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ぼちぼち更新。先週から今年の花粉症が発症。終息はGW明けの予定(多分、杉とひのき)。目がむずむずします。↓強くこすらないようにほんのちょっとだけ目の端っこを軽ーく引っ掻きます。が、、、2秒後、掻いたところからジワジワジワッと、ぎゃーっと悲鳴をあげたくなるようなむず痒さが、目全体に広がります。↓悲鳴をあげてとにかくひたすら目を擦りまくります。痛くなっても止められません。あと3秒経ったら止めようと心に誓い、3秒後、どうにか止めます。↓止めた2秒後、また痒くなってきます。これ以上掻くと目がどうにかなってしまうので机に爪を立てて渾身の力でやたらめったら引っ掻いてどうにか堪えます。↓目をいじったせいか鼻水が出てきます。粘度が低いのですーっと出てきてしまいます。なので仕方なく鼻をかみます。↓2秒後、かんだことに刺激されて余計に鼻がむずむずして、我慢できなくなって大きな大きなくしゃみが出ます。多いと5,6回。↓くしゃみするとまた鼻水が出てきます。また涙も出てきて目もむずむずします。あとは繰り返し。(目と鼻の順番はどっちでもいいです)なるほど、花粉症が経済に与える損失は大きいかもしれない。これまで20年間よく堪えたものだ。映画の話するはずだったんですが、花粉症の話だけで十分ボリュームが出たなあ・・・。・・・一応するか。また梅田のOS名画座に行きました。映画の内容も興味はありましたが、舞台挨拶があるというのでどんなものなのかなーと、そっちの興味優先で行きました。「二人日和」(野村惠一監督、主演は藤村志保、2005年) 舞台挨拶に来たのは共演の栗塚旭さんと山内明日("あした"と書いて"めいび"と読む)という新人と思われる女優さんのお二人でした。ああ、こういうところで最初は地道に売り出していくのかなーと勝手に想像してました。別に話題の映画というわけでもないのでわりとこじんまりした感じ。雑談しながら映画の紹介もして、若干の報道記者が花束を受け取った二人を撮影して、それから上映。 舞台は京都です。昔から御所関係や神官の装束を作ってきた神祇調度司である老職人(栗塚旭)とその妻(藤村志保)の夫婦の物語。京都の古さと歴史の中から生まれる不思議な感覚が町の風景とともにうまく演出されていました。妻は不治の病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に冒されて徐々に体の自由を失っていく。病気がきっかけでこの二人の家に出入りするようになった一人の青年。彼は乞われて二人にマジックを教え始める。彼は普段は大学の研究室に通い、恋人(山内明日)もいる。まだ若く瑞々しい愛と長い人生を歩みもうすぐ終わりを迎えようとする老夫婦の愛と、二つが絡み合って物語は進み始める。設定に不自然さがなくもないんですが、まあ細かいことは気にしないでもいいかと。見終わるとやたらしっとりした気分になって、外に出ると真昼の梅田のざわめきにえらいびっくりしました。 工事○さん、マジックですよ。マジック。君がモデルかね??私はターン・オーバーという用語しか覚えられませんでした。見終わって会場を出るとさっきの二人が出口で待っていて一人一人に握手してくれました。図らずも、芸能人と握手ができた・・。京都もまだまだ見て回りたいところだらけです。話は変わって「博士の愛した数式」も見ました。これも愛の物語です。まあ、あらすじはみんな知ってるでしょう。こういう題材で映画作ってもらえるのも嬉しいですね。映画の中で博士はいつも数学という美しい秩序の中で戯れていられる、ある意味最も幸せな生き方ですね。しかし現実問題としては、80分しか記憶が持たなくてあんなにゆったりしてられるのかなあというのが見ていてずーっと気になったんですが。 博士はいわゆる変人です。事故になったからああなったのかわかりませんが、とにかく社会生活なんて一人ではおよそできそうもない。でもこういう人がいるから世の中どこか救われる気もするのです。私は博士ほど純粋にはとても生きられません。ですがそうなりたいと常に願っています・・。
2006.02.28
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今日の朝更新しましたが、気分的には昨日のつもりで、今日は今日これから更新しようかと。やや趣向の異なる話です。 土日に京都にあるインテリア・アート系のお店をいくつか回りました。やっぱり京都はいいですね。お店がたくさんあるから、ではなくてお店が狭い範囲に密集しているから。盆地の中で大体ことが足りるので1日あれば自転車で回れる。これが東京だったら店も多いけど範囲も広すぎて一人では回りきれない。あとはやはりその狭い中に学生がたくさんいること。文学部生も工学部生も法学部生も芸大生も全部いる。こんだけ集まったらほっといてもなんか生まれますよ。音楽でも絵画でも映画でも。cocon karasuma (古今烏丸) 四条烏丸交差点の南西にある飲食店、インテリア店、映画館が全部入ってる複合施設。最近こういう色々入ってる施設多いですね。ここにある京都シネマには先日「ニュー・シネマ・パラダイス」観に行きました。研究室の先輩も利用しているようでそのうちばったり会いそうだ。以前三条京阪の近くにあった朝日シネマに雰囲気が近い。インテリア店で一番大きいのは「Actus」。雑貨・小物からCD,家具まで大体そろってる。他に面白いお店は、寛永年間に創業した日本で唯一の唐紙のお店「唐長」が手掛けるブランド「KIRA KARACHO」。伝統の模様をデザインに取り入れた唐紙が洗練されたインテリア、小物に生まれ変わる。また京都精華大学が運営する「shin-bi」にはアート・デザイングッズ・関連書籍がところ狭しと並んでいる。隣には展示スペースも。新風館 ファッションのお店が多いですね。僕よりこれ読んでる他の方々の方がくわしいと思われるのであえてかきましぇん。メディアショップ なんと京劇の真向かい。みんな知ってるものなんかな。こんなお店があんな騒がしいところにあるなんて全く知りませんでした。芸術書、写真集、建築デザイン本、CD,色々あります。(ゲルハルト・リヒター、超有名らしいですが、私は名前しか知りません)(杉本博司、東京の森美術館で開催されている「時間の終わり」展のカタログまだ観たことがない)INOBUN(イノブン), ANGERS(アンジェ) 以前から知っているので二つまとめてしまってすいませんが、どちらのお店も主に女性向けの雑貨店。男は少々入りにくい? INOBUNは雑貨に関しては京都で一番大きいのでは。Neo Martと同系列みたいで、元は江戸時代から続く紙屋さん。Sfera Building 縄手通りの三条と四条の間。まわりの建物と明らかに異なる四角い箱。スウェーデンの建築家グループに依頼したんだとか。基本は飲食店なんですが、デザインや建築の書籍、CDも置いてある。がらがらだったのでバイトしている子と話してましたが私と同じ大学でした。他にもいるみたいで、やっぱ何処に誰がいるかわかりません。展示スペースもあって色々やってます。 この手のお店行くと必ずCD置いてありますが、普通のポップ音楽なんて絶対おいてない。ブラジルかどっかのボサノヴァとかヨーロッパの音響クリエイティンググループだとかアンビエント・ミュージック(環境音楽?)とかちょっと変わったものが多いですね。イージー・リスニングという側面と、音楽でも「前衛的」である、という側面があるんですかね。正直よく分からないです。 現在の前衛はミニマル・アートなのかなと色々見ていると感じます。余分なものが極力ないイメージ。東京で次から次へと建っていく新しい建物は大抵同じ傾向です。 私は若い世代だからかこういう建物もありだと思っていますが、親の世代とは明らかに感覚が異なりますね。東京という街は建築家にとってはどんな建物も建てられるうってつけの所みたいです。(ヨーロッパは規制が厳しいですから) 実験的にいろんな建物建てて後始末は誰がするんかなーと思ったりもするんですが・・・。30年後にどうなっているんだろう。
2006.02.26
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久しぶりに長い文章書き込もうとすると億劫になる・・。しかも、昨日深夜書き込んだらメンテナンスです、と言って投稿ボタン押した途端全部消えたし・・。最近の私の興味対象が変化しているためですが、しばらく映画の話が多くなりそう。 「ホテル・ルワンダ」公開おめでとうございます。20代の若者達が集めた数千もの署名によってようやく日本でも公開することができたという話はマスコミにも取り上げられていました。見終わった感想を率直に言えば、本当に心が揺さぶられます。そして、そう思ってからますます思ったのは、これが当初公開されなかった理由が、日本人はアフリカには関心が薄い、さらに下手に賞を取ったり(トロント国際映画祭観客賞、ゴールデン・サテライト賞作品賞、主演男優賞)、アカデミー賞にもノミネートされてしまったりで版権が高くなってしまい利益が見込めないから、、、それはないでしょう。関心が薄いならなおさら公開すべきだし、そこまで観客におもねらなくてもいいのではないか、と見る側としては思います。しかし自分が実際に映画会社の社員だったらそう簡単には言い切れない所もまた悔しいのですが。それが映画「産業」というものです。いつの時代もこうした理想と現実の間の葛藤の繰り返しですね。 もう一つ思ったのは署名活動を最初に始めた人がニートだったとマスコミでは騒がれましたが、その方は最近まで映画会社に勤めていたようですし働く気がないわけでもないので、いわゆるニートとは関係ないと思うんですが。「ニートもやればできる」とか「ニートも自信をもて」といった話に無理やり結びつけるのは止めてほしいです。ま、それはさておき、、、 1994年のアフリカ、ルワンダで起きた凄まじい大虐殺。100日で100万人が殺される。しかも銃で次々と、というよりも、なたでスイカを割るように(人を)切っていったわけでちょっと想像したくありません。しかも相手の民族撲滅のためですから子供女性はむしろ狙われる。国連もお手上げ、先進国も自国民のみ引き上げさせて後は放置(虐殺後、300万人の難民発生に到ってようやく救助を始めます)。その中で自分の勤めていたホテルに1200人もの人々を匿って守り通した一人のホテルマンの実話をもとにした物語。そのホテルマン、ポール・ルセサバギナは現在ももちろん生存していて、今はベルギーで暮らしています。そう、これはまさに現代の話。 今日を生き抜くために知恵を絞り、家族、さらには1200人の罪なき人々を守るために懸命に奔走する姿に感銘を受けました。あれほど「生きる」という行為を真剣にやったことはない、な、と痛感しました。 実際私を含めて日本人はアフリカには関心が薄いと思います。パレスチナ問題だけやたら関心高いですが、遠い国と言うならどちらも同じだと思いますが。パレスチナの凄惨な部分をクローズアップしてその悲劇を訴えることでその人も、そして日本人も世界にちゃんと関わりを持っているんだと自己満足を得ているだけに見えてしまう、ちょっとシニカルすぎますかね。 世の中には様々な世界がありすぎます。世界に広く関心をもって交わっていくのは結構ですが、関心を持てば持つほど個人で把握、理解するには世界は広すぎると感じざるを得ません。(これは私の愚痴) この映画は悲観的になるためのものでは全くありません。与えられた環境の下で、とにかく生きていくことの重要さを教えてくれました。京都ではみなみ会館で公開中。是非見に行って下さい。 ちなみに、先進国の各種新聞雑誌がこの映画を絶賛しています。それはもちろんいいんですが、これを褒めれば褒めるほど自分たち先進国の破廉恥ぶりを明かしているということになるわけで何かおかしな気がします。 感動するんですが、同時に無言の非難を浴びている、申し訳なくて恥ずかしいのです。
2006.02.26
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終わった。終わった。朝の9時50分から25分間。やらしい質問もなく終了。打ち上げた。なぜか俺の家で。どんちゃん騒ぎ。12時も過ぎて隣から苦情が出てお開き・・。お疲れ様です。
2006.02.22
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さすがに普通の更新中止。やばい、やばい、修論やばいねえ。一番つっこまれそうな所自分自身よく理解できてないねえ。明日の朝っぱら、そもそも寝坊したらどうしましょう。私服で行ってしまったらどうしよう。もうちょっとがんばってから帰ろう。
2006.02.21
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って、いつまで間投詞みたいなタイトルが続くんでしょうね。 いよいよ来週修論ですね。今日もパワーポイントがっつり直されましたね。追いつめられるほど関係ないことし出しますね。ここで書き込んでいる内容こそ昼間の現実とは最も関係ないことですね。前回まで小難しい話ばっかしてたのでそろそろ平常に戻りましょうね。 先日梅田のOS名画座でクラシックな名画を鑑賞してきました。料金も安め。でも毎日朝10時からの1本のみ。しかも上映期間各作品一週間だけだし。しかしスクリーンで見るのはレンタルビデオとは比べ物にならない位いいです。「シェルブールの雨傘」1963年、フランス1964年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品。主演カトリーヌ・ドヌーブ、監督ジャック・ドゥミ。美しい色彩、美しい音楽。またいい映画を観ることができました。 雨の中にたたずむフランスの港町シェルブールに、色とりどりの雨傘が華麗に舞う。始まりの音楽の美しさに早くも心打たれてしまい、あとはそのまま甘美で切ない恋の物語の世界へ。 カトリーヌ・ドヌーブ扮するジュヌビエーヴは雨傘店の一人娘。彼女と自動車整備工場で働くギイは恋に落ちていた。将来は結婚と語り合っていた二人だが、ギイのもとに届いた召集令状によってギイはアルジェリア戦線へ兵役に赴いてゆく。彼が復員するまでの2年間は二人にとって長すぎるものだった。ジュヌビエーヴは店の経営難の時知り合った宝石商の男と結婚し、ギイも復員後それを知ってショックを受けるもやがて立ち直り、幼なじみのマドレーヌと結婚する。映画の最後、二人は偶然に再会する。そして短く言葉を交わし、静かに別れて去ってゆく。 この映画がミュージカルだと知らないで観たので初めセリフを歌い出した時は、ああ、これもアメリカに代表されるミュージカルのただの一作品にすぎないのかと一瞬失望したのですが、そんな安っぽい映画ではありませんでした。いきなり歌ったり踊り出したりするわけでもなく、音楽にのせられて軽やかに紡ぎだされる詩。聞いているうちにこの話は歌でなければ表現できないのではないかとさえ思いました。「フィルム・オペラ」と後に呼ばれる手法だそうです。そして何よりもやはり、ミシェル・ルグランの手になる音楽によってこの映画は傑作になったといって過言ではないでしょう。 しかし音楽もさることながら、傘や服装、広告と色々な所で使われている色彩もとても印象的でした。フランスにいたらファッションセンスが磨かれるのもこれなら当然だとか思って観てました。トレンチコートの色使いとか、今も全く古さを感じない。マドレーヌが、それまで地味で内気だったのがギイと一緒になった途端、鮮やかな赤いコートを見にまとい美しく変身したのもちょっと驚き。恋は女を変えますねえ~。 シェルブールはフランス北西部、イギリス海峡に面した沿岸の町です。今までフランス映画はあまりなじみがなかったのですが、観たくなりました。
2006.02.17
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昨日は風邪引いてました。多分直った筈。もうすぐ修論発表です。どうにかなるんでしょうか。なるようにはなるでしょう。明日は明日の風が吹きます。流れに棹さして長いものに巻かれましょう。というわけで更新しよ。 以前「遠野物語」のことを書きました(15回目、下のアドレス参照)。このようなものに手を出すなんて高校までは考えられなかったことで社会だの文化だのとは全く関わりのない世界のことで頭が一杯でした。(どんな世界やねんというのは書きません。笑 人間性が疑われそうなので。笑笑)そんな時期に、それでもなんか作家の書いたものも読んだほうがいいのかなあと思って散々悩んだ挙句、とりあえず有名な人ということで司馬遼太郎の「「この国のかたち」(たまたま)を1冊買って読み出しました、が、10か20ページほどであまりの退屈さに堪えられなくなって止めてしまいました。・・・ ・・・ それから数年後(大学3年の頃かな)、またふと目に留まってもう一度買って読んでみたのです。すると、なんと面白いことか。目から鱗が落ちるとはこのことか、という位新鮮でした。それで、あっという間に6冊全部読みました。このあたりから急速に"日本文化"というものに惹かれていって、自分がどこから来たのか、何者か、人間って何?とどんどん関心が広がって行きました。昔とは確かに考え方も変わったと思いますが、同じ本なのに、その人の年齢、知識量などタイミングによってこうも受け取り方が変わるというのが驚きでした。(弁解として、もちろん昔も「竜馬がゆく」とかちゃんと読んでましたよ!それ以外の作家も多少は・・。)司馬遼太郎は相当な知識人ですから、自分もちょっとはレベルが上がったかなどと勝手に思ったりして・・。 司馬遼太郎の本は、「この国のかたち」の次は「街道をゆく」を少しずつ読み始めました。まあこれも面白い。紀行文のようなエッセイのような。所々少々長くて退屈ですが。旅の醍醐味を味あわせてくれるという意味での面白みはあまりありません。むしろ旅という行為と、各地の場面場面に重ねて己の思想を描き出しているといった印象を受けます。考える人だからか目に映る人、物に対してちょっと距離を置いている気もします。もちろん文章がうまいので、むしろそれが新鮮で面白い位なんですけど。そして彼が興味を持つのは人間の生き方、そして権力ですね。日本の昔を生きた大勢の人々の生き様が眼前に現れます。日本史の教科書に載っている人物だけが歴史ではないのだということを学びました。とにかく色んな面白い、興味深い人物が次々と出てきます。 ただ、彼と僕とでは視点が違う所もあります。「街道をゆく-北海道の諸道」では取り上げているのは道南地域ばかりで、それも幕末の話が多いです。アイヌの人々についての話もあるのですが、北海道といえばふつう雄大な自然を思い浮かべるでしょうが、自然についての記述は極めて少ないと言わざるを得ません。あくまでそこでドラマを繰り広げた人間に興味があるわけで、彼自身「未開の荒野を車で延々走っていても退屈で閉口してしまう」というようなことを書いていて、むしろその未開の荒野に飛び出して行って走り回っていたい、といった空想をしている僕とは対照的です。 最近は「街道をゆく」のヴィジュアル版が出ています。とても見てみたいですが、なぜか見てません。ヴィジュアルというのは極めて強い効果を持ちます。一度見てしまうとそれに束縛されてしまう気がするので、あくまで本を読んで文章の印象からその地を想像するのがいいんちゃうかと・・・(屁理屈)でも見たいな~。 司馬遼太郎自身も興味を強くもっていたように、日本文化について考えるなら民俗学の本も自然と読むようになるわけでして、柳田國男もその流れで読み出しました。その内それ以外にもやっぱりすごい人はいるんだなあということを知りました。宮本常一という学者がいて、戦前から戦後にかけて日本中の山に分け入り、海を渡り、名もない人々の風俗、民謡を採集して記録に残しました。民俗学を代表する人。岩波文庫から「忘れられた日本人」という本が出ています。まさに現代を生きる我々が忘れていた日本がそこにあります。もう僕の実感としては思い出しても、もはやこの国は違う国になってしまったと思わざるを得ないのですが。どちらが幸せだったのか。確かに昔の彼らは非常に貧しい。でもやっぱり何らかの懐かしさを覚えるのはなぜ? (下の写真が宮本常一) 柳田國男よりも、宮本常一よりも昔、やはり日本を旅して歩いた先人がいました。大昔だと役行者(役小角)とか空海??これはちょっと趣向が変わりますね。修験道の道も奥が深そうですが。歩いたというより空飛んでそう。もうちょっと後になると西行がいますが、この人もまだよく知らないので大して書けません。今日にも多くの記録をのこし民俗学の原点とも言える人物が江戸時代に出ます。菅江真澄(すがえ ますみ)といい、三河出身。30歳頃より旅を始め、主に東北地方をまわり最後は秋田に住み着いて生涯そこで過ごしました。(左下画像) 各地で紀行文を遺し、これは現代語訳で我々もよむことができます。(平凡社ライブラリーより、「真澄遊覧記」) さらに現代に近づいて、明治になり日本が開国すると、海外の旅行家たちが何人も日本を訪れます。中には初めから先入観でもって好意的に見てくれない人もいましたが、僕が読んだイザベラ・バードという女性旅行家はわりと素直に日本を見てくれています。彼女の書いた「日本奥地紀行」(「Unbeaten Tracks in Japan」、平凡社ライブラリー、下中央画像)は僕にとっても知らないことだらけで。(昔って"のみ"が多かったんですねえ・・とか・・・)宮本常一はこの本の解説本も出してます。(平凡社ライブラリー、「「日本奥地紀行」を読む」)外国人というならシーボルトあたりから始まって、やっぱり小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も外せないでしょう(「怪談」、「明治日本の面影」、「神々の国の首都」など、講談社学術文庫、下右画像)・・とかブルーノ・タウト(「ニッポン」、講談社学術文庫)とか、多すぎます。より最近というならドナルド・キーンでしょうか。この辺はまだまだ勉強中・・。また日本人にとっても日本人論の原点というべき「菊と刀」(ルース・ベネディクト著、講談社学術文庫)。僕は高校の英語の授業で原文読まされて苦労しましたが、これは戦時中アメリカ軍の日本分析のために書かれた書物。その完成度の高さ。アメリカはやたら能天気で明るいイメージが協調され易いですが、己の国益のためには極めて冷静(むしろ冷徹)になれるという一面も覚えておいたほうがいいかもしれません。新渡戸稲造が書いた「武士道」を読んだフランクリン・ルーズベルトはこれに感動し、息子達にも読み与えましたが、同時にこのような優れた文化を持つ日本はいずれ敵になる、必ず潰さなくてはならないとも言ったそうです。 僕自身は東京の出身で東日本によりつながりを感じていて、いまだに関西になじみきれない部分があります(偏見かもしれませんがすいません)。基本的に気にしてませんが、それでも違和感を感じることがあってこれは話し合ってもわかんねーだろうなーと思ったりします。(うまく言葉で言えません) 東京出身であるということは"日本"という大雑把なものに興味を持った大きな要因だと思っています。自分は「東京人」だという意識が基本的に東京出身の人にはあまりないので県とか都、府といった概念(もっと細かくいうと村とか町)からは自由になれるからです。逆にそのために自分のアイデンティティをどこかに見つける必要性が無意識のうちに出てくるように思うのです。それで自分が生まれたこの日本って何、という疑問に行き着いたのではないかとなんとなく思っています。15回目の記事↓http://plaza.rakuten.co.jp/kirameita/diary/200602060000/
2006.02.15
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前回は全く音楽と関係ない話でしたねえ。 更新がたまってきてせっかく書いたものがあまり読まれない内に下の方に消えていってる気がする・・。とりあえず通し番号つけてみます。今日は19回目です。どうぞ過去の話も読んでやってくださいませませ。で、さっきから音楽の話にするかまた本に関する話にしようか悩んでるんですが、、、本でいいや。 文学と書かないで本と書くのは別に文学についてはよく知らないからです。以前に比べれば詳しくなったつもりですが、最近出た小説も大して読んではないです。石田衣良とか村山由佳とか村上春樹とか綿矢りさとか、、、。興味がないわけではないですが、やっぱり人間よりは自然の方により関心があるのでしょう。だから文系には行かなかったんでしょうけど。まあどっちが何だっていちいち区別するのも止めたほうがいいと思いますが。ある意味お互いを差別してますし。(これも愚痴・・・)そんなわけで、かどうかは分かりませんが今日は理科と文学のお話。 前回寺田寅彦の話をしました。人文系に最も近い自然科学者というと真っ先にこの人の名が出てきそうです。彼の博士論文は尺八の構造の研究かなんかだった覚えがあるのですが、そんなマニアックなテーマで卒業できたのは時代が良かったということなのか、寺田寅彦の独創性によるのか、実は当時としては結構メジャーな題材だったのか、よくわかりませんねえ。多分今の時代にそんな流行にもならない、金にもならないテーマをうっかり言おうものなら阿呆呼ばわりされそうです。彼は夏目漱石に俳句を習ったり、バイオリンに手を出したり、絵画をやってみたり、カメラもちょっとかじってたみたいです。それらしい話が彼の随筆集の中に出てきますし。前回の「柿の種」同様岩波文庫から「寺田寅彦 随筆集」が全5巻で出ています。彼が随筆を書いたのは才能というだけではなくて、やはり科学者であったことが大きいと思います。物事を客観的に観察して、それを素直に平易に記述することはそのまま随筆に繋がります。まあその観察力がすごいんですけど。科学者で随筆を書く人は結構います。残念ながら僕は昔の人しか知りません。今は忙しすぎて誰もそんなもの書いてる暇自体がなさそうですね。悲しいですが。 寺田寅彦の大学の弟子であった中谷宇吉郎も大変有名な人です。師匠から「人のやらないことをやりなさい」と言われた宇吉郎は北海道大学で、これも師匠の影響か、流行のものには手を出さず身近にあった「雪」の研究を始めます。冬に毎日山に入って雪を観察し続けたのですから、そのエネルギーに脱帽します。現在知られているような雪の結晶の様々な形を見つけて分類したのもこの人ですし、世界で初めて雪の結晶を実験的に作ったのも彼です。そしてこの人も味わい深い数々の随筆を私達に残してくれました。随筆は起承転結もはっきりとはないですし、人間の生々しいドラマもないですから、人によっては退屈だと思います。ですがそうした世間の喧騒からちょっと離れて、日頃気が付かないようなことを発見できるのは自然科学をやっているからこそですし、やはり理系の人々が理系を志したもとはそうした身近なものへの、人間も含めた世の中への素朴な疑問だったと思います。 あと有名な人と言うと、、、ノーベル賞受賞者の朝永振一郎は知ってる人は知ってますかね。湯川秀樹だけ圧倒的に有名ですが。この二人、京都で同じ小学校、中学校と同級生なんですけどね。でもって同じ3高に進学しました。さらに専門も当時の最先端であった量子力学、素粒子論。二人の通っていた小学校は今もあってわたくしもよく傍を自転車で通ります。まあ自分と二人を比べても無益ですな。二人ともテストは常にほぼ満点だったそうですから。へこむ~。湯川は、誰も思いつかないような発想をするタイプで、朝永は論理的な緻密さが素晴らしかった、ということです。どう解説された所で僕にはひがむことしかできません・・。朝永振一郎はわりと晩年になってからだと思うんですが、エッセイ的な作品を書いています。岩波文庫から出ている「科学者の自由な楽園」、「量子力学と私」という、名前だけ聞くとどんなマニアックな本やねん、といった感じの本ですが、読んでいると本当に当時の自由な雰囲気が伝わってきて、ちょっと憧れます。他に「庭にくる鳥」といったこれは本当に随筆も出しています。湯川秀樹も似たものを書いてはいて、「旅人」という本の中で京都の想い出などをつづっています。京都に住んでいる身としてはあちこちで京都が出てくるとやっぱり嬉しいですね。湯川秀樹はどちらかというと、思想家としての側面が強いです。もともと物理の理論屋ですから頭の中でしっかりとした思想体系を持っていたように思います。実家が学者の家系で老子・荘子だとか中国の古典に幼少からなじんでいたことも大きいのでしょうが。 合理的理性的判断力をつけるだけではなくて、やっぱり感受性というものを養いたい、と思う僕にとってこれらの人々は師であり続けるのです。(回を重ねる毎に、明らかに文章が長くなっている・・・)
2006.02.12
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このページ立ち上げてもうすぐ1ヶ月ですね。どうも"ブログ"って呼ぶ気がしない。"ブログ"って発声すると響き悪くないですか?濁音だらけで。他に言い方ないかなあ。 これを記すにあたって、こういつも夜中に頭使ってると(午前2時・・)なにやら妄想めいたものも浮かんできておかしくなってきます。半分夢を見ているような。夢というと、夢をそのまま小説の作品にしたようなものを書いていた人もいます。その人、内田百間(うちだひゃっけん、"けん"はJIS基準外で漢字が打ち込めないので"間"で代用、"けん"と読んで下さい)は「サラサーテの盤」とか「山高帽子」、「冥途」といった幻想的な、でも何か不気味な印象の小説を多数書いています。この人は「阿房列車」の紀行物(かなあ?)とか「百鬼園随筆」として知られる面白い随筆も書いてます。黒澤明の映画「まあだだよ」のモデルでもあります。相当な頑固者というイメージと同時にとてもひょうきんなイメージもあってまだ全体像が掴み取れない。というのは、もしかしたら知っておられる方もいるかもしれませんが、百間氏が芸術院の会員に推された時、彼はこう言って断ったそうな、、、格別の御計らい誠に有難う御座います 皆さんの投票による御選定に由にて特に忝く存じますされども 御辞退申したいなぜか 芸術院と云う会に入るのがいやなのですなぜいやか 気が進まないからなぜ気が進まないか いやだから上の範囲内の繰り返しだけでおすましください吹き出しました。こんなことをさらっと言える大人になりたいです。上の画像に載せてますが、彼の作品はちくま文庫から内田百間集成として全24巻にまとめられています。是非お読みになることをお勧めします。そういえば黒澤明の「夢」も見ましたが、映像は美しいがストーリーはよく分からなかったです。そりゃ夢だからか。で、夢つながりで、なんでもあり、ということで、夜がふけて、辺りが静かになった頃、何処かで梟の鳴くのが聞こえた。「梟が鳴くね。」と一人が言った。するともう一人が「なに、ありゃあ梟じゃない。すっぽんだろう。」と言った。彼の顔の何処にも戯れの影は見えなかった。しばらく顔を見合わせていた仲間の一人が「だって、君、すっぽんが鳴くのかい」と聞くと「でもなんだか鳴きそうな顔をしているじゃないか」と答えた。 皆が声を放って笑ったが、その男だけは笑わなかった。彼はそう信じているのであった。 その席に居合わせた学生の一人から、この話を聞かされた時には、自分も大いに笑ったのではあったが、後でまたよくよく考えてみると、どうもその時にはやはりすっぽんが鳴いていたのだろうと思われる。 ………過去と未来を通じて、すっぽんが梟のように鳴くことはないという事が科学的に立証されたとしても、少なくとも、その日のその晩の根津権現境内では、確かにすっぽんが鳴いたのである。 これを書いたのは寺田寅彦という明治から昭和に生きた物理学者かつ随筆家です。科学での功績はもちろんのこと、彼の随筆は今も多くの人に愛読されています。夏目漱石に俳句を習っていたそうで、「三四郎」の中にも彼をモデルにした学者が登場します。そんな彼の著作の中で、上の話と、これから下に載せる話が入っている「柿の種」(岩波文庫)がとても気に入っています。私が科学の道を志した、最も単純で純粋な動機、それはこのためだったのだと気づかされました。 宇宙の秘密が知りたくなった、と思うと、何時の間にか自分の手は一塊の土くれを掴んでいた。そうして、二つの眼がじいっとっそれを見つめていた。すると土くれの分子の中から星雲が生まれ、その中から星と太陽とが生まれ、アミーバと三葉虫とアダムとイブとが生まれ、そこから自分が生まれてくるのをまざまざと見た。・・・…そうして自分は科学者になった。 しばらくすると、今度はなんだか急に唄いたくなってきた。と思うと、知らぬ間に自分の咽喉から、一人でに大きな声が出てきた。その声が自分の耳に入ったと思うと、すぐに、自然に次の声が出てきた。声が声を呼び、句が句を誘うた。そうして、行く雲は軒端に止まり、山と水とは音をひそめた。・・・…そうして自分は詩人になった。・・・ここで終わっとけばいいものを、妄想にまかせて最後にもう一つ・・・ Our nada who art in nada, nada be thy name thy kingdom nada thy will be nada in nada as it is nada, Give us this nada our daily nada and nada us our nada as we nada our nada and nada us not into nada but deliever us from nada i pues nada. Hail nothing full of nothing, nothing is with thee. He smiled and stood before a bar with a shining steam pressure coffee machine. ……"Clean Well-Lighted Place" by Ernest Hemingwayようするに不眠症の男の話。(私は違います。念のため)
2006.02.09
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書き込み熱が続いているので書こう。今日書くのも日本人です。ジャズの要素もあります。どちらかと言うとハード系? ジャケット写真見ただけで分かる人がどれ程いるのか分からないんですが、一番巷でヒットして僕自身このアーティストを知るきっかけになったのが「Life feat. bird」というシングルです。2000年だったか夏頃オリコンチャート20-30位あたりにしばらく出ていた記憶があります。イントロから流れるギターのサウンドがとても印象的で、購入しようと思い立つもその時には既にチャートにもなくて、しばらくは誰か分からずただ悶々としていましたが大学2年の時に再会。(理由は忘れました) そしてようやくこの曲に、さらにこのグループにはまりました。大沢伸一率いるMondo Grosso(モンド・グロッソ)です。イタリア語で「大きな世界」という意味。上のジャケット写真は「Life」のシングルCDと、その「Life」も収められている「MG4」というアルバムです。("Mondo Grosso 4枚目"のアルバム) ちなみにbirdを全面プロデュースしていたのはこの人です。 彼の音楽世界のエッセンスを適当に挙げるなら、ジャズ、ラテン、ダンス、クラブ、近頃はハウスといった所でしょうか。アシッド・ジャズとも呼ばれたりするようです。 彼の音楽は一言でいって、かっこいいです。初めてアルバム聞いたときはしびれました。Mondo Grossoは一応グループですが常にいるのは大沢伸一だけで、彼がこれだと思う他のアーティストとコラボレートして作品を作っているようです。相手は国内外問わず様々ですね。世界20カ国以上で発売されており世界に誇れる数少ないアーティストだと(勝手に)思っています。去年うちの研究室に来たイギリス人にこの人の曲聞かせたら"Funky!"とか言って気に入ってくれたので確かだ。うん。日本人でよくコラボレーションする相手にMondayみちるが居ます(女性です)。現在のクラブシーンにはもはやなくてはならない人物になっているそうですが、誰か一緒にクラブ行ってくれないかなあ・・。たまに京都にも来るんだけど。さすがに一人では行く勇気がありません。 大沢伸一自身京都の出身です。1991年にMondo Grossoを結成、1993年メジャーデビュー。当初は固定メンバーがいましたが1996年彼のソロユニットとなり現在に至ります。(メンバーには現Kyoto Jazz Massiveの沖野修也とかSleep Walkerの中村雅人などがいました)万人受けするポップではないですがかなり奥が深いです。音へのこだわりが強く感じられます。僕の大学音楽生活の半分はこの人に占められてるかも・・。普通のアルバム以外に「Abstruct Jazz」といったポップから見ると"マニアック"なアルバムにも参加したりしてます。初期はラテン色が濃いブラック・ミュージックといった印象で、ここ数年はハウスへの傾倒が見られます(本人も言ってる)。BoAをフューチャリングした「Everythig Needs Love」は比較的最近ヒットしてたからもしかしたら聞いた人もいるかも。それ以外にも中島美嘉に楽曲提供したり、Dragon Ashの降谷健志と組んだり、Jamiroquaiのremix手掛けたり、まあ至るところで活躍してます。 このページを立ち上げる際に2日目の書き込みに載せた人物写真、実はあれが大沢伸一です(きらめき星ではありません。笑)。同じジャンルの他のアーティストも聴こうとは思っているのですが、彼以外にはあまりくわしくなってない、、、。 (下は最近のアルバムから。「Next Wave」。 BoAの曲も入ってます)今も十分好きですが、個人的にはMG4の頃が音の鋭さが一番際立っていた気がします。 ところで、MGの「Life」に限らず、これまでCMとか音楽番組等で何気なく聴いていて、突然そのメロディに心奪われてしまった経験が何回かあるのですが、どれもきちんと記録していたわけではないので今もその音の輪郭だけが頭の中に残っているもののもはや探しようもなく、心のどこかで常に引っかかっている。うう。そうした経験から最近はTVつけてる時はメモ帳と書く物を常に近くに置いてるんですけどね。もっと言うと音楽に限らず目に留まったり心惹かれる風景、言葉が毎日街を歩いていると必ず見つかるので、バッグの中にカメラと手帳も必携です。それは乗っている電車の中、駅の改札を降りた傍にあるデパートの広告スペース、研究室から生協に飯を食いに歩いていく途中、さらには寝る直前の蒲団の中で急に思いついたり、あらゆる場所、時間です。おかげでバッグは常に荷物が多い・・。
2006.02.08
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書くかー。実験データでないなあ。そろそろ絶望の黒い影を身辺に感じます。気のせいじゃなかったのかー。冥界への扉は、 まだ開かない。そういえば、聴きましたよ。なるほど、すごいですね。ぐぐっと引き込まれました。 変なこと書きますが、これってジャズであってジャズでない気がしました。鳴ってる音楽はもちろんジャズなんですが、コルトレーンいわく神への贈り物であり、彼自身が神、そして真理と一体になるために作られたものなわけで、ジャズという作法は単にそこに至るための媒体に過ぎず少なくともジャズ音楽のためのジャズではないと思うのです。もちろん誰もジャズのためにジャズやってるんじゃなくて本人が楽しくてより音楽的な表現を追求してるだけなんですが、このアルバムはその行為を極限まで突き詰めてしまったような・・。考えすぎですかね。 まあ後は誰かさんの論評の内容の一部分が胡散臭いなあと思いましたが、別に大したことではないので・・。いよいよ次はフリージャズ・コルトレーンに突入してみようかと。フリージャズつながりで、以前書いた加古隆がフランス留学中に結成したTOKというバンドがあります。何枚もアルバム出してますが私が持っているのは下の2枚。左:「Paradox」1979年録音、ドイツECMレーベル右:「Legend of The Sea-Myself」(「海の伝説-私」)1977年、東京でのライブ(これはTOKじゃないけどトリオで演奏)初めは全く分かりませんでした。それが、、、最近ちょっとわかるようになってしまいました。(何がわかったのかわかりませんが) 慣れは恐ろしい・・・。さあみんな未知の世界へ行きませう。
2006.02.07
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今日も深夜だ。昨日の深夜はアートの話。今日は音楽に戻りましょうか。 姫神は皆さんご存知ですかね。知ってる人はよく知ってるし、知らない人は全く知らないといったところでしょうか。ポップとも言えるし伝統音楽とも言えるかな。 1997年にTBSで放映されたドキュメント番組「神々の詩」の主題歌を担当して、その曲が話題になって知名度が一気に上がりました。(上の画像のCD) 「feel」か「image」当たりに、ヒーリング音楽の一つとしても収められています。(前にも書きましたが「ヒーリング音楽」という言葉は好きじゃないです。結果として癒されるのは素晴らしいことですが、それを売りにした商業主義の枠に納められてしまうのがどうにも納得できない・・・ま、愚痴です)1980年に星吉昭を中心として「姫神せんせいしょん」を結成1984年「姫神」と改名し、以来星吉昭のソロ・ユニットとして活動。 東北地方の伝統芸能や民謡に触発された独特の音楽世界。星吉昭のシンセサイザーが不思議で物悲しく、そして暖かい音を紡ぎ出す。アルバムのタイトルも「奥の細道」(デビュー作)、「まほろば」、「風の縄文」と東北、特に縄文を意識したものが多く、聴いていると日本の原点である数千年前の縄文時代に思いは飛んでゆきます。姫神という名は岩手県に実際にある姫神山から取っています。 2年前の8月、東京で野外コンサートが催された時、たまたま帰省していて見に行くことができました。シンセサイザーやりたくなりました。その僅か2ヶ月後、星吉昭氏は亡くなられました。ついこの間見たばかりなのに・・。残念です。彼には息子さんがおられてコンサートの時も自作曲をたしか披露してくれた覚えがあるのですが、現在は父の意志を継ぎ、息子の星吉紀氏が新しい姫神の歴史を作っています。(私と3つしか年が変わらない・・・) 東北地方、特に岩手県というと、やはり思い浮かぶのは民謡、昔話です。有名な柳田國男の「遠野物語」を読んだときはとても不思議な感覚になりました。遠い昔の日本人の精神世界を垣間見たような・・。姫神をより深く聞くためにも、と言うより日本人の心を知るためにもこういうものも読んでみると面白いです。「千と千尋の神隠し」にもちょっとつながるような。現在の岩手県遠野市にも去年行ってしましたが、今も河童がいるとかいないとか。ただ史跡(町全体が史跡のようなものでしょうが)の保存はなかなか進んでないようです。ややこしい行政上の取り決めも多いようで。列島改造も進みほとんどかつての日本は失われている今、日本人にとっての心の財産を少しでも多く遺してほしいと思うのですが、あまり関心はもたれていないのでしょうか。皆海外旅行できれいな町並みの残るヨーロッパとか大好きですよねえ。なのになんで自分の国には平気でグロテスクなコンクリートづくめの建物たてまくって気にならないんでしょう。腹が立つ、というか不思議です。ま、何事も、どっとはらえ。
2006.02.06
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2日に1回じゃなくても書きたい時に書くか。しかもジャズに限定するのも止めようかなあー。私の頭の中のカオスが顔を出しそうで怖い。笑もはやこのページのジャンルが音楽でなくなるが、まあそれも良しか・・。多分今ちょっと熱があるからこんなこと書くんだろうな。昼過ぎから体がだるい。 けふも朝から無料鑑賞券使って祇園会館で4時間立てこもって映画見る。おじちゃん・おばちゃんばっかやんけ。 次に一乗寺にある恵文社という美術・写真・建築・文学系の本を特にたくさん扱っている本屋さんを1時間ほど物色。店内の奥ではちょっとしたスペースを利用して小さな個展(というほどでもないか)が開かれている。 それから友人と吉田でお茶&夕飯。他愛ない話に花が咲く。そして帰宅。なんか体が火照ってきた。頭も痛い。昨日もひたすら動き回ってたし、さすがに無茶しすぎたのか。うーむ。でもこうしてなぜか書き込んでいる・・・。「In-Between」という全13冊の写真集シリーズがあります。 とてもハイセンスできれいな写真集。「Europe Today」というプロジェクトの一環で、1999年よりヨーロッパの写真家が日本を、日本の写真家がヨーロッパのEU加盟国25カ国を撮影し、記録に残そうというものです。写真家達は日本とヨーロッパを繋ぐin-between(媒介者)として、各々の「今」を切り取るのです。プロジェクトは今年の4月頃まで写真以外にも色々と企画があるようです。私が本屋で見たのは写真家ホンマタカシによるデンマーク・ポーランド編(第1巻)。(下画像1枚目:デンマーク、2枚目:ラトヴィア(第3巻))逆にヨーロッパから見た日本という国・・・うーん、写真貼り付けると紙面が埋まってしまう。バランス悪いな。第1巻以外の作品も見てみたいなあと思うわけです。もうだいぶ終わってしまってますが、日本では巡回展「日本に向けられたヨーロッパの眼」のvol.7-岐阜展が3月に岐阜県立美術館で開かれるそうです。もーーーし、暇なら行ってみては?全く暇じゃないですね・・。はい、すいません。
2006.02.05
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さしてカウント数も増えてないですが、私の仕事は更新することですので更新したいと思います。 1930~40年代に活躍したジプシー出身の音楽家が居たと、以前映画の話でちょっとだけ書き込んだんですが、改めて聴くことができました。ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt)と言えば、フランスでは最も有名なジャズ・ミュージシャン、ギタリストだそうです。1910年ベルギーの生まれで、父親はバイオリン弾き、母親も歌手兼踊り手の芸人一家でした。幼い頃からパリに行ってはその音楽に触れ、彼のエッセンスには当時のフランスの雰囲気が濃厚に入っています。またアメリカのジャズを耳にし、それを夢中になって吸収してゆく。僕が見た映画の中でジプシーのギターが奏でる音楽を聴いたときも、その大きな特徴は軽快なリズム感、様するにスウィングです。彼はジャズの歴史の中でスウィング・ジャズ(swing jazz)の創始者の一人と称されています。独特のジプシーのリズムとそれまでのジャズを融合させたのです。若い時、火事によって左手の指2本が使えなくなるという不幸によって、逆に彼にしかできない独特の奏法を編み出すに至ります。 一枚目に掲載しているアルバムは1949年ローマのクラブで演奏した時の録音で、彼のキャリアとしては晩年に近いです。第二次世界大戦終了と前後してジャズの世界はビ・バップに突入していきます。その中でスウィングは徐々に時代遅れになっていきました。そして1953年、自分の時代の終わりとともにとでも言うのか、不滅の実績と名誉を遺してこの世を去ります。 ジプシー(ロマ)の音楽は、とにかくテクニックがすごい。そこに軽やかだけど哀愁を帯びたメロディが載せられている。そのメロディは彼らの民族的な苦難の歴史を反映しているのかもしれません。 ちなみに僕が見た映画「僕のスウィング」の中でギターの超絶技巧を見せているのはチャボロ・シュミット(Tchavolo Schmitt)と言うギタリストです。彼もロマなのか?ちょっとよく分かりません。 彼らの音楽、生活には魅せられる所も多いのですが、同時に違和感も感じてしまうというのが現在の僕の正直な感想です。Django Heinhardt 「Djangology」ジャンゴ・ラインハルトのオリジナル曲がやはり一番演奏と合っている気がします。7曲目「After You’ve Gone」12曲目「Swing 42」がテンポ、テクニックで特に華麗な演奏を聞かせてくれて、身体も弾みます。それにしても音楽は本当に色々な世界がありますね。生涯を費やし、散財してしまうのもわからないでもない。上段1枚目画像:Django Heinhardt 「Djangology」 2枚目画像:映画「僕のスウィング」(トニー・ガトリフ監督、2002年) 3枚目画像:チャボロ・シュミットのアルバム「Miri Familia」(2002年)(ジャンルはジャズです。ジャンゴ・ラインハルトの後継者として注目されているアーティストです。)一番下の画像:「Djangology」と同じだけど彼の姿がよりアップで見えるので載せました。(さらについでに画像の数え方は一覧表示した時の見た目で書いてます)
2006.02.04
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2日に一回の更新が定着しつつあるな。今日も映画とジャズのお話にします。またどちらかというと映画の宣伝になりますが・・。 1973年に公開された「ペーパームーン」という映画があります。タイトルの「ペーパームーン」は同名のジャズナンバーから取られたもので、曲名は正式には「イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン」(”It’s Only A Paper Moon”)と言います。もともとはジャズの曲ではなくて1932年にブロードウェイのミュージカル劇「ザ・グレイト・マグー」のために書かれたものでした。原題は「イフ・ユー・ビリーブ・イン・ミー」(”If You Believe In Me”)と言うそうです。その後映画に使われたりして一般に親しまれるようになり、1973年ピーター・ボグダノビッチ監督によってこの曲をモチーフにした1930年代のアメリカを舞台にした映画で再び用いられたのです。簡単な内容紹介としては、、、 1930年代大恐慌時代のアメリカ。母親を亡くしみなし児となった9歳のアディ(テイタム・オニール)と、未亡人の女性ばかりを探しては豪華な聖書を売りつける口達者な詐欺師モーゼ(ライアン・オニール)がアディの母親の葬式でたまたま知り合うことになり、一緒に旅することになってしまった。しかもアディはモーゼも顔負けの聡明さを発揮するが、それと同じ位悪賢い・・・。しかし旅を続けるうち、二人はいつしか本物の親子以上のきずなで結ばれていくというストーリー。テイタム・オニールとライアン・オニール、本物の親子です。撮影当時9歳のテイタム・オニールはこの映画で史上最年少助演女優賞に選ばれています(現在も破られていません)。 映画の中のアディはかなりの悪ガキです。でもふてぶてしい態度とこまっしゃくれた笑顔がとてもかわいい。(映画中はぶすっとしてる方が多いですが・・)あえてモノクロにすることでノスタルジックな雰囲気がよく出ています。こてこてのお涙頂戴、になっていないところが逆にいいかもしれないです。ちなみに我が下宿に来れば、2000年12月24日(クリスマスイブ!)にNHKの名作劇場で放映されていたものを録画して保存してあるので鑑賞できます。笑 映画の説明ばっかになってしまいましたが、サントラもでていないので映画の中で「イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン」を歌っているのが誰なのかは不明です。多分1930,40年代当時の録音なのでしょう。他にもその当時の曲がいくつか出てきます。もともとミュージカル用に作られた曲がジャズに使われるようになり今ではスタンダードナンバーになっているということは非常にたくさんあります。ジャズのスタンダードといっても初めからジャズ用に作られたものはそれほどなくて、ミュージカル、映画、ポップソング色々なところにルーツがありますからね。良い曲にジャンルは関係ないのです。「ペーパームーン」はナット・キング・コールが歌ったり、エラフィッツジェラルドが歌ったりこれまで多くのシンガーによって取り上げられているまさにスタンダードです。作者であるハロルド・アーレン(Harold Arlen)の他の作品としては「Over the Rainbow」(「虹の彼方に」、1938年)なんかもあります。 映画と音楽って非常に密接に結びついてますよね。映画を観てそこで歌われている音楽に感動する。音楽によって映画がより表現豊かになる。「ペーパームーン」の歌詞をちょこっとだけ載せると、、、Say it’s only a paper moon Sailing over a cardboard sea But it wouldn’t be make believe If you believed in meYes it’s only a canvas sky Hanging over a muslin tree But it wouldn’t be make believe If you believed in meボール紙の海の上に浮かぶ紙の月でも あなたが私を信じてくれるなら本物になる 作り物の木と絵に描いた空でも あなたが私を信じてくれるなら本物になるなんとなくしみじみとして切ない曲です。 少し本題から外れますが、僕は映画を見るときなるべく考えないことにしています。理屈じゃなくて感性で見るものだと思うので。もちろん人間の作ってるものなんで何のメッセージもない映画なんてないのだからまるで考えないのもだめでしょうが、あまり意味にこだわりすぎると見えるものも見えなくなって素直に感じることができなくなる気がするのです。こういうことを言うのは映画評論家だった淀川長治が「映画を頭で見てはいけない」と言ったことがとても印象に残っているからです。研究やってる人間の性か、必要以上に考えてしまう所があるのでいつもちょっと心に留めるようにしています。 もう一つ淀川さんが言っていたことで感銘を受けたのは「どんな映画にも必ずいいところがある」という言葉です。批判するだけなら簡単です。実際これはだめだろと思うものもありますが、この言葉を知ってからは、とにかく何か一つでもその中から汲み取れるものがあると思って映画を見るようになりました。淀川さんはとても心が広いです。僕はまだまだ修行中です。
2006.02.02
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