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「山の奥、森閑として晝尚ほ暗い密林の中に、一條の河が流れてゐる、清澄の水は凄味を帯びてゆるやかに流れてゐる、今此の時河の上流から、女の腐死体が、而かも丈なす黒い髪を乱しつゝ、浮きつ沈みつ流れて来たと仮定したならば、吾々は如何に善処すべきか、皆さんの意見を聞きたい。」
宮沢賢治の農学校教師時代、花巻高等女学校校長の高日義海氏の自宅に月に数回芸術好きの教師たちが集まりました。
白藤慈秀、郡視学(現在なら教育委員長?)の羽田正や藤原嘉藤治などがいました。
そこでの突然のヤバい発言です。
誰も口を開かない中、白藤教諭は「率直に常識的の判断から駐在所に駆けつけて事情を訴へる」と言いました。
賢治は「駐在所は遠いですよ」といって笑顔で否定しました。
白藤は自分の答えの浅薄さを嗤われたような気がして軽率に答えてしまったと恥ずかしく思いました。
しばらくして藤原嘉藤治が、
「僕は此の戦慄すべき恐ろしさと、凄い淋しさとの交錯する心境を、そのまゝ音楽に表現したい」
と答えました。
賢治は会心の笑みを洩らし、一同も藤原嘉藤治を讃えたそうです。
宮沢賢治と、白藤慈秀の凸凹コンビ的な微妙な関係、藤原嘉藤治との親しい関係がよくわかるエピソードです。
出典 白藤慈秀著1939年「宮澤賢治の生活諸相」草野心平編「宮沢賢治研究」より
#AIイラスト