を、わずか数百年で使い果たそうとしてきたように、自然をあたかも〝わが物〟のように使い続けてきた人間への。地球からの手痛いしっぺ返しとも言えます。 環境問題は、誰一人として無関係ではいられません。また、一国ヤ一地域の努力の身で解決できるものでもありません。その解決には、人類全体が協力し、叡智を結集して対処していくことが必要でしょう。 〝内なる一念〟が自然環境に影響 仏法には「依正不二」という法理があります。人間を取り巻く一切の環境を意味する「依報」と、生を営む主体(人間)を指す「正報」が「不二」、すなわち、分かちがたく関連しているということです。このことを、日蓮大聖人は、「正報なくば依報なし・又正報をば依報をもって此れをつくる」(御書1140㌻)と教えられています。 仏法では、自然環境と人間はたがいに深いところで支え合い、結びついていると洞察します。 私たち人間は、大地や海といった自然の恵みによって生きているといえます。言い換えれば、人間は、自然と切り離されたところで存在することはできません。その意味で、仏法は、あらゆる生命を尊びながら自然と共生する生き方を促しているとも言えます。 又、自然と人間のつながり合っているということは、私たち人間の〝内なる一念〟の変革によって、自然環境に影響を及ぼし、そこに変革をもたらすことができるとも考えられるでしょう。 地球環境の問題と言っても、そこに暮らす人々の伊騎士変革が何よりも必要であり、自然との調和と共生を目指す価値観を広げていかなくてはならないと私は思います。 地球ぐるみで手を携え、皆で環境を守っていくという“思い”を高めていくことが、「かけがえのない地球で暮らす住民」との自覚を、より一層、促すことになるのではないでしょうか。 行政による公助には限界が 私はこれまで、豪雨などに起因する河川の増水や氾濫といった水災害について、適切な防災・減災の対策を講じていくという観点から、行政とも協力して、長年、調査・研究をしてきました。 防災・減災の為の働きには、自分の命は自分で守る「自助」と、地域の皆で守り合う「共助」、そして、国や県・市町村などの行政が担う「公助」の三つがあります。 かつての日本は、地域ぐるみで防災に当たる自助・共助が当たり前でしたが、明治時代以降になると、防災は、公共事業の一環として行政が実施する公助が大きな役割を果たすようになり、また、人びともそこに全面的に依存してきました。しかし、激しい気候変動下では、河川改修やダムの築造など公的機関によるハード面の整備だけでは、経済的、時間的、環境的にも限界があることが明らかになってきました。 ある防災行政の担当者は、「今後、果たす役割の大きさは、自助・共助が90%、公助は10%程度になる」と指摘していました。阪神・淡路大震災の時、崩れた家屋の下から助け出された人の8割以上は、「隣近所の救援によるもの」だったという調査結果もあります。 もちろん、公助は今後も必要でしょう。しかし、尊い人命を守るためには、公助だけに頼るのでは不十分であることは、さまざまな災害の事例を見ても明らかです。 これからは、私たち一人一人が収諦的になり、それぞれの地域における自助・共助の仕組みを強化して、自助・共助の力をフルに発揮できる環境を地域社会に築いていかなければなりません。 自助を支える共助の絆を まずは、非常持ち出し品の準備や避難路・緊急避難場所を確認するなどの自助の備えが基本となりますが、一人だけでは、継続が容易ではありません。そこで、一人一人の自助意識を支え、導き、励ますつながりとしての共助の絆を強めていくことが必要です。 共助の力が十全に働く社会環境を築く基盤は「人間のネットワーク」であると私は考えています。 御書には「此(ここ)を去って彼(かしこ)に行くには非(あら)ざるなり」(781㌻)との一節があります。創価学会員は、日々、自分が住む地域の発展を祈り、今いる場所に、より良い地域を築いていこうと日常的に献身し、励まし合うことを実践しています。 身近な地域を舞台に、日ごろから人々と交流していくことによって、温かな人間のネットワークは広がっていきます。その「人と人のつながり」こそが、共助の要になります。自助・共助の力が強まることで、公序の力が強まることで、公助の協力も得て、自助・共助・公助という三助のバランスが取れた、災害に強い地域社会を築くことができるのです。 ともあれ、防災の問題は、人命にかかわる問題です。災害を〝わが事〟〝わが地域事〟と捉えて、自分の地域にどのような危険性があるのかを皆で話し合い、日ごろから確認し合うとともに、「いのちを守るために、どうすれば最善の行動をとれるか」という視点で、備えをしておくことが大切です。 私自身、地域の同志の方々と力を合わせながら、人間ネットワークを広げる地道な励ましの実践を、今後も重ねていきたいと決意しています。 (プフィル)こまつ・としみつ 河川工学の専門家として災害対策などに関する研究に励むとともに、行政の各種委員会の要職を歴任。九州大学名誉教授(防災工学)。日本工学会副会長。工学博士。70歳。1975年(昭和50年)入会。九州副学術部長。福岡大勝県・福光本部副本部長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2018.11.3
April 24, 2019
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医師 長渕 忠文 自分が重い病にかかっている――そう知った時、誰もが大きなショックを受けます。医師の私も、例外ではありませんでした。 13年前のことです。右脇のリンパ節がはれていることに気付いて、自分でレントゲン写真を撮りました。異常がないことを確認するという軽い気持ちからでした。 右の肺に水がたまっており、肋骨の破壊像も見つかりました。すぐに母校の大学病院に入院。検査した結果、 増殖性が強く、悪性度の高い「小細胞がん」の骨転移との診断でした。 このようなケースでは当時、五年半も生存していることは、まれでした。“あまりに、はっきりした生命の限界”と“間もなくこの世界から自分がいなくなる不安”を前に、“信心以外に頼る者はない。今こそ”と、創価学会で教えられたことを改めて実践するしかありませんでした。 唱題をし、学会指導をむさぼり読み、そして折伏にも挑戦。入院中に知り合った方を入会に導くことができました。 治療は、放射線治療、抗がん剤治療へと進み、ほかの場所に転移がないので、手術が行われ、肋骨3本と胸壁がごっそりと取られました。その直後、集中治療室の天井を見つめながら誓いました。 「現実社会で医師として、信仰者として、必ず使命を果たそう。戦い抜こう」と。 その後、手術の時に採取したがん組織もう一度検査すると、実は小細胞がんではなく、「形質細胞腫」であることが判明しました。悪性の腫瘍ですが、増殖性の弱いものだったのです。 手術から3年後、多数の形質細胞腫が再発し、落ち込むこともありましたが、今度は克服できる確信をもって、病と闘いました。 その後、適切な治療のおかげで形質細胞腫は姿を消し、病気を乗り越えることができたのです。 ■死の恐怖を乗り越える 大学生のときに、「自分を変えたくて」入会した私は、弱い自分を変えることができると確信し、勇んで学会の活動に励んできたつもりでおりました。しかし、病を経験したことで、自分の生きる意味が、より明確になったように思います。 「もっともっと、人の幸せのために生きていきたい」、そして「弱い自分も、強い自分も全て転換して生きていくのだ」と。今は日々、そのために挑戦しています。 ドクター部員として、それまでも「健康セミナー」を担当してきましたが、自身の闘病の経験を踏まえ、現在は、“死と向き合っても、その恐怖を信心で必ず乗り越えていける”ことを伝えられるセミナーにしようと心がけています。 ■自尊感情を高める大切さ セミナーでは“自尊感情を高めるために”などのテーマで、ウツやストレスを取り上げながら、心の健康の大切さを訴えています。 生きていくということは、絶え間ないストレスと隣り合わせです。そこで大事になるのは、どうすればストレスに強い自分をつくれるかということです。 私は精神科医として、さまざまなストレスを抱える患者さんに関わり続けてきました。 その経験から言えることは、悲観的だったり自信を責めようとしたりする「マイナス思考」を、課題の解決を志向する「マイナス思考」に粘り強く切り替えていくことが大切だということです。 プラス思考を支える心理は、次の4点から成り立っています。 第一に、自分を信頼し、自分を大切な存在と思えること。 第二に、現在の自分の生活を肯定的に捉えられること。 第三に、さまざまな苦難を乗り越えることが自身を成長させていくと信じられること。 第四に、他者のために尽くす行動が自身を成長させていくと信じられることです。 こうした心理学の見方は、仏法に通じるものです。 御書に「このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病める人仏になるべきよし説かれて候、病によりて道心はをこり候なり」(御書1480ページ)と仰せです。病気によって、信心を深め、仏の境涯を開くことができると教えられています。 ここにには病気に対する前向きな捉え方が述べられています。実際、病気が、生命と人生を見つめるきっかけになることは少なくありません。もちろん、私のその一人です。 ■相手に寄り添い聞いてあげる 強いストレスを抱えている方に対して、周囲の人がどのようにかかわっていくかも大きな課題です。 何より大事なのは、寄り添い、よく聞いてあげることです。精神疾患のカウンセリングでも、きくことが出発点です。 患者さんは、医師の反応を探りながら、さまざまな言葉を発します。その言葉に、じっと耳を傾けながら、ようやく“正面”を向いてきたなというところで、こちらも言葉を投げ返します。 そうした時は、「大変だったね」という何気ない一言でも相手の心に響くものです。 また、共感できた時、人は「分かってもらえた」と感じるものです。 そうすると、相手の中に自尊感情が芽吹き、ストレスに立ち向かう力力を出すことができます。 ◇ 病気にかかっているから不幸なのではありません。大きなストレスを抱えていることがそのまま不幸である、ということでもありません。 もちろん、病気やストレスは苦しいものです。過度なストレスを抱えていれば、医師に相談する必要もあります。 私自身、困難に負けず前に進むなかに、人としての勝利や人生の輝きがあると実感します。使命のない人はいません。 一人一人が、かけがえのない尊い使命を果たせるよう、医師の立場で患者さんの病気の克服に、これからも力を尽くしてまいります。 [プロフィル]ながぶち・ただふみ 鳥取県・南部町の病院で院長補佐を務める。精神保健指定医。医学博士。66歳。1973年(昭和48年)入会。中国方面ドクター部長。米子常勝県副県長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2018.9.11
February 25, 2019
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野菜栽培 小井圡 実 ■安心・安全な作物を食卓に わが農園のある北軽井沢は標高1000メートルほどに位置し、夏秋野菜に適した場所です。 栽培しているのは、高原キャベツ、トウモロコシ、ジャガイモ、花インゲンです。中でもキャベツは柔らかいものがうちの特長で、生食のサラダにもぴったりです。また、トウモロコシは、メロンよりも糖度が“売り”です。 今の季節、まだ夜が明けぬ暗い時間から収穫が始まります。立派に育ったトウモロコシの収穫が終わると、今度は、今にもはじけそうに輝くキャベツの収穫です。消費者に最高の状態でおいしく召し上がっていただけるように、最適な時季を逃さず収穫することに心を配っています。 北軽井沢の地に父が入植したのは1951年(昭和26年)のことです。一帯は、過去の浅間山大噴火の影響で土地がやせており、父の代から土作りに取り組んできました。高原野菜のキャベツを育てることができるようになったのは、2代目になる私が農業高校を卒業した78年ごろからです。 父は、私が25歳の時、49歳の若さで病気のために急逝しました。そのため、父と共に農作業をしながら、野菜栽培技術を学んだのは、わずか6年間でした。私は父の信心を受け継いで、父の労苦の汗がしみこんだ開拓地を必ず発展させていこうと決意しました。 ■減農薬と収穫増の両立 84年、キャベツが豊作のために値崩れを起こしました。箱当たりの対価が通常の6割に下がったのです。ところが翌年は、箱当たりの単価は10倍にまで値上がりしました。これまでは生活設計をしようにもできません。 自然を相手にする仕事である以上、収穫や収入が自然に左右されるのは致し方ない部分があります。その中で、少しでも収穫、収入を安定させることができるよう、私は仲間と共にJA(農協)を通じた産地直送を行いました。産地直送によって一定の売り上げを常に確保できるのではないかと考えたのです。その時、消費者から求められたのが、51種類にも及ぶ農薬の排除でした。 当時、私の経営する農園の広さは5・6ヘクタール。今と違って、大規模栽培で減農薬を促進することが簡単ではなかった時代です。 近くの畜産農家から牛糞をもらって、落ち葉をすき込み、堆肥作りを推進。収穫したトウモロコシの茎や葉も堆肥にしました。減農薬によって収量は一度は落ち込みましたが、その後、徐々に回復。“やればできる”との自信が芽生えました。 ちょうど、JAあがつま北軽井沢産直部会の部会長を務めていた私は、この機を逃さず、一般の農薬使用基準より厳しい部会内の内規を導入しました。 減農薬による生産は、病虫害の拡大などによる収穫減のリスクをはらんでいますが、その中にあって減農薬でも増産は可能であることを示すことができました。消費者に喜んでいただける、より安心・安全な野菜を提供できるようになったのです。 ■消費者から好評を得る わが農園に転機が訪れたのは、18年前、私が41歳の時です。ひょんなことから、古くからの友人に「お前の野菜を送ってほしい」とお願いされたのです。「分かった。明日、宅配便で送るよ」と返事をすると、彼は「いや、そうじゃないんだ。毎日、欲しいんだ」と言うのです。 生産者が直売できるシステムを構築した企業が、前橋市に直売第1号店の出店を決定。からは、その店の店長に選ばれ、おいしい高原野菜つくっている農家を探しているところだったのです。この企業との契約で、うちの売り上げは大きく伸びました。今では同企業は、群馬をはじめ首都圏、東北に33店舗を展開。その直売所に小井圡農園の農産物が並び、企業の担当者からは、いつも「小井圡農園の農産物が並び、企業の担当者からは、いつも「小井圡農園さんの野菜が売り切れです」とのうれしい報告をいただいています。 世間一般では、生産者が自ら直売所に出荷品を運搬することが往々にしてありますが、小井圡農園の出荷する野菜は企業側から取りに来てくれます。 気候の温暖化に伴い、標高の高い私たちの農園でも気温の上昇は顕著です。その分、病中も増えています。そのため現在では、農薬を全く使わずに栽培することは難しい状況です。しかし、できる限り殺虫剤を使用しないで栽培する努力を続けています。 ■生産者の命そのもの 私が心に刻んでいる御聖訓に「白米は白米にあらず・すなはち命なり」(1597頁)との一節があります。 私たちの命を支えてくれるコメは、単なるコメ(食料)ではなく、「命そのもの」であるとの意味です。 当時、日蓮大聖人は身延の山中においでになり、食料にも事欠く状況にありました。こうした中で、門下が大聖人の生活を案じて、真心こめて白米一俵などを御供養したことに対する御礼の手紙のなかの一節です。 御書には、「民の骨をくだける白米」(同1390頁)との仰せもあります。 作った人の労苦と汗が染み込んでいる――――生産者を思いやる心が伝わってきます。 私たち農家にとっての喜びは、安心・安全な作物を生産できること、そして、それを召し上がった消費者に健康になっていただくことです。 農業に携わって、人間の力がいかんともしがたい大自然の厳しさをくり返し、痛感してきました。気の休まるときは、正直言って全くありません。しかし一方で、“何があっても信心を根本に乗り越えて見せる”という覚悟と確信を自分のなかに築いてくることができました。これが私の財産です。 かつては社会人であり、結婚後、農業を初めて経験した妻・法子や、農園のために力を貸してくれている身内への感謝は尽きません。男子部で薫陶を受ける長男の雄一も、農園の後継者として成長しています。 これからも、“建設は死闘、破壊は一瞬”であることを肝に銘じ、努力を重ねていきます。 [プロフィル]こいど・みのる 群馬・長野原町の高原にある7ヘクタールの農園で高原キャベツなどを栽培。59歳。1959年(昭和34年)入会。群馬王者総県副総県長。総群馬農漁光部長 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2018.8.28
January 31, 2019
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内科医 山際 加代 私は人口31万人の春日井市で、クリニックを開業して34年になります。34年も開業医をしていると、一人の患者さんとその家族に、3代、場合によっては4代にわたって、“かかりつけ医”として関わらせていただくことになります。 患者さんの病気の克服に向けて、ご家族と一緒に実に何十年にもわたって“伴走”していく—―—―—。その中で、創価学会員の患者さんの生きざまn何度、感嘆・感銘したかしれません。 「何となく下腹部が重い」との訴えで来院された、当時50代のCさん。診断の結果、腎臓下極部に直径5センチの胃がんがあることが判明しました。 大きな腫瘍であり、本来なら血尿や肺転移など当然と考えられたのですが、手術してみると、驚くことに、胃がんの細胞がほとんど壊死し、腫瘍だと思われた部分は、がん細胞の死がいで占められていたのです。がん細胞が自滅を余儀なくされた結果でした。 Cさんは若い時から女子部のリーダーとして多くのメンバーの面倒をみてきた方です。私が、がんを告知した時、Cさんがおっしゃった言葉が忘れられません。 「分かりました。病気のことは先生にお任せします。ただ、私を必要としてくださる方がいらっしゃる以上、私は倒れるわけにはいきません。どうかよろしくお願いします」と。 告知されてすぐ、「自分を必要としてくれる人々のために病を克服する」と決意され、以後、ご家族と共に真剣に唱題を重ねて迎えた手術の結果が、“がん細胞は一部であり、ほとんど、がん細胞の死がいで埋め尽くされた腫瘍”だったわけです。 がんは自然治癒はしませんが、自然退縮の姿を垣間見させてくれた症例でした。 Cさんは70代となった現在も、元気に献身の行動を続けておられます。Cさんをはじめ、“人のために”との強い気持ちをもって、自らの病と闘い、乗り越えてきた創価学会のメンバーは数多くいます。 ■“乗り越える力”を高める要因 「レジリエンス」という言葉があります。回復力、抵抗力のことで、困難を乗り越える力をいいます。本来は物理学の用語ですが、精神医学の“トラウマケア”の分野でも、よく使われています。Cさんたちは、どのようにしてレジリエンスを高め、困難を乗り越えてきたのでしょう。 「ポジティブ心理学」の分野では、レジリエンスは、①楽観主義 ②勇気ある現実的な対処と、恐れなどの感情のコントロール ③逆境をチャンスに変える柔軟性のある考え方 ④信仰に基づく利他の行為などがあるとされます。そして、これらの因子を持つことが、人生の苦境やさまざまな次元のストレスを乗り越えて、人格的に成長していくための要諦であると説いています。 Cさんたちの人生を見つめた時、見事に①から④がそろっていることに、今更ながら気付かされます。 ■脳内神経伝達物質の肉体への作用 Cさんたちの生きざまを今度は脳科学から見てみると、脳内快感物質(脳内で機能する神経伝達物質のうち、多幸感や快感をもたらす物質)といわれるオキシトシン、ベータエンドルフィン、ドーパミンなどが、Cさんたちの脳内で活発に分泌されていたことが想像されます。 オキシトシンは、ほ乳類の神経ホルモンの一つです。主に脳内の視床下部で合成され血液循環系に送り出されます。その働きは、私たちのストレスを緩和して不安感を取り除いたり、他者への信頼感を高めて社交的にさせるというものです。 オキシトシンは、愛おしさの感情を生み出すもとになる物質でもあることから、「愛情ホルモン」ともいわれています。母親が赤ん坊に母乳を与えている時、夫婦や恋人同士のスキンシップの時に、このオキシトシンが大量に分泌されます。 さらにさまざまな研究から、オキシトシンは共感を感じた時に現れる生理学的特徴であり、寛大さを調節しているとされます。助けを必要とする人のことを考え、彼らに同情を寄せるだけで視床下部のオキシトシン発現が増加し、それが私たちの心と身体の健康を促進させることが分かっています。 加えて近年、人が希望や期待を抱く時、脳内ではベータエンドルフィンやドーパミンが放出され、脳活動に良い循環を生み出し、免疫力をはじめとする生命活動、さらに創造力が目覚ましく活発化することも明らかになっています。 ■年を重ねてもより若々しく 日蓮大聖人は「菩薩界とは六道の凡夫の中に於いて自身を軽んじ他人を重んじ悪を以て己に向け善を以て他に与えんと念(おも)う者有り」(御書433頁)と仰せです。“他者のために”との心で、苦しいことは自分が引き受け、楽しいことを他に与えようとするのが、菩薩の心です。 池田先生は述べています。 「人の『生きる力』を引き出した分だけ、自分の『生きる力』も増していく。人の生命を拡大してあげた分だけ、自分の生命も拡大する。これが菩薩道の妙です。『利他』と『自利』の一致です」(『法華経の智慧』) 人と話し合う時、相手の苦悩をわがことのように受け止めれば、オキシトシンが全身を潤していきます。また、慈愛にあふれた言葉を発すれば、自身の脳内でベータエンドルフィンやドーパミンなどが活発に分泌されます。こうして、生き生きとした聡明な脳活動が行われ、健康な人生が開けていきます。 大聖人は「年は・わかうなり」(御書1135頁)と仰せになり、信心に励む人が年齢を重ねても若々しく生きられることを教えられています。 ここまで記してきたことは、広げて言えば、信念や希望や生きがいを持って生きること、また文字通り自他共の幸福を願って生きることが自身の健康と幸福に寄与するということにほかなりません。 創価学会で信心をしている私にとって、一人一人の患者さんは尊い生命そのものです。その生命を最後まで輝かせるために、これからも一生懸命、患者さんに尽くしたいと願う日々です。 プロフィル やまぎわ・かよ 愛知県春日井市内のクリニックで院長を務める。1968年(昭和43年)入会。春日井正義県副婦人部長。中部副総合ドクター部長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」聖教新聞2018.7.31】
December 26, 2018
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東京女子医科大学病院研究技師主任(医学博士) 安尾 美年子 私は40年ほど前から「臓器移植の適合性」というあまり耳慣れない仕事に携わってきました。今では珍しくない臓器移植という医療が可能になったのは、移植後の拒絶反応が「免疫反応」によるものと分かったからです。 依嘱される臓器は、たいていが遺伝子的に自分のものと違うと遺物ですから、これを排除しようとして免疫機能が働くのです。 この拒絶反応を抑えるために免疫を抑制する薬が開発され進歩して、今ではABO式血液型違っても移植が可能になっています。 免疫機能は、身体に侵入した病原菌・ウィルスや、体内で発生したがん細胞などを異物として排除し身体を守る仕組みであり、リンパ球を主体とした白血球が担っています。 臓器移植では免疫を抑制することが重要ですが、日常ではストレスにより免疫力を低下することは、いいことではありません。 健康には、身体の機能を調節する自律神経の働きが重要です。これには、心身を緊張させ興奮状態に導く交感神経と、心身をリラックスさせて解放状態に導く副交感神経があります。 強いストレスなどで交感神経がずっと緊張したままでいると、本来はストレスから身体を守るための「ストレスホルモン」(ノルアドレナリン、コルチゾールなど)の分泌が過剰となり、悪循環を起こして免疫力は低下します。 また、ストレスで腸内の環境が悪くなり腸内細胞が悪玉菌に偏ることも免疫力の低下につながるようです。免疫力が低下することで、風邪や傷などが治りにくくなったり、アレルギーが強くなったり、がんなどのさまざまな病が発症しやすくなったりします。 ■笑うことで免疫力が向上 私たちは日常、さまざまなストレスにさらされていますがストレスを感じる度合いは人によって違います。ストレスを感じやすい人は、一般的に真面目で責任感が強く、完璧主義で他人の評価を気にし過ぎるようなタイプといわれています。 真剣に仕事や勉強に取り組んでいるなど緊張状態の時は交感神経が優位に働き、リラックスしている時は副交感神経が優位になります。この両者のバランスが健康には大切です。ですから仕事などでストレスがたまっていると感じたら無理をせず、睡眠、食事、趣味や娯楽などで早めに解消した方がいいでしょう。 また、「笑顔が健康にいい」といわれますが、笑うと脳内からセロトニンという神経伝達物質が出て、これがストレスの軽減になるといわれます。 日常生活におけるもっとも強いストレスとしては、配偶者の死や離婚などが挙げられます。仏法でも愛する者と別れは「愛別離苦」といって、避けられない苦悩の一つとされています。 ■プラス思考が人生充実の鍵 しかし、ストレスといっても、悪いものばかりではありません。適度な緊張感は健康を保つために必要です。特に自分の夢を実現させるために頑張るとか、信頼する人の期待に応えようとする緊張感は、良いストレスになるようです。 また、身近な人に対する憎しみや怒りは、その相手が存在する限り続き、不必要なエネルギーを費やして疲れます。そうした場合にも、自分自身の境涯が変革され、受け取り方が変われば、相手を許せるようになることがあります。 同じストレスでも、感じ方の程度は、受ける人の心、生命力によって変わるのです。 仏法では「一心の妙用」(御書1336頁など)という“心の不思議な働き”を説いています。 マイナスのストレスをプラスに変えられる力が生命には具わっています。困難をも前進の力に変えようとするプラス思考の生き方で、ストレスとうまく付き合い、毎日をより充実させることができるのです。 とはいっても、過度なストレスを受け続けることはよくありません。大きなストレスにさらされる環境にいる場合には、ストレスを軽減できるような対処、工夫も当然、必要になります。 ■悩み、苦しみがあるから成長 自分自身を振り返れば、中学生の時、友人の誘いで創価学会に入会するまでは心身とも軟弱で、何事も消極的な子どもでした。入会間もなく創価学会の富士鼓笛隊に入り、音楽を通して人に喜びや勇気を与えることに使命感を抱くようになりました。 自分の一念が変わることで環境が変わることを学び、真剣な祈りを根本に、さまざまな困難を乗り越えていくうちに、気付けば心身ともに丈夫になっていました。 そして、社会に貢献し使命を果たせる仕事に就きたいと願い、大学の理学部で学んだ後、理系の就職難にもかかわらず、当時、国内で最先端の腎臓移植を始めた東京女子医大で「組織適合性」や「移植免疫」の研究等の仕事に就くことができました。 その後、日本でも脳死患者からの臓器提供が可能となり、心臓・肺・膵臓・肝臓の移植も増えました。職場では、国内一多い「適合検査」に加えて、「日本臓器移植ネットワーク」から依頼される、“脳死・心停止ドナー”からの多臓器移植検査にも、昼夜を問わず対応しています。 いつ仕事で呼び出されるか分からない生活は、ストレスとなるはずですが、“何があってもベストの仕事を”と祈って取り組むことで毎日が充実しています。学会活動にも積極的に励む中、研究結果を着実に積み上げていくこともできました。 仏法では「煩悩即菩提」と説きます。煩悩(貪欲・瞋恚・愚癡など)に覆われている凡夫であっても、妙法を実践することで、その生命に仏の覚りの智慧(菩提)が発揮できることをいいます。 悩みが尽きることはありませんが、悩みがあるからこそ努力し、成長できます。ストレスも同じです。さまざまなストレスを受ける環境であっても、それを自身の成長への契機と捉えて生命力を強くしていくことができます。そうした経験を繰り返しながら“何があっても大丈夫”と言える境涯を築いていくための原動力こそ、創価学会の信心であると確信します。 プロフィル やすお・みなこ 東京女子医科大学病院研究技師主任として「移植免疫」について研究。医学博士。東京・新宿区在住。1969年(昭和44年)入会。支部副婦人部長。学術部中央幹事。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2018.5.29
November 4, 2018
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心に刻む御聖訓 一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし (御義口伝、御書758頁) 「絶対に治らない病」との偏見 仏法では「抜苦与楽」の実践が説かれている。抜苦与楽とは、“苦を取り除き、楽を与えること”であり、仏の崇高な慈悲の行為を指す。 御書に、「一切衆生のさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である」(758頁、通解)と仰せのように、日蓮大聖人は苦しみにあえぐ全民衆を救うために一人立たれ、妙法を弘通された。あらゆる人々の苦悩に同苦し、力強い励ましを送るところに、日蓮仏法の魂はある。 池田先生は抜苦与楽について語っている。 「“同苦”とは、単なる“同苦”ではありません。苦しみを乗り越えるには、その人自身が生命の底力を湧き起こして、自ら強く立ち上がる以外にない」 「大聖人は、門下が仏の力を奮い起こして、断じて幸福を勝ち取るよう、厳愛をもって励まされたのです」 この指導のままに、40年以上にわたりハンセン病医療と啓発活動に取り組んできたのが長尾栄治さん(74)=香川池田正義県総合長、四国副ドクター部長=である。 ◇ ハンセン病は、らい病が体内に侵入して発病する慢性の感染症で、末梢神経や皮膚などが犯されていく。らい病の感染力は弱いが、かつては遺伝するかのように誤解されてきた。さらに、有効な治療薬がなかったために、絶対に治らない病気と恐れられた。 「多くの患者さんが差別され、忌み嫌われて、不当な苦しみを味わわされてきたハンセン病の歴史があるのです」と、長尾さんは語る。 長尾さんの入会は1962年(昭和37年)、18歳の時。先に入会していた両親は、高松市内で班長・班担当員(当時)として広布に奔走していた。班にはハンセン病の国立療養所である「大島青松園」の暮らす人々がいて、両親は激励のため、頻繁に同園に足を運んでいたという。 長尾さんも入会後、両親と共に青松園の座談会に参加。次第に、ハンセン病に関心を持つようになる。 大学の医学部を卒業後、高知や愛媛での病院勤務を経て、75年、大島青松園に赴任した。 長尾さんは当時を振り返る。 「青松園に赴任した当時は、すでに『プロミン』などの有効な治療薬が使用されていて、世界的にハンセン病は治癒可能な病となっていました。日本では、『らい予防法』が施行され、福祉の増進にも力を注ぐことが定められました。しかし、依然として患者さんたちは隔離をされた状態が続けられていました。ハンセン病の偏見が根深く浸透していたのです」 自分に何ができるのかを問う 青松園に赴任して入所者と向き合っていく中で、長尾さんはあることに気付いた。 それは、多くの人が、病状の治まった“元患者”であるということだ。 しかし、後遺症等によって視力が低下したり、手足が不自由になったりするなど、身体に障がいが残っていて、社会での自立が困難になっている人が多かった。 「入所者の多くは、“ハンセン病は感染力が強く、治らない”“血筋が悪い”とされていた頃に発症しています。治療より隔離に重点が置かれていた時代に人生の大半を過ごし、結果的に治療薬の恩恵を受けた時期も遅く、後遺症や合併症に対する十分な治療も行われなかったのです」 加えて社会には、隔離政策が広く植え付けられることになり、治療した後でも、不信と排除は続いていた。 そうした現実とどのように向き合うべきか、長尾さんは悩み続けたという。 長尾さんは語る。 「入所者の多くは、家族や親族との関係を断たれたままで、療養所の中で人生を終えていくしかないという絶望感や諦めの心に覆われていました。当初、そうした方に対して私が言えたのは、『皆さんの死に水を取らせてください』ということだけでした。 医師として『同苦』はできても、どうすることが『与楽』になるのか分からずに悩みました。ハンセン病医療取り組むことは、『自分に何ができるか』を、問い続ける戦いでもあったのです」 「精神的な束縛」を解き放つ 長尾さんは次第に、治療に必要なことは“病自体の治療を図る”だけではないとの思いを強くしていった。 本当に大切なのは、“患者が精神的な束縛から解き放たれ、心身共に社会の中で生き抜く力を取り戻すこと”であり、これこそが“抜苦与楽による病の克服なのだ”と考えるようになっていったのだ。 また、そのためには社会的な接点とつながりを模索し、ハンセン病への正しい知識を普及させるとともに、元患者自身が生きがいがある人生を確立していくことが重要だと思うようになったという。 「実際、全国の治療所の学会員の元に、壮年部や婦人部の同志が足しげく激励に通ってました。座談会も活発に行われ、その励ましに奮い立って、親族との交流に何十年ぶりかに挑戦する人も出てきました」 長尾さんは、沖縄の療養所をはじめ、タイやミャンマーなどにも赴任。特に沖縄では、地域医療にも参加し、入所者の外部病院への受診を可能にしたり、療養所を一般医療に開放したりするなど、入所者と一緒に地域との交流を促進しながら、啓発活動や入所者の社会復帰に取り組んできた。 この間、日本では96年に、「らい予防法」等が廃止され、隔離政策などがようやく改めてられた。その後、98年7月には、元患者らが「国のハンセン病政策は、基本的人権を侵害するもの」として、国家賠償を求めて、熊本地裁に提訴。2001年5月、地裁は国に対して賠償を命じ、原告側の勝訴となった。さらに政府が控訴を断念し、翌月からハンセン病の療養所入所者等への補償法が公布された。 長尾さんは、こうしたハンセン病患者の戦いにも関わってきた。その中で、仏法の「生命尊厳」「万人尊敬」の精神に照らして、あらためて感じたことがある。 それは、どんな状況にあっても、「人間として生きる希望を失ってはいけない」ということであり、「よりよく生きるためには、人生の苦難と戦わなければいけない」という点である。 日蓮仏法では、人間はあらゆる苦悩を乗り越える力が本来、具わっていると説く。だからこそ長尾さんは、「一番苦しんだ人が、必ず幸せになる」との信念で、医師として患者の生きる力を引き出すために励ましを送り続けてきた。 長尾さんは語る。 「かつて池田先生はドクター部に対して、医療の技術だけをもつ『病気の医師』でなく、人間の生命を最も輝かせる生き方を示す『人間の医師』であってほしいと語られました。『人間の医師』とは、相手に同苦するとともに、希望を送り、生きる力を引き出す医師だと思います。この『人間の医師』こそ『抜苦与楽』の実践者だと肝に銘じ、さらに成長していきます!」 【生老病死を見つめて】聖教新聞2018.5.15
October 10, 2018
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お茶栽培 天野 茂 無農薬でのお茶作りに取り組んで40年————。わが家の仕事の舞台は、熊本県水俣市の標高500メートルを超える高原地域に広がる6ヘクタールの茶畑です。父の代からこの地で土とともに生きてきた私にとって、公害や環境問題は決して避けることできないテーマでした。 「自分に何ができるのか」と思い悩んでいた私にとって希望の光となったのは池田先生の指導です。 水俣が社会から大きく注目されていた当時の1974年(昭和49年)1月、私は鹿児島の九州総合研究所(当時)での「水俣友集い」に参加しました。そこで初めて池田先生にお会いし「皆さんが、水俣の変革の原動力となって、年ごとに、郷土の蘇生の歴史を刻んでいっていただきたい」と師の励ましが自らの指針になりました。 水俣市は、水俣病事件の教訓を生かし、住民一人一人が自分たちを取り巻く環境を強く意識して、その保全への取り組みを行ってきた結果、10年前、全国の「環境モデル都市」の一つに認定されました。 このように生まれ変わった水俣ですが、私自身、公害の象徴の地であった水俣で農業を営む中、安心・安全な農産物の生産が不可欠になることを強く意識してきました。それまでも茶葉を生産してきましたが、こうしたことを背景に無農薬での栽培を始めたのです。 無農薬栽培が社会から注目 といっても、無農薬栽培の知識が最初からあったわけではありません。 無農薬栽培について書かれた学術書、専門書を次から次に読んでいきました。有機栽培を手掛けている農家があると聞けば、県外にも視察に出掛けました。 単に農薬をなくすだけでなく、土そのものを変えようと、健康な土づくりから始めました。肥料も、刈り取った雑草や自家製の発酵堆肥を使用。できるだけ自然に近い環境で育てることを心掛けてきました。 ところが無農薬栽培に切り替えると、茶葉の見栄えが劣るため、高い評価を得ることができませんでした。 苦しい経営状態が続きましたが、それでも私は信念を曲げず、土作りに徹しました。 そんな時、無農薬のお茶が欲しいという連絡が入ったのです。この日を境に、完全無農薬のお茶は口コミで広がり、東京や大阪からも視察に訪れるようになり、県内の販売所や通信販売で飛ぶように売れ始めたのです。 お茶のおいしさは、茶葉の品質とともに、蒸し方などの加工技術によって大きく変わります。毎年、微妙に異なる茶葉の品質を、正確に把握することが欠かせません。気象の変化に左右されないように、良質の茶葉を栽培し続けることも求められるのです。 日蓮大聖人は「天晴れぬれば地明らかなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書254頁)と仰せです。 天が晴れるならば、地はおのずから明らかとなる。同様に、法華経を知る者は世間の法をも、おのずから得るであろう、との意味です。 振り返ると、信心根本の姿勢が、仕事で結果を出すための勇気や智慧として発揮されたのだと思います。また、祈りを根本に仕事に取り組むことで、直面する課題を冷静に見据えて対処することができたと確信します。 付加価値を生み出す挑戦 茶摘みは、私たちの農園では年2回、行っています。摘んだ順に、一番茶、二番茶と呼びますが、一般的にも品質がいいのは、新茶と呼ばれる一番茶です。 一番茶より価値の落ちる二番茶ですが、これに付加価値をつけることができないものか。長年、このことを考えてきました。そんな時、雑誌で紅茶の生産方法を知りました。 茶を「製茶」の仕方で大きく分けると、発酵していない緑茶、半発酵のウーロン茶、発酵茶である紅茶、この3種類になります。原料となる茶葉は同じです。 調べていくと、一番茶、二番茶、それぞれに特徴があり、特に二番茶が発酵しやすく、紅茶に向いていることが分かりました。そして、本を参考に、見よう見まねで紅茶を作ってみました。 味は癖がなく、渋みも少なく、家族や知人の評価も上々でした。そこで、茶葉を発酵させる機械を導入し、本格的に紅茶作りを始めたのです。 新たに生産に取り組んだ茶葉を「天の紅茶」と名付けました。これには、高原で作る“天からの授かり物”と、私の名字の「天野」の意味が込められています。 7年前には大手老舗和菓子店が、私たちの生産する「天の紅茶」を使用した“紅茶羊羹”を全国で発売。予定を上回る注文が入りました。 今では紅茶は、緑茶と同量の約3トンを生産するまでに。紅茶の生産量は、個人として“日本一”を誇ります。 地域おこしの中心者として 郷土の蘇生の歴史を開きたい————。そう願ってきた私は、紅茶を生産し始める以前の1989年(平成元年)に地域の方々と協力して「村おこし運動」を開始。推進委員長として、大自然と親しむ催しを企画し、十数戸からなる集落に年間延べ2000人を超す人々が足を運んだ時もあります。 住民の皆さまのさまざまな努力が実を結び、国土庁(当時)などが共催する「農村アメニティ・コンクール」で、全国の最優秀賞に輝いたこともありました。このコンクールは、それぞれの農山漁村が住民の努力によって、どれだけ美しく住みやすい地域になっているかを競う催しです。 私たちの製茶園には、お客さまにその場でお茶を楽しんでもらうことのできる囲炉裏小屋を設けています。 小屋は、初めは知人がお茶を飲みにくる場所でしたが、地域を訪れる人たちが年々、増えるようになり、今では全国や海外からの視察や研究生で、いつもにぎわう交流の場となっています。 大聖人は「心清ければ土も清し」(同384頁)と、人々が自らの生命を変革することで地域を浄土(仏が住む清浄な国土)へと転換できることを教えられています。私たちの取り組みが郷土の発展へとつながるほど、うれしいことはありません。 人々にくつろぎや安らぎを与えるお茶作り、“人と人との絆”を広げる地域おこしに、ますます励んでいく決意です。 【プロフィル】あまの・しげる 熊本県水俣市内の高原にある石飛地域で、家族でお茶を栽培。「村おこし運動」の中心者としても尽力してきた。65歳。1959年(昭和34年)入会。副支部長。農漁光部員。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2018.4.24
August 24, 2018
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医師 神田 博司日本は長寿大国といわれて久しく、現在100歳を超える高齢者は、6万7000人を突破しました。しかしながら、介護などの人の助けを必要としないで暮らすことのできる健康寿命と、平均寿命との間には、男性が約9年、女性で約13年の開きがあります。この約10年の差を生み出している主要な原因が、生活習慣病(糖尿病、高血圧、脂質異常症)です。その対策として、国はメタボリック症候群の概念を提起し、2008年から内臓脂肪の減量に重点を置いた「特定健診・特定保健指導」がスタートしました。私も一般内科診療の傍ら、当初からこの特定健診に携わってきましたが、現代人は健康への関心が高い割に、健診受診率は、国の目標である70%には、ほど遠いのが現状です。その代わりに健康食品やサプリメントに意識が向いていると感じる今日このごろです。■体調を崩す例もある健康食品特に通販などでは、初回に限り、お試し価格として割安に購入できることも多く、気軽に買い求めてしまうことがしばしばあります。先日も、ある雑誌に「間違いだらけの健康常識」という特集記事が組まれ、根拠があやふやな健康食品や情報が世の中に氾濫していることに対して、警鐘が鳴らされていました。それによると、今や5600万人が利用する健康食品・サプリメントの国内市場規模は約1兆5600億円にもなりますが、注目すべきデータとして、近年、健康食品で体調を崩すなどした危険情報の件数が急増していることが示されました。サプリメントは成分が濃縮されており、毎日飲み続けることで過剰摂取になりやすく、肝機能障害を引き起こしたり、最悪の場合、死に至るケースも稀ではありません。これに対して、厚生労働省も今年の通常国会に、食品衛生法の改正法案を提出し、監視を強化していく方針となりました。私自身、週1回程度、ビタミン剤のドリンクを飲むこともありますが、毎日飲み続けることは絶対にありません。常日頃から患者さんに対しては、「健康食品だけで健康は買えない」ことを訴え、栄養(食事)・運動・休養(睡眠)のバランスこそ根本であり、さらには禁煙が大切なことも指導しています。■前向きな心や生きがいが大切また多くの長寿研究では、生きがいをもって前向きに生きることも、長寿の大きな要因の一つと考えられています。何に生きがいを見いだすかは、人それぞれですが、池田先生は「人のために戦い続ける一念————それが真の『健康』だと私は思う。ただ“健康食品”を食べ、自分のことだけを考えて、安楽な暮らしを思う————それが健康だと思わない。(中略)『戦う生命』それが『健康な生命』です」(『池田大作全集』第31巻「法華経の智慧」)と述べています。地域で職場で人々に貢献しようと努めていくこと、また他者への思いやりをもってボランティアなど“奉仕の行動”に励んでいくことは、心の充実や生きがいにつながり、健康・長寿の大きな要因になると考えられます。日蓮大聖人が「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(御書1598頁)と示されているように、それは自身のプラスにもなるのです。欧米社会では、裕福な人が貧しい人に寄付や奉仕活動をすることが根付いていますが、ともすると傲慢や偽善になりがちです。自分のためにもなっていることを自覚することで、謙虚さや感謝の心が生まれていきます。■「楽観主義」で病に立ち向かう昔から「病は気から」といわれますが、病気は気持ちが落ち込んでいたり、緊張感が解けた時になりやすいのです。また、いろいろな心配事が精神的ストレスを引き起こし、血圧を上げたり、胃潰瘍の原因になったりします。一方、歯痛や腹痛があるとイライラするなど、体の不調から心の変化を来たしやすいものです。このように、肉体と精神は密接につながっており、これを仏法では「色心不二」と説きます。このため、精神的な側面から肉体の病気を治すことも、ある程度は可能になってくるわけです。「認知症の老人に対して音楽療法が症状の改善につながったと」という話も、しばしば耳にします。また以前、テレビの心理療法の特集で「寄席を見た直後の人の免疫能を調べると、その機能が高まっていた」というデータが発表されていました。笑うことや希望を持つことが、心理面のみならず、肉体面でも非常に良い効果をもたらすことは間違いないでしょう。病気になった場合も、「必ず乗り越えてみせる」という強い気持ちで、診断・治療を積極的に受けていくことが大切です。健康は、幸福の大事な要素です。しかし、病気だから即、不幸かというと、必ずしもそうではありません。いやな事が起こらない平穏な人生を一般的に幸福と考えますが、現実社会を生きていく上で、何も問題が起きないことはあり得ません。いくらお金があっても、病気などで悩んだり、震災など突然の災害に見舞われることもあります。たとえ何に直面しても、たくましく乗り越えていける境涯こそ、本当の幸せではないでしょうか。このことは言葉を変えれば、「楽観主義」ということにも通じると思います。楽観主義とは、「なるようになれ」という投げやりな態度ではなく、「明日には明日の風が吹くさ」という諦めの生き方でもありません。そういう生き方は、とかく現実逃避になりがちですが、真の「楽観主義」とは、主体的・能動的に現実の問題に立ち向かいながら、過去にとらわれずに未来を切り開いていく、明るく力強い生き方です。簡単なことではないかもしれませんが、病気に対しても楽観主義で立ち向かう中にこそ、「健康な生命」があり、確かな幸福の道があると信じます。私自身、関わる方々の健康と幸福のために、ますます力を尽くしてまいります。プロフィル かんだ・ひろし 都内のクリニックで、一般内科、健診、禁煙外来を担当。日本消化器病学会専門医。日本医師会認定健康スポーツ医。59歳。1959年(昭和34年)入会。副本部長。神奈川総合ドクター部長。【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2018.2.27
July 3, 2018
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在宅医 松崎 泰憲 「本当は、最期は住み慣れたわが家の畳の上で、見守ってくれる家族みんなに『おかげでいい人生だった。ありがとう!』って告げて静かに逝きたい」「寝たきりだと家族に迷惑をかけるから、やっぱり最後は病院か施設で迎えないとね」入院患者さんのつぶやきです。厚生労働省によれば高齢者の7割が「自宅で最期を迎えたい」と希望するものの、実際に自宅でなくなる人は全体のわずか1割です。病院で人生の最期を迎えている方は、実に8割にも及びます。近年、重度の障害や慢性疾患を持つ高齢者、また緩和ケアを必要とする患者さんが急増しています。このようなニーズに応えるために、「外来」「入院」に次ぐ第三の医療として「在宅医療」が急速に推し進められています。高齢化が進行する中、住み慣れた地域で安心して最期を迎えるための「地域包括ケアシステム」と、それを支える「在宅医療」の重要性が高まっているのです。「地域包括ケアシステム」とは、高齢者が住み慣れた地域で、必要なケア(介護、医療、予防、住まい、生活支援)をすべて受けながら、安心して生活を続けていけるようにする仕組みのことです。「在宅医療」は従来の往診とは違って、医師や看護師、理学療法士などの医療従事者が、患者さんの住まいをテーマにして行う医療活動のことです。この在宅医療の一番のメリットは、住み慣れた環境で病院と同じ治療を受けることができ、その人らしい普段の生活を送ることが可能な点です。病院で生活するよりも精神的にも安定するため、入院中は不眠だった患者さんも在宅医療を始めると、よく眠れるようになったり、食欲が増したりするなど、治療にもよい効果が期待できるのです。いわば自宅は最高の“個室”なのです。 ありのままの自分を認めるもともと胸部外科の医師として肺がんの手術を専門にしていた私が、在宅医療へ転向したのには理由があります。それは自身のつらい病の体験があったからです。12年前のある日、五体にみなぎっていた意欲と集中力が突然、途切れました。動悸や不安、不眠が強くなり、あれよという間に、燃え尽き症候群(うつ病)に陥ってしまったのです。長くつらい“トンネル”を経験しました。そうした時、ドクター部の先輩が「ありのままの自分を認めてあげましょう。病気の状況は刻々と変化する生命の一局面です。変化している以上、必ず良くしていくことができます」と、心に染み入るように語ってくれました。焦る私にとって、この言葉が希望の光となり、回復のきっかけとなりました。病から回復し、こうした経験を機に飛び込んだのが、患者さんの枕元で心を通わせながら治療、ケアに当たる在宅医療の分野でした。 生死の苦悩こそ人生の根本問題75歳のKさんは、膵臓がんの終末期にありました。「腹水」による身の置き所のない苦痛、そして迫りくる死への不安から、介護する奥さまや訪問看護師に対して怒ったり、叫んだりしていました。私に対しても「どうせ俺は、もうじき死ぬんだよね。先生、注射で早く楽にしてくれ」と訴えました。私は鎮痛のための麻薬を貼り、枕元へ顔を近づけながら、不安そうな瞳をじっと見つめ、「つらいですね。本当に……」と、膨らんでいた腹部をさすりながら、ゆっくりと語りかけました。「実は医者である私も、病気で死にたいと思った経験があります。だから、今のつらいお気持ちが、よーく分かります。つらいことを全部、話してくださいね」と、Kさんのことを思いやる心をこめて手をぎゅっと握りました。その瞬間、Kさんは目を合わせて、少しだけ表情を緩ませ、手を握り返してくださいました。その夜、家族に見守られながら静かに息を引き取りました。私たちが駆け付ける間際に、つらく当たっていた奥さまへ一言、「ありがとう。お前と一緒で楽しかったよ」と言って旅立たれたとのことでした。この一言で報われたと、奥さまが涙ながらに話してくれました。私はKさんの手を再び握り、奥さまを心からなぎらいました。臨終の場が、悲しみから和らいだ雰囲気に包まれていくのを感じました。日蓮大聖人は「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(御書1404頁)と仰せです。死の問題こそ、何より優先して直視しなければならない人生の根本問題であるとの意味です。臨終には、生と死後をつなぐ時という大きな意義があるからです。仏法は“永遠の生命”を教えています。このことを踏まえて池田先生は、「『生』も楽しく、『死』もまた楽しい——これこそ仏法で説く生死不二の常楽の境涯である。何ものも恐れる必要はないし、死を不安に思う理由もない」と述べられ、こうした仏教の教えにこそ「生死」に迷う現代世界を照らす“光源”があると示されています。多くの臨終に出合うなかで、仏法で説く“三世の生命観”や“生命尊厳の哲学”が、ケアする側、される側の双方にとって確固たる支えになることを痛感します。 充実した一生を全うできるよう医師が患者さんから奪っていけないものは、命であり、もう一つは希望だと思います。高齢化が進む今こそ、「死」をどう捉え、どう向き合っていくかという課題に対し、仏法の説く希望の哲理が輝きを増しています。私自身、臨終の近い方が“詩を待つ”のではなく、“生を全うする”充実した時間を過ごせるように、思いやりの声を掛けながら心を尽くして寄り添うように努めています。知識と知恵と経験に裏付けられた強い寄り添いの気持ちを胸に、目の前のお一人が、住み慣れた地域で「いい人生だった」と最期まで健やかに暮らせるように、ますます力を尽くしてまいります。 【プロフィル】まつざき・やすのり 胸部外科医。医学博士。宮崎大学医学部准教授等を歴任。ケアマネジャーの資格を取得し体験を交えたセミナーが好評。1975年(昭和50年)入会。副本部長兼地区部長。宮崎総県ドクター部書記長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2017.12.12
March 15, 2018
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食品加工事業者代表 尾山 叔子 私は毎朝午前3時半に起きて、「ひびきの工房」の皆さんの健康、無事故を真剣に祈ります。「ひびきの工房」は、「JA埼玉ひびきの」女性部の有志による食品加工事業。午前5時には平均年齢69歳の仲間が加工“工房”に集合し、お弁当作りが始まります。午前11時に仕事が終わった後も、お茶を飲むなど、楽しい語らいが続きます。皆さんから、たくさんのことを学べるので、日々、感謝は尽きません。私と同女性部との出合は、家族で地元、埼玉・上里町のイベントに参加した時です。女性部の皆さんが、地元の野菜がいっぱい入った豚汁や、手作りの田舎まんじゅうを、生き生きと笑顔で振る舞う様子に、私も仲間に入りたいと思いました。そして16年前、友人の誘いで女性部に入ったのです。私は上里町の農家の4女として生まれました。父は農業に誇りを持って、日々、まじめに働き、いつも地域の役員を引き受けて忙しくしていました。そんな父の背中を見て育った私が、JA女性部で活動することになりました。その中で一番大きな節目となったのは、「ひびきの工房」を立ち上げたことです。一番大きな節目となったのは、「ひびきの工房」を立ち上げたことです。“食品加工事業を、ぜひやってみたい”という女性部の方々の声を聞き、JAの了解を得て、“工房”としてのお弁当作りがスタートしました。2年間の試作や改良を重ね、味や見た目、値段を決めながら、2007年(平成19年)3月、正式に「ひびきの工房」の運営が始まりました。“工房”の皆で出資金を出し合い、まずは3年間、事業を続けようと互いに決意しました。 「地産地消」を心掛ける私たちの作るお弁当は「地産地消」(地元で生産したものを地元で消費する)を心掛けています。看板メニューの一つは、太巻きずしです。コメは、減農薬・減化学肥料特別栽培米である地元の「かんな清流米キヌヒカリ」を使用。太巻きは、この酢飯で新鮮な農産物を巻き込んだものです。どっしりとした卵焼きやゴボウ、ニンジンが入っていて、通常のものより大きいのが、うちらしさです。ひな祭りや運動会などの行事には、太巻きが出るのが、地域の昔ながらの習わしです。年配のお客さまは、幼い頃の記憶を重ねるように、「この太巻きを食べると懐かしい気がしますね。おばあちゃんの味がします」と喜んでくれます。看板メニューのもう一つは、地粉100%のゆでたてうどんです。「JA埼玉ひびきの」管内にある上里町は、国産小麦の主力品種である「さとのそら」の有数の生産地です。この地元産小麦で作っているのが、ゆでたてうどんです。地粉を使っているので、真っ白な麺ではありませんが、小麦の香りがほんのりする素朴な味が親しまれています。こうしたお弁当を、管内の四つの直売所に、毎日、140食から160食、配達しています。“工房”は、オリジナル弁当の注文にも対応しています。直売所の売り出し日や地域の行事のたびに、「お弁当をお願いできますか」と注文を頂けることも、うれしいことの一つです。 自分が変われば周囲も変わるの“工房”を発足して2年後の09年、その取り組みがJAの雑誌「家の光」10月号に掲載されました。さらに11年2月には、JAグループの出版・文化団体主催による全国大会で、埼玉県代表として発表を行い、「会長賞」を頂くことができました。“工房”の取り組みは、いうなれば「6次産業化」の試みもあります。作物の生産から加工、流通、販売までを、生産者が一手に担う6次産業化の動きは、今、全国各地で見られます。6次産業の「6次」には、1次(生産)、2次(加工)、3次(販売)を全てひっくるめた意味があります。6次産業化には、例えば加工した農作物をいち早く、消費者のもとに届けられるという利点があります。従来は、1次、2次、3次と、いくつもの事業者の手を介して農産品が消費者のもとに届いていました。それが、一つの事業者によって、消費者のもとに素早く届くようになるのです。農産品を、より新鮮な状態で届けることのできるこうした動きは、地域にとって活性化のきっかけともなります。お弁当を直売所に配達に行くと、売り場で「お弁当を楽しみに待ってました」と声を掛けてくださる常連客もいらっしゃいます。こうした方々に支えていただきながら、“工房”の経営を続けてくることができました。日蓮大聖人は「心という一法から国土世間も出てくるのである」(御書563頁、通解)と、強い信心の一念が環境を変えていくことを教えられています。今いる場所、地域を、どう、より良くしていくことができるか。それは紛れもなく、そこに生きる人の心、一念が出発点です。自分が変わることで周囲も変え、地域をより良くしていくことができる————このことを仏法は教えています。 今いる場所を照らす“灯台”に“工房”のスタートに当たっては、もちろん不安も迷いもありました。しかし、地域の発展と人々の幸せを真剣に祈りながら、“絶対に引かない”と一念を定めて、“工房”の運営を続けてきました。私が心に刻む御金言に「月月日日につより給え・すこしもたよむ心あらば魔たよりをうべし」(同1190頁)とあります。仏法は、仏道修行を妨げようとする「魔」と、どこまでも戦い抜く信心の姿勢を教えています。仏法は、この魔を見破り、乗り越えていく中に、自他共の幸福の拡大があることを示しています。自他共の幸せを願って、信心を根本に、常に前へ前へと進みゆく生き方こそ、信仰者の姿です。「地域の灯台たれ」との農漁光部の指針を胸に、地域の発展を願ってますます仕事に励んでいく決意です。 【プロフィル】おやま・よしこ 「JA埼玉ひびきの」の女性部長を務める。と同時に、同女性部の有志による食品加工事業「ひびきの工房」を運営。埼玉・上里町在住。1965年(昭和40年)入会。婦人部副本部長。農漁光部員。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2017.10.24
January 15, 2018
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帝塚山大学 現代生活部教授 稲熊 隆博 年齢を重ねると、とりわけ気に掛かるのが健康です。「健康のために野菜を摂取しなければ……」と多くの人は考えます。ここでは、野菜のとり方を含め、野菜の健康への寄与について述べたいと思います。日本は男女の平均寿命が80歳を超え、65歳以上の人口が25%以上を占める、超高齢社会になっています。高齢者の元気が、社会の元気につながるといっても過言ではありません。ただし、統計上、男性は亡くなるまでの9年、女性では約12年、誰かの手助けを必要とします。尊い人生を全うするために、生きて、生き抜くことが大切です。健康・長寿のために自ら努力していく必要があるでしょう。 「抗酸化力」が病気や老化を防ぐ厚生労働省が策定した、国民の健康づくりの指標となる「健康日本21」では、野菜を1日350グラム以上(うち、緑黄色野菜を120グラム以上)摂取することを目標に掲げています。ただ、これまで達成したことがありません。では、なぜ野菜を取らないといけないのでしょうか。ご存知のように、野菜はビタミンやミネラル、植物繊維など、健康・長寿に有益な成分を含んでいます。英語で野菜を「ベジタブル」といいますが、“ベジタ”には「人を元気にする」という意味があります。また、日本人の摂取品目で、ビタミンやミネラル、食物繊維の供給源といえば、野菜です。私たちが健康であり続け、長生きを望むなら、野菜を“摂取した方がいい”のではなく、“摂取しなければならない”のです。さらに最近の研究で、野菜の色が健康・長寿に寄与していることが分かってきました。野菜の色とは、トマトの赤色(リコピン)やニンジンの橙色(β-カロテン)、赤ピーマン(カプサンチン)などのことです。人は、1日500リットルの酸素を体内で消化しますが、そのうち2%程度が活性酸素に変わります。活性酸素は、“いたずら酸素”と呼ばれ、内臓や遺伝子を傷つけることから、老化やさまざまな病気に関係しています。健康・長寿のためには、この活性酸素を消去することが重要です。活性酸素を消去する力のことを「抗酸化力」といいますが、野菜の色には、その力が高いのです。例えば、抗酸化力持つ代表的なビタミンとして、ビタミンEがあります。同じ分量で比較をした場合、トマトのリコピンはビタミンの100倍以上、ニンジンのβ―カロテンや赤ピーマンのカプサンチンで80倍くらいの力があります。高齢者の方は、健康・長寿のために、「もっと野菜を」取っていただければと思います。 “野菜嫌い”の少年少女のために野菜の取り方といえば、生野菜のサラダが主流です。みずみずしいシャキシャキとした食感は、それだけで元気にする気がします。ただ、野菜から栄養素をどれだけ摂取できるか。この観点からすると、果たして生が最もいいのでしょうか。野菜を含め植物の細胞壁は、セルロースでできています。だから、硬くて頑丈です。ところが、人間は、セルロースを分解する酵素を持っていませんし、最近は十分にかまなくなっています。結局、生では野菜の細胞を壊しにくいのです。ということは、野菜から栄養素を取るには細胞を壊さなくてはなりません。それが調理です。ちなみに、フランス人に野菜の食感を聞くと、“ドロドロ”という答えが返ってくるそうです。代表料理として、野菜をじっくり煮込んだデミグラスソースがあります。フランスでは野菜を調理して取っているのです。例えば、ニンジンを調理する場合、抗酸化作用のあるある色の吸収が、すりつぶすだけで生より3培、ジュースでは7培になることが報告されています。栄養素の吸収について見ると、野菜は生よりも調理した方が良いようです。年配の方だけでなく、未来を担う子どもたちにも知ってほしいことがあります。それは、今のうちから「もっと野菜を、きちんと野菜を」取ってほしいということです。しかし野菜嫌いの子どもたちがいることも事実です。この現状を変えるために、私は野菜の研究をしてきました。私の研究の目的は、「野菜嫌いの子どもたちをなくす」「子どもたちに野菜をおいしく取ってもらう」ことです。25年前、子どもでもおいしく飲めるニンジンジュースを作りました。研究に3年もかかりましたが、商品として世に出すことができました。これにはエピソードがあります。初めて作った試作品を哺乳瓶に入れて、まだ赤ん坊の息子に飲ませました。そうすると、ゴクゴクと飲んでいるではありませんか。絶対に子どもたちは、開発したニンジンジュースを飲んでくれると確信しました。商品を開発するやいなや、驚くほどの勢いで売れました。その後、ピーマンのジュールやタマネギの加工など、いろいろな野菜の研究を続け、今に至っています。最近では奈良県特産の「大和野菜」を使ったサイダーを商品化しました。 食物の「価値」をさらに引き出す日蓮大聖人のもとに御供養の白米が届いた際、その返礼のお手紙に大聖人は「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(御書1597頁)とつづられました。あなたの心が込められた、この白米は単なる白米ではありません。あなたの一番大切な命そのものであると受け止めています、との意味です。私たちの命を支えてくれるもの、それが野菜をはじめとする「食」です。食には尊い意義があります。そして、その「価値」をさらに引き出していくのが、私たち研究者の務めです。例えば、野菜の栄養素をより摂取できるように、取り方を見直すことも必要になります。また、それが野菜の新しいおいしさを見つけ出すことにつながるかもしれません。全ての方が、野菜を上手に取りながら健康・長寿であってほしいというのが、私の願いです。そのための研究にますます力を注いでいく決意です。 【ポロフィル】いなくま・たかひろ 大手食品メーカーの研究所に勤務の後、現在の帝塚山大学現代生活学部教授に。一貫して野菜の研究に取り組んできた。農学博士。65歳。1959年(昭和34年)入会。奈良・富雄創価圏副圏長。奈良総県副学術部長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2017.8.29
October 27, 2017
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薬剤師 宮崎 信一 同じ薬なのに服用しても、薬が効く人、効かない人がいるのは、なぜなのが。35年以上も前、このようなことを考えて大学の薬学部に通っていたことを思い出します。薬は内服薬であれば、一般的には体への吸収、分布、代謝、排泄などが密接に関わって、期待した効果が表れてきます。しかし、薬の吸収の速さや代謝能力の違いなどによって、個人差が生じる場合があります。薬がどの程度の効果を表すかを正確に測るのは難しいこととされています。私が大学を卒業し、院外処方せん調剤の仕事についた頃、ある胃潰瘍の薬(H2ブロッカー)が話題になっていました。この薬が使用されるようになると、世界の胃潰瘍の手術がほぼ半減したといわれました。現在では胃痛などの症状改善でさらに効果のある薬が、薬局やドラッグストア等で市販されるまでになっています。薬は古来からあります。法華経では、妙法そのものが、あらゆる人の生命を浄化させる「大良薬」と呼ばれています。また、法華経には「薬王菩薩」が登場すます。人々の重病を癒し、苦悩を取り除く働きをする菩薩です。 服用を正しく理解大部分の内服薬は、服用すると主に腸(小腸)などの消化管で吸収されます。その後、肝臓で一部が代謝を受け、残りが血液中に入って全身へと回っていきます。そして、炎症が起きている等の目的部位で薬効を発揮します。血液中で溶けている薬の濃度(量)を「血中濃度」と呼びます。薬は血液中に適正な量が存在することで、期待させる効果が出てきます。もし適正な濃度より低ければ、効果は期待できず、また適正量を超える濃度になれば、身体に悪影響を及ぼしてしまうこともあります。1日3回服用する薬や1日1回服用する薬がありますが、これは適正な血中濃度を維持し期待した効果を出すために必要な服用回数です。また加齢とともに、肝臓での薬の代謝機能や腎臓での排泄機能が低下することもあり、高齢者のおいては服用する薬のように、一層、注意する必要があります。薬を服用する上で大切なことは、自身が服用している薬について正しく理解することです。 “飲み合わせ”にも注意を払う薬局等で薬に関わるアンケート調査を患者さんに行うことがあります。調査結果として一番多い回答が“副作用について知りたい”です。病気の治療、症状の軽減など、本来期待される薬の作用を主作用といい、眠くなるなど、好まざる不都合な作用を副作用といいます。副作用の症状は、眠気、発疹、下痢、便秘、かゆみ、胃痛などさまざまです。その原因として、一般的に次の4点が主に考えられます。一つ目として「薬の性質や動き」によるものです。多くの薬は、一つの作用だけでなく複数の作用を持ち合わせています。そのために治療の主目的以外の効果が出てしまう場合があります。二つ目は「薬の使い方」によるものです。薬には服用のタイミングや一回に使用する適正量があります。早く治りたいと思って余計に服用すると、薬が効きすぎて副作用が出たりするので要注意です。三つ目は「体質」や「体調」に関わるものです。体質にアレルギーがあることで、免疫反応による副作用が出ることがあります。また、体調がすぐれず肝臓や腎臓の機能が低下している場合は、薬の影響を受けやすくなります。四つ目は「薬の飲み合わせ等による相互作用」に関わることです。例えば、複数の医療機関を受診して多くの薬を渡されることがあります。その際、薬の飲み合わせのチェックができればよいのですが、チェックがかからないと、薬の相互作用によって有害事象が生じることがあります。使用・服用中の薬、市販薬、サプリメント等は、医師や薬剤師に伝え、「お薬手帳」などを活用しながら複数の医療関係者と共に薬の管理をしていけば安心です。 安心や希望が薬効を高める薬には「プラシーボ効果」が働くことが知られています。「プラシーボ」とは「偽薬」(全く効果のない薬)のことで、デンプンでも“これは効く薬である”と信じて服用すれば薬のように効果が発現する場合があります。これが、プラシーボ効果です。池田先生は言われています。「『プラシーボ』という言葉は、たしか『喜ばせる』という意味のラテン語に由来しています。その意味では、病気の人を喜ばせる『励まし』こそ万病の薬ではないでしょうか。温かい励ましは、安心と勇気をあたえ、希望と自信をあたえます。安心や希望は生命力を引き出します」(『池田大作全集』第66巻、「健康の智慧」)喜びや安心感、希望が、その人の生命力を強くし薬の効果を高めていくと思います。以前、病気と闘う患者さんが「人のためにもっと役立ちたい。そのためにもっと元気になりたい」と願い始めるようになると、病状が改善したという話を聞きました。他者の幸福を願う生き方を始めた時に生命力がいやまして発揮される事例ではないかと思います。内面から生命力を引き出す源泉、それが成仏の根源の法である妙法です。日蓮大聖人は「南妙法蓮華経師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124頁)と仰せです。妙法を根本にすれば、乗り越えられない病苦などないことを教えられています。薬には、病気を平癒させる力があります。ただ、その力をどこまで引き出せるかは、突き詰めれば、その人の「一念」「心」によります。例えば、病苦を乗り越えようとする強い意志や、病気に打ち勝って他者のために役立とうとする意欲……。生命力を豊かにする“生き方や価値観”が、薬の効果がより高めるのです。薬を上手に用いながら、自他共の幸福のために人生を若々しく生き抜いて生きたいものです。 (プロフィル)みやざき・しんいち 調剤薬局を事業展開する会社に勤務。55歳。1974年(昭和49年)入会。埼玉・越谷栄光圏副書記長(支部長兼任)。ドクター部薬学部会委員長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2017.7.15
September 10, 2017
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助産師・看護師 中村 康子 生命誕生————分娩室に赤ちゃんの元気な産声が響く瞬間、それまで陣痛に耐えてきたお母さんの顔は一転、安堵と喜び、達成感で最高に美しく輝きます。赤ちゃんの誕生は、同時に一人の“新しいお母さん”が力強く誕生した瞬間でもあり、子育ての始まり、家族の新たな出発でもあります。胎児は10ヵ月間で何十億年の進化の歴史をたどるように成長を遂げるといわれます。いよいよ出産となると、規則的な陣痛の波に導かれ、赤ちゃんは産道を通りやすくするために、自ら回旋しながら出口を目指します。もちろん、誰に教えられたわけではありません。この生命の神秘に触れた時、私は「赤ちゃんは、このお母さん、この時、この場所を選んで、必死で生まれてこようとしている」と思えてなりませんでした。この厳粛な感動に魅せられ、助産師となって約30年。たくさんの出会いの中、ご家族と喜びを分かち合える最高のお産になるよう、真剣に唱題して臨んできました。現在、行政と連携しながら、育児支援に携わっていますが、超少子高齢化社会の今、想像以上に子育てが困難な時代を迎えていると実感します。 育児の不安を和らげる関わり先日、訪問してお会いしたお母さんは、赤ちゃんの成長が不安で、ノートに20項目くらいの質問を書いて、持ってくださっていました。緊張でいっぱいのお母さんの肩や腕をマッサージしながら、心配な気持ちを受け止め、赤ちゃんの元気な様子を一緒に一つ一つ確認していくと、徐々に表情が和らぎました。母子手帳を見て、「〇〇時間かけて出産されたんですね。本当に頑張りましたね」とねぎらうと、「そうなんです。でも育児の大変さに、すっかり忘れていました」と、初めてわが子と対面した時の感激を思い起こして涙を流された後、自信を取り戻したように笑顔を見せてくれました。ひと昔前、紙おむつも、ネット通販や便利な家電もない時代に、何人も育てていた頃の先輩からすると「今のお母さんたちは楽になっているだろうに」と思えるかもしれません。しかし、昔と違い今では、ほとんどのお母さんが、生まれたての赤ちゃんを見た経験もないまま経験もないまま、初めての育児をスタートするのです。核家族化が進み、共働き、高齢出産など、社会背景は、かつてと大きく変わり、介護とのダブルケアの問題も多くなっています。インターネット上に、育児に関する情報はあふれていますが、どれを信じ選択していいか分からず、まるで情報の海で溺れそうになっているように感じます。行政でも、さまざまな取り組みがされていますが、産後うつ、虐待は増えており、母親だけでなく最近では父親の「イクメンブルー」も問題になっています。私は育児サポートを行っていますが、お母さん(お父さん)の話に耳を傾けること、その頑張りをねぎらうことを心掛け、“ゆっくり、自分らしく、親になることを楽しみましょう”と、お伝えしています。池田先生が作詞された「母」の曲にこうあります。「〽母よ あなたは/なんと不思議な 豊かな力を/もっているのか……」どんな時代にあっても、生命を守り育む母には困難に負けない豊かな力があることを確信し、自分自身も成長し続けたいと思っています。 生死の苦悩を乗り越える信仰私が、この仏法と巡り合ったのは、19歳の看護学生の時です。治療法のない病気、生まれながらの疾患、そして必ず訪れる死……。入会する前は、厳しい現実に直面して、自らの使命を見いだせずにいました。参加した座談会で、仏法は宿命の転換を可能にし、「生老病死」の苦悩を乗り越える“希望の生命哲学”であることを知り、感動しました。そして、「あなたしか果たせない使命がありますよ」との温かい励ましに、入会を決意したのです。さまざまな世代が地域に根差しながら、励まし合って進む創価学会は、生命を守る“慈愛のセーフティ・ネット”であると感じます。◇2年前、私自身が父の看取りの体験をした時のことです。母と共に、感謝の言葉をシャワーのように語り掛け、優しくマッサージをし、父の呼吸の速度に合わせて題目を唱え、一緒に呼吸しました。この時、私は、手を握り、目を合わせて波を乗り越える感覚が、産婦さんと呼吸を合わせて陣痛の波を乗り越えるときと全く同じ感覚であることに驚きました。生みの苦しみを越えて新たな生命が誕生するように、生命は、また引き潮の波に乗って“生命の大海”へと戻っていくのだと実感したのです。この経験をしてから、日々、赤ちゃんに会うたびに、両親を選んで生まれてきた生命に、より深い感動と畏敬の念を感じるようになりました。 一人一人に、かけがえのない使命日蓮大聖人は、女性門下の懐妊の報を聞かれて、「玉の子出で生まれん目出度覚え候ぞ」(御書1109頁)と喜ばれています。池田先生は、この御文を拝して「日蓮仏法では、すべての人間は、『仏』の生命を具え、偉大な使命をもって、この世に出現したととらえる。つまり、子どもは、未来を担い立つ、崇高な人格をもった、使命深き鳳雛と見る。ゆえに、仏法からは、決して、親の所有物などというとらえ方は生まれない」(『新・人間革命』第24巻)とつづられています。仏法は、「桜梅桃李」と説き、一切の生命はそれぞれの特質を改めることなく、ありのままで輝いていけると教えています。どんな人も、かけがえのない使命をもち、幸せになるために生まれてきたのです。縁する全ての人との深いつながりを感じながら、母子の笑顔を輝かせる“励ましのネットワーク”を広げていく決意です。 「プロフィル」なかむら・やすこ 助産師として、思春期、妊娠・出産、育児における女性の健康と家族のサポートを行ってきた。現在、NPO法人で、行政と連携し、育児支援に携わっている。1983年(昭和58年)入会。婦人部副本部長。白樺会副委員長(東京白樺会委員長)。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2017.6.27
August 23, 2017
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通関業社長 小泉 努 社会にますます貢献する会社1995年(平成7年)1月17日、阪神・淡路大震災が発生。当時、42歳だった私にとって、この激震が、そのままM人生の転機となりました。私は大学を卒業後、“貿易の際、税関に提出する書類を代理で申告する”通関業を手掛ける神戸の会社に勤務し、営業に携わってきました。しかし、この日を境に、神戸の街は一変。想定外の損害・被害を前にパニックになり、そこから抜け出す最善の方法を探ろうとともせずに、社会的責任を放棄してしまう会社や団体が少なくありませんでした。もちろん、未曾有の災害であり、致し方ない面もあります。しかし、私の胸中には、全てを変毒為薬してみせるとの熱い思いが、ふつふつと湧いてきました。神戸は港町であり、歴史的にも、海外に開かれた土地柄です。そのため、貿易に携わる会社、また通関業を営む会社も多くありますもし、今いる地域が大きな災害に見舞われても、しっかりとした会社が存続していればそこに住む従業員の生活を支え、地域の復興の力にもなる————そう考えた私は、世のため人のために貢献し続けることのできる“強い会社”をつくりたいと願い、阪神・淡路大震災から3カ月後、仲間5人で、通関業を手掛ける会社「(株)ミック」を起こしました。ゼロからの出発でしたが、環境にも恵まれて、順調に業績を伸ばしていきました。しかし、多角経営に乗り出そうと、異業種の食品製造・販売に参入したことがあだとなり、累積した負債が結果的に約2億円となったのです。2000年12月のことです。 現実の上に結果を出す信仰失敗の最大の原因は、私の油断と慢心でした。日蓮大聖人は「仏法と申すは勝負を先とし」(御書1165頁)と示されています。“仏法は勝負”というのは、法、すなわち教えの正邪によって現実の生活・社会の上に厳然とそのけっか現れるということです。仏法は、普遍的な生命変革の法です。正しい教えを根本とした人は、現実の中で必ず生命変革の実証を示し、勝利することができる————。私は、この御文を胸に、冷静に現状を分析。食品事業から撤退し、本業の通関業に専念することにし、現状を打開するために死に物狂いで働きました。営業によって顧客を増やしていくことは、会社の生命線です。ただし、取引先の会社が今後、どのように発展するか。相手先にとって、こちらの提供するサービスを、どのくらいの規模で活用することが今、最適なのか。これには、その都度、適切な判断が求められますが、ここを的確に見ていかなければ、最善の取引をすることはできません。大きな失敗を経験したことで、私は取引先への見極めも正確になり、倒産や不渡りの被害も激減しました。 顧客の6割りを自らが開拓毎朝、私は誰よりも先んじて出社して、社員を迎えます。特に、朝が勝負です。まずは真剣な祈りから出発し、午前中に、やるべきことはどんどん処理していく段取りを立て、出社。朝一番から、頭も体もフル回転することができます。朝勝ちの行動は、サラリーマン時代の30代半ばから続いています。そして、営業においても、社長である自分自身が現場に立っています。現在、わが社には1200社の取引先がありますが、その6割りが、私が開拓した顧客です。創業以来、平均して毎年、新規の取引先を60社ずつ増やしてくることができました。負債を背負い、社員の皆さんに迷惑と心配を掛けた分、それを払拭する結果を出そうと自らに檄を飛ばし、営業の先頭に立ってきたことが実を結んでいます。日蓮大聖人は「軍(いくさ)には大将軍を魂いとす大将軍をくしぬれば歩兵(つわもの)臆病なり」(同1219頁)と仰せです。軍勢の要になるのが大将軍の存在です。ここでは、代将軍が臆病になれば兵士たちも臆病になるという道理を教えられています。どのような組織、団体であっても、リーダーの勇気ある率先の行動が、その組織の前進をもたらすことは言うまでもありません。営業では、相手先との接触頻度を上げ、相手からの要望には即座に応えるように努力を続けてきました。営業の仕事で実感することは、相手の立場に立つ大切さです。商談を進めるにあたっては、相手の立場、置かれた状況をよくよく想像することが欠かせません。しかし、営業が慣れないうちは、こちら側の商品・サービスを売り込むことに意識がとらわれてしまいがちです。先方から仕事をいただくことは、もちろん大事なのですが、その“ベース”には、相手と信頼を結び、信用を得ることが必要でしょう。私自身、この点を大切にしてきました。 誠意と真心を尽くす関わり“相手先も、わが社も、共に成功し発展していきたい”。そうした思いから、業界の中で経験をしてきたこと、学んできたことなどを、営業先と共有するよう努めてきました。相手先を思う誠意や真心が伝われば、それは信頼になります。さらに、取引が相手先にとってプラスになれば、信用は一段と深まり、取引内容の拡大につながります。負債を抱えてから8年間で、返済のめどが立ちました。社員一丸となっての奮闘があり、業績を順調に伸ばすことができた結果です。創業からこれまで、大阪支店を開設した後、営業所を鳥取・米子、東京、横浜、名古屋、福岡に開いたほか、中国・上海に事務所を設けるまでになりました。今では、会社は年商四十数億円の規模になっています。社外では、全国中小貿易業兵庫連盟の理事長を務めて7年になります。異業種の交流、コラボレーション(共同事業)にも力を入れて取り組んでいます。神戸に本社を置く誇りを胸に、日本と海外を結ぶ業界のお役に立ち続けることが、わが社の願いです。これからも、ますます仕事に励み、社会に貢献していく決心です。 【プロフィル】こいずみ・つとむ 神戸市に本社を構える(株)ミックの代表取締役社長。64歳。1955年(昭和30年)入会。西神戸総県・王者西区副区長。総兵庫専門部書記長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2017.5.31
July 12, 2017
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養護教諭 加藤 まり子 近年の社会環境や生活環境の急激な変化は、子どもの心身の健康に大きな影響を与えています。それは、生活環境の乱れだけにとどまらず、いじめや不登校、性に関する問題、薬物乱用、アレルギー疾患、感染病など、さまざまな健康上の問題を生じさせ、深刻さを増しています。こうした中、学校の保健室では昨今、けがや体調不良などによる対応以上に、心のケアを求められることが多くなっています。私は長年、県立高校の養護教諭を務めてきました。養護教諭とは、いわゆる“保健室の先生”です。現在も、思春期真っただ中の高校生と、さまざまな課題に向き合っています。私が養護教諭の仕事を一生の仕事とし、44年間も続けることができたのは、高校時代の担任、N先生との出会いがあったからです。当時の我が家は、経済的にとても大学に進学できる状況ではありませんでした。そのため、卒業後の進路は就職とし、就職先も、ほぼ決めていました。ところが、夏休みのある日曜日、N先生が、我が家を訪問し、両親に向かって、「大変だとは思いますが、何とか大学受験をさせてあげてください」と、深く頭を下げられたのです。この担任の一人を思う真心の行動のおかげで、私は進学し、養護教諭となることができたのです。 自信を取り戻し志望の大学に合格長い教員生活の中には、さまざまな生徒との出会いがありましたが、親の期待に応えたいと、けなげに頑張る子が、思うような結果を出せず苦しむケースが、しばしばありました。当時、3年生だったC君は3年に進級した頃から体調不良を訴え、保健室の来室することが多くなり、遅刻や欠席が目立つようになりました。2学期に入り、本人は努力を続けるものの、一向に上がらない成績に自信をなくし、学習面での自信喪失が生活全般に影響していきました。学習意欲が低下し、家にいる時は常にパソコンの前から離れることができず、昼夜が逆転し、生活は乱れていきました。私は、まずC君の気持ちに寄り添いながら、彼に「つらくなった時は、いつでも保健室へ来ていいよ」と声を掛けました。そして、担任や学年主任等と連携し、学習面でのサポート体制を取っていただくよう、お願いしました。その一方で、わが子の変貌ぶりに憔悴しきった母親への支援も必要でした。徹しては者親の話にも耳を傾けるようにしました。C君は、出たり入ったりの日々が続きましたが、私は焦らず、本人の可能性を信じて粘り強く見守りました。 2学期後半になると、C君の気持ちも安定し、笑顔が戻り、生活も改善していきました。そして、自らの進路について、どの大学で何を学びたいか、自らの意思を語るまでになり、両親の応援を得て、志望校への合格を果たしたのです。 教師に望まれる理想の接し方創価学会教育本部では、教育部員による3000事例の教育実践記録を分析し、教師に望まれる児童・生徒への関わり方を五つ、抽出しました。その五つとは、(1)「信じぬく」(2)「ありのまま受け容れる」(3)「励まし続ける」(4)「どこまでも支える」(5)「心をつなぐ」というものです。池田先生は、この五つの関わりを通して、「信頼できる大人が見守り、励ましてくれることは、子どもたちに安心と向上をもたらしていきます」と述べています。私も、このことを自身の子育てを通して痛感しています。娘は、幼少時から、まじめな性格で手のかからない子でした。しかし、中学1年の頃から勉強に身が入らなくなり、なんとか高校には進学したものの、成績は全く振るいませんでした。私は娘の顔を見るたびに、注意や小言ばかり言っていました。そうした中、思わぬ出来事が起こりました。娘が親に相談なく、当時、流行していたポケベルを身につけるようになったのです。追及する私に娘は、「お母さんに相談しても反対されるだけ。私の気持なんか、分かってもらえない」と言ったのです。私は、自身の子育てを振り返りました。娘の気持ちを考えず、親の“物差し”で娘に接していたこと。さらに、努力したことも、ほめようとせず、“もっと頑張って”と、結局はプレッシャーをかけていたこと。どれも親の“エゴ”でしかないことに気付いたのです。私は深く反省し、娘に詫びました。こうした経験から、学校でも家庭でも、子どもの長所を見つけてほめ、それを伸ばしていく関わりを強く意識するようになりました。 その人の個性・特質を発揮させる仏法は、一人一人がありのままの姿で、最高に輝いていく生き方を教えています。その原理が、「桜梅桃李」という考え方です。桜梅桃李とは、桜も梅も桃も李も、それぞれ趣深く、素晴らしい特性・個性があり、その特性・個性を開花させるということです。人も同じであり、一人一人が、それぞれの他の人にはない固有の特性・個性を持っていて、それを発揮して生かそうとする考え方のことです。「御義口伝」には「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見す」(御書784頁)と示されています。春になると、桜、梅、桃、李が、それぞれ色や形、香り等の特質を改めることなく、ありのままで見事に咲き薫ります。その姿が、成仏に譬えられているのです。私は、仏法のこうした教えを心に刻み、生徒一人一人の持つ可能性、個性を伸ばしていく関りを続けてきました。生徒が、自分らしさを開花させるためには、周囲にいる私たちが粘り強く関わってその個性を光らせていく努力が欠かせません。私が、指針としてきた池田先生の教えがあります。それは、子どもは教師や親の所有物ではなく「人類共有の宝」であるという“尊敬の心に基づく教育”を呼びかけられた言葉です。未来の宝を育む思いで、これからも目の前の一人を大切にし、生徒の幸せのために力を注いでいく決意です。 【プロフィル】かとう・まりこ 短期大学を卒業後、愛知県の公立高校で養護教諭を務め、現在に至る。1971年(昭和46年)入会。婦人部副本部長。中部女性教育者委員長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2017.4.25
May 29, 2017
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三重総県農漁光部長 田村甚二郎 スーパーマーケットに並ぶ野菜。最近は、産地に加えて生産者の名前や写真が表示されているものが増えています。見た目が同じような商品であったとしても、生産者の“顔”が見えることで、消費者は一段と安心を得られるのでしょう。私は、創価学会の農漁光部のメンバーとして、40年余、多くの農家や、農村行政に携わる人と交流してきました。とりわけ力を入れてきたのが、生産者と消費者の相互交流・相互啓発です。こうした取り組みは、職業や立場の違いを超えて、多様な人材からなる学会ならではのものであり、これまでの「農漁村ルネサンス・フォーラム」などを通して、地域の農業関係者からも注目されています。 仏法で説く食物の徳性私たちの生命を支えている食物。仏法では、食物の徳性について、五つ挙げています。第一に、生命を維持し、寿命を保つ。第二に、精神と身体の生命力を増大させる。第三に、身体の輝きや活力ある姿を生む。第四に、憂いや悩みを鎮める。第五に、飢えを癒し、衰弱を除く、というものです。文字通り、人類の歴史とともに歩んできた食物ですが、時代の変遷とともに、人々が植物の求めるものに変わってきています。とりわけ、近年、人々が食物に求めるのは、「安心・安全」でしょう。消費者の意識の変化に歩調を合わせるように、生産者の意識も変わってきており、安心・安全な食材をいかに提供していくかに努力を惜しまないようになりました。「食の安心・安全」を実現しようとする時に、欠かせないのが、生産者と消費者の信頼関係です。しかし、もとより、生産者と消費者、それぞれのよって立つ前提は異なります。例えば、これまでも農畜産物の日本への輸入に際して、高い国産品と安い外国産品が著しい価格差であったことから、消費者の間に“高い国産品を買わされてきた”という非難の声が上がったことがあります。消費者は安い商品を求めます。しかし、安い輸入品が入ってくれば、価格競争力の劣る、国内の農家は窮地に立たされます。このように、消費者にとって有利なことでも、生産者にとって不利となることが、往々にしてあります。そうした意味で、お互いが相手の置かれた“立場”を知ることが大切です。消費者は、生産の現場における工夫や労苦を知るだけでなく、常に変動する農産物の価格や鳥獣害を含む自然災害のリスクにも関心を持ってほしいと思います。生産者も、消費者の関心や要望に耳を傾け、時代のニーズに合ったものを提供する努力をすることは、経営上のプラスになります。そうした意味から、生産者と消費者が向き合う交流の場が求められるのです。 農業に取り組むメンバーと共に私は、大学で農業を学び、学問を現場で生かそうと、郷里の三重県の経済農業協同組合連合会(当時)に就職。その後、中央会に移りました。世界的な食糧問題が課題となり始めていましたが、そのさなかに創価学会の三重県漁村部(現・農漁光部)が結成され、私はその中心者に。仕事でも、創価学会の活動においても、多くの農家と関わってきました。その後、農村部では、1993年(平成5年)の全国的な凶作に際し、農漁業を営む全ての人々に勇気と希望を送ろうと、“体験談大会”を各地で開催。三重県農村部も、県内各地で行ってきました。その後、農村部では、1993年(平成5年)の全国的な凶作に際し、農漁業を営む全ての人々に勇気と希望を送ろうと、“体験談大会”を各地で開催。三重県農漁村部も、県内各地で行ってきました。さらに2010年から、三重県農村部として新たな試みとなる「農漁村ルネサンス・フォーラム」をスタート。これまでに5回、開催し、定着しています。参加者は、農漁業者のアシスタント。農漁業者のアシスタントというのは、農業改良普及員、また農協の営農指導員、行政の農漁業関係職員、さらに農漁業関係団体の人々などです。このほか、加工・流通業者も参加しています。フォーラムの成功の鍵は、何といってもテーマの設定です。日頃から、農漁光部メンバーと語り合う中で、社会の動向と生産者の具体的な関心をつかみ取ります。ちなみに前回のテーマは、「高まる自然災害へ、農と食の対応!」でした。フォーラムでは、まず農業の体験主張に始まり、次に私がテーマに沿った基調報告を。そして、生産者の代表から課題克服への取り組みを報告していただき、消費者からもコメントしてもらいます。フォーラムに参加して触発を受け、新たな作物の生産に取り組み始めた農家もいます。生産者と消費者が、互いの顔の見える交流をすることで、生産者の労働意欲が刺激された結果です。参加者からも、“皆が生き生きと農業に取り組んでいて、表情もとても明るい”といった声が寄せられています。 門下からの白米を“あなたの命”と池田先生は、「農業こそ、『自然』と共生し、『文化』を培う根本の大道」であると述べられ、さらに広く文化について「文化の真髄は『生命を大事に育てる心』である。だから、生命を守り、一生懸命、育てている人が文化人である」と呼びかけられています。農漁業に従事する人々にとって、何よりも励みになる言葉です。鎌倉時代当時、門下から届けられた白米の供養に対し、日蓮大聖人は、こう仰せになっています。「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(御書1597頁)——あなたの心が込められた、この白米は白米ではありません。あなたの一番大切な命そのものであると受け止めております、と。人々を支える食物を生産し、人々の命を支えていく尊い使命が、農漁業従事者にはあります。農漁業従事者も、食の消費者として、自らを生かしてくれる尊い食物への感謝の心を忘れることはありません。農漁業従事者は、“あらゆる生命を尊んで感謝できる社会”を作り上げていく担い手でもあるのです。“地域社会を照らす灯台に”——これが農漁光部の使命の一つです。農漁光部として、ますます郷土の繁栄に貢献したいと願っています。 【プロフィル】たむら・じんじろう 三重県農業協同組合中央職員、また農協常勤幹事を務めた。この間、農協監査士、中小企業診断士、農業改良普及員の資格を取得し、県内の農業・農協の発展に携わってきた。72歳。1963年(昭和38年)入会。南勢創価圏副圏長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2017.4.1
April 28, 2017
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かむ力を維持し若々しい日々を歯科医 大場 敏男 現代は情報化社会。インターネットの発達により私たちを取り巻く日常には、ものすごい量の情報が氾濫しています。歯科における2大疾患である「虫歯」「歯周病」をインターネットで検索すると、それぞれ1000万件以上の情報が出てきます。われわれ歯科医師よりも歯科に対する知識をお持ちの方がいても不思議ではない時代になってきました。私が歯科医師になった30年ほど前は、まだまだ“虫歯の洪水”といわれていた時代で、小学校の学校検診でも虫歯のない子どもが珍しい時代でした。それが、歯にまつわる知識が広まった今では逆に、虫歯のある子どもの方が少ないくらいになりました。その一方で、歯列不正のお子さんが増えてきました。ものすごいスピードで医学の分野は進歩しています。歯科の分野も同じように、この30年間で進歩してきました。診療機器もデジタル化し、レーザーや顕微鏡を使用した治療も日常的に行われるようになり、それに伴い歯科医院に来院される方々の意識も大きく変わってきました。時代は、虫歯の治療から予防へ、そして審美歯科(歯列矯正やホワイトニング)の受診を希望する方も増えてきました。仏典には、仏の「三十二相」、すなわち32種類の優れた肉体的特徴が説かれます。その中には、歯も出てきます。具体的には、「歯が40本ある(40歯相)」「歯がそろっている(歯(し)斉(せい)相)」「犬歯が四つあって真っ白である(牙(が)白(びゃく)相)」というものです。御書にも、美しい容色の一つとして「白歯」(395頁)が挙げられています。昔から、葉がいいことは人々のあこがれだったのでしょう。 痛みの原因の一つ、知覚過敏昨今、歯に対する意識が高くなってきているとはいえ、歯科医院に来院される方の理由として、歯の痛みが最も多いことには変わりありません。その歯の痛みの原因が、「知覚過敏」である場合があります。知覚過敏は、テレビ等のメディアでも紹介され、よく耳にするようになりました。これは、虫歯でもなんでもない歯が、冷たい水等でしみたり、痛みを伴ったりする症状のことを指します。その原因として、⒈歯周病や強すぎるブラッシングにより歯肉が下がってしまったため⒉酸っぱい飲み物や食べ物を頻繁に、そして長い時間、摂取する傾向があるため⒊「歯ぎしり」によるため、などが挙げられます。軽い症状の時は、市販の知覚過敏用の歯磨き粉で収まる場合もありますが、治らない場合は、歯科医師が薬を塗布したり、あるいは葉の表面をコーティングしたりする必要があります。歯周病や強すぎるブラッシングについても同様に、歯科医院でチェックしてもらったり、場合によっては歯周病の治療を受けたりするようにしてください。知覚過敏は重症化すると、歯の神経を抜かなければならなくなります。神経を抜いた歯は“枯れ木”と同じようにもろくなり、いつか「歯折」(葉が折れること)してしまう可能性が高くなります。歯折すると抜歯しなくてはならなくなるので、いずれにしても早めの処置を心掛けてください。 歯周病を悪化させる歯ぎしりまた、知覚敏感の原因となる歯ぎしりは、歯周病を悪化させる原因にもなります。現代は「ストレス社会」といわれるほど、「ストレス」が多くなっています。歯ぎしりは、「ストレス」や「不安」「疲れ」が原因となっているようです。歯ぎしりは、就寝時にすることが多く、対策としては「ナイトガード」というマイスピースを使用して歯を保護します。ナイトガードにはプラスチック製のものがありますが、これが傷つくことがあることからも、歯ぎしりの力のすごさが分かります。日本は、かつてないスピードで高齢化の道を進んでいます。世界保健機構(WHO)が発表した世界保健統計(2016年版)によると、男性の平均寿命が80.86歳で1位。男女の平均が83.7歳で世界一だそうです。長生きできるようになった半面、その長生きがさまざまな課題を生み出していることも事実です。最近、「健康寿命」という言葉を耳にされたことがあるのではないでしょうか。これは、17年前にWHOが提唱した概念です。厚生労働省によれば、健康寿命とは、“健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間”のことをいいます。よって、平均寿命と健康寿命の差が、日常生活上の制約に生じる“不健康な期間”ということになり、これが2010年の厚労省の調査によると、男性で9.13年、女性で12.68年となっています。 80歳で20本の歯が残せるように日本歯科医師会では、80歳で20本の歯を残そうという「8020(ハチマルニイマル)運動」を推進しています。“8020”達成者は、非達成者よりも“生活の質”を良好に保ち、社会活動意欲があるという調査結果のほか、残っている歯の本数が多いほど寿命が長いという調査結果もあります。仮に“8020”を達成できなかったとしても、きちんとかむことのできる義歯(入れ歯)を入れ、かむ訓練をすることによって、寝たきりの方が起きて生活できるようになったという事例も報告されています。御書には「このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり」(1480頁)と説かれています。病も老いも、ともすれば悲観的になることもあるかもしれません。しかし、病や老いを、自身が「人間革命」し宿命転換していくための契機と前向きに捉えていくことができます。“負”の側面から見られがちな老いを“健やかな老い”へと変えていくためにも、“きちんとかめる”ことは、高齢者をはじめあらゆり人にとって非常に重要なことなのです。多くの方々の健康長寿の人生のサポートできるよう、ますます仕事に励んでまいります。 【プロフィール】おおは・としお 埼玉県坂戸市の歯科医院で院長を務める。57歳。1980年(昭和55年入会)坂戸圏長。埼玉ドクター部長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2017.1.31
February 20, 2017
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ワカメ養殖 並川 紀雄 私は、渦潮で有名な徳島・鳴門で「鳴門ワカメ」の養殖を手掛けています。ワカメは、その栄養価から「海のサラダ」といわれます。中でも、鳴門で採れるワカメは全国的に有名です。ワカメの生産量は、岩手県、宮城県に次いで徳島が全国3位です。淡路島と徳島県の間に広がるのが、鳴門海峡です。鳴門海峡のすぐ西には、島を挟んで子鳴門海峡があり、わが家は、この子鳴門海峡に面した地域にあります。鳴門海峡も子鳴門海峡も、瀬戸内海と太平洋の潮の流れがぶつかり、潮の速い流れが特徴です。こうした潮の流れの速さから、コシのある鳴門ワカメが育ちます。私は、もともと山口県下関市の出身です。ワカメの養殖を始めるまで、漁業の経験は全くありませんでした。妻の実家が鳴門市にあり、義理の母が病気を患ったことがきっかけで、大阪から鳴門市に移り住みました。当時、すでに入会していました。ちょうど義父が漁師だったこともありまた鳴門がワカメの養殖で全国的に有名であることを知り、ワカメ養殖のことは何一つ知りませんでしたが、この仕事に飛び込みました。41年前です。仕事を始めて、本当に苦労は多かったですが、義父や地域の漁師の力を借りながら、何とかワカメの養殖を軌道に乗せることができました。ワカメの養殖は、それぞれの養殖家が、30メートル、200メートル四方の広さのところに養殖いかだを設営します。そして、ワカメの「種」を付けたロープを、養殖いかだから海中に下ろすのです。おいしいワカメの決め手は、「種」にあります。この種とは、小さな芽のことです。鳴門ワカメの種作りは、春に始まり、夏の間、陸上の水槽で管理された種苗が、秋には小さな芽になります。この芽を種として、11月に種付けをして、翌年1月から3月にかけて収穫します。 収穫するまで気を抜かないワカメの生育期間は、一般的な農作物と比べると短いかもしれません。しかし、種付けから生育までの期間、当然ですが気を抜くことはできません。日々の天候や水温によって、ワカメの生育が左右されるからですワカメが、育つ途中で傷むこともあれば魚に食べられてしまうこともあります。また、種の品質とともに、根付けのタイミングも収穫を左右します。11月に入り、早々に種付けをした結果、かえって魚に食べられてしまったこともあります。種付けの時期を見極めるのは、長年の経験を積んでも、毎年、緊張感があります。ワカメの養殖も、農作物と同じで収穫するまでが勝負です。私が心に刻む御文の一つが、「火をきるに・やすみぬれば火をえず」(御書1118頁)です。鎌倉時代、火を起こすのに、木製の道具を使って、摩擦熱を利用していました。日蓮大聖人は、火を起こす作業を途中で休んでしまっては、火を得ることはできないという道理を通して、最後までやり抜く大切さを教えられています。 全国各地に顧客が誕生養殖を始めて5年後、育てたワカメが売れ始めました。“柔らかいのに、コシがしっかりしている”“磯の香りと甘みが口の中に広がる”————こうした評判が口コミで広がったからです。そして、売れ行きは順調に伸び、全国各地に約1000の顧客数を誇るまでになりました。しかし、自然を相手にする仕事の性格上、去年が好調だったから今年も同じようにうまくいくとは限りません。しかも近年は、地球温暖化の影響からか、平年より水温が高く、そのためワカメの生育が悪くなり、地元の収穫量も減少しています。県立農林水産総合技術支援センターが、こうした事態に対処するため、新品種の開発に乗り出し、わが家も地域の代表として共に新品種の開発に取り組むことになりました。6年前のことです。これまで例えば、鳴門ワカメと鹿児島産のワカメとの掛け合わせの種を試しました。その結果、これまでの鳴門ワカメと比べて、味もコシも変わらないワカメを収穫することができました。しかし、ワカメに多くのしわが入ってしまったのです。これでは見た目が、よくありません。さらなる品種改良が必要になりました。今度は、徳島県南部の太平洋沿岸で採れるワカメと、鳴門ワカメの“わせ”とを掛け合わせた品種を試みました。ワカメも、成長するまでに要する時間によって、わせ、おくてがあります。 研究と工夫を重ね勝利の実証この新種は、従来の品種と比べて、味や品質は変わらず、しかも食べられる部分が、これまでの品種と比べて多く、その結果、収穫量がこれまでより多くなるというものです。さらに、新種は成長が早いのも特徴です。鳴門ワカメは、1月中旬から収穫期に入りますが、新種は成長が早く、すでに1月初旬でも収穫できるだけの大きさに育ちます。鳴門ワカメが品薄になる時期にあっても、この新種は、顧客の需要に応えられるというメリットがあるのです。昨年、完成したこの新種を、わが家では今年から売り始めています。新種は、これまでの取引先からも好評です。大聖人は「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(同254頁)と仰せです。天が晴れれば地上は明らかとなる。法華を理解するものは、世間の道理をも知るのであるとの意味です。信心は智慧と勇気の源泉となり、生活や仕事の向上へと結び付くものなのです。すなわち、妙法を持つ人は、例えば仕事においても、人一倍、努力を続け、研究・工夫を重ねて、勝利の実証を示していくことができます。こうした挑戦のためのよりどころとなるのが、信心の素晴らしさです。取引先から聞くのですが、わが家のワカメは海外でも評判であり、“並川さんには、これからも生産・販売を続けてほしい”と言われるそうです。そうした消費者の期待に応え続けられるよう、信心根本に、ますますおいしいワカメの養殖に励んでいきます。 なみかわ・のりお 鳴門ワカメの養殖・販売を手掛けてきた。地域では、地元小学校のPTA副会長を務めた時、地域を盛り上げる祭典を企画。これまで、いくつもの地域の役職を担い、郷土の発展に尽力している。75歳。1960年(昭和35年)入会。鳴門圏副圏長。徳島総県漁光部長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2016.8.30
November 3, 2016
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精神科医 伊佐 文子 高齢化が進む中、脳血管障害や認知症など、神経内科領域の疾患が、よく見られるようになっていきました。私たちの日々の動作は全て、悩、脊髄、神経等がしっかりしていないと、普段のようにはできなくなります。患者さんから、こうした身体の不調やしびれなどの訴えを聞いて、神経学を踏まえた診察をして、疾患を特定するのが神経内科です。神経疾患の中で生活習慣病といえば、の脳血管障害が第一に挙げられます。その危険因子となるのは、高血圧、糖尿病、脂質異常症、心疾患、肥満、多血症、喫煙、飲酒などです。私は多数の脳血管障害の患者さんと接してきましたが、これらの危険因子を多く持てば持つほど、脳血管障害が起こりやすくなります。よい生活習慣は、喫煙をしない、飲酒はほどほどにする、毎日朝食を食べる、適度の睡眠をとる、適度に労働をする、週1回以上の運動をする、栄養を考えた食事をとる、自覚的アウトレスを少なくする、塩分を控えめにする、規則的な生活を送る、趣味を持つなどです。こうした生活習慣を心掛け、脳血管障害の危険因子を一つ一つ減らすことが予防になります。 心と体は密接に関係 病気全般に通ずることですが、一例として脳血管障害が起こった場合、人間は強いストレスを受けます。人間は、強いストレスを受けると、その反応で体内の血流が通常の3倍にも急増し、高血圧などの異変を起こすとされています。しかし、これでは悪循環となり、病状を悪化させかねません。心と体は、やはり密接に関係しているのです。日蓮大聖人は、病気を患う女性門下に、どうして病が癒えず、寿命が延びないことがあろうかと強い思いをもって、御身を大切にし、心の中であれこれ嘆かないことですと励まされています(御書975頁)。病状は病状として正確に知る必要があります。しかし、この仰せからも明らかなように、決して嘆いたり悲観したりせず、病気を前向きに捉えていくことも、病気と戦う上で大切なことです。ここで、心と体の相互作用の悪循環を断ち切る人体のメカニズムとして、「リラックス反応」を挙げることができます。心身には、ストレスがない状態の時、疲労を回復させるために休息をし、新たなエネルギーを取り入れる仕組みがあります。これが、リラックス反応です。リラックス反応は、深呼吸などによって、一層、増大するといわれています。こうしたことも、病気への予防・対処の観点の一つでしょう。今まで見てきたように、心の安定、健康は、肉体にも大きな影響を及ぼします。また、脳梗塞や脳血管障害を患った場合の予防についての、心がどういう状態にあるかが、回復を左右します。例えば、リハビリテーションの際、病気を隠さずに“自分”を表に出して、人の中に入っていくことが回復を早める場合があるのです。 社会への参加が高める“満足度” さらに、患者さんが、どういう“環境”にいるかも、広い意味での健康の大きな要素です。以前、ある患者さんたちの生活満足度と睡眠の関係について、調査したことがあります。結果は、生活の不満度と、眠れないという“不眠度”が比例するというものでした。また、同じ調査で、生活の満足度は、その社会参加の度合いと比例していました。ということは、能動的な社会参加が、生活の質を向上させ、ひいては“健康でいられる寿命”を延ばす要因となる可能性があると考えられるのです。現在、最も注目されている疾患に認知症があります。代表的な認知症としてアルツハイマー病がありますが、糖尿病を患っている場合、通常の2倍の確率で発症するとのデータがあります。アルツハイマー病の予防としては、生活習慣病の改善が大切です。医学的には、脳の機能が部分的に失われているのがアルツハイマー病ですが、それが原因で家族が最も困る症状に、幻視・幻聴、妄想、徘徊があります。例えば、自らのものを盗まれたと妄想する症状のある場合があります。実際は患者自身が、置いたこと自体を忘れていることによるのですが、一方的に叱るのではなく、相手に寄り添いながら一緒に探してみることも必要です。 一個の人格とて患者に向き合う 認知症も、相手の合わせた対応が求められます。誰かに愛されたい、誰かと一緒にいたいという欲求は、人間の基本的な精神的欲求だからです。心身の関係の上からも、アルツハイマー病の患者さんが、よりよう老いを過ごせるように、その心が満たされることが重要です。家族、周囲から、患者が一個の人格として認められる必要があるいうことです。現代医学は、ともすると、病気が重く、苦しんでいる状態のままでも、単に寿命を延ばそうとする傾向があります。もちろん、寿命を延ばすことが悪いということではありません。これに対し、仏法は、人間の内側に秘められた「生命力」を涌現させるものであり、豊かな生命力で健康と長寿を実現することを目指します。池田SGI会長は、「高齢化が進む現代にあっては、ただ寿命を延ばすということより、いかにして心身ともの、健康を回復し、有意義に生きていくかが、重要な課題」と指摘しています。日蓮大聖人は「年は・わかうなり」(御書1135頁)と仰せになり、年齢を重ねても、ますますの生命力で人生を歩んでいけることを教えられています。何歳になっても、自他共の幸福を願い、前向きに生きていこうとする人は、人生の年輪を重ねても、若々しく、はつらつと生きていくことができます。このことは、私の身内も含め、数多くの患者さんを診てきた実感の上からいえることです。高齢者は、家族、周囲の支えも必要ですが、生き方次第で老いの人生をさらに有意義なものにできるのです。 いさ・ふみこ 神経内科専門医。医学博士。神戸大学医学部付属医院、東京都立神経病院、都立北療育医療センターに勤務した後、内科クリニックを開院。1967年(昭和42年)入会。婦人部副本部長。東京女性ドクター部長、北総区ドクター部長。 【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2016.7.26
September 28, 2016
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酪農家 小笠原 幸子私は、岩手県の二戸市で主人と2人で乳牛を飼育する酪農家です。東京の荒川区で生まれ育った私は、12年前に次女を連れて再婚しました。都会とは全く異なる環境と慣れない酪農の仕事で苦労の連続でした。臭い、汚い、きつい仕事が嫌で、逃げ出したくなることもありました。しかし、“使命あって来たのだ。今いる場所で勝つ”と腹を決めると、一念が定まり、酪農に対する姿勢も、仕方なくやる状態から、進んで仕事をする状態になりました。法華経法師品に「願兼於業」(願いが業を兼ねる)の法理が説かれています。ここでは、修行の功徳によって偉大な福運を積んだ菩薩が、安住の境涯に生まれるという業の報いを捨てて、人々を救うために自ら願って悪世に生まれ妙法を弘通することが述べられています。すなわち、菩薩の誓願の力によって、自分自身のさまざまな宿命を、わが使命と捉え返していくことができるのです。私が、嫁いだ地を自身の使命の場として決めたのは、こうした仏法の教えが生き方の支えにあるからです。クモの巣だらけで、空き缶が散乱していた牛舎も、その後、見違えるようにきれいになり、結婚当初、23頭だった乳牛が36頭に増え、牛舎を増築しました。子牛が生まれた時はミルクを飲ませ、1カ月過ぎるころ、雄の子牛や肉用の子牛を市場に売り出します。当初は、その日、涙を流しながら見送っては、感傷に浸るばかりでした。しかし今では、“少しでも、買い手や消費者の方に喜んでもらえるように”と、前向きに祈れるようにもなりました。酪農の全国大会で東北を代表し発表こうして酪農で得た体験や感動を、4年前、「東北酪農青年婦人会議酪農発表大会」で、わが組合を代表し発表することになりました。この発表大会は、毎年開催されており、二つある部門で登壇し、思いがけず優勝することができたのです。そして、神戸での全国大会に東北を代表して出場することになりました。家族はもちろんのこと、地域の人たちが“全国大会、頑張ってください”と寄せ書きを贈ってくれました。優勝はできなかったものの、皆さんが応援してくださったことがうれしく、嫁いできた時には想像もつかなかった変化に、信心根本に頑張ってきて良かったと心から思いました。今、わが家は食の安全・安心を何より心がけて、牛乳生産の一つ一つの作業に丁寧に取り組んでいます。全農(全国農業協同組合連合会)岩手県本部が行う、毎月2回のとても厳しい乳質検査があります。わが牧場は、3年連続で高い評価を頂き、そのうち2回は「乳質改善大賞農家」として表彰されました。“乳質改善大賞”は、県内全ての酪農家が対象で、私の所属する組合でも165軒中、5軒ほどしか頂いていない賞です。二戸市では、わが家だけです。この検査は、搾乳した内容の成分が、乳脂肪分、乳タンパク質、無脂乳固形分、体細胞、細菌などに分類され、それぞれの割合や数が一定の基準を満たすことで、いい品質であると認められるものです。特に細菌数と体細胞数は、基準を上回れば廃棄処分になります。さらに、数値が基準値と照らし合わされ、基準をクリアすればプラス何円となりますが、クリアできないと、マイナス何円あるいは廃棄処分となります。それだけ良質乳を生産することが酪農経営で大切のなるのです。乳牛を飼育する環境にも配慮わが家は、まだ一度も廃棄したことはありません。“乳質改善大賞”は、1回でも基準値から外れると頂くことのできない賞であり、この賞を頂いた時には、びっくりするやら、うれしいやら、自分たちの仕事が認められたのだと感激しました。普段から、主人の仕事ぶりを尊敬してきましたが、この時ほど主人を誇りに思ったことはありません。今は、毎年、この賞を頂くことが私たちの目標となりました。そのためにも、牛のストレスが増えないように、牛舎の環境に気を使っています。牛が寝起きする時は、牛の足が滑らないようにマットを敷き、また、おがくずを散らして、落ち着いて休めるようにしています。また、牛舎内を一定の温度に保つことができるように、壁に大きな換気扇を、いくつも取り付け、換気にも気を配っています。近年は、天候の変化が激しく、それが牛の病気の発生にも関わる可能性があるので、毎日の牛の管理には気を使います。面倒を見る私たちが心身共に元気でなければ、牛の世話を細かいところまですることはできません。唱題で生命力を旺盛にしておかなければと、いつも自身に言い聞かせています。理想の国土を築く主体者に日蓮大聖人は、「浄土と云ひ穢土と云うも土に二(ふたつ)の隔(へだて)なし只我等が心の善悪によると見えたり」(御書384頁)と仰せです。浄土とは、仏の住む清らかな国土のことであり、穢土とは煩悩や苦しみに満ちた“汚れた国土”のことです。一見、異なるように思える二つの国土が、本来は別々のものではないと、この御文は教えています。自身のいる場所を理想の環境にできるかどうかは、自身の一念と行動にかかっていると確信します。仏法は、自身が今いる場所を自ら変革して、自他共の幸福を築いていくことを教えているのです。私は東京から北東北へ「Iタール」(都会出身者が地方に移住すること)しました。その後、二戸市に嫁いできてからの12年間、創価学会の同志の皆さんに励まされ、また地域の人たちや同じ酪農を営む仲間との交流を通しながら、多くの方に支えられてやってきました。池田SGI会長は、かつて「21世紀は東北の時代」と言われました。私は、この言葉が大好きです。これからも消費者の方々に喜んでいただけるよう、努力と工夫を重ねて良質乳の生産に励んでいく決意です。おがさわら・さちこ 岩手県二戸市で、夫の昭さんと「小笠原牧場」を経営。東京・荒川区で生まれ育ち、結婚を機に東北へ。1957年(昭和32年)入会。支部副婦人部長。農漁光部員。【紙上セミナー「生活に生きる仏教」】聖教新聞2016.4.26
July 4, 2016
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